Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

ビブラフォンの誘惑

2022 SEP 4 8:08:22 am by 西 牟呂雄

 まずはこれ、一部のファンに熱狂的に支持されている演奏をお聞きください。

 ジャズ・ビブラフォンの第一人者、大井貴司の迫力ある『ルパン三世のテーマ』です。
 僕は30年近く前に、この人の演奏にシビレまくり、主に六本木の某所で行われていたライヴに良く通っていて大の仲良しだった。
 オリジナルのアルバムを何枚か出していて、好きな曲に勝手に英語の詩を付けていやがられたりした。そうそう、山中湖のジャズ・フェスティバルに一緒に行って喜寿庵でドンチャン騒ぎをしたこともあったなぁ。
 切れ味のいいアドリブと強烈なリズム。スタンダードを演奏しても独自の解釈を加えるセンス。そしてジャズ屋らしい実にバランスを欠いたキャラ。全てが魅力的だった。
 その後すっかりご無沙汰だったのだが、偶然ライブを見つけて聞きに行って来た。

大井さんと僕

 
 さすがに最初に声をかけた時はギョッとした表情になり「チョット待って、嘘だろー!」と驚きの声を上げた。お互い昔の悪夢が頭を過り、30年間の来し方を話したりした。
 そして、当時良く組んでいたパーカッショニストの消息に話題が至った。かの人は数年前に亡くなったのだが、脳梗塞だったとか事故だったとか噂が流れていたのだ。聞いてみると『やっぱクスリじゃないの』といういかにもな返事にあきれ返った。

 メンバーは他にピアノ・ウッドベース・ドラムで、その演奏は素晴らしかった。みんな上手いが、僕は特にベースの指さばきに感心した。いい音だし、ソロの時のやり過ぎ感が最高。
 お弟子さんが参加しての、動画に載せた『ルパン三世のテーマ』のダブル・ビブラフォンには息を呑む迫力だった。大井さんのプレイもキレッキレでした。

 ところで、このライブ。実は毎月第三金曜日にやってます。お客さんはツウばかりなので落ち着くし楽しいステージです。来月はオリジナルをやってくれ、とお願いしたので皆さんもどうぞ。
 立ち見が出るときもあるので、予約した方が無難です。何か食べてから行くのがいいでしょう。
 西荻北口からすぐの『ココパーム』
   ↓  ↓  ↓  ↓
https://www.livecocopalm.net/

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

私家版 同級生交換

2022 JUL 8 0:00:24 am by 西 牟呂雄

 先に席に案内されたのでビールを頼み待っていると奴は現れた。予想に反してスーツ姿だった。
『やあやあ、久しぶり。忙しそうだな』
 昔ながらの笑顔を振りまいた。
 久しぶりと言っても2年ぶりくらいだから、お互いそう変りようもない。
『直近の仕事、相変わらずの充実ぶりに恐れ入ったぜ』
 この男、妙に鋭い表現で評論をするところがあるので、たまに会っては私の事業の感想を聞くことにしている。大半がどうでもいい感想なのだが、100回に1回くらい、目から鱗のことを口走る。
『あんまり面白いのでつい感心しちまったがよ。どうも先祖返りしたみたいでオレなんか懐かしいけど一般の顧客からはネタ枯れに見られるかもしれんな』
 これが聞きたかった。確かに苦し紛れのテーマかも知れない、成程。
 この男、奇想天外なことを言うかと思うと変にイジケテ見せたりして、ちょっと話しただけでは頭がいいのかバカなのかよくわからない、異形のサラリーマンである。
 こういう奴の人生は破滅するだろうと見ていたら、大学卒業後に猫を被ってカタギの就職をしたのでビックリした。ちなみにまだデキアガッてないが酒乱でもある。
『お前時々自分がマトモだと勘違いするけど、人から見りゃ十分偏屈で頑固なんだから普通にやってるつもりの仕事が個性を際立たせるんだからな。奇をてらう必要なんかない』
 こいつにだけは言われたくもないが、こいつが言うからそうかもしれないと思わせる、という複雑なプリズムである。
 そういうこいつは、就職先の評価は別にしても、やりたいように自由気儘な人生を重ねているが、本人に言わせると『若い時分から苦労を積み上げた血と汗と涙の人生を送った』ことになるらしい。バカバカしいのでその話が始まるとみんな無視している。
『これはこれはお待たせ』
 次の男が来た。抜群の秀才で人格高尚の教授である。酒を飲んでもそんなに崩れないし人望も厚い。研究に没頭しているかと思うと、事務処理能力も高く、人からは何と順調な人生を送っているのだろうと思われるに違いない。
 ところがこの男は病んでいるのだ。挫折をしないが故に心を病むという、これまた奇怪な人格を隠して生きている。それには本人も多少の自覚があるらしく、それだけでも最初の男よりはマシだ。
 更にこいつの美徳は働き者であることだ。といってもあくまで比較の問題なのだが毎日出勤しているのは仲間内ではこいつだけ。そしてなぜ未だに働くのかという問いに対し『性格がいいからだ』と平然と答える余裕さえ見せた。
『どうもどうも、みんな元気そうじゃん』
 三人目が登場した。こいつは単純に不可解である。いつ聞いても『今は基本的にプーだよ』と言って、確かに正業にはついていそうもない。若い頃に確か広告代理店の下請けのような会社を経営していたが、その後行方知れずになっていて、巷では本当にヤクザにでもなったのじゃないかと噂された。
 本人の言葉によると、上海で雑誌を作ったり和食屋を手伝ったりしたと言うのだが、バブル崩壊の大波を受けて日本から逃げたと睨んでいる。
 こいつの場合、働いていないことが日常で、こいつが忙しくなる時は世情騒然としているので、世の中のバロメーターとしては重宝である。
 でもって、目下のところウクライナの戦争やら物価上昇・円安おまけに選挙と喧しいがどうなのか。
『昨日もヒマなおっさん達と麻雀やって稼ぎ倒したぜ』
 日本は平和ということだな。
『おォ、もう始まってるのか』
 時間ピッタリに真打登場で今日のメンバーが揃った。最後のこいつも一筋縄ではいかない。宇宙人のように頭が良く大変なイケメン、一見性格も穏やかなのでよくモテる。いつも輪の真ん中にいて、オレ達のやるようなバカ騒ぎにはあまり加わらない。
 ところが内側に高温のダークサイドを秘めていて、チョッカイを出したマヌケは大やけどを負ってしまう。
 そして時々黙って狂う。あまりに女を寄せ付けないので一時ホモだと噂されていたが、それもない。
 プッツンの白眉は、ある中間テストだか期末テストの時に全科目で白紙答案を出すという暴挙である。僕にしろ最初の男や三番目の奴(要は一番マトモな2番目を除いて)は勝手に設問と関係ない内容を回答したりして遊んでいたが、さすがに全科目白紙には腰が抜けた。このことは職員室で大問題になったらしいが、教師の方もはれ物に触るのがいやだったようで、そのまま進級させてしまった。
 そう、そろそろ白状するとこの連中とはさる学校の同級生である。
 日経新聞の交遊抄や文芸春秋の同級生交換には、それなりの功成り名遂げた方々が『会えば途端に昔に帰り』などと麗しい青春譚が記されているが、我々はそうはいかない。あんな時代には二度と戻りたくはない。     
 表では大っぴらにサボり倒し、雀荘に入り浸ってははしゃぎまわっていたが、暗い焦りと将来の展望の無さに荒み切っており、そしてそれを周りに気取られないように繕うことに精いっぱいだった。何かに打ちこむわけでもなくヒマを持て余し、それぞれが発狂寸前だったが、そのカオスを互いに嘗め合うことなど決してしなかった。
 或いは共通の目的でも共有していたならば、それはスポーツでも芸術でも学業でもいいが、切磋琢磨してライバル関係となり得たかもしれないが、目指すモノ(それがあったとしたら、だが)が違い過ぎてありえない。むしろ、コイツみたいにだけはなりたくないとさえ思った、とでも言う方が実態に近いだろう。
 その後、何度かヘマをして今日に至っている。嘘ではない。具体的に言えば、酒・バクチ・女・自滅に絞られる事実があった。あの頃はそうでもしなけりゃいられず、止める訳にはいかなかったのだ。
 そして前期高齢者ともなれば、互いに何かの悪事を共有しているような秘密結社化した集まりになってしまい、無論他の連中はそれぞれ別のグループとも関わっているものの、この結社には誰も入れなくなった。
 この共有しているモヤモヤ感を、果たして友情と呼べるのだろうか。
 僕は秘かに自問した。これよりひどい集まりはあるだろうか、と。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

