Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

タオイズム(道教)は難し

2019 MAR 8 6:06:50 am by 西室 建

 多言(たげんは)数(しばしば)窮(きゅうす)
 中(ちゅうを)守(まもるに)如(しかず)

 現代訳された『老子』をパラパラ読んで、耳触りのいい片言節句を書き写してみる。ふーん、なかなかいいもんだ、と。『論語』は堅苦しいしね。

 生(しょうじて)不有(ゆうせず)為(なして)不恃(たのまず)
 長(ちょうじて)不宰(つかさどらず)
 是(これを)玄徳(げんとくと)謂(いう)

 儒教の体系は朱子学や陽明学に受け継がれて、江戸期にも研究がなされました。
 これに比して老荘思想の方は(読まれてはいたが)とかく呪術的要素がミョーな味を添えるせいかすこぶる流行らない、というか道教になるとゲテモノ扱いです。
 本場の大陸・香港・台湾でも現世利益的な宗教になってしまって益々怪しい。

 故(ゆえに)有(ゆうの)以(もって)利(りを)為(なすは)
 無(むの)以(もって)用(ようを)為(なせばなり)

 こういった文言を我流に拡大解釈すると、いくらでもなまけていられるのが誠に結構です。それは私の解釈ですが、この系統の学を修めた偉大な先人もそのケがあって困ったものです。

 竹林の七賢と言った人材が出ます。魏から西晋の時代に酒を飲んでは清談に興じたことになっていますが、七人とも当時の大変なエリートですから官僚だったり軍人だったりして隠遁しても別に苦労もしない連中なのです。
 多少行儀の悪い元サラリーマンのアル中だと思えば腑に落ちます。

 王弼・何晏・郭象といった政治家が有名です。
 ところがですね、この人達もっといかんのですよ。
 王弼(おうひつ)は魏の時代の人。子供の頃から秀才で名高かったのですがチャラチャラしたキャラで、酒ばかり飲んでは音律に通じたりしています。頭のいいことを鼻にかけるところがあって当時の知識人からは嫌われました。
 何晏(かあん)も同時代の人ですが、これがまた手鏡に自分の顔を写しては喜んでいるようなナルシストの自信過剰。おまけに大変な女好き。
 郭象(かくしょう)は西晋の時代に『荘子』に脚注を入れた学者です。大変に口が達者で『懸河の水があふれるがごとく』喋りまくったらしい。しかし史書には「郭象は軽薄な人間」と書かれてしまう。

 これらの人々は”玄学の徒”と称されますが、いくら『無為自然』とはいえこれでは。儒家の言う”徳の無い”こと夥しい。
 どうもこういった才人は「ただ内側から光っていればいい」といった境地には至らないもんなんですかねぇ。老荘の学、奥深し。

