Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

令和三年 滋養神社お告げ

2021 JAN 7 0:00:17 am by 西牟呂 憲

 昨年のお告げでコロナ禍を全く予言できなかった。今年は遠慮しようかとまで思った。しかし元日の厳かな日の出に向かって祈りを捧げていると聞こえて来るではないか、更に見えて来るではないか。それこそ我が滋養神が私に訴え広めよと告げる令和3年の未来。以下伝えずにはいられない。

1.日本オリジナルのコロナ対策
 テレビの前に現れたのはあの小保方氏である。コロナの対処法を開発したというベンチャー企業『STAP』の社長として復活したのだ。コロナに罹った患者の細胞にストレスを与え抗体を人工的に作り出すことに成功した、と発表したのだった。しかしこの方式だと各人ごとに対処せざるを得ず、そのための装置は量産する目処は立たない。しかも患者本人にしか効かないため国民全体に抗体を与えるのに何年もかかる。一人一回百万円という高額のため政府が実施するのか全く分からないと言うオチでした。

2.英国TPP加入
 EUを離脱した英国は積極的に日本に接近する。実は香港でメンツを潰された腹いせに原子力空母クィーン・エリザベスを極東に回航させ中国に圧力をかける狙いもあった。EUとは喧嘩別れになって経済的にお先真っ暗の現状を打破するため、何が何でもTPP入りしようと日本に貸しを作る国策でもある。水面下では核
搭載の原子力潜水艦バンガードが極秘に来る計画があるとか。その際の母港が函館と佐世保ではないかと噂に上がっている。

3.衆議院解散
 諸説あったものの、菅総理はオリンピック前の都議会議員選挙の時期に衆議院を解散する。公明党は嫌がったが、菅政権はスキャンダルのある自民党の議員の立候補を取り下げ、公明党の候補を与党統一候補とするエサで何とか説得した。
 結果は与党の大勝利。おまけに都議会選挙も都民ファーストが惨敗して小池知事は与党を失う。自民党は単独過半数を獲得し、ほかに維新の会も躍進。憲法改正の世論が盛り上がる。
一体公明党はどうするのか、学会内でも議論が起こり騒然とする中で〇田〇作の訃報が伝えられる。

4.東京オリンピック・パラリンピック大成功
 規模を縮小したとはいえ、満を持した開催に世界は称賛の嵐だ。
 特に世界が目を見張ったのは、無観客で行われた開・閉会式の厳かさ且つ鮮やかな演出。開会式ではブルー・インパルスの描く五輪の下で大相撲の力士100人による四股踏みから横綱土俵入り。閉会式は歌舞伎役者100人の連獅子による毛振りが大反響となった。
 日本は連日メダル・ラッシュ。水泳・陸上・体操・柔道・空手・バレーボール・ゴルフと大活躍。オリンピック・バンザーイ!

5.朝鮮半島新体制
 全く国民の支持を失った文大統領はもはや統治能力を失った。例によって逮捕されるのは時間の問題(何の罪か知らないが)。北は北でコロナによる千万単位の死者を出し、国家の体裁も何も、軍の反乱の兆しが見えだした。
 一方で年初から、かのキム・ハンソルによる『統一朝鮮』というビデオメッセージがネットで流されていた。若きキム・ハンソルは「朝鮮人民である私は38度線を越えて同胞と握手する」と言い切った。どうやら韓国国内で撮影されたようなのだが詳細は不明。
 ついに38度線が崩壊するのか、だがそれは今年ではなさそうだ。

6.某内親王殿下結婚
 日本中がいぶかしがる中、某内親王殿下は婚姻届けを出してアメリカに旅立った。結婚式も何も無しにである。この大胆な行動に世論は概ね『公務をほったらかして何だ』と非難の嵐。お相手はすっかり悪者にされて日本に帰れなくなる。するとさらにマズいことにお相手の母親も渡米して同居を始める。途端に周りに怪しげなタカリ目当ての取り巻きが集まってきて、たまらず元内親王殿下は帰国してしまう。さて、どうなるのか。

7.バイデン大統領暗殺未遂
 いまだに『実はトランプが勝ったのだ』という一派がいる。実はオバマ大統領が誕生した後も、随分長い間『オバマはアメリカ生まれではない』という都市伝説を言い立てて無効を主張した『バーサーズ』というグループがあった。今度は『選挙は無効だ』と主張しているプラウド・ボーイズで、連中は武装している。
 秋口、ついにバイデン大統領の演説中に一発の銃弾が空を切り裂いた。西海岸と南部でBLMとプラウド・ボーイズが銃撃戦を繰り広げる。

8、矢沢永吉 二日連続武道館コンサート
 ミスター武道館。スーパー・スターYAZAWAが新機軸を打ち出す。さる大物とのジョイント・コンサートを打つ、という発表があった。武道館で2晩連続やるというのだが、ジョイントの相手は極秘ということでだれも分からない。関係者の口も固い。

架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物

架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物 Ⅱ

9.石破新党発足
 派閥会長を退いたのはいかにもあざとい。誰が見てもサバイブするには竹下派に潜り込むことしかないのに、この御仁は肝心の所でいつも間違える。
 実は国民民主の前原とは『鉄っちゃん』仲間で気脈を通じていたのだ。衆議院選挙後、頃合いを見て派閥ごと国民民主党に合流しようとしたが、ついてきたのは一人だけというお寒い話。これで総理のメは完全になくなった。
 水面下で小沢一郎が暗躍したらしいが、もはや誰も相手にしなかったらしい。

