Sonar Members Club No.36

カテゴリー: えらいこっちゃ

夏至の日に府中にて

2018 JUN 30 10:10:16 am by 西室 建

 色々あって府中の運転免許試験場で講習を受け(させられ)た。まっ事情は察して欲しい。さる不幸な偶然が重なった、とだけ言っておこう。
 せめて見た目だけでも印象が良くなるようにスーツ姿のクール・ビズで、朝も早よから暗い気持ちで出かけていった。
 なぜスーツか。実は数十年前に同じ講習を受け(させられ)た事があり、その時周りにいた人々のあまりに殺伐とした風情に唖然とさせられたからだ。
 明らかに”ゾク”と思われるガキ共が『無免でくらってよ』とか『もう2回目で後がネーんだ』などという話をしていてその空気に怖気づいた。今回の講習には”考査”があり、それと”受講態度”を評価することになっていたので、そんな奴らとは違うところを見せなければならんと思い立ったのだ。
 辿り着くと、我々受講者(といっても更新ではない)はたったの13人。年齢構成も割に高く(ダントツは私)前回の時にワンサカいたようなガキ共はおらず、どうやらプロのドライバーが微罪を重ねてここに至った人が半分くらいのようだった。
 やはり罰則が強化されて、当時は講習ですんでいた輩はすでに剥奪・取り消しに至っているのではないのか。雰囲気も柔らかい。スーツまで着込んだ私は逆に浮いてしまった。
 講習室に入って待っていると、見るからにゴツくて目付きの鋭いオッサンが入ってきて注意事項を説明すると空気は一変した。何しろ居眠りするな、頬杖つくな、足は組むな、特にガムは噛むな、と注意があって軍隊調なのだ。あのオッサンはきっと交通機動隊のOBか出向者に違いない。すると私をここに送り込んだ奴の同類ではないか、クソいまいましい。
 ブログ仲間のトムさんの『ポンペイ通信』によれば、かの地であればまずこんな目には会わなかったろうと気が滅入った。
 自然と力が入ったのかスーツ姿が目立ったのかは知らないが、オッサンはしきりと私にガンを飛ばして来る、まずい。状況が状況だけにお上に歯向かう訳にはいかない、あわてて神妙な顔をする。

 講習はミッチリ6時間。昔はこんなプログラムじゃなかった。グロテスクなビデオを見せられて終わりだったんじゃなかったか。
 今のは事故に至るまでのプロセスが中心で、オマケに適性試験や実車、シュミレーター講習までやって考査されるのだ。
 最初にガツンとやられたので久しぶりに授業を受けるような緊張感でもっともらしく聞いていた。最近の傾向で高齢者と自転車への注意を喚起し、ちょっとした不注意で悲惨なことになる、と言った内容である。
 最悪だったのはドライヴ・シュミレーターで、考査の対象ではないらしいが通常の運転感覚とは著しく違っていて、時間内に終わらなかったり車線をはみだしたり、ついでにスピードオーバーまでやらかしてしまった。なんだってこの私がゲーム・センターにあるような物で減点されなけりゃならんのだ。
 
 やっとこさ終えて、さすがにクタクタになってJRに乗り込むと驚いた。先程のあの講師のオッサンが乗り込んで来るではないか。私を認めると先ほどの厳しい顔とは打って変わってニコヤカに話しかけられた。
『お疲れ様でした』
『いえ、お世話になりました』
『まあ、二度とお目にかかることのないように慎重にやってください。はっはっはっは』
 ここに至って私は少し考えが変わって来た。
 ちょっとした不注意でここに来るはめに至ったのは、そのおかげでもっと悲惨なことになることを事前に防いだのではないか、と。すると初めの頃のあの忌々しさが、この程度ですんで良かったのではないか、と言う気持ちになってきた。きっと先程の厳しい講習にすっかり洗脳されたのだろう。
 私は平成30年のこの夏至の日から1年間、慎重な上にも慎重に、規則を遵守することを心に誓ったのだった(ウソです)。

