Sonar Members Club No.36

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春夏秋冬不思議譚 (月曜日の夜)

2014 FEB 10 11:11:05 am by 西 牟呂雄

読者はご記憶だろうか。ブラジルにいて、僕にそっくりな(本当に似ていて,また同じ年。)ケネス・ニシームが久しぶりにメールを寄越した。何と日本語を勉強しだしたそうである。全く同じタイプの人間だと思っていたが、少しは真面目な面を見て感心した。僕はポルトガル語を今更やる気なんかは全然ない。しかし、しきりに”Monday night”と書いてくるのは一体何なのか分らなかった。月曜日の夜にでも日本語スクールに通っているのかとも考えたが、それにしては関係無いタイミングで”Monday night”をいくつも入れたメールは支離滅裂で、意味不明の内容なのだ。少しおかしいんじゃないかと不安になり、月曜の夜は何なのか恐る恐る聞いてみた。”What do you mean 「Monday Night」?” すると”It’s Japanese isn’t it?” との返事。それは月曜の夜、という日本語はあるに決まっているが・・・・。面白いことに、必ずそこにはいちいち” ”をつけてくる。『This ia “Monday night”』という使い方だ。そう言えば、覚え立ての日本語がローマ字表記でちりばめてあり、全て” ”が振ってあることに気が付いた。”Konnichiwa”とか”Samui”といった感じで、これはよく分る。するとケネス・ニシームは”マンデイナイト”を日本語だと思っているのか。

この謎は突然氷解した。要するに”モンダイナイ”と言いたくて、彼にとってはほぼ同じ発音のつもりで”Monday night「モンダ(デ)イナイ(ト)」”と書いてよこしたのだ。問題無い!あいつは一体どんな勉強の仕方をしているんだ。我がブログ『ロシア残照Ⅱ』に書いたように、遠いロシアでたった一人日本語を勉強していたアリョーナちゃんの方が、よっぽど合理的な学習をしている。

しかし、我が身を振り返ると身につまされる。中国で仕事をした時に、何かとメイ・ウェン・ティーとかモウ・マン・タイとかを英語に混ぜて喋っていたが、向こうの中国人が怪訝な顔をしていた。前者は没問題と書き、後者は無問題で大方の意味は同じだが、北京語と上海語の違いだった。多くの識者が当たり前のように知っていることを全く知らずにツウぶって口に出していた自分がバカだった。しかも没問題を”メイ”ではなく”ウェイ”に近い発音をしていたのに、誰も(あきれかえって)直してくれなかった。

韓国に行った時も、チェックインの際に大威張りで『ナー・ヌン・ニシムロ・スミダ。』と言った途端、真面目くさったフロント・マンに『にしむろさまですね。』と日本語でやられて恥をさらし、空港に行くタクシーの運転手に『インチョン・エア・ポート・イムニダ。』と言うと、その運転手に『カムニダ。』と直されてせせら笑われた。もっとヤバかったのは、ある日取引先から電話をもらい、ある用件を(日本語で)話している最中に、『スゴハァ・ショッソヨー(ごくろうさまでした、のつもり)。チュンビタ・テッソヨー(準備できました、のつもり)』とやったら、そうしたら『オー、シャベレマスカ。』と言われたものの、その後ダーッと韓国語で話しだされた。何にも分からないくせに調子に乗って『イェー(はい、のつもり)イェー。』と相槌を打っていたら向こうが電話を切ってしまった。この件、バツが悪いので放ったらかしていると、一週間くらい後に『西室さんに仕様書を送ってくださいと言ったら分かった、と仰っていたのですが。』という丁寧な電話があったという。

してみると、ケネス・ニシームの『Monday night』と同じようなことを、こっちもしょっちゅうやっている訳で、やっぱり同じタイプの人間なのか。そして恐ろしいことに、今度インドに行くらしい。実は僕もインド出張の計画があり、この調子でバッタリ会ったりしたら、何やら大変なことになるかも知れない。

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年若い友人への手紙

2014 FEB 6 11:11:08 am by 西 牟呂雄

久しぶり。その後どうしているかい。噂も聞かないが随分参っているようなので、手紙を書いてみた。大変なことになったのを耳にしたのが1年前だから少し間が空いたので、手紙でも読む気になったかとしたためている次第だ。別にこのまま捨ててしまっても構わない、僕には分らないからね。

まあ、あの事件については今更(このイマサラがポイント、直後ではこうはいかん)なのでどうこう言うつもりもない。しかし、この程度の時間が経てば多少考えも変ってくるもんだろう。無論、色々な感情は、全くの忘却でもしない限り無くなりはしない。今思い出してここで頭に来られてしまってはオジャンだからそのことには触れない。聞いて欲しいことはこれからだ。

その後、辛くも生きていることは、実は大変マトモなことで、キミは十分堪え忍ぶことを学んだはずだ。キミのことだからこの言葉を素直には受入れられないだろうが、僕はそう思っている。現に生きている。そして今後も(普通に考えれば僕よりも)長く生きる。どういう道を歩んでいくか、それはきっと僕の想像もしないことになっていくと思う。そして様々な人に触れあったり、多くの経験を積んでいくはずだ。当たり前の話だが、女性と出会い人の親になっていくだろう。しかし新しく出会う人がどんな人かにせよ、1年前のことを決して口に出すな。一度口にすればするほど、後戻りすることだと心得たまえ。

断言できるが、例えば10年も経ってしまえば、その件を口にする時に必ずウソが入る。「実は」「本当は」「今まで言わなかったが」といった前置きの後に続く言葉がいかに虚飾に満ちているか、僕ぐらいの年になるとよく分る。それは一面仕方の無いことだし、誰でもそうなのだ。キミを良く知っているから、敢えてこんな余計なことを書いているのだが、キミはそこで嘘を並べるたびに苦しむはずだ。そして一切誰にも言わないということは、キミの側から言えば恐ろしく孤独なことでもある。しかし考えて見てごらん。自分から言わなければ誰もそんなことは聞きに来ない。あれはどうだったんだ、と聞かれたらば、自説でも反論でもすればいいが、わざわざ聞きに来る者などまずいない。従ってあの話はキミの新たな知り合いにとっては無かったことになるだろう。

