Sonar Members Club No.36

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相模湾航海

2013 NOV 4 16:16:57 pm by 西 牟呂雄

ホーム・ポートの油壺から真鶴までは、江ノ島を右に見ながら北西の290度あたりを狙って一直線で行ける。風にも因るのだが4時間というところか。この日はひどい西風が吹いていてセーリングには難儀した。おまけに台風によるうねりが残っていてずいぶん船が叩かれた。こんな荒れた時に出なくともよかったのだが、やらなきゃならない時もある。真鶴から乗り込んで、明日回航するクルーがいるのだ。相模湾は伊豆や離島とは違って返しの三角波は立たないのだが今日は風波の相性が悪い。うねりに乗り上げてドーンと落ちると甲板をザーッと海水が走り、キャビンにドドッと海水が流れ込む。気味は悪いがセーリングはこうでなくちゃ(たまには、だが)。揺れがひどいのでグラスなんか持てない。恒例の出港祝いの乾杯も焼酎のラッパ飲みだ(バーボンの人もいたが)。波・風と戦うこと3時間くらいで真鶴半島がうっすらと見えてくる。これを良く熱海沖の初島と間違えることがあって近づいて慌てることがある。実はヨット乗りとしてはそういう間違いは物凄く恥ずかしいことなのだが、僕たちは以前何回も似たようなチョンボをしでかした。伊豆の大島から帰ってくる時に、スキッパーが『ああ、見えた見えた。あそこが三浦半島だ。』と言い張って、着いてみたら房総半島の館山だったことがある。都内に帰れなくて困ったし、関係無い漁港に係留していると、漁師は遊びのヨットが大嫌いだから何をされるか分らない。もう1レグ航海するか、じゃんけんで負けたやつを残して帰るかで大モメにもめた。結局翌日に帰港することにして全員仕事をサボったのだが。

真鶴は港の入り口にヨット・クラブがあってそこに入るのだが、そのハーバーの港湾管理者は若干知的障害があるSさんで、僕たちはしょっちゅう怒られていた。何しろ職務に忠実で『ちゃんとアンカーを打たなきゃだめじゃないですか。』とか叱られる。それが面倒なので、湾の反対側に仮停泊し、夜中に夜陰にまぎれてこっそり横付けしようと考えた。まだ日が高いので夜まで時間を潰すために麻雀の場が立った。わざわざヨットでやってきて麻雀に興じている僕たちを、釣り人や観光客が「バカじゃないの?」という顔で見ている。

そう言えば昔、まだ三浦岬に遊覧船があった頃、遊覧船が油壺の先から城ヶ島を一周して三浦まで回航していた。あまり大きな船でもなく、人も大して乗っていなかったが、時々すれ違うとやっぱり手を振ったりしてくれたりしてくれる。ある時雨が降っていて、三崎港の中を通る時には波もないから全員ビニ傘をさしていた。その時遊覧船とすれ違ったのだが、乗客には僕たちが余程みすぼらしく見えたようだ。いつものように手を振っても誰も応えてくれない。あれは僕達がボート・ピープルかなんかに見えていたのだろう。中にはお子さんもいたので「ちゃんと勉強しないとああなっちゃうんだからね。」と説教していたのかも知れない。

それで真鶴では同じような嘲笑の視線を浴びつつ麻雀に興じていたら、突如「こんな所にいたらダメでしょっ!」と声がかかった。何と職務に忠実なSさんが反対側から目敏く僕たちを見つけて、わざわざ歩いて怒りに来たのだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と謝ってハーバーに寄せたが、結局岸壁に横付けしてアンカーは打たなかった。

真鶴の港の近くに本当かどうか知らないが源頼朝が隠れ潜んだという洞窟がある。この人は弟と違って実戦は大したことなくて、挙兵した後にしょっちゅう負けている。挙句の果てに僕たちのやるように三浦から房総半島に逃げ延びてしまった。どうも幕府を開くような政治には手腕を発揮するのだが、個別戦闘では無能だったため、イマイチ国民的人気が出ない。伊豆にはアチコチにこじつけとしか思えないような頼朝関連の史跡があるが大して流行らない。

ところで、その後僕たちは上陸して近くの旅館でお風呂に入った後、結局勝負がつかなかった麻雀をズーっと打ち続けたのだった。一体何しに行ったのか。結果?聞いてくれるな。

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Categories:ヨット

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