ハマのマイクと呼ばれた男
2016 JAN 16 14:14:11 pm by 西 牟呂雄
横須賀生まれの日米ハーフ。父親の顔は知らずに育った。なかなか頭の切れる子供だったらしい。中学時代は走り高跳びの神奈川県記録を出したこともあってスポーツは万能で女の子には良くモテた。が、世間一般の人種偏見はまだキツかった。そのせいかどうかは別としても、卒業後は活動の基盤を横浜に移して本格的な不良チンピラになっていった。1960年代後半は本牧でゴールデン・カップスが抜群の人気だった頃である。アメリカがヴェトナムに本格的に介入し、横浜には米兵がウヨウヨしていた。
今で言うイケメンでアイヴィー・ルックが良く似合った。無類の女好きでもあったから、ナンパしてはヒモになってたかり暮らしたり、また滅法ケンカにも強かったので徒党を組んで暴れたり。横浜は愚連隊発祥の地の一つだ。
ただ、気持ちに多少『やさしい』ところがあって、ヤクザにはどうしてもならなかった。むしろカモにした。不良米兵と組んだ軍の物資の横流し先がヤクザだった。
横浜は港湾を抱えているため古くからの博徒組織があった。愚連隊も含め合従連合の結果◎川会が取り仕切るのだが、関東進出を目論む◎口組がヤバいエリアに拠点を構えた。時に友好的に、時に敵対的に火花を散らしていた頃だ。どちらも戦闘力を確保するために武器の調達に余念が無い。
他にも台湾系、半島系、港町特有の外人船員の組織といったグループが入り乱れていた。
こういった危険な街を辛子色のビートルで泳ぐように行く彼を、不良米兵は『マイク』と呼んだ。ミッキー・スピレインの小説の主人公マイク・ハマーを『浜(ハマ)のマイク』と洒落てのニックネームらしい。
デカい話がつるんでいた悪い米兵から持ち込まれた。戦闘に使われてガタがきたピストルやM-16ライフルの一括処分だ。普通こういったブツは完全にスクラップにされなければならないが、そこはそれ。需要はいくらでもある。◎川会のチンピラに話をつけると乗って来た。相場の倍を吹っかけて不良品の武器を売りつけ、前金を受け取った段階で姿を消す。
ブツを見たヤクザは本気で怒る。なにしろ撃鉄が抜けたピストルやマガジンの入らないライフルの山だ。
「そいつをつかまえてくれー!」
一見してヤクザが血走った眼で大声を上げながら伊勢佐木町を走って行く。
その先には長身のマイクが俊足で人込みを逃げていく。
曲がり角にエンジンを掛けたビートルが待っていた。素早く助手席に飛び込んでドアの締まる前に猛烈にタイヤを軋ませて発進させたあと、運転していたモデルの彼女に言った。
「やばい!オレ消される。暫く日本をフケるよ。」
ツテも何もないワイキキのレストランで皿洗いのアルバイトを夜中にやっているマイクの姿がみられたのはその半年後。全くドン底の生活から辛くも食いつないだ。ハワイには日系人ソサイエティもあり全く英語を喋らなくても最低の生活はできたのだった。
その内日本からの観光客も増えだす。家族連れ・パックツアー・若い男女もやってくる。
たちまち俄かガイドになりすましたマイクが現れて『日本人のあまり行かない所』だの『秘密のホノルル』といった怪しげな悪所を連れ廻す。オッサン達には現地のナイスバディ、女性には米海軍のハンサム士官、若いアンチャンには本土のヒッピー・ガールと(殆どマイクの悪仲間)紹介するやらぼったくるわで危なく稼いでいた。3年程ほとぼりを冷ました。
もうそろそろ良かろう、と踏ん切りをつけ(借金を踏み倒し)久しぶりに日本に帰ってきた。
30前になっていが、取り合えず面の割れている横浜や横須賀には帰れない。多摩川を渡れなかった。
「ワイハ(ハワイのこと)じゃこうだよ。西海岸は違うけどね。」という喋りを駆使し、現地のライフ・スタイルを紹介するようなファッション誌の営業職に就く。時代はバブルの様相を見せ始め、世の中の役に立たないものが脚光を浴びるような時代になってきていた。
ところがこの業界、流行り廃りは世の常である。ファッションもすぐに飽きられるご時勢に、昔から馴染んでいるアイビー・スタイルを変えるのはどうも性に合わない。音楽もビー・バップ、4ビート趣味が抜けない。
何だかんだ言いながら結局勤め人はできずに六本木で店を始め、その界隈に住み着く。
店のパートナーはどこからこんな相棒を見つけ出したのか不思議になるほど、無性に気の合う奴と出会う。すなわちチャランポランで女ったらし。ミッキーといった、郷ひろみ似のワルだった。
究極のナンパ・ブラザーズが結成されたのだ。マイクの方はいかにも誑し込む感じで女を口説き、ミッキーは明るく声を掛ける。ふたりで営業と称し、代わるがわる銀座を飲み歩いていた。もっともこれは店がハネたあとにアフターで来てもらうのにはかなり効果があったようだ。
ミッキーは東京出身で育ちのいい男だったが商売歴は長く、その時点でいくつもの店を出しては潰していた。
僕が知り合ったのはこの頃で、コンビはまるでバブル後の六本木の寄生虫のようだった。仲良くなると知り合いの店の『パーティー』に誘われたが、彼らが金を払うのを見たことが無い。そういった集りは当時のディスコなんかが貸切で催されていたが『ナントカちゃん来てる~?』とか言いながら紛れ込み、散々飲み食いナンパして『チョット仕事だから』といつのまにか姿を消す。
こんな調子だから店は奴等の女調達機関ともなり、数々の危機を乗り越え(踏み倒し)、おまけにミッキーは癌にもなったくせに全快した。
そういえばゴルフ狂いをしていて、結構うまかった。朝まで営業して店が終わってからコースに行き、酒臭い息を吐きながら2ラウンドやったりしていたが、いつ寝ていたのだろう。
さすがにこっちも年だし東京にいない時期もあって次第に足が遠のいたのだが、先日久しぶり(10年振り?)に飲んだ帰りに寄ってみると、驚いた事にまだ生き延びていた。新しい店を出すのだとか、全く懲りていなかった。もう60代後半だろうに。彼らを見て、うっかり『人生はやっぱり素晴らしい』等と思ってしまったのは不覚としか言いようがない。
この人物は僕の作り話ではなく本当に実在する。マイクの本名は純一という。
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Categories:遠い光景
西室 建
12/15/2016 | Permalink
この六本木の店に1年ぶりに行った。
ブログ中のミッキーという男が癌で亡くなったのだ。
今年は・・・。
あの明るかったミッキーよ、安らかに眠れ。合掌。
ピアノ弾きのシオンも姿が見えなかった。
このシオンは、日清戦争後の馬関条約締結に来日した清国全権、李鴻章の曾孫に当たる、余談だが。