真っ先駆けて 雑感
2015 OCT 1 20:20:22 pm by 西 牟呂雄
亡母が口に出したことがありました。
「家の親子は正反対だね。人からも言われた。息子の方は軍の指揮を執らせると頭に血が上って自分で抜刀して『我に続け』と真っ先駆けて最初に戦死。オヤジの方は突撃命令には従うものの部隊全員を生還させる。」
今、私と付き合っている方々には想像もつかないでしょうが、確かに以前はそういうところがあって、これを聞いたときは『うまいこと言う人がいるもんだ』と感心した次第です。
この頃は大勢の人が集う席には滅多に行きませんが、先日ある会合に顔を出してさっそく主催された先輩にご挨拶しました。
「お招き頂き有難う御座います。」
すると
「あーよかった。あのヒゲのまま来るかとハラハラさせられた。」
等と本当に心配をしておられたようで恥ずかしい、私だって常識ありますよ・・・、今は。
同じ会合で20年振りにお目にかかった方にも
「すっかり紳士になって。昔はギラついてたからな。」
とも言われました。きっと褒められたのだろうと無理矢理解釈して恐縮したのですが。
マッ、後先考えないところがありましたからね。記録に残るマズいことはないと思いますが、コンプライアンス違反とか踏み倒し等。
閑話休題、太宰治が佐藤春夫に芥川賞を懇願する4メートルにも及ぶ手紙が発見されてニュースになりました。以前にも同様の手紙を川端康成に送ったことが知られています。川端はその手紙の存在を人に伝えつつも『太宰君の為にならないと思い捨てた。』と言っていたのですが、遺品の本の間から発見されています。
私は太宰を読みませんが、そんな手紙を出したりするところがファンには堪らないらしいそうですね。それにしてもそんな手紙を出した段階で相当病んでいたはずです。度重なる心中癖といい、志賀直哉への悪口といい十分精神病理的な疾患だと思います。
これ、若くして名を成した才能が枯渇したと受け取ったらファンに怒られるますか。
同じことをあの三島由紀夫にも強く感じます。こちらは白状しますと読んでいました。
三島もデヴューが戦後の混乱期だったせいもあり文壇登場の際に芥川賞は受賞しません。マスコミの寵児となって多くの短編を、当時勃興する女性週刊誌などの連載として発表しています。文庫本で沢山出ていますがここだけの話、半分は内容的に破綻しています。ですが筆の冴えは常人ではない。
それが最終作品となった『豊饒の海』の(言い方が難しいのですが)衰え方はどうしたことでしょう。余計な政治活動に首を突っ込みすぎて才能が磨耗したかのようです。
何が言いたいかと言うと、私もはっきり力が落ちています。おそらく色々な能力もガタ落ちでしょう。身体能力は言うに及ばず、カンとかキレといった物が失われつつあります(コレを業界用語でカンレキという)。そのせいで人格が丸くなってきているのなら、恐ろしいことかも知れません。文学者は才能の衰えを敏感に察知して自殺する、アホは何も考えずに丸くなる。ウーンちょっと違うような。
困ったことに”酒量”は落ちず、ゴルフの”ハンデ”も減りません。
「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰えず(こえず)」
を前ブログで取り上げてみましたが、気力体力が衰えてどうあがいても周りがビックリするようなことにはならずに『あいつもヤキが回ったな。』で済まされてしまうことを言ったと解釈できます。
例えばしばしば連載する『アグリカルチャー・デヴュー』にしてから、本人は悪戦苦闘しているつもりでもプロから見れば”バカ”の一言で終わりです。
ギャンブルはとっくに卒業していますし、残されているのは真っ先駆けて姿を消して誰よりも長く隠遁生活を生きることなのでしょうか。
いやその前にやることがあるはずです。まず、ビールでも飲んで考えましょう。
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Categories:春夏秋冬不思議譚
中村 順一
10/7/2015 | Permalink
まだまだやることはあるよ。人生はまだまだ続く。小職も最近は腰痛のお蔭ですっかり判断能力や記憶力が減退してはいる。しかし、腰痛を直した暁にはやりたいことのオンパレードだ。西室兄は確かに一時期に比べるとまるくなってきたが、これもこの年にして成長、進化されたということなり。いっそ小説でも書いたらどうか。小倉記のごとき文体でいいと思うが。
西室 建
10/7/2015 | Permalink
荒唐無稽な嘘っぱちならともかく『小説』ともなればそれなりのテーマと文学的内容が求められるであろう。
『小倉記』は思い出深い作品だった。途中までは哀愁漂う作風だったが、しばしば半世紀に及ぶ付き合いの『腐れ縁』が登場して洛陽の紙価を下げた。
残るテーマは『アルツハルマゲドン』あたりか。