Sonar Members Club No.36

カテゴリー: インド

インド漫遊記 インドの花

2017 SEP 29 7:07:16 am by 西 牟呂雄

メイン・ストリート

今は本当は雨期なのだが、この旅で降られることはなかった。
この田舎町のメイン・ストリートがこれだ。
一応舗装してあるのだが、雨が降ったらどのような悲惨な事になるか想像して欲しい。
しかも歩いている人の十分の一くらいははだしである。
そんなことを旅の日本人がしたらまず助からないだろう。

朝、騒がしいので目が覚めた。犬でもない、牛でもない鳴き声がザワザワしている。

クリックしてください

気になってしょうがないから食事の後で中庭に出てその騒音を追ってみると、何じゃこれは。
この鵞鳥の群れにどうもエサをやっているらしい。
まてよ、今朝ホテルの朝食にオムレツを食べたが、まさかと思うがこいつらの卵じゃないだろうな。
チキンも怪しい、絶対に食べないことにしよう。
ご存じだろうがインドの一般的なレストランではビーフもポークも無く、チキンかマトンだ。僕は普段チキンはあまり食べないしマトンも好きじゃないのでインド料理を食べる時はベジタリアンの振りをしている。

それはともかく、この田舎町においては全員が貧困だから格差も何もない。
都市部に大金持ちがいることは知っているのだろうが、ここら辺の連中はその金がどういう代物かを知らないし、知ろうとも思わないのではないだろうか。或いは皮相な見方であろう、実際のインド人とのビジネスになれば印象としては『ズルい』『セコい』と感じる事は多い。だがこんな田舎では・・・。

渾身の1ショット

ともあれインドの日は高い。
午前中の朝食を済ませた後に外に出ればカッと日が刺す。
風は涼しいがヒリヒリする感覚だ。
この光の感覚を上手く伝えたいと木陰に入り、見上げたところで渾身の1カットが撮れた。
クリックして良く見てください。
この木には花が咲いていて、それはここの埃っぽい土壌に実に似合う赤い花なのだ。
せっかくだから接写しようとジタバタしていると、守衛のオッサンがやってきて踏み台を貸してくれた。

インディアン・レッド

この”赤”は日本では何の花が近い色だろうか。
思い浮かばない。
今年から毎月『喜寿庵の花』を上梓しているが、この赤にはお目にかかれていないと思う。
真上から降ってくる強い日光でないと出ない色なのだろうか。
インディアン・レッドと名付けた(名前の分かる人は教えて下さい)。

インディアン・ホワイト

しかししばらく見惚れているとこの赤は目が疲れる(但し僕は強度の色弱だが)。
すると上手い具合に”白”が目に入った。
これは蘭の一種なのか。
そして思ったが、白というのを褒める言葉はないものだろうか。
「鮮やかな白」とも「派手な白」とも言わない。

この広大な国にはどんな色も似合うのだろうが、そろそろ日本の花や松の緑が恋しくなって来た。

インドの多様性

 

インドの多様性 動物編

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真夏のインド大陸 前篇

 

真夏のインド大陸 後編

インド漫遊記

2017 SEP 26 18:18:29 pm by 西 牟呂雄

 一年ぶりにインドに来た。
 ところでインドのビザを取ったのだが、従来のビザ・センターが無くなってインド大使館に引っ越した。あそこのスタッフの態度の悪さとコロコロ言う事が変わるのは有名で、いつも憮然とした日本人や怒り狂う外人観光客がいたのが少しは良くなったかと期待した。ところが行って見ると窓口にいたのはおんなじオバハンだった。
 その効率の悪さは少しも改善されておらず、相変わらず書類をつきかえしたりして窓口でトラブッていた。
 そもそもビザ申請のオンライン・システムが使いづらいの何の。
 原爆を持ち、中にはあんなに天才的な人材が出るインドが、決して先進国としての生産性に達しないと常々思うのは国全体としての効率が全く向上しないからだ。

 今回はトランジットの関係で、従来ルートではなくバンコック経由となったため航空会社もタイ航空を選んだ。するとこれが楽しいことに成田の出発が2時間遅れる。それも一度ゲートから離れてから「機体に不備がありました」などとアナウンスがあって戻る。しばらくすると「燃料を入れてます」「ドキュメントが遅れています」「あと15分です」と詐欺師の常套手段のような具合で実に疑わしい。止まっている機体に座っているのは結構キツい上に乗り継ぎも心配で、旅の今後が偲ばれた。案の定バンコクで免税のタバコを機中に忘れた。

 そしてバンガロールへ、去年は水争いで暴動が起きた街である。

インド 暴動の街へ (今月のテーマ インドの旅)


 そこから車で3時間かけて深夜に、街だか村だかわからないところに辿り着いた。今度の旅はここをベースにして古い友人と会うことにしている。

外見はそれなり

 着いた時は真っ暗だったので良く分からなかったが、翌日見ると外見はそれなりでホリデイ・パルム・ナントカというリゾート型のホテルだった。
 ところが周りには何もない。こんなところでリゾートねぇ、確かにプールやキッズ・ルームがあるにはあったが。

