Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

これからの・・・ことなど

2018 AUG 5 23:23:08 pm by 西室 建

 日露戦争の有名な203高地の戦闘で、過酷な戦いに晒された兵士の辛さはどんなものだったろうか想いを馳せてみる。
 或いは兵站不足という外道なインパール作戦で飢えに苦しみながら敵襲におびえる切羽詰った状況はいかなるものか。逃げるに逃げられないのだ。
 もっとひどいのは十死零生の特攻。かの戦艦大和も水上特攻で作戦を全うする前に沈んだ。失われた命に対峙する言葉を僕は持たない。

 一方で、ある従軍経験者の書いたものに、当然命を繋ぐ本能は強い(と想像するが)ものの、あまりの苦しさに一発の弾丸がこの苦しみから解放してくれるとさえ思った、という記述があったが出典は忘れた。
 また、大和の僅かな生還者のインタヴューで『生きる死ぬると言ってバタついている様子が、それが大和の乗組員の気持ちだなんて、とんでもない話です。そういうところから書いて書いてもらわないとウソッパチになりますよ』というのを吉田俊雄氏が著書に記している。
 これらの苛烈な経験の上の言葉は重い。我々が発する『命がけ』という凡庸な科白よりもはるかに厳しいプロ意識とでも言うのだろうか。無論全員がとも言い難いかもしれない。

 この『プロ意識』の部分に光を当てることで、吾々の凡庸なる日常に息を吹き込むことはできないだろうか。
 というのも(普段何もしていない私ではあるが)先の見えない展開につくづく『どうにかならんのか』と絶望的な気持ちになったことはある。
 まず子供の頃から来る日も来る日も学校に行くのがイヤだった、あの気持ちから始まる。中学高校ではいつの間にか先生の説明が全くわからなくなり、大学では毎週ゼミの発表に追いかけられて自分を見失った。
 勤めてからはこれまた大変な事の連続で、やっていることの成否だけでは済まないのは皆様と同じ。イヤな思いをしたこともあったしさせたことも同じくらい以上にあったはずだ。
 このような感覚はどうやら『プロ意識』の欠如によるものではないかと今更ながら気が付いた。成人してからの時間の何分の一かを泥酔と二日酔いで無駄にしたことを考えれば尚の事である。早く気が付けばよかったのだが。

 閑話休題、そこで残された時間にどう立ち向かうかを深く考えてみた。
 無論私は戦場にいるわけではない。早い話が晩年にさしかかっていて今更の感は強いが、とにかく今暫くは生きては行くわけだ。
 これからの話なので何に邁進するかと言えば、いかにして『断捨離』のプロになるか、くらいであろう。なぜかといえば、これは結構命がけの仕事ではないかと思えてきたのだ。
 既に書いている事でもあるが、こちらからこれ以上知り合いを増やすことはない。大金をはたいてモノを買うこともない。親族の不幸や友人を失う経験は増えていくだろう。
 ところが最近、ある物件を処分することになって大量のモノを整理することになった。ゴミにしてしまうのももったいないので、あるフリー・マーケットに持って行こうとしたのだが結論から言えば主催団体に断られた。そこは慈善団体系の全国ネットワークのあるところだが、着払いの宅急便で物凄い量が押し寄せて捌ききれずお金をかけて処分しているとのことだった。
 本。全集とか百科事典といったブック・カヴァーに入った古本は写メで撮って古本屋に贈ったらこれも値段が付かないとの返事。
 食器。それなりのモノには違いないが一度に何種類ものお皿で食べることもできまい。
 洋服。オジサンの着る物に流行はないものの、これなどサイズ等もあって寄付しても絶対に喜ばれないだろう。
 家具。重いの何のって運び出すことすらできない。箪笥・机・しまいにはピアノ。
 更に迷うのは誰なのか名前も分からない古い写真。
 100年前の走り書き、先祖の卒業証書、成績表。
 価値も分からない切手の束、震災復興債、こんなものは値段がつくかもしれないが、一体誰に相談すればいいのか。
 つらつら思うにこれから後の私の年代は膠着状態に陥るのではないだろうか。そしてこの膠着状態はそう悪いものではないかもしれない。むしろ撤退しない、年相応にヤケにならないように暮らす。そうしてペースを守っていれば今度は今までにない静かなときめきが沸き上がって来るような気がする。

 ここで冒頭の話に戻るのである。 
 戦場の指揮官の言葉。
『膠着状態にあっては苦しいが、敵も又苦しんでいるはずである。冷静に守り抜きながら相手のスキが出るのを見定めるのが肝要である。時に負けないことが大勝利とも言うべき効果をあらわす』
 我々は終盤戦を戦うプロなのだ。
 とにかく今まで生きてきた。
 戦時にあって戦闘で命を落とした戦死者、平時にあって志半ばで病や不慮の事故で亡くなられた方々、突然の災害によって亡くなられた方々の冥福をひたすら祈りたい。

