逆転 江戸城総攻撃 後編
2021 SEP 27 0:00:26 am by 西 牟呂雄
勝海舟が帰った後、西郷はしばし目を閉じて思料していた。
『夕餉の支度が整いもした』
声がかかっても動かない。心配した側近の村田新八・中村半次郎らが傍らに来て聞いた。
『吉之助さぁ、どげしたとでごわすか』
西郷はその声に即されるよう、カッと目を開き大声を発した。
『夜襲で来もす!勝先生の最期の言葉で分かりもした。戦支度せい。こっちから行きもんそ』
そう言うと、飯椀にお茶をぶちかけ、グーッと一口で飲み込んでしまった。
夜襲は静かに迅速を以て成すべし。しかしながら元々翌日の総攻撃に興奮して酒まで飲んだ官軍は笑う者・歌う者・大声で話す者でごったがえしていた。そこへ各小隊長の「非常呼集ー!」の声がかかると、一瞬静寂が流れた。
大隊長の村田新八が訓示しようと壇上に登って各隊に対面したその刹那、「ドーン!」「ドーン!」「ドーン!」と立て続けに砲撃音の後、地響きとともに官軍本営に猛烈な火の手が上がった。
『しもた!一足おそか』
西郷が叫んだ時には次々と被弾し、全軍が浮足立つ。
西郷は薩摩人の気性を知り抜いている。劣勢に立つと人が変わったように腰砕けになることを。品川沖に停泊していた開陽丸以下、幕府艦隊の一斉砲撃である。開陽丸のクルップ砲の射程は4kmである。
後ろから不意打ちをされた格好で、西郷は直ちに指示した。
『半次郎!先手をとられっした。反撃すっとじゃ』
『心得っごわす。小銃隊!オイに続けー!』
半次郎は抜刀すると配下の小隊長を従え、未だに動きのない幕府側を見据えて進軍(というより切り込み)を開始した。既に戦場となっているのだ。
前衛が幕軍の防衛線に突っ込んでいく。こうなったら静かにも何もない。一斉に鬨の声を上げた。対する幕府歩兵隊のシャスポー銃が火を噴き、半次郎の左右を駆けていた薩摩藩士がなぎ倒された。しかしそれしきのことでは怯まない。
『チェストー!』と独特の声を上げて敵陣に殺到すると手当たり次第に切りつけた。
官軍の先鋒の多くは薩摩兵である。彼らの突進力は凄まじく、潮が引くように幕軍は後退していった。品川沖からの砲撃音は既に止んでいた。
江戸城に構えていた慶喜の元に次々に伝令が来る。
『ご注進ー!申し上げます。敵はいよいよ新橋にまで迫りつつありー!』
それを聞いた慶喜はニヤリと笑った。既に戦闘は3時間を超えている。
『よし。正面から来たな。高橋、遊撃隊を前進させよ。そして浜御殿の新徴組にもかからせよ』
高橋とは幕末三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)と謳われた幕臣で、槍(忍心流)の達人である。いわば将軍の親衛隊ともいえる洋式陸軍の遊撃隊を率いていた。新徴組は清川八郎が集めた浪士隊の分派で、庄内藩預かりの江戸の治安部隊。あの清川八郎が浪士隊上洛後に江戸に下向した際、一緒に帰ってきた連中で、この時に京都に残ったのが新撰組だ。慶喜は勝機と見て虎の子の精鋭部隊を投入し背水の陣を敷いたことになる。
『上様、どちらへ』
『これより桜田門を出て直接指揮を執る。各々覚悟致せ』
江戸城開闢以来、前代未聞の将軍出陣に一斉にほら貝が吹かれた。
官軍にしてみれば、正確な砲撃を撃ちこまれたために敵陣に突撃すると、途端に歩兵部隊の一列横隊一斉射撃を浴びせられ、その侵攻は止まった。と、同時に新徴組に側面を突かれ、不意打ちを喰った。
『こいはまずか、ええい退け、戻るッと。吉之助さぁ守らんな』
半次郎は官軍本営に駆け込んだ。
『吉之助さぁ、思いの外の押されっごわす。逃げったもんせ。オイは殿(しんがり)を務め、捨てがまりやいもす』
『半次郎。背後からも会津と桑名が寄せちょう。武州を西に上って土佐の迅衝隊と合流せい。ステがまりィ?くれぐれも早まんな』
捨てがまり。古くから薩摩に伝わる退却の際の戦法である。十名程の決死隊が全滅するまで追っ手を食い止め、その隙に本隊が進むという十死零生の凄まじい戦法で、有名なのは関ケ原の家康本陣に切り込んだ後の撤退だ。その際は300人が80人に減って薩摩にたどり着く。
半次郎の目の前に背の高い新徴組隊士が突っ込んできた。咄嗟に身を翻らせトンボの構えで対峙すると、敵は正眼に構えた。こんな所で切り合いをしている場合ではないが、ただならぬ殺気に思いきり打ち込んだが手ごたえがない。ヒラリと体を交わされ逆に胸元目がけての電光の突きが飛んできてそれを払った。腕が立つ、半次郎の血が騒いだ。
『おはん、かなりの腕と見た。尋常に勝負したかが今はちょっ手が離せん。あいすまんこつがここは一旦預けったもんせ。大将ば守らんならん。オイは薩摩藩士、中村半次郎ごわす。お名前聞かせたもんせ』
この火急の際に豪胆というかムシがいいというか、あまりの滑稽さに隊士もつい笑ってしまったようだった。
『新徴組、中沢琴』
『かたじけなか。これにてご免』
半次郎は駆けだしながら、今の甲高い声に引っかかるものを感じた。
「あれはおごじょではなかか」
中沢琴は新徴組に実態に在隊した美貌の女剣士だった。史実では新徴組の撤退に同行して庄内まで転戦、維新後は故郷の沼田に隠棲する。
西郷を囲みつつ官軍の大部隊が敗走しているうちに夜が明けつつあった。半次郎は次々に捨てがまりを指名する。
『弥助、隼人、十郎、五郎丸、信吾、小隊連れて捨てがまりじゃ』
『承知ごわす』
すべての薩摩武士はこの時のために胆力を練ったのであろう。嬉々として死地に赴く、笑みさえ浮かべて。
夜が明け切ってしまうと視界が効くようになる。幕軍歩兵部隊は当面の敵が退きつつあるので休みだしたところ、一人の高級指揮官が現れて叱咤激励し始めた。
『一合戦終わったつもりなら心得違いじゃ。朝敵の汚名を着たままですむと思うのか。覇権は関東にありと知らしめい』
各隊の指揮官が訝ってその声の先を見るや、飛び上がって土下座する。
『上様』
各々仰天して身構えるが、声の主である慶喜はサッサと歩を進めつつ言い放った。
『余に続け』
とんでもない事態になって全軍が慌てた。将軍は例のナポレオン三世から送られた洋装に身を固めている。総大将が護衛も付けずに行く後から勝海舟と山岡鉄舟が続く。「上様を先陣に立たすな!」と声を励ますと歩兵部隊は駆けだした。
慶喜がハッと身構えて右半身になり「エイッ」と右手を振り下ろした。グァッ、と断末魔の声がして、黒い影がのけぞって倒れた。慶喜、得意の手裏剣が官軍の残兵のとどめを刺したのだ。
『見よ、未だ戦い成就せず』
勝・山岡は真っ青になって歩兵隊を叱責した。
『馬鹿者!止めを刺さんかァ!』
一方その頃、板橋の中山道で対峙していた官軍と幕府軍の戦闘の火蓋が切られた。夜明けとともに『バタリオーン!アルト!』とフランス語の号令がかかる。
指揮を執るシャノワーヌ大尉に率いられ幕府・伝習隊が前進を開始した。シャノワーヌ大尉は幕府の招聘によりナポレオンⅢ世に派遣された軍事顧問団のリーダーで、後にフランスで陸軍大臣となる名将である。
対する官軍の中心は長州の奇兵隊だ。こちらも士気は高く退くことなどあり得ない。ガチンコの激突となった。だが一つ違う所がある。伝習隊には新設の砲兵隊があったのだ。当時の日本には砲兵戦術はまだなく、固定させてぶっ放すだけだった。それを指導し率いるのはシャノワーヌ大尉の盟友ブリュネ大尉、こちらも後にシャノワーヌ陸軍大臣の元で陸軍参謀総長となるエリートである。
ブリュネの指導は、初めは仰角45度で敵陣中央を砲撃し、次第に下げて前面近くを叩く。更に砲兵部隊を素早く前進させ、機動活用することによりダメージを拡大させるとともに、味方の歩兵の突撃には損傷を与えない、という近代用兵だ。そのためブリュネの部隊は重い青銅製四ポンド砲12門を運用する猛烈な訓練を受けていた。
前進の号令のすぐ後に、そのブリュネ大尉の砲が一斉に火を噴いた。轟音とともに奇兵隊は砕かれ吹っ飛んだ。その後4門3組が仰角を変えて縦横無尽の砲撃で、そこら中を焼き尽くす。
戦闘2時間、シャノワーヌ大尉は総大将の小栗に判断を仰いだ。
『コウヅケノスケサマ。ソウコウゲキデヨロシイデスカ』
『うむ。存分にかかれ』
伝習隊の銃剣突撃が始まった。奇兵隊も必死の防御をするが後方は砲撃により潰されてしまい、とても持ちこたえられるものではない。押されてさらに砲撃の餌食になっていく。幕軍の完勝であった。
江戸城本丸。集まった勝・山岡以下各方面の司令官・親藩大名、榎本海軍総裁等を前に慶喜は更なる命令を下した。依然洋装の軍服のままである。
『皆の者、よくやった。ご苦労であった』
『ははー』
『軍議である。さっさと面を上げよ。敗走した西郷や板垣はどうなった』
『いずれも相模まで下がっており、目下追討の追っ手を差し向けております』
答えたのは勝海舟であった。
『手ぬるい!遊撃隊も向かわせよ。合わせてあの土方に追い詰めさせるのじゃ。必ず二人の首を我が前にならべよ。榎本はおるか』
『釜次郎、御前に』
『官軍主力は関東に出払って居る。艦隊は伝習隊とともに再び大阪湾に移動し、都を制圧する。今度こそにわか官軍の化けの皮を剥いでやる。尚会津中将と桑名定敬、江戸の守りを固めよ』
『上様、下阪の指揮はだれが』
『うつけものー!余が自ら帝に拝謁し、朝敵の汚名を晴らすのじゃ。公家どもめ。こちらも寛永寺におわす輪王寺宮法親王に御動座いただき、菊と葵の旗を掲げて下阪する。錦旗何するものぞ』
官軍本隊はボロボロになり敗走。京都は主力が出払っている。開陽丸が大阪湾に着く頃には「幕軍優勢」の噂と共に日和見だった親藩は寝返って慶喜を先導するだろう。
このまま日本を割った戦を続けるか、はたまた寸止めにして妥協をするのか。
近代日本の夜明けは未だ遠く、行く末はそれぞれの胸先三寸にしか無いのだった。将軍慶喜・勝海舟・西郷隆盛の・・・明日はどっちだ!!!
