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ロシア残照

2013 SEP 16 16:16:44 pm by 西室 建

 長きに渡りタフな交渉を続けてきたロシア側の相手、アレクサンドル・ボリシビッチが来日した折の話である。土日を挟む滞在のため一日アテンドすることになった。年の頃は50過ぎで真面目なエンジニア上がりのため、ティズニーランドとかスカイツリーにつれていくのは憚られた。少し考えて富士山麓にある我が山荘に招待することとした。かの地は我々一族のルーツのようなところで、僕から数えてニ代前の爺様が普請狂いした際に丹精込めて造り、喜寿庵と名付けていた。日本家屋を建て庭に芝生を張り、石を置き、樹木を植えて笹を巡らした。庭から先の渓流にいたる向こう側の崖の景観が気に入らず、わざわざそこの持ち主に掛け合って大枚はたいて植林したとされる杉林も残されている。また、冬至の日にちょうど夕日が山間(山あい)におちる場所に惚れ込んで土地を手配した、との伝説も残っている。

 ロシアは冬半年がほとんど夜のような状態なので、夏を楽しむのに様々な工夫をこらす。都市部の郊外には、なぜか彩色された大小のかわいらしい家があちこちに見られるエリアがあって、家庭菜園のような庭がついている。これはダーチャと言って、夏の間土いじりをしながら白夜を過ごす別荘のようなものだ。考えて見ると都市部のアパート形式の住居は旧ソ連時代の思想の賜物に見えるが、むしろあの寒さの中で暮らすにはくっついていないと暖房効率が悪すぎるのでああなっているのでは。だから旧体制時代からダーチャの私有は認められていた。無論冬の間は雪に埋もれてほったらかしだ。誘うときに『私のダーチャに来ないか』と言ったので、喜んで来たのだ。

 車で1時間少し、アレクサンドルは初めてみる日本の郊外に見とれていた。アレクサンドル・ボリシビッチは本名コテルニコフという名字で、通称は『ボリスの息子のアレクサンドル』というロシア風の言い方。イワノビッチとかいう言い方はイワンの息子だ。喜寿庵に着くと、お土産に持ってきたウオッカをうやうやしく差し出す礼儀正しいオヤジだ。早速芝生の上で寝転びながら乾杯した。無論ボクはロシア語は出来ないし、彼の英語もかなりヤバい。練達のロシア通、オカダさんという関係者がつきあってくれたのだ。

 彼がまず感心したのは渓流のせせらぎだった。ロシアのウラル山脈の麓から来た人間にとってザワザワという流れの音が珍しいらしい。何しろ古い地層なので、浸食が進み、彼等にとっての川というのは大地をノッタリと進むもっと広い流れを指す言葉なのだそうだ。喜び過ぎて崖から降りてみたいと言い出したのには参った。次に林の奥にわずかな畑があって、親父がジャガイモやトマトを造っているのに興味を示した。ここがロシア人なのだろう、土を手に取って指でつまんでみたりしながら『この土の色は素晴らしい』とはしゃいでみせ、『まだ収穫の時期ではないのか?』としきりに訪ねる。掘り出したいと顔に書いてあったが、まだ早い。

 飲みながら話ははずんだ。一般に市民レベルは親日が多いのに驚く。特にウラル地方ともなると遠すぎて日本に憧れのような気持ちを持つらしい。一方中国・モンゴルには反感というか恐怖感に近いモノ言いがある。モンゴル系にはアッチラ大王やらチンギスハンに散々やられた刷り込みがあるようだし、中国については13億人の人口に(ほとんどが国境から遠くに住んでいるが)対しての潜在的な圧力と捕らえがちだ。何しろ1億4千万人しかいない。彼はボクの先祖についてしきりに聞きたがった。庭の片隅に記念の碑が立ってい、てボクから三代前の先祖のレリーフがあったからだ。ひとしきり話を聞いていた彼は、なぜか自分のニ代前のおじいさんのことを語り出した。

 それは壮絶な内容だった。まずいことにかの独ソ戦に関わることだったのだ。SMCの中村兄の研究によると、近代最悪の消耗戦だったそうで、当時の日本はドイツの同盟国である(ただし日ソ不可侵条約もあったが)。 おじいさんは斥候に出ていたらしい。ドイツ機甲師団の猛烈な突進に小隊は鎧袖一触で蹴散らされて逃げ回った。ところが機甲師団の進撃スピードが速すぎて斥候小隊なんかには目もくれずに前進するため、おじいさん達は原隊に復帰するためにドイツ軍の後をついていく羽目になった。しかし向こうは電撃のスピードだから遥か先に行ってしまって追いつけない。彼はこの時はまだ笑ってみせていたが、その後は皮肉っぽい表情を浮かべるだけだった。何しろ途中の村は略奪されつくして食べ物もなく・・・・、と悲惨な話が続く。何ヶ月も歩いていたそうだが結局原隊復帰はできなかったらしい。次に独軍を見たのはボロボロになって敗走するところだった。戦後もコテルニコフ一家の苦労は続いた。

 僕は深く同情するとともに、一瞬、8月15日以降の満州でのソ連軍の乱入や9月まで続いた北方領土への不法な攻撃を思っていたのだが、やはり口には出さなかった。目の前の彼は善良なエンジニアだし、一家の悲惨な話を聞いたばかりなのだ。そうこうしている内に、親父が学生を大勢連れて帰ってきた。かの地の大学の生徒達で、これからバーベキューをするとか。いいタイミングだった。それから、珍しいロシア人と地方の大学生は微笑ましく交流した。『エカテリンブルグはどこにあるのか知っているか?』『エーッそんな遠く、ウッソー。』のノリだ。女子学生が多いので機嫌が良くなったのか、アレクサンドルは『エカテリンブルグで働きたい人は無条件で採用する。』と言い出し、学生が本気になりゃしないかと親父を慌てさせた(実は親父はその大学の理事長をやってる)。さらに酔いが手伝ったか(こっちも酔っ払ったのだが)北方領土問題に言及し、これは困ったなと身構える我々日本人を尻目に、

「そんな小さい島でもめるくらいならスベルドロフスク州の空いている倍の面積をタダでやるから仲良くやらないか。」

あのねえ、あんたはそれでいいだろうけどプーチンに言ってくれよ。大国は押しなべて個人の意思や善良さが国家のレベルになると突然変異するように引っ込みがつかなくなるようだ、アメリカだって。最近の研究では、かの旅順203高地の銃撃戦の際でも、赤十字の斡旋で遺体の引き取りのため、一定時間両砲撃を中止する停戦があり、その時間になると両軍の塹壕から酒を持ち寄っては言葉もわからないのに飲み交わしたらしい。時間が来ると、もう一丁やろう、と分かれてドンパチやったと言うが。

 爺様の自慢の夕日が冬至の時の場所からずれたところに落ちていった。彼を呼んで二人で眺めながら、つくづくタフな交渉を途中で打ち切らなくてよかった、と思った。

ロシア残照 Ⅱ

ロシア残照 Ⅲ


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