10.北方領土2島返還
 ロシア全体ではコロナの被害は日本の10倍だった。しかしあまり気が付いていない人が多いが人口は日本と大して変わらないのだ。日本1億2千万人、ロシア1億4千万人である。極秘情報であるが、医療体制の十分でない歯舞・色丹で爆発的に感染が広まり人口が激減していた。もはや無用の無人島となった両島を、国後・択捉2島への巨額投資を条件に日本に返還するとプーチンが言い出した。色丹島からの国後・択捉への自由往来というエサが付いた。
 ところがその直後、プーチン大統領は変異型コロナに罹ってしまい意識不明に陥る。

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深まる秋の憂国忌

2020 NOV 24 0:00:59 am by 西牟呂 憲

 コロナ第三波。おっかなびっくりが続きます。
 先日、癌の手術後1年が経過したところで検査をしましたが幸いにも異常なし。思えばコロナによる医療パニックの前に退院までこぎつけていたわけで、その後の手術待ちの患者さん達に申し訳ないような・・・。今年も秋が迎えられたことに感謝のみです。
 時系列で経緯を俯瞰すると、2年前の身体検査の結果を聞きに行くのを3か月もサボったのでポリープ除去・癌発見が遅れました。1年後に手術。術後せん妄発症。その後コロナ禍という流れでした。

自己流

 今年は喜寿庵でも秋祭りやお茶壷道中は無かったのですが、庭に野生の百合も咲きました。ススキをあしらって自己流で生け花です。
 梅雨が長引いてジャガイモは不作、ナスも小さいのしか採れなかった代わりにピーマンは大豊作。キュウリも初めてまともに収穫できました。
 そして3年前に飢えた栗の木に大きな実が。まだ私の胸の高さにしかならないのですが『桃栗三年』は本当でした。ただ、同時に植えたほかの2本は何も。栗ご飯にして食べました。特においしくもありませんが、冷えた後に海苔を巻いたお結びにしたらおいしかった。

 三島由紀夫が半世紀前の11月25日に割腹しました。彼のことですから50年目の今年に何かの仕掛けをしていて、新しい事実が発掘されるのかと期待しましたがありませんでしたね。
 あの衝撃的な死は僕にとって『強烈なイデオロギーは虚構である』というメッセージとして心に刻まれ、その後の思考形態を決定づけました。
 50年前に今日を予測することは不可能です。グローバル化の進展も中国の強烈な台頭もインターネットの普及も三島は知るよしもありませんが、自死の直前にこう言っています。
『日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう』
 『日本』とは何か。
 当時の世相は70年安保闘争があり、学生は過激になって街頭では激しい投石や火炎瓶までが飛びました。社会党が第2党で国会で一定の勢力はありましたが、自民党の単独政権が続きます。そして何よりも経済成長がまだ続いていたのです。冷戦構造はこのまま永久に続くのではないか、それどころかヴェトナムでは熱い戦いになってドンパチが続いていた。時の総理は佐藤栄作。
 三島の目には敗戦から復興したとはいえ、自らの立ち位置を模索している国家が頼りないものに見えたのでしょう。では上記の『日本』とは何か。まさか戦前に回帰することもできません。そこで固有名詞としての『天皇』を中心概念に持ってきました。
 50年後の今日まで、何が変わったのかそうでないのか。
 政治的には自民党の単独政権は続かなくなり、野党に転落したこともありました。その後は多党連立が続きます。私は政権交代が起こることは日本の民主主義の進展のためにいいことだと喜びました。ところが稚拙な政権運営と策士策に溺れた小沢一郎の暗躍でこの方向は迷走します。ガラクタのような野党ができて政治的な緊張感はなくなりました。平成の終わりになってポピュリズムの波に乗ったからっぽな状況から長期安部政権で一応の安定にたどりついたのではないでしょうか。自公連立です。
 三島が危惧した保守単独政権VSイデオロギー政党の弛緩した対立から革命による体制変換などどこにもなかった、むしろ保守単独の堕落は(現在の評価は別にしても)避けてこられたのかもしれません。
 経済は外的要因に左右されながら平成時代を通じて停滞し、富裕になるでもなく格差が広がったのです。グローバル化の行き過ぎと見ています。特にこの数年は三島の想像をはるかに超えています。人口問題など当時は兆しもなかった。
 文化的にはどうでしょうか。次々とベスト・セラーを出し続けられる力量の作家は村上春樹くらいしか思い当たりません。福田和也は言っています。現代の日本の作家は村上春樹とその他という分け方で語れると。
 昭和から二度の御代替わりを経て、今は令和の時代です。三島の言説から類推すると天皇の生前譲位など絶対に認めなかったでしょう。しばしば発言が物議を醸す次男坊殿下のおっしゃりようや内親王殿下の婚約問題などは一刀両断に違いありません。
 しかし一方で、日本の国際的なポジションはむしろ上がったとも言えます。国民を弾圧してまで遮二無二GDPを上げてきた強権国家と対峙できる国として、1億人以上の人口を持つ先進国はアメリカを除けば日本だけです。アメリカも組む相手は日本しかないのが現実です。
 三島が危惧したことは当たったとも言える部分は多い。ですが日本がその独自性を失うまでには至っていない。前安倍政権の支持は若い世代の方が高かったのです。

 三島の上記発言は事件の4カ月前ですが、すでに常軌を逸していたのでしょう。実は最後の作品である『天人五衰』の終わりはもう少し後になるはずだったと三島は語っていたのです。創作ノートのエンディングは本作とは違っていたことが分かっています。あの事件を決行するために執筆を早め、それがゆえに筆が鈍った結末にせざるを得なかったとは言えないでしょうか。
 実は事件直前、三島を介錯し共に割腹自決した森田必勝が残した言葉が残されています。元文芸春秋編集長の堤堯が酒の席で「僕は三島先生を絶対に逃がしません」と口走ったのを聞いています。
 森田は盾の会の学生長でありながら祖国防衛隊と称したグループで強烈にテロを志向していきます。それが三島の美の追求や死への憧憬と結びつき、根回しも可能性もないまま異様な事件に昇華してしまった。
 新右翼の論客であり森田と学生時代から付き合いのあった鈴木邦夫は『三島事件は森田事件だ』と喝破しました。

