Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

2021 SEP 20 10:10:16 am by 西牟呂 憲

 このゴロのよい軽快な響きは前から知っていたが、庶民のざれ歌と思っていた。ところがれっきとした高僧の作だと最近知って無知を恥じた。狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、いずれもその人物の号、後小松天皇の落胤と伝わる一休宗純、一休さんのものだ。斜に構え、世の中をしゃれのめす姿勢があってワサビが効いている。
 ところが大変な秀才で、以下の少年時代の漢詩を読んで三嘆した。

 秋荒長信美人吟  秋荒(しゅうこう)の長信(ちょうしん) 美人吟ず       
 経路無媒上苑陰  経路 媒無くして上苑陰たり    
 栄辱悲歓目前事  栄辱(えいじょく) 悲歓 目前の事 
 君恩浅処草方深  君恩 浅き処 草 方(まさに)深し
  
 これ、漢の王将君を題材にした13才で吟じた七言絶句だが、韻の踏み方など13才とは思えない。そしで古典を自在に読みこなしていたことにも舌を巻く。
 どうやら母親が南朝方(一説によると楠木正成の孫)だったため足利義満・義持の時代では親王にはなれずに6才から安国寺で育ったという。次は15の年の七言絶句。

 吟行客袖幾詩情  吟行の客袖(かくしゅう) 幾ばくの詩情
 開落百花天地清  百花 開落(かいらく)して天地清し
 枕上春風寝耶寤  枕上の春風 寝いたるか 寤めたるか 
 一場春夢不分明  一場の春夢 分明(ぶんめい)ならず 

 うーん、唸らせる。早熟の鮮やかな切れ味を感じる。『寤(さめる)』という漢字はこの詩を読むまで知らなかった。
 二十歳を過ぎた頃。師匠の死にあたり石山観音に籠ってみるが、悟りを得られずに川に身を投げようとする。早熟型にありがちな死への衝動だろう。
 22才頃、ある公案(仏僧からの問)にこう答えた。
「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
 煩悩から悟りへのプロセスを何気なく答えて、お見事の一言に尽きる。これによって一休さんになった。
 そして30才になる前に大徳寺での修行中、夜中にカラスの声を聴いて悟ったとか。このあたりからおかしくなる。そもそも夜にカラスが鳴くか?まあいいや、

54才だったとか

 イカレポンチな恰好をしたり奇怪な言動で世間をおちょくり出した。
 この絵で傍らにあるのは朱鞘の大太刀だが中身は木刀だったとか。
 本願寺中興の人である蓮如上人とは親しかったようで、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をする。あるいは正月、竹にドクロを括りつけて「ご用心、ご用心」と練り歩いたり、やりたい放題。頭蓋骨なんてどこから調達してきたのか。
 一応、大徳寺や京田辺で荒れ果てた妙勝寺の再興をするといった仕事はしている。おそらく当時の人達は皇胤であることを知っていて、好きにさせていたのだろう。
 時代もよかったはずだ。ちょっと前だったら後醍醐天皇とバサラの化け物達がウジャウジャと戦乱に明け暮れて、都もしばしば戦乱に巻き込まれていた。坊主稼業で奇行を繰り返すことなど不可能だ。義満時代に世の中が少し安定してきたので大目に見られたのだろう。但し、晩年には応仁の乱が起きて、足利幕府も相次ぐ内紛により安定しなくなるが。
 飲酒・肉食・女犯と何でもござれで遊びまくった後、80才近くなって森侍者(しんじしゃ)という正体不明の盲目の旅芸人を愛人にしている。
 いずれにせよ、時の帝とも庶民とも親しく付き合い愛されたため、江戸時代に『一休頓智話』が創られた(内容はほとんど創作にせよ)。

 その後も日本史では平和が続くとコノテのイカレポンチがしばしば現れる。激しい混乱の時代がある程度安定してくる・有産階級が十分に形成される、するとかつての上流からスネたりヒネたりした者が、歌舞音曲・詩文などの才をもって社会を笑いのめしたり驚かせたり。
 お江戸の傾奇者とか明治の旧幕臣などにその痕跡が感じられるが、戦後はどうか。
 かなり飛躍するかもしれないが、安藤組の安藤昇とか加納貢と言った愚連隊にその系譜を感じたりもする。
 フーテンや全学連の闘士とかのその後はどうか。。
 しかし圧倒的な才能とイカレ趣味で言えば三島由紀夫だろう、最期が最期だけに。
 翻って令和の今日ではどうか。数多いたIT長者やホリエモンにもっとやって欲しかったが、欲が深すぎて別の方に行ってしまった。
 落合陽一あたりが弾けてくれないかな。
 僕がやると、どうもねぇ。一休語録をパロってはみたが。

『冥土への 旅の足しにと野良仕事 ナスとキュウリに ポテトじゃだめか』
『こりゃ仏 アラー キリスト 八幡に 如来 菩薩 も みなおなじだろ』
『酒に酔い 歌い 笑って 食って 寝て 遊び疲れて 書にも親しむ』
『膵臓炎 高脂血症 大腸癌 もっとキツいは 二日酔い也』

