Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

平成ラスト 滋養神社今年の十大お告げ

2019 JAN 7 6:06:47 am by 西室 建

ひとつ
 新元号「建和」発表される。
 新たに建和天皇が即位するが、それに合わせてトランプ大統領が国賓待遇で来日。
 周りはハラハラするが物凄く神妙で、晩餐会では『陛下に忠誠を誓います』とアドリブで言ってしまい、アメリカ世論が猛反発する。しかし支持率は全然下がらないという不思議。
 雅子皇后陛下の人気が世界的に盛り上がる。

ふたつ
 通常国会から改憲議論が盛り上がり捲るが、野党の論点があまりに観念論的なので国民が飽きて来る。
 その中で憲法改正国民投票日が決まる。それは頭にきた安倍総理の大戦略で衆議院を解散し衆参同時選挙と同日の投票となる。結果は・・・自民党大勝利。自衛隊は合憲になる。
 大将・大佐・大尉といった旧軍の階級呼称が復活する。
 
みっつ
 その選挙に際し、突如矢沢永吉が新党『全日本よろしく党』を結成して自らも立候補して当選する。
 他に比例ブロックや参議院で当選者を10人出す。
 顔ぶれは芸能界からは香取慎吾、スポーツ界から松井秀喜、元政治家橋下徹、他は自民党から3人、無所属の会から2人、元官僚。
 政策は安倍総理4選と消費税引き下げだけ、という奇怪なモノだった。
 
よっつ
 プーチン大統領が来日し、平和条約が高らかに結ばれる。
 日本の施政権は歯舞・色丹までだが、国後・択捉までは往来が自由になる。
 予想もしなかったが色丹島に、日本への帰化目当てのロシア人が殺到し、ロシア人コロニーができてしまう。
 コロニーは初めは300人だったがその後数万人に急増し島のインフラが足りなくなり社会問題化する。
 しょうがなくなり色丹市に格上げされ、ロシア系の市長が新党大地公認で立候補し無投票で当選する。

いつつ
 中国が分裂の気配。隠しに隠してきた暴動は年間40万件もあり、武装警察では対処できなくなり、習近平は人民解放軍を投入しようとする。
 共産党は情報遮断・国境封鎖の暴挙に出て良く分からなくなる。
 どうも第四野戦軍は共産党中央の首都防衛の命令を無視し、南進した模様。
 他にもイスラム過激派のような勢力が台頭しているらしく、何が何だかわからないが報道はされない。
 しかし衛星によって戦闘が行われている事は確認された。習主席は健在であることはしばしば発表されるのだが。

むっつ
 英国が合意の無いままEUを離脱する。国会がメイ首相案を否決してしまったからだ。
 ところがスコットランドが一方的に独立を宣言してEUに加盟する、という声明を出し、国家元首にショーン・コネリーが就任する。
 イングランドは猛烈に反発するが、渋々アイルランドとスコットランドに対し国境を策定する。

ななつ
 上記ドサクサの間に米朝首脳会談が行われ、ついに金正恩が『非核宣言』をする。そして驚いたことにアメリカとの間に安全保障条約を結ぶことを発表し、同時に38度線を解放してしまう。金正恩は『竹島は日本領土である』とも言った。
 韓国は大慌てで、なぜか大勢が旧国境を越えて北に大移動する。不思議と北から南への動きはなく、むしろ日本に押し寄せて来そうになりこれを止めるために入管法が改正される。
 この混乱で中朝国境で人民解放軍と朝鮮人民軍が睨みあうが戦闘にはならない。
 『いつつ』で述べたとおり中国もメチャクチャなので人民解放軍にヤル気がないからだ。

やっつ
 ダライ・ラマが健在にもかかわらず次の後継者が決まる。今回は既に成人して生き仏と敬われているガマ・ラマというチベット人。
 しかしなぜか流暢な日本語を喋り、日本との提携を訴える。中国を慌てさせるが、「いつつ」で予言した中国の大混乱により手が付けられない。
 その後、ガマ・ラマはチベット自治州の州都ラサに現れ、共産党との協力を宣言する。『あれは本当は日本人だ』の噂が出る。
 
ここのつ
 某女性皇族と旧宮家の末裔の婚約が発表される。
 すると、皇室典範が改正される動きが出て、絶家となる宮家の養子縁組が可能となり、皇族入りする。
 有栖川宮家を名乗ろうとしたが有栖川有栖からクレームがついて別途検討になる。
 結局、その宮様は継承権三位の皇族となることが皇室典範の改正により決定する。
 某内親王殿下の婚約は破棄される。

とお
 TPPで日本の製造業が大活況を呈する。
 円はなぜかTPP域内で普通に流通するようになり、国際通貨化する。
 するとEUでスベッた英国のメイ首相が『入れてくれ』と安倍総理に泣きついてくる。安倍総理は散々じらして結論を先送りしていると、日英同盟を復活させて核の共有をしてもいい、とまで譲歩してくる。
 結論はオリンピック後になるが、さすがの滋養神も教えてくれなかった。

