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小倉記 盛夏慕情編

2013 AUG 10 9:09:58 am by 西 牟呂雄

 ドドン(ドドン)ドドン(ドドン)いつまでも書いていてはキリがない。練習解禁日から二週間、小倉の夜を騒がせた祗園太鼓がクライマックスを迎える。
 午前中に各町内を出発した山車に太鼓をくくりつけ、ガキ・アンチャン・ネエチャン・オバサン・オッサンがこれを引く。山車はそう大きくも無くコロコロ進むがいずれも同じ節を歌う。「小倉名物太鼓の祗園。八坂祗園さんに皆参れ。小倉祗園さんはお城の中よ。赤い屋根から太鼓が響く。」とズーッと続く。

 良く見ると太鼓の両面では打ち方が違っていて、片側は『ドドン、ドドン』なのだが、反対側は進行方向に向かって背を向け後退りに歩きながら『ッドッドッドドン』と裏打ちにリズムを刻む。歩きながら腰で調子を取り舞うように進む。だから動いている間はゆっくりとしたスピードで、休憩に止まるとダーッと早打ちに変る。その拍子をとる指揮者の役割は『ジャンガラ』と呼ばれる小さなシンバルで、『シャシャン、シャシャン』と節を付ける。これは何となく半島から大陸の音色がする。

 住んでいるマンションの前から出る山車にくっついて行った。しかしそこは流れ者の悲しさで、入れて貰って引くわけにもいかず、又、この年ではアブナイおじさんに見られる恐れもあり、道の反対からおとなしく見物するしかない。そのまま小倉城内の八坂神社を目指すのだ。

 時々大通りのあっちとこっちで別の町内の山車とニアミスするが、互いのリズムのことなんか知ったこっちゃないとばかりにガンガンやるもんだから単なる騒音になる。長い山車になると前の方のお囃子と太鼓の音がずれていることもある。

 しかし年季の入った大人組の打ち手は、体を左右に揺らすように鮮やかに調子をとるのが粋で実にかっこいい。中には〇〇保育園などという山車もあり、さすがに打ち手は先生がやっていたが例のお囃子の声がかわいい。

 流れに沿ってお城に向かっていくと各町内から山車が集まって来るのだが、それとは別に愛好会なのかサークルなのか、揃いの法被にナントカ会とか無法松組といったおどろおどろしい染め抜きを着込んだ一団もいた。町内を引き廻るのが純粋なお祗園さんなのに対し、山車を引かずに太鼓を固定して打つ言わばプロで確かにうまい。打ち手の入れ替わりなど相当稽古していて、一糸乱れずヒラリと舞う。暫く見とれていたがこりゃ見世物というか、観客の目を気にしすぎる。そういうのが祭りのプロだとすると、まぁ流行り物なら廃れるのも早かろうが。

 そうこうしているうちに日も傾き、大手町の通りにズラリと山車が並んだ。するとマイクを使ってナントカ委員長やら市長が挨拶をし、一斉に打ち出し、が始まった。もんの凄い音量である。更に山車まで大通りを回り出すでは無いか!もうドドン(ドドン)もへったくれもない。

 ところがこの喧噪の中で気がつかなくてもいいことに気づいてしまった。

 博多の祗園山笠は全国ネットだが、百万都市とはいえ小倉祗園は知名度はイマイチ。しかしそれでも観光客らしい見物人はいる。この大勢の人が居る中で、一人ではしゃいでいるのは僕だけなのだ。ニコニコ山車を引いている人、地面に座って眺めている観光客、汗まみれで太鼓を打つ人、夜店で焼きそばを買う人、家族や仲間と連れ立ってそれぞれ祭りに参加しているのに、一人でウロついているオッサンはいない。

 あまりの喧噪にフッと耳が遠ざかる。そんなときに聞こえるのが天の声と思っている。満ち潮のヒタヒタと同じだ。ところがこの時何をトチ狂って脳内変換されたのか、聞こえてきたのは「ヨソモノ」の一言。見上げれば紫紺の夕空。すっかり童心に返ってフテくされた僕は群衆に向かって小声でつぶやいた。

「流れ者かよ。オレは。」

 旅にもならない隣町の下関まで車で一跨ぎ。竜宮城のモニュメントのような赤間神宮にお参りした。安徳天皇と平家一門の終演の地で、今も天皇陛下山口行幸の折には御参りされるこれまた由緒正しき神宮ですぞ。

 でもってここで話が飛んで、最近仕事で平(たいら)さんという人と知り合った。その平さん、出身地を聞くとポツリと「××島です。」鹿児島と沖縄の間である。ずいぶん離島なので軽く受け流したが、酒の席で再度話題になると目をギンギンに光らせて語った。

「ウチは壇ノ浦から落ち延びた平ノナントカ盛の直系です。」

するとこの見た目ただの酔っ払いは臣籍降下する前はやんごとない親王殿下、現皇室の男系DNA、Y1Aを継ぐお方ではないか。落人伝説とか北陸にある時国家といった有名どころは聞いたことがあるが、目の前で本物が酒を飲んでいるとは!

「九州平家会というのがあります。」

 おっさんの説では源氏は一端勝つには勝ったが、幕府を開いた途端に内輪モメを始めて直系はいなくなり、すぐに平家の血を引く北条に乗っ取られ、現在では源の名前を名乗る者も希である、らしい。一人四国出身の源さんという人を知っているが、確かに何の関係も無いドン百姓だと言っていた。 そこへ行くと我が平家は各地に平家会が健在で云々と続き、要するに最終的には平家の勝ちだと言いたいらしい。さすがにそのあたりになるとおっさんの熱意について行けなかったが、今から考えるとその一族は数百年間戦い続けたつもりになっていたのかも知れない。

 話を戻して下関。赤間神宮の隣は春帆楼という料亭で、ここは日清戦争後の馬関条約を締結した場所。我国からは伊藤博文、陸奥宗光、清国からはかの科挙の試験トップ合格の秀才、李鴻章が対峙した。この李鴻章の一族はその後の革命期を通じて大変な目に会い、殺されたのも大勢いるらしい。実は我がふるさととも言うべき六本木のさるピアノ・バーにシオン・リーという弾き語りの女の子(但しレズ)がいて仲良しだったが、それが李鴻章の曾孫の娘だったのだ。

 又、話が飛んだ。流れ者がふるさとを想うのは情感溢れるが飲み屋の友達では・・・。

 夏の盛り、工場犬チビはいよいよ元気なく日陰で真横になってゼイゼイ言っている。

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