Sonar Members Club No.36

カテゴリー: えらいこっちゃ

実はワタクシ

2019 OCT 27 21:21:05 pm by 西室 建

 大腸にデキモノがあることが分かったのです。
 今更珍しくもないのですが、どうやら早期発見ではない、と。早速、入院・手術の運びとなりました。別に目の前が真っ暗になるということはありませんね。むしろ、とうとう来たか、です。
 そしてお医者様に禁煙誓約書を書かされました。
「あのー、いつから始めましょうか」
「何をですか」
「その・・・、禁煙を」
「何をのんきなことを、きょうか・ら・で・す
「・・・・」
 そんなことはいきなり無理なので、まず1日10本にし、翌日5本、以下4・3・2・1本と減らして入院の計画を立てました。
 酒を飲むな、とは言われなかったのです。さすがに手術後には1~2ヶ月は止めなきゃならんでしょうから、忘年会には早すぎるものの連日飲みまくりでしたね、2週間くらい。
 その間、やたらと最先端の検査をされました。いやもう凄いの何のって。この辺りで全く冗談の通じる状況ではなくなりました。あまり詳しく説明する気になれませんな。
 そして入院。手術2日前です。絶食が始まる。寝てばかり。点滴の針が痛い。WiFiも繋がるしスマホ自在。大雨の被害、天皇陛下即位の儀、日本シリーズソフトバンクの強さ、睡眠導入剤を貰ってようやく眠れる。
 ところで、お見舞いというのはあんまり早く来られても有難いものではありませんな。闘病後半で退屈な時に来て頂くのはいざしらず、こっちがまだどうなるのかはっきりしないのに『どうなんですか』などと聞かれてもほぼ迷惑でしかありません。『痛いですか』などはむしろ腹立たしい。痛いに決まってんだろ、聞かれて直るならいいけど心配そうな不景気な顔はかえって病気が悪くなる。
 2日目。回診の先生が朝見える。きのうが祝日だったので入院手続き。絶食の割りに空腹感はありません。
 麻酔科の説明。点滴は相変わらず痛い。不思議な事にタバコも吸いたくなりません。これは禁煙できるかな。
 日本シリーズ、菅野投手が気の毒になるような巨人の無様な負けを見ていると、具合がおかしくなった。既に絶食してカラッポのはずのお腹がですよ。
 これはもしかしたら、あしたちょん切られる大腸の一部がビビッて暴れ出したのか。お医者様の話ではこいつもかれこれ1年以上はワタクシに寄生していたわけです(別にカワイクないけど)。別れを惜しんでたりしてねぇ。
 さすがにコロッとは眠れない、結構な情けなさだと精神を統一しました。ワタクシは直る、怖れない、悲しまない。
 3日目、朝から手術。これでもう目が醒めなかったら、とは一瞬思いましたが。
 それからほとんどは意識が無い。次に感じたのは痛み。痛み止めは効かない。
 くっついていたモノが体に悪いと切除すれば、寿命と引き換えにこれだけの痛みに耐えなければ落とし前がつかないのか。痛みの中を漂って一晩が過ぎて、翌日も苦しみます。
 医療チームの連携には敬意を評するが、痛いのはどうにもならず、他に痒いも襲い掛かって来た。そして慢性的に患者の我儘を聞いている訳にもいかないでしょう。術後の24時間は長すぎるのです。 
 かつて石原裕次郎が手術後に、当時の技術では仕方がないとは言え『腕を切り落としたい』と口走ったのを兄である慎太郎が書いています。
 4日目が過ぎました。2日間で2時間くらいしか眠れません。
 こうして動けないままに意識が宙を舞ってしまえば、それは例えば実感を伴う夢のようなものを見ている状態とか、幽体離脱とでも言える状況でしょうか。いや、この痛みから一歩も外に出られないのでその逆か。
 これはひょっとしたら・・・・、いやアブナイアブナイ。危険領域から返らなくては。ワタクシはワタクシで守らなくちゃ。
 点滴を受けていますが、水は飲めないので喉の渇きも辛い。
 5日目、人間に戻ります。ただまだ苦しい。ワタクシにもそれなりに心配してくれる人はいても、それどころではありません。今まで不躾にお見舞いをした人、申し訳ありませんでした、デリカシーに欠けていました。