 ところでこの戦いの敵とは何だ。考えて教えてほしい。 

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一瞬の逡巡

2018 JUL 19 22:22:29 pm by 西室 建

あまりにひどい天災に奪われたすべての魂に捧げる

毎日毎日ひとが死ぬ
来る日も来る日も供養する
一人一人は物語でも
一人ぼっちで死んでゆく
残った者も
一人ぼっちで生きてゆく
毎年毎年供養する
水で死ぬ火で死ぬ事故で死ぬ病気で死ぬ戦いで死ぬ
死んでゆく者は何を言ったか思ったか
残されたものは何をどう語るのか
悲しみと驚きが入り混じって
あまりに大量に押し寄せて来る時
人は慣れてしまうから

躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
残った者が背負うのだから
置いて行かれたのは私であり君だ
もういないあなたも置いて行かれた
なんと簡単なことなのだろうか
なんと悪辣なことなのだろうか
なんと善意なことなのだろうか
なんと純粋なことなのだろうか

すべてが早すぎたし遅すぎもした
呪われて後、祝福された
皆が蔑んだ後に、誰もが哀れんだ
重く暗く息苦しい湿気の中で
躊躇するな
恐れるな
迷うな
振り返るな
すべてが分かるのだから
事実は目の前にしかないのだから

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謎の『おつながり乞食』 

2018 JUN 4 6:06:32 am by 西室 建

 北野武監督が2002年に撮った映画に『Dolls』という作品があります。あまりヒットしなかったのでご存じない方の方が多いでしょう。3話仕立てのオムニバスでした。
 紆余曲折を経た西島秀俊と菅野美穂の夫婦が互いの体を赤い縄で結び付けて彷徨う第一話は、北野監督が子供に見た乞食の夫婦がモチーフだと語っています。
 故小沢昭一のエッセイにやはり同じ夫婦と思われる二人を目撃していて、更には本人のプロポーズの言葉が『年をとったらおまえさんと二人してつながり乞食になって暮らそうなあ』だったとエッセイに書いていました。

おつながり

 実はこの『おつながり乞食』は戦前に東京の洗足池付近で知られた存在で、私は母親から聞かされて知っていました。洗足池で体を拭いていた夫婦の乞食を見たことがある、カミさんの方が少し知的障害があってダンナさんが物乞いをしているのに放っておくとどこかに行ってしまうので結構長い縄で繋がっていたとの話でしたが。
 小沢昭一は昭和四年生まれで蒲田育ち、亡き母は昭和六年の洗足で結構近い。おそらく同じ夫婦を見たに違いありません。そして北野武は私の七歳上ですが足立区がフランチャイズですから浅草あたりで見かけたのかもしれません。
 すると昭和の10年代から30年代まで東京中を彷徨っていたことになります。あの空襲の時はどこにいたのでしょう。そしてその後はどこに消えて行ったのか。
 後年に山形とか秋田での目撃の噂はあったようです。

 私の子供の頃、神田の昌平橋のたもとにやはり夫婦連れのホームレスがいました。橋の上にJRが通っていて雨がしのげたのですね。リヤカーを引いていた記憶がありますからクズ拾い(当時はそう呼んだ)をしていたと思います。
 お母さんが小さい子供をおんぶしていたのを見て、寝る時はどうするのか心配してました。
 それがですぞ、お母さんのお腹がドンドンせり出して来るのです。子供の僕はその機微がまだ分からず異常な太り方だと思ったのですが、今から思えばあの吹きさらしの中でゴザでも敷いてイタしたのだと想像すると・・・・なんと逞しい。そこには当時都電の路線が健在でそれなりの人通りもあったはずですが深夜の事ゆえ真相は分かりません。あの子供たちはその後どういう人生をたどったのやら。
 これも昭和30年代の話です。

 その10年後、フーテンというのが新宿に一杯いたこともありました。ヒッピーの日本版ですね。
 怖いもの見たさにグリーン・ホテルと呼ばれていた東口を出たところの芝生にゴロゴロしているのを見物に行きました。
『あれがシーザーだよ』
 と言われて物凄い長髪の有名なフーテンを眺めた記憶があります。どうもホームレスとは趣の違う難しそうな顔をした人でした。
 当時の新宿は(今もですが)そういった不思議な人達や明らかにその筋の人、オカマの立ちん坊、ロックンローラーが入り乱れて立ち眩みがするような街で、途切れないうねりのような人並みが朝まで無くならないのです。あの人達は今どうしているのでしょう。そうそう、シンナー吸ってる人が多かった。
 
 現在でも上野や隅田川沿いにブルーシートでテント村のような光景が見られます。その中には夫婦の方もいるんだそうです。中にはホームレス同士で知り合って結婚に至った例もネットにはありました(女性の方が20才くらい上!)。
 ま、色々あったのでしょう。中には病気・失業・借金・犯罪、様々な苦労の挙句にそういう暮らしを余儀なくされているのかもしれません。それでも逞しく生きるのはプロのフーテンと言えなくもない(実際には仕事がキラいな怠け者が多いとも聞きます)。

