5.15事件「話せばわかる」「問答無用」
2018 AUG 31 19:19:50 pm by 西 牟呂雄
5・15事件で殺害された犬養毅首相が襲われた時に発した言葉とされる。これに対して海軍の山岸中尉が『問答無用』と応じた。
だが、実際の発言は提題の言葉ではなかったという説を保坂正康の新書で読んだ。
撃った本人山岸は『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と言われたと回想している。
初めに引き金を引いて弾が出なかった三上卓は裁判では『まあ待て。そう無理せんでも話せばわかるだろう』と制され『靴ぐらいは脱いだらどうじゃ』と言われたと証言した。
『問答無用』は正確には『問答いらぬ』であったことは両者の話が一致している。
ところが『話せばわかる』についてはその場にいた妻の話では違う。
『まあ急くな。撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう。ついて来い。・・・・(移動)・・・・まあ靴でもぬげや、話を聞こう』
となっているようだ。
保坂正康は『話せばわかる』は後年に民主主義のキーワードとして喧伝されるに到ったのではないかと考察している。
この事件は計画立案時点から実に幼稚というか杜撰極まりない内容で、総理大臣・内大臣を殺害し立憲政友会本部を襲撃、なぜか三菱銀行を爆破する。その後警視庁を占拠する。日暮れとともに変電所数ヶ所を襲って首都機能を麻痺させる。その混乱によって戒厳令が施行される隙に軍閥内閣を樹立する。このような何とも劇画的なテロ、荒唐無稽な作戦で、まともに考えれば絶対に実現できそうもない。
勢いで犬養首相は殺害したが、結局警視庁に乱入して窓ガラスを割りピストルを乱射しただけ、日銀・三菱銀行・立憲政友会本部に手榴弾を投げただけ、変電所6ヶ所の一部を壊しただけ。その後に憲兵隊本部に自首した。クーデターでも何でもなかったのだ。
周辺にいた橘孝三郎、大川周明、西田税(計画中に仲違いして襲われ重傷を負う)等はただ傍観していただけなのか、或いは煽りに煽っていたのか。
更に不思議なことにこの事件に対する量刑が実に甘いのだ。海軍軍人は海軍刑法、陸軍士官学校生徒は陸軍刑法、民間人は東京地方裁判所で裁かれたが、ただの一人も死罪にならなかった。助命嘆願運動が起こる等、背景には当時の不況、政治腐敗への強い反発があったからと評されるが何かあやしい。
1929年は世界恐慌が起こっており大変な閉塞感に覆われていた。そして事件の前年には満州事変が勃発している。月並みな言い方であるが、ある方向に向かって突き進む時代だった。
煽って糸を引いていた何者かがいたに違いない。それは通り一遍の軍による政治的独裁への舵取りを推進する国内の勢力ではなく、例えば勃興する国をただ混乱に陥れ自国の利益の拡大を図ろうとする国際的なオーガニゼーションかもしれない。
既に明らかなゾルゲ並びに尾崎秀実以外にも、昨今の研究では国際コミンテルンが陸軍統制派、下手をすれば・・・・。
ところで引き金を引いても弾が出なかった三上卓はかなりのクセ者で、事件の二年ほど前に『青年日本の歌』という歌を作詞作曲している。後に『昭和維新の歌』と伝わり一部で流行した後、発禁となった。
汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れとぶ
混濁の世に我立てば
義憤に燃えて血潮沸く
このヤバさは危険で、歌っていると陶酔感が漂う不思議な歌だ。
三上は戦後も盛んに右翼活動を推進し、1961年には同じような武装・国会突入を試みる『三無(さんゆうと読むそうだ)事件』でも逮捕されている。この時に馬場元治衆議院議員の秘書で、襲撃の際に突入のサインを出すはずだった鮫島正純とは後の池口恵観、あの朝鮮総連を落札したり第一次内閣を退陣した安倍総理に護摩行などをしてみせた謎の僧侶である。
また、愚連隊から右翼に進化して数々の事件を起こし、最後に朝日新聞本社でピストル自殺した野村秋介が門下になったのもこの直前だったらしい。
三無(さんゆう)主義とは無税・無失業・無戦争の思想と言うが、理論的にどういうものか分からない。それがどうしてテロと結びつくかは俗人的なことのようで、何かと騒がしい人材が集まって来ては同じような事件を企画していたらしい。
話はグルっと戻って『問答いらぬ』とか『問答無用』もひどいが、あのモリカケ問題に対する野党の態度に近いものを感じるのは私くらいか。
途中にお役所のチョンボがボロボロ出たが、総理の示唆はなかったとしか思えない。そりゃ忖度はしたに決まっているが、見返りを貰った人物は存在していない。世間知らずのオカアちゃんがチヤホヤされたのと、誰もやろうとしなかった獣医学校を知り合いが作った過ぎない。周辺のトリック・スターが人目をひいたのでマスコミが飛びついたが、カゴイケ・マエカワ・・。
確かに文書改竄はよろしくない。自殺者まで出した。
ですがね、官僚の劣化などと囃し立てるなら政治家はもっと劣化しているし、マスコミに至っては何様のつもりか。改ざん前の文書を見てもどうってことない。
総理の関与がないことがはっきりしても『疑惑はますます深まった』を繰り返されてもねぇ。『問答無用』とどこが違う、最も劣化しているのは野党じゃないか。
総裁選が来月あるが、総理の対抗馬はこの話をほじくり返すとかえってドン引きされて惨敗し、今後浮かび上がれなくなりかねないぞ。憲法問題と国際情勢、経済政策だけでやってくれ。
もっとも私の政治予言は外れるが。
あれっ、何の話だったっけ。
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元号が変わるぞ どうする
2018 MAY 23 6:06:20 am by 西 牟呂雄
今から30年前の昭和が終わった時。
世の中は自粛ということで、夜のネオンが消された。何となく早く帰宅して各報道が一斉に昭和のおさらい番組を流しているのを見ていた。『街も悲しみに暮れている』といったレポートをするので、ホンマかいなと不謹慎にも夜の繁華街に車を飛ばした。
するとかの新宿歌舞伎町でさえ街は真っ暗、人通りも少なく普段は車で入れない所まで行けた。すると闇の中のパチンコ屋の店内は大音量・照明ギラギラでジャラジャラと営業し混んでいた。風俗だってやっていたのだろうな、と妙な気分になった。
ついでに渋谷に回るとこれまた不謹慎にも渋滞で、隣の車がユッサユッサとリズムを取っている。どうやらドライヴに入れたままブレーキをポンピングして音楽に合わせているのだ。スーッと窓が開くとその頃大勢いたワンレン娘がクチャクチャとガムを噛みながらR&Bをガンガンかけていた、この不忠者め!
