Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 和の心 喜寿庵

ゴルフ この公平な真実

2018 SEP 25 21:21:26 pm by 西 牟呂雄

 連休中に二日間ゴルフをやり続けて体が痛い。足の内側と二の腕だ。
 年々飛距離は落ちてくるのが還暦を過ぎてはっきりとわかる。体がこうなら脳もそうなんだろうなと自覚せざるを得ないのが情けない。
 思い立って現状確認の意味も込め、ホーム・コースにフラりと行った(喜寿庵から車で15分)。キャディ・マスターが親子三人連れの組の了解を貰って入れてくれた。御夫婦と息子さんだ。
 するとオナーのお父さんは初っ端にOBを打っておかしくなり、午前中は僕とドッコイの酷いスコアになって悔しがる。私は飛距離が落ちて最近OBが少なかったのだが、ショートでやってしまっておまけに3パット。これが痛かった。
 で、お父さんは食事、後練習場に行って打ちまくっていたが、午後からは元に戻った、即ち結構上手だったのだ。奥様と息子さんはボチボチなで、息子さんにお父さんが教えている。
「この程度の距離だったらパターで押すようにフォロー・ストロークを長くゆっくり延ばすんだ」
 というのが聞こえたのでやってみたら入った。
「ほら、上手い人はみんなそうやってるだろ」
 いや、今聞いて初めてやったんだけど。もう一つ。
「もっと近くに寄ってボールの内側を狙う様にやってごらん」
 耳に挟んだのでやってみるといいんですな、これまた。
 そして極めつけの名言が出た。
「トップやダフリで初心者が腐ってもしょうがない。ティー・グラウンドを振り返ってみれば随分と進んでいるんだから」
 フーン。言われてみればゴルフで振り返ったことなどない。こっそり撮ってみると確かに、あんな所からここまで来た、という気持ちになった。
 こんなものかな、というスコアで上がった。山田さん御一家、お疲れ様でした。

あそこから来たんだな

 二日目は中央道が事故で大渋滞したらしくすいていて『今すぐ出られますよ』と一人で出してくれた。前は1ホール空いていて後ろは午前中は追いついて来なかった。午後のスタートはちゃんと前後に挟まれていたが、何しろ僕は一人なので後ろの組はすぐに遅れて行くのだ。
 たまに前の組のティー・グラウンドに追いつくと、一人で回っている僕を怪しげに思ったらしく会話が途切れている。
 この場合どういうふうに思われたのかを想像してみた。
➀ 上級者が腕を磨くために個人練習のラウンドをしている
➁ 全くの初心者なので誰も一緒に回ってくれないから一人でやっている
➂ やくざ
 全部外れなのは言うまでもないが、一人のラウンドはそれなりに違和感があるのだろう。やっている方も忙しくないしのんびりしたものだ。
 全く後ろが来ないので、インとアウトで2回づつ、途中でボールを二つ打って遊んだ。そのホールにはスコアを二人分記録した。
 ロングパットがショートしてしまった時と逆に下りで同じくらいの距離行ってしまった時。結果は前者では改善が認められたが後者では同じだった。
 この日はクリークがやけにスライスしてしまい、ロング・ホールで広かったのと飛距離が出ないせいでOBにはならなかったが頭に来てもう一球。今度はスプーンで打ったらこちらはナイスショット。しかしながら上がってみれば改善はない。
 そして昨日と同じショート・ホールでクリークを使いまたもやOB(昨日は5番アイアン)。打ち直してエッジの下に付けたのだがサンド・ウェッジがトップしテバンカーへ。ここでもう一球打ってオン。それが誠に不思議な事に前者と後者は同じスコアだった。即ち前者は奇跡のバンカーショットに対し、後者はあの距離を外して・・・。

 ゴルフは大地と自分との戦いだ。そこには不運等という要素は一切ない。そして結果は必ずその技量に依存する。それゆえ、いかなる幸運がたまたまあったとしても結局誰にも公平な結果をもたらすのだ。
 ちなみに一人で回っても前日とほぼ同じようなスコアであった。もはやメンタルも関係ない境地に達したということか。 

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喜寿庵で大名行列

2018 SEP 14 20:20:41 pm by 西 牟呂雄

馬は機嫌が悪かった

 このあたりは江戸末期は天領で、陣屋にお代官様がいたのだが、その前はれっきとした藩があり、ちゃんとしたお大名がいて秋元氏が殿様だった。その秋元氏は川越にて転封してしまうのだが、その際参勤交代の道具一式を下置いていったので、天保年間には「供奉順行(ぐぶじゅんこう)」といって、いってみれば大名行列ごっこのような真似をして秋祭りに華を添えていたらしい。地元では『おはっさく』と呼ばれて今日に続いている。おはっさく、とは旧暦の八月一日のことだ。
 生糸・織物・染物で賑わった戦前から、戦後も『ガチャ万』と言われる程機織り産業が稼いだ時代は結構な賑わいだったようだが、過疎化のおかげで一時はすたれていた。

