えらいこっちゃ Ⅲ
2014 JUL 17 22:22:52 pm by 西 牟呂雄
先日都内某駅にて、人身事故を真近で見てしまった。音など聞こえず、急停車のブレーキ音とアラームのサイレンでそれと知れた。私から10mも離れていない所での出来事である。飛び込みかどうかは分からない。思わず助けなければと反射的に思い、そしてそれは無駄だと直ぐに分かった。激しく動く影が見えたのだ。詳述は控える。
仮に何かの事故だとすれば、それは私と紙一重の所で起こった。そう気が付いて少し手が震えた。先日行ったインドでもあの交通事情から考えてヤバい瞬間はそれこそいくらでもあっただろうし、さすがに暫く避けているが行方不明になったマレーシア航空には何度も乗った。最後まで喫煙席があった数少ないエアだったからだ(他にはエール・フランス、アリタリア)。ベトナムでは乗ったバスがバイクをやってしまう寸前だった。
むしろ、私達は等しくそういった危険に取り囲まれて暮らしていると言える。
大好きなフット・ボール映画の『Any Given Sunday』でアル・パチーノがチームに激を飛ばすシーン。フット・ボールは目の前の1インチの争いだ。ほんの半秒遅くとも早くてもパスはキャッチできない。マージン・フォア・エラーは周りのいつ、とこにでもある。その1インチのために全てをかける、それがフット・ボールだ・・・・(別に野球でもいい)。
確かにマージン・フォア・アクシデントはそこら中に転がっているに違いない(私の場合特に泥酔時等)。そしてその日は偶然にある人が巻きこまれ、私は辛くも無事だった。1インチではなく数mだが。
今年は春先に母を送り、その後家人の従兄弟が亡くなっている。インドにいる時に今度は家人が母と同じ所を骨折し、その時点で息子はロンドンに出かけていて、地球中に家族がバラバラになっていた。帰国してドタバタしている最中に、新人の時の直属上司の訃報が入って通夜・葬儀に行った。年なのか集中的にそんなことが起きていると、悲しみの密度は下がらないが、葬式ズレするというかセレモニーに慣らされてしまい『死』の恐怖が薄れていく。本日は20年も会っていない遠縁の訃報まで届いた。
上手く文章にできないが、臆病に生きていてもしょうがないという感覚が湧いてくる。どう考えても今までよりこれからの方が時間が少ない。念の為、犯罪に走ると言う訳では決してないが。
もう一つ、これも表現が難しいのだが、匿名への希望が強くなった。尤もSMCは本名・顔写真原則なので、ブログを書いている限りはできない相談だが、死ぬ時くらいは誰にも知られずに葬式の心配もせずにひっそりと逝きたい、とでも言おうか。何しろ少なからず人の恨みも買っていることだろうし。
しかし私の順番はあすでも明後日でもなさそうであり、当面ボチボチとやって行くのであるが、その結果がどうなるのか。
最近作家の中村うさぎさんが臨死体験をして『一切書くことが無くなった』旨の文章を発表されていたが、どうもそういうものらしい。
以前には私も記憶喪失のフリをしている内に本当にボケてしまったらどんなにいいか、既に相当の税金も払ったことだし(特に酒タバコで人の10倍は払っているはず)どこかの介護施設に保護されて、何も分からなくなってしまう権利があるような気が・・・・、しかしそれも迷惑か。
まッしばらくトコトコ歩かざるを得ないか、1日1日積み重
ねて。少し元気になってきたし。
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Categories:えらいこっちゃ
東 賢太郎
7/21/2014 | Permalink
還暦なんだしもうなにも急ぐこともないさ。仕事も遊びもあるがままをよしとして小生も暮らしている。これから楽しくやろう。でも人の名前が本当に出てこなくなったね。