あと1年で元号は変わる。
新元号が『建和』に決まった!という噂がネットに流れて、自分が和やかになれるかと思ったが、現時点では勿論未決定である(私の本名は建。人偏をつけないように)。
私は保守派なので元号には賛成だが、中にはこのグローバル時代に面倒なだけだという人もいるだろう。
どうであろう。明治は45年、大正は15年、昭和は64年、平成30年。私程度では、近代日本の時代を表していたのは元号=天皇陛下のキャラであるという思いがある。これが江戸時代なら将軍だろうか。
昭和の生まれの私は、昭和の半分と平成をまるまる生きた。
平成の天皇は国難とも言うべき災害の現場で、国民をねぎらい、いたわり、祈ったという印象が強い。神戸、3.11、熊本、と言った激甚災害にお姿を現すと被災者は慰められた。それはやはり政(まつりごと)に携わる権力者が来たところでそうはいかないのである。時の総理大臣がお座成りの見舞いを述べて帰ろうとしたのを罵倒されてペコペコした姿を我々は見ている。
そして元号はその国難と共に記憶されている。維新戦争(明治)、関東大震災(大正)、敗戦(昭和)、3.11(平成)。天皇はその際の唯一無二の切り札であって代わりうる者はいない。それぐらいの重きを頂く場合に元号が無いなどとは考えられない。
しかも歴代抜群のバランス感覚で時代に適合していくポジション=人格が継承されている。
今上陛下は常に仰せだ。
『日本国憲法の元、国民と共に』
人を呼ぶときには『さん』付けされる。先代が常に名前だけを呼びすてたのと違い、やはり敗戦後の教育を受けられた証左だ。
大変熱心に祈り神事をこなし公務に励まれる。どんな天皇でも神事をこなせば良いのではなく、勤められることによって高みに上がって行かれるのではないだろうか。
次期天皇陛下は大変真面目で子供の頃からどんな下らない相手の(まぁあんまりひどいのは排除されているだろうが)話でも、必ず最後までキチッと聞かれることで知られる。こういうことはやはり長い訓練の賜物であり、どんな長い公務でも欠伸一つなさらない。この環境にいきなり慣れろと言う方が無理がある。五代や十代程度の続いたイエで育っても身に付くものではない。我々クラスは三代目は唐様に書けるかもしれないが殆んどが潰れていると言うではないか。
ともあれ次の元号の時代はまた違った象徴像が作られていく。
その際のキーマン(キーウーマンか)こそ今上陛下の直孫に当たる3人の内親王であろう。いささか世間知らずで物議を醸すかもしれないが、力を合わせて知恵を出されるに違いない。歴史はそうなっている。
しかし私見であるが何があっても天皇制は無くならない。
実は故三笠宮寬仁親王殿下が娘である女王の結婚相手に旧宮家の男子を考えられた事があったが『何でも言う事は聞きますが、私は好きな人とは一緒になれないのですね』の一言で挫けたそうだ。
ゴリゴリの保守派には『皇族とはそういうものである』との論がありそうだが、こういった必殺の男系女性天皇というウルトラ級の奥の手もあるはずだ。それぐらいの知恵を我々日本人は持っている。
『建和元年』バンザーイ!
