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サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編Ⅱ)

2015 MAY 17 21:21:31 pm by 西 牟呂雄

 うっかりして、香港行の最終が出港してしまった。リスボア・ホテルのカジノでこのまま朝までいるしかない。バカラでこの時間から負けが込んだらえらいことになるので、しょうがないルーレットでもチビチビやるか。
 席についてまずは色に張る、素人っぽく4枚・8枚・16枚と掛けて当たればまた4枚から張る。ディーラーが一番いやがるかけ方だ。どうせ勝たなくてもいいんだから、などと気を抜くと全部やられるから一応盤面からは目が離せない、酒のガブ飲みなんぞ以ての外だ。ポツポツとチップが溜まり出す。
 するとやっぱり寄って来た、ヤバそうな若い女だ。やたらと露出の多いチャイナ・ドレスを纏ったのが隣が空いた途端に滑り込むように座った。
『ハイ、ニッポンジン?』
 顔を見た途端にギョッとした。目の焦点が合ってない、こいつはさっき一本キメてきてラリったかハイになった典型的なジャンキーだろう。
『エニィシング トゥ ドリンク?』
 うるさいな。オッと体を摺り寄せてきた。
『シャチョサン、ルームナンバー、100ドルオーケー。』
 冗談じゃねぇ。無視プラス白目を剥いてやったらヘンッという顔をしてどこかに行った。

 オレ(椎野 茂)は日本を離れて3年8ヶ月。巨額の借金を半ば強引に踏み倒して来た。もっとも金利は十分に払ったつもりだし、相手はまともな銀行だから融資担当の方も消えられるのが一番困るから適当な整理機構に移された時に自己破産してケツをまくった。いわゆるバブルの崩壊というやつだ。活動拠点は上海・香港・マニラでそれぞれ別の仕事をしている(ことになっている)。女房と娘にはいくばくかの金を送りつつ、まぁテキトーにしのいでいる。
 上海ではレストラン、香港では雑誌の発行、マニラでは日本人専門の不動産をさばく(ことになっている)。あんまり羽振りが良くなるとこれらの場所では危ないから目立たないように稼いでいた。もうそろそろほとぼりも冷めた頃だろう、日本に帰りたいのだが。

 今日はマニラに泊まる、久しぶりにマニラ湾沿いにあるいかがわしさ十分の飲み屋に来た。まさかいきなり女を買うわけじゃないが、飲み食いの時に一緒に座る女の子を選ぶシステムだ。食事は吹き抜けになっている2階部分で取り、一階はバンドが入って女の子と踊ったり、最近はカラオケもできる。日本人観光客はヤバすぎて滅多に来ないがそれでも駐在員のような多少スレた連中は来ることがある。
 特徴のあるギター・イントロが聞こえてきた。ワイルド・チェリーの『Play that Funky Music』ではないか。身を乗り出して見入ってみるとヴォーカルはどうも日本人のようだ。『ヘーイ・ドゥ・イ!』の出だしがミョーにカタカナっぽい。こんな所で変なやつがいるなと思ったのだが、良く見ると見覚えのある顔なのだ。目が合った。
あいつ・・・B・Bだ。
 奴は一曲だけ歌い終わると二階のオレの席まで来た。
「ユー、椎野だろ。」
「お前原部(バラベ)か、B・Bなのか。」
「ロング・タイム・ミス・ユー。15年ぶり?」
「こんなところで何歌ってんだよ。」
「おまえこそ、よくこんな店に来れたな。ここデンジャラスよ。」
「前にも来てたんだ。」
「ウワーオ。」
 話していると馴染みなんだろうか、店のオネーチャンが『ハーイ、B・B』等とあいさつしてくる。
「マニラに住んでるのか?」
「ノー、ノー。出張だよ。あしたはタイペイだし。ユーは遊び来たの。」
「いや、仕事だ。月に一回は来てるよ。次連絡するよ。」
「うん、僕もしょっちゅういるから。ゴルフしようよ、チープよ。でもね、もう日本帰りたい。」
「オレも3年以上帰ってないな。そろそろ帰ろうかと思ってる。」
「そうなの。もう泣きくらい帰りたいよ。結婚した?」
「そりゃしてるよ。娘もいるしな。お前は。」
「こんな暮らししてたらとてもとても。いいなあ、帰りたい。」
 いったい何をしているんだ、こいつは。

つづく

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編Ⅰ)

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編Ⅲ)

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編 最終回)


 

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サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編Ⅰ)

2015 MAY 16 10:10:27 am by 西 牟呂雄

 僕(英・はなぶさ・元彦)は学生時代にアメリカではなくヨーロッパを放浪した。なぜヨーロッパかというとまずイギリス、ビートルズの誕生したリバプールを見たかったからだが。僕達の世代はフラワー・チルドレンから少し遅れてきているのでヒッピー趣味はあまりない。それにどちらかというとガンガン鳴るハード・ロックよりもキンクスとかホリーズといった趣味だったこともあってロンドンを中心に動いたのだ。
 ヤバい奴らは沢山いたがヨーロッパはどちらかというとヒッチ・ハイクの事故なんかは少なく、日本人自体がまだ珍しがられたせいもあって結構親切にもされた。僕が小柄だったことも相手に危険を感じさせなかったのだろう。
 しかし冬場は寒かったのでとても移動する気になれず、アルバイトに精を出した。定住してみるとロンドンは安定感も感じる。何というか基本的な都市インフラは世界大戦前に終わっており(それも19世紀中に)古い物を長く手入れを重ねて使うこと自体が美徳だと思っているかの様だった。
 僕は彼の地で行きがかり上(専門は英文学)ジョージ・オーウェルに凝った。
 そして言うまでもないが、全く色恋沙汰には縁がなかった。

