Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 未分類

目差せパラリンピアン 久保大樹さん

2019 JUL 8 6:06:36 am by 西室 建

 来年に迫った東京パラリンピック。私の周りでチケットをゲットした人は一人もいない。だが私に焦りはない。開会式とか陸上の決勝とかメチャクチャ込み合う競技はテレビで見たほうがいい。狙い目はそういった超人気のスポーツではないのだ。
 その作戦で行けば、当日でも見られるものは必ずある。そしてその競技に全身全霊と国の威信をかけて闘う選手の情熱は、たとえ観客が少なくとも決して引けをとるものではない。それにオリンピックの続けて同じ会場を使ったパラリンピックもあるではないか。

 今月動画(ページの一番下の厳選動画)で紹介するのは、ギランバレー症候群と戦いながら水泳に打ち込む久保大樹さんです。
 ギランバレー症候群とは検索してみると大変な病気で、体の一部が麻痺してしまう、久保さんでいえばはじめは手で現在は足首から下が利かない。
 学生時代は競泳に打ち込んで、その後学校の先生になった後発症した。半年余りの入院後、長いリハビリをしながら障害者水泳に出会う。自身よりも重い障害を抱えているアスリートの姿に衝撃を受けたそうだ。
 ご本人の語り口は『病気に教えられた』、と極めてやわらかいが、その迫力は動画をご覧ください。
 ただ、実際に来年のパラリンピックに出場できるにはまだハードルがあり、2019世界パラ水泳選手権大会への日本代表選手の中には入っていない。競技者として来年のパラリンピックを目指すのは当然なのだが、色々と検索するとどの選手も等しく応援したくなる。
 このエネルギーを目の当たりにすると『気の毒な』障害者、という見方がいかに手前勝手な思い上がりであるかよくわかる。

 蛇足ながら動画中の久保さんの言葉をどうしても記しておきたい衝動が抑えられなかった。

『失ったものを数えるな』

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

人魚になったアスリート 山階早姫さん

2019 JUN 5 9:09:35 am by 西室 建

 フィン・スイミングという競泳は知りませんでした。足ヒレを付けるのですが、モノというクジラの尾ビレのような形状です。

フィン(モノ)

 今月アップした厳選動画で紹介している山階さん、自由形でロンドンオリンピックを目指して『泣いたり吐いたり』するほど練習をしても代表にはなれず、その後しばらくは水に入れなかったと言います。
 これは大変現実的な話で、血を吐くほど練習しても大谷のような二刀流で活躍ができるのはまずいない(ベーブ・ルースでさえピッチャーをやったのは3シーズンだけ)。数えきれないほどの若者が厳しい稽古に耐えても関取になれずに土俵を去ります。
 私などは元々『見る側』としてスポーツを楽しむクセが子供の頃からついてしまった。駆けっこは遅いし球技は下手。従って『血を吐く』ようなハードな訓練はやったことがない。だからいいところまで行って挫折したアスリートの心境はいかがなものか、想像もつきません。
 それを乗り越えるというか、新たな道を探り当てた山階さんのインタヴューは迫力に満ちています。
 それはそうとしてこの競技、シュノーケルを付けて顔を水中に漬けたまま泳ぐので、相当に脚力と腹筋を鍛える必要があるでしょう。私なんかがトライしたら・・・・。
 動画は水中から山階さんの泳ぐ姿も映っていますが、しなやかで大変に美しい。昔『イルカに乗った少年』という歌がありましたが(60才以上限定)、まさに競技は『イルカになった女性』いや『人魚になったアスリート』です。
 そして(見た所まだお若いですが)こういうことをおっしゃったのが印象に残りました。『むやみにやるより年齢に合わせた頑張り方がある』、そしてその方法を模索するのにパーソナル・トレーニングの門を叩いたと。
 これは我々還暦過ぎには身に染みる、まぁ、私としては何をやったところで何かがこれ以上上達するということはないのですが。

