Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

相撲の始まり

2022 NOV 19 22:22:01 pm by 西 牟呂雄

関西の旅

葛城の足跡

のつづきー

 目下九州場所で一年の締め括りの場所中である。
 良く知られた話だが、野見宿禰と當麻蹶速が垂仁天皇の前で力比べをしたのが相撲の始まり。
 恐ろしいことに野見宿禰は當麻蹶速の肋骨を蹴り折り、腰を踏み砕いて勝ったというから、現代の相撲とは違ったキックもありの立ち技格闘技だったのだろう。當麻蹶速は命を落としたから、凄まじいデス・マッチだ。その勝利によって野見宿禰が當麻蹶速の領地を授けられたが、その場所は現在の奈良県香芝市『腰折田(こしおれだ)』地区と言われている。そしてその地区はデスマッチの行われたのもその場所だと主張している。腰を折ったから腰折田とはすさまじい。當麻地区からも近く、いかにも當麻蹶速の領地と言うのに説得力はある。

 當麻寺の参道で見つけた『葛城市相撲館「けはや座」』はそれにあやかった町興しの施設のようで、実際の土俵が作られていた。立ってみると意外と固い。
 建物の前に蹴速の墓と言われる塚があるが、これはちょっと怪しいのではないか。古墳時代の話ですぞ。天皇じゃあるまいしいくら強くてもねえ、古そうな石塔だったが。
 一方の野見宿禰は出雲の出身とされている。ところが、この奈良盆地のちょうど東側にある桜井地区に何故か出雲という地名が残っている。そしてその桜井地区には卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡があり、第11代垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくたましろのみや)と第12代景行天皇(倭建命の父)の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)の伝承地である。要するに当時もっとも発達した都市が築かれていた。
 その垂仁天皇が力自慢の當麻蹴速と野見宿禰のデス・マッチをさせたのだが、その現場と言われている場所がここにもある。その名も相撲神社。これは行かねば。

ちっぽけ

 ところが、車で行くとまるで『ポツンと一軒家』で山奥に行くような細い道を登っていく。対向車とはすれ違えないだろう。恐る恐る行ったところに相撲神社はあった。鳥居はそれなりだが誠にささやかな社が。野見宿禰を祭ってるらしい。しかしどうも違和感がある。周りに力士像やら土俵やらしつらえてあるのだが。
 案内を読んでいると、どうやらこの神社は後付けで造ったのではないかと疑問が湧いた。
 ここの地名は古よりカタヤケシという字名で、カタヤとは『方屋』即ち相撲場の四本柱の内、土俵のことである(江戸期以前は俵を四角に配した角土俵だった)。そこから着想を得て、ここが相撲の行われた所だ、としたのではないだろうか。昭和37年10月6日に柏戸・大鵬両横綱がここで土俵入りをしたとある。当時京都に在住していた小説家の保田與重郎に地元の有力者が話を持ち掛けて実現した、そのころの一大イベントだったろう。要するにここも町興しだったのじゃないか。
 しかし私が思うに、肋骨を折り腰骨を砕くようなデス・マッチはプロレスのような四角いジャングルで行われたに違いない(猪木がマサ斎藤とやったみたいに)。だからカタヤケシは有りだ。
 

土俵

 その両横綱土俵入りの時に使ったと思われる土俵がブルー・シートがかけられて保存されていた。四方の柱は自然木のようで、あんまり使っていないらしい。
 先ほどの社の処からこの土俵を見下ろすと、遠景に奈良盆地の雄大な風景が一望できる。ここで天覧相撲を戦ったらそれは燃えるだろう。そう思えばあながちただの町興しだけではないかもしれない。
 この神社に続く道はまだ続いていて、先はどうなっているのか気になったので、歩いて行く。登っていくとミカン畑なんかもあり、多少の人の営みの形跡があったその先に、アッ再び鳥居が出た!本物はこっちでは。

大兵主神社

 山奥に鎮座する姿は物々しく、不気味な雰囲気が漂う。おそらくこちらの神社が親分で相撲神社はその子分というか支店のように創建したのだ。解説によると垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったとも、景行天皇が八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったと伝わる大兵主(おおひょうず)神社である。いずれにせよ10~11代天皇の時代、遥か昔からここにいるわけだ。『大和一の古社である』とわざわざ表記しているところはむしろかわいげがあり、社殿の横の来歴は手書きだった。大兵主神は他にも素盞嗚命(スサノオ)、天鈿女命(アメノウズメ)、天日槍命(アメノヒボコ)に御せられるとも、すなわち出雲系、渡来系、とどうも本流ではない神様と言える。

 さて、野見宿祢の出身に諸説あることを記述したが、確かに出雲国から力自慢がやってきて天覧相撲をするのはそれなりのスケールとロマンがあるが、どうも桜井市出雲が引っかかる。当時、力自慢を競わせるのに遠い出雲から人を呼ぶほどの”全国的”な統制が行きわたっていたのか疑問だ。
 そこで考えた。ヤマト盆地の西の當麻にバカみたいに強い男がいてオレが日本一だと嘯く。すると垂仁天皇は『東で一番強い男と戦ったらどうなるのか』と地元の(桜井市出雲)男達に下問した。口を揃えて『それは野見でしょう』となり、両者が雌雄を決することになる。するとその場所は腰折田でもカタヤケシでもなく、その真ん中である今日の大和八木の辺りの田圃の一角で、両方から多くの応援団がやって来る。ヤマトを上げての一大イベントに群衆は盛り上がり、天皇も最前列で観戦する。
『に~し~、たいまの~けはや~。たいまの~けはや~。ひが~し~、のみのすくね~、のみのすくね~』
 ここで世紀のデスマッチの火蓋が切られる。
 両者ガッチリ組んで互角だが、蹴速はしきりにロー・キックをぶち込むが野見は巧みにブロックしつつ腕を固める。そして力任せに投げを打つ。蹴速が起き上がって来たところに野見の回し蹴りが決まってダウンを奪い、そこに猛烈なストンピングを浴びせて担ぎ上げバック・ドローップ。すると蹴速が死んでしまった、ナーンチャッテ。

現代の大相撲のルーツにふさわしい闘いではないか(今は蹴りは禁止)。きっとそれで今でも呼び出しは『西、東』であり、天覧がある格闘技なのだ.僕のルーツが『葛城の足跡』の仮説通りなら、僕の先祖はかぶりつきでこの取り組みを見ては歓声をあげていたことだろう。ケハヤ・ボンバイエと。

