Sonar Members Club No.36

Since July 2013

林森北路(リンシンペイルー)の日本人ジョニー

2020 DEC 30 1:01:30 am by 西 牟呂雄

 SMC(スーパー・メタリック・クラブ)の台北エージェント、キャシー・アベから連絡があった。
「この頃、林森北路でボスを知っているという日本人が飲み歩いています」
 林森北路とは台湾に駐在した日本人なら誰でも知っている繁華街だ。日本語の看板が並び女性がはべる店があり値段も高い。カラオケも日本の歌が豊富で会話も勿論日本語。若者の姿はほとんどない。私も台湾時代には随分馴染みの店があった。中には怪しげな所もないではない。
 SMCとは体裁はコンサルなのだが顧客は様々、要望も多岐にわたる。砕いていえば情報屋で、もっとはっきり言えば台湾・フィリピンの裏情報を専門に扱う。
 台北やマニラではあまり表には出ない日本人並びに日系人のソサエティが存在していて、結構ヤバい事件も起こる。ほとんどは女の問題と金銭トラブルなのだが、グローバル化に乗って現地法人を作るカタギの企業や関係者には見えにくい。そういった少し危ない話を収集するエージェントを置いて裏の情報として流すのが仕事だ
。 
「なんて奴なんだ、そいつは」
「本名は分かりませんがジョニーと呼ばれているようですよ」
「ジョニー?なんじゃそれ。本当に日本人なのか」
 台湾経済は国内の需要が限られている為(人口2千万)自然と海外に販路を求める。その究極の姿が半導体のファウンドリーと言われる受託生産形態である。設計・開発部門を持たずに大規模受託に特化する産業が大発展している。するとそこのスタッフは難しい現地読みの名前の代わりにニック・ネームをつけて名詞にも表記する。ジェイソン・チェンとかレオ・ファンといった具合だ。
 と言うのも、漢字で表記していると北京語・ミンナン語(台湾語)・広東語ではいちいち発音が違っており若干の混乱を招く場合がある。かの李登輝さんも北京読みではリ・トンフェだが現地語ではリ・タンフイとなる。
 で、現地にいるイカレポンチの日本人もヒューゴ・ヤマダとかハック・サイトウなどと名乗る者も出てくる。ジョニーなどという名乗りはおそらくそのノリで自称したに違いない。
「で、何だってそいつはオレを知ってるんだ。いやそんな話がなんでオマエの耳に入ったんだ」
「ヒューミントに使っている飲み屋のネーチャンから聞きました。なんでも『昔この界隈をウロついていたジェット・ニシムロを知っているが、奴はとんでもない男だった』ってボスの悪口をバラまいているらしいです」
「悪口だと?まあその程度なら構わんよ。何か特徴はないのか」
「カラオケで必ず郷ひろみのお嫁サンバを歌うそうです」
「なんだと、バカみたいな奴だな。シノギは」
「日台合弁の社長だとか」
「よし、ヤバかったら締める」
「了解」
 電話を切って暫し感慨に耽った。あの辺りをうろついていたのはSMCを始めた頃で、今から30年も前の話だ。情報を取るために散々飲み歩いていた。
 当時は大陸が露骨に選挙に介入しようとミサイルをぶっ放したり(海上に向けて)、台湾国内でも国民党と民進党がドロドロの選挙で争ったりしていた。
 さる筋の依頼で、今から考えれば国民党寄りの反大陸カウンター・インテリジェンスを流す仕事を請け負っていた。ところが現地でそういった活動をしているとスー・ハイ・パンと呼ばれる、いってみればヤクザと業務上のバッティングが起こり危なっかしいことこの上ない。ネタは取りづらくなってくるので、残留日本人・日系人のルートや民進党系の人脈を頼ることになった。
 実は戦後の台湾に、日系と推定される人々が数%残っていて苦労しつつも結構なポジションに付いたため情報が取れるのだ。目下香港の情勢がヤバくなってきたので、この台湾ルートは益々貴重なものとなりつつある。将来この情報をもっとも高く買うのはロシアとインドだろう。このあたりの国際感覚は一般には分かりづらいだろうが、両国は中国と国境を接して微妙な緊張関係にあるためだ。そして日本。尖閣列島は台湾も領有権を主張しているのを知る人は少ない。

 キャシーから名前が送られてきた。「ジョニー・古入(Jhonny Furuiri)」
 突如記憶が蘇った。まさか・・・。
 私がカタギの商社勤めをしていたヒラ社員時代に、取り扱っていた材料のメーカーに抜群の切れ者がいた。鮮やかな英語を操り次々と大型案件を捌いていく。まだ30前の若さにもかかわらず、その手腕は図抜けていた。本名古入純一(ふるいりじゅんいち)、なぜか夜の街では通称ジョニーと呼ばれていた。しかも大変なイケメンで、それはそれは女にモテたのだ。あまりのモテぶりに、その流し目からはジョニー・ビームが発せられ、それを浴びた女はそれだけで妊娠するとまで言われた。
 もし、その人であるならば大変なことになる。まず、我々の情報源である林森北路の女達が根こそぎジョニー・ビームを浴び使い物にならなくなったらSMCの活動水準ががっくりと下がる。更に片っ端からなで斬りにしてスー・ハイ・パンに目を付けられれば今度は当人の命まで危ぶまれる。
 いやな予感がして台北に飛ぼうと思ったが、コビット19のおかげで台湾へは目下定期便は飛んでいない。しかもまともに入国すると着いてから2週間は隔離される。仕方が無い、密入国するか。
 長年培ってきた人脈を駆使して与那国島から漁船をチャーターして基隆(キールン)から入る。かの地の役人にはたんまりと握らせているので、何度もこの手で危ない橋を渡ったことはあった。