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戦争を伝えるシンポジウム 

2018 DEC 5 22:22:28 pm by 西室 建

 さるシンポジウムに出かけた。『戦争体験を伝えたい』と題されて4人が登壇して順番に話す形式だった。3人が79~80才、お一人は90という大先輩達の、いささか重いテーマである。聴衆は概して僕よりも上の人が多く若い人は2~3人、それもなぜか現役高校生だった。
 その79~80と思しき御三方は同級生、即ち『戦争経験』と言っても『空襲経験』や『引き揚げ経験』なのだ。まあ、悲惨な体験のオンパレードだった。
 東京の柴又に疎開したところ、3月10日の東京大空襲によって本所の実家が被災し、ご尊父を亡くされた方。この方は3人兄弟でお兄さんは4っつ上、弟は3才下。お兄さんは本所までお父さんを探しに行った際のあまりの死体の多さと悲惨な状況が大トラウマになって、内省拒否症状(振り返りが困難になることらしい)になってしまった事、片時も母親からはなれなかった弟さんが愛着過剰による自律(ママ、自立か?)困難の症状を呈した事を語られた。この方は発達心理学を専門にしていたそうである。
 お二人目は水戸に疎開して艦載機の機銃掃射を受ける。B29の絨毯爆撃はスピードの違いもあって空襲警報が鳴ってから暫く時間があったが、艦載機は最初から低空でやってきてバリバリ撃ちまくりながら鹿島灘方面に飛んでいく、路上を狙って来るので田んぼの中を泥まみれで逃げ回る、物凄い恐怖感だったと。
 そして水戸は8月2日に夜間空襲を受け、防空壕に逃げる途中至近距離に焼夷弾が落ちた。幸運にもそれは不発弾で、左側に落ちた焼夷弾がバウンドした、というのだが、話が恐ろしくリアルだ。破裂していたら無論のことその方は跡形も無かったろう。
 三人目は外地、大連で終戦を迎えた。大連は8月22日にソ連戦車軍団が進駐し、いきなりその日から将校はホールド・アップ、兵隊は強盗・暴行に励む獣のような軍隊だったという。
 不思議な事に水道・電気・交通機関といった都市インフラは(誰も金を払える状況でないにもかかわらず)機能しており、10月には小学校は再開される。そして翌年に引き揚げ。その間、物資は豊富にあるのだが、中国語が印刷されたソ連軍票のインフレや売り食い生活の困難は鬼気迫る。
 特に興味を引かれたのは日本人同士の対立。敗戦直後の大連で、なぜか日本人労働組合が結成される。あまり表に出てこない話だが、やはり混乱期に乗じた政治的勢力の工作があったのではないか。なぜか人民裁判や強制徴収といったことが行われたそうだ。そして、その報復に引き揚げ船内で強烈なリンチがあったということが喧伝されているが、そんなことは見た人も聞いた人もいない、と強調された。すなわちそれらはバイアスのかかったプロパガンダであるという立場だ。日本人の弱さ、と表現されたが”人間の弱さ”なのだと思って聞いた。
 上記3人の先輩方の話は一方的にやられた経験で、揃ってその後の民主教育はこの悲惨な状況を踏まえて、新生日本を作り上げていく希望に満ちていた、という思いを込めて語る。そして戦争はしてはならない、現在の日本の政治状況は危ない方向に向かっているのではないか、と静かに述べられた。
 トリを勤めたのは御年90歳ながら矍鑠とした翁である。海軍兵学校生徒で終戦を迎え、原爆の後の広島の惨状を語り、後半はもっぱら戦後の思想遍歴についてのお話だった。実は丸山真男の系列で、一時共産党にも入党していたそうである。
 そして、昭和天皇の戦争責任について。最晩年の御言葉の中に『言葉のアヤ』という表現があったことを重く論評されたが、これには参った。
 総じて皆さん憲法改正に警鐘を鳴らしておられるのだが、国際情勢の急激な変化に現憲法で充分対応可能かは別の問題と考える。無論諸先輩の体験は『日本はあのような戦争はしない』という国是に生かされなければならない。
 しかしながら北の国の核武装、中国の覇権、南北半島の複雑な動き、といった新たな問題が既に我が国を締め上げていることも事実だ。

 フォーラムが終わって懇親の席に移り歓談が始まった。
 私は一人座って所在無げな最後のパネラーである九十翁の元に行った。ある言葉にピンときたからだ。ご挨拶し、姓名を名乗ると怪訝そうに私を見つめる。来歴について自己紹介をした。すると、
『キミはアイツの息子か!アイツの息子がオレの後輩だったのか』
 と相好を崩された。
 話は一気に講話で触れたある人物のディテールに入り込んでいった。
 海軍大尉、田結保。海兵71期をトップの成績で卒業し恩賜の短剣を下賜された秀才だが、レイテ沖海戦で重巡洋艦『筑摩』の分隊長として戦死。戦後、その高潔な人格と高い見識を偲ぶ文章が一部に発表されたことで知る人ぞ知る。元通産次官杉山和男による『海軍大尉 田結保』や元警視総監土田国保の記述にもその名を留めている。土田国保は海軍予備学生で戦艦武蔵に乗った時、士官室でその謦咳に触れた。
 戦時下の昭和19年2月、田結大尉が(当時は中尉か?)休暇で上京した折に母校を訪ね、現役中学生(旧制)であるパネラーの九十翁他の後輩達に(上記杉山氏もいた)静かに語りかけた言葉が残っている。こういう海軍士官がいたとは。
「海兵や陸士に行くばかりでなく、国につくすには色々な道がある」
「諸君は戦時下でも落ち着いて勉強して欲しい」
「本校の校風は『自由』であり、それは素晴らしいことである」
 実はこの田結大尉には妹さんがいて、亡き母の女学校の同級生。拙ブログ