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ジェスフィールド76号
2018 APR 1 15:15:23 pm by 西 牟呂雄
日中戦争さなかの上海共同租界に設置された特務機関で、あやしげな名前はジェスフィールド通り76号という住所をさしている。この時代の風を浴びることはできないので、裏側から見てみようと各種テロ集団、秘密結社といった側面に光を当てるつもりで調べて知った名前だ。
辛亥革命後の大陸の複雑怪奇さは到底ブログなどで追い切れるものではない。言ってみれば無法地帯のような戦乱国家だった。各地の軍閥(直隷派・奉天派・山西派・安徽派)と国民党・共産党が群雄割拠し合従連合と分裂を繰り返していた上に日本軍もいた。
試しにこの時期の勢力図を年表にしてみたがさっぱり分からない。そこで年ごとに中国の白地図を色分けをしてみることに挑戦したが、グチャグチャ過ぎて失敗した。1925年から35年までやろうと3年分やったところで無駄なのでやめた。あの満州事変が1931年だがその前も奇怪過ぎる。共産党勢力なんかは消滅寸前に見えた。
子供だった頃に大陸で兵隊をやっていた人の話で強烈に覚えている事がある。その人は語学の才があって多少の中国語を理解していたが、師団ごと移動すると川一つ越えただけで同じ中国語とは思えないくらい通じなかったとか。それは現地の非戦闘員(多くが農民)にとっても同じで、新しい武装集団が来れば言葉が通じないのは当たり前。食料調達等で交渉していると(決してブン取ったりしていない、と言っていた)彼らは『今度は日本という軍閥が来た』というふうに思っていたと。どうやら日本という国があることもわからない連中だったのだろう。
蒋介石と袂を分かった国民党左派の汪兆銘が南京政府を樹立したが、提題のジェスフィールド76は汪兆銘派のダークサイド組織なのだ。
汪兆銘自身は日本と戦わず和平の道をさぐる、と本気で考え真面目にアプローチするのだが足元のメチャクチャぶりは如何ともしがたい。
そもそも蒋介石は当時のドイツの援助を受けていたし、傘下のCC団(セントラル・チャイナの略とか)は共産党の弾圧に反日工作、もちろんヤバい仕事もする。CC団は陳果夫・陳立夫兄弟で組織されたが、他に蒋介石直系の藍衣社という秘密警察もありこちらも露骨に暗殺・処刑する。
蒋介石自身、犯罪秘密結社『青幇(チンパン)』の親分、杜月笙(とげっしょう)の兄弟分で青幇はアヘンも殺しも何でもござれ。政治軍事のトップとマフィアの親玉が義兄弟というシャレにもならない事態だったのだ。
汪兆銘側だってきれいごとばかり言ってられない、ジェスフィールド76で対抗する。中国人組織であるが、頭は晴気少佐という陸軍軍人で影佐大佐が率いる工作機関の手足として怖れられた。
日本は近衛文麿の『国民政府を対手にせず』以後、陸軍の「梅機関」外務省の「岩井公館」を設置して南京政府を樹立すべく動いたのだ。
前者のトップ影佐大佐だったが、軍人の割には和平工作に熱心で、軍中央から「支那に手ぬるい」と評価を下げられ南京政府発足後は飛ばされた。終戦はラバウルで迎えた。因みに怪我で引退した谷垣元自民党総裁のお爺さんである(母方)。
後者は外務官僚の岩井英一が純粋に和平のため情報を収集するため機関が必要と奔走した上海公使館情報部を発展させた。
ところがこちらの組織は瞬く間に共産党系の密偵の巣窟のようになってしまい、しかも蒋介石軍を挟んでの二重三重スパイも多かった。結局岩井公館は蒋介石の情報を共産党スパイに多額の外交機密費を払って得ていたことになると、遠藤誉が発表している(新潮新書・毛沢東)。更に共産党は日本軍と停戦交渉までした、と綿密に考証している。
ジェスフィールド76は中国人トップの李士群が南京政府樹立の翌年に、あろうことか上海憲兵隊の岡村特高課長との会食中に突然倒れて死ぬ。毒殺されたようだ。それもそのはずで上記考証によれば、李士群は対共産党の交渉窓口もやっていたためただでさえ恨みを買っていただけでなく二重スパイも十分有り得る。或いは口封じかもしれず、殺害理由は枚挙にいとまがない。
それにしても汪兆銘は忙しい生涯を送った。日本の法政大学に留学中に孫文に傾倒しハノイ・シンガポールと行動を共にした後、北京で清朝王族の醇親王の暗殺を企てて捕まるが革命が起きて釈放される。蒋介石と対立してなぜかフランスにも亡命する。
その後紆余曲折を経て南京国民政府の首席になるのだが、日本の関与で出来上がった政権でもあり、正規軍百万人を擁していたが蒋介石軍とは戦闘をしない。苦労して立ち上げた政府だが、志とは違って苦しむ。
ところで元総理大臣の福田赳夫が政権の財政顧問で厚く信頼されたらしい。何かと自民党と縁のある人だ。
国民党中央委員会で狙撃されて弾丸を摘出できず、それが元で最後は終戦直前の名古屋で亡くなった。政府樹立前にもハノイで暗殺されかけている。
ところで現代ではソ連崩壊による文書公開もあって当時の研究も進み、コミンテルンのスパイがアメリカ中枢にワンサカいた事実や、はなはだしきは盧溝橋の一発もコミンテルンの仕業だったという仮説があるそうだ。前出の遠藤誉の著作は、日本軍との協力も辞さない毛沢東の大戦略があった、との立場だ。
戦後台湾で存命だったCC団の弟、陳立夫に日本人ジャーナリストがしたインタヴューが活字になっている。その中で『当時の陸軍中枢にコミンテルンのスパイがいたはずだ。こんな簡単なことがわからないのか』と笑ったとある。
また、海軍軍令部で流れた噂に『陸軍の連中は共産主義と我が国の国体は調和すると言っている』というのが阿川弘之のエッセイにあったはずだが、どの文章だったか思い出せない。
僕がこの時代に陰謀渦巻く大陸の伏魔殿にいたら、いったい何を考えただろう。平和な今日だから「環日本海経済構想」等を夢想していられるが、渦中にいたら一体何のために中国にいるのか冷静でいられただろうか。この話、取り合えず万里の長城の内側に限っての事にして欲しい。満州エリアは関東軍がからむのでまた別の機会に。とある東京の名門高校の日本史の先生は関東軍の研究家で、授業は一年中関東軍についてだった(くらい複雑だ、というオハナシ)。
それが、だ。半島においてややこしい会談がこれから行われる。 今頃足元のトウキョウでも何かが蠢いているに違いない!戦争反対!自主防衛!
