婆娑羅競べ
2021 JUN 1 0:00:40 am by 西 牟呂雄
南北朝の相克は、後醍醐天皇亡き後も足利尊氏から二代将軍義詮になってもなお果てしなく続くようであった。後醍醐天皇の魔性、足利尊氏・直義兄弟の争い、北畠顕家の剛直、高師宣・師奏兄弟の狼藉、楠一族の死闘、と筆舌に尽くせぬ人間模様が織りなす奇々怪々が、末法の世にはびこったからである。
京都に押し寄せる軍勢は、元は足利幕府の管領であった細川相模守清氏に率いられた南朝軍であり、先陣として乗り込んできたのは大楠公・楠正成の三男、正儀であった。、四條畷の戦いで、長兄正行・次兄正時が高師直に敗れ討死したため楠軍の総大将となっていた。
追って入京してきた細川清氏は明らかに度を失っていて、室町の幕府屋形に攻め入りもぬけの空であったことに怒り狂い火を放った。略奪する物が何もなかったからである。
清氏の怒りも、元はと言えば政敵となった佐々木道誉に謀反の噂を立てられたせいで幕府における地位を失墜させられたからであり、詮なきものではない。しかしこの時期、転じて北朝南朝のいずれかに宗旨替えすれば、両朝天皇の名の元にいくらでも大義名分がたってしまう。何しろ足利兄弟ですらことあるごとに宗旨替えをしたくらいである。
二代将軍義詮は、後光厳天皇を擁して近江に落ち延びた。
楠正儀は、京極にあった幕府の要人佐々木道誉の屋敷に向った。すると遁世者とおぼしき僧形の姿があり静かに言上するのであった。
「楠左兵衛督(さひょうえふ)様とお見受けいたし候。屋敷の主、道誉禅師申しまするに必ずや楠左兵衛督様おいでの際はこれにて一献さしあげるべしと申しおかれ候。案内(あない)仕りますゆえこちらへ」
正儀も面食らったが、馬を下り従って進むうちに更に仰天した。畳が敷き詰められ(この時代板張りが普通)、花瓶・香炉・盆に至るまで贅を尽くした物が整えられている。寝所には沈香の枕に緞子の寝具が敷いてあった。次に十二間の侍所に行くと山海の珍味が山と準備されており、三石入りの大筒に美酒が満々と蓄えられていた。書院に案内され、書聖・王義之の偈、韓愈の文集が古渡りの硯とともに揃えられるに至っては三嘆せざるを得なかった。
王義之は東晋の書家であるが日本には奈良時代の鑑真和上によりそのコピーが入ったと言われる。コピーとは真筆の上に薄紙を乗せて輪郭を取り、それを丹念に塗り潰したもので、今日日本にはそれすら2点残されるのみである。実際の真筆は世界に一つも伝わってはいない。韓愈は唐代の高級官僚で、詩人の白楽天と並び称された文章家である。
やって来た細川清氏が『佐々木の屋敷など焼き払え』と吠えたが、正儀はそれを制した。さすがの正儀も唸るしかなかったのだ。
時は4日程遡る。前線を破られた幕府軍は都からの離脱を決め、御所でも室町でもそれぞれの御物・宝物・武具を積み込む作業で大童である。ガラガラと荷駄が動き回り埃を巻き上げ、怒号が飛び交っていた。何しろ御所と幕府政所が一緒に引っ越すのだ。女房達の衣装・化粧道具だけでも山のような荷物となる。京極にある佐々木館でも同じような喧噪の中、主である佐々木道誉は一人の遁世者を連れて帰って来た。そしてその様子を見て大音声を発した。
「たわけー!オサマレーッ」
そして振り返ると後ろの遁世者に向って言った。
「まったくあさましいこと夥しく恥じ入る次第で。われらは武装してこれより都落ち候。手筈の通りに宜しく申し上げる」
遁世者は頷くと上述のような常識外れの出迎えの準備にかかったのだ。
京の都は攻めるのに易く守るのに難い。七口の全てを固めるには南朝方の勢いがどうであろうと兵力がたりない。この時期に南朝が攻め入ったこと四たびに及ぶが、体制定まらぬがゆえに敵中に孤立するばかりで兵站が続かない。果たして今次もすぐに撤退することとなった。
正儀は逗留中にこの度肝を抜くような気配りにいたく感じ入り、郎党共に飲み食いは許したが調度品の一切に手を付けさせなかった。
しばし刮目して何かを思案していた。フト目を開けると、自分を出迎えた遁世者が庭先に佇んで自分を見つめている。正儀はニコリともしないでその者を手招きした。
「御坊、ずっとこの屋敷におったのか」
「入道様が行く末しかと見届けよと申されましたゆえ。左兵衛督様のお振るまい、誠に雅であること伝えんがためここに御座候」
「丁度よい。そこもとに願いの義これあり。これより我等は立去るが、道誉入道が揃えし物に倍する馳走を盛り上げてくれぬか」
「あっぱれな武者振り、心得て候」
「奥に設えしは秘蔵の鐙と白幅輪太刀(しろぶくりんのたち)である。去るに当たっての置き土産と伝えてくれ」
「御意のままに」
そう言うと『馬引けー』と号令をかけ馬上の人となった。門前を出た所で振り返りその遁世者に問うた。
「そこもとの法名は」
「さて、徒然なるままに流れる乞食坊主にて」
「されば俗名はなんと」
「卜部と申し候」
「ふむ」
踵を返して去っていった。
元の鞘に納まって舞い戻った佐々木道誉は上機嫌で遁世者を相手に盃を干した。
「それで楠の若造はどんな顔をした」
「初めはあまりのバサラ振りに唖然と驚き入り、深く感じ入った様子にて」
「ほう、やはり大楠公の倅じゃのう」
「なかなかに歯ごたえのあるもののふにて候」
「三十路前であろう、これからか」
「入道様にあしらわれ、鎧に太刀を献上したことにて。この婆沙羅くらべは結局」
「これこれ、兼好法師。人聞きの悪い」
「ふふふふ」「はははは」
かの吉田兼好は太平記に高師直の艶文の代筆者として記述され、歌舞伎の演目にまでなっているが、筆者はこれをかなり怪しんでいる。あの斜めに物をみては悦に入っている兼好法師がそんなことをするだろうか。太平記は誇張された内容が多く、筆写によって伝わるうちに当代一の名文家として後に知られた吉田兼好の名が取ってつけられたのではないかと睨んでいる。この婆沙羅比べに出て来る遁世者の名は太平記には無いが、兼好法師と考えると余程面白いと思うがいかに。実際にはこの時点で大阪近辺の正圓寺のあたりにいたとされるので都までは指呼の距離である。
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地球が狂った ケムラー戦記
2021 MAY 26 0:00:19 am by 西 牟呂雄
4月に芽を出したジャガイモが季節外れの霜で大きくならない。連休中に植えたキュウリが全滅し、苗を植え替えさせられる始末。5月だというのに早くも梅雨入りだがアジサイはまだだ。ネイチャー・ファームをやっていると今年は違うのが実感できる。季節が早いと言えば早いが、その落とし前のように大雨が降ったりしている。そして東京が雨だというのに喜寿庵はカンカン照りだ。
目を楽しませてくれる花はたくさん咲いているが、こいつらもやはり勘違いしたのか。
アヤメは花札では5月の絵柄で、それは旧暦の5月だからいまの季節に花を咲かせるのはいかにも早すぎる。
他の雑草も咲き出した。しかし梅雨明け前の花といのはいかにも儚げな淡い色をしていて、例えば藤の花なんかはたくさん咲くから美しいが、一房だけだったら思わず『オイオイしっかりしろよ』と声をかけたくなるのではないか。
桜もそうだ。一輪ではねぇ。
偶然見つけた名前も知らない雑草はそんな感じだった。
ところがのんびり花を眺めていたら、足元で異変が起こっていた。
毛虫の大群が降ってきたのだ。欅の木があるのだが、どういう生態なのか木の高いところで孵化して、成長すると蜘蛛の糸のようなものを出して地上に降りて来る。地表につくと、この姿にしては結構な機動力を発揮して移動し、樹木に取り付いては葉を食べてしまうのである。生意気にも好みがあるらしく、栗・つつじ・柿、そしてキュウリだ。
念のため見回ると、わっ、ツツジが2本ほど食い尽くされているではないか。
その有様をお見せしたいが、あまりにおぞましい光景に到底載せる勇気がない。誰も読んでくれなくなりそうなので、地上移動中の一頭だけの姿がこれだ。
モスラの幼虫でさえもう少しかわいい。これが集団で行進しているところやビッシリと取り付いているところなど、誰も見たくはなかろう。
羽化したらさぞ邪悪な色の蛾にでもなって再び我々を不快にさせるだろう。仮にケムラーと名付け殲滅作戦に取り掛かった。
まずはホームセンターに行き、毛虫除去の殺虫剤を探したがない!お店の人に聞くと、今年は毛虫が大発生して売り切れと言うではないか。車を飛ばして他所に行きやっと数本を手に入れた。その時に注意されたのだが、素肌に触れると被れて帯状疱疹のようになってしまうとか。
それから戦闘服(草刈りの時に着る)に身を固め、両の手にケムジェットを携え、二丁拳銃のガンマンよろしくケムラー軍団に立ち向かった。
相手の動きが鈍いのでか大いに戦果が期待できる、『死ね!死ね!』とばかりに正面の大群が待つツツジ戦線に向い、戦闘2時間でこれを制圧。次に栗の木エリア(3年前に植えたからまだ低い)を急襲してそこを撃破。途中、地上移動中のケムラー輸送部隊を踏み殺し、植え替えたばかりのキュウリをレスキューした。戦うこと3時間、我が軍の圧勝に終わった。
翌日、昨日の戦果を確認にバトル・フィールドを点検すると・・・こっこれは!敵は失地を回復しつつあるではないか。やはり地球は狂い出している。環境激変に備えて種の保存本能が働き大発生したのかもしれない・・・あれ、人間は?
