Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 和の心 喜寿庵

喜寿庵紳士録 レイモンド君

2020 DEC 24 9:09:00 am by 西牟呂 憲

 そろそろ会いたいなあ、と思う先輩・友人がいる。今年はコロナ騒ぎで春からは全く会えなかった。
 するとコロナ安全圏だった喜寿庵で珍しく新たに知り合った友人レイモンド君とはまた会う機会が来た。ここにもクラスターが発生してしばらく来られなかったが、ほとぼりも冷めたようなので久しぶりに来てみると。
 クラスター発生直後は本当に人っ子一人歩いていなくて住民がどこかに行ってしまったかのようだったらしいが、こういう田舎の地域は感染経路が分かりやすいので集中的に抑え込みが効いて3週間たった今では平穏な日常が戻っていた。
 ところでヒョッコリ先生は子守の手がなくなるとレイモンド君を連れて来る(先生は友人でもなんでもない)。困ったことにこの人はスマホも持ってないらしい。電話してアポを取ることなどなくいつもフラリと現れるのだ。そもそもどこに住んでいるのかも僕は知らない。もしかしたら僕がここにいるのを確かめてからやって来るのか。
 レイモンド君は何故か正装をしていた。

蝶ネクタイをしてる

「やあやあやあ、寒くなってきたね」
「(あたりまえだろ)もう年末ですよ。レイモンド君こんにちは」
「実はこの子の両親がコロナになっちゃってね」
「えっ、ミャンマーに行ったんじゃないんですか」
「(あわてて)そっそうなんだ。それで帰国したらイチコロで罹ったらしいんだ」
「(見え透いた嘘だな)2週間隔離された後にですか」
「そこんところは良くわからない。それでね、この子のお宮参りに連れていく人がいないということなんだけどね」
「(アンタが行きゃいいだろう)ほう、先生は忙しいんですか」

滋養様

滋養鳥居 高さ1m手造り

                                     
「キミの家の庭に手作りの鳥居があるよねぇ」
「(人のウチのことをよくしってるな)あぁ、私設の滋養神社のことですか」
「そうそう。キミが一人で踊りを奉納してるだろ」
「(ギクッ見られたのか)それより先生の実験室のある八幡様にいけばいいじゃないですか」
「いや、あそこはマズいんだ。僕がウロウロしているところを見られたくない。ということでちょっと半日この子を預かってお参りをさせてやってくれ」
「(そら来た)今日は僕も忙しいんですが。チョット出掛ける用事もあって」
「よしよし、レイモンド。一緒に連れてってもらえ。これね、寝ちゃったときの着替えとおむつと離乳食なんだけどね。まぁ、すぐ迎えに来るから」
 例によって勝手なことを言って赤ちゃんを僕に抱かせた。やられた。
 レイモンド君とは3月ぶりで、心なしか少し締まったというか痩せたのかもしれない。
 ともあれ、お宮参りということで滋養鳥居の前に行き二人で踊りを奉納した。何の踊りにするか迷ったが七五三が過ぎたので仕方がない、七五・三十五から七五三を引いて十五の奉納踊りを舞った。
 さてどうしよう。久しぶりのレイモンド君は、やはり僕を忘れてしまったのだろう、初めは珍しそうに踊っていたが(抱かれていただけだが)家の中に入った途端泣き出した。わかった、3か月前に会った時はテレワークばかりだったので無精髭を生やしていて今と表情が違っているのだ。それはともかく、僕はいつかこの日が来ると思い秘密兵器を準備していた。今時の若い親御さんは与えることはないおもちゃ、デンデン太鼓だ。ところがせっかくやって見せてもちっとも面白がらず口に咥えようとしてばかり、危ないから取り上げるとまたフンギャーである。
 ようやく落ち着いたところで二度目であるが喜寿庵を案内した。やはり覚えてはいないようでキョロキョロしている。
 座らせてみると何かに掴まって立ち上がろうとする。ソファーの端っこを一生懸命つかもうとするのだ。これが大変で、まだハイハイも覚束ないから寄っていこうとするのに前に進めない。「アギー」とか「グー」とか言いながら匍匐前進していた。挙句の果てにつかみそこなってゴンッと音を立てて顔面を床にぶつけた。
『フンギャー』
 今度は抱っこしても泣き止まない。仕方ないのでこの際おしめも替え、ミルクの飲ませたらゲップと一緒に少し吐いてしまった。ついでに着替もしたら機嫌が直った。フー。

笑ってる

 それから二人で遊んだが,赤ちゃんというのは愛されることが商売だ。従って無償の愛しか受け付けないのではないのか。僕は勝手に友達になったと思っていたが、愛情は一方向でもありうるが、友情は双方向でないと成り立たない。
 ヤンキー娘が早くに結婚して子供を産むが、さっさと離婚して次の男ができる。するとその相手が連れ子を虐待するという痛ましい事件が結構多い。次のアンチャンにしても赤ちゃんもしくは3歳未満の子供はかわいいものの、無償の愛情は注げない。泣いたりグズッたりするのを我慢できなくなって思わず手がでる。チビちゃんに友情を持とうとしても応えてもらえないのだ。
 僕は既に(レイモンド君は忘れていたようだが)友達になる段階はクリアしたので、後は覚えてもらって親しみを感じてもらえばいいわけだ。幸い僕の方はヒマで時間だけはあるから毎日でも一緒にいられればすぐ慣れてくれるのに。しかし次にいつ会えるのかは分からない。
 分かった。そもそも赤ちゃんと前期高齢者とでは流れる時間が違うのだ。赤ちゃんは記憶力が発達していないから毎秒毎秒新しいことの洪水に浸かっているようなもので、こちらが心待ちにして再会してもワン・オブ・ゼムでしかない。。友情を育むにも時間はかかるだろう。
 まっ、あと10年くらいかけて親友になろう。それまで生きてるだろうか、オレは。

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喜寿庵周辺クラスター発生!

2020 DEC 12 0:00:14 am by 西牟呂 憲

 2020年はコロナに始まりコロナで終わる。この間、無念にもお亡くなりになった方に深く哀悼の意をささげるとともに、最前線で治療に当たっておられる医療関係の皆様に心から感謝と敬意を表します。
 今年の初めに僕の信仰する『滋養様』からのお告げを書いています。

令和二年(令和初) 滋養神社お告げ


 これが、コロナ禍を全く予言できずに、なおかつ内容も全部と言っていいほどの外しっぷり。100点満点中0点という前代未聞の結果に終わりました。滋養様の力が落ちたのか、予言の受け手であるワタシの霊力が落ちたのか。とにかく自粛に塗り込められて1年が過ぎようとしています。
 それにしても、ノストラダムスでもエドガー・ケイシーでも著名な予言者でこの厄災を予言したと思われる字句はないのだろうか。かつて流行ったものをザッと検索しても今のところ見当たらない。従って滋養様や私だけが外したわけでもない、と言えるかな。

