Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 和の心 喜寿庵

おそるおそる山から下る

2020 MAY 27 7:07:25 am by 西牟呂 憲

 この3色、楓・藤・新緑は毎年楽しみにしている喜寿庵の初夏の色合いです。母屋二階からのアングルですが、実に目にやさしい。
 楓は接ぎ木で、新芽の時からこういう色、紅葉の頃にはもう少し明るくなる種類です。芝生はまだまだアオくなく、ちょうどレーションを終えたところ。もう直ぐ色が濃くなります。すると雑草の草むしりがハンパない。
 遅咲きの枝垂桜が散った頃からこっちにいて、初夏も過ぎてしまいますなあ。東京のナンバー・プレートは肩身が狭いので出歩かないし誰にも会いません。
 毎日見ているうちに手作り菜園ネイチャー・ファームの異変に気が付きました。

 これはジャガイモの新芽ですが、別に今年蒔いた所でもなんでもないところに伸びてきました。
 去年の収穫の時に、あまりに小さくて使い物にならずに捨てたクズ芋が芽を吹いたようです。とするとこの健気なジャガイモは野生化したのでしょうか。
 そうだとすれば、毎年マトモなやつだけ採って後はほったらかしておけば、勝手に自生してくれるようになりゃせんかな。文字通りのネイチャー・ファームになって、木の実を取るようにジャガイモが収穫ができるかもしれません。
 その他、大根・ピーマン・茄子のレパートリーに加え、今年はスーパー・ガーリックにんに君が期待されます。去年は小指の先ほどのチビにんに君でしたが、勢いが違う、楽しみです。

 そろそろコロナ騒ぎも終息に向かっています。私がこの渦中でツラツラ思ったのは次の一言。
 自分の身は自分で守る
 これですね。
 ニュースを見ても、専門家の意見も、ネットの反応も、どれも信ずるに値しなかった。誰も分からなかったのです。
 トイレット・ペーパーを買いあさった、開いている他県のパチンコ屋に行った、自粛前に飲み屋・風俗に行った(中には野党議員も)、デマ・メールが飛び交ってそれを信じて拡散した、こういう人達も守らなければならない立場は大変でしょうね。以下は雑感です。

政府・及び総理 誰も何も分からない。専門家も知見が無い中での初動では。早期に学校の閉鎖を決めるとそれも批判される。一律十万円の給付に対して誰からも『ありがたい』という感想が聞かれない。西村・加藤両大臣は危機管理向きの顔じゃないのがマイナス。官邸官僚も危機には強くなかったですね。菅官房長官の切れ味もかすんでしまった。あの新法とマスクはさすがにマズかった。

小池都知事 こういう時はより過激な事を言った者勝ち、の間合いを良く心得ていますね。とにかく政府の鼻を明かしてやろう、の魂胆がミエミエで何かと『そこは国が』と発言するのも胡散臭い。ステイ・ホームと英語にしなくとも古来日本には「蟄居閉門」という美しい言葉がありますよ。国との対立軸を打ち出して煽るようにするところはポピュリストの面目躍如。ロックダウンという言葉を出して煽ったところは結局何でもなかった豊洲を思い出させて違和感がありました。都庁内部ではかなりの批判がでているらしいですね。時として目立ててうれしそうに見えるのは僕がヒネクレているからでしょうか。大阪モデルが出れば東京アラートね、マッ、再選確実おめでとうございます。

吉村大坂府知事 いい度胸をしてます。加えてバックが余程しっかりしているのでしょう。東京では見られませんが、喜寿庵では『そこまで言って委員会』が入るので、生出演しているのを見ました。どうやら松井大坂市長が支えているようです。更に、感染初期から具体的なアドバイスをしている優秀なブレーン(阪大医学部?)がいるのではないかな。中央は船頭が多すぎます。舞い上がらないでくださいね。

橋下徹 出だしの時は『みんな感染して抗体作っちゃえばいいんですよ。僕の子供たちみんな罹ってほしいぐらいだ』と言いましたね。熱が出ておとなしくなったと思ったらあのマズい法律へのイチャモンで息を吹き返しました。この人やっぱり政治家に向いてない。伸びませんね、政治家としては。既得権益だ何だと利害が渦巻いているのを涼しい顔して調整するのがプロでしょう。石原慎太郎タイプは大派閥の頭は張れないんです。面白いからもっとやっていいけど。

〇憲〇〇党議員 この国難に審議を遅らせる党利党略に血道を上げているところは実に品格を疑わせるものでした。コロナ騒ぎで最も役に立たなかった政治家はキミ達だ。そんなことばかりしてると絶対に支持率は増えません。特に高卒発言はイカン。

番外 黒川検事長 何とも魔の悪い時に麻雀に興じたもの。

 こういう時に頼りになる「あの人が出てきたらもう大丈夫だ」となる長老がいない。例えば故佐々淳行氏のような危機管理のプロ、神様。相当な修羅場を潜り抜けてきた歴戦の強者が、『そういう時はなあ』とのっそり現れれば国民も安心します。サマワのヒゲの隊長・佐藤参議院議員あたりに将来期待したいですね。そうそうサマワで思い出したが、自衛隊にはもっと凄い番匠幸一郎という優秀なOBもいる、派遣部隊の群長でした。この人は外務省や民間の丸紅に出向したこともあるメチャクチャ優秀な方です。こういう人に危機管理官をやってほしい。
 それにしても我が国のコロナの死亡者数(亡くなられた方々に心よりのご冥福を祈ります)なんかはダントツに少ないのは何故か。今月号の文芸春秋で山中ドクターが『ファクターX』と呼んでいた何かを日本人が持っているとすれば、これを追及して二度目のノーベル賞でしょうね。案外それは神風が吹いていたせいかもしれませんよ。
 そして後手後手に回ったと言われる政府の対応が最善の策だったりして。