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

アドベンチャー・ランナー 北田雄夫(たかお)さん

2019 MAY 6 12:12:34 pm by 西室 建

 NHKのBS番組に『グレート・レース』というシリーズがあって、面白いので良くみています。山中や砂漠を何日もかけて何百キロも走り続ける過酷な競技です。チームでやったりバイクやカヌーがあることもあって迫力満点。しかし見るたびにエントリーする人はどんな心境で参加するのかと思っていました。
 今月アップした厳選動画(各ページの一番下にあります)は、難関コースを走り続けるアドベンチャー・マラソンのプロとして参加し続ける北田さん。
 何日も孤独である事。そして孤独だからこそ気付けることがある、と言い切っています。ぶっ通しで17日間も走り続けるって想像つきますか。
 そして興味深いことに『技術』を磨くという表現をされていて驚きました。
 僕は船に乗るので何となく分かるのですが、山岳地帯やマイナス40度のアラスカを走るという危険なレースを完走するのは、早ければいいという物ではないのでしょう。
 そのチャレンジ精神は、いろんな周りの人を元気づけられる走りをしたい、という心境にまで達していて、やはり一芸を極める人は求道者のようになっていくのですね。イチローとか王貞治なんかもだんだんそういうことを言う様になっていきました。
 要するに一流のアスリートというのは一種のエンジニアなんでしょう。
 しかし、初マラソンは4時間超え、ウルトラマラソン(100km)はタイムオーバーの失格からのスタート。

 北田さんは仕事を止めてこの競技に打ち込んでいます。そして今頃は世界7大陸全てのレースをこなされているはずで、勿論日本人ではただ一人ではないでしょうか。

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

トライアル競技の花 小玉絵里加さん

2019 APR 8 11:11:26 am by 西室 建

 今月の厳選動画(ブログの下)に小玉絵里加さんが載りました。

 トライアル競技とは、要するにガタガタの道なき道をバイクで乗り越えていくのだが、足をついたりコースアウトすると減点、エンジンを停止させても減点、決められた時間を超えても減点、バックしたら大減点の危険極まりない競技である。こんなこと誰が考えたのかと思ったらヨーロッパ発祥のスポーツだ。
 トライアル・ライダーの小玉さん、お父様の影響で小学生からトライアルを始めて2016年から去年まで全日本レディースの2位を保持しているトップ・アスリートなのだ。

 ここで話が変わるが、筆者はバイクを卒業した、というより乗れなくなった。事故ったのである。
 さる山の中ですれ違う車もなく調子に乗って飛ばした時点で宙を飛び3m位下の河原に落ちた。道が曲がっていたのを何故か気が付かずに直進したら川だった、マヌケにも大晦日の夜中だった。
 後で現場を見てゾッとしたが橋の欄干はコンクリートで(あまり高くはないが)その反対は電柱だった。その間をすり抜けたわけだが、こういうのを九死に一生を得たというのだろうか。それからバイクが怖くなり(カーヴを曲がることが想像できない)あきらめた。

 小玉さんは世界選手権に出場して、転倒骨折をした。
 それが『この怪我はいつかはやっていた』とポジティヴにとらえて全然あきらめることがなかったそうだ。
 むしろ、その間他の選手の動画等を研究して技のイメージ・トレーニングに励んだ。大したプロ根性というか、落ち込むことのないところがいい。
 比べて筆者は何と根性のないことだろう。

 それにしても女性がこういう競技にチャレンジしていくのは大変いいことだと思う。小玉選手ガンバレ!
 NEXUSにエピソード1のインタビューもありますので、そちらもお楽しみください。

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

小宇宙への誘い アクアリュウム深田崇敬さん

2019 MAR 3 14:14:22 pm by 西室 建

 フランスの小説家で、ド・ゴール政権では文化大臣を勤めたアンドレ・マルローは、伊勢神宮を参拝していたく感じるところがあったと言います。
 そして、以下は石原慎太郎が本人から聞いた言葉と書いています。
日本人は一瞬を永遠に捉えることができる唯一の民族
 念のため英文は
「Japanese were the only people who can grasp eternity in a single moment」
 でしょうか(フランス語で聞いたのかもしれないが)。
 最も短い短詩である俳句、自然をまるごとテーブルの上に表現する盆栽、活花、と昔から慣れ親しみ育んできた文化を観賞するにつけ、私も日本人なのでそういう気質があるような思いにとらわれますね。
 縮み志向、などと揶揄する向きもないではないですが、冒頭のアンドレ・マルローの言葉の方が腑に落ちるでしょう。

 今月からSMCホーム・ページや各ブログの下で公開しているNEXTYLEの動画で、
水槽の中をレイアウトする深田崇敬さんアクアリウムを見て、思わず息を飲みました。そして冒頭のマルローの言葉を思い出したのです。