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『ツクバヤマハレ』
2018 MAR 25 16:16:03 pm by 西 牟呂雄
筆者は最近知ったのだが『ツクバヤマハレ』という符牒を御存知だろうか。
かの真珠湾攻撃命令『ニイタカヤマノボレ』とともに用意されていた暗号らしい。
山本長官は日米交渉が上手く行った場合に機動部隊をUターンさせるつもりでいたが、一部の指揮官がそれに異を唱えると
「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである。撤退命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら、ただいまから出勤を禁ずる。即刻辞表を出せ」
と切り捨てている。
そのために用意されたのが『ツクバヤマハレ』という訳だ。
異説では真珠湾に向かった空母機動部隊向けは『トネカワクダレ』だったという話もある。その説では同時に行われるマレー半島コタバル作戦にも12月8日に強襲上陸の『ヒノデハヤマガタ』という暗号文が打たれているが、作戦中止の場合に用意されたのが『ツクバヤマハレ』だと言う、どちらが正しいかは分からないが。
ハワイと英領マレーでの同時襲撃は12月8日のハワイでは早朝、マレーでは真夜中である。尚、米国への宣戦布告が遅れたことが問題となるが、マレー作戦は真珠湾攻撃の2時間近く前に開始されており、こちらの方は英国に対してまるっきり宣戦布告などしてはいない。
その後陸軍は驚異的なスピードで進軍しシンガピール陥落まで2ヶ月しかかからず、マレー沖海戦で制海権も握った。おかげで順調にビルマ・ジャワまで進出したのだが、この時点で英連邦軍10万人の捕虜を抱えた。英国は足元のヨーロッパで苦戦しており、支配下のインド兵などの士気はかなり低かったのだろう。後に捕虜の扱いが問題視されるのだが、占領軍の3倍近い捕虜は食わせるだけで大変だったろう。
御承知の通りインパールの悲劇や南方諸島での米海兵隊との死闘で敗戦に至る悲惨な物語が続くのだが、シンガポール・エリアは血みどろのドンパチなどないまま8月15日を迎える。英本国からマウントバッテン卿がやってきて日本軍の降伏を受理した。
やはり英国もくたびれ果てていたのであろう、協定を結び半年ほど治安維持部隊として日本軍兵士を使っていた。米軍はこのあたりや制空権のなくなったラバウル・台湾をほったらかしにし硫黄島・沖縄で戦闘していたから、マレー・エリアでは惨めに退却する日本軍は現地の住民にも英連邦軍にも目撃されなかったようなのだ。こういった事情があって英国は日本を捻じ伏せたという実感がないのだろう。
ところで話は変わるがシンガポール占領後セイロン島に引っ込んだ英東洋艦隊はプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを失ったものの、やや旧式な戦艦5、空母3、巡洋艦6、駆逐艦10隻を擁していた。
これを叩きインド洋までの制海権を確保するために南雲機動部隊を差し向けるのは真珠湾の4か月後、例のミッドウェー直前のセイロン沖海戦である。
急襲空爆は成功したが、攻撃隊指揮官である淵田中佐は即座に「第二次攻撃の要あり」と打電し、機動部隊司令部は湾内艦船攻撃のための雷装を爆装に転換しはじめた。淵田中佐とは真珠湾の時に『トラ・トラ・トラ』を発信した飛行隊長だ。
山口多聞少将は「攻撃隊発進の要ありと認む」と打電してくる。
どうも真珠湾での第二次攻撃を躊躇する南雲司令部の様子が被ってくる。
ところがその後、艦隊行動中の艦船発見の報が入ると再び爆装から雷装へとドタバタを演じ、結局は爆装の急降下爆撃隊を飛ばす。
偵察も不調に終わり敵空母接近を見逃し、雷爆換装中に赤城が空襲を受ける。
こうなると今度はミッドウェーそっくりだ。
結果的にかなりのダメージを与えることには成功した勝利ということになっているが、南雲機動部隊は真珠湾・セイロン沖で散見されたミスを(検証したことはしたかもしれないが)ミッドウェーでは教訓とすることなく惨敗した。
この4月時点ですでに連合艦隊司令部においてミッドウェー作戦は黒島参謀を中心に練られており、そうなるともう止まらない。
戦後の海軍関係者の反省会という体裁の音声が活字化されているが、その中に悲痛な発言がある。12月に真珠湾。4月にセイロン沖。その2か月後のミッドウェーだったので南雲機動部隊の損傷もあった。メンテナンスにせめてあと一月欲しかった、というものだった。
しかも途中に珊瑚海海戦という空母同士が四つに組み、双方一隻づつ失うという躓きがあったにもかかわらず、である。
珊瑚海海戦は史上初の機動部隊会戦という興味深い戦闘である。尚、この時点では海軍の暗号は解読されていた。
米空母ヨークタウンを味方と間違えて日本の九九艦爆が着艦しようとして初めて相手が敵と気づいた、という笑えない話もある。米軍は切り込み隊が強襲したのかと思ったことが記録されている。
それまで連戦連勝だったため、第四艦隊司令長官の井上成美中将は海軍内部で散々な言われようだった。出典が分からないが「コーラルシー(珊瑚海)戦機見る明なし。次官望みなし。徳望なし。航本実績上がらず。兵学校長、鎮長官か。大将ダメ」とまで書かれ、実際に兵学校長になる。
ところが敗色濃くなる中、米内海軍大臣を補佐するために最後の海軍次官となり和平工作の奔走することは阿川弘之の作品に詳しい。
嗚呼 『ツクバヤマハレ』 打電されれば・・・
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謎の反転考 ー誰かがー
2018 MAR 21 20:20:30 pm by 西 牟呂雄
動画を検索すれば誰でも見られるが、先日偶然発見して興味深く観賞したYoutubeがある。レイテ沖会戦で取り上げられる栗田艦隊の謎の反転に関する証言である。
