Sonar Members Club No.36

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空師(ソラシ)を知っていますか

2024 APR 28 11:11:19 am by 西 牟呂雄

この高さ

 喜寿庵の欅の木が伸び放題伸びてどうにもならないので枝を落とそうとしたのだが、植木屋のオッチャンはビビッて断られた。無理もない、御年82才だもんな。しかも崖の上から渓谷の方に伸びているので足場がない。川までは20m以上あるから落ちればケガじゃすまない。
 いろいろ聞いてみると、高所作業専門の『空師』なる職業があることが分かった。ソラシなんて何だかサギ師の親戚みたいな響きにたじろいだが、八方手を尽くして探し当てた。さる造園会社に所属しているらしいのだが、なぜかスマホの番号しか表記されておらず、いつ電話しても繋がらない。たまに繋がっても『今は静岡にいまして』とか『見積もりを送ります』と言いながら連絡は来ない。最もひどかったのは『車が動かなくなって・・・』である。だんだんわかって来たのは、彼はその会社のただ一人の空師で、どうもスケジュール調整とか見積もりはたった一人でやっているらしい。ようやく会えたのは初めの連絡から3カ月後だった。現れたのは40代とおぼしきオニーチャンだった。
『空師ってどんな資格なんですか』
『そんなもんありません。自分、アメリカでツリー・クライミングの訓練を受けました』
直訳すれば、木登りの訓練を受けた・・・。まっいいか。
『この檜の枝を落としてほしいんですが』
『楽勝ッス』
『重機は入れないけど大丈夫ですかね』
『梯子で行けます。この崖下、誰もいないんでしょ』
『鮎釣りが解禁されてるから釣り人が時々いますけど』
『わかりました』
 その後、こちらはインドに行ったり彼が忙しかったりしてさらにひと月過ぎた。
 来るはずの日に、待てど暮らせど現れない。しょうがない、電話する。
『あっ・・・・。申し訳ないッス。きょうはちょっと・・・』
『いつなら来れるんだ』
『じゃ、あさって』
『本当だな』

 そして当日は1時間遅れでやって来た、何ともくたびれたオジーちゃんと一緒に。今までのトンチンカンな対応から見て、オニーちゃんの方は相当アブない人物と見立てていたので、しばらく一緒に見ていることにした。
 すると、やおらベルトの辺りに様々な道具をブラ下げるとロープと電動鋸を掴むとヒョイヒョイと登りアッという間に梯子の天辺まで行き、そこらじゅうを切りだした。そして更に手持ちのロープを上の方の枝に括りつけてズルズルと上に登り、幹を揺らしながら枝を落としてしまった。ここまで僅30分。あまりの手際の良さに呆気にとられた。
 降りてきて次の段取りを話しているので、試しに梯子に登らせてもらった。ところが彼の半分も行かないうちにギブ・アップ。この梯子というものはものすごく振動するのだ。下で抑えてもらっていたにもかかわらず、カシャカシャ揺れて怖いなんてもんじゃない。下からは分からなかったが崖の方に大きくせり出していた。おとなしく降りてくると奴は言った。
『あー良かった。上ってそのまま降りられなくなる人結構いるんスよ』
 早く言えよ!

さっきより高い

 さっそく二本目に取り掛かったが、今回は梯子を登り切って幹に取り憑いたところで動きが止まってしまった。
 しがみついたまま、ジッとしていてまるで蝉がとまっているみたいだった。
 しばらくして降りてきた。
『足場にしようと思っていた枝の瘤が腐っていて足を掛けたら落ちちゃって』
 ゾッとするようなことを言う。
 オジーさんと何やら話しているが、次第に表情が曇って来た。
『どうした。作戦変更かい』
『あのですね。チャット今の道具だけじゃ梯子の先が登れそうもないんですよ』
『ホントか、じゃしょうがないな。機材だけの問題なの』
『ウーン・・・・納得がいかない・・・・』
『オイオイ、それじゃ1本分しか払えないぜ』
『エート・・・・。悔しいな』
『それじゃな、メシ食って一息入れて考えてから午後おいでよ』
『あっ、いいですか』
『ああ』
 オジーちゃんと帰って行った。

 午後になって再びいろいろな道具を携えてやって来た。こんなもんどうやって使うのか。そしてその新兵器やらロープやらを腰にくくりつけた。全部で30kg以上あるそうだ。
 今度は梯子を幹に縛り付けながら登り、午前中に立ち往生したところから道具を使ってよじ登りだした。
 一つづつ幹に括りつけて足場にし、一歩づつ登っていく。

 足首には脚絆のような物を装着しているが、内側に釘のようなスパイクがついていて、ヤバくなったら幹に引っ掛けるらしい。
 作業的には一つやると一つ片づけるといった感じで、それはウッカリとか慌ててやって道具を落としたりすれば怪我人は出るだろうし、自分が落ちたら命もヤバい。
 慎重に、慎重に登り遂に届く範囲の最高部の達すると体を固定した。
 それから、なぜか電動は使わず腰に差していた鋸で枝を落としだした。
 足場が悪いので、重そうな枝はロープで縛り吊り下げていく。
 問の外で人の声が聞こえる。何だか人だかりがしているようだ。

門の外から

 すると、そこからは空師のアンチャンが欅の上に留まっているところが遠くに見えるので『あれは何だ』と指をさしている。
 僕が言うのもナンだが、僕のこの辺での評判は芳しいものではない。遠目には誰だか分からないものだから、また僕がターザンごっこに興じているのかと思ったのだろう。出てきた僕を見て『アレッ』という顔をされ、あれはプロに絵だを落としてもらってるんです、と説明するにいたった。
 登り始めてから3時間。全ての作業を終えて降りてきた。その時一度足首のスパイクが滑ったらしく、ズルッツと半分中吊りになった。やっぱり危険作業なのだな。
 『いや~勉強になりました。下から見るとまっすぐなんですけどあの瘤のあたりから螺旋みたいに曲がっていてこっちも回りながらしか登れないんですよ。これ考えて持ってきて良かった』
 成程、色々あるな。
 このように木によじ登って伐採を専門にやるプロの『空師』を看板に掲げているのは東日本に30人程しかいないので、年がら年中忙しいのだとか。
 いたずら心が湧いてきて、崖下に隆々と生えている欅を指して『アレはできるかい』と聞くと『あんなのチョロイ』という返事。それじゃもっと深いところの木はできるか、イジワルを言うと、しばらく覗き込んでいたが『これに比べたら簡単ッス』だ。ヨーシ、面白くなってきたぞ。