子供の槍組 かわいい

 その後、観光化を目指して行政の方でかなり力を入れてそれなりのイベントにまで育て、時代祭りと称している。
 四台ある山車は『屋台』と呼ばれ、お囃子が乗る。豪華な飾幕がウリで、下図は葛飾北斎が書いたと伝わっている。
 そして奴姿の赤熊(しゃぐま)、槍組、鷹匠、殿様、姫様、腰元と総勢百人以上の行列が続き、時々『下に~したに』といった掛け声がかかる。先頭の毛槍は『よいやまっかよ~い』の掛け声で投げ渡しが行われて、4本同時に投げ上げるのはかなり練習した成果が見られる。実際に持ってみると結構重かった。

お姫様

 お姫様役は公募で選ばれるのだが大変で、衣装を着たままこの暑いのにズーっと練り歩く。続く腰元の中に青い目の女性がいて地元の大学に通うスイスからの留学生だった、へぇ~楽しそう。
 お祭りらしく出店もたくさん並ぶ。しかしどういう経緯なのかプロのテキヤは見当たらず、商店街の手作り的な屋台がズラリ。
 そういえば大名行列もお姫様も屋台もみんな知っている人ばかりで成り立っているお祭りなのである。
 日が落ちる頃、小学校の校庭ではステージが始まって地元のバンドが演奏を始めた。昼過ぎくらいから各種の出し物が演じられていたらしいが観客はそう多くない。ゆず みたいなユニットがそれなりの演奏をしていてゴザに寝そべって聞いていた。
 最後はブラス・バンドのフィナーレ。するとその曲は何とディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォータではないか。こんなのを喜ぶのは僕だけかと思いきや、『イェー』とはしゃぐのがいたので振り返ると、これは留学生とは思えない白人が3人。聞いてみるとクロアチアから日本に来て、マウント・フジに行く途中だと言ったようだが恐ろしく聞き取りにくい英語だった。

ドーン

 そうか、『祭り』とはそこに生活している人が自分達の為に盛り上がり、旅人がそれを楽しむものなのだ。留学生や外人観光客も含めて。
 ところが僕はここで生活はしていないしの途中でもないから、早い話が一緒にはしゃぎ回るとはならない。友達もいないのだから。
 最後まで演奏を聞く気になれなくて暗い夜道を喜寿庵まで歩いて帰った。
 突然、渓谷の対岸のあたりからドンッと音がして花火が上がった。いつもは先ほどの小学校の校庭から上げていたのだが、人が多くなったせいなのか人家のない喜寿庵の向かい側からだ。
 ここからは凄い近い。庭から、まるで花火の傘の下にいるように見上げた。

 オーイ、僕はここにいるよー! って、誰に向かって言ったんだ。

喜寿庵の秋 Ⅱ 地方創生

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残暑に背を向けて

2018 AUG 19 15:15:31 pm by 西 牟呂雄

 喜寿庵の夏は八月になると夕方にはカナカナ蝉が鳴く。暑いことは暑くても赤トンボまで飛ぶ。
 お盆を過ぎても今年の異常な暑さはひどい、日中に蚊が飛んでいない(日陰では刺された)。だが秋の気配はわかる。日の出、日の入りは変わった。
 夜半に、ビール片手に庭に出て星空を見ている。無論スプレー&蚊取り線香で完全武装。

花火 ポツン

 川の流れが聞こえているが、人工の音ではないのでうるさくはない。たまに遠くに車の走る騒音、踏切の音。
 何の気なしにコンビニで売っていた花火セットを買ったことを思い出してガサガサと持ってきた。