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葛城の足跡

2022 NOV 6 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 家系伝説ではヤマトの方から食い詰めて東にたどり着いた藤原の流れとなっている。どうせ誰かが吹いたホラだろうが、もし本当ならヤマトのどこあたりがルーツなのか。それを解く鍵が気になっていた。地名である。
 私の本名は全国でも甲斐国の一部に多く、そこから同心円的に分布していた。面白いことにそこは桃太郎伝説がある。そしてもう一つ平家の落人伝説。どちらも知る人は少ない。特に平家の方は清盛一派の伊勢平氏ではなく、平新皇・平将門の息子が流れてきた話。
 戦前の電話帳にウチの苗字は東京市に二軒しかなかった。ウチは曽祖父からの下町だったがもう一軒は中野区の女性で、再開発される前の中野駅北口で表札を見たことがある。爺様は冗談で『そのウチはワシの妾宅だ』という嘘をバラまいたらしいが、当人が知ったらさぞ迷惑だったことだろう。最近、八王子の呉服屋さんが同姓で家紋が同じなのを発見した。
 また、九州単身赴任時代に歯医者にかかったところ、同じ苗字の女性歯科技工士さんがいて、山梨のご出身ですかと聞かれた。その方は結婚されてその苗字になったが、ご主人の父上は山梨からきたそうだ。『あなたと私が不倫してもバレませんね』とマヌケな冗談を言ったところ口をきいてもらえなくなった。

電柱の表記

 この写真は奈良県葛城市の電柱の住所表記である。
 今回の旅先で見つけた。確かめようもないがここらはるばる東下りで一族郎党が流れたのではないだろうか。
 近鉄御所線の単線が通る農村地帯だ。
 こころみに近所を歩いても表札に同姓は一軒もない。
 或いは、ナントカ一族が逃げ出して落ち着いた後に故郷を懐かしんで出身地を名乗ったかも知れない。
 ちっぽけなお寺があったので試しに聞いてみたが、やはり近在にその姓の家はないそうだ。ちなみにそこのお寺の奥さんは大字(おおあざ)のことを『ダイジ』というので初め何を言っているのか分からなかったが、あれは方言なのか奥さんが無知なのか。

普通の農村

 仮説が正しければここで農業にいそしんでいたのか、などと思いながらブラブラした。
 まことにささやかな小川があって、その向こうの地名は東室であり、遥か南に下った隣の市には室という地名も残されていることも分かった。更に北の斑鳩には三室山という聖徳太子ゆかりの山がある。
 古代にあっては土を掘り下げて柱を立て屋根をかぶせる竪穴式住居を『ムロ』と呼んだ。この辺りはそれなりの人口を擁した集落だったのか。
 奈良盆地をうろつくと、南東の石舞台がある蘇我氏のフランチャイズ、卑弥呼の墓とも伝わる箸墓古墳のエリア、北にあたる平城京と斑鳩、と中心地が移動している。そしてここ葛城もまたそれなりの政治的勢力の葛城氏が値を張っていたことだろう。

 集落の外れまで来ると誠にささやかな神社があった。
 春日神社である。春日と言えば藤原。ははあ、それに引っ掛けて『ウチは藤原だ』と言った奴がいたのだな。ただしここから流れたという証拠なんかない。
 おもむろに地図を広げて眺めているとすぐ近くに當麻寺があった。聖徳太子の異母弟、麻呂子王によって建立されたと言う伝承の古刹である。今日では当麻寺と表記される。
 ここから一山超えれば河内の国になる。古来交通の要所で、しばしば戦乱にも巻き込まれた。
 検索してみると、役行者だ空海だと有名どころがテンコ盛りで、元々は三輪宗の寺だったのだが現在では真言宗と浄土宗の二宗兼学の寺院となった。

東塔・西塔

 尋ねてみると広い敷地の大寺院だった。
 そして塔が東西とも残っている古い形式で他では見られない。国宝の當麻曼荼羅図(根本曼荼羅)があり、拝観料を払ってみたものの暗くてなんだか・・・・。
 この曼荼羅は中将姫という姫君が蓮糸を用いて一夜の内に織った、という伝承があるが実際には錦の綴織りであることが分かっている。藤原鎌足の曽孫である藤原豊成の娘とされているらしい。
 やれやれと参道を下り始めた所で、なにやら場違いな『葛城市相撲館「けはや座」』の看板。なんじゃこりゃ。更には『相撲の開祖・当麻蹴速の塚』。相撲?けはや?

 この項 つづく

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京都魔界探訪

2022 NOV 1 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 大正の中頃には僕の3代前は黒紋付の染め抜きの専業で手広く事業を展開したそうだ。関東の染色業者にも関わらず京都に店を構え、関東者が成功したと珍しがられたらしい。早い時期に専売特許を取得したこともあってほぼ無競争の商売だったようだ。
 その跡を継いだ次の代(すなわち爺様)が京都の事業を任されていたことになっていたのだが、爺様は仕事なんかしないで京都帝大に通っていた。
 先日、古い物を整理していたらその頃のモノが出てきて色々と面白かったのだが、京都の店の従業員の記録とか一連の綴りがあった。そして爺様が通ったのは経済学部であったことを記したものがあり驚いた。旧制高校は蔵前高等工業(現東工大)。通説では工学部に行ったことになっていたのだが経済学部である。更に不可解なことに中退していた。京大ではそのころ河上肇によるマルクスの研究が盛んで、京都学連事件(きょうとがくれんじけん)などの導火線となる学風であったため、大いにその方面に接近し当主(曾祖父)の勘気を被った可能性が高い。事実その直後、地元に帰され結婚もしている。
 それからおとなしく仕事をしたかと言うと、そうはならずに様々な奇行を重ね、挙句の果てに戦争中に統制を受けて店を閉めてしまい、息子達は跡を取らなかったせいで経営を譲ってしまった。宮内庁の仕事を手掛けて大赤字を出した、とも聞いた。菊の紋章を図案化するのに竹でできたコンパスを手作りしたとのことである。続けていてくれたのなら、僕はサラリーマンになんかならずに済んだはずだ。 
 以前からその京都の店および工場(こうば、と呼びならわしていた)がどうなったのかが気になっていて、先日京都に行ってみた。住所は京都らしく『〇〇通り▽辻クダル』。
 古には都大路だったというその通りの南端は羅生門があったと伝わる一角である。新撰組が入京してしばらくいた壬生のすぐそばにあたる。

いかにもな

 一見京都の普通の街角に立ってみた。往時を思わせるものは何もない。染物屋の店も工場も見当たらなかった。わずかに『××染工業』という看板がかかる事務所がビルの1室にあったが休日で人はいなかった。
 こういう時は近所を取材するのだろうが、それらしい人が都合よく歩いているでもない。漬物屋さんが店を開けていた。『ごめんください』と狭いお店に入ると柴漬けとかお惣菜があって、出てきたのは建築史や京都の歴史の泰斗である井上章一先生にそっくりなご主人.少し買い物をして、おもむろに尋ねた。
『ご主人、このお店は昔からやってるんですか』
『ワタシが始めてからは50年かな』
『はあー。その昔このあたりには染物屋はありませんでしたかねえ』
『そらこころはみーんな染屋でしたわ。床見てみなはれ』