藤の人々 (昭和編)


 の最後に勇ましい事を言う気丈な女学生のモデルである。

 他にそんな話をする者がいないため、翁との会話は弾んだ。調子に乗った私は『最後の昭和天皇に対する論評には参りました』と言った。
 翁はそれまで細めていた目を大きく開いてはっきりと
「キミなんかはそうか。フム、オレは左翼だからな」
 と言ってニヤリと笑った。お前なんかにわかってたまるか、と顔に書いてあった。どうにも怒られているようで具合が悪かったが、こちらもとっくに還暦過ぎて今更保守を止めるわけにもいかない。先輩に鍛えていただいたことに感謝のみである。

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あれらはどこに行ったのだろう Ⅳ

2018 DEC 1 12:12:38 pm by 西室 建

 日本橋の上を通っていた高速道路が地中を通ることになるとか。橋の上に空が甦るという概ね好意的な報道がなされている。
 御案内の通り、東京オリンピック(前回)の際に都市インフラの整備で首都高速が建設された時に覆われたわけだが、筆者は地元が近いのでその過程を一種の高揚感を持って眺めていた。立体的な構造物は多少なりとも戦後感の残る界隈に対して、未来的な都市の発展の象徴にも見えた。従って橋の上の青空を懐かしむのは70代から上の先輩達で、僕なんかは今更高速道路が消えても大して経済効果はないように思える。
 無論建設当時から『景観破壊』の論説はあったが、その前の高速道路無しのころの風景は覚えていない。日本橋と言えば例の麒麟像を見上げた時に、なんてグロいのかと慄いた感じは残っている。そもそもその頃の川の汚染は当時はすさまじく、得体の知れない泡が時々ブクブク立っていたくらいだった。川面を覗きこんだり上を見上げることなんか誰もしていなかった。
 それで、実際に高速の地中化がなされたら、今から20年後に僕の年代は『昔はこの橋の上を高速道路が通っていてね』等と懐かしむことにならないか心配だ。
 そういった意味では、単身赴任をしていた後に帰ってきて今の渋谷の駅を見たときの衝撃はついこの間のことだった。東横線のホームがない!どうやって自由が丘にいくのか一瞬呆気に取られたが、感想はと言えば、景観が破戒されたわけでもない。地下深くなったのに驚いた。

 これは最近気が付いた話だが、電車に乗ると『読み終わりました新聞雑誌は網棚に乗せないでお持ち帰り下さい』というようなアナウンスがなくなった。そうか、最近は電車で新聞雑誌を読む人など稀で、スマホだ。
 東京駅の八重洲口あたりには、おそらく新幹線で読み捨てられただろう雑誌を(さすがに新聞はなかった)並べて売っている故買まがいのテキヤがいたことがあった。もはや成り立たないのだろう、捨てる人も買う人もいない。出版不況は構造問題で、ベスト・セラー以外は本屋に並ばなくなるだろう。 

 銀座通りに柳の街路樹があった頃。あるオッサンと何故か歩いていると『あら、久しぶり』と声が掛かった。今はすっかり見なくなった靴磨きのオバさんだった。
 僕を連れていたオッサンは『オウッ』と返事をして『久しぶりだね、一つ頼むか、元気かい』と足を磨き台に乗せて靴を磨いてもらっていた。
 その後新橋の方に歩いて行った時にこういうことを言った。
「あのオバサン戦争直後からあそこで靴磨きをやってんだけど顔の広い人でな。以前はパンパン絡みのトラブルなんかよくさばいていて今でも何かあると刑事が聞き込みに来てるぜ」
「パンパンってなーに」
「ンッ?ああ、パンスケってのはいつも神社でお祈りする時みたいにパンパンと手を叩いてる女のことだ」
 この人は別の機会にクリント・イーストウッドのマンハッタン無宿という映画の看板を指して(昔のペンキ絵の看板)、
「あの『マンハッタン無宿』ってのはオレのことだぜ」
 と言ったこともある。確かに当時そうはいなかったニューヨークに暮らしたことのあった人だったが、要するにウソつきなのだ。
 靴磨きも映画の看板もウソを教えたオッサンも故人となってもう一周忌、つくづく時は過ぎてしまった。 

