Sonar Members Club No.36

カテゴリー: プロレス

過剰な陶酔 アントニオ猪木

2022 OCT 9 11:11:42 am by 西 牟呂雄

 ジャイアント馬場が逝って四半世紀。常にその対立軸として語られたアントニオ猪木が鬼籍に入った。。
 読者の方々はご存じだが、筆者は馬場派を公言していたこともあり、訃報に接してもどうにも筆を執る気になれなかったが、昭和がまた一つ遠のいた感は否めない。
 無類の勝負感。相手の技を全て受けきるスタミナ。技のキレ味。オリジナリティ。どれをとっても比類ないレスラーであったことは筆者も異論はない。延髄蹴りはアメリカでも『ENZUIGIRI』である。
 そして最期に至るまでの道のりは苦難の連続でもあった。良く知られるようにブラジルでの貧しい生活。修行時代の力道山の度を越したシゴキ。東京プロレスの失敗。怪しげな投資。いずれも世間知らずの大男が騙されるパターンに過ぎない。
 いや、むしろ自分から悪手を求めて突っ込んでいったようにさえ見える。そこには過剰な挑発、ほとばしる自己陶酔に取り憑かれた男がいた。
 例のモハメド・アリとの1戦を見てみよう。アリが冗談半分で言った『オレに挑戦する東洋人はいないか』に即座に反応する。それまで黒人とばかり戦っていたアリの悪ふざけだった。
 すると、こともあろうに新日の営業部長だった新間寿がアリの記者会見場に乗り込んで、直接挑戦状を突き付けて煽りまくる。怪しげな人脈と軽薄なマスコミが一斉に群がって大騒ぎになった。代表的な人物が伝説の呼び屋と言われた康芳夫である。
 高額のマネーに目が眩んだか冗談のつもりか、エキビジョン・マッチだと思い込んだアリはろくにトレーニングもしないで来日するが、猪木サイドの本気度に仰天し、キャンセルをチラつかせて様々にルールを弄った。やれ掴むな、投げるな。後に引けなくなった猪木は全て飲んでアレしかないアリ・キック一本鎗で戦う。気の毒に凡戦扱いされたが、筆者の目には膝にキックが決まった時のアリの引きつった表情がはっきりと見えた。
 アリの周りにはボディ・ガードを自称する親日の経費で来日したマフィアのような連中がセコンドをウロウロし、猪木サイドのレスラーと火花を散らす。実際にはかなり危なかったに違いない。そして採点によるドローというプロレス的な引き分けは胡散臭いものだった。アリはグローブの中のバンテージに細工していて、カスっただけで猪木のこめかみが腫れあがったと噂された。胡散臭いことに康芳夫はピンクのガウンでリングに上がって来た。
 アリのパンチは当たらず、我々ツウは猪木の圧勝だと語り合った。当たり前の話だが、相手のルールでやればボクシングも空手も柔道も最強だ。ルールがなければプロレスこそ最強なのは自明の理。ストリート・マッチだったらば相撲だ。多少解説すれば、何でもありのバーリトゥードの場合は常に組技・関節技が勝つし、プロレスともなれば他の競技と違って反則での一発負けにはならない。かつて猪木がセミ・ファイナルで使われていた頃。ジャイアント・チョップに対抗してアントニオ・ストレートなる決め技を駆使していたが、拳でブン殴るだけだ。初めから反則なのである。
 クドクドと述べたが、要は話題にはなったがやらなくてもよかった大イベントだった。
 この辺りから、ならなくてもいい参議院議員、行かなくてもいい北朝鮮(イラクではそれなりの効果はあったものの)、しなくてもいい投資、といった無理を重ね、世間は喝采と冷笑を送った。しかし、筆者は面白く思い(内緒だがスポーツ平和党に投票もし)ながらも『哀れな』という一抹の感傷を覚えずにはいられなかった。最後には病身を晒し、そうまでして追わなければならない自分というものが、何と空しいことかと言ってしまえば言い過ぎか。
 猪木は55才で引退したが、馬場は還暦をすぎてもリングに上がり、全く自分から仕掛けないという境地に至った。もし、あれだけのレスラーとしての能力と名声がなければ、こういうタイプは犯罪者になったかもしれない。同様なことはアリにも言えるだろう。ただし両者ともリングを降りればやさしい人だったと聞く。
 好漢安らかに眠れ。よく戦った。 

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アーロン・ロドリゲス・アレジャノの叙勲

2021 NOV 4 20:20:19 pm by 西 牟呂雄

 名誉の旭日双光章に叙せられた外国人の中に提題のアレジャノ氏の名前があった。
 社会の各分野で顕著な功績をあげた人を叙す旭日章の5番目で、かつては勲五等という格式である。
 アレジャノ氏といっても余程のツウでなければ分からないだろう。氏こそ「千の顔を持つ男」「仮面貴族」の異名で知られるミル・マスカラスその人である。

