Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

不思議な子供の目線

2019 NOV 19 0:00:05 am by 西室 建

 随分見ていなかった喜寿庵の近所に住んでいる謎の友人ピッコロ君とマリリンちゃんにバッタリ会った。大分背も伸びて、恐らく学齢に達しているはずだが、保護者であるらしいヒョッコリ先生の奇怪な子育てでチャンと学校に通っているのかどうかもあやしい。今日はウィーク・デイで今は午前中だ。しかも僕は未だにこの子達が喋ったのを聞いたことが無い。日本語ができないのかもしれない。
「ひさしぶりだねぇ。元気かい」
 一応声をかけてみた。こっちを大きな目で見ているが表情はない。
 この子達と同じくらいの野生動物(まだほんの子供と言える時期のこと)は警戒心と好奇心の塊だ。警戒心を持ちつつ好奇心でオジサンの顔を見上げているのだろう。以前に僕が遊ぼうとしても、土足で家に上がってきたり手づかみでモノを食べたりと、存分に野生ぶりを発揮した。ひょっとしたら言葉の問題で廻りとコミニュケートできず、遊ぶこともできないのだろうか。

 ニューギニアの未開民族デアルベーリング族には全く文化が存在しない、という研究がある。その退屈さはフィールド・ワークに行った人類学者が二人もうつ病になったことでも知られる。そこでは子供は遊ぶことを禁じられ大人と一緒にひたすら働く。神話も宗教も思想もない。しかも全くの平等な社会なのだと言われている。
 一見理想郷のようで、遊んでいるオトナ(支配階級)もコドモ(次の世代)もいないという社会は、かくのごとく殺伐とする。
 そして私はフト考えた。目の前の日本語も怪しいために閉鎖されたような幼年時代を過ごしたこの子等も、そのうち一足飛びにいきなりスマホを手にしたらどうなる。今の世の中でしきりに言われる、SNSでの安直な繋がりが人々のコミニュケーション能力を下げているとしたら・・・。思うに高校卒業くらいまではスマホは持たせてはいけないのではないか。残念ながら手元にそれなりのことを言える統計的数字がない。

 話は戻って、相変わらず一言も喋らないピッコロ君とマリリンちゃんを芝生の庭に連れて来た。色々言っても理解しているかどうかも確認できないので(全くコミニュケートできない)特に何も言わずほったらかして、落ち葉を掃いていた。
 黄金色の夕日が射しこんで来て紅葉が美しい。
 二人は、と見るとしゃがみこんでいる。何してるんだと覗き込むと、カラカラになった落ち葉で遊んでいた。
 そして二人の足元にはケッタイなモニュメントというか何というか、枯葉のピラミッドのようなものを丁寧に積み上げている。それも一枚一枚丁寧に拾ってはソーッと乗せていて、何か目的があるようでもなくひたすら重ねている。

落ち葉のピラミッド接写

 面白いので接写したら御覧のようなただのゴミの塊にしか映らなかった。
 しかし、どうもこの子たちの中には何かのルールのようなものがあって、自分達の中には規則性のある積み上げ方があるようだ。
 掃き集めた枯葉をネイチャー・ファームに埋めて(天然リサイクルのつもり)戻ってくると、例によって二人は姿を消していた。
 後には枯葉のピラミッドが残されていた。
 それも、良くみると正確には正四面体を作ろうとしたらしく、底辺が正三角形にしてあり、各辺が同じになるように一枚一枚重ねていった物なのだ。
 これは面白いと写メに納めようとした瞬間、残酷な木枯らしがサーーッッと吹いてきて飛び散ってしまった。あ~あ。
 凄く惜しい気がしたが、チョット考えるとあの子達はデキがいい・悪いに関係なく、楽しく遊んで飽きて帰ったのだ。そしてもう一度やってきたところで惜しんだり悲しんだりはせず、また新たに全然違う落ち葉の遊びをするだろう。
 こういう子供たちをいい方向に伸ばす教育は、一体いかなるシステムがいいのだろうか。ただ、ほったらかしにしておけばいいという物ではなかろう。そのうち飽きて後には何も残らない。
 こういう童心を忘れずに体系立てて行ければそれはいずれ文化になると思える。上記デアルベーリング族のような事にはならない。ひょっとして大昔、こういうマインドのまま大人になったヒマ人が宗教とかを思いついたのかもしれないぞ。

 よし、この子等に僕がプログラムを組んで、独自の文化を情勢できるように教育してあげよう。ええっと、まず言葉からおしえるのかな・・・・。

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J・D・サリンジャー先生の謎かけ

2019 NOV 9 1:01:40 am by 西室 建

 大変人気のあるアメリカ人作家J・D・サリンジャーがしばしば目に入るこの頃だ。名作『チャッチャー・イン・ザ・ライ』はいまだに良く売れているし。
 さる所でサリンジャーについて、英文学者が考察を加えながら自身の翻訳を朗読するイベントがあったので聞きに行った。
 サリンジャーは1919年生まれで、1940年に作家デビュー。この時期世界は大変な事になっていて、先の大戦に巻き込まれ陸軍に志願入隊した。そして史上最大の作戦、ノルマンディー上陸に参加している。
 終戦後に作家活動を再開。『チャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表する。
 グチャグチャに焼け野原にされた東京と違って、全く無傷で戦勝国のニューヨークではこういった青春の葛藤がベスト・セラーになっていた。東京エリアでそういった波が盛り上がるのは更に5年ほど経った(作風は違うが)『太陽の季節』まで待たなければならなかった。
 イベントでは、僕が未読の短編が紹介され翻訳が朗読された。
 サリンジャーにおいて顕著なのは、無垢なるものへの愛情と憧憬という、ある意味アメリカ文学の主流の流れである、と言った解説があった。ストーリーはともかく、若い人たちの会話の描写が見事である、と。
 これはイベントの参加者がほとんど原文で読んだことのある人達の集まりだから、スムースに受け入れられたようだ。しかし僕程度の読み手ではこのニュアンスは解説抜きにはわからない。いやむしろイノセンスを映し出しているはずの若者も10代後半の学生なのが引っ掛かる。アメリカ人の10代後半と言えば肉体的には既に成熟してしまい、もはや無垢でも何でもなくなっている。となると・・・。