 あの緻密で美しい文章は後に継く後継作家を生み出すことはなく、50年が過ぎました。
 自身を振り返るのは苦手ですが、プチ右翼キッドだった私はその頃から思想の進化が止まっています。『お前のような怠け者に三島の葛藤が分かるものか』の声が聞こえます。
 ひょっとして、三島の予言は「自分が自死することによって、日本の将来はこうなっていくだろう」といった宣言だったのではないのか。巷間言われている政治的・文化的なやや右よりに安定した日本を揶揄する象徴として、50年も前にあの奇怪な行動を起こしたのではないか。だとすればあの行為は永遠に日本人への警鐘になりかねない。いや、そうでもなかろうと思いたいのですが。

昭和45年11月25日

三島由紀夫の幻影


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私のコレクション 今井俊満

2020 NOV 9 9:09:52 am by 西牟呂 憲

 どうです!このコレクション。アンフォルメルの大家、故今井俊満画伯の作品です。
 左の塗りたくった躍動する赤、右の流れるような青。
 残念ながら私は強度の赤緑色弱ですので、普通の方の見えている印象とは違うでしょう。子供の頃の御絵描きで太陽を黄色く塗り、赤いボールペンでノートを取っても赤で書いていると気が付かなかったくらいですから。それでもこの色彩が弾けるような感覚は分かります。
 左の絵は昔から家にあった物で、筆遣いが右の青のような線に変わる直前の作品です。左側のいわゆる肉太のシリーズは他に青と黒があり、そのうちの青はさる個人の所有で私は見せてもらったことがあります。黒は残念ながらどこにあるのか分かりません。どなたかご存知の方、ご連絡いただければ是非見たいと思いますのでご一報下さい。
 左の赤を眺めてはニヤニヤしていたある日、右の青がオークションに掛かっていることを知りがぜん血が騒ぎました。画風が変わった前後の色違いを二つ並べてみたい、という思いが抑えられなくなって入札する気になったのです。このオークションは一発入札方式ですからセリにはなりません。さあいくらの札を入れたものか。相場を鑑み、手持ちの金を考慮し、まだ見ぬ競争者の思惑を推測し、私の心は千々に乱れました。この心境に最も近いと思われるのは、麻雀のオーラスで一発逆転の役満をテンパった途端に親のリーチがかかり、次のツモが激ヤバの筋牌だった時でしょうか。
 結果、今さら後に引けるかの気迫で入れた金額が一番札でこうして並べることができました。めでたしめでたし。
 但し二枚横並びにしてみるとチョットいけない。二枚が互いをけなしあっているような、遠慮しているような。左右入れ替えてもそうでした。どうも片方を部屋の反対側に架けて向かい合わせにした方がいいようです、相互が睨みあっている感じが。しかし如何せん我家はマンション暮らしで反対側は窓。仕方なく絵に向かって『どうかケンカしないで仲良くしていてください』とお願いしました。
 ところで、そろそろネタバラシですが、今井画伯は昭和3年の生まれで我がオヤジと旧制高校の同級生なのです。赤の絵はその昔に(要するにまだ安かった頃)同期の仲間と買い付けた一枚でした。今井画伯は卒業後に第12回新制作派協会展で入賞しフランスに留学しますが、当時の仲間内では行方不明になったとされていて、絵の修行をしていたことは誰も知らず、帰国後に個展を開いた時点で初めて絵描きになったことを知ったそうです。同期会にゴリラの毛皮のコートで現れて仰天した、とも。
 落札したことをさぞ喜んでくれるかと思いきや、第一声は『お前アイツの絵にそんな大金を払ったのか』という怒声でした。ゲージツがわからん人には困ったものです。

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わが友 中村順一君の命日

2020 OCT 18 11:11:50 am by 西牟呂 憲

 今年も彼の命日は当たり前のようにやってきた。毎年、少人数で偲ぶ会をやっていたが、このコロナ禍では集まることもできずにいる。
 我々の友情というのはどうも第三者に分かりにくいものに進化して行った。仲間内で飲んでいて、例によって二人で罵り合っていたところ、ポツリと一人が言った言葉を噛みしめている。
『お前らどっちか死んだら寂しいぞ』
 けだし名言である。その時は気にもとめなかったが、その通りで、今では寂しいどころかやり場のない怒りにも似た感じがする、先に逝きやがって。
 
「あれからオレも大腸がんを切った」
「それがどうした。切れば治るに決まっておる」
「切りゃ痛いんだぞ。おまけにせん妄が出て精神科にもかかるハメになった。転移の恐怖にも耐えなきゃならん。貴様に分かるか」
「ふんっ、精神の虚弱がバレただけだろう。タルんでおる証拠だ」
「オレは繊細なんだよ。キサマと違う。そっちは腕が千切れても平気だろう。兵隊の位でいえば万年二等兵とか雑兵のたぐいだ」
「ヤヒコー(二人の間では最高の侮辱の意)!そんなもんではない。両足失っても突撃できる」
「アッ、言ったな。どうやって突撃するんだ。まさか手で歩けるとでも言うのか。やってみせろ」
「今はその時ではない。しかしイザというときは可能である」
 これは今思いついて書いたものだが、実際にもほぼこのような会話に明け暮れていた。
 そう、僕は今でも奴と会話しているのである。
 ところが、相談したいことや悩みを訴えるといった事になると想像もつかない。そんな話はしたことがなかったからだ。万が一そういう場合だったらどんなものだったろうか。