 それが、ですぞ。今までほとんど陽性者がいなかった我が山荘・喜寿庵のある地域でついにクラスターが発生したのです。市街地の中心部にスナックが固まっている所がありますが、そこの従業員とお客さんに陽性者が出ました。聞くところによると、その後どういう経路か知らないですが高校に飛び火して教員も生徒にも患者が出たそうです。
 かのスナックは結構繁盛していて前後一週間に数十人の接触者がいた、感染したお客さんはゴルフ帰りにカラオケをやって陽性になった(そのゴルフ場は私のホーム・コース)、街は全く人通りがなくなった、コンビニもスーパーも買い物する人がいない、らしいのです。幸い喜寿庵周辺には陽性の人はいません。しかしあの辺は極端に人口密度が低いので参考にならず、週末に行くのも憚られます。この冬のスノボのリフト待ちや4人乗りクアッド・リフトは密じゃないのか(スノー・リゾートまで車で30分の近さ)。しかしねぇ・・・、ここ吉祥寺でも近くの病院でクラスターは発生したし、週末の人出はそんなに減ってないようですよ。

 飲み会は全く無くなり、半年は山籠もりでリモート暮らし、船には3回程乗ったが航海には出ず、運動は少しゴルフをやっただけ、癌は再発していませんでした。それどころか体重は増え、中性脂肪の値が危険水域にまで上がり、日本ハムファイターズは最下位争いの5位。読書量は変わらず、文庫・新書を中心に活字だけは追っています。
 しかし、あの酔っぱらってやるドンチャン騒ぎがなくなったのは悪いことばかりでもないですね。ひどい二日酔いと自責の念にかられることはありませんし疲労感も大したことない。翌日「こんなこと口走ってたぞ」と言われて青ざめる心配もない。

 直近見つけた数字では足元のコロナ・ピーク対応で全従業員(事務方)の30~50%がテレ・ワークだ、とあります。すると日頃から同僚などと気軽に話す機会をあまり持たない人達の方にストレスがかかると言われています。こういうタイプの人は承認要求が満たされなくなって心理的負担が重くなる。今までは従来柄の長時間労働によってそのストレスから逃れていた、という理屈です。
 実に農耕社会の形態が色濃い日本の企業文化です。しょっちゅう天気を気にしつつ、左右に目配りしながら黙々と作物の育てるプロセスは村社会=企業文化の等式が成り立ち得ます。
 余談ですが、実はこの常時仕事中のようなダラダラ長時間勤務こそ日本のお家芸であり、高度経済成長の原動力だったと筆者は考えています。この方式は白人にも黒人にもできない。黄色人種でも日本人だけです。しかしもう通じない。ダラダラやる仕事はデジタル化されるからです。
 話を戻して。上記のストレスをためやすい人というのはおそらく口を開けば自慢話ばかりしてウザがられるオヤジですね。同じ話を何回もループしたりもする。突然キレて怒鳴り散らすパターンもある。従ってリモートになると顔を合わせなくてすむので周りは喜ばしいでしょう。コロナ騒ぎで暴露された弱さをアジャストするヒントは足元にあるはずです。
 ダイナミックな仮説ですが、いきなり全部をリモートにしても生産性は上がらない、むしろ下がると思います。まず大きな組織では成果が偏ってしまう。小さい組織はある程度は効き目があります。ですがそれがリモートの効果では全くない。そもそも小さい組織は初めから無駄な管理コストの削減幅は小さい。スタート・アップ企業でもそうだと思いますが、ベンチャーの成功率は30%以下ですからデータも少なすぎます。稼ぐことはできてもユニコーンにはならないベンチャーは中小企業のことですしね。
 それでは「比較的大きな組織でイノベーションを起こす」というテーマだったらどうでしょう。これも人によるのです。例えばテレワークで家に引きこもってインスピレーションを得る人もいれば、人と喋りながらヒントを得るタイプもいる。自説に固執して他の意見を全く受け入れないのはどっちの環境でもダメ。
 それどころか家に籠ったがためにかえって仕事に縛られて勝手に長時間労働にのめり込むかもしれない。挙句に家庭崩壊になったり精神のバランスを崩したり。
 すると両方の中間を取るような『ワーク・ステーション』のようなスペースができたりして。郊外・あるいはリゾート地の傍にIT環境の整ったフリー・スペース(図書館の自習室をゆったりとさせた感じか)に出勤し、そこには全く異業種の人達が集まるでもなく仕事したりメシを食ったり。疑似職場というかバーチャル・オフィスというか分かりませんが、そこに出勤するのはどうでしょう。

 それで『お前はどうするんだ?』ですか・・・・。働かないのがいいけど。
 それで喜寿庵にも行けないんじゃ今週末はどうしようかな。

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喜寿庵紳士録 不思議な酔っ払い

2020 DEC 1 0:00:13 am by 西牟呂 憲

 先日ホーム・コースでゴルフをした。喜寿庵から車で10分だから、天気を見てから電話で『今日はやれますかね』と聞いてうまく空いていれば回らせてくれる。ラッキーなことに『ラウンドはちょっと混んでますけど午後ハーフなら入れますよ』とのことなので、ハーフだけやったのだ。
 そういう時はロッカーも使わず、そのまま近くの温泉(これはゴルフ場から5分)に浸かって帰る。
 気分よく温泉にも浸かってお惣菜を買いにスーパーに寄った。まだ3時半過ぎである。駐車場で一服していたら、見るからに怪しげなオッサンがフラフラ歩いて来る。手には日本酒のパック、定まらない視線、これはヤバい。ところがそのままこっちに向ってくるではないか。その時の僕のいでたちは、ゴルフ用にしているチノパンにポロシャツ、ジャケットを羽織っていた。オッサンは短く刈り上げた髪に真っ黒な顔、ジャンパーの背中には何やら不気味なデザイン、業界でいう極めて頭の悪いファッションである。そして『先輩(チンピラが話かける常套句)先輩』と距離を縮めた。なんだこいつは。
『レッド・ツェッペリン知ってるっしょ』
はぁ~~。目は完全に据わっている。
『まあ知ってるけど』
『あのね、ジミー・ペイジも腹が出たんだって。ケケケケケケ』
 いや、これは相当危ない。どうも年格好は似たところではないだろうか。さっさと切り上げよう。ところがオッサン、ニターっと笑いながら、
『いや~ハード・ロックやってたんでしょ~』
 等とヤケにうれしそうなのだ。

ディープ・パープル

『あぁ、ちょっとやってたよ。ディープ・パープルとかさ』
これがまずかったようで、オッサンは満面の笑みを湛え『ジャッ、ジャッ、ジャー、ジャジャ、ジャジャ-』とスモークオンザウォータのイントロをエア・ギターで口ずさむ。左手を見ると正しいコード進行を抑えているではないか。
 普通だったらここでベース・ランニングを僕が口ずさんで二人で共演するのだが、今は相手が悪い。しょうがなくて愛想笑いをしながら車へ逃げ出した。