 うーん。まだだな。

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忘れえぬことども

2021 MAR 16 0:00:52 am by 西牟呂 憲

 大変人気のあるアメリカの作家、スチュアート・ダイベックに翻訳家の柴田元幸がインタヴューしているが、その中でダイベックに『日本の作家で興味のある人はいますか』という問いに対し、迷わず川端と谷崎を上げたので驚いた。曰く『僕が谷崎の英訳をすべて読んでいるのも、一つにはこのエロティシズムというテーマと取り組む、その取り組み方のせいだと思うんだ。彼は間違いなく、何か大事なものを捉えていると思う。多分僕はその点、彼を師と仰いでいるようなところがある気がする』
 明治生まれの日本の作家を師と仰ぐとは恐れ入った.細雪のような繊細というか微妙な色気がアメリカ人にわかるのだろうか。
 谷崎は日本橋蛎殻町の裕福な家に生まれた。ところが小学生の時に家運が傾き、高等小学校に進んで苦学することになり、一中に進学した際には同級生より3才ほど年を食っていた。その後あまりの秀才ぶりに1年から3年に飛び級して、そこでもトップを取った。
 実は谷崎は戦後早い時期に英訳が出されていて、1958年から1964年までノーベル文学賞の候補に上がるほど評価も高かった。1942年生まれのダイベックがマセた少年だったら、むしろ新しい文学として読者となったこともあるだろう。シカゴの下町で少年時代を過ごし、大都市の風をたっぷり浴びている。江戸っ子の谷崎が紡ぎだす文章が(英訳にもよるだろうが)琴線に触れたこともあるのかもしれない。
 谷崎が飛び級してトップを取った頃、常に殿(しんがり)を守って落第におびえていたのがフランス文学の泰斗で小林秀雄の師匠筋にあたる辰野隆(ゆたか)である。その後一高・東大と共に進み生涯交流が続いた。ともすればスキャンダラスに取られ兼ねない谷崎作品の良き理解者であり、また軽妙なエッセイの名手としても知られる。
 二人の交流は洗練されたものだったようで、谷崎は辰野を引き合いに出した文章を残している。辰野が「歯並びは悪いがニキビ並びは見事だ」と毒舌を言った、一高の入試に石鹸の作り方という問題が出たが辰野はうどん粉を固めると回答した、幸田露伴を囲んだ際に酔った露伴先生が色紙を書いてくれたが、頼まれもしない辰野が出しゃばって差配をふるい自分にはどうでもよい色紙を割り当て、欲しかった物は辰野が持って行った、等々。辰野はこれに谷崎の記憶違い(或いは面白くするためにわざと辰野の名前を出した)であるといちいち文章で反論している。誠に都会っ子の面目躍如のやり取りである。

 その二人が対談している。喜寿庵の本棚でボロボロに黄ばんだ本を捨てようとしたところ、辰野隆の対談集でタイトルが提題の「忘れえぬことども」に収録されていた。
 戦後2~3年の頃に朝日新聞から出版された本で、当時の週刊朝日の対談を一冊にまとめたらしいが、奥付きもない。一体誰が買ったのだろう。蔵書は爺様が集めたものだがそっちはドイツ語屋だからおよそ守備範囲とは言えない。
 亡母はフランス語に凝り実際に喋れたが、その修練の過程で辰野と面識があったそうだ。それだけではなく同じく仏文の権威である鈴木信太郎の授業も聴講していた。鈴木は辰野と共訳したシラノ・ド・ベルジュラックで名高いが、名調子のところになると互いに「ここは僕の訳だ」と言い合っていたのを聞いている。辰野の随筆に亡母と思しき女学生が出て来る下りがあったのだが出典は忘れてしまった。小生意気な女学生が気の利いたことをいうので「不良少女」とあだ名をつけた、といった内容だと記憶している。「『文芸評論家って人が書いたものにあれこれ言うのが職業ですから寄生虫みたいなものでしょう』と言ったら先生はボソッと『小林(秀雄のこと)に言っておこう』と仰った」と筆者は聞かされたことがある。
 従って母が持っていた本がまぎれこんだものと思われる。

二人の対談のページ

 話がだいぶズレたが、その対談の内容が秀逸だ。といっても固い話は全然出てこない。のっけから猥談スレスレの話になり、同級生の悪口を懐かしがる、細雪のモデルをおちょくる、辰野が酒を飲んで酔っぱらってしまうと谷崎は泊っていけと勧める。しまいには歌舞伎役者の講釈と続く。しかし全く品が落ちないところが両者の教養の高さと江戸っ子の嗜みなのだろう。
 僕はこれを読んで真っ先に今は亡き親友との会話を思い出した。

 ところで他の対談もめっぽう面白い。
 全て引用するのは不可能なので拾ってみると。
里見弴(辰野と1学期だけ小学校で一緒。白樺派の逸話)、野村胡堂(銭形平次の作者だが、東大同期なるも野村が学費滞納で退学する話)、今井登志喜(全編人の悪口。美濃部達吉は褒めている)、荒畑寒村(桂太郎暗殺未遂の秘話)、長谷川如是閑(英語の発音が下手だという雑談)、武林無想庵(パリの話)、大佛次郎(二人で京都を練り歩くだけ)、その他杉村春子、仁科芳雄、サトウ・ハチロー、いずれも殆どの場合辰野は飲んでいて抱腹絶倒の対談である。
 どこかに復刻版があるかもしれないが見たことはない。興味のある方にはお見せすることはできるが、貸すのは憚られる。ボロボロの本は帰ってきたためしがないから。
 本書と同時期に出た「忘れえぬ人々と谷崎潤一郎」は中公文庫で復刻しているが、谷崎に関しては凡そ似たような話が披露されているのでそちらを参照されたい。
 しかしたまにこういう本を見つけるので、あまり一心不乱に断捨離するのもいかがなものか。

 上記谷崎のコメントの中にある幸田露伴を囲んだ座談会での出来事について、その座談会がいかなるものだったか気になっていたが、最近分かった。1935年の経済往来という雑誌の企画で谷崎・辰野・露伴の他には和辻哲郎・末弘巌太郎(民法学者・東大教授)・徳田秋声といった一流所が集まっている。ところが露伴先生は途中から明らかに酔っ払い、文芸談義もあるにはあるがほとんどが釣りだの歌舞伎だのの江戸趣味の話ばかり。偶然手に取った中公文庫『和辻哲郎座談』の中で見つけた。興味のある方はどうぞ。

