Sonar Members Club No.36

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インド高原までやってきた Ⅱ

2014 MAR 31 21:21:45 pm by 西 牟呂雄

 ホテル前の広場に住み着いている犬の親子は、朝7時にエサを求めてか棲家から出て来たが、本日はもう一匹、あれは父親なのか加わって運動会をしていた。僕が食事をして部屋に戻ると6匹になっていて、何かを咥えて走る奴を追いかけるというルールらしい。

 そしてついにドイツ人が来たと連絡が入った。本当に0泊3日でドイツからやって来た。確か僕より2歳くらい下のはずだが、驚くべきエネルギーである。チェックアウトをしていると、隣で白人が「日本人か?」と聞いてきた。そうだ、と答えるとロビーに腰掛けてやたらとインドの悪口を言い出した。一ヶ月いるがこの国は時間は守らない、直ぐに値引きの話ばかりする、責任感の無い奴ばかりだ、と余程の目に会った様子だ。もう一人来て挨拶して分かったがフランス人だ。
 別れ際に「オヴァー(ル)、ボン・ボヤージュ。」と言ってやると、久しぶりに聞いたフランス語がうれしかったのか、満面の笑みで、日本語では何と言うか聞いてきたので「サヨナラ、ヨイタビヲ。」と教えた。インドにきてドイツ人に会う日にフランス人と会話する、グローバル化とはこういうことなのか。
 やれやれと待ち合わせ場所に向かうが、渋滞・渋滞・ヒト・ヒト・ヒト、牛・牛・犬・山羊まで、そして砂塵舞い上がる乾いた大地。この暑い中に目出しのブラック・チャドルを纏うムスリム、全く溶け込んでいてそれなりに平和ではある。どれぐらい乾いているかというと、着いた途端に裏手の塀の向こうのユーカリの木が燃え出した。煙が黒っぽく、自然発火の火事のようだ。従業員も慌ててはいなくて、ヘラヘラとバケツに水を汲んで歩いて行く。しばらくそこにいたが、どうも日常茶万事のようだった。
 ドイツ人は××mannというユダヤ系の名前だが、風貌は全くゲルマン化していてハゲている。初めから喋りっぱなしに喋るので、途中で切らないとこちらが意見を伝えることもできない。現地のインド人(こちらのパートナーのインド人とは別)は一言も喋らない。”フィロソフィー”という単語を会話にしきりに入れるのはジャーマンの面目躍如か。
 このインド人は工学系の大学院を出たインテリで、いくつもの会社を経営している金持ちであるが、典型的な二代目でオヤジが一発当てて成り上がった一家のようだ。もっともここインドでは圧倒的に貧困層が多く、チョっとでも当てるといきなり庶民・大衆から隔絶したステータスにあがってしまう。資本主義発達の過程ではありがちなことだ。付け加えると最大の民主主義国家で目下総選挙の直前である。それが又発展途上っぽくてメチャクチャな買収合戦の真っ最中。実弾はおろか着る物・食べ物・バイク・車・までが飛び交っているそうだ。そういった部分をいささか差し引かなければならないが、ここだけの話、かの二代目氏、どうも胡散臭い。
 それはともかくこの時点で僕の最大の問題は、本日のフライトがキャンセル待ちのままだったことだ。本当のところ一人旅なら何とでもなるのだが、日本の営業時間ギリギリにメールが入って目出度し目出度し。こんなもんだ、度胸を据えなきゃアジアじゃ勤まらない。
 話し合いは持ち越しも含めて、次のステップまで継続、食事の席に移動した。この時、インド人のエゲツなさが明らかになる。即ち日本に来たときにギンザに行った、と盛んに強調するのだが、よく聞くと大した所には案内せずにキャバクラに連れて行ってそこを銀座と吹き込んだらしい。色んな国のガールズがベタベタしてくれたと自慢していたが、その嬉しそうな顔は品格のカケラもなかった。
 そして別れ際に驚くべき事を言った「この前、あなたにそっくりなブラジル人が来て、あなたと同じような話をして帰った。」僕は引きつった。「それはケネス・ニシームか。」「オウ、知っているのか。」分からない方は拙ブログ『春夏秋冬不思議譚ー月曜日の夜 ーもう一人いた』をご参照ください。もちろんバックレたが。

インド人とドイツ人

インド高原までやってきた

インド高原 協奏曲 Ⅳ


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Categories:インド

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