 ちょっとその友人に触れておきたい。バブル期に日本に留学したインド人なのだが、その後日本で多少仕事を得て日本人と結婚し10年以上暮らした。従って働いてはいたのだが、まぁあんまりカタギじゃなかった。大阪でディスコをやったりホストクラブをやったり。だから堪能な日本語も大阪弁。
どういう経緯かは知らないが、現在はインドに帰っているが何をしているのかは分からない。税金に異常に詳しくて、そんなところは今も大いに怪しい。きっと荒稼ぎした金を持ち逃げでもして遊び暮らしているのかと見ている。インドは政策金利を去年下げたが6・25%、以前はもっと高かったから悠々自適にやっているらしい(家族は日本に残しているけど)。

怪しげなカード

 モディ首相ははびこるニセ札対策や脱税防止の名目で去年1000と500のルピー紙幣を廃止したりダイナミックな金融政策をとった。実際に大企業は影響を受けていて、アッと驚く某企業グループの製造業が倒産したりしている。
 今回もたかだた1万円を両替したら700ルピー分はキャッシュ・カードで渡された。それも『Yes Bank』なるふざけた名前の銀行が発行したやつで、こんなのはアナログ型の仮想通貨みたいだ。

 話がとんでもない方に行ってしまったが、その友人によると僕と入れ違いみたいにインドに来ていた安倍総理は熱狂的に歓迎されたようで、モディ首相は自身の地元で歓迎のセレモニーを催しパレードまでやったことが新聞の一面に出たとか。
 こういう話は安倍嫌いの日本の新聞にはロクに出ていなかったが、地球儀外交は確実に効果を上げている。

わかりますか?右に傾いている

 ところでそのホテルなのだが、部屋に戻ってハッと違和感を感じた。
 よくみる中央に置いてあるテーブルが傾いているのだ。なるほどね。
 インドのローカルのホテルはこんなもんだ。田舎のホテルにはまずバスタブはないがここもない、お湯を汲みおくポリバケツがあるだけ。
 前置きばかり長くなったので続きは続編で。

つづく

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インドには日陰が良く似合う (今月のテーマ インドの旅)

インドで知り合った日本人 (今月のテーマ インドの旅)

インドで知り合った日本人 (今月のテーマ インドの旅)

2016 OCT 8 9:09:52 am by 西 牟呂雄

朝メシ

朝メシ

 旅も終わりに近づいたが、泊まっている激安ホテルの隣りに部屋に何と日本人がチェックイン。朝メシの時『日本からですか』と聞かれた。オニーチャンの二人連れで30代と40代のコンビだが、全く英語が分からないと言う。確かにメシを頼むのにも苦労していた。
 聞く所によるとどうやら友達のインド人を訪ねて来たそうで、空港からタクシーで何とか辿り着いたらしい。
 ところでこの朝メシだが、お米をマッシュド・ポテトのようにしたものに香辛料が付いているだけで極めて簡素、即ちマズい。しょうがないから目玉焼きをトッピングして食べてみた。%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e6%97%85%e8%a1%8c%e8%80%85%e3%81%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%e5%8f%8b%e9%81%94%e8%a6%aa%e5%ad%90

 昼ごろそのインド人一行が到着した。何と左のお嬢さんは大阪で育ったそうで関西弁ペラペラ。
 彼女は日本の音大で声楽を学び、こちらではミュージシャンとして活動中とか。
 大変な美人だ。どうも日本でも多少活動していたらしく旅行者二人はその頃からのファンのようだった。 
 皆は観光に行くと言うが夕食の約束だけして僕は遠慮した。

日の暮れた繁華街

日の暮れた繁華街

 それで夕方から僕にしては珍しく外で食事した。
 一人の旅先ではあまり夜に出歩く事はしない、これは日本でもそう。見たいところは昼間に一箇所くらいで静かに過ごすのが常で、夜に目的もなくウロウロすると疲労感が倍増する。ガバガバ飲むのは東京にいる時で沢山、という主義。
 夜の街は昼の埃っぽさが闇に覆われてご覧の通り。東京で言えば歌舞伎町のノリに近い。
 日本人二人組も関西の人だから会話はコテコテの関西語になった。
 しかし話しによると『ミナミの帝王』のⅤシネマで竹内力が使うような言葉は大阪では使わない、アレはヨソの人がマネている関西弁だというのだ。
 竹内力は大分出身だからそんなものなのか。特に相手に向かって『〇〇ハン』といった呼びかけは死語に近いらしい。

奇怪なステージ

 一緒にカレーを食べたガーデン・レストランではステージで恐ろしくヘタなライヴをやっていた。
 ベースとシンセにボーカルのトリオがアメリカン・ポップスをやるのだが実に変だ。
 カントリー・ロードとか思い出のグリーングラスをやっても途中に1小節多いような間延びした演奏になってしまう。
 全てを飲み込んで自分流に消化してしまうのか、これもインド文明の力強さなのか。