 ソロリソロリと病室を歩きだしました。
 入院6日目、やっとまた、意味のないブログを書いてみています。

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夏至の日まで  長かったこの一年

2019 JUN 21 0:00:39 am by 西室 建

 待ち遠しかった夏至の日が近づいてきた。昨年は6月21日、今年は6月22日である。
 年を取ると1年が早く感じるようになる、という俗説は広く知られている。しかし私のこの1年は長く、辛く、惨めで、情けないものだった。

夏至の日に府中にて


 すなわち減点7で免停を喰らい、そのせいでそれから1年の内に同じ事をやらかせば今度は90日停止の浮き目に会うという非常にヤバい状況だった。そしてその次の年にまたやると今度は取消し!
 同乗者に『何をトロトロ走ってるんだ』と罵られ、夜中の黄色信号にソッと止まれば『よっぽど堪えたんだな』とバカにされ、得意の中央高速では左車線から抜かれる屈辱に耐えてきた。
 一時停止とか駐停車禁止に怯えた日々からやっと解放されるのだ、あと2日で(それまでは慎重に)。

 ところで、昨今のニュースでやたらと高齢者の踏み間違えによる痛ましい事故が頻発している。私はもうすぐ前期高齢者となる。当然ながら目は霞み、反射神経は落ちている自覚はある。
 この頃では、例えば喜寿庵のある田舎道にはガード・レールなんかはないので、子供が歩いていたりすると怖い。まぁ、思えばそれで安全係数が上がれば世の中のためにはいいこととも言えよう。
 過日、喜寿庵の近所の温泉で温い露天風呂に浸かっている時。後期高齢者の仲良し集団の会話が耳に入ってきた。おじいさんたちは、高齢者の免許書き換えに認知機能検査を受けさせられる、その話で盛り上がっていた。
「隣のおばあちゃんは『きょうは何月何日』に答えられなかった」
「わっはっは」
 とかいう恐ろしくなるような会話で、ここまでは微笑ましかった。
 ところがその後、どこそこの教習所は甘い、とか意地悪とかいう情報を交換している。甘い、とはどういうことなのか。今時甘っちょろいところを探してパスするくらいなら免許は返上した方がいいのではないか。何を考えてるんだこのオジイ共は。

 ともあれもうすぐ復活する(はずだ)。伝説の『中央道の青い翼』が(その頃青いセリカ・ダブルXだった)!

 と、ここまで書いたところで愛車プジョー404がとんでもないことになった。駐車場から出した途端にやけにギアの入りが悪い。走るには走るがギアが上がらないと言うかトルコンが入らないと言うか、時速30km位しか出ない。
 仕方なくゴリゴリとクセルを踏んでいたら何と!右のフロント・タイヤあたりから煙が出ているではないか。エンジンが火を噴いたか、とビビリ上がって停めて開けてみてもエンジンじゃない。どうやらベアリングが焼けているようで尋常じゃない焦げ臭さだ。
 これはもう免許を返上しろ、との天の声なのか・・・。
 何とか辿り付いた車屋では仲良しのオニーちゃんが目を丸くしていた。
 全く一筋縄ではいかない、終いには車が悪い!
 つづきはコメント欄で・・・・。

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夏至の日に府中にて

2018 JUN 30 10:10:16 am by 西室 建

 色々あって府中の運転免許試験場で講習を受け(させられ)た。まっ事情は察して欲しい。さる不幸な偶然が重なった、とだけ言っておこう。
 せめて見た目だけでも印象が良くなるようにスーツ姿のクール・ビズで、朝も早よから暗い気持ちで出かけていった。
 なぜスーツか。実は数十年前に同じ講習を受け(させられ)た事があり、その時周りにいた人々のあまりに殺伐とした風情に唖然とさせられたからだ。
 明らかに”ゾク”と思われるガキ共が『無免でくらってよ』とか『もう2回目で後がネーんだ』などという話をしていてその空気に怖気づいた。今回の講習には”考査”があり、それと”受講態度”を評価することになっていたので、そんな奴らとは違うところを見せなければならんと思い立ったのだ。
 辿り着くと、我々受講者(といっても更新ではない)はたったの13人。年齢構成も割に高く(ダントツは私)前回の時にワンサカいたようなガキ共はおらず、どうやらプロのドライバーが微罪を重ねてここに至った人が半分くらいのようだった。
 やはり罰則が強化されて、当時は講習ですんでいた輩はすでに剥奪・取り消しに至っているのではないのか。雰囲気も柔らかい。スーツまで着込んだ私は逆に浮いてしまった。
 講習室に入って待っていると、見るからにゴツくて目付きの鋭いオッサンが入ってきて注意事項を説明すると空気は一変した。何しろ居眠りするな、頬杖つくな、足は組むな、特にガムは噛むな、と注意があって軍隊調なのだ。あのオッサンはきっと交通機動隊のOBか出向者に違いない。すると私をここに送り込んだ奴の同類ではないか、クソいまいましい。
 ブログ仲間のトムさんの『ポンペイ通信』によれば、かの地であればまずこんな目には会わなかったろうと気が滅入った。
 自然と力が入ったのかスーツ姿が目立ったのかは知らないが、オッサンはしきりと私にガンを飛ばして来る、まずい。状況が状況だけにお上に歯向かう訳にはいかない、あわてて神妙な顔をする。