「実は大変困ったことになった」
「ほう、それはまたどうした」
「◎◎の作戦を失敗して✖✖が全くうまくいかない。おかげで四面楚歌だ」
「なんだ、その程度か。オレなんか▽▽が尾を引いて四面どころか百面楚歌だぞ」
「なにが百面だ。▽▽をいまだに根に持った人間が百人もいるはずがない」
「そんなことはない。少なく見ても200人だな」

 やはり全然相談にならない。
 我々は環境が似ていたせいか思考回路はよく似ていたが、表に出すパフォーマンスはまるで逆だった。奴は山の手・オーソドックス・クラシック・運動部だったのに対し、僕は下町・チンピラ・ロック・サークル気質だった。従って何も張り合う部分が重ならないので、ライバルとか同志という関係になり得なかった。それがどうして半世紀を超えてズルズルと付き合ったのか謎としか言いようがない。
 北方領土についてもモメた。僕は当時から前安倍総理の進めていた二島返還論に近かったが『そんなことを言ったらナメられる。樺太の南もよこせと言って四島の面積等分方式に持ち込み、択捉に国境線を引かなければ日本人の甘っちょろい国境感覚が直らん』と一蹴された。
 国土防衛の証として住民票を竹島か尖閣に移す、ということを提案してきたことがあった。この時はどっちが尖閣にするかでバカバカしいことにじゃんけんまでして奴が勝った。少しでも暖かい方がいい、という理由で二人とも尖閣を希望したからだ。もう還暦近くにもかかわらず、じゃんけんまでしたとはさすがに恥ずかしい行為と言えよう。
 去年、大腸癌の手術を受けたが、手術日が奴の命日に近かった。奴に呼ばれている気がして、それもいいかなと思った。しかしそうなったらエラそうな顔で先輩面をする顔が思い浮かんで参った。
 実は奴との最後の約束がいまだに果たせないでいることがある。
 現在の年齢までにはとっくに仕事を辞めて好きな事をして暮らし、月に一度は会ってどちらが好きな事をやり続けたかを比べるはずだった。その満足度を点数にするルールまできめたのだ。
「お前本当にちゃんと仕事辞められるんだろうな。イザという時に金が無くなったとか理屈をつけて逃げるなよ」
「そっちこそ、会社から頼まれた、みたいな嘘を言うなよ。絶対にズルするな」
「笑わせるな。意外とケチなのは長い付き合いで知ってるぞ」
「ケチとは何だ。無駄が嫌いなだけである。旅に誘って忙しいなんて言い訳は通用しないぞ」
 これも想像上の会話だが、ただただ懐かしい。合掌。

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ヒグチのリスト

2020 AUG 9 10:10:48 am by 西牟呂 憲

先の大戦末期、ヨーロッパでの戦闘を終えたソ連軍は満洲・北方領土を侵すべく虎視眈々と南下しようと兵力を集中させた。満州における守備は関東軍であるが、戦力をかなり本土・南方に割かれており、尚且つ不思議なことに危機的状況にも係らず関東軍は楽観論が主流でソ連の対日参戦後は一たまりもない。しかも8月15日のポツダム宣言受領の前後はドンパチの真っ最中で即時停戦とはならなかった。
 戦車部隊の侵攻に対し、関東軍航空隊には敵戦車に対して特攻をかけて対抗。国境線の第107師団は山岳地帯でのゲリラ戦で29日まで戦い続けた。
 一方、アリューシャン列島では米軍と対峙したもののアッツ玉砕・キスカ撤退の後に対ソ防衛戦の備えとして南樺太の守備も兼ねた大本営直属の第5方面軍が編成された。
 8月18日、千島列島最北の占守島にソ連軍が上陸する。それに対し方面軍樋口季一郎中将は、有名な「断乎反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」との命令を出し、旺盛な砲撃と第11戦車隊の猛烈な突撃で食い止めた。浅田次郎の『終わらざる夏』に詳しい。この樋口中将の果敢な決断なかりせば北海道がロシア領にされたかもしれなかったのだ。
 樺太においても15日以降もソ連の侵攻は止まず、16日には新たな部隊が上陸し出し歩兵第25連隊は23日まで交戦した。
 その間、電話交換女子達が集団自決、停戦協定後の白旗が掲げられた赤十字テントへの空爆、引揚げ船への潜水艦に攻撃といった火事場泥棒的なソ連軍の振る舞いは、現在ロシア人と親しく付き合い好感を持っている私ですら不快感を感じる。
 それもこれもヤルタ会談でソ連の参戦をそそのかし領土の取引まで勝手にしたルーズベルトが悪いのだが。そして調子に乗って北海道の半分をよこせ、とまでほざいたスターリンの野望を打ち砕いた樋口中将の迅速・果敢な決断に敬意を表する。