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半藤一利さん

2021 MAR 1 0:00:51 am by 西牟呂 憲

 僕はこの人の書いたものに先導されて昭和史に凝った。大変に綿密な取材と考証で当時の世相を学んだのである。海軍関係は特に造詣が深く、ご自身も海軍贔屓を公言していた。身内に海軍関係者が多かった身としては耳障りのいい語り口だった。
 向島の生まれで、戦中に長岡に疎開、戦後は銀座に本社のあった文芸春秋社に長く勤める。好きな人物が勝海舟・夏目漱石・山本五十六・司馬遼太郎だろうか。海舟(向島)・五十六(長岡)あたりに地縁を感じて面白い。
 勝海舟という偉人は毀誉褒貶の激しい人で、ゴリゴリの佐幕派からは嫌われることも多く、確かにしゃべりすぎるところが無きにしも非ず。頭も切れて腹も座っているのだが会ってみたとしたら案外鼻持ちならないところがあったような。西郷や龍馬のような田舎者を煙に巻いたと言ったら言い過ぎなんだろうが、いや、偉人ですよ大変な。
 余談であるが、維新後に福沢諭吉が勝海舟を『痩せ我慢の説』で攻撃したせいか、慶應義塾出身者が勝を軽んじる風潮があり、某塾長と半藤氏が大ゲンカしたことがある。
 ついでにあれだけのインテリにして惜しいのは、先の大戦に対する評価。日本の自衛という所には全く光を当ててくれなかった。陸軍悪玉説に傾きすぎて、中国の国内事情の複雑さ(性悪さ)を甘く見ている。まぁ実際に大空襲に会った方なので、筆者の及びもつかない思考遍歴を重ねられてのことであろう。氏の業績を尊敬して止むことはない。
 『歴史探偵忘れ残りの記』を読了した。
 氏は昭和5年の生まれ、下町の悪ガキを自称されている。書きっぷりの端切れのよさが神田生まれの筆者にはなじみがいい。著書の中に『わが銀座おぼろげ史』という章があり、文芸春秋社が銀座にあった時代の描写が秀逸である。
 その書き出しを読んでニヤリとさせられた。子供の頃はせいぜい浅草止まりで戦前に銀座に行ったのは小学校3年生の時だったという。
 ところで下町というと一般的には義理人情のはびこる落語の八ッつあん熊さんの世界という印象かもしれないが、実は縄張り意識がものすごく強い。ほとんどが職人だった昔は、住んでいる所と働く所と遊ぶ所が同じため、ヨソ者が入ってくるのを警戒するのだ。マンション暮らしの勤め人ばかりである今は違うだろうが、大人から子供までそういう気質だから筆者のチビの頃は喧嘩が絶えなかった。その縄張りはおおざっぱにいうと区立中学校の学区くらいの規模だ。そして他所のことをクソモソに悪く言う。
 神田あたりの連中の意識はせいぜい銀座までが守備範囲で墨田川の向こう側なんかは狸が出るような所だという感覚だ。『粋な深川いなせな神田、人が悪いは飯田橋』という言い方があった。
 その認識から言えば『だから大川(墨田川の言い方)の川向こうはいやだぜ。ザギンに来たこともねえカッペばかりだ』ということになる(現在の住人の方ごめんなさい。いまではそんなこと思ってもいません)。すると半藤さんならこう言うだろう。『神田なんざ花街もねえような野暮な所じゃねえか。祭りが無きゃただのヤッチャバ(市場のこと)だろ』
 

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マクシミリアン・ロベスピエールの最期

2021 FEB 21 11:11:41 am by 西牟呂 憲

 かのフランス革命のヒーロー。ジャコバンの総帥となり多くの政敵を断頭台に送った公安委員長。テルミドールの反動によって処刑された。秀才で極々まじめな理想主義者だったと思う。どうして分かってくれないのか、とかつての盟友を次々に処刑した心境はいかばかりか。
 あまり柔軟性のない人の言うことを聞かない人だと思うと、筆者としては付き合いたくないタイプかもしれない。だが近しい人には愛情を注ぎ冗談も飛ばしたと言われている。とにかく抜群の秀才だったらしい。
 フランス革命は複雑な経緯をたどり、国王を殺しナポレオンの登場を招くのだが、このブログは世界史の授業ではないから割愛する。
 ロベスピエールの最期をたどっていくと、革命の終焉に見られる倦怠・退廃といったものがヒシヒシと伝わってきて大変に興味深い。このテの革命騒ぎは必ず大騒ぎの後に権力闘争が始まり独裁に至る。筆者の知る限りではアメリカ独立戦争と天皇制が続いた明治維新が例外ではないか。ただしアメリカは黒人奴隷制度と先住民の虐殺を内包しており、日本においても後に軍部の独走があるにはあった。
 この点、目下のコロナ禍をひとつの革命と見立ててみると・・・。仮に中国の発表が真実だとすれば(違うとは思うが)独裁体制の方が効率的に体制立て直しに成功し、民主主義はいったん後退、その後に徐々に回復するにつれ復活するといった経緯をたどるのではないか。
 さて、ロベスピエール率いる公安委員会はテロの語源となったテルール(恐怖政治の意)を1年も続けているうちに深刻な内部分裂をきたしていた。そしてここが問題なのだが、くたびれ果てたロベスピエールは約一ケ月もの間姿を現さなかった。その間に反対派の工作が進んでしまったのだ。
 7月26日(革命歴テルミドール9日)に国民公会に出席したロベスピエールに対し猛烈なヤジが飛び、大混乱の中ロベスピエール一派のプロスクリプティオが全会一致で採決された。
 このプロスクリプティオとは何故か古代ローマの共和制で2回執行された、司法の手続きを経ずに追放・死刑執行ができる制度で、この革命の混乱のさなかに誰が持ち出してきたのかよくわからない。ドサクサに紛れて知恵のあるものがあたかも自然法のように呪文を唱えたのか。こうなるとまるで学生運動のノリだ。それもそのはずでロベスピエールが36歳、死の天使サン・ジェスト26歳、パリの国民衛兵司令官アンリオが29歳という青年の革命である。 
 更にこのコップの中の嵐に対して一部のパリ市民は訳が分からず国民衛兵200人と市民3500人がロベスピエールと共にパリ市庁舎に立てこもり、反対派はチェイルリー宮に陣取り一触即発の状態だった(この時点でアンリオ司令官は泥酔していた)。
 だが、ロベスピエールはこの先頭に立って武装蜂起を促すでもなくグズグズするばかりで頗る振るわない。とうとう国民衛兵は夜になると帰ってしまうのだ。側近はロベスピエールに武装蜂起の議定書へサインさせようと迫ったところ、ロベスピエールは考え込んでしまう。やっと筆を執ってR・Oと書き始めたそこへ国民公会が派遣した憲兵隊が雪崩れ込んできた。
 一般的な史実ではここでロベスピエールが拳銃を引き抜いて自殺しようとし、失敗して左の顎の下を打ち抜いた、とされている。
 実はこれに別の説があって、踏み込んできた憲兵のメルダがいきなり発砲したと後に語っているのである。この議定書は今でもパリの革命博物館に複製があり、ロベスピエールの血痕が点々と付いている。見た人によるとそのR・Oは誠に小さいサインで、気力も何も感じられない字という。一方でロベスピエールの所持した拳銃も残っており、発射した痕跡はないとされる。
 こうなると幕末の龍馬暗殺のように本当のところは良く分からない。メルダは後にフランス陸軍の准将になるが、出世してから発砲したことを話している点、少し怪しい。

