Sonar Members Club No.36

カテゴリー: プロレス

ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

2019 AUG 3 0:00:31 am by 西 牟呂雄

 H・H・Rのロゴ、ハンサム・ハーリー・レイスが76才で亡くなった。直訳した”美獣”という呼び名は、プロレス記者がつけたマヌケ感が漂っていたが、実際にメチャクチャ強かった。また一人、昭和は遠くなったことを実感させられるレスラーの訃報である。
 この人は15才からレスラーをやっていた。それも”カーニバル・レスラー”といって、当時全米を回っていたサーカスで「誰かオレを叩きのめす奴はいるか」と挑戦者を募る見世物に出ていた。
 売り出す時には無名だったので、360キロという史上最も重かったというハッピー・ハンフローの弟というギミックの触れ込みで売り出した。
 『グヮッファ、グヮッファ』と独特の呼吸をしながらギチギチ攻める。強すぎるので、ツウ好みというかプロというか試合の組み立て方に派手さが無い。我々はいつダイビング・ヘッドバットを出すのか、という観賞の仕方をしていた。

ダイビング・ヘッドバット

 このダイビング・ヘッドバットは、頭の硬さというより首の強さが重要だ。普通の人間がやったら一発で鞭打ち症になるような衝撃で、こんな技を多発してたら年を取ってからは大変だろうな、と余計な心配までしたものだった。
 最も印象に残っているのは、先日引退したアブドーラ・ザ・ブッチャーとのアングルである。きっかけはブッチャーがやり過ぎてレイスが腕を負傷してしまい、急遽帰国のためリングから挨拶をしている最中に襲いかかったことだ。これはどういう打ち合わせだったのか良くわからないが、レイスが本当に頭に来たことは確かだ。
 その後、再び来日した時に、まずいことに「頭突き世界一決定戦」などとタイトルを冠した、ブッチャーVS大木金太郎の試合に乱入する。自分を入れないで世界一とは何だ、位の気持ちだったのだろうが、追い回したのはブッチャー一人。場外どころか会場の日大講堂も飛び出して国道14号線で殴り合い、パトカーが出動した。
 到底おさまりがつかず、このシリーズでシングルも組まれたが、たまに見られるセメント・マッチになってしまいプロレスどころではなくなった。勿論没収試合になったのだが、ブッチャーが引き揚げた後にリングに戻ってきたレイスは、血だらけの頭で鉄柱にガンガン(音をマイクが拾っていた)ぶつけてみせた。恐かった。

 奥さんを見たことがあるが、物凄い美人で確かイボンヌさんという名前だったような。
 享年76才。全盛時代のアンドレ・ザ・ジャイアントをボディ・スラムで投げ、NWAのタイトルを8回もホールドしてみせた最強の男だった。  -合掌ー

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

さらば黒い呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャーの哀愁

心に残るプロレスの名言 全日本編

恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

2019 MAR 10 1:01:44 am by 西 牟呂雄

 ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー。亡くなったデストロイヤーの正式名称、本名はディック・ベイヤーだった。

 僕なんかは白黒テレビで力道山との試合も見た世代だが、リング・アナウンサーのコールに応えもせずに腕組みをしている威圧感は不気味そのものだった。そして有名な足を絡み合わせた血みどろの光景は恐ろしかった。
 本人は名門シラキュース大学の大学院まで卒業の大変な学歴だ。フット・ボールやレスリングをこなす学生から、どういうわけかプロレスのリングに上がり、世界チャンピョンとなった。
 小学校の教室でしばしば行われたインター・シャープ世界選手権というのがあって、そのタイトルマッチの華は4の字固めとコブラ・ツイスト(卍固めはまだなかった)だった。当時のチャンピョンA山君は体も大きい怪力の、その割りに器用な運動神経の持ち主だった。その彼が挑戦者をネジ伏せた後に、電光石火の4の字固めを決めると相手は即ギブアップ。彼は足も太くガッシリしていたため、例の切り替えしが全く通じない、一度やられたが物凄く痛かった。
 もう一つの必殺技であるコブラ・ツイストは実にプロレス的な技だから、要するに呼吸が(タイミングが)合わないとバシッと決まらない。今日のプロレスでは切り替えされる事が多いが、当時は(小学生の間では)必殺の大技で、使い手は少なかった(みんな自分の得意技だと吹聴していたが)。
  そもそもプロレスは本気になってやったら喧嘩になってしまうことは小学生でも薄々分かっていたのだ。