 落ち着いたところで暫し考えた。こんな山の過疎地でもハードロックのファンはいるだろう、それはいい。昼から酔っ払いがいるのも良しとしよう。
 問題はそのイカレポンチがゴルフ帰りにジャケットを羽織っている紳士の私に何故寄ってきたか。そして昔バンド野郎だったことを見極めたように話しかけたのか、である。幾つかの理由を胸にてを当てて考えた。
➀ 私のたたずまいが、どんなアホでも受け入れてくれそうなほど慈愛に満ちていた。
➁ 一目で私がアート系の殺気を放っていた。
 どちらも違うだろう。考えたくもない第3の原因を出さざるを得まい。
➂ その昔バンド屋だったオーラが出ていた。
 仮に、仮にそうだとしても何十年も前の雰囲気がいまだに残っているとは思いたくもない。しかしながら目下のところ思い当たるとすれば、当時の仲間とは今もしばしば付き合い、ギター談義や矢沢永吉のモノマネに明け暮れているから、往年の悪癖が滲み出てしまうのかも知れない。
 であればこれは非常にマズい。なぜならこのコロナ禍でここのところそういう集まりが無いにもかかわらずバカなオーラが消えない、ということか。いかん。早くこの邪気を払わねば。
 早速、そういった仲間にメールした。各カクシカジカ云々だったのでキミ達との付き合いは改めたい、今後はもう少しアカデミックな話をするように、とね。
 すると奴ら(3人)の反応たるや反省のカケラもないふざけたものだった。英語でロックンロールの歌詞を寄越す奴、その話しかけたオッサンの素性を推測し現在の職業を予想する奴、それは酔っ払った私が姿見の鏡を見ていたのだろうと言った奴。私は深いため息とともにロクな仲間がいないことを悟った。
 前期高齢者を踏み出した今、心新たに第二の人格に昇華することを誓わざるを得ない。但し、今さらこの年で修復不能なものは除く、例えば酒癖とか。
 まずはブログから・・・。

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友達ができた

2020 SEP 29 8:08:03 am by 西牟呂 憲

 かねてからブログにも書いているが、僕はもう積極的に友人を増やそうとはしていないし、そういう機会は極力避けている。ただ、偶然知りあって仲良くなるのを拒むほど偏屈でもない。
 そもそも学校に通ったり就職したりして嫌でも顔見知りになる人数は何千人にもなるが、1人の人間が長く親しむのは常に百人を超えないのではなかろうか。チーム・メイトもクラス・メイトも同僚も、環境が変わってもそのうち何年かに一度会うくらいになっていき、前期高齢者になる頃はレパートリーは減る。
 親族は年上から減っていくのは仕方が無いが、決行結婚やらお目出たやらで総数は一定、むしろ少子化の趨勢でこちらも冠婚葬祭は減少気味といった感じ。
 うまくしたもので、こちらもしょっちゅう飲み歩くのが辛くなってくるし、今更そういう機会を増やすこともなかろう。例外は子供のトモダチができるケースかな。ところが喜寿庵で月に一回集って御飯を作って食べる北富士総合大学の学生さん達との交流も、このコロナ騒ぎで途絶えたまま。

先生とレイモンド君

 などと喜寿庵で思いを巡らせていたら、やはり現れた。ヒョッコリ先生だ。それが驚いたことに赤ん坊を抱いている。
「やあやあやあやあ。元気かね」
「きょうはペットのピッコロやマリリンは一緒じゃないんですか」
(注;以前は同じ名前の男の子と妹を連れていたはずなのだが)
「うん。いやこの子が一緒だから置いてきた」
「お孫さんですか、この子」
「名前はレイモンド君。孫どころか曾孫じゃ」
「(なんだ、家族がいたのか)わぁ、かわいいですね。レイモンドちゃーん」
「うーぎゅ~~」
「早速なんだがね、きょう一日この子預かってくれんか」
「(またとんでもないことを)はぁ~」
「この子の親は今ミャンマーに行ってて、それでしばらくワシのところにいるんだけど、色々とローテーションの都合で月に一日くらい手が足りないんだ。キミは信用できると見込んでの頼みだからよろしく頼むよ」
「(また勝手なことを、前はことわりも無くバーベキューをやってたな)それは・・・今僕一人なんですよ。泣いたりしたらどうしようもないでしょう」
「キミィ!人の親だろう。何とかしなさい。赤ん坊には喜怒哀楽のうち『喜』と『怒』しかないことぐらい知ってるだろ。泣くときは怒っていてできることはおしめを代えるかミルクを飲ませること」
 と言っておしめとキャップ装着型の缶ミルクをいくつか出してテーブルに並べた。
「ホラホラ、おじさんが遊んでくれるよ」
 と言いながら赤ちゃんを僕に抱っこさせるのだ。

先生撮影 笑ってる

 レイモンド君はギューッとしがみついてきた。何だか安全を確かめているようでこちらもヒシッと抱きとめてしまった。
「それじゃよろしく」
「(まだ、わかりましたと言ってないだろう)チョット待ってください。ちゃんと迎えに来てくれるんでしょうね」
「きょうの夜までには来るから心配しなくていいよ」
 と言ってスタスタ出て行った、おいおいおいおい。あと10時間もあるじゃないか。
 取り合えずこのまま抱っこしていたが、この子重い。しかもしがみつくだけじゃなくてTシャツの袖を噛んでいる。仕方なく畳に座布団を敷いて寝かした途端に『ふんぎゃ~』と大声で泣き出した、怒ってるのか。すると見る見る大粒の涙が頬を伝わっているではないか。ヤバイ、と早速おしめを代えようと脱がそうとするが、そっくり返ってどうにもならない。もう一度抱っこしたら泣き止んだ。参ったな。
 しばらく家の中をウロウロしてみると機嫌が直った。いくら赤ちゃんでも環境が変わったのは気になるのだろう、キョロキョロと天井を見上げたり、家具を触ろうとする。不思議なものでこちらも『それは電気スタンドだよ』とか『ここはお風呂なんだ』と話しかける。すると姿見の前で『ア~ア~』とか反応を示した。
「レイモンド君、これは鏡でレイモンド君が映ってるんだヨ」
 と教えてあげた。どうも鏡の向こうにも現実の世界があると思ったらしく、一生懸命手を伸ばしているのでその前で遊んでみた。不思議そうに触ってみている。

鏡で遊んでる

 と、いきなり鏡の向こうに行こうとしてガンッと頭をぶつけまた『ふんぎゃ~』と泣き出してしまった。だが今回はすぐに立ち直って嬉しそうに、かつ真剣な顔で触ったり叩いたりしはじめた。
 その後、本当にお腹がすいたらしく例のミルクを飲んだり、しがみ付きながら寝たり。目が覚めると仰向けのまま足の指を咥えるという離れ技までしてみせた。慌てて検索すると『生後半年くらいの赤ちゃんは足が自分の身体の一部だということがわかる』のだそうだ。ちなみに赤ちゃんがしがみついたまま寝ると、体温の高さで二人とも汗だくになる。
 それから暗くなるまで庭に出たり僕が昔使っていたオモチャ(なぜか押入れにあった)で遊んだりして過ごした。まだハイハイもできないのにオモチャをいじったり鏡で遊ぶのは実に楽しそうで、思い通りにならないと考えている。

寝てくれた

 午後7時、先生が迎えにやってきた。何だ酔っ払ってるじゃないか。乳母車を押してきた。
「やあやあやあ、どうもありがとう。いい子にしてたかい」
「(いい子もクソもないだろ、赤ん坊なんだから)まぁ、こんなもんでしょうね。よく泣きよく遊びよく飲んでよく寝ました」
「そうかそうか。あのね、また時々頼んでいいかな」
「(そらきた。図々しいにも程があるだろうに)もちろんですよ。いつですか今度は」
「それがワシも色々忙しくてね。予定は立たないんだが、再来月くらいかな」
「(嘘つけ、ヒマなくせに)事前に言ってくれないといないかもしれませんよ。僕も仕事があるし」
「まっ、その時はその時。ほら、帰るよ」
 レイモンド君を乳母車に乗せてあげた。何だか心なしか眼差しが淋しそうに見える。
「じゃあね、また遊ぼうね」
 先生とともに帰っていった。
 何が、赤ん坊には『喜』と『怒』しかない、だ。ちゃんと『哀』も『楽』もあるじゃないか。僕とレイモンド君はトモダチになったのだ。早くまた来ないかな。

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真夏のネイチャー・ファーム

2020 AUG 23 0:00:08 am by 西牟呂 憲

   炎天下 汗したたるや 色野菜

 暑い!熱波が押し寄せたネイチャー・ファームのかわいい野菜達も青息吐息。
 不思議なことにナスは去年ほど出来が良くなく、長梅雨の影響かとも思われたが、ピーマンの方は豊作で取れ過ぎるくらいたわわに成っている。
 昼間に水をやってもすぐ乾いて熱を奪ってしまうので朝やるわけだが、これが結構な重労働で作業着がグッショリになってしまうほど汗をかく。まさに汗と涙の果実である。

新種か?