あれ等はどこに行ったのだろう

あれらはどこに行ったのだろう CM編

あれらはどこに行ったのだろう Ⅲ

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これからの・・・ことなど

2018 AUG 5 23:23:08 pm by 西室 建

 日露戦争の有名な203高地の戦闘で、過酷な戦いに晒された兵士の辛さはどんなものだったろうか想いを馳せてみる。
 或いは兵站不足という外道なインパール作戦で飢えに苦しみながら敵襲におびえる切羽詰った状況はいかなるものか。逃げるに逃げられないのだ。
 もっとひどいのは十死零生の特攻。かの戦艦大和も水上特攻で作戦を全うする前に沈んだ。失われた命に対峙する言葉を僕は持たない。

 一方で、ある従軍経験者の書いたものに、当然命を繋ぐ本能は強い(と想像するが)ものの、あまりの苦しさに一発の弾丸がこの苦しみから解放してくれるとさえ思った、という記述があったが出典は忘れた。
 また、大和の僅かな生還者のインタヴューで『生きる死ぬると言ってバタついている様子が、それが大和の乗組員の気持ちだなんて、とんでもない話です。そういうところから書いて書いてもらわないとウソッパチになりますよ』というのを吉田俊雄氏が著書に記している。
 これらの苛烈な経験の上の言葉は重い。我々が発する『命がけ』という凡庸な科白よりもはるかに厳しいプロ意識とでも言うのだろうか。無論全員がとも言い難いかもしれない。

 この『プロ意識』の部分に光を当てることで、吾々の凡庸なる日常に息を吹き込むことはできないだろうか。
 というのも(普段何もしていない私ではあるが)先の見えない展開につくづく『どうにかならんのか』と絶望的な気持ちになったことはある。
 まず子供の頃から来る日も来る日も学校に行くのがイヤだった、あの気持ちから始まる。中学高校ではいつの間にか先生の説明が全くわからなくなり、大学では毎週ゼミの発表に追いかけられて自分を見失った。
 勤めてからはこれまた大変な事の連続で、やっていることの成否だけでは済まないのは皆様と同じ。イヤな思いをしたこともあったしさせたことも同じくらい以上にあったはずだ。
 このような感覚はどうやら『プロ意識』の欠如によるものではないかと今更ながら気が付いた。成人してからの時間の何分の一かを泥酔と二日酔いで無駄にしたことを考えれば尚の事である。早く気が付けばよかったのだが。

 閑話休題、そこで残された時間にどう立ち向かうかを深く考えてみた。
 無論私は戦場にいるわけではない。早い話が晩年にさしかかっていて今更の感は強いが、とにかく今暫くは生きては行くわけだ。
 これからの話なので何に邁進するかと言えば、いかにして『断捨離』のプロになるか、くらいであろう。なぜかといえば、これは結構命がけの仕事ではないかと思えてきたのだ。
 既に書いている事でもあるが、こちらからこれ以上知り合いを増やすことはない。大金をはたいてモノを買うこともない。親族の不幸や友人を失う経験は増えていくだろう。
 ところが最近、ある物件を処分することになって大量のモノを整理することになった。ゴミにしてしまうのももったいないので、あるフリー・マーケットに持って行こうとしたのだが結論から言えば主催団体に断られた。そこは慈善団体系の全国ネットワークのあるところだが、着払いの宅急便で物凄い量が押し寄せて捌ききれずお金をかけて処分しているとのことだった。
 本。全集とか百科事典といったブック・カヴァーに入った古本は写メで撮って古本屋に贈ったらこれも値段が付かないとの返事。
 食器。それなりのモノには違いないが一度に何種類ものお皿で食べることもできまい。
 洋服。オジサンの着る物に流行はないものの、これなどサイズ等もあって寄付しても絶対に喜ばれないだろう。
 家具。重いの何のって運び出すことすらできない。箪笥・机・しまいにはピアノ。
 更に迷うのは誰なのか名前も分からない古い写真。
 100年前の走り書き、先祖の卒業証書、成績表。
 価値も分からない切手の束、震災復興債、こんなものは値段がつくかもしれないが、一体誰に相談すればいいのか。
 つらつら思うにこれから後の私の年代は膠着状態に陥るのではないだろうか。そしてこの膠着状態はそう悪いものではないかもしれない。むしろ撤退しない、年相応にヤケにならないように暮らす。そうしてペースを守っていれば今度は今までにない静かなときめきが沸き上がって来るような気がする。

 ここで冒頭の話に戻るのである。 
 戦場の指揮官の言葉。
『膠着状態にあっては苦しいが、敵も又苦しんでいるはずである。冷静に守り抜きながら相手のスキが出るのを見定めるのが肝要である。時に負けないことが大勝利とも言うべき効果をあらわす』
 我々は終盤戦を戦うプロなのだ。
 とにかく今まで生きてきた。
 戦時にあって戦闘で命を落とした戦死者、平時にあって志半ばで病や不慮の事故で亡くなられた方々、突然の災害によって亡くなられた方々の冥福をひたすら祈りたい。