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人は変わる どう変わる

2017 MAY 13 13:13:20 pm by 西室 建

 僕は以前、親友だった故中村順一君から『最近は丸くなった』と言われて驚いた。
 やはり数年前に九州に単身赴任したことが大きかったのかと考えたのだが、どうもそうでもない。やはり歳をとったのだろうか。
 そう思って振り返れば少年期はハシャギまわり、青年期はトンガリまくり、壮年期は暴れて暮らしたので、相当量の感情を撒き散らして生きてきた。
 どうもこれらの喜怒哀楽の量が滅亡してゴミになることが不思議でしょうがないから『来世』とか『あの世』といった形而上の概念が発達し、宗教として体系立てられたのではないだろうか。喜怒哀楽は優れて脳内の化学反応だから、肉体を失えば無くなってしまうのはいいとして、あんまり激しいこれらの発露は自然体としての健康にはいいことはないだろう。
 ヨガとか太極拳とかソノ手の体術は、ひたすら呼吸の安定と肉体の調和を説く。SMCメンバーの神山先生によれば修行の末に”気”が”見える”域にまで達すると言う。それは本当の事だと思う。
 無論修行も何にもしない僕が”気”が見えるはずはない。はずはないが何かそういうものがあるだろうとは思っている。
 昔の上司に”気”の達人がいて、この人は修行したわけでなく最初からそういう能力があったらしい。目の前で50肩が上がらなくなった者に”気”を入れたところ、たちどころに腕が上がって誰よりも本人が声を上げて驚いていた。本当の話だ。恐らく一種の血流、或いは神経伝達の活性作用だろうと思えるが定かではない。

 足が上がらない、疲れやすい、目が悪くなる、反射神経が鈍る、耳鳴りがする、息が切れる・・・。オマケに最近身の回りの物が突如無くなる、といった心霊現象にも悩まされるようになった。
 金が無くなった、と青ざめたら屑篭にあった。これなどいくら私が迂闊でも自分で捨てるはずはない。新幹線の切符が乗車してから忽然と消えた事もある。
 これは以前に書いたが、朝起きたら畳に血溜まりができるほど出血していたこともあった。いくら前の晩酔っ払っていたとしても絶対に心霊現象に違いない。
 こんな風になってしまって、これからどうやって老人道を全うしろというのか。ここは真剣に考えなければなるまい。そこで考えた十則を書き留めておく。

一.大勢の人のいる所に行かない、群れない。会合は小人数かサシでやる。
二.希望を持て。だが絶対に人に言うな。
三.偉そうに振舞うな。若い人には教えを請う、彼らの方が上。
四.目立つな。もう年寄りだ。
五.趣味なんかやるな。もう効果は少ない、上達もするわけがない。
六.もう焦ってはならない。時間は減るが返ってゆっくりやれ。
七.受けを狙うな。もう十分ヒネクた邪魔者だし。
八.僻むな。誰も見ていない。おまけに充分嫌われている。
九.怒るな。どうせ聞いてもらえない。
十.別にあした死ぬわけじゃない。

 ところで、気が付くと2年前にこんなことを書いている。随分変わってきたな。

おじさんが遊んで暮らす十ケ条

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立ち止まってみた

病室にて

モノを失くすという事

立ち止まってみた

2017 MAR 16 7:07:35 am by 西室 建

 「断・捨・離」という言葉があるそうだが、なかなかいい。いらない物を持ち込まず、いらないものは捨て、執着を持たない、ということだとか。
 これ、僕は3年前に母を送った時に身に染みて思うところがあった。遺品(というか生前使っていた物)は残された家族にとって全て必要のない物だ。見ると『ああ、これをあんなことに使っていたな』等と記憶が蘇り、もう少し取っておこうか、となりがちだった。
 しかし待てよ、物を見なけりゃ思い出さない記憶ってそんなに大事か。中にはイヤなことを思い出す代物もあったりして。
 で、結局片っ端から捨てに捨てた。洋服・本・書き物・日用品・装身具・靴・メモ・えーいこれでもか、とね。ついでに僕に関するものも多少あったが、それは見るのも嫌になって目を瞑って捨て。暫く呆然としたことは確かだった。