 これらの話、別に懐かしくもないですが忘れないうちに書いてみました。
 えっ私?私は風体こそ変でしたがちゃんと学校には通ってましたしずーっとカタギでしたよ。

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15年振りの邂逅

2018 JAN 17 19:19:20 pm by 西室 建

 とある休日に銀座に出ることがあって、お気に入りのお弁当屋さんのショーウィンドウを覗いていた。ここのお赤飯弁当が好きで今日の晩飯にしようかな、と迷っていたのだ。
「ニシムーロ サン!(ム にアクセント)」
 何だ?誰かが呼んだのか。
 振り向いて驚いた。旧知のアメリカ人が立っていた、実に15年振りくらいだった。
「What are you doing here?」
 思わずハグしてしまった(相手もオッサンだけど)。
 隣には物凄い美人を連れていて奥さんだと紹介された。奥さんは初めての来日、日本はとても素晴らしいと目を輝かせていた。

 この男イランからアメリカへの移民なのだ。知り合ったのはシリコン・バレーでしばらく仕事の付き合いがあった。小柄だが物凄いゴツい体。それもそのはずレスリングの選手としての訪米がきっかけでアメリカの大学を卒業した。
 一応イスラムだとは言うものの、すでにアメリカ人として酒くらいは平気で飲む。あの頃はイラン系だということでの苦労もしていた。
 当時彼がやっていた事務所を訪ねた、共同経営しているのはインド人と韓国系の三人という、グローバルの塊のような職場だった。そして面白い事にインド人は日本留学経験者で日本語が達者。韓国系ロバートは三世で完全にアメリカ人になっていた。
 実は知り合った順番を正確にいうとインド人が最初で、フィリピンの国内空港のスモーキング・ルームで日本語で話しかけられた。彼にこのイラン人を紹介され、この後シンガポールで韓国系ローバートとバッタリ会うことになる。
 シリコン・バレー界隈は今でもこのような人の流れになっているのだろうが、僕はその後すっかりご無沙汰になってしまった。

 奥さんのことでビックリしたことがある。てっきりイスラムだと思ったら違う。何教となのか(ヅロスタリアンと聞えた)分からず聞き返すとファイア・レリジョンと解説してくれて分かった。ペルシャのゾロアスター教と教えられたやつだ。へぇ、まだいたのかと感心した。
 だから奥さんは目の大きな彫の深い顔立ちにチャドルもターバンも纏っていない。そういえばインドのタタ財閥を形成しているパールシー族もペルシャ系で、未だにゾロアスター教だと聞いた。遺骸を鳥に啄ばませているのだろうか。
「これからミキモトに行くのよ」
 と言ったから
「そりゃテリブルだ。いくらでも高いパールがおいてあるぞ」
「オー、ノウ」
 又、会おうと硬い握手をして別れた。
 お互いの行動パターンを考えると、彼と銀座の街角でバッタリ会うのは天文学的確率ではないだろうか。連絡先も交わさなかったし今更仕事で繋がる事もない。リユニオンの機会も無いだろうから残りの人生で再会することは無いと思うと、感慨深いモノがある。
 しかし僕はこういう経験を少なからずしていて、去年これまた何年も会っていない知り合い(日本人の旧友と元同僚)に海外の空港でバッタリ会った。これも相当偶然に近い出会いにも拘らず、ロクに連絡は取っていないし向こうからも来ない。

 一期一会とはそういうものさ。縁が有ったらまた会える、とタカをくくる。それも僕らしいか。

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異邦人のあれこれ

Yokohama Yankee 邦題『横浜ヤンキー』


 

今年のプライベート十大ニュース

2017 DEC 27 19:19:49 pm by 西室 建

 年末に某所で温泉に浸かりながら、この1年を振り返ってみた。

1.まだスノボができた
 今年が最期かな、と毎年思いつつチョロっと滑った。体力の衰えが一番分かる。一日券を買っても滑る本数が年々少なくなり、遂に回数券(10回綴り)に変えた。そしてそれが余るようになってしまった。今年は5回分を捨てた。
 だが、だんだん意地でやってる感が強くなって”楽しんで”いる気がしなくなったのも事実。ゲレンデに僕より高齢のボーダーはまずいない。スキーヤーでもいないだろう。
 これで骨でも折った日には大バカだと言われること請け合いだ。来年どうしよう。

2.身内に災難多し
 周期的に厄災が襲ってきた。内容は膝十字靭帯断裂、原因不明の腰痛、そして身内の不幸と一年を通じてトラブルに見舞われた。こういう年もあるのか。
 そしてこのペースで行くとヤバいのでゲン直し。
 くよくよ悩みながら、どうしようもなく絶望的な状況でも、実はやさしい本当にいい人にでもなってみるか。切り抜けるぞ。

3.ヨット航海・旅には出られず
 上記事情により東京を離れられなかった。
 おかげでヨットはただの日向ぼっこに。バーベキュー会場に。そしてついに宴会場になってしまった。
 待てよ、海で泳いだかな・・・、一度入り江に飛び込んだ、良かった。
ライフ・ワークの中京地区古戦場巡りも結局行けず。
 喜寿庵で温泉の回数券を使うだけ。鍋焼きうどんがおいしかったけど。