 しかしながらその時点では死んではいない。後日ギロチンにかけられたジャコバン一派の処刑図があるが、拡大してみるとギロチン台の向って左側に処刑待ちの男が何人も立っていて、その中に顎をハンカチで抑えている情けない姿で描写されているのがロベスピエールだ。理想を掲げた秀才が、内部闘争の議論に明け暮れ消耗し、あまりに凄惨な処刑をやりすごて神経が焼き切れたのかビビったのか。拳銃を持っていたならば踏み込んできた憲兵の何人かを道連れにでもする気迫がなければ革命を成就することはできないだろう。夜になったからといって国民衛兵が帰宅してしまうとは革命遂行中とも思えないユルさである。
 ロベスピエールがその後の歴史を知っていれば、陰湿な議論に明け暮れずにもっと早い段階で迷わず武力によって反対派を抑え込んだだろう。世界史のハイライトとして学ばされたフランス革命そのものやロベスピエールに対し、筆者が好感を寄せられない所以である。結果としてナポレオンの独裁を招いて終わり、革命の歴史そのものをたどってしまった。

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令和三年 滋養神社お告げ

2021 JAN 7 0:00:17 am by 西牟呂 憲

 昨年のお告げでコロナ禍を全く予言できなかった。今年は遠慮しようかとまで思った。しかし元日の厳かな日の出に向かって祈りを捧げていると聞こえて来るではないか、更に見えて来るではないか。それこそ我が滋養神が私に訴え広めよと告げる令和3年の未来。以下伝えずにはいられない。

1.日本オリジナルのコロナ対策
 テレビの前に現れたのはあの小保方氏である。コロナの対処法を開発したというベンチャー企業『STAP』の社長として復活したのだ。コロナに罹った患者の細胞にストレスを与え抗体を人工的に作り出すことに成功した、と発表したのだった。しかしこの方式だと各人ごとに対処せざるを得ず、そのための装置は量産する目処は立たない。しかも患者本人にしか効かないため国民全体に抗体を与えるのに何年もかかる。一人一回百万円という高額のため政府が実施するのか全く分からないと言うオチでした。

2.英国TPP加入
 EUを離脱した英国は積極的に日本に接近する。実は香港でメンツを潰された腹いせに原子力空母クィーン・エリザベスを極東に回航させ中国に圧力をかける狙いもあった。EUとは喧嘩別れになって経済的にお先真っ暗の現状を打破するため、何が何でもTPP入りしようと日本に貸しを作る国策でもある。水面下では核
搭載の原子力潜水艦バンガードが極秘に来る計画があるとか。その際の母港が函館と佐世保ではないかと噂に上がっている。

3.衆議院解散
 諸説あったものの、菅総理はオリンピック前の都議会議員選挙の時期に衆議院を解散する。公明党は嫌がったが、菅政権はスキャンダルのある自民党の議員の立候補を取り下げ、公明党の候補を与党統一候補とするエサで何とか説得した。
 結果は与党の大勝利。おまけに都議会選挙も都民ファーストが惨敗して小池知事は与党を失う。自民党は単独過半数を獲得し、ほかに維新の会も躍進。憲法改正の世論が盛り上がる。
一体公明党はどうするのか、学会内でも議論が起こり騒然とする中で〇田〇作の訃報が伝えられる。

4.東京オリンピック・パラリンピック大成功
 規模を縮小したとはいえ、満を持した開催に世界は称賛の嵐だ。
 特に世界が目を見張ったのは、無観客で行われた開・閉会式の厳かさ且つ鮮やかな演出。開会式ではブルー・インパルスの描く五輪の下で大相撲の力士100人による四股踏みから横綱土俵入り。閉会式は歌舞伎役者100人の連獅子による毛振りが大反響となった。
 日本は連日メダル・ラッシュ。水泳・陸上・体操・柔道・空手・バレーボール・ゴルフと大活躍。オリンピック・バンザーイ!

5.朝鮮半島新体制
 全く国民の支持を失った文大統領はもはや統治能力を失った。例によって逮捕されるのは時間の問題(何の罪か知らないが)。北は北でコロナによる千万単位の死者を出し、国家の体裁も何も、軍の反乱の兆しが見えだした。
 一方で年初から、かのキム・ハンソルによる『統一朝鮮』というビデオメッセージがネットで流されていた。若きキム・ハンソルは「朝鮮人民である私は38度線を越えて同胞と握手する」と言い切った。どうやら韓国国内で撮影されたようなのだが詳細は不明。
 ついに38度線が崩壊するのか、だがそれは今年ではなさそうだ。

6.某内親王殿下結婚
 日本中がいぶかしがる中、某内親王殿下は婚姻届けを出してアメリカに旅立った。結婚式も何も無しにである。この大胆な行動に世論は概ね『公務をほったらかして何だ』と非難の嵐。お相手はすっかり悪者にされて日本に帰れなくなる。するとさらにマズいことにお相手の母親も渡米して同居を始める。途端に周りに怪しげなタカリ目当ての取り巻きが集まってきて、たまらず元内親王殿下は帰国してしまう。さて、どうなるのか。

7.バイデン大統領暗殺未遂
 いまだに『実はトランプが勝ったのだ』という一派がいる。実はオバマ大統領が誕生した後も、随分長い間『オバマはアメリカ生まれではない』という都市伝説を言い立てて無効を主張した『バーサーズ』というグループがあった。今度は『選挙は無効だ』と主張しているプラウド・ボーイズで、連中は武装している。
 秋口、ついにバイデン大統領の演説中に一発の銃弾が空を切り裂いた。西海岸と南部でBLMとプラウド・ボーイズが銃撃戦を繰り広げる。