 例えば東京での孤独死や誰も住んでいない空家が問題になったり、地方のシャッター通りが話題になったりする。思うにこういったことは(それぞれ事情は違うにせよ)「断・捨・離」に失敗した結果かもしれない。
 前者は持てるものに固執して誰にも渡さない、或いは様々な事情により逆に周りから縁を切られてそうなったと考えられる。誤解を招くと困るのでクドクド申し添えるが、気の毒な結果になったことを本人のせいだと非難しているのではない。そこに至る過程で「断・捨・離」が上手く行かなかったことを慮っている。
 後者も全く人がいなくなったのではない。シャッター通りの住民も町の外のショッピング・モールに買い物に行っているだろう、と考えている。人の流れや消費行動が変わったことに気づかず、コストが高いままに駅前の店の権利を持ち続けたのかも知れない。店の持ち主も車に乗りモールで買い物をするのではないか。

 これ、人間関係にも当てはめられるだろうか。
 僕はこれ以上知り合いを増やしたくない。偶然の出会いはあるだろうが、殊更それを求めたくない。ちょっと前までは同窓会などの幹事役は進んでやったのだが、長い間会わなかった人と接するのに”人見知り”のような感覚に陥るのでやめた。この5年の話、調度ブログを書き出したあたりから群れるのが嫌いになった。 
 付き合いを断つ、そりゃ全部は無理ですな。一人では生きていけない。何も今仲良くしているのをブチ壊す必要はない。たまたま新たに知り合った人と親しくするのは誠に結構、ただ努めて新しい出会いを求めない。流れにまかせる。これが『断』にあたると考えている。
 長く付き合った(これは10年以上くらいか)例えば仕事をしていた頃の知り合いから声が掛からなくなった、或いは呼んでも出てこなくなったとする。無理矢理呼び出すとか押しかける事はしない。『去る者は追わず』と言う。これは自分が疎まれても別に嘆かない、僻まない、騒がない、こっちも悪いのだろう、と頷く。これを私流の『捨』としよう。捨てても捨てられても恨みっこなし。
 去年は親友一人、親しかった飲み屋のオーナー、親族二人といった面々を失った。特にかけがえのない友を失ったのは堪えた。正真正銘の『離』になってしまったわけだが、こちらもオッサンになってしまったから嘆いてばかりもいられない。むしろいつ自分になるか分からない、と言い聞かせている。
 静かに水がよどまないように流れて行く。これが私の『離』の解釈としている。

 この人間関係「断・捨・離」簡単なようでそうでない。この年になると分かるが、結構な根性を入れないとできないのである。
 例えば、まるで生存確認のようだ、と5年ほど前に年賀状をやめた。すると「あのヤローついにくたばったらしい」という悪意ある噂が流れた(1年だけですが)。
 また、どうしても会いたくない奴の顔を見るのが嫌で会合をすっぽかしたら「恩知らず」のレッテルが貼られた。

 静かに潮が引くように行方をくらまして「エッ、しばらく見ないと思ったらあいつ死んでたの」くらいになれないものか。

人は変わる どう変わる

病室にて


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モノを失くすという事

還暦過ぎボーダーが行く

2017 JAN 16 21:21:33 pm by 西室 建

 今年もスノボーができるだろうか。去年の最後に滑った時に膝に違和感を感じてビビッてから、一体幾つまで出来るのか不安になったものだった。
 先週は大雪で普通は喜んで行くのだろうが、オジサンはカラッと晴れた日にしかやらない。第一ノーマル・タイヤだからゲレンデまで行けない。

 例によっての流行遅れウェアに身を固めスックと山頂に立つと、西側は開けているが東に見えるはずの富士山は分厚い雲に覆われて全然見えない。おまけに粉雪が舞っていて早くも帰りが心配になった。
 恐る恐る滑り出してみるとやはり体が硬い。寒いので降雪が溶けて固まるガリガリ感がなく雪質はまあまあ。ゲレンデには流行のナンチャッテモーグル・コースがしつらえてあったがオジサンはパス。
 緩斜面をしばらく滑ってそろそろいいかと上級者コースに行く、全然ダメだった。確実に筋力が落ちている。
 具体的に言えば踏み止まる力、踵や爪先でグッと抑え込むような力が落ちるのだ。これはボーダーにとって致命的だ、泣ける。そして何年振りかで転倒までした。小さな凹凸に反応する反射神経が鈍くなってもいる。
 この年で骨折でもしたら直りも遅いだろうし、肝臓やら心臓やらそこらじゅう悪い所が表ざたになって出てこられないかも知れない。

