第一次世界大戦を考える オマケⅡ
2015 FEB 5 19:19:15 pm by 西 牟呂雄
アンザックをご存知か。激戦地から遠く離れたオーストラリア・ニュージーランドの両国が当時の宗主国の英国軍を応援する為に編成された合同軍である。この部隊はオスマントルコとのガリポリの激戦に投入されるが結果はコテンコテンに負ける。
しかし独立戦争等を経験していない南半球の英語圏はこのアンザックに特別な思いを馳せている。つまり誇りを持っているのだ。歴史的には1901年に事実上の独立はしたものの、スタートは流罪植民地だったので(当初の英国移民の7割程度)なかなか『国民』という概念が醸成されなかった。今でもオーストラリア英語はロンドンのコクニィ言葉(マイ・フェア・レディのヘップバーンが喋るやつ)に近い。
そこへ大戦争が始まったので英国から応援要請が来た。張り切ったか嫌々だったかは知らないが急遽部隊を編成して遠くまで行ったのである。今日でもガリポリの激戦は語り継がれていて、アンザック・ディは国民の数少ない祝日となっている。
ところが、大戦時点の海上防衛及びこの兵員の中東への輸送に日本海軍が関わりがあることはあまり知られていない。当時はオーストラリアの海軍力は弱く、一方ドイツ東洋艦隊が青島にあり、仏領パペーテの砲撃等で南太平洋をおびやかしていた。それを追っ払ったのが日本海軍である。東洋艦隊はその後チリ沖で英国艦隊を破るなどチョロチョロして全滅するが、開戦時点ではオーストラリアの潜在的脅威にはなっていたのだ。
当時まだ日英同盟があり、こういうのが同盟の誼とでも言うのだろうか、オーストラリアでは次の大戦までの間は対日感情が非常に良かったのだ。ただ白豪主義は続けていたが。
吉田俊雄という人がおられた。この方は明治生まれの海軍兵学校59期卒業。兵学校卒業の遠洋航海で1930年頃(還暦の我々の父母が生まれた頃か)シドニーに入港して大歓迎を受けている。折りしもアンザック・ディに当たった日の新聞報道を和訳されているので引用しておく。
「日本人は義侠心に富んでいる。友情のためには、尊い命までも賭けて戦う。われわれアンザックを、海路はるばるガリポリまで安全に護送してくれたのは日本である。敵国であるドイツ軍艦の出現に、遠くこの地にまで駆けつけてきて、われわれに安眠をとらせてくれたのも、日本の軍艦であった。その日本の練習艦隊=平和の使節が、いま、わが豪州を訪れている。かれらを歓迎するのは、われらの義務というより、むしろ権利である。」
ひっくり返るような賛辞である。また、町を歩いていて老紳士から
「Oh my old fellow! I’m ANZAC(アンザアクと発音する)。」
と肩を叩かれた思い出も記している。
この話は麗しいのだが、ついでに昨今議論される集団的自衛権もじっくり噛み締めたい。となりの部隊が攻撃されて知らん顔をしたらば大変なことに。自国防御の集団的自衛権はあるに決まってるが、さてヨソの領土まで行ってしまうと・・・。
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Categories:国境
東 賢太郎
2/5/2015 | Permalink
アンザックも日本海軍の関わりもぜんぜん知らなかった。感動的な話だ。「ドイツ東洋艦隊が青島にあり、仏領パペーテの砲撃等で南太平洋をおびやかしていた。それを追っ払ったのが日本海軍である」というのはたまたまミクロネシアへ行った時に習った。だからドイツ領から日本領になったのであり、だから連合艦隊基地ができて戦艦大和と武蔵が停泊して山本五十六が公邸に住んでいたんだ。日本人が来たから米軍に空爆されて何万人もまきぞえになったミクロネシア人がいまだに日本を慕ってくれている。こういうのを大事にしないで国の品格は保てない。