『石造りですね』
『ウチは染屋に糊を卸してましたんや。糊を焚くのにセメントやらアスファルトではでけんので石敷いてました』
『えっ、じゃこの石畳は大昔からあったんですか』
『いや~、市電の廃材かなんかですやろ』
『・・・・』
 何やら得体の知れないオッサンで、後から考えるとこの時点で術中にはまったのかもしれない。
『その中に黒染めの専業の店はありませんでしたか』
『あったあった。こうしゅうこく、ゆうて世界一の黒染めやったで』
 何と!世界一って凄すぎないか。絹の黒染めなんかが世界に輸出されたとは聞いてない。
『こうしゅうこくって何ですか』
『甲斐の国の甲州に黒と書いてそう読ませてた』
 その屋号はウチだ、ただし こうしゅうぐろ、と読むのだがまっいいか。
『私はその四代目なんですが』
『(まったく無視して)店はすぐ三軒向こうやったけどもうついこないだ取り壊してしもた』
『僕のおじいさんはそこから京大に通ってたみたいなんですけど』
『(これまた無視して)最後に住んではったんは娘さんじゃなかったかな。工場(こうばと言った)は角の煙草屋の先にあって、今三階建てのうちが三軒並んどる』
 どうも話は嚙み合わないまま、ともかく場所は確認できた。私の脳裏にはマントを羽織った爺様が闊歩する姿が浮かんでいた。
 フト気が付くとお店には写真が飾ってあって、そのオッサンとソムリエの田崎真也さんが一緒に写っている。いったいなぜ。
『あっこれ、ターやんな。よう来るねん』
 いくら聞いてもどこで撮った写真かは教えてくれない。なんだかヤバい。

 その横にはこれまたそれなりの墨絵、京漬物と書いて落款が押してある。田崎真也さんの話はあきらめて。
『この絵は以前のお店の絵ですか』
『これな。これ芸大のセンセがくれたんや。いつもその先で飲んではったんで一緒になった時に頼んだら描いてくれはった』
『凄いじゃないですか。なんていう先生ですか』
『(これも無視)このセンセな、西本願寺はんのお土産に売っとる絵葉書の墨絵も描いたはる』
『誰だろうなあ』
『(無視)飲んではったときに描いたから筆も酔うてまんのや。ホホホホ』
 オッサンは耳でも悪いのか。いやそうじゃない。これが京者のイケズの真骨頂なのか。この話もやめた。
『えーと、ここから壬生のお寺は近いんですか』
『アンサン東京の人やろ。新選組の跡を見に行かはるんやろ』
『(なんだ聞こえてるじゃないか)ええ、ここまで来ましたんで』
『京都で新撰組で稼ぐんは八木のとこだけや。あら幕府お抱えの人殺しなんやで』
ギクッその八木邸、新撰組に転がり込まれて芹沢鴨が切られた所に行こうと思ってた。おまけに私は大の佐幕派。マズいぞ、これは。
『はぁ、お寺さんにでもお参りしようと』
『あの辺、夜になると(両手首をダラリと下げた幽霊の手つきになって)出るで』
『えっ、見たことあるんですか』
『あんなとこ夜に行くわけないやろ。コワイコワイ』
 その時のオッサンの上目遣いの三白眼にはゾッとした。口は笑っているのに。これはそろそろ退散した方がよさそうだ、と挨拶もそこそこに逃げ出した。

 オッサンの言っていたあたりは、確かに家を取り壊した更地があった。爺様、ここで暮らしたのか、と感慨に耽っていると、なんだか地面にシミが、オイオイオイ。
 もう少し先を行ってみたが煙草屋なんかないじゃないか。
 まさかオッサン、ボケているのか。
 田崎信也さんも本物じゃなくて、墨絵もただの印刷だったりして。どうも怪しい・・・。

三階建て

 アッ三階建てがある。よかった!まるっきり嘘じゃなかった。
 近いうちにもう一度訪ねてあのオッサンにまた確かめなければなるまい。その時は違う話をするような気がするのだ、京都人だから。

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亡き友 中村順一君へのレクエム

2022 OCT 23 7:07:40 am by 西 牟呂雄

 どうにもならないことがある。
 それでも納得とか合点がいかない。あいつが死んで7回忌にもなるのにオレが生きている。
 順番が違うだろう、えっ。ふざけやがって。
 オレ達はあの時代にはマイナーだった保守派だった。だが微妙にズレていて、あいつは保守本流でオレは反体制無頼派を気取った、分かり易く言えばチンピラのことだが。周りは頭の切れる左派ばかり。それが何故か『力を合わせて』という感じにはならず、罵りあってばかりいた。
 ヒマに任せて何時間も電話で話したこともあった。何を話したか全く記憶にないのは、恐らく意味のない会話だったに違いないが、何時間も話し続けられたのは謎としか言いようがない。そのころ互いに彼女がいなかったことは事実だ。
 九州に単身赴任していた時に訪ねてきてくれた。今更だが、正直うれしかった。
『マイレージが期限切れになりそうなので使わにゃならんのだ』
『国境の防衛状況を視察する』
『特攻の英霊を慰めに行きたいから付き合え』
 いちいち奴がひねり出して恩着せがましく言い放った旅の理由である。こう言いながらも1年に3回も会いに来てくれた。知り合いもいないオレを励ましに来たのは分かっていた。

 病魔に臥せった奴を見舞いに駆け付けた時、すでに奴は会話もままならなかった。
『オレが来たからにはもう大丈夫だぞ』
 と振り絞るように声をかけた。そして以前からモメていたある絵を拡大印刷した紙を見せた。
『この絵を覚えているか。確かめたくて持ってきた。お前が言っていた親戚とはこの絵のどいつだ』
 と迫った。実はその絵に関して数年来論争し決着がついていなかった。まぁ、例によって奴の一方的主張にオレがイチャモンをつけただけだが。
 しかしすでに奴の記憶から消えていたようだ。あの記憶力の化け物が。
 それから奴を見舞うのはつらかった。とても一人では耐え難いのでもう一人を誘い、帰りにはいつもガブ飲みして帰った。

 ともあれそれからまる6年経ち、オレは癌にもコロナにもなったものの相変わらず酒を飲み煙草を吸い、余裕のある生活とは無縁の暮らしを続けている。奴との約束通りだったらとっくに仕事なんか辞めて、一緒に旅に出ては罵り合い、時局を論じて悲憤慷慨していただろうに。奴が死んでしまったおかげでこの年になってもついつい仕事をしては抜き差しならないことになり、ヤボ用に漬かってしまう。こういうのをオレたちは『ダサい』と言っていたではないか。それもこれも奴のいないせいだとすれば合点がいく。これでは体力のあるうちに遊べないではないか。
 これは最後まで現役だった奴のオレに対するいやがらせではないのか。オレにだけ人生の果実を味合わせてたまるか、ということなんだろう。
 だとすれば奴の望みは達成された。奴のいないこの世に残されたオレの人生の果実は既に寂しいものに成り下がっているからだ。この先、たいして長くはないだろうが、生きれば生きるだけ、面白くもないことばかりが降りかかってくる。それは優れて戦いそのものとも言えよう。すると奴はその戦いに勝利して逝ってしまったとなるのではないか。クソいまいましい。