 話は変わるが、多くのユダヤ人を救った『シンドラーのリスト』が映画によって人々の記憶に残り、『東洋のシンドラー』日本人外交官杉原千畝のリトアニアでのビザ発給が人口に膾炙する。かの樋口中将もユダヤ人から厚く尊敬されていることは御存知だろうか。
 話は大戦前に遡る。直接の引き金はヒトラーのユダヤ人迫害なのだが、ヨーロッパ全域及びソ連でもひどい目に合ったユダヤ人の一部はシベリア鉄道で遠く満州のハルピンにまで大勢きていた。これは計画倒れとなった満州国へのユダヤ人入植計画(通商フグ計画)による影響もあったためである。 
 計画そのものは頓挫し、紆余曲折があったものの昭和12年に第1回極東ユダヤ人大会が開かれるに至った。その際「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と祝辞をのべたハルピン特務機関長こそ樋口少将なのである。日独防共協定を締結した同盟国に対する激しい非難にユダヤ人達は喝采し、中には泣きだす人もいたという。
 その後もドイツからのユダヤ難民が満州を経由して米国上海租界に亡命する入国・移動の手配に尽力し、数百人のユダヤ人が難を逃れた。ユダヤ・ネットワークでは「ヒグチ・ルート」と呼ばれたらしい。
 この件はドイツのリッベントロップ外相から抗議文書が届くなど外交問題となったが、かの東条英機が理解を示し「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と問題にならなかった。
 尚、樋口少将がハルピン特務機関への移動となった直接の原因は、ロシア語に堪能だったこともさることながら歩兵第41連隊長時代の部下だった相沢中佐が軍務局長永田鉄山少将を惨殺した相沢事件を起こしたため進退伺いを出したからと言われている。

 ユダヤは記憶する。あの旧約聖書を今に伝え信仰を絶やさない民である。
 1970年頃、異端の人智学者である高橋巌はスイスでヘブライ大學名誉教授のゲルショム・ショーレルから「樋口季一郎という人がいることで日本人を尊敬している」と言われた。
 2018年時点でも、樋口の孫である隆一氏がイスラエルを初訪問した際に「ヒグチ・ルート」で難を逃れたカール・フリードマン氏の息子さんから謝意を受けてもいる。 
 翻って日本人はユダヤ人を差別する感覚を持っていない。単に実利的な意味でなく、イスラエル・ユダヤとの関係を構築できれば世界史的な、安倍総理の言う地球儀を俯瞰した外交が展開できるのではないだろうか。

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少年に読ませたくない本

2020 MAR 14 10:10:27 am by 西牟呂 憲

 別に子供に見せたくないアダルト本の話ではない。
 僕は死んだ母親の影響が大きかったのか、読書に関しては早熟だった(他の事はいつまでもガキだった)。
 その中で実に後味の悪かったという意味で忘れられない作品がある。胸糞悪い思い出をこのまま墓場までもっていくのも癪に障るので、敢てブログに書き付けて憂さを晴らしておきたい。

1.『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ
 何でこんな本がウチにあったのか。何かの推薦図書だったのではなかろうか、読書感想文を書いた覚えがある。6年生だった。
 真面目な秀才がプレッシャーに負けて落ちこぼれる話なのだが、何でこんなモンが推薦されたのか。おそらく『こうなってはいけない』と言う意味なのだろうが、全く面白くなかった。
 主人公ハンスのイジイジした性格より彼を堕落させるヘルマンに感情移入した。今から考えるとこれがきっかけになって僕の精神放浪が始まったと考えるべきかもしれない。
 絶対に子供には読ませたくない一冊だ。
 どうもヘッセの体験が下敷きになっているようで、精神的にもかなりアブない人らしい。
 ノーベル文学賞を取ったドイツの代表的作家だから、僕の浅読みでは読み込めない深い世界が内臓されているかもしれないが、なぜドイツ人はこんな作品を好んで読むのか不明。

2.『赤と黒』スタンダール
 母親が持っていたナントカ全集から読んだ。中学に入った頃だったと思う。
 恋愛感情の筆致は興味深かったが、ジュリアン・ソレルという野心丸出しの主人公は何たる田舎モンか、とあきれた。
 別に地方出身者を貶めているのではない。上記『車輪の下』で既に不貞腐れたガキになってしまっていたので、ジュリアンの根性が実に醜く感じられた。
 不思議なことにジュリアンよりも、マチルドの取り巻きである堕落した貴族のドラ息子達の方に魅力を感じたのは僕自身の生来の怠け気質が表れたのではないか。

3.『ジョセフ・フーシェ』ツヴァイク
 ツヴァイクの作品では徹底的にいやな奴に描かれてしまい、読後感も悪い。これは図書館で読んだから、少なくとも15才以前の中学生だった。
 しかしフーシェその人は実は大変魅力的な人物で、一種のピカレスク・ロマンの味がある。ツヴァイクは余程フランスが嫌いだったのだろうか。筆致に悪意さえ感じられる。
 これを読んだ為にフーシェについての偏見に取り付かれ、ついでにフランス革命も胡散臭いものと刷り込まれて、科目としての世界史を全く勉強しなくなった。せめて高校卒業後に読めば良かった。

4.『友情』武者小路実篤
 これは喜寿庵の本棚にあった。小学六年ではなかったか。
 第八高等学校在学中に結核で死んだ大叔父が白樺派が好きだったそうで本棚にしこたまあった内の一冊だった。旧仮名遣いだったが総ルビがふってあって、不思議なことに読めた。
 だが読みにくかったことは確かで、思えば不幸な出会いと言えよう。
 主人公の野島の恋心がうっとうしい。長い独白も現実離れしており、いっぺんにこんなにしゃべる人間なんかいない、と思ったものだ。
 おまけに終わり方も爽快感に欠けること著しく何が面白いのか・・・。

 こういった作品にうんざりした私は高校時代は殆んど読書をしなくなる。例外は三島由紀夫の文庫本くらいだが、今から考えると失敗作も多い。その後庄司薫や柴田翔に出会うのだがこれも直ぐに飽きて、その後は小説には見向きもしなくなった。村上春樹もダメだった(オッサンになって読んだ)。
 その代わり名作の一部だけを口ずさみ、全部読んだふりをすることに熱中した(なんとバカだったのだろう)。
「神がいなければ、全てが許される」
「人間にたいする運命の攻撃によって支配されている世界のなかで、価値ある登場人物といえば、それに抵抗する人々のみだ」
「きょう、ママンが死んだ」
 全部分かる人は相当な読書人でしょう。
『僕はチボー家で言えばジャックなんだ』
 これはオリジナルの呟きだ。