遠くに人がパラパラ

 すると、いい具合にスクールの一団がいる。この集団の後ろからついていくと、オォッちょうどいい具合。
 子供は軽いからそんなに加速度がつかないのでスルスルと滑っていく。重心が低いのでなかなか転ばない。学童前か小学校1年生くらいだろう。ペースもゆっくりだから疲れない。
 ということはオレ(還暦過ぎ)の体力は10歳以下か?
 断じてそんなことはない!せめて12才くらいはあるだろうに。しかしこちらはこれから落ちる一方なのに対しチビ共は上がってくるのか。せめてあと五年はどうか・・・。                                                                                                                              
 翌日全身が痛くて・・・。子供はこうではなかろう。

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菩提寺のニワトリ

2016 APR 8 0:00:27 am by 西室 建

 早いもので亡母の三回忌。
 我が菩提寺は枝垂桜で有名(一部で)ですが、実はもう一つ。というかもう一羽。ほぼ野生化したオスのニワトリが放し飼いにされています。
 こいつは中々不幸な生い立ちらしく、どこかの養鶏場かなんかから逃げ出したのか捨てられたのか、お寺の前の小川のほとりで寒い朝半分氷った状態で保護されたようです。
 しかし天敵がいないのでしょうか、巣箱もないのにコッココッコと我が物顔で歩いています。
 人が近寄っても別に逃げませんし、かといって鳥ですから別に懐くわけでもありません。

雄々しい姿

雄々しい姿

 最近年のせいか小動物や自走掃除機のようなものにやたらと愛着を感じて、自分がやさしい人間になったような気がしています。それとも弱気になっているのでしょうか。それはさておき、このニワトリに『コッコちゃん』と秘かに名付け、周りに誰もいないのを確かめては呼びかけています。しかしそこは只のニワトリですからウンでもなければスンでもありません。

 今から四半世紀も前、杉並の大宮八幡様にはつがいで野生化したニワトリがいて、驚くべきことに大銀杏の5mくらいの高さまで飛んでいました。放し飼いにしておけば野生が戻るのでしょうか。
 そういえばヨットを係留している油壺の近くの公園に勝手にテントを張ってキャンプしていましたが、その辺りにも放し飼いのニワトリが野生化していました。そのニワトリ一家が朝にコケコッコーをやるので目が覚めたものです。
 微笑ましくて近くまで行くと、オンドリがトサカを振り立ててこちらに来ます。オォッ親愛の情が伝わったか、と思っていたら軽いジャンプと共にわたしの足に猛烈な蹴りを入れて威嚇するのです。ナンジャこいつ。
 しかしこれ、どうも私がニワトリ一家の縄張りを侵してしまったので、家族を守るために果敢に見知らぬ人間に戦いを挑んだのでしょう。
 そこへいくと我がコッコちゃんは家族も何もないから守るべきものはない。自由なのだ。
 と思って携帯を構えて映し、歩き出したら『コッコッコ』と言いながら後を追ってきた。一緒について遊ぶつもりなのか、愛い奴愛い奴と思ったらバサバサっとジャンプして二段蹴りを喰らいました。桜ドーム

 亡母が逝って丸二年。菩提寺で三回忌のお経を読んでもらいました。コッコちゃんには墓守も一緒にやって欲しいのですが、我が墓地はもっと高いところで縄張りの外。役に立ってもらえそうもありません。
 そして満開の枝垂桜。真下から見上げるとすっぽりと桜のドームに入り込んで、何やら胸が騒ぎます。桜は人を高ぶらせる。風もないのに満開ともなるとハラハラ散ります。

心騒ぐ

地面にも散っています

地面にも散っています

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

えらいこっちゃ Ⅳ

2015 APR 7 19:19:20 pm by 西室 建

 すったもんだで1年が経ち、亡母の一周忌を迎えた。何はともあれ1年という時間が経過してオレは還暦を迎えてしまった。菩提寺の桜が今年も散った。
 洋服やら膨大な本、レコードを捨てまくったり売り払ったりしても、まだ山ほど物があってため息が出る。これはそろそろ本腰を入れないと将来に禍根を残すかもしれない。今オレがやらないと必ず捨て残ってしまうからだ。それでなくとも先々代の誰も読まない本が捨てきれずに残っているし、この間は何代前が着たのか良く分からない羽織袴が発見された。