漆黒の 闇に 華やぐ 色添えて
     一人灯した 花火はさびし

 手慰み、と言った感じでいくつか火を点けてみた。
 だが、見ているのが自分だけということは、恐ろしく孤独な寂寥感が沸きたって全然面白くない。特に線香花火はいけない。
 こういうのはせめて三人以上でないと楽しくも美しくもないらしい。両手に持ってやってみたがダメだった。
 芝生にゴザをしいて寝転がると(直に寝ると夜露で濡れる)Tシャツだけでは寒い。
 何とも無駄なような気がしてもう母屋に入ろうとしたら、カサッと音がする。いささかドキッとして暗がりに見入ると白い生き物、猫ではないか。
 以前時々姿を見せた黒ブチがいて、勝手に「シナシナ」と呼んでいたのが姿が見えなくなった。こいつはその縄張りを継承したのだろうか。
 シナシナがいなくなった後も複数のノラが夜に目撃されたがそいつ等とも違う。しかもまだ子供のようだ。どうやら警戒心もまだ発達していないようで、遠巻きに寄って来た。

こわい

 これは写メでも撮ろうか、エサでもやろうか。スルメを取ってきたら置いてあった缶ビールに見入っている。そーっと寄って行って「ほら」と投げてやると食べた。ところが以前の「シナシナ」は芝生の上に時々糞をしていき、その跡が円形脱毛症のように痛んでしまって苦労したからあんまりなつかれても困るのでほどほどに。あっ、もういなくなってしまった・・・。何か街灯も不気味に。 

 熱い日差しで目が覚めると顔も洗う前に庭に出る。モグラは芝生を掘り起こしてないな。
 先日やけに家屋に近い藤棚にヤマバトが留まっていていて、しきりに小枝を咥えている。近寄ってもなかなか飛び立たないので二階から覗く。なんとつがいがセッセと巣を作ろうとしていた。力を合わせてやっているのは微笑ましい。
 一般的には家の近くの営巣は「トリイレル」と言って縁起がいいとされるが、フンと羽で掃除が大変になってしまう。『おーい、そこは困るよ』などと声を掛けても全然動じない。よほど真剣なのだろうか。こっちもだんだん『シッ』とか『コラ』とか大声になるんだが無視された。しょうがないから竹竿で威嚇するとやっと飛んでいく。一生懸命作りかけていた巣を払うと、まだ大したものではない。どこかもっと家から遠い木の上の方が居心地がいいよ。そこでたくさん雛を育てなさい。それにしてもカワイかった。

ファームが草原に・・

 夏野菜はもうシーズン・オフといったところか、茄子も胡瓜ももう成らない。収穫は例年に比べると伐採して日当たりが良くなった割には低調の大赤字だった。
 そしてその日当たりのせいかもしれないが、いくら草取りをサボッたとしてもこれはないだろう。離れて見るとネイチャー・ファームが埋没してしまった。去年まではこんなにならなかったぞ。おまけに耕運機が故障して周りの土を掘り返すこともできゃしない。

 草繁り 我が営みの 細ければ
    ただ幾一筋の  汗したたるや

 これは最近知ったのだが「八月十五日」さんという名字の人がいるそうだ。読めますか。「なかあき」さん、もしくは「あきなか」さんと読むらしい。
 旧暦で言えばもう太陽暦で言う秋分の日に近いから「あきなか」の実感があり、風流な名前だがお目にかかったことは無い。

 季節が変わってしまう。一人でいると、この残暑に背を向けて走り去って行きたい衝動に駆られるが、行く当ては無いのだ。

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桃・栗三年柿八年 喜寿庵紳士録

2018 JUN 16 10:10:54 am by 西 牟呂雄

黄色い薔薇

 

 伐採により原野となってしまったネイチャー・ファームの開墾は遅々として進まない。梅雨入りして早く何とかしないと物凄い勢いで雑草のジャングルになってしまう。
 思案しながら試しに薔薇を植えてみた。

 ようやく猫の額くらいの所にピーマン・ナス。やや遅れて3年越しのチャレンジになるキュウリの苗を買って来た。
 ところが不思議な事に何もしていないのにジャガイモの芽が出てきたのだ。
 今頃なぜ。

自生するジャガイモ

 これは去年掘り出し損なったクズ芋が地中に埋もれていて、この日当たりの良さに野生化して芽吹いたのではないだろうか。あんな重機が入ったにもかかわらずに。もしそうだとすれば、この荒地は開墾しなくても自然にジャガイモが自生を繰り返すリサイクルが完成したスーパー・ネイチャー・ファームになったのかもしれない。
 
 それでは景気よく切り倒した檜のあとはどうしようか。再びあんなに育たれてもチト困る。
 そういえばこのあたりに多少の収穫を恵んでくれた栗の木と渋くて食べられなかった柿の木があった。
 突如『桃栗三年柿八年』を思い出した。しかし桃は虫がついたり手がかかる。柿は収穫まで8年もかかると私が生きているかどうか。
 ここはやはり栗ではないか。
『やあやあやあ』
 ワッ、ヒョッコリ先生だ。また勝手に入ってきた。
 しかも久しぶりにピッコロ君とマリリンちゃんを連れていた。
 来るぞ来るぞあれが。
『いや、昔はね』
 ほら始まった。きょうは何だ。
 今ではこの先生とチビ達はこの世の人ではないと思って付き合うことにしている。普通の人だと思うと辻褄が会わない話が多すぎるから。