 旅の終わりにちょっとした用事で郊外に出た。帰りにそのまま空港に行こうと車をチャーターしたのだが、その帰り道。
 田舎道をドコドコ走りながら行くと周りはジャングルのようで、時々道が交差するところに集落があり大勢の人がいる。
 するとドライバーが停まって窓を開け、通行人と話をした。『けらぐりんぐらんでるられぎらろえるぽた』等と言い、聞かれた方はこれまた何か言いながら道を指を指す。しばらく行くと次の同じような所でもやる。
 3回目に気が付いた。必ず『えるぽた』が入っていたからだ。『えるぽた』はインド式の巻き舌英語で『エア・ポート』なのだ。読者諸兄諸姉よ、その時の恐怖感がお分かりだろうか。こいつは空港への道を知らないのだ。
 「お前は空港への行く道を知らないのか?」
 と聞いても『アイ・ノウ。ジャスト・コンファメーション』等と言うばかり。
 結果的には空港には着いたのでこうしてブログを書いている訳だが。

 オォ!インドよ。

インド 暴動の街へ (今月のテーマ インドの旅)

インドには日陰が良く似合う (今月のテーマ インドの旅)

インド高原協奏曲Ⅱ


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インドには日陰が良く似合う (今月のテーマ インドの旅)

2016 OCT 5 23:23:56 pm by 西 牟呂雄

 雨期になると朝晩は涼しいので驚く。
 初めはツレがいたのだが3日目にひとりになってしまったし、水争いの暴動も収まったようなので安いホテルに移動することにした。

なんじゃーこれは

なんじゃーこれは

 ツテを頼んでナントカ・インスティチュートという所に行く。このナニナニ・インスティチュートとは英領時代の名残で、分かりやすく言えばゴルフ場を示すカントリー・クラブといったところか。
 それがですな、ブリティッシュ・コロニアルとでも言うのか質素を通り越してこんなベットと天井に大きな扇風機。事実英領時代に建てられて100年近くの代物だった。
 さすがに街中なのでゴルフ場はないが、テニス・コート、スカッシュ。バドミントンなどの屋内設備が整っており、400人の終身会員が現在のオーナーだそうだ。
 まあ、当時のえばりくさったイギリス野郎が自分たちに都合のいいように造ったのは露骨にわかる。

ジャングルのコテージ

 バルコニーからはまるでアンリ・ルソーが描いたジャングルの中に浮かび上がるように隣のコテージが見え、南国情緒が味わえる。
 写真に写っているのは三階部分で、行ってみると今は使われていない。
 これで官庁街まで歩ける距離だから、東京で言えば新橋界隈と言うことになるから驚きだ。一泊約3千円也!

 何もすることがないので散歩でも、と道路を渡ったらいきなり大英帝国の名残にぶつかった。

荘厳なアングリカン・チャーチ

 立派な教会だ。
 街中にしては静かで誰もいない。
 正面から咎められることなく入ってみて、その荘厳さと質素な佇まいに息を呑んだ。そうか、これは英国国教会なのだ。
 しかしインド人の信者なんかたかが知れているから、英領時代にイギリス人が建ててその後観光地化したのだろう。と言ってもそれらしいのは僕一人、他に誰もいなかった。
 帰るときに白人の女性が一人いて『どうやって入るのか』と聞かれた。

 教会を出て少し行くと、今度は十字架がズラリと並ぶ墓地まで併設されている。
 統治時代のイギリス人のものだとすると、何世紀にも及んだ植民地時代には随分とこの地に没した人がいたことが偲ばれる。
 因みにヒンドゥーは火葬にして遺骨を流してしまうからお墓なんかない。
 イスラムは土葬だと認識していたが、ここインドにも大勢いるイスラムはどうしているのか。三千万人いるというあのゴールデン・テンプルのシーク教は、ジャイナ教は、はたまたラマ教は。
 
 今は雨期で一日に一度は激しい雨が降る。するとやはりカッと強い日差しに見舞われる。
 この風土の中でインドの人々は極めて『形而上』の思考を巡らせ様々な宗教を生み出していった。
 日陰に入ると涼しい。そういえばお釈迦さまが悟りを開いたのも厳しい修行の末、菩提樹の日陰だった。インドには日陰が良く似合う。ビールでも飲もうか。

 等と瞑想していたら、目の前にドーンと祠が立っていた。
 もっと小さいやつは車から見る道端で随分あったので『お地蔵さん』のようだなと思っていたが、この3mくらいの規模は初めて。近くでよく見ると象の神様が祀ってある。そうだな、これは お地象様 だな。

 オォ! インドよ。
 クリックスすると拡大されます。

お地象さん

お地象さん

インド 暴動の街へ (今月のテーマ インドの旅)

インドで知り合った日本人 (今月のテーマ インドの旅)

小倉記 再会編

インド高原協奏曲Ⅱ


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インド 暴動の街へ (今月のテーマ インドの旅)