この艦隊行動はフィリピンに反攻上陸するアメリカの輸送船団を潰し機動部隊を殲滅すべく、小沢艦隊を囮に使ってまで勝負をかけた事実上連合艦隊の最後の作戦「捷一号作戦」遂行中にあった話だ。
その時に大和の副砲長だった深井俊之助(当時少佐)がインタヴューを受ける内容が収録されている。H18.10.16、今から12年も前にチャンネル桜で放送された。
氏は大正三年生まれで東京府立四中から四年終了で海軍兵学校に進んだ秀才。四中(現戸山高校)は死中(しちゅうのシャレ)と呼ばれる程の苛烈なスパルタ教育で知られた。亡母の兄、即ち筆者の叔父がこのコースを進んだが四中の思い出は『厳しかった』としか語らなかった。
収録当時は92歳と高齢ながら大変しっかりとされている。戦闘の様子、僚艦武蔵の沈没等、明瞭に語られた。
その動画の中で特に力を込めていたのが、例の謎の反転についてだ。
当初のレイテに突入する南進ではない反転に異変を感じた氏がブリッジの指令所に行くと、第一戦隊司令長官であった宇垣纒中将は『南に行くんだろう』と怒鳴り散らしていたのを目撃する。
すると栗田中将は沈黙し、深井少佐が詰め寄ると参謀は電報を持ち出して鉛筆で叩きながら『この敵艦隊を攻撃する』と言う。ところがその電報には発信者が無かったと証言した。
これは大和の受信記録がなく艦隊司令部が受けたことで有名な通称「ヤキ1カ電」と言われるものだ。「ヤキ1カ」は地点を表す航空用語で、即ち索敵機から敵機動部隊のいる場所を指し、そこへ行くための反転だということである。
ここに至るまでにシブヤン海で武藏を失い航空攻撃で多くの被害を出していた深井少佐他数名の士官は、参謀に掴みかからんばかりに抗議するが受け入れられなかった、と。
更に深井証言は、被害を受けている大和の航路を計算すると、帰港するために決断するギリギリのタイミングでその電文が受信されたことにつき、その中佐参謀の作文ではないかとまで推測している。さすがに名前を言わなかったが。まさか・・・本当だろうか。
「捷一号作戦」は既に敗色濃い帝国海軍が北上する米軍を混乱させ、この海戦をもって撃ち込まれた楔を抜く事実上の特攻であったとまで言った。事実航空機による神風特別攻撃はこのレイテで始まったのだ。
氏は極めて冷静に語るのであるが、この辺りは涙ぐみ思いが募るようだった。その後大和を下ろされてしまうのだが、作戦上の外道である沖縄水上特攻に行かされたことが我慢ならないようだった。
この『反転問題』は多くの証言があり、電文を受けた中佐参謀の名前も分かっている。一方で合理的な反論もある。又、栗田中将のいわゆる『逃げ癖』についても研究がなされていて、さもありなんという状況証拠はある。
そもそも海軍の評価基準では輸送船を撃沈してもスコアが上がらない、即ち戦艦・空母を仕留める方が成績がいいため其方を狙いたがる傾向はあった。
しかしながら各種反論を見てみると「ヤキ1カ電」が作文だと断定することはできない。
栗田中将以下第二艦隊司令部は、その前のパラワン水道において潜水艦の魚雷攻撃を受けて旗艦愛宕が沈められ駆逐艦に救助されるまで泳ぐ。その後大和に司令部ごと移動しため、大和のブリッジは大混乱していたことも確かだ。
最近流行りの「脳科学」のウンチクによれば、人間の脳は思い込み続けることで記憶を幻視してしまいそれを記憶してしまうことがあると言う。
深井証言そのものは本人の『記憶』に限っては断じて真実なのだが、「ヤキ1カ電」も実際に入電されたのではないか。
両論併記のような話で恐縮なのだが、限りなく重い。
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あかあかや 華厳
2017 NOV 13 19:19:47 pm by 西 牟呂雄
あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかや月
一瞬、真っ赤な月でも幻視した狂人の歌と思った人、違います。
この『あか』はレッド=赤ではなく『明るい』の『あか』。
華厳宗中興の祖、明恵(みょうえ)上人の作です。
京都栂尾(とがのお)にある高山寺で教学研究や厳しい修行中に詠んだのかも知れません。それにしても、そこら辺の子供が初めて詠んだような無邪気さというか楽しさというか。
座禅修行で考えに考え抜いてまだ悩み経典を読み込んでフッと見上げると輝くような満月が目に飛び込んで来る。えもいわれぬ充実感に満たされて、さてもう少し研究してみようか、こんな心境が想像できます。
華厳教学はこの世の森羅万象がことごとくバタフライ効果のように作用しあっているが、修行によってそれが妨げあわず共存することのできる境地に至る、と教え(るのかな?私なんかに分かるわけない)数ある仏の中で盧舎那仏をひたすら信仰する。
この『作用しあっている』は僕の造語というか、まぁテキトーに考えた概念だが、素粒子論でいう粒子と反粒子が衝突によって消滅し2mc²のエネルギーを放出、それがまた粒子・反粒子を生成し・・・といった感覚のことでしょう。
すると絶対善である盧舎那仏とはブラック・ホールのことで・・、うっもういいや。
明恵上人は紀州の生まれで、高雄山神護寺で華厳五教章を始めた。東大寺(盧舎那仏の大仏ですね)で戒律を、仁和寺で真言密教を極め、栄西から禅まで学んだ。途中紀州で隠遁修行したりインド行きを企てたりしする、大変な学僧なのです。修行中に激情にかられて右耳を切り落とした、という話があったと記憶しますが出典を思い出せません。もしかしたら別の人かもしれないですね。
そういう偉人が冒頭のような無邪気な歌を詠むのは微笑ましいを通り越して結構鬼気迫る。
どうも明るい月の光に何かを刺激される感性の人らしく”月”を詠んだ歌を多く残した。代表的なのをもう一首。
くまもなく すめる心の かかやけば