 
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昭和45年11月25日

2019 JAN 31 6:06:58 am by 西室 建

 バルコニーから撒かれた檄文を手に取って、見上げた私は紛うことない高名な作家の引き締まった表情を真っ直ぐに捉えた。作家はこう肉声で訴えた。
『諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ』
 そう来たか、ついに言ってしまったか。周りに自衛隊員が集まって来たが、一様に青ざめ呆然としている。
『おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。4年待ったんだ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ』
 私は檄文に目を落としながらどうなってしまうのかとハラハラするような気分に沈んだ。一体なにが起こったというのか。
 突然、東部方面総監・益田兼利陸将名で第32普通科連隊に総員非常呼集がかけられた。完全武装にて、の指示である。普通科以外の人員は持ち場待機、と矢継ぎ早に命令が出される。バルコニー前の隊員は持ち場に急ぎ戻った。
 実はこの日32普通科連隊は東富士演習場に出ており100名程度の留守中隊しかいなかった。そして運命のいたずらか私はその中隊に所属していた。実弾携行・装填の後、戦闘服にてバルコニー前に整列した。作家はあの楯の会の制服に『七生報国』の鉢巻を締め、同じ格好の4人の楯の会会員を従えて立っていた。整列・点呼の完了まで訳15分ほどかかった。
『見たまえ。男一匹が命がけで訴え、総監命令の非常呼集をかけても15分もかかる。たるんでおるとは言わんが、これで首都を、陛下をお守りできると思うか』
 作家の激烈な言葉が降ってきた。
 益田陸将がゆっくりとバルコニーに姿を現して作家の横に立った。副官がマイクスタンドを準備した途端に正午を知らせるサイレンが鳴った。その音が消えるや陸将の野太い声がマイクを通じて流れた。
『注目ー!これは演習ではない。目下の騒然たる世情は心得ておるだろうが、破壊分子による首都の制圧が何者かによって計画された事が判明し、自衛隊治安出動が発令された。これより32連隊の残存総力を以って皇居の警護に当たる。尚、警視庁による道路封鎖の完了を待って前進する。気付いているだろうが民間の楯の会の諸君も行動を共にする』
 そういえば先ほどからパトカーのサイレン音が聞こえていた。
 市ヶ谷の前の三叉路から靖国通りまでジュラルミンの楯を持った機動隊員が交通を封鎖しているではないか。そしてヘリの爆音までが遠くに聞こえている。私はかすかに体が震えてくるのを感じた。
 副官である吉松一佐が指揮を執るようで、益田陸将は指揮車両に乗り込んだ。戦闘服である。作家並びに4人の楯の会メンバーも準備された車両に乗り込むと発車させた。少し間を取って吉松一佐から『前進ー!駆け足ー!』の号令がかかった。
 一口坂を駆け上がって行くと車は通行止めになっており、道の左右は機動隊員によって規制され、通行人が『一体何事だ』とこちらを見ている。大通りの真ん中を中隊約100人が4列縦隊で駆けて行くのは普段はできるはずもないことで、とてつもない興奮を伴った。私は後方にいたので良く見えないが、我々の前には楯の会のメンバー100人が合流をして同じく走っているようだった。靖国神社の横の千鳥ケ淵を曲がったところで、先ほどから聞こえていたヘリの爆音の正体が分かった。大型のバートルが何機も皇居の上に飛来しているのだ。何が何だか分からないうちに半蔵門が見えてきた。すると視界の先から1台の乗用車が突っ込もうとして機動隊員に阻止されている。我が部隊の先を行く作家を乗せた車両を塞ぐ形で止まった。一人の警察官が降り立った。
 楯の会の100人の4列縦隊と、それに並ぶ形でのわが中隊の4列縦隊が重なると
『全体止まれー!左向けー左!』
 部隊全部が半蔵門に向き合った。指揮官車両からは何と抜き身の日本刀を持った作家と楯の会会員、もう一台から陸将と武装自衛官二人が降りて阻止された車両に向かっていく。すると先程の警察官がハンド・スピーカーを持って大音声で言い放った。
『警視庁警備局警備一課長の佐々淳行だ。自衛隊の諸君。先程の防衛出動命令は誤報。中曽根防衛庁長官が正式に発表した。速やかに原隊復帰されたい。三島先生!武器を携行するのはおやめください。銃刀法違反並びに騒乱罪・公務執行妨害で逮捕せざるを得なくなります』
 そうか。あの作家は三島由紀夫だったと気が付いた。だがその三島と益田陸相並びに4人の楯の会会員は佐々と名乗った警官にどんどん近づいて行った。
『三島先生!益田総監!それ以上近づくと発砲しますぞ』
 いうが早いか腰の拳銃を抜いた。ところがなぜか半蔵門を守っている機動隊員は少しも持ち場を離れず誰もその警察官を護衛しない。警察官が怒鳴る。
『四機!指揮官どこか!防御態勢を取らんか』
 ほぼ同時に益田陸将は
『打ち方用意!』
 と号令を下すと中隊狙撃手4人が突進して作家と陸将の左右から小銃を構えて警察官に照準を合わせた。緊迫の時間が過ぎる。
 上空をホバリングしていたバートルが広がるというか、皇居上空を中心に散開する陣形を取り出した。良く見ると遠巻きにするようにたくさんのヘリが飛んでいる。おそらく異変に気が付いた報道のヘリではないだろうか。バートルはそれを牽制しているのか。
 目の前の緊迫は続いており、私達にどういった命令が下されるのか不安とも期待ともいえない気分につつまれた。
 すると彼方から爆音とともに飛行機が飛んでくる。アッという間に上空に飛来したのはCー130だ。そして落下傘が降下した。皆がそれに気を取られ驚いている間に楯の会会員が警察官に突撃する、警察官は咄嗟に上方への威嚇発砲をしたが組み付かれてしまった。三島が歩を進めながら
『佐々君。我々は人を傷つけたりはしない。君を人質にするような真似もしない。ここは引き取ってくれ』
 どうやら二人は旧知の間柄のようで、佐々と呼ばれた警察官は小声で何かを言ったようだが聞き取れなかった。
 空挺落下傘部隊は見事に皇居の中に吸い込まれていく。そして警察官は乗ってきた車で帰っていった。
 三島がこちらに向き直って命令を下す。
『諸君!我々は堂々と皇居に向かい、世界に向けて独立宣言をする時が来た。楯の会、我に続け』
 益田陸将もまた、号令をかけた。
『これより皇居を固め天皇陛下をお守り奉る。32連隊、前進!』
 私たちが隊列を組んで半蔵門をくぐると、皇宮警察、第四・第七機動隊、空挺部隊が強力し、既に外部との接触を断ったようだった。上空にはまだヘリが旋回していた。

つづく

昭和45年11月25日 (その後)

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たまには足元見てごらんよ

2019 JAN 26 1:01:07 am by 西室 建

 子供の頃の話ですが。喜寿庵の近くに大昔小山田という殿様の砦があった「お城山」という小山があって15分位で登れます。息子が小さかった頃(学童前)酔っ払って(私が)夜テントをかついで登り二人でキャンプごっこをしたことがありました。野猿もいるようなところで、あれは危険はなかったのかな。
 その頂上から下界(というより町)を見た時『ああ、こんなに小さな町にたくさんの人が蠢いているなあ』と思いました。学校・病院・住宅・お寺・お店。この中で生まれ、学校に行き、働き、買い物をし、最後はお墓に入る、と腑に落ちたものです。
 