 などと思っていたら初夏も過ぎて梅雨の季節になってしまいます。
 冒頭のアングルから撮った三色のうち藤の花がもう散って緑が濃くなってきました。季節は巡っています。
 更にはあの野生のジャガイモに花が咲いてしまいました。
 そしてついに緊急事態宣言が解除されます。しかしホイホイ巷を飲み歩くのはまだ先でしょう。必ず第2波は来ます。海外から来るのかそれとも深く先行したウィルスが再び変異・活性化するのか、それは分かりません。
 だからもう一度『自分の身は自分で守る』と強調せざるを得ません。
 
 

 最前線で戦ってこられた全ての医療関係者の皆様の御健闘に最大の敬意を込めて、山を下ります。

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喜寿庵で植樹

2020 APR 29 17:17:59 pm by 西牟呂 憲

 コロナ・クライシスに怯える東京にいるより安全なので喜寿庵にいる。テレ・ワークなるものにもチャレンジしているが、これは我々おじさんには慣れるまで多少の時間がかかる。
 ところがその間に緊急事態宣言が出てしまい、あんまり大っぴらに行き来するのも憚られる事態になってしまった。こちらの方にコロナを持って来た、と思われると居心地が悪くなってしまう。まあ、近所といえるほどの人口密度はないエリアだが。飲み屋もないし。

 実は先月、さるめでたいことがあり、ギリギリでコロナ・パニックになる直前だったので、喜寿庵のネイチャー・ファームの一画に記念植樹をした。この『センダイシダレザクラ』という品種は遅咲きので、4月15日時点が満開である。勢い余って『礼』と名前まで付け、天にお礼をしたつもりだ。
 ついでに広がるるコロナ禍をおさえるため、八百万の神を鎮る自作の「疫病退散」の踊りを奉納しようと、某日厳かに神事を執り行っていた。
 四方に酒を注ぎ残りを飲み、疫病退散を踊っていると、
『ナーニやってんだい』
 の声。ヒョッコリ先生ではないか。また勝手に入り込んだのか、しかも神聖な踊りの最中に。
『いやー、東京はコロナ騒ぎで大変なんでこっちでおとなしくしてるんですよ』
 と取り繕った。
『いや、そこから見たら頭がおかしくなって疫病退散の踊りでも踊ってるのかと思ったよ。ガハハハハ』
『まさか、アハハハ(いやなジジイだな)。先生はコロナ対策なんかどうしてるんですか』
『あれは弱ったなぁ。大体ああいった新種のウィルスに対する抗体を体内で作れるように普段から注意しておかないと。特に都会の人なんか弱い』
『(また知ったかぶりして)普段からって言っても何をすればいいのか分からないでしょう』
『ん?ゲンノショウコウを煎じて飲んで、それでも咳が出たら葛根湯をのめばいい』
『(聞かなきゃ良かった。お亡くなりになった方もいるというのに)ところでピッコロ君とマリリンちゃんはどうしてますか』
『一緒に来て芝生で遊んでるよ』
『(勝手に遊ばせるなよ)最近僕が不定期に読み書きを教えてあげたりしているんですよ(お前が面倒みてそうにないからな)』
『それは無理だよ。あいつらは字を読んだり書いたりはできんだろう』
『いや、凄く覚えが早いですよ。しかし何か国籍とか問題あるんですか。もう学齢に達しているんでしょう』
『ムチャいうなよ。あいつらにどうやって学校に行かせられるんだ』
『エーッそんな』
『おーい、ピッコロ』
 先生はファームから芝生の庭に行ってしまった。しょうがないな、奉納踊りの途中だったのに。

これが?

『このおじさんはオマエに字を教えてるって言うけどムチャいうなよ、だよなぁ』
 なに!これ犬じゃないか。そういえば以前ヒョッコリ先生はペットの犬を飼ってると言っていたけど・・・。
『ピッコロってこのワン公の名前ですか』
『あたりまえじゃないか。なーピッコロや』
『ワン、ワン』
 嬉しそうに尻尾を振って、ワッ飛びついてきた、僕に懐いている。

マリリン?

『あのー、マリリンちゃんは・・。妹の』
『へぇ?妹?マリリン、こっちにおいで』
 ササッと現れたのは違う犬種だけど、やっぱり犬ではある。
 気が遠くなりそうだが、何とか記憶を辿ってみた。
 ヒョッコリ先生が二人の子供を連れてきて、僕はその子達と遊んだ。暫くしてまた会ったときに先生が『そんな子供は知らない。それは飼っている犬の名前だ』と言ったのも確かだ。
 しかしその後もピッコロ君やマリリンちゃんはたまにやって来て僕と遊んだ。そして複雑な境遇のようなので僕が字や言葉を教えるようになった。ここまでが時系列で辿れた。
 その間も先生は学生さん達と会合していた所に現れたり、勝手に芝生でバーベキューをやったことさえあったっけ。
 それはいいのだが、そうだとするとヒョッコリ先生は二人いて片方のヒョッコリAは子供の面倒を見ており(見てないようだが)、もう一人のヒョッコリBは同じ名前の犬を飼っているとでもいうのか。
 いや、それとも大腸癌手術の後遺症、或いは睡眠導入剤の多用、飲酒による脳障害等で僕が犬と子供の識別ができなくなったのか。
『それじゃまたね。お前たち帰るよ』
 と先生はスタコラ帰って行った。
 植樹した枝垂桜『礼』を見上げて力なく呟くのみだった。
「オレの頭が狂ってアルツハルマゲドン状態になっても、お前だけは真実を見つめ続けてくれ。お前は今年からここに来たのだから過去はいいから、しっかりと後を頼むよ」
 そろそろ夜陰に紛れて上京しようか。

 そう思っていると、緊急事態宣言が全国に展開されてしまい県をまたいでの移動を自粛せよとのお達しが、ステイ・ホームだとか。この語感、何でも横文字にする某知事の趣味が前面にでて嫌いだが。東京に舞い戻るのも具合が悪いまま連休になってしまった。これは・・・。

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喜寿庵 十景(街中編)

2020 APR 15 20:20:07 pm by 西牟呂 憲

 先だって

喜寿庵十景

として喜寿庵とそこからから歩いて行ける私設名所を作って遊んだが、車で廻れるところまで範囲を広げると、実際に観賞に耐えられる面白い街であることが分かって頂けるだろう、と十景を選んでみた。