4.ゴルフ成仏する
 1回1テーマ。今年は『寄せ』だった。
 トップするのが恐くて7番の転がしをやってみたが上達せず、結局サンド。ウェッジで落ち着いた。落ち着きはしたがスコアは全然変わらない。
 考えてみれば筋力・気力共に衰えているのだから、テクニック的には上達したことになるのではないかと思い直した。
 そしてゴルフの時に唱える念仏を考えた。
『まーがりたまえー、ころがりたまえー、ほりーたまえー、うちすぎたまえー』

5.数年ぶりの再会続く
 不思議な事に海外での空港で久しぶりに知り合い(日本人)とバッタリ。
 それもモスクワとシンガポール・チャンギーで。それぞれ3年振りと5年振りくらいだった。
 ところが僕らしいというか、どちらもあんなに仲良しだったのに再会の約束はしなかった。懐かしくはあるが今更会って話す事もないと思った。
 いや話してもいいのだが、僕が何をしてきて今何をやっているか、そしてその状況がどうなのかを説明するのが非常に面倒なのだ。
 来年連絡してみようかな。

6.大谷投手エンジェルス!おめでとう
 ファイターズは結局泣かず飛ばずで5位。原因ははっきりしているが、A級戦犯の一人、中田翔は涼しい顔で残留。増井・大野とそれなりの選手がFAで去っていった。
 そして大谷は長年の夢の実現のために海を越える。名前がいいよエンジェルス。来年は見に行きたい。アメリカってもう5年以上行ってなかった。
 ところでファイターズはどうなるんだ。栗山監督にまた秘策を授けなければ来年もロッテと最下位争いをする破目になる。嗚呼、ホークスは遠くなるばかり。

7.ギター復活の機運
 SMC中島さんのライヴを聞いて久しぶりにギターを握ってみた。
 弦を張り替えてジャーンとストロークしたところ、指がふやけ切っていてコードを押さえると痛いの何の。
 これでは最もギターが操れた高校時代のレヴェルに戻るのに1年はかかるだろう。
 これではどうにもならん、と安いウクレレを買った。これだって奥が深い。
 むかしアルト・サックスを衝動買いしてロクに練習もしないで売り飛ばしたなぁ。

8.インプラントで禁煙させられる
 2年ほど世話になっている女先生にインプラントを勧められ決心した。
 ところがそれからそのセンセイの禁煙攻撃が凄い。『タバコを止めなかったのでインプラントにうまく骨が形成されなくて歯が抜けた』とかいう話を散々聞かされ、終いには『何十万も払って結局無駄になった』と脅されて、ついに『しばらく止めます』と言ってしまった。
 するとその後行くたびに『あっ、まだ吸ってますね』と何故かバレて怒りを買うのでしょうがなく4日程止めた。タバコ吸ったくらいでくっつかない骨なんて・・・。

9.ゴールド免許を取った途端に
 一旦停止の所を走り抜けて新人の研修みたいななりたての女ポリスに掴まる。コノヤロウ・バカヤロウ!
 続いて直ぐにスピード違反で掴まる。
 それにしても生まれて初めてゴールドに辿り着いたこの僕の、血と汗と涙を何だと思っているんだ。

10.収穫順調
 ジャガイモは一年分、ピーマン・ナスはそれなり、大根は貧弱を数でカヴァー、何故か栗は採れない(台風であらかた落ちてしまった)。
 殆んどを自分で消費したので採算は取れっこない。
 しかし現在私がやっている唯一の生産活動なので止めるわけにもいかずつづけるとしよう。
 冬の寒いのに来年の春の収穫を狙って秘かにニンニクを植えている。

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モノを失くすという事

2017 NOV 28 21:21:17 pm by 西室 建

 僕はうっかり屋なのでしょっちゅう物を失くしていた。従って最近はできるだけ物を持たないようにしている。
 過去ヤバかったのは携帯・現金・カード等。
 酔っ払って無一文になった時の恐怖感、マニラのさる場所にパスポートごと置き忘れた時の絶望感も記憶に刻み込まれている。使っている手帳をどこかにやった時は身を引き裂かれたような気がして、全く同じデザインを見つけるのに一日中本屋・文房具屋を駆け回った。
 最近は年のせいかもはや心霊現象としか言いようのない事態になっている。これもおそろしい。
 喜寿庵の農作業に使っていた鉄の錆びた鋏が手許から忽然と消えたのには驚いた。さっきまで持っていて、失くすといけないと思って手許に引き寄せたにもかかわらず無くなった。無論必死に探したが、無い。無い物は無い。
 この鋏は切れ味はダメだったが手にした時の重量感が調度よく、長年愛用していたので寂しくてしょうがない。ネイチャー・ファームに行くと気になってアチコチ探すのだがない。新しく買ってもあの味わいは戻らないに決まっている。
 以前同じように可愛がっていたシャベルが消えたが、いつの間にか手許に現れて神に深く感謝した。
 もっと怖いのは(酔っ払ってはいたが)帰って来たら錨のマークの入っていたセーターを着てなかったこともある(ジャンパーは羽織っていた。タクシーで脱ぎ捨てたとでもいうのだろうか)。その直後にお気に入りのグレーのマフラーが突然消えて久しい。
 子供の頃は定規とか手袋を失くすと、その物が必死に僕を呼んでいるような気がして悲しかった。確か泣いたこともあった気がする。
 モノが消えるだけではない。
 記憶そのものが無くなっていることも多いのだろう。それはそれでいいのだが、こんなことを書き出したらマズい記憶が蘇ると困るので止める。そして失くしてしまった物自体は、自分から捨てた訳ではないからどこかで何かの役に立っているだろうと信じることにした。