8、矢沢永吉 二日連続武道館コンサート
 ミスター武道館。スーパー・スターYAZAWAが新機軸を打ち出す。さる大物とのジョイント・コンサートを打つ、という発表があった。武道館で2晩連続やるというのだが、ジョイントの相手は極秘ということでだれも分からない。関係者の口も固い。

架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物

架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物 Ⅱ

9.石破新党発足
 派閥会長を退いたのはいかにもあざとい。誰が見てもサバイブするには竹下派に潜り込むことしかないのに、この御仁は肝心の所でいつも間違える。
 実は国民民主の前原とは『鉄っちゃん』仲間で気脈を通じていたのだ。衆議院選挙後、頃合いを見て派閥ごと国民民主党に合流しようとしたが、ついてきたのは一人だけというお寒い話。これで総理のメは完全になくなった。
 水面下で小沢一郎が暗躍したらしいが、もはや誰も相手にしなかったらしい。

10.北方領土2島返還
 ロシア全体ではコロナの被害は日本の10倍だった。しかしあまり気が付いていない人が多いが人口は日本と大して変わらないのだ。日本1億2千万人、ロシア1億4千万人である。極秘情報であるが、医療体制の十分でない歯舞・色丹で爆発的に感染が広まり人口が激減していた。もはや無用の無人島となった両島を、国後・択捉2島への巨額投資を条件に日本に返還するとプーチンが言い出した。色丹島からの国後・択捉への自由往来というエサが付いた。
 ところがその直後、プーチン大統領は変異型コロナに罹ってしまい意識不明に陥る。

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深まる秋の憂国忌

2020 NOV 24 0:00:59 am by 西牟呂 憲

 コロナ第三波。おっかなびっくりが続きます。
 先日、癌の手術後1年が経過したところで検査をしましたが幸いにも異常なし。思えばコロナによる医療パニックの前に退院までこぎつけていたわけで、その後の手術待ちの患者さん達に申し訳ないような・・・。今年も秋が迎えられたことに感謝のみです。
 時系列で経緯を俯瞰すると、2年前の身体検査の結果を聞きに行くのを3か月もサボったのでポリープ除去・癌発見が遅れました。1年後に手術。術後せん妄発症。その後コロナ禍という流れでした。

自己流

 今年は喜寿庵でも秋祭りやお茶壷道中は無かったのですが、庭に野生の百合も咲きました。ススキをあしらって自己流で生け花です。
 梅雨が長引いてジャガイモは不作、ナスも小さいのしか採れなかった代わりにピーマンは大豊作。キュウリも初めてまともに収穫できました。
 そして3年前に飢えた栗の木に大きな実が。まだ私の胸の高さにしかならないのですが『桃栗三年』は本当でした。ただ、同時に植えたほかの2本は何も。栗ご飯にして食べました。特においしくもありませんが、冷えた後に海苔を巻いたお結びにしたらおいしかった。

 三島由紀夫が半世紀前の11月25日に割腹しました。彼のことですから50年目の今年に何かの仕掛けをしていて、新しい事実が発掘されるのかと期待しましたがありませんでしたね。
 あの衝撃的な死は僕にとって『強烈なイデオロギーは虚構である』というメッセージとして心に刻まれ、その後の思考形態を決定づけました。
 50年前に今日を予測することは不可能です。グローバル化の進展も中国の強烈な台頭もインターネットの普及も三島は知るよしもありませんが、自死の直前にこう言っています。
『日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう』
 『日本』とは何か。
 当時の世相は70年安保闘争があり、学生は過激になって街頭では激しい投石や火炎瓶までが飛びました。社会党が第2党で国会で一定の勢力はありましたが、自民党の単独政権が続きます。そして何よりも経済成長がまだ続いていたのです。冷戦構造はこのまま永久に続くのではないか、それどころかヴェトナムでは熱い戦いになってドンパチが続いていた。時の総理は佐藤栄作。
 三島の目には敗戦から復興したとはいえ、自らの立ち位置を模索している国家が頼りないものに見えたのでしょう。では上記の『日本』とは何か。まさか戦前に回帰することもできません。そこで固有名詞としての『天皇』を中心概念に持ってきました。
 50年後の今日まで、何が変わったのかそうでないのか。
 政治的には自民党の単独政権は続かなくなり、野党に転落したこともありました。その後は多党連立が続きます。私は政権交代が起こることは日本の民主主義の進展のためにいいことだと喜びました。ところが稚拙な政権運営と策士策に溺れた小沢一郎の暗躍でこの方向は迷走します。ガラクタのような野党ができて政治的な緊張感はなくなりました。平成の終わりになってポピュリズムの波に乗ったからっぽな状況から長期安部政権で一応の安定にたどりついたのではないでしょうか。自公連立です。
 三島が危惧した保守単独政権VSイデオロギー政党の弛緩した対立から革命による体制変換などどこにもなかった、むしろ保守単独の堕落は(現在の評価は別にしても)避けてこられたのかもしれません。
 経済は外的要因に左右されながら平成時代を通じて停滞し、富裕になるでもなく格差が広がったのです。グローバル化の行き過ぎと見ています。特にこの数年は三島の想像をはるかに超えています。人口問題など当時は兆しもなかった。
 文化的にはどうでしょうか。次々とベスト・セラーを出し続けられる力量の作家は村上春樹くらいしか思い当たりません。福田和也は言っています。現代の日本の作家は村上春樹とその他という分け方で語れると。
 昭和から二度の御代替わりを経て、今は令和の時代です。三島の言説から類推すると天皇の生前譲位など絶対に認めなかったでしょう。しばしば発言が物議を醸す次男坊殿下のおっしゃりようや内親王殿下の婚約問題などは一刀両断に違いありません。
 しかし一方で、日本の国際的なポジションはむしろ上がったとも言えます。国民を弾圧してまで遮二無二GDPを上げてきた強権国家と対峙できる国として、1億人以上の人口を持つ先進国はアメリカを除けば日本だけです。アメリカも組む相手は日本しかないのが現実です。
 三島が危惧したことは当たったとも言える部分は多い。ですが日本がその独自性を失うまでには至っていない。前安倍政権の支持は若い世代の方が高かったのです。