 以上はどうでもいいとして、件のデストロイヤーの印象的なファイトが二つある(力動山戦以外に)。

猪木戦

 一つは、1970年頃の馬場ー猪木時代に行われていたワールド・リーグ戦の準決勝でアントニオ猪木と戦った試合だ。
 この試合は実にプロレスめいたアングルで、次の試合が馬場VSブッチャー戦のため、絶対に引き分けにならなければならない。当時馬場への挑戦をしばしば口走る猪木が決勝に行き、本当に馬場ー猪木の決勝になってしまったらチト困る。野心家の猪木は一発喰ってやろう、の魂胆がミエミエだったが、対するデストロイヤーもセメント気味のファイトで、珍しかった時間無制限一本勝負を両者リングアウトに持ち込んだ(4の字をかけたまま転落)。お見事!
 もう1試合は1974年に「覆面世界一」と銘打たれたミル・マスカラスとの試合である。この試合は両者の意地がモロにぶつかっているのがヒリヒリするほど伝わった。特に印象的だったのは、コーナーポスト最上段に登ってフライング・ボディ・アタックを仕掛けようとしたマスカラスが、ただならぬ気配を感じて降りてきたところだ。ツウはこういうところが堪らない。
 そして、どうやって引き分けにするのか固唾を呑んで見ていると、3本目にロープに振ってリバウンドしてくるデストロイヤーを飛び越えようとしたマスカラスの股間にヘッドバット気味に頭が当たり、戦意喪失となってデストロイヤーが勝った。いくらプロレスでも誠に後味の悪い終わり方で、専門家の間でも「デストロイヤーがアングルを無視してわざとやった」「いくら何でもそれはない」と物議を醸した
 これ以後、ギミックも含めて「覆面十番勝負」が始まったが、一流覆面が10人もいないため、ディック・マードック(ザ・トルネード)やキラー・カール・コックス(ザ・スピリット)をマスクマンにするというギミック満載の企画だった。

 享年88歳。旭日双光章を受章。いずれにせよ長い現役生活だった。白覆面よ、4の字固めよ、永遠に。
 先般のアブドラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーに心温まるヴィデオ・メッセージを寄せていたのに、先に逝ってしまった。

ブルーノ・サンマルチノの訃報

心に残るプロレスの名言 全日本編

ジミー・スヌーカの訃報

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
 

さらば黒い呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャーの哀愁

2019 JAN 17 6:06:56 am by 西 牟呂雄

 黒いムスリム・ターバン、アラビアン・ナイトの小道具のような凶器シューズ、妖怪肉玉とでも言いたくなる体型、そして毎試合切れるギザギザの額。
 ネイティヴ・アメリカンの父と黒人の母。この血筋は僕が長年愛好しているキング・オブ・ソウル、ジェームス・ブラウンと同じで、そういえば雰囲気が似ていなくもない。
 僕が最もブッチャーに魅せられていたのは70年代の全日本マット時代。
 対デストロイヤー戦でデストロイヤーが凶器で攻撃するとブッチャーは耐えに耐え、後に隠していた凶器で反撃。白覆面が真っ赤に染まった試合が凄かった。
 後のファンクス戦でテリーの腕にフォークを突き刺したシーンもテレビ観戦して興奮した。
 ただ専門家としてコメントしておくがああいうのは必ず事前に知らされているし、使う方も相手に障害が残らないようにやっているはずだ。
 実力者ハーリー・レイスの肩を脱臼させ、リングで欠場を詫びるレイスに襲い掛かる。これにはレイスも相当恨みを溜め、翌年のチャンピオン・カーニバルで頭突き世界一をかけて戦った大木金太郎との試合に突如乱入しメチャクチャになった挙句、場外乱闘どころか日大講堂の外で殴り合いになり道路が渋滞し、さすがに警察が来た。
 無類のタフネスぶりには目を見張った。場外ノー・コンテストが多いせいもあるが、フォール負けを見た記憶はない。
 この頃赤坂に『MUGEN』という凝ったディスコ(今で言うクラブ)があって、驚くべきことにそこでブッチャーを見たことがある。暗い中真っ黒なサングラスだったが額の傷ですぐ分かった。子分みたいな黒人と二人で来ていて、そのツレに物凄く威張ってウィスキーを注がせる。そしてフロアでユラユラという感じで踊るのが、正直恐かった。普段着の革ジャンを着て、デカいことはデカいがリングでの印象程ではない、両手の指にキンキラの指輪をいくつもつけていたのが印象的だった。