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6月6日 追記
真っ白、あのケムラーが・・・。
番外ジェット・ストリーム 岸部シロー編
2021 MAY 22 0:00:06 am by 西 牟呂雄
あの飄々とした表情に美しいハイ・トーン、喋らせれば京都弁で抱腹絶倒の面白さ。僕は亡くなった岸部シローさんが大好きだった。
超人気バンドのタイガースは、GSブームの真っ最中にその圧倒的な人気によってかえって評価されない部分があり、その最たるものがシローさんの歌唱力だった気がする。長年シローさんの画像を探していたのだが、一番有名なのは解散後にユニットを汲んだブレッド&バターとうたったダニエル・ジュラールのカバー曲『バタフライ』。
シローさんが語るには、中学時代『ケツから2~3番で問題外の生徒やった』らしく、卒業後は印刷工か何かになっていた。そのうち兄(岸部一徳)達がやっていたファニーズが内田裕也にスカウトされて上京するのに付いていく。一世を風靡したザ・タイガースの誕生だ。バンド・ボーイの立ち位置でグループと共に行動するが、やがて一人でアメリカに旅立つ。現地の音楽シーンをレポートする名目だったようですが、それについては以下の動画で語っています。加橋かつみのソロの後、得意のビー・ジーズ、ジョークを歌い上げてからがMCが独壇場です。
その加橋かつみが抜けた後メンバー入りをして、やがて解散しますが、この頃から彼のキャラクターが受けてドラマに出たりし始めます。朝の番組の司会者にまで活動範囲を広めました。西遊記の沙悟浄訳なんかハマってましたよ。この時は三蔵法師が夏目雅子、孫悟空が堺正章、猪八戒は西田敏行という顔ぶれ。
ところが、一方で金遣いが荒くなっていきます。借金は雪だるま式に増えてしまいました。そこから大変な思いをする。
解散後の『野生の馬』をどうぞ。
借金の総額は1憶円とも5憶円とも、20憶円とも言われています。ヘリコミューター、アメリカのディスコへの投資、他人の連帯保証が主因、骨董等諸説あるようですね。
ついに自己破産となってしまう(1998年)。それでも2000年代はポツポツ芸能活動はしていましたが、2009年に体調不良で入院し以後車いす生活になってしまう。
その後は沢田研二のライヴや瞳みのるが復帰したタイガースのツアーに痛々しい姿で登場していた。老人ホームで暮らしていたとか。
2020年に拡張型心筋症による急性心不全ので亡くなった。71歳。
それなりに波乱万丈、合掌。
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天台座主尊雲法親王
2021 MAY 14 1:01:13 am by 西 牟呂雄
「お次!」
今日もやや甲高い声が叡山に響き渡る。太刀・薙刀をしつらえた荒法師が次々になぎ倒され『参り申し候ー!』と打ち据えられる。天台座主自ら僧兵達に武道を手ほどきしていた。
尊雲法親王はわずか6歳で延暦寺に入山すると、その稀に見る英明さでたちまち宗徒の耳目を集め、二十歳になるや天台座主に推される。すると今度は武術の稽古に邁進し、瞬く間にそれを極め、一山の者は舌を巻いた。のちの太平記に『まこと不思議なる御門主』と記される所以である。
顔立ちはやや丸顔に切れ長の鋭い目、小柄ではあるが筋骨たくましく、6尺の塀を軽々と飛び越えた。声はよく通る響きで数千人の山法師はことごとくこれに従った。読経の際の澄んだ声と妖しい眼光からか、軍神・摩利支天の生まれ変わりの神人と称える者もあり、事実しばしば予言めいた偈(げ)を唱え、それは全て当たった。
それもその筈、尊雲法親王の父親こそかの皇統の魔人ともいうべき後醍醐天皇その人であった。
「殿ノ法印、これへ」
尊雲の声が闇を切り裂くと『おん前に』と太い声の返事があり、巨漢の天台僧が現れた。殿ノ法印良忠、関白藤原良実の孫でありながら怪力無双。尊雲の側近中の側近である。
「都の帝に厄災近し」
「・・・っと仰いますと・・」
「帝に大望あり。鎌倉に知れよう」
「そっそれでは」
「帝の御身が危うい。良忠、山を下り都に潜め。八瀬童子を集め備えよ」
「御意。いつもながらの千里眼、恐れ入り候」
「ここも危ない」
「・・・御門主・・・」
「天命と心得よ。いずれ還俗し帝を支えん。ホホホホホホ」
後醍醐天皇は宋学を修め真言に凝り、書を能くし琵琶の名手、茶道の闘茶を主催する全能の帝のような華麗さであるが、同時代の身内の評判は惨憺たるものだった。堂上公卿からも総スカンの有様。要は人の気持ちを斟酌することができない驕りと我儘の塊で周りは全て塵芥にしか見えない。尚且つ執念深く猜疑心の強い性格は魔人としか言いようがない。こちらもまた珍しき天皇であった。
異様な眼光と圧倒的な迫力に、初めはひれ伏さない者はない。しかしながら毒気が強すぎて凡人はその目を見つめ続けることさえできずに委縮し、その後には離反した。
その帝が鎌倉に憎悪を抱かないはずがない。
幕府の方でも警戒し、さっそく中宮(正妻)西園寺禧子への御産祈祷が幕府への呪詛との嫌疑がかけられる。これでおとなしくなるかと思いきや、5年後に討幕計画がチクられて三種の神器を持って逃げ出さざるを得なくなる。尊雲は情報網と独自のカンでそれを察知し先程の会話となったのである。
しかし時がわずかに遅く、良忠が駆けつけた時は比叡山への逃亡に失敗していた。慌てた良忠は八瀬童子の手を借りて帝を笠置山に落ち延びさせた。
同時に叡山の尊雲にも扇動の咎により死罪を申し渡しをすべく六波羅の兵がせまったが、尊雲は僧兵を指揮しこの大軍を坂本にて鮮やかに撃破、姿を晦ませた。山法師達は妖術でも使ったかと噂し、敬愛する天台座主の無事を祈った。
結局、笠置山の後醍醐天皇は圧倒的な兵力に包囲され捕らえられる。その有様を、父帝の花園院から「王家の恥」「一朝の恥辱」と記された等、宮中における不人気を物語っている。そのまま隠岐島に流された。
殿ノ法印良忠も捕縛され六波羅の牢にぶち込まれる。ところがこの荒法師は夜半、その怪力にモノを言わせて錠を捻じ曲げて遁走し、密かに尊雲の後を追った。
以後、尊雲は各地に突如姿を現しては消える神出鬼没の振る舞いで幕府軍を翻弄する。
般若寺では五百騎の兵に囲まれ、本堂の大般若経の経箱に身を潜める所を目撃された。雑兵が経箱をひっくり返すと姿は見えず例の『ホーッホッホッホッホ』という笑い声だけが響く。
吉野では6万の軍勢を相手に、7本の矢を受けるが又しても笑って消える。さすがに幕府方は気味悪くなりだした。次に高野山に現れた時は途中十津川にて還俗しており、大塔宮護良親王の名乗りを上げた。令旨を発するやたちまち参ずる者が後を絶たない。
またその頃、以前より怪僧文観の仲介により後醍醐天皇と通じていた正体不明の悪党、楠木正成が河内より猛烈なゲリラ戦を展開していた。
するといかなる技を使ったか魔人は復活し隠岐の島を脱出した。その霊力は以前にも増して恐ろしく、目は赤光を放ち、舌鋒は火を噴くが如し。ついには西国鎮圧に派遣されてきた足利尊氏を寝返らせ、六波羅を全滅させてしまった。
鎌倉の抑えが効かなくなった時代背景もあり、この動きは連鎖反応を起こす。新田は鎌倉に攻め入り鎌倉幕府は滅亡した。
満を持して上洛した後醍醐天皇は上機嫌で尊氏に『尊』の字を与えた。ところがどうしたことか大塔宮が馳せ参じない。宮は何を考えているのか。