 港町で佇んでいると時間通りにキャシー・アベが真っ赤なブジョーで乗り付けた。
「ばか、派手な車に乗るなと言っただろう」
「ハ~イ、ボス。こちらで赤は別に派手じゃありません」
 キャシーはダンナと台北で暮らしていたが、すっかり台湾が気に入りご主人が帰国した後もそのまま住み着いている。お子さんも帰国してしまい『主婦の単身赴任』と称していたがヒマに任せて我々のエージェントになった。そして女だてらに林森北路のマンションに暮らし夜な夜な飲み歩いていた。
「その後ジョニー古入はどうしてるんだ」
「それがこの2週間は全く姿を見せなくなりました。女でもできたのかしら」
「有り得る、昔と変わらんな。ただ何だってオレの悪口を言いふらしたのか、そこが引っかかる」
「だけどボスの評判もひどいもんですね。古手のママで『そうそう、その通りの薄情な奴だった』と言ったのがいました」
 まずいことに多少の心当たりはある。しかし30年前の話だ。ということはあの辺の女どもはまだ店にいると言うことか。もういい年だろう。
 かつての常宿フォルモサ・リージェントにチェック・インして夜に備えた。

林森北路

 一眠りしていると携帯が鳴った。
「ボス、食事は済んだんですか。行く時間ですよ」
「なにっ、何時だ、お前どこにいるんだ」
「ロビーです」
「何やってんだ」
「ボスを案内しようと思って来ました。8時廻ってますよ」
 もう8時か。台北の夜は始まったばかりだろうに。しかもキャシーの奴一緒に行くつもりなのか。急いで着替えた。
「これから調査に行く所だぞ。一緒に行くのか」
「何言ってんでっすか。ボスが飲み歩いてた頃とは多少違ってますよ」
 それもそうか。キャシーの車で移動した。
 一軒目は『紫恩』とういう看板の出ている雑居ビルの二階にある店。キャシーがドアを開けると『ハ~イ、キャシー』という声が掛かった。実はここはかつて通った店なのだが、見渡したところ知った顔はいない。
「あら、キャシーさん。きょうはカレシと一緒か」
 店のママがやってきた。何故かボトルを持ってきている。相変わらずのシステムで、今日で言うところの「接待を伴う飲食」丸出しである。
「こちらシャッチョーさん?よろしくね。オンナの子にフルーツもらっていいでしょ」
 やれやれ、これで銀座並みの金をむしり取られるわけだ。
 少し飲んでおもむろに切り出す。
「ところでジョニー古入は来てるかい」
「ウェイ、シャッチョはジョニーの知り合い?そういえばこの頃来ないね」
「そうか。お嫁サンバを歌っていたか」
「そう。良く知ってるね。帰り際に必ず歌ってたよ。ウチの女の子に受けてた」
「何をやっているのか知ってるか」
「メイヨゥ、何かの会社のシャッチョだけどよくしらない」
 この調子でハシゴすると3軒目の店できれいな子が名刺を持っていた。
「それでこのジョニーはどこに住んでんだ」
「テンムーだよ」
 ははぁ、こいつ誘われて行ったことがあるな。相変わらず手の早いことで。

つづく

林森北路(リンシンペィルー)に消えたジョニー 

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喜寿庵紳士録 レイモンド君

2020 DEC 24 9:09:00 am by 西 牟呂雄

 そろそろ会いたいなあ、と思う先輩・友人がいる。今年はコロナ騒ぎで春からは全く会えなかった。
 するとコロナ安全圏だった喜寿庵で珍しく新たに知り合った友人レイモンド君とはまた会う機会が来た。ここにもクラスターが発生してしばらく来られなかったが、ほとぼりも冷めたようなので久しぶりに来てみると。
 クラスター発生直後は本当に人っ子一人歩いていなくて住民がどこかに行ってしまったかのようだったらしいが、こういう田舎の地域は感染経路が分かりやすいので集中的に抑え込みが効いて3週間たった今では平穏な日常が戻っていた。
 ところでヒョッコリ先生は子守の手がなくなるとレイモンド君を連れて来る(先生は友人でもなんでもない)。困ったことにこの人はスマホも持ってないらしい。電話してアポを取ることなどなくいつもフラリと現れるのだ。そもそもどこに住んでいるのかも僕は知らない。もしかしたら僕がここにいるのを確かめてからやって来るのか。
 レイモンド君は何故か正装をしていた。

蝶ネクタイをしてる

「やあやあやあ、寒くなってきたね」
「(あたりまえだろ)もう年末ですよ。レイモンド君こんにちは」
「実はこの子の両親がコロナになっちゃってね」
「えっ、ミャンマーに行ったんじゃないんですか」
「(あわてて)そっそうなんだ。それで帰国したらイチコロで罹ったらしいんだ」
「(見え透いた嘘だな)2週間隔離された後にですか」
「そこんところは良くわからない。それでね、この子のお宮参りに連れていく人がいないということなんだけどね」
「(アンタが行きゃいいだろう)ほう、先生は忙しいんですか」

滋養様

滋養鳥居 高さ1m手造り

                                     
「キミの家の庭に手作りの鳥居があるよねぇ」
「(人のウチのことをよくしってるな)あぁ、私設の滋養神社のことですか」
「そうそう。キミが一人で踊りを奉納してるだろ」
「(ギクッ見られたのか)それより先生の実験室のある八幡様にいけばいいじゃないですか」
「いや、あそこはマズいんだ。僕がウロウロしているところを見られたくない。ということでちょっと半日この子を預かってお参りをさせてやってくれ」
「(そら来た)今日は僕も忙しいんですが。チョット出掛ける用事もあって」
「よしよし、レイモンド。一緒に連れてってもらえ。これね、寝ちゃったときの着替えとおむつと離乳食なんだけどね。まぁ、すぐ迎えに来るから」
 例によって勝手なことを言って赤ちゃんを僕に抱かせた。やられた。
 レイモンド君とは3月ぶりで、心なしか少し締まったというか痩せたのかもしれない。
 ともあれ、お宮参りということで滋養鳥居の前に行き二人で踊りを奉納した。何の踊りにするか迷ったが七五三が過ぎたので仕方がない、七五・三十五から七五三を引いて十五の奉納踊りを舞った。
 さてどうしよう。久しぶりのレイモンド君は、やはり僕を忘れてしまったのだろう、初めは珍しそうに踊っていたが(抱かれていただけだが)家の中に入った途端泣き出した。わかった、3か月前に会った時はテレワークばかりだったので無精髭を生やしていて今と表情が違っているのだ。それはともかく、僕はいつかこの日が来ると思い秘密兵器を準備していた。今時の若い親御さんは与えることはないおもちゃ、デンデン太鼓だ。ところがせっかくやって見せてもちっとも面白がらず口に咥えようとしてばかり、危ないから取り上げるとまたフンギャーである。
 ようやく落ち着いたところで二度目であるが喜寿庵を案内した。やはり覚えてはいないようでキョロキョロしている。
 座らせてみると何かに掴まって立ち上がろうとする。ソファーの端っこを一生懸命つかもうとするのだ。これが大変で、まだハイハイも覚束ないから寄っていこうとするのに前に進めない。「アギー」とか「グー」とか言いながら匍匐前進していた。挙句の果てにつかみそこなってゴンッと音を立てて顔面を床にぶつけた。
『フンギャー』
 今度は抱っこしても泣き止まない。仕方ないのでこの際おしめも替え、ミルクの飲ませたらゲップと一緒に少し吐いてしまった。ついでに着替もしたら機嫌が直った。フー。