 参加国数60カ国以上、エントリー数約2,000点という『世界水草レイアウトコンテスト』という催しがあって、深田さんは何度もグランプリを取っています。
 その作品の特徴は、小さな水槽の中の圧倒的な奥行きですね。そして飽くまで”自然”を愛しむ表現を心掛けていることでしょうか。
 すなわち、ほったらかしにすれば”自然”そのものはけっこう獰猛なところがあって、”荒涼”とした世界が広がりかねない、牙をむくものです。
 そこをやさしく、というか、丁寧に取り扱わなければ美しい部分をすくい取れません。
 詳しくは動画をクリックして深田さんの世界をお楽しみ下さい。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

独立時計師? 和時計? 菊野昌宏さん

2019 FEB 11 22:22:29 pm by 西室 建

 SMCの各ブログの下に「厳選動画」のアイコンがあります。
 我々の仲間のNEXTYLEが様々な分野の人々をインタヴューして動画にアップしています。
 今月乗っている菊野さんという方の肩書は「独立時計師」。そういう職業を知りませんでした。企業に属さず一人でオリジナルを作る人の国際団体で、どうやら世界で30人くらい。オーダーメイドで個別にお客さんと打ち合わせながら、時間をかけて作るのだそうです、それも一人で。そういう職人集団が国をまたいであるとは聞いただけでワクワクしました。
 腕時計は私もしていますが、この方の作る時計は全て部品から手作りなのです。それも多くの歯車を組み合わせて動かす「和時計」にヒントを得た、ウルトラ・アナログ技術です。

 鉄砲伝来の頃に西洋の時計がもたらされましたが、例によってゼンマイー歯車式の機構を直ぐに理解した日本人は国産の時計を作れるようになりました。そして江戸期には1日24時間を刻むのではなく、昼と夜を六等分した不定時法を採用した技術で、季節ごとに時間の長さが違っているユニークな時計を完成させるに至りました。当時は太陰暦だから15日毎に調整したらしい。
 考えようによっては自分一人用のクラシック時計を腕に巻けることになるのでしょう。詳しくは動画をクリックしてみて下さい。
 私はこういう巧の技が好きで、菊野さんにはがんばってこの道を極めて頂きたいと思います。
 ただし、ビジネスとして見た場合、絶対に大量生産はできない、或いはメンテナンスにも手間が掛かり過ぎて、結局流通するに至らないことが多い。余程ブランド価値が上がらないと単価が上がらずビッグ・マーケットにならない。ちなみに最高級モデルは年に1本しか作れません。
 一方で「知る人ぞ知る」モノを趣味の世界に囲い込んで秘かに楽しむ喜びというのもありです。
 どちらの方法で行くのかは菊野さんがいずれ選ぶのでしょう。
 ただこの美しい腕時計を見ると、安易なカタログ商売に陥ることなく益々腕を上げて一個一億円位の時計を目指していかれることを望んで止みません。
 どうですか。オリジナルデザイン一つ欲しくなりませんか。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

プラハ国立劇場オペラの『フィガロ』

2019 JAN 12 8:08:10 am by 西室 建

 SMCの書き手の皆さんはクラシックの造詣が深いので私が書くこともないのですが、モーツァルトの名作『フィガロの結婚』を見て来たので。楽曲・演奏・歌唱についてはシロート意見は控えますね。
 ご承知の通り、当時の貴族をオチョクリ倒した風刺的な脚本のため、ブルク劇場(宮廷劇場)でヨーゼフ二世隣席の初演こそ大成功だったにもかかわらず、ウィーンではさして当たらなかったそうです。ところが当時ハプスブルグ家領のボヘミアの首都プラハで大受けしたという。この辺りの事情は詳しくないのでどなたかご教示頂きたい所です。
 相性が良かったもかその後『ドン=ジョバンニ』や『皇帝ティートの慈悲』はプラハ国立劇場(当時のスタヴォフスケー劇場)で初演されました。
 そのプラハ国立劇場歌劇団が来日し全国の中型コンサートホールを公演して回る中に、家から歩いて行ける某文化会館が入っていたのでトコトコ見に行った次第です。
 マッ、オペラの筋は歌舞伎みたいにどうでもよろしい。せっかく楽しんだので記しておきます。
 マエストロはエンリコ・トヴィコという長年ドイツで振っていた人でした。彼のタクトでおなじみの序曲が軽やかに始まります。
 抑揚タップリに頭を揺らし、アクセントの半拍前に左手を上げてドンッという感じでステージを指す特徴があって、これなかなかカッコいい。見栄えがしました。