「殿ノ法印、これへ」
「御前に」
「わしの代わりに都に上れ」
「・・・宮様は・・」
「行けば必ずや厄災に巻き込まれるであろう」
「それは、いつもの千里眼にあらしゃいまするか」
「さよう。わしには見えた。帝の周りに蠢く魔性の輩多し。足利、土岐、高、佐々木、それらは皆、帝が引き寄せた者ども」
「帝はお気づきにならしゃいませぬと」
「違う。帝がかの者達を邪悪にしてしまうのだ」
案の定、良忠が上洛してみると、いきなり六波羅を攻略した折に手勢の者が狼藉を働いた、との廉で尊氏の手により配下の十名以上が六条河原に晒されてしまった。仰天した良忠は上洛はやはり厄災である旨を宮に上奏した。
いつまでも上洛しない宮に手を焼いた帝は、遂に大塔宮を征夷大将軍・兵部卿に宣旨した。仕方なしに宮は入京するが、その際には総勢20万騎にもなる私兵を率いていた。さすがの尊氏も、その親衛隊を率いる高師直も驚いたが、だれよりも肝をを潰したのは後醍醐天皇であった。二人の対面は魔人と神人が向き合う異様な雰囲気となった。
帝は御簾の奥からもわかる凄まじいオーラを発していたが、宮もまたそれを跳ね返す眼光で対峙した。居並ぶ公家も尊氏もまるで瑠璃光が漂っている錯覚にとらわれた。しかも二人とも型通りの挨拶の後に一言も発しないのだ。末席にいた尊氏は気分が悪くなったが外す訳にもいかず、ダラダラと冷や汗が背中を伝うのをひたすら堪えた。
尊氏が屋敷に帰って来ると弟直義初め高師直以下幕僚たちが首を長くして待っていたが、真っ青な顔色を見て息を呑んだ。
「殿、いかがでしたか」
「どうもこうもない。恐ろしいものを見た」
「・・・恐ろしい・・・と言いますと」
「帝も一筋縄ではいかないお方だが、宮もまた我等の手に負えるお方ではない。宮が征夷大将軍のままではこっちが危ない」
「どうなされますか。一戦交えると」
高師直が一言漏らすと、尊氏が諫めた。
「馬鹿ぁ!宮は20万騎もの私兵に守られている。負けるに決まってるだろう。しばらく様子見だ。帝も警戒されておられると見た。あのお二人親子とも思えぬ」
尊氏も優れた政治家である。宮中含め都の隅々にまで情報網を巡らせジッと待った。諜報の元締めはかのバサラ大名佐々木道誉である。道誉は武名のみならず連歌・闘茶・香道・立花に深い造詣があり、加えて派手な歌舞伎者ぶりに都の子女から宮中の女房達にまで絶大な人気があった。それをフルに使い、はなはだしきは宮中の噂をことごとく知ることができた。何しろ洛南大原野の勝持寺にあった4本の桜の大木が満開になると、その下に3mもの高さの黄銅の花瓶を置き、遠目には立花に見える仕掛けを施し、都中の白拍子・田楽師を呼んで乱痴気騒ぎに興じた。美酒に山海珍味を山盛りにし、巨大な香炉でむせ返る程の名香を焚き上げるという凝りように、都人は喝采し謡い狂った。婦女子でなびかぬものはない。
すると最近天皇の寵愛を最も受けている側室は新待賢門院という姫君であることがわかった。しかも新待賢門院は恒良親王を産んでおり、その皇子を帝位に着けるため最大の障害が大塔宮をであると思っているらしい。
尊氏は舌なめずりする思いで絹やら香やら惜しげもなく贈り続けた。そして頃合いを見て散々吹き込んだのだ。
「それがし、いかに帝のために骨を折ろうとも厭いは致しませぬが、なぜか大塔宮様の御憎しみを賜り候。毎日身の細る思いで勤めておりまするが、ひょっとして大塔宮様は帝位を望んでおられるやも・・・」
抑揚たっぷりにささやかれるとつい確かめたくなるのは人情、帝との寝物語に繰り返し尋ねる。帝は魔人である。股肱の臣が怯えるのを放っておく訳にはいかない。しかも息子とは言え久方ぶりに会ってみれば恐るべき強者になっている。そして勅命に至った。配下の20万騎を解散させよ、と。勅命とあらば是非もない。手勢の多くを所領に帰し、残ったのは殿ノ法印、光林坊玄尊、赤松則裕律師と僅かなものになった。更に帝は清涼殿の御開宴の時に護良親王を捕縛する挙に出た。二人の間には火花が散り、殿ノ法印は吠えた。
「僭越至極!」
「ホホホホホ、殿ノ法印。慌てずともよい。遠からず帝の心安んじ奉る」
「それはいつもの千里眼にあらしゃいまするか」
「帝に女難の気が立ち上っておる。その後、もののふ共も離反あり」
尊氏はこの機を逃さず、宮の身柄を確保したのちどさくさ紛れに鎌倉にいた弟直義に預けてしまった。
大塔宮は初めから坂東武者の田舎者をことごとく見下し、足利兄弟はいつ裏切るかわからないと警戒していた。しかし帝は鷹揚な尊氏をコンントロールできるのは自分だとの自負が強く、むしろ危険なのは大塔宮として、結局希代の政治家尊氏の思う壺にはまった。魔人も神人も政治家に手玉に取られたのである。
「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)」
二条河原に墨痕鮮やかな落書が高々と掲げられた。
「追従(ついしょう) 讒人(ざんにん) 禅律僧 下克上スル成出者(なりづもの)」
見苦しく蠢く者をあげつらい、禅宗・律宗などにも冷水を浴びせる。
「キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ杓持テ 内裏マシワリ珍シヤ
賢者カホナル伝奏ハ 我モ我モトミユレトモ」
ドサクサと官位にありついた成り上がりを貶し、
「為中美物(いなかびぶつ)ニアキミチテ マナ板烏帽子ユカメツヽ
気色メキタル京侍 タソカレ時ニ成ヌレハ ウカレテアリク色好(いろごのみ)」 その田舎者ぶりをこきおろす。
「ハサラ扇ノ五骨(いつつぼね) ヒロコシヤセ馬薄小袖
日銭ノ質ノ古具足 関東武士ノカコ出仕」
東国侍の風俗を嘲笑う。
後年、庶民の怨嗟の声との解釈もなされたがさにあらず。鎌倉に引かれる直前に大塔宮の命を受けた殿ノ法印が叡山の僧に仕立てさせた最後通牒だったのだ。
鎌倉では尊氏の命を受けた直義が手ぐすね引いて待っていた。この弟は、豪胆無比でともすればあっけらかんとした気前の良さとおおらかなところのある兄尊氏と違い、厳格にして果断。万事筋を通すのだが猜疑心が強く粘着する。尊氏は島流しくらいのつもりだったのだが、宮の扱いは苛烈を極めた。背伸びもできない湿気の多い土牢に閉じ込め、共に落ちて来た殿の法印等の側近達とは顔を合わせることを禁じた。更にむごいことに、愛妾である雛鶴姫のみ月に一度土牢に通わせるという仕打ちである。その日は土牢を見分させる鬼畜の振る舞いまでした。
さしもの宮もげっそりと痩せこけ日に日に神人の面影は薄くなる。
運悪くその半年後、滅ぼされた執権北条高時の一子、時行が残党を率いて一矢報いんと鎌倉に雪崩れ込んだ。中先代の乱である。時行にすれば親の弔い合戦、怨念の塊のような鬼神の攻撃に直義は溜まらず鎌倉から退却する。その混乱の最中に後顧に憂いを絶つとして七人もの刺客を差し向けた。はたして宮は覚悟を決め、開け放たれたにもかかわらず牢から出てこない、いや既に足が萎えて自由歩行ができなくなっていたのだ。暗い土牢に恐る恐る押し入った一人目の刺客は絞殺された。その首に飛びついた淵辺義博が太刀で喉元を刺そうとする、宮は振り向きざまに剣先を噛み折った。こぼれた太刀でなんとか首を取り、這い出して見分しようとした途端、見開いた目が動き淵辺を見据えた。
「ギャーッツ!