 故人を冒涜するつもりは全く無いが、その人の持ち物というのは本当に困る。当人を偲ぶ以外に何の役にも立たないからだ。オレはあまり過去を懐かしがる気風は薄く(記憶力が悪いという説もあるが)昔の物を残さないしおまけにしょっちゅう物を無くす。写真とかもあまりない。根本は『見なけりゃ思い出さない記憶は必要ないや』と考えるからだ。
 今でも亡母の若かった頃の姿なんかは残しておくべきだったとは、全然思はない。

 命日の前に一周忌を、との話になりカレンダーからお彼岸の3月21日にやることにし、それではお経はその前にとドンドン早まって3月14日に墓参し住職に頼み込んだ。3月とも思えない寒い日で、おまけに墓前でお線香を焚いているときには雨が降った。
『いくらせっかちにして命日の前を選んだにしてもこんな寒い日とは何事か!』
と怒り狂っている顔が浮かんできてゾッとした。更にまずいことに翌日は晴れ上がったポカポカ陽気。今度は
『それ見たことか!』
の声が聞こえて来るようだった。

 日本は四季の表情が豊かだから、それぞれの季節に想いを託せる花も風もあるだろう。だがよりにもよって桜の便りの時期とはお袋様らしいといえば、らしい。いやでも思い出す。
 来年もその次も桜を咲かせては一度は雨を降らせることだろう。桜、こんな寒いうちにまだ咲くな!こっちだって後10回くらいしか見ることが出来ないんだぞ!
 
 還暦を期に余り人前に出なくなったが、その分たまの飲み会では大乱れになってしまう(それは昔からの声有り)。N=constantということなのか、はたまた酒が弱くなったのか。視力・気力ともにめっきり落ちたが、オレはまだ死にそうもない。オヤジが米寿、オレが還暦、息子が25という構成にもなると時代が変わっていくことを実感させられる。

 一周忌の席上(墓参とは別にした)何人かがスピーチしてくれた。
 従兄弟が何人もいるのだが、彼等は『おしゃれで配慮が行き届いて、やさしいおばさまだった。』と口を揃えて言うのだ。一体誰の話だ、と呆気にとられた。どうも子供の目から見るのと多少印象がズレている。
 敗戦後早にく結婚したおやじ・おふくろには、叔父・叔母達の方が『世話になった。』と感じているようだった(二人は長男と長女)。オレとしては、死んだ母親の思い出を一族で共有していくうちに供養になり、次の世代に気質が伝わってくれればと思った。

 オレがこれからどうなっていくのかは知らない。だからどう終わるのかはもっと分からない。
 暫く音沙汰ないなあ、と周りが気が付いたときにはこっそりオサラバしていて『あのオッチョコチョイ、声も掛けずに逝っちまいやがった。アイツらしい。ワハハハハ。』くらいがお似合いとは思うが。

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えらいこっちゃ

えらいこっちゃⅡ

えらいこっちゃ Ⅲ

菩提寺のニワトリ

 

えらいこっちゃ Ⅲ

2014 JUL 17 22:22:52 pm by 西室 建

 先日都内某駅にて、人身事故を真近で見てしまった。音など聞こえず、急停車のブレーキ音とアラームのサイレンでそれと知れた。私から10mも離れていない所での出来事である。飛び込みかどうかは分からない。思わず助けなければと反射的に思い、そしてそれは無駄だと直ぐに分かった。激しく動く影が見えたのだ。詳述は控える。
 仮に何かの事故だとすれば、それは私と紙一重の所で起こった。そう気が付いて少し手が震えた。先日行ったインドでもあの交通事情から考えてヤバい瞬間はそれこそいくらでもあっただろうし、さすがに暫く避けているが行方不明になったマレーシア航空には何度も乗った。最後まで喫煙席があった数少ないエアだったからだ(他にはエール・フランス、アリタリア)。ベトナムでは乗ったバスがバイクをやってしまう寸前だった。
 むしろ、私達は等しくそういった危険に取り囲まれて暮らしていると言える。
 大好きなフット・ボール映画の『Any Given Sunday』でアル・パチーノがチームに激を飛ばすシーン。フット・ボールは目の前の1インチの争いだ。ほんの半秒遅くとも早くてもパスはキャッチできない。マージン・フォア・エラーは周りのいつ、とこにでもある。その1インチのために全てをかける、それがフット・ボールだ・・・・(別に野球でもいい)。
 確かにマージン・フォア・アクシデントはそこら中に転がっているに違いない(私の場合特に泥酔時等)。そしてその日は偶然にある人が巻きこまれ、私は辛くも無事だった。1インチではなく数mだが。