猿橋

1.名勝『猿橋』
 喜寿庵からは遠いが車で30分もかからないところにある甲州街道の橋で、推古天皇の頃に渡来した百済の志羅呼(しらこ)が猿が繋がっているのに着想を得て架けた橋、という言い伝えがある。名前の由来だ。
 下を流れる渓谷が30mと深いために橋桁が立てられず、両岸の岩盤に穴を開けて刎ね木(はねぎ)を斜めに差込み、四層に重ねて板を渡す独特の造り。
 江戸時代の浮世絵師、歌川広重が大型錦絵「甲陽猿橋図」に描いた。
 俗に『日本三奇橋』の一つといい、他に岩国の錦帯橋、三つ目は日光の神橋と、黒部川の
刎橋、木曽の棧、徳島のかずら橋などが称されている。

2.時代祭りの大名行列
 江戸初期にここも大名秋元家がいた。その後川越に移封された際に参勤交代の用具を払い下げていったため、往時を偲んで農民が大名行列を秋祭りに仕立てたのが始まり、とされている。
 奴の後には槍組・鉄砲組・騎馬武者と続く。その俊にお姫様役に選ばれた若い女性も行列に加わって華やか且つ可愛らしい。
 夜半には八朔屋台が練り歩き、その他のアトラクションも年々趣向を凝らしたものになってきている。9月1日に学校も休んで執り行われている。

絹問屋 資料館

3.商家史料館
 大正期に建てられた大手絹問屋さん。国道に面して奥行きもある大店の凝った造り。
 このあたりは養蚕・撚糸・機織・染色と一貫生産で絹製品を卸せる一大産業集積地で、昔はこの手の家がもっと残っていた。私も小さい頃に染物で家中川が染まったのを見た記憶がある。
 この家の主は東京への絹製品の卸しに加え、生糸そのものも台湾・朝鮮・満州に輸出していて、洋間の応接室や二階住居部分などは凝った造りになっていて無料の入館がもったいないくらいだ。二階の古い写真展示に、私から三代前の爺様がやっていた染色工場の写真があった。

桃林軒

4.復刻芭蕉庵
 江戸の大火で焼け出された松尾芭蕉は、俳諧の弟子だった秋元藩国家老、高山麋塒を頼って半年ほどここに滞在した。その寓居を桃林軒と名付けていたものを地元有志が復刻させたお茶室。
 瓦葺であるため往時の面影はないが、確かに芭蕉が滞在したシンボルとして市民が愛しんでいる。
 滞在時に残した句とされるものがいくつかあり、市内に句碑が建てられているが、
 勢いあり 氷り消えては 瀧津魚
 馬ぼくぼく 吾を絵に見る 夏野かな

 の二句は私の好むところだ。
 芭蕉にちなんだ『月待ちの湯』という天然温泉もある。

火渡り

5.火渡り
 ご近所のお不動様と呼ばれているお寺は正式には龍石寺。
 毎年火渡りが行われていて私も渡ったことがある。確かに熱くはなくて直ぐに済んでしまうが迫力は凄い。
 渡れるように燃え落ちるまでは火炎が立ち上りまわりは凄い熱気だ。
 山伏のような装束の行者様が破魔矢を放ち、破邪顕正の太刀で気合を掛けてから最初に渡る。
 渡るときは結構恐くて、中には立ち往生してしまう女性もいたりする。黒々とした燃えていない所を踏めばそう熱さは感じないでできる。

お茶壺様

6.お茶壺道中
 元勝山城は廃城になったあとにお茶壺蔵が置かれた。宇治の最高級のお茶を納め夏を過ぎてから江戸まで運ぶのがお茶壺道中で、街の産業展示会の時にアトラクションとして行われる。元禄時代まではこのルートだった。
 実際のお茶壺道中は大変権威のある謂わば大名行列で、格式はその上とされた。従って行列が通り過ぎるまでは土下座しなければならず、子供は戸口の出入りが禁止された。これが『茶壷に終われてトッピンシャン』である。即ち戸をピシャッと閉めるわけだ。
 十月に行われている。

鉱口跡

7.宝鉱山跡
 明治の初めに銅鉱石が採掘され、昭和になってからは鉄鉱石の鉱山として三菱が経営していた。昭和45年に閉山。
 一時は精錬もやっていたり、索道で笹子駅まで鉱石を運搬していた。古い写真を見るとスキーのリフトのような物だった。
 笹子駅は嘗てのスイッチ・バックの跡が見られる。
 このエリアも病院・学校・映画館と賑わっていたそうだが、つわもの共の夢の跡状態。
 ここを起点にしたハイキング・コースがあって、三つ峠へ行くルートは結構本格的な登山道。

元小学校 かわいい

8、旧尾県小学校
 明治11年に建てられた小学校。廃校後に民俗資料館にしたもの。バルコニー付きの可愛らしい造りで楽しそうな学校だったろう。
 山梨県令藤村紫朗の肝いりで洋風の木造建築が盛んに建てられた。その建築様式は藤村式と称されて、県内に幾つか残っている文化財の一つ。
 複式学級で3クラス、他に裁縫室なんかがあり、当時の教科書とか貴重な展示がある。
 特筆すべきは昭和5~6年に東武鉄道グループの総帥だった根津嘉一郎が郷土のために200台のピアノを寄贈した一台が倉庫で発見され、調律師の斎藤信哉さんが外見をそのままに直して展示してある。ちゃんと音もでて、毎年秋にコンサートが開かれている。

9、市民第九合唱
 毎年行われる年末の風物詩。
 指揮とソリストにプロを招き、演奏と合唱は市民が参加してやっている。
 大学生や市民の老若男女が10月くらいから練習を始めていくのだが、学生以外は常連の人も多くその手作り感は素晴らしい。
 少し離れた町の合唱団の参加しているそうだ。
 このホールには定期的に演奏するオヤジ・バンドやグループの発表会もあって、結構充実している。