スキー競技の張家口

2022 FEB 12 8:08:27 am by 西 牟呂雄

 現在オリンピックのスキー競技が行われている所は北京の北180km、万里の長城の要害である大境門の外側に位置している張家口である。この地で平和の祭典が執り行われることに筆者は特別の感慨がある。
 昭和20年8月15日。日本が無条件降伏をした時点で、かの地は内モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)であり帝国陸軍駐蒙軍(関東軍ではない)が駐屯していた。民間日本人4万人もいた。
 千島列島の占守島と同じく、降伏を無視したソ連軍の侵攻はここでも起こった。この地を守っていた根本博中将は「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と果敢に突撃を命令、ソ連軍の猛攻を跳ね返した。更には八路軍のゲリラ攻撃(彼らは山中ゲリラ・街中テロしかやらない)をしのぎつつ、4万人の民間人とともに長城を越え脱出・帰国したのである。民俗学者の梅棹忠雄や版画家の池田満寿夫はこの一行の中にいて生還できた。根本の決断は北海道をソ連から守った第五方面軍司令官、樋口中将に被る。

ヒグチのリスト


 尚、駐蒙軍は国民党軍とは戦闘しておらず、根本は帝国陸軍にあってはいわゆる支那屋の中国通で、国民党軍の傅作義とも交流があったためスムースに引き揚げられたものと思われる。
 その縁なのか根本は戦後奇怪な行動に出る。蔣介石が日本軍の引き揚げに協力的だったことを徳と考え、大陸の足場を失いアメリカからも疎まれ孤立無援だった国民党を支援しようと台湾に密航する。
 この時無一文に近かったため、明石元長の援助を受けるが、この明石は台湾総督を務めた明石元二郎(日露戦争の時に後方攪乱工作をした情報将校明石大佐)の息子、かつ現上皇陛下のよき相談相手でもある明石元紹の父である。
 当初は拘束されるが、身元が明らかになり「顧問閣下」として遇された。そして人民解放軍との決戦となった金門島の戦いを指揮してこれを撃退する。今日の台湾の地位を保全したことになる。根元の行動は日台両国ともに長く極秘とされ2000年代まで表には出ていなかった。尚、日本人義勇軍と言われた富田少将の白団(パイダン)とは関わっていない。
 検索していたらもう一つ面白いエピソードがあった。中佐時代の陸軍省新聞班長だった時、かの2・26事件に遭遇している。根本は統制派として決起将校からは狙われており、決起部隊の一部は、当日未明から根本の陸軍省出勤時に襲撃する計画だった。が、二日酔いで寝過ごして助かったらしい。そして「兵に告ぐ、勅命が発せられたのである」で始まる戒厳司令部発表を、拡声器を使ってガンガン流し部隊の動揺を誘っている。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

令和四年 滋養神社のお告げ

2022 JAN 1 0:00:12 am by 西 牟呂雄

北京オリンピック失敗
 東京が何とかなったので大丈夫だろうとやった北京の冬季オリンピックは散々な結果になる。
 五輪外交は日本ですら閣僚を送らず、元首級の開幕参加はプーチン大統領のみ。他のヨーロッパの国々も及び腰となって習主席も仏頂面を隠し切れなかった。
 それどころか隠しに隠してきた新型コロナの新たな株が爆発的に広がってしまい、北京は戒厳令が敷かれる。もちろん無観客。アメリカ選手が感染したためバレたのだが、新株はサブミクロン株と名付けられた。
 実はオリンピック中に地方で盛んに自爆テロがあった模様だがバックレ通した。
 日本選手はスケートもスキーも大活躍して史上最多のメダル・ラッシュだったのだが。

日本が新型コロナ撲滅宣言
 年明け、日本のベンチャー企業が開発したコロナ・ワクチン並びに飲み薬が発表された。例によって厚生労働省は認可に手間取るが、その間に東南アジアの国々が効果に注目し発注しだした。
 効き目はテキメンで、アッという間にコロナ禍が収まっていくのを見て慌てた政府も急遽認可し、日本からコロナが無くなってしまう。
 噂によると山中教授が口走った「日本人の持つファクターX」が元だったようで特許は申請されねい。そしてその薬を飲んだ患者は回復するとまるで日本人のような気質になり、帰化希望者が殺到する。
 ちなみに反日国家は意地でも服用しないためコロナは収束しない。