笑ってる

 それから二人で遊んだが,赤ちゃんというのは愛されることが商売だ。従って無償の愛しか受け付けないのではないのか。僕は勝手に友達になったと思っていたが、愛情は一方向でもありうるが、友情は双方向でないと成り立たない。
 ヤンキー娘が早くに結婚して子供を産むが、さっさと離婚して次の男ができる。するとその相手が連れ子を虐待するという痛ましい事件が結構多い。次のアンチャンにしても赤ちゃんもしくは3歳未満の子供はかわいいものの、無償の愛情は注げない。泣いたりグズッたりするのを我慢できなくなって思わず手がでる。チビちゃんに友情を持とうとしても応えてもらえないのだ。
 僕は既に(レイモンド君は忘れていたようだが)友達になる段階はクリアしたので、後は覚えてもらって親しみを感じてもらえばいいわけだ。幸い僕の方はヒマで時間だけはあるから毎日でも一緒にいられればすぐ慣れてくれるのに。しかし次にいつ会えるのかは分からない。
 分かった。そもそも赤ちゃんと前期高齢者とでは流れる時間が違うのだ。赤ちゃんは記憶力が発達していないから毎秒毎秒新しいことの洪水に浸かっているようなもので、こちらが心待ちにして再会してもワン・オブ・ゼムでしかない。。友情を育むにも時間はかかるだろう。
 まっ、あと10年くらいかけて親友になろう。それまで生きてるだろうか、オレは。

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不気味な夢の話 アルツハルマゲドン接近中

2020 DEC 19 0:00:50 am by 西 牟呂雄

 以下は妙に記憶に残っている夢です。おとといのことでした。

 スプリングのような形状ではあるが、1mくらいの長さのクネクネした生物が不気味に跳ね回っている。僕はそれを危険なモノだと分かっていて捕まえようとする。ところがそいつはピヨーンといった感じデジャンプして地面に潜り込もうとする。おっかなびっくり尻尾の部分を掴もうとしてもそのまま地中に入っていった。
 と、思った途端に別の方角からウネウネと出てきたので追いかける。するとまた少しジャンプして逃げていく。
 突然、天の声が聞こえてきた。
「我々は西暦2400年の未来から語っている。人類があまりに資源を消尽したので地球が疲弊してしまい文明が消滅しかかっている。そのため、ターニング・ポイントとなる時点に我々が開発した人工バクテリアをタイムスリップさせ、地球資源を宇宙に放出することにした」
 なんだ、この声は。僕の声ではないか。それはいいとして不思議な気がして聞き返した。
「人工バクテリアってあのウネウネしたミミズのオバケのことですか。バクテリアがあんなに大きいとは信じられません」
「あれは単体のバクテリアではなく集合体なのだ。単体バクテリアが常に細胞分裂を物凄いスピードで繰り返してあの大きさになっている。地球の化石燃料を光に変えて宇宙に放出する」
「しかし現時点での資源消費の状況がストップされたら人工バクテリアを生み出して、さらにタイムスリップさせることができるあなた方の文明にまで発展しないのではないか。するとあなたの存在そのものが消えると思うが」
 すると(視点がどこだかわからないものの、今をみているはずの)未来の僕が答える。
「西暦2400年時点での私は意識の上では存在しているが現実には質量も時間もないパラレル・ワールドから話しかけている。つまり今あなたのいる地球の380年後から話しているわけではない」
「そのけったいなパラレル・ワールドでも人工バクテリアを造れて、尚且つタイム・スリップをさせることができるんですか」
「いや、違う。我々のいる所には質量も時間もない。タイム・スリップしたのは我々の意思だけなのだ。概念といってもいい」
「意思とか概念だけでモノが生み出せるとは思えません」
「まだ気付かないのか。それらは君が無意識に作らされたモノなのだ。君が我々の概念によって発明したということだ」
「僕が?いつ?どこで?」
「そうだ。君は私である。君の記憶には残らないが、私が君になって合成した」
 これらは僕の夢の中、すなわち脳内で自分が自分と会話している状況だ。つまり喋っているのは全て単一の脳が想像した会話だということにこのあたりで気が付いた、さすがに変だと。普通ならこの辺で目が覚めて全部忘れる所なのだろうがこの日は違った。
 目の前から先程の人工バクテリアが無数に地面から湧いてくるように出て来た。恐ろしくなってそれらに火を付けようとしたら(どうやったのか不明だが)自分の部屋が燃え出した。それが、柱が燃えているのだが、炎が外にでるのではなく中が燃えているらしい。柱が燃えているのだから今のマンションではないし、山の家とも違う。そして今度は必死に消化活動を始める。何故かホースを持っている。

 ここでやっと目が覚めた。あー、恐かった。そして余りの奇天烈な内容に思わずメモに書き留めたので再現できた。尚、会話のディテイールについては大体こんな内容だったというメモから起こした。ちなみに火事になるパターンは割と頻繁にみることがある。
 改めて書いてみるとリアルさにゾッとする。明らかに常軌を逸しているからだ。そしてこの夢と現実の境目が無くなった時点が迫りくるアルツハルマゲドンと普通の人間の境目ではなかろうか。
 神様、お願いだからもう少し人間でいさせてください。

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喜寿庵周辺クラスター発生!

