出雲への誘惑 Ⅲ 左白 ーさじろー
2014 JUL 21 17:17:03 pm by 西 牟呂雄
この毛筆の手紙は、ある奥出雲のご高齢(93歳)の方から立派な直筆のお手紙をいただき、それがまさにその逆探知の手掛かりになるような内容であり、関係各所のご了解を頂き、現在のテーマである 出雲 の特集の一環として内容を紹介するお許しを得ました。
話は、昔は寂しかった左白(さじろ、以下全て)に幹線道路が出来てそこを通った際、今は無き息子さん(気の毒にこの方は故人)の同級生の墓所を発見するところから始まります。
ところで、出雲神話のもっとも古い部分は素戔嗚尊(以下スサノオ)の八岐大蛇退治ですが、オロチに娘を食われ続けていたのが誰かご存知ですか。ちゃんと名前があって足名椎命・手名椎命(以下アシナヅチ・テナヅチ)です。即ち先住の民というかオリジナル出雲人のはずです。
手紙によると、その方は生前息子さんに『ウチはアシナヅチ・テナヅチの子孫だ。』と語っておられたそうです。私はこういった口伝・伝承の類が大好きで、且つある程度歴史を正しく伝えているものと考えています。
何しろ記紀の記述にしてもはるか後の八世紀前半の成立であり、それ以前の文字による記述はありません(消失したものはあったとされているが)。しかも政治的にはいくつかの権力の変遷が起こっていたため、中国ほどではないにせよ葬りさられてしまった勢力はあっただろうと推測できます。何らかの憚りがあるので、口伝として子孫に伝わった話に真実が隠されてはいないでしょうか。
伝説を伝える一族の名前が記されていました。今でも島根県にある苗字です。幹線道路が通る前は訪ねる人もないひっそりとした小山に、百基ほどもあろうかという程の墓碑が何列もならんでいたそうです。その本家は代々たたらを家業として長く栄えたとあります。左白を中心に斐伊川沿いにたたら製鉄遺跡が点在しており、古代より盛んだったことがわかります。そして斐伊川は典型的な天井川で、たびたび氾濫を起こしていました。この川の氾濫やたたら製鉄の際の鋼滓の湯道といったものが八岐大蛇(以下オロチ)伝説の元と考察されています。その怪物が土地の娘を食ってしまう、そこへスサノオが高天原から降りてきて、見るに見兼ねてオロチを退治する神話は良く知られたところです。
調べてみると、その川沿いに多くの神社があり、古い伝承が残されていることが分かります。記述された一族が篤く祭ったのが伊賀武神社だということは、地元でも知る人は少ないようです。
さて、オリジナル出雲人の系譜が現存するならば、果たしてオロチとは何でしょうか。他所からの侵略者に違いありません。スサノオが助けに来たのは天孫系の記紀によるので、これは後述しますがいかにもいいとこどりっぽい。ヒネクレ者のせいかもうちょっと別の解釈がしたいですね。
お手紙には『オロチはオロチョンではないか。』という驚くべき地元の伝承も書かれていました。オロチョン・オロッコは北海道にも来ており、尚且つそのピュア・グループが昭和30年代まで釧路に残っておられたと記憶します。私は環日本海文化交流論者ですので、南下してきた一派がいたのではないか、と想像するとやたらと興奮するのですが。語呂もいい。
出雲先住組(アシナヅチ・テナヅチ)← オロチョン・グループ(オロチ) ← 天孫系(スサノオ) という勢力の交代といった仮説は如何なものでしょうか。以前のブログでは逆に西から追っ払われた流れを考えて、物部・平家の北上を検証しましたが、これはその逆、侵略者南下仮説ですね。
そしてここがこだわり所ですが、オロチVS先住出雲人といった抗争は確かにありスサノオという強者が活躍したのでしょうが、記紀成立の際に天孫族の英雄譚としてパクられたのでは、とまで仮説を飛躍させてみました。
と言うのも、その子孫の大国主命は国を譲ってしまうからです。大国主命についてはこのお手紙とは別の話ですので次にしましょう。
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Categories:出雲
中島 龍之
7/23/2014 | Permalink
オロチ→オロチョンと聞いて、「オロチョンの火祭り」という曲名を思い出しました。北海道のアイヌに関連した歌だったかな。出雲と北海道がつながるのでしょうか。東さんのブログもあり、出雲の歴史に興味もちましたが、たたら製鉄、日本の鋼の起源がここにあり、伊勢神宮と並ぶ出雲大社がここにあるのは日本の歴史の初めを思わせます。面白い。
東 賢太郎
7/23/2014 | Permalink
この手紙は93歳のお手になるものとは信じられない、文章も内容も筆跡もきわめて立派なものであります。西室と相談の結果、SMCを通じて世界にご紹介すべきものと判断し筆者のご許可を頂戴してから公開させていただいています。歴史の伝承とはこういう風におこなわれてきたと思いますし、インターネット時代では世界に発信され、書籍のように絶版になることもありません。永く広くお読みいただけることを期待しております。