根付きかけた胡瓜

『…と言ってたんだ』
 ヒョッコリ先生が何か喋っていたが、その隙にピッコロ君が根付きかけているキュウリを引っ張ろうとしているではないか。
 過去2年、栽培に失敗しながら今年やっとできたものを。
『コラコラコラー、それはオジさんが育ててる野菜だよ』
 ピッコロ君は、きゃあきゃあ笑いながら逃げて行って今度は薔薇の花をジーッとしゃがんで覗き込む。
『でもって栗の木を植えたんだね。栗の木は太くなると堅くて腐りにくいから。門柱に切り出したこともあったね』
 ナニ?クリ?そういえばさっき・・・。
『はぁ、栗ですか』
 何の話か適当に相槌をうつ。
『栗は種から3年ですかね』
 3年ねぇ、僕の脳は3年後にまだかろうじてマトモに働いているかな。そもそも最近幻覚や独り言に悩まされているし、実際に物が無くなったり出てきたりするので困っているのだ。

これは・・・

 と思いつつ我に返ると、いつものようにヒョッコリ先生とピッコロちゃん・マリリンちゃんはいなくなっていた。ヤレヤレ、子供たち今日も何も喋らなかったな。

喜寿庵紳士録 ピッコロ君

 翌朝、水をやりにスーパー・ネイチャー・ファームを往復していると、きのうまで見なかった苗木が目に入った。
 これは何だ。ポツンと突っ立っている。
 スマホで撮って色々と検索してみたのだが、どうもよく分からない。
 ハッパの形が特徴があるように思えたので年のために画像を確認すると、アッ。
 これは栗かもしれない。
 だけど・・・まさか・・・。
 ま、本当に栗かどうかはあと3年すれば分かるのだろう。それまで元気でいなくては。
 で、栗の木なのは一向に構わないのだが、ヒョッコリ先生が植えたのか化けたのか。怖くなりつつ水をやった。

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季節外れの筍採れました

2018 MAY 13 19:19:00 pm by 西 牟呂雄

 伐採後の開墾に疲れ切って昼メシがてら温泉に浸かったら全く労働意欲を失った。
 裏木戸の周りは竹が沢山あったがこれもバッサリやった。
 夕方にはチュンチュンチュンチュンと騒がしかったが、雀のお宿を奪ってしまったのだろう、夕方は静かだ。奴ら今頃どこにいるんだろう。

小さな収穫

 と足元を見やると筍がピッと頭を出している。
 チョコッと顔を出したタイミングで地中30cm位を掘り出すのがコツで、旨い筍が採れる。
 これを筍ご飯にでもしようかと思ったが、アクを抜いてワカメを買ってきて澄まし汁にした。
 ワカタケ汁と言うそうだ。チョットいい。
 
 ところでその筍を掘った時、ワッと足が止まった。

子モグラだった

 地面に黒い染みが出ているように見えた。
 真上から写真を撮ったのだが、僕の影の上、石の下あたりに写っている黒い小動物が動かずにいる。
 ドブ鼠?死んでる?
 そうっと除き込むと図体に対して大きくてしっかりした爪がある。
 モグラの子供がコロッと死んでいた。
 モグラとは芝生にポコポコ穴を開けてしまうので、何年も戦って来た。
 水責め、灰の流し込み、細い竹の打ち込み、と色々やった。一度は水責めの時に飛び出してきたこともあった。
 目下のところ芝生での戦闘は我が軍優位に戦況が進んでいるが、敵は主に夜中のゲリラ戦だから作戦の全貌が読めないのだ。
 突っついてみるともう小さな蟻にたかられて絶命している。このまま土に返してやった方がいいのか、或いはこの辺のノラがどうにかするのか判断できない。
 結局戦い続けている相手に敬意を表して埋めてやろことに。『敵にはあれど亡骸に花をたむけてねんごろに(軍歌 討匪行)』の通りに弔った。