どうも当時の関係者とは連絡を絶っているようだが、それはそれでいい。だけど長い人生どこかでクロスすることがきっとあると思う。そんな時はシレッとして明るく挨拶できるようにし給え。別に無理に笑うこともないが、肩肘張ることなく普通に会話できるような胆力をつけることだ。そしてその後は人の噂を気にせず、端然としていればいい。こういうことはコツがあって、そういった『噂』とか『評判』に近づかないようにする、仮に偶然耳に入っても一切無視する、といった癖をつけること。これもまた孤独な振る舞いと言えるのだが、できるかい。分かりやすい例を挙げると、一人で口も利かずに酒を飲む行為が一番近いのじゃなかろうか。一人で飲む習慣があるかどうかは知らないが、ジッと黙々と飲んでみると、しみじみと解ってくると思う。

キミのことだから、面白可笑しく生きていくだろう。しかし犯罪だけは犯さないように。即ち、新聞・テレビ・ネットに名前が出てしまうと、キミの最も嫌う『あいつならやりかねない。』という心ない話題に堕すだろうから。返事は無用。体に気を付けてな。

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年若い友人からの返事

初めての音から音楽まで

2014 FEB 2 22:22:19 pm by 西 牟呂雄

幸いにして聴力は悪くないので生まれてからずっと色んな音を聞いてきたはずだが、初めての音はどんなものだっただろう。自分の泣き声とかが聞こえていたのだろうが、”音”単体の記憶というのは意外と残っていない。川のせせらぎが雨音に聞こえた古い記憶が残っているが、恐らく富士山麓にある山荘の喜寿庵で聞いた音だったと思う。印象的だったのは小学生のときに蹴ったサッカー・ボールが校舎のガラスを割った時のガシャーン、という凄まじい音。校庭で遊んでいたガキが一斉にそっちを見た。幸い怪我人が出なかったから事なきを得たが、生きた心地がしなかった。

音ではないが、喜寿庵で飼っていた犬が遠吠えをするのを聞いて、随分もの悲しい鳴き方だと思ったのも子供の頃だった。『うおお~~ん』という感じなのだが文字にしてしまうとチト違う。放し飼いだったのだから随分昔で、その犬(ペケという名前だった)はサイレンが聞こえたりすると調子を合わせるように『うおお~~ん』をやるのだ。テレビか何かで聞こえてきた狼の遠吠えにそっくりで、犬はやっぱり狼の血を引いているんだな、と妙に納得した。

下町育ちなので、生活音は都電のガシャガシャした音や車のクラクションが一日中聞こえていた。今はそれ程でもないが、昔のドライバーはしょっちゅうクラクションを使っていたのではないか。先日訪問したヴェトナムがそうだった。石焼き芋屋のテープ、玄米パンのホヤホヤ(これも既にテープ)、豆腐屋のラッパ。どれも身の回りから無くなってしまった。別に懐かしくもないが。

それで音楽はどうかというと、子供の頃の流行歌は当方が興味を持たなかったせいか、ザ・ピーナッツとクレージーキャッツくらいしか記憶がない。むしろ刷り込まれたものとしては、母親が好きで聞かされたヴェートーヴェンのピアノ・コンチェルト5番(英雄)とオペラのカルメンが耳にこびりついている。あれは近所から苦情が来なかったのが不思議なくらいの音量だったような気がするが、それは音のデカさというより曲のスケールが記憶に残ったのだ。英雄の出だしのピアノの早弾きは今でもワァッというふうに思わず顔がほころぶ。

そのくせ家にあったピアノの鍵盤を叩いたときの印象はすこぶる悪い、というか短音では『きれいな音色』とは思えなかった。ギターはもっと後に触ってみたが、やはり同じ感触だった。今もって良く分らない。そのせいではないだろうが、僕の音楽観は初めから歪んでいたのではないのか。少し上の世代、即ち団塊組がベンチャーズだと言っている頃はまるっきりPass。中学に進んだあたりは周りがビートルズに夢中だったのに対し、僕はローリング・ストーンズにのめり込んでいた。同時進行の形でグループ・サウンズという形のバンドがブームになっていたが、実際のステージを見るに至っていないので、女の子がキャアキャア言っているだけの印象。先日タイガースの同窓会コンサートをBSで見たが、今聞くとそこそこの選曲でセンスが窺えるのだが。

初期のストーンズは実に下品で無教養の印象。ハハァ ロンドンにもこんな、今にも喧嘩を始めそうなアンチャン達がいるんだ、と感心した。当時はイギリスのほうが先進国の印象があったのだ。とにかくサティスファクションのギターイントロで痺れて以来、出るアルバム出るアルバムを全て買い込み聞き耽った。尚且つ真似しようとさえした。今でも止せばいいのにミック・ジャガーのドーム・コンサートに行き、あいつは年を取ってもよく動けるな、と感心する。今回は(2014)行きませんけどね。

その後どうなったかというと、ギターをやり出してた頃にフォークがブームになった。団塊がフォーク・クルセダースを流行らせた後ですな。髪の毛を背中まで伸し、驚くべきことに小難しい歌詞のオリジナルまで造った。どこかで売れる前の吉田拓郎の前座に出たり、知り合いがレコードを出したり、サルビアの花の『もとまろ』は仲間だった。今から考えると誠に危ないところで、そのまま行ったら4流のギター芸人にでもなってしまうところだったのだ。それが有りがたいことに、あるバンドを見て一発で冷めた。

日曜日の夕方に愛川欽也が司会する『リブ・ヤング』という番組があって、毎週見ていたが、何とか大会の企画でバックにバンドが入り、それがキャロルだった。革ジャン、リーゼントの一際でかい四人組が、when i was just little boy, my one and only joy とやった途端にひっくり返った!ロックンロールだ!もうローリング・ストーンズもフォークも何もあったもんじゃない。ここが軽薄の極みなのだが、長髪をバッサリ切ってリーゼント・ボーイになり、ケツのポケットに櫛を入れて鏡やガラスに映る時は必ず髪を撫で付ける街のチンピラに化けた。パートもギターからベースに代えて、喋り方もエーチャンを意識し『あのヨー』をつけないと会話ができない。キャロルはすぐにレコード・デヴューして、僕は当然そっくりのバンド『ルシール』を組む。この頃から酒の味を覚えて大変な思いをすることになるのだが。

