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暗黒徳川実記 後家殺し

2026 SEP 5 21:21:41 pm by 西 牟呂雄

 慶長八年、都の東山高台院はようやく春めいてきたところだった。
 さて、秀吉は没し関ケ原も激闘の内にかたづき、最早天下は手中にある家康の最後の詰めである。家康は二条城を築城し征夷大将軍の宣下を受けるために京都にいた。そして舌なめずりをするように大阪城に乗り込む算段をするのだった。
 巨大な大阪城にはいまだに莫大な金銀があり、秀頼は健やかに成長している。更に何よりもやっかいなのはあの”おふくろ様”が控えていた。さて、次の一手は。

北政所

 北政所は灯火の前に座し、秀頼と千姫の婚礼の儀式次第を静かに読み返していた。そこへ、侍女がそっと告げた。
「内府様がお見えでございます」
 突然の来訪にいささかたじろいだ。こんな時間に無礼であろう。家康の魂胆は北政所自身を利用するためなのは自明のこと。苦々しくも相手は次の天下人、追い返すこともできない。
 家康は静かに座した。
「高台院様。秀頼様と千姫の婚礼、滞りなく進めたいと存じます。お力添え頂きとう存じます」
 北政所は賢い女だ。戦国の世の荒波を夫である秀吉がくぐり抜けたのをつぶさに見てきた。家康の言葉は丁重ではあったが、その裏にある計算は透けて見える。この男は主人秀吉と虚々実々の駆け引きをしてきた、いずれ大阪を我が物にしようと考えるに違いない。
「秀頼はまだ幼く、内府様がお支えくださるなら安心いたします」
 家康もまた北政所の内心の憤懣を見抜いてていた。秀頼が秀吉の実子ではないという噂も耳に入っていることも。
「お寂しゅうははございませぬか」
「あのような戦の明け暮れを味あわずにすむと思えば心安らかな今ほど幸せな日々はありがたし」
 北政所はふと家康の横顔を見つめた。戦乱を生き抜いた男の逞しさと深い孤独が刻まれていた。
 一方、家康は北政所の手元の儀式次第を見た。近づきすぎたと北政所が後ずさりするとさらに進み出た。
「太閤殿下は内府様を最後まで便りにしておいででした」
「そうでござったか。ならばそれにお応えせねばなりますまい」
 北政所の胸が騒いだ。この男も秀吉とは違った趣味の女狂いなのだ。後家好みの狸親父と巷でささやかれている。秀吉の名を口にする家康の声は、静かではあるが不気味に響く。
「内府殿は太閤殿下とは違う方です」
 北政所は崩れ落ちそうになるところを気を振り絞って留まった。すると家康は狡猾な笑みをたたえて続ける。
「違いますとも」
 家康は北政所の目を見た。

 慶長八年のこの時期、北政所も家康もともに京都に滞在しており、北政所55歳、家康60歳である。家康は秀吉没後から廟所(豊国社)参詣の帰りなどに、北政所を見舞っていた。手紙も残っており秀吉の追善供養に関する相談や、彼女の体調を気遣う丁寧な時候の挨拶、また贈り物に対するお礼を述べている。関ケ原直前には自分こそが豊臣家(秀頼公)のために戦っている」という根回しを盛んに訴えた。北政所の心中はいかばかりだったか。いずれにせよ男と女が互いを利用し合って化かし合いの技を繰り出す様を想像するのは一興。北政所にすれば、家臣共がいがみ合う様を静かに見下していたとすれば、それもまた一興。

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Categories:伝奇ショートショート

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