春 飛び地にて
2025 MAY 3 8:08:27 am by 西 牟呂雄

読者はご記憶か。
で詳述した、おっちゃんとバトルを繰り広げている喜寿庵の飛び地を。そう、ここは恐竜クマイドンを発掘したと思ったらただの馬の骨だった、忌まわしい所でもある。
こんなところにも等しく春は訪れ、はや雑草が元気に育ちつつあるわけだ。
実はこの場所は農地だという事になっていて、そのため行政から適正に耕作されているかの調査を受ける。残念ながら10年連続『耕作不適地』とされていて、仕方なく草刈りに精を出す。だが、あまりに不毛な労働に耐えかねて、ついに今年は除草剤を撒いてみることにした。農地に除草剤とは悪いシャレだが致し方あるまい。ただし、樹木の傍には撒けないから、いずれにしても草刈りには来なければならない。
となりの仲良しのオッチャンは年を越せたんだろうか、様子を伺うと人の気配はあるようだ。一人暮らしで『毎日おんなじもん食べてるだよ』と言っていたが、体は大丈夫だろうか。息子さんが東村山にいるが最近はすっかり見かけない。こっちのオッチャンは畑を耕すことは耕すのだが、作物は作らない。従って現金収入はないはずだが、勤め人だったこともあるようで、その年金で暮らしているのだろう。耳も遠いみたいだし、余計な詮索はしない方がよかろう。そういえば携帯は持っていたっけ。
しかし除草剤を撒くといってもどれくらい効くものなのか見当もつかない。例によってデタラメにやっていたらどこにどの程度まき散らしたのか分からなくなってしばらく呆然とした。なにしろ千平米ある。面倒なので水溶液散布のタイプではなく、粒を蒔くタイプを2ボトル使っても1/3にもならず途方に暮れていると、例によってひと文句つけてくるマウント・ジジイが車で通りがかった。オレと目が合うとわざわざ車を停めてのお出ましだ。
『よう、オッチャン元気か』
『あの木、切ってくれないか』
『えっ、ああ、この前も言ったろ。文句言ってくるのがいたらオレんとこに寄こせって』
初めからけんか腰で対応。こんなのに敬語なんかいらん。
『困るだよ』
『何で』
『雪が降ったら倒れて危ないズラ』
『前にも聞いたけどさあ、雪が降りそうになったら考える』
『頼んだよ』
誰がやるか。するとオッチャンは僕が手に持っている除草剤のボトルをジロジロ見ている。なんかイチャモンを考えているな。
『そりゃ何だい』
『ん?除草剤だけど』
『そんなもん蒔いたら木が枯れちまうだよ』
『別に蒔く訳じゃない。だけど枯れたら切り易いんじゃねえの。さっき切れとか言ったじゃないか』(もう全部蒔いたけど)
『下の畑や田んぼも育たなくなる』(ウソつけ。こんなに雑草や笹は出るじゃねーか。第一目の前の畑は隣の仲良しのオッチャンのもので何にも作ってない。オメーに関係ないだろう)
とその時、道路越しのさらに先の方の家庭菜園のような所からご夫婦と思われるジジイとバーサマが『車どけてくれよ』と怒鳴りながら歩いて来る。そういえば向こうの奥の方に軽トラがあるが、スペースは十分あるじゃないか。してみるとこいつらも文句ジジイなのか。
まあいい。ちょうどオッチャンの相手をするのも嫌になって来たので『じゃあな』とほったらかしにして帰ることにした。車に乗る時に新たな文句ジジイに思いっきりガンをくれてやったのだが、見るからに意固地な面をしていた。バーサマの方はというとこれまた絵に書いたような因業ババアである。この辺りはこんな連中ばかりが住んでいるのか。
待てよ、発想を逆転させるとオレがみんなに嫌われているのか?