2020 DEC 12 0:00:14 am by 西 牟呂雄

 2020年はコロナに始まりコロナで終わる。この間、無念にもお亡くなりになった方に深く哀悼の意をささげるとともに、最前線で治療に当たっておられる医療関係の皆様に心から感謝と敬意を表します。
 今年の初めに僕の信仰する『滋養様』からのお告げを書いています。

令和二年(令和初) 滋養神社お告げ


 これが、コロナ禍を全く予言できずに、なおかつ内容も全部と言っていいほどの外しっぷり。100点満点中0点という前代未聞の結果に終わりました。滋養様の力が落ちたのか、予言の受け手であるワタシの霊力が落ちたのか。とにかく自粛に塗り込められて1年が過ぎようとしています。
 それにしても、ノストラダムスでもエドガー・ケイシーでも著名な予言者でこの厄災を予言したと思われる字句はないのだろうか。かつて流行ったものをザッと検索しても今のところ見当たらない。従って滋養様や私だけが外したわけでもない、と言えるかな。

 それが、ですぞ。今までほとんど陽性者がいなかった我が山荘・喜寿庵のある地域でついにクラスターが発生したのです。市街地の中心部にスナックが固まっている所がありますが、そこの従業員とお客さんに陽性者が出ました。聞くところによると、その後どういう経路か知らないですが高校に飛び火して教員も生徒にも患者が出たそうです。
 かのスナックは結構繁盛していて前後一週間に数十人の接触者がいた、感染したお客さんはゴルフ帰りにカラオケをやって陽性になった(そのゴルフ場は私のホーム・コース)、街は全く人通りがなくなった、コンビニもスーパーも買い物する人がいない、らしいのです。幸い喜寿庵周辺には陽性の人はいません。しかしあの辺は極端に人口密度が低いので参考にならず、週末に行くのも憚られます。この冬のスノボのリフト待ちや4人乗りクアッド・リフトは密じゃないのか(スノー・リゾートまで車で30分の近さ)。しかしねぇ・・・、ここ吉祥寺でも近くの病院でクラスターは発生したし、週末の人出はそんなに減ってないようですよ。

 飲み会は全く無くなり、半年は山籠もりでリモート暮らし、船には3回程乗ったが航海には出ず、運動は少しゴルフをやっただけ、癌は再発していませんでした。それどころか体重は増え、中性脂肪の値が危険水域にまで上がり、日本ハムファイターズは最下位争いの5位。読書量は変わらず、文庫・新書を中心に活字だけは追っています。
 しかし、あの酔っぱらってやるドンチャン騒ぎがなくなったのは悪いことばかりでもないですね。ひどい二日酔いと自責の念にかられることはありませんし疲労感も大したことない。翌日「こんなこと口走ってたぞ」と言われて青ざめる心配もない。

 直近見つけた数字では足元のコロナ・ピーク対応で全従業員(事務方)の30~50%がテレ・ワークだ、とあります。すると日頃から同僚などと気軽に話す機会をあまり持たない人達の方にストレスがかかると言われています。こういうタイプの人は承認要求が満たされなくなって心理的負担が重くなる。今までは従来柄の長時間労働によってそのストレスから逃れていた、という理屈です。
 実に農耕社会の形態が色濃い日本の企業文化です。しょっちゅう天気を気にしつつ、左右に目配りしながら黙々と作物の育てるプロセスは村社会=企業文化の等式が成り立ち得ます。
 余談ですが、実はこの常時仕事中のようなダラダラ長時間勤務こそ日本のお家芸であり、高度経済成長の原動力だったと筆者は考えています。この方式は白人にも黒人にもできない。黄色人種でも日本人だけです。しかしもう通じない。ダラダラやる仕事はデジタル化されるからです。
 話を戻して。上記のストレスをためやすい人というのはおそらく口を開けば自慢話ばかりしてウザがられるオヤジですね。同じ話を何回もループしたりもする。突然キレて怒鳴り散らすパターンもある。従ってリモートになると顔を合わせなくてすむので周りは喜ばしいでしょう。コロナ騒ぎで暴露された弱さをアジャストするヒントは足元にあるはずです。
 ダイナミックな仮説ですが、いきなり全部をリモートにしても生産性は上がらない、むしろ下がると思います。まず大きな組織では成果が偏ってしまう。小さい組織はある程度は効き目があります。ですがそれがリモートの効果では全くない。そもそも小さい組織は初めから無駄な管理コストの削減幅は小さい。スタート・アップ企業でもそうだと思いますが、ベンチャーの成功率は30%以下ですからデータも少なすぎます。稼ぐことはできてもユニコーンにはならないベンチャーは中小企業のことですしね。
 それでは「比較的大きな組織でイノベーションを起こす」というテーマだったらどうでしょう。これも人によるのです。例えばテレワークで家に引きこもってインスピレーションを得る人もいれば、人と喋りながらヒントを得るタイプもいる。自説に固執して他の意見を全く受け入れないのはどっちの環境でもダメ。
 それどころか家に籠ったがためにかえって仕事に縛られて勝手に長時間労働にのめり込むかもしれない。挙句に家庭崩壊になったり精神のバランスを崩したり。
 すると両方の中間を取るような『ワーク・ステーション』のようなスペースができたりして。郊外・あるいはリゾート地の傍にIT環境の整ったフリー・スペース(図書館の自習室をゆったりとさせた感じか)に出勤し、そこには全く異業種の人達が集まるでもなく仕事したりメシを食ったり。疑似職場というかバーチャル・オフィスというか分かりませんが、そこに出勤するのはどうでしょう。

