ノーベル文学賞 ボブ・ディランは喜んでいるか
2016 OCT 15 0:00:37 am by 西 牟呂雄

噂には上るがまさかと思っていたボブ・ディランが本当にノーベル文学賞を受賞してビックリした。
もう随分昔だがアコースティック・ギターをエレキに持ち替えてブーイングを浴びた時、彼はこう言い放っていた。
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』
今回の受賞を予言したわけでもないだろうが、結果はその通りになったと言える。
確かに彼の歌はメッセージ性が高く、その歌詞も詩的である。ただ僕程度の英語能力では長い曲になるとやや難解(何のことを言っているのか、時に暗示的にすぎることも)。一方メロディーは至ってシンプルなリフレインが多く、馴染みやすかった。
彼が世に出た時、アメリカが今どころじゃない戦力をベトナムにつぎ込んで戦争を継続していた頃、ディランの歌は『プロテスト・ソング』というカテゴリーとして愛唱された。これは当時の恋人でありディランの登場に一役買っていたジョーン・バエズによるところも大きかった。
しかし、ディランはそういった捉えられ方をむしろ嫌い壊していく。
むしろ、彼よりも少し上の世代の詩人ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグに近づいたと思う。ギンズバークとは親交もあったことが知られている。無論バロウズもギンズバーグも当時キワモノ扱いだったが。
以前のブログではそこに注目した。
一方で、初期のヒット曲は多くのバンドにもカヴァーされ歌い継がれていく。ピーター・ポール・アンド・マリーの美しいアレンジはとても印象に残った(コード進行もオリジナルと変えていた)。
それどころか後にローリング・ストーンズのステージに上がりミック・ジャガーと一緒に『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌ったりもしたが、あれはシャレだったのだろうか。
ノーベル文学賞について以前 良く分からない に書いた。
スウェーデン人の選考委員が文章を読み込んで真面目に議論を闘わせて決める。
様々な言語が英訳されたものをスウェーデン人が読むのだ。他の賞と違いその過程が世の中の変化の影響を受けないはずはない。
もっともデイランが世に出てから半世紀近く経っており、当時の革新性が『伝説』になるほど社会に沈殿したとも言える。
逆に一つの殻を破ってしまい、ここからは引き返せないのかもしれない。
受賞に対する反発も、表立ってではないがあるに違いない。アメリカを中心とした大衆社会を優れた文化と認めたくないアカデミズムが顔をしかめる。
『ウス汚いナリのヒッピー音楽』『芸術性のない悪声』
といった声が聞こえるだろう。
ノーベル賞もポピュリズム化し文学自体が衰退したのか、そうではないだろう。村上春樹氏もまたその流れで優れた文学として候補に上がり続けているのではないか(私は作品としては好まないが、ロクに小説を読まない私の意見なんざどうでもよい)。
興味深いのは、受賞に当たってのデイランの肉声が全く伝わってこない事だ。一体どこにいて何を考えているのだろう、嬉しいのかそうでもないのか。
更に授賞式にはちゃんと来るのか。どんな発言をするのか、王族とのデイナーにはきちんと正装して行儀良く座るのか。
しかも僕は彼の笑顔の記憶がない。
今頃、冒頭のあの不敵なセリフをうそぶいているのではないかな。
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』
(前のブログに貼っていたら暫く行方不明になってしまった大好きな『天国の扉』のライヴ・バージョンです)
天国のドア
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Categories:オールド・ロック

中島 龍之
10/15/2016 | Permalink
ボブ・ディランがノーベル賞とは!個人的にはディランファンなので、喜んでいますが、ディランが喜んでいるのか、わからないですね。小説をあまり読まない人間からは、ノーベル文学賞はどうでもいい賞だったのですが、ディランが受賞するとなると、音楽の歌詞も詩として、文学の一つと認められたと、興味を持たれることになります。それも、ノーベル賞選考委員の目的かもしれませんね。
Tom Ichihara
10/15/2016 | Permalink
西室さま 中島さま
小生はボブデランのフアンデス。
最近、何となく「風に吹かれて」を口ずさむ事が多くなって、まさかの受賞に驚いています。
ボブディラン受賞するなら、PPM、ジョーンバエズ、ローリングストーン等どれを取ってもあの時代の象徴は誰でも受賞に該当するのではないでしょうか?