おしまい
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逆転 江戸城総攻撃 前編
2021 SEP 24 0:00:06 am by 西 牟呂雄
鳥羽・伏見での動乱の後、急遽江戸に帰ってきた徳川慶喜に、満面の怒りを込めて対峙しているのは勝海舟である、
『上様!何たる不始末!恐れながらこの勝、情けなさに腹も切れませぬ』
『やかましい!』
凄まじい怒声に思わず顔を上げた。
『いいか、ここからが勝負じゃ。そんなに戦がしたければタダではすまぬということを思い知らせてやる。何のために幕府歩兵部隊を無傷で江戸に連れ帰ったと思うのじゃ。小栗上野介を呼べ。そしてそちは榎本の艦隊を品川沖に集結させろ。それからエゲレスのパークスとメリケンのハリスに話をして、今後の商いをエサに中立を約束させよ。覇権は関東に有り』
勝は面食らった。意気消沈しているかと思った将軍慶喜は鬼の形相で言い放ったのだ。
『恐れながら。無傷の歩兵部隊とおっしゃいましたが、なぜ大阪城で籠城なさらなかったのでございましょうや』
『うつけ者!籠城すれば成程戦には負けないであろう。しかしどうする。その後上洛し御所に攻め込むのか。長州風情ではあるまいに、帝の庭先で暴れるつもりか』
『重ねて恐れながら。大阪城が炎上しても最後の一兵まで戦う、と仰せと聞きました』
『時間稼ぎじゃ。この江戸に先回りされたら我が方は後ろ盾を失う。薩長を上方に釘付けにするための方便に過ぎぬ。城受け取りはわが従兄弟、尾張慶勝。意は通じておる』
『恐れ入りましてござります』
『官軍は東海道・甲州街道・中山道を戦闘もなしに意気揚々と来るであろう。江戸府内に入る前に海と陸ですり潰してくれる。おォ、安房守(勝の事)。そこもと敵将西郷と親しかろう』
『ははー』
『山岡でも使って三田の薩摩屋敷までおびき寄せろ』
『といいますと』
『浜御殿(現在の浜離宮公園)から側面攻撃をかける。後ろからは品川沖に停泊させた榎本の幕府艦隊から砲撃する。その間、敵の敗走に備えて海路にて会津・桑名の精兵を移送し挟み撃ちにせよ。ただし外国人の居留する横浜は避ける』
『甲州街道・中山道からも押してきておりますが、いかがいたしましょう』
『甲州の方は街道沿いの諸隊をまとめ上げて甲府にて迎え撃て。官軍本隊はあくまで東海道を来る』
『そちらの指揮は』
『食い止めて膠着状態にしておけばいい。そうだな・・・。多摩か・・・・新選組を使え』
『局長の近藤は負傷しておりますが』
『副長の薄気味悪い男がいるじゃろう。確か多摩出身の』
『土方歳三でしょうや』
『そいつじゃ。そ奴にやらせよ。地の利にも明るかろう』
『中山道方面は』
『伝習歩兵隊四個大隊を小栗に指揮させ板橋にて迎え撃つ』
『すると品川・東海道筋は誰が指揮を執られますか』
ここで将軍慶喜はニヤリと不敵な笑みを浮かべた
『余、自ら成敗してくれる』
勝は内心とんでもないことになったと慌てた。実は京都で王政復古のクーデターまがいが起こって将軍を排除するとは思ってもみなかったのだ。西郷の野郎、本性をむき出しにしやがったな。本音を言えば国を割るような戦はしたくない。そのための大政奉還だったのをブチこわしやがった。上様も気が変わりやすいとは言えあれは本気だ。乗せると手がつけられねえから一戦交えなければ収まらないだろう。それにしても将軍自ら指揮を執るなど二代将軍秀忠公の大阪の陣以来絶えてなかったのだ。
取り合えず小栗と土方を呼んだ。どちらも見るのも嫌な相手である。ただし身分が違い過ぎるので同席させられない。従って同じ話を二度もしなければならないのにうんざりさせられた。ちなみにこの日、勝は幕軍の大参謀という地位を与えられていた。
呼び出された小栗・土方の二人は対照的な対応を見せた。小栗は三河以来の譜代の名門らしく厳かに言った。
『誠に良い死に場所を仰せつかまつり恐悦至極。必ずやその官軍を殲滅し、敵将の首を上様にご覧に入れて見せます』
と、慶喜に拝謁した。
土方の方は
『甲府の城の取り合いじゃ勝っても負けても犠牲が多い。取ったところで知れたもの。攻めて来るのは土佐の乾退助が率いる迅衝隊と聞き及びます。甲州街道は山間をうねるように走って小仏峠を下る。だだっ広い甲府の盆地でやりあうより狭い街道沿いでしつこく襲撃してやれば敵は細る一方で、武蔵の国に入る頃にゃ擦り減っているでしょう。そこを一気に潰します。ついては八王子の千人同心を手前の配下にお加えください。奴等は元はと言えば旧武田の遺臣達ですから今でも行き来があって街道を知り尽くしてます。そうですねえ、まず猿橋で、次は犬目。小仏峠でも仕掛けますかな、ふふふ』
そう言うと笑みを浮かべてさっさと帰った。なるほど上様が薄気味悪いというのも尤もだと気分が悪くなった。
さて西郷をおびき出すと言っても果たして乗ってくるのか。思案した挙句に江戸城大奥にいる天璋院の文と自筆の添え状を持たせて山岡鉄舟を官軍本営に行かせることとした。クソ度胸がなければつとまらない。念のためではあるが、江戸で散々火付け打ち壊しで暴れていた薩摩人、益満休之助を同行させた。自筆の添え状には『江戸開城につき相談の義これあり』とだけしたためている。
官軍は既に駿府に進んで来ていた。
そこへ「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」との大音声を発っして馬上の武士が乗り込んできた。、兵士たちは今にも切りかかりそうであったが、先導する益満休之助を見て踏み止まる。益満は「西郷大参謀にお目通りを」と案内を請い面会が許された。西郷は江戸城引き渡し・将軍慶喜は備前藩に預ける、といった条件を出すとともに勝との面談は飲んだ。策士・勝の術中にはまった。
かくして三田の薩摩藩邸で面談が成ったのである。山岡も同席している。西郷の後ろには村田新八・中村半次郎(のちの桐野利秋、この時点では人切り半次郎である)が控える。
『勝先生、お久しぶりでごわいもす』
『いや西郷さん、わざわざすまねェ』
『さて、いかな御用向きごわすか』
『まぁ、な。例の小御所会議じゃだいぶドスを効かせたらしいですな』
『おいは公家どんの議は好かんごわして』
『煮え切らない連中に「短刀一本でカタがつく」と脅しあげたと聞きましたが。まあいいや。しかしいきなり政りごとをもぎとるのも荒っぽかあねえでんしょうが』
『そいならなして慶喜公は幕府軍を上洛させようとしもした』
『ありゃ呼ばれたんで行っただけですぜ。それをいきなり発砲したのはお前さんの薩摩兵だそうじゃねえですか』
『錦旗に向って進軍されたら守らにゃ仕方あいもはん』
『さてさて、山岡に寄越したあの条件はひどすぎる。飲めなきゃ江戸を焼き払うってんですか』
『そちら次第ごわす』
『なあ、西郷さん。日本の中でいがみあってるご時世じゃねえのはお互い承知でしょう』
『勝先生、先生は油断ならんお人ゆえ、そのまま伺ってはこっちがあぶのうごわす』
『策も何も、あんなに上様を煽っちゃオレもどうしようもねぇ。こうしている間にも開陽丸は目と鼻の先に錨を下ろしてるんですぜ』
『脅すつもりごわすか。帝に弓を引かるっと』
