九月花形歌舞伎
2013 SEP 18 12:12:48 pm by 西 牟呂雄
陰陽師、を見てきた。染五郎・海老蔵・愛之助・松録それに勘九郎・七之助と人気どころが出ていて、評判もよろしい。そして新歌舞伎座。昔を懐かしむ人も多かろうが、私はなかなか古きを尊んでいると感じた。舞台は奥行きも幅も少し拡がったようで、その分書き割り、照明、音響に新機軸を取り入れ、伝統芸能が時代に沿った進化をとげつつあるのを頼もしくも思った。スモークが使われ、舞台に火炎の上がる仕組みも取り入れられた。
陰陽師は夢枕獏の原作で、例の安倍晴明が平将門の怨霊と戦うのが軸になっている。歌舞伎のあらすじなんぞ、どれも荒唐無稽な話だからこれはどうでもよろしい。その将門を海老蔵がやっていた。この人は私も予て六本木界隈での酒癖の悪さは聞いているが、芸はホンモノ。華があって決めるところはキメるんですな。ただこの家系は声に難があって、特にくぐもる台詞はイケナイ。もっと張り上げたり見得を切っていればいいものを、とは感じた。しかし、台詞回しは新作らしく現代口語で分るし、宙乗り、大百足、さらに蘆屋道満まで出てくるテンコ盛り、楽しめることは楽しめるのだが。こう言っちゃなんだが大百足の振り付けなんかもう少し手の揃えを稽古しないと学芸会の一歩手前になってしまわないか。
伝統歌舞伎の味わいに江戸言葉が染みこんでいる。よく分らない人達にはイアホンのサービスもついていて、今でも口をついて出る台詞もいくつもある。それが現代歌舞伎の泣き所なのだが、一発決めるキメ台詞に欠ける。下手にやると宝塚みたいになってしまう恐れ有り。脚本が苦労して中身を造ろうとしているのは分るのだが『ひとは何のためにこの世に出づるのか。』『おまえはオレの本当の友か。』といった言葉を現代語でしゃべられると、映画じゃあるまいしたかが歌舞伎だろうが、といった気分になる。作家の浅田次郎氏がどこかに書いていたが、歌舞伎の台詞は別に上品でも何でもなく、下町の言葉。私は浅田氏の生家の近く、神田淡路町の生まれなのでほぼ分る。歌舞伎は本来大衆芸能なのだ。
それであるが故に、磨かれた芸や言い回しが光るもののみ後に残っていくのではないだろうか。そして鑑賞する側にもそれなりの研鑽とまでは言わないが、作法がある。見得の時に大向うから掛かるかけ声なんかはその典型だ。タイミングを外したり、屋号を間違えてしまえばその場はドン引きとなる。東 大兄が連載中の「ベートーベン聞き込み千本ノック」が読者を得ているのはそこだ。しかしながら、伝統芸も冒頭に書いたように仕掛け・小道具を含め変らなければならぬ事は自明の理。陰陽師は実験的舞台として高く評価される。それにしても海老蔵さん、あなたテレビは止した方がいいと思うんだけど・・・。
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Categories:古典
東 賢太郎
9/18/2013 | Permalink
小職、日本の伝統芸能はお手上げであります。連載してぜひ啓蒙をお願いしたい。
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[…] ブログ九月花形歌舞伎における西室兄の指摘は正鵠を得ている。歌舞伎を知らない僕は、歌舞伎にそういうものがあるかどうかもよくは知らない。それでも、「見得の時に大向うから掛かるかけ声」というのは、単なる本能的な歓喜の雄叫びであるブラヴォーなどとは違ってタイミングを失するとアウトだということぐらいはわかる。 […]