 それで『お前はどうするんだ?』ですか・・・・。働かないのがいいけど。
 それで喜寿庵にも行けないんじゃ今週末はどうしようかな。

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初冬のハーバーにて

2020 DEC 8 0:00:19 am by 西 牟呂雄

 冷たい北の風が強い。こんな時はメンテナンスでもしながら酒でも飲むのがいい。某日、クルーの都合が合ったので油壷に集合した。ヨットは風がなければ走らない。従って船の上では密にもならない(酔っぱらってキャビンで寝るときは密かも)。誰もマスクなんかしてない。
 風は18~20ノットと強いが波は立っていない。よし、行くぞ。

わあッ

 この時期はあまりもやっていないので、相模湾越しの富士山がはっきりと見えた。山頂部分が冠雪している。
 江の島を目指す。強風で7~8ノットとこの船にしては結構な速さだが、うねりがないのであまり波をかぶらない。
 海面を見ていると潮目のように色の濃くなっているエリアがあって、そこに風が叩きつけられている。その青が迫ってくるとウワーンといった感じで強風に大きく船が傾く。風の当たる角度によって持っていかれるように舳先が流れるか逆に風上に切りあがってしまうか、いずれにせよ舵を操作するとまるで生き物が跳ねるように船速が増す。腕の見せ所であり醍醐味だ。この間、頭の中はカラッポの状態と言っていいだろう。即ち煩悩からは解放されているのだ。ズーッとこの時間が続けばいいような気がしてくる瞬間だ。音もしない。
「そろそろタックか」
 スキッパーの声で全員配置につき、ヘルムは僕だったから合図とともに舵を切る、ゆっくりと船を回してセールを固定した。帰りはさすがに波を被るようになって寒い。
 この時期の日没は4時半だから3時をすぎると夕日は低くまぶしい。海はすでに青さは消えつつあり海面が暗くなってくる。ハーバーに入れてから何をするか、といった煩悩・雑念が湧いてくる時間である。

物憂い日没

 しかし飲んではしゃぐ気になれなかった。海の暗さに塗り込められたわけでも、冷たい風のせいでもない。
 この不気味な、繰り返し押し寄せるコロナの惨禍は人々を麻痺させ愚かにさせる。いずれワクチン開発により乗り越えられる部分はあるだろう。しかし先程の『麻痺』してしまい結果『愚か』になった私達の意思というものが正しい判断ができなくなることは誰が否定できるのか。我等はもう元には戻れない。何かを捨てざるを得ないのだ。
 全ては今更遅いのだ。民主主義などクソくらえ、アメリカの狼狽を見よ。反グローバリズム、非独裁、アンチ・テロ。すると後には何が残る?
 北は核を持ち続け、大陸は領土拡張の野心を隠さず、南は反日。もうこっちを向かないでくれ。
 格差?日本なんかマシな方だ。生産性?無駄な仕事が多すぎるからだ。学術会議?学問の自由のどこが損なわれた。桜を見る会?呼ばれれば嬉しそうに行くくせに。
 僕は3・11で被災していない。コロナにもまだ罹っていない。
 自分で考える癖は前から持っている。
 保守派を吹聴しているが、人からは自由に好き勝手しているようにしか見られない。 
 僕は分裂している。
 誰が何を考えようとそれは勝手だが、想像を超えた災害や疫病の前で最後に頼るのは国家しかないことがはっきりした。
 そしてそれを守るために大好きなものを捨てられるか。例えばこのヨットを。
 我等を受け入れてくれた湾内は、鏡のように静かなのだが。

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喜寿庵紳士録 不思議な酔っ払い

2020 DEC 1 0:00:13 am by 西 牟呂雄

 先日ホーム・コースでゴルフをした。喜寿庵から車で10分だから、天気を見てから電話で『今日はやれますかね』と聞いてうまく空いていれば回らせてくれる。ラッキーなことに『ラウンドはちょっと混んでますけど午後ハーフなら入れますよ』とのことなので、ハーフだけやったのだ。
 そういう時はロッカーも使わず、そのまま近くの温泉(これはゴルフ場から5分)に浸かって帰る。
 気分よく温泉にも浸かってお惣菜を買いにスーパーに寄った。まだ3時半過ぎである。駐車場で一服していたら、見るからに怪しげなオッサンがフラフラ歩いて来る。手には日本酒のパック、定まらない視線、これはヤバい。ところがそのままこっちに向ってくるではないか。その時の僕のいでたちは、ゴルフ用にしているチノパンにポロシャツ、ジャケットを羽織っていた。オッサンは短く刈り上げた髪に真っ黒な顔、ジャンパーの背中には何やら不気味なデザイン、業界でいう極めて頭の悪いファッションである。そして『先輩(チンピラが話かける常套句)先輩』と距離を縮めた。なんだこいつは。
『レッド・ツェッペリン知ってるっしょ』
はぁ~~。目は完全に据わっている。
『まあ知ってるけど』
『あのね、ジミー・ペイジも腹が出たんだって。ケケケケケケ』
 いや、これは相当危ない。どうも年格好は似たところではないだろうか。さっさと切り上げよう。ところがオッサン、ニターっと笑いながら、
『いや~ハード・ロックやってたんでしょ~』
 等とヤケにうれしそうなのだ。

ディープ・パープル

『あぁ、ちょっとやってたよ。ディープ・パープルとかさ』
これがまずかったようで、オッサンは満面の笑みを湛え『ジャッ、ジャッ、ジャー、ジャジャ、ジャジャ-』とスモークオンザウォータのイントロをエア・ギターで口ずさむ。左手を見ると正しいコード進行を抑えているではないか。
 普通だったらここでベース・ランニングを僕が口ずさんで二人で共演するのだが、今は相手が悪い。しょうがなくて愛想笑いをしながら車へ逃げ出した。