2016 OCT 3 21:21:41 pm by 西 牟呂雄

 別にテロに会ったとかいう大変な話ではない。ただ、暴動である。
 暴徒が車・バスに放火し、それに警官隊が発砲、2人が死亡した。オイオイオイ。
 その理由が何かと言うとこれが水争いだ。
 私が訪問したカタルナカ州と隣のタミルナドゥ州は何百年も前から水争いのあった所で、今回は水不足のタミルナドゥ州に向けカタルナカのダムの放水を最高裁が命令したことに対する反発が理由だ。
「水をよこせ」と言ってる方には、以前大雨に見舞われて都市機能が長期にわたり麻痺したチェンナイがあって、全く自然は恐ろしい。うまいこといかん。
それがですぞ、カタルナカの州都ベンガロールに降りたったら雨。どうやら雨期には入ったようだ。
 街中は拍子抜けするぐらい普段どおり。もっともいつも突然のストライキとか訳の分からん祝日やらはしょっちゅうなのでこんなものか、ビビッて旅を延ばさなくて良かったのかどうか。
直近の情報でも州境でタイヤを燃やして1万人が騒いだと聞いていたので身構えた。SNSの呼びかけで千人程直ぐに集まり、それを見たヒマな野次馬が押し寄せ10倍に膨れ上がり暴動になる、と言う話だった。

朝食風景

朝食風景

 話は変わるが、欧米ならいざ知らず東南アジア・中国・インドでは旅のスタートは身分不相応なレヴェルのホテルに泊まる。今回は特に暴動にでも巻き込まれたら大変だ、何があるか分からない。
 ご覧の通り客はほとんどが外人ビジネスマンで、設備は一流だしサーヴィスも結構であった。
 ところでインドのホテルのケーブル・テレビは600チャンネル位あって、半分は宗教番組、CNNもインド版で米大統領選挙も何もなくこれが圧倒的に例の水争いの話。その他は何故かパキスタンの悪口で、新聞もそう。新聞にはアメリカの大統領選挙の様子とショッピング・モールでの銃撃が載っていたが。
 冷戦時代は米ーパキ VS 露ー印 の大まかな構図だったが、タリバンの跋扈とインドのアメリカ寄りによって大きく変わった。何やらロシア・パキスタンの軍事演習が行われた事で酷くエキサイトした印象だ。印ーパ両国の関係は日韓関係と同じくらい奥深い。
 報道はそうなんだが滞在中ついに暴動の痕跡を見ることはなく、収束したようだ。帰る頃に分かったが、カタルナカ州政府が最高裁からの水の供給命令を無視することにしたから収まったという、そんなの有りかよ。
 
 昔中国で工場を運営していた。上海から始まった『官製』反日暴動があった頃で、あちこちで日本車や日系企業が破壊されたことは御存知だろう。
 我々も現地の様子が気になって毎日連絡をするのだが、返ってくる返事は「何の話ですか」というものばかり。工場のある場所でも1万人規模のデモがあった。心配する我々に「一日200件は起こる暴動にいちいち気にしていられませんよ」などという返事で拍子抜けしたものだった。このインドのローカル水争いも同じようなものか、と今更ながら人口超大国の鷹揚さにあきれた。

はしゃいでいるアホ

 そしてやっぱりいるんですな、アホ共が。
 食事をしてホテルに帰ってくるとエントランスではしゃいでいる若いんだかバカなのか分からない集団がいた。仮装なのか頭にバンダナのようなものを巻いている。
 面白いのでスマホを向けたら喜んでしまって『お前も来い』と取り囲まれ写り込んでしまった。オーハズカシ、こっちは何者と思われたのだろう。
 そして何故か彼らは集団でバスに乗り込んで帰って行く。何かのパーティーだったのかもしれない。恐らく中産階級以上のバカ息子かと推察するが、暴動もパキスタンも関係ない。
 
 翌朝気が付いたが、滞在していたホテルの隣に一世を風靡した霊能者サイババが建てた病院があった。空中から灰を降らせたり(握った拳を振ってみせると灰が飛び散る映像をみたことがある)するという胡散臭さで、一時日本のテレビも盛んに放映していた。
 この物凄い外観で治療費は一切タダという怪しさだ。どんな治療をするのだろう、本当に患者は良くなって出て来るのだろうか。

 オォ、インドよ。

国会議事堂ではない

インドには日陰が良く似合う (今月のテーマ インドの旅)

インドで知り合った日本人 (今月のテーマ インドの旅)

インド人とドイツ人

真夏のインド大陸 前篇

インド高原までやってきた


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インドの多様性 動物編

2016 MAR 15 0:00:28 am by 西 牟呂雄

みすぼらしいボロ

 このみすぼらしい犬を覚えておられますか。さる工場に居ついたと言うか、たまには残飯なんかももらうかもしれませんが基本的にはノラ。何故か縄張りのような顔をして一日中ウロウロしていた犬です。『名前は何と』と聞いたら『それは犬だ。こんな犬に名前なんかない。』という扱いを受けていたので、勝手にボロと名付けていた奴。首輪もリードも無し。門の外には似たようなノラがウジャウジャいましたね。バンガロールという街の話でした。今回は残念なことに会いに行けませんでしたが。
 それがですな、マイスールに泊まったホテルで驚くべき光景を見ました。ちゃんと繋がれた犬がいたのです。そういう扱いを受けている犬は初めてです。