ネイチャー・ファームに戻って野菜たちに水を、飛び地の雑草どもに比べてこいつらは実にかわいい。
だが、そうしているうちに不思議なことに飛び地とファームのあまりの扱いの違いが気になりだした。ファームは手が入り耕運機を入れ、野菜をかわいがり大事にされているのに比べ、飛び地の方はほったらかされた後にバリバリ刈られた挙句除草剤を蒔かれる。誰かに馬の死体まで埋められた。飛び地にしてみればたまったもんじゃない。
一方で、ファームで作業していると、そこは線路沿いで富士山観光の外人乗客に『ハ~イ』などと声を掛けられて人気者なのに飛び地では嫌われ者。
ハタと考え付いたのは、土地にまつわる『愛』の違いではないか。地縛霊というものがあるのならば地縛天使もいるのじゃないだろうか。
この仮説を実証するためにどうしたら飛び地を愛することができるのか、考えた方法は以下の5つだ。
➀ 耕筰することは不可能だが、せめてスコップで穴を掘り要塞化する。
➁ テントで野営し、天体観測をするフリをしてUFOを呼ぶ。
➂ 鳥居を立てて近所の馬頭観音に対抗し、牛頭天王(ごずてんのう)を祭る。
➃ 埋められていたと思われる馬の骨(らしきもの)を展示して心霊スポットにする。
➄ 雑草対策に羊か山羊を飼う。
アホらしくなった。
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春 ネイチャー・ファームにて
2025 APR 6 20:20:48 pm by 西 牟呂雄

僕は仕事をしているが、それは光の粒が通り過ぎていく先の、時間の密度の追求に過ぎないと思う。そもそも僕はコトに当たって最も心掛けるのは能率とスピードで、そこに哲学は無い物と考えていた。
多少仕事のフィールドを開示すると、もうすっかり使わなくなった言葉だが、BRICsという言い方があった。で、そのうちCは初めから除く。次にRもこの度のドンパチで潰えた。地球の裏側やアフリカはチョット、ということでインドが残り、そこで合弁事業をオペレーションしている。ところがこれまた手強いマーケットで一筋縄ではいかない。収益だけを追求していてはとてもじゃないが事業としてサバイブなんかできない。そこで冒頭の心掛けとは別に大義名分が必要になって、かれこれ十年やってまぁ稼げるギリギリである。つまり先を見通せていなかった上に時間の密度は結果的に薄まったと言ってしまえばそれまで。
インドは行けば行ったでそれなりに暮らせるのだが、季節感が全く無い。コロナ以後はZOOMやスカイプのやり取りで済ませると、モノ造りの現場感も失せ、金銭のやり取りも無味乾燥な感じ、要するに人間としての臨場感は減衰する。画面ばかり見て英語で話しかけていると、おかしくなってくるのがわかる。
するとだ、無性に能率の悪い役に立たないことをやりたくなるのである。例えば頼まれもしないのにセッセセッセと書いているブログがそうであり、疲れるだけのヨットの航海であり、役にも立たない山荘での野菜作りである。喜寿庵での農作業はおよそ歩留まりといい生産性といいコストから考えれば買った方が安い。だが、これをやっている限りは季節感は感じられる。暑い・寒い・涼しい・冷たい・熱い、といった感覚に晒され続ける、喜寿庵にはエアコンも無いのだから。そして1年中花が咲いている。
ついこの前、梅の枝を切って墓前に活けてみたが、都会から遅れること二週間でやっと桜。ネイチャー・ファームにある自慢の枝垂れ”玲”である。この花越しにファームを眺めるのは年に一度の至福の時である。それが満開になるころが亡き母の命日だ。
耕運機でファームを起こし石灰を撒く。種芋を灰にまぶして1つづつ撒く、畝に等間隔で目印を空ける、ダイコンの種を5粒くらい、土を被せる、肥料散布、水やり。と、こう書くと流れるように作業が進むと思われるかも知れないが、実態は違う。あれが気になるからこれも持っていこう、あっナニを忘れた、おっとまだ早い、しまった買い忘れた、こんなところにも筍が、といった具合だ。おまけに自分では工夫してやっているつもりでもドジを踏んでは『オレってバカだな~』とあきれ返る。
更に、作業は単純だからやっているうちに金の心配・家族の問題・友達の様子・仕事の進捗・戦争の行方、といったありとあらゆる事が浮かんで来る。それはその時間を物凄く濃い密度で過ごしたことになりはしないか。結果は大したことではないにせよ(ジャガイモとダイコンを蒔いただけ)十分な季節感と爽快感は味わうことができる
仕事でロシア人と付き合っていた時に教えてもらったのだが、『聖なる愚者』という概念があるのだそうだ。一見愚かな振る舞いに見える者は、無垢であるがゆえに預言者にして聖なる者と考え、自由に喋らせこれを愛し敬う、というものである。もちろんただのガイキチであればいいという話ではない。かのイワン雷帝が好んで話に耳を傾け、その葬儀には棺を担いだとされる実在の聖ワリシィが有名である。彼は普段はボロを纏って一心不乱に祈りながらモスクワを徘徊していたらしい。
一昔前のヒッピーみたいなものだが、バカみたいに一心不乱に勤めるところとがミソである。禅の修行を思わせるような感じだろうか。そして熱心に座禅をしている人の話では、いざ座禅を組むと様々な思念がブゥワァーっと湧いてきて、その中で考案をするものなのだとか。
してみると、僕の無駄極まりない農作業も黙々とやっていることは優れて修行ということになるか。
ならないな。
春霞 溶け入る富士の
白 淡し
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冬の名残り
2025 MAR 1 1:01:56 am by 西 牟呂雄

2月の末、春はそこまで来ている時期に、芝生を焼きます。害虫を駆除し、雑草のタネを焼き、芝の発芽を促進するためです。
この芝焼きというもの、うまい具合に一直線で炎が広がるものではありません。