 落ち着いたところで暫し考えた。こんな山の過疎地でもハードロックのファンはいるだろう、それはいい。昼から酔っ払いがいるのも良しとしよう。
 問題はそのイカレポンチがゴルフ帰りにジャケットを羽織っている紳士の私に何故寄ってきたか。そして昔バンド野郎だったことを見極めたように話しかけたのか、である。幾つかの理由を胸にてを当てて考えた。
➀ 私のたたずまいが、どんなアホでも受け入れてくれそうなほど慈愛に満ちていた。
➁ 一目で私がアート系の殺気を放っていた。
 どちらも違うだろう。考えたくもない第3の原因を出さざるを得まい。
➂ その昔バンド屋だったオーラが出ていた。
 仮に、仮にそうだとしても何十年も前の雰囲気がいまだに残っているとは思いたくもない。しかしながら目下のところ思い当たるとすれば、当時の仲間とは今もしばしば付き合い、ギター談義や矢沢永吉のモノマネに明け暮れているから、往年の悪癖が滲み出てしまうのかも知れない。
 であればこれは非常にマズい。なぜならこのコロナ禍でここのところそういう集まりが無いにもかかわらずバカなオーラが消えない、ということか。いかん。早くこの邪気を払わねば。
 早速、そういった仲間にメールした。各カクシカジカ云々だったのでキミ達との付き合いは改めたい、今後はもう少しアカデミックな話をするように、とね。
 すると奴ら(3人)の反応たるや反省のカケラもないふざけたものだった。英語でロックンロールの歌詞を寄越す奴、その話しかけたオッサンの素性を推測し現在の職業を予想する奴、それは酔っ払った私が姿見の鏡を見ていたのだろうと言った奴。私は深いため息とともにロクな仲間がいないことを悟った。
 前期高齢者を踏み出した今、心新たに第二の人格に昇華することを誓わざるを得ない。但し、今さらこの年で修復不能なものは除く、例えば酒癖とか。
 まずはブログから・・・。

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深まる秋の憂国忌

2020 NOV 24 0:00:59 am by 西 牟呂雄

 コロナ第三波。おっかなびっくりが続きます。
 先日、癌の手術後1年が経過したところで検査をしましたが幸いにも異常なし。思えばコロナによる医療パニックの前に退院までこぎつけていたわけで、その後の手術待ちの患者さん達に申し訳ないような・・・。今年も秋が迎えられたことに感謝のみです。
 時系列で経緯を俯瞰すると、2年前の身体検査の結果を聞きに行くのを3か月もサボったのでポリープ除去・癌発見が遅れました。1年後に手術。術後せん妄発症。その後コロナ禍という流れでした。

自己流

 今年は喜寿庵でも秋祭りやお茶壷道中は無かったのですが、庭に野生の百合も咲きました。ススキをあしらって自己流で生け花です。
 梅雨が長引いてジャガイモは不作、ナスも小さいのしか採れなかった代わりにピーマンは大豊作。キュウリも初めてまともに収穫できました。
 そして3年前に飢えた栗の木に大きな実が。まだ私の胸の高さにしかならないのですが『桃栗三年』は本当でした。ただ、同時に植えたほかの2本は何も。栗ご飯にして食べました。特においしくもありませんが、冷えた後に海苔を巻いたお結びにしたらおいしかった。

 三島由紀夫が半世紀前の11月25日に割腹しました。彼のことですから50年目の今年に何かの仕掛けをしていて、新しい事実が発掘されるのかと期待しましたがありませんでしたね。
 あの衝撃的な死は僕にとって『強烈なイデオロギーは虚構である』というメッセージとして心に刻まれ、その後の思考形態を決定づけました。
 50年前に今日を予測することは不可能です。グローバル化の進展も中国の強烈な台頭もインターネットの普及も三島は知るよしもありませんが、自死の直前にこう言っています。
『日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう』
 『日本』とは何か。
 当時の世相は70年安保闘争があり、学生は過激になって街頭では激しい投石や火炎瓶までが飛びました。社会党が第2党で国会で一定の勢力はありましたが、自民党の単独政権が続きます。そして何よりも経済成長がまだ続いていたのです。冷戦構造はこのまま永久に続くのではないか、それどころかヴェトナムでは熱い戦いになってドンパチが続いていた。時の総理は佐藤栄作。
 三島の目には敗戦から復興したとはいえ、自らの立ち位置を模索している国家が頼りないものに見えたのでしょう。では上記の『日本』とは何か。まさか戦前に回帰することもできません。そこで固有名詞としての『天皇』を中心概念に持ってきました。
 50年後の今日まで、何が変わったのかそうでないのか。
 政治的には自民党の単独政権は続かなくなり、野党に転落したこともありました。その後は多党連立が続きます。私は政権交代が起こることは日本の民主主義の進展のためにいいことだと喜びました。ところが稚拙な政権運営と策士策に溺れた小沢一郎の暗躍でこの方向は迷走します。ガラクタのような野党ができて政治的な緊張感はなくなりました。平成の終わりになってポピュリズムの波に乗ったからっぽな状況から長期安部政権で一応の安定にたどりついたのではないでしょうか。自公連立です。
 三島が危惧した保守単独政権VSイデオロギー政党の弛緩した対立から革命による体制変換などどこにもなかった、むしろ保守単独の堕落は(現在の評価は別にしても)避けてこられたのかもしれません。
 経済は外的要因に左右されながら平成時代を通じて停滞し、富裕になるでもなく格差が広がったのです。グローバル化の行き過ぎと見ています。特にこの数年は三島の想像をはるかに超えています。人口問題など当時は兆しもなかった。
 文化的にはどうでしょうか。次々とベスト・セラーを出し続けられる力量の作家は村上春樹くらいしか思い当たりません。福田和也は言っています。現代の日本の作家は村上春樹とその他という分け方で語れると。
 昭和から二度の御代替わりを経て、今は令和の時代です。三島の言説から類推すると天皇の生前譲位など絶対に認めなかったでしょう。しばしば発言が物議を醸す次男坊殿下のおっしゃりようや内親王殿下の婚約問題などは一刀両断に違いありません。
 しかし一方で、日本の国際的なポジションはむしろ上がったとも言えます。国民を弾圧してまで遮二無二GDPを上げてきた強権国家と対峙できる国として、1億人以上の人口を持つ先進国はアメリカを除けば日本だけです。アメリカも組む相手は日本しかないのが現実です。
 三島が危惧したことは当たったとも言える部分は多い。ですが日本がその独自性を失うまでには至っていない。前安倍政権の支持は若い世代の方が高かったのです。