 だだっ広い海をながめて、フト足元の潮溜まりに視線を落とします。ジーッと見ていると、見過ごしているものが見えます。小魚・蟹・得体の知れない貝・イソギンチャク。潮が満ちるまではここも彼らだけの小さな小さな宇宙です。やがて大海に飲み込まれても、小魚の生活圏が無限に広がりはしません。水槽の中と同じ位の自由と考えてもいいでしょう。
 ヨット・ハーバーの浮桟橋から水中を除き込んでいて気が付いたのですが、小さな魚はせっかく水中にいるのに3次元的な動きをしません。大体居心地のいい深さを泳いでいます。ヒラメやカレイは海底から水面まであがるような運動はしないですしね。
 してみると。水中でG(重力加速度)の影響をあまり感じずにいるはずの水生動物は、地上の我々がうらやましくなるような3次元生活を送っていないことになります(大型水生動物。クジラやイルカは別にして)。 
 喜寿庵で芝生の雑草を抜いている横を蟻が虫の死骸を引き摺って行きます。蟻の世界は2次元的ではありますが、どんな所にでも行けるところは3次元の行動範囲ですね。飛びはしないが細い枝でも谷底へでも自在です。
 見上げれば刷毛で刷いたような高くて薄い雲。森羅万象ことごとくがこの小さな庭にあるようです。ヤキが回ると”小さいもの(盆栽とか箱庭)”が好みになるものでしょう・・・か。

 そういう時に伸びをすると・・こっ腰が痛い。腰痛は人類が二足歩行をするようになって以来、Gによる宿悪と言われます。あ~あ、そういう痛みは年のせいだよな。

 走っても寝ても跳ねても大地に縛り付けられる。
 逆らって高い山に登れば、疲れの代わりの満足感。
 ゲレンデでボードを滑らせれば走るより早い爽快感。
 地球よ お前は疲れないのかい。

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平成ラスト 滋養神社今年の十大お告げ

2019 JAN 7 6:06:47 am by 西室 建

ひとつ
 新元号「建和」発表される。
 新たに建和天皇が即位するが、それに合わせてトランプ大統領が国賓待遇で来日。
 周りはハラハラするが物凄く神妙で、晩餐会では『陛下に忠誠を誓います』とアドリブで言ってしまい、アメリカ世論が猛反発する。しかし支持率は全然下がらないという不思議。
 雅子皇后陛下の人気が世界的に盛り上がる。

ふたつ
 通常国会から改憲議論が盛り上がり捲るが、野党の論点があまりに観念論的なので国民が飽きて来る。
 その中で憲法改正国民投票日が決まる。それは頭にきた安倍総理の大戦略で衆議院を解散し衆参同時選挙と同日の投票となる。結果は・・・自民党大勝利。自衛隊は合憲になる。
 大将・大佐・大尉といった旧軍の階級呼称が復活する。
 
みっつ
 その選挙に際し、突如矢沢永吉が新党『全日本よろしく党』を結成して自らも立候補して当選する。
 他に比例ブロックや参議院で当選者を10人出す。
 顔ぶれは芸能界からは香取慎吾、スポーツ界から松井秀喜、元政治家橋下徹、他は自民党から3人、無所属の会から2人、元官僚。
 政策は安倍総理4選と消費税引き下げだけ、という奇怪なモノだった。
 
よっつ
 プーチン大統領が来日し、平和条約が高らかに結ばれる。
 日本の施政権は歯舞・色丹までだが、国後・択捉までは往来が自由になる。
 予想もしなかったが色丹島に、日本への帰化目当てのロシア人が殺到し、ロシア人コロニーができてしまう。
 コロニーは初めは300人だったがその後数万人に急増し島のインフラが足りなくなり社会問題化する。
 しょうがなくなり色丹市に格上げされ、ロシア系の市長が新党大地公認で立候補し無投票で当選する。

いつつ
 中国が分裂の気配。隠しに隠してきた暴動は年間40万件もあり、武装警察では対処できなくなり、習近平は人民解放軍を投入しようとする。
 共産党は情報遮断・国境封鎖の暴挙に出て良く分からなくなる。
 どうも第四野戦軍は共産党中央の首都防衛の命令を無視し、南進した模様。
 他にもイスラム過激派のような勢力が台頭しているらしく、何が何だかわからないが報道はされない。
 しかし衛星によって戦闘が行われている事は確認された。習主席は健在であることはしばしば発表されるのだが。

むっつ
 英国が合意の無いままEUを離脱する。国会がメイ首相案を否決してしまったからだ。
 ところがスコットランドが一方的に独立を宣言してEUに加盟する、という声明を出し、国家元首にショーン・コネリーが就任する。
 イングランドは猛烈に反発するが、渋々アイルランドとスコットランドに対し国境を策定する。