 今年は春先に母を送り、その後家人の従兄弟が亡くなっている。インドにいる時に今度は家人が母と同じ所を骨折し、その時点で息子はロンドンに出かけていて、地球中に家族がバラバラになっていた。帰国してドタバタしている最中に、新人の時の直属上司の訃報が入って通夜・葬儀に行った。年なのか集中的にそんなことが起きていると、悲しみの密度は下がらないが、葬式ズレするというかセレモニーに慣らされてしまい『死』の恐怖が薄れていく。本日は20年も会っていない遠縁の訃報まで届いた。
 上手く文章にできないが、臆病に生きていてもしょうがないという感覚が湧いてくる。どう考えても今までよりこれからの方が時間が少ない。念の為、犯罪に走ると言う訳では決してないが。
 もう一つ、これも表現が難しいのだが、匿名への希望が強くなった。尤もSMCは本名・顔写真原則なので、ブログを書いている限りはできない相談だが、死ぬ時くらいは誰にも知られずに葬式の心配もせずにひっそりと逝きたい、とでも言おうか。何しろ少なからず人の恨みも買っていることだろうし。

 しかし私の順番はあすでも明後日でもなさそうであり、当面ボチボチとやって行くのであるが、その結果がどうなるのか。
 最近作家の中村うさぎさんが臨死体験をして『一切書くことが無くなった』旨の文章を発表されていたが、どうもそういうものらしい。
 以前には私も記憶喪失のフリをしている内に本当にボケてしまったらどんなにいいか、既に相当の税金も払ったことだし(特に酒タバコで人の10倍は払っているはず)どこかの介護施設に保護されて、何も分からなくなってしまう権利があるような気が・・・・、しかしそれも迷惑か。

 まッしばらくトコトコ歩かざるを得ないか、1日1日積み重
ねて。少し元気になってきたし。

えらいこっちゃ

えらいこっちゃⅡ

えらいこっちゃ Ⅳ

菩提寺のニワトリ

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えらいこっちゃⅡ

2014 APR 10 20:20:50 pm by 西室 建

骨折し入院を続けていた母が逝った。突然ではなく、4か月の闘病の後である。発端は腕の骨折だったが、実際は大腿骨もやっていたことが後に判明し、そちらの緊急手術をする際に麻酔で一度心臓が止まった。その後にそこら中悪くなり、最後は急性肺炎による呼吸不全で身罷ったのだ。昭和6年生まれなので激動の昭和史をまるまるなぞったことになる。兄が一人と母親の違う弟が二人。実母は早くに亡くしている。

父親は戦前の東京証券取引所の理事長で、財界の大物郷誠之助の右腕だった。どうやらボーナスで家作が一軒買えるような家庭のお嬢様。しかし厳しく躾けられたらしく、極々真面目な人であった。戦前の名門女学校に通っている頃にはフランス文学に凝って、東大の辰野教授の聴講生となり、実際フランス語は話せた。敗戦で環境は激変する。敗戦時は鶴岡に疎開していた。そして父親は公職追放に。帰京して女学校を卒業後、実兄の同級生だったオヤジと結婚し、僕と妹が生まれる。それから高度経済成長が始まる訳だが、僕が生まれた頃には中野区の沼袋に平屋の新婚家庭を営み、家の中に井戸があったことや庭にオヤジが掘った池なんかをうっすらと覚えている。隣の家にいたシゲ子ちゃんという女の子と良く遊んだ。そのころ近所に共産党の不破哲三夫妻が住んでおり、両親ともご夫妻とは学校の関係で顔見知りだった縁で僕はオシメを代えてもらったと聞く。その後は神田のオヤジの実家に引っ越す。

病院では家族が3交代さながらのシフトを組んで見守っていたが、自然と会話は昔のことになって行く。特に敗戦の前後の落差が大きすぎるのでどうしても娘時代のことを語りがちだった。2.26事件当日、父親が帰ってこなかった雪の日の事、友達と前を歩く一高生のマントを脱がせられるか賭けをした事、大勢いた従兄弟達と遊んだ事。最期まで意識はしっかりしていたが、肺が持たなくなった。