 仲間割れをしたザ・シークと抗争し、シークがブッチャーの血まみれの額を鉄柱に打ち付けた時に振り返った目付きが尋常でなく、シークが走って逃げたシーンも良く覚えている。逃げ方が卑劣な感じで実に良かった。
 色紙をブッチャーの流血した額に当てて血痕をつけるのを『血拓』といって一部のファンがやっていたのだが、これができるのは入場の時に座席が階段状になっている後楽園ホールだけ。テレビ中継でそれをやっていた知り合いの高校生が映ってしまったことがある(どうでもいいが)。 
 昔は後に喝采を浴びる空手の型はやっていなかった(地獄突きはやっていたが)。空手の型は、僕がベスト・パートナーだと思っているキラー・トーア・カマタとコンビを組んだ時が最初ではなかったか。もっともこの二人、アメリカでは血みどろの戦いをしていたが。
 当時の観客は、悪逆非道なブッチャーが懲罰的に痛めつけられ、カン高い『ギャー』という叫び声に喝采したものだが、僕はあの叫び声に何故か哀愁を感じた。
 物凄いケチであること、何度も騙されたらしいこと、外人レスラーの中でも孤立がちだったこと、痛めつけられることによりファンは喜びマネーになるという厳しいビジネス。信じられるのは金だけだという人生を歩み続ける悲哀・・。 
 引き抜き合戦で暫く新日本にいたが、ブッチャーの攻撃は地獄突きとエルボードロップだけだから、例のストロング・スタイル(相手の攻撃を全部受け、技で切り返す)に馴染めず、結局全日本に戻った。僕は見ていないが、猪木にアリ・キックと延髄蹴りからブレーン・バスターを喰ってフォール負けをしたはずだ。
 技には山嵐流バックドロップというのもあるにはあったが次第に使わなくなる。
 全日本に戻った頃には凶器攻撃はやらず、漫画のボッチャーの影響か何故か人気者になってコミカルなキャラを定着させる。
 実はこの頃全日本の隠れキャラが次々に立ち上がる。その際たるものが和田京平レフリーだろう。「レフェリー和田京平」「キョーヘー」の大歓声とともに軽快な動きとオーバー・アクションでの試合捌きが大人気、プロレスの進化を感じた。ブッチャーとの対決アングルではタイガー・ジェット・シンに三々七拍子の声援を送る「シン・シン・七拍子」も出現した。 
 そしてついに、というか今更というか、とっくに現役を辞めていたのに来月の19日の『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』に来日し引退セレモニーを行う。そしてあのコスチュームと狂気のフォークを置く。
「いつかあの世でミスター馬場と再会したら2人で試合をして試合後は最高級キューバ産葉巻をくわえながら昔話をしたいもんだ。でも、オレはまだまだこっちの世界で人生をエンジョイするつもりなので、あの世でトレーニングを続け、待ってくれと伝えたい」と言ったとされる。でもギャラは要求するんだろうな。 
 この日にはスタン・ハンセンもゲストで来るらしい。
 孤独な悪役は淋しくはなかっただろうか。聞くところによれば、奥さんは日韓混血の東洋人だとか。

ブルーノ・サンマルチノの訃報

心に残るプロレスの名言 全日本編

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

歩く火薬庫 来島又兵衛のラリアット

2018 NOV 10 0:00:22 am by 西 牟呂雄

 八月十八日の政変で長州と七卿は都を追い払われる。憤懣やるかたない長州勢は例によって藩内の意見が沸騰し、四分五烈の状態に陥った。下関で四カ国艦隊に破れてこのかた四面楚歌。幕府も会津も薩摩も気に入らない、どうしてくれる、と。
 奇才高杉晋作は奇兵隊を組織した。
 すると”歩く火薬庫”来島又兵衛も遊撃隊を組織してこれを率いた。この藩の指揮命令系統は常にそうだが、下がワーワー騒ぎ出して良く分からなくなり、藩主毛利敬親の「そうせい」の一言が出るまでまとまらない。
 来島は激高し藩主の卒兵上京を主張するが、あの過激派である高杉でさえ抑えにかかるという事態に。意見具申が入れられないとなると、今度はいささかお門違いであるが薩摩藩島津久光の暗殺を企てる始末だった。
 いくらなんでも、と一度投獄されるのだがこのあたりが長州藩の変なところで直ぐに釈放してしまう。
 この時点で長州以外の世論は公武合体、諸侯の参預会議は機能していた。
 ところが誠にマズいタイミングで池田屋事件が起こり、吉田稔麿以下長州系の尊皇攘夷派が新撰組に惨殺される。
 こうなると来島も藩論も収まらない。2000の藩兵を上洛させる。
 すると、後の鳥羽伏見では無残な腰砕けになった一橋慶喜が、なぜかこの時は猛烈に踏ん張った。
 一方、来島のまわりにも冷静な久坂玄瑞らがいたことはいたが、”歩く火薬庫”と化した来島は「この期に及んで何をしている。卑怯者は戦いを見物していろ」と自ら組織した遊撃隊600人を率いて蛤御門に突撃し戦死する。
 それにしても御所に向かって発砲し切り込むとはどういう勝算があっての戦いなのか、理解に苦しむ。そういう事を企てておいて、時代が下って長州が官軍になるとはどこか自己矛盾を抱えていないのか。
 そしてこの戦闘で俗に”鉄砲焼け”と言われる大火事になるのだが、なぜか京都における長州の評判が落ちなかったのは不思議だ。