ホントかよ

10.石船神社
 年に一度、大塔宮護良親王の首級と伝わる頭蓋骨が金庫から出されて公開される。
 父親である魔人後醍醐天皇に裏切られて鎌倉に幽閉されていた親王は、北条高時の一子北条時行が暴れまわったドサクサに暗殺される。その首を愛妾雛鶴姫が持って山越えをしようとしてこの地で亡くなったという伝説があり、近くに姫を祭る雛鶴神社もある。その時に抱いていた親王の首級だというのだが、怪しすぎる。
 ミイラ首は人間の頭骨に寄せ木細工で肉付けして顔の形に復元。その上へうるしを塗って復顔したものだそうだ。
 但し、表に出てくるのは一年に一度だけです。

 いかがでした。日帰りできますので一度訪ねてみては。

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喜寿庵十景

2020 FEB 28 6:06:09 am by 西牟呂 憲

 週末を過ごしている喜寿庵で、昨年はジャガイモ1年分、ナス、ピーマン少々、ニンニク5株、ダイコン10本の収穫を得た。こう書くと働きに行っているように思われるが、それなりに風光明媚で味わい深い景勝も多少ある。喜寿庵の周辺に絞って紹介したい衝動に駆られたので残しておくことにした。俗化していないので小人数、できれば一人か二人でドライヴにはお勧めだ。車で10分で行ける温泉もあるし、一泊するならお勧めは

お宿 ぽっぽや 

がある。
もっとも私邸であるから勝手には入れないので悪しからず。

芭蕉も見た

1.名勝『田原の滝』
 街外れにある名瀑。
 侵食による滝の後退が進んでしまうので、護岸工事で二段の滝となった。
 天和二(1682)年に火事で焼きだされたため、松尾芭蕉は翌天和三(1683)年にこの街に暫く滞在している。その頃この滝を見て
 勢ひあり 氷消えては 瀧津魚
 と詠んでいる。
 その頃は段の無い、今よりも荒々しい滝だったらしい。

まるでドーム

2.菩提寺の枝垂桜ドーム
 ここでこの桜の下に座って毎年一服するのを楽しみにしている。
 この地は寒さが緩むのが遅く、4月の頭が見ごろなのだ。
 そして亡きおふくろ様の命日がドンピタで、来るたびにわざとこの時期を選んであの世に旅立ったのではないかとの疑いが拭えない。西行法師を気取ったのじゃないか、と。芝居ッ気の多い人だったから。
 願はくは花の下にて春死なん  とね。

ガマ石

 

             
                                                
3.謎のガマ石
 むかしむかし、桂川の淵に大きなガマがすんでいました。
 そのガマはもう何千年も生きているらしいのでずいぶんと知恵がありました。
 桂川で大水が出たときは、崖をよじ登って来て村人に食べ物をねだるのです。よこさないとその年に生まれた赤ん坊を食べちゃうぞとおどすので、村人は困っていました。
 困った村人はみんなでお祭りしている滋養神社の滋養様に『何とかして下さい』とお願いすると、滋養様は言います。
『そんな悪いガマは石にしてしまうから、みんなで奉りなさい』
 そしてガマは石になり、村人はその石を大切にしながら平和に今でも暮らしています(ガマではなく亀という説もあり)。全部ウソです

表門

4.開かずの表門
 喜寿庵の表門。
 しかし、面しているのは私道であり並行して電車の線路がありここを通って入ってくる人はいない。
 どうも家相に凝ってこしらえたらしいが、車窓の風景にしかならない意味不明の造り。
 植木屋さんはホイホイ出入りしているが、家の者が最後に通ったのは五代目が海軍から帰ってきた時だったという伝説になっている。

曽祖父の碑

5.曽祖父の碑
 発明家だった曽祖父を讃えるつもりで昭和初期にその息子(私の祖父)が建てた石造りの記念碑。
 身長176の私の目線から撮影してこの高さなので結構でかい。
 不思議なことに全く私にも私の親父にも似ていない。
 一度この像を見たロシア人が「レーニンに似ている」と言い出して驚いた、確かに似ている。
 見えにくくなっているが、昔の特許番号が彫ってあり、凄い若い番号なのがわかる。

6.飛び地の馬頭観音
 以前にもブログに書いたが、いつからウチの地所なのか、なぜこんな所に私有地があるのか誰も分からない謎の飛び地。その境目に石碑が立っているのは知っていたが、改めて見ると何と「馬頭観音」の文字が。
 飛び地の登記簿には農地であるとされていて、確かに嘗ては畑だったような形跡があり、誰かが何かをしていたことは確かだが、後背地は鬱蒼とした森林で、ただでさえ不気味な場所だ。
 「馬頭観音」は観音菩薩の変化身で、馬頭人身の逆ケンタウロスだ。ただ仏像では人面であることが多く、その代わり三面だったり腕が4本とか8本だったり、いずれにせよ恐い。
 祟られないように行く度にこっそり手を合わせることにしている。
 因みに今の地権者は私だ。相続していた伯父が面倒になって押し付けてきたのだ。

桜の頃山頂から

7.勝山城址からの富士
 かつての城址で、標高570mのお城山の頂上からの富士山。この山は喜寿庵から約15分で登れる。桜が咲く頃が最もきれいだ。
 諸説あるが、戦国時代にはじめは武田と敵対した後に臣従した小山田の築いた山城があった。確かに山頂は平に整地され、山道には石垣を積んだり空堀と思われる遺構も散見される。そして江戸期に一時秋元藩だった後廃城となるが、宇治から献上されるお茶が越夏のため茶壷蔵に保管されていた。
 お茶壺道中は大名行列と同格で、世が世であれば土下座しなければならない。
 ここには子供の頃から何回も登っていて、長じては息子と二人でテントを張って泊まったりした。

8.桂川渓谷の洞穴
 喜寿庵から崖下の桂川まで降りると吊橋の向こう岸に見える洞窟。
 かなり侵食されている所に穴が四つ見えるが、一部は中で繋がっている。
 体の小さかった子供の頃にみんなで探検に行った事があるのだが、それでも奥まで行けなかった。おまけに蝙蝠が岩肌にたくさんついていて、恐かった。
 僕等は「あれは古代人の住居跡だ」とか「武田の落ち武者の隠れ家だったらしい」といったヨタを飛ばしたものだが、去年の台風時には水面下になったくらいだから、あそこの層だけもろい地層なんだろう。
 今度行こうと毎夏思うが果たせていない。