キャーッ

 我々長年のファンにとっては望外の喜びであり、プロレスというチトややこしい世界が脚光を浴びるのは誠に結構な話である。そもそも虚飾とフェイクの塊のようなオトナのメルヘンが、社会的に認知されるきっかけになればこんな嬉しいことはない。ファンでなくともミル・マスカラスの名前くらいはご存知のはずで、日本ではそれくらい人気が高かった。もっともスペイン語の『ミル』は『千』の意味で、「千の顔を持つ男」はそのまんまの直訳。『千』にしても試合用のマスクは知る限りでは3種類ぐらいだったと思う。スカイ・ハイのテーマに乗って入場の際は、マスクの上に更にセレモニー用のマスクをかぶって入場。コールされるとそれを脱ぎ捨てて会場に投げる、というパフォーマンスをしていたが、あれも別にプレゼントしてくれるわけではなく、若手レスラーが回収して使い回していた。一度会場でそのマスクを手にした子供から取り上げているのを見た。
 技の充実は申し分なく、高く飛ぶ『フライング』と呼ばれたクロス・チョップ、ボディ・プレス、ヘッド・バット等は破壊力も抜群だった。加えてメキシカン・ストレッチ系のロメロ・スペシャルのキレ味も素晴らしい。
 ボディ・ビル出身なので、その体型は素晴らしく維持されていたが、僕はドーピングの疑いが捨てきれなかった。筋肉のオバケ的なところがあって、通常はやりすぎるとハルク・ホーガン型のハゲになるはずだがマスクマンだから分からない。
 かつてはマニアックスを名乗るファン・クラブがあって、東京の大試合になるとそろいのマスクで騎馬を組んで入場したりリング・サイドで特別に応援したりして羨ましく、入りたかったのだが当時はネットなどもなくてどうしたら入会できるか分からなかった。
 印象深い試合としては、田園コロシアムで見た雨中のジャンボ鶴田戦が上げられる。そのころ凄いジャンプ力だった鶴田のドロップ・キックがスクリュー気味に決まったのに対し、フライング・クロスチョップで応酬。場外の鶴田にコーナーポスト最上段からボディ・アタックを浴びせた。もう一試合、

恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

 でも書いた、デストロイヤーとの殺気に満ちた試合が懐かしい。

 もちろん母国では国民的英雄で、マスカラス主演の映画が何本も撮られた。ほとんどが探偵ミル・マスカラスが美女を助けるC級映画で、最後は2007年『ミル・マスカラス対アステカのミイラ』というそうだ。見たことはないが筋は想像がつく。
 ところで、いくら人気者だったとはいえなぜミル・マスカラスなのか。人気の面からでいえばドリー・テリーのファンク兄弟の方が上だったろうし、来日回数ならばスタン・ハンセンやブッチャーの方が多い。かのビル・ロビンソンなどは、UWFスネークピット・ジャパンのヘッドコーチとして1999年から約10年間高円寺に住んでいて、しばしば目撃されていた。
 叙勲は各省各庁の長から推薦されてくるのだが、選考過程において➀ 中米の枠が余った ➁ どこかの省庁に熱烈なファンがいた、のではないか。そして仮にプロレス好きなお役人がいても反則魔や流血大王だったらダメだったろう。一応テクニカ(ベビー・フェイスすなわちイイモノ)だからその点はクリア。
 叙勲され天皇陛下に拝謁する際にあのマスクをしていていいのだろうか。もしいいのなら、いっそ写真のようなコスチュームの方が盛り上がると思うのだが・・・・、ダメか。
 
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1985年のロード・ウォリアーズ 

2020 OCT 10 0:00:57 am by 西 牟呂雄

 厚い胸板、強烈な顔面ペイント、モヒカン刈りと頭頂部をそり上げた逆モヒカン、女性のウェスト程もある腕回り。技も何もない。ぶちかまし、殴りつけ、蹴り上げて、叩きつけるだけ。強い。無敵のタッグ、アニマル&ホークのロード・ウォリアーズの入場だ。そもそも花束贈呈も選手紹介も成り立たないのだ。リングに駆けあがってくるといきなり襲い掛かって試合が始まる。メインエヴェント以外の試合、すなわち来日して直ぐにセミ・ファイナルで若手レスラーとやった時はほとんど秒殺だった。

エグッ‼

 タイトルマッチでも大体ノーコンテストか両者リングアウト。誰が何をやってもフォール負けということがない。そして凶器攻撃のような反則など一切やらず、次々と相手をぶちのめしていく。
 1985年、全日本のリングを襲ったロード・ウォリアーズはひたすら強くかっこよかった。インターナショナル・タッグ選手権に挑戦された鶴田・天竜戦では、あの天竜がアニマルに2回もリフトアップされて投げ落とされた。長州・谷津は長州がサソリ固めをかけると楽々と腕立て伏せをしてみせる。
 ウォリアーズ攻略を研究した僕は弱点は二人の足首だと見抜き、アンクル・ロックかドラゴン・スクリューで攻めろと声援を送ったが、そこまでに至らないうちに粉砕されてしまう。馬場・輪島組も歯が立たなかった。
 話は変わるが1990年代に一時流行ったCMで、アマゾネスみたいな巨漢の女性が「(水の中から姿を現し)ダッダーン!ボヨヨンボヨヨン」と身をくねらせるわけの分からないのがあったが覚えている人はいるかな。これはピップのダダンという栄養ドリンクのCMで、出てくるのはレジー・ベネットという女子プロレスラーだ。この人はウォリアーズのホークの彼女だった。さらにどうでもよいがこの振付を考えたのは投身自殺したコメデイアンの故ポール牧である。
 数々の合体フォーメーションはマネジャーのポールエラリングが振り付けをし、リング下からも細かく指示を出していた。このあたり従来型のタッグマッチより洗練されており、ツウをうならせる新しいスタイルと言えたが、なぜかこの流れは消滅する。現在のWWEではマネジャーがいるケースもあるが、それよりもレスラー本人が色々と発信するスタイルに変わってしまった。