 ところでこの戦いの敵とは何だ。考えて教えてほしい。 

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一瞬の逡巡

2018 JUL 19 22:22:29 pm by 西室 建

あまりにひどい天災に奪われたすべての魂に捧げる

毎日毎日ひとが死ぬ
来る日も来る日も供養する
一人一人は物語でも
一人ぼっちで死んでゆく
残った者も
一人ぼっちで生きてゆく
毎年毎年供養する
水で死ぬ火で死ぬ事故で死ぬ病気で死ぬ戦いで死ぬ
死んでゆく者は何を言ったか思ったか
残されたものは何をどう語るのか
悲しみと驚きが入り混じって
あまりに大量に押し寄せて来る時
人は慣れてしまうから

躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
残った者が背負うのだから
置いて行かれたのは私であり君だ
もういないあなたも置いて行かれた
なんと簡単なことなのだろうか
なんと悪辣なことなのだろうか
なんと善意なことなのだろうか
なんと純粋なことなのだろうか

すべてが早すぎたし遅すぎもした
呪われて後、祝福された
皆が蔑んだ後に、誰もが哀れんだ
重く暗く息苦しい湿気の中で
躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
すべてが分かるのだから
事実は目の前にしかないのだから

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謎の『おつながり乞食』 

2018 JUN 4 6:06:32 am by 西室 建

 北野武監督が2002年に撮った映画に『Dolls』という作品があります。あまりヒットしなかったのでご存じない方の方が多いでしょう。3話仕立てのオムニバスでした。
 紆余曲折を経た西島秀俊と菅野美穂の夫婦が互いの体を赤い縄で結び付けて彷徨う第一話は、北野監督が子供に見た乞食の夫婦がモチーフだと語っています。
 故小沢昭一のエッセイにやはり同じ夫婦と思われる二人を目撃していて、更には本人のプロポーズの言葉が『年をとったらおまえさんと二人してつながり乞食になって暮らそうなあ』だったとエッセイに書いていました。

おつながり

 実はこの『おつながり乞食』は戦前に東京の洗足池付近で知られた存在で、私は母親から聞かされて知っていました。洗足池で体を拭いていた夫婦の乞食を見たことがある、カミさんの方が少し知的障害があってダンナさんが物乞いをしているのに放っておくとどこかに行ってしまうので結構長い縄で繋がっていたとの話でしたが。
 小沢昭一は昭和四年生まれで蒲田育ち、亡き母は昭和六年の洗足で結構近い。おそらく同じ夫婦を見たに違いありません。そして北野武は私の七歳上ですが足立区がフランチャイズですから浅草あたりで見かけたのかもしれません。
 すると昭和の10年代から30年代まで東京中を彷徨っていたことになります。あの空襲の時はどこにいたのでしょう。そしてその後はどこに消えて行ったのか。
 後年に山形とか秋田での目撃の噂はあったようです。

 私の子供の頃、神田の昌平橋のたもとにやはり夫婦連れのホームレスがいました。橋の上にJRが通っていて雨がしのげたのですね。リヤカーを引いていた記憶がありますからクズ拾い(当時はそう呼んだ)をしていたと思います。
 お母さんが小さい子供をおんぶしていたのを見て、寝る時はどうするのか心配してました。
 それがですぞ、お母さんのお腹がドンドンせり出して来るのです。子供の僕はその機微がまだ分からず異常な太り方だと思ったのですが、今から思えばあの吹きさらしの中でゴザでも敷いてイタしたのだと想像すると・・・・なんと逞しい。そこには当時都電の路線が健在でそれなりの人通りもあったはずですが深夜の事ゆえ真相は分かりません。あの子供たちはその後どういう人生をたどったのやら。
 これも昭和30年代の話です。

 その10年後、フーテンというのが新宿に一杯いたこともありました。ヒッピーの日本版ですね。
 怖いもの見たさにグリーン・ホテルと呼ばれていた東口を出たところの芝生にゴロゴロしているのを見物に行きました。
『あれがシーザーだよ』
 と言われて物凄い長髪の有名なフーテンを眺めた記憶があります。どうもホームレスとは趣の違う難しそうな顔をした人でした。
 当時の新宿は(今もですが)そういった不思議な人達や明らかにその筋の人、オカマの立ちん坊、ロックンローラーが入り乱れて立ち眩みがするような街で、途切れないうねりのような人並みが朝まで無くならないのです。あの人達は今どうしているのでしょう。そうそう、シンナー吸ってる人が多かった。
 
 現在でも上野や隅田川沿いにブルーシートでテント村のような光景が見られます。その中には夫婦の方もいるんだそうです。中にはホームレス同士で知り合って結婚に至った例もネットにはありました(女性の方が20才くらい上!)。
 ま、色々あったのでしょう。中には病気・失業・借金・犯罪、様々な苦労の挙句にそういう暮らしを余儀なくされているのかもしれません。それでも逞しく生きるのはプロのフーテンと言えなくもない(実際には仕事がキラいな怠け者が多いとも聞きます)。