『そんな気はさらさらねえよ。脅すつもりならとっくにこの山岡が抜きますぜ・・・・マッよーく分かった。この足で上様にかけあってくらぁ』
『山岡さあが抜くならば、ここにいる半次郎がだまっておいもはん。いずれんせよ、そいは宣しく頼みもす』
『お互い達者でな』
『勝先生もくれぐれも』
『今年の春は夜がやけに蒸していけねえ、寝冷えしねえように』
互いに暫く無言で見つめ合った。
甲州街道ではしきりに土方のゲリラ戦が展開されていた。何しろ勝沼宿を過ぎると狭い山間の街道のため、総勢千人近くの迅衝隊は長く伸び切ってしまう。編成は15小隊・砲隊・本営・病院・鉄砲隊・輜重隊と近代的な軍である。街道は整備されておらず進軍は平地の倍はかかった。
なお、乾退助は甲斐入国に当たって、先祖である武田の旧臣、板垣信方(武田四天王の一人)の姓に改め、板垣退助となっていた。
土方は配下の小隊を猟師道を使って山中に忍ばせ、しきりにゲリラ攻撃を仕掛けていた。それも鉄砲を打ちかけると一斉に引き上げて深追いしない。初狩(はつかり)では先頭で例の「宮さん宮さん」のメロディーを奏でる隊列を崩し鉄砲隊を粉砕。猿橋では最後尾の兵糧部隊を谷底に葬った。そして犬目(いぬめ)宿で宿営する迅衝隊に夜襲をかける。この時は新選組を率いて自ら切り込み『新選組副長、土方歳三である』と怒鳴り上げて姿を消した。土佐浪人には新選組に切られた者も多い。あからさまな威嚇に隊士は震えあがった。迅衝隊の指揮官は赤熊(しゃぐま。歌舞伎の連獅子のような赤い被り物)を付けていたため遠目にも目立ち、格好の標的になったのだった。
そして、その頃には板垣の耳にも敵が新選組の土方だということは伝わってきていた。当時は龍馬と中岡慎太郎を切ったのは新選組だと思われていたのでその名を聞いて激高する。おのれ、かたきを取ってやる、と。
勝・西郷の会談が行われる7日前。迅衝隊が駒木野(現在の京王線高尾駅のあたり)を過ぎると一気に視界が開け武蔵野が広がるが、板垣は周りを警戒した。土方のことだ、必ず包囲戦の仕掛けをしているに違いない。大砲隊が山肌を下るのを待って、ジリジリと進んだ。時刻は午後の2時頃になった。
すると、八王子宿の街あたりに急ごしらえの幕軍の防衛線が目に入った。左右には敵はいない。板垣はなお慎重に大砲を前面に曳いて据え付けると、轟音とともに前衛を吹っ飛ばした。
幕軍も一斉に射撃を開始して戦場は膠着する。板垣は小軍監(副隊長格)の谷干城(たにたてき)を呼んだ。
『谷。あん中にゃあの土方がおるはずぜよ。何か策を講じてるろう。おまんチクと手勢を連れてあの開けている右へ進んでみい。仕掛けがあるはず』
『心得た』
谷は向かって右側に続く丘陵沿いに侵攻した。不思議なことに敵陣が丸見えなのだが、その防御は扇形に薄く広がっているように見え、橋頭保が築かれていない。妙だな、と思いつつ部隊をその扇の要のあたりに向って進めた。
すると、今までは小銃の射撃のみであった幕軍から、おそらく四ポンド山砲と思われる砲撃音が3発轟いた。その音に反応するかのように一斉に退却が始まった。谷は益々違和感を覚え本営の板垣に『不審の動き也』と伝令を走らせるが、既に官軍は突撃が始まってしまった。板垣が総攻撃命令を下したのだった。
ところが前衛が突っ込んで行くのだが、未だ後方の狭隘地にひしめいている後続部隊がにわかに乱れた。通常は最前線を押し上げるように進むはずが、バラバラになってしまっている。右翼方面に展開していた谷の元にも伝令が転がり込んできた。
『大変ぜよ。突如背後から襲撃されちょるきに』
『なにー!いかん、取って返すぞ。仕掛けは後方じゃった!』
一隊を率いて急遽駆け出し、本体の混乱を目の当たりにした谷は信じられない物を見た。
赤地の段だら模様に『誠』の染め抜き。泣く子も黙る新選組の隊旗である。
『なんじゃとー!どこに潜んじょった。いかんぜよ、しかも前が飛び出して追われる格好の挟み撃ちじゃ』
谷は配下の者達を率いて新選組に突っ込んでいった。既に述べたようにこの時点では龍馬の仇だ。今日では見廻組の暗殺だったことが定説である。谷は突進しながら土方を探した。ところが近づいても誰もあの羽織を着ていない。あの浅葱の段だら模様の羽織だ。土方、どこにいる、と戦闘に駆け寄る、もちろん抜刀した。白兵戦になってしまうと味方を撃ってしまうので銃は使えない。迅衝隊は異変に気がついても前線の鉄砲隊を向けることができないのだ。
混乱の極みになっているところに駆けつけた谷は、真ん中で剛剣をふるっている洋装の士官に目を止めた。あれが土方に違いない。切りかかる迅衝隊士を払いながら「切り飛ばせーい」と声をかけていた。カタキを取るぞ、と力を込めた刹那、今度は前衛の方から鬨の声が上がった。
今までジリジリと後退を続けていた幕軍が突如反撃に転じたのだった。初めから3段構えの塹壕を掘り、3段目に本隊となる八王子千人同心の主力を潜ませていた。地域を知り尽くした土方ならではの『三枚突き通しの陣』である。
前面を持ち堪えられなくなった迅衝隊は敗走を始める。混乱の中、板垣は谷と偶然出会い、取り急ぎ撤退の方針を固め、川に沿って相模方面に落ちることとした。
戦況は逆転した。後を追おうとする新選組隊士や千人同心を止めて土方は言うのだった。
『クククッ、津久井を抜けて東海道筋まで行き、どこかで官軍本隊に追い付こうとしてるぜ。そうはさせるかよ。新選組、一息入れたらオレに付いて来い。ゆっくり行くぞ。ただしやつらは休ませない、眠らせない、食わせない。深追いせずに動きが止まった時だけ撃ちかけ切り込んで少しづつ追い込んでやる。2日もあればバラバラになるさ。千人同心諸君、すまんが多少の人数を割いて2日程の食いものを準備し後を追ってくれ。面白くなるぜー』
隊士も同心も底知れぬ不気味さを感じて引きつった。しかし、この男についていけば負けない、とも強く思った。
つづく
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門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
2021 SEP 20 10:10:16 am by 西 牟呂雄
このゴロのよい軽快な響きは前から知っていたが、庶民のざれ歌と思っていた。ところがれっきとした高僧の作だと最近知って無知を恥じた。狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、いずれもその人物の号、後小松天皇の落胤と伝わる一休宗純、一休さんのものだ。斜に構え、世の中をしゃれのめす姿勢があってワサビが効いている。
ところが大変な秀才で、以下の少年時代の漢詩を読んで三嘆した。
秋荒長信美人吟 秋荒(しゅうこう)の長信(ちょうしん) 美人吟ず
経路無媒上苑陰 経路 媒無くして上苑陰たり
栄辱悲歓目前事 栄辱(えいじょく) 悲歓 目前の事
君恩浅処草方深 君恩 浅き処 草 方(まさに)深し
これ、漢の王将君を題材にした13才で吟じた七言絶句だが、韻の踏み方など13才とは思えない。そしで古典を自在に読みこなしていたことにも舌を巻く。