病院は治療方針が立たずに打つ手が無くなり、そうなると介護施設への移転を検討せざるを得ず、実際に何箇所か見学に行ったのだが無駄になった。苦しむことの無いように、一家で延命治療は断ったのだが本人がどの程度の苦痛なのかは分からない。忍び寄る死の影を感じられなくなるまで、いっそモルヒネ漬けにでもして欲しいとさえ思ったのだが、現在の医学倫理はそれをさせてくれない。この選択の問題は近く大きな議論を呼ぶのではないか。

亡骸を前にしてつらつら考えたが、人には大変親切に接し、善意と正義感に溢れる人だった。同時に、思い込みが強く激しい気性をなので、時に現実と大きく乖離してしまうケースも思い出す。何事にも一生懸命やる人でもあった。実に不可思議ではあるが、こういった生真面目さにのっとった気質が子供達にも孫達にも全く継承されなかった。これから整理しなければならないこともあるため、その度にどういう気持ちになるか、今はわからない。葬儀は家族葬とし、親族、交友関係に不義理をしたが、故人の強い意向に従った。僕はそういう時にあまり”泣く”という習慣がないので、オヤジからは薄情者と言われてひどくうろたえた。いずれ又、偲んで綴るかもしれない。子供二人、孫二人、曾孫二人。菩提寺の枝垂桜が満開だった。

 
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えらいこっちゃ Ⅲ

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菩提寺のニワトリ

えらいこっちゃ

2013 DEC 26 15:15:05 pm by 西室 建

82才になる母親が転倒して腕を折った。上腕骨頭下部粉砕骨折と診断され、元々足が弱っていたこともあり立ち上がれなくなった。地元の整形外科では手に負えなくなり、結果は某大学病院への入院となったが、3日間実家で介護をした。骨折が金曜日でその日行けるのが私だけだったため、とりあえず駆けつけ車椅子に乗せてレントゲンを撮りに行ったが、骨密度が極端に低いこともあり立派な骨折。腕はダランと下がり動かせば痛い。こちらも素人だから、起こす際には前から支えるように動く右手でしがみつかせて引っ張るのだが、折った方の肘が当たったりすると痛がる。体重40kg以下の老婆なのに無理な体制でやるものだからこちらも無駄な力が入って物凄く重く感じた。入院させてから分ったが、あれは後ろから支えるのが正しいようだ。夜に父親が帰ってきたので引き継いで家で寝たのだが、こちらも85になる翁である。一晩で腰を痛めた。翌日から月曜の入院までまる3日つきあう事になった訳だ。痛いのは本人だし、思い通りにならないもどかしさから、勢い口を突いて出る台詞は激しいものとなる。明け方起こされたときはこちらも辛く、さすがに売り言葉に買い言葉にはならなかったものの、何と言えばいいのか『カッ』となったのは事実だ。

この『カッ』となった感情というもの、表現する言葉がない。双方悪意がないことは勿論、申し訳ないとさえ思っているのは間違いないのだが、行き所の無いドロドロとした感情のマグマが噴出する寸前の気分なのか。この気持ちは入院させる時にも湧いた。大学病院も稼働率が高いため病床のやり繰りがつかず(本人がどうしても個室、と言い張ったため)特別病室に入ることになり、その料金が一泊◎万円だった。それを聞いた時に、そうも言ってられないと思いつつ又『カッ』となった。大体この年でもう元に戻ることは無いのに・・・・。今では最後の贅沢か、と折り合いをつけてはいるが。

母は戦前のお嬢さん育ちで大変マジメな質なのだが、気象の激しい人。フランス文学にかぶれて日常会話くらいはこなして見せた。躾は厳しかったがずいぶんと無駄になっているのは、できあがったのが私と愚妹なので御案内の通り。昭和ヒトケタのど真ん中で時代と共に軍国少女→疎開→敗戦→大挫折→没落→左傾→高度成長の道をたどった。標準的な昭和ヒトケタ世代と括るのは簡単だがその響きは限りなく深い。恐らく百人百色・千人千色の人生があり、様々な事象の上に今日があるであろう。小さくなってしまった母親を抱えた時の以外な重さがこれなのではなかろうか(実際には中腰なのと痛がるので無理な姿勢をとったに過ぎないだろうが)。