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おォ! 鉄の爪

2024 APR 20 9:09:06 am by 西 牟呂雄

 鋭い眼光、いかり肩、リングをノッシノッシと闊歩しては相手と組みあう。スキを見てこめかみにガシッと手が食い込むともはや成すすべはない。そのまま押し倒されて抑え込まれればスリー・カウント。立ったまま揉み合えばギブアップ必至のアイアン・クローの完成である。手を広げた親指の先から小指の先までのスパンは33cm、林檎を握り潰す120kgの握力、単純だが物凄い威力の必殺技。ダラスの帝王、フリッツ・フォン・エリックは怖かった。

アイアン・クロー

 都内某中学で盛んに行われたタイトルマッチでは地味な技だったことと子供の握力ではギブアップが取れないために使い手は少なかったが、やられると痛い。
 その中学に通っていた時の放課後に人だかりができていた。巨人のような白人が男の子を連れて校内に迷い込んできたのだ。その白人を遠巻きにしているのは男子生徒ばかりで、僕もその輪にヤジ馬として加わった。その中学は道を隔てた向かいに高級ホテルがあり、近所には大使館もいくつかあって外人は当時でも珍しくない。そのうち思い切って生徒手帳を差し出した奴がいてその外人は気軽にサインしたのをきっかけに輪が縮まって集団が押し寄せるようになった。やや危険な雲行きになると体育の教師が割って入って生徒を押し戻したのだ。巨人は髪の毛を短く借り上げて眼鏡をしていた。『おい。あれ誰なんだ』『バカ、エリックだよ。アイアン・クローだ』『エーッ!』初めての出会いだったが、テレビで感じた殺気はなくニコニコしていた。
 ギミック上のキャラクターはベルリン生まれのヒットラー・ユーゲント出身、敗戦後の移民となっているが全部ウソで、根っからのテキサンである。
 ジャイアント馬場が自ら決着を着けると公言していた試合はテキサス・デスマッチで行われた。それは10カウント・ノック・アウトかギブアップでのみ、反則裁定なしというアホみたいなルールだった。ストマックにめり込んだアイアン・クローのまま馬場の巨体を持ち上げかけたりこめかみから出血させたりの荒れた試合を二人のレフリーはひたすらカウントを取り続ける。最後は馬場がエリックの頭を思いっきり鉄柱に打ち付けてノック・アウト勝ちだったと記憶する。実にプロレス的勝負で、馬場は試合後の勝利者インタビューに答えて『これで馬場より強いとは言わせない』と言ったのが印象に残っている。

 映画『アイアン・クロー』はそのエリックの5人の息子(長男は早世)の物語である。おそらくあの時に連れていたのは年長のケビンだっただろう。ご承知の通り、ケビンを除いた兄弟は全員不幸な死に方をしてしまい、呪われた一家などと言われていた。
 ケビン役のザック・エフロンがレスラーに成りきって肉体改造をしている(他も凄いけど)。プロレスの演出はチャボ・ゲレロ。スマック・ダウンで大活躍したメキシカンである。これがまた80年代のスタイルを忠実に再現していて実に見ごたえがある。
 6人の息子がいたが、長男を早くに失くし、ケビン・デビッド・ケリー・マイク・クリスの5人がレスラーとなる。この内デビュー後1年でピストル自殺してしまうクリスを除いた4人の兄弟の物語だ。物語の進行上クリスは描かれていなかった。
 作品については見てもらうしかないが、デビッドを失った後の3人の絡みは素晴らしい。
 全員アイアン・クローを使うが、裸足のファイター・ケビンはホーク・クロー、元円盤投げの選手だったケリーはタイガー・クロー、マイクはパンサー・クローと名付けられた。
 ケリーは事故により足を切断したのちも義足を付けてファイトするのだが、そのシーンもあって感動させられる。
 抗争を繰り広げるライバル達も実際に似ていて往時の記憶が甦る。ブルーザー・ブロディ、ハーリー・レイス、リック・フレアーなどそっくりな俳優をよく見つけたものだと感心した。そこまでやるなら兄弟たちと戦った日本人レスラー、ザ・グレート・カブキも出せばよかったのに。

 エンディングについて、最後に自殺したケリーが先に逝った兄弟達とあの世で再開するシーンがあるが、あれは余計なシーンだった。
 むしろ、ケビンの息子で日本のノアで活躍したロスとマーシャルの兄弟を実写してほしかったな。

テリー!テリー!テリー!

アーロン・ロドリゲス・アレジャノの叙勲

追憶のメキシカン・プロレス ルチャ・リブレ

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なかなかいいじゃないか

2024 APR 14 18:18:00 pm by 西 牟呂雄

 岸田総理、スピーチには唸らされた。よほどいいライターを使ったのだろうが、最終チェックは自身でやったはずだ。強い意志を感じた。そもそも外交はツボを押さえていて、優れたスタッフの能力と本人のセンスを感じる。安倍政権で外務大臣を長く務めた効果ではないだろうか。
 ポチだ何だと落としめる輩もいるが、このタイミングでGDP2%を確保できたのは国益にかなう。この際、財源を確保してしまえば自主独立を標榜する筆者のような右ッパネも納得感はある。
 何よりも中国を名指ししたことがいい。宏池会出宏身なので危惧していたがまことに結構。中国は怒るだろうが、イチャモンを言ってくるとくらいで丁度いい。
 問題は内政でLGBT法案のゴリ押しにはいささか鼻白んだが、あんなもん無視できる微罪だ。
 一方パー券のピンハネ。大げさに騒いだのがA新聞で、世間はそれに乗せられたにすぎないことに気が付かんのかねェ。ただの『記載もれ(わざとだけど)』を『裏金』と翻訳したのもそうだし微罪を脱税としたのもそう。要するにA新聞の安部派憎しによる世論操作にマスコミが踊らされた構図だ。まっ、やる方もやる方だがね。
 それにしても金額がミミッチイ。飲食もしただろうが、問題はそれにたかった奴がいるはずで、それは地方議員(県議・市議)と分かっている。そいつらは口を噤んでいる。どいつもこいつも小物感満載だ。
 高市早苗だったら許せるが、小石河なんかに出てこられたらたまらない。茂木もいやだ。ガンバレ岸田総理。