どうやら母親が南朝方(一説によると楠木正成の孫)だったため足利義満・義持の時代では親王にはなれずに6才から安国寺で育ったという。次は15の年の七言絶句。
吟行客袖幾詩情 吟行の客袖(かくしゅう) 幾ばくの詩情
開落百花天地清 百花 開落(かいらく)して天地清し
枕上春風寝耶寤 枕上の春風 寝いたるか 寤めたるか
一場春夢不分明 一場の春夢 分明(ぶんめい)ならず
うーん、唸らせる。早熟の鮮やかな切れ味を感じる。『寤(さめる)』という漢字はこの詩を読むまで知らなかった。
二十歳を過ぎた頃。師匠の死にあたり石山観音に籠ってみるが、悟りを得られずに川に身を投げようとする。早熟型にありがちな死への衝動だろう。
22才頃、ある公案(仏僧からの問)にこう答えた。
「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
煩悩から悟りへのプロセスを何気なく答えて、お見事の一言に尽きる。これによって一休さんになった。
そして30才になる前に大徳寺での修行中、夜中にカラスの声を聴いて悟ったとか。このあたりからおかしくなる。そもそも夜にカラスが鳴くか?まあいいや、
イカレポンチな恰好をしたり奇怪な言動で世間をおちょくり出した。
この絵で傍らにあるのは朱鞘の大太刀だが中身は木刀だったとか。
本願寺中興の人である蓮如上人とは親しかったようで、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をする。あるいは正月、竹にドクロを括りつけて「ご用心、ご用心」と練り歩いたり、やりたい放題。頭蓋骨なんてどこから調達してきたのか。
一応、大徳寺や京田辺で荒れ果てた妙勝寺の再興をするといった仕事はしている。おそらく当時の人達は皇胤であることを知っていて、好きにさせていたのだろう。
時代もよかったはずだ。ちょっと前だったら後醍醐天皇とバサラの化け物達がウジャウジャと戦乱に明け暮れて、都もしばしば戦乱に巻き込まれていた。坊主稼業で奇行を繰り返すことなど不可能だ。義満時代に世の中が少し安定してきたので大目に見られたのだろう。但し、晩年には応仁の乱が起きて、足利幕府も相次ぐ内紛により安定しなくなるが。
飲酒・肉食・女犯と何でもござれで遊びまくった後、80才近くなって森侍者(しんじしゃ)という正体不明の盲目の旅芸人を愛人にしている。
いずれにせよ、時の帝とも庶民とも親しく付き合い愛されたため、江戸時代に『一休頓智話』が創られた(内容はほとんど創作にせよ)。
その後も日本史では平和が続くとコノテのイカレポンチがしばしば現れる。激しい混乱の時代がある程度安定してくる・有産階級が十分に形成される、するとかつての上流からスネたりヒネたりした者が、歌舞音曲・詩文などの才をもって社会を笑いのめしたり驚かせたり。
お江戸の傾奇者とか明治の旧幕臣などにその痕跡が感じられるが、戦後はどうか。
かなり飛躍するかもしれないが、安藤組の安藤昇とか加納貢と言った愚連隊にその系譜を感じたりもする。
フーテンや全学連の闘士とかのその後はどうか。。
しかし圧倒的な才能とイカレ趣味で言えば三島由紀夫だろう、最期が最期だけに。
翻って令和の今日ではどうか。数多いたIT長者やホリエモンにもっとやって欲しかったが、欲が深すぎて別の方に行ってしまった。
落合陽一あたりが弾けてくれないかな。
僕がやると、どうもねぇ。一休語録をパロってはみたが。
『冥土への 旅の足しにと野良仕事 ナスとキュウリに ポテトじゃだめか』
『こりゃ仏 アラー キリスト 八幡に 如来 菩薩 も みなおなじだろ』
『酒に酔い 歌い 笑って 食って 寝て 遊び疲れて 書にも親しむ』
『膵臓炎 高脂血症 大腸癌 もっとキツいは 二日酔い也』
うーん。まだだな。
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僕のリベンジ
2021 SEP 12 14:14:40 pm by 西 牟呂雄
SMCの読者の皆様、お久しぶりです。私はニシムロさんに騙され続け、相変わらずつらい人生を送っているバラベ・ユズルです。覚えていらっしゃいますか。僕に精神的な問題があることを見抜いた、あの悪魔のようなニシムロさんは、初めは親切そうに山荘での寝泊まりを許し、僕にブログのスペースを貸してやるから少し文章を書いてみては、と勧めました。
今から考えると、僕を笑い者にするためだったのですが、僕のブログが多少読者の共感を得たことに嫉妬してパスワードを変えてイジワルをしました。でも僕のIT能力は高いので簡単に見破ってあの人の悪口を書きました。
すると今度は何故か町での仕事を紹介してくれたのです。しかし、その仕事のためだと言いつつ僕をさんざん調子に乗せた後、いやがらせをして僕をひどく落ち込ませました。
そして、遂にあの人はそのことをブログに書き、僕の社会的生命を抹殺しようとさえしました。
そうです、僕はここに書かれたバラベ・ユズル本人です。ニシムロさんはこのブログによって私を引きずり出し、いいようにコキ使い、ピンハネまでしたことを明らかにしました。何という卑劣な人間でしょう。
それだけではありません。手の込んだことに仲間と一緒になって僕に恥をかかせ、笑いものにするためだけに野球チームに引きずり込むようなことすらしたこともあります。
僕は密かに復讐を誓い、山荘を飛び出し家出したのです。もっとも僕の家ではありませんから家出ではなく、退去したことになります。僕にしては珍しいことに(というか生まれて初めて?)計画というものを立てました。まず、誰にも気兼ねなく、ただで住める場所を確保するのです。それはこの喜寿庵からそう遠くもなく、人目にもつかず、雨風がしのげる所です。そのため物置の奥の方で捨てられていた簡易テントをかっぱらいました。あの人の今までの僕に対する仕打ちから見てこれくらいの対価は当然です。
というのも、格好の避難先が見つかったからです。私は知らなかったのですが、やはりコロナ禍のせいでしょうか、最近『一人キャンプ』なるものが流行っているそうで、そのためのキャンプ場があったのです。そこは渓流のほとりの美しい景色で、ここ辺りは鮎釣りが盛んですからそういうお客さんも多いようです。
受付という事務所があってそこに行くと美人のオバサンが暇そうにしていました。
『こんにちは』
とあいさつすると、親切そうな返事があって少し世間話をしたのです。何とオバサンはここのオーナーで、土地が遊んでいるのがもったいないとそそのかされてキャンプ場を始めたそうですが、平日はヒマでしょうがない、この年では草刈りとか掃除もキツイ、とこぼすのです。で、結論からいうと僕はそこの住み込みの管理人になったのです。
面白いことに、宣伝も看板も出さず、ネットで前払いのお客さんだけをお客さんにしているので現金は置いていないそうです。だから僕のような風来坊でも安心だ、とのことで、ただで住んで就職までできたわけです。
あの悪魔ニシムロさんにこき使われピンハネされていた時よりも収入が増えました。ザマーミロ!