 三島の上記発言は事件の4カ月前ですが、すでに常軌を逸していたのでしょう。実は最後の作品である『天人五衰』の終わりはもう少し後になるはずだったと三島は語っていたのです。創作ノートのエンディングは本作とは違っていたことが分かっています。あの事件を決行するために執筆を早め、それがゆえに筆が鈍った結末にせざるを得なかったとは言えないでしょうか。
 実は事件直前、三島を介錯し共に割腹自決した森田必勝が残した言葉が残されています。元文芸春秋編集長の堤堯が酒の席で「僕は三島先生を絶対に逃がしません」と口走ったのを聞いています。
 森田は盾の会の学生長でありながら祖国防衛隊と称したグループで強烈にテロを志向していきます。それが三島の美の追求や死への憧憬と結びつき、根回しも可能性もないまま異様な事件に昇華してしまった。
 新右翼の論客であり森田と学生時代から付き合いのあった鈴木邦夫は『三島事件は森田事件だ』と喝破しました。

 あの緻密で美しい文章は後に継く後継作家を生み出すことはなく、50年が過ぎました。
 自身を振り返るのは苦手ですが、プチ右翼キッドだった私はその頃から思想の進化が止まっています。『お前のような怠け者に三島の葛藤が分かるものか』の声が聞こえます。
 ひょっとして、三島の予言は「自分が自死することによって、日本の将来はこうなっていくだろう」といった宣言だったのではないのか。巷間言われている政治的・文化的なやや右よりに安定した日本を揶揄する象徴として、50年も前にあの奇怪な行動を起こしたのではないか。だとすればあの行為は永遠に日本人への警鐘になりかねない。いや、そうでもなかろうと思いたいのですが。

昭和45年11月25日

三島由紀夫の幻影


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私のコレクション 今井俊満

2020 NOV 9 9:09:52 am by 西牟呂 憲

 どうです!このコレクション。アンフォルメルの大家、故今井俊満画伯の作品です。
 左の塗りたくった躍動する赤、右の流れるような青。
 残念ながら私は強度の赤緑色弱ですので、普通の方の見えている印象とは違うでしょう。子供の頃の御絵描きで太陽を黄色く塗り、赤いボールペンでノートを取っても赤で書いていると気が付かなかったくらいですから。それでもこの色彩が弾けるような感覚は分かります。
 左の絵は昔から家にあった物で、筆遣いが右の青のような線に変わる直前の作品です。左側のいわゆる肉太のシリーズは他に青と黒があり、そのうちの青はさる個人の所有で私は見せてもらったことがあります。黒は残念ながらどこにあるのか分かりません。どなたかご存知の方、ご連絡いただければ是非見たいと思いますのでご一報下さい。
 左の赤を眺めてはニヤニヤしていたある日、右の青がオークションに掛かっていることを知りがぜん血が騒ぎました。画風が変わった前後の色違いを二つ並べてみたい、という思いが抑えられなくなって入札する気になったのです。このオークションは一発入札方式ですからセリにはなりません。さあいくらの札を入れたものか。相場を鑑み、手持ちの金を考慮し、まだ見ぬ競争者の思惑を推測し、私の心は千々に乱れました。この心境に最も近いと思われるのは、麻雀のオーラスで一発逆転の役満をテンパった途端に親のリーチがかかり、次のツモが激ヤバの筋牌だった時でしょうか。
 結果、今さら後に引けるかの気迫で入れた金額が一番札でこうして並べることができました。めでたしめでたし。
 但し二枚横並びにしてみるとチョットいけない。二枚が互いをけなしあっているような、遠慮しているような。左右入れ替えてもそうでした。どうも片方を部屋の反対側に架けて向かい合わせにした方がいいようです、相互が睨みあっている感じが。しかし如何せん我家はマンション暮らしで反対側は窓。仕方なく絵に向かって『どうかケンカしないで仲良くしていてください』とお願いしました。
 ところで、そろそろネタバラシですが、今井画伯は昭和3年の生まれで我がオヤジと旧制高校の同級生なのです。赤の絵はその昔に(要するにまだ安かった頃)同期の仲間と買い付けた一枚でした。今井画伯は卒業後に第12回新制作派協会展で入賞しフランスに留学しますが、当時の仲間内では行方不明になったとされていて、絵の修行をしていたことは誰も知らず、帰国後に個展を開いた時点で初めて絵描きになったことを知ったそうです。同期会にゴリラの毛皮のコートで現れて仰天した、とも。
 落札したことをさぞ喜んでくれるかと思いきや、第一声は『お前アイツの絵にそんな大金を払ったのか』という怒声でした。ゲージツがわからん人には困ったものです。

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わが友 中村順一君の命日

2020 OCT 18 11:11:50 am by 西牟呂 憲

 今年も彼の命日は当たり前のようにやってきた。毎年、少人数で偲ぶ会をやっていたが、このコロナ禍では集まることもできずにいる。
 我々の友情というのはどうも第三者に分かりにくいものに進化して行った。仲間内で飲んでいて、例によって二人で罵り合っていたところ、ポツリと一人が言った言葉を噛みしめている。
『お前らどっちか死んだら寂しいぞ』
 けだし名言である。その時は気にもとめなかったが、その通りで、今では寂しいどころかやり場のない怒りにも似た感じがする、先に逝きやがって。
 
「あれからオレも大腸がんを切った」
「それがどうした。切れば治るに決まっておる」
「切りゃ痛いんだぞ。おまけにせん妄が出て精神科にもかかるハメになった。転移の恐怖にも耐えなきゃならん。貴様に分かるか」
「ふんっ、精神の虚弱がバレただけだろう。タルんでおる証拠だ」
「オレは繊細なんだよ。キサマと違う。そっちは腕が千切れても平気だろう。兵隊の位でいえば万年二等兵とか雑兵のたぐいだ」
「ヤヒコー(二人の間では最高の侮辱の意)!そんなもんではない。両足失っても突撃できる」
「アッ、言ったな。どうやって突撃するんだ。まさか手で歩けるとでも言うのか。やってみせろ」
「今はその時ではない。しかしイザというときは可能である」
 これは今思いついて書いたものだが、実際にもほぼこのような会話に明け暮れていた。
 そう、僕は今でも奴と会話しているのである。
 ところが、相談したいことや悩みを訴えるといった事になると想像もつかない。そんな話はしたことがなかったからだ。万が一そういう場合だったらどんなものだったろうか。