韓国ウルトラ反日政権誕生
 どっちが勝とうがどうせやることは同じ。国内政治の安定のためにハンニチ・ハンニチ。
 岸田内閣はやや甘めではあるが、後ろから安倍元総理が睨みを効かせてガン無視を続けざるを得ない。日韓関係は政治的には限りなく『断交』に近くなる。
 すると一部の韓国政治家がスリ寄って来て林外務大臣を篭絡し、あまっちょろい発言が出てくる。
 そこに強烈なストップをかけたのが高市政調会長で、徴用工問題では猛烈な圧力をかける。

小池都知事辞任
 体調がどうなるのか回復を祈りますものの、あのーいつまでやるんですか。
 親分のぬらりひょん、こと二階が凋落したのでもはや自民党とのパイプは無し。足元の都議会与党も無免許事故を起こした件でアウト。
 そもそも、豊洲の移転もコロナの対応も目に見えた成果は見当たらない。できもしないロックダウンを口走ったり『東京アラート』とか『ウィズ・コロナ』と横文字を唱えてスベっただけ。
 破れかぶれになった知事は参議院全国区に立候補しようと画策するが、誰にも相手にされなくてもはやこれまで。辞任の理由は健康問題と言うが誰も信じない。
「わたしはコロナのジャンヌダルクでした」
 などと発言して顰蹙を買う。

参議院選挙
 自民党が勝つ。更に大阪で維新が勝利。
 すると後述の憲法議論の擦り合わせで公明が脱落して与党編成が微妙になる。
 変なスキャンダルがなければ、自民・維新・国民民主の連立が現実味を帯びてくる。
 立憲民主は共産党の抱きつきから逃れられないまま沈む。
 れいわ・N国・社民は議席を取れない。

金委員長健康悪化
 痩せてスリムになったせいで、影武者説が信憑性を増す。めったに公式の場に出なくなる。代わってキム・ヨジョン氏が前面に出だす。
 不思議なことに中朝関係も冷ややかなものになってくる。
 すると韓国を飛び越して日本に国交回復をエサにしきりにシグナルを発する。林外務大臣は危うく乗りかけるが、再び高市政調会長が立ちふさがり、拉致問題が大きく取り上げられる。
 どうやら金委員長は重体だという情報が流れ始める。

バイデン大統領暗殺未遂
 トランプ支持派の勢いは増すばかり。例のプラウド・ボーイズがあちこちで暴れてアメリカの分断は一層進む。
 その最中に中間選挙の遊説に向かったバイデン大統領が狙撃された。てっきりトランプ派の仕業かとFBIは色めき立った。幸い銃弾は逸れて大統領は無事だったが、その際の腰の抜けぶりに支持率は下がる。
 不思議なことに犯人が捕まらない。トランプ派説、イスラム過激派説、いずれも推測の域を超えないうちに頭のおかしな単独犯が逮捕される。オズワルドの再来か。
 同時にトランプ氏の人気が再び盛り上がって手が付けられなくなる。

憲法改正論議深まる
 上記参議院選挙の勝利で、岸田総理も腹を据えて改憲に取り組む。
 すると婦人部の突き上げを喰らった公明党が腰砕けになり、連立から離脱する流れになる。
 スキを突いて維新との連立を模索する。ウラで動いたのは菅前総理であり、さらにそれを操ったのは安倍元総理という噂。
 その流れで安倍再再登板の可能性が高まる。
 どうやら上記トランプ前大統領の復権とつながっているらしい。

ウクライナの緊張が高まる
 力の信奉者であるプーチン大統領は一歩も引かない。NATOと国境を接するのが我慢できないのだ。東ヨーロッパをジワジワ組み込むのを黙ってみている訳にはいかない。
 一方、ウクライナはキエフ中枢の反ロシア勢力がやる気満々。歴史的にはナチにさえ協力した反ロシアの伝統を持つ国なのだ。クリミアはいいとして今更ロシアの風下に立てるものかと猛反発。
 ところがEUは動かない.業を煮やしたバイデン大統領が電話会談をするが埒が開かない。
 突然国籍不明の部隊が、黒海からクリミアに上陸して戦闘が始まる。

オバサンのアイドル・グループ結成
 SMAP・嵐・TOKYOとアイドルグループが次々と解散、活動停止となって集客力が落ちたジャニーズ事務所が起死回生の手を打つ。
 キムタクと中居(SMAP),相葉・松潤・二宮(嵐)、国分(TOKIO)の5人で結成されたユニットで、名前は公募によりスーパー・ジャーニーとされた。
 幅広いオバサンに支持されるはずだったが、出だしは完全にスベッた。武道館ライブはガラガラでCDも売れない。オバサンのアイドルというコンセプトが成り立たなかったのだ。
 そこで曲想を演歌路線に変え踊りを止めたところ、年後半からジワジワ人気が出てきて紅白歌合戦に出場が決まる。曲名は『別れの常夜灯』とか。
 尚、声がかからなかった櫻井翔は小池百合子の後釜か参議院選挙のどちらかを狙う。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 
 

来年への積み残し

2021 DEC 26 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 アメリカの核は日本を守るか
 古くから言われてきた問題である。もちろん守るだろう、としか言えない。
 だがしかし、近未来はどうか.実際に核を発射される恐ろしい事態になれば数発喰らっただけで日本は滅びる。その前に抑止できるのか、と言えばアメリカ本土に届く核を保有している国に対してのみ抑止するのであって、例えば長距離弾道ミサイルに核を搭載できない国が日本に対して発射した場合は通常兵器の報復にとどまるのではないか。その制裁の間に日本は人も住めない荒野に成り果て消滅する。グアムのアンダーセン空軍基地に配備されていたB52戦略爆撃機の編隊は、すでに去年本土中西部のノース・ダコタに撤収している。
 ところで、人も住めなくなった荒廃した土地を領土に編入したところで攻撃した国に何のメリットがあるのか。例えば日本の技術・人材・風物・文化といったものを資源と考えれば全てが灰になってしまっては税金を取ることもできまい。しかしそこで、だから核攻撃はない⇒核の傘は必要ない、と短絡されては困るのだ。相手がある話なのが外交である。
 唯一の効果的解決策ではないかと思われるのは『アメリカの核を借りる』という奇策である。小型核搭載の自衛隊潜水艦を日本近海で運用し、米軍が核を管理するということはできないものか。まっ無理かな。 