 三島の上記発言は事件の4カ月前ですが、すでに常軌を逸していたのでしょう。実は最後の作品である『天人五衰』の終わりはもう少し後になるはずだったと三島は語っていたのです。創作ノートのエンディングは本作とは違っていたことが分かっています。あの事件を決行するために執筆を早め、それがゆえに筆が鈍った結末にせざるを得なかったとは言えないでしょうか。
 実は事件直前、三島を介錯し共に割腹自決した森田必勝が残した言葉が残されています。元文芸春秋編集長の堤堯が酒の席で「僕は三島先生を絶対に逃がしません」と口走ったのを聞いています。
 森田は盾の会の学生長でありながら祖国防衛隊と称したグループで強烈にテロを志向していきます。それが三島の美の追求や死への憧憬と結びつき、根回しも可能性もないまま異様な事件に昇華してしまった。
 新右翼の論客であり森田と学生時代から付き合いのあった鈴木邦夫は『三島事件は森田事件だ』と喝破しました。

 あの緻密で美しい文章は後に継く後継作家を生み出すことはなく、50年が過ぎました。
 自身を振り返るのは苦手ですが、プチ右翼キッドだった私はその頃から思想の進化が止まっています。『お前のような怠け者に三島の葛藤が分かるものか』の声が聞こえます。
 ひょっとして、三島の予言は「自分が自死することによって、日本の将来はこうなっていくだろう」といった宣言だったのではないのか。巷間言われている政治的・文化的なやや右よりに安定した日本を揶揄する象徴として、50年も前にあの奇怪な行動を起こしたのではないか。だとすればあの行為は永遠に日本人への警鐘になりかねない。いや、そうでもなかろうと思いたいのですが。

昭和45年11月25日

三島由紀夫の幻影


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選挙事始め -大統領選に寄せてー

2020 NOV 16 9:09:27 am by 西 牟呂雄

 関東エリアの某地方は、今ではすっかりおとなしくなったが嘗ては猛烈な金権選挙で名高かった。当たり前のように買収工作が横行し、それを指す方言さえあった。「ブチに行く」という。夜毎ブチに行く者がウロウロし、ついにはそれを阻止するために辻に焚火をして見張りがいたこともあったという。
 戦前の二大政党である政友会と民政党に収斂していく過程で、様々な勢力が離合集散するのだが、この地方ではそれだけでなく地縁・血縁が横軸となって一層複雑な選挙戦が繰り広げられる。又、維新後の東京で財をなした財閥がバックにつくため、中央政界の大物まで巻き込むことがしばしばあった。財閥とは生糸成金から事業展開したグループで、電力・鉄道といった都市インフラに携わる者が多い。
 大正7年にこの地方の代議士が死亡したため補欠選挙があり、折しも二大勢力が激突する舞台が整ってしまった。
 時の政権与党である政友会側には地元名士の穴熊家から投資家で鳴らした七郎が立候補する。民生側(当時は憲政会)も負けじと対立候補を立て、こちらには財閥グループがバックについた。その人脈から中央より浜口雄幸・若槻礼次郎・加藤政之輔といった大物がやって来る。当時は選挙取り締まりも政権の意向がモロに出る状況下、壮絶な実弾飛び交う選挙の結果政友会側の七郎が勝利した。
 こういった選挙は双方に大きなしこりを残し、特に負けた方は資金的にも苦しくなって本当に井戸塀(金を使い果たして井戸と塀しか残らないの意)になってしまう。
 両勢力はその後大正九年の原内閣による解散、十三年の総選挙、県会議員選挙と戦い続け昭和を迎えた。その時点では若槻礼次郎内閣になっており、俄然民生側の巻き返しの機運が高まったところでまたもや逝去による補欠選挙が行われることとなった。政友側は落選中の穴熊七郎が名乗りを上げる。対して民生(憲政)側も造り酒屋で山林地主の小森家の当主、鶴丸を担ぎ出すことに成功。双方気合十分で火ぶたが切られた。
 ところがとんでもない椿事が起きた。御本尊の小森鶴丸が突如雲隠れして行方不明となったのだ。だが陣営幹部は今更もう後には引けない、の悲壮な決意を以て選挙戦を続行する。この信じ難い顛末の真相は大の選挙嫌いだった鶴丸の細君サトが激怒し、鶴丸を本家の土蔵に押し込めて施錠、一切の外界との通信・交流を断ってしまったからだった。
 前代未聞の選挙戦は2月の真冬である。双方ヒートアップしてしまい応援弁士の言論戦からいつもの実弾戦へ、そしてそれを阻止せんとする青年部隊の夜襲まで発生と戦国時代のような様相を呈した。
 結局、小森鶴丸はサトの鉄壁の守りを突き崩せず、一度も有権者の前に姿を現すことなく選挙を終え、穴熊陣営の軍門に下る。

 以上は約100年も前の我が国の一地方の話である。しかし、大金持ちと民主派が争い双方で貶し合い、プラウド・ボーイズが武装しBLMが暴れまくり、投票結果すら直ぐにはまとまらない、今日のどこぞの大国の大統領選挙と大して変わらないではないか。民主主義は理想的ではあるが、投票行動のヤバさは我が国の選挙でもしばしば妙な議員を選出し、不正は後を絶たない。国会の論戦も大したレヴェルとも思えない。そろそろ民主主義を鍛えなおすイノベーションが欲しい。いっそAIを使うとか。
 さて、上述の話はほぼ実話である。その結果により小森家ではよほど懲りたのか以後選挙に関わることはご法度と家訓に定めて今日でも申し送られている。穴熊家と小森家の確執は続くのであるが、後に鶴丸の次男である亀次が穴熊本家に婿養子として入り一応の手打ちが成立した。 
 最後に蛇足ながらエビデンスを。文中の小森鶴丸のモデルは筆者の曽祖父に当たる.但し筆者の祖母は小森家の八人兄弟の末っ子である六女のため、筆者はその資産の恩恵に預かったことはない。