 遅いか早いかで、いずれオレもあっちに行き、奴と邂逅するだろう。
 それはまるで目が覚めたような感覚に違いない。あの世は時間も空間も無いのだから、オレ達の年も関係ない。そうでなければジジイになったオレがまだ若々しい壮年の奴と出会うことになり、あっちに行ってまで不快な気分になる。そんなことはあってはならない。
 遠い昔に奴のウチに『オトマリ』に行った際、奴の実家は戦災に会わなかった山の手で、驚くべきことに薪で沸かす五右衛門風呂だった。二人で浮いている板の上に乗る段階でモメ、どっちが長く入っていられるかで勝負がつかず(オレが反則をした)、終いには潜りっこまでやった。その時のお湯から頭を出した時の互いのマヌケ面。
 あの世に行って初めに奴と会うときは、必ず互いにその時のマヌケ面をしていることだろう。お湯から頭を出した瞬間のようにポッカリと目が覚めすはずだ。
 待ってろよ、順。

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ビブラフォンの誘惑

2022 SEP 4 8:08:22 am by 西 牟呂雄

 まずはこれ、一部のファンに熱狂的に支持されている演奏をお聞きください。

 ジャズ・ビブラフォンの第一人者、大井貴司の迫力ある『ルパン三世のテーマ』です。
 僕は30年近く前に、この人の演奏にシビレまくり、主に六本木の某所で行われていたライヴに良く通っていて大の仲良しだった。
 オリジナルのアルバムを何枚か出していて、好きな曲に勝手に英語の詩を付けていやがられたりした。そうそう、山中湖のジャズ・フェスティバルに一緒に行って喜寿庵でドンチャン騒ぎをしたこともあったなぁ。
 切れ味のいいアドリブと強烈なリズム。スタンダードを演奏しても独自の解釈を加えるセンス。そしてジャズ屋らしい実にバランスを欠いたキャラ。全てが魅力的だった。
 その後すっかりご無沙汰だったのだが、偶然ライブを見つけて聞きに行って来た。

大井さんと僕

 
 さすがに最初に声をかけた時はギョッとした表情になり「チョット待って、嘘だろー!」と驚きの声を上げた。お互い昔の悪夢が頭を過り、30年間の来し方を話したりした。
 そして、当時良く組んでいたパーカッショニストの消息に話題が至った。かの人は数年前に亡くなったのだが、脳梗塞だったとか事故だったとか噂が流れていたのだ。聞いてみると『やっぱクスリじゃないの』といういかにもな返事にあきれ返った。

 メンバーは他にピアノ・ウッドベース・ドラムで、その演奏は素晴らしかった。みんな上手いが、僕は特にベースの指さばきに感心した。いい音だし、ソロの時のやり過ぎ感が最高。
 お弟子さんが参加しての、動画に載せた『ルパン三世のテーマ』のダブル・ビブラフォンには息を呑む迫力だった。大井さんのプレイもキレッキレでした。

 ところで、このライブ。実は毎月第三金曜日にやってます。お客さんはツウばかりなので落ち着くし楽しいステージです。来月はオリジナルをやってくれ、とお願いしたので皆さんもどうぞ。
 立ち見が出るときもあるので、予約した方が無難です。何か食べてから行くのがいいでしょう。
 西荻北口からすぐの『ココパーム』
   ↓  ↓  ↓  ↓
https://www.livecocopalm.net/

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私家版 同級生交換

2022 JUL 8 0:00:24 am by 西 牟呂雄

 先に席に案内されたのでビールを頼み待っていると奴は現れた。予想に反してスーツ姿だった。
『やあやあ、久しぶり。忙しそうだな』
 昔ながらの笑顔を振りまいた。
 久しぶりと言っても2年ぶりくらいだから、お互いそう変りようもない。
『直近の仕事、相変わらずの充実ぶりに恐れ入ったぜ』
 この男、妙に鋭い表現で評論をするところがあるので、たまに会っては私の事業の感想を聞くことにしている。大半がどうでもいい感想なのだが、100回に1回くらい、目から鱗のことを口走る。
『あんまり面白いのでつい感心しちまったがよ。どうも先祖返りしたみたいでオレなんか懐かしいけど一般の顧客からはネタ枯れに見られるかもしれんな』
 これが聞きたかった。確かに苦し紛れのテーマかも知れない、成程。
 この男、奇想天外なことを言うかと思うと変にイジケテ見せたりして、ちょっと話しただけでは頭がいいのかバカなのかよくわからない、異形のサラリーマンである。
 こういう奴の人生は破滅するだろうと見ていたら、大学卒業後に猫を被ってカタギの就職をしたのでビックリした。ちなみにまだデキアガッてないが酒乱でもある。
『お前時々自分がマトモだと勘違いするけど、人から見りゃ十分偏屈で頑固なんだから普通にやってるつもりの仕事が個性を際立たせるんだからな。奇をてらう必要なんかない』
 こいつにだけは言われたくもないが、こいつが言うからそうかもしれないと思わせる、という複雑なプリズムである。
 そういうこいつは、就職先の評価は別にしても、やりたいように自由気儘な人生を重ねているが、本人に言わせると『若い時分から苦労を積み上げた血と汗と涙の人生を送った』ことになるらしい。バカバカしいのでその話が始まるとみんな無視している。
『これはこれはお待たせ』
 次の男が来た。抜群の秀才で人格高尚の教授である。酒を飲んでもそんなに崩れないし人望も厚い。研究に没頭しているかと思うと、事務処理能力も高く、人からは何と順調な人生を送っているのだろうと思われるに違いない。
 ところがこの男は病んでいるのだ。挫折をしないが故に心を病むという、これまた奇怪な人格を隠して生きている。それには本人も多少の自覚があるらしく、それだけでも最初の男よりはマシだ。
 更にこいつの美徳は働き者であることだ。といってもあくまで比較の問題なのだが毎日出勤しているのは仲間内ではこいつだけ。そしてなぜ未だに働くのかという問いに対し『性格がいいからだ』と平然と答える余裕さえ見せた。
『どうもどうも、みんな元気そうじゃん』
 三人目が登場した。こいつは単純に不可解である。いつ聞いても『今は基本的にプーだよ』と言って、確かに正業にはついていそうもない。若い頃に確か広告代理店の下請けのような会社を経営していたが、その後行方知れずになっていて、巷では本当にヤクザにでもなったのじゃないかと噂された。
 本人の言葉によると、上海で雑誌を作ったり和食屋を手伝ったりしたと言うのだが、バブル崩壊の大波を受けて日本から逃げたと睨んでいる。
 こいつの場合、働いていないことが日常で、こいつが忙しくなる時は世情騒然としているので、世の中のバロメーターとしては重宝である。
 でもって、目下のところウクライナの戦争やら物価上昇・円安おまけに選挙と喧しいがどうなのか。
『昨日もヒマなおっさん達と麻雀やって稼ぎ倒したぜ』
 日本は平和ということだな。
『おォ、もう始まってるのか』
 時間ピッタリに真打登場で今日のメンバーが揃った。最後のこいつも一筋縄ではいかない。宇宙人のように頭が良く大変なイケメン、一見性格も穏やかなのでよくモテる。いつも輪の真ん中にいて、オレ達のやるようなバカ騒ぎにはあまり加わらない。
 ところが内側に高温のダークサイドを秘めていて、チョッカイを出したマヌケは大やけどを負ってしまう。
 そして時々黙って狂う。あまりに女を寄せ付けないので一時ホモだと噂されていたが、それもない。
 プッツンの白眉は、ある中間テストだか期末テストの時に全科目で白紙答案を出すという暴挙である。僕にしろ最初の男や三番目の奴(要は一番マトモな2番目を除いて)は勝手に設問と関係ない内容を回答したりして遊んでいたが、さすがに全科目白紙には腰が抜けた。このことは職員室で大問題になったらしいが、教師の方もはれ物に触るのがいやだったようで、そのまま進級させてしまった。
 そう、そろそろ白状するとこの連中とはさる学校の同級生である。
 日経新聞の交遊抄や文芸春秋の同級生交換には、それなりの功成り名遂げた方々が『会えば途端に昔に帰り』などと麗しい青春譚が記されているが、我々はそうはいかない。あんな時代には二度と戻りたくはない。     
 表では大っぴらにサボり倒し、雀荘に入り浸ってははしゃぎまわっていたが、暗い焦りと将来の展望の無さに荒み切っており、そしてそれを周りに気取られないように繕うことに精いっぱいだった。何かに打ちこむわけでもなくヒマを持て余し、それぞれが発狂寸前だったが、そのカオスを互いに嘗め合うことなど決してしなかった。
 或いは共通の目的でも共有していたならば、それはスポーツでも芸術でも学業でもいいが、切磋琢磨してライバル関係となり得たかもしれないが、目指すモノ(それがあったとしたら、だが)が違い過ぎてありえない。むしろ、コイツみたいにだけはなりたくないとさえ思った、とでも言う方が実態に近いだろう。
 その後、何度かヘマをして今日に至っている。嘘ではない。具体的に言えば、酒・バクチ・女・自滅に絞られる事実があった。あの頃はそうでもしなけりゃいられず、止める訳にはいかなかったのだ。
 そして前期高齢者ともなれば、互いに何かの悪事を共有しているような秘密結社化した集まりになってしまい、無論他の連中はそれぞれ別のグループとも関わっているものの、この結社には誰も入れなくなった。
 この共有しているモヤモヤ感を、果たして友情と呼べるのだろうか。
 僕は秘かに自問した。これよりひどい集まりはあるだろうか、と。