キャロルを見るために新宿の「怪人二十面相」というライヴ屋に行くと、後にダウンタウン・ブギウギ・バンドに移る相原誠がドラムを叩いていた。キャロルはドラマーが次々に変わるので、初めのレコードジャケットはドラマーの顔を写してなかったし相原もすぐ辞めた。それではとばかりに、我がルシールもドラマーを代えなければ、と焦っていたところ、ギターの上手い奴が加入してきて、押し出された格好で僕がドラムを担当する。そのうち仲間内で、エーチャンの使っているポマードは柳屋の黒薔薇というブランドだ、という出所不明の噂が駆け巡り『オレも黒薔薇でキメてんだ。』という奴が次々と現れた(無論僕も)。しかしどうもそんなブランドは無かったようなのだ。見た奴はいない(僕も)。

ここあたりで20歳くらいになっているのだが、我が師(計量経済の泰斗)の言葉に『人間は二十歳の頃に回帰する。』というのがある。思想・思考・趣味といったものが変遷を重ねても最後は二十歳の頃の考えに戻る、と強調されておられた。例えばテレビ・コマーシャルに時々ハッとするような古い曲がバックに使われるのは、製作ディレクターがその頃好きだった曲に違いない。『懐かしの曲』といった番組が、オールデイズ、グループサウンズ、歌謡曲、演歌とそれぞれ一定の視聴率が取れるのも、各世代が二十歳のころに夢中になっているものを喜ぶので、一定の人数が確保されるからだろう。

すると僕は還暦ロックン・ローラーになってしまうのか。ミック・ジャガーやエーチャンはいいけど僕の場合、ちょっとマズイ。

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スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

2014 JAN 31 9:09:06 am by 西 牟呂雄

スポーツを科学の目で見る、とは少し違うが、ビジネスの切り口で考えたい。全く賛同を得られたことは無いが、アメリカの3大スポーツ・エンタテイメントは①フット・ボール②メジャー・リーグ③プロレスと僕は考えている。人によって③にはアイス・ホッケーやバスケット・ボールを入れたいかも知れないが、そうは行かない。試合の規模・回数とかスーパースターの年棒からいけば議論の分かれるところであるが、多くのインテリ人種はJ-SPORTSで中継されるWWEのウィークリー・マッチの盛り上がりやペイ・パー・ヴューの視聴の実態を知らない。これ、見れば物凄い盛り上がりである。

プロレスのややこしさは必然的に食わず嫌いを生み出すので、ましてや我が国で行われているマイナー団体の試合を見た人は僕の回りにはまずいない。これはビジネスとしては小さいが、コアなファンで一杯なのだ。大(全や新ではない)日本プロレスや大仁田が率いていたFMWの、蛍光灯で頭を叩き画鋲を撒いたところへのボディースラム、或いは電流爆破などはマイナー過ぎて、痛みに耐える訓練は感動モノだが一般の視聴には耐えられないだろう。

それはさておき、WWEスタイルは、誰と誰がどういう確執で今日に至っているかのシナリオがあり、それに沿った試合スタイルをいかに造り上げていくのか、を楽しむ代物として完成されていて、エンタテイメント性は他を圧倒している。善玉・悪玉が決まっていて必ずトークが入る。中にはトークだけがクローズアップされるレスラーまでいて、趣向を凝らしまくる。そして会場にまで足を運ぶのは、階層で言えばB級の観客ばかりだからそれなりの『受け』を狙って、ツカミから盛り上げまで反応を確かめつつジョークも交えてやらねばトップは張れない。従ってスーパー・スターにはアクション映画に出演するようなクレバーな演技者の才能が求められる。ロックとかジョン・シナ達がそうだ。事実彼らの主演映画が撮られてヒットした物もあるのだ。なかなか日本のレスラーには真似できるものではない。ラッシャー木村の『馬場、このやろう!オレは焼き肉10人前食ってきて負けちゃったんだよ!今度は20人前食ってやるから、待ってろよ!』だったり『兄貴!今年もよろしくやってくれよな。』式のマイク・パフォーマンスはあったのだが、洗練度が違う。日本でも高田延彦や小川がやっていたハッスルがその路線を踏襲した。しかし、シナリオがプア過ぎてダメだった。曙が卵から生まれた赤ちゃんというシナリオなんて・・・。

WWEのビジネスとしての貪欲さはエゲツないの域に達していて、イラク戦争が始まれば英語の喋れないイラク人(実はペラペラ)をリングに上げる、アフガニスタンには米軍の慰問に行く、ひどかったのは日系レスラーのプロモーション・ヴィデオにはキノコ雲をバックにする始末。ヴィンス・マクマホーンは娘の結婚・出産・離婚までリング上のセレモニーにして客を呼んだ。この辺がプロレス愛好家の知性が疑われるところなのだが。しかしながら子供の頃にチラリと見たことぐらいはあるのだろう、僕の相手になったそれなりのインテリ・アメリカ人に、テリー&ドリー・ファンクとかハート・ブレイク・キッドといった名前を出して知らなかった奴はいない。ただ、ひとしきり盛り上がった後で『イッツ・フェイク』と呟いてニヤッとするが・・・。おまけにドーピング程度は当たり前で規制も何もないから体格の素晴らしいの何の。ただやりすぎで皆同じ禿げ方をする。ビリーー・グラハム、ハルク・ホーガン。エディ・ゲレロなぞはホテルで歯ブラシを咥えたまま死んだ。そのくせ日本の政治家並みに世襲が多い。オートンとかローデスとかフォン・エリックいったファミリー・ネームに記憶のある方もいるだろう(いないか)。ミル・マスカラスの所なんか親戚中プロレスラーだ。これは一つには遺伝的な身体能力もあるだろうが、一方相当おいしい商売なんだろう。どこの世界でも一流と底辺はものすごく差がつくものだが、中堅クラスの稼ぎは冒頭の①②より遥かに上のはずだ。これは日本でもそうで、野球の二軍選手やボクサーよりも年収はいい。但しレスラーになりたがる人数が比べ物にならない程少ないのだが。

