アグリカルチャー・デヴュー Ⅲ
2015 JUN 25 21:21:55 pm by 西 牟呂雄
梅雨の雨をたっぷりあびて、我がネイチャー・ファームのジャガイモがスクスク育って花を付けた。
スクスクというよりモジャモジャか。
それにしても肥料も何もやらなくても育つだけは育つ。親は無くとも子は育つ、という具合だ。
アングルが悪いのであまりきれいに見えないのが残念だが、かわいい花が咲いている。
ウチのベランダで毎日たっぷり水をもらって言う甘やかされている観葉植物に比べて何といじらしいことだろう。これに一株いくつものジャガイモが採れれば向こう1年はジャガイモは買わずに済むのではないか。
ひょっとしたら売り物に・・・・ならないな。
きゅうりが全滅したのは返す返すも無念なのだが、一方でナスは膝の高さにまで延びたし、ピーマンに至ってはついに初収穫があった。何故か一つだけなのだが。
たった一つでもチョコンともぎ取って早速試食する。塩とドレッシングが効きすぎておいしいのか不味いのかわからなかった。
こうなれば『紫の宝石ナス』への期待がいやが上にも盛り上がるのである。
後継者に悩む農家も多いと聞く。企業の参入などはいいことと思う。耕作放棄地とは言い換えれば『農業をしなくても食える』ことの表れで、ワーキング・プアや格差の話とは次元が違う。農地はそれなりに耕作されてこそ調和がとれるのだ。
我がナチュラル・ファームは雑草を抜くくらいだが、以前 埼玉のウララちゃん や 埼玉の木枯らし で書いたあたりは農地の所有者が入り組んでいて、一画が(時に水路に面した所など)放棄されるとジャングルのようになってしまいバランスがくずれる。雲雀の巣ができてはいたが。
近所のオッチャンは『ワシ等程度の生産じゃ米でも野菜でも買った方が安い。』と言っていた。確かに小規模では競争力何か無い。
帰農とまでは言えないが、それでも自分で造った物を食べるといったことはある種のトレンドとして社会に根付くのではないだろうか。
喜寿庵の飛び地なんかで小規模農業をやる人はいませんかね、無償で貸与しますが。
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