そして、じっくりと作戦を練りました。
あの人は土日にこちらに来ることが多い。従ってウィークデイの喜寿庵は無人です。でも僕は犯罪者ではないので(テントは報酬としてかっぱらいましたが)おカネを盗んだりはしません。しかし忍び込む込み、いやがらせくらいはできるはずです。ただ、大っぴらに門を乗り越えたり夜中にウロウロして不審者と疑われてはマズい。
それがある日、キャンプ場から川沿いに下って行った時のことです。
川の淵で魚を見つけて遊んでいて、フト崖の上を見上げると、そこは喜寿庵の真下でした。写真は小さくて分からないかも知れませんが、左右の樹木の切れ間に母屋の屋根が見えました。
そこには道などありませんが、探検でもする気分でワクワクしながら登っていきました。
するとやはり喜寿庵の畑、通称ネイチャー・ファームに上がれることがわかりました。ヨーシ、これで人目を気にせず真っ昼間に自由に出入りが可能です。但し、かなり険しい崖のために夜は無理でしょう。あの人は夜中に庭のチェアでお酒を飲みながら夜空を見上げていることが多いのでオバケのフリをして脅かす、とか花火を投げこむ、ということを考えました。しかし逃げられないので僕の正体がバレるおそれがあるのでダメです。
何かアッと言わせられないか、あれこれ考えながら某日(金曜日)忍び込んでみました。
すると、芝生に小枝が散らばっています。風で折れて飛んできたのでしょう。
ある考えが浮かんだので、小枝を並べて写真のように置いてみます。
オォ!明日の朝、喜寿庵にきて庭を見た時にこの不吉な配列。あの鈍感で傍若無人なあの人も、さぞびっくりし自然の怒りに触れたかと怯えるに違いありません。我ながら素晴らしいアイデアに満足しました。
そして帰り際にはあの人が育てているナスとピーマンももぎ取って帰ったのです。
しかし、テントに戻ってみると、僕は包丁もフライパンもお鍋も持っていない。ナマでかじってみても不味いだけです。結局持て余したので、受付にいるオーナーのオバサンにあげました。オバサンは喜んでくれたのですが、『あれまあ、こんな立派なナスやピーマンをくれるの。あんたどこから採って来たんだい』等と質問され、仕方なく買い過ぎて余ったので、としておきました。アブナイアブナイ、秘密のリベンジ作戦を知られる訳にはいきません。
翌日散歩に行って喜寿庵を遠くから見ると、あの人の車がありました。今朝はどんな顔をしたかと思うと無性に嬉しくなり、来週はどんな文字を置いてやろうかとその晩から色々と考えました。『悲』とか『怒』とか『愚』といった漢字を、実際に枝をならべてみましたが、どうも画数の多いとダメです。さあ、一週間考えましょう。
そして週末を迎えました。金曜日にセッセと崖を登っていきます。ネイチャー・ファームにはまた新しいピーマンができていました、ナスはまだ小さいか。庭を覗くとうまい具合にまた小枝が固まっているではないですか。近寄ってみると、アーッ!
暫く固まってしまいました。というか怖くなったのです。慌てて逃げ出しました。
あの人は、もしかしたら僕が侵入したことに気が付いているかも知れません。
そして僕にまたひどいことをしようと企んでいるのではないか。
なんて残酷で薄情で卑劣な悪魔でしょう。
僕は再びあの人のブログに忍び込んであの人の悪事を告発します!
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解散総選挙上等
2021 SEP 3 0:00:52 am by 西 牟呂雄
コロナ患者の皆さんの不幸はお気の毒としか言いようがない。ましてや亡くなった方には心より哀悼の意を捧げたい。
コロナ禍はまだまだ1年くらいは手を変え品を変え襲ってくるだろう。新たな株も出現してワクチン効果も危うくなるかも知れない。
とにかく誰も予想できない厄災であり、専門家も研究者も『コレ』と言った決め手が手品のように出てくるはずもない。国家レベルでできることなど知れていると思っているからひたすら自粛・防衛に努める他にはない。鎖国でもしますか?ワクチン打ちたくない人もいるんでしょ?どうぞ。
この期に及んで自粛疲れしたと路上飲みだ、風俗通いだ、闇営業のホストクラブだ(驚くほどやっている)、そういう輩は覚悟の上なんだろう、放っておいてもいいくらいだ。そしてそういうことに気を付けている真面目な人々でさえも罹ってしまうのがパンデミックなのだ。
従って、ワクチン投与が遅れ気味だったきらいはあるとは言え、その他先進国に比べて政府の対応が極端に見劣りするとも思えない。この状況下でオリンピックを成功させたではないか。目下のパラリンピックも連日感動を与えてくれる。日本でしかできなかったことだろう。むしろ医療支援の不備は行政の首長や医師会の非協力の方が罪深いと考える。現場は必死に戦っているのだ。若者向け接種の会場の混乱を身よ。
こんな時期に選挙など、とさんざん叩かれて菅総理は言い出した解散を引っ込めたようだが、確かにやれば負けるかもだろう。いい例が横浜市長選挙だ。コロナ対策が争点まがいの印象を与えて、事もあろうに研究者先生を担いだ立民が勝ってしまった。市長を変えればコロナが収まるとでも思ったか。都知事だって何ら手を打てないのに支持率が下がるのは菅総理だけというのも頷けようというもので、根っからの保守派である筆者はあまりの短絡的な投票行動に驚いた。
あんなに一生懸命やっている大阪で感染者が新記録になり、名古屋は市長が感染。誰がどこでやっても同じではないか。
すると総裁選なんかやらなくてもいいとさえ思える。しかしどうしてもやるらしいから、内閣改造・総選挙何でもあり。
SMCブログ発起人の東 兄の興味深い考察に刺激されたので、筆者も考えた。
改造幹事長は石破ではないか。下手に総裁選に出られたら面倒だし、石破は地方票に強い。これを取り込んでおけば一石二鳥。
岸田も優秀なのだろうが(コロナ対策は誰がやっても同じの前提で)、この派閥は伝統的に半島と大陸に甘い。谷垣元総裁がいい例だから保守派はチト困る。河野はパフォーマンスだけだから外務大臣。アフガンに自衛隊機を派遣するタイミングを逸し、日本人一人しか撤収できなかったことに外務省の無作為と危機感の無さを感じた。アイツなら目立つことはなんでもやる。そしてこの際、河野の親分でツベコベうるさい麻生を交代させる。
聞くところによれば、総理は何でも自分でやらないと気が済まないらしい。その力の源泉は「ゴリ押し」と「役人首切り」だそうだから、大臣はやや若手の小物ばかりを並べる、第一時安倍内閣の「お友達」ではなく「家来達」。
官房長官は進次郎あたりで軽量感を醸し出す。
『政界ぬらりひょん』二階幹事長もおっぽり出したのはデキ・レース、という解釈は恐らく見立て通りだから、総理の足を引っ張らない。直前に名指しで批判した岸田の肩を持つはずもない。
そして石破幹事長の元で『やっぱり信を問う』と選挙をブチ上げればいい。菅総理の元では選挙を戦えない、と弱音を吐いたのは魔の3回生クラスだから、いなくなっても構わない。そりゃ負けるんだから政権運営は大変になるが、そんときゃ国民民主も維新も取り込んでしまえば何とかなる。
そもそもコロナ・コロナで菅総理は政治も外交もやっていない。いや、危機管理が一番大切な政治ではあるが、全段で述べた通りこれ以上のことは誰にも望めない。
考えようによっては、この厄災のゴタゴタを最後までやってもらい、保守派が期待するのは安倍再・再登板だろう。その時また官房長官やったら。
よし、選挙だ。
ナーンチャッテ、筆者の政局予想は過去一度も当たったことがありません。
自分のことは自分で硬く守りましょう。繰り返し、コロナ患者の皆さんの早期回復を祈り、亡くなった方には心より哀悼の意を捧げます。最前線の医療従事者の懸命な奮闘に敬意を払うとともに感謝申し上げます。
ところで、最近の中国は感染者を完全に抑え込んでいるように見える。変異株もあの発祥の地から出ないのも何となく・・・。ウィルス兵器だと考えると納得がいく所以ですな。
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維新にさほどの義が有りや
2021 SEP 2 0:00:11 am by 西 牟呂雄
文久三年、薩摩藩は琉球救済の一環として地域通貨のような『琉球通宝』の鋳造を幕府に願い出て、3年間に限って許された。ところがその際に『琉球通宝』だけではなく、幕府が発行する天保通寳も一緒に密鋳していたのだ。その贋金は幕府のものより鉛の含有量を多くしていて、今で言えばあからさまな贋金、立派な犯罪なのだ。尊王討幕の正体見たりと思わざるを得ない。しかもこれを推進したのは名君として名高い斉彬である。
尚武の志高く、武士として胆力を磨きに磨いた薩摩藩にして、藩論分裂によって散々血を流した後に、薩長同盟を結ぶことに筋は通るのか。
