Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 和の心 喜寿庵

戒厳令下のヨットやゴルフ

2021 MAY 9 21:21:34 pm by 西牟呂 憲

 人々はオリンピックを見たくないのだろうか。このチャンスを逃すと、例えば僕はナマでオリンピックを見ることはもうないだろう。そのせっかくの機会よりも自粛疲れによるドンチャン騒ぎの方が優先するのだろうか。池江選手につまらんSNSを送るな!
 居酒屋で酒類禁止とは、かの悪法である禁酒法時代のアメリカだな。この禁酒法によってアル・カポネが大儲けし、その後のマフィアの隆盛のきっかけになった。そうなる前にライフ・スタイル、ビジネス・モデルを変えてしまわないと、と知恵を絞ったが、何も湧かなかった。
 海は密にならない。ヨットは常に風を受けている。晴れてさえいればいやというほど日光を浴びる。コロナなんかねぇ。

オォ!

 でもって油壷に来てみれば,運悪くというか何というか快晴で虹まで見えるのに強風波浪注意報。ほとんどの船は外に出られずご覧の有様。クルーもヒマを持て余していた。ここは緊急事態でも蔓延防止でもないので店で酒が飲める。うちの船の連中は近くのお寿司屋さんに行ったらしいが、僕はキャビンで本を読んでいた。
「アッお久しぶりでーす」
 明るい声がして人が一人入ってきた。見たら若い女性で誰だか知らない人だ。
「えーと、みんな出ちゃって誰もいないよ」
「あたし分かりますか」
「ごめんなさい、誰だっけ」
「高校生の時に一度お目にかかってますよ」
「そうなんですか。そりゃ失礼しました」
「あたし就職して後輩になりました」

 一瞬の間が空いた。僕の最初の勤め先は荒っぽいことで知られる素材メーカーで、タコ部屋に押し込んだようにコキ使う。そこにこんな可愛らしいお嬢さんが勤めることは想像の範疇を超える。
「なんだってそんな無謀なことを・・・」
「昔お目にかかった時に伺ったお仕事の話が面白くて学校の先輩を訪ねたんです。そうしたらその先輩たちもみんなキレッキレであたしも行きたいなと」
「ふ~ん」
 目の前のお嬢さんが高校生の頃と言えば東南アジアをウロウロして随分危ない目にあっていた頃かな。キレッキレとはどういう意味だろう。そういえば同僚や先輩にブチギレする人物がたくさんいたが、そういう人という意味ではなさそうだ。
「で、今は何をなさってるの」
「✖✖製造所で△△課にいます」
「それは□□係ですか」
「いえ、▼▼係の方です」
 いや驚いた。僕が40年前にいた職場ではないか。しかし、時代は違っているに違いない。僕がいた頃はそれはそれは酒浸りの凄まじく野蛮な職場だったから、このようなお嬢さんに務まるはずはない。恐る恐る聞いてみる。
「○○○○の習慣はまだ続いてますか」
「噂には聞きましたが3年前には廃止されました」
「△▽△はまだ出入りしてますか」
「毎月いらっしゃいます。コロナのせいで接待はされなくなりました」
 やはり昔とは違うな。そしてそれは進化とか改革とかいう過程を経て世の中にアジャストした結果だから、僕も別に寂しいとも懐かしいとも思わない。デジタル化でもIT革命でもいい。ただモノ造りのスピリットだけは残してほしい。
 いろいろ話していると、随所にその片鱗が感じられて嬉しかった。そして改めて尋ねた。
「結婚されても続けますか」
「そのつもりなんですが、私は総合職キャリアなので転勤がつきものですよね。会社が配慮してくれるかどうか。今の彼は専門職キャリアなのでほとんど転勤はありませんから」
 そこだよな。彼女がキャリアを積むと、例えば子育てなんかが全部彼女の方にのしかかってしまうと無理が生じる。語族の協力、行政の補助、ご主人の理解、会社の配慮、そして何よりも子供さんの幸せが担保されなければ。社内結婚でもしたら勤務地が九州と北海道になることも、或いはどちらかが外国になってしまう可能性だってありうる。僕らの頃は家庭の状況も何も、紙切れ一枚でどこへでも行くように訓練されてしまった。本人の希望もクソも無かったものだ。
 暫くしたらクルーが帰ってきた。このあたりは緊急事態でも蔓延防止でもないから全員出来上がっていて絵にかいたような酔っ払いだらけ。乗り遅れた僕はあまり酒が進まず、ひと眠りして夜半に喜寿庵に移動してしまった。お嬢さんがんばんなさい、と声をかけて。お嬢さんはクルーの娘さんだった。

無残 戦死したキュウリの墓標

 一つには先日の霜にやられかけたネイチャー・ファームが気になったせいもある。東名高速で御殿場を経由すると、今は東富士五湖道路に直接乗れるようになったので、港から2時間はかからない。
 翌朝、早速ファームの点検に行くと丹精込めたつもりのキュウリが枯れているではないか。どうもここの土壌はキュウリと相性が悪い。
 今年新たにチャレンジしたニンジンは芽を吹いた。
 ニンニ君ことニンニクはやはり難しく歩留まり5割。
 ダイコンは順調。ジャガイモは霜害から復活。

新企画キャロット・フィールド

 キュウリの戦死に頭に来たのでゴルフに行く。ホームコースに行ったところ、何と駐車場はギッシリで東京のナンバーも多いではないか。だが、ここも密にはならないしお風呂は帰って入りゃいいんだからどうってことはない。酒も飲まないし。
 それはいいが、できるかどうか。するとある2サム組の了解が得られたのですぐぬ出られた。女性は金髪のオバサンでもう一人は角刈りのアンチャンという恐ろし気な二人、オバサンのエラソーなしゃべり方から店の従業員を伴ってのプレイらしかった。
「二人ともへたですし、コイツはコースに出るのは今日が初めてなんです」
 エラいのと組まされたもんだ。で、結論から言うとオバサンは本当に下手、アンチャンは驚くべきポテンシャルを持っていた。小柄なのだが何かのスポーツ経験者らしく、ドライバーで280ヤード以上は飛ばす。しかし3ホールのうち2ホールはOBだった。スコアはメチャクチャ.しかしロングホールで2オンしそうにない、バーディーと取りそうになった時は慌てた。オレの30年の精進は何だったのか。
 僕はと言えば、この日は苦手なホールはドライバーを打った後はPWとか7番Iとか1本だけでやるというゴルフに徹した。ロング・ホールだけはスプーンとクリークを使ったが、最近の課題は寄せのマズさだからだ。ピッチ・アンド・ランを磨くつもりだったがスコアは不思議なことにいつもながらのものになる。
 オバサンはヒーヒー言いながら、アンチャンは元気に走りながら、それなりに楽しくプレイできた。アンチャンにはマナーをいちいち教えてあげると大変に感謝されて、終わった時には又やりましょう、と約束した。

 こうして東京周辺をグルグル周っていれば戒厳令下でも遊んでいられる。かえって自由な僕の長いGWだったが、エート、仕事の方は・・・。

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ポツン 考

2021 APR 9 5:05:27 am by 西牟呂 憲

 膝丈まで伸びた笹やススキを刈り込んで畑を少し広げ、いよいよジャガイモを撒いた。今年のテーマは共生である。昨年の暮れに得意のニンニ君(ニンニクのこと)を15株植えて、その周りをキュウリ・ナス・ピーマンでガードし、外側をジャガイモで囲むという布陣だ。