 講習はミッチリ6時間。昔はこんなプログラムじゃなかった。グロテスクなビデオを見せられて終わりだったんじゃなかったか。
 今のは事故に至るまでのプロセスが中心で、オマケに適性試験や実車、シュミレーター講習までやって考査されるのだ。
 最初にガツンとやられたので久しぶりに授業を受けるような緊張感でもっともらしく聞いていた。最近の傾向で高齢者と自転車への注意を喚起し、ちょっとした不注意で悲惨なことになる、と言った内容である。
 最悪だったのはドライヴ・シュミレーターで、考査の対象ではないらしいが通常の運転感覚とは著しく違っていて、時間内に終わらなかったり車線をはみだしたり、ついでにスピードオーバーまでやらかしてしまった。なんだってこの私がゲーム・センターにあるような物で減点されなけりゃならんのだ。
 
 やっとこさ終えて、さすがにクタクタになってJRに乗り込むと驚いた。先程のあの講師のオッサンが乗り込んで来るではないか。私を認めると先ほどの厳しい顔とは打って変わってニコヤカに話しかけられた。
『お疲れ様でした』
『いえ、お世話になりました』
『まあ、二度とお目にかかることのないように慎重にやってください。はっはっはっは』
 ここに至って私は少し考えが変わって来た。
 ちょっとした不注意でここに来るはめに至ったのは、そのおかげでもっと悲惨なことになることを事前に防いだのではないか、と。すると初めの頃のあの忌々しさが、この程度ですんで良かったのではないか、と言う気持ちになってきた。きっと先程の厳しい講習にすっかり洗脳されたのだろう。
 私は平成30年のこの夏至の日から1年間、慎重な上にも慎重に、規則を遵守することを心に誓ったのだった(ウソです)。

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人は変わる どう変わる

2017 MAY 13 13:13:20 pm by 西室 建

 僕は以前、親友だった故中村順一君から『最近は丸くなった』と言われて驚いた。
 やはり数年前に九州に単身赴任したことが大きかったのかと考えたのだが、どうもそうでもない。やはり歳をとったのだろうか。
 そう思って振り返れば少年期はハシャギまわり、青年期はトンガリまくり、壮年期は暴れて暮らしたので、相当量の感情を撒き散らして生きてきた。
 どうもこれらの喜怒哀楽の量が滅亡してゴミになることが不思議でしょうがないから『来世』とか『あの世』といった形而上の概念が発達し、宗教として体系立てられたのではないだろうか。喜怒哀楽は優れて脳内の化学反応だから、肉体を失えば無くなってしまうのはいいとして、あんまり激しいこれらの発露は自然体としての健康にはいいことはないだろう。
 ヨガとか太極拳とかソノ手の体術は、ひたすら呼吸の安定と肉体の調和を説く。SMCメンバーの神山先生によれば修行の末に”気”が”見える”域にまで達すると言う。それは本当の事だと思う。
 無論修行も何にもしない僕が”気”が見えるはずはない。はずはないが何かそういうものがあるだろうとは思っている。
 昔の上司に”気”の達人がいて、この人は修行したわけでなく最初からそういう能力があったらしい。目の前で50肩が上がらなくなった者に”気”を入れたところ、たちどころに腕が上がって誰よりも本人が声を上げて驚いていた。本当の話だ。恐らく一種の血流、或いは神経伝達の活性作用だろうと思えるが定かではない。