思わず放り出し逃げ去った。
大塔の宮の千里眼はその後ことごとく当たり、後醍醐天皇は南朝に君臨するも二度と都に上ること叶わなかった。その魔人天皇に時に従い時に反目しつた足利兄弟も終いには相争い直義は毒殺された。直義の天敵だった親衛隊長たる高師直は観応の擾乱によって戦死。室町幕府を開いた尊氏にしても最期は背中の腫れ物に苦しめられた。廱(よう)即ち黄色ブドウ球菌による毛嚢の化膿の集合体である。拳大に腫れあがった肉腫にはハチの巣のような穴が開き血の混じった膿を脈と共に吹きだすという恐ろしい苦しみの中で死んだ。
帝の女難の相は結局のところ大塔宮の方に降りかかったのだった。この混乱を最後まで生き残ったのはバサラ者の佐々木道誉だけであったが、婆沙羅こそ乱世に会っての華であり、平時には趣味の悪い毒でしかないのである。
ところで、恐怖のあまり投げ捨てられた宮の首はどうなったのか。
大混乱の最中に密かに土牢に駆け付けたのは宮に従って来た愛妾の雛鶴姫と供の者数名。雛鶴姫はそこではっきりとした宮のカン高い声を聴いた『雛鶴、こちらじゃ』。その声に導かれるように藪に分け入ってみると、果たして変わり果てた宮の首が転がっていた。ああ、宮様、と駆け寄って泥と血にまみれた首を取り上げると、宮の瞳ははっきりと雛鶴姫を見つめたのだ、口には噛み切った剣先を咥えたままに。
「おいたわしや」
水で洗い清め薄化粧を施すと、生前の面立ちが蘇り生きているがごとく艶やかであった。
雛鶴姫と供の者の数名は途方に暮れたが、ともあれ鎌倉にいてはどうなるのか分からない。ひとまず都を目指そうと鎌倉街道を北に進んだ。
戦の直後とあっては落ち武者狩りのの野伏りや武装百姓が金品目当てにそこかしこに潜んでいる。そこを僅かな人数での逃避行は危険極まりない。そして、実は雛鶴姫は宮の子供を宿していたのである。
武蔵の国を横切り、相模の津久井を抜けたあたりで案の定野盗の一団に目を付けられた。人数の少ない上に女人の遅い脚、たちまち取り囲まれた。
「クククク。金目の物とその女を差し出せ。命は助けてやる」
頭目とおぼしき大男が笑みを浮かべて凄んだ。
ところが雛鶴姫は少しも動じない。にこやかに供の者を促し、葛籠の中から丸い円筒状の物を取り出すと、捧げ持つようにして中の物を取り出した。
「なんじゃ、それが自慢の宝物か」
うそぶきながら近づいた男はその物を見た途端『ぎゃああああ』と叫んで後ろに倒れた。
何とそれは生首で、しかもその瞳ははっきりと男を見つめると虹色の妖しい光を発した。他の野盗共も『ヒイー』と怯えた声で飛び散るように姿を消した。
一行が甲斐の国に差し掛かかった頃は旧暦の年末、雪のチラ就くほど寒かった。人里離れた渓谷沿いで、間の悪いことに雛鶴姫が産気づいてしまった。
急ごしらえの褥(しとね)で難産の末皇子を出産したのだが、旅の疲れと寒さにより哀れにも母子は亡くなってしまった。
あまりの無常さに残された従者はこの地を無生野(むしょうの)と名付けて雛鶴姫と皇子を手厚く葬った。今日まで伝えられる無生野の大念仏という行事は、護良親王の神霊と雛鶴姫母子を弔うものとして、その地で帰農した従者達によって残された。現存する雛鶴神社は母子を祀っており、石舟神社は大塔宮を祭神としている。尚、真偽のほどは分からないが雛鶴姫が押し抱いていた宮の首も石船神社に残され、年に2度公開されている。現在、無生野の大念仏は国の指定無形文化財でありユネスコ無形文化遺産への登録が提案されている。
この話には続きがある。護良親王の皇子である葛城宮綴連王(つづれのおう)、陸良もしくは興良親王は南北朝の戦乱の中に行方不明となったが、実は雛鶴姫の没後20年ほど経ったこの地に現れ雛鶴姫と兄にあたる皇子の話を聞かされる。そしてこの地を定めの場所として居住し、一子五孫を得て天寿を全うしたという。
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戒厳令下のヨットやゴルフ
2021 MAY 9 21:21:34 pm by 西 牟呂雄
人々はオリンピックを見たくないのだろうか。このチャンスを逃すと、例えば僕はナマでオリンピックを見ることはもうないだろう。そのせっかくの機会よりも自粛疲れによるドンチャン騒ぎの方が優先するのだろうか。池江選手につまらんSNSを送るな!