 適当に見切りを付けるはずが1年半も滞在してホームシックも関係なく帰国することにした。日本の情報というか様子は、たまにめぐり合うバック・パッカーのような怪しい日本人から仕入れていたのでロクな話は入ってこなかったが、遂に金融・商社の駐在員といったエリートとは付き合うことはなかった。そういう人達には家族もいるだろうし、政治・経済関係に疎かったのでその辺のいきさつを長々と説明されるのが面倒だったのだ。流れ者は直ぐにどこかへ行ってしまいその後も付き合うことは無かったからその点気楽だ。すっかりそういう人間関係に慣れてしまい、滞在中はズッとそうしていたかった。日本に帰りたいとはあまり思わなかった。 
 それは英語の語感というか使い回しというか、日本語より遥かに硬質な表現に浸かっていたので、たまに日本人と話しているとピリオドの無いようなズーッと繋がっている会話・文章との際立った違いにうんざりさせられたりしていたこともある。

 カズオ・イシグロは世界的に評価が高いベストセラー作家だ。彼は家庭内では日本語で両親と話しているそうだが、作品は完璧な英語である。これを翻訳するとわずかにニュアンスがズレる。
 ハッと気が付いた。これは英語で身を立てられそうだ、と。
 イシグロは偶然だが1954年生まれで僕と同い年でもある。
 日本に帰ってから復学して大学院に進み、翻訳と教師をやりながら、僕は自分の道を見つけられたようだった。

 ある日長年音信の途絶えていた高校時代の友人、椎野茂から電話をもらった。暫く東南アジアだか中国だかに行っていたことまでは知っていたが、こちらからは連絡できなかったのだ。
 会話はのっけから衝撃的だった。
「オレな、マニラでB・Bと会っちゃった。」
「エッB・Bってあの原部(ばらべ)?」
「そうなんだよ。ビックリしたなー。」
「マニラでなにやってたんだ。」
「それがなぁ。フィリピン・バンドでヴォーカルやってた。」
「なにー!あいつ確かマトモに就職したんじゃなかったか。」

つづく

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編Ⅱ)

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サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(1998流浪望郷編 最終回)

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潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 

2015 MAY 14 19:19:00 pm by 西 牟呂雄

 古代史のヒロイン額田王(ぬかだのおおきみ)の力強い歌である。
 
 
熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

yjimage[1]

 一条の光に導かれ
 友よ力込めたまえ
 まだ波静けくあるうちに
 
 我が目指すところ
 遥かなる 海原の
 風まだ猛くならぬうち

 友よ さあ 力込め
 櫂しならせて漕げ 
 外海で 帆をはらむまで
 

 夜間帆走というのは荒天で灯台も見えないような外洋の場合、大変に難しい。風とコンパスだけで心細い航海が続く。しかし月も星も見えないで何時間も舵を取っていると必ず恐怖感が麻痺してしまい、返って緊張感がなくなる方がヤバいそうである。4人で太平洋を横断した人が言っていた。外洋の懐の深さ、大きさ、そしてその恐さを語って余りある。その人達は33日でサンフランシスコに入港したが、日本を出た途端に低気圧を喰らって帰港しようかと随分悩んだそうである。
 もっとも近海でも注意しないと内航貨物船は夜中航海しているから危険だ。
 影のできるほどの月夜で天の川が目測できるような満天の星に気を取られ、千トンクラスの貨物船が接近しているのに気付かずヒヤリとしたことはある。航海灯に気が付いた貨物船の航海士が汽笛を鳴らしてくれたのだった。
 そして未明の薄明かりの時は、実はもっとあぶない。障害物(船舶等)が海の色に溶け込んでしまって良く見えなくなってしまう。
 結局航海は常に危険に囲まれているのだ。

 ところで冒頭の歌の熟田津は愛媛県のあたりらしく、百済からの援軍要請を受けた倭の軍が出港する時の歌だ。あの時代の航海術では風の悪い時期の玄界灘なぞ、行くのも命がけだっただろう。

 かの人は天皇兄弟の三角関係から壬申の乱の遠因になったという説もある。
yjimage[1]

あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る
 これは天智天皇行幸の際に歌ったのだが、それに対し大海皇子が
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
 と返歌したので、前述の三角関係説の傍証とされている。確かにはじめは大海皇子のツレだった。
 このやり取りの故池田弥三郎氏の解釈がメチャクチャ面白い。僕は40年以上前に聞いた語り口を未だに覚えている。池田先生は江戸っ子なので話し言葉のニュアンスを思い出してちょっと再現して見よう。
「あれは宴が始まって酔っ払った大海皇子が下手な踊りでも踊ってるんじゃないんですか、ラジオ体操みたいな。額田王は前のオトコだった皇子に向かって『コレコレ』ってな具合で注意を促してるんですよ。周りみんな、今は天智天皇の彼女ってこと分かってんだから、何にも言えない。それを大海皇子の方も『いまだに惚れてますよ。』ってな按配で返してる。この歌の時点でどう考えても40台後半ですからあの時代では大年増どころじゃない、『恋ひめやも』も何もないですよ。それぐらい大らかだ、と思ってないと古代のウタゲってもんはわからないでしょう。」
 いやはや、さばけてますな。

 またテーマと関係ない話になってしまった。

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沖の小島に波のよる見ゆ 

2015 MAY 11 23:23:34 pm by 西 牟呂雄

 言わずと知れた鎌倉3代将軍 源実朝の名作です。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ

初島 こんな感じでポツン

初島 ポツン


 

 この歌を解釈した文献を読んだが、色々考えなくてもこのリズム感が素晴らしい。「わが」「みゆ」のノリの良さはどうでしょう。
 箱根権現に詣でたときのものとされていて、ここに出てくる小島は一般的には熱海沖の初島を指すものと考えられているようです。
 しかし、海岸付近から初島を見ると島は海に浮いているように見えてとても『波の寄るみゆ』にはなりません。又、箱根から鎌倉に抜けるのは小田原に出ますが小田原からは初島は見えないのです。  