それではアマチュアはアマレスしかできないかと言うとそんなことは、ない。あちこちにアマチュア・プロレス団体というのも存在しているのだ。現在ではマットもやわらかく、ロープもキチンと張り、レフリーもトレーニングを積んだちゃんとしたプロレスになっており、選手達も良く練習している。飛び技、投げ技、打撃技、スピード、そしてエンターテイネント性も申し分ない試合が行われている。中継(無論していないが)の為の解説も、倉持、古館、福澤といった名アナウンサーばりの調子で見事なもんだ。しかし40年前は凄かった。僕は偶然見たのだが関東アマチュア・プロレス・ヘビー級選手権は大田区立体育館で体操用のマットを敷いて行われていた。ロープなんかを張る機材も何も無い。ところがバレーボール・ネットに使う鉄柱が二本ポツンと立てられていて不思議な感じで始まった。暫くは投げ、締め、張り手と繰り出して四の字固めとか片エビ固め、といった基礎トレのような試合があった。ロープがないから跳ね返ることもできない。ところがリングアナウンサーが、メイン・イベントを伝えると雰囲気は一変した。ヘビー級の選手権はチャンピオン、ビッグ赤平 対 挑戦者ハンニバル清水の試合だった。ビッグ赤平はかなりの巨漢、ハンニバル清水は空手家のコスチューム。ハンニバルの反則パンチ・キックにビッグが耐える試合構成だったのだが、場外乱闘になった。リングを組み立てていないので、場外転落ではなく、単にマットからはみ出しただけだが、今まで意味なく立っていたバレーボールの鉄柱の意味がそこで分かった。そう、鉄柱攻撃なのだ。ハンニバル清水がビッグ赤平の頭を掴んでガシャーン、ガシャーンとやると赤平の額からホンモノの血がドバァーと吹き出して、床に座って見ている(アマチュアだから席なんかない)僕達の前でポタポヤ落ちる。ところが使用後に後が残ると叱られるらしく、スタッフがセッセと雑巾で拭くのがお笑いだが。最後は打点の高いドロップ・キックから見事なジャーマン・スープレックスでビッグ赤平の勝ち(体操のマットが床に敷いてあるだけですぞ)!ちゃんと試合後のインタヴューもあって額をタオルで縛った赤平選手がマイクに向かって吠える。回りは少年ファンが囲んでいる(僕以外)。

中継役「赤平選手、おめでとうございます。試合を振り返ってどうですか。」

赤平「いやー、ハンニバルがしぶとくて。危なかったです。」

中「ものすごい出血ですが、明日から仕事大丈夫ですか。」

赤「こんなケガ、一晩寝れば何ともありませんよ。はっはっはっは。」

後日分かったことだが、彼は一週間休んだらしい。いかん、このブログ趣旨と関係ないところに行ってしまった。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

ジミー・スヌーカの訃報


 
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スポーツを科学の目で見る(ソチ・オリンピック 外交)

2014 JAN 29 11:11:10 am by 西 牟呂雄

さて現在のテーマとして「ソチ・オリンピックに向けてースポーツを科学の目で見るー」としたものの、プロレスの話ばかり書いていてはしょうがない。安倍総理も開会式に行くようだし、多少のコメントをしなくては。『オリンピック阻止』のテロが起きてしまって、力の信奉者プーチン大統領は遮二無二押さえに掛かるだろうから、戒厳令下のオリンピックみたいになるかもしれない。シャレにならないこと夥しい。

安倍総理は開会式に参加するそうだ(しかも7日、北方領土の日!)。野田元総理はロンドンには行かなかったが、北京の時には福田首相が開会式に行った。しかしあれはただ見に行っただけなのか。胡錦濤主席や温家宝首相と会談したが、あの頃は毒入り冷凍餃子の問題があった時期でヘラヘラされても困るのだが、靖国には行かない人だったし尖閣も今ほどじゃなかったからただ会っただけだろう。それよりも同時期にいた ノルウェー タジキスタン といった普段なかなか行けないような国の首脳と会った方がよっぽど効果的なんじゃなかろうか。向こうも来てることだし。安倍総理にもプーチンとは実りある会談をにこやかにこなし欧米をヤキモキさせつつ、インドやトルコの首脳と旧交を温めるような腹芸を見せて欲しい。できれば中国・韓国が『しまった』っと思うような国であれば尚結構。例えば台湾。台湾は参加するのかどうか知らないが。或いは表立って会うわけにもいかない北朝鮮。政治とオリンピックが無関係だと思っているようなウブな人など世界中にいないのだから、おおっぴらに入国し『親善』と一言うだけで何でも有りではないか。日本版NSCもできたのだから僕を秘密工作員で雇ってくれれば喜んで行く(こんなことを書いた時点で秘密も何もないのだが)。

以前のオリンピックでどこかの国が選手団を送り込んだら、途端に何人も行方不明になったような事件があった。又、冷戦の最中には選手が亡命の挙に出たこともあったかと記憶する。ソチの位置からみてそれらしいことが起きはしないだろうか。苦しい練習に耐えたアスリートには申し訳ないが、情報戦・政治戦の最前線と捉えたら、願っても無いタイミングと場所。この道のプロだったらツッコミ所満載の開催地だろう。黒海に面しているのが実にエグい。コーチとかトレーナーをカヴァーにして潜り込ませればどうにでもなるように思うのだが。

ところで冬季オリンピックは圧倒的に白人のためのもので、カラードは東洋人ぐらい。半島のスケートが少しいる以外日本人だけではないか。その日本が幅を利かせ出すとルールを変えたりして露骨に排除のバネが働く。萩原健司が無敵だったときに突然ジャンプのルールを変えたのがその典型だった。フィギア・スケートもキム・ヨナや浅田真央が人気が出すぎると怪しいことにならないか心配だ。

僕は日本のメダルはせいぜい2個(銀と銅くらい)と見ている。それよりももっと地味な競技を見て(あんまり地味だとBSの放映も無いかもしれないが)健闘している選手に声援を送ることにしようっと。

 
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インド人とドイツ人

2014 JAN 26 12:12:30 pm by 西 牟呂雄

 巨漢と学者風のドイツ人コンビと長い髪を後ろで縛っているインド人に、ほとんど英語を話せないニッポン人と僕。グローバルと言えばそうなのだが、ヨーロッパ勢とアジアの組み合わせがミソである。

 まず食事。インド人はヒンドゥー教徒と言うのだが、何やら牛でも何でも来い、ベジタリアンでもないとのことでこれはクリア。ドイツ人の内一人がユダヤ系に見えたので、多少気を揉んだがクリスチャン改宗らしくこれもOK。接待は日本料理にしたが全く問題なかった。ドイツには随分と日本料理屋もあるらしい。

 酒に関してはイスラム教徒がいないので、これも何でも有り。初めはビールで乾杯し、日本の生ビールをガンガン飲んだ。そう言えばロシアに行ったときに出されたのがドイツ・ビールだったのを思い出してその話をしたところ『それはロシアでライセンス生産しているのでノット・グッド。本物はもっと旨い。だがキリンも好きだ。』とリップ・サービスしてくれた。しかしヨーロッパ人の酒の強さはケタが違うので、こちらとしては先方があまり得意でないはずの日本酒を勧めた。ところがいくら飲ませても赤くも青くもなりもせず、トイレにも全然立たない。

