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藤の人々 (終戦編)

2014 SEP 14 12:12:45 pm by 西牟呂 憲

 ある日聡子は父親から呼ばれた。
「空襲も酷くなってきた。お母さんと弟を連れて疎開せい。」
「お父様はどうなさるんですか。」
「ワシが東京を離れる訳にはいくまい。陛下も皇居に居られる。」
「何処に行くのでしょうか。」
「なまじ東京に近いと里心がつく。新潟の造り酒屋に行く所を手配した。ところでお母様は妊娠中だ。」
「まぁ!」
母親はこれまたどうしようもないお嬢様育ちで、聡子とは逆に実務能力は皆無であった。
「すまんことだがお母様はあの調子だ。頼りになるのはお前しかいない。ここはひとつ頼む。」
「わかりました。」
実は聡子の実母は早くに死別していて現在の母親とは血のつながりはない。慌しく身の回りの物を取りまとめ引越しさながらに疎開先に向かった。無論敗戦などは考えもしない。

 江田島の兵学校で腕章を巻いた週番生徒が叫び声を上げた。広島の方で物凄い光が走ったのだ。続いて轟音、猛烈なきのこ雲が目視された。兵学校は騒然としたが、陽は敗戦まではまだだ、これから一戦と思っていた。
 しかし、15日には終戦の詔がはっきり聞こえた後、兵学校は粛々と解散を決める。生徒は各々郷里へ帰っていった。省線のダイヤは正常だったのである。広島を通過しているが放射能の危険性は喧伝されておらず、駅舎の水道水も平気で飲んだ。

 貴が普請道楽で心血を注いだ隠居のための喜寿庵は、戦時統制の様々な制約を受けてしまい、本来の広さを確保できずに一応の完成を見ていた。ここで終戦の詔を聞いたことになる。既に企業統制に戦時協力して家業を継続する気がなかった貴は玉音放送を聞いた後、女学校に通う長女の知(とも)、小学生の行(いくえ)と泰(やすし)に言った。
「日本は戦争に負けたようだ。」
 貴は庭に面した部分に大きく藤棚をせり出させて、家紋でもある藤の花を楽しんだのだが、この日に鞘が一房ポトリと落ちた。
 丹精込めた庭を眺めながらつぶやいた。
「これからは、もはや余生だな。」
一口、お茶を啜った。46才であった。
 幸い、神田の店は焼けなかった。下町は文字通り焼け野原になったが、当時は銀座エリアには多くの川があり、火は山手線の内側まで拡がらなかったのだ。
 
 9月になって、江田島から陽が帰ってきた。多少の遅れはあったが、電車は概ね正常に運行されていたという。
「おお、無事だったか。」
「ただいま帰りました。無念ながら兵学校は解散となりました。」
「広島はどうなった。」
「駅は爆心から離れていましたので列車は運行されましたが、焼けただれた市街地は見えました。」
「やはり新型爆弾だったのか。」
「長崎もそうです。針生分校の連中が同じようにキノコ雲を見たようです。」
「ウム。これからどうする。」
「2号生徒なので、卒業資格がありません。募集のある高校を受験しないと。」
「ああ、それならM高にでも行け。ワシはチョッと神田の店を見に行ってくる。幸い静さんの姉さん達の嫁ぎ先から米だけは何ぼでも手に入るから。」
 ともあれ無事を喜び、一家は記念撮影をした。深刻な状況はまだまだこれからだったのだ。
「何もかもこれからやり直しか。」
陽は妹弟達に目をやって呟いた。しかしこの家系は不思議としたたかで、弟達はニコニコしながら『まだ、僕達は負けてない。』と言い張った。一族郎党に戦死者が出なかったせいかも知れない。

 同じく聡子の実家も焼失を逃れていた。敗戦とともに帰京を促す手紙が来る。しかし、乳飲み子の末っ子が生まれていたのだ。母親は赤ん坊の世話で手一杯で、なおかつ例によって実務能力はなくオロオロするばかりだ。ジリジリしながら生まれたばかりの弟の首が座るのを待った。
 ようやく目処がついて年末には帰京した。未だ復員の大混乱のちょっと前だったが、頼りにならない母親を連れて幼い上の弟の手を引き、汽車の座席にはマナジリを決して乗り込んだ。
 帰ってみると父親は戦後処理でこれまた手一杯で家族を構う余裕はない。通っていた女学校は戦災で焼け、移転して仮校舎の有様。大人達は建国以来の敗戦・占領に一様に我を失い、食うに困る有様だった。
 ところが、占領は思ったほど暴力的ではなくGHQは暫くは融和的な姿勢にさえ見えた。実際は巧妙な統制が施されていたのだが・・・。
 しかし、聡子の実家は経済的には苦しくはなった。もっとも日本中が贅沢のゼの字もなくなっていたのだ。海軍兵学校一号生徒だった兄も帰ってきて旧制高校に編入したが、一家の稼ぎは無くなった上に父親は公職追放となる。しかしまだ若かっただけに切り替えも早い。元々外国文学が好きだったこともあって、英語への抵抗はあまりない。聡子は更に闘志を燃やす。
 しかし世間はそれどころではなかったのだ。まずはインフレ、そこへ持ってきて新円切り替えで資産の殆どを失いとどめを刺された。闘志は別の形で発揮された。
 先祖伝来の鎧兜、名刀『備前長船』を売り払い家計をやり繰りする、17歳の娘がである。この備前長船兼光は数代おり、いずれも室町・南北朝時代の大業物のうち天文年間の兼光モノだった。同時代の兼光モノで現在重要文化財になっている物が現存している。一振りで一家は三年食えた。

 大幅に売り食いしたのは藤家も同じだが、貴が最後に建てた喜寿庵のみ残った。そしてたわわに下がる藤棚の花の下で、陽と聡子は長男穣(ゆたか)を抱いていた。敗戦から数年が過ぎていた。
「しかしオヤジがこの喜寿庵を売りとばしてヨーロッパに行く、と言い出した時は慌てたな。」
「お父様そんな事仰ってたの。」
「ああ。オレとお袋で必死に止めさせたんだ。」 
 二人は結婚したのだ。ただ、スタートは前途多難だった。両家共々落ちぶれかけていたのだが、結婚の段取りの流儀が違いボタンが掛け違った。双方体面を重んずるあまり当主は前面に出ず、叔父に当たる者同士が話し合い大喧嘩となってしまったからで、きっかけはどちらも『そっちから来い。』と譲らなかったというつまらない理由のようだった。結局結婚式はあげられなかった。しかし我儘一杯の貴も昨年父親と同じ脳溢血で他界、その後の整理がやっとついたので実家への出入りは自由となった。
 風が吹いて藤の房が揺れる。この花が大好きなクマンバチが飛んでいる。穣が幼い声を上げる。
「ハチ、ブンブン。」
 世相は慌しく、サンフランシスコ条約は成って占領軍は帰ったものの、吉田総理の政権は安定しているとは言い難い。陽の学生時代もそうだったが、左派勢力は社会の一角に根付いた。米ソの対立が言われ、先は読みづらい。誰もが不安を抱えながら生活に追われた。
 フト穣のあどけない表情をみて二人は同時に同じ事を考えた。『この子の代までこの藤の色は同じだろうか。』と。
 
おしまい

 ちなみに、この家系は一代おきに真面目と遊び人がかわるがわる出るが、2014年時点でもその循環を繰り返している、穣(ゆずる)から剛(つよし)へと。

藤の人々 (戦前編)

藤の人々 (昭和編)


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Categories:藤の人

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