おほ海の磯もとゞろによする波われてくだけてさけて散るかも

こんな感じ

こんな感じ

  
 
 ダイナミックですね。こちらは「おほ」と「とどろに」がすごい。僕はこの歌も大好きです。このノリはロックンロール。現に阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲ダウンタウン・ブギウギ・バンド『アイム・ジャスト・ア・フーチークーチー・マン』の歌詞なんかに「裂けて砕けて、散っていくのが、バカなオイラにゃお似合いさ」などとパクられています。Hoochie Coochieって猥雑な意味なんですけどね。ちなみに宇崎竜童はこの手をよく使っていて、キャロルの「ファンキィ・モンキィ・ベイビー」が流行った後こっそり「ヤンキィ・モンキィ・ベイビー」なんて曲をアルバムに滑り込ませたり。
 話を戻して、鎌倉・葉山・逗子のあたりでこんな光景が見える磯はありませんね。あの辺は余程の荒天でなければこの歌のような波は立ちません。稲村ケ崎も結構遠浅ですから、多少波が高くても『われてくだけて』にはならないのです。
 実朝は藤原定家から万葉集の写しをもらい狂喜したとされます。確か12歳で征夷大将軍になったのですが、鎌倉幕府の体制が定まっておらず生涯ナントカ合戦やカントカの乱に苦しめられ、最後は暗殺されてしまう悲劇の人です。詩心があった青年は万葉集を熟読して心を慰め、また楽しんだことでしょう。
 で、ここから私の仮説ですが。実朝は実際には『波のよるみゆ』や『われてくだけて』の光景を見たのではなく、想像で詠ったのではないでしょうか。
 本歌取りはいくらでもありますし、別にこれらの歌の芸術性が損なわれるわけではありません。それどころか想像によってこれだけのダイナミックな歌を紡げるところが天才たる所以ではないか、そしてきっと海が大好きだったでしょう。

 私は見たまま

江ノ島越しに富士

江ノ島越しに富士

南風 相模の海の 色あわし
  未だ ま白き 富士はさびしき

 連休の時は靄ってしまうことが多いのですが、たまにうっすらと富士が見えます。この時期富士山はまだ頂上部分が冠雪してきれいです。

海原の 波の飛沫を 跳ね上げて
  若き イルカ等  十ノットで行く

 我が愛艇はいい風を拾っても7~8ノットが精一杯。実際には年寄りのイルカも混じっていたかも知れませんが、しばらく面白がって船と伴走していたのが飽きたのでしょう、群れが一斉に抜き去っていきました。

源実朝の嘆き

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萌え出づる春になりにけるかも

あかあかや 華厳

ところで失われた分を取り戻せるのか

2015 MAY 9 17:17:28 pm by 西 牟呂雄

 最初から何だが日本型の密度で仕事をするのは、グローバル化が進むだけ進んでしまうと成り立たないのではないだろうか。
 色々と話をしていてアメリカ人だろうが中国人だろうが単純なビジネスの交渉ではしばしば『こいつらもうちょっと真面目にやれないのか。』と思ったことが何回もある。2000年代の頭の頃に(2002~2007)日本の素材をアジアや大陸に売りまくって組み立てた製品を北米に輸出する、というモデルに悪乗りしてまぁカモにしていた。ところが日本側は交渉のプレゼンの手続きまでは異常にエネルギーを使ってしまい、その場に臨む前にもう仕事が終わったような気になってしまう。最近読んだ本にうまいことが書いてあった。『日本人は非常に能率的に非効率な仕事をする。』そういうノリではどうも通じなくなって来ているのかも知れない。
 実は当時からもアメリカ人(白人だったが)の、見た目のトロさやだらしなさの合間からは思いもつかない集中力に一瞬ヒヤリとしたことや、中国人のやたらと友好的な態度の中にチラチラ覗く拝金主義的な上から目線にハッとさせられたことはあった。その場の交渉力では正直歯が立たなかった。
 合同演習をした海自の将校さんが言っていた。アメリカ海軍は普段時間には遅れたりダラダラしているように見えて、実践訓練をやってみるとこれが強いらしい。概して実戦向きなのだろう。
 京大教授の故会田雄二氏によれば、言い方は悪いが24時間ダラダラと且つ粘り強く働く、今日も明日もあさってもメリハリ無く働き続けるのはアメリカ人や中国人にはできないが、日本では(僕は別にしても)可能だという。現在でもしばしば悲劇を生みかねないブラック企業などが潜在的に存在している訳だ。
 更に欧米・大陸は少数民族を奴隷的に使う体質を共通して持っている。アメリカは移民を飲み込み、中国は異民族は言うに及ばず農民戸籍の人間をいくらでも苛める。こういった体質はグローバル化との親和性が高く、資本も国境を越えてダイナミックに移動できる。大陸が?とお思いのムキはあるかもしれないが、東南アジア中の中華街が強固なネットワークを築いていることを見れば一目瞭然であろう。この点多少の異論もあるかもしれないが話が進まないのでチョッとそういうことにしておいて欲しい。いい悪いは別として日本人はそういうタチにはできていないから、その真似事をすれば失敗する。グローバル化に乗り切れなかった所以かとも思う。
 大陸とは一定の距離を置いている方が相互にハッピーであること、歴史が証明しているではないか。一人頭はまだだがトータルGDPは既に2倍近い。相手の挑発もあるし、今更わざわざスリ寄って行く必要は無く、来たら追っ払い続けていればいい。むしろそれぐらいがいいのではないか。
 
