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クラシック徒然草-鑑賞する側の作法-

2013 SEP 19 17:17:45 pm by 東 賢太郎

鑑賞する側にもそれなりの研鑽とまでは言わないが、作法がある。

ブログ九月花形歌舞伎における西室兄の指摘は正鵠を得ている。歌舞伎を知らない僕は、歌舞伎にそういうものがあるかどうかもよくは知らない。それでも、「見得の時に大向うから掛かるかけ声」というのは、単なる本能的な歓喜の雄叫びであるブラヴォーなどとは違ってタイミングを失するとアウトだということぐらいはわかる。

クラシックの演奏会というのは1時間も黙って同じ姿勢でいるのだからちょっとつらい。だから子供は入れないことになっている。しかし、おしゃべりこそする人はいないが、プログラムをペラペラめくる人は多い。あめ玉をむこうとしてセロファンのパリパリ音を延々と立てる人もいる。あまり長いので、むいて差し上げましょうかと声をかけたくなる。イビキをかいて寝る人、時計のタイマーを鳴らす人。いろいろある。

日本人は一般的に拍手の入りが早い。フライング拍手というそうだ。最後の音を待ってましたと間髪入れずに出る。ドイツやイタリアでそういうことはあまりない。余韻も音楽のうちだし、休止符で終わっている曲もある。田園交響曲などしばし誰も出ない時があって、その不意にぽっかり空いた時間がとても良い感じだった。たいしたことない演奏には拍手はそれなりにしか続かない。聴衆はとても厳しいのだ。ところが日本はそういうのでもブラヴォーが飛びまくる。あれは花束の女性とセット割でもあるのかななどと考えててしまう。

チャイコフスキーの悲愴は、第3楽章の終わりで拍手が出てもああ来たなと受け流せるだけのたゆまなき精神の鍛錬を必要とする交響曲である。しかし消えいるように終わる第4楽章の勘違いブラヴォーだけは心の防御のしようがない。一度など、やはりそれを恐れている指揮者がわざとまだ棒をおろしていないのをあざ笑うかのように見事に出た。それも、すわっ、誰かニワトリを持ち込んで首をしめたか!とびっくりするようなのがだ。あまりのフライングだったのでまさかブラヴォーと思わず本当にニワトリを心配してしまった。翌日のオケの人のブログに「光栄ですがもう少しいい声でお願いできれば」とあった。さすが紳士だ。

これもチャイコフスキーだが、5番の第4楽章だ。コーダに入る前に大音量で終止する。和音はドミナントだから「終わった感」はどう考えてもまるでない。ところが何とここで後方座席の一角を占める一群から轟音のような大拍手がおこった。それもけっこう確信をこめて思いっきりだ。100%想定外の不意打ちを食らってそこから先は僕は音楽がわからなくなってしまった。指揮者もびっくりしたろう。何とかという音楽好きの芸能人が弟子かなにかたくさん引き連れてきていたという話を後で知った。

新世界の第2楽章でイングリッシュホルンが切々とあのメロディーを吹いていると、2階席でピロピロピッピッピーと間の抜けたケータイの着メロとおぼしきものが鳴った。怒った1階の前の方の中年の男性が楽章が終わると2階に向かって大声で怒鳴った。それを見た指揮者(外人)が彼にThank you very much, sir. と笑顔で最敬礼したので場が和んだ。

まあこういうのは聴く側の研鑽というより、それ以前のマナーの話だろう。こればかりはどうしようもないので、ホールやオケを選んで出かけることになる。招待券をばらまいているようなのは概してだめだ。室内楽など好きな人しか来ないようなのはまあいい。ただ静かならというものでもなく、周囲の聴衆が感動して聞き入っているとこちらにもそれがわかる。演奏者にもわかるのだろう。そうすると名演奏になったりする。やっぱり研鑽は皆でした方がいいのかなとも思う。

 

Categories:______クラシック徒然草, ______世相に思う, クラシック音楽

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