 突然話がかわるが、先日病気療養中に近所の公園に散歩に行ってベンチに座っていた。そこへ保育園の先生が、10人くらいの園児を引率して来た。あれは3~4歳だろうか、チビ供がピヨピヨといった感じで一列に歩いて来てこれから遊ぶところ。
 揃いの上っ張りと帽子で他の親に連れられた子供よりも目立つようにしてあった。チビ達は勝手に走ったりどこに行くか分からないので、先生は3人かかりだ。
 しばらくして鬼ごっこか何かをするのだろうか、二人一組になり始めたが、中に一人なかなか相手が決まらない子がいた。男の子だ。困って行ったり来たりしている。それでも決まらないでいると、先生が気付いて相手を選んで組ませた。
 わかった。その子は新参者だろう。引越しかなんかで最近この保育園に入ったのでまだ仲良しの仲間がいないのだ。どうもぎこちないのはそうに違いない。
 チビでも集団の中にはヒエラルキーと相性があって、どうしても初めて見る顔には警戒感がある。新参者の方も今までと違うということは瞬時に分かって、その集団に戸惑ってしまう。昔であればすぐケンカだ。
 その二人一組のお遊びが終わって自由時間にでもなったのか、三々五々と固まりになって隅っこに行くなり鳩を追いかけるなりと、3つのグループに分かれた。すると案の定例の子はどこにも属せず一人で走って行ったりこっちのグループを遠くから眺めてみたりとウロウロしている。チョット佇んでは走って移動する。表情はどうかとジッと目で追いかけて見ていると、何とニコニコとしていた。
 しかし、あれは楽しいんじゃない。泣き出したいくらいだろう。あの子はあの子なりに、自分もみんなと同じに遊んでいる、というアピールをしているのだ。一人でポツンとしていれば目立ってしまう。なるべく風景の中に溶け込もうとしているのに違いない。変に先生から構われたくないという思いが伝わってくる。『ボクも入れて』の一言がすぐに言える程コミニュケーション能力がまだ備わっていない。周りに知っている顔がいない恐怖感。心細いのを笑って誤魔化すような気持ちは想像に難くない。
 このチビのいじらしい振る舞いは、はたしてイノセントなのだろうか。うがった見方をすれば、無い知恵を振り絞って必死に世間との折り合いを探っている、いやな言い方をすれば打算・媚が無いとは言えないのではないか。

 関係ない話を長々としたが、サリンジャーは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で主人公に語らせた守る対象も、あるいはそう語る主人公ですら、実はインオセントな存在ではない、ということに気が付いてしまった、という仮説はどうだろう。
 サリンジャーが一生懸命に、『ほら、そっちは崖だろ』『こっちでは道に迷う』と助けようとする者達が、既にっ助ける対象でなくなっていて、そんな行為そのものがバカバカしい事に過ぎないとすれば(1940年代で既に)、自分の作品が真実ではないことの上に成り立っている、という疑問に耐えられなくなって隠遁生活に逃げ出した。有り得ないか?イベントで聞いていると、サリンジャーという人は直ぐに激怒するような激しい気質、今でいうプッツン・オヤジだったらしい。すなわち、自分のプッツンして引っ込んでしまった、とかね。
 隠遁と言っても街の人とは結構いい付き合いをしていたようで、知り合った若い女性と暮らしたりしていた。
 洋の東西を問わず、あまりに『青春』を追求し過ぎる作家は他のテーマに乗り移れないで、所謂『文豪』という終わり方にならないようだ。酸いも甘いもかみ分ける、とはいかず、つまらない女や男に引っかかって自殺するケースも多い。

 ところでもう一つ。
 今更であるが、なぜ『ライ麦畑でつかまえて』なのだろう。より正確には『ライ麦畑で捕まえる』とか『ライ麦畑で守る人』だと思うので、質問コーナーで聞いてみたかったが、他の人達があまりに面倒な質問をしていたのでやめた。
 時代は変わる、と良く言われるが、それどころじゃない、自分も年を取って変わっていくのだ。すると同じ音楽・文学に対しても、自ずと昔とは違った感想を持つことになる。特に青春小説を読み返したという評論を寡聞にして知らない。これは一つ村上春樹訳でももう一度読んでみようか。

ブログ・スペースを借りました キャッチャー・イン・ザ・ライ

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魂が宇宙を漂う話

2019 JUL 16 6:06:16 am by 西室 建

 私は既に死んでから450年程経っている。無論死んでいるから視覚も聴覚もない。だが、知らなかったが、死んでからも意識だけは連続して途切れることが無い。
 もちろん生前のように明確に判断を迫られるようなことが無くなっているので、かつての思考能力と同じかどうかは分からない、おそらくは相当落ちたと言わざるを得まい。
 何しろ新たな経験をすることはもうないので、自分が経験した思い出の中をさまよっているのだが、時として生きていた頃の感覚で言えば夢をみているようだ。自由に水中を移動している、とか知らない人と親しげに語りあっているとか。もちろん死んでいるから現実も夢もないのだが、五感もないのにそのような感じがするのも不思議なものだ。
 それで私が生きていた頃というのはトヨトミとかいう天下人が世の中を治めていて、おとう達はようやく戦がなくなりそうだと噂していたっけ。
 ただその頃はイクサと言っても武士達は血道を上げて勝っただの負けただの騒いだが、私等はワクワクしながら遠目に見物に行ったりしていた。死体から金目の物をはぎとったこともあったくらいだ。春から収穫まで休み無く働き通しで秋祭りをやってしまったら冬支度、何もすることが出来ないうちに正月を祝うと、もう次の春。楽しみなんか何もないのだからイクサがたまにあるとそりゃー面白かった。
 ウチは百姓をしていたけど食えないもんだから兄弟は大坂に行ったり那古屋に行ったりして、残った私も長男ではなかったから食い扶持はあてがわれたものの、嫁取りできるわけじゃない、六男だから。イクサも足軽が足りなくなると現地調達で銭をもらって数合わせみたいに槍なんか持たされる役回りもあって、ワシも行ったことがある。
トクガワの武将に雇われて銭を貰ったのはいいけど、なんだか『天下分け目の戦いだ』とか大げさな話になっているので参った。しょうがないから関が原の近所まで行ったが、いつ逃げ出そうかと思っているうちに戦は始まって逃げそこなった。
 始まったら始まったでウキタとかいう西国の武将にずいぶん押されて危なくなったので、こりゃまずいと思った途端にコバヤカワとかいうのが突如寝返りをしたらしくて形勢が逆転した。そのままトクガワにくっついて足軽家業をしていたんだが・・・。