右が佐々木健介

 90年代に新日に参加した際に、脊椎損傷によるアニマルの欠場を受けて日本人パワー・ウォリアーとなって組んだのはあの北斗晶のご主人となった佐々木健介で、このチームも強かった。
 逆モヒカンのホークは薬物問題でWWFから追放されたりしていたが、2003年に心臓発作で急死する。46歳の若さだった。ドーピングしていたのはミエミエで240kgのベンチプレスをガチャガチャいわせながら挙げていた。やはり使い過ぎたのだろう。
 残されたアニマルはその後もリングに上がり、2000年代初頭には来日して武藤啓司と組んだり佐々木健介と再びヘル・ウォリアーズを結成したりして活躍した。そのアニマル、先月ツイッターにより訃報がもたらされた。こちらは60歳。合掌。
 当時、研究者の間でウォリアーズはヒール(悪役)かベビー・フェイス(善玉)かの論争があり、僕はベビーフェイスだと主張した。すると、それではなぜ日本人にあの手のタッグ・チームがないのか、と反論され答えに窮した。そもそもタマがいないのだ。かろうじて僕が出した結論は、ジャンボがヒールに転向してペイントし、新日本の武藤啓司のグレート・ムタと合体すれば成り立つ、というものだった(当時アメリカではグレート・ムタはカブキの息子というギミック)。見たかったなあ、翻っていまではこのタイプのレスラーがほとんどいないことが寂しい。
 ところでアニマルの二人の弟はジョニー・エース、ザ・ターミネーターとして知られるレスラーであり、息子のジェームズ・ロウリネイティスは5年4220万ドルという契約をしたNFLセントルイス・ラムズのラインバッカーというスポーツ一家だった。

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ZERO1にプロレス根性を見た

2020 JUN 12 0:00:30 am by 西 牟呂雄

 3月1日の後楽園ホールの試合をCSで流していたので見た。巷でそろそろコロナがヤバくなった頃の試合だ。これ以降プロレスは興行不能になったので、今頃になってもまだ見ることができたのだ。
 久しぶりのZERO1(以下Z-1)である。実は全日本で結成されていたブードゥー・マーダーズのファンで、TARU(本名:多留)という選手にずっと注目していた。

TARU  エグッ

 ブードゥー・マーダーズのメンバーの変遷とZ-1移籍の経緯は複雑なので割愛するが、Z-1ももう直ぐ20年という歴史を積み重ね、なかなか頑張っている。客もそこそこの入りだった。
 そしてTARUがクリス・ヴァイス・横山・RAICHOを従えてリングに上がってきた。対するは日高・菅原・久保田兄弟の8人タッグだ。
 大将格のTARUがリングに姿を現しド派手なコスチュームの前を広げると、オォ!なにやら牛乳瓶のような形状のものを裏に仕込んでいるではないか、それもたくさん。
 試合が始まると、これはもうザ・プロレスでラフありテクニックありトペ・スイシーダの大技ありの迫力で誠に結構。そしてリング外での攻防の最中にブードゥーの攻撃がレフリーを巻き込んでしまい、しばらくレフリー不在のメチャクチャな展開となった(まっレフリーがいても同じなのだが)。
 そこへGMの三又又三(みつまた・またぞう)がサブ・レフリーとして急遽リングに駆け上がって来た。さあ、ここからだ。ついにTARUが持ち込んでいた謎のビンを振り回すと何と白煙が立ち込める。中身は正体不明の(多分ただの粉)パウダーだった。
 すると何ということだ!レフリー三叉までが一緒になってパウダー攻撃を仕掛け、もうもうと煙るリングでTARUが日高にデスバレー・ボムを決め勝負がついた。

 試合後、三叉は御覧のコスチュームで現れ、自分のイカサマ・レフリー振りを棚に上げて堂々とブードゥー入りを宣言する始末。
 ここで多くのインテリ諸兄諸姉は繭をひそめるだろう。全くの八百長だ、と。
 だが我々のようなスレた観賞者は思う。天晴れなアナーキーさだ。ただの潰し合いはプロレスとは言わない。バーリトゥードやアルティメットがどうしてもエンターテイメントに成りきれないのはそのアナーキーさを演出できないから。
 ここで改めて言いたい。
 プロレスとは異能者が肉体の限界を見せる芸である!
 そうであるならそれなりの芸風と作法があり、それが選手の個性を際立たせる。我々が求めるのはそこで繰り出されるアナーキーさの味だったのである。
 プロレス万歳