風向きやちょっとした凹凸で方向を変えるので、ご覧のような幾何学的な模様に。
慎重に焼かないと傍らには福寿草がこんなに咲いています。
地球は温暖化し、居場所の無くなりつつある冬。
子供の頃は下町のドブでも氷が張ったものですが、今ではあまり見ません。
この連休に寒波襲来。今季最強、十年に一度、豪雪。
寒い曇天の日は確かに陰鬱な気分。
ですが、四季のある日本では冬がなければ
樹木の年輪も刻めないのです。
春は植物が芽を吹き花を咲かせます。
暖かくなり人々は浮かれます。
去り行く冬はそれが気に入らない。
みんなが来年までサムイ季節を思い出さないのが。
すると翌日、焼いた芝生にうっすら雪が積もってビックリ。
凍結防止で滴らせていた外の水道は凍ってつららになってしまいました。
冬が去り際に少しばかりの雪を残した、また来年来るよ、と。
そうそう、寒い冬に鍛えられなければ丈夫なにんにく、スーパー・ニンニ君もできませんね。
健気にがんばっていました。
これからは畑が凍りません。水と肥料をやります。
収穫は5月の連休です。
ですが今日もまだ寒い真冬の気温。
冬もそんなに本気にならなくてももう2月末だよ。
そう思いつつ、山から下ろうと門を出た時。
傍らの梅の老木に目をやると、小さな花が。
やはり冬は追い払われているな。
タイトルの『冬の名残り』は多くの人が『春の訪れ』と言うでしょう。
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と、ここまで書いて投稿しようとしたら、この暖かさはどうしたことか!老生はただとまどうばかりなのです。冬にまで置いていかれてしまったようでさびしい。
それどころか、そろそろ耕運機を入れてジャガイモを撒かなければ。春が追いかけてきた。
雪中行軍生還記 Ⅱ
2025 FEB 4 22:22:52 pm by 西 牟呂雄

傘を被った富士山です。
ずいぶん前にも別の『傘富士』を載せましたっけ。
手前の雲の塊が邪魔をするので、実際のおどろおどろしさが伝わらないのが残念。
古くから『富士が傘を被ると翌日は雨が降る』と言われていますが、本当です。
翌2月2日、朝から雪が降りました。寒い。
雲が低く下がっていて近くの山は霞んでいます。
雪が降ります
ゆきがふります
周りの色がなくなります
どんどん見えなくなっていきます
ときどき通る電車以外
動く物はありません
川のせせらぎだけが
さわさわさわさわ
聞こえているだけ
庭は既にこの状態。
この後、足跡を付けて遊びましたが、さすがにアホらしくて写真はやめました。
足跡で『バカ』とか書いてみたんですけどね。
積雪は5cmくらいでしょうか。
道路には積もっていないので、閉じ込められる心配はありません。
以前は3日程身動きできなかったこともあります。
さて、ラーメンでも食べようか、と考えてハッとしました。
ネイチャー・ファームのニンニ君はどうなっているのか。
長靴に履き替えて駆けつけると、スーパー・ニンニ君は必死に寒さと闘っていました。
ガンバレガンバレ!
うっすら積もった雪を払ってやります。
あっ、もう上がって来た。
それじゃ庭の雪を掃こうかね・・・、
さむっ!
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念願の古稀ボーダー ゲレンデの風になる
2025 JAN 5 1:01:19 am by 西 牟呂雄

あけましておめでとうございます。
ブログを始めて十年。還暦ボーダーと書いてからアッと言う間に古稀を迎えての滑り、恐いものがありました。絶対に転んだりしてはいけない、体が硬くなっているから骨折どころではなくなる。緩斜面をそーっと降りる感じで丁度良いと。
しかし1年の初めに体力の限界を確認するのも日常のためにはいいのかも知れません。今年からはもう酒は焼酎のロックを5杯にしておこう、といったバロメーターに・・・なりませんねぇ。
そうそう、愛用のボードがビンディングの劣化で使えなくなってからレンタルで滑ってますが、今から新しいボードを買ってはとても償却できない。買ってしまったら誰かに後を託して20年かけて償却しなければ。そのころには流行が変わっているでしょうし。
例に寄って昭和ファッションに身を固め、遂に念願の古稀ボーダーがゲレンデに突撃です。
恐る恐る、良く体操までして雪面を踏み締めました。
ところが今年は何故か空いている、正月の早いせいもあってゲレンデが全く荒れていません。もっともここは人工スキー場ですから平坦な造りにはなっていますが、圧雪した跡がザラザラしたままでしならない、力任せにガリガリ滑ることになりました。
それがですな、慎重にやっていても一本目で息が上がっています。日頃スポーツなどやっていないから当然なのですが、情けない。ふーっ。降りてきました。
でも、何だできるじゃないか。
古稀、捨てたもんじゃないぞ。ここで調子に乗らず慎重に滑ればまだまだ。
っと、見上げてみればここ鳴沢エリアから見える先端の尖った富士山が私を見下ろしています。
どうかもう少し自由にスピードを味合わせてください。
そう祈りつつリフトに行こうとしたら、ゲレンデに寝そべっている異様な集団に気が付いた。ウエアに身を包みスキーも置いてあるが一向に履こうとしない。何してるのか、近くを滑ったら日本語じゃなかった、観光客なのです。寝転がってスキーの用具を身に着けている写メを盛んに撮っていました。要はコスプレですね、ツアー料金に入っているのかも。
さて、そろそろ古稀ボーダーはケガをする訳にもいかず、もう一本ぐらいで止めなければなりません。
昼時なのでリフトは全く待たずにシメシメと乗り込み降りてみれば。
えっ、誰もいない。どうしたのでしょう。リフトにも人っ子一人いません。
滑り出しても風が吹いているだけです。
あれ、私の影も映らないし音も聞こえない!