 小池知事。詰みですね。本当に卒業なんかしていないのはミエミエ。何よりも記者の質問に『ファクトがありますから』と交わしたが、その時にニタ~っと笑ったのにお気づきか。この人は以前から痛い所を突かれるとあの笑いをする。
 そもそも都民ファーストもほったらかしにして国政復帰もないもんだ。都知事としてやった事といえばオリンピックと築地移転の足を引っ張っただけで、なにやら横文字の熟語を言いふらしただけ。
 親分の二階も潰れたのでもはや行くところもない。
 しかし不思議なことにこの胡散臭さを都民はどうして見抜けなかったのか。故石原慎太郎の『厚化粧の年増』発言が反感を招くのは当然だが、やってきたことを見ればわかりそうなものだが。

 植田総裁。お見事の一言に尽きる。『遅すぎる』『いや、まだ早すぎる』とかまびすしいが、両論が出てくるところがタイミングの絶妙さを物語っている。
 この人、学者センセイにしては度胸がいい。財務省やらリフレ派の影響を受けないで済むところがミソではないかな。
 この調子でジワジワやって頂きたい。気になるのは貿易収支で、単純な輸出入では赤字基調である。一般論で言えば企業業績がいいにもかかわらず赤字基調が続くのは円安のせいで、その割安感から海外投資家のマネーが株価を押し上げていることになる。一方で物価の高騰要因としてエネルギー価格の上昇は家計を圧迫してしまう。
 ここで極端なことをしてしまうとすべての歯車が逆回転することになって元も子もなくなる。そこんとこ、植田総裁よろしくぅ。

 日本ハムファイターズ。バカ・ボス率いる常敗軍団が出だしいい試合をしている。田宮というキャッチャーが特にいい。田中の抑えも効いている。そして何よりも清宮が二軍にいてくれる。頼むから今シーズンは上がってこないでくれ。
 しかも今年のいいところは粘りがあること。延長でサヨナラとか9回に追いつくといった何年も見ていないドラマがある。
 問題はレイエス・スチーブンソンといった外人の打撃が今一つなことと中継ぎのダメさ加減、そしてバカ・ボスの余計な采配。
 優勝しろとまでは言わないが、せめてC・Sには駒を進めてくれ。
 今日はオリックスに連敗したが・・・・。

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甦れ 日本ハムファイターズ

2024 APR 9 0:00:30 am by 西 牟呂雄

 何年も最下位に甘んじ、それでもB・B(バカ・ボス)は懲りずに選手より目立ち、ロクに補強もしないで中核選手に逃げられ、新球場に大金をつぎ込み、ファンの期待を裏切り続けたファイターズよ。ファンだけではない。あのレジェンド達、張本・大下・山本(八)・大杉・土橋・尾崎。ちょっとだけ江夏・名手古谷・稲葉・岩本・そして新庄。直近はダルビッシュに大谷を輩出した歴史にこれ以上泥を塗るのは許されない。
 幸い今年は外人の補強もやっており、山崎がオリックスからFAで来てくれている。伊藤・加藤・バーヘイゲン・北山・鈴木・山崎あたりでローテーションがガッチリ組めれば今までのようなことはあるまい。バカ・ボスが間違えなければAクラスの投手陣である。
 おまけに幸いなことにセンスゼロのデブ、清宮が足を捻挫してくれてキャンプにも来られなかった。ことほど左様にプロとは言えない意識の選手をなぜトレードしないのか理解できない。
 実は秘かにCS放送でキャンプをじっくりと見て期待した選手がもう一人いる。ズバリ、マルティネスこそ今年のキー・マンではないのか、と。何しろファイターズの3大ネック・ポジションは下手揃いのキャッチャーとデブが守るファースト、並びに頼りにならない抑えなのだが、マリチネスはファーストもキャッチャー両方できる。出ていてくれるだけでどちらかの大穴は蓋が閉まるのだ。更に田宮という若手キャッチャーが育っているのも心強い。抑えは田中に期待である。

 初戦はロッテ。エース伊藤が好投し、レイエスがさっそく一発放り込んで楽勝。ファーストはマルチネス。マーフィー・金村の中継ぎもいい。っと思ったら9回の田中が1点献上してヒヤリとさせられたが、バカ・ボスが余計なことをしなくて助かった。
 2戦目はミスター・スポック加藤。相変わらずコントロールがいい。6回3失点。打線はなぜかダメで今年も益田のヤギが出てきてこれは負け。あれっアゴ髭がない。
 そして第3戦。ノー・ノー佐々木に必死に喰らいついた1点ビハインドの9回表。益田からレイエス四球・田宮三塁打・水野安打で2点もぎ取って逆転してやった。田宮の三塁打はロッテの外野の交錯というマヌケのおかげではあるが、長いこと見ることのなかった最終回の逆転勝ち、これが今年のファイターズなのだ。ワハハ。
 楽天戦ではファイターズをお払い箱になったポンセに対し、期待の山崎。見事なピッチングだが思わぬ伏兵の村林に一発撃たれ、7回息詰まる攻防の末もう1点献上して終わった。その裏は更にヒート・アップして1点取ると、2アウト満塁で物凄い表情の酒井のフォークで野村が倒れてしまった、フーッ。いい試合だったけれど負け。
 だが翌日、北山があわやノーノーかのピッチングに万波のH・Rで切り返した。
 なかなかいいじゃないか。ただ、B・Bは何だって毎日打順をいじるのだ。特に1・2番は固定しなければ選手のモチベーションにも悪い。

 でもって西武。去年の最下位争いカードである。
 初戦には驚くべきことが起こる。エース伊藤が2点先行されてもう終わったかと思いきや、7回で追いつく。そのまま延長にもつれた12回についにサヨナラ勝ちにこぎつけた。オイオイオイオイ、マジかよ。
 2戦目は加藤が突如4回2アウトから2発食らってKOされた。こういうこともアリかな、それでも最終回に2点返す意地を見せた。やっぱり去年とは違うぞ。
 ところが3戦目にバカ・ボスがマヌケぶりを発揮してくれた。上原は初回から連続四球で3点、4回にも2点で試合が作れず。8回には生田目と山本というふやけた継投で6点も取られる。ピッチャーのコンディションくらい見極めろ。監督力の問題だよ、これは。8回のチャンスにも意味不明な代打攻勢を繰り出して潰してしまった。挙句の果てに疫病神の杉浦まで出すと、二塁打に四球と最悪ぶりをさらけ出す。
 これで星は五分になった。
 そして今年の本気度を測る絶好のカードとなる。
 きょうから宿敵ホークスと九州シリーズを戦う。熊本の一戦目はいいとして、二戦目は我がフランチャイズ、日本一ヤジがきたないことで知られる修羅の街、北九州球場の決戦だ。