9.『今会いに行きます』のロケ地
 映画とは別にTBSのドラマで使われた駅が右に、左側にある家は作中では本郷医院という病院の設定でロケが行われた。
 更に喜寿庵の目の前の踏み切りでも撮影され、成宮寛貴がリハーサルしていたのを見た。ミムラとかいう女優さんもいたらしい。
 ところでこの駅舎は乃木坂46「今、話したい誰かがいる」のプロモーション・ビデオや『埋もれる』というWOWOWドラマにも登場する、ちょっとしたスポットである。

表玄関前

10.雪の玄関前
 年に1~2度ほど雪が積もるが、その時は出入り口を確保するのに苦労させられる。コツは振り初めに箒で掃くこと。だが豪雪の場合はそうはいかない。
 特に家の前は大型の除雪車で積み上げられてしまうと車は出せなくなる。一度お正月に閉じ込められて2日程遭難していたことがあった。
 向かって右側に表門から入れる玄関があるが、表門と同じで普段は使っていない。なかなかの風情の一枚と思って入れた。

 十景で止めたが、ここまで書いてきて街中・近隣には(既にブログに書いているのも含め)まだ紹介したいお祭りやイベントがあることに気が付いた。改めて紹介してみたい。

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残暑の午後 喜寿庵歳時記

2019 AUG 21 6:06:06 am by 西牟呂 憲

 

 まぁ、お墓参りでもしておくか。お線香持って、庭になんかの花が咲いていたら切って行こう。
 散り残りの紫陽花が一輪まだ咲き残っていた。ナデシコ、ハギ、ヤマホトトギス。あっ、雨が降って来た、台風が来てるんだっけ。
 山では8月の台風が過ぎればもう秋風になり、カナカナ蝉が鳴く。
 しかし台風そのものははるか遠くで、今度はいきなり日が射した。
 ウチの墓所は菩提寺の一番高い所なので、ヨイショっと。
 えーと、ご先祖様、玄孫に当たるのが新婚旅行から帰ってきまして。なに?挨拶がない!そうでした。よく言っておきます。
 お袋様にお線香と一緒に大好きだったタバコを置いていきますからね。そういえばこのお寺に生息していた半野生の鶏もいなくなったなぁ。

ありし日のコッコちゃん

 僕は今まで結構な辛い思いをしたこともあるはずなのだが、その大半を無理矢理笑い飛ばして処理してきたようだ。喜寿庵にいると誰とも話さなくても昔の事を勝手に面白く盛ってニヤリとする。人が見たらさぞ気味が悪かろう。
 しかしここでの暮らしともなれば人には会わないし、気味が悪いも何も関係ない。この庵は生垣で外から庭は見えない作りになっている。
 僕のこういう気質は数代前に遡ってもそうだったようだ。
 爺様に至っては人がびっくりするような恰好でウロウロしていて、しかも人目にも触れていたらしいから(先日は乗馬ブーツと鞭が出て来て仰天した。馬に乗ったなんて聞いたこともない)僕が気を遣う必要なんかない。
 芝生を刈ろうか。いや、ドシャ降りになった。

オバケナス

 しばらくするとまたサーっと晴れて青い空も覗くようになる。
 晴れ間を縫ってネイチャー・ファームに行くと、まだ収穫のあるナスとピーマンが成っていた。しかもナスは不作だったのにオバケみたいな巨大なやつが一個。
 突然、庭の方で声がするので、戻ってみるとオッサン達がバーベキューをしているではないか。しかも知った顔の人はいない、いや一人だけいた。ヒョッコリ先生だ。人の庭で勝手になにやってんだ。
『オォ、待ってたよ』
はぁ??
『ジャガイモたくさん採れたんだろ。食べきれないだろうから手伝ってやろうと思ってね』
頼んでねえよ!
『でもってついでに生ビールのサーバーも担いできたよ。肉も』
それならいいか。

バーバキュー

 先生は冷えたビールを注いでくれた。
 ピーマンとジャンボ・ナスを刻んで焼いたものに塩を振って焼肉のタレにつけて食べると、それなりの味がする。
『このナスは育ち過ぎて水っぽいよ。一週間前に採らないとダメだ』
 うるさいな、相変わらずこの先生は。
『もうすぐ15日になるなぁ。この街には学童疎開の子共たちがいたんだよ。それに空襲があったのを知ってるかい』
『えっ、ここは人もそんなにいないし軍需工場も無いでしょう』
『B29は富士山を目印に飛んで来て、越えた所で大きく右旋回して東京を爆撃してた。散々やった後にまた同じルートで帰っていく訳だね。多分その時に落とし忘れていたヤツが一発残っていて、旋回前に捨てて行ったんだな。気の毒なことにそのたった一発が近くに落ちて亡くなった人がいるんだよ。終戦の直前だったので本当にかわいそうな話さ』
『ひどい話ですね。戦闘要員でも何でもない人が』
『女学生もいたらしい。こんなところだから長崎や広島みたいに慰霊際があるわけじゃないんでワシ等で毎年祭ってあげるんだ。そしてそれは今日だ。起立!』
『え?』
 おっさん達は全員直立不動となった。
『黙祷!』
 何だか分からないが僕も起立・黙祷した。

 随分時間が経ったが誰も何も言わない。そーっと目を開けると!そこには誰もいない、チェアもシートも肉や野菜を焼いていたバーベキューセットも何もない。ついにアル中になって幻覚を見てしまったのか。
 暮れかけた夕日が射しこんでいたのだが、再びパラパラと雨が落ちて天気雨である。