アルツハルマゲドンが進行して幻覚を見ているのか、それとも私が死んで意識だけの存在となり、とうとう私も風になってしまったとか・・・。
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新種恐竜 クマイドン発見
2024 NOV 24 11:11:34 am by 西 牟呂雄

たびたびブログで紹介した喜寿庵の飛び地で冬支度というか,背丈ほども伸びた雑草やススキを刈り込んだ。この2ケ月半、少しづつ刈ってやっとやり終えた。
こういうところはマメに刈っておかないと笹が出て、そうなると刈り辛くなっていわゆる耕作不適地になってしまう。使い物にならないくせに税金はかかる。といっても千平米もあるくせに農地であるため年に6千円だ。
刈り進んで行くと、山裾のあたりで一か所草が生えていない所があって、どうしたことかと覗き込んで腰を抜かした。はじめは人骨かと思った。こんな所に誰かが死体を放置していた?まさか。
実は後背地の中腹に、朽ち果てた古いお墓がいくつかある。薄気味悪いので近寄ったことはないが、あの古さは土葬だろうから人骨もあっただろう。
ところが恐る恐るもう一度みると、かなり広範囲に散らばっている。2~3mに渡ってどの部位かはわからないが骨というか化石というか、そして髑髏のようなものはない。つまり人間ではない巨大生物のもののようである。
と、ここでいつもの悪い癖であるが、頭の中が喜んでしまい、ひょっとしたらこれは新種の恐竜の全身骨格が地滑りで出土したのではないか、とまで飛躍した。もし新種の発見だったら命名権はぼくになるとすれば何と名付けようか。名前にちなんで『ニシザウルス』はどうかな。待てよ、発見場所の方がいいか、ここの字は熊井戸というから『クマイドン』。オォ、いいではないか。
そうだ、骨のサンプルを鑑定してみらわなけりゃならんな。だが、草も生えないところだ。なんだかこのクマイドンの妖気が漂っているようで、どうにも手が出ない。採取は次の機会にしよう。
意気揚々と道具をかたづけ帰ろうとしたら、仲良しのオッチャンが歩いている。この世紀の大発見を言いふらさずにはいられなかった。
『あ~あ、広いから容易じゃないねェ』
『おっちゃん、聞いてくれ。何かの骨が散らばってるよ』
『あ~、骨が折れるよね』
オッチャンは耳が遠い。
『そうじゃなくて、ホンモノのホネが散らばってるの』
『え~、骨がどーしたって?』
『人間よりも大きな何かの骨なんだよ』
『あ~、そりゃ馬の骨ズラ』
『!』
『昔は飼ってた馬が死んだらそこいらに埋めたダヨ。そこに馬頭観音あるだろ』
『あれのこと』
『ほんとはあのあたりに埋めたんだけど面倒になってこっちに埋めたんだろうね』
人の土地に勝手に馬を埋めるな!
ただのウマの骨なら遠慮はいらん。ウラの山裾に投げてしまえ!と、思ったが、白骨化したとすればこの辺の土壌と湿度から言って数十年はかかる。ひょっとするとここの地縛霊として馬頭魔王にでもなっていたらコワい。
話は変わるが、いきなり冬になりそうなので秋口に蒔いた大根や人参を掘り出さねばならない。
毎年、どういうわけか突然変異のような奇怪な姿で収穫されるのだが、今年はどうか。
せっせと掘り出してみると、こりゃなんじゃ!