 これらの話、別に懐かしくもないですが忘れないうちに書いてみました。
 えっ私?私は風体こそ変でしたがちゃんと学校には通ってましたしずーっとカタギでしたよ。

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15年振りの邂逅

2018 JAN 17 19:19:20 pm by 西室 建

 とある休日に銀座に出ることがあって、お気に入りのお弁当屋さんのショーウィンドウを覗いていた。ここのお赤飯弁当が好きで今日の晩飯にしようかな、と迷っていたのだ。
「ニシムーロ サン!(ム にアクセント)」
 何だ?誰かが呼んだのか。
 振り向いて驚いた。旧知のアメリカ人が立っていた、実に15年振りくらいだった。
「What are you doing here?」
 思わずハグしてしまった(相手もオッサンだけど)。
 隣には物凄い美人を連れていて奥さんだと紹介された。奥さんは初めての来日、日本はとても素晴らしいと目を輝かせていた。

 この男イランからアメリカへの移民なのだ。知り合ったのはシリコン・バレーでしばらく仕事の付き合いがあった。小柄だが物凄いゴツい体。それもそのはずレスリングの選手としての訪米がきっかけでアメリカの大学を卒業した。
 一応イスラムだとは言うものの、すでにアメリカ人として酒くらいは平気で飲む。あの頃はイラン系だということでの苦労もしていた。
 当時彼がやっていた事務所を訪ねた、共同経営しているのはインド人と韓国系の三人という、グローバルの塊のような職場だった。そして面白い事にインド人は日本留学経験者で日本語が達者。韓国系ロバートは三世で完全にアメリカ人になっていた。
 実は知り合った順番を正確にいうとインド人が最初で、フィリピンの国内空港のスモーキング・ルームで日本語で話しかけられた。彼にこのイラン人を紹介され、この後シンガポールで韓国系ローバートとバッタリ会うことになる。
 シリコン・バレー界隈は今でもこのような人の流れになっているのだろうが、僕はその後すっかりご無沙汰になってしまった。

 奥さんのことでビックリしたことがある。てっきりイスラムだと思ったら違う。何教となのか(ヅロスタリアンと聞えた)分からず聞き返すとファイア・レリジョンと解説してくれて分かった。ペルシャのゾロアスター教と教えられたやつだ。へぇ、まだいたのかと感心した。
 だから奥さんは目の大きな彫の深い顔立ちにチャドルもターバンも纏っていない。そういえばインドのタタ財閥を形成しているパールシー族もペルシャ系で、未だにゾロアスター教だと聞いた。遺骸を鳥に啄ばませているのだろうか。
「これからミキモトに行くのよ」
 と言ったから
「そりゃテリブルだ。いくらでも高いパールがおいてあるぞ」
「オー、ノウ」
 又、会おうと硬い握手をして別れた。
 お互いの行動パターンを考えると、彼と銀座の街角でバッタリ会うのは天文学的確率ではないだろうか。連絡先も交わさなかったし今更仕事で繋がる事もない。リユニオンの機会も無いだろうから残りの人生で再会することは無いと思うと、感慨深いモノがある。
 しかし僕はこういう経験を少なからずしていて、去年これまた何年も会っていない知り合い(日本人の旧友と元同僚)に海外の空港でバッタリ会った。これも相当偶然に近い出会いにも拘らず、ロクに連絡は取っていないし向こうからも来ない。

 一期一会とはそういうものさ。縁が有ったらまた会える、とタカをくくる。それも僕らしいか。

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異邦人のあれこれ

Yokohama Yankee 邦題『横浜ヤンキー』


 

今年のプライベート十大ニュース

2017 DEC 27 19:19:49 pm by 西室 建

 年末に某所で温泉に浸かりながら、この1年を振り返ってみた。

1.まだスノボができた
 今年が最期かな、と毎年思いつつチョロっと滑った。体力の衰えが一番分かる。一日券を買っても滑る本数が年々少なくなり、遂に回数券(10回綴り)に変えた。そしてそれが余るようになってしまった。今年は5回分を捨てた。
 だが、だんだん意地でやってる感が強くなって”楽しんで”いる気がしなくなったのも事実。ゲレンデに僕より高齢のボーダーはまずいない。スキーヤーでもいないだろう。
 これで骨でも折った日には大バカだと言われること請け合いだ。来年どうしよう。

2.身内に災難多し
 周期的に厄災が襲ってきた。内容は膝十字靭帯断裂、原因不明の腰痛、そして身内の不幸と一年を通じてトラブルに見舞われた。こういう年もあるのか。
 そしてこのペースで行くとヤバいのでゲン直し。
 くよくよ悩みながら、どうしようもなく絶望的な状況でも、実はやさしい本当にいい人にでもなってみるか。切り抜けるぞ。

3.ヨット航海・旅には出られず
 上記事情により東京を離れられなかった。
 おかげでヨットはただの日向ぼっこに。バーベキュー会場に。そしてついに宴会場になってしまった。
 待てよ、海で泳いだかな・・・、一度入り江に飛び込んだ、良かった。
ライフ・ワークの中京地区古戦場巡りも結局行けず。
 喜寿庵で温泉の回数券を使うだけ。鍋焼きうどんがおいしかったけど。