 ドイツ人の一人は名ゴール・キーパーのオリバー・カーンにそっくりでザ・ゲルマン、そう伝えると破顔一笑して喜んだ。サッカーの日本人選手の話がはずんだ後、話題がオリンピックになったのだが、何と驚いたことに1964年東京大会を知っているのは僕とそのゲルマンだけだったのだ。もういい年になってしまったと感慨深いものがあった。以前のブログ『オリンピック死闘十番勝負』で取り上げた棒高跳びの銀メダリスト、ラインハルトの名前を出すと『お前良く覚えていたな。』と盛り上がった。ところが東京大会の時までは東西合同チームの編成だったことを思い出し、ザ・ゲルマンはそのころどっちだったろうと焦った(焦ることもないか)。

 そうこうしている内に日本側が(僕が)酔っ払ってしまい、早々とお開き。その後バーでウイスキィでもやろうかと思ったが控えた。控えたのだが、インド・ドイツ組は飲み足らなくてどこかに行ったようだ。そのインド人がかなりの日本通で、カタコトよりマシな様子だったからどこかへ行ったに違いない。翌日迎えに行き『眠れたか。』と聞くと3人ともニタニタしたのであれは怪しい。

 インドは一国とはいえ、何でも有りの一種の大陸だから、民族の多さ・多様さは西ヨーロッパ全体並だろう。南の出身だと言っていたが、あの辺は本来あまり大柄ではないはずが奴はデカい。薄い頭髪を長く伸ばして後ろに縛っている訳を問いただすと、ダライ・ラマの教えに被れてナントカの修行期間は髪を切れない、と訳の分からない解説をした。きっといいかげんな奴だろう。ところがどうも日本に居たことがあり、日本とインドのビジネスを結びつけるような、いくつかの会社を経営していることを白状した。

 SMCメンバーはヨーロッパ滞在の経験者が多いが、僕はあまり縁が無い。世界地図を睨みながら戦略を凝らすタフなゲルマン、何でも飲み込む 亜大陸インド。ひょんなきっかけで何かが生まれるかもしれない。

インド高原協奏曲Ⅱ

インド高原協奏曲Ⅲ

インド高原 協奏曲 Ⅳ


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春夏秋冬不思議譚 (もう一人いた)

2014 JAN 24 22:22:26 pm by 西 牟呂雄

これから世にも不思議な偶然の一致を話します。

ちょっと前に、このブログを読んだらしい地球の反対側の人がメールをくれました。どうやってアドレスを突き止めたのかは謎ですが、ケネス・ニシームと名乗る人物で、どうやらブラジルにいるようです。生まれはどこだかまだ聞いていませんが日系人ではない。ところが1954年の同じ日に生まれたようで、名前も何だか似ていますし偶然の一致にビックリしました。会ったことも無いのですが、写メを見ると実に良く似ている。ひょっとしたら遥か昔にシベリアあたりにいたモンゴロイドの同一先祖が、ベーリング海峡を渡る一派と南下して日本に来た一波に分かれたのでは、と想像を逞しくしたくなります。身長体重もほぼ同じ。そしてこれからチョッと変な話になりますが、同じ年に同じ年齢の女性と結婚し、同じ年の息子がいます。その女性とウチのカミさん、また息子同志の誕生日は違いますが、星座は一緒です。この辺から私自身少し怖くなってきました。親の誕生日を確認すると、こちらは誕生月は違いましたが年は一緒!そして同い年の妹がいます。

そう簡単に会うわけにもいかない距離ですから、少しずつ相手を探り出しました。向こうもどうやらネットを使ってやっているようなのです。そしてお互い同じ業界でニアミスをしていたことが分ってきました。そもそも西洋ホロスコープで考えれば、彼と私は性格からその日の運勢まで同じになるでしょうし、ひょっとしたら同じ運命を辿るのでしょうか。私の性格の歪みは、もとよりDNAの配列に加え、様々な偶然の結果、様々な経験をすることによってできていると思っていましたが、彼と私が全く同じ経験をしたとは考えにくい。第一食べてる物は違うでしょう。

自然という奴は、ごくナチュラルに『不連続』を繰り返しながら、長い目で見れば一定の法則をもって動く(廻る?)のでしょう。但し、その繰り返される『不連続』の中に極めて少ない確率で同一な物・者・モノを生み出してしまわないか。私は無神論・無宗教に近い人間ですが、この彼の存在についていっそ誰かに何かの解釈を委ねたい衝動に駆られます。

と、何かエラソーなことを書いてしまってからハッとしました。もし性格まで同じなら、彼は地球の裏側でどういう人間だと思われているのでしょうか。もしかしたら努力とか我慢とか反省の類はロクにしないで全部人のせいにして、我儘で後先を考えずにムチャをしては周りを怒らせ、やたらとはしゃぎまわり酒をガブ呑みし、口から出任せを言っては他人を傷つけ恬として恥じない・・・・いやな奴じゃないか。今までバッティングしたエリアは北米が考えられるのですが、彼の地で私が例外なく評判が悪かったのは、先に彼が悪い印象を振りまいた直後に良く似た名前の私がニアミスしたからではないのか。

しかしながら怖くなる程の類似性から、彼の不幸を願うことはできないのです。同じことは私にも起こる可能性は高い。ひたすら彼の幸せを祈らざるを得ないのです。これはとても恐ろしいことではないのではないか。同じようにケネス・ニシームが私の幸せを願っているかは分かりません。もう少し音楽の傾向とか趣味とかを(恐る恐るですが)聞いた後、又ブログ・アップしてみます。それまで彼が無事でありますように。

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スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

2014 JAN 22 14:14:58 pm by 西 牟呂雄

前のブログで”開発の蹉跌”と称して材料開発の難しさをおちょくったが、あれは当時研究開発者達の前で本当に口に出した台詞が入っている。さぞ不愉快だったろうが真面目な人達に申し訳無いことをした。更に失礼ついでに、色々と実験することとプロレスの観戦は同じだ、という仮説をさんざん喋っていた。何を脈絡も無くとお思いだろうがこういう訳だ。