 ついでに崖の傍の密林のようになった所もかなり開墾した.すると奥では自生したおそらく藤の木が複雑に絡みついた、なにやらグロテスクな姿になっていた。枝分かれしてまたその枝同士がからみつき注連縄のようになっていた。面白いのでわざわざ切ってベランダに転がしてある。活け花のオブジェにでもどうだろう、差し上げますよ。
 このエリアはこの70年くらいはだれの手も入っていない崖の上で、この直下で桂川が大きく蛇行している。切り立った岩の上に土がこびり付いたような痩せた所で、こんな見事な造形をつくるのにも感心させられる。
 この辺りはもうウチの敷地ではないらしく、妙な杭が打ち込んであるのだが面倒を見る人はいない。さりとて開墾しても勝手に耕す訳にもいかず意味はない。まぁ、今後の自然観察のフィールドにでもなるかどうか。ヒマに任せてログ・ハウスでも建ててみようか。

開墾スペース

 冬枯れのポッカリ空いたスペースはなぜか足元は柔らかく、長年積もった落ち葉が腐葉土になっている。この先はもう切り開けそうにないな。
 振り返って母屋を見やろうとして目に留まったものがあった。今まで気が付かなかった訳ではないが、こっちのアングルからみると実に場違いなものが生えている。何だろう。僕は植物は疎いのだが、ユッカという葉っぱの先が硬くとがった観葉植物が伸びそこなったような不格好なブッシュである。
 元々このあたりは檜を植えていたのだが、日当たりが悪くなり過ぎて数年前に十数本を伐採した場所だ。おそらくこいつは檜の根元にこっそりと根を張って小さくなっていたのに、檜が切り倒されていきなり人前に出てしまい、そうなったら実に居心地が悪く、植物だから殻に閉じこもることもできずに困っているに違いない。
 それは人間だって場違いな思いは散々味わうし、いつも何かが足りない思いはする。こんなことではいけないと反省はしても、無理に一歩踏み出せば体に一部が持っていかれるような気がして破れかぶれになる。

ポツン

 えっ?お前のことだ?失礼しました。度胸任せのアドリヴ一発だけじゃだめだよね。
 ともかく今まで目もくれていなかったが急に愛おしくなって水をやりましたとさ。
 大きく育てよ(これ以上育つかどうか不明だが)。
 その右隣に、昨年植林した桜が今満開である。
 ソメイヨシノよりも遅い仙台枝垂れで、高地なので今頃が見頃である。やっと根付いたと言うのか精一杯咲いて見せるのだが、どことなく儚げなのが気に入っている。『礼』と命名している。
 そしてこいつもポツン、なのだ。いっそもう2~3本並べてやった方が華やかだったかも知れない。ところが物の弾みでネコヤナギを挿し木してしまった。
 そして桜が咲き柳が新芽を吹く景色を私が見ることはできそうもない・・・。
 しかしこうも思うのだ。孤独であるからこそ美しくもある。この桜は好んで孤独になったわけではないが、気高く孤高を保ってこその映え方もあるだろう。

 よし、こいつを見てもう一花咲かせる気になったぞ。でっ、何しようか。

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レイモンド君と再会した

2021 APR 1 0:00:24 am by 西牟呂 憲

 ある日メールが届いたが差出人に心当たりがない。大変に丁寧な文面ではあるがどこか要領を得ない。『○○では父がいつもお世話になっており恐縮しております』などと書いてあるが、〇〇は喜寿庵のあるところで、誰かの世話なんかした覚えはない。なんだか事情があってどこやらに出張が決まりどうしたこうした、終わりの方に『コロナ禍によりほかに頼る親族もおらず、愚息の面倒を見ていただきたく』と結ばれていた。
 恐らくこの就職難に、誰かの勤め先をお願いするメールかなと思った。ご時世がらそういう頼まれごとはうまくいくはずもなく、参ったなと放っておいた。
 しばらくした休日にインターホンが鳴る。
「はい」
「あっ、こんにちわ。ワタクシ先日メールいたしました✖✖✖と申します」
「・・・エート」
「○○で父がお世話になっている」
「(あの不審なメールの人か。若い紳士じゃないか)ちょっとお待ちください」

何か背負ってる

と言ってドアを開けて、仰天した。小さな子供を連れていて、それはあのレイモンド君ではないか!するとヒョッコリ先生は✖✖✖という名前でこの人はその息子さんか、先生はレイモンド君のことを孫だと言ってたっけ。
「どうも初めまして」
「あのー、この子はレイモンド君ですか」
「はい。以前お世話になった」
「(お世話じゃねーよ。無理やりおしつけられたんだよ)いやー大きくなって」
「はい、もう一才で歩きます。実はですね、私たちは共働きなんですが女房が体調を崩しまして云々ーー(中略)--コロナも第三波が収まりませんし」
 要するに東京には頼る親族もおらず父(ヒョッコリ先生のこと)に相談したら僕のところに行けと言われたという事らしい。あのメールはそういう意味だったのか、冗談じゃない。ところでレイモンド君がやけに大きなリュックを担いでいるのが気になって『何を大事にそんな大きな物を背負ってるのですか』と聞くと、お世話になった時の使い捨ておむつと着替えだと言うではないか。いやこういうのには弱いんだ、オレ。更に青年も大きな包みを持っていて、それはレイモンド君用のごはんなのだそうだ。一日3回3日分が小さなタッパーに小分けにされていておやつも付いている。バナナを小さく切ったものとパンのようなお菓子だ。
 で、結論を言うとこの子を3日間あずかることになってしまった、折り悪く僕一人なのに。
 初日。1才の子供とはベビーからキッドになるころだろうか、レイモンド君は歩くようになってはいたが、スタスタとはいかない。そもそもこの年頃の記憶はどれくらい持続するのだろう。僕とレイモンド君は4カ月前には友達になった。知り合いの飼い犬は半年前に会った僕を覚えているが、1歳児の方はあやしいもんだ。抱っこしたら泣き出す。

 さっそく昼時になったので、お粥のようなパックと何かの煮込みみたいなやつをあっためて食べさせる。これはよく食べた。ミルクを温めてくれと哺乳瓶を渡されたのだが、温めるのが面倒なので常温の牛乳を飲ませると、すぐに寝てくれた。ここまでは順調だったのだ。
 異変は昼寝から覚めた時に起こる。『ふぎゃー!うんぎゃー!ぎゃあー』と泣き出したのでおむつをかえようとして仰天した。ひどくお腹を壊している。マニュアルに従ってペット用の敷物を敷き詰めウェットティッシュを傍らに脱がせたのだが、のたうち回るレイモンド君には手を焼いた。しかしまあ、こう言ってはナンだが我々のように酒・タバコ・刺激物・その他怪しげな薬や病気には侵されていない赤ちゃんだから、そんなに毒性のある排泄物でもなかろうテキトーにやっておいた。
 待てよ、ご時世は緊急事態の真っ最中だし万が一ここでコロナになられたらエライことになる。思い直してお風呂にお湯を張りぬるめのシャワーでレイモンド君を磨き上げた。そしてその状況は夜まで続き、その度に僕もお風呂に浸かること三度に及んだ。おかげでレイモンド君はすっかりお風呂で遊ぶことに慣れて楽しそうにしていたが。
 しかし一緒にお湯に浸ってしみじみとおもうが、この小さな体の中に大人と同じ五臓六腑がちゃんとそれぞれの繊細な機能を働かせ、小さな頭の中で脳が必死に成長しようとしているのだ。人間は何とも繊細な、いや生き物は皆見事な自然の造形か神の思し召しか。夜の7時にはグッスリ寝てしまった。