 今年のチャレンジはこれだ。見たこともない新種の野菜に思った方、違います。
 実はこれキュウリ。過去何回も失敗したキュウリが収穫できた。
 今まではネットを張るのが面倒だったのでそのまま地面に這わせていたが、年に1本2本の収穫でダメになっていた。
 それで今年は脇に生えてきた竹を切って葉を落としたものを立ててみたところ、御覧のような一見ハイブリッド・キュウリが育った。遠くから見ると奇怪な植物が人の背丈よりも高く伸びているように見える。ただ、このキュウリ、あんまりおいしくはない。
 そろそろ秋蒔きダイコンでも始めるかな。
 しかし梅雨が空けてしまうとこのエリア、今度は夕立も降らなくなった。

 それにしても熱波といっていい暑さだ。ここではこの時期になれば夜は涼しいはずが、風のない日は眠れないくらい暑い。
 そうは言ってもお盆が過ぎたのは日の傾きでわかる。コロナも収まらないおかげで夏は台無しになり船の航海も中止になった(ここにいる分にはコロナは関係ないが)。これで一つ年を重ねるとは前期高齢者となった身にはもったいないとさえ思う。
 桂川のせせらぎは涼しげだが、音だけ涼しげでもこの暑さは堪える。
 誰も訪ねてこない。
「やぁやぁ」
 ワッ、ヒョッコリ先生だあ!
「また変なことやってるね」
「(何かイチャモン言うつもりだな)いやあ、どうですたまには冷たいモノでも出しますよ」
「おっ、いいね」
 引っ掛かってくれた。待てよ、話が長いと困るな。

この項

ヒョッコリ先生 戦争を語る

に続く

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(追記 収穫されたオバケ・キュウリ)

喜寿庵十石(じゅっせき)

2020 JUL 11 0:00:14 am by 西牟呂 憲

 結構な間、喜寿庵で過ごして滅多に出なかった街中を歩いた。するとやはりそれなりの歴史があるところなのが分かってきて面白い。実は博物館もあって増田誠という人の作品が常時展示されている。
 古いものがアチコチに散見されたので、以前アップした十景以外にも載せてみたいものが集った。『石』にこだわって十石(じゅっこく ではない)とした。

可愛らしい

 街中に用水路が通っているが、江戸初期の大名である秋元泰朝が開削した。
 僕の子供の頃にはそこから水を引いたり生活用水にしていた家があったが、その用水路のほとりで見つけた。ここは山麓地帯なのでその流れは速く大雨で増水すると危険であり、大雨の時には犠牲者が出ている。
 50年くらい前に、我がネイチャーファームのすぐ横に放水路を作って桂川に落とす工事が行われたことを覚えている。
 これはおそらく事故に遭った人を慰める為に寄進されたのではないか。
 その姿は多手であるので金剛夜叉明王(6本)か軍荼利明王(ぐんだりみょうおう、8本)のどちらかのはずだがよく見えない。
 普通はお地蔵様のところが、何かの謂れがあったものなのか。
 小さくてチョット見とてもかわいいのだ。

着衣のお地蔵さん

 こちらは桂川に降りて行く坂(富士見坂)の途中にあるお地蔵さん。
 子供の頃から在るのは知っていた。崖の中腹にいるのでチビだった時は随分高い所にいらっしゃるな、と見上げたものだった。
 そして、どなたが面倒を見るのかは知らないが、御覧のように赤い衣を身に付けていらっしゃる。
 実はこの直ぐ下に釣り橋があるのだが、伊勢湾台風の時に流されている。1959年だから僕の4歳半の時で、流されたのを祖母と見に行った。雨の降りしきる中だった。伊勢湾台風は9月26日とあるから、幼稚園はサボッて東京には帰らなかったのだろう。
 赤い着物を着せている所に何とも愛情が感じられるが、小さい子が犠牲になったのでなければいいが。

孔子様??

 一瞬トーテムポールかと思って前に廻ったら違った。
 頭に被っている物や両手で前に何かを持っているところ、いわゆる中国風の姿だが、これを見つけたのはさるお寺である。
 この街は人口密度の割りに不思議と神社仏閣が多く、一画に何軒も並んでいたりする。神社は山際のところで石段を上がって行くと鎮座しているのがこれまたたくさんあって、時期をずらしてしょっちゅうお祭りもある。
 そしてどれもこれも大した見栄えはしないが由緒だけは正しく、かなり古くから人々の営みがあった。
 何しろ縄文時代の遺跡が、それも発掘されていない環濠集落まで発見されている。
 お寺はオープン・スペースだから出入り自由なので忍び込んで撮った。

ボール・ストーン

 こちらは通いなれた菩提寺に置いてある石。
 大きな石の上に丸い石が乗っているのだが、ただ置いてあるだけでころころ転がる。
 丁度砲丸投げのタマみたいなサイズの、明らかに人工的に削られたものだ。
 実はこの奥にもう一つ同じようなしつらえがあって、そこにも同じサイズの球がある。
 行くたびに手にとって遊んでみるのだが、何の使い道もないから誰も持って行ったりはしない。
 何のために作られてここに置かれているのか、全く意味不明のタマ。

道祖神

 国道沿いに鎮座する注連縄をしている石。
 良く見ると、道祖神と彫ってあった。
 かつて富士講などが盛んだったころの浅間神社参拝の街道だった名残だろうか。
 或いは、この地が絹の集散地だったことから、江戸から明治前半に絹を求めてやってくる冒商人達の往来を見ていたかもしれない。
 実際に、ブランド名『甲斐絹(かいぎ)』は大変な人気商品で、戦前の三越の高級絹製品として良く売れた。
 この前、納戸の奥から祖母の嫁入り支度だったと思われる甲斐絹の布団が出て来た。困り果てて博物館の人に見てもらったところ、学芸員の人が指でこすって高級品だということがわかり、引き取ってもらえた。
 数度の区画整理・道路拡張にもめげずに健気にがんばっているようで微笑ましい。注連縄が多少不細工に見えるのは、この日風が強く飛んでしまったのを僕が掛け直したから。

 一方こちらは幹線道路でも何でもない八幡様に行く参道で朽ち果てている道祖神。
 災害に会ったのか、割れてしまったところを繋ぎ合わせたような跡があり、隣に観音様だか地蔵様が並んでいて、一番向こうには廿三夜(にじゅうさんや)と彫り込まれている。廿三夜は旧暦二十三日の月待ちの名残で、古くは念仏行事だった。月の出を迎えに行き拝んで帰る場所に二十三夜塔を建てたりした。
 この道は舗装もされていないすたれた道だが、かつては人通りもあった幹線道路だったに違いない。というのも喜寿庵からは桂川の対岸に当たるのだが、橋を渡って往来できるようになったのは昭和になってかららしいのだ(後述する)。
 ここから名月が見られたかどうかは不明だが、並んで立っているのも微笑ましい。