ななつ
 上記ドサクサの間に米朝首脳会談が行われ、ついに金正恩が『非核宣言』をする。そして驚いたことにアメリカとの間に安全保障条約を結ぶことを発表し、同時に38度線を解放してしまう。金正恩は『竹島は日本領土である』とも言った。
 韓国は大慌てで、なぜか大勢が旧国境を越えて北に大移動する。不思議と北から南への動きはなく、むしろ日本に押し寄せて来そうになりこれを止めるために入管法が改正される。
 この混乱で中朝国境で人民解放軍と朝鮮人民軍が睨みあうが戦闘にはならない。
 『いつつ』で述べたとおり中国もメチャクチャなので人民解放軍にヤル気がないからだ。

やっつ
 ダライ・ラマが健在にもかかわらず次の後継者が決まる。今回は既に成人して生き仏と敬われているガマ・ラマというチベット人。
 しかしなぜか流暢な日本語を喋り、日本との提携を訴える。中国を慌てさせるが、「いつつ」で予言した中国の大混乱により手が付けられない。
 その後、ガマ・ラマはチベット自治州の州都ラサに現れ、共産党との協力を宣言する。『あれは本当は日本人だ』の噂が出る。
 
ここのつ
 某女性皇族と旧宮家の末裔の婚約が発表される。
 すると、皇室典範が改正される動きが出て、絶家となる宮家の養子縁組が可能となり、皇族入りする。
 有栖川宮家を名乗ろうとしたが有栖川有栖からクレームがついて別途検討になる。
 結局、その宮様は継承権三位の皇族となることが皇室典範の改正により決定する。
 某内親王殿下の婚約は破棄される。

とお
 TPPで日本の製造業が大活況を呈する。
 円はなぜかTPP域内で普通に流通するようになり、国際通貨化する。
 するとEUでスベッた英国のメイ首相が『入れてくれ』と安倍総理に泣きついてくる。安倍総理は散々じらして結論を先送りしていると、日英同盟を復活させて核の共有をしてもいい、とまで譲歩してくる。
 結論はオリンピック後になるが、さすがの滋養神も教えてくれなかった。

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戦争を伝えるシンポジウム 

2018 DEC 5 22:22:28 pm by 西室 建

 さるシンポジウムに出かけた。『戦争体験を伝えたい』と題されて4人が登壇して順番に話す形式だった。3人が79~80才、お一人は90という大先輩達の、いささか重いテーマである。聴衆は概して僕よりも上の人が多く若い人は2~3人、それもなぜか現役高校生だった。
 その79~80と思しき御三方は同級生、即ち『戦争経験』と言っても『空襲経験』や『引き揚げ経験』なのだ。まあ、悲惨な体験のオンパレードだった。
 東京の柴又に疎開したところ、3月10日の東京大空襲によって本所の実家が被災し、ご尊父を亡くされた方。この方は3人兄弟でお兄さんは4っつ上、弟は3才下。お兄さんは本所までお父さんを探しに行った際のあまりの死体の多さと悲惨な状況が大トラウマになって、内省拒否症状(振り返りが困難になることらしい)になってしまった事、片時も母親からはなれなかった弟さんが愛着過剰による自律(ママ、自立か?)困難の症状を呈した事を語られた。この方は発達心理学を専門にしていたそうである。
 お二人目は水戸に疎開して艦載機の機銃掃射を受ける。B29の絨毯爆撃はスピードの違いもあって空襲警報が鳴ってから暫く時間があったが、艦載機は最初から低空でやってきてバリバリ撃ちまくりながら鹿島灘方面に飛んでいく、路上を狙って来るので田んぼの中を泥まみれで逃げ回る、物凄い恐怖感だったと。
 そして水戸は8月2日に夜間空襲を受け、防空壕に逃げる途中至近距離に焼夷弾が落ちた。幸運にもそれは不発弾で、左側に落ちた焼夷弾がバウンドした、というのだが、話が恐ろしくリアルだ。破裂していたら無論のことその方は跡形も無かったろう。
 三人目は外地、大連で終戦を迎えた。大連は8月22日にソ連戦車軍団が進駐し、いきなりその日から将校はホールド・アップ、兵隊は強盗・暴行に励む獣のような軍隊だったという。
 不思議な事に水道・電気・交通機関といった都市インフラは(誰も金を払える状況でないにもかかわらず)機能しており、10月には小学校は再開される。そして翌年に引き揚げ。その間、物資は豊富にあるのだが、中国語が印刷されたソ連軍票のインフレや売り食い生活の困難は鬼気迫る。
 特に興味を引かれたのは日本人同士の対立。敗戦直後の大連で、なぜか日本人労働組合が結成される。あまり表に出てこない話だが、やはり混乱期に乗じた政治的勢力の工作があったのではないか。なぜか人民裁判や強制徴収といったことが行われたそうだ。そして、その報復に引き揚げ船内で強烈なリンチがあったということが喧伝されているが、そんなことは見た人も聞いた人もいない、と強調された。すなわちそれらはバイアスのかかったプロパガンダであるという立場だ。日本人の弱さ、と表現されたが”人間の弱さ”なのだと思って聞いた。
 上記3人の先輩方の話は一方的にやられた経験で、揃ってその後の民主教育はこの悲惨な状況を踏まえて、新生日本を作り上げていく希望に満ちていた、という思いを込めて語る。そして戦争はしてはならない、現在の日本の政治状況は危ない方向に向かっているのではないか、と静かに述べられた。
 トリを勤めたのは御年90歳ながら矍鑠とした翁である。海軍兵学校生徒で終戦を迎え、原爆の後の広島の惨状を語り、後半はもっぱら戦後の思想遍歴についてのお話だった。実は丸山真男の系列で、一時共産党にも入党していたそうである。
 そして、昭和天皇の戦争責任について。最晩年の御言葉の中に『言葉のアヤ』という表現があったことを重く論評されたが、これには参った。
 総じて皆さん憲法改正に警鐘を鳴らしておられるのだが、国際情勢の急激な変化に現憲法で充分対応可能かは別の問題と考える。無論諸先輩の体験は『日本はあのような戦争はしない』という国是に生かされなければならない。
 しかしながら北の国の核武装、中国の覇権、南北半島の複雑な動き、といった新たな問題が既に我が国を締め上げていることも事実だ。