 今日は8月13日。終戦2日前に爆撃があったのか。
 
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ネイチャー・ファーム開墾記

2019 JUN 9 7:07:06 am by 西牟呂 憲

生き残ったナス

 
 今年は、実は雨が少ないのではないか。アグリカルチャーを始めて4年目。途中1年間中断の後、開墾してから初めてのシーズンであるが、少しおかしい。
 もともと痩せた土地だから胡瓜などは収穫できなかったが、ピーマンと茄子の歩留りが悪すぎる。苗を植えても枯れてしまい、生存率は何と30%以下というヒドさである。それともこんなところにまで地球の異変が忍び寄っているのか。
 この茄子もちっとも大きくならず、葉っぱの色もくすんでいる。

 一方で去年の暮れから健気に寒さに耐えてきたガーリック、通称にんにクンはそろそろどうかと掘り出して見れば。

にんにクン

 一応形にはなったが、市販のいいものに比べるといかにも小さい。
 買い物をする方はおわかりだろうが、高級食材店で売っているのが500円くらいなのに、我がにんにクンは100円程度の育ち具合でしかない。
 こいつ等は全部で8株植え、途中で2株が脱落しそうになったのを必死に土をかけ灰を蒔き、セッセと水をやって救ってやった。にもかかわらず結果はこんなものか。
 江戸期の百姓は飢饉と年貢に苦しめられたイメージが定着しているが、なかなか革新的で商品開発に余念ががなかったという。令和のにわか百姓としてこれでは恥ずかしい。
 そこで新農法を編み出してみた。
 ダイコンである。
 

トライアングル・ピラミッド農法

 御覧の植え方は、私のオリジナルだ。
 実はこのネイチャー・ファームは東西に尾根があって日照時間が限られている。
 一昨年に二列でやってみたところ先頭と殿では太さが違った。
 そこで、品質の均一を図るために3角形に種を蒔いてみた。
 更に、ダイコンというものは上に育ってくる。もしかして地中深く根を伸ばすには土壌が固すぎるのではないかと思い、少し伸びると土寄せをしていると、写真では見えにくいがこのような三角錐になってしまった。
 しかしこれ、土地生産性を考えるとかえって低くなるだろう。

 そして前述の雨の少なさや地球の温暖化を考慮した、ジャガイモの3段植えというのもやってみた。

右から

 このジャガイモは植え付けの時期を画面の右から1列づつ4週かけて植えた(左の2列は同時になので5列・4週間)。
 するとですな、最後に植えた2列は青々と元気がいいのに、右に行くに従って色が薄く育ちが悪い。当然右の方から芽をだしたことは確認している。
 種芋の栄養分を取り尽くした後に、雨が少ないので成長しないのか、まだ気温が上がらない前に発芽したので発育不全になったのか。うーん、研究の余地がある。アグリも奥が深いのだ。
 
 水無月は 待ち遠しいか 梅雨入りが
    熱い日差しで 乾く ジャガイモ

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一陣の風 喜寿庵も春に

2019 MAR 28 7:07:20 am by 西牟呂 憲

 春風と言えば暖かい語感ですが、風が”温かい”と感じられるのは木の芽時、五月の連休でしょう。桜の咲く直前、蕾がはじける寸前の風は冷たい。

ファームが草原に・・

 伐採後に重機によってペチャンコにされたネイチャー・ファームは昨夏にはご覧の通りのジャングル状態でした。
 その後耕運機を入れ、スコップで掘り、落ち葉を埋め、屯田兵の苦労はかくやと思われる血と汗と涙で開墾し、昨年末にニンニクにチャレンジしました。
 二回ほど雪に埋もれつつも何とか育ってきたのです。カワイイ。
 そして調子に乗った僕は、一昨年大量に収穫できたジャガイモの種芋をイソイソと買い込み、先々の苦労を考えもせずにたくさん植えたのです。
 ネイチャーファームは水が引けないのでジョウロでセッセとやらなければならず、1時間ぐらいかかります。
 どこに植えたか分からなくなるので小枝を刺しておきましたが、ちゃんと芽が出るかどうか。

 今年は大根を2回収穫しようと考えているのですが、さて。栗の木はちっとも大きくならないし。
 栗の木を植えるきっかけになったあの正体不明の老人「ヒョッコリ先生」はもう半年くらい姿を見せません。
 ピッコロ君やマリリンちゃんはどうしているだろう。
 今月は月に一度のペースで遊びに来る学生さん達も、四年生は卒業してしまったし。また新入生が入って来てからです。
 季節も変われば人も変わる。
 

 そして東京で桜が開花した週末に大寒波。喜寿庵はただでさえ川風が上がってくるから寒い。冷たい雨の中を行ってみれば冬の寒さで、暖房全開です。
 翌日は良く晴れましたが、遠くの山頂はチョロッと白くなりました、オイオイオイ。

枝垂桜

 足元の悪い中、長靴を履いて菩提寺に。
 すると、ここは東京よりはるかに寒いのにうっすらと開花して。

  彼岸には
       遊びにござれ
        西願寺

 そこにビュッといった感じの風が吹き、枝が揺れました。震え上がるほど寒い。
 ハハァ、お袋様、しばらく来ていないと怒っておられますな。
 盛大にお線香を焚きました。

透き通る桜の開花

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喜寿庵に留学生が 

2018 OCT 13 7:07:21 am by 西牟呂 憲

 

うわぁー!