 2日目。あいかわらずお腹の調子が悪い。僕がミルクをそのまま飲ませていたが、検索してみると大人よりもはるかに腸の短い赤ん坊は常温の牛乳を直接飲ませると途端にお腹がゆるくなるらしい。『赤ちゃんムギ茶』なるものを買いに行った。無論レイモンド君を抱っこしてだ。意外と重い。
 本当にそうだったようで、昼寝からは元気になりヨチヨチ歩き回る。ところが危ないことがどういうものかまだ分からないので、何でもかたっぱしから手に取っては口に入れようとする。目が離せないとはこのことだ。
きのうお風呂に何回も一緒に入ったのでもうすっかり打ち解けてニコニコしているが、テーブルの上にあるものを取ろうとしたり、ピアノの鍵盤を叩こうと一生懸命に背を伸ばしたり。食べて寝て泣いて一日が過ぎた。夜半に帰宅した家人は散らかりまくった部屋のあまりの惨状と、そもそも何でキッドが僕と過ごしているかを理解できず唖然とした。説明するのにはもともと無理があるので納得がいかないのは仕方がないが、レイモンド君の寝顔を見てあきらめてくれた。

 3日目。どうも落ち着かない様子だ。僕は親切に仲良くやっているのだが、レイモンド君の方は『このオッサン、色々と世話を焼いてくれるけどいつも一緒だったパパやママとは関係ないんじゃねえの』という感じで一人で手当たり次第に引っ張り、叩き、投げるという破壊本能全開。参った僕は外に連れていくことにした。
 近所の公園ではよく保育園が園児を連れてきているし、それだけでなくお母さん方が子供たちをつれてシートを広げてお弁当を食べていたりする、この非常事態宣言下にもかかわらず。
 靴を履かせて公園まで抱っこして行った。地面に降ろしてやると、これが裸足で部屋の中を歩き回るのとは勝手が違うらしく、素人が初めてスキーを履いた時のようなペンギン歩きだ。この時も何組かのママ友グループがいたので僕もシートを広げ二人で座った。
 だがどうも変だ。何故か注目を浴びているようで居心地が悪い。オッサンとキッドの組み合わせがそんなに珍しいか。ハッと時が付いたが、僕はさっきコンビニで反射的に買ったビールを手に持っている、これか・・・・。
 一方レイモンド君は少し年上の子供達が遊んでいる方に一生懸命近寄っていく。ママ達は一段と険しい視線をオレに送っている。おいおい、オレは誘拐犯でもアル中でもないぞ。仕方なくシートを畳みレイモンド君を『ホラ、おウチに帰ろう』とそこらのママ達に聞こえるようにわざと大声で言い、担ぎ上げ退散したのだった。
 夕方連絡が入ってこれから父親が迎えに来るとなった。食料もちょうど3日分食べ尽くしたし、正直ヤレヤレといったところか。
 日が暮れる頃、例の青年がやって来た。
「いや、大変お世話になりました。申し訳ありません」
「(そりゃ大変に決まってる)いやいや、こちらも楽しかったですよ。レイモンド君じょうずに歩いてましたよ」
 そこへチョコチョコと歩いてきたら満面の笑みで青年にしがみついた。それっきり離れやしない。やっぱり寂しかったんだな。そう思うと、あれだけ面倒見た身としては微笑ましい、いやうらやましいかな。
 レイモンド君はチャイルド・シートに据わって(括りつけられて)帰っていった。車が動き出したときに一瞬困ったような表情になったようだったが、まっ気のせいだろう。また遊ぼうね。
 アッ、きょうは仕事をサボッちまった。あしたから働かなくちゃ。

喜寿庵紳士録 レイモンド君

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喜寿庵紳士録 レイモンド君

2020 DEC 24 9:09:00 am by 西牟呂 憲

 そろそろ会いたいなあ、と思う先輩・友人がいる。今年はコロナ騒ぎで春からは全く会えなかった。
 するとコロナ安全圏だった喜寿庵で珍しく新たに知り合った友人レイモンド君とはまた会う機会が来た。ここにもクラスターが発生してしばらく来られなかったが、ほとぼりも冷めたようなので久しぶりに来てみると。
 クラスター発生直後は本当に人っ子一人歩いていなくて住民がどこかに行ってしまったかのようだったらしいが、こういう田舎の地域は感染経路が分かりやすいので集中的に抑え込みが効いて3週間たった今では平穏な日常が戻っていた。
 ところでヒョッコリ先生は子守の手がなくなるとレイモンド君を連れて来る(先生は友人でもなんでもない)。困ったことにこの人はスマホも持ってないらしい。電話してアポを取ることなどなくいつもフラリと現れるのだ。そもそもどこに住んでいるのかも僕は知らない。もしかしたら僕がここにいるのを確かめてからやって来るのか。
 レイモンド君は何故か正装をしていた。

蝶ネクタイをしてる

「やあやあやあ、寒くなってきたね」
「(あたりまえだろ)もう年末ですよ。レイモンド君こんにちは」
「実はこの子の両親がコロナになっちゃってね」
「えっ、ミャンマーに行ったんじゃないんですか」
「(あわてて)そっそうなんだ。それで帰国したらイチコロで罹ったらしいんだ」
「(見え透いた嘘だな)2週間隔離された後にですか」
「そこんところは良くわからない。それでね、この子のお宮参りに連れていく人がいないということなんだけどね」
「(アンタが行きゃいいだろう)ほう、先生は忙しいんですか」

滋養様

滋養鳥居 高さ1m手造り

                                     
「キミの家の庭に手作りの鳥居があるよねぇ」
「(人のウチのことをよくしってるな)あぁ、私設の滋養神社のことですか」
「そうそう。キミが一人で踊りを奉納してるだろ」
「(ギクッ見られたのか)それより先生の実験室のある八幡様にいけばいいじゃないですか」
「いや、あそこはマズいんだ。僕がウロウロしているところを見られたくない。ということでちょっと半日この子を預かってお参りをさせてやってくれ」
「(そら来た)今日は僕も忙しいんですが。チョット出掛ける用事もあって」
「よしよし、レイモンド。一緒に連れてってもらえ。これね、寝ちゃったときの着替えとおむつと離乳食なんだけどね。まぁ、すぐ迎えに来るから」
 例によって勝手なことを言って赤ちゃんを僕に抱かせた。やられた。
 レイモンド君とは3月ぶりで、心なしか少し締まったというか痩せたのかもしれない。
 ともあれ、お宮参りということで滋養鳥居の前に行き二人で踊りを奉納した。何の踊りにするか迷ったが七五三が過ぎたので仕方がない、七五・三十五から七五三を引いて十五の奉納踊りを舞った。
 さてどうしよう。久しぶりのレイモンド君は、やはり僕を忘れてしまったのだろう、初めは珍しそうに踊っていたが(抱かれていただけだが)家の中に入った途端泣き出した。わかった、3か月前に会った時はテレワークばかりだったので無精髭を生やしていて今と表情が違っているのだ。それはともかく、僕はいつかこの日が来ると思い秘密兵器を準備していた。今時の若い親御さんは与えることはないおもちゃ、デンデン太鼓だ。ところがせっかくやって見せてもちっとも面白がらず口に咥えようとしてばかり、危ないから取り上げるとまたフンギャーである。
 ようやく落ち着いたところで二度目であるが喜寿庵を案内した。やはり覚えてはいないようでキョロキョロしている。
 座らせてみると何かに掴まって立ち上がろうとする。ソファーの端っこを一生懸命つかもうとするのだ。これが大変で、まだハイハイも覚束ないから寄っていこうとするのに前に進めない。「アギー」とか「グー」とか言いながら匍匐前進していた。挙句の果てにつかみそこなってゴンッと音を立てて顔面を床にぶつけた。
『フンギャー』
 今度は抱っこしても泣き止まない。仕方ないのでこの際おしめも替え、ミルクの飲ませたらゲップと一緒に少し吐いてしまった。ついでに着替もしたら機嫌が直った。フー。