大根は、むかし大根足とかいう太目の女性にたいする蔑称があったがまさにそういった風情の短足。
人参に至ってはとても食材になりそうもないヒョロヒョロ。洗って齧ってみたら甘かった。また挑戦しようっと。
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大名行列と僕
2024 NOV 18 17:17:51 pm by 西 牟呂雄

喜寿庵のあるところの中心部は、江戸初期は藩が置かれていたために藩主の屋形が構えられていた。その後は天領で韮山代官の管轄となり、陣屋と改められそれなりの行政府として機能していた。その場所は今は小学校と裁判所である。
藩主が改易になった際、参勤交代の必要が無くなったために道具一式を地元に残していったため、秋祭りの際に大名行列を真似たのが始まりと伝わる『時代まつり』を伝承している。
また、これも以前に書きましたが将軍家献上の宇治茶を夏の間保存するお茶蔵があったため、お茶壷道中も再現した。
ところが、今年は台風や雨に祟られて本来別々にやっていたイベントが一緒になって行われるこに。
某日、イベントを見に街に出てみた、ヨッコラショッと。残念なことに小雨模様である。地元の学校や商店、団体のブースが並び即売会も行われて近隣の人が大勢来ている。ステージも設営されて子供達のダンスなんかもやっていた。
僕はこういう手作り感が大好きで、自然にニコニコしてしまうほどだ。あっちを見たりこっちを見たり、小学生向けの工作教室の前に立ってジッと見入ったり。だが、そのうち別の感情がこみ上げてくるのも分かっている。それは後述するとして、ドン・ドドンと太鼓の音が聞こえてきた。まずはお茶壷道中の一行だ。
時間を置いて今度は反対側から大名行列だ。若殿様のお国入りである。『したにー、したに』と体を左右に揺らしながら先払いが角を曲がって来た。毛槍が続く。この毛槍組は先払いとは別の『ヨイヤマッカセー』と掛け声をかける。そして時々鮮やかに毛槍を放り投げて別の持ち手と代わる。続いて小さい子供たちの弓組、鉄砲組が来る。お嬢さんが剥製を持った鷹匠まで。いいぞいいぞ!
さあ、若殿様が馬に乗っての登場、馬がデカい!後から聞いた話だがこの馬、もとはばんえい競馬で走っていたそうです。使い物にならなくなって今はこう言った催しに出てくるそうだけど、サラブレッドのような細くて長い脚ではなく、極太の短足。パカポコではなくゴトゴトと歩く。
若殿様は正に『馬上豊かな美少年』がぴったりの武者振りで思わず見とれた。
長い行列は総勢120人。お姫様はあの姿のまま全工程を歩きだから結構きついだろうに。
そして見入っているうちに前述の別の感情が湧き上がって来た。見ているのは楽しい。歩いて付いていくのだが、僕は一人なのだ。
祭りの喧騒はやはり演者のものだし、見物する側も家族だったり仲間と見ているが僕は一人。大勢の中で沸き立つように孤独感が押し寄せて来る。この感じ、なぜか昔から僕につきまとっていて、以前に単身赴任していた小倉の祇園太鼓の時にもフッと襲い掛かって来た。
寂しい訳じゃない。あの時は『天の声』のせいにしたが、今はおぼろげながら言語化できるような気になった。自由と孤独の狭間にいる不安なのだ。祭りの狂騒に入りたいが演者にはなれない。その代わり一気に立去ることも自由なのである。
僕は人込みをかき分けて先に行ってしまった行列を走るように抜いて行った。
すると、あの若殿様が馬を降りて休憩していた。いやなかなかの凛々しいたたずまいに感心してパチリ。
ん?どこかで見たような。
あっ、この方昨年の信玄公祭りの際に山本勘助役をやっていた女優さんじゃないか。話してみるとやはりそうで、冨永愛さんの信玄と一緒にパレードしていた。映画やテレビにも出ていた白須慶子さんだった。ふーん。どうりでキマっている訳だ。
そして、我に還ると先ほどの『不安』を抱えたまま喜寿庵に走って帰った。ふーっ。
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昭和99年9月9日
2024 SEP 16 15:15:35 pm by 西 牟呂雄

恐ろしや恐ろしや。9月1日はかの関東大震災の激甚大災害の日として永遠に記憶される日であるが、私はその前日に喜寿庵に向かった。
中央道に乗った途端、『カッ』と音がする。何か当たったのかと思ったらフロントガラスの右端に小さなヒビが入っていた。なんだよ、小石でも跳ね上げたのか。まぁ、いいや、とそのまま車を飛ばしたところ、その小さなヒビは見る見るうちに音もなく進んでいくではないか。着くころにはフロントの半分くらいに達していた。