 足が上がらない、疲れやすい、目が悪くなる、反射神経が鈍る、耳鳴りがする、息が切れる・・・。オマケに最近身の回りの物が突如無くなる、といった心霊現象にも悩まされるようになった。
 金が無くなった、と青ざめたら屑篭にあった。これなどいくら私が迂闊でも自分で捨てるはずはない。新幹線の切符が乗車してから忽然と消えた事もある。
 これは以前に書いたが、朝起きたら畳に血溜まりができるほど出血していたこともあった。いくら前の晩酔っ払っていたとしても絶対に心霊現象に違いない。
 こんな風になってしまって、これからどうやって老人道を全うしろというのか。ここは真剣に考えなければなるまい。そこで考えた十則を書き留めておく。

一.大勢の人のいる所に行かない、群れない。会合は小人数かサシでやる。
二.希望を持て。だが絶対に人に言うな。
三.偉そうに振舞うな。若い人には教えを請う、彼らの方が上。
四.目立つな。もう年寄りだ。
五.趣味なんかやるな。もう効果は少ない、上達もするわけがない。
六.もう焦ってはならない。時間は減るが返ってゆっくりやれ。
七.受けを狙うな。もう十分ヒネクた邪魔者だし。
八.僻むな。誰も見ていない。おまけに充分嫌われている。
九.怒るな。どうせ聞いてもらえない。
十.別にあした死ぬわけじゃない。

 ところで、気が付くと2年前にこんなことを書いている。随分変わってきたな。

おじさんが遊んで暮らす十ケ条

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立ち止まってみた

病室にて

モノを失くすという事

立ち止まってみた

2017 MAR 16 7:07:35 am by 西室 建

 「断・捨・離」という言葉があるそうだが、なかなかいい。いらない物を持ち込まず、いらないものは捨て、執着を持たない、ということだとか。
 これ、僕は3年前に母を送った時に身に染みて思うところがあった。遺品(というか生前使っていた物)は残された家族にとって全て必要のない物だ。見ると『ああ、これをあんなことに使っていたな』等と記憶が蘇り、もう少し取っておこうか、となりがちだった。
 しかし待てよ、物を見なけりゃ思い出さない記憶ってそんなに大事か。中にはイヤなことを思い出す代物もあったりして。
 で、結局片っ端から捨てに捨てた。洋服・本・書き物・日用品・装身具・靴・メモ・えーいこれでもか、とね。ついでに僕に関するものも多少あったが、それは見るのも嫌になって目を瞑って捨て。暫く呆然としたことは確かだった。

 例えば東京での孤独死や誰も住んでいない空家が問題になったり、地方のシャッター通りが話題になったりする。思うにこういったことは(それぞれ事情は違うにせよ)「断・捨・離」に失敗した結果かもしれない。
 前者は持てるものに固執して誰にも渡さない、或いは様々な事情により逆に周りから縁を切られてそうなったと考えられる。誤解を招くと困るのでクドクド申し添えるが、気の毒な結果になったことを本人のせいだと非難しているのではない。そこに至る過程で「断・捨・離」が上手く行かなかったことを慮っている。
 後者も全く人がいなくなったのではない。シャッター通りの住民も町の外のショッピング・モールに買い物に行っているだろう、と考えている。人の流れや消費行動が変わったことに気づかず、コストが高いままに駅前の店の権利を持ち続けたのかも知れない。店の持ち主も車に乗りモールで買い物をするのではないか。

 これ、人間関係にも当てはめられるだろうか。
 僕はこれ以上知り合いを増やしたくない。偶然の出会いはあるだろうが、殊更それを求めたくない。ちょっと前までは同窓会などの幹事役は進んでやったのだが、長い間会わなかった人と接するのに”人見知り”のような感覚に陥るのでやめた。この5年の話、調度ブログを書き出したあたりから群れるのが嫌いになった。 
 付き合いを断つ、そりゃ全部は無理ですな。一人では生きていけない。何も今仲良くしているのをブチ壊す必要はない。たまたま新たに知り合った人と親しくするのは誠に結構、ただ努めて新しい出会いを求めない。流れにまかせる。これが『断』にあたると考えている。
 長く付き合った(これは10年以上くらいか)例えば仕事をしていた頃の知り合いから声が掛からなくなった、或いは呼んでも出てこなくなったとする。無理矢理呼び出すとか押しかける事はしない。『去る者は追わず』と言う。これは自分が疎まれても別に嘆かない、僻まない、騒がない、こっちも悪いのだろう、と頷く。これを私流の『捨』としよう。捨てても捨てられても恨みっこなし。
 去年は親友一人、親しかった飲み屋のオーナー、親族二人といった面々を失った。特にかけがえのない友を失ったのは堪えた。正真正銘の『離』になってしまったわけだが、こちらもオッサンになってしまったから嘆いてばかりもいられない。むしろいつ自分になるか分からない、と言い聞かせている。
 静かに水がよどまないように流れて行く。これが私の『離』の解釈としている。