 去年は親友を失ったし最近も親族を送った。この先自分だってどうなるか分からない。喜寿庵を整理し始めたら明治・大正の写真がワンサカ出てきて、かろうじて二代前までは顔が分かったが正体不明の人が殆んど。それらを見ているうちに、この人達のようにスンナリと忘れられたい衝動に駆られた。面倒なことをサッサと済ませてボケ老人になりたい(人の迷惑にはなるだろうが)と言ったら飛躍しすぎかな。
 何しろリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの名前が出てこなくて、検索したら分かるだろうが自分の脳がちゃんと思い出すという行為ができるか試そうとしたら半日苦しんだ。 

 子供は色々と失くしておとなになり、オッサンは失くしたことも忘れて消えたりして。

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

病室にて

2017 NOV 20 19:19:01 pm by 西室 建

ある人が入院し見舞いに訊ねた。その人は、静かに療養中だった。熱があるらしく私に気づくと『オゥ。良く来たな』と眠りから覚めた、笑顔である。
状況は深刻で一人では寝返りも打てず、痛みが走る。
『全く情けないよ』
僕は返事もできなかった。
お医者様は原因を突き止めて対策を打つと力強く仰るのだが、この年齢で外科的な手術などは本人は拒否するだろう。
するとどうなる。

外は雨が降っていた。思えば世話になったもんだが、今こうして共通に過ごしている時間の密度は私と違い過ぎる。この人ははるかに年上なのだ。
残りの人生の時間を分母とすれば、今流れている一秒一秒ですら何十倍もの密度になるはずだ。しかしただ治療に専念するしかないのである。
ポツリポツリと語るテレビから流れる時事問題、世界情勢、経済環境、何よりも我が国に起こっている様々な事柄、思うことは多いようだ。
しかし不自由な入院生活の不安や不満の方が深刻かつ重大な問題だと察する。
昔語りで、あの頃は楽しかったなぁ、と懐かしむこともない。
この人の事跡を考えれば楽しかったことは沢山あったのは想像に難くない。
元来が明るい人である。そして悲しい思いやつらい事は、逆に笑い飛ばしてしまうところがあった。

別の日には強い夏の西日の方に向いてジーッと見ている時に入室した。
『眩しくてね。こうしていると目が焼けるようだ』
と言う。目が合ってギクッとした、真っ赤なのだ。
もっと聞いておかなければならないことがあるはずだが、思い浮かばないままに淡々と会話が進む。やりのこした事はないのか、頼みたいことはないのか、聞いて欲しい事はないのか。
幸い原因はほぼ確定し治療も進んだ。しかし元の生活パターンに戻るには辛いリハビリをしなければいけない。
僕だったらその苦しさに耐える時間と残された時間を天秤にかけて、より楽な方を選択するだろう。常に前向きに取り組んでいるのに頭が下がった。
携帯は持ち込み可なので、色々な電話は入っているようだった。

暫くしてまた訪ねた。
すると超人的な気力を以ってリハビリ体操をしていた。
我慢強い。『一丁やってみるか』と声を出して自分からやっていた。
やはり体調が少し良くなってきているのだろうか、気概が伝わってきた。
8月になると終戦についての報道が増える。
「年に一度だけ思い出しゃいいってもんじゃない」
と言った。戦中派世代なのだ。
私のやや右ッパネの言動にも同意することは少ない。むしろ最近はこうも言った。
「安倍はやや危ないな」

すると入院三ヶ月を過ぎたあたりからみるみる回復し、歩行訓練をするまでに至る。途端に看護師さんの目を盗んでは禁止されているようなこともボチボチやるようになった。ヒョコヒョコとコルセットを付けずに歩いたり、の類である。要するに退屈しているらしい。
話し相手にでもなるかと訪ねると既に来客がいた。旧知の人のようだが何やら飲み会の調整をしているので仰天した。
また、別の機会にはナントカ会の名誉会長まで引き受けたようなのだ。
要するに退院するつもりでその先を見据えている。僕は振り返って自分を恥じた。先日はうんざりするような問題が公私に渡って持ち上がり、飛行機の中で前途を悲観して一瞬『これがこのまま墜ちてくれてもいい』とさえ思ったのだ。僕はまだまだだと思い知らされた。

