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平成28年 大阪オリンピック ナニワの狂い咲き 

2014 OCT 18 8:08:30 am by 西 牟呂雄

 ヒトラーは独自の思想とオカルティズムを統合させ、ドイツのみならずヨーロッパを巻き込んでいく。戦勝国のはずのフランスも恐慌の最中にあっては実に意気が上がらない。経済疲弊により従来の体制から革新したい思いはどの国も一緒で、バカバカしいことに一般世論にはファシズムを歓迎する向きも色濃い。イタリア・スペイン・オーストリア・ウクライナと燎原の火のように拡がった。
 このため、ヨーロッパ中でユダヤ系の迫害がひどくなる。ドイツもフランスも似たようなもので、財産没収など当たり前のように横行しだした。
 ヒトラーは対ソ連を意識してしきりに日本に秋波を送って来る。日英米の三国同盟に楔を打とうとするが、時の太政大連葛城衆太郎を筆頭に米内光正自帆倶総司令官といった有力者は相手にしなかった。ヒトラーは一般にも評判が悪く、理由はその著書に日本人を指して『あの黄色い猿』と表現していたことが翻訳者によって明らかにされていたからだ。
 この時期日本はブロック経済による縮小を脱するべく、不況ではあったが盛んに設備投資を行った。豊田重工業の名古屋地区の自動車、帝国機械工業の江戸エリアでの航空機といったものは、国防国策としてこの時期に大発展の基礎が作られた。 

 1939年9月、ヒトラーは突如ポーランドに攻め込んだ。電撃侵攻は世界をアッと言わせたが、これはドイツとソ連スターリンの領土的野心ミエミエのデキ・レースみたいなもので、ヒトラーはポーランドを分割した後に矛先を直にフランスに向けた。
 フランス軍は自慢のマジノ線が何の役にも立たずにあっという間に総崩れし、腰の引けていた英軍はダンケルクで殲滅されてしまう。あまりの仏軍のふがいなさに雪崩を打ってイタリア・スペイン・フランス(ビシー政権)で汎ヨーロッパ連合が出来上がる。チャーチルは地団駄踏んで怒り狂ったが後の祭りで、ペタン元帥と喧嘩別れして転がり込んできたド・ゴールを取り合えず亡命政権として反抗の機会を待った。もっともこの二人、心底お互いをバカにし合っていたようでウマが合わなかったが。
 これによって最も迷惑を蒙ったのは欧州に散らばっているユダヤ人であった。必死の脱出工作を展開し地続きのシベリア鉄道で脱出を図る。この時一身を顧みずにかたっぱしからヴィザを発行したのが『スギハラのリスト』で有名なリトアニアにいた杉原知畝である。事は一刻を争う。杉原は独断でスタンプを作る間もなく手書きのヴィザを発行しまくった。難民達は次々と脱出しシベリア経由で日本領アラスカまで移動しやっと腰を落ち着けた。アラスカでは元々人口が少ない所に持ってきて石油が採掘されだしていたために、多くは油田の周辺に定住する。その他、樺太から北海道に移民した者もいた。実は、以前フランク安田が組織したユダヤ人ネットワークがここで更に強化され、TOYOTOMI/アラスカはインテリジェンスの中心地となるのである。
 又、他に職がないのでアンカレッジの自帆倶で軍人になったグループも多い。

 しかし前回をしのぐ大戦争になるかと米英は大いに闘志を燃やしたが、意外に早く終結を迎える。
 こともあろうに、不可侵条約を結んでいたソ連にドイツが攻め込んでしまったのだ。バルバロッサ作戦である。緒戦の圧倒的勝利にヨーロッパ・ユニオンの気勢が上がり、一時はモスクワまで数キロまで攻め込んだが、兵士出身の叩き上げで名高いソ連軍参謀総長ジューコフ大将の指揮の元、冬場に持ち応えて反撃する。
 その時、あまりのヒトラーの気違い振りに嫌気がさしたドイツ国防軍内で、ロンメル元帥によりヒトラーが暗殺されクーデターが起こってしまう。