 ところで、我が方が経済的に優位に立っていて中国というリソースを使おうとしていた頃、見るのもおぞましい振る舞いの日本人がウジャウジャしていた。中国語も覚えず、エラそうにふるまい、下品な物言いにゲラゲラ笑う日本人の塊は中国中にあちこち固まっており、日本でリストラされた腹いせか金に目が眩んでいたような顔は醜悪そのものだった。そういう特にエンジニアが自分の持っている2流の技術をペラペラ喋りまくっていた。
 その前には同じようなのが半島にゴッソリいたし、そのまた前には怪しげな英語使いがアメリカをウロウロもしていた。
 皇軍の軍律厳しく国際法を順守し規律正しくしているうちは評判が良かったのが、調子に乗って変なのが巾をきかせていた大陸浪人なんかもああいう顔をしていたに違いない。
 しかし今日位になればもうそういう連中は使い尽くされてお払い箱になっているだろう。一時いい思いもして稼いだんだからおとなしく引っ込んでろ。

 繰り返しになるが日本はグローバル展開に乗り損なったのだ。それに乗ってうまいことをやったのは、先程から例に出しているチャイナやアメリカであったのではないか。
 そして最近言われ出したニュー・ノーマルという無成長経済になってしまった。これ、以前はゼロ・サムという言い方だった。そして格差が広がったことになる。
 現時点ではEU・ロシア・南米に好況感はない。ドイツだってギリシャが弾けたらタダではすまない。
 勝ち組のはずの大陸でさえ気の遠くなる程の不正蓄財を国外に持ち出す政府幹部は後を絶たないし、アメリカは世界の警察の座から自ら降りた。だいたい使い切れないほどの資産を国外に持ち出そうとする輩がガサガサいるなんてロクな国じゃないだろうに。
 翻ってこの程度の格差なら世界水準から見れば上出来だし、今後は人口も減って縮小均衡はやむを得まい。
 いっそのことガラパゴス化を徹底させてサーヴィス産業を充実させたりする。すると特に日本語の参入障壁が高いのでまず外資は入れないし、今の為替が維持できればそれなりにやっていける(突発的な外部要因除くが)。爆買いやガイジン観光客の増加は実に結構なことで、ニューノーマル経済にソフト・ランデイングすることは可能ではないか。製造業は匠の技で必要なものだけを作る。

 一方いとも簡単に国境を越えてビジネスを立ち上げられる優秀な人材は現在でも多く、今後も続くだろう。そしてそういう一握りの逸材達はそれこそサッと日本語を捨てる方向に行くのかもしれない。そういったビジネス感覚の研ぎ澄まされた人々は自分のビジネスに一番能率のいい言語を選ぶだろう。日本のマーケットはニューノーマル・ゼロサムで結果縮小均衡するのだから。

 異論・反論 歓迎します

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おじさんが遊んで暮らす十ケ条

2015 MAY 7 2:02:31 am by 西 牟呂雄

 ゴールデンウィークを過ごしてみて、農業の真似事をしたり海で航海していたら『これは遊んでいるのではないか。』と天の声がした(と言いつつ今週は働く気は全然ない)。庭仕事や苗の植え付けなんかは大真面目に働いたつもりになっていたが、資産性は元々ない上に到底生産活動ともいえない代物だ。セーリングそのものの移動コストは限りなくゼロだが、行った先に何かを運んだり観光をしたわけではない。
道楽しながら遊んで暮らす、と言えばなにやら達人風ではあるが中身は全然そんなことは、ない。人生の醍醐味というにはあまりに底が浅い。
 これではいかん。と言いつつもっと真面目に色々と準備をしなくては。趣味を持てとか健康に留意する、みたいな話はこの際除く。更に余計なお世話だが若い人はセッセと働きなさい。
 しかし遊び人という語感は、古い話で恐縮だが遠山の金さんのセリフが一番しっくりくる。
「オレか。オリャ金さんってぇ遊び人だがよ。」
 しかし今時『遊び人』と言ってしまうとどうもイキな感じがしにくいし、なかなかなれそうもない(もう見た目十分なっているとの説もあるにはあるが)。どうやったらなれるか考えて以下列記して見よう、オヤジのための十か条。

1.孤独に耐える。
 一週間くらいは誰とも口をきかなくてもどうってことないように暮らす。やってみると結構難しくて、人間というのは意外と喋りまくっていることが分かる。この喋りにはLINEなんかも含められるから、今はケータイ携行がほぼ100%なので根性を入れないと孤独そのものが保てない。寂しいという気持ちを脳から消し去らなきゃいけない。
 常に難しい顔しろ、じゃないんですよ。返ってニコニコしているくらいがちょうどいい。

2.安く長い旅をする。
 『安い』がキー・ワード。贅沢な旅は飽きがきて早く家に帰りたくなる。時間はたんまりある前提で、国内であれば飛行機・新幹線はなるべく使わず快速くらいで移動する。目的地までいきなりたどり着かないようにする。目的地では安宿に最低でも3泊する。レンタカーがオススメ。豪華旅館のグルメ飯は避けて、お土産屋さんの地元流通品を選んでチマチマ食べる。そもそもあんな御馳走毎日は食べられないでしょ。
 一人が最も良く、或いは少人数、とにかく群れるな。ただセーリングの航海は除く。僕の腕では一人で34フィートの船を操れないのだ。下っ端なんです。
 自由な旅というものは若者の特権じゃない、我等に自由を!

