小倉記 初夏孤影編
2013 AUG 5 10:10:43 am by 西 牟呂雄

川が流れる。当たり前だ。しかし我が工場前の川は海から流れてくるのだ。この辺は曽根干潟といってカブト蟹の繁殖で有名な場所。おそらくは無粋な都市計画にのっとって広々とした河口に堤防を築き、下水処理場を造り、工業団地を造成し、自由気ままに蛇行していた川を閉じ込めたに違いない。ところが干潟から数キロ離れたこのあたりでも海抜がほとんどないことから、引き潮の時には水流は五分の一くらいに細って、浅くチョロチョロとした程度になる。半時ほどジッと見ていると、じわぁっと水が増えてくるようにさざ波が立ってヒタヒタと流れがさかのぼるのがわかる。川が逆流するのだ。この『ヒタヒタ』という表現は実にその通りで、見つめているとどこからか『ポッ』とか『コッ』とかいう音がする。ああいうのを天の声と言うのか、遠くを通る車の音は聞こえているのだから気のせいじゃない。僕は堤防の上からだが、その昔は人が干潟にズブズブ入り網でも投げたりしていたはずで(今でも天然鰻の仕掛けがある)、そのときはきっと「ヒ」「タ」「ヒ」「タ」と聞こえていたことだろう。日本語は豊だ。
十分に潮が満ちると川は堤防から堤防まで拡がり、ボラが跳ねたりする。そして濁る。多分満ちて来るときは海水のほうが重いから川底の砂を掻き上げるように逆流するからではないか。堤防もナニも無いころは一面の湿地で水田耕作もできずに人も住んでいなかったろう。
日本初で多分最後の工場犬チビはますます元気がない。少しは馴れたのかだいぶ近寄っても逃げたりはしなくなった。話しかけたりして繁々と顔を見ると物凄い年寄りなのが分った。遠目には犬にしては珍しい二重瞼のつぶらな目だと思っていたが、実は瞼の上の毛が抜けているだけだった。もう体も硬くて普通の犬がよくやる後ろ足で耳の裏や頭を掻く仕草はできず、顔を地面にこすりつけたりしている。その恰好がまた無様で、奴の苦しかった半生が偲ばれる。古い掃除のオバチャンの説では十八才くらいではないか、と驚くべき証言をした。メスだからバーサマという訳だ。世界記録じゃないだろうか。ディーゼルの排気ガスが行き交うトラックから吐き出され、特に栄養のいいエサでもなくこの長寿。更に自動工作機械が一日中動き、一舐めすればイチコロのメッキ液、高温の熱処理炉が稼働する工場の中には入ってこないところなぞわきまえたものである。どうやって学習したのだろう。
今日は朝から雨が降っている。この時期のやわらかい雨はやさしい。道端の紫陽花が涼しげで、心なしか晴れた日より鮮やかに見える。こんな日の工場前の川の満潮時はうねりが入ってきて海の延長といった趣だ。
雲も低く低く垂れ込めて霧も出る。冬場の二色刷りの空は厳しいが、今は何やらうら寂しい色合いなのだが、孤独な暮らしには良く似合っている。
小倉はこれから梅雨に入る。
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Categories:小倉記

花崎 洋 / 花崎 朋子
8/7/2013 | Permalink
花崎洋です。目の前に情景がありありと浮かんで来ます。工場でありながら、季節感が大いに漂う自然描写やチビの振る舞い等、西室さんの文章表現力に大いに感銘を受けます。