マリエ・ファイトヴァー

 ソプラノの伯爵夫人はマリエ・ファイトヴァーという大変な美人。美しいソプラノをあまり大きく口を開かない歌唱法で歌い、繊細な声でしたね。日本でもファンは多いのではないでしょうか。

 そしてスザンナ役はユキコ・キンジョウ、琉球大学卒業後イタリアに留学し、2012年からプラハ国立劇場の専属歌手をつとめている日本の方です。キンジョウという苗字と琉球大学の出身で沖縄の人と推察されますね、昔はカナグスクさんだったのでしょう。

 ところで公演は1月3日の大阪を振り出しに、九州・福岡から北は岩手まで毎日毎日移動するスケジュールで、まるでプロ野球のように凄まじい。フィガロとか伯爵夫人は3人でローテーションを組んでいます。そしてその伯爵夫人の一人がエヴァ・メイという知る人ぞ知るイタリアのソプラノ。日本では2007年に椿姫のヴィオレッタを歌って絶賛されたと聞きました。
 首都圏では1月18日に茅ヶ崎、20日に横須賀で上演されますよ。是非どうぞ。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 
 

カツカレーはいつどこでできたか

2018 APR 21 10:10:34 am by 西室 建

 カツカレーを検索するとその発祥の有力な説に、戦後巨人の選手だった千葉茂が銀座の『グリルスイス』という洋食屋の常連で、トンカツとカレーを別々に食べるるのが面倒だと一緒にした、と出ている。
 しかし『ウチの店が最初にカツ・カレーを始めたんだ』と言い張っていた奴がいる。場所は築地だ。
 その店は地元ではおいしいので有名で、経営が変わった後に豊洲の移転を拒否して閉店してしまった。流れを組む人が高円寺で暖簾を継いでいると聞いたが、行ったことはない。『〇ちゃん』という店名(誰だか分かってしまうかもしれないので匿名ですみません)で月刊文芸春秋のグラビアにも出た名物おばあちゃんが切り盛りしていた。「あたしゃ豊洲なんざ行かないからね」と啖呵を切ったらしい。その孫が出所だ。
 ところが最近読んだ本にカツ・カレーのオリジナルは冒頭の『グリルスイス』でも『〇ちゃん』でもない、という論考を知った。
 戦前のアマチュア・スポーツの大パトロンでロサンゼルス・オリンピックとベルリン・オリンピックの選手団長を勤めた平沼亮三という人がふるまったのが最初だという説である。
 平沼亮三は横浜商工会議所の財界人で、広大な私有地に数々のスポーツ設備を建ててこれを開放した。そこで出された『スポーツ・ライス』というメニューがカツカレーだったと。
 『スポーツ・ライス』説を考証した人は教育者としてそれなりの功績があるのでデタラメでもなさそうだ。

 思うにトンカツごはんにカレーをかけて食べるというスタイルはそれなりに自然発生したものだろう。
 最初の『グリルライス』説はともかく『〇ちゃん』説と『スポーツ・ライス』説には面白いウラがある。『〇ちゃん』説を唱える奴は現在さる化学品メーカーの社長をやっている。後者は教育者。そしてこの二人はクラス・メイトなのだ。なぜそんなことを知っているかというと実は僕もそのクラスにいたからだ。今でもたまに会う。
 もっともらしい顔を今ではしているあいつらが、どんな学生だったかはまた別の話。しかしアブナ過ぎてブログには書けないだろう。
 教育者の実家でアルバイトをし、社長とは金が無くなるまでスキー宿で粘った。
 今度会う時にはカツカレー論争に決着を付けてもらおう。
 〇藤!長〇!証拠を持って来いよ!