笑ってる

 それから二人で遊んだが,赤ちゃんというのは愛されることが商売だ。従って無償の愛しか受け付けないのではないのか。僕は勝手に友達になったと思っていたが、愛情は一方向でもありうるが、友情は双方向でないと成り立たない。
 ヤンキー娘が早くに結婚して子供を産むが、さっさと離婚して次の男ができる。するとその相手が連れ子を虐待するという痛ましい事件が結構多い。次のアンチャンにしても赤ちゃんもしくは3歳未満の子供はかわいいものの、無償の愛情は注げない。泣いたりグズッたりするのを我慢できなくなって思わず手がでる。チビちゃんに友情を持とうとしても応えてもらえないのだ。
 僕は既に(レイモンド君は忘れていたようだが)友達になる段階はクリアしたので、後は覚えてもらって親しみを感じてもらえばいいわけだ。幸い僕の方はヒマで時間だけはあるから毎日でも一緒にいられればすぐ慣れてくれるのに。しかし次にいつ会えるのかは分からない。
 分かった。そもそも赤ちゃんと前期高齢者とでは流れる時間が違うのだ。赤ちゃんは記憶力が発達していないから毎秒毎秒新しいことの洪水に浸かっているようなもので、こちらが心待ちにして再会してもワン・オブ・ゼムでしかない。。友情を育むにも時間はかかるだろう。
 まっ、あと10年くらいかけて親友になろう。それまで生きてるだろうか、オレは。

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喜寿庵周辺クラスター発生!

2020 DEC 12 0:00:14 am by 西牟呂 憲

 2020年はコロナに始まりコロナで終わる。この間、無念にもお亡くなりになった方に深く哀悼の意をささげるとともに、最前線で治療に当たっておられる医療関係の皆様に心から感謝と敬意を表します。
 今年の初めに僕の信仰する『滋養様』からのお告げを書いています。

令和二年(令和初) 滋養神社お告げ


 これが、コロナ禍を全く予言できずに、なおかつ内容も全部と言っていいほどの外しっぷり。100点満点中0点という前代未聞の結果に終わりました。滋養様の力が落ちたのか、予言の受け手であるワタシの霊力が落ちたのか。とにかく自粛に塗り込められて1年が過ぎようとしています。
 それにしても、ノストラダムスでもエドガー・ケイシーでも著名な予言者でこの厄災を予言したと思われる字句はないのだろうか。かつて流行ったものをザッと検索しても今のところ見当たらない。従って滋養様や私だけが外したわけでもない、と言えるかな。

 それが、ですぞ。今までほとんど陽性者がいなかった我が山荘・喜寿庵のある地域でついにクラスターが発生したのです。市街地の中心部にスナックが固まっている所がありますが、そこの従業員とお客さんに陽性者が出ました。聞くところによると、その後どういう経路か知らないですが高校に飛び火して教員も生徒にも患者が出たそうです。
 かのスナックは結構繁盛していて前後一週間に数十人の接触者がいた、感染したお客さんはゴルフ帰りにカラオケをやって陽性になった(そのゴルフ場は私のホーム・コース)、街は全く人通りがなくなった、コンビニもスーパーも買い物する人がいない、らしいのです。幸い喜寿庵周辺には陽性の人はいません。しかしあの辺は極端に人口密度が低いので参考にならず、週末に行くのも憚られます。この冬のスノボのリフト待ちや4人乗りクアッド・リフトは密じゃないのか(スノー・リゾートまで車で30分の近さ)。しかしねぇ・・・、ここ吉祥寺でも近くの病院でクラスターは発生したし、週末の人出はそんなに減ってないようですよ。

 飲み会は全く無くなり、半年は山籠もりでリモート暮らし、船には3回程乗ったが航海には出ず、運動は少しゴルフをやっただけ、癌は再発していませんでした。それどころか体重は増え、中性脂肪の値が危険水域にまで上がり、日本ハムファイターズは最下位争いの5位。読書量は変わらず、文庫・新書を中心に活字だけは追っています。
 しかし、あの酔っぱらってやるドンチャン騒ぎがなくなったのは悪いことばかりでもないですね。ひどい二日酔いと自責の念にかられることはありませんし疲労感も大したことない。翌日「こんなこと口走ってたぞ」と言われて青ざめる心配もない。

 直近見つけた数字では足元のコロナ・ピーク対応で全従業員(事務方)の30~50%がテレ・ワークだ、とあります。すると日頃から同僚などと気軽に話す機会をあまり持たない人達の方にストレスがかかると言われています。こういうタイプの人は承認要求が満たされなくなって心理的負担が重くなる。今までは従来柄の長時間労働によってそのストレスから逃れていた、という理屈です。
 実に農耕社会の形態が色濃い日本の企業文化です。しょっちゅう天気を気にしつつ、左右に目配りしながら黙々と作物の育てるプロセスは村社会=企業文化の等式が成り立ち得ます。
 余談ですが、実はこの常時仕事中のようなダラダラ長時間勤務こそ日本のお家芸であり、高度経済成長の原動力だったと筆者は考えています。この方式は白人にも黒人にもできない。黄色人種でも日本人だけです。しかしもう通じない。ダラダラやる仕事はデジタル化されるからです。
 話を戻して。上記のストレスをためやすい人というのはおそらく口を開けば自慢話ばかりしてウザがられるオヤジですね。同じ話を何回もループしたりもする。突然キレて怒鳴り散らすパターンもある。従ってリモートになると顔を合わせなくてすむので周りは喜ばしいでしょう。コロナ騒ぎで暴露された弱さをアジャストするヒントは足元にあるはずです。
 ダイナミックな仮説ですが、いきなり全部をリモートにしても生産性は上がらない、むしろ下がると思います。まず大きな組織では成果が偏ってしまう。小さい組織はある程度は効き目があります。ですがそれがリモートの効果では全くない。そもそも小さい組織は初めから無駄な管理コストの削減幅は小さい。スタート・アップ企業でもそうだと思いますが、ベンチャーの成功率は30%以下ですからデータも少なすぎます。稼ぐことはできてもユニコーンにはならないベンチャーは中小企業のことですしね。
 それでは「比較的大きな組織でイノベーションを起こす」というテーマだったらどうでしょう。これも人によるのです。例えばテレワークで家に引きこもってインスピレーションを得る人もいれば、人と喋りながらヒントを得るタイプもいる。自説に固執して他の意見を全く受け入れないのはどっちの環境でもダメ。
 それどころか家に籠ったがためにかえって仕事に縛られて勝手に長時間労働にのめり込むかもしれない。挙句に家庭崩壊になったり精神のバランスを崩したり。
 すると両方の中間を取るような『ワーク・ステーション』のようなスペースができたりして。郊外・あるいはリゾート地の傍にIT環境の整ったフリー・スペース(図書館の自習室をゆったりとさせた感じか)に出勤し、そこには全く異業種の人達が集まるでもなく仕事したりメシを食ったり。疑似職場というかバーチャル・オフィスというか分かりませんが、そこに出勤するのはどうでしょう。

