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 『行雲流水』書評 野に遺賢在り 石山喜八郎

2016 MAY 7 12:12:03 pm by 西 牟呂雄

帯にこうあった。

 行く雲や 流れる水の 心もて
   静かに我は 生くべかりけり
ー ある大本教信者の数奇な生涯 -

  巻末にも『没後21年が過ぎるにあたり、この類いまれなる奇人の生涯を書き記すことで供養に代えることとしたい』と書かれているように、大変な人物がいるものだと一読三嘆に至った。
 明治四十四年生まれ、平成七年没。全くの市井にありながら波乱万丈の人生を送った人の物語である。
 詳しくは本書に譲るが、小学校卒業後家業を手伝いながら膨大な読書量によって独自の教養を練り上げていく中で大本教と出会い入信する。
 大本は無学文盲の出口なおが神懸って記したお筆先という文書を、あの大宅壮一をして”昭和最大の怪物”と言わせしめた出口王仁三郎が体系化したいわゆる新興宗教で、戦前当局から激しく弾圧された。
 主人公喜八郎はその中で、投獄・兵役と厳しい運命に翻弄される。
 本書は御子息が御尊父について書いている作品であるが、読後感は優れて小説なのだ。以下キーワードを軸に評してみたい。

胆力
 主人公喜八郎は家業を手伝った後、青雲の志を抱きながら群馬の藤岡から東京に出て、好奇心の赴くまま様々な出会いをする。
 それが驚くべき事に2・26の理論的支柱となった北一輝。玄洋社の頭山満。さらにその子分杉山茂丸。私のような昭和史マニアには垂涎の面子である。
 筆者は「この当時著名人と言われている人が、見ず知らずの一書生に面談してくれるという風習があったようである。」とさらりと書くが、そんなことがあるはずがない。喜八郎のような並々ならぬ気迫と度胸がなければそもそも会いに行こうと思うことすらないのが普通だ。
 又、そんじょそこらの熱血漢が気迫を持って面談におよんでも、相手は常に身辺の危ない連中である。門前払いにならないのは只ならぬ気配があったに違いない。ここがまず面白い。
 更には、原敬を刺殺した中岡艮一。合気道の達人、植芝盛平ときてはもう読者として目も眩むばかりである。
 中岡は後に恩赦を受け大陸に渡り、その後イスラム教に改宗して現地のタタル人と結婚するウルトラ級の変わり種。植芝盛平は近代武道最強の達人として知る人ぞ知る。
 兵隊として大陸に行ってからもこの度胸はますます磨きがかかる。信仰が深まって不殺を誓った二等兵が上官を脅す、古兵に火傷を負わせる、何でもありだ。小生はつくづくこの時の上官でなくてよかったと思う。この辺、筆者はかなり抑制して筆を運んでいるが腕っぷしの方も恐らく相当のもので、隠されたエピソードは他にもあると小生は睨んでいる。

教養
 小学校を出た後、独学で身に着けたとすれば異常な読書量と言わざるを得ない。果たして本が好きだけでこのような英知が備わるものだろうか。
 フトしたきっかけで大本教と出会った喜八郎はその”お筆先”を読み込む。それも読み込みというような生易しいものではない、格闘するのだ。”お筆先”は一種の予言の書であり、一般人が読んでも「面白い話だ」で済んでしまうが、何かが喜八郎の琴線に触れた。そして導かれるように門を叩くが、その時点で悟入十分の境地に近かった。
 その後は弾圧・徴兵となるのだが、その節目節目でほぼアドリブの驚くべき弁舌が展開される。
 取り調べの鬼警部に一歩も引かず、敏腕検事を事実上論破する。只の不貞腐れならいじりにいじられてひどい目に合わされるのがオチだが、そうはならないのは相手が感心してしまうからだ。
 そして帝国陸軍解体の際に大舞台が廻ってくる。武装を解かない殺気立った部隊を前に、将校も佐官級の聯隊長も匙を投げ、どういう訳か喜八郎万年二等兵が演説をする。歴史を振り返り、将来を憂い、諄々と論理的に喋り見事にその場を納める。本書のクライマックスであり、筆者の筆は冴えに冴える。
 武装解除に当たった国民党将校を煙に巻くなど朝飯前のことであったようだ。
 ここは少し解説しておきたいが、南方戦線は米海兵隊相手に加え兵站不足から悲惨な状況で敗退するが、大陸における大規模作戦約50回の殆どが負けなし。即ち部隊は〝勝っている”と思い意気軒昂のまま終戦に至った事実がある。そこを理解しないと、作中の緊張感は分からない。

楽天
 検挙されて懲役に行く。懲罰的に徴兵される。当然のように営倉にブチ込まれる。
 ところがいずれのケースも喜八郎は動じない。普通の人間なら絶望的になるところをむしろ楽しみ、三度の飯をペロリと平らげビクともしない。
 一つは深い信仰に根差しているからだろうが、小生は生来の楽天的な気質があったと推測する。もっと言えば、現状を愚痴る、悔いる、嘆くといった気質が全く欠如しているのかも知れない。
 戦後は苦しい生活を強いられるが、喜八郎は何の不都合も感じていない。
 むしろ”お筆先”は日本の敗戦を予言しているそうだから、やはり信仰は間違っていなかった、くらいの気持ちだったのではないか。
 その後も論文投稿・応援弁士等は闊達にこなすが、果たしてギャラを貰っただろうか。天は二物を与えず、これ程の度胸・英知を授けておきながら、それで生計を立てるという意欲を与えなかった。
 若き日の遊学時代、読書は左翼系の読み込みにも及ぶが共産主義には共鳴していない。又、当時の風潮から日蓮宗系の右翼思想も流行したがそれにも接近して行かない。上記『楽天的な気質』の明るさが遠ざけたのかも知れない。あくまで一信者として生涯を貫く。
 
 読後不思議な感覚に陥った。著者の言う『一市井の奇人』の緻密な人生が、かくも分厚いものであるのか。このことは日本文化の奥の深さの一端を表しているのかもしれない。そして健全なる日本の社会では、奇人は成るべくして奇人になりつつ極普通に市井に溶け込むのだ。ぜひ一読を勧めたい。

『行雲流水』
著者  石山照明
発行  株式会社 エスアイビー・アクセス
発売  株式会社 星雲社
 
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Categories:言葉

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