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

映画『HIROSHIMA』で鈴木貫太郎を観る Ⅱ

2018 MAR 1 20:20:28 pm by 西室 建

 SMCメンバーの野村さんが長年鈴木貫太郎の研究をし、そのコレクションの表記映画・ドキュメンタリーについてブログをアップされたが、実は私も同じ物を見ている。
 私も双方の立場を丹念になぞった重厚な作品だと高く評価している。
 そして終戦工作において鈴木総理が巷間言われる陸軍を抑えるための『腹芸』をしていたという説を野村さんは支持されているようだが、この点私は少し違った見方の立場だ。
 77才で多少耳が遠くなっての総理大臣である。懊悩し苦しみぬいて最期に昭和天皇の英知に頼ったのではないか、と思うのだ。なにしろ2・26の時に銃弾を浴びて一命をとりとめたお方だ。徹底抗戦を主張する陸軍を抑えることができるのか、その不安たるや尋常ではなかったはずだ。ただしこの人の見識と振る舞いに対する敬意はいささかも損なわれるものではない。
 一方ポツダム宣言への回答として『黙殺』と言ったかどうかについても考証を加えておられるが、私はこれは使ったと思う。米国はその翻訳に困ったことは確かで、単純に『ignore』とはしなかったらしい。確認していないが『silent kill』と翻訳したというヨタ話もあるくらいだ。
 ついでながら、私はハリー・トルーマンはレイシストであるとも考えている。

 さて、作品の中に「ホウッ」と唸らせられたシーンがあった。
 冒頭の大本営と思われる会議の席上で阿南陸軍大臣が配下の参謀に尋ねる。
「畑中少佐とやら」
 既に『日本でいちばん長い日』等で御存知と思うが、畑中健二少佐は実在の人物だ。終戦時の陸軍省軍務局課員だった。 
 終戦の詔が裁可されポツダム宣言を受諾することになり、陛下の玉音放送が録音された後、8月14日深夜鈴木総理があれほど心配していたクーデターが起きる。畑中少佐はその中心人物で、近衛師団参謀を巻き込み徹底抗戦のために無条件降伏を阻止しようとした。
 皇居を占領し、玉音放送の原版を奪取しようと考えたが、それをはねつけた近衛第一師団長森赳中将と参謀白石中佐を殺害してしまい、更には師団長命令を偽造した後に12日時点で完全武装して皇居の警護の当たっていた近衛歩兵第二連隊を展開する。
 電話は切断、皇宮警察は武装解除。あわやとなったのだが東部軍管区田中軍司令官の説得に失敗し結局鎮圧される。玉音盤は事前に徳川義寛侍従によって保管され無事だったが、宮内省を捜索する殺気立った雰囲気を後に証言している。
 畑中少佐と椎橋中佐は自決、田中司令官も責任を感じて自決。
 しかしながら帝国陸軍が消滅してしまい、その他の将校は当時の軍法・刑法違反にも拘らず責任を問われなかった。
 又、その騒ぎの最中に参謀肩章を吊った某宮様を皇居内で見た、という証言もあるのだが真偽の程は分からない。
 映画等では狂信的な人物として描かれたが、本人は至って物静かな人だったようだ。敗戦の衝撃が多くの人から冷静さを奪った極端な例だろう。最も冷静だったのは無論鈴木首相と天皇陛下。

 もう一つ。
 原爆を運んだインディアナポリスがテニヤンからの帰りに日本海軍の潜水艦イー58に撃沈されるシーンがある。それは事実だが、閑話休題。
 スピルバーグのジョーズという映画をご記憶だろうか。初作品で海洋学者が乗る「オルガ号」の船長クイントが夜のキャビンで戦争中の事を語るシーンがあった。日本の潜水艦にやられて海に放り出され同僚が鮫に食われる、という話だ。クイントはその時インディアナポリスに乗っていたと語るのだ。
 ジョーズでは原爆については触れられていなかったが、見たときにピンときたことを思い出した。

 やはり原爆の被害があまりに甚大なので、日本では大っぴらに放送はできなかったのだろう。天皇陛下の御言葉が入るのがヤバイというのも野村さんの考察通りと思われる。

戦争の終わり方

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

シューベルトへの誘(いざな)い マルティーノ・ティリモさんコンサート

2018 JAN 26 21:21:19 pm by 西室 建

読者の方から魅力的なお話を頂きました。
ピアノコンサートのお誘いです。
ピアニスト、マルティーノティリモさんはまだ日本では名の知られていないようですが、シューベルトの大家として未完成のピアノソナタを完成し、ウィーン原典版から楽譜を出版されたそうです。
『一度は聞いて頂きたいピアノニストです』
とのことで案内が添えられていましたのでお知らせします。

マルティーノ・ティモリ

 クリックして下さい。




▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

久保大樹
山階早姫
北田雄夫