 MMTの神話は本当か
 モダン・マニー・セオリー。名前からして怪しげであるが、この20年ほどの日本にはありがたい理論であり、事実破綻にもインフレにもならない。即ち、自国通貨立ての国債をいくらでも発行し中央銀行が一方的に買い上げてしまえば経済は安定しているというオハナシ。
 確かに2013年から続いている緩和政策をいくら進めてもインフレにも破綻にもならない。
 先般、某事務次官が一般月刊誌に財政規律が失われる旨を発表し、タイタニックに例えて見せた。だが一般会計のみの論考はチト掘り下げる必用があるだろう。むしろあれは内に向けて書かれたフシがある。財務省は予算を切るのと税金を取る所だから(金融庁を分離したため)朝から晩まであんな話をしている。そして多少の異を唱えた途端に出世に響く。確信していようがいまいが現役の時はそう言わざるを得ないのだ。退官して野党から立候補しているOBの某は先日の選挙公約に消費税の5%への引き下げを訴えた。現役の頃に叩き込まれたことを信じていなかった証左である。
 さて、そのMMTであるが、これをモデル化した式を立てられた人は一体いるのだろうか。筆者は寡聞にして知らない。いくら赤字国債を出してもいいということは均衡点はどこでもよくなってしまい、オール等号の数式などモデル化できないではないか。いわゆるリフレ派といえどもそれでは理論的に証明できない。誰か教えてくれないでしょうか。目下の不気味な円安傾向が警鐘に聞こえてならない。アメリカはインフレ傾向が顕著になっている。
 次官論文を乗せた月刊誌は、今月には元経済官僚(MMT推進派。以下M)と慶應の教授(財政規律派。以下K)が論争している。
K「デフレ下で日銀が国債を買い支えている。将来も買い支えられないことは絶対にないとは言えない」
M「自国の通貨建ての債務で、なおかつ変動相場制の元であれば、中央銀行は金利を決められるのだから制御できないインフレは起きない」
K「自国通貨の債務がGDP比で何%を超えると国家が破綻する、という理論値は分かっていない。いくらでも、とはならないだろう」
M「それはそんな限界がないからだ」
K「一方で財政出動によって民間が持続的に成長するという理論的根拠もない」
M「成長による分配により消費が増える。困窮者ほど消費性向が高いから効果は大きい」
K「それならば借金でなくて累進的な増税でも可能である」
 ざっとダイジェストしましたが嚙み合っていない。

 移民は本当に必要か
 このところの『失われた20年』の遠因として労働人口の減少が上げられている。即ち少子化対策が必要なのだが、若年労働力の確保のために移民政策が手っ取り早いとも言われている。
 一方、滞在外国人との間では今ですら様々な軋轢が伝えられている。生活習慣の違い、一部犯罪の誘発、発生する差別リスク、挙句の果てに宗教対立まで起こりかねない。移民と称して押し寄せられて、こんなはずじゃなかったと徒党を組まれてはたまらない。あるいはどこかの工作員が入るかもしれない。それでなくとも何世代に渡っても帰化せずに反日気質を継承されるのは困りもの。民族の誇りはそのまま維持していて結構だが、もはや日本で生活基盤を作り上げ日本語で不自由なく生活している人は多少の愛国心のカケラくらいを備えてはいかがか。
 例えば日曜日の朝『喝!』をやっている張本氏は帰化していない韓国籍だが、広島の被爆者である。その流れのインタヴューで広島での慰霊祭の際、黙祷時にシュプレヒコールをする団体にこう言っている。
『今日の私達はあの尊い犠牲者のおかげで暮らしていられるということでしょう。それが何ですか。なぜ日本人として黙祷ぐらいできないんですか』
 自身様々な差別と闘ってきてこの言葉。こうなれば別に国籍がどうこうという話は別として立派な愛国者だろう。
 新しいタイプの日本人なら歓迎する。移民の際にAIでも使って、日本の文化を尊重し日本人になりたい、皇室を敬います、といった判断は可能になるか・・・。そしてそんなことをするぐらいなら少子化をもっと掘り下げ、成長なんかしなくてもいい、とさえ筆者は思っている。ドラゴンもマフィアもいらない。

 中国の覇権は成立するか
 よその国の庭先で何やら騒動を起こしイチャモンを付けるヤクザまがいの行為を、古くはウィグル自治区・チベットで盛んに仕掛け、香港を潰し南シナ海に進出。仕上げは台湾と尖閣だと称している。言ってみれば弱いものいじめのようなことが今日の国際社会で通るとでも言うのか。それがしばしば通るのが問題で、クリミアは瞬く間にロシアになり手も足も出なかった。
 しかしどうであろう。南シナ海で海上基地を建設するのは無論言語道断だが、果たして防衛できるのだろうか。大規模な人民解放軍を展開できない海上で、仮に海からの攻撃を受けた場合に効果的な艦隊運用ができるのかは疑問である。
 更には領土を拡大し過ぎて国境線は史上最長の距離になっており(モンゴル系の元朝は除くとして)、インド・ベトナムとは緊張関係にある。表面上は友好国のロシアでさえ将来どうなるか保証の限りではない。かつては朝貢外交としてほぼ防衛の必要がなかったため、国境の管理コストがGDPに占める割合もまた史上最高だろう。一帯一路で拡大路線を進んでいるうち経済にガタが来ているのは明白である。
 ついでに大規模地上部隊の展開についても、大陸軍が外敵に対峙して勝ったことはあまりない。ベトナム戦争終結後に火事場泥棒的に20万の人民解放軍が侵攻したが、5万程度のベトナム軍に無様に負けている。帝国陸軍は大陸で50回程度の大規模戦闘でほぼ負け無し。八路軍はゲリラ攻撃しかしていない。北洋軍閥は日清戦争で負け。遥か昔には半島を北上した宇喜多秀家率いる日本軍が、明の名将李如松(朝鮮族)の大軍勢と碧蹄館においてガチンコで戦い、たった1日で打ち破っている。当時、双方合わせて4万人の会戦は世界規模で例がない。中国軍は決して強くはないのである。
 その分、謀略・工作・諜報には長けていて、目下の主戦場は台湾と日本だろう。擦り寄ってきたら要注意。アメリカはオリンピック外交をボイコット、岸田総理頼みますよ。コロナのバックレを忘れるな。

 皇統は維持できるか
 これは全く心配ない。何があっても大丈夫である。
 昨今世間を騒がせた内親王様とK室氏の結婚により女性宮家・女系天皇の筋は絶たれた。K室氏はその筋の工作員だったのではないかと睨んでいる。
 皇室、特に天皇陛下たるものは、ワン・ジェネレーションに一度あるかないかの国難にあたり、国民を励まし、慈しみ、包み込むキラー・コンテンツなのだ。敗戦・東日本大震災の際のおふるまいにどれほど国民が救われたことか。それを思えば皇族方のお相手が誰でもいいというわけにはならないのは自明のことだ。某総理はおざなりのお見舞いを罵倒されたではないか。
 『憲法で定められている通り』のご発言には特に引っかかった。まさか憲法違反をしろなどとは言わないが、皇室とはその遥か高みに存在するものだと考える。そうなると皇嗣家のドタバタは国民から見放されて当然であり、悪いことは言わないから(仮に来年試験に通らなくても)そのまま米国に滞在し続けた方が本人たち並びに国民にとってもいい。
 将来は悠仁様と愛子様にかかってくる。筆者が最近強く思うのは、最終兵器である愛子様がお相手に旧皇族の賀陽宮家男子とご縁がかない、次世代の礎となっていただきたいという秘策だ。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