 ちょうどその道祖神のすぐ下流、がけ下にある巨石。河原にドーンと座っている。
 写真の腕が悪くてその巨大感が伝わらないのがもどかしいが、推定何十トンもありそうだ。
 子供の頃からこの石はどこから来たのか思いを巡らした。この崖の上から侵食されて落ちて来たのか、それとも上流の河口湖のあたりにあったのが何万年もかけてここまで転がって来たのか。まあ、この60年はこの位置にある。
 左上の方に小さな滝が見えるのがご愛敬。しかしながらこのアングルまで行くのは結構大変で、崖を降り岩を下り石伝いにせせらぎを越えなければならない。チョット楽しい。

 その桂川まで喜寿庵から下りていく坂の途中にある石柱。昔からあった。
 改めてよく見ると『富士見坂 昭和2年開削』と彫ってある。
 想像を逞しくすれば、昭和になるまでここには渓谷に降りて行く細い道があるだけで、その先には橋がなかったかもしれない。
 そうすると対岸には別の幹線道路(もちろん大したものではないにせよ)が川沿いにあったので、先ほどの八幡様のところに道祖神があったのも頷ける。
 この坂道が開削された前後に喜寿庵が今の姿になったのだから、ははぁ爺様の普請道楽がひどくなったのは昭和初期だとわかる。
 その爺様がこの坂を行き来したときにはどんな格好をしていたのか。満州で仕立てた支那服か、自慢の乗馬服か。

囲われている

 これは水路に沿ったところにあった『南無妙法蓮華経』と彫られた石と、小さな観音だかナントカ天の像。
 おそらく車が通るように道を整備した際に邪魔だったのだが、撤去するのにしのびなく、さりとて通行の妨げになるので、わざわざポールを立てて『ぶつけないでください』としたのだろう。
 そうした心遣いが嬉しい。
 初めのナントカ明王と同じく水難にあったおそらく子供さんの供養と思われる。

石橋

 
 最後は江戸時代初期につくられたストーン・ブリッジ。
 街中を流れる用水路は家中川と呼ばれている。何故か木製ではない石の橋が架けられていたそうで、その内の一つが某お寺に残されている。それは我が菩提寺ではない。
 そのお寺は当時の藩主秋元家や家老だった高山家のお墓があるが、その高山一族こそしばしば紹介している松尾芭蕉の俳句の弟子だった高山伝右衛門=俳号麋塒(びじ)の家なのだ。
 天和の大火で焼け出された芭蕉を招き、半年程ここに滞在した。
 全く関係ないが、壇ふみさんのご尊父である作家の壇一雄は明治45年にこの地で生まれたことはあまり知られていない。壇一雄の父君参郎が、ここにあった繊維工業試験場の嘱託をやっていたためだ。すると、その当時黒紋付の紋の染め抜きで羽振りの良かった僕の曽祖父にあたる逸と参郎氏は話ぐらいはしたかもしれない。曽祖父は独学で幾つもの特許を取った人だが相当の変わり者だったらしく(祖父はもっとひどいが)、普通の付き合いがあったかどうか。
 残念ながら物心もつかないうちに参朗氏は転勤してしまい、この地に壇一雄の痕跡はない。

 石にまつわる十景を選んだが、通りすがりの旅人がこれらを全て見つけるのは不可能と思える。旅人がこの全てを写メに撮って僕に送ってくれたら、スタンプ・ラリーのように賞金を出そうかな。仮想通貨ソナー・ダラーで100万!

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おそるおそる山から下る

2020 MAY 27 7:07:25 am by 西牟呂 憲

 この3色、楓・藤・新緑は毎年楽しみにしている喜寿庵の初夏の色合いです。母屋二階からのアングルですが、実に目にやさしい。
 楓は接ぎ木で、新芽の時からこういう色、紅葉の頃にはもう少し明るくなる種類です。芝生はまだまだアオくなく、ちょうどレーションを終えたところ。もう直ぐ色が濃くなります。すると雑草の草むしりがハンパない。
 遅咲きの枝垂桜が散った頃からこっちにいて、初夏も過ぎてしまいますなあ。東京のナンバー・プレートは肩身が狭いので出歩かないし誰にも会いません。
 毎日見ているうちに手作り菜園ネイチャー・ファームの異変に気が付きました。

 これはジャガイモの新芽ですが、別に今年蒔いた所でもなんでもないところに伸びてきました。
 去年の収穫の時に、あまりに小さくて使い物にならずに捨てたクズ芋が芽を吹いたようです。とするとこの健気なジャガイモは野生化したのでしょうか。
 そうだとすれば、毎年マトモなやつだけ採って後はほったらかしておけば、勝手に自生してくれるようになりゃせんかな。文字通りのネイチャー・ファームになって、木の実を取るようにジャガイモが収穫ができるかもしれません。
 その他、大根・ピーマン・茄子のレパートリーに加え、今年はスーパー・ガーリックにんに君が期待されます。去年は小指の先ほどのチビにんに君でしたが、勢いが違う、楽しみです。

 そろそろコロナ騒ぎも終息に向かっています。私がこの渦中でツラツラ思ったのは次の一言。
 自分の身は自分で守る
 これですね。
 ニュースを見ても、専門家の意見も、ネットの反応も、どれも信ずるに値しなかった。誰も分からなかったのです。
 トイレット・ペーパーを買いあさった、開いている他県のパチンコ屋に行った、自粛前に飲み屋・風俗に行った(中には野党議員も)、デマ・メールが飛び交ってそれを信じて拡散した、こういう人達も守らなければならない立場は大変でしょうね。以下は雑感です。

政府・及び総理 誰も何も分からない。専門家も知見が無い中での初動では。早期に学校の閉鎖を決めるとそれも批判される。一律十万円の給付に対して誰からも『ありがたい』という感想が聞かれない。西村・加藤両大臣は危機管理向きの顔じゃないのがマイナス。官邸官僚も危機には強くなかったですね。菅官房長官の切れ味もかすんでしまった。あの新法とマスクはさすがにマズかった。

小池都知事 こういう時はより過激な事を言った者勝ち、の間合いを良く心得ていますね。とにかく政府の鼻を明かしてやろう、の魂胆がミエミエで何かと『そこは国が』と発言するのも胡散臭い。ステイ・ホームと英語にしなくとも古来日本には「蟄居閉門」という美しい言葉がありますよ。国との対立軸を打ち出して煽るようにするところはポピュリストの面目躍如。ロックダウンという言葉を出して煽ったところは結局何でもなかった豊洲を思い出させて違和感がありました。都庁内部ではかなりの批判がでているらしいですね。時として目立ててうれしそうに見えるのは僕がヒネクレているからでしょうか。大阪モデルが出れば東京アラートね、マッ、再選確実おめでとうございます。

吉村大坂府知事 いい度胸をしてます。加えてバックが余程しっかりしているのでしょう。東京では見られませんが、喜寿庵では『そこまで言って委員会』が入るので、生出演しているのを見ました。どうやら松井大坂市長が支えているようです。更に、感染初期から具体的なアドバイスをしている優秀なブレーン(阪大医学部?)がいるのではないかな。中央は船頭が多すぎます。舞い上がらないでくださいね。