もっとも,トランプ氏には廃頽的と思われるでしょうけど。
村上春樹はあれが受賞するならもっと日本には偉大な作家がうじゃうじゃ居るはずです。
親交のあった「立松和平」と文学を論じたとき、小生は「村上春樹」は文学とは思えない、と,言うと彼は時代の流れですからねえ,と言ってました。
村上文学が受賞するならあと30年待たなければならないのかも知れませんね。
西室 建
10/16/2016 | Permalink
トムさん、
立松和平さんとお知り合いだったのですか。
私は一時あの人のモノマネに凝っていました。
中島 龍之
10/16/2016 | Permalink
トムさんもディランファンですか。ディラン好きでも、その他の音楽の歌詞はノーベル賞の対象になるの?、という疑問を持つことになるでしょう。日本でいうなら、中島みゆきは、ノーベル賞の有力候補ということになるのでしょうか。ディランも騒ぎにうんざりしていることでしょう。私は、村上春樹の本は、「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を読みましたが、タイトルが、ビートルズとビーチボーイズの曲名だったからという理由だけで、読んだ感想も、「こんなものなんだ。」というだけで、私には文学は向かないとわかりました。ノーベル文学賞も、長編のものに限るとすれば、詩を対象にしなくてもよかったのに。とは言え、批判合戦も面白いですね。
Tom Ichihara
10/16/2016 | Permalink
西室さま
立松氏にある日に「立松さんはTVでしゃべるときも普段の時も同じしゃべりかたですね」彼いわく「いやー、私は栃木の生まれですからねー」
知り合うまでは詩人だけかと思ったら作家でもあるのです。
裏も表もないまっすぐな人でした。
西室 建
10/18/2016 | Permalink
スウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は「最も近い人に電話もメールもして、とても好意的な返答をもらった。それで十分。今は何もしていない」と連絡をあきらめたそうです。
ただ授賞式に来なくても受賞自体には変わりないとのこと。
これは面倒臭くなって行かない気だな。
賭けが始まる、僕は行かないほうに百万ソナー・ダラー(仮想通貨)張ります。
Tom Ichihara
10/18/2016 | Permalink
西室さま
うーん、小生も行かない方に掛けます。過去の言動、歌詞から考えてもいかにだろうとでしょうね。
行かない方に「ポナペ通過(宝貝=100ポナペ)掛けますよ。
100ポナペ有れば世が世なら大酋長の位が買えます。
西室 建
10/18/2016 | Permalink
トムさん、
それはオオシャコ貝で払いましょう。
西室 建
10/31/2016 | Permalink
結局自分で電話して行くことにしたらしい。
そんなら最初からそうしてくれよ。
100万ソナー・ダラー(仮想通貨)スッてしまった。
東 賢太郎
11/3/2016 | Permalink
長いものに巻かれん骨のある奴と思ったらなんでもなかったみたいだな。日本人ならこういうことはせんだろう、アッ日本人じゃないか。
西室 建
11/13/2016 | Permalink
まだ奥の手があった。
タキシードで登壇し、この声で
『Don’t think twice It’s all right』
https://youtu.be/bQdyjSPtMWE
を歌っちゃうのはどうかな。
Tom Ichihara
11/13/2016 | Permalink
結局、ボブデランもトランプも武も皆的外れでした。
トランプだから「ババ抜き」だったのでしょうか。
西室 建
11/17/2016 | Permalink
「昨晩、スウェーデン・アカデミーはボブ・ディランから私信を受け取りました。その中で彼は、先約があるため12月にストックホルムを訪れることはできない、ゆえにノーベル賞のセレモニーには出席しないと説明していました。彼は再び、大変光栄に思っていると強調し、賞を直接受け取ることができるよう望んでいるそうです」
面白い、こういう手で来たか!
確か6カ月以内に講演を行う規定になっているはずなので、暖かくなった頃に風のように現れて歌って見せるかもしれない。
こりゃ、中には怒る人も出てくるな・・。
西室 建
12/15/2016 | Permalink
パティ・スミスの歌っている映像を見つけました。
あがっていたのか、歌詞を忘れて困ってしまい謝って歌い直しています。
これも前代未聞かな。
https://youtu.be/DVXQaOhpfJU?t=156
西室 建
10/6/2017 | Permalink
今年はカズオ・イシグロが目出度く受賞!おめでとうございます。
この人の作品を読んだ感想は「悪い夢」が100ページくらい続く難解さだった。
村上春樹さん、来年リーチですね。
西 牟呂雄
5/26/2023 | Permalink
ボブ・ディランが来日して、東京。名古屋・大阪でコンサートをやった。
80才を超えたノーベル賞作家の歌・・・。聞きたくもあり観たくもなし、という感じで行かなかった。
一方でディランが書いた『モダン・ソングの哲学』を佐藤良明が「ソングの哲学」として岩波書店から翻訳し同時に出版されたが、これが凄いんだ。
佐藤良明氏は元東大教授でかのトマス・ピンチョンに取り組み、他方ポップ・カルチャーの文化的考察でも実績のある学者というか評論家というか、とにかく多才なお方で、その訳が実にこなれていて素晴らしい。解説の一部を抜粋する。
『健やかな毒気をもって、いまの時代を覆うきれい事(ポップソングを含む)の数々を斬る』
『たとえばカントリーの懐メロを取り上げて、その上にヴェトナムの悪夢を塗り重ねる。モータウンの〈黒い戦争〉に乗じて、自らの若き日の〈戦争の親玉〉の発展版ともいうべき、成熟した戦争論を語る』
『レノン=マッカートニーは相手にせず、ブライアン・ウィルソンなどは名前も出ないソング論だが、グレイトフル・デッドに関する綿密な分析を読めば、排除の理由は明らかだろう。ディランの軸足はつねに、カントリーとブルースと、そのルーツにあった』
たまげたことにその66曲の解説と音源が以下のページに載っている。いつまで見られるかわからないがここに貼っておくので、お楽しみください。
https://www.iwanami.co.jp/smp/news/n52171.html