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私のコレクション 今井俊満

2020 NOV 9 9:09:52 am by 西 牟呂雄

 どうです!このコレクション。アンフォルメルの大家、故今井俊満画伯の作品です。
 左の塗りたくった躍動する赤、右の流れるような青。
 残念ながら私は強度の赤緑色弱ですので、普通の方の見えている印象とは違うでしょう。子供の頃の御絵描きで太陽を黄色く塗り、赤いボールペンでノートを取っても赤で書いていると気が付かなかったくらいですから。それでもこの色彩が弾けるような感覚は分かります。
 左の絵は昔から家にあった物で、筆遣いが右の青のような線に変わる直前の作品です。左側のいわゆる肉太のシリーズは他に青と黒があり、そのうちの青はさる個人の所有で私は見せてもらったことがあります。黒は残念ながらどこにあるのか分かりません。どなたかご存知の方、ご連絡いただければ是非見たいと思いますのでご一報下さい。
 左の赤を眺めてはニヤニヤしていたある日、右の青がオークションに掛かっていることを知りがぜん血が騒ぎました。画風が変わった前後の色違いを二つ並べてみたい、という思いが抑えられなくなって入札する気になったのです。このオークションは一発入札方式ですからセリにはなりません。さあいくらの札を入れたものか。相場を鑑み、手持ちの金を考慮し、まだ見ぬ競争者の思惑を推測し、私の心は千々に乱れました。この心境に最も近いと思われるのは、麻雀のオーラスで一発逆転の役満をテンパった途端に親のリーチがかかり、次のツモが激ヤバの筋牌だった時でしょうか。
 結果、今さら後に引けるかの気迫で入れた金額が一番札でこうして並べることができました。めでたしめでたし。
 但し二枚横並びにしてみるとチョットいけない。二枚が互いをけなしあっているような、遠慮しているような。左右入れ替えてもそうでした。どうも片方を部屋の反対側に架けて向かい合わせにした方がいいようです、相互が睨みあっている感じが。しかし如何せん我家はマンション暮らしで反対側は窓。仕方なく絵に向かって『どうかケンカしないで仲良くしていてください』とお願いしました。
 ところで、そろそろネタバラシですが、今井画伯は昭和3年の生まれで我がオヤジと旧制高校の同級生なのです。赤の絵はその昔に(要するにまだ安かった頃)同期の仲間と買い付けた一枚でした。今井画伯は卒業後に第12回新制作派協会展で入賞しフランスに留学しますが、当時の仲間内では行方不明になったとされていて、絵の修行をしていたことは誰も知らず、帰国後に個展を開いた時点で初めて絵描きになったことを知ったそうです。同期会にゴリラの毛皮のコートで現れて仰天した、とも。
 落札したことをさぞ喜んでくれるかと思いきや、第一声は『お前アイツの絵にそんな大金を払ったのか』という怒声でした。ゲージツがわからん人には困ったものです。

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ザ・ウェイト 本歌取り

2020 NOV 1 7:07:42 am by 西 牟呂雄

 あの『イージー・ライダ』でデニス・ホッパーとピーター・フォンダがアリゾナの雄大な自然の中、改造バイクで走り抜けているシーンに流れる美しい曲の題名は『重荷』。演奏しているザ・バンドがホークスだった頃からのメンバーであるロビー・ロバートソンの作品である。
 このウェイトという題名を『重荷』としなければならないのは、この歌詞全体に聖書からの引用がちりばめられているからと言われていた。そしてこれは最近知ったのだが、その引用は「へブライ人への手紙12章1-2節」からだそうだ。
『凡ての重荷と纏へる罪とを除(の)け、忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり、信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。』
 この原文の Weight が重荷とされた。
 聖書の翻訳については明治以来それぞれの宗派のこともあって長い歴史があり、凝ったルールが存在する。the whine of locusts ときたらセミでもサバクトビバッタでもなく『蝗(いなご)』と訳さなければならない、とか(旧約聖書出エジプト記)。
 ともあれ、乾いたサウンドがバイク・シーンに良く合って有名になった。
 因みに作者のロビーは、カナダ人だが父親はユダヤ系のプロ・ギャンブラー、母親は先住民モホーク族で厳しい少年時代を過ごした天才ギタリストだ。モホーク族とは例のモヒカン刈りをしていたインディアンである。

 検索していたら何とグレイトフル・デッドのバージョンがあった。

 これを聞いていてフト思ったのだが、これはアメリカ人にとっての演歌なのではないか。
 それでは日本の演歌の歌詞にしたらどうだろう。八代亜紀だったらこんな感じかな。

 場末の酒場に フラリと入る
 哀れな女と  視線が刺さった
 どうして分かるのさ 捨てられたって
 これから 誰を たよればいいのさ
  
*もう戻れない   居場所もない
 行く当てもない
 愛が 愛が 愛が 砕け散った夜(散った夜)

 尽くしたつもりが 伝わってなくて
 甘えたつもりが  疎まれたなんて
 ついてく はずが 呼ばれずにいた
 何が あたしを  遠ざけたの
  

 酔って泣いても あの人は来ない
 メールもラインも 既読にならない
 そっと 呼んでも 返事は来ない

 なんだ、簡単じゃないか。この調子でやれば何番でもいけそうだる。やってみてわかったが、どうも演歌にハマる単語がある。
 例えば『涙』『別れ』『寂しい』『流れる』『北』『雪』『雨』『男』『道』『海』『風』といった言葉が入っているとできるのではないか。北島三郎でやってみると。

 別れ 涙を 振り捨てて
 北へ 北へと  流れて 来た
 行き場を 失った 風の街に
 男が わびしく たどり着く

* 雪の降る  暗い海
  当てのない
  道を 道を 道を求めて(求めて)

 ハマりすぎて怖い。1番で止めます。

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