Sonar Members Club No.36

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ボブ・ディラン&ザ・バンド

2014 DEC 5 22:22:21 pm by 西牟呂 憲

 CSの番組の長編ドキュメンタリーを見ていたら知らなかったことがたくさんあった。
 1960年代の後半からホークスはディランと契約をしていて給料を貰っていたのだが、ディランにライヴをする気配はなく隠遁状態に近かった。
 ウッド・ストック郊外の通称『ビッグ・ピンク(本当に外側がピンクの家)』に住み着いて曲を作り地下室で練習し、録音した。
 この時期アメリカは戦争をやりっぱなしにやっていた。巷にはヒッピーがウジャウジャいて、映像を見る限りではカラフルを通り越してサイケデリックまで行く。当時はみんな大真面目で、一見ユニフォームに見えなくも無いくらい似たようなファッションだったが、ディランはそれらのムーヴメントとは距離を置くような動きをしていたらしい。無論戦争反対の立場ではあるが。
 頭にきたとかふざけるなとかいった感情は激しいことを言った者勝ちみたいなところがあって、そういった表現を集団で発言するようになると内部は必ず分裂して何も残らない。ディランはそういう風潮を嫌ったのではないかと思う。
 クリスチャンに改宗したのもこの頃だと初めて知った。歌詞に聖書の引用までしていたそうだ。信仰の変化というものは一般日本人のとって容易に理解できない。一言で言えば世間に背を向けているようだった。
 ディランの曲をバーズやPPMが盛んにカヴァーしたのもこの頃だったか。
 ホークスもオリジナルを磨き『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を出して『ザ・バンド』になった。ディランの作品『I shall be released』の美しい旋律や映画イージーライダーのバックに流れた『ザ・ウエイト』が今でも懐かしい。僕も(似合わないと知りつつ)『I shall be released』をレパートリーにしようとしたけれどキーボードがピアノの音を上手くできなくて、最後はメンバーといつも喧嘩別れだった。あれは難しい。
 それから名作『オールド・ディキシー・ダウン』が入ったアルバムを出す。この頃が絶頂期ではないだろうか。

 ボブ・ディランとザ・バンドといったユニットは音楽的完成度が高く、日本でもそういったスタイルは取り入れられ、従来フォークソングがロックになるような取り上げられ方していた。岡林信康とはっぴえんど、のユニットなんかはそれを意識したのじゃなかろうか。私事で恐縮だがこのユニットが演奏したジャックスの『堕天使ロック』が好きで良く演奏していた。僕にとってのバンド版『三丁目の夕日』といったところかな。

 不思議なもので、70年代に入ると活動そのものがサエなくなってしまう。メンバー同士に軋轢があったらしい。しかし番組ではそう言わなかったが、僕の解釈では時代が変わったのだ。1973年には米軍がヴェトナムから撤退し、アメリカはウォーターゲート事件へと政治の時代となる。アメリカはいなくなってもインドシナ・エリアのドンパチはずーっと続き、中越戦争だクメール・ルージュだポル・ポトだ、と混迷は続くのだが。
 ディランは小規模ホールでのコンサートを重ねたり映画を撮るような活動に没頭していたが、映画の方は評価が低かったようだ。そしてワールド・ツアーに出て、武道館でもやっている。これに僕は行っているが、フル・セクションのビッグ・バンドを従えての大ステージで呆気にとられた。まぁ面白くはあったが。
 
 そして80年代からは大方の皆さんのご存知の伝説として輝き続けている訳だ。大雑把に言ってギター一本スタイルとメジャー・バンド・スタイルを代わる代わる試行しているように見える。途中ギターを持たないでキーボードをやっていた時もあったと記憶する。85年には笑わないディランで紹介したライヴ・エイドに参加している。
 その後も一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリングストーンに載せたようにローリング・ストーンズのステージに上がったりして新境地を開く。
 思うにディランは伝説になったがザ・バンドは日本で言えば演歌歌手になって『あの人は今』状態になり、ダンコもヘルムも死んでしまった・・・。ちなみに僕は1978年卒業だ。少年時代はアジアでガンガン戦争があったんです。

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笑わないボブ・ディラン


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Categories:オールド・ロック

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