リハビリに苦労しつつ
「もっと良くなってやる」
と不敵に笑った。そうか、僕も・・・・。

8月15日終戦に因んでのある話

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立ち止まってみた

おじさんだって前向きに生きる 

人は変わる どう変わる

我が友 中村順一君との会話

2017 OCT 9 14:14:20 pm by 西室 建

 彼の一周忌を迎えてしまう。往時茫々思いは様々、到底一言で括ることなどできない。
 彼と僕は共に真の保守主義者を任じていた。
 ところが細かい所になると各所にズレが生じていつもモメた。
 例えば靖国神社。彼は強烈な分祀論者で、例のA級戦犯合祀に憤慨していた。それに対し僕は、それでは東京裁判史観マル飲みになる、いずれにせよアメ公に犯罪者にされたに過ぎないから合祀は合理的である、と主張した。
 勿論先の戦争には大反対で、そこに至るまでを主導した東条英機に批判的だったから気持ちは分かるが、合祀以降昭和天皇は参拝しなくなった、などと痛い所を突いてきた。
 そして2・26だの一人一殺などというテロルを嫌った(当たり前だが)。
 ところがこれが『右翼』本流となると、正確には政治家=権力に対峙する反体制派で、決して現エスタビリッシュメントに迎合するものではない。その視点から言えば安倍政権も反米右翼からは攻撃される。
 そもそも合理的な理論というよりは昔から気質の問題で、今日でもそうは進化していないから日本が右傾化しているなどと言われると違和感を感じる。
 ガキの頃の我々は単純な愛国者程度の気持ちだった。
 ところがその時代の世相は大変で、憲法改正などと口走ると頭の切れる左翼が寄ってたかって僕達を苛めた。
 今から考えれば彼は数少ない、しかし油断のならない同志だったと言える。

 型を崩す事はなかった、というよりいやがった。具体的に言えば恥ずかしい話だが、僕は高校~大学と背中まで髪を伸ばしたり、ガリガリ・パーマのアフロになったり、テカテカ・リーゼントになって見せたが、その都度あからさまに不快な顔をした。『あいつは何であんな変な格好をするのか』と言っていたらしい。
 彼の家に遊びに行った後会うと
『オヤジがお前の狂った頭を見て「かわいいもんだ。旧制高校にはもっと凄いのがいた」と言ってたぞ』
と聞かされたことがある。 
 僕が愛好するボブ・ディランやローリング・ストーンズには見向きもしない。印象に残っているのは『若いモンの愛好する下らん音楽が流行って困ったもんだ』などと嫌がらせを言うのが常だった。
 はたして彼はカラオケなんかはやったのだろうか。僕は行った事はない。

 僕達はあまりにも長く付き合った。
 都会っ子でシャイな所も共通していた。第三者に僕を紹介するのに『幼馴染で親友なんです』という時は実にイヤそうだった。
 興が乗ると話を盛りまくり、10倍・100倍・10乗・100乗と吹くものだから、聞いている人は終いには何のことだか分からなくなってしまう有様だ。
 話をするのに国会答弁形式で掛け合うのもいつものこと。挙手をして『委員長』と言うと相手がありもしない役職名で指名する。『中村特別国家公安官』とか『西室枢密顧問官』と言った具合だ。すると指名された方が『ただ今の答弁には全く信ぴょう性がありません。そもそも』という具合にデタラメを喋りまくる。途中で言いよどむと相手がヤジを飛ばすという凝りようだった。
 バカバカしいことに誰も聞く人がいないのにやっていた。最後にやったのは指宿温泉の二人部屋でお銚子をバンバン空けながらと記憶する。人が見たらアブナいオッサンと間違えられたことだろう。

 不思議と彼が知り合いに僕を紹介することは多かったが逆はない。僕の仲間が彼とウマが合わなかったかと言えばそんなことはないはずだ。多分彼の放射するエネルギーが強すぎて『引力』の方が勝っていたのではないか。そういえば僕の他には右翼もいなかった。
 
 旅が好きだった。
 その趣味はロンドン駐在時に存分に発揮されたことは彼のブログに詳しい。
 僕が九州在住時にも何度かやって来たが、旅の終わりはいつも『それじゃまた近々』と握手して彼が東京にもどって行った。
 彼を見送ると自宅(単身赴任用マンションだったが)に帰るのだが、旅先ではぐれて置いて行かれた様な気がした。

 残された 人をこそ嗤え その愚かさを
    旅の終わりは  ないことと知れ

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我が友 中村順一君を送る

我が友 中村順一君を偲ぶ

我が友 中村順一君を悼む 

我が友 中村順一君を思う

我が友 中村順一君からのメール

我が友 中村順一君からのメール

2017 FEB 6 18:18:14 pm by 西室 建

宛)哈爾浜特務機関長
発)空母赤城航空参謀
 直チニ援軍ヲ送ル所デアルガ、友軍ノ劣勢ハ如何トモシガタシ。
 前線ヨリ至急戻り新京ノ陸軍病院ニ入院サレタシ。幸運ヲ祈ル。

 これは故人が友人である弁護士に送ったメールだ。その先生が体調を崩し、入院・手術となった際に送った。哈爾浜(ハルピン)特務機関長は弁護士先生、空母赤城航空参謀は本人のことである。

宛)大本営戦争指導課長
発)空母赤城航空参謀
 哈爾浜特務機関長ハ腹部ニ受ケタ敵弾ノ摘出ニ成功シ養生中。
 新京陸軍病院ニテ、秘密作戦会議ヲ行フニツキ明後日同行請フ。