居酒屋で酒類禁止とは、かの悪法である禁酒法時代のアメリカだな。この禁酒法によってアル・カポネが大儲けし、その後のマフィアの隆盛のきっかけになった。そうなる前にライフ・スタイル、ビジネス・モデルを変えてしまわないと、と知恵を絞ったが、何も湧かなかった。
海は密にならない。ヨットは常に風を受けている。晴れてさえいればいやというほど日光を浴びる。コロナなんかねぇ。
でもって油壷に来てみれば,運悪くというか何というか快晴で虹まで見えるのに強風波浪注意報。ほとんどの船は外に出られずご覧の有様。クルーもヒマを持て余していた。ここは緊急事態でも蔓延防止でもないので店で酒が飲める。うちの船の連中は近くのお寿司屋さんに行ったらしいが、僕はキャビンで本を読んでいた。
「アッお久しぶりでーす」
明るい声がして人が一人入ってきた。見たら若い女性で誰だか知らない人だ。
「えーと、みんな出ちゃって誰もいないよ」
「あたし分かりますか」
「ごめんなさい、誰だっけ」
「高校生の時に一度お目にかかってますよ」
「そうなんですか。そりゃ失礼しました」
「あたし就職して後輩になりました」
一瞬の間が空いた。僕の最初の勤め先は荒っぽいことで知られる素材メーカーで、タコ部屋に押し込んだようにコキ使う。そこにこんな可愛らしいお嬢さんが勤めることは想像の範疇を超える。
「なんだってそんな無謀なことを・・・」
「昔お目にかかった時に伺ったお仕事の話が面白くて学校の先輩を訪ねたんです。そうしたらその先輩たちもみんなキレッキレであたしも行きたいなと」
「ふ~ん」
目の前のお嬢さんが高校生の頃と言えば東南アジアをウロウロして随分危ない目にあっていた頃かな。キレッキレとはどういう意味だろう。そういえば同僚や先輩にブチギレする人物がたくさんいたが、そういう人という意味ではなさそうだ。
「で、今は何をなさってるの」
「✖✖製造所で△△課にいます」
「それは□□係ですか」
「いえ、▼▼係の方です」
いや驚いた。僕が40年前にいた職場ではないか。しかし、時代は違っているに違いない。僕がいた頃はそれはそれは酒浸りの凄まじく野蛮な職場だったから、このようなお嬢さんに務まるはずはない。恐る恐る聞いてみる。
「○○○○の習慣はまだ続いてますか」
「噂には聞きましたが3年前には廃止されました」
「△▽△はまだ出入りしてますか」
「毎月いらっしゃいます。コロナのせいで接待はされなくなりました」
やはり昔とは違うな。そしてそれは進化とか改革とかいう過程を経て世の中にアジャストした結果だから、僕も別に寂しいとも懐かしいとも思わない。デジタル化でもIT革命でもいい。ただモノ造りのスピリットだけは残してほしい。
いろいろ話していると、随所にその片鱗が感じられて嬉しかった。そして改めて尋ねた。
「結婚されても続けますか」
「そのつもりなんですが、私は総合職キャリアなので転勤がつきものですよね。会社が配慮してくれるかどうか。今の彼は専門職キャリアなのでほとんど転勤はありませんから」
そこだよな。彼女がキャリアを積むと、例えば子育てなんかが全部彼女の方にのしかかってしまうと無理が生じる。家族の協力、行政の補助、ご主人の理解、会社の配慮、そして何よりも子供さんの幸せが担保されなければ。社内結婚でもしたら勤務地が九州と北海道になることも、或いはどちらかが外国になってしまう可能性だってありうる。僕らの頃は家庭の状況も何も、紙切れ一枚でどこへでも行くように訓練されてしまった。本人の希望もクソも無かったものだ。
暫くしたらクルーが帰ってきた。このあたりは緊急事態でも蔓延防止でもないから全員出来上がっていて絵にかいたような酔っ払いだらけ。乗り遅れた僕はあまり酒が進まず、ひと眠りして夜半に喜寿庵に移動してしまった。お嬢さんがんばんなさい、と声をかけて。お嬢さんはクルーの娘さんだった。
一つには先日の霜にやられかけたネイチャー・ファームが気になったせいもある。東名高速で御殿場を経由すると、今は東富士五湖道路に直接乗れるようになったので、港から2時間はかからない。
翌朝、早速ファームの点検に行くと丹精込めたつもりのキュウリが枯れているではないか。どうもここの土壌はキュウリと相性が悪い。
今年新たにチャレンジしたニンジンは芽を吹いた。
ニンニ君ことニンニクはやはり難しく歩留まり5割。
ダイコンは順調。ジャガイモは霜害から復活。
キュウリの戦死に頭に来たのでゴルフに行く。ホームコースに行ったところ、何と駐車場はギッシリで東京のナンバーも多いではないか。だが、ここも密にはならないしお風呂は帰って入りゃいいんだからどうってことはない。酒も飲まないし。
それはいいが、できるかどうか。するとある2サム組の了解が得られたのですぐぬ出られた。女性は金髪のオバサンでもう一人は角刈りのアンチャンという恐ろし気な二人、オバサンのエラソーなしゃべり方から店の従業員を伴ってのプレイらしかった。
「二人とも下手ですし、コイツはコースに出るのは今日が初めてなんです」
エラいのと組まされたもんだ。で、結論から言うとオバサンは本当に下手、アンチャンは驚くべきポテンシャルを持っていた。小柄なのだが何かのスポーツ経験者らしく、ドライバーで280ヤード以上は飛ばす。しかし3ホールのうち2ホールはOBだった。スコアはメチャクチャ.しかしロングホールで2オンしそうになり、更にバーディーを取りそこなった時は慌てた。オレの30年の精進は何だったのか。
僕はと言えば、この日は苦手なホールはドライバーを打った後はPWとか7番Iとか1本だけでやるというゴルフに徹した。ロング・ホールだけはスプーンとクリークを使ったが、最近の課題は寄せのマズさだからだ。ピッチ・アンド・ランを磨くつもりだったがスコアは不思議なことにいつもながらのものになる。
オバサンはヒーヒー言いながら、アンチャンは元気に走りながら、それなりに楽しくプレイできた。アンチャンにはマナーをいちいち教えてあげると大変に感謝されて、終わった時には又やりましょう、と約束した。
こうして東京周辺をグルグル周っていれば戒厳令下でも遊んでいられる。かえって自由な僕の長いGWだったが、エート、仕事の方は・・・。
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蟷螂の斧 まだこれからだファイターズ
2021 APR 29 15:15:14 pm by 西 牟呂雄
7勝14敗4分のダントツでビリ。今年もダメなのかファイターズよ。ピッチャーはエース不在、外人の来日遅れ、近藤・中田の不振、キャチャー清水のド下手、と4拍子も5拍子も揃ったマイナス要因で栗山監督の途中休養確実な体たらくなのだ。
今年は交流戦があるのでパリーグのチームはウチを除き5割以上の勝率で前半を終えるだろう。これでダメならもう野球はあきらめ、東京オリンピックに集中しようと覚悟を決めて宿敵ホークスとの直接対決に臨んだ。
何しろ去年の秋から11連敗中の相手である。11連敗!とてもプロ同士の試合とも思えない成績に奮起しなければ本当にこいつ等終わりだぞ、と並々ならぬ気迫を以て挑んだのだった。
第1戦、苦し紛れのミスター・スポック加藤が涙ぐましい投球であのホークスを2点に抑えると、栗山監督が中田を4番から外す。これが当たった。郡・渡邊・浅間・石川あたりが良くなってきて7点ももぎ取った。まぁ笠谷が緩い球だったせいもあって、別に大勝利という分けでもないが、やはり中田を4番から外して正解だ。これでようやく連敗を止めた。
第2戦。問題は台頭著しいルーキーの伊藤が勝てるかどうか。すると敵は和田という実にイヤな相手を出してきた、うーむ。
ところが、鉄人和田にしつこく食い下がり、5回に近藤が1発放り込んで引きずり下ろした。やればできるじゃないか。伊藤は勝利投手の権利を得て6回まで投げた。しかしファイターズはここからが大変だ。続く中継ぎリリーフの防御率は10点台である。玉井ー堀で1点を返された・・・。
そして9回裏。抑えの杉浦が、何という事だ。今宮・柳田にホームランを浴びて1点差。私の怒りは沸点に達したが、グラシアルが打ち取られてくれた。これだから目が離せない。杉浦はどうしてこうモロいのか、この前もサヨナラ・ホームランを食っている。
ファイターズ引き分けを挟んで3連勝。ホークス4連敗。この勝負の明日はどっちだ!