 この人間関係「断・捨・離」簡単なようでそうでない。この年になると分かるが、結構な根性を入れないとできないのである。
 例えば、まるで生存確認のようだ、と5年ほど前に年賀状をやめた。すると「あのヤローついにくたばったらしい」という悪意ある噂が流れた(1年だけですが)。
 また、どうしても会いたくない奴の顔を見るのが嫌で会合をすっぽかしたら「恩知らず」のレッテルが貼られた。

 静かに潮が引くように行方をくらまして「エッ、しばらく見ないと思ったらあいつ死んでたの」くらいになれないものか。

人は変わる どう変わる

病室にて


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モノを失くすという事

還暦過ぎボーダーが行く

2017 JAN 16 21:21:33 pm by 西室 建

 今年もスノボーができるだろうか。去年の最後に滑った時に膝に違和感を感じてビビッてから、一体幾つまで出来るのか不安になったものだった。
 先週は大雪で普通は喜んで行くのだろうが、オジサンはカラッと晴れた日にしかやらない。第一ノーマル・タイヤだからゲレンデまで行けない。

 例によっての流行遅れウェアに身を固めスックと山頂に立つと、西側は開けているが東に見えるはずの富士山は分厚い雲に覆われて全然見えない。おまけに粉雪が舞っていて早くも帰りが心配になった。
 恐る恐る滑り出してみるとやはり体が硬い。寒いので降雪が溶けて固まるガリガリ感がなく雪質はまあまあ。ゲレンデには流行のナンチャッテモーグル・コースがしつらえてあったがオジサンはパス。
 緩斜面をしばらく滑ってそろそろいいかと上級者コースに行く、全然ダメだった。確実に筋力が落ちている。
 具体的に言えば踏み止まる力、踵や爪先でグッと抑え込むような力が落ちるのだ。これはボーダーにとって致命的だ、泣ける。そして何年振りかで転倒までした。小さな凹凸に反応する反射神経が鈍くなってもいる。
 この年で骨折でもしたら直りも遅いだろうし、肝臓やら心臓やらそこらじゅう悪い所が表ざたになって出てこられないかも知れない。

遠くに人がパラパラ

 すると、いい具合にスクールの一団がいる。この集団の後ろからついていくと、オォッちょうどいい具合。
 子供は軽いからそんなに加速度がつかないのでスルスルと滑っていく。重心が低いのでなかなか転ばない。学童前か小学校1年生くらいだろう。ペースもゆっくりだから疲れない。
 ということはオレ(還暦過ぎ)の体力は10歳以下か?
 断じてそんなことはない!せめて12才くらいはあるだろうに。しかしこちらはこれから落ちる一方なのに対しチビ共は上がってくるのか。せめてあと五年はどうか・・・。                                                                                                                              
 翌日全身が痛くて・・・。子供はこうではなかろう。

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菩提寺のニワトリ

2016 APR 8 0:00:27 am by 西室 建

 早いもので亡母の三回忌。
 我が菩提寺は枝垂桜で有名(一部で)ですが、実はもう一つ。というかもう一羽。ほぼ野生化したオスのニワトリが放し飼いにされています。
 こいつは中々不幸な生い立ちらしく、どこかの養鶏場かなんかから逃げ出したのか捨てられたのか、お寺の前の小川のほとりで寒い朝半分氷った状態で保護されたようです。
 しかし天敵がいないのでしょうか、巣箱もないのにコッココッコと我が物顔で歩いています。
 人が近寄っても別に逃げませんし、かといって鳥ですから別に懐くわけでもありません。

