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黄金の茶室(見果てぬ夢) 

2014 MAY 17 23:23:19 pm by 西室 建

 いつも戦場では走り回っていた。将になってからも走り続け、馬に乗り駈けずり回ってきた。中国大返しの時は高松城包囲からたったの一昼夜で姫路まで駆けに駆けた。山崎の合戦まで十日もかからずに光秀との決戦に臨んだ。
 賤ヶ岳の時も、大垣から琵琶湖湖北まで軍勢を率いて五時間程で戦場に現れ、宿老柴田勝家を撃破。将も兵も走りに走って来たのだ。

 清洲会議を上手く立ち回って信長後継に先んじた。元々謀略、気配りで生き抜いてきた上に、初めは最下層の底辺でのた打ち回ってきたのだ。武辺の輩など何ほどのものか。この時点では最大のライバル家康が大きく出遅れていたのも幸いした。小牧・長久手で肝を冷やしたものの、ナンバー2の座を安泰と吹き込みおとなしくさせた。島津攻めも寸止めで十分、小田原は二十四万人で囲い攻めし三月で事足りた。おかげで家康を関東に追っ払うこともできたのだ。

 何をすればいいと言うのか。猿呼ばわりはされたものの、常に高見からものを言う信長はいない。戦ばかりしていた後には、もうすることが無くなってしまったのだ。折から直轄金山・銀山からとてつもない採掘量が上がった。何もしなくても湯水の如く金銀が手に入る。
 時期は多少遡るが天正十五年、天下の形成を手中にした後のにお気に入りの公家・大名に金賦りをやる。三方に金銀を山盛りにし、くれ与えて遊んだ。あから様に媚び諂い、あわよくばもう少しと囃す者にはその倍も与える余興も見せた。市中の人気はうなぎ登りに上がり、秀吉は黄金にただ酔いしれた。
 無論、女にも溺れた。人の女房だろうがお構いなしである。正妻おねは苦言を呈するも、ものの数ではない。とりわけ、想い人お市の方に生き写しの、お茶々を篭絡した時の有頂天はいかばかりか。しかも懐妊までする。喜び狂って天正十七年にまた金賦りをやった。
 
 大阪城内に黄金の茶室を造ってみた。座り心地から何から全く違う。金は触れれば女人の肌のようにやわらかいのである。まるで母親の胎内にいるような落ち着きを感じる。自分はここまでやって来たのだ、と柄にもなく息を吐いてふと思った。信長に見せられた黄金の髑髏の衝撃。上様は何故あのように狂えたのか。自分も石川五右衛門を釜茹でにしてみたが、ああまで狂えない。唯溺れるのみ。それでいて、黄金の茶室でふと口に出るのは、「死にたくない。」「この世にしがみつきたい。」という卑俗なことばかりなのだ。これから何をすればいいのか。

 信長から聞かされた日の本の海の向こうの世界。南蛮へのあこがれは全く持ち合わせない。バテレン追放令を出したくらいであり、しまいには処刑までした。しかし一方で朱印船貿易で儲けてもいる。倭寇は散々暴れて情報は入る。天下取りの後に、それならとばかりに、何の戦略もないままに『唐入り』まで始めた。それがいきなり大明国の征服にまで肥大した。戦勝続きで野郎自大が進んでしまい、諌める者もない。利休は石田三成の讒言により切腹させられ、その時点では讒言を見抜くこともできなくなっていたのだ。

 半島上陸後個別の戦闘では常に勝利、当たり前である。朝鮮山城に逃げ込んで籠もってしまうのだ。しかし秀吉の元には大げさな大勝利の報告しか上がらない。すでに老衰の著しい兆候が出ており、状況分析などはできなくなってしまった。この時点では、頭の中は幼い秀頼のことばかり、時として海を越えての戦争中であることも忘れる。そして・・。
「死にたくない。」「この世にしがみつきたい。」
 ついに明の大部隊が満州より南下し、碧蹄館において同時代では世界最大の陸上決戦が行われた。日本が、名将李如松率いる十万人の軍勢を撃滅しているその時にも、この言葉を唱えていたのだった。

黄金の首 (紅蓮の炎)  

黄金の分銅(燎原の果て)

犬山城見聞記

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