トール

トール

 首輪も付けてリードを持ってもらい、おそらくエサも貰っているでしょう。毛並みも貫禄もそこらのノラとは大違い、品格があります。聞けばちゃんとトールという名前もありました。トールは良く躾けられていてやたらと人を噛むことはないと言うので寄ってみたらご覧の通りそっぽを向いてしまいました。で、この後親愛の情を示してくれフンフンと僕のにおいを嗅ぎ、更には舐めようともしたのです。さすがにビビッて手はひっこめました。狂犬病の話はイヤというほど聞かされてますからね。

人をバカにする猿

人をバカにする猿

 ホテルのガードが教えてくれました。『あれは元警察犬で爆弾や麻薬の検査をやっていた。リタイアしたから引き取った飼い主がアルバイトでホテルの廻りをウロついて小遣いを貰ってる。』本当なのでしょうか。

 今回は瞑想のためバンガロールからマイスールを移動しました。それこそ犬・山羊・猿といたるところにいて、生まれたばかりの子犬も目撃しましたが、可愛いもんですね。国籍を問いません。移動ルートには忽然とこのような工業地帯が出現したりします。

北に向かって

北に向かって

南に向かって

南に向かって

 ご覧の通り殺風景です。ところがもう少し北に行くといるんですな、ちゃんと。回りに人家は全く見当たらず、一体どこからやって来てどこに行くのでしょう。牛飼いのおばあちゃんが4頭の牛を連れて、のんびりというより怠けた雰囲気で立っていました。今このあたりは雨季の前で道端の草は枯れたような色ですが、牛はセッセと食べてます。

大サービスのおばあちゃん

 あなたのファミリーか?写真を撮らせてください。と言ったのですが、このおばあちゃん全く英語がわからないのです。公用語でもあるのですがおばあちゃんには関係ない。もしかしたら字も書けないかもしれません。千年前の暮らしとさして変わらない暮らしで少しも困っていないのでしょう。僕に今からこういう暮らしをしろと言われても不可能です。
 おばあちゃんはそれでも僕の言うことが伝わったのでしょう、一番近くの牛を引っ張って来てくれて(牛はいやがっていましたが)ハイ、ポーズ。原色が鮮やかですね。
 そしてこういう人達にとって投票行動も経済成長も税金も恐らく関係ないのではなかろうか。

 そして最後は動物と言えば動物ですが、シンガポールまでの飛行機の前に座っていたインド人チビです。
 こいつは途中でもう退屈してシートに立ち上がり、何故か僕にキャアッといって顔を出して見せる遊びを考え出し、1時間近くやり続けました。こっちも初めはヘン顔をしてみせてやったらケラケラ笑って盛り上がりましたが、日本人が皆ヘン顔をするものと思われても困ると止めました。するとソレをもっとやれ、とせがむのです。終いには機内食用のナイフを振りかざしてキャーとはしゃいだ所を父親に怒られ、ビービー泣きました。
 

退屈したインド人チビ

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インドの多様性

2016 MAR 13 0:00:22 am by 西 牟呂雄

マイスールの風景

 フラリとインドに行った。とりあえず瞑想に行ったことにしておく(嘘です)。
 行くたびに思うがこの核や空母機動部隊を配備し中国並みの人口を持つ大国は、矛盾の塊だ。数百の言語と宗教、ヒンドゥーのカーストと複雑怪奇な社会にも関わらず一応選挙もやる。もっとも1票125CCバイク一台で買収しまくっているという話はあるが。
 今回はマイスールという古い街に滞在したが、この光景はそれなりの近代都市に見えるだろう。
 ところがこの光景の後ろ側にはトタン屋根に石ころを乗せたようなゴミ溜めのようなスラムがダーッとひろがっているのだ。そこの住民はほとんどが裸足。家屋にトイレがないために、いちいち数えてられないくらいの性犯罪が毎日起こる場所。さすがに近くに行く根性はなかった。
during-daytime[1]mysore-maharajah-s-palace[1] 

                                          
 

 そしてこの街には現役のマハラジャがいる。正確には政治制度としてのマハラジャではないが、地位として27代目の”マハラジャ”はボストン大学卒業の24~25歳という人物だそうだ。右がマイソール・パレスの門で左が宮殿、しかも実際に住んでいる。にもかかわらず公開されて中には入場料を払って入れるらしいが行かななかった。目的が違ったからだ。ここだけの話だが、マハラジャのお父さんは存命。ただし26代マハラジャではなく、先代ないとことか何かのはず。日本にしょっちゅう来て、居酒屋で飲んで喜んでいるような人である。僕は紹介されて会ったことがあるがインテリだった。 
 それはともかく、実はマイソールから少し離れた所に聖地がある。「ダライ・ラマ高等教育大学」と命名された高等教育機関で、周辺のチベット人居住区やブータン人の留学生などが学ぶ。創立は2009年。チベット亡命政府は北部ダラムサラだが、遥か南のこの地にラマ教の巡礼者・修行者がいるのだ。中には日本人もいるのだとか。
 体操の有名選手を輩出し進学校でもある大阪の清風中学・高校は高野山真言宗系の学校である。元校長平岡英信氏は盛んにチベット密教を研究しダライ・ラマとも昵懇の仲だが、多額の寄付と共に関係者とこの地を何回も訪れている。その縁で日本人留学生が来ている。