 こちらは手術がうまくいった弁護士先生の見舞いに僕を誘ったメールで大本営戦争指導課長が僕のこと。我々はメールの際にこのような自称の役職をつくり文章に勿体をつけて遊んだ。文中の『新京』は東京の中野を指す暗号のつもりだ。自分たちの階級は相談の結果『大佐』とし、他の友達は勝手に『少佐』とか『中尉』にして呼称していた。
 実はこの遊びに弁護士先生も熱中して、初めは明野教導飛行師団長を名乗った。ところが何かのきっかけで(何だったかは忘れた)我々が適当にハルピンに左遷したことになったのだった。
 ある時、やはり共通の友人を『中尉』呼ばわりしていたのが、メールを転送した際にバレて、その氏は『お前等が大佐で何でオレが中尉なんだ』と本気で怒り出した。慌てて彼を急遽民間人『南満州鉄道調査部長』に任命してやった。ところが氏はそれも気に入らず関東軍総参謀長を自称するものの、我々はスパイ扱いして無視を決め込んだ。

 ところで弁護士先生の見舞いにはチャンと行った。
 その頃NHKで「坂の上の雲」を放映していて、故人はこれをビデオにとって熱心に科白を覚えだした。この辺は記憶力抜群の彼らしいところで、なぜか高橋英樹がやった児玉源太郎になりきって喜んでいた。しょうがないので僕は旅順を攻略した旭川第七師団長の大迫中将の役柄で付き合ってやったものだ。
『大迫、北海道の兵は強いそうじゃのう』
『閣下、強うございました。じゃっどん一万人の兵が千人にないもした(大迫は薩摩人)』
 よせばいいのに弁護士先生の病室で二人して熱中していたこのネタをエンエンとやって病人を怒らせてしまった。

 昨今ではハッキングだか何だか知らないが、大統領候補でさえメールは読まれてしまう。こういうメールをやり取りしていたのは随分と前だが、その時点でも co.jp のアドレスはチェックされているという噂はあった。
 すると、どこかで誰かが我々の事を謎の秘密結社と誤解するのじゃないかと期待して盛り上がり、暗号をたくさん作った。例えばシンガポールは昭南島(戦前の表記)にしてみたり南樺太や満州の地名を吉祥寺や田園調布に置き換えてみたのだが、いつもの事でお互いにエスカレートして終いにはどこだか分からなくなって止めた。
 まぁたとえ誰かがヒマに任せてハッキングしても頭のおかしいオヤジと思われるのが関の山だろう。思えばいいオッサンがバカみたいなことに夢中になったものだ。我々も分別盛りだったにもかかわらず、である。

 付け加えておくが、故人は保守派だが叔父上が二人戦死し父上もまた激戦のガダルカナルまで行った海軍一家のせいか戦争反対の論客だった。靖国A級戦犯分祠論者でもあり、並みの右翼キッド上がりの筆者と違って靖国神社には行かない。 
 ちなみに既に書いたかも知れないが、僕の父親が海軍の同期会代表となって『世が世であれば連合艦隊司令長官だ』と浮かれていた話をすると『実戦に行きもしないで(オヤジは卒業前に原爆投下され終戦)連合艦隊司令長官とは許し難い!絶対に認めるわけにいかん』と激怒していた。
 日韓併合・満州建国すべて間違った政策であり、脱亜入欧・海防強化を訴え続けたが、今日の世界情勢を鑑みて誠に慧眼だったと思う。
 第一次世界大戦から100年を過ぎたので、何故戦争に至ったのか、当時の世相について二人で研究してこのブログに残した。彼の「第一次世界大戦を考える」と僕が書いた「第一次世界大戦を考える オマケ」並びに「100年前の同時多発戦争」である。

 ところで僕の小倉時代に「国境視察」と称して故人がやって来たのが 小倉記 梅雨国境編 と 小倉記 年末鹿児島編であるが、この時のメールはこうだった。
宛)小倉第十四聨隊長
発)空母瑞鶴参謀
 戦局益々悪化ノ様相ニ至急国境視察ノ要有リト認ム。
 小官モ参加ス。貴官トノ機密作戦会議ヲ秘カニ設営サレタシ。
 尚、当日ハ完全武装ニテ極秘ニ行動サレヨ。