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スキー競技の張家口

2022 FEB 12 8:08:27 am by 西 牟呂雄

 現在オリンピックのスキー競技が行われている所は北京の北180km、万里の長城の要害である大境門の外側に位置している張家口である。この地で平和の祭典が執り行われることに筆者は特別の感慨がある。
 昭和20年8月15日。日本が無条件降伏をした時点で、かの地は内モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)であり帝国陸軍駐蒙軍(関東軍ではない)が駐屯していた。民間日本人4万人もいた。
 千島列島の占守島と同じく、降伏を無視したソ連軍の侵攻はここでも起こった。この地を守っていた根本博中将は「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と果敢に突撃を命令、ソ連軍の猛攻を跳ね返した。更には八路軍のゲリラ攻撃(彼らは山中ゲリラ・街中テロしかやらない)をしのぎつつ、4万人の民間人とともに長城を越え脱出・帰国したのである。民俗学者の梅棹忠雄や版画家の池田満寿夫はこの一行の中にいて生還できた。根本の決断は北海道をソ連から守った第五方面軍司令官、樋口中将に被る。

ヒグチのリスト


 尚、駐蒙軍は国民党軍とは戦闘しておらず、根本は帝国陸軍にあってはいわゆる支那屋の中国通で、国民党軍の傅作義とも交流があったためスムースに引き揚げられたものと思われる。
 その縁なのか根本は戦後奇怪な行動に出る。蔣介石が日本軍の引き揚げに協力的だったことを徳と考え、大陸の足場を失いアメリカからも疎まれ孤立無援だった国民党を支援しようと台湾に密航する。
 この時無一文に近かったため、明石元長の援助を受けるが、この明石は台湾総督を務めた明石元二郎(日露戦争の時に後方攪乱工作をした情報将校明石大佐)の息子、かつ現上皇陛下のよき相談相手でもある明石元紹の父である。
 当初は拘束されるが、身元が明らかになり「顧問閣下」として遇された。そして人民解放軍との決戦となった金門島の戦いを指揮してこれを撃退する。今日の台湾の地位を保全したことになる。根元の行動は日台両国ともに長く極秘とされ2000年代まで表には出ていなかった。尚、日本人義勇軍と言われた富田少将の白団(パイダン)とは関わっていない。
 検索していたらもう一つ面白いエピソードがあった。中佐時代の陸軍省新聞班長だった時、かの2・26事件に遭遇している。根本は統制派として決起将校からは狙われており、決起部隊の一部は、当日未明から根本の陸軍省出勤時に襲撃する計画だった。が、二日酔いで寝過ごして助かったらしい。そして「兵に告ぐ、勅命が発せられたのである」で始まる戒厳司令部発表を、拡声器を使ってガンガン流し部隊の動揺を誘っている。

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令和四年 滋養神社のお告げ

2022 JAN 1 0:00:12 am by 西 牟呂雄

北京オリンピック失敗
 東京が何とかなったので大丈夫だろうとやった北京の冬季オリンピックは散々な結果になる。
 五輪外交は日本ですら閣僚を送らず、元首級の開幕参加はプーチン大統領のみ。他のヨーロッパの国々も及び腰となって習主席も仏頂面を隠し切れなかった。
 それどころか隠しに隠してきた新型コロナの新たな株が爆発的に広がってしまい、北京は戒厳令が敷かれる。もちろん無観客。アメリカ選手が感染したためバレたのだが、新株はサブミクロン株と名付けられた。
 実はオリンピック中に地方で盛んに自爆テロがあった模様だがバックレ通した。
 日本選手はスケートもスキーも大活躍して史上最多のメダル・ラッシュだったのだが。

日本が新型コロナ撲滅宣言
 年明け、日本のベンチャー企業が開発したコロナ・ワクチン並びに飲み薬が発表された。例によって厚生労働省は認可に手間取るが、その間に東南アジアの国々が効果に注目し発注しだした。
 効き目はテキメンで、アッという間にコロナ禍が収まっていくのを見て慌てた政府も急遽認可し、日本からコロナが無くなってしまう。
 噂によると山中教授が口走った「日本人の持つファクターX」が元だったようで特許は申請されねい。そしてその薬を飲んだ患者は回復するとまるで日本人のような気質になり、帰化希望者が殺到する。
 ちなみに反日国家は意地でも服用しないためコロナは収束しない。