大体どこの藩でも『尊王攘夷』一本鎗の派と、討幕までは筋が通らないとする一派で激しい争いが起こり、暗殺・切り合いといった大騒ぎを経験することになる。薩摩・長州はその争いの中の生き残った連中が討幕に舵を切った。結果は良く知るところであるが、歴史的には危ない橋を渡り続けたことになる。どちらも無謀な戦を外国に仕掛けてコテンパンに負けたらさっさと攘夷の旗は降ろす、戦闘こそないものの土佐もまたしかり。
筆者自身、保守派を自称しているので、短絡的に『尊王攘夷』と口走る心情は分からないでもないが、どうも論理体系のゆがんだポピュリズム・ヒステリーに思えてならない。それは幕府・反幕府に関わらず同時発生的に出て来る。
一例は御三家水戸で暴発した天狗党である。水戸は元々同じ御三家の尾張と同様勤皇の志の厚い土地柄だが、理屈ばかり言い立てる藩風とカッとなる気質が災いして藩内に争いごとが絶えなかった。それは藩主の世継ぎ問題だったり、幕府による日米和親条約だったりとキリがない。桜田門外の変にも人材を輩出している。そして水戸学の権威、藤田東湖の息子の小四郎(当時23歳)がたった60人で筑波山で気勢を挙げ武装蜂起してしまう。すると例の気質で頭に血が上った近隣の百姓・浪士が参集して瞬く間に千人を超えた。
その集団が日光東照宮を目指そうとして、一部が暴徒化する。それからは天狗党・保守派が入り乱れ、水戸城や江戸藩邸での勢力争いを引き起こしてのテンヤワンヤ、暴徒により那珂湊反射炉の煙突は爆破されたしまった。
結局目標を失った天狗党は何故か京都を目指す。おそらく一橋慶喜に嘆願にでも行くつもりだったのだろうが、幕府からは追討令が出ており中山道沿いの小藩と小競り合いしながら進む、最後は慶喜に拒絶されてアウト。最初から最後までプロセス無視の計画で、どうしたかったかも不明な混乱だったと言える。
尊王攘夷の天狗党の流れから、対照的な道を進む二人の人物がいる。実際に乱に加わり、途中で逸れ生き残った相良総三と、武田耕雲斎の下で暴れている頃に一度捕縛された芹沢鴨である。芹沢は新選組に行って局長になり、その時点では幕府側ではあるが結局暗殺される。
一方の相良は江戸潜伏中に何と土佐藩の板垣退助の保護を受ける。間の悪いことに丁度そのころ坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋で、薩摩の西郷との間で薩土軍事同盟という討幕の謀りごとが結ばれた。薩長同盟に遅れること1年である。これより西郷の指示で江戸薩摩藩邸にいた益満休之助が幕府の後方攪乱のため放火や、掠奪・暴行と暴れるが、相良はそれに加わった。余談ではあるが益満は勝海舟の親書を山岡鉄舟が西郷隆盛に渡す際の先導役を務めるキーパーソンで、最後は彰義隊討伐の上野戦争で戦死する。
相良の方は、この騒乱を鎮圧しようと庄内藩の新徴組が薩摩藩邸を焼き討ちした際に品川から船で落ち延びる。すると王政復古の大号令が発布されたため、公家の綾小路俊実を盟主とした赤報隊を結成し、官軍の東山道征討として中山道を攻め上ることとなった。しかしこの寄せ集めの赤報隊はかなりいい加減なもので、相良は命令に従わないどころか勝手に『年貢の半減』等を言い触らしては略奪ばかりして顰蹙を買う。何しろ甲州博徒の黒駒勝蔵までが入っているのだ。結局、偽官軍のレッテルを張られて下諏訪で処刑される。因みに命令に恭順した二番隊長を務めたのは元新選組九番隊組長の鈴木幹三郎(分裂して暗殺された伊東甲子太郎の実弟)である。テンヤワンヤぶりが分かろうというものだ。
そもそも何百年も京から出たこともない公家を頭に戴いて圧力をかけることができると思う所がこっけいの極みで、天誅組の騒ぎに至っては目的も何もはっきりしない。
孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられると、その先鋒を勤めようと土佐脱藩浪士の吉村寅太郎が公家の中山忠光をそそのかして浪士を引き連れて大和に出発する。40人位のまぁちょっとした護衛につもりだったのではなかろうか。それが何をトチ狂ったか五条にあった幕府代官所を襲撃して制圧する。しかし例の八月十八日の政変で長州派公卿は追放され、孝明天皇の大和行幸が中止される。こうなるともはやお呼びでない、とばかりに幕府から追討されることになる。すると天誅組は十津川郷士をオルグして千人程の人数を揃えた。
十津川は年貢御赦免の天領だが、言ってみれば古代より尊王専門の傭兵部隊であるから参加した。これが思いつきで頼ったようなものだから、待遇は悪いし戦略もない。中山忠光の無能は如何ともしがたくたちまち四分五裂となって雲散霧消してしまう。これまた何をしたかったのかさっぱり分からない。中山はその後長州潜伏中に暗殺された。
九州の大村湾に面したエリアに2万八千石の大村藩がある。関ケ原で東軍に付いたため準親藩で、代々名君が出たことでも知られる。場所柄長崎から海外の情報も入り易いと思われる。初代藩主はキリシタン大名でもあった。
さて、最後の藩主となった大村純熈(すみひろ)が長崎奉行を命じられた頃、例によって藩内は当然割れた。明治以後に編纂された藩の正史である『台山公事績』は山路愛山が編纂を始めたが、十数年モかけても脱稿せず、愛山死後にやっと完成した代物だ。それによれば、開明派藩主の元、勤皇の旗印を掲げ一丸となって討幕に励んだことになっている。維新後に栄達した者も多い。筆者はさる縁者からそれは嘘っ八であることを知っている。維新に邁進したのは事実であるが、その前に過激派が保守派の家老を暗殺してその罪を保守派の藩士になすりつけたのだ。その狡猾さと残虐さはその後の栄達にふさわしいものでは断じてない。それを塗り込めて正史に落とし込むために愛山は難渋して筆が進まなかったのだ。そのことは、その後を継がされたさる大歴史学者の子孫に確認した。一方暗殺された側にも筆者の知り合いがいて同様の証言を得ている。
最近『歴史のミカタ』という新書を読んでつくづく自分は歴史を生きていない、と感じた。分かりやすく言えば、自分で考えて歴史を体系的に吸収していない、ということだ。ところが老いたりとはいえ未だに息はして物は考えることはできる。なにやらこの先が楽しみになるような気が、今はしてきた。手始めに維新の大義はあるか、と思料した次第である。
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さびしい海 もう一人いた
2021 AUG 24 11:11:22 am by 西 牟呂雄
航海を終えて港に帰って来る。入港時は午後2時できつい日差しに潮をかぶってザラつく肌がヒリヒリするが、波を騒がせる一陣の風を受けるとヒヤリと冷たさも感じる。
入港して浮き桟橋に船体を舫うと、見知った顔が声をかけてくる。
『どこまで行ったの』
『城ヶ島を一周』
『風は』
『ぜんぜん。だけど前線の影響でうねりが大きくてね』
『オーイ、ワイン開けるよ』
声がかかると、ハーバーで手仕事をしていたほかの船のクルーもやって来る。僕はもう少し強い酒が欲しくてバーボンをぬるい水で割って飲んだ。断酒後2回目のアルコールなのでゆっくり飲む訳にはいかないのだ。サッと飲んですぐ止める。実は先日の検査結果が良好だったので、必死に先生に食い下がり「週に一回くらいならしょうがない」の一言を引き出した。
風を浴びて進むヨットは咳をしようが酒を飲もうが飛沫感染の心配は全くない上に我がクルーは既に全員2回目の接種を受けている(全員高齢者)。だが神奈川は緊急事態宣言下であるから、メシを食べに行っても酒は出ないからミニ・バーベキュー、仕方ないね。今日は仲間の船がキス釣りに行き、これが大漁だったのでキス天の御相伴にあずかった。
そして当たり前だが来ているクルーは少ない。どうもこの大変な時にヨット遊びとは何事だ、との地域の目もあるようだ。三浦には高級養護施設も多いのだ。
湾の入口の海水浴場も開いていないのでテントがチョットあるだけ。波ばかり打ち寄せていた。
静かな海面をデッキで腹ばいになって見ていた。すると海面がグラリという感じで揺れた、何だ。覗き込んだが何もない。ただ、水面がやけに赤紫のように一瞬見えて、すぐ元にもどった。すると、何故か言いようもない恐怖感、危機感に捕らわれた。
みんなの話している声が聞こえるのだが、誰だか思い出せないが良く知っている声が耳に入る。何だか面白そうな話をしながら良く笑っている。どうも本人の失敗談をしているようだが、聞いていると全く反省していないのがヒシヒシと伝わる。
すると何だか腹立たしくなってきた.こいつはチャランポランな奴に違いない。チョット割って入ってやろうか、と起き上がった。
そろそろ夏の夕日が落ちて来た。赤い空を見やった途端、また海の色が変わったような気がしてぐらりとよろめいた。
ところが何かおかしい、誰もこちらに気がついていない。僕のことが見えていないのか。おい、みんなどうしたの?その時、その気になっている奴が振り向いた。エッ!その怪しげな男は僕ではないか。まさか・・・。