雄々しい姿

雄々しい姿

 最近年のせいか小動物や自走掃除機のようなものにやたらと愛着を感じて、自分がやさしい人間になったような気がしています。それとも弱気になっているのでしょうか。それはさておき、このニワトリに『コッコちゃん』と秘かに名付け、周りに誰もいないのを確かめては呼びかけています。しかしそこは只のニワトリですからウンでもなければスンでもありません。

 今から四半世紀も前、杉並の大宮八幡様にはつがいで野生化したニワトリがいて、驚くべきことに大銀杏の5mくらいの高さまで飛んでいました。放し飼いにしておけば野生が戻るのでしょうか。
 そういえばヨットを係留している油壺の近くの公園に勝手にテントを張ってキャンプしていましたが、その辺りにも放し飼いのニワトリが野生化していました。そのニワトリ一家が朝にコケコッコーをやるので目が覚めたものです。
 微笑ましくて近くまで行くと、オンドリがトサカを振り立ててこちらに来ます。オォッ親愛の情が伝わったか、と思っていたら軽いジャンプと共にわたしの足に猛烈な蹴りを入れて威嚇するのです。ナンジャこいつ。
 しかしこれ、どうも私がニワトリ一家の縄張りを侵してしまったので、家族を守るために果敢に見知らぬ人間に戦いを挑んだのでしょう。
 そこへいくと我がコッコちゃんは家族も何もないから守るべきものはない。自由なのだ。
 と思って携帯を構えて映し、歩き出したら『コッコッコ』と言いながら後を追ってきた。一緒について遊ぶつもりなのか、愛い奴愛い奴と思ったらバサバサっとジャンプして二段蹴りを喰らいました。桜ドーム

 亡母が逝って丸二年。菩提寺で三回忌のお経を読んでもらいました。コッコちゃんには墓守も一緒にやって欲しいのですが、我が墓地はもっと高いところで縄張りの外。役に立ってもらえそうもありません。
 そして満開の枝垂桜。真下から見上げるとすっぽりと桜のドームに入り込んで、何やら胸が騒ぎます。桜は人を高ぶらせる。風もないのに満開ともなるとハラハラ散ります。

心騒ぐ

地面にも散っています

地面にも散っています

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

えらいこっちゃ Ⅳ

2015 APR 7 19:19:20 pm by 西室 建

 すったもんだで1年が経ち、亡母の一周忌を迎えた。何はともあれ1年という時間が経過してオレは還暦を迎えてしまった。菩提寺の桜が今年も散った。
 洋服やら膨大な本、レコードを捨てまくったり売り払ったりしても、まだ山ほど物があってため息が出る。これはそろそろ本腰を入れないと将来に禍根を残すかもしれない。今オレがやらないと必ず捨て残ってしまうからだ。それでなくとも先々代の誰も読まない本が捨てきれずに残っているし、この間は何代前が着たのか良く分からない羽織袴が発見された。

 故人を冒涜するつもりは全く無いが、その人の持ち物というのは本当に困る。当人を偲ぶ以外に何の役にも立たないからだ。オレはあまり過去を懐かしがる気風は薄く(記憶力が悪いという説もあるが)昔の物を残さないしおまけにしょっちゅう物を無くす。写真とかもあまりない。根本は『見なけりゃ思い出さない記憶は必要ないや』と考えるからだ。
 今でも亡母の若かった頃の姿なんかは残しておくべきだったとは、全然思はない。

 命日の前に一周忌を、との話になりカレンダーからお彼岸の3月21日にやることにし、それではお経はその前にとドンドン早まって3月14日に墓参し住職に頼み込んだ。3月とも思えない寒い日で、おまけに墓前でお線香を焚いているときには雨が降った。
『いくらせっかちにして命日の前を選んだにしてもこんな寒い日とは何事か!』
と怒り狂っている顔が浮かんできてゾッとした。更にまずいことに翌日は晴れ上がったポカポカ陽気。今度は
『それ見たことか!』
の声が聞こえて来るようだった。

 日本は四季の表情が豊かだから、それぞれの季節に想いを託せる花も風もあるだろう。だがよりにもよって桜の便りの時期とはお袋様らしいといえば、らしい。いやでも思い出す。
 来年もその次も桜を咲かせては一度は雨を降らせることだろう。桜、こんな寒いうちにまだ咲くな!こっちだって後10回くらいしか見ることが出来ないんだぞ!
 