ラリアット決まる

 これは大河ドラマ「西郷どん」での迫力ある戦闘シーンである。禁門の変における来島だが風折烏帽子甲冑姿の出で立ちがピッタリのこの巨漢、誰あろうプロレス界の歩く火薬庫、長州力である。
 長州力、本名吉田光男、山口県は徳山出身で長州出身だからとつけられたリング・ネームだ。
 かつては武藤敬司や大仁田、真壁といったところが出たことがある大河ドラマだが同じプロデューサーなのだろうか、巧みな配役だ。
 演出の人もプロレス・ファンらしく「長州さん。ラリアットをやってください」といわれてこのシーンになったとか。
 それが、ですな。僕としたことがこの回と前後を見ておらず、最近知った、痛恨の極みなのだ。有難い事に動画に残されていたので迫真の演技を堪能できた。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

棚橋弘至の『パパはわるものチャンピォン』

2018 SEP 28 18:18:46 pm by 西 牟呂雄

 久しぶりに棚橋の試合をテレビで見た。実際には5月4日の試合だったようだ、BSの夜中に放映された。IWGPのチャンピォン、オカダカズチカへの挑戦だったがアングル(プロレス特有の筋書き)としてはオカダの防衛に決まっている。だが私のようなプロは見方が違う。どこかで必ずあれっとなるポイントがあるはずで、そこを探り当てるように観賞する。

オカダカズチカ

 試合はオカダがヒール扱いで、棚橋が圧倒的な声援を受けながら始まった。
 ちょっと中村獅童に似た表情で棚橋がオカダの膝を責める、いい攻撃だ。
 それに対してオカダは首を狙う。そして場外でのツーム・ストーン・パイルドライバーを落とした。棚橋はカウント15でリング・イン。
 僕はこの場外でのパイルドライバーについては嫌いだ。場外攻撃はこれがないとプロレスではなくなってしまうので有りの立場だが、パイルドライバーはいけない。危険すぎる。実はオカダはこのテの『危険すぎる』といった指摘に対し『プロレスラーは超人です』と言い放ったことがあって、バカじゃないかと腹立たしかった。レスラーがハッタリをカマすのは営業行為だが、この時はどうも本気でそう思っているのが見えてしまいヤバい感じを持った。
 オカダはメキシコで修行したルチャドールで、インタヴューなんかを聞くと実にいい奴なんだがもうちょっと重みが欲しい。
 試合の方はフラフラになった棚橋に向かってオカダが不敵にもニタリと笑って見せる。そこへ張り手が入ったところがこの試合のキモだった。全部で5~6発入ったと思うがこれはかなり効いてオカダの目が少し泳いだ。
 しかしまぁ、アングル通り棚橋のフライング・ボディ・プレスが不発に終わったあと、オカダのレイン・メーカー(名前の由来は不明だがただのラリアット)が決まって負けた。
 そしてマイク・パフォーマンス。何と次の挑戦者に『片翼の天使(複雑な肩車式パイルドライバー)』のケニー・オメガを指名したのだ。ケニーはカナダ人で日本式インディーズ系のプロレスに馴染んでもう10年。つらつら思うに見る方も感覚が麻痺してきたのか、昔であれば十分に必殺だった技をカウント2.8くらいで跳ね返すことを選手が余儀なくされている。ケニーは好んで危険すぎる技を繰り出すが、私としてはプロレスは見たいものの殺し合いは見たくもない。