 さっきまで夢の中にいたような気がしたが、オイラが死んで既に150年は経ったのではないか。死んでいるのだから記憶もクソもないが、とにかく時間の概念がないから150年というのも、多分春夏秋冬が150回くらいあった、と思っただけだ。お江戸は神田で生まれたが長屋暮らしの棒手振(ぼてふり)の息子だからゴチャゴチャとした暮らしぶりで楽しい事なんかありゃしねえ。
 まァ、先々どこかに奉公でもさせようと思ったんだろうが、ガキの時分から近所の筆学所(寺子屋のこと)に行かされて、読み書きが出来るようになった頃にゃ世の中がうるさくなってきた。おいらが生まれた頃に黒船が来て、その後色々あったらしいが将軍様は上方に行っちまった。慶應に変わったその三年に幕府が伝習隊を募集したので、三番町の第三大隊にノコノコ入ったって訳だ。
 その頃にゃ異人がどんなものかも知ってたし、何だか天下は丸いんだって知識だけはあったね。で、伝習隊に入ってみたらタダで鉄砲も持たせてくれるし飯も食わせる。だけど訓練は重い鉄砲を担いで走り回るのが中心で辛いの何の。
 たまげたのはお侍がおいら達を指導するんじゃなくて仏蘭西とかいうところから来た異人だ。桃色というか白い肌のバカでかいのが異人言葉で号令をかけるんだけど何言ってんだかわかりゃしねえ。そのうち何となく分かったけどね。
 こっちは江戸詰めだから上方のことはよくわかんねえけど噂だけはすぐ伝わった。やれ将軍様が逝去されてあの一橋様が将軍になられたとか。ところがその将軍様がどういう風の吹き回しか幕府を返上したとか、挙句の果てに朝敵にされていくさに負けた、とか怪しげな話が聞こえてきた。伝習隊が上方に行ってたから負ける訳なんかないと思ってのんびりしてたからびっくりだ。実はオレ達第三大隊だけ江戸に残されていた。上方だけじゃなくてお膝元の江戸だって薩摩や長州の回し者みたいなやつらがガサガサしていて、先だっても頭にきた新徴組が薩摩屋敷を焼き打ちにして大騒ぎよ。
 そうしたらいつの間にか将軍様は帰ってきちまって上野で謹慎されたってんだからどうにもならねえ。こりゃ戦が始まるな、と思ったらなぜか総攻撃はなくなりお江戸は無血開城だと。
 おさまらねえ大鳥様は一番大隊・二番大隊をつれて北上していった。それがどういう風邪の吹きまわしかオレ達第三大隊長の平岡様は新政府に恭順だってんだからもう訳わからん。元々オイラなんざ幕府だろうが新政府だろうがどっちでもいいもんだから上のほうの言うとおりにゾロゾロ付いて行くと名前もいつの間にか帰正隊になっていて下総や奥州を抜けて挙句の果てに箱館にまで行っちまった。するとそこには昔の仲間もいるはずで、そっちの大将は大島様ってこった。やりあっているうちに弾が当たって・・・。

 うっ、意識は戻ったみたいだな。オレもう死んでどれくらいかな。50年は過ぎたと思うけど。戦争はもう負けて進駐軍がデカい面してやがって、オレ達は行き場を失ったも同然だ。誰もかれもが混乱の中にいたが、それでも悲壮感はあんまりなかった。元軍人なんかはあんなに偉そうだったのにすっかりしょげ返って見られたもんじゃない、そこいらのガキにまで「戦犯」「戦犯」とか指さされてな。
 アメ公は終いには手あたり次第に爆撃してきて大勢が死んだ。沖縄はもっと酷かったそうだ。だけど『死』そのものもああ目の当たりでそこら中に転がっていると人間は麻痺してきて、亡くなった方には失礼だが自分のことで精一杯でせいぜい気の毒に、と思うくらいになってしまった。そして結局負けでした、でガックリはしたが、こりゃあ死なないで済んだか、となって後は物凄い生存本能を発揮している有様なのだ。
 情けなかったのは上から下まで軍放出品の横流しやら闇市での偽物の売買だのありとあらゆる悪がはびこってしまい、進駐軍が来て少しまともになった感じすらした。三国人の暴れぶりも凄いもんだった。戦勝国・敗戦国・第三国という意味で、日本の法律が適用されないってんだからやりたい放題なんだが、そりゃ無理もない。
 もっとも三国人全部がアコギな稼ぎをやっているわけでもなく、等しく貧しかったのは日本人も同じ。アンダーグラウンドでは日本人の愚連隊も入り混じって任侠も何もなくなったヤクザが気の毒なくらいだった。
 それから高度経済成長とか言ってオリンピックじゃこれからはレジャーだモーレツだ何だかんだ、とにかく忙しかったんだよ。不況だって何回も来たしアメ公は朝鮮でもベトナムでも戦争はやりっぱなしにやって、冷戦がどうしたかは良く知らないけど昭和ってのはとにかく「戦い」の時代だった。平和な時代と言ったって、安保闘争とか賃上げ闘争とか何かと「闘争」「戦い」が強調されてヤレヤレと思ったものだ。その頃からやたらと交通事故が多くなっていくんだけど、そうなると交通戦争だ。年間の事故による死者が1万人にもなる有様で、そりゃこの前の戦争に比べりゃどうってことはないんだけど、日清戦争での戦死者が一万人くらいだから戦争と言えなくはないね。
 オレはその頃にはトラックの運転免許を取ってダンプ・カーで稼ぎ出して結婚もできた。ナニ近所の幼馴染なんだけどね。子供も生まれた。安定した生活になりつつあったんだが、実は酒が止められない。
 一方でダンプの現場は、例えば土砂搬出なんかは何回運んだかでその日の取り分が決まる過酷な仕事だ。だから凄い奴なんか一升瓶を助手席に置いてガバガバ飲みながらやってることがあった。オレもヤバいなと思いつつまァ適当には飲んだ。
 そうしたらあるダムの工事現場に回されて、取り締まりもないような山奥だからおおっぴらにやってたのさ。夜中になって、もうこれで上がろうかという時に、やっぱり酔いが廻って崖からダンプごと転落したのさ。

 おわかりだろうか。これは一つの魂が、普段は宇宙空間に漂っていて、繰り返し人間として地球に生まれては、同じような人生を送ってまた死ぬのである。そして漂っていつつも、どうやら別の天体で転生して、そこの寿命が尽きると又漂い、何百年か後に再び地球で人間になるということがわかってきた。この愚かな魂は千年後にも『令和って時代があったんだがね』とやっていることだろう。

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私の平成

2019 MAY 17 7:07:01 am by 西室 建

 昭和64年。昭和天皇崩御に際して自粛となった晩に、私は試みに盛り場の様子を車で巡回した。新宿も渋谷も確かに真っ暗だった。派手なネオンは消されており『街は悲しみに』沈んでいたように見えなくもない。車は少なく、しかし人通りは多かった。
 そして歌舞伎町をすり抜けようとした時、異様な物音に気が付いた。パチンコである。ギラギラ・ネオンは落とされていたものの、店の中ではジャラジャラと励んでいたのだ。
 渋谷の道玄坂では渋滞した。その時に隣の車がジェームス・ブラウンを大音量でかけてユッサユッサとリズムを取っていた。ギアをドライブにいれてプレーキをポンピングさせている、早速真似してみた。
 私の平成はこうして始まった。天安門事件があり、竹下内閣が潰れ、宇野総理が辞任して海部内閣になった年である。
 元号があるのは世界でただ1国、日本だけだ。色々と解釈はあるだろうが、日本人はこれによってを支配する超自然的な力を感じるのではないだろうか。