3.倹しく暮らす。
 何もケチケチやれと言っているんじゃない。バブルが来ようが不況になろうが自分のペースを守りなさい、という意味。俄仕込みのカネの掛かる様な趣味を新しく始めるなぞもっての外。第一今から始めても絶対に上達することは無い。特にマズいと思われるのは金のかかる骨董とか。
 あのですね、遊んで暮らす話ですから飲みに行くとかおもちゃを買うのはいいんですよ。
 使うときは使う、豪華レストランで値引き交渉なんて恥ずかしいことをするな、の意味。旨いもんは食べればいい。

4.物はすぐに人にやる
 次に又使える等と思って取っておくのは禁物。いらん物が増えすぎる。思い出に取って置くなぞ全く不要。思い出に耽る時間なんかもう無い。かといって捨てるのも面倒ならかたっぱしから人にあげてしまう。車なんか動かなくなってからじゃどうにもならない。腕時計をいくつも持っている、とかロクに袖を通さない高いコートとか全部無駄。みんな譲ってしまいなさい。
貰ってももらえないのは本!CD!紙袋!食器!家具!それから・・・自分か。
その内気前のいいオジサンという評判になるだろう。

5.先のことを考えない
 明鏡止水という結構な境地があるそうだが、破れかぶれとそう違わない。流行語になったけど、先が短いんだから『今でしょ。』の精神です。これはいくつか意味があって、そのうちやろうとしていたら絶対できない。もう一つ妙に義理堅くドロ沼にはまってもいけない。『せっかく~だから~までやらなきゃ損だ。』何てビンボウ根性をだすと粋じゃない、無理すると帝国陸軍みたいに引っ込みがつかなくなってオジャン。
 予定に振り回されるのもいけませんね。死ぬスケジュールでも作る気ですか、死ぬのはまだ先だ。

6.嘘をつかれるな、つくな
 わかってますね、この年になれば。後妻業みたいな事件があったでしょ。それこそこれから出会う人間と複雑怪奇な感情の縺れなどとんでもない。それで本当のところ大金が動くこともあるから遊んで暮らせなくなる。大体オレオレ詐欺何かにコロッと引っ掛かるなんて脇が甘すぎる。
 ハッタリもダメです、ダメ。夢を持つことは構いませんが、それには努力を伴うのでナマケ者は控えるように。イロコイは別に止めません。

7.仕事と言うな
 いや、働くなじゃないですよ。働くんですが『仕事』と言わないで『用事』とか『ヤボ用』とか言いましょう。実に粋な感じがする。お江戸の昔の職人は食えなくなってから働いたのです。旗本の次男・三男なんか全然働かない。
 尊敬する内田百閒は借金まみれになってから、おもむろに筆を取った。もっともそんなになる前はドイツ語の先生はやりましたけど。
 ぼくだってゴルデンウィークが終わればチョイト用事はあるもんで。

8.経験則はダメ
 このご時世、通信機器の進化は異常なハイ・スピードだから前述の『用事』の中身も変わるだろう。どうせ進化にはついていけないのだから、ガラパゴスだろうが何だろうが、反流行・反世俗。人間コモド・ドラゴンになってやる。
 昔はこうだった的な成功譚は控える方が賢明。それより勝手に進化してしまえばこっちのもんだ。『昔はね~』の話はオジサン同士でも聞き苦しい。

9・こうなったらもう
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。どうせ失うものは無い。誰も助けてくれっこない。後は野となれ山となれ。これが最期だ文句あるか。行ける所まで行ってやる。どうせ自分は嫌われている。あの世に金は持っていけない。さあ殺せ。ボケが何だ。話がくどいのが何だ。病気が何だ。子供が何だ。孫が何だ。

10・・・はですね。自分は遊んでいる、という自覚をいつも持つこと。だって遊んでるんだもん。人の役にも立たないし。

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真鶴港にいます 

2015 MAY 4 17:17:23 pm by 西 牟呂雄

unnamed[8] 久しぶりのセーリングで本日真鶴に入港しました(5月3日)。小さな港町で観光コースからも外れてますし、海岸も温泉もない(少し離れたところに小さな浜はありますが)。1軒旅館があってそこの小さいお風呂にお金を払って入れてもらうのです。その昔、従業員用のお風呂にタダで入ったツワモノもいましたが。今回はクルーが多かったので僕たちはそこに強引に泊まり、堂々と入りましたよ。
 それでもお刺身定食や焼き魚定食はどのお店で食べてもメチャクチャおいしい。
 しかも今回は後ろに流していたトローリングにかかった鯖を〆めておいてお寿司屋さんでおろしてもらって食べました(あんまりおいしくはなかったけど)。
 風は東南の微風。ビールをしこたま飲んでガンガン焼けました。この時期の紫外線は夏より強くて1時間で真っ赤になります。
 そうそう、航海中にイルカの大群がしばらく面白がってヨットの横を伴走して泳いでいました。ああやって遊ぶのを見るとやはりそれなりに知能がある動物なんでしょうね。写真に撮るのを忘れたのが残念でした。
 入港すると同じポートの仲間の船がいて、大島から回航してきたそうです。トランスパック・レースにも出た筋金入りのクルーです。一緒に大宴会になったのは言うまでもありません。
 あすは天気が変わって大風が吹くようなので、朝5時には出港です。速く寝なくちゃ。

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アグリカルチャー・デヴュー

2015 MAY 2 21:21:36 pm by 西 牟呂雄

 連休に引っかけて喜寿庵に長くこもって、芝生の手入れも植木の剪定もゴルフもやってついに何もすることがなくなった。ゴルフは出だしそれなり、午前中には久しぶりと言う感じでバーディーを取り次もパー。終わってみればいつものスコアという不思議なプレイだ。午後からのスコアは企業秘密としか言えない。
 しかし良く考えると何もしないのは立派なバカンスではないか。っとビールを飲みつつ本を読んでいた午後、突然の来訪者があった。
「あのー、大旦那に頼まれてた耕運機が修理できましたので持ってきました。」
何も聞いてないよ!
 オヤジが壊した小型耕運機(見た目カワイイ)が突然復活してきた。しょうがないので動かし方を教わって奥庭の畑だったところまでコロコロ押していった(ガソリンで動くので音はバリバリだが)。で、そこまで持っていったら秋に散々捨てた落ち葉の山がきれいに土っぽくなっているではないか。ただでさえヒマだったので、ヨーシ一丁やってみることに。長靴と麦わら帽子に身を固め土を掘り起こしてみる。するとそれまで乾いた感じだったのが黒々と中の土と撹拌されていく、そして端まで進むと、後に一条のウネが出来上がっていた。なるほどと感心して二時間程やって飽きてやめた。