末期の海軍航空隊 神雷部隊・剣(つるぎ)部隊・芙蓉部隊 

2021 NOV 24 0:00:58 am by 西 牟呂雄

「一機2トンもする『桜花』を吊った一式陸攻が敵まで到達できると思うか。援護戦闘機がわれわれを守りきると思うか。そんな糞の役にも立たない自殺行為に多数の部下を道づれにすることなど真っ平だ」
「桜花を投下したら陸攻は速やかに帰り、再び出撃せよ、と言っているが、今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら自分たちだけが帰れると思うか。そんなことは出来ない、桜花投下と同時に自分も目標に体当たりする」
「オレじゃなきゃ務まらないというから仕方なくやってはいる」
 特攻兵器『桜花』は海軍の一式陸攻爆撃機に抱えられて敵機動部隊に接近し発射されるロケット推進機だ。防御不能の秘密兵器として米軍を恐怖に陥れはしたが、クリスチャンの米軍は自殺を忌み嫌ってコード・ネームは「BAKA」とした。
 特攻について、筆者は無論否定する。切なく悲しい歴史として軽々には論じられない。冒頭の言葉も特攻を否定した海軍神雷部隊長、野中五郎少佐のものである。神雷部隊とは桜花攻撃専門に編成された一式陸攻部隊のことである。
 野中少佐は、2・26を主導し首相官邸でピストル自殺した野中四郎大尉の実弟に当たる。兄弟そろってスパルタ教育で有名な府立四中から陸士・海兵に進んだ。兵学校時代は居眠りばかりして成績こそ奮わなかったが、艦上攻撃機搭乗員に配属されてからはメキメキと頭角を現し、終戦直前は上記神雷部隊長となる。独特の感性の持ち主で、部隊を『野中一家』と呼び、司令部には南無妙法蓮華経の大旗と陣太鼓が据え付けられていた。一方で茶の湯を好み、茶道具一式をいつも携行していたそうである。
 常に桜花特攻には反対であったが、やむにやまれず九州沖航空戦で指揮を執って出撃しようとした上官の岡村大佐をさえぎり、3月21日出陣し全滅する。神雷部隊はその後6月まで戦闘を続けるが、戦果は著しく低下した。以下は3月21日の訓示である。
「まっすぐに猛撃を加えよ。空戦になったら遠慮はいらぬ。片端から叩き落せ。戦場は快晴。戦わんかな最後の血の一滴まで、太平洋を血の海たらしめよ」
 常々、 車懸り戦法と称して『敵部隊を見つけたらグルグル回れ。オレが突っ込んだら続け』と言っていたようなので、覚悟の突入だったと思われる。

「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。ただし条件として、命令してきた上級司令部参謀が最初に私と来るというなら343空はやります」
 名機紫電改を集中配備し、かろうじて1945年4月まで迫る来る米艦載機から九州の制空権を確保できていた、『剣部隊』こと343海軍航空隊の飛行長であった志賀義男氏の言葉。剣部隊に特攻要請があった時に発したという。
「指揮官として絶対やっちゃいけない、自分が行かずにお前ら死んでこいというのは命令の域じゃない、行くなら長官や司令が自ら行くべきだ」
 とも常々言っていた。
 志賀氏は海兵62期の『赤鬼』と呼ばれた猛者で、真珠湾攻撃から終戦まで飛び続けた。大戦初めからのパイロットの生存率は2割以下。志賀氏の指揮の元、編隊撃破の戦術で剣部隊を統率。「海軍航空隊にはエース・パイロットは存在しない」とし、良く統率されたチーム・プレイに徹して戦果を挙げた。以前のような、我こそは、といった攻撃がなくなり米軍パイロットも慌てたようだ。また、一時フィリピンで特攻を指揮した者が副指令になった時は、源田司令に働きかけて転出させもした。
 最後まで健闘したものの、稼働が20機ほどに落ちた時点で原爆を2発落され、源田司令が「我が剣部隊も既に組織的な攻撃に対する機能は乏しくなった。もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら、俺が体当たり(特攻)をしてでも阻止してみせる」とまで言ったが、結局特攻はなされなかった。

「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、自ら突入する人がいません。必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、敵の弾幕をどれだけくぐったというのです。失礼ながら私は回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。今の戦局に、あなた方指揮官自らが死を賭しておいでなのか」
「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタのごとく落とされます。2千機の練習機を特攻に駆り出す前に、赤トンボまで出して勝算があるというなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私がゼロ戦一機で全部、撃ち落としてみせます」
 この気迫のこもった言葉は、艦上爆撃機『彗星』に乗り夜間攻撃に徹した芙蓉部隊を率いる美濃部正少佐が、特攻止む無しとする海軍上層部に対して放ったものだ。
 特攻の生みの親、大西瀧治郎中将から特攻を示唆された時も
「特攻以外の方法で長官の意図に副えるならば、その方がすぐれているわけです。私は、それに全力を尽くすべきと思います。だいいち、特攻には指揮官は要りません、私は指揮官として自分の方法を持っています。私の部隊の兵の使い方は長官のご指示を受けません」
 と反論した。ただし、この口論は他の証言者のいない二人きりの際のものとされ、本人の一方的証言ではある。
 美濃部はフィリピンで海軍第一五三航空隊戦闘901飛行隊長として、月光隊による夜間爆撃を考案した。その月光隊にはBー29ハンターとして有名になる遠藤幸男大尉もいた。
 もっとも戦闘901飛行隊は、Bー29の前身B-24爆撃機の夜間迎撃以外、米機動部隊への夜襲は失敗している。
 この信念は、沖縄に上陸された後に本土防衛のため再編された芙蓉部隊による夜間の飛行場爆撃に生かされた。数次にわたり沖縄の米軍基地を叩くことができたのは終いには芙蓉部隊のみになっていた。しかし残念ながら、米軍飛行場は強力な対空砲火により、彗星による三式一番二八号ロケット爆弾による爆撃も高度4千mで接近後緩降下し投弾せざるを得ず、命中率は格段に落ちた。もともと夜間攻撃はその成果の確認ができないことが多く、多少盛られたものだとの指摘はある。
 さしもの美濃部少佐も硫黄島への出撃の際には一度、「空母を見つけたら飛行甲板に滑り込め」「機動部隊を見たらそのままぶち当たれ」と口走り、別れの盃(別盃)を交わしている。最後の本土決戦の作戦でも、自身を先頭にしての特攻作戦を立て、玉音放送後も徹底抗戦を部下に訓示するなど混乱はした。