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菩提寺にて

2024 APR 7 6:06:21 am by 西 牟呂雄

 ある難民一家と知り合った、というか話をしただけだが。お父さんと娘さん・息子さんの一行は佇まいがとても品が良く、最初は中東から来た観光客だと思った。というのもこの喜寿庵周辺のような田舎でも外国人を観ることは珍しくもなく、欧米人・東南アジア人と思いもよらないところで遭遇する。ほとんどが富士山観光のついで、もしくは宿が一杯なのでここまで泊りに来た観光客である。困っていそうな人には道案内をしてあげたりもして、大抵は英語ですむ。ただし技能研修性のための日本語学校まであるため、そこの生徒たちは英語は覚束ない。
 今回はいきなりそのお父さんから日本語で話しかけられた。
『西願寺はどっちですか』
 きれいな発音だった。
 お父さんは年の頃僕よりは若いのだろうが、頭髪は少し薄くなりひげは真っ白。そして何よりも顔が大きい(身長は低いのに僕よりずっと大きい)。娘さんは欧米人との混血と見まごうような彫りの深い美人で黒髪、息子さんも黒髪で目の大きな少年である。肌は浅黒く、ヨーロッパ系ではなさそうだった。
 ちょうど墓参りに行くついでがあったので、こちらですよと案内することになった。
『西願寺に御用ですか』
『いえ、この子達に枝垂桜を見せてやりたくて。有名ですから』
『そうですか。ちょうど行くところですからご案内しますよ』
 亡母の命日が近いのだ。
『ずいぶん日本語が上手ですね』
『私はもう30年日本にいますから』
 その間お子さん達は聞いたこともない言葉でポツポツ会話をしている。まったく見当もつかないので聞いてみた。
『どこから来られたのですか』
『私はトルコ人です』
『そうですか。トルコ語は初めて聞きました』
『いや、あの子達が喋っているのはアラビア語ですよ』
『へえ、トルコでもアラビア語は公用語なんですか』
『いや、公用語ではないですね』

 と話しているうちに着いて。見事な桜のドームが満開で子供さんは歓声を上げていた。それじゃあ、とお墓に行ってお線香を上げて一服。母はタバコが好きだったのでお線香と一緒に添えてやった。もう十年経った。
 戻ってくると一家はまだベンチに腰掛けて眺めていた。トルコは伝統的な親日国として知られる。それはエルトぅール号の救助のエピソードや長年死闘を続けてきたロシアに辛勝したことが遠因とされているが、今でもそうだろうか。ここは民間外交の基本として何でも感心して友好に努めようか。
『日本で何をされてますか』
『宝石の輸入をしています』
『そうか、トルコ石とかありますね。私は色々と世界を回ったのですがトルコは行ったことがありません。イスタンブールはどんなところですか』
 するとその質問には答えず、桜を見ている視線を僕の方に向けてポツリと発した。
『私は国籍をトルコにしていますが、タタル人なんです』
『えっ、タタル!日本語や中国語で韃靼人とも言われているタルタル・ソースの!』
『ハハハ。よく知ってますねそうですよ』
『司馬遼太郎の本で読みました』
『「韃靼疾風録」ですね。あれは私も読んだけど正確には私達ではなく靺鞨のことです。ジョルシン、後の満州族です。私達はその頃は突厥と呼ばれていました』
 なに、読んだ!確かにこのオッサンの言う通りなんだが、日本語でよんだのか、並々ならぬ教養に恐れ入った。これは只者じゃないぞ。
『タタールの方が日本にもいらっしゃるのですか』
『あなたの年齢ならロイ・ジェームスを知ってますね』
『あの日本語の達者な外人タレントですか』
『彼もタタルですよ。彼は私の父の友人でした。革命後ソ連を嫌って日本にやってきて白系ロシア人と言われた人達ですね』
 突然世界史が目の前に出現したような気がしてお子さん二人に目をやった。
『あっ、この子たちはタタルじゃありません。上の女の子はクルド人で下の男の子はパレスチナ人です』
 今度は国際政治を突き付けられた。
『上の子は両親をISILとの戦闘で亡くしましたし、下の子もヨルダン川西岸の騒動で孤児になりました。クルド人はどこでも弾圧されていますし、パレスチナも似たようなものです。今は戦闘が報じられていますが、あのハマスはテロリストにすぎませんし自治政府というのも腐敗の温床で統治能力はありません。二人とも身寄りがないので私が引き取って東京に連れてきました。言ってみれば難民なんです』
『そうだったんですか』
『この子達は、まあ私もですが祖国というアイデンティティはありません。・・・・桜がきれいですねぇ、日本人は幸せですよ。国内に民族対立はないし、世界のどこに行っても故郷を普段は忘れていても思い出すことができますから。こんないいことはないんですよ』
 返す言葉がなかった。逆に、我が国は世界を相手にあんなみじめな負け方をしていながらよくまあ(領土問題はあるにせよ)露骨な分断もされずに今日に至ったものだと先人の知恵に感謝した。同時に苦労をかけた沖縄にもだ。
『あのー、これからどうされるのですか』
『この子達に富士山を見せに行きます。印象に残るでしょうから。そのうちに第二のふるさとだと思えるかも知れません』
『それだったら私の車で送りましょうか』
『ありがとう。周遊券を買っていますし旅はゆっくりするものです。生きた自然を見て人を見て、神の偉大な創造を体験することが真のイスラムの知ですから』
『イスラム!』
『あっ、ご安心を。私たちはスンナの穏健派ですからね』
 そういって初めてニッコリ笑った。
 そしてアラビア語(だと思う)で子供たちに何か言って立ち上がった。
『私はラシド・ムサーといいます。神のお導きがあれば東京でお目にかかるかもしてません』
 子供たちを促すと二人ははじけるような笑顔で『サヨナラ。マタイツカ』と言った。僕もつられて『さようなら。又いつかね』と言って手を振った。
 三人は山門の所で振り返り、もう一度手を振ると歩いて行った。 
 しばらくタバコを吹かしながら桜を見上げ、あの子たちの今後の幸せを密かに祈った。本堂に向かって仏教式に合掌しながら。

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続・街道をゆく 宝のみち

2024 MAR 29 13:13:37 pm by 西 牟呂雄

 旧村名を『宝村』というおめでたい名前の所がある。その『たから』の語源が何に由来するかはよくわからないのだが、いかにも豊かな語感と軽いロマンを感じさせる響きで、以前から興味があった。子供の頃に読んだスティーブンソンの『宝島』を思わせる。そっちは海賊の財宝を見つける話だからこっちは山賊の話でもないかなと検索しても、そんなものはない。ただ、明治期から昭和の中頃まで鉱山があった。『宝の山』ということなのか。鉱山跡地は相当な山奥なのでふもとまででも辿って行きたいというのが今回の旅である。