 バブルの最後あたりを、六本木のビルの名前が刻々と変わることで実感した。
 私はメーカーの末端管理職だったが、少しのタイムラグを経て風に晒された。その過程は既に詳述されている。当時、財テクといった言葉も使われ、製造業といえどもバブルに踊った。弾けてからは多角化とグローバル化で乗り切ろうとどこも同じことを始める。当時の製造業のグローバル化とは、優れて東南アジアに製造拠点を移す事だった。いわゆる”軽い”工程を移管するのだが、最も流行ったのはシンガポール・マレーシアで、SQ便に乗れば必ずと言っていいほど同業他社の知り合いに会った。甚だしきは日本語のカラオケに全く不自由を感じないで過ごせるようになっていった。
 その動きは紆余曲折を経て、10年後には中国に変わり、私達は地図を眺めながら、Vターン効果などと言っていた。中国の辺鄙な(といっても大都市だが)ところで日本人単身赴任者千人につきワン・ブロックの割合で日本式カラオケ屋が密集する、というのが実感だ。おまけに日本でリストラを繰り返すため、流れた技術者がノウハウをペラペラ喋っているのは何度も見た。
 一方バブルの後遺症は10年でカタがつくはずもなく、企業の大型合併が進む。おそらく当初はどの金融機関も不良債権全体を見積もる事ができずに、10年後には増えていた。そして国際会計基準というアメリカン・スタンダードが進み、良く言えば経営効率が良くなったことになっている。それはそれで良いのだが、経営に落ち着きがなくなったと言えなくも無い。
 なんとか不良債権が言われなくなったのは次のリーマン・ショックで麻生内閣が潰れ、その後に小泉内閣が熱狂的な人気で誕生した更に後だったと記憶する。
 私はその間、シリコン・バレーと東南アジアを根無し草的にウロウロして過ごした。その結果、多角化の勢いでスピン・オフをし、その勢いが止まらずに色々あって九州に流れた。
 平成最後の10年は、かつての我々以上の勢いの中国勢の台頭を目の当たりにしていながらなす術がなかったかの感、無きにしも非ず。黒田総裁の異次元緩和で足元は好景気だということになっているが、日本の製造業の収益力は世界の中で(トヨタを除いて)確実に落ちてきた。逆に言えば緩和がなければとんでもないことになったはずだ。復活安倍内閣の直前は1$=80円である。
 更には目下の稼ぎ頭は金融ではなく、ネット関連である。それも世界中で、である。
 そして私のフィールドはアメリカ・東南アジアからロシア・インドに変わって令和に至る。

 いつの時代でもそうだが、平成も生々しい災害・事件はあった。神戸の地震は丁度マニラに飛んだ日で、着いてBS・NHKの中継を見た。
 地下鉄サリン事件の時は富士山の麓のスキー場にいて、今から考えるとそのすぐ近くにサティアンがあったのだ。
 サカキバラセイトは本まで執筆し、今も社会生活をしている。
 9・11では知り合いが何人もニューヨークにいてハラハラした。帰宅するとテレビに釘付けになり、2機目か3機目か忘れたが、突っ込んだのをナマで見る。
 中越地震において原発は安全に運転を止め、私はその技術レベルの高さに関心したが、東日本大震災の福島は・・、このときは東京にいなかった。
 私はどうも大惨事には合わないようになっているのか、と被災者に申し訳なく思った。津波の惨状に呆然としたが、事態が深刻だったという情報が把握できたのは2日程してからではなかったか。当初の犠牲者は数百人としか伝わらず、いかなる機関も全貌が分からなかったのである。
 どの災害でも私ごときができることはなく、僅かに水素爆発した後の計画停電への協力ぐらいだった。ところが打ちひしがれ、不自由な暮らしを強いられる被災者の方々が、天皇陛下の慰問を境にガラッと癒される、それを見る色々と気を揉んでいる国民全体がホッとするのを見た。まさにその瞬間・瞬間に平成が(私には)刷り込まれた。 

 平成が始まって暫くして宮澤内閣を最後に自民党の単独政権が成り立たなくなったが、合従連合が繰り返されるのを眺めながら「日本が政治的に安定するのは2010年頃ではないだろうか」と言ったことがある。それは別に自民党単独政権に戻るという意味ではなく、保守・革新といった単純な対立構造のイデオロギー的神学論争などにエネルギーをすり減らさない世の中になっていくと考えたのだ。
 だが、投票行動は全くアテにならない。チルドレンだのガールズだのが大量当選するのは健全だと思えない。
 小泉総理は靖国に参拝したりして、一見ゴリゴリの保守に思われたがそうではない。歴史小説は好きなようだが伝統と言ったものに対しては破壊的だ。そしてその後、民主党政権が成立して予言は当たったと喜んだのだが、結果はご案内の通り。野田総理を高く評価していたが、分裂体質を孕む民主党体制がどうしようもなかった。
 その後が現安倍政権だ。小泉~安倍の清和会の系列はタカ派と言われるが、私には現実的な対応に見える。隣国の無理難題を無視するところが誠に結構(ただし清和会には福田康夫もいる)。

 一世一元であると、現代人は多くても3つの元号しか生きられない。従って昭和生まれの我々は令和の次はない。もっと言えば昭和に青春を浪費した世代はオジサン・オバサンとして平成を迎え、おじいさん・おばあさんになって令和を過ごす。
 平成の初めには移動電話や電子メールだったのがスマホになる。元々機械・システムに弱いオジサンはその時代の変化に最後尾からノコノコ付いて行った。
 平成で冷戦を制したアメリカの一人勝ちが始まった。30年後の今なら分かるが、要はカネの問題だったのだ。アメリカのカネに負けてソ連は無くなった。
 アメリカは日本にもイチャモンをつけていたが(細川内閣に、とか)、お次はGDPで日本の倍になったチャイナが目障りだ、潰せ。最終的にアメリカにマネーが還流するインペリアル・マネー・サイクル(私の造語)に触るな。
 きっとそのうちGAFAも気に入らなくなる、それがトランプなのではないか。そのトランプが令和最初の国賓として来日する。
 
 私の平成はいつも切羽詰っていた。酔っ払っていた。出たとこ勝負ばかりだった。目まぐるしかった。途方に暮れていた。幸い病気には罹らなかった。大怪我もしなかった。笑った。ブログを書き始めた。スノボができるようになった。
 大切な出会いもあったが、多くのことを捨ててきた。今や新しい出会いなど必要はないと考えるに至っている。
 令和天皇は私よりもお若い。昭和9年から昭和35年の生まれは、自分よりお若い陛下を初めて見るわけだが、即位後の天皇皇后両陛下の表情は充分に安心感を与えてくれた。皇后陛下も回復され、令和流を作っていかれるに違いない。
 この30年という平成を通じて、音楽の趣味・読書傾向変わらず。何とか令和を迎えられた。平成は30年もあったのだが、マッやっとこさっとこ生きてきたわけだ。
 