 それで『お前はどうするんだ?』ですか・・・・。働かないのがいいけど。
 それで喜寿庵にも行けないんじゃ今週末はどうしようかな。

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喜寿庵紳士録 不思議な酔っ払い

2020 DEC 1 0:00:13 am by 西牟呂 憲

 先日ホーム・コースでゴルフをした。喜寿庵から車で10分だから、天気を見てから電話で『今日はやれますかね』と聞いてうまく空いていれば回らせてくれる。ラッキーなことに『ラウンドはちょっと混んでますけど午後ハーフなら入れますよ』とのことなので、ハーフだけやったのだ。
 そういう時はロッカーも使わず、そのまま近くの温泉(これはゴルフ場から5分)に浸かって帰る。
 気分よく温泉にも浸かってお惣菜を買いにスーパーに寄った。まだ3時半過ぎである。駐車場で一服していたら、見るからに怪しげなオッサンがフラフラ歩いて来る。手には日本酒のパック、定まらない視線、これはヤバい。ところがそのままこっちに向ってくるではないか。その時の僕のいでたちは、ゴルフ用にしているチノパンにポロシャツ、ジャケットを羽織っていた。オッサンは短く刈り上げた髪に真っ黒な顔、ジャンパーの背中には何やら不気味なデザイン、業界でいう極めて頭の悪いファッションである。そして『先輩(チンピラが話かける常套句)先輩』と距離を縮めた。なんだこいつは。
『レッド・ツェッペリン知ってるっしょ』
はぁ~~。目は完全に据わっている。
『まあ知ってるけど』
『あのね、ジミー・ペイジも腹が出たんだって。ケケケケケケ』
 いや、これは相当危ない。どうも年格好は似たところではないだろうか。さっさと切り上げよう。ところがオッサン、ニターっと笑いながら、
『いや~ハード・ロックやってたんでしょ~』
 等とヤケにうれしそうなのだ。

ディープ・パープル

『あぁ、ちょっとやってたよ。ディープ・パープルとかさ』
これがまずかったようで、オッサンは満面の笑みを湛え『ジャッ、ジャッ、ジャー、ジャジャ、ジャジャ-』とスモークオンザウォータのイントロをエア・ギターで口ずさむ。左手を見ると正しいコード進行を抑えているではないか。
 普通だったらここでベース・ランニングを僕が口ずさんで二人で共演するのだが、今は相手が悪い。しょうがなくて愛想笑いをしながら車へ逃げ出した。

 落ち着いたところで暫し考えた。こんな山の過疎地でもハードロックのファンはいるだろう、それはいい。昼から酔っ払いがいるのも良しとしよう。
 問題はそのイカレポンチがゴルフ帰りにジャケットを羽織っている紳士の私に何故寄ってきたか。そして昔バンド野郎だったことを見極めたように話しかけたのか、である。幾つかの理由を胸にてを当てて考えた。
➀ 私のたたずまいが、どんなアホでも受け入れてくれそうなほど慈愛に満ちていた。
➁ 一目で私がアート系の殺気を放っていた。
 どちらも違うだろう。考えたくもない第3の原因を出さざるを得まい。
➂ その昔バンド屋だったオーラが出ていた。
 仮に、仮にそうだとしても何十年も前の雰囲気がいまだに残っているとは思いたくもない。しかしながら目下のところ思い当たるとすれば、当時の仲間とは今もしばしば付き合い、ギター談義や矢沢永吉のモノマネに明け暮れているから、往年の悪癖が滲み出てしまうのかも知れない。
 であればこれは非常にマズい。なぜならこのコロナ禍でここのところそういう集まりが無いにもかかわらずバカなオーラが消えない、ということか。いかん。早くこの邪気を払わねば。
 早速、そういった仲間にメールした。各カクシカジカ云々だったのでキミ達との付き合いは改めたい、今後はもう少しアカデミックな話をするように、とね。
 すると奴ら(3人)の反応たるや反省のカケラもないふざけたものだった。英語でロックンロールの歌詞を寄越す奴、その話しかけたオッサンの素性を推測し現在の職業を予想する奴、それは酔っ払った私が姿見の鏡を見ていたのだろうと言った奴。私は深いため息とともにロクな仲間がいないことを悟った。
 前期高齢者を踏み出した今、心新たに第二の人格に昇華することを誓わざるを得ない。但し、今さらこの年で修復不能なものは除く、例えば酒癖とか。
 まずはブログから・・・。

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友達ができた

2020 SEP 29 8:08:03 am by 西牟呂 憲

 かねてからブログにも書いているが、僕はもう積極的に友人を増やそうとはしていないし、そういう機会は極力避けている。ただ、偶然知りあって仲良くなるのを拒むほど偏屈でもない。
 そもそも学校に通ったり就職したりして嫌でも顔見知りになる人数は何千人にもなるが、1人の人間が長く親しむのは常に百人を超えないのではなかろうか。チーム・メイトもクラス・メイトも同僚も、環境が変わってもそのうち何年かに一度会うくらいになっていき、前期高齢者になる頃はレパートリーは減る。
 親族は年上から減っていくのは仕方が無いが、決行結婚やらお目出たやらで総数は一定、むしろ少子化の趨勢でこちらも冠婚葬祭は減少気味といった感じ。
 うまくしたもので、こちらもしょっちゅう飲み歩くのが辛くなってくるし、今更そういう機会を増やすこともなかろう。例外は子供のトモダチができるケースかな。ところが喜寿庵で月に一回集って御飯を作って食べる北富士総合大学の学生さん達との交流も、このコロナ騒ぎで途絶えたまま。

先生とレイモンド君

 などと喜寿庵で思いを巡らせていたら、やはり現れた。ヒョッコリ先生だ。それが驚いたことに赤ん坊を抱いている。
「やあやあやあやあ。元気かね」
「きょうはペットのピッコロやマリリンは一緒じゃないんですか」
(注;以前は同じ名前の男の子と妹を連れていたはずなのだが)
「うん。いやこの子が一緒だから置いてきた」
「お孫さんですか、この子」
「名前はレイモンド君。孫どころか曾孫じゃ」
「(なんだ、家族がいたのか)わぁ、かわいいですね。レイモンドちゃーん」
「うーぎゅ~~」
「早速なんだがね、きょう一日この子預かってくれんか」
「(またとんでもないことを)はぁ~」
「この子の親は今ミャンマーに行ってて、それでしばらくワシのところにいるんだけど、色々とローテーションの都合で月に一日くらい手が足りないんだ。キミは信用できると見込んでの頼みだからよろしく頼むよ」
「(また勝手なことを、前はことわりも無くバーベキューをやってたな)それは・・・今僕一人なんですよ。泣いたりしたらどうしようもないでしょう」
「キミィ!人の親だろう。何とかしなさい。赤ん坊には喜怒哀楽のうち『喜』と『怒』しかないことぐらい知ってるだろ。泣くときは怒っていてできることはおしめを代えるかミルクを飲ませること」
 と言っておしめとキャップ装着型の缶ミルクをいくつか出してテーブルに並べた。
「ホラホラ、おじさんが遊んでくれるよ」
 と言いながら赤ちゃんを僕に抱っこさせるのだ。