 翌日見に行ってみると我ながらそれなりの畑に見えて一人で舞い上がった。これからは農業だ。イザという時にオレも一人前に自給できるように今から耕作の腕を磨いておくのもいいじゃないか。そう言えば芝生の目土を買いに行った所に『苗木コーナー』があったことを思い出して、早速車を飛ばす。
 おォ!あるわあるわ。これでは大農園ができてしまう。しかし考えてみればオレだっていつもいる訳じゃないし、採れ過ぎたって商品になるはずもない。まっ手ごろなところでナス・ピーマン・キュウリを4個づつ、他にジャガイモのタネ芋を買った。ジャガイモは以前オヤジが造ったことがあったので、何とかなると思ったのだ。
 ところがイザ植え付けになってハタと困った。苗木は穴を掘って植えればいいだろうが、ジャガイモはどうするのか。ネットで検索すると専門用語が多すぎて分からない。4っつに割ってやれというのだが、買ってきたのは違う種類のようで割ると小さくなりすぎてどうもマズい。結局そのまま穴を掘ってそこに埋めた。
 ナス・ピーマンにいたっては、植えたあとに伸びた弦が巻きつけるように棒を立てろ、だ。しょうがないからそこ等辺にあった竹の棒を立ててみた。更に、肥料がどうしたこうしたと書いてある。そんなものはナイ。そこでゴミを燃やした灰を撒いておいた。

 これで収穫があれば一人前の独立自営のジェントリー!かと夢想したが、現実はそんなに甘くないはずだ。プロであれば、園芸のように金を出して苗木買ってくるのじゃなく、種からやるべきではないか。この辺よく分からないのでプロの方教えていただけないでしょうか。
 今日見に行くと心持ちナスやピーマンはチビ苗が立っているように見えて、俄然愛しくなる。こういうことはそれこそプロはやらないのだろうが、オレはジョウロでセッセと水をやった。急に色々な心配事が頭に浮かぶ。風でオレがいい加減に突き刺した竹の棒が倒れはしないか。周りに無粋な雑草が生えたらカワイイこいつらが負けてしまわないか。

 オヤジがノコノコ喜寿庵に現れた。オレが連休後半に海に出るため、交代でやってきたので早速我が農園の進捗を自慢したが。するとフーッと息を吐いて『今年はもういいや。』などとほざいた。
 その内オレの作品の成長をブログで報告できる日を楽しみにしている。豊作だったらSMCの仲間にも分けてやろう。
 
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アグリカルチャー・デヴュー Ⅱ

アグリカルチャー・デヴュー Ⅲ

アグリカルチャー・デヴュー Ⅳ

平成亜空間戦争 Ⅱ

2015 APR 29 7:07:29 am by 西 牟呂雄

 前回のいきさつ 平成亜空間戦争

 ついにヤマト亜空間の関ヶ原が始まろうとしている。煉獄界の怨念パワーが全体的に落ちて来たのだ。これは地上の『ニッポン』と言われているエリアの平和が長く続き過ぎて、亜空間入りする怨霊が減ってきていることによるものらしい。ニホンジン全体が地球温暖化に合わせて『いい人』だらけになり、又長寿化によって昔であれば恨みつらみで悶死したような人が痴呆によって桃源郷に遊ぶような気持ちのまま亡くなるようになったからとも考えられる。
 亜空間の怨霊は憎しみのマイナス・パワーを発揮、敵を飲み込むことによってのみ成立しているところがあって、上述の理由により歯ごたえのあるニュー・カマーが来ないと亜空間自体が密度が薄くなってしまうのだ。怨念は怨念を、憎しみは憎しみを呼ばなければならない。
 ヤマト亜空間のカントウを支配していた平将門はついにキレた。

将門の首

将門の首

「おのれ不甲斐ないニホンジン共め。長い間地縛霊として君臨しているワシを何だと思っている!こうなったら亜空間革命を起こし一人でヤマトを治めて見せてやる。大塔宮!ここへ!」
 この怨霊は首と胴が離れているため、喋る首を、首のない胴体が脇に抱えたり両の手で高く差し上げながら怒鳴り散らした。
 大塔宮とは鎌倉で幽閉の後、皇族には珍しく斬首された護良親王のことで、将門と同じく首と胴は別々だ。将門との怨念比べに負けて以来副官となっていた。皇族なので敬語は使わない。
「あいや将門。退屈至極。して怨敵は。」
「知れたこと。キョウトで長年えばりちらしている宮の父君。帝の後醍醐天皇。あの異形の怨霊の霊気を吸い込んでくれる。」
「良き哉、良き哉。進んで戦おう。北の守り安んじ給え。」
「アテルイのことか。よし、エゾチのシャクシャインを使って釘づけにする。先ずは宮より怨霊ビーム送られよ。」
「ホホホホ。」
 宮は腰を上げ、宝刀を掴むやいなや裂迫の気迫と共にキョウトに向けて投げ放った。

 史上最強の怨霊後醍醐天皇もまた無聊を囲っていた。元々滅多に喋らない。声を出すと口から火炎を吐いてしまい、その度に回りのチンピラ怨霊が焼かれて天国に行ってしまうからだ。
 天皇はフッと気配を感じ東を向いて立ち上がり異様な気配を発揮し始めると、突然『シャアアアア』と炎を吹き出した。そのエネルギーに押されたのか、キョウトに向かってくる飛翔体が発火し勢いを弱めて落下し後醍醐天皇の足元にドスーンと突き刺さった。それを見た途端にみるみる怒気をはらむと、何と目から炎が上がっているではないか。側近の石田三成を下がらせて大音声を放った。