「実は大変困ったことになった」
「ほう、それはまたどうした」
「◎◎の作戦を失敗して✖✖が全くうまくいかない。おかげで四面楚歌だ」
「なんだ、その程度か。オレなんか▽▽が尾を引いて四面どころか百面楚歌だぞ」
「なにが百面だ。▽▽をいまだに根に持った人間が百人もいるはずがない」
「そんなことはない。少なく見ても200人だな」

 やはり全然相談にならない。
 我々は環境が似ていたせいか思考回路はよく似ていたが、表に出すパフォーマンスはまるで逆だった。奴は山の手・オーソドックス・クラシック・運動部だったのに対し、僕は下町・チンピラ・ロック・サークル気質だった。従って何も張り合う部分が重ならないので、ライバルとか同志という関係になり得なかった。それがどうして半世紀を超えてズルズルと付き合ったのか謎としか言いようがない。
 北方領土についてもモメた。僕は当時から前安倍総理の進めていた二島返還論に近かったが『そんなことを言ったらナメられる。樺太の南もよこせと言って四島の面積等分方式に持ち込み、択捉に国境線を引かなければ日本人の甘っちょろい国境感覚が直らん』と一蹴された。
 国土防衛の証として住民票を竹島か尖閣に移す、ということを提案してきたことがあった。この時はどっちが尖閣にするかでバカバカしいことにじゃんけんまでして奴が勝った。少しでも暖かい方がいい、という理由で二人とも尖閣を希望したからだ。もう還暦近くにもかかわらず、じゃんけんまでしたとはさすがに恥ずかしい行為と言えよう。
 去年、大腸癌の手術を受けたが、手術日が奴の命日に近かった。奴に呼ばれている気がして、それもいいかなと思った。しかしそうなったらエラそうな顔で先輩面をする顔が思い浮かんで参った。
 実は奴との最後の約束がいまだに果たせないでいることがある。
 現在の年齢までにはとっくに仕事を辞めて好きな事をして暮らし、月に一度は会ってどちらが好きな事をやり続けたかを比べるはずだった。その満足度を点数にするルールまできめたのだ。
「お前本当にちゃんと仕事辞められるんだろうな。イザという時に金が無くなったとか理屈をつけて逃げるなよ」
「そっちこそ、会社から頼まれた、みたいな嘘を言うなよ。絶対にズルするな」
「笑わせるな。意外とケチなのは長い付き合いで知ってるぞ」
「ケチとは何だ。無駄が嫌いなだけである。旅に誘って忙しいなんて言い訳は通用しないぞ」
 これも想像上の会話だが、ただただ懐かしい。合掌。

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ヒグチのリスト

2020 AUG 9 10:10:48 am by 西牟呂 憲

先の大戦末期、ヨーロッパでの戦闘を終えたソ連軍は満洲・北方領土を侵すべく虎視眈々と南下しようと兵力を集中させた。満州における守備は関東軍であるが、戦力をかなり本土・南方に割かれており、尚且つ不思議なことに危機的状況にも係らず関東軍は楽観論が主流でソ連の対日参戦後は一たまりもない。しかも8月15日のポツダム宣言受領の前後はドンパチの真っ最中で即時停戦とはならなかった。
 戦車部隊の侵攻に対し、関東軍航空隊には敵戦車に対して特攻をかけて対抗。国境線の第107師団は山岳地帯でのゲリラ戦で29日まで戦い続けた。
 一方、アリューシャン列島では米軍と対峙したもののアッツ玉砕・キスカ撤退の後に対ソ防衛戦の備えとして南樺太の守備も兼ねた大本営直属の第5方面軍が編成された。
 8月18日、千島列島最北の占守島にソ連軍が上陸する。それに対し方面軍樋口季一郎中将は、有名な「断乎反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」との命令を出し、旺盛な砲撃と第11戦車隊の猛烈な突撃で食い止めた。浅田次郎の『終わらざる夏』に詳しい。この樋口中将の果敢な決断なかりせば北海道がロシア領にされたかもしれなかったのだ。
 樺太においても15日以降もソ連の侵攻は止まず、16日には新たな部隊が上陸し出し歩兵第25連隊は23日まで交戦した。
 その間、電話交換女子達が集団自決、停戦協定後の白旗が掲げられた赤十字テントへの空爆、引揚げ船への潜水艦に攻撃といった火事場泥棒的なソ連軍の振る舞いは、現在ロシア人と親しく付き合い好感を持っている私ですら不快感を感じる。
 それもこれもヤルタ会談でソ連の参戦をそそのかし領土の取引まで勝手にしたルーズベルトが悪いのだが。そして調子に乗って北海道の半分をよこせ、とまでほざいたスターリンの野望を打ち砕いた樋口中将の迅速・果敢な決断に敬意を表する。