実際僕は研究者と言ってもいいほどプロレスには造詣が深い。村松友視の『私プロレスの味方です』という本が売れたが、あの本は当時のアントニオ猪木が唱えたストロング・スタイルの解説本で、無論読んだが正直言って、今更何言ってんの、ってな感想だった。比較されたジャイアント馬場のスタイルをショーマン・プロレルと貶めアントニオ猪木スタイルを過激なプロレスと論評した。これを聴いた馬場のコメントが残っている。「過激なプロレスって何だ。やってることは同じだろ。」・・・・さすが。もう一つ、猪木が進めた異種格闘技戦のハイライト、アリ戦に関しても「僕はアリなんか強いとは思わない。」と語ったとされている。ただ、ツウの間では猪木ーアリ戦はよくやったという評価はある。あれだけ直前にルールに文句をつけられて、何もできなくなった猪木がとっさに寝転んでアリの膝のみを狙わざるを得なかったのに、一応(一般的にはダレたが)15ラウンド戦ったのだ。

話がなかなか進まないが、僕レベルのツウになると大きな試合を見る際はその流れを事前に予測する。どこでどういう技を出すか、キメ技をいつ出すか、結果はどうなるのか。実際にはプロモーター(日本であれば所属会社)の意向が働きシナリオは出来ているのだが、そのシナリオを読みに行く訳だ。そしてそれがどの程度当たっているか、又は選手によってはどこまで忠実に耐えられるのかを見極めるのが醍醐味である。即ち『仮説を持って観戦し、結果を持って議論する。』と言った具合である。翻って実証実験をするに当たっては『仮説を持って実験し、結果を持って議論する。』のが王道であろう。何が何でも混ぜてしまえでは、何が開発要素なのかが分らなくなり、偶然の産物しか結果は出なくなる。これが本論の意味するところだ。

例えて言えば、新規プロセスの開発において製造機械のスケールアップを目指す場合には、開発側としてはいくつかの新規要素を盛り込んだ設備にしてコストを下げたいだろうが、良好な結果が出ても、どの要素技術が効き目があったのか、一概には言えなくなることがしばしばある。できればいくつもの設備を段階的に投入したいところなのだが、予算がかかり過ぎる、と誰でも悩む。こここそ『仮説を持って』であり、初めはその通りの結果など出ることは稀であるから徹底的に議論をするのである。

ところで、これほど研究している僕にして、プロレスの試合結果が全く思い描いたものとならないことも、たまにある。いくら専門家の間で議論しても『あれはないだろう。』となる展開に驚くような試合のことだ。古い話だが『ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田VS大木金太郎、キム・ドク』のPWFタッグ選手権がそうだった。馬場と大木はこのシリーズ初めから意地の張り合いが続き、キム・ドクは鶴田を挑発し続けた。セメント・マッチ(本気のケンカ試合)ならば大木の方が強くはないか、と研究者の間で囁かれていたのだが、この試合で見る限り拮抗していたと考えられている(後にシングルマッチで馬場に軍配は上がるのだが)。タイトル・マッチの結果は、滅多にないことであるがあのジャンボ鶴田が頭に血が上り、キム・ドクにパウンド(馬乗りになること)しての左右パンチのラッシュが止まらず反則負けとなった。鶴田という選手はプロモーターからは実に頼もしいレスラーで、自由自在に試合を組み立てられる逸材なのだが、この時の鬼気迫る止まらない連打は、長年プロレスを見てきた僕が怖かったくらいだった。一方のキム・ドクはアーノルド・シュワルツネッガーのレッド・ブルで、冒頭サウナでのケンカに登場した東洋人と言えばおわかりの人もいるだろう。アメリカで売れたヒールなのだがこれも実力は一流だ。恐らく鶴田がヒート・アップしている内に歯止めがかからなくなったものと言われている。同じような展開に、タイガー・ジェット・シンが猪木からタイトルを奪ってしまったNWF選手権が上げられる。やったこともないアルゼンチン・バック・ブリーカーが偶然決まってしまい、シンも引っ込みがつかなくなって、猪木がギブ・アップしてしまった。もっと昔にはデヴュー試合でルー・テーズ(とっくに全盛時代は過ぎている)相手にいいところを見せるはずだったのに、試合途中にくらったバック・ドロップで失神したグレート・草津。

この草津という人はナイス・ガイで引退後は日本バスコンというコンドームの会社で営業部長をやっていた。元々はラグビーの名選手で所属は当時のY製鉄だった。高炉の炉前において、超人的なスタミナとその怪力で数々の伝説を残している。酒なんか超人を越えた魔人と言われたそうだ。ついでに言えばグレート東郷の最後の教え子で、同期は星野勘太郎。

この話、少し長くなりすぎるので次回に譲る。

10.21横浜文化体育館

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新年架空対談 大統領VS主席

2014 JAN 13 20:20:19 pm by 西 牟呂雄

オバマ「ハッピー・ニュー・イヤー!」

習「新年好(チンネイェンハオ)!」

オバマ「去年は結構長い時間話はしたな。」

習「二日に及んだから、日本なんかヤキモキしたらしい。ククク。」

オバマ「しかし主席よ。二国間の話をするのにあんまり日本の悪口ばかり聞かされても困るよ。まぁオレも鳩山とか管にはうんざりさせられたがね。」

習「うん、でもあれくらいトンチンカンだと返ってやりやすかった。放っとけば勝手に支離滅裂になってるから。鳩山なんかこっちの都合で何とでもなってる、今でもだぜ。」

オバマ「あいつは英語も上手かったけどね。」

習「だけどアンタも落ち目だね。シリアじゃ英国に袖にされプーチンにコケにされ。国内でもペンタゴンから評判悪いらしいじゃないか。バーサーズもティーパーテイーもガタガタ言ってるし、気を付けないとそちらの伝統の鉄砲玉が飛んでくるかも知れん。」

オバマ「そっちこそアッという間の粛正は得意じゃないか。薄煕来やったからって済むもんじゃないだろ。温家宝の不正蓄財はどうした。」

習「そんなもんじゃビクともしないさ。四千年の歴史を見てみろ。第一そっちと違って選挙なんかないんだから。中間選挙やばいんだろ。」

オバマ「おおきなお世話だ。ヒラリーをチヤホヤして何とかしのぐさ。それより国境を接している共和国はどうよ。あそこがコケたら只じゃすまないだろう。いきなりNo2粛清には参った。」

習「あの三代目もよくわからん。カウンター・パートナーがいなくなったので、六カ国協議なんかやる雰囲気じゃないからな。エサをまいて日本に金を出させるつもりだったけど、安倍が手強くて。マスコミに手を回して叩きに叩くんだが。」