先生撮影 笑ってる

 レイモンド君はギューッとしがみついてきた。何だか安全を確かめているようでこちらもヒシッと抱きとめてしまった。
「それじゃよろしく」
「(まだ、わかりましたと言ってないだろう)チョット待ってください。ちゃんと迎えに来てくれるんでしょうね」
「きょうの夜までには来るから心配しなくていいよ」
 と言ってスタスタ出て行った、おいおいおいおい。あと10時間もあるじゃないか。
 取り合えずこのまま抱っこしていたが、この子重い。しかもしがみつくだけじゃなくてTシャツの袖を噛んでいる。仕方なく畳に座布団を敷いて寝かした途端に『ふんぎゃ~』と大声で泣き出した、怒ってるのか。すると見る見る大粒の涙が頬を伝わっているではないか。ヤバイ、と早速おしめを代えようと脱がそうとするが、そっくり返ってどうにもならない。もう一度抱っこしたら泣き止んだ。参ったな。
 しばらく家の中をウロウロしてみると機嫌が直った。いくら赤ちゃんでも環境が変わったのは気になるのだろう、キョロキョロと天井を見上げたり、家具を触ろうとする。不思議なものでこちらも『それは電気スタンドだよ』とか『ここはお風呂なんだ』と話しかける。すると姿見の前で『ア~ア~』とか反応を示した。
「レイモンド君、これは鏡でレイモンド君が映ってるんだヨ」
 と教えてあげた。どうも鏡の向こうにも現実の世界があると思ったらしく、一生懸命手を伸ばしているのでその前で遊んでみた。不思議そうに触ってみている。

鏡で遊んでる

 と、いきなり鏡の向こうに行こうとしてガンッと頭をぶつけまた『ふんぎゃ~』と泣き出してしまった。だが今回はすぐに立ち直って嬉しそうに、かつ真剣な顔で触ったり叩いたりしはじめた。
 その後、本当にお腹がすいたらしく例のミルクを飲んだり、しがみ付きながら寝たり。目が覚めると仰向けのまま足の指を咥えるという離れ技までしてみせた。慌てて検索すると『生後半年くらいの赤ちゃんは足が自分の身体の一部だということがわかる』のだそうだ。ちなみに赤ちゃんがしがみついたまま寝ると、体温の高さで二人とも汗だくになる。
 それから暗くなるまで庭に出たり僕が昔使っていたオモチャ(なぜか押入れにあった)で遊んだりして過ごした。まだハイハイもできないのにオモチャをいじったり鏡で遊ぶのは実に楽しそうで、思い通りにならないと考えている。

寝てくれた

 午後7時、先生が迎えにやってきた。何だ酔っ払ってるじゃないか。乳母車を押してきた。
「やあやあやあ、どうもありがとう。いい子にしてたかい」
「(いい子もクソもないだろ、赤ん坊なんだから)まぁ、こんなもんでしょうね。よく泣きよく遊びよく飲んでよく寝ました」
「そうかそうか。あのね、また時々頼んでいいかな」
「(そらきた。図々しいにも程があるだろうに)もちろんですよ。いつですか今度は」
「それがワシも色々忙しくてね。予定は立たないんだが、再来月くらいかな」
「(嘘つけ、ヒマなくせに)事前に言ってくれないといないかもしれませんよ。僕も仕事があるし」
「まっ、その時はその時。ほら、帰るよ」
 レイモンド君を乳母車に乗せてあげた。何だか心なしか眼差しが淋しそうに見える。
「じゃあね、また遊ぼうね」
 先生とともに帰っていった。
 何が、赤ん坊には『喜』と『怒』しかない、だ。ちゃんと『哀』も『楽』もあるじゃないか。僕とレイモンド君はトモダチになったのだ。早くまた来ないかな。

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真夏のネイチャー・ファーム

2020 AUG 23 0:00:08 am by 西牟呂 憲

   炎天下 汗したたるや 色野菜

 暑い!熱波が押し寄せたネイチャー・ファームのかわいい野菜達も青息吐息。
 不思議なことにナスは去年ほど出来が良くなく、長梅雨の影響かとも思われたが、ピーマンの方は豊作で取れ過ぎるくらいたわわに成っている。
 昼間に水をやってもすぐ乾いて熱を奪ってしまうので朝やるわけだが、これが結構な重労働で作業着がグッショリになってしまうほど汗をかく。まさに汗と涙の果実である。

新種か?

 今年のチャレンジはこれだ。見たこともない新種の野菜に思った方、違います。
 実はこれキュウリ。過去何回も失敗したキュウリが収穫できた。
 今まではネットを張るのが面倒だったのでそのまま地面に這わせていたが、年に1本2本の収穫でダメになっていた。
 それで今年は脇に生えてきた竹を切って葉を落としたものを立ててみたところ、御覧のような一見ハイブリッド・キュウリが育った。遠くから見ると奇怪な植物が人の背丈よりも高く伸びているように見える。ただ、このキュウリ、あんまりおいしくはない。
 そろそろ秋蒔きダイコンでも始めるかな。
 しかし梅雨が空けてしまうとこのエリア、今度は夕立も降らなくなった。

 それにしても熱波といっていい暑さだ。ここではこの時期になれば夜は涼しいはずが、風のない日は眠れないくらい暑い。
 そうは言ってもお盆が過ぎたのは日の傾きでわかる。コロナも収まらないおかげで夏は台無しになり船の航海も中止になった(ここにいる分にはコロナは関係ないが)。これで一つ年を重ねるとは前期高齢者となった身にはもったいないとさえ思う。
 桂川のせせらぎは涼しげだが、音だけ涼しげでもこの暑さは堪える。
 誰も訪ねてこない。
「やぁやぁ」
 ワッ、ヒョッコリ先生だあ!
「また変なことやってるね」
「(何かイチャモン言うつもりだな)いやあ、どうですたまには冷たいモノでも出しますよ」
「おっ、いいね」
 引っ掛かってくれた。待てよ、話が長いと困るな。

この項

ヒョッコリ先生 戦争を語る

に続く

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(追記 収穫されたオバケ・キュウリ)

喜寿庵十石(じゅっせき)

2020 JUL 11 0:00:14 am by 西牟呂 憲

 結構な間、喜寿庵で過ごして滅多に出なかった街中を歩いた。するとやはりそれなりの歴史があるところなのが分かってきて面白い。実は博物館もあって増田誠という人の作品が常時展示されている。
 古いものがアチコチに散見されたので、以前アップした十景以外にも載せてみたいものが集った。『石』にこだわって十石(じゅっこく ではない)とした。