そのヒビの進行は、どうも車にあるたわみが発生したとき、スッといった感じで数センチくらい進む。このままでは端から一直線に亀裂が生じそうになって慌てた。
何とかスピードを落としながらたどり着いて事なきを得たが(問題は全く解決していないものの)いやな気持で寝入った。
翌、9月1日は防災の日である。しかし二日酔いにより昼前まで熟睡していた私は、何かが落下したような大きな音で目が覚めた。屋根でも落ちたのかと周りを見ても何もない。おかしいな、と思いつつボケた頭でテレビをつけると、ローカル・ニュースでちょうど速報が流れた、富士五湖地方で震度4の地震!地震も近いとあんな音がするものなのか。
関東大震災の震央がどこか、というのはいくつかの説があって、その一つに富士河口湖という説がある。あそこが震源で巨大地震が発生したら、崖の上のここはイチコロ。ましてやそれが富士山の噴火でも引き起こした日には噴火口の向きによってはこの辺全滅だ。宝永の噴火の時は東を向いていたので助かった。
話は戻って、9月1日は台風通過後の土砂降りだった。桂川は茶色く濁った濁流となり、川幅一杯まで水量が増えた。ここは10m以上ある崖の上だから水害の心配はないものの、ニュースではしきりに土砂崩れを伝えている。多少気になって捨てようとした割りばしを崖っぷちに差し込んでみた。すると気味の悪いことにスーッと刺さってしまうではないか。要するにスカスカな土壌の上にいることになり、地震の衝撃とそれに伴う土砂崩れの二重のリスクにさらされ続けているわけだ。
ほうほうの体で帰京し(無論ガラスのヒビに注意を払いつつ)どんなものかとディーラーに寄った。因みにここで買った3台を廃車にしてしまい、どうも私のことを秘かに『廃車王』と呼んでカモにしていることを知っている。ナメられてたまるか、と気迫を以て乗り付けた。
『この傷、まだ持つかなぁ』
と白々しく聞くと、待ってましたとばかりにまくしたてられた。
『冗談じゃないですよ。ほっといたら全面ヒビだらけになって真っ白になりますよ。今のガラスは簡単に砕けちゃくれませんからね、運転どころじゃない。しかもこのシトロエン、もう型落ちしてフロントの在庫が国内にあるかどうか・・・。アッ、それどころか車検もう切れますよ。気が付いてよかった。前が見えなくなって事故っておまけに車検切れだったら下手すると交通刑務所行きですね』
勝負は一瞬にして決まり、車はそのまま引き取られ、又も法外な金を取られることに。
艱難辛苦はまだ続く。さる事情により仏壇を修理に出すことになった。実は喜寿庵にある古い仏壇を処分して、もっと小ぶりな可愛いものに変えようと考え業者を呼んだのだった。今から考えるとこれが間違いの元と言えなくもない。
この仏壇は私から3代前の曾爺様が拵えたもので喜寿庵よりも古いから始末に悪い。現れた仏壇屋は抑揚たっぷりにこう言った。
『何ですかこれは。いや驚いた、こんなもん今じゃ作れませんよ。第一職人がもういない。捨てる?冗談じゃありませんよご主人』
『引き取ってもらえませんか』
『お勧めできませんね。これはだれがお作りになったのですか』
『私の3代前ですが』
『ご主人はおいくつなんですか』
『もう古希ですよ』
『では明治時代の造りですね。うん、京都に関係ありますか。これは関東ではできません』
『ありますね』
しばらくこの調子が続いた。結局仏壇屋さんの熱意に負けて修理に出すことに。
ご案内の通り、仏壇というのはものすごく重く作ってある。そして、これは知らなかったのだが組み立て式になっていて、全部解体できるのだ。そこで一緒になって解体してヨッコロショッとばかりに取り合えず庭まで運んだ。すると裏側に墨痕鮮やかに『明治廿壱年 〇〇〇〇〇出展』などと書いてある。ここでまた仏壇屋のオベンチャラが始まった。
『ははあ、この年の出展というと江戸期の職人さんが油の乗り切った時代に造ってますから云々』
もうわかったよ。
更なる衝撃はその下の台の部分にあった。一番下の台をずらしたところ巨大なネズミのミイラがペシャンコになって姿を現したのだ。一同『アッ!』と声を上げ、今にも動きそうなそのミイラに腰が抜けた。その証拠にそれまで部品を写メで撮っていた業者も私も写すのを忘れた。
落ち着いてから、なぜこのデカさのネズミでここに死んでいるのか皆で話した。最も恐ろしい仮説は、体の小さかった頃に忍び込んで、クモとかゴキブリを食べて体が大きくなって出られなくなり、それを支えるだけのエサにありつけずに餓死した、というものだった。そうだとすればこのネズミ存命中にこいつに向かって手を合わせてお線香をあげていたことになる。無論不愉快千万だが、ネズミは成仏したことだろう。
この日は9月9日の月曜日だった。ん?待てよ。今年は昭和換算では99年では。9999の並びとは、あのネズ公はダミアンか。