4.ゴルフ成仏する
 1回1テーマ。今年は『寄せ』だった。
 トップするのが恐くて7番の転がしをやってみたが上達せず、結局サンド。ウェッジで落ち着いた。落ち着きはしたがスコアは全然変わらない。
 考えてみれば筋力・気力共に衰えているのだから、テクニック的には上達したことになるのではないかと思い直した。
 そしてゴルフの時に唱える念仏を考えた。
『まーがりたまえー、ころがりたまえー、ほりーたまえー、うちすぎたまえー』

5.数年ぶりの再会続く
 不思議な事に海外での空港で久しぶりに知り合い(日本人)とバッタリ。
 それもモスクワとシンガポール・チャンギーで。それぞれ3年振りと5年振りくらいだった。
 ところが僕らしいというか、どちらもあんなに仲良しだったのに再会の約束はしなかった。懐かしくはあるが今更会って話す事もないと思った。
 いや話してもいいのだが、僕が何をしてきて今何をやっているか、そしてその状況がどうなのかを説明するのが非常に面倒なのだ。
 来年連絡してみようかな。

6.大谷投手エンジェルス!おめでとう
 ファイターズは結局泣かず飛ばずで5位。原因ははっきりしているが、A級戦犯の一人、中田翔は涼しい顔で残留。増井・大野とそれなりの選手がFAで去っていった。
 そして大谷は長年の夢の実現のために海を越える。名前がいいよエンジェルス。来年は見に行きたい。アメリカってもう5年以上行ってなかった。
 ところでファイターズはどうなるんだ。栗山監督にまた秘策を授けなければ来年もロッテと最下位争いをする破目になる。嗚呼、ホークスは遠くなるばかり。

7.ギター復活の機運
 SMC中島さんのライヴを聞いて久しぶりにギターを握ってみた。
 弦を張り替えてジャーンとストロークしたところ、指がふやけ切っていてコードを押さえると痛いの何の。
 これでは最もギターが操れた高校時代のレヴェルに戻るのに1年はかかるだろう。
 これではどうにもならん、と安いウクレレを買った。これだって奥が深い。
 むかしアルト・サックスを衝動買いしてロクに練習もしないで売り飛ばしたなぁ。

8.インプラントで禁煙させられる
 2年ほど世話になっている女先生にインプラントを勧められ決心した。
 ところがそれからそのセンセイの禁煙攻撃が凄い。『タバコを止めなかったのでインプラントにうまく骨が形成されなくて歯が抜けた』とかいう話を散々聞かされ、終いには『何十万も払って結局無駄になった』と脅されて、ついに『しばらく止めます』と言ってしまった。
 するとその後行くたびに『あっ、まだ吸ってますね』と何故かバレて怒りを買うのでしょうがなく4日程止めた。タバコ吸ったくらいでくっつかない骨なんて・・・。

9.ゴールド免許を取った途端に
 一旦停止の所を走り抜けて新人の研修みたいななりたての女ポリスに掴まる。コノヤロウ・バカヤロウ!
 続いて直ぐにスピード違反で掴まる。
 それにしても生まれて初めてゴールドに辿り着いたこの僕の、血と汗と涙を何だと思っているんだ。

10.収穫順調
 ジャガイモは一年分、ピーマン・ナスはそれなり、大根は貧弱を数でカヴァー、何故か栗は採れない(台風であらかた落ちてしまった)。
 殆んどを自分で消費したので採算は取れっこない。
 しかし現在私がやっている唯一の生産活動なので止めるわけにもいかずつづけるとしよう。
 冬の寒いのに来年の春の収穫を狙って秘かにニンニクを植えている。

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モノを失くすという事

2017 NOV 28 21:21:17 pm by 西室 建

 僕はうっかり屋なのでしょっちゅう物を失くしていた。従って最近はできるだけ物を持たないようにしている。
 過去ヤバかったのは携帯・現金・カード等。
 酔っ払って無一文になった時の恐怖感、マニラのさる場所にパスポートごと置き忘れた時の絶望感も記憶に刻み込まれている。使っている手帳をどこかにやった時は身を引き裂かれたような気がして、全く同じデザインを見つけるのに一日中本屋・文房具屋を駆け回った。
 最近は年のせいかもはや心霊現象としか言いようのない事態になっている。これもおそろしい。
 喜寿庵の農作業に使っていた鉄の錆びた鋏が手許から忽然と消えたのには驚いた。さっきまで持っていて、失くすといけないと思って手許に引き寄せたにもかかわらず無くなった。無論必死に探したが、無い。無い物は無い。
 この鋏は切れ味はダメだったが手にした時の重量感が調度よく、長年愛用していたので寂しくてしょうがない。ネイチャー・ファームに行くと気になってアチコチ探すのだがない。新しく買ってもあの味わいは戻らないに決まっている。
 以前同じように可愛がっていたシャベルが消えたが、いつの間にか手許に現れて神に深く感謝した。
 もっと怖いのは(酔っ払ってはいたが)帰って来たら錨のマークの入っていたセーターを着てなかったこともある(ジャンパーは羽織っていた。タクシーで脱ぎ捨てたとでもいうのだろうか)。その直後にお気に入りのグレーのマフラーが突然消えて久しい。
 子供の頃は定規とか手袋を失くすと、その物が必死に僕を呼んでいるような気がして悲しかった。確か泣いたこともあった気がする。
 モノが消えるだけではない。
 記憶そのものが無くなっていることも多いのだろう。それはそれでいいのだが、こんなことを書き出したらマズい記憶が蘇ると困るので止める。そして失くしてしまった物自体は、自分から捨てた訳ではないからどこかで何かの役に立っているだろうと信じることにした。

