あかあかや 華厳
2017 NOV 13 19:19:47 pm by 西 牟呂雄
あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかや月
一瞬、真っ赤な月でも幻視した狂人の歌と思った人、違います。
この『あか』はレッド=赤ではなく『明るい』の『あか』。
華厳宗中興の祖、明恵(みょうえ)上人の作です。
京都栂尾(とがのお)にある高山寺で教学研究や厳しい修行中に詠んだのかも知れません。それにしても、そこら辺の子供が初めて詠んだような無邪気さというか楽しさというか。
座禅修行で考えに考え抜いてまだ悩み経典を読み込んでフッと見上げると輝くような満月が目に飛び込んで来る。えもいわれぬ充実感に満たされて、さてもう少し研究してみようか、こんな心境が想像できます。
華厳教学はこの世の森羅万象がことごとくバタフライ効果のように作用しあっているが、修行によってそれが妨げあわず共存することのできる境地に至る、と教え(るのかな?私なんかに分かるわけない)数ある仏の中で盧舎那仏をひたすら信仰する。
この『作用しあっている』は僕の造語というか、まぁテキトーに考えた概念だが、素粒子論でいう粒子と反粒子が衝突によって消滅し2mc²のエネルギーを放出、それがまた粒子・反粒子を生成し・・・といった感覚のことでしょう。
すると絶対善である盧舎那仏とはブラック・ホールのことで・・、うっもういいや。
明恵上人は紀州の生まれで、高雄山神護寺で華厳五教章を始めた。東大寺(盧舎那仏の大仏ですね)で戒律を、仁和寺で真言密教を極め、栄西から禅まで学んだ。途中紀州で隠遁修行したりインド行きを企てたりしする、大変な学僧なのです。修行中に激情にかられて右耳を切り落とした、という話があったと記憶しますが出典を思い出せません。もしかしたら別の人かもしれないですね。
そういう偉人が冒頭のような無邪気な歌を詠むのは微笑ましいを通り越して結構鬼気迫る。
どうも明るい月の光に何かを刺激される感性の人らしく”月”を詠んだ歌を多く残した。代表的なのをもう一首。
くまもなく すめる心の かかやけば
我が光とや 月おもふらむ
僕も影が出来るほどの月の光を浴びるのが好きで、夜中に喜寿庵の庭に出てしばらくボーッとしている事が。特に泥酔して見上げているとこのまま宙に浮くような気がします。一度そのままひっくりかえって頭を打ち、翌日畳に血溜まりができるほど出血したことがあったっけ(酔い過ぎて翌日までケガに気が付かなかった)。
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西 牟呂雄
12/6/2022 | Permalink
いよいよ大河ドラマはクライマックス「承久の乱」を迎える。実は明恵上人は後鳥羽上皇や、幕軍を率いて上洛する第三代執権となる北条泰時の両者と深く関わっている。
敗れた朝廷軍の兵が栂尾に逃げたため、安達景盛が高山寺を探索し明恵上人を捕えた。
六波羅で謁見した泰時は、上人と知って慌てて上席を譲った。すると『「栂尾山は、殺生禁断の地。鷹に追われた鳥や猟から逃げる獣は、皆この山に隠れて命を繋いでいる。敵を遁れて隠れている軍士も同じ。この情けが幕府にとって面倒な事であると申すのであれば、即時に愚僧の首を刎ねられよ』と諭され、後に深く帰依することになった。
迂闊にも上人を連行した安達景盛は弟子となり、大連房覚知と名乗った。
ここまでは脚本にならないだろうから、思い出したので書いておく。
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