 ところで、この棚橋が「パパはわるものチャンピォン」という映画に主演している。原作は絵本のようだが、やさしいお父さんが嫌われ者のゴキブリ・マスクであることが子供にバレて苦悩する心温まるストーリー。そしてオカダカズチカ以下、新日本プロレスの面々が出演していて、これは見に行かねば。棚橋の演技力は海老蔵の番組にゲストで出た時に折り紙をつけた。

堪えられない 市川海老蔵


 行って来ましたね。これが面白いの何の。リング・ネームからして相棒はギンバエ・マスク、チャンピォンはドラゴン・ジョージ、他にスィート・ゴリラ・丸山(敢てレスラー名は記さない)。必殺技に至ってはホイホイ・ブレードとはエグいではないか!しかも実際のリング・サイドの目線よりも近いカメラで迫力満点。

ゴキブリ・マスク

 ただ子供が主人公で、ストーリー及びシナリオがベタなのがイタい。低予算映画で撮影時間の制約もあるだろうから仕方がなかろう。それに複雑な大人のビジネスであるプロレスに(夢中になっているのはガキではあるが)子供をからませるのはどうしても無理が生じる。棚橋も上手いしゴキブリ・マスクがリングを這い回るところなんかは見事とは言え、主演を張るほどの演技はもう少し修行がいるだろう。
 それにしてもあの子役たちはどういった育成をされたのか、演技としてはやけに完成度が高い。あんなに上手いと返って自然さがなくなるのではないかと余計な心配までした。
 それはともかく、膝を痛めているために医者から『一度だけしか飛べないぞ』と念を押されたフライ・ハイを決めるためゴキブリ・マスクはコーナー・ポストに登っていく、飛ばなきゃならないのだ。
 最後には私のようなスネたオヤジも・・・。

 参考までに、冒頭の試合の一か月後の防衛戦でオカダはケニーに敗れ王座を失った。
 
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

ブルーノ・サンマルチノの訃報

2018 APR 26 21:21:05 pm by 西 牟呂雄

エグッ

 

 
 一瞬、アレッまだ存命だったか、と失礼にも思ってしまった。
 往年のビッグネーム、ニューヨークの帝王が亡くなった。今月の19日、83才、スーパースターにしては扱いは小さかったと思うのは私だけか。
 日本では「人間発電所」などと称されていたものの、果たしてアメリカで「ヒューマン・パワー・プラント」と呼ばれていたかどうか。おそらく東京スポーツの記者が思いつきでつけたものと推察しているが、子供の頃に読んだ時点でもこのニック・ネームには実にマヌケ感を感じた。
 60年代から70年代にかけての全盛時代に度々来日してそのファイト・スタイルをテレビで見た。ズングリムックリ毛むくじゃら、という印象が記憶に鮮明だ。
 結構敏捷な動きもしていたが、必殺技がカナディアン・バックブリーカーとベア・ハッグだったのでやや地味な感じが否めない。
 カナディアン・バックブリーカーは背中合わせになって相手を丸太のように担ぎ上げて腰の辺りを締め上げる。ベア・ハッグに至っては組み付いてのサバ折り。現在のプロレスを見慣れた若いファンにはあまり受けそうも無いが、当時はギブ・アップ必至の業だった。筆者自身、中学時代にやられてみて相当ヤバい技であることは味わっている。
 この頃WWWF(スウィーダブリューエフといった)の試合の華は怪力レスラー同士がベア・ハッグを掛け合うことで客は沸きに沸いた。
 ところがある日、東京スポーツに『発電所 新星ハンセンに首を折られる』の見出しが出て仰天した。あのスタン・ハンセンが新人時代にマジソンスクウェア・ガーデンでサンマルチの首を折る、当時はハンセンは全くの無名だったので驚いた。しかもその技は『投げ縄式首折ナントカ』とかいうオドロオドロしい名称だ。そもそもあんな太い首が折れるのか、首が折れたら死ぬんだろう、と俄然注目した。
 おりしもその年の夏、アメリカ横断の旅をしていた。建国200年の時だ。サンフランシスコからニューヨークまでグレイ・ハウンドの長距離バスを乗り継ぎながら行き、ヘトヘトになってマンハッタンまで辿り着いた。
 そこで日本のスポーツ新聞のようなペーパーを売っているスタンドを見ると、一面にギプスを付けたサンマルチノの顔写真がデカデカと出ていて当地での人気が窺い知れたものだった。早速買ってポケット辞書を引きながら読んでみると、その『投げ縄式首折ナントカ(今で言うラリアット)』は関係なく、唯のボディ・スラムを失敗して掟破りの頭から落としたせいだ。

