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インドの貴婦人

2014 JUN 21 19:19:18 pm by 西 牟呂雄

 今から35年あまりの昔、僕の実家のマンションのゲスト・フロアにインド人の女性が2年程いたことがある。国立大学の客員教授で滞在していたのだ。当時で御年50位のまァオバチャンなんだが、法学博士という立派な方で、小柄なかなりの美人だった、独身。
 大変な生まれらしく料理はおろか身の回りのことが一切できなかったため、招聘元の先生に(同じマンションのこっちは文化人類学者)多少の英語を喋るウチの母親が何かと面倒を見てやってくれと頼まれ、頻繁にウチに来ていたようだ。僕はその頃地方に飛んでいたが、たまに実家に帰るとその博士はいつも来ていた。玄関を開けた途端に『あっ来てるな。』と分かる。何故かと言えばサンダルがあっちこっちに脱ぎ散らかしてあるからで、靴を揃える習慣が無い。正確に言えば自分で揃たことがなく、その役割のカーストが常にいたのだそうだ。召使ですな。曰く「私が揃えたらその人の仕事がなくなってしまう。」ウチにはそんな召使はいないけど、とにかく自分ではやらない。
 上位カーストのバラモン階級だが、その中もいくつにも分かれていて、確かマハラジャの次くらいのハイエストになるらしい。そこクラスになると人口大国インドでも人数は極少なく、結婚適齢期(インドの女性は16~18歳)に同等カーストに適当な相手がいなかったため学者になったと言っていた。
 現在の巨大資本による工業が発達する前のインド社会では、カーストそのものが仕事の資格のようなもので、ヒンドゥー教徒に関しては誰も文句も何もなかったようだ。どうしてもイヤという人は少数だが仏教徒(発祥の地ですぞ)やキリスト教徒(マザー・テレサがいたでしょう)になれば済んでしまうようなことを説明されたが本当だろうか。
 例えば財閥で有名なタタはペルシャ系でゾロアスター教だから昔から製鉄業に進出できた。商人はジャイナ教徒とか。ムスリムだって多い。タタのゾロアスター教は、まるで日本の天皇家のように男系相続しかできないため、前当主だったラタン・タタの後にはタタの苗字を名乗る後継者がいなくなっている。

 ところで例のインド女性はドイツで博士号を取った、なぜドイツかは聞かなかったが、ナントカ大学でしばらくそのまま教えていたそうだ。物凄いインテリで文化の吸収力も凄かった。ただ、ネイティヴのドゥラビダ語とドイツ語が混じったインディアンイングリッシュは聞き取りが難しく、何度も聞き直したが。面白いもんで母親とは十分にコミニュケートできていた。向こうは向こうで『息子さんのアメリカン・スラングはよく分からない。』と言ったとか。
 ウチの母親の運転で弥次喜多道中のような旅を楽しんでいた。しかし母親の方も十分に世間知らずだったので(しかも我儘で押しが強い)行った先ではさぞ大変なことが起こっていただろうと思う。もう一人はインド人で靴も揃えられないのだから。
 帰国に当たって更に驚かされたそうだ。あんなに長くいたのに大した物は何も無く、着るものとか身の回りの物を何故か10個くらいの紙袋に分けた荷造り。「インドでは空港や税関でよく物を盗られるので荷物は沢山分けておいた方が被害が少ない。」と言ったらしい。

 僕も最近インドに行くのだが、今頃どうされているだろう。ドクター・チャンドラー・ムダリアル、存命ならば80歳を超えているはず。お目にかかってみたいものだ。

インド人とドイツ人

インド高原までやってきた

インド高原までやってきた Ⅱ

Categories:インド

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