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タオイズム(道教)は難し

2019 MAR 8 6:06:50 am by 西室 建

 多言(たげんは)数(しばしば)窮(きゅうす)
 中(ちゅうを)守(まもるに)如(しかず)

 現代訳された『老子』をパラパラ読んで、耳触りのいい片言節句を書き写してみる。ふーん、なかなかいいもんだ、と。『論語』は堅苦しいしね。

 生(しょうじて)不有(ゆうせず)為(なして)不恃(たのまず)
 長(ちょうじて)不宰(つかさどらず)
 是(これを)玄徳(げんとくと)謂(いう)

 儒教の体系は朱子学や陽明学に受け継がれて、江戸期にも研究がなされました。
 これに比して老荘思想の方は(読まれてはいたが)とかく呪術的要素がミョーな味を添えるせいかすこぶる流行らない、というか道教になるとゲテモノ扱いです。
 本場の大陸・香港・台湾でも現世利益的な宗教になってしまって益々怪しい。

 故(ゆえに)有(ゆうの)以(もって)利(りを)為(なすは)
 無(むの)以(もって)用(ようを)為(なせばなり)

 こういった文言を我流に拡大解釈すると、いくらでもなまけていられるのが誠に結構です。それは私の解釈ですが、この系統の学を修めた偉大な先人もそのケがあって困ったものです。

 竹林の七賢と言った人材が出ます。魏から西晋の時代に酒を飲んでは清談に興じたことになっていますが、七人とも当時の大変なエリートですから官僚だったり軍人だったりして隠遁しても別に苦労もしない連中なのです。
 多少行儀の悪い元サラリーマンのアル中だと思えば腑に落ちます。

 王弼・何晏・郭象といった政治家が有名です。
 ところがですね、この人達もっといかんのですよ。
 王弼(おうひつ)は魏の時代の人。子供の頃から秀才で名高かったのですがチャラチャラしたキャラで、酒ばかり飲んでは音律に通じたりしています。頭のいいことを鼻にかけるところがあって当時の知識人からは嫌われました。
 何晏(かあん)も同時代の人ですが、これがまた手鏡に自分の顔を写しては喜んでいるようなナルシストの自信過剰。おまけに大変な女好き。
 郭象(かくしょう)は西晋の時代に『荘子』に脚注を入れた学者です。大変に口が達者で『懸河の水があふれるがごとく』喋りまくったらしい。しかし史書には「郭象は軽薄な人間」と書かれてしまう。

 これらの人々は”玄学の徒”と称されますが、いくら『無為自然』とはいえこれでは。儒家の言う”徳の無い”こと夥しい。
 どうもこういった才人は「ただ内側から光っていればいい」といった境地には至らないもんなんですかねぇ。老荘の学、奥深し。

 
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昭和45年11月25日

2019 JAN 31 6:06:58 am by 西室 建

 バルコニーから撒かれた檄文を手に取って、見上げた私は紛うことない高名な作家の引き締まった表情を真っ直ぐに捉えた。作家はこう肉声で訴えた。
『諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ』
 そう来たか、ついに言ってしまったか。周りに自衛隊員が集まって来たが、一様に青ざめ呆然としている。
『おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。4年待ったんだ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ』
 私は檄文に目を落としながらどうなってしまうのかとハラハラするような気分に沈んだ。一体なにが起こったというのか。
 突然、東部方面総監・益田兼利陸将名で第32普通科連隊に総員非常呼集がかけられた。完全武装にて、の指示である。普通科以外の人員は持ち場待機、と矢継ぎ早に命令が出される。バルコニー前の隊員は持ち場に急ぎ戻った。
 実はこの日32普通科連隊は東富士演習場に出ており100名程度の留守中隊しかいなかった。そして運命のいたずらか私はその中隊に所属していた。実弾携行・装填の後、戦闘服にてバルコニー前に整列した。作家はあの楯の会の制服に『七生報国』の鉢巻を締め、同じ格好の4人の楯の会会員を従えて立っていた。整列・点呼の完了まで15分ほどかかった。
『見たまえ。男一匹が命がけで訴え、総監命令の非常呼集をかけても15分もかかる。たるんでおるとは言わんが、これで首都を、陛下をお守りできると思うか』
 作家の激烈な言葉が降ってきた。
 益田陸将がゆっくりとバルコニーに姿を現して作家の横に立った。副官がマイクスタンドを準備した途端に正午を知らせるサイレンが鳴った。その音が消えるや陸将の野太い声がマイクを通じて流れた。
『注目ー!これは演習ではない。目下の騒然たる世情は心得ておるだろうが、破壊分子による首都の制圧が何者かによって計画された事が判明し、自衛隊治安出動が発令された。これより32連隊の残存総力を以って皇居の警護に当たる。尚、警視庁による道路封鎖の完了を待って前進する。気付いているだろうが民間の楯の会の諸君も行動を共にする』
 そういえば先ほどからパトカーのサイレン音が聞こえていた。
 市ヶ谷の前の三叉路から靖国通りまでジュラルミンの楯を持った機動隊員が交通を封鎖しているではないか。そしてヘリの爆音までが遠くに聞こえている。私はかすかに体が震えてくるのを感じた。
 副官である吉松一佐が指揮を執るようで、益田陸将は指揮車両に乗り込んだ。戦闘服である。作家並びに4人の楯の会メンバーも準備された車両に乗り込むと発車させた。少し間を取って吉松一佐から『前進ー!駆け足ー!』の号令がかかった。
 一口坂を駆け上がって行くと車は通行止めになっており、道の左右は機動隊員によって規制され、通行人が『一体何事だ』とこちらを見ている。大通りの真ん中を中隊約100人が4列縦隊で駆けて行くのは普段はできるはずもないことで、とてつもない興奮を伴った。私は後方にいたので良く見えないが、我々の前には楯の会のメンバー100人が合流をして同じく走っているようだった。靖国神社の横の千鳥ケ淵を曲がったところで、先ほどから聞こえていたヘリの爆音の正体が分かった。大型のバートルが何機も皇居の上に飛来しているのだ。何が何だか分からないうちに半蔵門が見えてきた。すると視界の先から1台の乗用車が突っ込もうとして機動隊員に阻止されている。我が部隊の先を行く作家を乗せた車両を塞ぐ形で止まった。一人の警察官が降り立った。
 楯の会の100人の4列縦隊と、それに並ぶ形でのわが中隊の4列縦隊が重なると
『全体止まれー!左向けー左!』
 部隊全部が半蔵門に向き合った。指揮官車両からは何と抜き身の日本刀を持った作家と楯の会会員、もう一台から陸将と武装自衛官二人が降りて阻止された車両に向かっていく。すると先程の警察官がハンド・スピーカーを持って大音声で言い放った。
『警視庁警備局警備一課長の佐々淳行だ。自衛隊の諸君。先程の防衛出動命令は誤報。中曽根防衛庁長官が正式に発表した。速やかに原隊復帰されたい。三島先生!武器を携行するのはおやめください。銃刀法違反並びに騒乱罪・公務執行妨害で逮捕せざるを得なくなります』
 そうか。あの作家は三島由紀夫だったと気が付いた。だがその三島と益田陸相並びに4人の楯の会会員は佐々と名乗った警官にどんどん近づいて行った。
『三島先生!益田総監!それ以上近づくと発砲しますぞ』
 いうが早いか腰の拳銃を抜いた。ところがなぜか半蔵門を守っている機動隊員は少しも持ち場を離れず誰もその警察官を護衛しない。警察官が怒鳴る。
『四機!指揮官どこか!防御態勢を取らんか』
 ほぼ同時に益田陸将は
『打ち方用意!』
 と号令を下すと中隊狙撃手4人が突進して作家と陸将の左右から小銃を構えて警察官に照準を合わせた。緊迫の時間が過ぎる。
 上空をホバリングしていたバートルが広がるというか、皇居上空を中心に散開する陣形を取り出した。良く見ると遠巻きにするようにたくさんのヘリが飛んでいる。おそらく異変に気が付いた報道のヘリではないだろうか。バートルはそれを牽制しているのか。
 目の前の緊迫は続いており、私達にどういった命令が下されるのか不安とも期待ともいえない気分につつまれた。
 すると彼方から爆音とともに飛行機が飛んでくる。アッという間に上空に飛来したのはCー130だ。そして落下傘が降下した。皆がそれに気を取られ驚いている間に楯の会会員が警察官に突撃する、警察官は咄嗟に上方への威嚇発砲をしたが組み付かれてしまった。三島が歩を進めながら
『佐々君。我々は人を傷つけたりはしない。君を人質にするような真似もしない。ここは引き取ってくれ』
 どうやら二人は旧知の間柄のようで、佐々と呼ばれた警察官は小声で何かを言ったようだが聞き取れなかった。
 空挺落下傘部隊は見事に皇居の中に吸い込まれていく。そして警察官は乗ってきた車で帰っていった。
 三島がこちらに向き直って命令を下す。
『諸君!我々は堂々と皇居に向かい、世界に向けて独立宣言をする時が来た。楯の会、我に続け』
 益田陸将もまた、号令をかけた。
『これより皇居を固め天皇陛下をお守り奉る。32連隊、前進!』
 私たちが隊列を組んで半蔵門をくぐると、皇宮警察、第四・第七機動隊、空挺部隊が強力し、既に外部との接触を断ったようだった。上空にはまだヘリが旋回していた。