 還暦を期に余り人前に出なくなったが、その分たまの飲み会では大乱れになってしまう(それは昔からの声有り)。N=constantということなのか、はたまた酒が弱くなったのか。視力・気力ともにめっきり落ちたが、オレはまだ死にそうもない。オヤジが米寿、オレが還暦、息子が25という構成にもなると時代が変わっていくことを実感させられる。

 一周忌の席上(墓参とは別にした)何人かがスピーチしてくれた。
 従兄弟が何人もいるのだが、彼等は『おしゃれで配慮が行き届いて、やさしいおばさまだった。』と口を揃えて言うのだ。一体誰の話だ、と呆気にとられた。どうも子供の目から見るのと多少印象がズレている。
 敗戦後早にく結婚したおやじ・おふくろには、叔父・叔母達の方が『世話になった。』と感じているようだった(二人は長男と長女)。オレとしては、死んだ母親の思い出を一族で共有していくうちに供養になり、次の世代に気質が伝わってくれればと思った。

 オレがこれからどうなっていくのかは知らない。だからどう終わるのかはもっと分からない。
 暫く音沙汰ないなあ、と周りが気が付いたときにはこっそりオサラバしていて『あのオッチョコチョイ、声も掛けずに逝っちまいやがった。アイツらしい。ワハハハハ。』くらいがお似合いとは思うが。

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えらいこっちゃ

えらいこっちゃⅡ

えらいこっちゃ Ⅲ

菩提寺のニワトリ

 

えらいこっちゃ Ⅲ

2014 JUL 17 22:22:52 pm by 西室 建

 先日都内某駅にて、人身事故を真近で見てしまった。音など聞こえず、急停車のブレーキ音とアラームのサイレンでそれと知れた。私から10mも離れていない所での出来事である。飛び込みかどうかは分からない。思わず助けなければと反射的に思い、そしてそれは無駄だと直ぐに分かった。激しく動く影が見えたのだ。詳述は控える。
 仮に何かの事故だとすれば、それは私と紙一重の所で起こった。そう気が付いて少し手が震えた。先日行ったインドでもあの交通事情から考えてヤバい瞬間はそれこそいくらでもあっただろうし、さすがに暫く避けているが行方不明になったマレーシア航空には何度も乗った。最後まで喫煙席があった数少ないエアだったからだ(他にはエール・フランス、アリタリア)。ベトナムでは乗ったバスがバイクをやってしまう寸前だった。
 むしろ、私達は等しくそういった危険に取り囲まれて暮らしていると言える。
 大好きなフット・ボール映画の『Any Given Sunday』でアル・パチーノがチームに激を飛ばすシーン。フット・ボールは目の前の1インチの争いだ。ほんの半秒遅くとも早くてもパスはキャッチできない。マージン・フォア・エラーは周りのいつ、とこにでもある。その1インチのために全てをかける、それがフット・ボールだ・・・・(別に野球でもいい)。
 確かにマージン・フォア・アクシデントはそこら中に転がっているに違いない(私の場合特に泥酔時等)。そしてその日は偶然にある人が巻きこまれ、私は辛くも無事だった。1インチではなく数mだが。

 今年は春先に母を送り、その後家人の従兄弟が亡くなっている。インドにいる時に今度は家人が母と同じ所を骨折し、その時点で息子はロンドンに出かけていて、地球中に家族がバラバラになっていた。帰国してドタバタしている最中に、新人の時の直属上司の訃報が入って通夜・葬儀に行った。年なのか集中的にそんなことが起きていると、悲しみの密度は下がらないが、葬式ズレするというかセレモニーに慣らされてしまい『死』の恐怖が薄れていく。本日は20年も会っていない遠縁の訃報まで届いた。
 上手く文章にできないが、臆病に生きていてもしょうがないという感覚が湧いてくる。どう考えても今までよりこれからの方が時間が少ない。念の為、犯罪に走ると言う訳では決してないが。
 もう一つ、これも表現が難しいのだが、匿名への希望が強くなった。尤もSMCは本名・顔写真原則なので、ブログを書いている限りはできない相談だが、死ぬ時くらいは誰にも知られずに葬式の心配もせずにひっそりと逝きたい、とでも言おうか。何しろ少なからず人の恨みも買っていることだろうし。