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令和の新日本プロレス

2019 NOV 24 5:05:48 am by 西 牟呂雄

 プロレス・シーンのトップ・コンテンダーとしてのポジションを得ていた親日も、多くのインディーズ団体の乱立とその他格闘技の興隆を経てその姿を変えて今日に至っている。
 先般、さるプロレス識者から、ジェイ・ホワイトについてのコメントを即されてつくづく思う所があるので筆を取って自分の考えを整理してみたい。
 実は筆者はジェイについてはいささか苦々しい思いで見てきた。
 それは、日本における外人ヒールの立ち位置の変遷に大きく係っている。

ジェイ 結構ダイナミックだが

 言うまでもなく小生はかつてはゴリゴリの全日派で『馬場式プロレス』をこよなく愛してきた。ランニング・ネックブリーカー・ドロップやスピニング・トゥ・ホールドが好きで、ブッチャーの地獄突きや和田京平レフリーのアクションを好む、かなりの研究者を自称している。昭和の全日のヒールは凶器を使うという古典的な怪物的扱いだったのだ。
 平成時代には、以前のようにのめり込まず、三沢・武藤あたりに注目しつつ大日本やFMWと派生していくゲテモノ路線を楽しんでいた。即ち、アングルにせよヒールには独自のファイト・スタイルが不可欠で、その勢いでゲテモノ路線も支持していたのだ。
 たまに観る新日では、例外的に天山に声援を送った。あのモンゴリアン・チョップが好きだったからである。
 このあたりでヒールがややコスプレ化したと言うべきか。反則は減り、憎憎しげに振舞う演技力のみが求められるようになったのだろう。ここまではいい。
 平成中頃に新日はゲーム・ソフトのブシロードに買収された。僕はオカダ・カズチカ、棚橋あたりに注目したが、じきに離れる。社長がオランダ人のハロルド・ジョージ・メイに代わってエンタテイメント路線が目に余るようになったからだ。この人は子供の頃日本にもいたことがあり日本語もうまい。タカラトミーを立て直した辣腕事業家である。
 そのせいかどうか、観客の見方までが以前と変わって来たフシがある。
 上記プロレス識者はそこを鋭く指摘され、最近のジェイ・ホワイトの台頭には批判的な立場とお見受けした。
 確かに、ジェイの売り出し方は僕も大いに気に入らない。
 イギリスでデビューした後、新日の入門テストをパスしてきたニュージーランド人。いわば叩き上げだが、親日としてはあの『片翼の天使』ケニー・オメガの後として育成する営業戦略のようである。
 ところがヒール(悪役)で行こうということでバレット・クラブ軍団のリーダー格に押し上げ、邪道・外道を従えたアングルを作った。
 これはいかがなものか。少し安易に過ぎないか。
 何しろまだ30前の若者だ。本来ヒールはいいかげん年を喰ったオッサンがズル賢くやるか、本当に頭がおかしそうなアングルか、たとえ若くてもベラボーな不気味さを持て余しているくらいじゃなきゃ勤まらない。これは会社の方針だろうが、WWEスタイルのつもりだったらこのヒール路線はいささか甘い。そもそも周りのレスラーも、WWEのスーパースター達のようにキャラが立っていない。
 更に結構体が充実している割に組技とのコンビネーションが少なく全体がヘビー級の動きになっていない。
 やはりベビーフェイスの王道を歩ませるべきではないのか。このままでは伸び悩んでしまう。今のジェイは全日本に初めて来た時のブルーザー・ブロディのぎこちなさが被る。ブロディはその後キャリアを重ね、ハンセンとの超獣コンビをきっかけに大成した(性格は悪かったが)。
 上述プロレス識者が警鐘を鳴らすようにケニー・オメガの貫禄をこえられないであろう。第一ケニーはバレット・クラブではあったが、日本のファイト・スタイルに馴染むひたむきさが感じられたものだ。

青柳亮生 青柳優馬 

 一方の全日を見ると、後楽園ホールでの少ない観客にも拘らず、諏訪魔や石川修二のボテ腹ズブズブのラフ・ファイトや、若手の青柳兄弟の一途な試合展開をみていると、いつの間にかストロング・スタイルが甦っている(UTAMAROとヨシタツの試合はショボかったが)。たまたま見た試合では青柳弟が片海老固めでギブ・アップを取っていた。
 親日がWWE路線を目指しているうちにカラーが入れ代わったかのようだ。 WWEはテレビ観戦はそれなりに面白いのだが、それなりに分厚い役者が揃ってなければ成り立たない。かつて高田延彦の『ハッスル』がその路線を目指したが、チープな筋書きと選手層の薄さで失敗に終わっている。