後醍醐天皇

後醍醐天皇

「かの宝剣は朕が皇子、大塔宮の愛刀。何をかいわんや。」
天皇の口からは大火炎が舞い上がった。
 たちまち中国皇帝のようないでたちに変身すると金剛杵(ヴァージラ、密教の武具)を掴み注意深く振り返り側近達がいるかどうか見た。少し離れて石川五右衛門と石田三成がいるのを確認するや、遥か虚空に向けて飛翔しはじめた。ゴーッと風を起こしながらである。余程の怒りなのか火炎を吹き続けているので軌跡が飛行機雲のようにたなびいていた。続いて石川五右衛門が姿を消した。

 地上界で関が原と言われる上空を飛翔していた後醍醐天皇は、突如強い霊力によりスピードが落ちるのを感じた。強力バリアーの結界が張られているのだ。亜空間には引力がないため地上に降り立つようにはならないが、移動を止めて霊力の発せられている東側を見据えた。
 すると、二つの怨霊が見据えているではないか。両方ともクビが無く、恐ろしいことに両手で自分の首を捧げ持っていた。後醍醐天皇ははばからずに向かって右側の怨霊に言い放った。
「朕が皇子なる大塔宮よ。なにゆえ朕に逆らう。朕改めてひんがしを治めんと欲す。」
宮の首は通る笑い声を上げた。

大塔宮 護良親王

大塔宮 護良親王

「ホーホッホッホ。仕えたるは帝(みかど)に非ず。桓武天皇五世の孫、平(へい)新皇なり。」
シャーアー!」
 後醍醐天皇が口から大火炎を吐いた。火はまるで龍が飛ぶように行き、大塔宮を包み込みそうになったが、その刹那。大きなモーションで手にしていた首を天高く投げ上げた。首は正面の後醍醐天皇を見据えつつ高空に上がった後急降下し、後醍醐天皇の吐いている火炎をらせん状に回転しながら迫る、大火炎が消えた。
 親子が対峙しているすぐ近くでは平将門がいかなる妖術を使ったのか、大釜を出現させると満々とたたえたお湯が沸騰している。
「五右衛門。前の時は油茹でだったが今度は熱湯にて煮しめてくれる。もっと苦しいぞ!フハハハハハ。」
 ひび割れたような声だが良く通る、五右衛門は怯んだ。

釜茹でにもビクともしない五右衛門

釜茹でにもビクともしない五右衛門


 

 しかしニヤリと笑うと自らザンブと飛び込んでみせ、前世にて一緒に茹で殺された子供を両の手で高く差し上げ言い放った。
「平新皇!今のワシには溶けた鋼鉄でも茹で殺すことはできまいぞ。」
 一方後醍醐天皇は宮の首が周りをブンブン飛び回る中、右手にヴァージラを握り締めると大きく飛翔し頭の無い宮の首の付け根に振り下ろした。ところがいつの間にか宝剣を手にしていた宮はこれをガッと受け止めて払った。
 すると後醍醐天皇は見る々々巨大化し、尚且つその姿は骸骨となっていくのだ。雷声がとどろいた。

髑髏本尊 降臨

「真言密教立川流の奥義! 朕がまことの姿髑髏本尊なるぞ。」
 真言密教立川流とは奇怪な教義のセックス礼賛教団で、後醍醐天皇は怪僧文観和尚よりその奥義を授けられた。
 将門は巨大骸骨化した後醍醐天皇を見上げて不適に笑うとドーンという音を立てて同じように巨大化し、まず足元の五右衛門を釜ごと蹴飛ばした。
「帝!もうそろそろ天界で安んじられよ。とは言え極楽往生はその異形では到底望めぬ。閻魔大王にでも頼まれるべし。」
 巨大骸骨と化した後もヴァージラを握り締め将門と対峙する。
 と、その時。一瞬轟音とも雷鳴ともつかない大音響とともに南から光線が指し込んだ。

凛とした道真公

凛とした道真公

 
凄まじい怨念ビームであった。髑髏本尊も巨大将門も元の姿に戻り、五右衛門を茹でていた大釜も消えた。
「帝も平新皇も各々収められよ。」
 九州大宰府にいるはずの菅原道真公の声が聞こえる。150年振りの怨念の大爆発であった。
 亜空間は最初から歪んでいるので、長距離になると怨霊ビームは曲線を描くことが可能だったため、大宰府から孤を描いて関ヶ原の南から攻撃できた。
 しかも後醍醐天皇陵は吉野にあって北を向いているため、南への防御は弱かったのだ。
 亜空間の戦いはマイナスエネルギーのぶつけ合いなので、地上界に猛烈な低気圧や地震を引き起こし、災害を起こす。菅原道真は見かねて終結に動いたのだ。
加えてキョウトで留守を守っていた石田三成が裏切ったという情報が入り、一方のカントウではオレオレ詐欺に引っかかって悶死した怨霊が大量に亜空間に参入していた。長くフランチャイズを空けると、勝手にトーナメントが始まり勝ち残った怨霊が強大化してしまう。仕方なく両方とも関ヶ原から陣を引ざるを得なかった。