 今頃になってブログを書いてみて、いかに小説の素養がないか良く分かったが今からではもう遅い。やはり小中学生にはあんまり名作は読ませない方がいい、せめて高校進学後、できれば旧制高校生の年齢にすべきだ。できあがったのがこんな有様と考えれば自明だろう。

漫画ばかり読んでいた

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そーっと滑ったスノボ

2020 FEB 14 6:06:22 am by 西牟呂 憲

 大腸癌の手術後、どのくらい体力が回復しているか。
 それまで普通にあった部位を切除しているので、体・意識がそれに慣れるまで様々な不自由は確かにあって、回復を実感できたのは酒くらいだ。これだけは自信があるものの、知力・体力は老化現象を伴っているためどうもイカン。
 特に不便なのは入院中に起こした「せん妄」が引き金となった睡眠障害で悪化する一方だ。具体的に知能を劣化させている大きな要因と言えよう。まぁ知力は元々知れたものだからいいとして、体力の方はどうか。
 実際に計ることができるのは、例えば走る速さとか持てる重さとかのデータなのだが、僕はそういったスポーツはほとんどやっていない。ゴルフはスコアがこれ以上悪くなることはないくらいの腕前だから体力の測定基準になりえない。
 スノボは・・・これはできるかどうかが問題だ。

リフトから

 某日、1年振りにゲレンデに挑んだ。65才、病み上がり。おそらくここで最高齢のボーダだろう(スキーヤーならいるだろうが)。
 まずブーツを締める段階で異変を感じた、やりにくい、体が硬くなったのか。
 たっ立てない。よっこらしょ。
 滑り出しの緩斜面はどうってことはない、スーッと滑る。ターンする。何だできるじゃないか。
 ところでここにはダウンヒルが二つあって緩斜面を滑ったのだが、こちらは初心者が多く、あちこちで人が転んでいたりボーゲンでゆっくり滑っている集団がいたりする。今までは気にならなかったのだが、どうも目障りでしょうがない。子供スキースクールの一団に突っ込みそうになった。
 滑り降りると息が上がっている、やはり変だ。脚力が相当落ちている。
 今度は急斜面を降りてみると最初のピークで転倒。オイオイ、こんなところでコケたことなんかないぞ。
 僕の理論では技量はスピードの上限が決まっており、それを越えた速さではボードのコントロールができずに転倒に至る。するとこの程度のスピードでは倒れることなどあり得ないのだが。
 立ち上がって気が付いた、視線が低かったのだ。基本はなるべく斜面の先、谷側に向けて麓の方を見なければならないのに、ターンする場所を見ていた。ボードのちょっと先を覗き込むようになっていたのだ。

 その後は多少マシにはなったが、太腿に疲れが溜まっているのが露骨にわかったので止めた。翌日には上半身までが痛い。久しぶりなのと脚力の無い分バランスを保とうと腕にまで力が入ったからだ。
 この調子で以前のように頭を打ったり、ましてや病み上がりで骨折でもした日にはバカでは済まされない。
 しかし、まだまだ本調子ではないことは確認できた。これから多少はマシになるとは思うが、この年齢では完全には戻らないだろう。こうして年寄りになっていくということか、やだな。

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不思議な子供の目線 Ⅱ

2020 FEB 8 1:01:32 am by 西牟呂 憲

 ヨッコラショッ、と言った感じで喜寿庵にやってきてみれば、裏木戸が開いていて何やら声がする。子供の声だ。何事かと庭へ廻ると何と7~8人のガキが遊んでいるではないか。
「コラーッ、勝手に入ってきちゃダメじゃないか。帰んなさい」
 ガキは一斉にこちらを見てビックリしている。そしてその中にピッコロ君とマリリンちゃんがいた。この子がつれて来たのか。私が教えて少し日本語の会話ができるようにはなったが、いきなりこんな仲間ができたことにこちらも戸惑った。ガキ等は口々に
「何だよ。自分ちだっていうからついて来たのに」
「せっかく遊んでやってるのに怒られちゃったじゃないか」
等と言いながらゾロゾロ出て行こうとした。
 私はそれを聞いて少し慌てた。ひょっとして友達になろうとしてガキ共を呼び込んだのじゃなかろうか、自分のウチと言って。とっさに
「いや、この子達の家も同然だけどオレがいない間に人を連れてきてはいけないんだ」
と取り繕って追い払った。そしてピッコロ君とマリリンちゃんに
「ほら、こっちにおいで」
と手招きして家に上げた。
 火の気のない屋内はシンッと冷えていて急いで暖房を入れ、雨戸を開けた。二人は黙って座っているのでチョコレートを開けて紅茶を入れてあげた。その後の指導で紅茶に砂糖を入れてかき回して飲む、というところまではできるようになった。何しろ国籍不明・言語不明瞭・住所不定の子供だ。私の私設寺子屋で行儀を教えているくらいだから、まさか地元の子供とコミニュケートできるとは思ってもみなかった。ただ、私設寺子屋を始めて、かろうじてたどたどしく喋れるのだとは分かってきた。それから色々テレビを見せたり歌を聞かせてボキャブラリーを増やしている。
「なんで自分のウチだなんて言ったの」
 返事はない、下を向いているのでマズいとは思っているようだ。
「何して遊んでたの」
 これも無言。こういう時に怒ってはいけない。
 仕方がない、早速私設寺子屋を開いて『嘘をついてはいけない』を教えることにした。
 ところが、まず『嘘』はなにかわかるか、ときいても覚束ない。
「本当じゃないことをわざと言うことだよ」
「ホントウ・ジャ・ナイ」
 うーむ。ピッコロ君はお兄ちゃん、マリリンちゃんは妹。これがホントウで、ピッコロ君が妹とかマリリンちゃんがお兄ちゃんは嘘。このバージョンを男・女とか大人・子供で教えてみた。カードも作った。初等教育とはなんと難しく手間のかかるものだろう。小学校の先生の苦労が今頃わかった。
 子供たちも面白がって暫くやっていて、ヤレヤレ先が思いやられるな、と庭に目をやった。