キス天でお腹一杯になった頃には日が落ちて来た。さっきまで随分賑やかだったのに一瞬みんなが話を止めて、赤い夕空を見入っていた。湾内を風が通ると涼しくてため息が出る程だ。今年の夏も過ぎていき、終わる。年を取るわけだ。
と、眺めているとだらしなく酔っ払っているどこかのバカが甲板に転がっていて、実に目障りだ。さっきからいたのだろうか、挨拶もなしに。そもそもこの夏の夕方にモロに日差しを浴びるのがどんなに危険なことか、酒を飲んだ場合は特に。日焼けと脱水症状で高熱を出すのがオチだ。
しかしクルーの仲間もスキッパーも気にも留めていない、どうしたことか。仕方ないな、オレが行って起こしてやるか。だいたいどこの船のメンバーなんだ。
デッキの前の方に行こうとパルピットを掴もうとした時になぜか手元が狂った。船がグラリと傾いたかと思うと、そのまま海面に落ちた。しまった。停泊中の落水はヨット乗りの最大の恥、なんて言い訳すりゃいいのさ。
ところがすぐそこにいるはずの仲間はだれも声をかけてくれない、去年落ちた時はすぐに助けてくれたのに。34フィート級の甲板は意外と水面から高い。
これは泳いで桟橋まで行くしかないか。その時、甲板で寝ていた奴がふてくされた顔で覗き込んだ。見上げてアッ、と声を上げた、そいつはオレじゃないか!すると今泳いでる俺は・・・、コワイ。
直近、油壷で起きた実際の話を元にしたブログです。なお、ワタシの体験ではありません。
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27回無得点! 日本ハムファイターズ
2021 AUG 15 21:21:23 pm by 西 牟呂雄
あー面白かった。暫くオリンピックに夢中になっていた。メジャーな競技以外も動画で見られる。僕はセーリングと女子ホッケーは全部見ることができた。が、これで一休みとはいかない。
断酒かれこれ5週目。自分で言うのもナンだがフォースの力はかつてない程強力になってきた。思えば屈辱の前半、パ・リーグのドベでファイターズはこの日を迎えることとなった。実力日本一のホークスに一泡吹かせるべく博多に殴り込みだ。
最終クールで2タテを喰らい、我等を奈落の底に落としてくれたホークスこそ、新生ファイターズの今後を占うのに絶好の敵。相手にとって不足はない(というか3勝8敗3分だけど)。遅れていた千賀がオリンピックで好投、柳田はサヨナラまで打った、甲斐は終始大活躍。
対するファイターズはと言えば清宮や吉田が良くなったという話は全くなく、中田は例の件で出場停止。第4子が生まれて『パパもっとがんばります!腰痛いとか言うてられへんわ!』とかSNSでほざいたそうだが、もう出て来るな!チャンスがつぶれるやないか、ボケ!今回の相手はお調子者の杉谷といつものプロレスごっこがこじれたのかとおもいきや、キャッチャー梅林・ピッチャー井口と言った説も出ている。チンタラやっていた清宮かも。このままでは清原化はまぬがれないからスキャンダルもコワイ。
だが思い起こせばファイターズの前身フライヤーズは元々乱闘軍団だった。中田もチーム内でやらずに対戦相手だったら伝統を墨守したと言えなくもないのだが。
栗山監督はどうせ今年で終わり、後はゴールド・メダリストの稲葉がやるに決まってるから大型トレードをやってくれるに違いない。清宮・吉田・、君たちは最後のファイターズのユニフォームなんだから少しは働け!
すると突如、公文・平沼と木村・佐藤のトレードが発表される。これで強力な打線補強とは何だ。それより公文の代わりの左はいるのかよ。あ~あ。
でもって後半第一戦を迎えたのだが、敵は石川。こっちはミスター・スポック加藤である。
初回、自打球を膝に当てて一度は引っ込んだ柳田は2ランを放つではないか。あんなに痛そうだったのは演技なのか。3回には松田まで一発やりやがった(だんだん言葉が汚くなる)。その後は石川相手に三振の山を築いて得点はなし。これじゃ・・・、ともかくH・Rだけで失点した。。ところで坂東って凄い。
2戦目。東浜できた。こちらは上沢、既に背水の陣だ。
だがこの日も三振・三信また三振。4・5回に至っては6者連続の三振!前述クビ・リストに小笠原コーチと西川・大田も入れなければならん。一方では上沢も結構三振を取って健闘しているのだ。まだあきらめるな。
しかし願いも空しく零敗となった。
3戦目伊藤しかないはずなのに、バーヘイゲン。それもいい調子だったのに、効果的かどうか分からないショート・スターターとやらで4回に池田に代えて見せた。すると工藤監督も好投スチュワートを津森に。この変わり目こそ、と思った途端に嘉弥真にスイッチ。摩訶不思議な采配に手も足も出ない。7回には更に松本に代える。工藤監督は層が厚いことを見せびらかしたいのか、コノヤロウ。連日のあまりのフォースの効かなさに頭に来た私は、せっかく続けてきた断酒の禁を破りビールを開けた。お医者様は怒るだろうが、こちらも命懸けである。8回は坂東。こいつにはおとといやられたが、代打を3人繰り出してダメ!私はブチ切れてビールから焼酎に変えた。
不思議なもので、この時点で0-0なのに負けている感満載なのだ。
8回裏の時点で既に酔いが回ったところで、周東をバントで送られた時は負けを覚悟。だが甲斐がバントに失敗、三振してくれた。
最終回はもう泥酔した頭でひたすら祈り何とか引き分けにこぎつけたのだった。
本日はクビ・リストにド下手キャッチャー清水と織田・高橋両バッテイング。コーチが加わった。3日間戦って得点ゼロ、毎日二桁三振とはそれでもプロか。今気が付いたが今日はノー・ノーのおまけつきだ。27イニングのゼロ行進じゃ勝負になんねえことぐらい分かるだろう!人の断酒計画をブチ壊し、寿命まで縮めるかも知れない責任をどう取ってくれるのだ、栗山監督よ!
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地球が狂うと人も狂う
2021 AUG 13 0:00:14 am by 西 牟呂雄
喜寿庵で春先に散々ケムラーなるイモ虫の大発生と戦い、どうもおかしいと感じたのだが、ここへきてネイチャー・ファームにも異変が起きていた。
これは昨年に植えた通称スーパー・ニンニ君と新規開拓のキャロット・フィールドで採れた最初の一本である。
ニンニ君の不細工さはいいとして、このニンジンの奇形的小ささは何だ。原寸はニンニ君で親指大、ニンジンは人差し指といったところか。丹精込めたつもりでこれはないだろう。
頭に来てニンジンは洗ってそのままかじったら、一応甘みのあるニンジンではあった。
実はその前に収穫したダイコンは更に惨めなゴボウのような代物でとても料理には使えず、全ておろしたがおそろしく不味かった。
それだけではない。庭木も変だ。
これが去年までの鮮やかな母屋の庭にある楓である。藤の花との対比が美しい。そして秋になるともっと色が濃くなってすごみが増す。
この楓はかれこれ70年くらいはここにしっかりと根を下ろし、一族みんなで愛でてきた。
それが、今年も芽吹いたことは芽吹いたが梅雨時あたりから葉が落ちて来た。
それが、梅雨明けの段階ではご覧の有様。残りの葉もハラハラ落ちて、これはそのうち枯れてしまうのだろうか。
そういえば藤の花も今年は色が変だった。淡いというか、元気がないのだ。
植木屋の師匠に見てもらうと、手の施しようがない、とのこと。ただ、全部落ちた後に芽が出てくれば復活するかもしれないとか。
裏木戸の横の茂みも、葉の色が濃淡が出て、だんだら模様のようになっていて、これは本当にヤバいことなのかもしれないと不安になった。長雨や酷暑は世界中で災害を起こし、日本中で土砂崩れが頻発し、コロナは一向に収まらないどころか次々に変種が現れる。一体何ができるのだろう、次は。
狂ったのは喜寿庵周辺だけではない。僕の生活もメチャクチャになってきた。
一部の読者の方はご存じだろうが、ドクター・ストップを喰らって断酒生活となり早や3週間が経とうとしている。別に頭が狂ったのではないが、睡眠に障害が出た。眠れない。
寝付きが悪いのを酒で何とかしていたのだろうか、明け方まで眠れず、浅い眠りに落ちても2時間で目が覚めてしまう。そのまま昼間にウトウトすることもなく仕事をし(テレワークだが)、夕方6時頃に突如として睡魔が襲って来る。しめた、と思って寝てみても30分で目が覚める。
一方、今までの生涯で急性スイ炎と大腸癌の二度の入院・治療期間中以外、ほとんどの朝を耐えがたい二日酔いで目覚めていたので、断酒による爽快な朝が迎えられるかと思ったが、これは不規則睡眠のせいなのか全く期待外れだった。睡眠不足のせいか全然さわやかな朝ではない。手足の疲れがとれていない。断酒によるストレスだとしたら本末転倒ではないか。
まぁしかし、内臓の疾患はこの年になると命取り。せっかくだから緊急事態宣言中は断酒を続けよう。そして僕の頭がどのくらい狂うのか、この際見極めてみよう。
えーと、ゆうべは何を食べたのか・・・思い出せない。
ところが、である。翌週になって楓をよく見ると、儚げではあるものの新芽が可愛らしく出て来たではないか。これはどういうことなのか!
