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暗黒太閤記 外典

2026 AUG 15 11:11:33 am by 西 牟呂雄

『遅いぞ猿!播磨攻略はにいつまでに終る』
『上様。それがしにお任せあれ』
『その先に控える毛利や目障りな鞆の御所の公方様がしきりにあちこちに書状を送っているのじゃ。わかっておるのか。何か手立てはありや』
 藤吉郎は頭を下げたまま、だまって右手を差し出した。そして掌をゆっくりと開いたり閉じたりしてみせた。
『それがしのこの右手のごとく』
『この六つ(むっつ)めが』
 と言いつつ信長も苦笑せざるを得なかった。次に表情を引き締めるといつものごとく渋面になりどなった。
『直ちにかかれー!』
『心得てそうろーう』
 ほうほうの体で下がるとニタリと笑った。実際手立てなどありはしない。
 播磨は土豪・地侍の跋扈する難治の地で、いちいち攻め潰していては味方の消耗も多い。調略し・騙し・脅し・なだめてじっくり攻めるのが上策なのだが、果たして時間はかかってしまう。そこは信長も承知の上の叱責である。
 信長の苦笑にはもちろん理由がある。藤吉郎の右手は親指が2本生えた奇形で、これを見せられると相手は一瞬怯み、あるいは恐れあるいは笑い、時に気味悪がるのが常であった。
 ところが信長はこういった異形の者を好んだ。広く知られたように、モザンビーク出身で身長180cmはあった黒人の弥助を従者にして面白がった。その弥助を連れてきた宣教師ヴァルニャーノも大柄でお気に入りだった。

 藤吉郎は竹中半兵衛を幕僚に招き入れた際にもこの手を使った。半兵衛の稲葉山城奪取の手腕に恐れ入った藤吉郎は、あらゆる裁量を任せると言い切った後、右手を見せたのである。臣従するつもりなどサラサラなかった半兵衛も、あまりの厚遇に心を動かされそうになった時点で六本の指の奇怪な動きに我を失い、以後軍師として仕えることになる。
 天下一の人たらし、と言われた藤吉郎の奥の手であった。だが本能寺以後、頂点に駆け上がる間はそのようなふるまいを見せずとも、ひれ伏さないものは捻り潰して事足りた。女もである。しかし3人だけ、例外があった。

 淀君は床に招き入れられたときに初めて見せられて失神する。以後、病的な贅沢に浸って過ごした。

 もう一人は千利休。
 初めて見せられた茶室で眉一つ動かさず、わずかに唇を動かしただけだった。
 藤吉郎はいささか不満であるとともに、その唇の動きがある種の哀れみを含んでいたことを悟った。
 今の自分という者は人から恐れられ敬われるべき存在のはず、それが・・・。心の中に暗い情念の残り火が燻ぶった。

 3人目は徳川家康。出会った時は藤吉郎の方がはるかに小物だったため、長く見せる機会がなかった。小牧・長久手の後の天正14年ついに家康が大阪にやって来ると、登城前夜に突如家康の宿舎を訪問。手を取って奥座敷に招き歓待する。
 その時、満を持して右手で酌をした。家康は大いに驚き『さすがは太閤殿下。天下に二無き吉相にござれば』とお世辞を言った。
 翌日、大坂城にて臣下の礼をとり藤吉郎への臣従を天下に知らしめることになる。
 実は家康はとっくの昔に藤吉郎の右手の事情は承知の上だった。無論、それを見せて相手の度肝を抜くことも心得ており、むしろいつその場が来るのかを探っていた。読みは当たった、家康はこの時を待っていた。そして、大げさに振る舞い心のスキをこじ開けたのだった。

 実際に一次資料には記述はないが、宣教師の記述、朝鮮の使者の謁見記録に右手の親指が二本あると書かれている。

Categories:伝奇ショートショート, 信長

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