我が光とや 月おもふらむ
僕も影が出来るほどの月の光を浴びるのが好きで、夜中に喜寿庵の庭に出てしばらくボーッとしている事が。特に泥酔して見上げているとこのまま宙に浮くような気がします。一度そのままひっくりかえって頭を打ち、翌日畳に血溜まりができるほど出血したことがあったっけ(酔い過ぎて翌日までケガに気が付かなかった)。
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地域住民説明会で思ったこと
2017 AUG 2 6:06:50 am by 西 牟呂雄
住んでいる近くに立派なお屋敷があって、近隣ではそれなりの地域の名所だったが、居住者の都合でマンションが建設されることになり「近隣居住者の皆様への説明会」というのに行ってきました。
大手不動産会社・設計事務所・窓口デベロッパーの担当者が挨拶をし、丁寧に説明をしてくれたのですが、質疑応答で雰囲気が一変しました。
一番前に座った私よりも少し上と思しきジイ様が口火を切ります。そのジジイはやる気満々で、要するに目の前に自分の所より大きなマンションが建てられるのが気に入らない。特に自分の面した部屋にルーフ・バルコニーがあるのが気に入らない。口を極めてイチャモンを言うのですな。
「売主ができるだけ緑を残したい、と仰ったそうだが、この計画のどこに反映されているのか」
さっき説明してたじゃないか。紅葉と松を残す設計にしたって。
「こっちに向かってバルコニーがあったら私が洗濯物を干すときは挨拶から始めなきゃならないでしょう」
誰もお前なんかと挨拶なんかしたかネーヨ。
「女性の方なんか下着は干せないじゃないか」
お前の下着を見るのもイヤな人はどーすんだ。
「施主は来てないのか」
最初に挨拶してただろ。覚えてないのか。
「北側にバルコニーを作るなんて常識でありえないでしょう」
テメーが引っ越してきた時は土地の売主は見降ろされてさぞイヤだったろう。
「この住環境が気に入って住んでるんですよ」
そこは賃貸だろー。引っ越し代でもせしめる魂胆か。
いちいちカンに触る発言が相次いでいたたまれず途中で席を立ちました。
たかが住宅街の一角でこの騒ぎなのだから、大規模開発ではさぞ凄い事になるのか想像に難くないです。
話が大げさになると手に負えないので重大な問題なんかとは切り離して考えてください。
ここでは売主が土地を手放して、買った側が法に則ってそこを開発します。デヴェロッパーの人は”地元条例”を参考に手続きを進めている説明会ですよ。いかなる事情かしらないが売る側はそれなりの事情があって、近隣住民の知った事ではない。文句を言う前に売却せざるを得なくなった元地主の無念を僕は思っていました。
それがあたかも弱者の英雄にでもなったかのようなジジイの物言いに非常に強い違和感を持ったのです。
そもそも全員の希望が100%かなえられる事などあり得ないのに、自分の都合をクドクド(本当におなじ事ばかり何回も言い立てた)抜かしているの。もう少し品良くやれないのかと不愉快な気持ちになりました。ところがそのジジイがつべこべしゃべるとオバサンだって黙っていません。次から次からまるで何も言わないで帰ると損でもするかのように、ほとんど同じ内容を何人もが喋ります。
そして暫く聞いていて、この光景は既視感があるなと思ったものです。
それは国会質問です。
〇池問題とか加〇学園の話を”追求”する場面ですが、同じ事を聞き同じ答弁を引き出し(同じことを聞くから当たり前だ)新聞には『ノラリクラリと交わした』との記事が出ます。最初から分かっているから見る方は(少なくとも僕は)初めから結論が分かってしまって面白くもなんとも無い。新聞記事なんか読む気にもなれませんね。
加〇学園は元事務次官というトリック・スターが出て野党が嬉しそうにしてますが、もう出ガラシですね。文書(ってメールでしょうが)が出てオシマイ。
そしてそれを解説する新聞報道も論説もファクトなし。近い将来ファクトだけ打ち込むと人工知能が自動的に書いてくれるようになるでしょう、特にA新聞なんかは。
国会議事堂と議員会館の間を昼間通ったことがある人なら分かりますが、いつでもプラカードや拡声器を持ったオジサンやオバサンが大勢いて(2組も3組もの集団が順番待ちをするくらい)共謀罪でも原発でも基地でも公務員の給与から何から何まで反対の人が毎日毎日シュプレヒコールをやっています。
ほとんどがオッサン・オバハンだけどかあの人達はあれが仕事なのでしょうか。それでシールズは若い人だったから目立ったのかもしれません。
僕の見たところでは、デヴェロッパーの若いオニーチャンは乱暴な口もきかず丁寧に答えようとしていました。そうするとオッサンは鬼の首でも取ったかのように益々エラソーに言うのです。
テメーは現役の時にどんなに偉かったのか干されていじけたのか知らないが、もう少し礼儀ってもんがあるだろう、と思いましたね。品性下劣だ。
そして、この光景が今日では常態化して違和感を持つ方が(すなわち私の方が)非常識だとすると、私などこういう所にはもう住めないのでしょうか。我が家の目の前にドカッとした高層マンションが建つとすればイチャモンを言うより引越しを考えるかもしれません、無理か。
嘗てのこういう光景は理不尽に対する弱者の団結という構図で、労働組合とか農協のように一定のバランサーの役割があったのでしょう。しかし私の目の前の光景はそれが逆転して見えるのです。
実際に見たことはありませんがモンスター・ペアレントとかクレーマーとかもっと凄いんでしょうが。
そうだ、いっそのこと一定のルールの儀式にしてしまえ。そして双方おごそかに読み上げて人工知能に妥協点を決めてもらうというのはどうでしょうか。
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トランプ大統領の言葉