つづく

昭和45年11月25日 (その後)

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たまには足元見てごらんよ

2019 JAN 26 1:01:07 am by 西室 建

 子供の頃の話ですが。喜寿庵の近くに大昔小山田という殿様の砦があった「お城山」という小山があって15分位で登れます。息子が小さかった頃(学童前)酔っ払って(私が)夜テントをかついで登り二人でキャンプごっこをしたことがありました。野猿もいるようなところで、あれは危険はなかったのかな。
 その頂上から下界(というより町)を見た時『ああ、こんなに小さな町にたくさんの人が蠢いているなあ』と思いました。学校・病院・住宅・お寺・お店。この中で生まれ、学校に行き、働き、買い物をし、最後はお墓に入る、と腑に落ちたものです。
 
 だだっ広い海をながめて、フト足元の潮溜まりに視線を落とします。ジーッと見ていると、見過ごしているものが見えます。小魚・蟹・得体の知れない貝・イソギンチャク。潮が満ちるまではここも彼らだけの小さな小さな宇宙です。やがて大海に飲み込まれても、小魚の生活圏が無限に広がりはしません。水槽の中と同じ位の自由と考えてもいいでしょう。
 ヨット・ハーバーの浮桟橋から水中を除き込んでいて気が付いたのですが、小さな魚はせっかく水中にいるのに3次元的な動きをしません。大体居心地のいい深さを泳いでいます。ヒラメやカレイは海底から水面まであがるような運動はしないですしね。
 してみると。水中でG(重力加速度)の影響をあまり感じずにいるはずの水生動物は、地上の我々がうらやましくなるような3次元生活を送っていないことになります(大型水生動物。クジラやイルカは別にして)。 
 喜寿庵で芝生の雑草を抜いている横を蟻が虫の死骸を引き摺って行きます。蟻の世界は2次元的ではありますが、どんな所にでも行けるところは3次元の行動範囲ですね。飛びはしないが細い枝でも谷底へでも自在です。
 見上げれば刷毛で刷いたような高くて薄い雲。森羅万象ことごとくがこの小さな庭にあるようです。ヤキが回ると”小さいもの(盆栽とか箱庭)”が好みになるものでしょう・・・か。

 そういう時に伸びをすると・・こっ腰が痛い。腰痛は人類が二足歩行をするようになって以来、Gによる宿悪と言われます。あ~あ、そういう痛みは年のせいだよな。

 走っても寝ても跳ねても大地に縛り付けられる。
 逆らって高い山に登れば、疲れの代わりの満足感。
 ゲレンデでボードを滑らせれば走るより早い爽快感。
 地球よ お前は疲れないのかい。

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平成ラスト 滋養神社今年の十大お告げ

2019 JAN 7 6:06:47 am by 西室 建

ひとつ
 新元号「建和」発表される。
 新たに建和天皇が即位するが、それに合わせてトランプ大統領が国賓待遇で来日。
 周りはハラハラするが物凄く神妙で、晩餐会では『陛下に忠誠を誓います』とアドリブで言ってしまい、アメリカ世論が猛反発する。しかし支持率は全然下がらないという不思議。
 雅子皇后陛下の人気が世界的に盛り上がる。

ふたつ
 通常国会から改憲議論が盛り上がり捲るが、野党の論点があまりに観念論的なので国民が飽きて来る。
 その中で憲法改正国民投票日が決まる。それは頭にきた安倍総理の大戦略で衆議院を解散し衆参同時選挙と同日の投票となる。結果は・・・自民党大勝利。自衛隊は合憲になる。
 大将・大佐・大尉といった旧軍の階級呼称が復活する。
 
みっつ
 その選挙に際し、突如矢沢永吉が新党『全日本よろしく党』を結成して自らも立候補して当選する。
 他に比例ブロックや参議院で当選者を10人出す。
 顔ぶれは芸能界からは香取慎吾、スポーツ界から松井秀喜、元政治家橋下徹、他は自民党から3人、無所属の会から2人、元官僚。
 政策は安倍総理4選と消費税引き下げだけ、という奇怪なモノだった。
 