オバマ「だからそれもうやめろよ。下手に尖られてTPPにケツをまくられたらオレも困るんだ。オリンピックまであの勢いでやられて北方領土でも解決されたらお互い迷惑だろう。ついでに『大国同士』とか『G2』もやめてくれ。プーチンがイライラするじゃないか。」

習「あれも相当のタマだからな。柔道なんかやってシンパシーもあるらしいし。森とも仲がいいのも気になる。ヨシとかファースト・ネームで呼ぶそうだ。それなら北の共和国は何とかするから南の方はそっちで押さえておいてくれんか。」

オバマ「それも頭が痛いよ。だけど南のあいつは中国語でヘラヘラ挨拶してたじゃないか。アンタの方が相性いいんじゃないの。」

習「その手には乗らないよ。南北両方の面倒はとてもじゃないが見切れん。」

オバマ「だけど足元経済メチャクチャだろう。いい加減図体でかいんだから吹っ飛んで世界中を踏み倒すのだけはやめてくれよ。」

習「心配ない。イザとなれば日本を使って」

オバマ「だーからその手はもう使えないんだよ。ウォール街の息の根が止まったらオレもおしまいだ。反日暴動もやりすぎだぞ。」

習「しかし日本ってのは本当にやっかいだな。アンタのところの軍隊、いつまでいるんだよ。あれさえなきゃ今頃は・・・。」

オバマ「80年代を良く勉強しろよ。いくら円を高くさせてもダメだった。あの頃は何をやっても日本に敵わないような気がしたよ。危うく第七艦隊をリースしようとしたくらいだからな。」

習「それでバブル崩壊を仕込んだわけだな。」

オバマ「そこまではよかったんだ。その後こっちでもITバブルの崩壊とか9.11の後戦争までしちゃった挙句にリーマン・ショック食っただろ。小泉がブッシュ・ジュニアとウマが合ったから手がつけられなかったけど、安倍政権になったんで脅しつけて潰したんだが。まさかゾンビみたいに復活してくるとは思わなかった。」

習「安倍はよく解ってるよ。首脳会談ってのはお前にしてみりゃ市場開放をゴリ押しして日本に何かを売りつけることだし、オレ達ゃ何かの金をむしり取る、って意味だったもんな。『5年や10年首脳会談が無くても困らない。』ってはっきり答弁しやがって参った。」

オバマ「こっちはTPPで何とか繋ぎ止めてるのがぎりぎりだ。そっちは本当は困るんだろ。はっきり言って民間で困っている奴はいないんだからな。あの小泉が毎年靖国に行ってそっちが勝手にキレたってどうってことなかったろ。まぁ出番が無くなって外務省のチャイナ・スクールは大弱りだろうが。」

習「オレだって困るわけじゃない。いや少しは困るんだけど。」

オバマ「強がり言うなよ。共青団一派や上海閥が手ぐすね引いてるって噂があるぞ。アンタ太子党なんだろ。それに最近テロもあるようだし、暴動は一日200件だろう。」

習「13億人も食わせなきゃなんないんだぞ。アンタとは苦労の内容が違う。200件くらいガタガタ言うほどじゃない。文革のときは千万人単位で死人が出てんだ。そっちだって中東からアフガンまでドンパチやりっ放しのところに持ってきて毎年『予算の壁』で大騒ぎだ。一日の殺人件数でいったら200件どころじゃない。」

オバマ「それを言ったらさすがにマズいだろう。毛の時代のイデオロギーはそろそろ葬っておかないと足元見られるぞ。天安門にしてもバリバリ撃ちまくったのが実態だったのがバレだしてるし。」

習「だけど中東なんかどう落とし前つけるんだ。」

オバマ「いやなこと言うな。思案のしどころだよ。何しろテロなんかいつ来るのかもわかんないんだぞ。手を抜いてると思われる訳にもいかん。」

習「それはそうだ。テロについてはコッチもやばい。しかし日本はいいよな。いざとなりゃ天皇陛下が出てきてなんとかなっちゃうんだから。」

オバマ「地震の時も、管じゃどうにもならなくなったら天皇のお言葉でピタリと収まった。革命も政変も関係なしで1000年以上も続いてる。オレ達じゃかなわんよ。不思議だ。」

習「オレも小沢にゴリゴリ言ってお目にかかったが、さすがに威厳が違う。わが国も王朝はずっとあったけど、毎回根絶やしにして墓まで暴くから平均250年くらいで入れ替わっちまう。おまけに時々北の方から進入されてるし、ああはいかん。」

オバマ「こっちだってケネディ王朝っていってもせいぜい3代だし、第一あそこん家は禁酒法時代の酒の密売でしこたま稼いだ家柄だもんな。」

習「オレは昭和天皇には会ってないけど、鄧小平同志はお目にかかった時は震えが来た、と言っていたらしい。」

オバマ「お互い来年まで持つかな。」

習「がんばろうぜ。オレも失脚には気を付けるよ。」

オバマ「オレもせいぜい暗殺には気を付けるよ。じゃあな。」

 

架空緊急極秘対談 トランプ VS 習近平


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新春架空座談会 (帝國陸海軍編)

2014 JAN 10 14:14:49 pm by 西 牟呂雄

西室「皆様、お正月です。改めまして本年も宜しくお願いいたします。本日は先の大戦を戦われた皆様にお集まり頂き、平和を祈念しつつ、大いに反省と我々への叱咤激励を頂きたいと思います。まずは戦後も存命されました牟田口閣下、インパール作戦はその後大変に評判が悪うございますが。」

牟田口廉也「またその話か。もう喋り飽きた。大体私が立案したことになっているが、チャンドラボースの口車に乗ってインドまで行けと言ったのは東条閣下以下大本営の作戦課である。」

西室「しかし現地でもかなり批判があったと聞いてます。こんな戯れ歌がはやりました。『牟田口閣下の好きなモノ、一に勲章、二にメーマ(ビルマ女性)、三四が無くて五にブンヤ(新聞記者)』。」

牟田口「バカモノ!制空権もないところまで行くのは初めから無理があるに決まっておる。英軍元中佐のインパール作戦に対する高い評価を知っとるのか!どいつもこいつも陸軍の悪口ばかり言いおって。」

