出雲に初めて行きました
2014 OCT 24 9:09:51 am by 西 牟呂雄
以前特集までしたくせに大きな声では言えないが行ったことがなかったので、こっそり出雲を訪問してきた。
何しろ先日、千家の跡取りさんと内親王殿下のお目出度い話で報道されたので出雲大社は勿論、もう一つ出雲への誘惑 左白(さじろ)でも書いた左白にも足を伸ばしたかった。
10月は世間は神無月だがここはその間全国の神様が来ているので神在月。厳かな気分で大社にお参りしたところ、初めからコケた。多くの観光客にボランティアと思しき方が解説をしているのを後ろから聞いたら『神在月は旧暦でやりますから今年は12月からです。』と言っていたのでガックリ来た。しかもお賽銭を入れて二礼四拍手一礼したところは遷宮の間に神様がいる仮のところで(それでも立派だったが)、ホンモノはその後ろだった。今年は60年に一度の遷宮なので、その間はそっちにおられたそうだ。と言っても伊勢神宮のように丸ごと遷るのではなくて屋根の修理程度の事らしい。
そして、周りの建物も順番にメンテナンスするために、何年もかけて”遷宮”する。高さ24mで神社としては図抜けて高いが、近年の発掘によりかつては40m以上あったことが確認された。面白いのは大国主命は正面=南側ではなく写真の方角=西側を向いて祭られているので、そこでも拍手を打つ。
ここで気が付いたが、高い柱を立てるのは諏訪神社の御柱に通ずるのだ。出雲への誘惑 Ⅱ で考証した通りだった。
向かって左側が千家さんの社務所で重さ4トンの注連縄があった。右側に同じ千家でも北島さんのほうの施設があって、こちらは出雲教になっている。14世紀に国造家の兄弟が2家に別れ、明治の国家神道管理の方針で別の教団になった。出雲教はイマイチ新興宗教風になっている印象。
そこで佐白に行くのだがその前に出雲大社のすぐ近くにあったその名も出雲井神社を覗いてみた。出雲への誘惑 トミという謎で書いた富家が信仰していたクナト神の神社だが、本当に小さい寂れた神社だった。やはり大っぴらに信仰できない事情があって、わざと目立たないようにしているのだろうか、僕としては大国主命直系の家系に敬意を表してお賽銭を入れて来たが。
小さい社の裏手に廻るとにらんだ通り巨岩があり、成る程大昔の自然信仰の源はこれだったか、と思わせる。
例の左白にたどり着いたころは夕方になっていた。出雲大社からは結構な距離で、中国山地を縫うように奥に入っていく。そして峠の分水嶺を越えた辺りが奥出雲だった。いかにもオロチがいそうな所といった佇まい、少し寒かった。当たりを付けていたのは伊賀武神社というこれもマイナーな神社だ。何しろ山の中なので住所でナビを検索しても出ない。
一瞬、視界が開けた時に山間に続く鳥居を見たが、そこがそうだった。この神社は冒頭の『左白 (さじろ)』で紹介した〇〇家の一族が先祖を祭った所で、即ち足名椎命・手名椎命(アシナヅチ・テナヅチ)の子孫のフランチャイズという訳だ。鳥居の後ろに石段が山中にまで続いていて、いかにも、な感じで登っていく。するとボウっとした社の輪郭が見えてきた。ちゃんとした出雲式の屋根の神社でしっかりと手入れされ案内板もついていた。長者屋敷跡とある。地元の伝承なのであろう、足名椎命・手名椎命が娘の櫛名田比売と住んでいたところらしい。毎年娘を一人づつ八岐大蛇に食われて、最期の一人が素戔男尊(スサノオ)に救われるのだ。この山深い里に代々そう言い伝えられていたことを思い、ぼくはとても嬉しくなった。
そして、隣接した八重垣神社はその櫛名田比売が鏡に見立てた鏡ヶ池の跡のようだ。
しかし幹線道路が整備されて偶然目に入ったが、その昔は到底人目につかないひなびた場所だったろうに。
周りを見回しても見通せるところは棚田があるくらいで、村落は形成されてもいない。
出雲について書くきっかけになったある高齢の方(93才!)のお手紙の通り、薄く層雲がたなびくような山間に秘かに伝わっていた口伝が生き生きと蘇る思いだった。
更に驚いたのは、そのお手紙にあった〇〇家の墓所らしき所も近くにあった。たくさんの墓石に刻まれていたのは確かに〇〇家のもので、神話の御子孫の営みには恐れ入る他はない。
とてもじゃないが、東夷(あずまえびす)の太刀打ち出来るものではなく、下の写真の社に出雲大社と同じ金額のお賽銭を入れた。
ところで話は変わるが、この辺の人達は一般道路(それも山道)でも物凄く車を飛ばす。軽トラもダンプも普通の車もだ。
東京界隈で滅多に煽られたことのない僕の運転が、気が付くと必ずピッタリと付けられているのには驚いた。
戦国時代でも尼子の本拠はもっと西の安木の方で、このエリアは一種の神域としてあまりガサガサした戦闘もなかったはずだが。
人心も穏やかそうな印象の出雲の方々はハンドルを握ると何かの血でも騒ぐのだろうか。もっとも、やたら事故が多いとも聞かなかったが。
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Categories:出雲
東 賢太郎
10/24/2014 | Permalink
神話というのは文字のない時代の事実が語り伝えられるうちに色々な事情でデフォルメしていったものだろう。それが大社という物的遺産とベアで残っている出雲に、神話の根となった事実がなかったと考えるのは困難に思います。続編楽しみです。