ダライ・ラマではない

 ダライ・ラマはも年に一か月はこの地にやって来て、上記教育機関のいわば卒業式に出席するそうだ。その卒業がまた大変で50人に一人くらいしか合格しない難関だと言う。何しろ忙しい方で、ここに一ヶ月、亡命政府のあるダラムサラに一ヶ月、後は世界中を飛び回っておられる。
 そして街中でラマ教のお坊さんを見つけた、ごく日常の光景ではあるが。僕が珍しがって追いかけ写真を撮らせてもらうと、満面の笑みで応えてくれた。

 となりのバンガロールにはかのサイババの信者もまだいる。
 真黒いチャドルで目だけを出しているムスリムの女性もいる。このムスリムはシーア派なのかスンニ派なのか。
 一度だけ真っ黒なチャドルをマレー風に頭だけ覆い、顔を出している女性を見た。顔立ちも化粧も八代亜紀さんにそっくりだった。あれは教えに反していてイジメられないか余計な事が心配になった。
 車窓から十字架を掲げた協会も見えた。
 そして圧倒的なヒンド゙ゥー教徒。

 ふぅ。瞑想も何もいるだけで疲れてしまった。心和む花の写真を。

邪悪な色の花

邪悪な色の花

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インドにもいた その2

2015 SEP 8 13:13:39 pm by 西 牟呂雄

 インド人の社長が突然言った。
「明日はゼネストだから工場は稼動できない。」
 その場にいた全員が(僕以外はインド人)エッと驚く。僕が驚くのは当たり前だがインド人までが『まさか』という反応だった。どうも以前からやるかもしれない、と言われていたそうだが結局やることになったとか。
 お陰で予定はメチャクチャになり、現場にも出られず。仕方なく事務所で昼飯でも食おうか、となった。相手先で別の人達とパワー・ランチをするためホーム・メイド・カリーを用意したから一緒にどうだ、と誘ってくれたのだ。いやも何もない。FullSizeRender

 昨日は渋滞で一時間もかかった道が、そのストライキのおかげで10分で着いてしまった。何と学校まで休みになる。
 そして懐かしいとでも言うのか、ツルハシにハンマーの旧ソ連国旗のような旗を持った集団が時折集団で練り歩いていた。聞いた限りではああして見回って、もしスト破りで操業している工場があったら襲撃するとか。紅衛兵じゃあるまいし本当だろうか、確かに食料品のお店以外はシャッターが閉まっていた。

 事務所の横に怪しげな木が立っていた。これ健常者の方には毒々しい赤い花が見えるはずだが、写真に撮ってアップすると私には分からない(おそらく東 兄も全然ダメだろう)。

 その邪悪な花を背にしながらパワー・ランチが始まった。そしてランチの相手はインド海軍のアドミラルなのだった。
 無論我がパートナーは一生懸命接待するのだが、盛り上がりに欠けたまま時間が過ぎた。立食なのである時点でアドミラルと僕の間に真空地帯ができてしまい、何か切り札を出さざるを得なくなった。
『アドミラル、私はネイビーのビッグ・ファンだ。大変センスィティヴな話だが、私の父は1945年にネイヴァル・アカデミー(海軍兵学校)の生徒だった。』
 アドミラルは途端に態度を変えた。
『お父さんはお元気か。あなたもネイビーだったのか。』
 まずいことにブレザーにヨット・クラブのエンブレムを付けていたので、これではセーラーだと誤解されると思い、取ってつけた。
『無論違う。それに今日の日本にネイビーはない。マリタイム・セルフ・デフェンス・フォースだ。』
 読者諸君、その時のインディアン・アドミラルの顔をお伝えできないのが残念だ、こいつは何を言ってるんだという表情になった。マリタイム・セルフ・デフェンス・フォースでは何のことか分からなかったらしく、こう言った。
『ネイビィ イズ ネイビィ』
 それからジャパニーズ・ネイビーのことをやたらと誉めそやし出した。一度訪ねたが素晴らしい、たくさん学ぶことがあった、あの艦船があれば日本は安心だろう、そして・・・・。
『中国とはうまくやってるか』
 困るんですよ、そういうことをアジア・エリアで聞かれると。仕方なく『あれはマリタイム・セルフ・デフェンス・フォースは相手にしていない。コースト・ガード(海上保安庁)の仕事だ。』と言ってみたがどうも全く通じない。マリタイム・セルフ・デフェンス・フォースは海上自衛隊の正式名称なのだが、沿岸警備隊くらいに聞こえるらしい。
 インド海軍は原子力弾道ミサイル潜水艦や航空母艦を保有する堂々たるブルーウォーター・ネイビー(外洋機動部隊保有海軍)であり、そういう意味では海上自衛隊より格上と言えなくもない。ペルシャ湾の海賊対策では共に警戒に当たる関係でもある。