 今からでも遅くない!もうちょっとタメをつくれば一皮剥けるはずだから王道を行け、ジェイ・ホワイトよ。新日本プロレスよ。

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

10.21横浜文化体育館

棚橋弘至の『パパはわるものチャンピォン』

歩く火薬庫 来島又兵衛のラリアット

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W-1(レッスル・ワン)を見て思うこと

2019 OCT 15 7:07:21 am by 西 牟呂雄

 場所は横浜文化体育館。T-HawkVS稲葉大樹、と言っても知らないでしょうな。プロレスですがね。この試合は今日のプロレスのある面を示していました。
「なめんな!」
「もっと来い、ノヤロウ」
 の声がマイクに入ります。エルボーの打ち合いから張り手まで、意地と根性がぶつかり合う展開に胸が躍る。
 W-1(レッスル・ワン)は武藤敬司が全日本から分離して設立した団体で、当初はまるっきりのアメリカン・スタイルでした。その後、他団体との離合集散をしながらも何とかしのいでいます。
 表題の横浜文化体育館は彼等がしばしばタイトルマッチを行う、言ってみればフランチャイズなので、両選手も力が入るのは当然です。
 T-Hawkは本名小野寺卓也、トマホークTTを名乗ってデビュー。駒大苫小牧の野球部で田中将大のボールを受けたこともあるそうです。
 その後なかなか伸び切れず、ひどいギミックで使われたりしましたが、今年W-1チャンピォンとなっての防衛戦でした。
 稲葉大樹の方は元全日本でペイントレスラーとしてカナダで修行。結構打たれ強いタイプの選手です。
 試合はT-Hawkがしばしばナックルで殴りかかるのに対し、稲葉の張り手でT-の目が一瞬泳ぐ、ツウには応えられない。
 稲葉のスリーパーホールドにT-の顔が真っ赤になります、そろそろ詰めだ。稲葉は卍固めの後にドラゴン・スープレックスを何発も打ち、結局、極反り卍固めでギブアップを取った!
 ところがそこからなんですがね、稲葉はマイクを取ると「T-Hawkさん、ありがとうございます」などとアピールしたのはプロレスっぽくない、よろしくありません。  

 別の日にノアのジュニアヘビー級の試合、原田大輔vs小峠篤司も観賞しました。共に大阪プロレス出身でプロレスを良く知っている好試合。ただこちらは、むしろ和田京平レフリーの裁きに見入ったものです。
 目下のトレンドとも言える試合を見てつくづく思うのですが、あのナイトライド、ガット・マスター、カタヤマ・ジャーマンもキル・スイッチも危険過ぎるのではないでしょうか。場外に至ってのパイル・ドライバー系の技も正直見るに耐えない部分が残ります。
 その割りにマットが柔らかくなったのか、選手が軽量なのか一発で決まらない、カウント2.9で跳ね返すのが当たり前です。
 ロープ・ワークも昔のようにドロップ・キックを合わせることはありません。というかドロップキックそのものがもはや滅多に見られない。筆者のようなオールドファンは、あのジャイアント馬場の重い32文ロケット砲の破壊力が懐かしくさえ思えてくるのです。グレート・カブキが高千穂明久だった頃のスクリュー・ドロップキックなんかはもう見られないのでしょうか。
 そして観客はその危険な技の応酬を煽りにあおっているのはいかがなものか。昔であれば一発必殺だった技が繰り返し繰り出されるのにも違和感があるのです。無論選手は体を十分に鍛え、かつ体は大変柔らかく、練習もしている。
 この違和感の正体は何か、その謎に迫ってみます。
 まず、これはいいことですが凶器攻撃も反則も流血もない、いいことなんですよ。
 ですが、かつてのブッチャーやタイガー・ジェット・シンの不気味さがないのは淋しいというか、何と言いますか。
 大仁田のデス・マッチ路線や、大日本プロレスのハード・コア・マッチが持て囃され『不気味さ』はそちらの方に行ってしまい、インディーズは『明るく、激しく』の方に行ったと。
 観客は若いファンや女性が多く、筆者の現役の時のようなオッサンと一部小学生という手合いはマイナーです。今のこれらのファンが『もっと。もっと見せてくれ』とやると、『あぁ、そこまでやらないで。もうやめてくれー』と言いながらリングを見ていたワタクシとは求めるものが違うことが分かります。
 
 そういう意味で去る8月に中継された女子プロレスOZアカデミーの「無差別級選手権並びに爆女王選手権ダブルタイトル 有刺鉄線電流爆破バットデスマッチ(長過ぎる)尾崎魔弓VS松本浩代」の迫力とオドロオドロしさは見応えがありました。尾崎ってもう50才ですよ(松本も34だけど)!

尾崎魔弓 50才

 先般、日経新聞の社会面にプロレスに関するコラムが連載されていました。何しろビンス・マクマホン・ジュニアのWWEがMBAの研究教材になる程だから日経が特集しても今更おかしくはありません。
 プロレスをまともなスポーツ扱いするのもどうかと思いますが、ビジネスとして奥の深い営みであることは確かなのです。
 あれだけの汗と鍛え抜かれた肉体のぶつかり合いに魅せられるインテリも多い。
 直近にもあの『京都ぎらい』というベスト・セラーを著した国際日本文化研究センター井上章一教授が『プロレスまみれ』という新書で、試合とテレビ・アングルの関係について、独自の見解を述べています。
 凡百の八百長論には『プロレスの見巧者はそこを見極める』。猪木の失神には『周りに借金取りがワッと来ていたのでわざと負けた。ハルク・ホーガンは突然のことに慌てた表情を撮られていた』との分析、いいですね。
 そして上記尾崎魔弓は、試合後にOZアカデミーを支えてくれたさる故人を讃えるメッセージを絶叫しました。
「作家の堺屋太一先生、長い間ありがとうございました」と。

 いずれにせよプロレスは進化するものなので、どういうチョイスをするかはファンの勝手でしょう。ですが選手の皆さん、くれぐれも怪我には気を付けてください。プロレス万歳!