 筆者は前期高齢者である。この年になっても負け戦のヒステリー状況で冷静でいられたか逡巡することがある。
 無論、特攻を肯定する者ではないのだが、破れかぶれになった挙句に相手を道連れにしてやる、とならないか、そして(特攻は志願制とはいうものの)オレがやるからお前らも続け、とならないで済むほど胆力を練ってきたか。
 ただ、あくまで反対を貫いた合理的な指揮官(志賀・美濃部少佐のような)により救われた命があったのなら、自分もそういった冷静さを持っていたいとは思う。
 美濃部少佐は戦後航空自衛隊で空将になり、平成の航空幕僚長を務めた。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

我が友 中村順一君との約束

2021 NOV 13 19:19:49 pm by 西 牟呂雄

 早いもので彼が他界してもう5年が経つ。
 先日、故人の親しかった者4人でご家族を囲んだ。既に思い出・エピソードの類は語りつくしているのだが、生前に約束していたこと等が話題に登り、未達の事案については忸怩たるものがあった。
 彼と僕は子供の頃から右っぱねしていたのだが、微妙なところでズレがあった。
 ロシア人と仕事をしていた時に、彼らの領土問題に対する認識の無さに呆れたことがあった。無論仕事上の付き合いなので、露骨に返せと言ったわけではない。係争していると表現したのだが、相手はこう言った。
『そんな小さな島で揉めることはない。この辺り(ウラル地方)に役に立たない土地がいくらでもあるんだからお前が買えばいいじゃないか』
 この話を披露した際、彼は烈火のごとくまくし立てた。
「それをヘラヘラ聞いていただけか。だからお前はダメなんだ。そういう時は南樺太も返せとなぜ言わん」
 それもどうかと思う主張だった。
 その後話の流れで、仮に領土問題がある程度の妥協が成立したとして、国防の任に当たるため住民票を移そうぜということになった。その際、択捉島と尖閣列島のどっちがいいかでジャンケンまでした。どちらも暖かそうな尖閣を望んだからだ。バカバカしいことに真剣になって3回戦をやって彼が尖閣になったのだが、その直後に石原都知事が買い上げると言い出してスッタモンダが始まり国有地となった。『国有地なら住民票を移せるだろ。ジャンケンまでやったんだから早くしろ』と迫るとツベコベ理屈を並べ立てた挙句『インフラを整備するのに5千万はかかる。お前がそれを負担するなら移す。その点、択捉なら今でも人が住んでいるんだからお前こそ自慢のヨットで上陸して見せろ』とか言い出してウヤムヤにされた。

 実は彼とは還暦になった時にある約束をした。それは〇〇才になったらお互いに仕事をしないで旅に明け暮れたり酒を飲んだりして遊ぼうという計画だった。彼はその年齢になる前に逝ってしまい、取り残された僕はズルズルとテキトーに稼ぎ日々を過ごしている。
 因みにアグリ・デヴューしてから数年になるが、このコロナ禍にセッセと畑で作業する姿を見たら何と言っただろう。しかも最も収穫が上がるのは彼が生前大嫌いだったピーマンなのだ。自分はアグリに興味はないくせにあれこれイチャモンを言って我がグリーン・ハート・ピーマンをけなしたに違いない。
 席上、記憶から抜け落ちかけていたことも思い出として蘇った。彼の妹さんがアメリカ人のペン・フレンドができた、と喜んでいたのを二人で寄ってたかった『ブスに決まってる』『おそらく友達もいないような暗い子だろう』などと苛めて遊んだら妹さんが泣き出してしまったこと。スキーに行って僕が頭から突っ込んで顔中血まみれになった時の彼の仰天した表情が面白かったこと。みんなでモノポリーに興じていて二人とも破産しそうになり、条約を結んで(条約文書まで作った)共同戦線を張り何とか復活したものの、最後はいつ裏切るか疑心暗鬼になり結局どっちが卑怯な手を繰り出すか知恵を絞ったこと(これは最後に僕たち以外が全員破産してしまい引き分けにした)。どうでもいい話ばかりだ。

 もう五年も経ち、ひとりでは約束は果たせないなとこうしてブログを書いている。
 今年はお前が子供のころから好きだった阪急のオリックスが四半世紀ぶりにリーグ優勝したんだそ。我が東映フライヤーズはファイターズになって5位だった。

    ー合掌ー

わが友 中村順一君の命日

我が友 中村順一君との会話

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

2021 SEP 20 10:10:16 am by 西 牟呂雄

 このゴロのよい軽快な響きは前から知っていたが、庶民のざれ歌と思っていた。ところがれっきとした高僧の作だと最近知って無知を恥じた。狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、いずれもその人物の号、後小松天皇の落胤と伝わる一休宗純、一休さんのものだ。斜に構え、世の中をしゃれのめす姿勢があってワサビが効いている。
 ところが大変な秀才で、以下の少年時代の漢詩を読んで三嘆した。

 秋荒長信美人吟  秋荒(しゅうこう)の長信(ちょうしん) 美人吟ず       
 経路無媒上苑陰  経路 媒無くして上苑陰たり    
 栄辱悲歓目前事  栄辱(えいじょく) 悲歓 目前の事 
 君恩浅処草方深  君恩 浅き処 草 方(まさに)深し
  
 これ、漢の王将君を題材にした13才で吟じた七言絶句だが、韻の踏み方など13才とは思えない。そしで古典を自在に読みこなしていたことにも舌を巻く。
 どうやら母親が南朝方(一説によると楠木正成の孫)だったため足利義満・義持の時代では親王にはなれずに6才から安国寺で育ったという。次は15の年の七言絶句。

 吟行客袖幾詩情  吟行の客袖(かくしゅう) 幾ばくの詩情
 開落百花天地清  百花 開落(かいらく)して天地清し
 枕上春風寝耶寤  枕上の春風 寝いたるか 寤めたるか 
 一場春夢不分明  一場の春夢 分明(ぶんめい)ならず 