 しかし、怨霊が人間界の心配するのだろうか。

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平成亜空間戦争

架空対談 勝海舟VS西郷隆盛

2015 APR 27 6:06:27 am by 西 牟呂雄

西郷(以下西)「勝先生、お久しぶりでごわす。」
勝「いやー、西郷さん150年振りぐらいじゃねェですかい。」
西「いやはやオイは最期戦死しもしたっで。お暇も言わずに失礼しもした。」
勝「きょうは一つ本当の事を喋っちまいましょうや。」
西「ようごわす。やはり江戸無血開城からやいもんそか。」
勝「あんときゃ上様が大阪からいきなり帰って来たんでそりゃおったまげた。こちとらまさか鳥羽伏見で負けるとは思ってなかったですからね。」
西「あんユッサ(いくさ)は実んところ幕軍が勝手に退いただけ。幕府歩兵部隊はロクに弾も撃っちょいもはん。慶喜公が勝手に腰砕けになるのは長州征伐の時点でわかっちょいもした。」
勝「水戸のご出身だからねぇ。尊皇攘夷の卸元のおつもりだから賊軍にされるのは耐えられなかったんでしょうな。錦の御旗が上がってしまったそうじゃないですか。」
西「あいは戦場ではたいした効果はあいもはん。第一幕府歩兵であん旗を見て『錦旗』だとわかった者はおいもはんじゃろ。しかも当日は物凄い北東の風が吹きもした。前線の歩兵銃隊は身を屈めておってロクに目を開けてもおられんじゃったはず。しかもそれまで錦旗など何百年も無かったものどうして認識できたのか、ご存知か。」
勝「決まってらぁ。どっかの小藩にもぐりこませた薩摩系の息のかかった連中が『あれは錦の御旗だ』と触れ回ったんだろうよ。」
西「ご明察。後方攪乱を岩倉どんが言い出したのでごわす。」
勝「おっと西郷さん。あんたの発案じゃねえかい。江戸の騒ぎだって益満休之助を使ってわざわざ江戸藩邸を焼き討ちして見せた陽動作戦だったんですからね。」
西「先生らしい勘繰りでごわそ。益満どんの件ではお世話にないもした。山岡さぁと一緒に現れたときはびっくりしもした、ハハッ。」
勝「ふっふっふ。まあいいでしょう。その後はオイラも一肌脱いで三田での会談になる訳だ。世間で言うほどすんなりは行かねぇでしたな。」
西「勝先生こそ巷間伝わっているのとは違って、切り札と大義名分を持っちょいもした。」
勝「大政は奉還してる、恭順の意は示す、それでもどうしても戦争やるってなぁどうにも無理筋でしょう。」
西「暗にエゲレス国に通じているような言い方でごわした。勝先生は変幻自在ごわすから江戸御府内に引きずり込まれて退路が断たれるのはかないもはん。幕府艦隊も健在でありもしたし。それよりおいがいなくなった後に『氷川清話』やらでやたらと二人の腹で決めたんごと触れ回るのはいただけもはんな。」
勝「(頭を掻いて)ヘッヘッヘ、西郷さん、その辺はお互いにね。話は変わるがオイラの弟子の坂本龍馬が見廻組に切られたでしょう。あれあんたの意を汲んだ中村半次郎あたりが居場所をチクッたってえのは本当ですかい。」
西「そいは・・なか。じゃっど坂本さぁは公武合体派であん時点ではもう時代に取り残されていもした。」
勝「時代じゃねぇでしょ。長州でしょ。桂さんが収まらなかったのでは。」
西「確かに小五郎どんは熱くなっちょったもんせ。ですが気持ちは分からんでもなか。京都から締め出されてから後、蛤御門やら何やら最も血を流しておりもした。特に新撰組に一番やられたのは長州ごわす。会津憎し、幕府憎しはとても抑えられもはん。」
勝「当時は薩長同盟は公にはなってない。しかし大政奉還は上様が言っちまったから、あのまんまじゃ幕府とは共存しちまうことも可能だったはず。その年の4月に高杉(晋作)が結核でこの世を去って、さぁ残った長州の大物は桂だけ。早いところ公武合体派を潰しとかなきゃカッコウがつかねぇ。長州からは動けないとすると・・。龍馬がやられたのは11月だったっけ。当時の薩摩も主導権の主流の奪い合いはピリピリしていたし。別に西郷さんがやったとは言いませんがね。新撰組に見せかけてみたり、十津川藩士の噂を流したり・・・。」
西「おいは知りもはん。」
勝「ところで何だって最後はあんな戦争になっちまったんですかい。西南戦争のせいで一部には戦争狂だったって言うのもいますぜ。」
西「そいは誤解でごわす。あいは桐野どんの戦(ユッサ)ごあんど。」
勝「何も賊軍になってまでやるこたなかった。」
西「そいを言わるっと心が痛みもす。天皇陛下には申し訳も立たん。じゃっどんおいも手詰まりでどげんもこげんも。」
勝「おいらは体のこともあって今で言うプッツンじゃなかったかと睨んでますがね。鹿児島に帰る時はには随分体調は悪そうに見えた。確かに桂(木戸孝允)が死んだ後の長州にゃロクなのがいなくなった。伊藤・山県があんな大物になるなんざ思いもよらなかった。」
西「私腹は肥やす女は囲う、あれだけ人が死んで新政府が出来たかと思ったら何じゃ!こいはっちゅう気持ちでごわした。そもそも皆長いこと外遊に出てもした。その間おいが朝鮮に『幕府はもう無くなったから新政府と国交を結ぼう。ついでにあなた方も開国してはどうか』と伝えに行こうとしたことを征韓論とか言われて。」
勝「いや、板垣・後藤といった土佐の連中はやる気でしたぜ。」
西「しまいに岩倉どんにいいようにあしらわれて。公家は好かんごわす。そいで鹿児島に帰ることになったが桐野どんや篠原どんが一緒に鹿児島に来てしまうとは思わんかった。」
勝「そこがあんたのいいところなんだろうが、桐野なんかオイラの見る限りでは物なんか考えてなかった。明るくて面白いヤツなんだが戦争以外じゃ役に立つまい。あんたについて行った時からもう一丁ってなもんだろう。」
西「川路どんあたりに薩摩兵を引き取ってもらえば良かったじゃっどん、一蔵どんとも気まずくなっちょって。おいは鹿児島で開拓をばしちょいもした。」
勝「私学校を甘く見たんでしょう。それと大久保さん・・・。」
西「本当に天子様に一言申上げたいだけでごわしたが・・・。一蔵どんはおいの暗殺を・・・。もう、ここいらでよか。」

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