血と汗と涙の開墾

 それで開墾はどうなったかというと、かの屯田兵や満蒙開拓団もかくや、というほどの苦労を重ねてこの花壇に毛が生えた程度の畑ができただけ。
 これでは元に戻るのに2~3年かかりそうだ。
 Jマートに行くと、季節外れのジャガイモの種芋が半額だったのでダメモトで買って植えた。
 他にピーマン・ナス、3年続きで失敗したキュウリの苗。
 申し訳程度に植えて水をやってはみたが・・。
 思えば肥料も何にもやらずに放任しているのだからこいつらも野菜界の不良になってしかるべきだ。
 
 1年おきに大きな実をつけた栗の木も切り倒してしまったし・・・。

 スターダスト・フラワーが押しくらまんじゅうをしているように花を付ける。
 この花が咲くと梅雨が近くなって、水仙、紫陽花が咲く季節になる。

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半年ぶりに戻って来た

2018 MAY 5 10:10:42 am by 西 牟呂雄

 伐採のために重機をいれたために真っ平にされてしまった手作り農園、ネイチャー・ファームをどうにかしなくては只の空き地になってしまう。ほったらかしてナチュラル・フィールドにすることも考えたが、やはり少しは生産活動をしなければバチがあたる、と耕運機を入れてみた。
 ところが何トンもするキャタピラ跡も凄まじく、踏み固められて掘り起こせない。これではまるで開墾だ。鍬なんか持ってないしスコップで試しに掘ってみた。
 するとこれはとんでもない重労働で、今更ながら北海道開拓なんかは大変だったろうなとため息が出た。結局2m程でやめてしゃがみこんでしまった。
 何気なくチョコッと引っ掻いた地面を触っていると、違和感がある。何かが突き刺さっているようだ。引っ張り出すと何と半年前に失くした鋏ではないか。その時悲しみのあまりこんなブログを書いている。 

モノを失くすという事


 そしてSMCメンバーのトムさんの「失くしたモノは異次元の自分が使っている」とのコメントに癒されました。
 雨風にさらされ重機に踏んづけられながらもよくぞ僕に見つかってくれた。元々錆は出ていたが、持ってみるとあの重さが甦って来て嬉しかった。
 それにしても見失った場所から多少違うところにあったので、全然関係ない所を嘆きながら必死に探していたことになる。この偶然の邂逅は天文学的に低い確率だっただろう。土にまみれて動きは随分と鈍くなっていたが確かにあの鋏なのだ。
 実はお気に入りのシャベルも似たようなことがあり、手作り花壇の隅っこから出て来て驚いたこともあった。
 もしかするとここ喜寿庵はどこか空間が歪んでいて忽然とモノが消えたり出現したりする霊界のスポットなのか、僕がボケが徐々に進行してチョット置いた場所を直ぐ忘れてしまうレベルにまでなったのか、まぁ後者だろう。
 数珠や携帯をコンビニに忘れ(それもこの半年の間にだ。携帯はきのうのことである)悲しみ嘆きつつも反省せずにモノを失くす(ただしコンビニに戻って事無きを得ている)。

修験者の正装

 すぐ近くにお不動様のお寺がある。ここは日光修験道の流れを組んでいて春の例大祭として「火渡り」をやる。
 ここは一つ僕もやってみて、今までのウッカリ癖を叩きなおす必要があるのではないか。
 行ってみるとホラ貝を吹きながら行者さんが入ってきて結界の周りに立った。
 なにやら勧進帳のような問答をして、剣・弓で四方を清める。
 いよいよだ。
 あれ、般若心経をみんなで唱えている。
 色々儀式があって(中略)「のうまくさんまんだ~~」の大合唱とともに積み上げられた檜の束に火が付けられた。
 瞬く間に火炎が上がり、火の粉が飛んできた。

龍のような火炎

 これ、ヤバイぞ、ヤバい。
 周りの行者さん達は火が強くなりすぎると水をかけ、熱いので時々自分でも被り、弱くなると灯油をかけていた。
 パチパチと燃えていた上段の方から次第に焼け落ちてくる。
 すると一番下に太い梯子状に丸太が組んであるのが見えた。
 そして一人の行者様が剣を抜いて何かを唱えると
『エーイ!』
 の気合もろともサッサッサッと渡ってしまった。
 他の行者様も檀家の人達も次々と行ってしまう。
 僕はと言えば列の後ろに靴を脱いで並んでいたが、玉砂利が足の裏に突き刺さるようで痛い。そうこうするうちに順番が回ってきてしまったではないか。