 話は変わるが、多くのユダヤ人を救った『シンドラーのリスト』が映画によって人々の記憶に残り、『東洋のシンドラー』日本人外交官杉原千畝のリトアニアでのビザ発給が人口に膾炙する。かの樋口中将もユダヤ人から厚く尊敬されていることは御存知だろうか。
 話は大戦前に遡る。直接の引き金はヒトラーのユダヤ人迫害なのだが、ヨーロッパ全域及びソ連でもひどい目に合ったユダヤ人の一部はシベリア鉄道で遠く満州のハルピンにまで大勢きていた。これは計画倒れとなった満州国へのユダヤ人入植計画(通商フグ計画)による影響もあったためである。 
 計画そのものは頓挫し、紆余曲折があったものの昭和12年に第1回極東ユダヤ人大会が開かれるに至った。その際「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と祝辞をのべたハルピン特務機関長こそ樋口少将なのである。日独防共協定を締結した同盟国に対する激しい非難にユダヤ人達は喝采し、中には泣きだす人もいたという。
 その後もドイツからのユダヤ難民が満州を経由して米国上海租界に亡命する入国・移動の手配に尽力し、数百人のユダヤ人が難を逃れた。ユダヤ・ネットワークでは「ヒグチ・ルート」と呼ばれたらしい。
 この件はドイツのリッベントロップ外相から抗議文書が届くなど外交問題となったが、かの東条英機が理解を示し「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と問題にならなかった。
 尚、樋口少将がハルピン特務機関への移動となった直接の原因は、ロシア語に堪能だったこともさることながら歩兵第41連隊長時代の部下だった相沢中佐が軍務局長永田鉄山少将を惨殺した相沢事件を起こしたため進退伺いを出したからと言われている。

 ユダヤは記憶する。あの旧約聖書を今に伝え信仰を絶やさない民である。
 1970年頃、異端の人智学者である高橋巌はスイスでヘブライ大學名誉教授のゲルショム・ショーレルから「樋口季一郎という人がいることで日本人を尊敬している」と言われた。
 2018年時点でも、樋口の孫である隆一氏がイスラエルを初訪問した際に「ヒグチ・ルート」で難を逃れたカール・フリードマン氏の息子さんから謝意を受けてもいる。 
 翻って日本人はユダヤ人を差別する感覚を持っていない。単に実利的な意味でなく、イスラエル・ユダヤとの関係を構築できれば世界史的な、安倍総理の言う地球儀を俯瞰した外交が展開できるのではないだろうか。

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少年に読ませたくない本

2020 MAR 14 10:10:27 am by 西牟呂 憲

 別に子供に見せたくないアダルト本の話ではない。
 僕は死んだ母親の影響が大きかったのか、読書に関しては早熟だった(他の事はいつまでもガキだった)。
 その中で実に後味の悪かったという意味で忘れられない作品がある。胸糞悪い思い出をこのまま墓場までもっていくのも癪に障るので、敢てブログに書き付けて憂さを晴らしておきたい。

1.『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ
 何でこんな本がウチにあったのか。何かの推薦図書だったのではなかろうか、読書感想文を書いた覚えがある。6年生だった。
 真面目な秀才がプレッシャーに負けて落ちこぼれる話なのだが、何でこんなモンが推薦されたのか。おそらく『こうなってはいけない』と言う意味なのだろうが、全く面白くなかった。
 主人公ハンスのイジイジした性格より彼を堕落させるヘルマンに感情移入した。今から考えるとこれがきっかけになって僕の精神放浪が始まったと考えるべきかもしれない。
 絶対に子供には読ませたくない一冊だ。
 どうもヘッセの体験が下敷きになっているようで、精神的にもかなりアブない人らしい。
 ノーベル文学賞を取ったドイツの代表的作家だから、僕の浅読みでは読み込めない深い世界が内臓されているかもしれないが、なぜドイツ人はこんな作品を好んで読むのか不明。

2.『赤と黒』スタンダール
 母親が持っていたナントカ全集から読んだ。中学に入った頃だったと思う。
 恋愛感情の筆致は興味深かったが、ジュリアン・ソレルという野心丸出しの主人公は何たる田舎モンか、とあきれた。
 別に地方出身者を貶めているのではない。上記『車輪の下』で既に不貞腐れたガキになってしまっていたので、ジュリアンの根性が実に醜く感じられた。
 不思議なことにジュリアンよりも、マチルドの取り巻きである堕落した貴族のドラ息子達の方に魅力を感じたのは僕自身の生来の怠け気質が表れたのではないか。

3.『ジョセフ・フーシェ』ツヴァイク
 ツヴァイクの作品では徹底的にいやな奴に描かれてしまい、読後感も悪い。これは図書館で読んだから、少なくとも15才以前の中学生だった。
 しかしフーシェその人は実は大変魅力的な人物で、一種のピカレスク・ロマンの味がある。ツヴァイクは余程フランスが嫌いだったのだろうか。筆致に悪意さえ感じられる。
 これを読んだ為にフーシェについての偏見に取り付かれ、ついでにフランス革命も胡散臭いものと刷り込まれて、科目としての世界史を全く勉強しなくなった。せめて高校卒業後に読めば良かった。

4.『友情』武者小路実篤
 これは喜寿庵の本棚にあった。小学六年ではなかったか。
 第八高等学校在学中に結核で死んだ大叔父が白樺派が好きだったそうで本棚にしこたまあった内の一冊だった。旧仮名遣いだったが総ルビがふってあって、不思議なことに読めた。
 だが読みにくかったことは確かで、思えば不幸な出会いと言えよう。
 主人公の野島の恋心がうっとうしい。長い独白も現実離れしており、いっぺんにこんなにしゃべる人間なんかいない、と思ったものだ。
 おまけに終わり方も爽快感に欠けること著しく何が面白いのか・・・。

 こういった作品にうんざりした私は高校時代は殆んど読書をしなくなる。例外は三島由紀夫の文庫本くらいだが、今から考えると失敗作も多い。その後庄司薫や柴田翔に出会うのだがこれも直ぐに飽きて、その後は小説には見向きもしなくなった。村上春樹もダメだった(オッサンになって読んだ)。
 その代わり名作の一部だけを口ずさみ、全部読んだふりをすることに熱中した(なんとバカだったのだろう)。
「神がいなければ、全てが許される」
「人間にたいする運命の攻撃によって支配されている世界のなかで、価値ある登場人物といえば、それに抵抗する人々のみだ」
「きょう、ママンが死んだ」
 全部分かる人は相当な読書人でしょう。
『僕はチボー家で言えばジャックなんだ』
 これはオリジナルの呟きだ。

 今頃になってブログを書いてみて、いかに小説の素養がないか良く分かったが今からではもう遅い。やはり小中学生にはあんまり名作は読ませない方がいい、せめて高校進学後、できれば旧制高校生の年齢にすべきだ。できあがったのがこんな有様と考えれば自明だろう。

漫画ばかり読んでいた

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