 先日亡くなった作家の阿川弘之氏は、海軍の短期現役主計出身で海軍関係の著作も多い。ちょっと無理筋かと思われるほどの贔屓の引き倒しめいたコラムもある。
 面接を受けに行って中佐クラスの試験官に『貴様はなぜ海軍を志望したのか。』と聞かれ、『陸軍が嫌いだからであります。』とやったと書いておられる。するとその試験官がニヤリと笑ったそうだが本当だろうか、実際に合格している。しかしこれ、あんまりじゃないか。多少陸軍に失礼かとも思う。
 その阿川大尉の海軍自慢の定番に『フレキシビリティ』がある。そう言えばオヤジのネイヴァル・アカデミーのクラスメイトには医者だの社長だのからデザイナー・作曲家・共産党の元代議士までいる。但し敗戦により解散させられたので様々な道を歩まざるを得なかったからかも知れない。
 不思議な事に作家にはまるで応援団のように海軍出身者がいて、文芸春秋社の池島信平社長を中心に源氏鶏太、阿川弘之、豊田穣(この人は海兵出身)といったお歴々が「海軍の会」をやっていた。池島信平・源氏鶏太両氏は徴兵組でだいぶ年嵩が経ってから水兵(セーラー)に取られたのだが、何故か大変な海軍贔屓。世に『海軍善玉・陸軍悪玉論』がはびこる所以である(この点、陸軍出身の司馬遼太郎あたりが陸軍の悪口を書きまくったせいで損をしたんじゃないだろうか)。

 ちょっと断っておくが、私は安保法制改正には賛成だが戦争絶対反対の平和主義者です。戦争肯定論者では断じてないので、そこんとこよろしく。

 又、海軍同士は国境を越えて一般的に仲が良いことで知られる.ネイヴァル・アカデミーのクラス・メイトが海外に行くと、各国の現役にやたらとチヤホヤされていることは聞いていた。いわゆる登舷礼式を以って迎えられる。
 このインドも海軍はそうなのか。敬礼こそしなかったがアドミラル(良く聞くと技官のようだった)のジャパニーズ・ネイビー礼賛を聞きながら、こういうのも文化の共有と言うのかとフト思った。

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インドにもいた その1

2015 SEP 6 11:11:21 am by 西 牟呂雄

 出発の日は小雨が降っていた。きょうは成田から。ぼんやりと車窓を眺めていると、下町の街並みが随分とマンションだらけになってきていることに気づいた。

ITビル群

ITビル群

 成田から飛び、シンガポールでトランジットして延べ15時間。バンガロール空港に降り立って驚いた、涼しいのである。ドライですね。バンガロールはご存知の通り世界的にネットワークを張っているITの一大集積都市。
 ご覧のビルは全てそういった関連の会社が入っており、24時間世界中と繋がっている。
 但し、このインフラを出資したのはシンガポール政府。タダ同然の土地にインフラ投資をしてベンチャーを育てる、シンガポールが中国・東南アジアでさんざんやったビジネス・モデルだ。ここでもしたたかなインド商人と華僑が鍔競合いをしているかと思うとゾクゾクするような。
 多くのベンチャーがひしめいているが、デキのいい一発屋をグーグルやアップルが月に4~5社程度次々に買収するとか。買収された方も人材はサッサと辞めて次を狙う逞しさ。厖大な設備投資の必要のないソフト産業ならではのスタイルかも知れない。するとインド・華僑の上にアメリカ情報帝国が君臨していることになる。見事なトライアングルと言えよう。日本も食い込まなくては。

 街は巨大で薄汚いのは以前と同じ。調べてみると観光資源はたくさんあるようだが、目に付く所では一番立派なのはサイババが建てた巨大病院くらいなのだ。
 渋滞だらけの幹線道路はマナーも最低。今回は路線バスの後ろに金を払わずに掴まってブラ下がるという離れ業を見たかと思うと、デイ・ワーカー即ち日雇いの建設労働者を満載していたトラックが無理矢理Uターンして事故を起こすのを目撃した。

牛の定時行進

牛の定時行進

 打ちあわせをしていてアッと驚いたのが牛の堂々たる行進。ここは一応インダストリアル・エリアですよ。まぁそれはいいとしても現地のインド人の説明では『あれは5時になったから家に帰る所だ。』には納得がいかない。牛が出勤して時間通りかえるとでも言うのか。折りしも午後5時ピッタリだ。まだ明るいのに牛に時間が分かるのか。もっとも動物の方が体内時間はしっかりしているだろうが。
 街はゴミがバカスカ捨てられ埃が舞い、何をしているのか良く分からない人がウロウロ、そして飼われているわけでもなさそうな犬がアチコチに昼寝。

みすぼらしい犬

 読者は御記憶だろうか。小倉記 春風駘蕩編ならびに小倉記外伝 友よ何処に等、拙ブログ『小倉記』にしばしば登場した日本初でおそらく最後の『工場犬チビ』のことを。
 訪ねた工場の中に入って見た途端、ギョッとした。ちょっとサイズが大きめであるがそっくりな(即ちボロボロにみすぼらしい)犬がいるではないか。インド版工場犬か、思わず話しかけてしまった。
『お前、元気でいたのかい?』
 帰ってきた答えは『ウォン』。しかし良く考えてみればこいつは日本語が分からないのだ。ガード・マンに名前を聞くと、キョトンとされて『そんな犬に名前は無い。』と言う。インドは犬に名前を付けないのか、それともどこかのバカ犬が勝手に住み着いても知ったこっちゃないのか。