ハマユウのピラミッド

 毎年ハマユウを藁で冬囲いしているのだが、今年は時間がなくてできなかったな、と思っていたら、そのハマユウのある所に枯葉のピラミッドがあるではないか。なんじゃこりゃ。
 そういえば去年落ち葉を掃いていたと時に、この子達は正四面体のピラミッドを作って遊んでいたのを思い出した。
「あれはあなたたちがつくったの?」
 と聞くと、また何か怒られると思ったのか怯えたような目つきで見上げている。そしてポツリと言った。
「ハマユウ、サムイ」
 えっ、はまゆう?浜木綿が寒い?これは浜木綿だと教えたことはあったかな。そうだ、暖かい所から来た植物だから寒さに弱いことを言ったかもしれない。それでこの子達なりに落ち葉を摘んでハマユウを囲ったのか。
「寒いから葉っぱを被せてあげたの?やさしいね」
 と言ってもキョトンとしている。それから、これは怒ってるのじゃなくてほめてるんだ、優しい気持ちとはそういうことを言うのだ、と説明するのに又1時間を費やした。二人は最後にニッコリ笑ってくれてホッとした。我が寺子屋も多少の効果があるのだろうか、今まではいつの間にか消えていたのが『さようなら』と言って帰っていった。

ワッ

 するとどうだ。果たせるかな夜中から雪が降って、朝にはこんなに埋もれてしまった。あの子達ひょっとして・・・・。

不思議な子供の目線

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車は大事に乗りましょう

2019 DEC 19 7:07:24 am by 西牟呂 憲

 今の若い人は車にあまり興味が無いとか。若い人のみならず、特に東京は車を持たない世帯が増えていて、某マンションでは駐車場が埋まらないと聞く。だが我々の世代は違う。車が無ければ生活が成り立たないのではなかろうか。
 江崎さんがGOLFのマニュアルを手に入れたことをブログに書かれた。前のオーナーがいかにその車を愛しんでいたか、というくだりがあって、僕は自分を恥じた。このところ次々に車を変えてきたのだ。
 無論、各車ともそれなりに愛着のある車だったが、変えざるを得なかった理由は全て廃車になったから。まずいことに同じディーラー(外車の中古専門)なので、そこでは『廃車王』と呼ばれているらしい、お得意さんだ。
 ケチのつき始めは友達から譲り受けたシトロエンのイグザンチア。まだオイル・サスペンションで、江崎さんが言うところの国別・メーカー別の個性が際立っていた車だ。
 しかし致命的な欠陥があって、やたらと故障した。その際に助けてもらった上記ディーラーのあんちゃんは腕のいいメカニックで、在庫の無い部品は自分で間に合わせた。しかし、これはカモネギだと思ったか「シトロエンは石畳を疾走するようにつくられたので」とか「ヨーロッパの車は日本の夏に弱い」と僕を煽り、終いには「故障して喜ぶくらいじゃなきゃシトロエン乗りとは言えません」とまで断言した。
 そのため取得価格以上に修理代と車検がかかり、そのたびに借りていた代車は軽自動車なのはいいとしても、奴がいじりまわしたおかげでバカみたいに加速が良くてまるで弾丸のようだった。そしてシトロエンはついにオイル漏れが手が付けられなくなって廃車となった。
 次に浮気して(そのディーラーと縁を切りたくて)グロリアに乗る(中古ですがね)。これはターボ・チャージャーでメチャクチャ速い。時効だから白状するが、大手町から知多半島のつけ根まで2時間45分!ただあまりに速いので恐くなって売る。
 そして何故か例のディーラーからアウディA4を買ってしまう。部品取りにしかならないシトロエンを引き取ってもらった借りもあったので恩返しのつもりだ。乗り心地は格段に悪くなったがこいつもさすがに速い、おかげで高速で捕まった(グロリアの時でなくて良かったが)。それでも車重1.5トンでドアも重く、絶対に当たり負けしない安心感があった。
 ところがしかしある男に貸した際に(そいつは悪くないのだが)サイドにブチ当てられてあえなく廃車の運命を辿る。廃車になる程の事故でもその男はカスリ傷一つなかったから鉄板も厚かったのだろう。
 次は(同じディーラーで)目を付けていたプジョー407。エンブレムのスタンディング・ライオンが光っていた。僕は嬉しくて「やっぱ乗り心地はフランス車に限る」等とうそぶき、車は「中央道のダンディ・ライオン」と名付けていた。
 ところが前オーナーが長いことほったらかしたようで足回りが異常に悪く、結果的にディーラーを潤わせることになる。
 しかもさる複雑な事情により、一発免停で府中行きのオマケまでついた。