2017 JUL 28 19:19:33 pm by 西 牟呂雄
なかなか支持率が上がらないが、この変わった大統領は意に介さない。
このトランプ大統領の言葉はどうしたら読み解けるだろうか。
安倍総理とはアッと言う間に仲良しになっていまい、日本への悪口は影を潜めたが油断は禁物。
習近平とのディナーの最中にシリアにミサイルを撃ち込み涼しい顔だ。
このとき僕はフト思いついた。ヤザワ語で解釈すると腑に落ちるのじゃないか。
ヤザワ語とはエーチャンがステージやインタヴューで喋るあの口調だ。
「あのよー。今ミサイル59発シリアにブッ込んどいたからよー(エーチャンの口調を想像してください)」
「・・・・もう一度言ってください」
「だーかーらー、毒ガス使ったッツーから我慢できなくてよ。オメーだって頭来るだろ」
「それはそうですが」
「おれ達ァこんなこといつでも軽いんであの刈上げのデブの方はよろしくぅ」
この調子だと分かりやすい。習近平は呆気に取られて抗議もできなかったろう。
”全てのイスラム教徒の入国を禁ずる”とまで署名して総スカンを食ったのに、中東を訪問してサウジには愛想を振りまく、やるじゃないか。
サウジはISと同じスンニ派の中でも過激なワッバーフ派なのにガッパリ武器を売りつけて、
「共通の敵はISだがオレ等が組めば一発で潰せる。コヨー・コヨー・コヨー!サイコーだぜ!」
その足でイスラエルに行っても吠える。
「ユダヤ教もムスラムもクリスチャンも一緒にやれるぜ、ベイベェ!」
トランプはバカじゃない。面倒な奴とは会わず、周到に選んだ相手としか会わない。会えば初めは相手に合わせることも自在だ。
僕はその時の外遊のコースを秘かにささやいたのは安倍総理ではないかと見立てている。娘のイヴァンカに『あなたは安倍総理の言う事を聞いてればいいのよ』と言われたそうだし。
安倍総理は学生時代にどう過ごしていたのか知らないが、トランプとかプーチン・橋下徹のような元ワルとつきあうのが上手いのではないか。逆にいかにも真面目そうな相手とは相性は悪い。習近平とか朴元大統領、福島みずほ、公明党山口代表。
そのトランプ大統領はG7でもNATOでも実に居心地が悪そうだった。要するに集団合議がいやなのだ。
そしてヒョットしたら任期途中で投げ出してしまうか、暗殺される危険がつきまとう。1期目の最後までやり遂げる可能性は50%くらいなのではないだろうか。
その後もマスコミとの戦いが続く。プロレスに登場した時の有名な動画がアップされ、ビンス・マクマホンの顔が”CNN”になっているのは笑えた。だけどこの後本人はリングでスティーヴ・オースチンに投げられているのだが。
そして『魔女狩り』とツイッターで。『ウィッチ・ハント』これ大丈夫だろうか。
現代アメリカではこの言葉はマッカーシズムを指す場合があり、大変にきつい言い方になっている。まぁ他にも散々ヤバい言葉を使っているからどうってことないかもしれないが、あんまりやっているとアメリカの亀裂を深めるだろう。
その後フランスで64歳のマクロン大統領夫人に
You’re in such good shape.
You’re physically in good shape. Beautiful.
とやって物議を醸す。ちなみにマクロン大統領は40歳!
しかしこれ翻訳の大家、友人の某名誉教授によると「調子良さそうだな」程度の意味のようである。いずれにせよあまり品が無いことは確かだそうだ。
そしてその友人に冒頭のヤザワ語への変換の話をしてみた。大受けするだろうと期待したのだが、返って来た返事は、
「エーチャンはツイッターなんかやらないぞ」
だった。
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『職業としての小説家』 読後感
2017 JUL 9 11:11:54 am by 西 牟呂雄
さる先輩に『これ読んでみろよ』と勧められ、躊躇したが一気に読んだ。
躊躇したのは、僕は小説をほとんど読まず、村上春樹は一回も読んだ事がなかったからだ。何だか題名からして難解そうだったし。
ところがこの本は講演原稿のように書いたもので(あとがきを読むまで講演だと思っていた)出だしは苦戦したが面白かった。
いや、一回もというのは正確ではなく、月間文芸春秋に書き下ろした作品を見て以下のマヌケな感想を書いている。
畏れ多いことだ。
この人は相当緻密な人だと思った。とにかく相当な量の小説を、どうやら原書で読んでいる、それも高校生くらいから。
そしてまず『小説を書くのはあまり頭の切れる人には向いてない』と説く。初めはこの言い方に随分と違和感を感じた。よくある反語的な言い回しで『自分が頭はいいが』といった方に持っていきそうだ、と警戒した。だがそれは違って、せっかち、とか軽率な人には向いていない、という話だった。
作中の表現を借りれば『なるべく回りくどい』方法を好んでそのプロセスをむしろ楽しむふうであり、『物事をそう簡単には結論付けない』ことを心がけている。そのやり方が長い作家生活を続けていけるコツのようなものと言っている。なるほど僕はマヌケ・ブログを面白がって書いているが、けったいな思い付きの小説めいた連作は失敗してほとんど読まれない。
それはある意味当然で、現役時代の口癖は『オレに哲学もクソもない。能率とスピードにしか興味がない』と喚き散らして部下達から嫌われていた。小説が書けないわけだ。
学生結婚をして、ジャズ屋を長くやっていたという点。バド・パウエルとかビル・エヴァンス、ハービーハンコックなんかをガンガンかける(レコード時代)お店と聞くと、なかなかヤルなと思わせられる。もっと若い頃はビーチ・ボーイズとビートルズだそうだ。これなんかも取っ掛かりがローリング・ストーンズでその後YAZAWAだった僕とは格が違う。ボブ・ディランの記述もないが、音感的に単純すぎるので聞く気にならなかったのだろう。