 しかし私の順番はあすでも明後日でもなさそうであり、当面ボチボチとやって行くのであるが、その結果がどうなるのか。
 最近作家の中村うさぎさんが臨死体験をして『一切書くことが無くなった』旨の文章を発表されていたが、どうもそういうものらしい。
 以前には私も記憶喪失のフリをしている内に本当にボケてしまったらどんなにいいか、既に相当の税金も払ったことだし(特に酒タバコで人の10倍は払っているはず)どこかの介護施設に保護されて、何も分からなくなってしまう権利があるような気が・・・・、しかしそれも迷惑か。

 まッしばらくトコトコ歩かざるを得ないか、1日1日積み重
ねて。少し元気になってきたし。

えらいこっちゃ

えらいこっちゃⅡ

えらいこっちゃ Ⅳ

菩提寺のニワトリ

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えらいこっちゃⅡ

2014 APR 10 20:20:50 pm by 西室 建

骨折し入院を続けていた母が逝った。突然ではなく、4か月の闘病の後である。発端は腕の骨折だったが、実際は大腿骨もやっていたことが後に判明し、そちらの緊急手術をする際に麻酔で一度心臓が止まった。その後にそこら中悪くなり、最後は急性肺炎による呼吸不全で身罷ったのだ。昭和6年生まれなので激動の昭和史をまるまるなぞったことになる。兄が一人と母親の違う弟が二人。実母は早くに亡くしている。

父親は戦前の東京証券取引所の理事長で、財界の大物郷誠之助の右腕だった。どうやらボーナスで家作が一軒買えるような家庭のお嬢様。しかし厳しく躾けられたらしく、極々真面目な人であった。戦前の名門女学校に通っている頃にはフランス文学に凝って、東大の辰野教授の聴講生となり、実際フランス語は話せた。敗戦で環境は激変する。敗戦時は鶴岡に疎開していた。そして父親は公職追放に。帰京して女学校を卒業後、実兄の同級生だったオヤジと結婚し、僕と妹が生まれる。それから高度経済成長が始まる訳だが、僕が生まれた頃には中野区の沼袋に平屋の新婚家庭を営み、家の中に井戸があったことや庭にオヤジが掘った池なんかをうっすらと覚えている。隣の家にいたシゲ子ちゃんという女の子と良く遊んだ。そのころ近所に共産党の不破哲三夫妻が住んでおり、両親ともご夫妻とは学校の関係で顔見知りだった縁で僕はオシメを代えてもらったと聞く。その後は神田のオヤジの実家に引っ越す。

病院では家族が3交代さながらのシフトを組んで見守っていたが、自然と会話は昔のことになって行く。特に敗戦の前後の落差が大きすぎるのでどうしても娘時代のことを語りがちだった。2.26事件当日、父親が帰ってこなかった雪の日の事、友達と前を歩く一高生のマントを脱がせられるか賭けをした事、大勢いた従兄弟達と遊んだ事。最期まで意識はしっかりしていたが、肺が持たなくなった。

病院は治療方針が立たずに打つ手が無くなり、そうなると介護施設への移転を検討せざるを得ず、実際に何箇所か見学に行ったのだが無駄になった。苦しむことの無いように、一家で延命治療は断ったのだが本人がどの程度の苦痛なのかは分からない。忍び寄る死の影を感じられなくなるまで、いっそモルヒネ漬けにでもして欲しいとさえ思ったのだが、現在の医学倫理はそれをさせてくれない。この選択の問題は近く大きな議論を呼ぶのではないか。

亡骸を前にしてつらつら考えたが、人には大変親切に接し、善意と正義感に溢れる人だった。同時に、思い込みが強く激しい気性をなので、時に現実と大きく乖離してしまうケースも思い出す。何事にも一生懸命やる人でもあった。実に不可思議ではあるが、こういった生真面目さにのっとった気質が子供達にも孫達にも全く継承されなかった。これから整理しなければならないこともあるため、その度にどういう気持ちになるか、今はわからない。葬儀は家族葬とし、親族、交友関係に不義理をしたが、故人の強い意向に従った。僕はそういう時にあまり”泣く”という習慣がないので、オヤジからは薄情者と言われてひどくうろたえた。いずれ又、偲んで綴るかもしれない。子供二人、孫二人、曾孫二人。菩提寺の枝垂桜が満開だった。

 
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えらいこっちゃ

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菩提寺のニワトリ

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