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

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追憶のメキシカン・プロレス ルチャ・リブレ

2019 SEP 17 6:06:16 am by 西 牟呂雄

 直近のアルツハルマゲドン研究(私のです、あくまで)によると、耄碌が進んだ年寄りが同じ話ばかりして嫌われるのは、記憶の連続性が途切れてしまい、プロセスが飛ばされても差し支えない独立した部分だけが残ってしまうからだ。
 そしてその独立した記憶までもが消滅すると、これはもう桃源郷に遊ぶ心地。それはそれで愉快かもしれないが、端から見ればあまり楽しそうじゃない。
 画像保存機能が発達した現在では、結構なことに記憶からこぼれ落ちそうな場面も検索することができる。
 しかし、それさえも残らないマイナーな思い出、これを残すのにブログというのは実に有難いものではなかろうか。
 大好きなプロレスについて、上記の事実はそっくりそのまま当てはまる。
 誰の記憶にも残らないセミ・ファイナルや中継のない試合。ひょっとしたら僕しか覚えていない光景があるのではないか。往々にして記憶はすり替わる。

 試しに自分で欠けそうな記憶を辿ってみると、やはり途切れてしまった。
 場所は後楽園ホール。怒涛のコールが鳴り響く。
『ケンドー、(チャッチャッチャ)ケンドー、(チャッチャッチャ)』
 あのニッポン・チャッチャッチャのノリだ。
 ここで困った。ケンドーというレスラーは日本人ペイント・レスラーであるケンドー・ナガサキ、同じく日本人マスクマンのケンドー・カシン、メキシカン・マスカラでその名もケンドー、と3人いるが誰だったっけ。マスクマンのルチャだったようなので多分ケンドーだったかな。ここまで書いてどの団体の試合だったかも思い出せないことに愕然とした。全日本や新日本じゃない。ヒマに任せて通りがかった試合を見たようだ。僕はケンドーを初めて見で、それが最後だった。コメディアンのケンドー・コバヤシは関係ない。
 そのケンドーは上半身を反らし下半身でリズムを刻みながら、チャッチャッチャのところで広げた両手の手首を上の方にクッ、クッ、ク、と上げる。いわゆるルチャのノリで観客は大喜び(僕も)、益々コールは大きくなる。
 相手はメキシカンのルード(悪役)で覆面はしていなかった。入場してリングに上がるも、あまりのケンドー・コールに耳を塞いで見せたり顔をしかめたり。終いには頭に来てリングを降りて控え室に帰る素振りを始める。
 すると、通いつめているらしい練達のファン達は逆にルードのコールを始める。この阿吽の呼吸は実にプロレス的でツウならではの面白さがあった。エーット、確か『プラタ・チャッチャッチャ』だったかな。
 それを聞いたヒールは嬉しそうに再びリングに戻り、観客と一緒にチャッチャッチャをやってはしゃぐ。
 今度はケンドーが両手を広げてポルケ(ホワイ)の表情。手を耳にかざして客をあおると、心得たもので再び『ケンドー、(チャッチャッチャ)』が始まる。
 いつ果てるとも知れないパフォーマンスに客は(僕は)酔い痴れるのだった。

 勿論、試合の結果なんか記憶にない、遠い彼方の光景なのだ。
 読者の諸兄諸姉、この試合を覚えている方は御一報下さい。いるわけないか。

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

2019 AUG 3 0:00:31 am by 西 牟呂雄

 H・H・Rのロゴ、ハンサム・ハーリー・レイスが76才で亡くなった。直訳した”美獣”という呼び名は、プロレス記者がつけたマヌケ感が漂っていたが、実際にメチャクチャ強かった。また一人、昭和は遠くなったことを実感させられるレスラーの訃報である。
 この人は15才からレスラーをやっていた。それも”カーニバル・レスラー”といって、当時全米を回っていたサーカスで「誰かオレを叩きのめす奴はいるか」と挑戦者を募る見世物に出ていた。
 売り出す時には無名だったので、360キロという史上最も重かったというハッピー・ハンフローの弟というギミックの触れ込みで売り出した。
 『グヮッファ、グヮッファ』と独特の呼吸をしながらギチギチ攻める。強すぎるので、ツウ好みというかプロというか試合の組み立て方に派手さが無い。我々はいつダイビング・ヘッドバットを出すのか、という観賞の仕方をしていた。