衝撃的なのは、初めの方にガラガラの神宮球場でヤクルトー広島の開幕戦を見ていた時の話が出てくる。初回のヤクルトの二塁打を見て、突然小説がかけるかも知れない、という感覚に陥ったとある。以下表現を引用する。
『それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした』
私事で恐縮だが、僕はブログの読者の方は御存知の日本ハム・ファイターズのファンだ。それも昨年の優勝・大谷フィーバーからのミーハーではなく、弱い弱い東京ドーム時代のそのまた前からのファンである。パ・リーグだからヤクルトよりも人気のないチームだった。
学生時代の恩師が球団関係者の義弟だったので、ノベルティーのチケットがゼミで大量に出回り、東京ドーム行きたさにガラガラの内野スタンドに行った。
村上春樹は1978年にその感覚を得たというから、ほぼ同時期に弱小球団の試合を見ていたことになる。
それなのにヤジを飛ばす事に夢中になっていた僕にはひらひら落ちてくるものなどなかった。ドーム球場だったから空から降ってこなかったのだろう。やはり作家になる人は違うのだな。
中学・高校のころの話も書いているが、学校というものが苦手だったとのことで、これは僕もいつの学年でも居心地は実に悪かった。しかし唸らされたのは、表面的には僕と同じような事をして遊んでいたらしいが、勉強を怠けて遊び呆けているという意識がなかった、と言っている。恐らく英語の小説を読んだり音楽を聴いたりすることに相当な濃密な時間を使ったのだろう。僕程度の不良だと”遊び呆けている”自覚がしばしば襲ってきて、これではヤバイくらいのことは思ってしまった。酒の味を覚えるのも早かったのがまずかったのかもしれない。
その後はプロの小説家として、極めてストイックに歩みを進める。驚いたのは長編小説を何回も書き直すらしい。ノリの悪い”章”はまるごと書き換える。或いは英語で書いて(たいしたもんだ)それを日本語に起こすといったことまで試している。
まるで大きな彫刻を掘り進めるように、規則正しく体まで鍛えて、尚且つ書き始めるときはウキウキして『充実感は何ものにも変えがたい』そうだ。
しかも”長編”を書く時には主人公に語りかけられるように筆を進めるとある。ということは小説の終わり方を考えずにスタートしエンドに持っていく(読んでないからわからないけど)自動書記のように(それこそ天啓のようにひらひらと)作品を紡いでいくのだろうか。
これも初めて知ったが、二回芥川賞にノミネートされて受賞しなかった。そしてそれがその後の作家活動に何の関係もないと言い、どうやら本当に関係ない。さらに噂されるように、この調子でノーベル文学賞を取っても文筆活動には全く影響しないと思われる。もっともボブ・ディランと違って授賞式くらいは行くだろうが。
ここまで言われるとなにやら”長編小説”なるものを書いてみたくなるではないか。著者も最後の方で言っている。
『物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです』
多少なりとも僕にも心の奥の喜怒哀楽はあるのだから。
しかし悲しい事に上梓されたこの本によれば僕はその資質を全く持ち合わせていない。だが最後の奥の手はあるような気がする。
それは例えば『長編小説』という題名のアホ・ブログを書けばいいのだ。
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映画 『花戦さ』
2017 JUN 18 15:15:30 pm by 西 牟呂雄
信長・秀吉・利休そして池坊専好。キャストは順に中井貴一・市川猿之助・佐藤浩一そしてご贔屓の野村萬斎ときてはこれ、見ざるを得ませんね。さるお見舞いの合間にチョイと行ってきました。
秀吉の狂気、利休との友情、意を決して秀吉に挑む専好。
「いやしくも池坊を名乗るなら、花の力で世を正そうぞ」
手練れの芸達者がズラリと並んでさぞや。それがですねぇ、どうも脚本がメメしいんですよこれ。
萬斎さんの坊主頭が似合わないんですな。
初めに出てきたアップが何ともマヌケ面に見えて笑えたし、人の顔と名前が覚えられないというコミカルさを狙ったキャラの設定がチョット。
それでもこの一見ボケ芸がクライマックスで生きる、という演出なのでしょう。
冒頭の信長に松を活けるところ、中井貴一はさすがでした。
「見事なり!池坊」
信長の登場はこのシーンだけでしたがかっこいい。そしてあの役者だったらどうやったろう、などと思いを巡らすのも一興です。まず考えたのは勿論成田屋の海老蔵。
そしてクライマックスは豊臣秀吉VS池坊専好。歌舞伎VS狂言の芸の打ち合いといった趣です。そこは見てのお楽しみ。
ところで池坊は聖徳太子建立の京都六角堂のお坊さんです。
如意輪観世音菩薩をご本尊にしています。
作中で萬斎さんがしばしばお経を読むのですが、これが聞いた事もないお経なのです。
いったい何経なのでしょうか。
検索してみるとどうやら『光明真言』のようです。
「オン アモ キャーベー ロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と言っているのだとか。
サンスクリットではと表記して、不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ、偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ、光明を 放ち給え という意味のようです。
猿之助ファン、萬斎ファン、並びに生け花関係者にはお勧めですが、某映画館はガラガラでしたね。
ところで池坊はこの映画にいくらスポンサードしたのでしょうか・・。
戦国三部作を貼っておきます。
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