 フォーラムが終わって懇親の席に移り歓談が始まった。
 私は一人座って所在無げな最後のパネラーである九十翁の元に行った。ある言葉にピンときたからだ。ご挨拶し、姓名を名乗ると怪訝そうに私を見つめる。来歴について自己紹介をした。すると、
『キミはアイツの息子か!アイツの息子がオレの後輩だったのか』
 と相好を崩された。
 話は一気に講話で触れたある人物のディテールに入り込んでいった。
 海軍大尉、田結保。海兵71期をトップの成績で卒業し恩賜の短剣を下賜された秀才だが、レイテ沖海戦で重巡洋艦『筑摩』の分隊長として戦死。戦後、その高潔な人格と高い見識を偲ぶ文章が一部に発表されたことで知る人ぞ知る。元通産次官杉山和男による『海軍大尉 田結保』や元警視総監土田国保の記述にもその名を留めている。土田国保は海軍予備学生で戦艦武蔵に乗った時、士官室でその謦咳に触れた。
 戦時下の昭和19年2月、田結大尉が(当時は中尉か?)休暇で上京した折に母校を訪ね、現役中学生(旧制)であるパネラーの九十翁他の後輩達に(上記杉山氏もいた)静かに語りかけた言葉が残っている。こういう海軍士官がいたとは。
「海兵や陸士に行くばかりでなく、国につくすには色々な道がある」
「諸君は戦時下でも落ち着いて勉強して欲しい」
「本校の校風は『自由』であり、それは素晴らしいことである」
 実はこの田結大尉には妹さんがいて、亡き母の女学校の同級生。拙ブログ

藤の人々 (昭和編)


 の最後に勇ましい事を言う気丈な女学生のモデルである。

 他にそんな話をする者がいないため、翁との会話は弾んだ。調子に乗った私は『最後の昭和天皇に対する論評には参りました』と言った。
 翁はそれまで細めていた目を大きく開いてはっきりと
「キミなんかはそうか。フム、オレは左翼だからな」
 と言ってニヤリと笑った。お前なんかにわかってたまるか、と顔に書いてあった。どうにも怒られているようで具合が悪かったが、こちらもとっくに還暦過ぎて今更保守を止めるわけにもいかない。先輩に鍛えていただいたことに感謝のみである。

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あれらはどこに行ったのだろう Ⅳ

2018 DEC 1 12:12:38 pm by 西室 建

 日本橋の上を通っていた高速道路が地中を通ることになるとか。橋の上に空が甦るという概ね好意的な報道がなされている。
 御案内の通り、東京オリンピック(前回)の際に都市インフラの整備で首都高速が建設された時に覆われたわけだが、筆者は地元が近いのでその過程を一種の高揚感を持って眺めていた。立体的な構造物は多少なりとも戦後感の残る界隈に対して、未来的な都市の発展の象徴にも見えた。従って橋の上の青空を懐かしむのは70代から上の先輩達で、僕なんかは今更高速道路が消えても大して経済効果はないように思える。
 無論建設当時から『景観破壊』の論説はあったが、その前の高速道路無しのころの風景は覚えていない。日本橋と言えば例の麒麟像を見上げた時に、なんてグロいのかと慄いた感じは残っている。そもそもその頃の川の汚染は当時はすさまじく、得体の知れない泡が時々ブクブク立っていたくらいだった。川面を覗きこんだり上を見上げることなんか誰もしていなかった。
 それで、実際に高速の地中化がなされたら、今から20年後に僕の年代は『昔はこの橋の上を高速道路が通っていてね』等と懐かしむことにならないか心配だ。
 そういった意味では、単身赴任をしていた後に帰ってきて今の渋谷の駅を見たときの衝撃はついこの間のことだった。東横線のホームがない!どうやって自由が丘にいくのか一瞬呆気に取られたが、感想はと言えば、景観が破戒されたわけでもない。地下深くなったのに驚いた。