韓国ウルトラ反日政権誕生
 どっちが勝とうがどうせやることは同じ。国内政治の安定のためにハンニチ・ハンニチ。
 岸田内閣はやや甘めではあるが、後ろから安倍元総理が睨みを効かせてガン無視を続けざるを得ない。日韓関係は政治的には限りなく『断交』に近くなる。
 すると一部の韓国政治家がスリ寄って来て林外務大臣を篭絡し、あまっちょろい発言が出てくる。
 そこに強烈なストップをかけたのが高市政調会長で、徴用工問題では猛烈な圧力をかける。

小池都知事辞任
 体調がどうなるのか回復を祈りますものの、あのーいつまでやるんですか。
 親分のぬらりひょん、こと二階が凋落したのでもはや自民党とのパイプは無し。足元の都議会与党も無免許事故を起こした件でアウト。
 そもそも、豊洲の移転もコロナの対応も目に見えた成果は見当たらない。できもしないロックダウンを口走ったり『東京アラート』とか『ウィズ・コロナ』と横文字を唱えてスベっただけ。
 破れかぶれになった知事は参議院全国区に立候補しようと画策するが、誰にも相手にされなくてもはやこれまで。辞任の理由は健康問題と言うが誰も信じない。
「わたしはコロナのジャンヌダルクでした」
 などと発言して顰蹙を買う。

参議院選挙
 自民党が勝つ。更に大阪で維新が勝利。
 すると後述の憲法議論の擦り合わせで公明が脱落して与党編成が微妙になる。
 変なスキャンダルがなければ、自民・維新・国民民主の連立が現実味を帯びてくる。
 立憲民主は共産党の抱きつきから逃れられないまま沈む。
 れいわ・N国・社民は議席を取れない。

金委員長健康悪化
 痩せてスリムになったせいで、影武者説が信憑性を増す。めったに公式の場に出なくなる。代わってキム・ヨジョン氏が前面に出だす。
 不思議なことに中朝関係も冷ややかなものになってくる。
 すると韓国を飛び越して日本に国交回復をエサにしきりにシグナルを発する。林外務大臣は危うく乗りかけるが、再び高市政調会長が立ちふさがり、拉致問題が大きく取り上げられる。
 どうやら金委員長は重体だという情報が流れ始める。

バイデン大統領暗殺未遂
 トランプ支持派の勢いは増すばかり。例のプラウド・ボーイズがあちこちで暴れてアメリカの分断は一層進む。
 その最中に中間選挙の遊説に向かったバイデン大統領が狙撃された。てっきりトランプ派の仕業かとFBIは色めき立った。幸い銃弾は逸れて大統領は無事だったが、その際の腰の抜けぶりに支持率は下がる。
 不思議なことに犯人が捕まらない。トランプ派説、イスラム過激派説、いずれも推測の域を超えないうちに頭のおかしな単独犯が逮捕される。オズワルドの再来か。
 同時にトランプ氏の人気が再び盛り上がって手が付けられなくなる。

憲法改正論議深まる
 上記参議院選挙の勝利で、岸田総理も腹を据えて改憲に取り組む。
 すると婦人部の突き上げを喰らった公明党が腰砕けになり、連立から離脱する流れになる。
 スキを突いて維新との連立を模索する。ウラで動いたのは菅前総理であり、さらにそれを操ったのは安倍元総理という噂。
 その流れで安倍再再登板の可能性が高まる。
 どうやら上記トランプ前大統領の復権とつながっているらしい。

ウクライナの緊張が高まる
 力の信奉者であるプーチン大統領は一歩も引かない。NATOと国境を接するのが我慢できないのだ。東ヨーロッパをジワジワ組み込むのを黙ってみている訳にはいかない。
 一方、ウクライナはキエフ中枢の反ロシア勢力がやる気満々。歴史的にはナチにさえ協力した反ロシアの伝統を持つ国なのだ。クリミアはいいとして今更ロシアの風下に立てるものかと猛反発。
 ところがEUは動かない.業を煮やしたバイデン大統領が電話会談をするが埒が開かない。
 突然国籍不明の部隊が、黒海からクリミアに上陸して戦闘が始まる。

オバサンのアイドル・グループ結成
 SMAP・嵐・TOKYOとアイドルグループが次々と解散、活動停止となって集客力が落ちたジャニーズ事務所が起死回生の手を打つ。
 キムタクと中居(SMAP),相葉・松潤・二宮(嵐)、国分(TOKIO)の5人で結成されたユニットで、名前は公募によりスーパー・ジャーニーとされた。
 幅広いオバサンに支持されるはずだったが、出だしは完全にスベッた。武道館ライブはガラガラでCDも売れない。オバサンのアイドルというコンセプトが成り立たなかったのだ。
 そこで曲想を演歌路線に変え踊りを止めたところ、年後半からジワジワ人気が出てきて紅白歌合戦に出場が決まる。曲名は『別れの常夜灯』とか。
 尚、声がかからなかった櫻井翔は小池百合子の後釜か参議院選挙のどちらかを狙う。

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来年への積み残し

2021 DEC 26 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 アメリカの核は日本を守るか
 古くから言われてきた問題である。もちろん守るだろう、としか言えない。
 だがしかし、近未来はどうか.実際に核を発射される恐ろしい事態になれば数発喰らっただけで日本は滅びる。その前に抑止できるのか、と言えばアメリカ本土に届く核を保有している国に対してのみ抑止するのであって、例えば長距離弾道ミサイルに核を搭載できない国が日本に対して発射した場合は通常兵器の報復にとどまるのではないか。その制裁の間に日本は人も住めない荒野に成り果て消滅する。グアムのアンダーセン空軍基地に配備されていたB52戦略爆撃機の編隊は、すでに去年本土中西部のノース・ダコタに撤収している。
 ところで、人も住めなくなった荒廃した土地を領土に編入したところで攻撃した国に何のメリットがあるのか。例えば日本の技術・人材・風物・文化といったものを資源と考えれば全てが灰になってしまっては税金を取ることもできまい。しかしそこで、だから核攻撃はない⇒核の傘は必要ない、と短絡されては困るのだ。相手がある話なのが外交である。
 唯一の効果的解決策ではないかと思われるのは『アメリカの核を借りる』という奇策である。小型核搭載の自衛隊潜水艦を日本近海で運用し、米軍が核を管理するということはできないものか。まっ無理かな。 