 まったく・・・。我々は50歳を越えた頃だった。

小倉記 梅雨国境編

小倉記 年末鹿児島編

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漫画ばかり読んでいた

2017 JAN 28 23:23:29 pm by 西室 建

 今から40年近く前、クソ忙しいペイペイの頃だった。コキ使われておまけに酒ばかり飲んでいたが、その泥酔と二日酔いの狭間で何をしていたかというと恥ずかしいことに漫画ばかり読んでいた。
 マンガ〇〇ー・漫画〇ラ〇・〇〇〇コミック・オリジナル・スペリオール・モーニ〇グ・リイド〇〇ッ〇、たまに少年〇〇〇〇以下3冊とキリがない。少なくとも毎朝何かを買って読みながら通勤した。
 ある日、業界新聞のコラムを読んでいた同僚の女性が顔を上げてジッと僕を見る。何かをコクられるんじゃないだろうかと身構えると、軽蔑に満ちた表情で言うのだ。
「ニシムロさんのことじゃないんですか、このコラム」
 渡された新聞を読むと大体以下のことが書いてあった。『毎朝通勤の始発の電車で良く見かける青年が座る(これは中野駅の東西線の折り返し始発と思われる)。物をわきまえたようにスーツを着こなす若いサラリーマンだが(当時は若かった)手に必ず漫画本を持っていて(ギョッ)読みふけっている。隣に座った時にその内容を目にすると、実にナンセンスでびっくりした(バイオレンス&ギャンブルが中心だったはずだけど)。子供が読むようなバカバカしい物をいい年をした青年が読みふけっているのは見るに耐えない』
 要するにオトナがこれでは将来の日本が心配だ、と言いたいのだ。そりゃそうでしょう。今でも印象に残っている作品はそれは凄いものだったから。
 だが今日では漫画どころか当時の僕よりもイイ年のオッサンがスマホ片手にゲームばかりやっている。これは進化したのか退化したと言うべきなのか。
 ところでその愛読していた漫画が記憶の彼方に飛んでしまう前にチョット思い出しておきたいと思う。
 大雑把に言ってバイオレンス系とギャンブル系を並べてみると。

バイオレンス系

『人間凶器』
 梶原一騎原作のカラテ物。例によって大山倍達がモデルの大元烈山なる名人が率いる空心会の若き空手家、美影義人が主人公。美影は空手の才能はあるのだが、どうしようもなく卑劣で女好き。自分のことしか考えていない最低の男だ。どうも若い頃に梶原一騎の姿が投影されているようで、時代背景も昭和の30~40年代に設定してあったと思う。
 ストーリーはメチャクチャで美影はアメリカに行った後メキシコにまで逃げ出す。挙句の果てにプロレスのリングに上がり、かのミル・マスカラスと対決までしてみせる。面白かったなぁ。

『野望の王国』
 後に「美味しんぼ」でメジャーになった雁谷哲の実にグロテスクな話。暴力団の妾の子である東大生が自分の野望のために次々と人を、兄までも裏切っていく。
 敵は警察官僚・敵対ヤクザ・政治家・フィクサー・宗教教団と強大な力を持っているバケモノばかりが手を代え品を代え出てくる。身長3mの大男や剣山の上で寝る怪物が、製鉄所を爆破したり自衛隊の一部を動員したり。絵もまた不気味で薄気味悪かった。
 主人公はこれでもかこれでもかと危機に陥り次々と人が死ぬ。脇役も怪しげなのばかりで名前がまた強烈。赤寺・銅魔(間だったかな)・大神楽とか。
 どうオチをつけるのかハラハラしながら読んでいたが、主人公がドンになって東大を卒業するところで終わり。多少肩すかしだった。

『まるごし刑事』
 現在も警察OBとして作家活動をしている北芝健の刑事物。まさか実体験ではないだろうが刑事(デカ)がステゴロで暴れまわる一話完結のバイオレンス・アクション。原作者自身も現在は道場主なので臨場感満載。特に相手がヤクザの場合の隠語の使い方がホンモノっぽかった。
 いくら何でもこうはいかないだろう的な話だったが、愛読していた時に作者が警察OBだとは知らなかった。
 出てくる女性の絵が太目だったところがミョーに色っぽい。
 ところで原作者の経歴には疑問が出ていることも申し添えておく。警察学校時代は正義感の強い人だったのは事実らしい。

ギャンブル系

『麻雀新撰組』
 一話完結の麻雀漫画で、かの阿佐田哲也が主催し麻雀雑誌にコラムを載せた麻雀新撰組をベースに劇画作家の小池一夫が書いた。オリジナルの小説からのネタもあるにはあるが実際は全く別の作品である。
 阿佐田哲也を思わせる局長と一見堅気風オヤジに学生っぽい若手のトリオで、大勝負をしたりイカサマを見破ったりする。
 タグのつけ方が秀逸だった。覚えているのは「賭博船血風録」とか「牌帰る」「麻雀未亡人クラブ」だったかな。
 こういうのを読むと自分が強くなったような錯覚を起こし、実際に卓を囲んでは負けていたものだった。

『パチンカー人別帳』
 「釘師サブやん」や「包丁人味平」の原作者でパチンコメーカー西陣に勤務経験のある牛次郎の原作。流れのパチプロが秘打を引っ提げて全国を巡る一話完結型の漫画。
 内容は大体女性がイザコザに巻き込まれているところに出くわしてその女性を助け、何故かパチンコで勝負になるという荒唐無稽なストーリー。
 その主人公の名前と繰り出す秘打が(もちろんあり得ない技だったが)何といったか記憶にない。たしか巻枝?だったか、技の方は「ナントカ走り」とか「カントカ落し」だったか。

 他に少年誌系があって、これは・・・・イヤ、やめておこう。

 こんなものばかり読んでいれば人間はこんなになってしまうのですぞ、お若い方々。

『職業としての小説家』 読後感

酷な出題


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