富士急行線の都留市駅から桂川を渡り支流である大幡川に沿ったところによく開けた扇状地が広がり、そこから遥か先にある三つ峠に向って吸い込まれていくような道が続いている。
 この地区の人文は古く、縄文時代前期からの遺跡が数カ所確認されており、特に縄文中期と推定される牛石遺跡は東西南北方向に対応するストーン・サークルとこれらを環状に連結する全体の直径は約50mに及ぶ列石からなる大規模なものである。

山梨県 都留市提供

 このエリア全体が山に囲まれているがゆえに富士山を望むことはできないものの、わずかにこの遺跡のポインントから山頂が見える。更にここを見下ろす三つ峠山頂には春分・秋分の日に夕日がかかる。縄文中期は富士が盛んに噴煙を上げていたであろうから。あのストーン・ヘンジのごとく多分に宗教性を帯びた祭礼が行われたに違いない。筆者もそこに立った時は、秘かに古の血が騒ぐ錯覚を覚え、はなはだ愉快だった。
 その後、たびたび大噴火をしているので、近くの遺跡では遥か後の奈良・平安期の遺構も発掘されている。さらに時代が下り鎌倉・室町時代、武田家が甲斐の一守護でしかなかった頃、この地を支配したのが小山田家である。坂東八平氏の流れを組む秩父一族で甲斐都留郡の覇者となった時の本拠地があった。

見事な参道

 時に武田と縁組し、時に武田の内紛に手を突っ込み、信玄の時代には臣従して武田二十四将として名を連ねるのが、勝頼を最後の最後に裏切ったのは十七代小山田信茂である。ここではその内面には踏み込まない。勝頼自刃の後、信茂は甲斐善光寺にて織田信長に拝謁しようとしたところ、信長嫡男の織田信忠により処刑された。戦国時代の様相が手に取るようにわかる顛末である。
 その小山田家の六代目から十四代目の墓所である曹洞宗の桂林寺は今日も残っていた。
 1393年に六代信澄が建長寺の格智禅師に開山を請い建立した。明治期に二度火災にあったため往時の面影は参道にのみ残されているが、その参道を下ったあたりに小山田の邸があったとされる。

広教寺の石柱 向こうの山門

 中世を通じて、また戦乱の世にあってもここからの風景は平和であったことと思う。無論、足軽として駆り出された領民はいたであろうが、ここは戦場からは常に遠かったに違いない。
 と言うのも、集落の景観こそ変わっているが、大幡川に沿って上流の方に進んで行くと水田耕作や養蚕のための桑畑がなされていた痕跡が見て取れ、昨今整備されたバイパス道路や河川護岸施設を視界から消してしまえばかつての営みが容易に想像できるからである。
 例えばかつての寺領の広大さを物語る石塔と門に続く広教寺であったり、巨木に覆われた春日神社である。
 広教寺は源頼家によって建立された古刹で、大般若経の写本がある。

春日神社から

 さて集落を通り過ぎ、道幅も狭くなって勾配がきつくなってくる。提題の『宝の山』に近づく秘境感が漂ってくる。
 突然視界に入ったのは『機神社』なる看板だった。
  こういう時に寄り道ができることが『続・街道をゆく』の醍醐味で、人っ子一人いない境内に降りた。
 『機神社』と書いて『はたじんじゃ』である。機織りの神様を祀っていた。
 この地は前述の通り養蚕が盛んで、その川下産業として撚糸、機織りから染色といった一貫工程が成り立っていた。戦前の高級ブランドのいわゆる『郡内織』は地場産業だった。

御神楽の奥のお宮

 その事業者がいつのころからここに祀ったのだろうが、由来の表記はない。
 祭神は天栲幡姫命(アメノタクハタヒメノミコト)萬幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツヒメノミコト)同一神でいずれも幡の字が入っており、機械や織物の神様である。転じて『機』を『ハタ』と読ませる。
 ご覧の通りの不思議な造りで、お神楽が二つのステージになってその間を抜けた先に社殿がある。
 この街道のドン詰まりに厳かに祀ってあるのが返って奥ゆかしい。
 その祭礼を見てみたいと思ったものの詳しい説明はなかった。

協和会館跡

 

 『宝のみち』も最期の胸突き八丁を登り、ますます道が狭くなった所にバス停があった。名前は『宝鉱山』である。
 明治5年、偶然地元の農民が発見した硫化鉄の大塊鉱から開発が始まり、昭和45年に閉山するまで現役の鉱山だった。経営は三菱に渡り最盛期には200人程が3交代勤務をしていた。病院・鉱夫長屋・小学校分教場を併設し、更には映画館も設置された。現在は市が運営するキャンプ場になっていて、写真はその映画館跡に建てられた管理棟である。農村部の人達も娯楽を求めてセッセと坂を登って来たことだろう。
 中に入れてもらうと、往時を偲ぶ模型を見せてくれた。

一番下が協和会館

 無論、坑廃水処理の問題等あったものの、エリアにとっては宝の山だった訳である。
 筆者は九州時代に多くの炭鉱跡・鉱山跡を訪ねているが、同じように郷愁を誘うものが感じられた。
 バス停から少し歩いて行くと、おそらくは鉱山住宅跡地をリフォームしたコテージがいくつかあった。坑口でもすぐに見られるかと思ったが、その現場はもっと山の奥のようだ。
 管理棟にいた方は廃鉱の後に生まれたそうで、往時の記憶など当然ない。
 資料によれば、掘り出された鉱石は鉄索道(つまりリフト)で一山超えた現在のJR笹子駅まで運ばれた。
 笹子駅はかつては中央本線のスイッチ・バックの駅で、その跡地を利用したJRのトレーニング・センターがある。これもある意味産業遺跡である。

銅鉱石とランタン

住宅跡のコテージ

 筆者が中学生の頃まで家族も含めると数百人が暮らした形跡がすっかり姿を変えてしまい、痕跡を見つけることも困難な有様は将に『つわもの共の夢の後』である。ヤマを離れた家族の中には地元に根付いた人もいたのであろうが、その多くは別に職を求めたはずだ。事実、前職の現場にお父さんがこの鉱山の事務職だったという人がいた。埼玉県の入間市の工場の話だ。
 一本の道を辿って『小山田』『機(はた)神社』から『鉱山跡』と時代の盛衰を見てきた訳だが、こういった動きのスピードは今後ますます早まるに違いない。世間で言われるAIの進化、デジタル社会の到来は待ったなし。今でさえ追いつけていない前期高齢者はどう振舞ったらいいのか思案に暮れるのである。
 死後50年もすれば、筆者の痕跡はただのガラクタにしか見えず、次の世代からはバカにされるだろう。ヤレヤレ。