 戦争は終結した。
 独ソ戦時点で日本の葛城太政大連は『ヨーロッパの情勢不可解。』と政権を投げ出し、新たに米内内閣が発足し、この時点でアメリカとの緊張を嫌ってハワイの第六艦隊はアンカレッジの第七艦隊に吸収させる腹を固めた。アメリカがカメハメハ王朝を戦略的に取り込むのが時間の問題だったからだ。
 だが、世界には新たな試練のときが来る。調子に乗ったスターリンは矛先を本格的に清に向ける。張作霖はロシア支配を敏感に察知していたが、息子の張学良はソ連派に寝返ってしまい、太平天国で弾圧を受けた毛沢東・周恩来等、長城を越えて逃げて来た一派と手を握り中国共産党を名乗って本格的な革命を起こし、その名も中華人民共和国と大きく出た。清も又、時代の変化に飲み込まれ滅びたのだ。国境を接する朝鮮も金日成の反乱を抑えきれず、38度線で李氏朝鮮と分裂、金氏朝鮮を打ち立てた。全てコミンテルンが糸を引いていたのである。
 太平天国は袁世凱がクーデターで洪秀全を処刑したが、蒋介石・閻錫山といった軍閥が跋扈しており、戦乱に次ぐ戦乱の大混乱が続く。
 ただ太平天国はキリスト教を国教にしておりアメリカはそのせいかヤケに入れ込んでいた。アメリカ留学を果たしクリスチャンであった宋美齢を妻とした蒋介石は日本に相手にされないため大いにアメリカに擦り寄り、ライバルを蹴落として大統領を名乗ることに成功する。
 そして冷戦期になる。長城を境に対峙しつつ、中国と太平天国は小競り合いを繰り返した。よせばいいのに太平天国は何をトチ狂ったかベトナムにも攻め込み、結果無様に跳ね返されたが、10年にも及ぶ中越戦争をやる。
 
 往時茫々、70年が過ぎ去った。
 昭和は平穏に過ぎ大日本帝国は経済の一人勝ちの状態で、平成の御代に変わってもずっとそれが続いた。ソ連は太平洋進出を試みるも、太平洋は平和の海であり続けた。例によっての妥協の産物で、日米安全保障条約によりアンカレッジの新第七艦隊の共同運営・リース方式という常識破りの条約の結果、ソ連が潰れてロシアになってしまったからだ。この動きはフランク安田の後を継いだインテリジェンス・オフィサー佐藤優の手元に全て筒抜けで、日本が右往左往することは全く無かった。
 アラスカで原油は出る、樺太でガスが出る、移動原発(巨大原子力潜水艦発電システム)は充実、エネルギー大国ニッポンである。
 又、防衛大綱も洋上機動空母郡から静止衛星+海中機動体制に変わり、大日本帝国の宇宙ステーションはその名も『ヤマト』と言う。今では宇宙空間の原子力発電を地上に送電するシステムが実用化目前なのである。
 投機的経済運営を繰り返し、何度も株の暴落によってバブル体質を露呈したアメリカを尻目に一人日本は悠然と我が道を行く。おりしも経済破綻と治安の悪化でリオデジャネイロのオリンピックが不可能になったブラジルに代わり、IOCは困ったときの日本頼みとばかりに開催を懇願してきた。平成の太政大連、安部晋三は軽く微笑んでこう応えた。
「よろし。かましまへん。」
だが、その直後の閣議ではこうつぶやいたらしい。『ほな、あんじょうかせいでや。』
 

 標準語(大阪語)は英語との親和性も良いため、アメリカ人は苦も無くこなす。
「もうかりまっか?」「ボチボチでんな。」『How are you?』『Not so fine.』
「かんにんしとくなはれ。」『Yes, but』
「あきまへん!」『Too bad!』
と言ったように訳され、自動変換もできる。
 豊臣家25代当主豊臣秀道は、首都大阪の大阪城の天守閣にある垂れ幕を下げた。大日本同胞(はらから)教本部の立ち上げである。祝詞には以下の言葉が並んでいた。今やTOYOTOMIは世界的な慈善財団としてビッグ・ネームであり、毎年ノーベル平和賞の候補となっている。ただ現当主は少しアブナイという噂があるため、次の代に見送られるらしい。

『みなは しこたま かせぐがよい
 ためて つかって くるうがよい
 おんとよとみの するごとく
 
 ひのもと ますます さかえるぞい
 へいわは いやさか つづくわい
 おんとよとみの するごとく』

歌い狂う豊臣秀道の手には、黄金の千成瓢箪が輝いていた。

おしまい 

P.S 皆さん戦争はやらない方がいいですね。書いて見たらやってもやらなくても結果は大して変わらなかった。

もしも江戸時代が続いていたら

宝暦元年 難波(なにわ)の花

万延元年 浪花(なにわ)の華

明治末年 浪速(なにわ)のハナ

昭和元年 ナニワの花盛り


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Categories:浪速のハナ

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