 うーん、唸らせる。早熟の鮮やかな切れ味を感じる。『寤(さめる)』という漢字はこの詩を読むまで知らなかった。
 二十歳を過ぎた頃。師匠の死にあたり石山観音に籠ってみるが、悟りを得られずに川に身を投げようとする。早熟型にありがちな死への衝動だろう。
 22才頃、ある公案(仏僧からの問)にこう答えた。
「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
 煩悩から悟りへのプロセスを何気なく答えて、お見事の一言に尽きる。これによって一休さんになった。
 そして30才になる前に大徳寺での修行中、夜中にカラスの声を聴いて悟ったとか。このあたりからおかしくなる。そもそも夜にカラスが鳴くか?まあいいや、

54才だったとか

 イカレポンチな恰好をしたり奇怪な言動で世間をおちょくり出した。
 この絵で傍らにあるのは朱鞘の大太刀だが中身は木刀だったとか。
 本願寺中興の人である蓮如上人とは親しかったようで、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をする。あるいは正月、竹にドクロを括りつけて「ご用心、ご用心」と練り歩いたり、やりたい放題。頭蓋骨なんてどこから調達してきたのか。
 一応、大徳寺や京田辺で荒れ果てた妙勝寺の再興をするといった仕事はしている。おそらく当時の人達は皇胤であることを知っていて、好きにさせていたのだろう。
 時代もよかったはずだ。ちょっと前だったら後醍醐天皇とバサラの化け物達がウジャウジャと戦乱に明け暮れて、都もしばしば戦乱に巻き込まれていた。坊主稼業で奇行を繰り返すことなど不可能だ。義満時代に世の中が少し安定してきたので大目に見られたのだろう。但し、晩年には応仁の乱が起きて、足利幕府も相次ぐ内紛により安定しなくなるが。
 飲酒・肉食・女犯と何でもござれで遊びまくった後、80才近くなって森侍者(しんじしゃ)という正体不明の盲目の旅芸人を愛人にしている。
 いずれにせよ、時の帝とも庶民とも親しく付き合い愛されたため、江戸時代に『一休頓智話』が創られた(内容はほとんど創作にせよ)。

 その後も日本史では平和が続くとコノテのイカレポンチがしばしば現れる。激しい混乱の時代がある程度安定してくる・有産階級が十分に形成される、するとかつての上流からスネたりヒネたりした者が、歌舞音曲・詩文などの才をもって社会を笑いのめしたり驚かせたり。
 お江戸の傾奇者とか明治の旧幕臣などにその痕跡が感じられるが、戦後はどうか。
 かなり飛躍するかもしれないが、安藤組の安藤昇とか加納貢と言った愚連隊にその系譜を感じたりもする。
 フーテンや全学連の闘士とかのその後はどうか。。
 しかし圧倒的な才能とイカレ趣味で言えば三島由紀夫だろう、最期が最期だけに。
 翻って令和の今日ではどうか。数多いたIT長者やホリエモンにもっとやって欲しかったが、欲が深すぎて別の方に行ってしまった。
 落合陽一あたりが弾けてくれないかな。
 僕がやると、どうもねぇ。一休語録をパロってはみたが。

『冥土への 旅の足しにと野良仕事 ナスとキュウリに ポテトじゃだめか』
『こりゃ仏 アラー キリスト 八幡に 如来 菩薩 も みなおなじだろ』
『酒に酔い 歌い 笑って 食って 寝て 遊び疲れて 書にも親しむ』
『膵臓炎 高脂血症 大腸癌 もっとキツいは 二日酔い也』

 うーん。まだだな。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 
 
          

忘れ得ぬことども

2021 MAR 16 0:00:52 am by 西 牟呂雄

 大変人気のあるアメリカの作家、スチュアート・ダイベックに翻訳家の柴田元幸がインタヴューしているが、その中でダイベックが『日本の作家で興味のある人はいますか』という問いに対し、迷わず川端と谷崎を上げたので驚いた。曰く『僕が谷崎の英訳をすべて読んでいるのも、一つにはこのエロティシズムというテーマと取り組む、その取り組み方のせいだと思うんだ。彼は間違いなく、何か大事なものを捉えていると思う。多分僕はその点、彼を師と仰いでいるようなところがある気がする』
 明治生まれの日本の作家を師と仰ぐとは恐れ入った.細雪のような繊細というか微妙な色気がアメリカ人にわかるのだろうか。
 谷崎は日本橋蛎殻町の裕福な家に生まれた。ところが小学生の時に家運が傾き、高等小学校に進んで苦学することになり、一中に進学した際には同級生より3才ほど年を食っていた。その後あまりの秀才ぶりに1年から3年に飛び級して、そこでもトップを取った。
 実は谷崎は戦後早い時期に英訳が出されていて、1958年から1964年までノーベル文学賞の候補に上がるほど評価も高かった。1942年生まれのダイベックがマセた少年だったら、むしろ新しい文学として読者となったこともあるだろう。シカゴの下町で少年時代を過ごし、大都市の風をたっぷり浴びている。江戸っ子の谷崎が紡ぎだす文章が(英訳にもよるだろうが)琴線に触れたこともあるのかもしれない。
 谷崎が飛び級してトップを取った頃、常に殿(しんがり)を守って落第におびえていたのがフランス文学の泰斗で小林秀雄の師匠筋にあたる辰野隆(ゆたか)である。その後一高・東大と共に進み生涯交流が続いた。ともすればスキャンダラスに取られ兼ねない谷崎作品の良き理解者であり、また軽妙なエッセイの名手としても知られる。
 二人の交流は洗練されたものだったようで、谷崎は辰野を引き合いに出した文章を残している。辰野が「歯並びは悪いがニキビ並びは見事だ」と毒舌を言った、一高の入試に石鹸の作り方という問題が出たが辰野はうどん粉を固めると回答した、幸田露伴を囲んだ際に酔った露伴先生が色紙を書いてくれたが、頼まれもしない辰野が出しゃばって差配をふるい自分にはどうでもよい色紙を割り当て、欲しかった物は辰野が持って行った、等々。辰野はこれに谷崎の記憶違い(或いは面白くするためにわざと辰野の名前を出した)であるといちいち文章で反論している。誠に都会っ子の面目躍如のやり取りである。