その後、仏壇修理代と車の見積もりに苦しめられている。更にこれから・・・・。
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レイモンド君の夏休み
2024 SEP 1 0:00:05 am by 西 牟呂雄

ヒョッコリ先生のご葬儀で帰国していたレイモンド君一家はそのまま夏休みを取っているようで、喜寿庵の周りを掃いていたらまた会った。お父さんとお母さんと一緒だった。
『先日はご愁傷様でした』
『痛み入ります。お陰様で大往生でした。最後は一週間くらい食を断ちましてね』
『ほお、お覚悟を決められたのですね。大したもんですな』
『それがのどは乾くらしいんですよ。で、水をもって言って飲まそうとすると「バカヤロウ。ビール持ってこい」ですからね。医者も仰天してました』
『ああ、喪主さんも仰ってましたね』
『人間ビールだけで一週間は生きられるもんなんですなぁ』
『・・・・』
レイモンド君は何のことかわからない、といった表情で見上げていると急にうちの庭に駆けだした。お父さんもおかあさんも慌てた。
『あっ、コラコラ。かってに入っちゃダメ』
いや、いいですよ、と言いかけてやめた。この手で何度も子守させられた。
『トゥダーイウィスヒム』
またコクニーを喋った。この子どういう環境に育っているんだろう。
それにしても、しばらくは一緒にいなかったとは言え、ひいおじいちゃんが亡くなったのがこの子にはどう伝わっているのか。物心がついたといえ4才そこそこだ。レイモンド君は悲しければ泣く、楽しければ笑う。
青い相模湾は多少のうねりはあるものの、小網代湾に少し入ってアンカーを打てば静かなものだ。ラットを任せて僕はレイモンド君を抱えながら舳で波の音を聞いていた。レイモンド君は死の恐怖も何もない。溺れるという実感もないから平気で歩き回るし海を覗き込んだりする。心配になった僕は子供のライフジャケットを着せて浮き輪も持たせる。すると艫の方からいきなり飛び込んで慌てた、後からすぐに飛び込んで捕まえるとケラケラ笑っている。湾の入り口は潮が早いからこんな軽い子供はアッという間に流されてしまう。
喜寿庵のあたりは旧盆だ。暑い夜に盆踊りの音色を聞きながら木戸門の前で小さな送り火を焚いた。この頃は送り火セットのようなものが売られていて苦労して薪を積み上げることはしない。一人でぼんやりとヒョッコリ先生のことを思い出していた。
そこに偶然レイモンド君一家が盆踊りを楽しんだ帰りに通りがかった。
『こんばんわ』
『オヤ、こんばんわ』
挨拶を交わしているとレイモンド君が走ってきてギューッとしがみついてきた。僕達は友達なのだ。
『コラコラ、だめでしょう』
とお母さんがたしなめる。
『はっはっは、いいんですよ。よし、一緒に花火をやろうか』
僕は花火が好きで一人でもよくやるのでたくさん買い込んである。実は夜に芝生の上にいるときに点けると蚊よけに絶大な効果がある。更に僕の天敵であるモグラの駆除にも大変に役に立つ。モグラの穴に点火して突っ込むと思わぬ処から煙が上がってその一帯の巣は駆除できる。
ご両親も一緒に芝生の上で花火で遊んだ。色が変わるところが面白いらしく手に持って走っていく。とりわけ箱型で置くタイプで、火花が吹き上がるタイプが好きらしく、しゃがんで見上げていた。そして呟いた。
『オージーチャンパストアウェ』
また謎のオージーがどうした、が口をついている。お父さんに聞いてみた。
『オージーってオーストラリア人の友達ができたんですか。コクニィみたいな喋り方ですし』
『アハハ、そうじゃありません。大お爺ちゃんって言ってるんですよ。ひいおじいさんのことを言ってます。盆踊りを見に行ってお盆というのは死んだご先祖様が帰ってくる、と話したので。近所のナーサリスクールに行かせているんですけど、そこはロークラスのエリアなんでキングスイングリッシュではないですしね。そのうち日本人学校に行かせますから放ってあります』
レイモンド君もヒョッコリ先生を思い出していたのか・・・。
そのうち先生の話をしようか、大お爺ちゃんの思い出を。
『イギリスにはいつ』
『あした東京に行ってあさってのフライトです』
そうか。またしばらく会えないんだね。
うっ、目が覚めた。以上は夢でした。
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ヒョッコリ先生 さようなら
2024 JUL 20 1:01:36 am by 西 牟呂雄

あっ、レイモンド君だ。久しぶりに見ると(1年振りかな)さすがに大きくなって一人で歩いていた。この子英国帰りだよな。よし、試してやるか。
『グッド・アフタヌーン』
『ヨーライ』
ん?なにそれ、英語?