骨折程度の怪我は現代医学ではカスリ傷程度、とばかりに最新の手術でめでたくチタンのバーを入れてもらい、病院はそれ以上治療することはない。後はリハビリなのだが、2週間ベットにいたので我儘も手伝い一向にやろうともしない。その顔を見て3度目になる『カッ』が又来た。ガンでもエイズでもないくせに、死にそうな声をだしやがって、といったところか。どうにか歩けるようになってもらわなけりゃ帰って来られても暮らせない。85才になるオヤジは元気だが、放っておいたら二次災害になってしまう。

そうこうしている内にあまりに痛がるので腰から足のレントゲンと精密検査をしたところ、当初かすかなヒビがあったのが骨の弱さも相まって亀裂が生じ、再手術となってしまった。さすがに病院側もあわてて発見後翌日には執刀される予定だったのだが。本人のストレスは物凄く、腑抜けたようになってしまいこちらも見ていて辛い。そして当日麻酔をかけた段階で異変が起こった。その場にいた訳ではないが一時心臓が止まった。手術は中断しICUに担ぎ込まれ口から鼻からチュ~ヴを突っ込まれてしまった。家族は呼ばれ夕方ベッドの横に行ったのだが、その段階ではチュ~ヴは抜かれていたが錯乱したのだろう、怒り狂っていた。『何でこんな所にいるのか。』『誰がこんなことを承諾した。』と目つきも凄まじく、鬼気迫る形相に驚いた。更に点滴を引き抜こうとするので腕を拘束されている。本人も大変なのだろうが僕はむしろにこやかに対応している先生方や看護師さん達に心底同情し感謝した。この日実際には夜も少しおかしくなり、駅周辺で飲んでいた僕達はもう一度ICUに行くことになった。例の『カッ』となることはなかった。それよりも何故か若い頃に読んで読後感が不気味だった深沢七郎の『楢山節考』の一説が思い出されたり、戦場で散った若い特攻隊員の命に比べればずいぶんコストがかかる、医学が発達し過ぎてこうまでしなけりゃ死ねないのか、等という不謹慎なことを考えたりした。なにしろ心臓が弱っているため、血流が滞るのを防ぐように足に空気マットでマッサージをし続ける機器までついているのだ。

今から考えると、表現が難しいのだがこの心臓停止時点で逝くのも、本人にとっては楽だったのかと思う。翌日執刀医がわざわざ詫びに見えた時、言葉を選びつつ本人も家族も無理な延命は望まないと伝えたが。

こういう時西洋人や中東では宗教に行くのだろうが、『神様の・・・』という概念は露ほども浮かばなかった。菩提寺は浄土真宗だし、母の実家は神道なので、思し召しもなにも無い。耄碌も進むだろうと覚悟を決めつつあるとき、実家のかたずけに行った妹がベッドの脇から大量のメモを発見した。それは何と消えつつある記憶を必死に残そうとしたのか、自分が好きだったものを書き綴っていたのだ。クラシック音楽(フルトヴェングラーにつぃての記述、マリア・カラスの印象、カラヤンの悪口)、文学(フランス文学の泰斗故辰野隆博士の記憶、ヴェリエ・ド・リラダン、アルチュール・ランボウ)、華やかだった少女時代の印象の記述があった。妹は「さすがに切ない。」と表現したが、その内いくつかは子供のころから聞かされていた話で、SMCの趣旨に則りそのうちに記録として残してやりたい衝動にかられる。

意識が戻った段階で、ICUでの記憶は、むしろ幸いなことに全て飛んでいた。そしてまともな話ができるくらいには回復したのだが、この先歩くのは難しいだろう。こういうことを書くのは勇気がいるが、日本中どこでも誰でも経験することであり、また遅かれ早かれ通る道でもある。耄碌が進んでしまえば何億年もかけて進化してきた『人間』とは違った道に行ってしまうのだ。その時も安らかであることを心から願う。そしてそれでも生きようとする命というものに改めて敬意を表する。最後に全力を尽くしてくれた某大学病院のスタッフに深く感謝したい。

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えらいこっちゃⅡ

えらいこっちゃ Ⅲ

えらいこっちゃ Ⅳ

菩提寺のニワトリ

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