晩年

 名前の通りイタリア系で戦後の移民である。第一印象はエルビス・プレスリーが太った時に似ている、である。
 晩年の姿ではスキンヘッドにしているが若い頃からヅラであり、ヘッドロックなどをかけるのは業界ではタブーとされた。それにしてもリングでアレだけファイトしても大丈夫とはさぞ高いヅラだったろう。
 ジャイアント馬場との交流が有名なのだが、子供の頃に読んだ漫画『ジャイアント台風』の影響が強い。事実、馬場とは信頼関係があったのだが、この漫画の原作者である高森朝雄は梶原一騎の本名で、馬場のアメリカ修行時代のエピソードはほとんどが創作であることは後年私自身が検証した(面白がって本当の話だと思っていた)。
 この手の『怪力型』のレスラーは後にハルク・ホーガンといった系譜になっていくのだが、私としてはサンマルチノやフリッツ・フォン・エリック、ハリー・レイスというある意味人間離れしたレスラーが懐かしい。

心に残るプロレスの名言 全日本編

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

ジミー・スヌーカの訃報


 平成の御代が終わるご時勢に、昭和はすでに遠くなっている。

10.21横浜文化体育館

2017 NOV 1 5:05:09 am by 西 牟呂雄

「ウオー!」
「ガオー!」
「ゴルアー!」
「オルアー!」
 互いに胸をせり出して相手のチョップを受け、エルボーを叩き込む。これぞプロレスだ。
 全日本プロレス25周年記念で世界タッグ王者、秋山準・大森隆男チームに大日本プロレスから関本大介・伊藤竜二コンビが挑戦した。
 大日本プロレスはマイナーな団体だからご存じ無い読者も多いだろうが、これも四半世紀近く前に全日本から別れたグレート小鹿やケンドー・ナガサキが設立した団体である。横浜を中心としながら全国展開もしているのだが、その歴史は苦難の道であった。
 僕はこのグレート小鹿のファンで、立ち上げ当時から注目していた。マイナー団体としての試行錯誤の後、独自のデス・マッチ路線を歩んだのだがその内容はひどい。プロレス用語でいう『ハード・コア』なのだが、要するに凶器持ち込み有りで金網ケージや脚立から飛び降りる、とメチャクチャな試合をしていた。『画鋲デスマッチ』『蛍光灯デスマッチ』など名前を聞くだけでそのすさまじさが伝わるだろう。
 そうまでしなけりゃ客を呼べず、やったらやったでゲテモノ扱いされて一般のファンからドン引きされる。悪循環の中での興行を続ける様がいじらしく、秘かに応援していた(さすがにおおっぴらにできなかった)。先に大仁田が『涙のカリスマ』などと言われてブレイクしたのもニッチ・マーケットなだけに伸び代としては不利だった。
 ”黒天使”沼澤邪鬼とか双子のバラモン兄弟など名前だけでもエグい。
 しかし試合が試合であるからケガ人続出。山川竜司は頭蓋骨骨折で長期戦線離脱したりした。

マッスル・モンスター関本大介

 そこでプロレスの多角化とでもいうのか、女子プロレス部門やストロング部門を作る。このストロング部門というのは猪木が提唱したストロング・スタイルで試合をする。大袈裟な解説もあるが、要するに相手の技をぜんぶ受けることなのだ。関本大介はそのストロング部門でトップを張っていた。
 まがいもの扱いをされていたから実力を見せつけるチャンスだ、とばかりに猛烈なファイトを展開したのが冒頭のシーンである。
 パートナーの伊藤竜二はハード・コア専門。全身生傷だらけでいくつものみみずばれが残っており、入場の際は蛍光灯を何十本もテープで縛って持ち込んだ(さすがに使わなかったが)。

デスマッチ・ドラゴン伊藤竜二

 この人は茨城大学の工学部を中退して大日本プロレス入りした。やや不器用な所もあってハード・コア専門のデス・マッチ・ドラゴンになったが、この日は大技をいくつも決めた。
 対する全日本、秋山は早くにメインを張ったが大森はポジションに恵まれなかった。あの体とマスクで若手時代から期待していたが、上に小橋や秋山がいたためもったいない使われ方をしていたためだ。いっそアメリカのWWEにスカウトされていればもっといいポジションに行けたと思う。
 大森と関本のファイトは十分に僕のようなツウを楽しませ、唸らせてくれた。さすがにマッスル・モンスター関本だ。

 結果はリスト・クラッチ式エクスプロイダーで・・・・、いや、そこはプロレスですから。がんばれ大日本プロレス!