橋下徹 出だしの時は『みんな感染して抗体作っちゃえばいいんですよ。僕の子供たちみんな罹ってほしいぐらいだ』と言いましたね。熱が出ておとなしくなったと思ったらあのマズい法律へのイチャモンで息を吹き返しました。この人やっぱり政治家に向いてない。伸びませんね、政治家としては。既得権益だ何だと利害が渦巻いているのを涼しい顔して調整するのがプロでしょう。石原慎太郎タイプは大派閥の頭は張れないんです。面白いからもっとやっていいけど。

〇憲〇〇党議員 この国難に審議を遅らせる党利党略に血道を上げているところは実に品格を疑わせるものでした。コロナ騒ぎで最も役に立たなかった政治家はキミ達だ。そんなことばかりしてると絶対に支持率は増えません。特に高卒発言はイカン。

番外 黒川検事長 何とも魔の悪い時に麻雀に興じたもの。

 こういう時に頼りになる「あの人が出てきたらもう大丈夫だ」となる長老がいない。例えば故佐々淳行氏のような危機管理のプロ、神様。相当な修羅場を潜り抜けてきた歴戦の強者が、『そういう時はなあ』とのっそり現れれば国民も安心します。サマワのヒゲの隊長・佐藤参議院議員あたりに将来期待したいですね。そうそうサマワで思い出したが、自衛隊にはもっと凄い番匠幸一郎という優秀なOBもいる、派遣部隊の群長でした。この人は外務省や民間の丸紅に出向したこともあるメチャクチャ優秀な方です。こういう人に危機管理官をやってほしい。
 それにしても我が国のコロナの死亡者数(亡くなられた方々に心よりのご冥福を祈ります)なんかはダントツに少ないのは何故か。今月号の文芸春秋で山中ドクターが『ファクターX』と呼んでいた何かを日本人が持っているとすれば、これを追及して二度目のノーベル賞でしょうね。案外それは神風が吹いていたせいかもしれませんよ。
 そして後手後手に回ったと言われる政府の対応が最善の策だったりして。

 などと思っていたら初夏も過ぎて梅雨の季節になってしまいます。
 冒頭のアングルから撮った三色のうち藤の花がもう散って緑が濃くなってきました。季節は巡っています。
 更にはあの野生のジャガイモに花が咲いてしまいました。
 そしてついに緊急事態宣言が解除されます。しかしホイホイ巷を飲み歩くのはまだ先でしょう。必ず第2波は来ます。海外から来るのかそれとも深く先行したウィルスが再び変異・活性化するのか、それは分かりません。
 だからもう一度『自分の身は自分で守る』と強調せざるを得ません。
 
 

 最前線で戦ってこられた全ての医療関係者の皆様の御健闘に最大の敬意を込めて、山を下ります。

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喜寿庵で植樹

2020 APR 29 17:17:59 pm by 西牟呂 憲

 コロナ・クライシスに怯える東京にいるより安全なので喜寿庵にいる。テレ・ワークなるものにもチャレンジしているが、これは我々おじさんには慣れるまで多少の時間がかかる。
 ところがその間に緊急事態宣言が出てしまい、あんまり大っぴらに行き来するのも憚られる事態になってしまった。こちらの方にコロナを持って来た、と思われると居心地が悪くなってしまう。まあ、近所といえるほどの人口密度はないエリアだが。飲み屋もないし。

 実は先月、さるめでたいことがあり、ギリギリでコロナ・パニックになる直前だったので、喜寿庵のネイチャー・ファームの一画に記念植樹をした。この『センダイシダレザクラ』という品種は遅咲きので、4月15日時点が満開である。勢い余って『礼』と名前まで付け、天にお礼をしたつもりだ。
 ついでに広がるるコロナ禍をおさえるため、八百万の神を鎮る自作の「疫病退散」の踊りを奉納しようと、某日厳かに神事を執り行っていた。
 四方に酒を注ぎ残りを飲み、疫病退散を踊っていると、
『ナーニやってんだい』
 の声。ヒョッコリ先生ではないか。また勝手に入り込んだのか、しかも神聖な踊りの最中に。
『いやー、東京はコロナ騒ぎで大変なんでこっちでおとなしくしてるんですよ』
 と取り繕った。
『いや、そこから見たら頭がおかしくなって疫病退散の踊りでも踊ってるのかと思ったよ。ガハハハハ』
『まさか、アハハハ(いやなジジイだな)。先生はコロナ対策なんかどうしてるんですか』
『あれは弱ったなぁ。大体ああいった新種のウィルスに対する抗体を体内で作れるように普段から注意しておかないと。特に都会の人なんか弱い』
『(また知ったかぶりして)普段からって言っても何をすればいいのか分からないでしょう』
『ん?ゲンノショウコウを煎じて飲んで、それでも咳が出たら葛根湯をのめばいい』
『(聞かなきゃ良かった。お亡くなりになった方もいるというのに)ところでピッコロ君とマリリンちゃんはどうしてますか』
『一緒に来て芝生で遊んでるよ』
『(勝手に遊ばせるなよ)最近僕が不定期に読み書きを教えてあげたりしているんですよ(お前が面倒みてそうにないからな)』
『それは無理だよ。あいつらは字を読んだり書いたりはできんだろう』
『いや、凄く覚えが早いですよ。しかし何か国籍とか問題あるんですか。もう学齢に達しているんでしょう』
『ムチャいうなよ。あいつらにどうやって学校に行かせられるんだ』
『エーッそんな』
『おーい、ピッコロ』
 先生はファームから芝生の庭に行ってしまった。しょうがないな、奉納踊りの途中だったのに。

これが?

『このおじさんはオマエに字を教えてるって言うけどムチャいうなよ、だよなぁ』
 なに!これ犬じゃないか。そういえば以前ヒョッコリ先生はペットの犬を飼ってると言っていたけど・・・。
『ピッコロってこのワン公の名前ですか』
『あたりまえじゃないか。なーピッコロや』
『ワン、ワン』
 嬉しそうに尻尾を振って、ワッ飛びついてきた、僕に懐いている。

マリリン?

『あのー、マリリンちゃんは・・。妹の』
『へぇ?妹?マリリン、こっちにおいで』
 ササッと現れたのは違う犬種だけど、やっぱり犬ではある。
 気が遠くなりそうだが、何とか記憶を辿ってみた。
 ヒョッコリ先生が二人の子供を連れてきて、僕はその子達と遊んだ。暫くしてまた会ったときに先生が『そんな子供は知らない。それは飼っている犬の名前だ』と言ったのも確かだ。
 しかしその後もピッコロ君やマリリンちゃんはたまにやって来て僕と遊んだ。そして複雑な境遇のようなので僕が字や言葉を教えるようになった。ここまでが時系列で辿れた。
 その間も先生は学生さん達と会合していた所に現れたり、勝手に芝生でバーベキューをやったことさえあったっけ。
 それはいいのだが、そうだとするとヒョッコリ先生は二人いて片方のヒョッコリAは子供の面倒を見ており(見てないようだが)、もう一人のヒョッコリBは同じ名前の犬を飼っているとでもいうのか。
 いや、それとも大腸癌手術の後遺症、或いは睡眠導入剤の多用、飲酒による脳障害等で僕が犬と子供の識別ができなくなったのか。
『それじゃまたね。お前たち帰るよ』
 と先生はスタコラ帰って行った。
 植樹した枝垂桜『礼』を見上げて力なく呟くのみだった。
「オレの頭が狂ってアルツハルマゲドン状態になっても、お前だけは真実を見つめ続けてくれ。お前は今年からここに来たのだから過去はいいから、しっかりと後を頼むよ」
 そろそろ夜陰に紛れて上京しようか。