西室「イヤッ、そういうつもりではありません。阿川弘之さんの作品やOBの活動で海軍は評判がいいですが、実際にはミッドウェー以後、殆どが負けです。」

山本五十六「初めから2年は暴れてみせる、と言っただろう。あれはミッドウェーで勝った後に講和に持ち込むハラだった。」

山下奉文「長官、南方での悲惨な戦(いくさ)ばかり言われますが、我が陸軍は支那大陸においては無敵でしたぞ。」

西室「確かに、大陸での大規模作戦は50回くらいですがほぼ負け無しと言っていいでしょう。ノモンハンでさえ発掘された旧ソ連の内部資料では引き分けぐらいだったようです。逆に海軍は」

山本「うるさい!アメリカ相手に勝てると思うようなバカは海軍にはいなかったんだ。おかげで僕は右翼に狙われた。」

山下「長官の幕僚に問題があったのでは。」

山本「黒島君のことを言っておるのか。確かに変っておったが、真珠湾は彼の発想に負うところ大だった。」

西室「黒島参謀ではなくて南雲・栗田・井上といった諸将は戦闘においてはこれはチョットと言わざるを得ないですね。」

米内光政「キミ!口が過ぎるぞ。キミは。確かに井上中将はコーラルシーで大負けだったし、栗田君もあの反転はまずかった。返す返すもミッドウェーで山口多聞が戦死したのが痛かった。」

西室「失礼いたしました。山口さんのことはアメリカも評価していて山本長官の後任と目していたようです。ところで石原閣下は戦中は退役されていましたが、最終戦争論を執筆されましたよね。」

石原莞爾「そうそう。僕は東条に睨まれていたからな。牟田口、貴様が盧溝橋でやり出した時は慌てたぞ。」

牟田口「ああ挑発されてはどうにもならんでしょう。閣下の満州事変の方がずっと危なかったはずですぞ。張学良軍は23万人もいたんですからね。石原中将の手下の関東軍は確か1万そこそこでしょう。」

山本「あれのおかげで結果として対米戦争まで行くことになったのだから。」

石原「それを言うなら米内さん、上海事変の時は先頭に立って拡大させたのはあんたでしょう。大体海軍さんはミッドウェーのメチャ負けを隠し通した。」

米内「そっちだってノモンハンは負けだった、とは言わなかったじゃないか。」

山下「さっきも西室君が言ったように実態は我が部隊が攻略したエリアを考えると引き分けでしょう。」

西室「その後更に発掘されたヴェノナ文書などから、盧溝橋はコミンテルンの陰謀が絡んだ、とする説が最近出ています。しかし牟田口閣下はご自身の功績である旨の発言をされていますが。」

牟田口「お前は何だ!海軍の回し者か!コミンテルンのスパイなんかアメリカ中枢にだって百人以上いたんだろ、そのナントカ文書によると。」

山本「牟田口!その言い方こそ何だ!大体盧溝橋からインパールまでみんな貴様が出張ってるじゃないか。」

西室「宮崎中将はそのノモンハンからインパールまでほとんど負けてませんが・・。」

牟田口「あれは例の服部卓四郎と辻正信のコンビが引っかき回した結果だ。宮崎君は本当によくやったが、いかにも死傷率が高い。補給を絶たれたのは陸軍というより海軍のせいだ。ガダルカナルがそうだ。まさか海軍が全滅に近い状況まで負けるとは思ってもみなかった。大和なんか自慢の砲が的に当たったことがないそうじゃないですか。」

米内「貴様どうしても海軍の悪口が言いたいのか。」

西室「大和の運用についてはその建造も含めて初めから問題はありました。特にミッドウェーの時に何のために戦場から300浬も離れた海域にいたのか、作戦上の謎です。」

山本「あれは真珠湾で浮かれすぎた源田が『赤子の手をひねるようなもんだ。』と言いだして始まったんだ。草鹿だってそうだ。」

西室「しかし、機動部隊の参謀からは準備不足は否めなかった、と戦後に反省意見が出ています。」

米内「実情も知らん奴が後から言ってみただけだろう。ウソをついた奴は海軍にもいたさ。大本営発表ほどひどくはないが。」

石原「米内さん、お互い維新の賊軍同士でしょう。私は庄内、山本長官は長岡。あなたは南部じゃないですか。」

西室「牟田口閣下は肥前ですが・・・。」

山本「見りゃ分るよ、佐賀の奴等。受験秀才みたいな奴ばかりだ。」

米内「御聖断の時の御前会議なんか九州の奴ばかりだった。鈴木総理の関宿と後はワシだけ。」

石原「阿南大将は立派に腹を切ったがな。」

西室「石原閣下は東京裁判で『それならここへペリー提督を呼んでこい。』と発言されてアメリカ側を唖然とさせました。」

石原「当たり前だよ。今頃になってアメリカにおびき寄せられて真珠湾をやったって言うことが言われ出してるんだろう。ワシャみんな分っておった。」

山下「石原さんの言われるのも分るが、最終決戦は地上部隊の大会戦という形はあり得ないんじゃ無いですかね。別に海軍さんの肩持つわけではないですが。僕なんか海軍さんとは仲良かったですがね。」

山本「ラバウルを要塞化したら敵さんに素通りされた。あそこは今村・草鹿が一緒にやってた。栗林君はひどい目に会ったがね。」

西室「B29を飛ばすために遮二無二潰しにかかってきましたからね。ただ、被害は米軍も甚大でした。」

山本「大体陸軍は、やれ皇道派だ統制派だ長州閥だバーデンバーデンだとまとまりが悪すぎる。」

●●「そっちだって条約派だ艦隊派だと盛んにやってたじゃないか。」

△△「南部仏印進駐が余計だった。」〇〇「関東軍くらい押さえりゃよかったんだ。」▼▼「バカヤロー王道楽土だったのをお前等がブチ壊したんだ。」

西室「,皆さん、落ち着いてください。」

⊿⊿「貴様!統帥権干犯だぞ。国賊め。」◆◆「そもそもドイツが降伏したのが悪い。」☆☆「ルーズベルトを呼べ!」□□「そういう(ピー)は軍令部長とも口も利かなかったんだろう。」■■「(ピー)は何をやっていたんだ。戦時中は。あれだけ煽っておいて」××「海軍だって(ピー)を見て見ろ。戦後は進駐軍にペコペコしやがって。」■■「ナニ!賊軍のくせに。何を言う!」◎◎「うるさい!貴様だってその前の関ヶ原では負け組だろーが。」「オレはそもそも源氏だ。」「ワシは平家だ、文句有るか。」〇×▼△■★「(ピー)(ピピピピーーーー)(ピーー)。」(とても載せられない)

西室「みなさん、戦争はやめましょう。」

 
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