ダイビング・ヘッドバット

 このダイビング・ヘッドバットは、頭の硬さというより首の強さが重要だ。普通の人間がやったら一発で鞭打ち症になるような衝撃で、こんな技を多発してたら年を取ってからは大変だろうな、と余計な心配までしたものだった。
 最も印象に残っているのは、先日引退したアブドーラ・ザ・ブッチャーとのアングルである。きっかけはブッチャーがやり過ぎてレイスが腕を負傷してしまい、急遽帰国のためリングから挨拶をしている最中に襲いかかったことだ。これはどういう打ち合わせだったのか良くわからないが、レイスが本当に頭に来たことは確かだ。
 その後、再び来日した時に、まずいことに「頭突き世界一決定戦」などとタイトルを冠した、ブッチャーVS大木金太郎の試合に乱入する。自分を入れないで世界一とは何だ、位の気持ちだったのだろうが、追い回したのはブッチャー一人。場外どころか会場の日大講堂も飛び出して国道14号線で殴り合い、パトカーが出動した。
 到底おさまりがつかず、このシリーズでシングルも組まれたが、たまに見られるセメント・マッチになってしまいプロレスどころではなくなった。勿論没収試合になったのだが、ブッチャーが引き揚げた後にリングに戻ってきたレイスは、血だらけの頭で鉄柱にガンガン(音をマイクが拾っていた)ぶつけてみせた。恐かった。

 奥さんを見たことがあるが、物凄い美人で確かイボンヌさんという名前だったような。
 享年76才。全盛時代のアンドレ・ザ・ジャイアントをボディ・スラムで投げ、NWAのタイトルを8回もホールドしてみせた最強の男だった。  -合掌ー

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恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

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恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

2019 MAR 10 1:01:44 am by 西 牟呂雄

 ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー。亡くなったデストロイヤーの正式名称、本名はディック・ベイヤーだった。

 僕なんかは白黒テレビで力道山との試合も見た世代だが、リング・アナウンサーのコールに応えもせずに腕組みをしている威圧感は不気味そのものだった。そして有名な足を絡み合わせた血みどろの光景は恐ろしかった。
 本人は名門シラキュース大学の大学院まで卒業の大変な学歴だ。フット・ボールやレスリングをこなす学生から、どういうわけかプロレスのリングに上がり、世界チャンピョンとなった。
 小学校の教室でしばしば行われたインター・シャープ世界選手権というのがあって、そのタイトルマッチの華は4の字固めとコブラ・ツイスト(卍固めはまだなかった)だった。当時のチャンピョンA山君は体も大きい怪力の、その割りに器用な運動神経の持ち主だった。その彼が挑戦者をネジ伏せた後に、電光石火の4の字固めを決めると相手は即ギブアップ。彼は足も太くガッシリしていたため、例の切り替えしが全く通じない、一度やられたが物凄く痛かった。
 もう一つの必殺技であるコブラ・ツイストは実にプロレス的な技だから、要するに呼吸が(タイミングが)合わないとバシッと決まらない。今日のプロレスでは切り替えされる事が多いが、当時は(小学生の間では)必殺の大技で、使い手は少なかった(みんな自分の得意技だと吹聴していたが)。
  そもそもプロレスは本気になってやったら喧嘩になってしまうことは小学生でも薄々分かっていたのだ。

 以上はどうでもいいとして、件のデストロイヤーの印象的なファイトが二つある(力動山戦以外に)。

猪木戦

 一つは、1970年頃の馬場ー猪木時代に行われていたワールド・リーグ戦の準決勝でアントニオ猪木と戦った試合だ。
 この試合は実にプロレスめいたアングルで、次の試合が馬場VSブッチャー戦のため、絶対に引き分けにならなければならない。当時馬場への挑戦をしばしば口走る猪木が決勝に行き、本当に馬場ー猪木の決勝になってしまったらチト困る。野心家の猪木は一発喰ってやろう、の魂胆がミエミエだったが、対するデストロイヤーもセメント気味のファイトで、珍しかった時間無制限一本勝負を両者リングアウトに持ち込んだ(4の字をかけたまま転落)。お見事!
 もう1試合は1974年に「覆面世界一」と銘打たれたミル・マスカラスとの試合である。この試合は両者の意地がモロにぶつかっているのがヒリヒリするほど伝わった。特に印象的だったのは、コーナーポスト最上段に登ってフライング・ボディ・アタックを仕掛けようとしたマスカラスが、ただならぬ気配を感じて降りてきたところだ。ツウはこういうところが堪らない。
 そして、どうやって引き分けにするのか固唾を呑んで見ていると、3本目にロープに振ってリバウンドしてくるデストロイヤーを飛び越えようとしたマスカラスの股間にヘッドバット気味に頭が当たり、戦意喪失となってデストロイヤーが勝った。いくらプロレスでも誠に後味の悪い終わり方で、専門家の間でも「デストロイヤーがアングルを無視してわざとやった」「いくら何でもそれはない」と物議を醸した
 これ以後、ギミックも含めて「覆面十番勝負」が始まったが、一流覆面が10人もいないため、ディック・マードック(ザ・トルネード)やキラー・カール・コックス(ザ・スピリット)をマスクマンにするというギミック満載の企画だった。

 享年88歳。旭日双光章を受章。いずれにせよ長い現役生活だった。白覆面よ、4の字固めよ、永遠に。
 先般のアブドラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーに心温まるヴィデオ・メッセージを寄せていたのに、先に逝ってしまった。

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さらば黒い呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャーの哀愁