飯場跡の住宅

 そろそろ引き上げるか、と戻ろうとした時に廃屋があった。ぐるりと周ってみると個人の表札が付いたままの空き家だ。表札は先程の管理棟で見た『飯場〇〇家』とあった家屋で、恐らく個人の家だったので閉山後も打ち捨てられたまま朽ちたのではないか。
 道はここから登山道になっていて、修験道の霊山三つ峠に行くハイカーも多いらしい。少し歩いてみると『熊に注意!』などと書いた看板があった。こんなキャンプ場の近くにまで出るのか。

 見上げれば三ツ峠は白く雪にかがやいており、沢を渡ると見事な美しい滝が落ちていた。まるでこの先には入るな、と語りかけているようで、熊にもビビったせいもあって引き返した。

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渚のいざない 海へ

2024 MAR 20 0:00:28 am by 西 牟呂雄

 

 インドからやっと帰ってきて、色々あったので海の基地まで出かけた。
 垢落しというか骨休めというか、何とも精神的にグッタリして海が無性に見たくなったからだ。
 ここは私のお気に入りの浜で、朝から晩までサーファーが練習している。
 そしてこの岬を回ったところに満潮時には隠れてしまう秘密のビーチがある。一人で引き潮の時に寝そべっているうちに満ちてきていきなり胸まで波を被って慌てたこともある。チョット危なかった。
 実は大いに落ち込んでいて、機嫌が悪いのである。不愉快なのだ。そしてどうしようもないことも分かっている。
 私は鬱病になる体質ではないので、この気分をもっとも正確に表すのは『悪い予感がする』か。
 こんな時は海を見ているに限る。
 普段であればハーバーで船を出すのだろうが、それも億劫なので始末に悪い。

潮溜まり

 引いた後の潮だまりはまるで小宇宙。貝だのイゾギンチャクがいる箱庭のようでかわいらしい。今回は小魚はいなかった。
 個々の生き物はこの小さい世界が自分たちのテリトリーだと信じ、満足し、必死に生きているかと思えば、私たちの知り得る無限の宇宙と同じだ。まぁイソギンチャクはモノを考えないかもしれないが。

年輪か

 そしてこの潮溜まりのある巨岩の表面に描かれた年輪のような模様に目を奪われた。
 表面はザラザラしているが、このキメの細かい線が柔らかい滑らかさを演出しており、恐らく石英が層を成した砂岩と思われる。
 幻想的な模様を刻んだこの岩を波が長い年月をかけて『滑らか』に磨いたのだろうか。
 その気の遠くなるような時間を思えば、現在その美しさに息を飲んでいる自分は冗談のような存在に思えて来る。
 特に、現時点の『悪い予感』に苛まれている身としてはね。

 この晩は良く晴れた月夜で、潮は上がって来ていた。
 不安定な心持のまま、人っ子一人いないビーチに出た。何故か星の輝きは記憶にない。泥酔していたからだ。
 昼間見た砂岩を眺めたくなってフラフラとビーチを歩いていたところで何かに吸い込まれるように転倒した。
 そこからは顔がヒリヒリしたという記憶のみが残った。
 翌日鏡をみてゾッとする。顔に大きな痣。それも、柔らかい砂浜にめり込んでできるような甘いもんじゃない。コンクリートでこすったような立派な怪我で腫れている。あの『悪い予感』はこのことだったのだろうか。
 いや、いくら何でもそれはない。なぜなら『悪い予感』はまだ続いているのだから。
 そこで再びあの砂岩のところまで行ってみた。やはり・・・・。私の煙草の箱が落ちている。小さな石段があってそれに気付かずによろけたに違いない。

謎の洞窟

 フト見上げると崖の中腹に妙な凹みが見えた。
 波の浸食によるものか、と登って行くと(夕べの事もあり多少恐怖感があった)明らかに人工的な掘削の跡である。
 這いつくばらないと奥までいけないのだが、例の『悪い予感』のせいで進む気になれず、入り口の所で座って海を見ていた。
 そもそもなんでこんな洞窟の掘削跡があるのか意味不明であるが、雨風くらいはしのげそうで寒くなければ寝泊りもできそうだった。1時間もいただろうか。
 すると続いていた『悪い予感』が引いていることに気が付いた。波は規則的に音を立てて寄せてきて、それに呼吸を合わせていた。そして不快感の本質が朧げに分かってくるような気分になったのだ。
 それは過去から将来に続く不整合に対する怒りとでもいうのか、言葉にしにくい感情で、最も近い表現は子供が無意識に持つ『死』という絶対に対する絶望のようなモノかもしれない。この世の神羅万象はことごとく繰り返される『波動』であり、私はただ波の音を聞くことでその『波動』を取り戻したように思えた。
 そろそろ帰りの渋滞が心配になり、顔の傷の痛みもひどくなったあたりでやっと腰を上げることができた。
 またここに来てこうしていたいが、それまで洞窟は誰も手を付けずに残っているだろうか。

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プロの領分

2024 MAR 13 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 ずっと以前にSMCメンバーの西村さんのブログで『アマチュアの領分』という印象深いものがあった。極めて高度な技量を持つプレイヤーが入場料無料でカルテットを演奏するという内容に感じ入った。無論、本業をお持ちで忙しい合間を縫っての演奏だったと。
 或いは同じくSMCメンバーの中島さんは同好の方々と箱代のためのささやかなチケットで賄ったコンサートを聞いたが、演奏レベルは高く見ていて楽しかった。その後コロナもあり暫く音沙汰無いが、そろそろ活動されるのを楽しみにしている。そしてそのステージは(プロらしくないという意味で)アマチュアの矜持を保った最上位レベルのものと感じた。