可愛らしい

 街中に用水路が通っているが、江戸初期の大名である秋元泰朝が開削した。
 僕の子供の頃にはそこから水を引いたり生活用水にしていた家があったが、その用水路のほとりで見つけた。ここは山麓地帯なのでその流れは速く大雨で増水すると危険であり、大雨の時には犠牲者が出ている。
 50年くらい前に、我がネイチャーファームのすぐ横に放水路を作って桂川に落とす工事が行われたことを覚えている。
 これはおそらく事故に遭った人を慰める為に寄進されたのではないか。
 その姿は多手であるので金剛夜叉明王(6本)か軍荼利明王(ぐんだりみょうおう、8本)のどちらかのはずだがよく見えない。
 普通はお地蔵様のところが、何かの謂れがあったものなのか。
 小さくてチョット見とてもかわいいのだ。

着衣のお地蔵さん

 こちらは桂川に降りて行く坂(富士見坂)の途中にあるお地蔵さん。
 子供の頃から在るのは知っていた。崖の中腹にいるのでチビだった時は随分高い所にいらっしゃるな、と見上げたものだった。
 そして、どなたが面倒を見るのかは知らないが、御覧のように赤い衣を身に付けていらっしゃる。
 実はこの直ぐ下に釣り橋があるのだが、伊勢湾台風の時に流されている。1959年だから僕の4歳半の時で、流されたのを祖母と見に行った。雨の降りしきる中だった。伊勢湾台風は9月26日とあるから、幼稚園はサボッて東京には帰らなかったのだろう。
 赤い着物を着せている所に何とも愛情が感じられるが、小さい子が犠牲になったのでなければいいが。

孔子様??

 一瞬トーテムポールかと思って前に廻ったら違った。
 頭に被っている物や両手で前に何かを持っているところ、いわゆる中国風の姿だが、これを見つけたのはさるお寺である。
 この街は人口密度の割りに不思議と神社仏閣が多く、一画に何軒も並んでいたりする。神社は山際のところで石段を上がって行くと鎮座しているのがこれまたたくさんあって、時期をずらしてしょっちゅうお祭りもある。
 そしてどれもこれも大した見栄えはしないが由緒だけは正しく、かなり古くから人々の営みがあった。
 何しろ縄文時代の遺跡が、それも発掘されていない環濠集落まで発見されている。
 お寺はオープン・スペースだから出入り自由なので忍び込んで撮った。

ボール・ストーン

 こちらは通いなれた菩提寺に置いてある石。
 大きな石の上に丸い石が乗っているのだが、ただ置いてあるだけでころころ転がる。
 丁度砲丸投げのタマみたいなサイズの、明らかに人工的に削られたものだ。
 実はこの奥にもう一つ同じようなしつらえがあって、そこにも同じサイズの球がある。
 行くたびに手にとって遊んでみるのだが、何の使い道もないから誰も持って行ったりはしない。
 何のために作られてここに置かれているのか、全く意味不明のタマ。

道祖神

 国道沿いに鎮座する注連縄をしている石。
 良く見ると、道祖神と彫ってあった。
 かつて富士講などが盛んだったころの浅間神社参拝の街道だった名残だろうか。
 或いは、この地が絹の集散地だったことから、江戸から明治前半に絹を求めてやってくる冒商人達の往来を見ていたかもしれない。
 実際に、ブランド名『甲斐絹(かいぎ)』は大変な人気商品で、戦前の三越の高級絹製品として良く売れた。
 この前、納戸の奥から祖母の嫁入り支度だったと思われる甲斐絹の布団が出て来た。困り果てて博物館の人に見てもらったところ、学芸員の人が指でこすって高級品だということがわかり、引き取ってもらえた。
 数度の区画整理・道路拡張にもめげずに健気にがんばっているようで微笑ましい。注連縄が多少不細工に見えるのは、この日風が強く飛んでしまったのを僕が掛け直したから。

 一方こちらは幹線道路でも何でもない八幡様に行く参道で朽ち果てている道祖神。
 災害に会ったのか、割れてしまったところを繋ぎ合わせたような跡があり、隣に観音様だか地蔵様が並んでいて、一番向こうには廿三夜(にじゅうさんや)と彫り込まれている。廿三夜は旧暦二十三日の月待ちの名残で、古くは念仏行事だった。月の出を迎えに行き拝んで帰る場所に二十三夜塔を建てたりした。
 この道は舗装もされていないすたれた道だが、かつては人通りもあった幹線道路だったに違いない。というのも喜寿庵からは桂川の対岸に当たるのだが、橋を渡って往来できるようになったのは昭和になってかららしいのだ(後述する)。
 ここから名月が見られたかどうかは不明だが、並んで立っているのも微笑ましい。

 ちょうどその道祖神のすぐ下流、がけ下にある巨石。河原にドーンと座っている。
 写真の腕が悪くてその巨大感が伝わらないのがもどかしいが、推定何十トンもありそうだ。
 子供の頃からこの石はどこから来たのか思いを巡らした。この崖の上から侵食されて落ちて来たのか、それとも上流の河口湖のあたりにあったのが何万年もかけてここまで転がって来たのか。まあ、この60年はこの位置にある。
 左上の方に小さな滝が見えるのがご愛敬。しかしながらこのアングルまで行くのは結構大変で、崖を降り岩を下り石伝いにせせらぎを越えなければならない。チョット楽しい。

 その桂川まで喜寿庵から下りていく坂の途中にある石柱。昔からあった。
 改めてよく見ると『富士見坂 昭和2年開削』と彫ってある。
 想像を逞しくすれば、昭和になるまでここには渓谷に降りて行く細い道があるだけで、その先には橋がなかったかもしれない。
 そうすると対岸には別の幹線道路(もちろん大したものではないにせよ)が川沿いにあったので、先ほどの八幡様のところに道祖神があったのも頷ける。
 この坂道が開削された前後に喜寿庵が今の姿になったのだから、ははぁ爺様の普請道楽がひどくなったのは昭和初期だとわかる。
 その爺様がこの坂を行き来したときにはどんな格好をしていたのか。満州で仕立てた支那服か、自慢の乗馬服か。

囲われている

 これは水路に沿ったところにあった『南無妙法蓮華経』と彫られた石と、小さな観音だかナントカ天の像。
 おそらく車が通るように道を整備した際に邪魔だったのだが、撤去するのにしのびなく、さりとて通行の妨げになるので、わざわざポールを立てて『ぶつけないでください』としたのだろう。
 そうした心遣いが嬉しい。
 初めのナントカ明王と同じく水難にあったおそらく子供さんの供養と思われる。

石橋

 
 最後は江戸時代初期につくられたストーン・ブリッジ。
 街中を流れる用水路は家中川と呼ばれている。何故か木製ではない石の橋が架けられていたそうで、その内の一つが某お寺に残されている。それは我が菩提寺ではない。
 そのお寺は当時の藩主秋元家や家老だった高山家のお墓があるが、その高山一族こそしばしば紹介している松尾芭蕉の俳句の弟子だった高山伝右衛門=俳号麋塒(びじ)の家なのだ。
 天和の大火で焼け出された芭蕉を招き、半年程ここに滞在した。
 全く関係ないが、壇ふみさんのご尊父である作家の壇一雄は明治45年にこの地で生まれたことはあまり知られていない。壇一雄の父君参郎が、ここにあった繊維工業試験場の嘱託をやっていたためだ。すると、その当時黒紋付の紋の染め抜きで羽振りの良かった僕の曽祖父にあたる逸と参郎氏は話ぐらいはしたかもしれない。曽祖父は独学で幾つもの特許を取った人だが相当の変わり者だったらしく(祖父はもっとひどいが)、普通の付き合いがあったかどうか。
 残念ながら物心もつかないうちに参朗氏は転勤してしまい、この地に壇一雄の痕跡はない。

 石にまつわる十景を選んだが、通りすがりの旅人がこれらを全て見つけるのは不可能と思える。旅人がこの全てを写メに撮って僕に送ってくれたら、スタンプ・ラリーのように賞金を出そうかな。仮想通貨ソナー・ダラーで100万!