『レイモンド君だよね』
『アーイ』
わかった。この子コクニィを喋ってるんだ。ヨーライとは you alight だな。
『ハウ・オールド・アー・ユー』
『ヨンサイデス』
ふうむ。何とかコミュニケートできる。日本語も前より喋れる立派なバイ・リンガルになりつつあるようだ。
『トゥダーイ・グランパ?(まてよ、ひいおじいちゃんか)』
『オッ、オージー・サマップ・・・ネンネ』
ん?オーストラリア人がどうした?するとお母さんが走ってきて大声を上げて呼んだ。
『勝手に走って行っちゃダメって言ったでしょ!』
お母さんは喪服をお召しだった。
『すみません、いう事聞かなくて』
『いえいえ、大きくなりましたね。帰国されたんですか』
『ええ。急な話で。この子のひいおじいさんが先日亡くなりまして取り急ぎ帰ってきました』
『えっ、先生が?』
『はい。お陰様で大往生でした』
『それはそれは御愁傷様です』
『これから〇〇寺で葬儀なんです』
呆然とした。あのヒョッコリ先生が逝ったとは。そうか、ご葬儀が〇〇寺なら近所だな。曇って小雨が気持ちよい。
昼メシを食べてブラブラと散歩がてら〇〇寺まで、先生との会話を思い出しながら行ってみた。するとずいぶん大勢の人が見送りに来たようで、本堂に収まりきらなくて境内にたくさんの黒い人だかりができていた。ふうん、人気のあった人だったのだな。
そしてちょうど焼香が終わったところで、喪主さんの挨拶が始まるところだった。初めて見かける顔た。レイモンド君のお爺さんで僕と同じくらいの年だろう、普段は東京にいてこちらに来ることは滅多にないらしい。
本日はお足元の悪い中、またお忙しいところ近しい皆様にご焼香していただいて父も満足したことと思います。故人になり替わりまして御礼申し上げます。
本日お見えの皆様には改めて父の事蹟たどる必要は無いものと思います。
晩年の父が大変に好んだ肩書が三つございました。
一つは『海軍兵学校76期会代表幹事』。この76期という年次は、入校時点にはすでに戦局が悪化し、サイパンは落ちておりました。そのため苛烈な教育を受け、2号生徒で敗戦を迎えました。兵学校は江田島です。従って直前の広島のキノコ雲を同期全員が目撃した年次です。そこでの体験はその後の父の人生に多大な影響を与えたのは想像に難くありません。思想的には海軍ふうの中道リベラル、息子の私が右ッパネですので「お前は少し危ない」と窘めることがしばしばありました。また、最期が近くなると悟って「ワシは海軍葬で送られたい」と言い出しました。まさか民間の我々が軍葬をやるわけにもいかず、本日皆様が若干の違和感を感じられる棺の軍艦旗や流された音楽は、せめて故人の意向に添ってやりたいという私達の思いとご承知ください。
二つ目は、長年奉職しました東京●●株式会社が功績のあったOBに与える『社友』です。戦後、荒廃した祖国の復興の一助にと入社したと聞いております。時期は高度経済成長の真っただ中で、需要家はどんどん増加し、インフラが次々と立ち上がる中、大変忙しくしていたことを覚えております。そんな中、先代を早く失くして若干30歳にして当主となったため、未亡人となった祖母並びに兄弟、そして我々家族を支えました。
三つめは、中央での仕事をあらかた片づけて活動の拠点をこちらに移した際、丁度地元の公立北富士総合大学の法人化を進めるため理事長を引き受け、その功績に対し与えられた『名誉市民』です。兄弟の中で最も地元に貢献したのはワシだ、と自慢しておりました。面白いもので、地方出身の学生さんを月に一度自宅に招き、夏はバーベキュー、冬はお鍋を囲んで話を楽しんでおりました。
さて、様々な御厚情を賜った中で父の人生に彩を添えたのは、こよなく愛した『酒』でありましょう。皆様お一人お一人にも故人と酌み交わした思い出をお持ちと思います。ひたすら楽しい酒との付き合いでした。今頃は先に送った弟達と車座になってニコニコしながら飲んでいるのではないかと慰めております。
最後に体力が衰えてベッドから降りられなくなり食事も喉を通らなくなったのですが、目が覚めると「喉が渇いた。ビール持ってこい」と言い、2缶位を「うまい」と飲み干しました。お医者様もさばけていて、もはや投薬の必要もないから飲みたいものを飲んでよい、とのことでしたが、まさかそれから10日余りも生きるとは思ってもいなかったようで驚いていました。最期は苦しみも痛みもなく、次第に息が細くなって天寿を全うした次第です。
概して明るく豪快に見えた父でしたが、ことに当たっては緻密に考えをめぐらし、丁寧に物事を運ぶ人でありました。
父は30台で当主となりましたが、跡継ぎの私は古希であります。この歳にして大きな柱を失ってオロオロするのは誠に情けない限りですが、まさに路頭に迷うような思いです。本日ご列席の皆様には、残された我々に故人の生前と変わらぬご厚情賜りますようひたすらお願い申し上げてワタクシの挨拶と致します。本日はありがとうございました。
そうか、もうヒョッコリ先生には会えないのか。ずいぶん立派な人だったんだ、知らなかった。
レイモンド君は本堂の奥でお母さんの膝の上にチョコンと座っているのが見えた。
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