 MMTの神話は本当か
 モダン・マニー・セオリー。名前からして怪しげであるが、この20年ほどの日本にはありがたい理論であり、事実破綻にもインフレにもならない。即ち、自国通貨立ての国債をいくらでも発行し中央銀行が一方的に買い上げてしまえば経済は安定しているというオハナシ。
 確かに2013年から続いている緩和政策をいくら進めてもインフレにも破綻にもならない。
 先般、某事務次官が一般月刊誌に財政規律が失われる旨を発表し、タイタニックに例えて見せた。だが一般会計のみの論考はチト掘り下げる必用があるだろう。むしろあれは内に向けて書かれたフシがある。財務省は予算を切るのと税金を取る所だから(金融庁を分離したため)朝から晩まであんな話をしている。そして多少の異を唱えた途端に出世に響く。確信していようがいまいが現役の時はそう言わざるを得ないのだ。退官して野党から立候補しているOBの某は先日の選挙公約に消費税の5%への引き下げを訴えた。現役の頃に叩き込まれたことを信じていなかった証左である。
 さて、そのMMTであるが、これをモデル化した式を立てられた人は一体いるのだろうか。筆者は寡聞にして知らない。いくら赤字国債を出してもいいということは均衡点はどこでもよくなってしまい、オール等号の数式などモデル化できないではないか。いわゆるリフレ派といえどもそれでは理論的に証明できない。誰か教えてくれないでしょうか。目下の不気味な円安傾向が警鐘に聞こえてならない。アメリカはインフレ傾向が顕著になっている。
 次官論文を乗せた月刊誌は、今月には元経済官僚(MMT推進派。以下M)と慶應の教授(財政規律派。以下K)が論争している。
K「デフレ下で日銀が国債を買い支えている。将来も買い支えられないことは絶対にないとは言えない」
M「自国の通貨建ての債務で、なおかつ変動相場制の元であれば、中央銀行は金利を決められるのだから制御できないインフレは起きない」
K「自国通貨の債務がGDP比で何%を超えると国家が破綻する、という理論値は分かっていない。いくらでも、とはならないだろう」
M「それはそんな限界がないからだ」
K「一方で財政出動によって民間が持続的に成長するという理論的根拠もない」
M「成長による分配により消費が増える。困窮者ほど消費性向が高いから効果は大きい」
K「それならば借金でなくて累進的な増税でも可能である」
 ざっとダイジェストしましたが嚙み合っていない。

 移民は本当に必要か
 このところの『失われた20年』の遠因として労働人口の減少が上げられている。即ち少子化対策が必要なのだが、若年労働力の確保のために移民政策が手っ取り早いとも言われている。
 一方、滞在外国人との間では今ですら様々な軋轢が伝えられている。生活習慣の違い、一部犯罪の誘発、発生する差別リスク、挙句の果てに宗教対立まで起こりかねない。移民と称して押し寄せられて、こんなはずじゃなかったと徒党を組まれてはたまらない。あるいはどこかの工作員が入るかもしれない。それでなくとも何世代に渡っても帰化せずに反日気質を継承されるのは困りもの。民族の誇りはそのまま維持していて結構だが、もはや日本で生活基盤を作り上げ日本語で不自由なく生活している人は多少の愛国心のカケラくらいを備えてはいかがか。
 例えば日曜日の朝『喝!』をやっている張本氏は帰化していない韓国籍だが、広島の被爆者である。その流れのインタヴューで広島での慰霊祭の際、黙祷時にシュプレヒコールをする団体にこう言っている。
『今日の私達はあの尊い犠牲者のおかげで暮らしていられるということでしょう。それが何ですか。なぜ日本人として黙祷ぐらいできないんですか』
 自身様々な差別と闘ってきてこの言葉。こうなれば別に国籍がどうこうという話は別として立派な愛国者だろう。
 新しいタイプの日本人なら歓迎する。移民の際にAIでも使って、日本の文化を尊重し日本人になりたい、皇室を敬います、といった判断は可能になるか・・・。そしてそんなことをするぐらいなら少子化をもっと掘り下げ、成長なんかしなくてもいい、とさえ筆者は思っている。ドラゴンもマフィアもいらない。

 中国の覇権は成立するか
 よその国の庭先で何やら騒動を起こしイチャモンを付けるヤクザまがいの行為を、古くはウィグル自治区・チベットで盛んに仕掛け、香港を潰し南シナ海に進出。仕上げは台湾と尖閣だと称している。言ってみれば弱いものいじめのようなことが今日の国際社会で通るとでも言うのか。それがしばしば通るのが問題で、クリミアは瞬く間にロシアになり手も足も出なかった。
 しかしどうであろう。南シナ海で海上基地を建設するのは無論言語道断だが、果たして防衛できるのだろうか。大規模な人民解放軍を展開できない海上で、仮に海からの攻撃を受けた場合に効果的な艦隊運用ができるのかは疑問である。
 更には領土を拡大し過ぎて国境線は史上最長の距離になっており(モンゴル系の元朝は除くとして)、インド・ベトナムとは緊張関係にある。表面上は友好国のロシアでさえ将来どうなるか保証の限りではない。かつては朝貢外交としてほぼ防衛の必要がなかったため、国境の管理コストがGDPに占める割合もまた史上最高だろう。一帯一路で拡大路線を進んでいるうち経済にガタが来ているのは明白である。
 ついでに大規模地上部隊の展開についても、大陸軍が外敵に対峙して勝ったことはあまりない。ベトナム戦争終結後に火事場泥棒的に20万の人民解放軍が侵攻したが、5万程度のベトナム軍に無様に負けている。帝国陸軍は大陸で50回程度の大規模戦闘でほぼ負け無し。八路軍はゲリラ攻撃しかしていない。北洋軍閥は日清戦争で負け。遥か昔には半島を北上した宇喜多秀家率いる日本軍が、明の名将李如松(朝鮮族)の大軍勢と碧蹄館においてガチンコで戦い、たった1日で打ち破っている。当時、双方合わせて4万人の会戦は世界規模で例がない。中国軍は決して強くはないのである。
 その分、謀略・工作・諜報には長けていて、目下の主戦場は台湾と日本だろう。擦り寄ってきたら要注意。アメリカはオリンピック外交をボイコット、岸田総理頼みますよ。コロナのバックレを忘れるな。

 皇統は維持できるか
 これは全く心配ない。何があっても大丈夫である。
 昨今世間を騒がせた内親王様とK室氏の結婚により女性宮家・女系天皇の筋は絶たれた。K室氏はその筋の工作員だったのではないかと睨んでいる。
 皇室、特に天皇陛下たるものは、ワン・ジェネレーションに一度あるかないかの国難にあたり、国民を励まし、慈しみ、包み込むキラー・コンテンツなのだ。敗戦・東日本大震災の際のおふるまいにどれほど国民が救われたことか。それを思えば皇族方のお相手が誰でもいいというわけにはならないのは自明のことだ。某総理はおざなりのお見舞いを罵倒されたではないか。
 『憲法で定められている通り』のご発言には特に引っかかった。まさか憲法違反をしろなどとは言わないが、皇室とはその遥か高みに存在するものだと考える。そうなると皇嗣家のドタバタは国民から見放されて当然であり、悪いことは言わないから(仮に来年試験に通らなくても)そのまま米国に滞在し続けた方が本人たち並びに国民にとってもいい。
 将来は悠仁様と愛子様にかかってくる。筆者が最近強く思うのは、最終兵器である愛子様がお相手に旧皇族の賀陽宮家男子とご縁がかない、次世代の礎となっていただきたいという秘策だ。