決戦の3戦目、ホークスは鉄仮面・武田、我が軍は連勝中の池田で始まった。池田は健気に投げていた。武田は例によってエゲつないカーブを放って来る。見ていて思うのだがあのカーブはキャッチャー・ミットに収まるときはストライク・ゾーンだが、ホーム・ベース通過時点ではボールではないのか。
6回試合が動く。中村に1発を浴びた。ここで私はついにフォースを出し、柳田・グラシアルを黙らせたのだ。すると7回に周東にエラーが出たがそこまで。逆に真砂にもう一発ホームランだ。昨日の杉浦といいファイターズは一発病にでも罹ったか。
後はモイネロー森を出されては万事休す、となったらあの中田がホームラン!今頃なんだ……負け。しかし、最強ホークスに一太刀浴びせ一矢報いたことになる。最下位の蟷螂之斧とは言え、今後に多少期待ができるのではないか。
待てよ。確か当初の作戦はマー君の投げる試合とホークス戦は捨て試合とするはずだったが、マー君には土を付けホークス戦では(影の)オーナーである私が先頭に立って死闘を繰り広げてしまった。ここで総力戦をやってしまって、あしたからどうなってしまうのか。もはや私にフォースは残っていないのである。
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ミルクキャラメルの箱
2021 APR 25 0:00:55 am by 西 牟呂雄
「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森ぞ」
昭和4年。粘菌の研究で名を成した全く在野の研究者である南方熊楠に昭和天皇行幸の際に御進講するようお達しがあった。
生物学者でもある陛下は兼ねてより熊楠のことを知っていて、どういうルートなのかは知らないが大正の末に粘菌の標本を所望され、熊楠は90点を献上していた。
熊楠は神島で陛下をお迎えし、案内の後に御召艦「長門」にて約30分の御進講に及んだ。この神島は伊勢志摩にある三島の潮騒の舞台となった『かみしま』ではなく和歌山の『かしま』である。
せっせと持ち込んだ標本110点もこの時に献上されたが、その標本をキャラメルの箱に入れていた。それが森永ミルクキャラメルだったと記憶しているが出典は忘れた。
冒頭の一首は翌年に行幸記念碑が立てられた時に熊楠が詠んだ歌だ。何とも無邪気なもので、二人でさぞ盛り上がったのだろう。
熊楠は全くの無位無官。おまけに数々の奇行で有名な難物だ。陛下の前で突如悪い癖が出ないかと、関係者は気を揉んだことだろう。しかしながら当日は留学時に求めたフロック・コートの正装で現れ見事なジェントルマンであったそうな(普段は全裸で過ごすこともあった)。
熊楠は抜群の記憶力の持ち主であったことは広く知られるが、昭和天皇もまた記憶の王でありその逞しさにしばしば周辺は舌を巻いた。この御進講から30年の後、南紀行幸啓の宿舎から神島が見えた時、
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
と詠じられた。
楽しかった思い出だったに違いない。
生涯仕事らしい仕事に就かなかった熊楠だが、一体自分のことは何だと思っていたのだろう。粘菌で有名だが、10ケ国語に通じ民俗学にも造詣が深い。人類学・考古学・宗教学全て独学。50本の論文がネイチャー誌に掲載され、日本人のダントツ1位である。ロンドン時代に亡命中の孫文とも親交があり、来日時には和歌山に熊楠を訪ねている。
今日であれば博物学者とでも言うのかもしれないが、本人がそう思っていたかどうか。一種の天才だろうが、こういう頭脳構造にありがちなバランスの悪さで始末におえない。よく言えば欲が無いのだろう。むしろ心のおもむくままに唯々何かに没頭していただけではないか。
最近知ったのだが膨大な日記に、幽体離脱というかろくろ首というか、不思議な体験を記述している。その記述が妙に生々しくて具体的なのだ。もちろん本人も夢だと言っているが、胴体から首が離れて飛んでいく様が活き活きと描写されている。この現象というか感覚に熊楠が興味をそそられないはずがない。日記にによれば『頭が抜け出て』そこら中を飛び回り『急に自分の頭とおぼしきところへ引き入れられた』のだそうだ。
実は筆者は熊楠の日記を読んで、似たような経験があることを思い出した。無論夢である。ただ、筆者の場合、四谷のJRから見える土手で三輪車のような軽量飛行機に乗り、空を飛んでいて落ちる夢なのだが、その落下する感覚がヤバいと感じつつスーッとうつ伏せに寝ていた自分の肉体に入り込むものだったことを今でも覚えている。ただ、筆者の場合は一度だけ。
熊楠は数回に渡る神秘体験の後、古今東西の文献から自分と同じような事象を調べ上げて数本の論文を書いている。ひょっとすれば熊楠はエスパーだったのか。
話が突然飛ぶが、筆者は昭和天皇が超能力者だった、という仮説を立てているので、一度だけ邂逅した二人はその後もテレパシーで話していた・・・無理だな。
ところで、この写真は晩年の熊楠-----ではない。
だがよく似ていると思いませんか?
誰だかわかった方はお知らせください。仮想通貨100万ソナー・ダラー差し上げます。
ヒント。熊楠が大学予備門(旧制一高の前身)に通っていた時の同期です。
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卒業生のレポート
2021 APR 17 0:00:32 am by 西 牟呂雄
私が非常勤講師を務めている北富士総合大学も卒業生が巣立っていきました。昨年度に限っては対面のゼミは一度も行われず全てオンライン、遂に実際に会うこともなかった4年生が3人です。
私のゼミは半期2単位の選択制なので3年生・4年生が同じ講義を受けます。昨年度下期での受講者は7人。従って4年生3人3年生4人、女子学生が多く、男子は3年生の2人でした。この環境下で試験などはできませんから毎回課題図書を指定してレポート提出形式でした。一応講座名は「日本思想史」となっていますが、今どきの学生さんですから時事問題に絡めて毎回テーマを練ります。「キリスト教の普及」とか「仏教の変遷」とかゼミの回数分の課題と図書を選びました。それが12月に入るころ「権力と権威の分離」のテーマに移った時点で異変が起こりました。
鎌倉時代を背景にした武家政権と畿内の朝廷とのかかわりについて議論を始め、戦国期から江戸時代、そして明治維新を経て敗戦後までを網羅するつもりで3回分の2回目でした。ここで女性・女系天皇についての問題で紛糾してしまったのです。
7人中4人が賛成。3人が反対、不思議なことに3年生の男子は賛成でした。どうやらその前に発表された秋篠宮家の眞子様の「お気持ち」がきっかけだったようです。
ちなみに私は立場上中立で議論の進行を見守るしかなく、極端に事実を間違った認識を指摘しただけです。しかしながら単純に賛成=フェミニスト・反対=ネトウヨ、といった構図ではありませんでした。印象ではやや世論に傾いている学生が賛成し、考え抜いた学生が反対になったようで、それは提出させたレポートのクオリティではっきりしています。
それは今どきの学生さんですから未だに幼さが残っていることは否めませんが、本年卒業した一人のレポートが面白いものでした。本人は卒業後地方公務員に職を得て地元に帰っていきました。しっかりしたお嬢さんで、お父様は地方の商社勤めです。
レポート内容は反対派なので、SMCの趣旨としてはややバイアスのかかった不適切なものですが、各種アンケートではおおむね賛成の世論であると思われるので、、本人の了解を得た上で抜粋を公開し、広く読者のご意見を促したいと思います。尚、私がこの学生にいかなる評点を付けたかは守秘義務がありますのでご容赦願います。
『皇統問題が喫緊の問題となって既に何十年も無駄に過ぎてしまいました。私はその間にしばしば俎上に上る女性・女系天皇についてかねてより苦々しい思いを抱いておりました。
一度も例外のなかった男系天皇が途絶え、次の天皇の権威は保てるのでしょうか。国柄を失っていいはずはありません。壊してしまえば二度と戻すことのできないモノ、これらを文化・伝統として守るのは国民の矜持でありましょう。
日本の天皇陛下は目下のところ世界で唯一「エンペラー」と訳しうるポジションで(キングなどという野蛮な代物ではない)あり、その権威は神話から続く男系の伝統によって担保されている家系です。
先般亡くなられた佐々淳行氏が書いています。皇室こそ1世紀に一度あるかないかの国難に毅然として声を励まし国民を統合することができる唯一無二の存在であると。
3・11で苦しむ避難者を慰めることができたのは先帝のお言葉であったことは多くの国民が知っており、その後に避難所を訪れた某総理に被災者が罵声を浴びせたのと対照的であったと聞きました。
翻れば先の大戦を収めることができたのも昭和天皇の『堪え難きを耐え、忍び難きを忍び』の肉声で、300万将兵が一斉に武装解除に応ずるという奇跡が起きたからではないでしょうか。