真ん中の人影が僕

『エイッ』と気合をかけられてもう後に引けない。
 うわ~、と思いながら丸太に足をかけるとジタバタと進んだ。
 アレッ熱さは感じなかったぞ・・・・。

 これで忘れ物がなくなり、心の平安が取り戻せれば助かるのだが

   のうまくさんまんだ~      のうまくさんまんだ~

ちなみに今年は炎が上がり過ぎて消防が来たそうである。

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喜寿庵の林を伐採する

2018 APR 30 13:13:24 pm by 西 牟呂雄

 長年ほったらかしにしていたためケヤキやヒノキが育ちすぎて風通し・日当たりが悪い。ついに喜寿庵で伐採をしようとしたのだが、何十年もそういうことをしていない為に一部は切り倒さざるを得なくなった。
 昔は植木屋のオッチャンが体を縛るようにして登って行って枝を落としていたのだが、オッチャンも齢70を越えてそんなことはできないのだ。ツテを頼って色々と頼み込み、お願いする。
 木樵の与作みたいな人が来るのかと思ったらチェーン・ソウ片手の傭兵部隊のような集団がやってきて、アーデモナイコーデモナイと相談して重機を入れると言う。切り倒して崖から捨ててしまえばいいかと思っていたのだが今日ではそういう訳にはいかないそうだ。
「こっからここまでを壊してクレーンを入れます。そのためにソラシを手配しますので見積もりは・・」
 ソラシ?ソラシと言っても音階の話じゃない、空師と書く高所作業のプロのことである。

あぁ!この先がネイチャー・ファーム

 だいたいこういった作業は冬場にやるものらしい。
 芽吹いてしまうと木が水を吸い上げて枝が重くなって作業がしにくい。
「よーし、じゃあ手始めにこのあたりやっちゃうか」
 と言うが早いかチェーンソウが唸りを上げて、あれよあれよと一部は午前中に切られてしまった。チョットこれは残してと訴えるも何もない。
 突然開けた視界を眺めながら暫し呆然。

 僕は50年以上同じ光景を見てきたつもりだが、剪定している庭木以外は好き放題伸びてきたはずだ。従って風景も変わったのだろう、全く同じではないにせよ今の目の前の光景の方が当時に近いのかもしれない。
 その頃は祖母がネイチェー・ファームで苺を作っていた覚えが蘇った。

ドターッ
結構な迫力

 そしてハッとしたのだが、50年前の僕の身長は半分とは言わないがずっと低い、視線が違うのだ。すると庭はもっと広く感じられ遠くは木々に遮られて見にくかっただろう。もっとも今の身長になってから40年は経過しているから『昔はこうだった』も当てにはならない。

 作業は天気にも左右され一ヶ月続いて、いよいよ終了となるので実地検分に来た。
 終了して風通しの良くなったところをパチリと撮っていると、やあ、久しぶり、と声がかかった。わっ、何と数ヶ月ぶりに会うヒョッコリ先生ではないか。
 この人は相当高齢で、昔話ばかりナガ~クするんのだが、僕は名前も知らないのだ。
「随分と切り倒したねぇ」
「ええ。どうも何十年もほったらかしてましたからね」
「うんうん。庭ってもんは生き物だからね。手を入れてないと5年もするといくら剪定だけやっても変わっちゃうから」

二階から 日当たりが

 いやなことを言うな。手は50年どころか80年は入れてないぞ。
 そろそろ来るぞ、と身構えていると始まった。
「いやー、その昔ね・・・」
 今まで聞いてきた話を総合するとこの人は百歳くらいかも知れない。
 どうやら僕の二代くらい前のことを思い出しているフシがあって、戦争の記憶も確かのようなのだ。
「このケヤキもねえ、細かったんだけどこんなに太くなっちゃって。これでも3本くらい切ってるんだよ。ホラ、このあたりは下が岩盤だからあんまり育つと倒れるしね」

欅 丸坊主

 ハイハイ、それで。
「ホラ、ここからだと富士山の右端がチョコっと見えるだろ」
 そんなこと生まれた時から知ってますよ。
 すると勝手に庭の奥に向かってスタスタと歩いて行くではないか。
 しょうがないから後をついて行った。
「アッ」
「アッ」
 二人同時に声を上げた。
 外から見た時は気がつかなかったが、奥の林を切ってもらうのに重機が入って、ネイチャー・ファームがまっ平に整地されていたのだ!
 隅っこにひっそりと植えていたニンニク5株も(当然だが)跡形も無い。
 あの奥まではやらなくていい、と言っておけば良かったのか仕方ないのか。
 しかも、そのキャタピラ跡も生々しい上を歩けばガッチリと踏み固められている。