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

ジミー・スヌーカの訃報

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

 
 

ジミー・スヌーカの訃報

2017 JAN 18 21:21:00 pm by 西 牟呂雄

 「スーパーフライ」の愛称で大活躍したプロレスラーのジミー・スヌーカが亡くなった。日本にも80年代から度々来日し、あのブルーザー・ブロディと組んで全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦で馬場・鶴田チームやファンクスを破って優勝した。又、躍動感溢れる立体的なレスリングでリッキー・スティンボード等と好ファイトを繰り広げ、僕は大ファンだった。yjimage[2]

 この人はフィジー出身、ハワイでボディ・ビルをやっていた後に業界入りした。
 当初はインディアン・ギミックのキャラクターをしたりしていたが、次第に頭角を現しジミー・スヌーカを名乗る。ちなみに本名はジェームス・ライアーである。
 
 フライは英語ではハエのことだからルチャのような飛んだり跳ねたりの軽量ファイターかと思ったら185cm・110kgの堂々たる体躯である。
 改めて知ったがスーパー・フライは今日では Superfly と綴り、アメリカでは「凄い」とか「素晴らしい」という意味に使われている。他にも日本では「飛獣」などというオドロオドロしい言い方がされたが馴染まなかった。
 それよりも日本テレビの倉持アナウンサー(多分ね)が発した「褐色のアポロ」の方がシビれましたね、いいでしょ。

 

タミーナ

タミーナ

 2015年には以前の交際相手の不審死に関して、第三級殺人で告発された。ところが本人は末期の胃がんでホスピスに入院しており裁判継続の能力が無いと判断された。
 同タイプのダイナマイト・キッドも施設に入っているし、つくづく昭和が遠のいた感がある。
 例によって娘のタミーナ・スヌーカもプロレスラー、ディーヴァとして活躍している。

 カーティス・メイフィールドの名曲「スーパーフライ」で弔意を示したい。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ


「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

2016 DEC 3 17:17:17 pm by 西 牟呂雄

 全国二千万のプロレスファンの皆様。お待たせいたしました。
 先般、与党議員が採決を引き伸ばしてばかりの野党を『田舎のプロレス』呼ばわりして一部のファンを怒らせましたが、言い得て妙ではないですか。国際プロレスが地方巡業の小都市でやった試合を見たことがありましたが、某政党の”引き延ばし”レヴェルの試合でしたよ。それもまたプロレスなんです。
 そのプロレスのプロレスたる試合をBSで偶然見てしまいました。
 何とォ!あのグレート・テキサン・ドリーファンク・ジュニアが帰ってきましたー!って嘘じゃありません。
 先日の全日本プロレスに本当に出て来たのです。御年75歳、さすがに痩せていて長袖TシャツにGパンを着てのリング・イン。「スピニング・トーホールド」が流れると、現役時代を知らないはずの若いファンが往年の『ドリー、ドリー、』の大コールです。一人当たりの運動量が少なくなるように配慮した8人タッグですが、他にもチャボ・ゲレロが67歳、ザ・グレート・カブキ68歳という豪華版。
 さすがにオジイチャンの動きになっていて、エルボー・スマッシュもスカスカ。カブキのアッパー・ブロウも手加減気味(あれが精一杯か)。そして喜ばしいことに“伝家の宝刀”スピニング・トーホールドを掛けてきた西村を首固めで押さえ込みワン・ツー・スリーの大団円でした。

めでたしめでたし

めでたしめでたし

 ところがこの後もっと驚くメイン・エヴェントがありました。2人合わせて120歳の大仁田厚(59歳)渕正信(62歳)コンビが現役アジア・タッグ・チャンピォンの青木・佐藤チームに挑戦しました。
 大仁田が有刺鉄線電流爆破バットをいきなりスイッチ・オンするとサイレンが鳴る演出、いい間の取り方です。
 場外乱闘に持ち込み、机上パイルドライバーにカブキまがいの赤い毒霧。キメは渕のバックドロップ怒涛の7連発。おい嘘だろ時計の針が戻ったぜ、とばかりに伝統のアジアタッグの第100代王者になりました。
 このタイトルの初代チャンピォンはキング・コング&タイガー・ジョキンダーで、力道山・豊登が3代目という由緒あるベルトであります。
 さすがにやりすぎ感がありましたが、めでたしめでたし。昭和プロレス万歳!