その天皇陛下たるや、単に巡りあわせで帳尻の合うようなものではなく、将にひたすら国民を思う、と鍛えられた人が生み出す品格と威厳あればこそです。仮にその場にあの某青年の顔を想像すれば、女系天皇などあり得ません。そういうケースを排除するのが男系の維持という考え方で、女性排除とは違うのです。
私の父は前回のサッカー・ワールド・カップがロシアで開催された際にエカテリンブルグに滞在していました。その際、オリンピック誘致でも活躍された高円宮久子様が、故憲仁親王殿下が日本サッカー協会の名誉総裁だったご縁で訪ロされていて、その時の、つい四半世紀前まで共産主義者であったロシア人達のプリンセッサ(ロシア語)・ヒサコに対する熱狂的な歓迎ぶりに目を見張ったと言っていました。エカテリンブルグはロマノフ家が惨殺された町であり、その跡地には教会が建てられています。ロシア人達は自分たちが失ってしまったものに対する憧憬があったに違いありません。それはエンペラーの家系の権威であり、久子妃殿下が品格をお持ちだからこそと思います。久子様は民間からのお輿入れですが、ロシア人を熱狂させる品格と威厳をお持ちです。
ただ皇統には思い込んだら一途になる遺伝子があるようで、聞くところによるとそれこそ昭和の陛下も平成の先帝も令和天皇陛下に至るまで思いを遂げられています。それが悪いということではなく、そうであったとしたらなおのことお相手には相応しい振る舞いが求められるのではありませんか。皇太后陛下も現皇后陛下も悩み苦しみつつそれを身に着けられました。
皇嗣殿下の教育はいかなるものなのか、内親王殿下の振る舞いにはいささかの違和感を感じます。そういう結婚をしてはいいはずがない、となぜ初めからおっしゃらず「憲法が規定するので認めざるを得ない」と仰ったのでしょうか。
ひょっとすると〇〇さんは「あんなのが皇族入りしては大変なことになる」という意識を国民に植え付けるために男系堅持派が送り込んだダミーなのではないかとさえ思えます。
2000年の歴史を考えれば、100年や200年の時間軸なぞ知れたものであり、その血を引く正統性が確保される者に早めに帝王学を叩きこみ次世代に備えるのはもっとも理にかなっていましょう。
そもそも皇族の高みに上るにあたってはプライバシーなぞは無きものと心得なければならぬことを教えなければ、〇〇さんのような者が入り込むスキができてしまう。お言葉にあった、結婚することが必要な選択などという戯言を文書で発表するとは何たる不始末でしょう。
愛子内親王殿下には有無を言わせず旧皇族の男子と婚約していただき(候補者はいます)、万が一に備えて頂くのがよろしい。それがいやなら、皇嗣殿下の内親王様たちはすでに手遅れゆえ旧皇族男子の全員を速やかに復帰していただいてしかるべきと考えます。
いずれにせよ、あまりに根深い問題を世論で判断しよう、或いは多数決による機関決定する、などとは不届きであり、ましてや「外国では」と歴史も伝統も違う事例を持ち出すような意見を参考にする必要はさらさらなく、ここは何としても女系・女性天皇のみならず女性宮家の創設もやめなければなりません。これはジェンダーの問題でも女性の地位の問題でもないのです。日本の国柄を崩す蟻の一穴は塞いだ方がいいのではないでしょうか。
ところで憲法について、直近気が付いたことがあります。先帝退位の際に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が発布されました。驚くべきことに、これに対して内閣法制局は「退位するという天皇の声明文は天皇の意思表明と見なされ」「天皇の地位は国民の総意に基づく、とした憲法1条、並びに天皇の国政関与を禁じた4条との整合性がとれない」という見解を発表しています。
崩御された際に行われる国事行為と同じことをするのに違憲の疑いありとは、いかにも責任逃れのためのお役人の発想で誠におかしいと思います。
事程左様にツッコミ所満載で、翻訳悪文の見本のような憲法をロクに変えられないで独立した国家と言えるのでしょうか。九条改定の議論を待つまでもありません。
膨大なエネルギーを使って自衛隊が違憲であるという判決が下るようなバカバカしさに「いいかげんにしろ」とは思わないのでしょうか。こういうことを続けていては違憲判決に罰則もないのをいいことに解釈でつぎはぎばかりになり、逆にリベラルを通り越した全体主義への逆バネが効いて保守勢力でさえ顔をしかめる国家になってしまいます。
話は変わりますが、余談を少々。私の知り合いに藤原家の血を引く方がいらっしゃいます。明治までは京都の山科にいたそうです。その人が声を潜めて言うには藤原家の始祖は鎌足ではなく不比等である、とのことです。即ち中大兄皇子の子を宿した采女を下げ渡され生まれたのが不比等、天智天皇の皇胤に当たると。このことは藤原家には伝わっているらしく、近衛文麿の弟の忠麿(水谷川家への養子)から今東光が聞かされて活字になっています。私の知り合いの説では他にもう一人天皇家から養子に入った者がいることになっていて、それがその後の藤原一族の出世の要因なのだとか。
もう一つ、先般高円宮絢子女王と結婚した青年がいます。現在日本郵船のサラリーマンをされていますが、NPO法人「国境なき子供たち」の理事も務めているそうです。どうもおばあ様の頃からこの活動に熱心だったお家と聞いています。そしてそこを通じて久子様との面識があったため、今回のご成婚にいたったのでしょう。
こういう気質、すなわち公の心を保つような伝統を持つ人の集う、あるいは家風として伝えているイエであれば安泰というもので、久子様の教育と慧眼に恐れ入るばかりです。
幸い、旧皇族方は菊栄親睦会なる集まりを通じて戦後も親戚づきあいをされています。ご指摘の光格天皇・継体天皇の例を持ち出すまでもなく、自然に溶け込めることは間違いありません。それを差し置いて女系だなどとは不見識も甚だしいと考えます。』
如何ですか?さて、このレポートは昨年提出されたものですが、昨今レポート中の〇〇氏の手記なるものが発表されました。全文を読んではいませんがネットで知る限りでは、法律家を目指しているとは思えない身勝手な理屈をコネまわし、猛烈な反発を受けると4日後に支払うことにしたという不可解な経緯をたどっています。しかも内親王殿下に相談してお墨付きを得ている、とするなど責任転嫁するのを怠らない。あまりの稚拙な戦略にあきれ返るしかありません。これでは・・・アッ、SMCの内規に触れますのでこの辺で。
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ポツン 考
2021 APR 9 5:05:27 am by 西 牟呂雄
膝丈まで伸びた笹やススキを刈り込んで畑を少し広げ、いよいよジャガイモを撒いた。今年のテーマは共生である。昨年の暮れに得意のニンニ君(ニンニクのこと)を15株植えて、その周りをキュウリ・ナス・ピーマンでガードし、外側をジャガイモで囲むという布陣だ。
ついでに崖の傍の密林のようになった所もかなり開墾した.すると奥では自生したおそらく藤の木が複雑に絡みついた、なにやらグロテスクな姿になっていた。枝分かれしてまたその枝同士がからみつき注連縄のようになっていた。面白いのでわざわざ切ってベランダに転がしてある。活け花のオブジェにでもどうだろう、差し上げますよ。
このエリアはこの70年くらいはだれの手も入っていない崖の上で、この直下で桂川が大きく蛇行している。切り立った岩の上に土がこびり付いたような痩せた所で、こんな見事な造形をつくるのにも感心させられる。
この辺りはもうウチの敷地ではないらしく、妙な杭が打ち込んであるのだが面倒を見る人はいない。さりとて開墾しても勝手に耕す訳にもいかず意味はない。まぁ、今後の自然観察のフィールドにでもなるかどうか。ヒマに任せてログ・ハウスでも建ててみようか。
冬枯れのポッカリ空いたスペースはなぜか足元は柔らかく、長年積もった落ち葉が腐葉土になっている。この先はもう切り開けそうにないな。
振り返って母屋を見やろうとして目に留まったものがあった。今まで気が付かなかった訳ではないが、こっちのアングルからみると実に場違いなものが生えている。何だろう。僕は植物は疎いのだが、ユッカという葉っぱの先が硬くとがった観葉植物が伸びそこなったような不格好なブッシュである。
元々このあたりは檜を植えていたのだが、日当たりが悪くなり過ぎて数年前に十数本を伐採した場所だ。おそらくこいつは檜の根元にこっそりと根を張って小さくなっていたのに、檜が切り倒されていきなり人前に出てしまい、そうなったら実に居心地が悪く、植物だから殻に閉じこもることもできずに困っているに違いない。
それは人間だって場違いな思いは散々味わうし、いつも何かが足りない思いはする。こんなことではいけないと反省はしても、無理に一歩踏み出せば体に一部が持っていかれるような気がして破れかぶれになる。