2019 JAN 17 6:06:56 am by 西 牟呂雄

 黒いムスリム・ターバン、アラビアン・ナイトの小道具のような凶器シューズ、妖怪肉玉とでも言いたくなる体型、そして毎試合切れるギザギザの額。
 ネイティヴ・アメリカンの父と黒人の母。この血筋は僕が長年愛好しているキング・オブ・ソウル、ジェームス・ブラウンと同じで、そういえば雰囲気が似ていなくもない。
 僕が最もブッチャーに魅せられていたのは70年代の全日本マット時代。
 対デストロイヤー戦でデストロイヤーが凶器で攻撃するとブッチャーは耐えに耐え、後に隠していた凶器で反撃。白覆面が真っ赤に染まった試合が凄かった。
 後のファンクス戦でテリーの腕にフォークを突き刺したシーンもテレビ観戦して興奮した。
 ただ専門家としてコメントしておくがああいうのは必ず事前に知らされているし、使う方も相手に障害が残らないようにやっているはずだ。
 実力者ハーリー・レイスの肩を脱臼させ、リングで欠場を詫びるレイスに襲い掛かる。これにはレイスも相当恨みを溜め、翌年のチャンピオン・カーニバルで頭突き世界一をかけて戦った大木金太郎との試合に突如乱入しメチャクチャになった挙句、場外乱闘どころか日大講堂の外で殴り合いになり道路が渋滞し、さすがに警察が来た。
 無類のタフネスぶりには目を見張った。場外ノー・コンテストが多いせいもあるが、フォール負けを見た記憶はない。
 この頃赤坂に『MUGEN』という凝ったディスコ(今で言うクラブ)があって、驚くべきことにそこでブッチャーを見たことがある。暗い中真っ黒なサングラスだったが額の傷ですぐ分かった。子分みたいな黒人と二人で来ていて、そのツレに物凄く威張ってウィスキーを注がせる。そしてフロアでユラユラという感じで踊るのが、正直恐かった。普段着の革ジャンを着て、デカいことはデカいがリングでの印象程ではない、両手の指にキンキラの指輪をいくつもつけていたのが印象的だった。

 仲間割れをしたザ・シークと抗争し、シークがブッチャーの血まみれの額を鉄柱に打ち付けた時に振り返った目付きが尋常でなく、シークが走って逃げたシーンも良く覚えている。逃げ方が卑劣な感じで実に良かった。
 色紙をブッチャーの流血した額に当てて血痕をつけるのを『血拓』といって一部のファンがやっていたのだが、これができるのは入場の時に座席が階段状になっている後楽園ホールだけ。テレビ中継でそれをやっていた知り合いの高校生が映ってしまったことがある(どうでもいいが)。 
 昔は後に喝采を浴びる空手の型はやっていなかった(地獄突きはやっていたが)。空手の型は、僕がベスト・パートナーだと思っているキラー・トーア・カマタとコンビを組んだ時が最初ではなかったか。もっともこの二人、アメリカでは血みどろの戦いをしていたが。
 当時の観客は、悪逆非道なブッチャーが懲罰的に痛めつけられ、カン高い『ギャー』という叫び声に喝采したものだが、僕はあの叫び声に何故か哀愁を感じた。
 物凄いケチであること、何度も騙されたらしいこと、外人レスラーの中でも孤立がちだったこと、痛めつけられることによりファンは喜びマネーになるという厳しいビジネス。信じられるのは金だけだという人生を歩み続ける悲哀・・。 
 引き抜き合戦で暫く新日本にいたが、ブッチャーの攻撃は地獄突きとエルボードロップだけだから、例のストロング・スタイル(相手の攻撃を全部受け、技で切り返す)に馴染めず、結局全日本に戻った。僕は見ていないが、猪木にアリ・キックと延髄蹴りからブレーン・バスターを喰ってフォール負けをしたはずだ。
 技には山嵐流バックドロップというのもあるにはあったが次第に使わなくなる。
 全日本に戻った頃には凶器攻撃はやらず、漫画のボッチャーの影響か何故か人気者になってコミカルなキャラを定着させる。
 実はこの頃全日本の隠れキャラが次々に立ち上がる。その際たるものが和田京平レフリーだろう。「レフェリー和田京平」「キョーヘー」の大歓声とともに軽快な動きとオーバー・アクションでの試合捌きが大人気、プロレスの進化を感じた。ブッチャーとの対決アングルではタイガー・ジェット・シンに三々七拍子の声援を送る「シン・シン・七拍子」も出現した。 
 そしてついに、というか今更というか、とっくに現役を辞めていたのに来月の19日の『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』に来日し引退セレモニーを行う。そしてあのコスチュームと狂気のフォークを置く。
「いつかあの世でミスター馬場と再会したら2人で試合をして試合後は最高級キューバ産葉巻をくわえながら昔話をしたいもんだ。でも、オレはまだまだこっちの世界で人生をエンジョイするつもりなので、あの世でトレーニングを続け、待ってくれと伝えたい」と言ったとされる。でもギャラは要求するんだろうな。 
 この日にはスタン・ハンセンもゲストで来るらしい。
 孤独な悪役は淋しくはなかっただろうか。聞くところによれば、奥さんは日韓混血の東洋人だとか。

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