 去年は親友を失ったし最近も親族を送った。この先自分だってどうなるか分からない。喜寿庵を整理し始めたら明治・大正の写真がワンサカ出てきて、かろうじて二代前までは顔が分かったが正体不明の人が殆んど。それらを見ているうちに、この人達のようにスンナリと忘れられたい衝動に駆られた。面倒なことをサッサと済ませてボケ老人になりたい(人の迷惑にはなるだろうが)と言ったら飛躍しすぎかな。
 何しろリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの名前が出てこなくて、検索したら分かるだろうが自分の脳がちゃんと思い出すという行為ができるか試そうとしたら半日苦しんだ。 

 子供は色々と失くしておとなになり、オッサンは失くしたことも忘れて消えたりして。

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

病室にて

2017 NOV 20 19:19:01 pm by 西室 建

ある人が入院し見舞いに訊ねた。その人は、静かに療養中だった。熱があるらしく私に気づくと『オゥ。良く来たな』と眠りから覚めた、笑顔である。
状況は深刻で一人では寝返りも打てず、痛みが走る。
『全く情けないよ』
僕は返事もできなかった。
お医者様は原因を突き止めて対策を打つと力強く仰るのだが、この年齢で外科的な手術などは本人は拒否するだろう。
するとどうなる。

外は雨が降っていた。思えば世話になったもんだが、今こうして共通に過ごしている時間の密度は私と違い過ぎる。この人ははるかに年上なのだ。
残りの人生の時間を分母とすれば、今流れている一秒一秒ですら何十倍もの密度になるはずだ。しかしただ治療に専念するしかないのである。
ポツリポツリと語るテレビから流れる時事問題、世界情勢、経済環境、何よりも我が国に起こっている様々な事柄、思うことは多いようだ。
しかし不自由な入院生活の不安や不満の方が深刻かつ重大な問題だと察する。
昔語りで、あの頃は楽しかったなぁ、と懐かしむこともない。
この人の事跡を考えれば楽しかったことは沢山あったのは想像に難くない。
元来が明るい人である。そして悲しい思いやつらい事は、逆に笑い飛ばしてしまうところがあった。

別の日には強い夏の西日の方に向いてジーッと見ている時に入室した。
『眩しくてね。こうしていると目が焼けるようだ』
と言う。目が合ってギクッとした、真っ赤なのだ。
もっと聞いておかなければならないことがあるはずだが、思い浮かばないままに淡々と会話が進む。やりのこした事はないのか、頼みたいことはないのか、聞いて欲しい事はないのか。
幸い原因はほぼ確定し治療も進んだ。しかし元の生活パターンに戻るには辛いリハビリをしなければいけない。
僕だったらその苦しさに耐える時間と残された時間を天秤にかけて、より楽な方を選択するだろう。常に前向きに取り組んでいるのに頭が下がった。
携帯は持ち込み可なので、色々な電話は入っているようだった。

暫くしてまた訪ねた。
すると超人的な気力を以ってリハビリ体操をしていた。
我慢強い。『一丁やってみるか』と声を出して自分からやっていた。
やはり体調が少し良くなってきているのだろうか、気概が伝わってきた。
8月になると終戦についての報道が増える。
「年に一度だけ思い出しゃいいってもんじゃない」
と言った。戦中派世代なのだ。
私のやや右ッパネの言動にも同意することは少ない。むしろ最近はこうも言った。
「安倍はやや危ないな」

すると入院三ヶ月を過ぎたあたりからみるみる回復し、歩行訓練をするまでに至る。途端に看護師さんの目を盗んでは禁止されているようなこともボチボチやるようになった。ヒョコヒョコとコルセットを付けずに歩いたり、の類である。要するに退屈しているらしい。
話し相手にでもなるかと訪ねると既に来客がいた。旧知の人のようだが何やら飲み会の調整をしているので仰天した。
また、別の機会にはナントカ会の名誉会長まで引き受けたようなのだ。
要するに退院するつもりでその先を見据えている。僕は振り返って自分を恥じた。先日はうんざりするような問題が公私に渡って持ち上がり、飛行機の中で前途を悲観して一瞬『これがこのまま墜ちてくれてもいい』とさえ思ったのだ。僕はまだまだだと思い知らされた。

リハビリに苦労しつつ
「もっと良くなってやる」
と不敵に笑った。そうか、僕も・・・・。

8月15日終戦に因んでのある話

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