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怨霊 (今月のテーマ 列伝)

2016 APR 29 1:01:33 am by 西室 建

 怨霊というおどろおどろしいモノが文献に現れるのは平安時代からだそうだ。その前にも不遇をかこったり裏切りにあって怒りのままに死を遂げた人はいただろうが、飛鳥・奈良時代は概して明るい印象で、例えば大国主命は祟ったりしない。聖徳太子の長男、山背大兄王も蘇我氏に厄災をもたらしたことになっていない。

 どうも露骨に祟ったのは早良親王あたりからではないか。桓武天皇の異母弟だ。長岡京遷都阻止のため藤原種継を暗殺しようとしたと(冤罪説あり)疑われ、淡路島に流される途中に絶食・憤死したらしい。するとその後、皇族の病死に洪水などが相次ぎ、早良親王の祟りと言われた。ビビッた朝廷は鎮魂の儀式を執り行う。
 これから魂鎮めというものが行われるようになったという仮説を立てている。

 祟りといえばの菅原道真公は外せない。藤原時平と対立して大宰府に左遷され、2年ほどで死んでしまう。たちまち時平はおろか皇族までもが次々に病死する。クライマックスは朝議中の御所清涼殿に雷が落ちて醍醐天皇の目の前で死傷者が出る。帝はショックのあまり直後に崩御。これは効いただろう。
 天神様に祭り上げて敬った。

 一方平将門なんかは賊軍中の賊軍。さぞや、と思われるが討ち取られた後には直ぐに祟っていない。早々と祭られてしまったからだろう。
 しかし、敗戦後にやってきた進駐軍には腹を据えかねたと見える。無礼にもGHQが区画整理をしようとした際、夷狄を次々に成敗してみせた。それに先立つ関東大震災後にも、大蔵省の仮庁舎を建てようとした不埒者に祟ってみせた。やはり江戸庶民の目線を持った怨霊と言えよう。

 確信犯的に自ら怨霊化したのが崇徳上皇。保元の乱で讃岐に流されると言う辱めを受ける。これは淳仁天皇以来四百年ぶりの恥辱である。院は自分が書いたお経を京に送るが、破り返されて怒り狂う。何しろ舌先を噛んだ血で「日本国の大魔王となり皇を取って民とし民を皇となさん」と書いたというから凄まじい。これ程の怨念が祟らぬはずは無く、やはり皇族がバタバタ亡くなった。
 どうも皇族側は遥か後世まで気に懸けたらしく、明治天皇は即位の際に、昭和天皇は八百年祭(神道における法事)に勅使を讃岐に遣わしている。

 僕が何度か怨霊界のスーパースターとしてブログに書いた後醍醐天皇は、実際には祟らなかった。この頃はハナから危ないケースはさっさと祭り上げてしまうことになったと思われる。崩御後、後村上天皇は荘厳浄土寺において大法要を行い、足利尊氏もまた南朝ゆかりの京都嵯峨に天竜寺を造って鎮めてしまった。

 磯部浅一と言われて直ぐにピンと来る人は少ないだろう。この人は2・26の首謀者の一人だが、とんでもないことに戦後になって祟った。銃殺刑に処されるが、その直前の語録が何とも言えない。
「余は死にたくない。もう一度出てやり直したい。三宅坂の台上を三十分自由にさしてくれたら、軍幕僚を皆殺しにしてみせる、死にたくない、仇がうちたい、全幕僚を虐殺して復讐したい。」
「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ。」
「成仏するつもりなどさらさならない、悪鬼となりて所信を貫徹するのだ。」
 狂っている。
 それがどういう訳か三島由紀夫に取り付いて祟った。
 三島は自宅で度々お気に入りを集めて凝ったパーティーを催していたが、ある時霊能者とも言われる美輪明宏が『三島さんの背中のところに変な人影が見える、二・二六事件の関係者らしい」と言った。三島は笑いながらそれは誰それかと尋ねると、違う。それではこの男か、と次々に名前を挙げると、磯部浅一と言った所で「それだ!」となった。三島は青ざめた、と石原慎太郎が書いている。その辺りから三島の行動がおかしくなって行き市ヶ谷の事件に至ったとか・・。

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Categories:列伝

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