 25号台風の被害が報道されたが、喜寿案のある地域にも避難勧告が出ていた。まぁ大したことは無かろうと思って行くと何やら様子がおかしい。着いたのが夜で真っ暗だったから良く分からないが、通用門の植え込みがこんもりしているのだ、変だな。
 で、翌朝改めて見に行くと・・ギャー。いつもは使っていない表玄関の横に立っていたハナミズキがドターッと倒れていた。根っこのところなんか敷石を持ち上げてめくれあがっているじゃないか。凄い風だったのだ。
 しかしこれ、どうすりゃいいのか。
 しょうがないから鋸で少しづつ枝を切り出し始めたが、幹になるととんでもなく硬くて4時間やっても半分にもならない。途方に暮れて煙草をふかしていたところにコーちゃん(近くに住んでいる古い知り合い)が通りかかった。
「そんなんでやってたってとてもハカが行かないよ。チェーン・ソーじゃなくちゃダメ」
 とあきれ返り、ちょっと待って、と家から持って来て貸してくれた。
「歯が行く方向に向けて押し付ける感じで重さで落すんだよ。ゆっくりやらないと木がたわんだら抜けなくなるから」
 音がブワーッとしてけっこう怖い。
 それが木くずを巻き上げながら人が4時間もかけた倍の仕事量が30分ですんでしまい、コーちゃんは帰っていった。
 僕はあまりの能率の悪さに全く無駄な時間を使ったことに唖然とし、暫く何もできなかった。手も痛かったし・・・。このハナミズキも80年位はここにズッと立っていて花を咲かせていた。十分に水を吸い上げたのだろう、50~60cmに切った幹は持てばズッシリと重い。切った所を見ればみればそれだけの年輪がギッシリと詰まっている。
 ここの所だけ殺風景になった。見慣れればどうってことないのか、いずれにせよハナミズキ一本で落ち込んでもしょうがない。もっと大変な目に合った被害者がいるだろうに。

デンマークから

 途方に暮れていた時にスマホが鳴った。あっ、今日は学生さんが来るんだ。
 聞けば15人も。しかも留学生が6人、どこから来たのか知らないが。
 気を取り直して慌てて掃除機をかけて机を並べているとゾロゾロとやって来た。『コンバンワー』えっ女性?何と男女半々だ。
 デンマークとフィンランドからはるばる来たそうだ。早速オジサンはビールで、学生さんはコーラやウーロン茶、フィンランド人はビールで乾杯。自己紹介を留学生は日本語で、日本の学生は英悟でやることにした。留学組は教育と歴史専攻だったがまだ一月しかいないので日本語はまだまだ。こちらは『比較文学』を英訳できずに四苦八苦する、僕も知らなかった。

みんなでチーズ/

 デンマークについては童話のアンデルセンくらいしか思い浮かばない。王朝は変わりながらも続いて現在は前国王の長女、マルグレーテⅡ世女王を戴く立憲君主国である。
 高福祉高負担の北欧型社会で税金は高く、所得税55%、消費税25%(食料品も全て)車は特に高く280%ってほんとかよ。「君達そんな高い税金ズーッと払い続けるのかい」と聞いても何とも思わないようでキョトンとされた。まァ学生で、22歳だったか、まだ子供だから所得税は関係ないだろうが。一方で教育費や介護はほとんどタダ。うーむ。ちなみにフィンランドも消費税は高く23%(食品は12%)、所得税も20%以上だそうだ。
 それでも国連の国民幸福度ランキングでは1位はフィンランド、2位 ノルウェー、その次はデンマーク。消費税も慣れればこんなものなのか、財務省がやりたがる訳だな。
 ただ、この調査は「所得」「健康と寿命」「社会支援」「自由」「信頼」「寛容さ」などの要素を基準に1000人にアンケートを取ってのランキングなので、順位は鵜呑みにはできない。参考までに日本は54位である(2018年)。
 北海油田に位置している産油国で、油田は国有だとか。
 ふと思い出して『シェークスピアのハムレットはデンマークが舞台だったよね』と言ったら『昔は我々がブリテン島を支配していた。我々はバイキングの子孫だ』と誇らしそうに笑った。
 
 フィンランドについてもサウナやムーミンとサンタクロースの故郷といった申し訳程度の知見だ。F1パイロットのミカ・ハッキネンやスキー・ジャンプのヤンネ・アホネンはフィンランド人だが、留学生は興味がないのかハッキネンの方は知らなかった。
 逆にニトベという日本人について大変有名だと聞かされた。スェーデンとの領土問題を解決した人だ、と。
 多少バツが悪かったが検索すると、あの5千円札の新渡戸稲造のことだ。恥ずかしいことに、かの『武士道』の著者でクリスチャン、台湾総督府で活躍した農政家だったということしか知らなかった。国際連盟の次長の時にこの問題を調停し、人々から徳とされたのは事実、へぇー。

 みんな日本が好きだと言いつつ都会育ちなため、ここは田舎で夜に街が真っ暗なのが淋しいとしょっちゅう東京に行くみたいだ。将来は先生になると言ったのは誰だったっけ、例によって酔いが回ってしまった。
 僕はもっとスポーツの事、勉強の話、宗教や移民について聞きたかったが、これ以上は記憶に残らないだろうからそろそろお開きに。留学生はクリスマスまでいるので、またおいで、と言うと『ハイ』と返事が返ってきた。
 

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ゴルフ この公平な真実

2018 SEP 25 21:21:26 pm by 西牟呂 憲

 連休中に二日間ゴルフをやり続けて体が痛い。足の内側と二の腕だ。
 年々飛距離は落ちてくるのが還暦を過ぎてはっきりとわかる。体がこうなら脳もそうなんだろうなと自覚せざるを得ないのが情けない。
 思い立って現状確認の意味も込め、ホーム・コースにフラりと行った(喜寿庵から車で15分)。キャディ・マスターが親子三人連れの組の了解を貰って入れてくれた。御夫婦と息子さんだ。
 するとオナーのお父さんは初っ端にOBを打っておかしくなり、午前中は僕とドッコイの酷いスコアになって悔しがる。私は飛距離が落ちて最近OBが少なかったのだが、ショートでやってしまっておまけに3パット。これが痛かった。
 で、お父さんは食事、後練習場に行って打ちまくっていたが、午後からは元に戻った、即ち結構上手だったのだ。奥様と息子さんはボチボチなで、息子さんにお父さんが教えている。
「この程度の距離だったらパターで押すようにフォロー・ストロークを長くゆっくり延ばすんだ」
 というのが聞こえたのでやってみたら入った。
「ほら、上手い人はみんなそうやってるだろ」
 いや、今聞いて初めてやったんだけど。もう一つ。
「もっと近くに寄ってボールの内側を狙う様にやってごらん」
 耳に挟んだのでやってみるといいんですな、これまた。
 そして極めつけの名言が出た。
「トップやダフリで初心者が腐ってもしょうがない。ティー・グラウンドを振り返ってみれば随分と進んでいるんだから」
 フーン。言われてみればゴルフで振り返ったことなどない。こっそり撮ってみると確かに、あんな所からここまで来た、という気持ちになった。
 こんなものかな、というスコアで上がった。山田さん御一家、お疲れ様でした。