 これは最近気が付いた話だが、電車に乗ると『読み終わりました新聞雑誌は網棚に乗せないでお持ち帰り下さい』というようなアナウンスがなくなった。そうか、最近は電車で新聞雑誌を読む人など稀で、スマホだ。
 東京駅の八重洲口あたりには、おそらく新幹線で読み捨てられただろう雑誌を(さすがに新聞はなかった)並べて売っている故買まがいのテキヤがいたことがあった。もはや成り立たないのだろう、捨てる人も買う人もいない。出版不況は構造問題で、ベスト・セラー以外は本屋に並ばなくなるだろう。 

 銀座通りに柳の街路樹があった頃。あるオッサンと何故か歩いていると『あら、久しぶり』と声が掛かった。今はすっかり見なくなった靴磨きのオバさんだった。
 僕を連れていたオッサンは『オウッ』と返事をして『久しぶりだね、一つ頼むか、元気かい』と足を磨き台に乗せて靴を磨いてもらっていた。
 その後新橋の方に歩いて行った時にこういうことを言った。
「あのオバサン戦争直後からあそこで靴磨きをやってんだけど顔の広い人でな。以前はパンパン絡みのトラブルなんかよくさばいていて今でも何かあると刑事が聞き込みに来てるぜ」
「パンパンってなーに」
「ンッ?ああ、パンスケってのはいつも神社でお祈りする時みたいにパンパンと手を叩いてる女のことだ」
 この人は別の機会にクリント・イーストウッドのマンハッタン無宿という映画の看板を指して(昔のペンキ絵の看板)、
「あの『マンハッタン無宿』ってのはオレのことだぜ」
 と言ったこともある。確かに当時そうはいなかったニューヨークに暮らしたことのあった人だったが、要するにウソつきなのだ。
 靴磨きも映画の看板もウソを教えたオッサンも故人となってもう一周忌、つくづく時は過ぎてしまった。 

あれ等はどこに行ったのだろう

あれらはどこに行ったのだろう CM編

あれらはどこに行ったのだろう Ⅲ

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これからの・・・ことなど

2018 AUG 5 23:23:08 pm by 西室 建

 日露戦争の有名な203高地の戦闘で、過酷な戦いに晒された兵士の辛さはどんなものだったろうか想いを馳せてみる。
 或いは兵站不足という外道なインパール作戦で飢えに苦しみながら敵襲におびえる切羽詰った状況はいかなるものか。逃げるに逃げられないのだ。
 もっとひどいのは十死零生の特攻。かの戦艦大和も水上特攻で作戦を全うする前に沈んだ。失われた命に対峙する言葉を僕は持たない。

 一方で、ある従軍経験者の書いたものに、当然命を繋ぐ本能は強い(と想像するが)ものの、あまりの苦しさに一発の弾丸がこの苦しみから解放してくれるとさえ思った、という記述があったが出典は忘れた。
 また、大和の僅かな生還者のインタヴューで『生きる死ぬると言ってバタついている様子が、それが大和の乗組員の気持ちだなんて、とんでもない話です。そういうところから書いて書いてもらわないとウソッパチになりますよ』というのを吉田俊雄氏が著書に記している。
 これらの苛烈な経験の上の言葉は重い。我々が発する『命がけ』という凡庸な科白よりもはるかに厳しいプロ意識とでも言うのだろうか。無論全員がとも言い難いかもしれない。

 この『プロ意識』の部分に光を当てることで、吾々の凡庸なる日常に息を吹き込むことはできないだろうか。
 というのも(普段何もしていない私ではあるが)先の見えない展開につくづく『どうにかならんのか』と絶望的な気持ちになったことはある。
 まず子供の頃から来る日も来る日も学校に行くのがイヤだった、あの気持ちから始まる。中学高校ではいつの間にか先生の説明が全くわからなくなり、大学では毎週ゼミの発表に追いかけられて自分を見失った。
 勤めてからはこれまた大変な事の連続で、やっていることの成否だけでは済まないのは皆様と同じ。イヤな思いをしたこともあったしさせたことも同じくらい以上にあったはずだ。
 このような感覚はどうやら『プロ意識』の欠如によるものではないかと今更ながら気が付いた。成人してからの時間の何分の一かを泥酔と二日酔いで無駄にしたことを考えれば尚の事である。早く気が付けばよかったのだが。