 そう思っていると、緊急事態宣言が全国に展開されてしまい県をまたいでの移動を自粛せよとのお達しが、ステイ・ホームだとか。この語感、何でも横文字にする某知事の趣味が前面にでて嫌いだが。東京に舞い戻るのも具合が悪いまま連休になってしまった。これは・・・。

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喜寿庵 十景(街中編)

2020 APR 15 20:20:07 pm by 西牟呂 憲

 先だって

喜寿庵十景

として喜寿庵とそこからから歩いて行ける私設名所を作って遊んだが、車で廻れるところまで範囲を広げると、実際に観賞に耐えられる面白い街であることが分かって頂けるだろう、と十景を選んでみた。

猿橋

1.名勝『猿橋』
 喜寿庵からは遠いが車で30分もかからないところにある甲州街道の橋で、推古天皇の頃に渡来した百済の志羅呼(しらこ)が猿が繋がっているのに着想を得て架けた橋、という言い伝えがある。名前の由来だ。
 下を流れる渓谷が30mと深いために橋桁が立てられず、両岸の岩盤に穴を開けて刎ね木(はねぎ)を斜めに差込み、四層に重ねて板を渡す独特の造り。
 江戸時代の浮世絵師、歌川広重が大型錦絵「甲陽猿橋図」に描いた。
 俗に『日本三奇橋』の一つといい、他に岩国の錦帯橋、三つ目は日光の神橋と、黒部川の
刎橋、木曽の棧、徳島のかずら橋などが称されている。

2.時代祭りの大名行列
 江戸初期にここも大名秋元家がいた。その後川越に移封された際に参勤交代の用具を払い下げていったため、往時を偲んで農民が大名行列を秋祭りに仕立てたのが始まり、とされている。
 奴の後には槍組・鉄砲組・騎馬武者と続く。その俊にお姫様役に選ばれた若い女性も行列に加わって華やか且つ可愛らしい。
 夜半には八朔屋台が練り歩き、その他のアトラクションも年々趣向を凝らしたものになってきている。9月1日に学校も休んで執り行われている。

絹問屋 資料館

3.商家史料館
 大正期に建てられた大手絹問屋さん。国道に面して奥行きもある大店の凝った造り。
 このあたりは養蚕・撚糸・機織・染色と一貫生産で絹製品を卸せる一大産業集積地で、昔はこの手の家がもっと残っていた。私も小さい頃に染物で家中川が染まったのを見た記憶がある。
 この家の主は東京への絹製品の卸しに加え、生糸そのものも台湾・朝鮮・満州に輸出していて、洋間の応接室や二階住居部分などは凝った造りになっていて無料の入館がもったいないくらいだ。二階の古い写真展示に、私から三代前の爺様がやっていた染色工場の写真があった。

桃林軒

4.復刻芭蕉庵
 江戸の大火で焼け出された松尾芭蕉は、俳諧の弟子だった秋元藩国家老、高山麋塒を頼って半年ほどここに滞在した。その寓居を桃林軒と名付けていたものを地元有志が復刻させたお茶室。
 瓦葺であるため往時の面影はないが、確かに芭蕉が滞在したシンボルとして市民が愛しんでいる。
 滞在時に残した句とされるものがいくつかあり、市内に句碑が建てられているが、
 勢いあり 氷り消えては 瀧津魚
 馬ぼくぼく 吾を絵に見る 夏野かな

 の二句は私の好むところだ。
 芭蕉にちなんだ『月待ちの湯』という天然温泉もある。

火渡り

5.火渡り
 ご近所のお不動様と呼ばれているお寺は正式には龍石寺。
 毎年火渡りが行われていて私も渡ったことがある。確かに熱くはなくて直ぐに済んでしまうが迫力は凄い。
 渡れるように燃え落ちるまでは火炎が立ち上りまわりは凄い熱気だ。
 山伏のような装束の行者様が破魔矢を放ち、破邪顕正の太刀で気合を掛けてから最初に渡る。
 渡るときは結構恐くて、中には立ち往生してしまう女性もいたりする。黒々とした燃えていない所を踏めばそう熱さは感じないでできる。

お茶壺様

6.お茶壺道中
 元勝山城は廃城になったあとにお茶壺蔵が置かれた。宇治の最高級のお茶を納め夏を過ぎてから江戸まで運ぶのがお茶壺道中で、街の産業展示会の時にアトラクションとして行われる。元禄時代まではこのルートだった。
 実際のお茶壺道中は大変権威のある謂わば大名行列で、格式はその上とされた。従って行列が通り過ぎるまでは土下座しなければならず、子供は戸口の出入りが禁止された。これが『茶壷に終われてトッピンシャン』である。即ち戸をピシャッと閉めるわけだ。
 十月に行われている。

鉱口跡

7.宝鉱山跡
 明治の初めに銅鉱石が採掘され、昭和になってからは鉄鉱石の鉱山として三菱が経営していた。昭和45年に閉山。
 一時は精錬もやっていたり、索道で笹子駅まで鉱石を運搬していた。古い写真を見るとスキーのリフトのような物だった。
 笹子駅は嘗てのスイッチ・バックの跡が見られる。
 このエリアも病院・学校・映画館と賑わっていたそうだが、つわもの共の夢の跡状態。
 ここを起点にしたハイキング・コースがあって、三つ峠へ行くルートは結構本格的な登山道。

元小学校 かわいい

8、旧尾県小学校
 明治11年に建てられた小学校。廃校後に民俗資料館にしたもの。バルコニー付きの可愛らしい造りで楽しそうな学校だったろう。
 山梨県令藤村紫朗の肝いりで洋風の木造建築が盛んに建てられた。その建築様式は藤村式と称されて、県内に幾つか残っている文化財の一つ。
 複式学級で3クラス、他に裁縫室なんかがあり、当時の教科書とか貴重な展示がある。
 特筆すべきは昭和5~6年に東武鉄道グループの総帥だった根津嘉一郎が郷土のために200台のピアノを寄贈した一台が倉庫で発見され、調律師の斎藤信哉さんが外見をそのままに直して展示してある。ちゃんと音もでて、毎年秋にコンサートが開かれている。

9、市民第九合唱
 毎年行われる年末の風物詩。
 指揮とソリストにプロを招き、演奏と合唱は市民が参加してやっている。
 大学生や市民の老若男女が10月くらいから練習を始めていくのだが、学生以外は常連の人も多くその手作り感は素晴らしい。
 少し離れた町の合唱団の参加しているそうだ。
 このホールには定期的に演奏するオヤジ・バンドやグループの発表会もあって、結構充実している。