まっ平

「あー。これじゃユンボかなんかで一回掘らないと耕運機は入らんのじゃないの」
 ヒョッコリ先生うるさい!
 生ゴミや灰を埋めたりして丹精込めた完全自然栽培のネイチャー・ファームが唯の空き地になってしまった。
 振り返れば風通しが良くなって母屋まで見えるようになった。
 うっそうと繁るまでに随分長がかったと思うと、一瞬で変わった景色にため息をついた。
 今まで僕が生きた時間は彼方に飛んでいって、現在ここに立っている。

 新しくまた畑の造り直しか、それは来年にかけてやって行こう。
 だけど暫くはこの景色を淋しくは感じるだろう、と思った。
 で、気がついてみると例によってヒョッコリ先生はいつの間にか姿を消していて、僕は一人でたたずんでいるのだった。

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梅春(うめはる)どき

2018 MAR 12 0:00:42 am by 西 牟呂雄

 喜寿庵の庭には芝生を張っていて、春先に新芽が青くなる前に枯れた芝生を焼きます。奈良の若草山の山焼きのようなものです。
 山焼きの場合、多湿の我が国ではこれをやらないと森林になってしまうので若草山などでは景観を維持するために大規模に焼くそうです。
 雑草の種や害虫の駆除に効果があるとされていますが、雑草はいくらでも生えて来るのでこれは嘘ですね。
 風下に向かってサーッと焦げて行く様は幾何学的な模様が広がっていくようで面白い。

焦げ目の模様 クリックして下さい

 写真ではオレンジ色の炎が良く見えませんが、風の吹く時は火がほとばしるようで注意していないと庭木に燃え移ることも。
 僕の二代前の爺様がつつじをまる焼けにして危うく火事になりかけた、と伝わっています。去年秋吉台で恒例の山焼きでは焼死者も出ました。竹箒・水・を用意し、スキーウェアに身を固め、あまりアチコチに燃え広がらないように注意しながら少しづつ一日がかりで焼きました。
 来週には目土を蒔いてならします。こうして春がやって来ます。

梅がチラホラ クリックして下さい

 年を取ると一年が早くなる、アッと言う間だ、とはよく聞きます。ところが去年は身内のトラブルが多発した挙句、冬がことの外寒く感じられて恐ろしく長い一年でした。
 あのドカ雪に見舞われた福井県の方々は、さぞ春が恋しい事でしょう。
 東京の梅は満開です。
 喜寿庵の梅もチラホラとほころんでいます。
 もう支えがなければ倒れてしまうと植木屋さんが言うほどの古木で、あとどれくらい保つのでしょう。せめて僕の生きている間は、と祈らざるを得ません。
 今月中には伸びすぎた欅やヒマラヤ杉を伐採します。

 クレーンを入れての大工事ですので庭が元通りになるのか、はたまた新しくなるのか。
 ですが、いる人間が代替わりしていくように庭も相応に変化していくのも自然なことなのでしょう。僕の代が後何年続きますかね・・・。

 老木の 花あわあわと 色付いて
        我もたたずむ  枯れてくれるな

さよなら

 表を掃いていたところに外人観光客の一行が通りかかりました。
「セーラだよー!」
 と手を振る人がいます。えっ。
 旧知のオーストラリア女性ではないですか。
 北富士総合大学で英語講師のアルバイトをしていたオバチャンです。
 しばらく見かけなかったので帰国したと思ってました。
 聞けばインバウンドの恩恵にあずかりたい街がセーラの手を借りて観光客を呼ぶことを企画したようです。
 懐かしくてガッチリとハグ。
 庭を案内してあげると大喜び、手を振って帰って行きました。
(写真が小さい)

 毎月遊びにきている学生も今月4人が卒業します。
 おめでとう、今晩はそのお祝いです。
 うーん、長い一年だった。また来てくれるかなぁ。

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還暦(+3)ボーダーの晴姿

2018 MAR 5 18:18:35 pm by 西 牟呂雄

 喜寿庵の冬は厳しいが、南向きなので思いっきり日を入れてやると・・・寒い。
 することもなくゲレンデへ。

わー!このスロープ!