 閑話休題、そこで残された時間にどう立ち向かうかを深く考えてみた。
 無論私は戦場にいるわけではない。早い話が晩年にさしかかっていて今更の感は強いが、とにかく今暫くは生きては行くわけだ。
 これからの話なので何に邁進するかと言えば、いかにして『断捨離』のプロになるか、くらいであろう。なぜかといえば、これは結構命がけの仕事ではないかと思えてきたのだ。
 既に書いている事でもあるが、こちらからこれ以上知り合いを増やすことはない。大金をはたいてモノを買うこともない。親族の不幸や友人を失う経験は増えていくだろう。
 ところが最近、ある物件を処分することになって大量のモノを整理することになった。ゴミにしてしまうのももったいないので、あるフリー・マーケットに持って行こうとしたのだが結論から言えば主催団体に断られた。そこは慈善団体系の全国ネットワークのあるところだが、着払いの宅急便で物凄い量が押し寄せて捌ききれずお金をかけて処分しているとのことだった。
 本。全集とか百科事典といったブック・カヴァーに入った古本は写メで撮って古本屋に贈ったらこれも値段が付かないとの返事。
 食器。それなりのモノには違いないが一度に何種類ものお皿で食べることもできまい。
 洋服。オジサンの着る物に流行はないものの、これなどサイズ等もあって寄付しても絶対に喜ばれないだろう。
 家具。重いの何のって運び出すことすらできない。箪笥・机・しまいにはピアノ。
 更に迷うのは誰なのか名前も分からない古い写真。
 100年前の走り書き、先祖の卒業証書、成績表。
 価値も分からない切手の束、震災復興債、こんなものは値段がつくかもしれないが、一体誰に相談すればいいのか。
 つらつら思うにこれから後の私の年代は膠着状態に陥るのではないだろうか。そしてこの膠着状態はそう悪いものではないかもしれない。むしろ撤退しない、年相応にヤケにならないように暮らす。そうしてペースを守っていれば今度は今までにない静かなときめきが沸き上がって来るような気がする。

 ここで冒頭の話に戻るのである。 
 戦場の指揮官の言葉。
『膠着状態にあっては苦しいが、敵も又苦しんでいるはずである。冷静に守り抜きながら相手のスキが出るのを見定めるのが肝要である。時に負けないことが大勝利とも言うべき効果をあらわす』
 我々は終盤戦を戦うプロなのだ。
 とにかく今まで生きてきた。
 戦時にあって戦闘で命を落とした戦死者、平時にあって志半ばで病や不慮の事故で亡くなられた方々、突然の災害によって亡くなられた方々の冥福をひたすら祈りたい。

 ところでこの戦いの敵とは何だ。考えて教えてほしい。 

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一瞬の逡巡

2018 JUL 19 22:22:29 pm by 西室 建

あまりにひどい天災に奪われたすべての魂に捧げる

毎日毎日ひとが死ぬ
来る日も来る日も供養する
一人一人は物語でも
一人ぼっちで死んでゆく
残った者も
一人ぼっちで生きてゆく
毎年毎年供養する
水で死ぬ火で死ぬ事故で死ぬ病気で死ぬ戦いで死ぬ
死んでゆく者は何を言ったか思ったか
残されたものは何をどう語るのか
悲しみと驚きが入り混じって
あまりに大量に押し寄せて来る時
人は慣れてしまうから

躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
残った者が背負うのだから
置いて行かれたのは私であり君だ
もういないあなたも置いて行かれた
なんと簡単なことなのだろうか
なんと悪辣なことなのだろうか
なんと善意なことなのだろうか
なんと純粋なことなのだろうか

すべてが早すぎたし遅すぎもした
呪われて後、祝福された
皆が蔑んだ後に、誰もが哀れんだ
重く暗く息苦しい湿気の中で
躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
すべてが分かるのだから
事実は目の前にしかないのだから

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謎の『おつながり乞食』 

2018 JUN 4 6:06:32 am by 西室 建

 北野武監督が2002年に撮った映画に『Dolls』という作品があります。あまりヒットしなかったのでご存じない方の方が多いでしょう。3話仕立てのオムニバスでした。
 紆余曲折を経た西島秀俊と菅野美穂の夫婦が互いの体を赤い縄で結び付けて彷徨う第一話は、北野監督が子供に見た乞食の夫婦がモチーフだと語っています。
 故小沢昭一のエッセイにやはり同じ夫婦と思われる二人を目撃していて、更には本人のプロポーズの言葉が『年をとったらおまえさんと二人してつながり乞食になって暮らそうなあ』だったとエッセイに書いていました。

おつながり

 実はこの『おつながり乞食』は戦前に東京の洗足池付近で知られた存在で、私は母親から聞かされて知っていました。洗足池で体を拭いていた夫婦の乞食を見たことがある、カミさんの方が少し知的障害があってダンナさんが物乞いをしているのに放っておくとどこかに行ってしまうので結構長い縄で繋がっていたとの話でしたが。
 小沢昭一は昭和四年生まれで蒲田育ち、亡き母は昭和六年の洗足で結構近い。おそらく同じ夫婦を見たに違いありません。そして北野武は私の七歳上ですが足立区がフランチャイズですから浅草あたりで見かけたのかもしれません。
 すると昭和の10年代から30年代まで東京中を彷徨っていたことになります。あの空襲の時はどこにいたのでしょう。そしてその後はどこに消えて行ったのか。
 後年に山形とか秋田での目撃の噂はあったようです。

 私の子供の頃、神田の昌平橋のたもとにやはり夫婦連れのホームレスがいました。橋の上にJRが通っていて雨がしのげたのですね。リヤカーを引いていた記憶がありますからクズ拾い(当時はそう呼んだ)をしていたと思います。
 お母さんが小さい子供をおんぶしていたのを見て、寝る時はどうするのか心配してました。
 それがですぞ、お母さんのお腹がドンドンせり出して来るのです。子供の僕はその機微がまだ分からず異常な太り方だと思ったのですが、今から思えばあの吹きさらしの中でゴザでも敷いてイタしたのだと想像すると・・・・なんと逞しい。そこには当時都電の路線が健在でそれなりの人通りもあったはずですが深夜の事ゆえ真相は分かりません。あの子供たちはその後どういう人生をたどったのやら。
 これも昭和30年代の話です。