ホントかよ

10.石船神社
 年に一度、大塔宮護良親王の首級と伝わる頭蓋骨が金庫から出されて公開される。
 父親である魔人後醍醐天皇に裏切られて鎌倉に幽閉されていた親王は、北条高時の一子北条時行が暴れまわったドサクサに暗殺される。その首を愛妾雛鶴姫が持って山越えをしようとしてこの地で亡くなったという伝説があり、近くに姫を祭る雛鶴神社もある。その時に抱いていた親王の首級だというのだが、怪しすぎる。
 ミイラ首は人間の頭骨に寄せ木細工で肉付けして顔の形に復元。その上へうるしを塗って復顔したものだそうだ。
 但し、表に出てくるのは一年に一度だけです。

 いかがでした。日帰りできますので一度訪ねてみては。

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喜寿庵十景

2020 FEB 28 6:06:09 am by 西牟呂 憲

 週末を過ごしている喜寿庵で、昨年はジャガイモ1年分、ナス、ピーマン少々、ニンニク5株、ダイコン10本の収穫を得た。こう書くと働きに行っているように思われるが、それなりに風光明媚で味わい深い景勝も多少ある。喜寿庵の周辺に絞って紹介したい衝動に駆られたので残しておくことにした。俗化していないので小人数、できれば一人か二人でドライヴにはお勧めだ。車で10分で行ける温泉もあるし、一泊するならお勧めは

お宿 ぽっぽや 

がある。
もっとも私邸であるから勝手には入れないので悪しからず。

芭蕉も見た

1.名勝『田原の滝』
 街外れにある名瀑。
 侵食による滝の後退が進んでしまうので、護岸工事で二段の滝となった。
 天和二(1682)年に火事で焼きだされたため、松尾芭蕉は翌天和三(1683)年にこの街に暫く滞在している。その頃この滝を見て
 勢ひあり 氷消えては 瀧津魚
 と詠んでいる。
 その頃は段の無い、今よりも荒々しい滝だったらしい。

まるでドーム

2.菩提寺の枝垂桜ドーム
 ここでこの桜の下に座って毎年一服するのを楽しみにしている。
 この地は寒さが緩むのが遅く、4月の頭が見ごろなのだ。
 そして亡きおふくろ様の命日がドンピタで、来るたびにわざとこの時期を選んであの世に旅立ったのではないかとの疑いが拭えない。西行法師を気取ったのじゃないか、と。芝居ッ気の多い人だったから。
 願はくは花の下にて春死なん  とね。

ガマ石

 

             
                                                
3.謎のガマ石
 むかしむかし、桂川の淵に大きなガマがすんでいました。
 そのガマはもう何千年も生きているらしいのでずいぶんと知恵がありました。
 桂川で大水が出たときは、崖をよじ登って来て村人に食べ物をねだるのです。よこさないとその年に生まれた赤ん坊を食べちゃうぞとおどすので、村人は困っていました。
 困った村人はみんなでお祭りしている滋養神社の滋養様に『何とかして下さい』とお願いすると、滋養様は言います。
『そんな悪いガマは石にしてしまうから、みんなで奉りなさい』
 そしてガマは石になり、村人はその石を大切にしながら平和に今でも暮らしています(ガマではなく亀という説もあり)。全部ウソです

表門

4.開かずの表門
 喜寿庵の表門。
 しかし、面しているのは私道であり並行して電車の線路がありここを通って入ってくる人はいない。
 どうも家相に凝ってこしらえたらしいが、車窓の風景にしかならない意味不明の造り。
 植木屋さんはホイホイ出入りしているが、家の者が最後に通ったのは五代目が海軍から帰ってきた時だったという伝説になっている。

曽祖父の碑

5.曽祖父の碑
 発明家だった曽祖父を讃えるつもりで昭和初期にその息子(私の祖父)が建てた石造りの記念碑。
 身長176の私の目線から撮影してこの高さなので結構でかい。
 不思議なことに全く私にも私の親父にも似ていない。
 一度この像を見たロシア人が「レーニンに似ている」と言い出して驚いた、確かに似ている。
 見えにくくなっているが、昔の特許番号が彫ってあり、凄い若い番号なのがわかる。

6.飛び地の馬頭観音
 以前にもブログに書いたが、いつからウチの地所なのか、なぜこんな所に私有地があるのか誰も分からない謎の飛び地。その境目に石碑が立っているのは知っていたが、改めて見ると何と「馬頭観音」の文字が。
 飛び地の登記簿には農地であるとされていて、確かに嘗ては畑だったような形跡があり、誰かが何かをしていたことは確かだが、後背地は鬱蒼とした森林で、ただでさえ不気味な場所だ。
 「馬頭観音」は観音菩薩の変化身で、馬頭人身の逆ケンタウロスだ。ただ仏像では人面であることが多く、その代わり三面だったり腕が4本とか8本だったり、いずれにせよ恐い。
 祟られないように行く度にこっそり手を合わせることにしている。
 因みに今の地権者は私だ。相続していた伯父が面倒になって押し付けてきたのだ。

桜の頃山頂から

7.勝山城址からの富士
 かつての城址で、標高570mのお城山の頂上からの富士山。この山は喜寿庵から約15分で登れる。桜が咲く頃が最もきれいだ。
 諸説あるが、戦国時代にはじめは武田と敵対した後に臣従した小山田の築いた山城があった。確かに山頂は平に整地され、山道には石垣を積んだり空堀と思われる遺構も散見される。そして江戸期に一時秋元藩だった後廃城となるが、宇治から献上されるお茶が越夏のため茶壷蔵に保管されていた。
 お茶壺道中は大名行列と同格で、世が世であれば土下座しなければならない。
 ここには子供の頃から何回も登っていて、長じては息子と二人でテントを張って泊まったりした。

8.桂川渓谷の洞穴
 喜寿庵から崖下の桂川まで降りると吊橋の向こう岸に見える洞窟。
 かなり侵食されている所に穴が四つ見えるが、一部は中で繋がっている。
 体の小さかった子供の頃にみんなで探検に行った事があるのだが、それでも奥まで行けなかった。おまけに蝙蝠が岩肌にたくさんついていて、恐かった。
 僕等は「あれは古代人の住居跡だ」とか「武田の落ち武者の隠れ家だったらしい」といったヨタを飛ばしたものだが、去年の台風時には水面下になったくらいだから、あそこの層だけもろい地層なんだろう。
 今度行こうと毎夏思うが果たせていない。

9.『今会いに行きます』のロケ地
 映画とは別にTBSのドラマで使われた駅が右に、左側にある家は作中では本郷医院という病院の設定でロケが行われた。
 更に喜寿庵の目の前の踏み切りでも撮影され、成宮寛貴がリハーサルしていたのを見た。ミムラとかいう女優さんもいたらしい。
 ところでこの駅舎は乃木坂46「今、話したい誰かがいる」のプロモーション・ビデオや『埋もれる』というWOWOWドラマにも登場する、ちょっとしたスポットである。

表玄関前

10.雪の玄関前
 年に1~2度ほど雪が積もるが、その時は出入り口を確保するのに苦労させられる。コツは振り初めに箒で掃くこと。だが豪雪の場合はそうはいかない。
 特に家の前は大型の除雪車で積み上げられてしまうと車は出せなくなる。一度お正月に閉じ込められて2日程遭難していたことがあった。
 向かって右側に表門から入れる玄関があるが、表門と同じで普段は使っていない。なかなかの風情の一枚と思って入れた。

 十景で止めたが、ここまで書いてきて街中・近隣には(既にブログに書いているのも含め)まだ紹介したいお祭りやイベントがあることに気が付いた。改めて紹介してみたい。

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