時系列だけで言うと、春先に芽吹いてすぐに紅葉になり、梅雨空けに散り始めて真夏に新芽が出たことになる。
そういえば7月中、まだミンミンゼミも鳴く前にカナカナが鳴いた。これを聞く頃は赤とんぼが舞って『あっもう夏が終わるな』となぜか物悲しかったのを思い出す。
地球も喜寿庵も、僕の目や頭まで・・・。何が正確な真実なのか。
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TOKYO 2020 グッド・ルーザー十番勝負 僕からのメダル
2021 AUG 8 11:11:55 am by 西 牟呂雄
このコロナ禍の中、よくぞ参加してくれた。感染広がりは酷いものだが選手のせいじゃない。それどころかインド株の強力さは、オリンピックをやらなくてもこの程度は広がったと筆者は考えている。
無観客の中、必死に戦うアスリートの姿は美しかった。たとえそれが敗者であったとしてもそれは変わらない。死闘を繰り広げた敗者達に僕からメダルを贈呈したい。ただし、金メダルを予想されても銀・銅にとどまった選手や大坂なおみ選手のようなスーパー・スターは除いた。それは名誉あるメダルであることは変わりないからだし、大坂の場合はメジャーの大谷のように稼ぐ場所が違うからだ。幾つか分類して贈呈してみよう。
油断型 瀬戸大也
うーん、例のスキャンダルで合宿等の泳ぎこみができず、一人で練習していたせいかもしれない。メドレーでは決勝に備えてペース配分をセーブしたとか言っていたが、フリーの伸びが自分の予想を下回っていたのに気づくのが遅すぎた。
200のバタもダメ。一体どうしたことか。練習環境が悪かったんだろうな。
ですがね、私は思う。スポーツ選手や芸能人が下半身のスキャンダルを起こすのは当たり前じゃないの。『相撲取りと芸者はスラムの住民だった』は誰の言葉か忘れたが、そういう人種に一般常識を当てはめるのに無理がありゃせんか。
競技は続けるそうだから、復活してくれ、ニッケル・メダル。
内村航平
あれ程の難易度の高い技を決めた後に何で。上手の手から水がこぼれたとも弘法も筆の誤りとも、あんな大舞台で。
この人は真面目そうなので単純に油断したとも言い難いところが悲劇性を増す。まさか引退ではないでしょうな。このまま止めたらこれからの人生ズーッと引きずってしまい、まさか犯罪は起こさないだろうが、いつか『あの人は今』状態になっちまう。
再起せよ!もう一度日本選手権に出よう。コバルト・メダル
燃え尽き型 三宅宏実
あのジャークの失敗はもう限界なのが良くわかる。腕に震えが来ていたようで、本当にご苦労様。リオの時には100kg以上を上げていたジャークで99kgを失敗したのはもう限界だったと言っていいだろう。
ややマイナーな女子重量挙げを背負って立つこと20年。確かピアノも上手だったかと記憶する。まさに青春を賭けていたと言えよう。
今後は後輩の指導とともに、幸せを追及してください。亜鉛メダル。
池江里佳子
心無い五輪反対無責任ネット民の攻撃にさらされたのに、よくぞ勇気をもって出場してくれました。あの炎上のバカ共は白血病を乗り越えてアスリートとして戦う一人の女性を何だと思っているのか、恥を知れ!
あなたはルーザーではなく勝者です。あまりにも劇的な復活です。
是非、周りの大人たちに気を付けなさい。金(かね)やら何やらを餌に薄汚いのがたくさん寄ってきますよ。悪いのは 政治家・広告代理店・芸能人の順番です。これらにロクな奴はいません。男には特に気を付けなさい。芸能人のイケメンは絶対にだめです。クロム・メダル
艱難辛苦型 桃田賢斗
天はこの人に恨みでもあるのか。取るに足らないスキャンダル、バクチなんか誰でもやってる。海外での交通事故、よりにもよって。
筆者は瀬戸のところでも書いたが、アスリート・エリートがバクチを打ったり女にもてて何が悪い、という考えなので、違法カジノに行ったくらいで前回のリオを棒に振ったことにいたく同情している。『違法』だったのがマズかった。カジノなんかバドミントンの盛んなマレーシアにいくらでもあるじゃないか。そこで勝負勘を磨くんだったら一向にかまわない。
次のパリは三年先だ。あきらめずに再チャレンジせよ。プラチナ・メダル
原沢久喜
いい目付きをしていた。この人の柔道人生もまた苦難の道だった。今回、準決勝でフランスのリネールに敗れて3位決定戦になり再びそのリネールに敗れて無冠に終わった。実はリオの決勝でも指導狙いの組み手争いに徹するリネールの術中にはまった負けで、リネールには観客のブーイングが起きたほどだった。リネールがほぼ10年無敗の強豪だったのもやや気の毒ではある。その後「オーバートレーニング症候群」になったり所属先のJRAを退社しフリーになるなど、苦労しながらこの大会を目指したのだった。
敗戦インタビューで支援者に感謝の念を伝えつつ『この間の自分は幸せでした』と絞り出したのが印象に残る。アイアン・メダル
捲土重来方 さくらジャパン
怪我防止のため、人工芝のホッケー・グラウンドには多量の水を撒くため、ショット時に水しぶきが上がる。激しい運動量と接触、ボールは硬球のために打つとカンッと鋭い音を立て、当たれば傷が絶えない。こんな競技を女子がやるものかね、とさえ思うのだがレスリングも柔道もあるからね。
果敢に挑戦するさくらジャパンがいじらしい。リオでは引き分けこそあったが、今回は全敗。敗因は選手層の厚さに尽きる。スティックさばきやパスの精度は一定のレベルに達しているのだが、どうしても体格の違いで当たり負けしたりカットされたりする。他の競技でもそうだがその差をマネジメントするのはスピードとスタミナなのだ。永井姉妹を中心とした現メンバーもパリまでやってくれるかどうか。言い方は悪いが『豆タンク』のような選手を発掘してメダルを狙え。ティン・メダル。
男子サッカー
3位決定戦はその前の準決勝での悲劇的な敗戦の延長のような気がしてならない。
ツキがなかった?ミスがあった?監督力か?驕りがあった?得点力?守備力?
いづれも当たっているだろうし、そうじゃないとも言えよう。選手は良くやったのだろう。 久保よ、悔しいのは分かる。責任も感じたのだろう。気持ちは分かる。分かりますよ。
だけど・・・。相手にまで慰められるのは僕はチョット。誰か早くロッカーに引っ張って行ってやれよ。シリコンメダル
男子100 × 4 リレー
攻めた結果?よろしい。凄すぎてコメントなし。ところで選手たちに長々とインタビューするな!クドクド解説もやめろ!君らも仕事なんだろうけどほっといてやれ。
この4人は今後会話ができるのだろうか、まさか腹を切るとかやめてくれよ、心配だ。セラミック・メダル
マラソン
筆者はかつて、42kmも疾走し続けるアスリートは一種の『陶酔』状態にあるのではないかと思っていたが、どうも違うらしい。解説を聞いていて分かったのだが『揺さぶる』『拾う』といった駆け引きを駆使して『戦って』いるようなのだ。
40kmも走り続けて、尚且つスパートをかける体力とはいかにして備わるのか。これこそやってみなければ分からず、また天賦の才能がなければできまい。その意味では参加した選手の全員が勝者とも言えよう。
今回はこの暑さの中で男女とも入賞者がいたのはめでたく、まさしくグッド・ルーザーの名に値するだろう。パラジュウム・メダル
選手の皆さん、お疲れさまでした。スタッフの皆さん、ご苦労様でした。日本でしかできない、日本だからこそのオリンピックができたことに感謝します。
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