よっつ
 プーチン大統領が来日し、平和条約が高らかに結ばれる。
 日本の施政権は歯舞・色丹までだが、国後・択捉までは往来が自由になる。
 予想もしなかったが色丹島に、日本への帰化目当てのロシア人が殺到し、ロシア人コロニーができてしまう。
 コロニーは初めは300人だったがその後数万人に急増し島のインフラが足りなくなり社会問題化する。
 しょうがなくなり色丹市に格上げされ、ロシア系の市長が新党大地公認で立候補し無投票で当選する。

いつつ
 中国が分裂の気配。隠しに隠してきた暴動は年間40万件もあり、武装警察では対処できなくなり、習近平は人民解放軍を投入しようとする。
 共産党は情報遮断・国境封鎖の暴挙に出て良く分からなくなる。
 どうも第四野戦軍は共産党中央の首都防衛の命令を無視し、南進した模様。
 他にもイスラム過激派のような勢力が台頭しているらしく、何が何だかわからないが報道はされない。
 しかし衛星によって戦闘が行われている事は確認された。習主席は健在であることはしばしば発表されるのだが。

むっつ
 英国が合意の無いままEUを離脱する。国会がメイ首相案を否決してしまったからだ。
 ところがスコットランドが一方的に独立を宣言してEUに加盟する、という声明を出し、国家元首にショーン・コネリーが就任する。
 イングランドは猛烈に反発するが、渋々アイルランドとスコットランドに対し国境を策定する。

ななつ
 上記ドサクサの間に米朝首脳会談が行われ、ついに金正恩が『非核宣言』をする。そして驚いたことにアメリカとの間に安全保障条約を結ぶことを発表し、同時に38度線を解放してしまう。金正恩は『竹島は日本領土である』とも言った。
 韓国は大慌てで、なぜか大勢が旧国境を越えて北に大移動する。不思議と北から南への動きはなく、むしろ日本に押し寄せて来そうになりこれを止めるために入管法が改正される。
 この混乱で中朝国境で人民解放軍と朝鮮人民軍が睨みあうが戦闘にはならない。
 『いつつ』で述べたとおり中国もメチャクチャなので人民解放軍にヤル気がないからだ。

やっつ
 ダライ・ラマが健在にもかかわらず次の後継者が決まる。今回は既に成人して生き仏と敬われているガマ・ラマというチベット人。
 しかしなぜか流暢な日本語を喋り、日本との提携を訴える。中国を慌てさせるが、「いつつ」で予言した中国の大混乱により手が付けられない。
 その後、ガマ・ラマはチベット自治州の州都ラサに現れ、共産党との協力を宣言する。『あれは本当は日本人だ』の噂が出る。
 
ここのつ
 某女性皇族と旧宮家の末裔の婚約が発表される。
 すると、皇室典範が改正される動きが出て、絶家となる宮家の養子縁組が可能となり、皇族入りする。
 有栖川宮家を名乗ろうとしたが有栖川有栖からクレームがついて別途検討になる。
 結局、その宮様は継承権三位の皇族となることが皇室典範の改正により決定する。
 某内親王殿下の婚約は破棄される。

とお
 TPPで日本の製造業が大活況を呈する。
 円はなぜかTPP域内で普通に流通するようになり、国際通貨化する。
 するとEUでスベッた英国のメイ首相が『入れてくれ』と安倍総理に泣きついてくる。安倍総理は散々じらして結論を先送りしていると、日英同盟を復活させて核の共有をしてもいい、とまで譲歩してくる。
 結論はオリンピック後になるが、さすがの滋養神も教えてくれなかった。

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戦争を伝えるシンポジウム 

2018 DEC 5 22:22:28 pm by 西室 建

 さるシンポジウムに出かけた。『戦争体験を伝えたい』と題されて4人が登壇して順番に話す形式だった。3人が79~80才、お一人は90という大先輩達の、いささか重いテーマである。聴衆は概して僕よりも上の人が多く若い人は2~3人、それもなぜか現役高校生だった。
 その79~80と思しき御三方は同級生、即ち『戦争経験』と言っても『空襲経験』や『引き揚げ経験』なのだ。まあ、悲惨な体験のオンパレードだった。
 東京の柴又に疎開したところ、3月10日の東京大空襲によって本所の実家が被災し、ご尊父を亡くされた方。この方は3人兄弟でお兄さんは4っつ上、弟は3才下。お兄さんは本所までお父さんを探しに行った際のあまりの死体の多さと悲惨な状況が大トラウマになって、内省拒否症状(振り返りが困難になることらしい)になってしまった事、片時も母親からはなれなかった弟さんが愛着過剰による自律(ママ、自立か?)困難の症状を呈した事を語られた。この方は発達心理学を専門にしていたそうである。
 お二人目は水戸に疎開して艦載機の機銃掃射を受ける。B29の絨毯爆撃はスピードの違いもあって空襲警報が鳴ってから暫く時間があったが、艦載機は最初から低空でやってきてバリバリ撃ちまくりながら鹿島灘方面に飛んでいく、路上を狙って来るので田んぼの中を泥まみれで逃げ回る、物凄い恐怖感だったと。
 そして水戸は8月2日に夜間空襲を受け、防空壕に逃げる途中至近距離に焼夷弾が落ちた。幸運にもそれは不発弾で、左側に落ちた焼夷弾がバウンドした、というのだが、話が恐ろしくリアルだ。破裂していたら無論のことその方は跡形も無かったろう。
 三人目は外地、大連で終戦を迎えた。大連は8月22日にソ連戦車軍団が進駐し、いきなりその日から将校はホールド・アップ、兵隊は強盗・暴行に励む獣のような軍隊だったという。
 不思議な事に水道・電気・交通機関といった都市インフラは(誰も金を払える状況でないにもかかわらず)機能しており、10月には小学校は再開される。そして翌年に引き揚げ。その間、物資は豊富にあるのだが、中国語が印刷されたソ連軍票のインフレや売り食い生活の困難は鬼気迫る。
 特に興味を引かれたのは日本人同士の対立。敗戦直後の大連で、なぜか日本人労働組合が結成される。あまり表に出てこない話だが、やはり混乱期に乗じた政治的勢力の工作があったのではないか。なぜか人民裁判や強制徴収といったことが行われたそうだ。そして、その報復に引き揚げ船内で強烈なリンチがあったということが喧伝されているが、そんなことは見た人も聞いた人もいない、と強調された。すなわちそれらはバイアスのかかったプロパガンダであるという立場だ。日本人の弱さ、と表現されたが”人間の弱さ”なのだと思って聞いた。
 上記3人の先輩方の話は一方的にやられた経験で、揃ってその後の民主教育はこの悲惨な状況を踏まえて、新生日本を作り上げていく希望に満ちていた、という思いを込めて語る。そして戦争はしてはならない、現在の日本の政治状況は危ない方向に向かっているのではないか、と静かに述べられた。
 トリを勤めたのは御年90歳ながら矍鑠とした翁である。海軍兵学校生徒で終戦を迎え、原爆の後の広島の惨状を語り、後半はもっぱら戦後の思想遍歴についてのお話だった。実は丸山真男の系列で、一時共産党にも入党していたそうである。
 そして、昭和天皇の戦争責任について。最晩年の御言葉の中に『言葉のアヤ』という表現があったことを重く論評されたが、これには参った。
 総じて皆さん憲法改正に警鐘を鳴らしておられるのだが、国際情勢の急激な変化に現憲法で充分対応可能かは別の問題と考える。無論諸先輩の体験は『日本はあのような戦争はしない』という国是に生かされなければならない。
 しかしながら北の国の核武装、中国の覇権、南北半島の複雑な動き、といった新たな問題が既に我が国を締め上げていることも事実だ。