 少し前になるが、それなりの金額を払って古い友人のステージを見に行った。場所は渋谷で、食事もできる、無論酒も。で、例によってガブ飲みをして結構な額についた。従って彼らはプロなのだ。
 この友人は学生(高校生)の頃からバンド関連での知り合いである。その頃テクは同じくらいで、いわゆるフォーク・ソング風の音楽をやっていた。その後、僕の方はだんだんやかましい方向にスライスしたが、彼は頑固にそのスタイルを崩さないで通し、彼はものすごく腕を上げ、お兄さんがその方面だった関係もあったのでレコーディンクのバックを務めるレベルになった。
 卒業すると彼は銀行に、僕はメーカーに進み、長いこと疎遠となる。偶然再会したのは30年後である。
 僕は同僚とそれなりにバンド活動を楽しんだが、腕は落ちっぱなしで尚且つパートもドラムに変えた。人前では滅多にやっていない。
 すると風の便りに聞こえてきた、彼がロンドン赴任後に銀行を辞めたと。噂は色々飛び交った。サーモンを日本に輸出することを始めた、音楽プロデューサーになって演奏家を連れてきた、等々。
 往時茫々、再会を祝して乾杯すると、プロとして演奏活動をしているとのこと。「勿論それだけじゃ食えないから色々やってるよ」とも。結構優秀な銀行員だったそうなので辞める時のイザコザも面白かった。
 そして今回はプロの演奏を見極める意味で、リハーサルから聞きに行くことをお願いし快諾を得た。
 メンバーはそれぞれこのバンド以外にも音楽活動をしていて、アルバムを出している人(ギター)、編曲が本職の人(ベース)、誰もが知っているプレイヤー(ピアノ、後ほどクイズを出します)、ジャズまでこなす人(パーカッション・ドラム)、日系アメリカ人(ギター)の編成で、友人はバンマスのポジションである。一曲を通して終わるとなにやらよくわからない用語が発せられて繰り返す。この辺は「アマチュアの領分」も同じだ。主にバンマスである友人が、強弱やリズムについて(結構頑固な)主張をし、他のメンバーは何かを譜面に書き込んだりしていた。
 真剣そのもののリハーサルが進行し、さるコーラスのキメのところで上記有名プレイヤーが言った。
「あんまりハモらないのがいいって話もある」
 この謎めいた言葉にメンバーは複雑な反応を示し、ミーティングが始まった。「確かにそうだけどさ」「だけどあれはライブの音なんだろ」「今のままでいいんじゃね」「セオリーからいったらこの通りなんですがね」と一部険悪なやりとりにもなった。

 30分もやりあっただろうか、バンマスである友人は半ばヤケクソで「一番の高音を半音下げよう」と言ってやり直し。いや驚いた。コーラスの厚みが全く違う。すなわち、お客さんに聞かせるための工夫が見て取れた(いや、聞き取れた、か)。ここが「プロの領分」なのかな、と感心した。
 ところで、さる高名なプレイヤーとはこの写真の真ん中で顔にボカしを入れた人。一番右が僕の友人でその人の弟だ。一体誰だかわかるかな。分かった方、お知らせください。例によって賞金は仮想通貨100万ソナー・ダラーをさしあげます。ヒント、ムーミン・パパ。

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この愛は何処へ インドよ

2024 MAR 4 1:01:47 am by 西 牟呂雄

コーキとブラッキーとチョット

 

 ところでインドの工場には以前ソニーという名前の犬が飼われていて、そいつは去年死んでしまった。インドでは犬の地位は低く、どうするのかと思ていたらなんと火葬にして葬ってやったそうだ。インド人パートナーの優しい心遣いがとても好ましく感じられたものだった。
 すると今回来てみれば、新しい犬がいるではないか、それも二匹も。多少の月齢差はあるようだが、まだ二匹とも子供で、見たこともない日本人が怖いのか珍しいのか、少しづつ距離を縮めてきた。
 そこで僕達が持ち込んだマスコットで遊んでみた。が、少し臭いを嗅いで見向きもしなくなった。
 これは亀のマスコットで「インドでは像・牛・猿が神様だが日本では亀なのだ」とデタラメを言って飾ってあったもの、名前は「コーキ」という。久しぶりにみたら花のアクセサリーを付けてもらっていた。

プロレス

 黒い方が「ブラッキー」小さい方は「チョット」だ。ちなみにチョットは「小さい」の意味で、日本語の源流が南インドのタミル語であるという説の根拠になって・・・いない。
 ブラッキーは少し大きいので慣れて寄って来た時になでてやると喜んでじゃれついて来る。インド人は普通犬なんかかわいがる習慣はないから嬉しいのだろうか。しかし顔を嘗めようとするのは参った。まさか狂犬病ではないだろうがそこはインドだ。どんな雑菌・ダニ・蚤が付いているか分かったもんじゃない。
 二匹でプロレスごっこをしていた。

 通勤途中に忽然と貧しい貧しい集落が出現する。おそらく農村だろうがその営みは慎ましく時間が止まっている感が漂う。そしてその暮らしに似合わない金ピカのお堂があって、たいていガネーシャが祀ってある。裸足で歩いている人も多い。何か楽しみはあるのだろうか。そして現場の大半の従業員はこういった村から来ているのである。

メヘンディー

 ある日、オペレーターの女の子が左手に何かを装飾しているのに気が付いた。
 見せて、と頼むと恥ずかしそうにしていたが、パッと開いた時はタトゥーかと目を見張った。
 これは「メヘンディ」と言って植物の葉をペースト状にしたものを縫って肌に一種の染色を施す縁起物とか。
 普段はしていないのでなぜしたのかを聞くとフェスティバルなのだという。

僕も

 そうか、こうして楽しんでいるのか、大した娯楽もないところで精一杯のおしゃれと微笑ましい。
 となるとやってみたくなるのは僕の悪い癖で、さっそく描いてもらった。
 しばらくスタッフに見せびらかしてよろこんでいたが、当分落ちないと聞かされてギョッとした。帰国しても落ちなかったらどうしよう。出張でインドに被れたバカ、となってしまうと焦って毎日念入りに洗っている(3日経っても落ちないが)。

 とある帰り道。いつもは車なんか通らない村に入った途端騒がしい。ドラミングが聞こえる、インド風の「ドンッ、ドドン」をのんびり繰り返す間延びしたリズム。
 鼓笛隊みたいなドラム・チームがやって来る、わあっ、でっ出たァ!なんじゃこりゃ。
 身長175cmの僕が見上げるような被り物が圧倒的な迫力で向ってきたので、携帯を以て車から飛び出して追いかけた。
 周囲の人たちは突如現れた外国人を排除するでもなく、こっちを見て笑っている。片方は牛でもう一方は人間。『これはGODか』と聞くと『ガシャラグシャラガシャラ』と説明してくれるがさっぱり通じない。誰も英語を喋ってくれないのだ。

 今度は何だ!巨大なタイガー・マスクかと思ったらライオンじゃないか。
 なかなかの迫力だ。
 ところで、インドの神様で言えば象の化身であるガネーシャが定番だが、それは待てども来ない。
 「ガネーシャは来ないのか」
 と聞いてみたがこれにも返事は「グジャラガジャラグジャラ」でさっぱり。
 そこでハッと気が付いた。皆神様(多分)を見てはいるが、それよりも一人ではしゃいでいる僕にも注目していた。
 そのうちの若いインド人がやってきて聞いたのは「アメリカン?」
 この凛々しい日本男児をみてアメリカンはないだろう。
 待てよ、こいつら日本人を見たことがなく色の薄い外人は全部アメリカンだと思ってるのか?