 だけどこれから どう防衛戦をプロデュースするんだろう

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ジミー・スヌーカの訃報


「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」 

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

2015 OCT 7 19:19:13 pm by 西 牟呂雄

 僕達は生力道山を見たが、個人的に最もプロレスにのめり込んでいたのは高校卒業後になる。無論当時から『あれは八百長だ』と揶揄する素人の言説は、インテリを中心に常識化してはいた。
 しかし会場に足を運ぶようなマニアは例外なくその議論は卒業していて熱心、というか興奮してヤジを飛ばしたり歓声を上げた。大のオトナがだ。
 いわゆる外人VS日本人のパターンが崩れ出したのは、やはり華の中の華ファンクスがブレイクし、ミル・マスカラスが大活躍したあたりからではないだろうか。
 あのスピニング・トゥ・ホールドやフライング・クロスチョップはずいぶん練習したが決めるのは大変に難しい、特にフライング・クロスチョップ。実際はあまり跳躍力は必要ではなく、前に飛び込むように当たるのがコツ。そうしないと受け身が取れない。しかもある程度体重がなければ技としても使い物にならない代物だった。こういうことは実際にやってみなければ分からない。当り前だが自分でやってみるようなバカは滅多にいないから、そういうところを分かりやすく解説する必要は大いにあった。しかしプロレスは見れば分かるように(反則などを)してみせる商売なのに加え、あんまり本当のことを喋られるとチト困る。そこが難しい。その点 リングネーム・中継の傑作 で触れた山本小鉄氏・山田隆氏の解説は秀逸だった。

 それでもこんなのもあった。
 全日本と新日本の引き抜き合戦で、伸び盛りのスタン・ハンセンがジャンボ鶴田とやった時、来日していたルー・テーズが二人を比べて言った言葉。『スタンの破壊力は凄い。それに対し鶴田は筋肉の耐久力が素晴らしい。ともに10年のキャリアであれば鶴田の方が一歩抜きん出ている。』
 これには、確か倉持アナウンサーだったと思うが、さすがに『良く分からないんですが、山田さん一つ解説して頂けませんか。』と振った。それに対し山田さんは一言。
「耐え抜く力、ということでしょう。」
と答えたが・・・・これ解説になってますかね。

山本 小鉄

山本 小鉄

 山本小鉄さんは終始アントニオ猪木と行動を共にしたが、30代だったのに猪木から『若手育成とマッチ・メイキングの方をやってくれ』と言われて引退し解説にも引っ張り出された。本来口の重い真面目な性格だった(この辺チャランポランの塊のような猪木とは好対照)ため、古館伊知郎の意味があるのかないのか分からない機関銃のような実況にはマイったらしい。さっそく落合恵子が主宰する『日本話し方講座』の通信教育を受けたのは有名な話。その結果か『山本さん、ロープに投げられると何でバウンドして元にもどってしまうんですか。』との問いに『ロープはワイヤーで出来てるんで反動をつけて戻らないと背骨が危険なんです』という迷答を返していた。上智大学小林順治教授の社会人向け春期・秋期と単発公開講座にも学んだらしい。
ところで、この写真の表情。僕は高倉健さんに似ていると前から思っていたがどうでしょう。

 お二人とも鬼籍に入られた。

 と、書いているところへ何と我等が安部総理は文部科学大臣にプロレス出身の馳浩センセイを指名。これ、森元総理への気配りというか(馳氏は森派)人事の妙だと感心した。
 馳氏はあの松井選手の星陵高校出身で、母校の古文の先生をしていた実際の教員経験者でもある。ヤンキー先生と教員タッグを組んだら面白い。専修大学時代に古典文学の全集を読破し『源氏物語』の造詣が深いことは知る人ぞ知る。
 2006年に引退試合をした際、森元首相や故町村前衆議院議長が観戦した。そこはプロレスだから盛り上げなくてはと対戦相手のYASSHIやTARU(どちらも日本人ヒール)が「おい、そこの森! 悪そうな顔してるな! このカス野郎!」とやった。これにはさすがに薄ら笑いでかわしたが、場外乱闘に悪乗りして挑発すると森元首相もパイプ椅子を持って身構えるパフォーマンス。観客からは森コールが起こって誠にプロレス的なノリだった(これ本当ですよ)。森元首相はいい人なんだよな。その後馳センセイは森元総理に土下座して(電話にもかかわらず)非礼を詫びたとか。

 馳大臣、失言にだけは気をつけてね。古文を引いて煙に巻けばいい。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

ジミー・スヌーカの訃報


「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