 ひょっとすれば又会うことになると思い『ボロ』と名付けてやった。
 

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小倉記 再会編

2015 APR 20 20:20:33 pm by 西 牟呂雄

  門司の北端、すなわち九州の北端に和布刈(めかり)神事で名高い『和布刈神社』があり、その一角は割に由緒ある料亭になっています。和布刈神事は厳冬の旧暦元旦の深夜に神職が関門の海に入って、松明に手鎌でワカメを刈り取る儀式のことで、和銅時代には朝廷に献上もした由緒ある行事です。
 この料亭でメシを食っていて気付きました。関門海峡は西にむかって一度蛇行して小倉の方へ曲がりS字のように玄界灘に通じます。夕陽を眺めながら飲んでいますと、何と九州から見る夕日が本州に落ちていくのです。正確には彦島ですね。馬関戦争でやられた後、危うく香港のように外国領土になりかけたのを、高杉晋作がツベコベ言って何とか繋ぎとめました。高杉晋作はあの写真の顔があまり好きになれないのですが(ファンの方ごめんなさい)大したものです。
 私の知り合いに元小倉藩士の子孫がいて、大変変わった苗字です。小倉城主は礼法宗家の小笠原氏ですが、信濃から国替えでやって来た時に藩主に付いて来た一族です。その彼、幕末の長州戦争・小倉口の戦いで高杉晋作の部隊に軽く負けたことを今でも恥じていて『博多の黒田が助けに来るはずが裏切られて負けた。』と黒田藩を逆恨みしています。恨むなら奇兵隊を率いた高杉を恨みなさいよ、といったところなのに。

 ところで小倉に行きまして。インド人とドイツ人が一緒に来るという奇怪な日程にあわてて足を延ばし再会しました。連中とは10ヶ月ぶりですかね。両人とも実は偉い人で大金持ちです。そしてなかなかのタフ・ネゴシエーター、尚且つユーモリストでもあります。
 話していると、ドイツ人のここ一番の集中力とインド人の譲らなさにはしばしば『もう分かった。』と妥協しかけたものの、黙り込むのも技の内。
 その後食事にディナーに誘うとにこやかに応じてくれました。ただインドの方はビーフはだめです。『ヒンドゥーか?』と聞くと『私はブラマンだからね。』とウィンク。初めは何のことかわからなかったのですが、これ日本ではバラモンと教えられた最上位カーストのことでした。彼は上級バラモンで先祖以来ビジネスに手を染めたのは父親の代からだそうです。さすがに肌は黒いのですがジョニー・デップに似た男前。
 彼の地元に行った時にまるで国会議事堂のような建物がありましたが、なんとあのサイババが建てた病院でした。もう亡くなった有名なサイババは初代サイババの生まれ変わりと称していて、ただ彼の説明では初代は元々イスラムの異端で、あんなものニセに決まっているといっていましたね。どうでもいいけど。
 ドイツ人はデカくてゴツくて、昔のサッカー・ナショナル・チームにいた名キーパー、オリバー・カーンにそっくりで強そう。アジア中にビジネス・ユニットがある連中だから日本食もお箸も慣れたものでした。最後の桜に喜んで携帯でたくさん写していました。
 それで食事した後にカラオケに連れていくと、奴等面白がっていましたねぇ。
 カラオケは英語縛りでやりましたが、彼らはビートルズ、私はプレスリーばかり。インド人はパフォーマンスはよかったがリズム音痴というやつで歌が合いません。ドイツ人は真面目にやり過ぎてビートルズというより男性バロック音楽のコーラスみたいになってしまいました。
 このドイツ人はお母さんが先日 国境を考える Ⅱ で書いたカリーニングラード(旧ケーニヒス・ベルグ)の出身でした。ここの出身者の話になってイマニュエル・カントやオイラーの名前を出したら『よく知ってるな』と受けました。
 二日の話し合いでおぼろげながら着地点が見えてくるのですが、その後のスケジュール感が微妙に違う。ドイツ人はここから加速するように次々と目標を前倒しにしようとします。インド人は『これからのインドは凄いことになる。中国なんか問題にならない。』と張り切ります。日本側のハラが試されることでしょう。

 ところで、帰る時に以前九州で研修していたロシア人とバッタリ羽田で会ってビックリ。別のプラント・メーカーと商談していたそうで(私の件とは別に)旧交を温めたのですが、始めに『ヴィー・ゲート・イーネン(数少ない使えるドイツ語)』とやってしまい怪訝な顔をされました。ここはロシア語で『カクダィラ』と聞くべきでした。
 別れ際にはカンが戻って『ダスヴィダーニャ』がスッと出ましたが付け焼刃ではこんなもの、まだまだですな。
 
世界は狭い!

インド高原までやってきた


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