戦士の行進

 オット最後には戦士の登場だ。
 堂々たる体躯にきらびやかな飾りつけ。
 見事な行進にしばし見とれた。
 (ここで本当はついていきたかったが、先程から注目を浴びているため後からゾロゾロ一緒に来そうで怖くてやめた)
 それにしても、何かの信仰か言い伝えに基づいてのパレードだろうが、それに対する情熱には圧倒される。
 凝った飾り付けや細部に至る美しい装飾品の数々は、決して彼等が無知な連中ではなく高い精神性と文化を育んでいることの証左と言えよう。無論カーストはあり、ムスリムも混在し(村で見かけた)貧しい。インド哲学のアヤラ識も知らないだろう。それでも「愛」とでも表現したくなるような心の有り様が根底に見えるのである。
 パレードが過ぎた後も何やら拡声器を使った声が流れて来る。
 何だろうかとその方向に歩を進めると、人だかり。

人だかり

 ここでもジロジロ見られて中まで入る根性はなかったが、ポスターと旗で見当がついた。
 これは選挙運動の一種なのだ。
 それも現与党、ヒンドゥー至上主義のモディ派である。
 そりゃまあ、選挙は尊い。民主主義は尊いが、この無垢な人々の聖なるお祭りの最中に政争に巻き込むのも無粋な・・・。。
 日本でもお祭りやら正月・盆踊りに議員先生が来て握手しているからなぁ。

 現実に引き戻されて振り返るとデカン高原の遥か彼方。一抱えもあるような夕日がドーンと落ちて行くところだった。

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インドで食べたもの

2024 FEB 26 18:18:14 pm by 西 牟呂雄

 この寒いのに熱帯の南インドにいます。
 空港で買った物、タバコ1カートン、寝酒のウィスキィ、お土産お菓子。ここでフライトが2時間遅れたのが今後のヤバさを予感させたが、まあいいか。
 夕方テイク・オフしてまず食事、これはもちろん日本食をチョイス。10時間のフライトで朝の3時頃ランディング、そこからインド特融の能率のわるーいイミグレを通って現地チェック・インは午前6時。8時半には迎えが来てしまって現場に。

ガタガタ

 ここバンガロールで大きな見本市があったらしく使い勝手の良かった常宿が取れず、えらい郊外のナントカ・リゾートという名前はそれなりだったが、これが凄いだった。
 そもそも道が舗装されていない。
 昭和30年代の田舎のイメージである。

 ホテルは周りから隔絶されて何もない。
 一応リゾートとかいうのでコテージ風の建物まではいい。
 スリッパなんか当然なく、ガウンもない。
 シャワーの間仕切りもない。
 一応リゾートらしくプールがあるが水は不気味なエメラルド・グリーンだ。
 更に驚くべきことに朝そこで泳ぐ人がいるのだ(無論インド人)。

 鍵はこのアナログぶり。
 カワイイなどと言うかもしれないがメシは期待できないと覚悟する。

朝食


 

 まずメシはこの心細さ、旨いも不味いもない。
 昼間は気を使ってくれて現場でピザを取ってくれた。
 そして夕食。ここで大問題。
 ビールを頼んだ、地元のキング・フィッシャー。
 それが冷やしてないのだ。ふざけるな。

晩御飯

 『コールドを持って来い』
 『ここにはない、アイスで冷やしてくる』
 泣きながらぬるいビールでつつましい夕食を取る。
 
 そもそもあんなダート道だから移動にものすごく時間がかかるのだ。
 移動中には山羊の大群とすれ違う、牛もいる。
 もはや許容限界を超えたか、という時に更に追い打ちをかけるようなに異物があった。

 これは行く手てを阻む大岩石ではない。
 表面は硬く、叩くと中は空洞のようなボクッっと乾いた音がする。
 実はこれは蟻塚だった。
 これだけ見れば、へぇー珍しい、で済むだろう。
 後で聞いたところによると、中が空洞なためにしばしば蛇が巣にして住み着くという。
 冗談じゃない。インドの蛇と言えばコブラが頭に浮かび引きつった。これよりも大きな蟻塚が散見されるということは、このナントカ・リゾートは毒蛇の巣に囲まれているということではないか。
 実は現場近くにもっと小さいやつがあったので蹴飛ばして見たら白蟻だった。日差しに弱いようでモゾモゾと土に潜っていき、確かに空洞になっていた。

つつましい

 さて、毎日ピザばかりで飽きてきたので現場のキャンティーンを覗いてみると。まぁ、それなりのランチなのでこれにチャレンジする。
 味はねぇ、期待通りの大したことのないインド料理ですね。
 困るのはですな、一緒に食べている作業者が家から持ってきたおかずを親しみを込めて分けてくれるのだ。これを断るわけにはいかないが、こいつらのキッチンで料理したものだからかなり危険だ。水も調理道具もローカルだから下手をすれば風土病。覚悟を決めて神に祈りながら食べた。

 そして再び夕食。こんどは事前にビールを冷やしてくれと頼んでおいたので冷たいビールだった。
 それはいいのだが、ここナントカ・リゾートでは土日には宿泊客がいた(僕は現場に行った)。
 ところが、家族連れが返ってしまうと何と日本人3人だけになったのである。
 確かに広いところでキャンプ・ファイヤーのような火を起こしていたり、粗末ではあるがトランポリンなどもあって子供が遊んでいたが、みんな帰って行った。
 すると、だ。ビュッフェ形式をすると効率が悪いのでアラカルトのオーダーになり、それも3種類くらいしかチョイスがなく、仕方がなく・スープとチキン・カレーを頼んだらこんなだった。
 この圧倒的な野菜不足があと一週間続いたら鳥目になるかインド人になってしまうのか。

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一週間後の朝

これでフロント

プール 実は蛙の養殖場?

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