 その10年後、フーテンというのが新宿に一杯いたこともありました。ヒッピーの日本版ですね。
 怖いもの見たさにグリーン・ホテルと呼ばれていた東口を出たところの芝生にゴロゴロしているのを見物に行きました。
『あれがシーザーだよ』
 と言われて物凄い長髪の有名なフーテンを眺めた記憶があります。どうもホームレスとは趣の違う難しそうな顔をした人でした。
 当時の新宿は(今もですが)そういった不思議な人達や明らかにその筋の人、オカマの立ちん坊、ロックンローラーが入り乱れて立ち眩みがするような街で、途切れないうねりのような人並みが朝まで無くならないのです。あの人達は今どうしているのでしょう。そうそう、シンナー吸ってる人が多かった。
 
 現在でも上野や隅田川沿いにブルーシートでテント村のような光景が見られます。その中には夫婦の方もいるんだそうです。中にはホームレス同士で知り合って結婚に至った例もネットにはありました(女性の方が20才くらい上!)。
 ま、色々あったのでしょう。中には病気・失業・借金・犯罪、様々な苦労の挙句にそういう暮らしを余儀なくされているのかもしれません。それでも逞しく生きるのはプロのフーテンと言えなくもない(実際には仕事がキラいな怠け者が多いとも聞きます)。

 これらの話、別に懐かしくもないですが忘れないうちに書いてみました。
 えっ私?私は風体こそ変でしたがちゃんと学校には通ってましたしずーっとカタギでしたよ。

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15年振りの邂逅

2018 JAN 17 19:19:20 pm by 西室 建

 とある休日に銀座に出ることがあって、お気に入りのお弁当屋さんのショーウィンドウを覗いていた。ここのお赤飯弁当が好きで今日の晩飯にしようかな、と迷っていたのだ。
「ニシムーロ サン!(ム にアクセント)」
 何だ?誰かが呼んだのか。
 振り向いて驚いた。旧知のアメリカ人が立っていた、実に15年振りくらいだった。
「What are you doing here?」
 思わずハグしてしまった(相手もオッサンだけど)。
 隣には物凄い美人を連れていて奥さんだと紹介された。奥さんは初めての来日、日本はとても素晴らしいと目を輝かせていた。

 この男イランからアメリカへの移民なのだ。知り合ったのはシリコン・バレーでしばらく仕事の付き合いがあった。小柄だが物凄いゴツい体。それもそのはずレスリングの選手としての訪米がきっかけでアメリカの大学を卒業した。
 一応イスラムだとは言うものの、すでにアメリカ人として酒くらいは平気で飲む。あの頃はイラン系だということでの苦労もしていた。
 当時彼がやっていた事務所を訪ねた、共同経営しているのはインド人と韓国系の三人という、グローバルの塊のような職場だった。そして面白い事にインド人は日本留学経験者で日本語が達者。韓国系ロバートは三世で完全にアメリカ人になっていた。
 実は知り合った順番を正確にいうとインド人が最初で、フィリピンの国内空港のスモーキング・ルームで日本語で話しかけられた。彼にこのイラン人を紹介され、この後シンガポールで韓国系ローバートとバッタリ会うことになる。
 シリコン・バレー界隈は今でもこのような人の流れになっているのだろうが、僕はその後すっかりご無沙汰になってしまった。

 奥さんのことでビックリしたことがある。てっきりイスラムだと思ったら違う。何教となのか(ヅロスタリアンと聞えた)分からず聞き返すとファイア・レリジョンと解説してくれて分かった。ペルシャのゾロアスター教と教えられたやつだ。へぇ、まだいたのかと感心した。
 だから奥さんは目の大きな彫の深い顔立ちにチャドルもターバンも纏っていない。そういえばインドのタタ財閥を形成しているパールシー族もペルシャ系で、未だにゾロアスター教だと聞いた。遺骸を鳥に啄ばませているのだろうか。
「これからミキモトに行くのよ」
 と言ったから
「そりゃテリブルだ。いくらでも高いパールがおいてあるぞ」
「オー、ノウ」
 又、会おうと硬い握手をして別れた。
 お互いの行動パターンを考えると、彼と銀座の街角でバッタリ会うのは天文学的確率ではないだろうか。連絡先も交わさなかったし今更仕事で繋がる事もない。リユニオンの機会も無いだろうから残りの人生で再会することは無いと思うと、感慨深いモノがある。
 しかし僕はこういう経験を少なからずしていて、去年これまた何年も会っていない知り合い(日本人の旧友と元同僚)に海外の空港でバッタリ会った。これも相当偶然に近い出会いにも拘らず、ロクに連絡は取っていないし向こうからも来ない。

 一期一会とはそういうものさ。縁が有ったらまた会える、とタカをくくる。それも僕らしいか。

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異邦人のあれこれ

Yokohama Yankee 邦題『横浜ヤンキー』


 

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