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末期の海軍航空隊 神雷部隊・剣(つるぎ)部隊・芙蓉部隊 

2021 NOV 24 0:00:58 am by 西 牟呂雄

「一機2トンもする『桜花』を吊った一式陸攻が敵まで到達できると思うか。援護戦闘機がわれわれを守りきると思うか。そんな糞の役にも立たない自殺行為に多数の部下を道づれにすることなど真っ平だ」
「桜花を投下したら陸攻は速やかに帰り、再び出撃せよ、と言っているが、今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら自分たちだけが帰れると思うか。そんなことは出来ない、桜花投下と同時に自分も目標に体当たりする」
「オレじゃなきゃ務まらないというから仕方なくやってはいる」
 特攻兵器『桜花』は海軍の一式陸攻爆撃機に抱えられて敵機動部隊に接近し発射されるロケット推進機だ。防御不能の秘密兵器として米軍を恐怖に陥れはしたが、クリスチャンの米軍は自殺を忌み嫌ってコード・ネームは「BAKA」とした。
 特攻について、筆者は無論否定する。切なく悲しい歴史として軽々には論じられない。冒頭の言葉も特攻を否定した海軍神雷部隊長、野中五郎少佐のものである。神雷部隊とは桜花攻撃専門に編成された一式陸攻部隊のことである。
 野中少佐は、2・26を主導し首相官邸でピストル自殺した野中四郎大尉の実弟に当たる。兄弟そろってスパルタ教育で有名な府立四中から陸士・海兵に進んだ。兵学校時代は居眠りばかりして成績こそ奮わなかったが、艦上攻撃機搭乗員に配属されてからはメキメキと頭角を現し、終戦直前は上記神雷部隊長となる。独特の感性の持ち主で、部隊を『野中一家』と呼び、司令部には南無妙法蓮華経の大旗と陣太鼓が据え付けられていた。一方で茶の湯を好み、茶道具一式をいつも携行していたそうである。
 常に桜花特攻には反対であったが、やむにやまれず九州沖航空戦で指揮を執って出撃しようとした上官の岡村大佐をさえぎり、3月21日出陣し全滅する。神雷部隊はその後6月まで戦闘を続けるが、戦果は著しく低下した。以下は3月21日の訓示である。
「まっすぐに猛撃を加えよ。空戦になったら遠慮はいらぬ。片端から叩き落せ。戦場は快晴。戦わんかな最後の血の一滴まで、太平洋を血の海たらしめよ」
 常々、 車懸り戦法と称して『敵部隊を見つけたらグルグル回れ。オレが突っ込んだら続け』と言っていたようなので、覚悟の突入だったと思われる。

「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。ただし条件として、命令してきた上級司令部参謀が最初に私と来るというなら343空はやります」
 名機紫電改を集中配備し、かろうじて1945年4月まで迫る来る米艦載機から九州の制空権を確保できていた、『剣部隊』こと343海軍航空隊の飛行長であった志賀義男氏の言葉。剣部隊に特攻要請があった時に発したという。
「指揮官として絶対やっちゃいけない、自分が行かずにお前ら死んでこいというのは命令の域じゃない、行くなら長官や司令が自ら行くべきだ」
 とも常々言っていた。
 志賀氏は海兵62期の『赤鬼』と呼ばれた猛者で、真珠湾攻撃から終戦まで飛び続けた。大戦初めからのパイロットの生存率は2割以下。志賀氏の指揮の元、編隊撃破の戦術で剣部隊を統率。「海軍航空隊にはエース・パイロットは存在しない」とし、良く統率されたチーム・プレイに徹して戦果を挙げた。以前のような、我こそは、といった攻撃がなくなり米軍パイロットも慌てたようだ。また、一時フィリピンで特攻を指揮した者が副指令になった時は、源田司令に働きかけて転出させもした。
 最後まで健闘したものの、稼働が20機ほどに落ちた時点で原爆を2発落され、源田司令が「我が剣部隊も既に組織的な攻撃に対する機能は乏しくなった。もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら、俺が体当たり(特攻)をしてでも阻止してみせる」とまで言ったが、結局特攻はなされなかった。

「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、自ら突入する人がいません。必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、敵の弾幕をどれだけくぐったというのです。失礼ながら私は回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。今の戦局に、あなた方指揮官自らが死を賭しておいでなのか」
「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタのごとく落とされます。2千機の練習機を特攻に駆り出す前に、赤トンボまで出して勝算があるというなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私がゼロ戦一機で全部、撃ち落としてみせます」
 この気迫のこもった言葉は、艦上爆撃機『彗星』に乗り夜間攻撃に徹した芙蓉部隊を率いる美濃部正少佐が、特攻止む無しとする海軍上層部に対して放ったものだ。
 特攻の生みの親、大西瀧治郎中将から特攻を示唆された時も
「特攻以外の方法で長官の意図に副えるならば、その方がすぐれているわけです。私は、それに全力を尽くすべきと思います。だいいち、特攻には指揮官は要りません、私は指揮官として自分の方法を持っています。私の部隊の兵の使い方は長官のご指示を受けません」
 と反論した。ただし、この口論は他の証言者のいない二人きりの際のものとされ、本人の一方的証言ではある。
 美濃部はフィリピンで海軍第一五三航空隊戦闘901飛行隊長として、月光隊による夜間爆撃を考案した。その月光隊にはBー29ハンターとして有名になる遠藤幸男大尉もいた。
 もっとも戦闘901飛行隊は、Bー29の前身B-24爆撃機の夜間迎撃以外、米機動部隊への夜襲は失敗している。
 この信念は、沖縄に上陸された後に本土防衛のため再編された芙蓉部隊による夜間の飛行場爆撃に生かされた。数次にわたり沖縄の米軍基地を叩くことができたのは終いには芙蓉部隊のみになっていた。しかし残念ながら、米軍飛行場は強力な対空砲火により、彗星による三式一番二八号ロケット爆弾による爆撃も高度4千mで接近後緩降下し投弾せざるを得ず、命中率は格段に落ちた。もともと夜間攻撃はその成果の確認ができないことが多く、多少盛られたものだとの指摘はある。
 さしもの美濃部少佐も硫黄島への出撃の際には一度、「空母を見つけたら飛行甲板に滑り込め」「機動部隊を見たらそのままぶち当たれ」と口走り、別れの盃(別盃)を交わしている。最後の本土決戦の作戦でも、自身を先頭にしての特攻作戦を立て、玉音放送後も徹底抗戦を部下に訓示するなど混乱はした。

 筆者は前期高齢者である。この年になっても負け戦のヒステリー状況で冷静でいられたか逡巡することがある。
 無論、特攻を肯定する者ではないのだが、破れかぶれになった挙句に相手を道連れにしてやる、とならないか、そして(特攻は志願制とはいうものの)オレがやるからお前らも続け、とならないで済むほど胆力を練ってきたか。
 ただ、あくまで反対を貫いた合理的な指揮官(志賀・美濃部少佐のような)により救われた命があったのなら、自分もそういった冷静さを持っていたいとは思う。
 美濃部少佐は戦後航空自衛隊で空将になり、平成の航空幕僚長を務めた。

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