 フォーラムが終わって懇親の席に移り歓談が始まった。
 私は一人座って所在無げな最後のパネラーである九十翁の元に行った。ある言葉にピンときたからだ。ご挨拶し、姓名を名乗ると怪訝そうに私を見つめる。来歴について自己紹介をした。すると、
『キミはアイツの息子か!アイツの息子がオレの後輩だったのか』
 と相好を崩された。
 話は一気に講話で触れたある人物のディテールに入り込んでいった。
 海軍大尉、田結保。海兵71期をトップの成績で卒業し恩賜の短剣を下賜された秀才だが、レイテ沖海戦で重巡洋艦『筑摩』の分隊長として戦死。戦後、その高潔な人格と高い見識を偲ぶ文章が一部に発表されたことで知る人ぞ知る。元通産次官杉山和男による『海軍大尉 田結保』や元警視総監土田国保の記述にもその名を留めている。土田国保は海軍予備学生で戦艦武蔵に乗った時、士官室でその謦咳に触れた。
 戦時下の昭和19年2月、田結大尉が(当時は中尉か?)休暇で上京した折に母校を訪ね、現役中学生(旧制)であるパネラーの九十翁他の後輩達に(上記杉山氏もいた)静かに語りかけた言葉が残っている。こういう海軍士官がいたとは。
「海兵や陸士に行くばかりでなく、国につくすには色々な道がある」
「諸君は戦時下でも落ち着いて勉強して欲しい」
「本校の校風は『自由』であり、それは素晴らしいことである」
 実はこの田結大尉には妹さんがいて、亡き母の女学校の同級生。拙ブログ

藤の人々 (昭和編)


 の最後に勇ましい事を言う気丈な女学生のモデルである。

 他にそんな話をする者がいないため、翁との会話は弾んだ。調子に乗った私は『最後の昭和天皇に対する論評には参りました』と言った。
 翁はそれまで細めていた目を大きく開いてはっきりと
「キミなんかはそうか。フム、オレは左翼だからな」
 と言ってニヤリと笑った。お前なんかにわかってたまるか、と顔に書いてあった。どうにも怒られているようで具合が悪かったが、こちらもとっくに還暦過ぎて今更保守を止めるわけにもいかない。先輩に鍛えていただいたことに感謝のみである。

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あれらはどこに行ったのだろう Ⅳ

2018 DEC 1 12:12:38 pm by 西室 建

 日本橋の上を通っていた高速道路が地中を通ることになるとか。橋の上に空が甦るという概ね好意的な報道がなされている。
 御案内の通り、東京オリンピック(前回)の際に都市インフラの整備で首都高速が建設された時に覆われたわけだが、筆者は地元が近いのでその過程を一種の高揚感を持って眺めていた。立体的な構造物は多少なりとも戦後感の残る界隈に対して、未来的な都市の発展の象徴にも見えた。従って橋の上の青空を懐かしむのは70代から上の先輩達で、僕なんかは今更高速道路が消えても大して経済効果はないように思える。
 無論建設当時から『景観破壊』の論説はあったが、その前の高速道路無しのころの風景は覚えていない。日本橋と言えば例の麒麟像を見上げた時に、なんてグロいのかと慄いた感じは残っている。そもそもその頃の川の汚染は当時はすさまじく、得体の知れない泡が時々ブクブク立っていたくらいだった。川面を覗きこんだり上を見上げることなんか誰もしていなかった。
 それで、実際に高速の地中化がなされたら、今から20年後に僕の年代は『昔はこの橋の上を高速道路が通っていてね』等と懐かしむことにならないか心配だ。
 そういった意味では、単身赴任をしていた後に帰ってきて今の渋谷の駅を見たときの衝撃はついこの間のことだった。東横線のホームがない!どうやって自由が丘にいくのか一瞬呆気に取られたが、感想はと言えば、景観が破戒されたわけでもない。地下深くなったのに驚いた。

 これは最近気が付いた話だが、電車に乗ると『読み終わりました新聞雑誌は網棚に乗せないでお持ち帰り下さい』というようなアナウンスがなくなった。そうか、最近は電車で新聞雑誌を読む人など稀で、スマホだ。
 東京駅の八重洲口あたりには、おそらく新幹線で読み捨てられただろう雑誌を(さすがに新聞はなかった)並べて売っている故買まがいのテキヤがいたことがあった。もはや成り立たないのだろう、捨てる人も買う人もいない。出版不況は構造問題で、ベスト・セラー以外は本屋に並ばなくなるだろう。 

 銀座通りに柳の街路樹があった頃。あるオッサンと何故か歩いていると『あら、久しぶり』と声が掛かった。今はすっかり見なくなった靴磨きのオバさんだった。
 僕を連れていたオッサンは『オウッ』と返事をして『久しぶりだね、一つ頼むか、元気かい』と足を磨き台に乗せて靴を磨いてもらっていた。
 その後新橋の方に歩いて行った時にこういうことを言った。
「あのオバサン戦争直後からあそこで靴磨きをやってんだけど顔の広い人でな。以前はパンパン絡みのトラブルなんかよくさばいていて今でも何かあると刑事が聞き込みに来てるぜ」
「パンパンってなーに」
「ンッ?ああ、パンスケってのはいつも神社でお祈りする時みたいにパンパンと手を叩いてる女のことだ」
 この人は別の機会にクリント・イーストウッドのマンハッタン無宿という映画の看板を指して(昔のペンキ絵の看板)、
「あの『マンハッタン無宿』ってのはオレのことだぜ」
 と言ったこともある。確かに当時そうはいなかったニューヨークに暮らしたことのあった人だったが、要するにウソつきなのだ。
 靴磨きも映画の看板もウソを教えたオッサンも故人となってもう一周忌、つくづく時は過ぎてしまった。 

あれ等はどこに行ったのだろう

あれらはどこに行ったのだろう CM編

あれらはどこに行ったのだろう Ⅲ

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