 最初はソロリソロリ。おっかなびっくり。腰は引けて重心は山側に残ってしまう。
 昔はこの程度のギャップは飛び越えた、こんなコブは踏み潰した、もっと細かくスラロームできた・・・。
 そう思いながら柔らかい斜面をよっこらしょ、と滑ってくる。
 年とともに筋力と反射神経が確実に落ちているのが分かる。これらとテクニックによって制御できるスピードが決まってくるのだ。
 これを『限界速度』と呼んでいる。チョットした斜面の滑走跡や突然のバランスの崩れに素早く対応してこそ安定してボード(スキー)を操るのだが、速度の二乗くらいの速さで対応しないと”転倒”したりしてケガにいたる(S=aV2 僕の仮説)と考えられる。これに斜度が関数になるのだが、今の僕の腕では傾斜50度でS=0.03秒くらいが限界だろう。
 やれやれ、今年もまだ何とかできそうだ、とコースを見上げる。

あー恐かった

 このダウン・ヒルのリフトは高速四人掛け。放っておくとグループで乗り合わせのタイミングが悪く、平均の乗車数が3人位になってしまうので一人乗り枠がある。そちらに並ぶと空いた時にどんどん入れてくれるから待ちがほとんどない。
 例によってそこに並んでヒョイと乗り込むと白人の親子連れ3人、オトーサンとお兄ちゃん妹の三人組みに乗り合わせた。オトーサンは自撮りで一家を写そうと苦労していたのでスマホで撮ってあげると、喜んでくれた。一家は横須賀から日帰りで来たという。要するにネーヴィー・オフィサーだ。
「セヴンス・フリート(第七艦隊)?」
と聞くと、そうだとの答えにハイ・タッチ。このご時勢、第七艦隊は日本海側での米韓合同演習をひかえる。僕は今の状況におけるその抑止力を高く評価している。
 年を尋ねるとお嬢ちゃんは五歳、お兄ちゃんは『キューサイデス』と答えてくれた。リフトを降りたところで一家をもう一枚「グッドラック」。

 その後はゲレンデで出会うことも無い、一期一会だった。
 そしてその夜半、僕は足がつった。年だな。

傘を被ってる

 ところで、この日は富士山が傘を被っているような雲がまつわりついていた。珍しいので写メで撮ったのだが腕が悪いのか臨場感が伝わらない。
 検索してみると、単独峰である富士山にかかる独特の雲で地元では「富士が笠をかぶると雨が降る」と言われているとか。
 マズい、この季節では雪になる。ノーマル・タイヤだから遭難する。

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還暦ボーダーが行く

還暦ボーダーが行く Ⅱ

雪ニモマケズ

2018 FEB 24 12:12:41 pm by 西 牟呂雄

 今年も雪は首都圏に大混乱を起こした。時に高速道路に閉じ込められた方々は大変だったろう。福井の方はもっと酷くてハラハラしたほどだ。
 それに比べればではあるが喜寿庵も大変、週末に寒いのを覚悟して飛んで行った。

ウワーッ

 積雪はまぁ20cmくらいで、踏みしめながら屋内に入ると驚いたことになっていた。あらかじめポタポタと滴らせておいたのが蛇口からはつらら、洗面台は排水溝が凍ったようで氷溜まりになってしまった。トイレはヒーターで大丈夫だったがお風呂のお湯は直ぐに出なかい。
 暖房をガンガンかけて外の雪でお湯を沸かし(ガスは無事)蛇口や洗面台にかけて溶かす。水が通った時は山荘が生き返った気がした。
 平昌オリンピックをやっているが、4年前のソチの時にはこのあたりに1m以上も積もってしまい、全県交通がマヒして閉じ込められて遭難しかかったがこんなに凍ったりしていない。あの大寒波襲来でマイナス17度まで冷え込んだそうだ。北海道の人から見れば大したことは無いのだろうが、この辺りではライフラインに支障をきたすのだ。

カワイイ

 それから2週間経って行くとようやく溶けて(この庭を雪掻きなんかしたら体に悪い)土が顔を出していた。
 そして見回すとあんなに積もったのに早くも福寿草がピョンといった感じで咲いた。
 季節が巡るとはこういうことか、と思った途端思い出して奥のネイチャーファームまで急いだ。
 去年、冬を越せる作物だと知りニンニクを5株ほど植えたことをすっかり忘れていたのだ。埋もれてしまってヒョットしたら全滅しているかもしれない。
 残雪を踏みながら行くと、午後からの日当たりの良いファームはすっかり溶けていた。
 オーイ。

無事だった

 すみっこの方に駆け寄ってみると・・・・オォ!
 さすがにスクスクとはいかないが、枯れずにヒョロッと生きているようだった。
 思わずアングルは良くないが接写したのがこの写真である。
 ほかの4株も同じように寒い風に吹かれていた。
 僕はなんともうれしくなって語りかけた。
「お前たち、あの寒さを良く耐えてがんばった。春先に収穫できたら充分に味わってやるからな」
(念のため口に出して言ったのではない。それではアブナイおじさんになってしまうから)

雨ニモマケズ

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