あそこから来たんだな

 二日目は中央道が事故で大渋滞したらしくすいていて『今すぐ出られますよ』と一人で出してくれた。前は1ホール空いていて後ろは午前中は追いついて来なかった。午後のスタートはちゃんと前後に挟まれていたが、何しろ僕は一人なので後ろの組はすぐに遅れて行くのだ。
 たまに前の組のティー・グラウンドに追いつくと、一人で回っている僕を怪しげに思ったらしく会話が途切れている。
 この場合どういうふうに思われたのかを想像してみた。
➀ 上級者が腕を磨くために個人練習のラウンドをしている
➁ 全くの初心者なので誰も一緒に回ってくれないから一人でやっている
➂ やくざ
 全部外れなのは言うまでもないが、一人のラウンドはそれなりに違和感があるのだろう。やっている方も忙しくないしのんびりしたものだ。
 全く後ろが来ないので、インとアウトで2回づつ、途中でボールを二つ打って遊んだ。そのホールにはスコアを二人分記録した。
 ロングパットがショートしてしまった時と逆に下りで同じくらいの距離行ってしまった時。結果は前者では改善が認められたが後者では同じだった。
 この日はクリークがやけにスライスしてしまい、ロング・ホールで広かったのと飛距離が出ないせいでOBにはならなかったが頭に来てもう一球。今度はスプーンで打ったらこちらはナイスショット。しかしながら上がってみれば改善はない。
 そして昨日と同じショート・ホールでクリークを使いまたもやOB(昨日は5番アイアン)。打ち直してエッジの下に付けたのだがサンド・ウェッジがトップしテバンカーへ。ここでもう一球打ってオン。それが誠に不思議な事に前者と後者は同じスコアだった。即ち前者は奇跡のバンカーショットに対し、後者はあの距離を外して・・・。

 ゴルフは大地と自分との戦いだ。そこには不運等という要素は一切ない。そして結果は必ずその技量に依存する。それゆえ、いかなる幸運がたまたまあったとしても結局誰にも公平な結果をもたらすのだ。
 ちなみに一人で回っても前日とほぼ同じようなスコアであった。もはやメンタルも関係ない境地に達したということか。 

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喜寿庵で大名行列

2018 SEP 14 20:20:41 pm by 西牟呂 憲

馬は機嫌が悪かった

 このあたりは江戸末期は天領で、陣屋にお代官様がいたのだが、その前はれっきとした藩があり、ちゃんとしたお大名がいて秋元氏が殿様だった。その秋元氏は川越にて転封してしまうのだが、その際参勤交代の道具一式を下置いていったので、天保年間には「供奉順行(ぐぶじゅんこう)」といって、いってみれば大名行列ごっこのような真似をして秋祭りに華を添えていたらしい。地元では『おはっさく』と呼ばれて今日に続いている。おはっさく、とは旧暦の八月一日のことだ。
 生糸・織物・染物で賑わった戦前から、戦後も『ガチャ万』と言われる程機織り産業が稼いだ時代は結構な賑わいだったようだが、過疎化のおかげで一時はすたれていた。

子供の槍組 かわいい

 その後、観光化を目指して行政の方でかなり力を入れてそれなりのイベントにまで育て、時代祭りと称している。
 四台ある山車は『屋台』と呼ばれ、お囃子が乗る。豪華な飾幕がウリで、下図は葛飾北斎が書いたと伝わっている。
 そして奴姿の赤熊(しゃぐま)、槍組、鷹匠、殿様、姫様、腰元と総勢百人以上の行列が続き、時々『下に~したに』といった掛け声がかかる。先頭の毛槍は『よいやまっかよ~い』の掛け声で投げ渡しが行われて、4本同時に投げ上げるのはかなり練習した成果が見られる。実際に持ってみると結構重かった。

お姫様

 お姫様役は公募で選ばれるのだが大変で、衣装を着たままカラオケの疲労からこの暑いのにズーっと練り歩く。続く腰元の中に青い目の女性がいて地元の大学に通うスイスからの留学生だった、へぇ~楽しそう。
 お祭りらしく出店もたくさん並ぶ。しかしどういう経緯なのかプロのテキヤは見当たらず、商店街の手作り的な屋台がズラリ。
 そういえば大名行列もお姫様も屋台もみんな知っている人ばかりで成り立っているお祭りなのである。
 日が落ちる頃、小学校の校庭ではステージが始まって地元のバンドが演奏を始めた。昼過ぎくらいから各種の出し物が演じられていたらしいが観客はそう多くない。ゆず みたいなユニットがそれなりの演奏をしていてゴザに寝そべって聞いていた。
 最後はブラス・バンドのフィナーレ。するとその曲は何とディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォータではないか。こんなのを喜ぶのは僕だけかと思いきや、『イェー』とはしゃぐのがいたので振り返ると、これは留学生とは思えない白人が3人。聞いてみるとクロアチアから日本に来て、マウント・フジに行く途中だと言ったようだが恐ろしく聞き取りにくい英語だった。

ドーン

 そうか、『祭り』とはそこに生活している人が自分達の為に盛り上がり、旅人がそれを楽しむものなのだ。留学生や外人観光客も含めて。
 ところが僕はここで生活はしていないしの途中でもないから、早い話が一緒にはしゃぎ回るとはならない。友達もいないのだから。
 最後まで演奏を聞く気になれなくて暗い夜道を喜寿庵まで歩いて帰った。
 突然、渓谷の対岸のあたりからドンッと音がして花火が上がった。いつもは先ほどの小学校の校庭から上げていたのだが、人が多くなったせいなのか人家のない喜寿庵の向かい側からだ。
 ここからは凄い近い。庭から、まるで花火の傘の下にいるように見上げた。

 オーイ、僕はここにいるよー! って、誰に向かって言ったんだ。

喜寿庵の秋 Ⅱ 地方創生

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