夏至の日に府中にて


 そして最後は煙を吐いてオジャン。いつもの中央道を帰って来る途中、調布のインターを降りてコンビニに寄ったところ、やけに焦げ臭いと思ったらボンネットから湯気のような白煙が。慌てて開けて見てもエンジンは何とも無い。右のタイヤのあたりから上がっていた。これはまずいと恐るおそる動かすと今度はギアが入らないような感じで、いくら踏み込んでも30km位しか出ない。あきらめてハザードを付けながらやっとの思いでかのディーラーまで辿り付いた。ベアリングが焼けていた。今日の車はそういう事態になると(詳しくはわからないが)制御がかかって、昔だったら火を吹くところだったのがその程度で済んだという話だが・・・。
 にいちゃんは親切そうに寄ってきて「シトロエン好きでしたよねぇ。いい出物があるんですが」と囁く。その顔には『このカモ』と書いてある。「あのオイル・サスにはこりごりだよ」と逃げようとしたが、「今のシトロはオイルなんかじゃないですよ」と食い下がる。
 ということで、現在はシトロエンCー5を大事に大事に転がしている。

 思えば僕に乗られた車はほとんど下取りされることなくタダで人手に渡ったり廃車になる運命をたどっている。実に申し訳ないことをした気がしてならない。特にもっとも愛したセリカ・ダブルⅩは(廃車にこそならなかったが)あのような事故に巻き込んだことを懺悔したい。

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不思議な子供の目線

2019 NOV 19 0:00:05 am by 西牟呂 憲

 随分見ていなかった喜寿庵の近所に住んでいる謎の友人ピッコロ君とマリリンちゃんにバッタリ会った。大分背も伸びて、恐らく学齢に達しているはずだが、保護者であるらしいヒョッコリ先生の奇怪な子育てでチャンと学校に通っているのかどうかもあやしい。今日はウィーク・デイで今は午前中だ。しかも僕は未だにこの子達が喋ったのを聞いたことが無い。日本語ができないのかもしれない。
「ひさしぶりだねぇ。元気かい」
 一応声をかけてみた。こっちを大きな目で見ているが表情はない。
 この子達と同じくらいの野生動物(まだほんの子供と言える時期のこと)は警戒心と好奇心の塊だ。警戒心を持ちつつ好奇心でオジサンの顔を見上げているのだろう。以前に僕が遊ぼうとしても、土足で家に上がってきたり手づかみでモノを食べたりと、存分に野生ぶりを発揮した。ひょっとしたら言葉の問題で廻りとコミニュケートできず、遊ぶこともできないのだろうか。

 ニューギニアの未開民族デアルベーリング族には全く文化が存在しない、という研究がある。その退屈さはフィールド・ワークに行った人類学者が二人もうつ病になったことでも知られる。そこでは子供は遊ぶことを禁じられ大人と一緒にひたすら働く。神話も宗教も思想もない。しかも全くの平等な社会なのだと言われている。
 一見理想郷のようで、遊んでいるオトナ(支配階級)もコドモ(次の世代)もいないという社会は、かくのごとく殺伐とする。
 そして私はフト考えた。目の前の日本語も怪しいために閉鎖されたような幼年時代を過ごしたこの子等も、そのうち一足飛びにいきなりスマホを手にしたらどうなる。今の世の中でしきりに言われる、SNSでの安直な繋がりが人々のコミニュケーション能力を下げているとしたら・・・。思うに高校卒業くらいまではスマホは持たせてはいけないのではないか。残念ながら手元にそれなりのことを言える統計的数字がない。

 話は戻って、相変わらず一言も喋らないピッコロ君とマリリンちゃんを芝生の庭に連れて来た。色々言っても理解しているかどうかも確認できないので(全くコミニュケートできない)特に何も言わずほったらかして、落ち葉を掃いていた。
 黄金色の夕日が射しこんで来て紅葉が美しい。
 二人は、と見るとしゃがみこんでいる。何してるんだと覗き込むと、カラカラになった落ち葉で遊んでいた。
 そして二人の足元にはケッタイなモニュメントというか何というか、枯葉のピラミッドのようなものを丁寧に積み上げている。それも一枚一枚丁寧に拾ってはソーッと乗せていて、何か目的があるようでもなくひたすら重ねている。

落ち葉のピラミッド接写

 面白いので接写したら御覧のようなただのゴミの塊にしか映らなかった。
 しかし、どうもこの子たちの中には何かのルールのようなものがあって、自分達の中には規則性のある積み上げ方があるようだ。
 掃き集めた枯葉をネイチャー・ファームに埋めて(天然リサイクルのつもり)戻ってくると、例によって二人は姿を消していた。
 後には枯葉のピラミッドが残されていた。
 それも、良くみると正確には正四面体を作ろうとしたらしく、底辺が正三角形にしてあり、各辺が同じになるように一枚一枚重ねていった物なのだ。
 これは面白いと写メに納めようとした瞬間、残酷な木枯らしがサーーッッと吹いてきて飛び散ってしまった。あ~あ。
 凄く惜しい気がしたが、チョット考えるとあの子達はデキがいい・悪いに関係なく、楽しく遊んで飽きて帰ったのだ。そしてもう一度やってきたところで惜しんだり悲しんだりはせず、また新たに全然違う落ち葉の遊びをするだろう。
 こういう子供たちをいい方向に伸ばす教育は、一体いかなるシステムがいいのだろうか。ただ、ほったらかしにしておけばいいという物ではなかろう。そのうち飽きて後には何も残らない。
 こういう童心を忘れずに体系立てて行ければそれはいずれ文化になると思える。上記デアルベーリング族のような事にはならない。ひょっとして大昔、こういうマインドのまま大人になったヒマ人が宗教とかを思いついたのかもしれないぞ。

 よし、この子等に僕がプログラムを組んで、独自の文化を情勢できるように教育してあげよう。ええっと、まず言葉からおしえるのかな・・・・。

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