 その二人が対談している。喜寿庵の本棚でボロボロに黄ばんだ本を捨てようとしたところ、辰野隆の対談集でタイトルが提題の「忘れえぬことども」に収録されていた。
 戦後2~3年の頃に朝日新聞から出版された本で、当時の週刊朝日の対談を一冊にまとめたらしいが、奥付きもない。一体誰が買ったのだろう。蔵書は爺様が集めたものだがそっちはドイツ語屋だからおよそ守備範囲とは言えない。
 亡母はフランス語に凝り実際に喋れたが、その修練の過程で辰野と面識があったそうだ。それだけではなく同じく仏文の権威である鈴木信太郎の授業も聴講していた。鈴木は辰野と共訳したシラノ・ド・ベルジュラックで名高いが、名調子のところになると互いに「ここは僕の訳だ」と言い合っていたのを聞いている。辰野の随筆に亡母と思しき女学生が出て来る下りがあったのだが出典は忘れてしまった。小生意気な女学生が気の利いたことをいうので「不良少女」とあだ名をつけた、といった内容だと記憶している。「『文芸評論家って人が書いたものにあれこれ言うのが職業ですから寄生虫みたいなものでしょう』と言ったら先生はボソッと『小林(秀雄のこと)に言っておこう』と仰った」と筆者は聞かされたことがある。
 従って母が持っていた本がまぎれこんだものと思われる。

二人の対談のページ

 話がだいぶズレたが、その対談の内容が秀逸だ。といっても固い話は全然出てこない。のっけから猥談スレスレの話になり、同級生の悪口を懐かしがる、細雪のモデルをおちょくる、辰野が酒を飲んで酔っぱらってしまうと谷崎は泊っていけと勧める。しまいには歌舞伎役者の講釈と続く。しかし全く品が落ちないところが両者の教養の高さと江戸っ子の嗜みなのだろう。
 僕はこれを読んで真っ先に今は亡き親友との会話を思い出した。

 ところで他の対談もめっぽう面白い。
 全て引用するのは不可能なので拾ってみると。
里見弴(辰野と1学期だけ小学校で一緒。白樺派の逸話)、野村胡堂(銭形平次の作者だが、東大同期なるも野村が学費滞納で退学する話)、今井登志喜(全編人の悪口。美濃部達吉は褒めている)、荒畑寒村(桂太郎暗殺未遂の秘話)、長谷川如是閑(英語の発音が下手だという雑談)、武林無想庵(パリの話)、大佛次郎(二人で京都を練り歩くだけ)、その他杉村春子、仁科芳雄、サトウ・ハチロー、いずれも殆どの場合辰野は飲んでいて抱腹絶倒の対談である。
 どこかに復刻版があるかもしれないが見たことはない。興味のある方にはお見せすることはできるが、貸すのは憚られる。ボロボロの本は帰ってきたためしがないから。
 本書と同時期に出た「忘れえぬ人々と谷崎潤一郎」は中公文庫で復刻しているが、谷崎に関しては凡そ似たような話が披露されているのでそちらを参照されたい。
 しかしたまにこういう本を見つけるので、あまり一心不乱に断捨離するのもいかがなものか。

 上記谷崎のコメントの中にある幸田露伴を囲んだ座談会での出来事について、その座談会がいかなるものだったか気になっていたが、最近分かった。1935年の経済往来という雑誌の企画で谷崎・辰野・露伴の他には和辻哲郎・末弘巌太郎(民法学者・東大教授)・徳田秋声といった一流所が集まっている。ところが露伴先生は途中から明らかに酔っ払い、文芸談義もあるにはあるがほとんどが釣りだの歌舞伎だのの江戸趣味の話ばかり。偶然手に取った中公文庫『和辻哲郎座談』の中で見つけた。興味のある方はどうぞ。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

半藤一利さん

2021 MAR 1 0:00:51 am by 西 牟呂雄

 僕はこの人の書いたものに先導されて昭和史に凝った。大変に綿密な取材と考証で当時の世相を学んだのである。海軍関係は特に造詣が深く、ご自身も海軍贔屓を公言していた。身内に海軍関係者が多かった身としては耳障りのいい語り口だった。
 向島の生まれで、戦中に長岡に疎開、戦後は銀座に本社のあった文芸春秋社に長く勤める。好きな人物が勝海舟・夏目漱石・山本五十六・司馬遼太郎だろうか。海舟(向島)・五十六(長岡)あたりに地縁を感じて面白い。
 勝海舟という偉人は毀誉褒貶の激しい人で、ゴリゴリの佐幕派からは嫌われることも多く、確かにしゃべりすぎるところが無きにしも非ず。頭も切れて腹も座っているのだが会ってみたとしたら案外鼻持ちならないところがあったような。西郷や龍馬のような田舎者を煙に巻いたと言ったら言い過ぎなんだろうが、いや、偉人ですよ大変な。
 余談であるが、維新後に福沢諭吉が勝海舟を『痩せ我慢の説』で攻撃したせいか、慶應義塾出身者が勝を軽んじる風潮があり、某塾長と半藤氏が大ゲンカしたことがある。
 ついでにあれだけのインテリにして惜しいのは、先の大戦に対する評価。日本の自衛という所には全く光を当ててくれなかった。陸軍悪玉説に傾きすぎて、中国の国内事情の複雑さ(性悪さ)を甘く見ている。まぁ実際に大空襲に会った方なので、筆者の及びもつかない思考遍歴を重ねられてのことであろう。氏の業績を尊敬して止むことはない。
 『歴史探偵忘れ残りの記』を読了した。
 氏は昭和5年の生まれ、下町の悪ガキを自称されている。書きっぷりの端切れのよさが神田生まれの筆者にはなじみがいい。著書の中に『わが銀座おぼろげ史』という章があり、文芸春秋社が銀座にあった時代の描写が秀逸である。
 その書き出しを読んでニヤリとさせられた。子供の頃はせいぜい浅草止まりで戦前に銀座に行ったのは小学校3年生の時だったという。
 ところで下町というと一般的には義理人情のはびこる落語の八ッつあん熊さんの世界という印象かもしれないが、実は縄張り意識がものすごく強い。ほとんどが職人だった昔は、住んでいる所と働く所と遊ぶ所が同じため、ヨソ者が入ってくるのを警戒するのだ。マンション暮らしの勤め人ばかりである今は違うだろうが、大人から子供までそういう気質だから筆者のチビの頃は喧嘩が絶えなかった。その縄張りはおおざっぱにいうと区立中学校の学区くらいの規模だ。そして他所のことをクソミソに悪く言う。
 神田あたりの連中の意識はせいぜい銀座までが守備範囲で墨田川の向こう側なんかは狸が出るような所だという感覚だ。『粋な深川いなせな神田、人が悪いは飯田橋』という言い方があった。
 その認識から言えば『だから大川(墨田川の言い方)の川向こうはいやだぜ。ザギンに来たこともねえカッペばかりだ』ということになる(現在の住人の方ごめんなさい。いまではそんなこと思ってもいません)。すると半藤さんならこう言うだろう。『神田なんざ花街もねえような野暮な所じゃねえか。祭りが無きゃただのヤッチャバ(市場のこと)だろ』
 

、「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

藤川英樹
加地卓
金巻芳俊