えっ?お前のことだ?失礼しました。度胸任せのアドリヴ一発だけじゃだめだよね。
ともかく今まで目もくれていなかったが急に愛おしくなって水をやりましたとさ。
大きく育てよ(これ以上育つかどうか不明だが)。
その右隣に、昨年植林した桜が今満開である。
ソメイヨシノよりも遅い仙台枝垂れで、高地なので今頃が見頃である。やっと根付いたと言うのか精一杯咲いて見せるのだが、どことなく儚げなのが気に入っている。『礼』と命名している。
そしてこいつもポツン、なのだ。いっそもう2~3本並べてやった方が華やかだったかも知れない。ところが物の弾みでネコヤナギを挿し木してしまった。
そして桜が咲き柳が新芽を吹く景色を私が見ることはできそうもない・・・。
しかしこうも思うのだ。孤独であるからこそ美しくもある。この桜は好んで孤独になったわけではないが、気高く孤高を保ってこその映え方もあるだろう。
よし、こいつを見てもう一花咲かせる気になったぞ。でっ、何しようか。
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レイモンド君と再会した
2021 APR 1 0:00:24 am by 西 牟呂雄
ある日メールが届いたが差出人に心当たりがない。大変に丁寧な文面ではあるがどこか要領を得ない。『○○では父がいつもお世話になっており恐縮しております』などと書いてあるが、〇〇は喜寿庵のあるところで、誰かの世話なんかした覚えはない。なんだか事情があってどこやらに出張が決まりどうしたこうした、終わりの方に『コロナ禍によりほかに頼る親族もおらず、愚息の面倒を見ていただきたく』と結ばれていた。
恐らくこの就職難に、誰かの勤め先をお願いするメールかなと思った。ご時世がらそういう頼まれごとはうまくいくはずもなく、参ったなと放っておいた。
しばらくした休日にインターホンが鳴る。
「はい」
「あっ、こんにちわ。ワタクシ先日メールいたしました✖✖✖と申します」
「・・・エート」
「○○で父がお世話になっている」
「(あの不審なメールの人か。若い紳士じゃないか)ちょっとお待ちください」
と言ってドアを開けて、仰天した。小さな子供を連れていて、それはあのレイモンド君ではないか!するとヒョッコリ先生は✖✖✖という名前でこの人はその息子さんか、先生はレイモンド君のことを孫だと言ってたっけ。
「どうも初めまして」
「あのー、この子はレイモンド君ですか」
「はい。以前お世話になった」
「(お世話じゃねーよ。無理やりおしつけられたんだよ)いやー大きくなって」
「はい、もう一才で歩きます。実はですね、私たちは共働きなんですが女房が体調を崩しまして云々ーー(中略)--コロナも第三波が収まりませんし」
要するに東京には頼る親族もおらず父(ヒョッコリ先生のこと)に相談したら僕のところに行けと言われたという事らしい。あのメールはそういう意味だったのか、冗談じゃない。ところでレイモンド君がやけに大きなリュックを担いでいるのが気になって『何を大事にそんな大きな物を背負ってるのですか』と聞くと、お世話になった時の使い捨ておむつと着替えだと言うではないか。いやこういうのには弱いんだ、オレ。更に青年も大きな包みを持っていて、それはレイモンド君用のごはんなのだそうだ。一日3回3日分が小さなタッパーに小分けにされていておやつも付いている。バナナを小さく切ったものとパンのようなお菓子だ。
で、結論を言うとこの子を3日間あずかることになってしまった、折り悪く僕一人なのに。
初日。1才の子供とはベビーからキッドになるころだろうか、レイモンド君は歩くようになってはいたが、スタスタとはいかない。そもそもこの年頃の記憶はどれくらい持続するのだろう。僕とレイモンド君は4カ月前には友達になった。知り合いの飼い犬は半年前に会った僕を覚えているが、1歳児の方はあやしいもんだ。抱っこしたら泣き出す。
さっそく昼時になったので、お粥のようなパックと何かの煮込みみたいなやつをあっためて食べさせる。これはよく食べた。ミルクを温めてくれと哺乳瓶を渡されたのだが、温めるのが面倒なので常温の牛乳を飲ませると、すぐに寝てくれた。ここまでは順調だったのだ。
異変は昼寝から覚めた時に起こる。『ふぎゃー!うんぎゃー!ぎゃあー』と泣き出したのでおむつをかえようとして仰天した。ひどくお腹を壊している。マニュアルに従ってペット用の敷物を敷き詰めウェットティッシュを傍らに脱がせたのだが、のたうち回るレイモンド君には手を焼いた。しかしまあ、こう言ってはナンだが我々のように酒・タバコ・刺激物・その他怪しげな薬や病気には侵されていない赤ちゃんだから、そんなに毒性のある排泄物でもなかろうテキトーにやっておいた。
待てよ、ご時世は緊急事態の真っ最中だし万が一ここでコロナになられたらエライことになる。思い直してお風呂にお湯を張りぬるめのシャワーでレイモンド君を磨き上げた。そしてその状況は夜まで続き、その度に僕もお風呂に浸かること三度に及んだ。おかげでレイモンド君はすっかりお風呂で遊ぶことに慣れて楽しそうにしていたが。
しかし一緒にお湯に浸ってしみじみとおもうが、この小さな体の中に大人と同じ五臓六腑がちゃんとそれぞれの繊細な機能を働かせ、小さな頭の中で脳が必死に成長しようとしているのだ。人間は何とも繊細な、いや生き物は皆見事な自然の造形か神の思し召しか。夜の7時にはグッスリ寝てしまった。
2日目。あいかわらずお腹の調子が悪い。僕がミルクをそのまま飲ませていたが、検索してみると大人よりもはるかに腸の短い赤ん坊は常温の牛乳を直接飲ませると途端にお腹がゆるくなるらしい。『赤ちゃんムギ茶』なるものを買いに行った。無論レイモンド君を抱っこしてだ。意外と重い。
本当にそうだったようで、昼寝からは元気になりヨチヨチ歩き回る。ところが危ないことがどういうものかまだ分からないので、何でもかたっぱしから手に取っては口に入れようとする。目が離せないとはこのことだ。
きのうお風呂に何回も一緒に入ったのでもうすっかり打ち解けてニコニコしているが、テーブルの上にあるものを取ろうとしたり、ピアノの鍵盤を叩こうと一生懸命に背を伸ばしたり。食べて寝て泣いて一日が過ぎた。夜半に帰宅した家人は散らかりまくった部屋のあまりの惨状と、そもそも何でキッドが僕と過ごしているかを理解できず唖然とした。説明するのにはもともと無理があるので納得がいかないのは仕方がないが、レイモンド君の寝顔を見てあきらめてくれた。
3日目。どうも落ち着かない様子だ。僕は親切に仲良くやっているのだが、レイモンド君の方は『このオッサン、色々と世話を焼いてくれるけどいつも一緒だったパパやママとは関係ないんじゃねえの』という感じで一人で手当たり次第に引っ張り、叩き、投げるという破壊本能全開。参った僕は外に連れていくことにした。
近所の公園ではよく保育園が園児を連れてきているし、それだけでなくお母さん方が子供たちをつれてシートを広げてお弁当を食べていたりする、この非常事態宣言下にもかかわらず。
靴を履かせて公園まで抱っこして行った。地面に降ろしてやると、これが裸足で部屋の中を歩き回るのとは勝手が違うらしく、素人が初めてスキーを履いた時のようなペンギン歩きだ。この時も何組かのママ友グループがいたので僕もシートを広げ二人で座った。
だがどうも変だ。何故か注目を浴びているようで居心地が悪い。オッサンとキッドの組み合わせがそんなに珍しいか。ハッと時が付いたが、僕はさっきコンビニで反射的に買ったビールを手に持っている、これか・・・・。
一方レイモンド君は少し年上の子供達が遊んでいる方に一生懸命近寄っていく。ママ達は一段と険しい視線をオレに送っている。おいおい、オレは誘拐犯でもアル中でもないぞ。仕方なくシートを畳みレイモンド君を『ホラ、おウチに帰ろう』とそこらのママ達に聞こえるようにわざと大声で言い、担ぎ上げ退散したのだった。
夕方連絡が入ってこれから父親が迎えに来るとなった。食料もちょうど3日分食べ尽くしたし、正直ヤレヤレといったところか。
日が暮れる頃、例の青年がやって来た。
「いや、大変お世話になりました。申し訳ありません」
「(そりゃ大変に決まってる)いやいや、こちらも楽しかったですよ。レイモンド君じょうずに歩いてましたよ」
そこへチョコチョコと歩いてきたら満面の笑みで青年にしがみついた。それっきり離れやしない。やっぱり寂しかったんだな。そう思うと、あれだけ面倒見た身としては微笑ましい、いやうらやましいかな。
レイモンド君はチャイルド・シートに据わって(括りつけられて)帰っていった。車が動き出したときに一瞬困ったような表情になったようだったが、まっ気のせいだろう。また遊ぼうね。
アッ、きょうは仕事をサボッちまった。あしたから働かなくちゃ。
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