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六十而耳順

2016 OCT 25 10:10:46 am by 西 牟呂雄

 今新幹線の中でこのブログを書いている。先日の我が友のあまりに早い訃報にぼんやりしてペースが狂った。彼はまだ62才だった。

それで提題なのだが、孔子の言葉として有名な『論語・為政第二』にある一節である。例の「吾十有五にして学に志す・・」で始まるアレだ。
 「六十にして耳したがう」と読み下し、還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになった、と解釈されている。ふぅ~ん。
 孔子様は古典に通じ深く思索し人々を啓蒙し、その間節目節目で三十の時に「立」ったり五十で天命を「知」ったりした大変なお方。
 それはそうなんだが、結局政治家は言う事を聞いてくれずにあちこちで冷遇されて失意の内に諸国巡遊する。
 思うにエラソーな人だったんじゃなかろうか。2m近い大男だったせいもあり、上から目線でああしろこうしろと言われると「そんなこと言ったって現実には」と反発を招いたと思われる。
 よく憤激したりしてるし結構頑固なゴリゴリ親父だったに相違ない。
 それまでの原始的な『言い伝え』めいた慣行を体系化し、道徳といった概念を作り上げて書物に残した。無論その遺徳は私なんかが論ずるにはあまりに偉大でしょう。
 それにしてもどこでもケンカ別れしたり相手にされなかったりなのはこのあたりが問題だったのじゃないだろうか。

 不思議なもので儒学の大家は多かれ少なかれそうなってしまうようで、孟子もそうだったし王陽明もそのケがたっぷりある。
 孟子はやたらとプライドが高く、巡遊にあたっては車列を連ね従者を従えて行く。
 斉の宣王はその現実的には不可能な激しい理想主義的な政策に辟易する。それでも追っ払うのもナンだと色々ごきげんを取るのだが、仮病を使って呼び出しにも応じない。終いには出て行くが、途中で呼び戻しがあるだろうと三日も待ってみせたりとタチが悪い振る舞いをする。
 儒学の大家がそうなら老荘学徒はどうかと言えば、これは以前 無駄の勧め で触れたが地位が高くなるとどうもいけない。
 皆さん秀才でエラい人達なんですがねぇ。

 話を戻して『六十而耳順』だが、額面通りに受け取れない。
 何しろ紀元前500年代の人物だ。現代とは医学も食べ物も違う。肉体年齢は20年分は違っているはずで、六十ともなれば八十翁をとっくに過ぎたくらいだろう。案外耳が遠くなってしまって耳の近くで大声を出してもらわないと聞こえなかったのではないのか。孔子大先生にそんな事をできる人物は弟子ばかりだからオベンチャラばかり聞かされていたと思う。
 そう考えると次の
「七十而從心所欲。不踰矩(しちじゅうにして心の欲するところに従いて矩をこえず」
 も、もう肉体年齢も百歳越えになって衰えて、欲望も何もなくなった、というのが実態だったりして。真面目な漢学者のかた、冗談ですよ、冗談。

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Categories:古典

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