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おそるおそる山から下る

2020 MAY 27 7:07:25 am by 西牟呂 憲

 この3色、楓・藤・新緑は毎年楽しみにしている喜寿庵の初夏の色合いです。母屋二階からのアングルですが、実に目にやさしい。
 楓は接ぎ木で、新芽の時からこういう色、紅葉の頃にはもう少し明るくなる種類です。芝生はまだまだアオくなく、ちょうどレーションを終えたところ。もう直ぐ色が濃くなります。すると雑草の草むしりがハンパない。
 遅咲きの枝垂桜が散った頃からこっちにいて、初夏も過ぎてしまいますなあ。東京のナンバー・プレートは肩身が狭いので出歩かないし誰にも会いません。
 毎日見ているうちに手作り菜園ネイチャー・ファームの異変に気が付きました。

 これはジャガイモの新芽ですが、別に今年蒔いた所でもなんでもないところに伸びてきました。
 去年の収穫の時に、あまりに小さくて使い物にならずに捨てたクズ芋が芽を吹いたようです。とするとこの健気なジャガイモは野生化したのでしょうか。
 そうだとすれば、毎年マトモなやつだけ採って後はほったらかしておけば、勝手に自生してくれるようになりゃせんかな。文字通りのネイチャー・ファームになって、木の実を取るようにジャガイモが収穫ができるかもしれません。
 その他、大根・ピーマン・茄子のレパートリーに加え、今年はスーパー・ガーリックにんに君が期待されます。去年は小指の先ほどのチビにんに君でしたが、勢いが違う、楽しみです。

 そろそろコロナ騒ぎも終息に向かっています。私がこの渦中でツラツラ思ったのは次の一言。
 自分の身は自分で守る
 これですね。
 ニュースを見ても、専門家の意見も、ネットの反応も、どれも信ずるに値しなかった。誰も分からなかったのです。
 トイレット・ペーパーを買いあさった、開いている他県のパチンコ屋に行った、自粛前に飲み屋・風俗に行った(中には野党議員も)、デマ・メールが飛び交ってそれを信じて拡散した、こういう人達も守らなければならない立場は大変でしょうね。以下は雑感です。

政府・及び総理 誰も何も分からない。専門家も知見が無い中での初動では。早期に学校の閉鎖を決めるとそれも批判される。一律十万円の給付に対して誰からも『ありがたい』という感想が聞かれない。西村・加藤両大臣は危機管理向きの顔じゃないのがマイナス。官邸官僚も危機には強くなかったですね。菅官房長官の切れ味もかすんでしまった。あの新法とマスクはさすがにマズかった。

小池都知事 こういう時はより過激な事を言った者勝ち、の間合いを良く心得ていますね。とにかく政府の鼻を明かしてやろう、の魂胆がミエミエで何かと『そこは国が』と発言するのも胡散臭い。ステイ・ホームと英語にしなくとも古来日本には「蟄居閉門」という美しい言葉がありますよ。国との対立軸を打ち出して煽るようにするところはポピュリストの面目躍如。ロックダウンという言葉を出して煽ったところは結局何でもなかった豊洲を思い出させて違和感がありました。都庁内部ではかなりの批判がでているらしいですね。時として目立ててうれしそうに見えるのは僕がヒネクレているからでしょうか。大阪モデルが出れば東京アラートね、マッ、再選確実おめでとうございます。

吉村大坂府知事 いい度胸をしてます。加えてバックが余程しっかりしているのでしょう。東京では見られませんが、喜寿庵では『そこまで言って委員会』が入るので、生出演しているのを見ました。どうやら松井大坂市長が支えているようです。更に、感染初期から具体的なアドバイスをしている優秀なブレーン(阪大医学部?)がいるのではないかな。中央は船頭が多すぎます。舞い上がらないでくださいね。

橋下徹 出だしの時は『みんな感染して抗体作っちゃえばいいんですよ。僕の子供たちみんな罹ってほしいぐらいだ』と言いましたね。熱が出ておとなしくなったと思ったらあのマズい法律へのイチャモンで息を吹き返しました。この人やっぱり政治家に向いてない。伸びませんね、政治家としては。既得権益だ何だと利害が渦巻いているのを涼しい顔して調整するのがプロでしょう。石原慎太郎タイプは大派閥の頭は張れないんです。面白いからもっとやっていいけど。

〇憲〇〇党議員 この国難に審議を遅らせる党利党略に血道を上げているところは実に品格を疑わせるものでした。コロナ騒ぎで最も役に立たなかった政治家はキミ達だ。そんなことばかりしてると絶対に支持率は増えません。特に高卒発言はイカン。

番外 黒川検事長 何とも魔の悪い時に麻雀に興じたもの。

 こういう時に頼りになる「あの人が出てきたらもう大丈夫だ」となる長老がいない。例えば故佐々淳行氏のような危機管理のプロ、神様。相当な修羅場を潜り抜けてきた歴戦の強者が、『そういう時はなあ』とのっそり現れれば国民も安心します。サマワのヒゲの隊長・佐藤参議院議員あたりに将来期待したいですね。そうそうサマワで思い出したが、自衛隊にはもっと凄い番匠幸一郎という優秀なOBもいる、派遣部隊の群長でした。この人は外務省や民間の丸紅に出向したこともあるメチャクチャ優秀な方です。こういう人に危機管理官をやってほしい。
 それにしても我が国のコロナの死亡者数(亡くなられた方々に心よりのご冥福を祈ります)なんかはダントツに少ないのは何故か。今月号の文芸春秋で山中ドクターが『ファクターX』と呼んでいた何かを日本人が持っているとすれば、これを追及して二度目のノーベル賞でしょうね。案外それは神風が吹いていたせいかもしれませんよ。
 そして後手後手に回ったと言われる政府の対応が最善の策だったりして。

 などと思っていたら初夏も過ぎて梅雨の季節になってしまいます。
 冒頭のアングルから撮った三色のうち藤の花がもう散って緑が濃くなってきました。季節は巡っています。
 更にはあの野生のジャガイモに花が咲いてしまいました。
 そしてついに緊急事態宣言が解除されます。しかしホイホイ巷を飲み歩くのはまだ先でしょう。必ず第2波は来ます。海外から来るのかそれとも深く先行したウィルスが再び変異・活性化するのか、それは分かりません。
 だからもう一度『自分の身は自分で守る』と強調せざるを得ません。
 
 

 最前線で戦ってこられた全ての医療関係者の皆様の御健闘に最大の敬意を込めて、山を下ります。

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