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今が昔 (今昔物語逆バージョン)

2018 JUL 5 20:20:41 pm by 西 牟呂雄

 5年後の話です。即ち『今(現在)』が『昔(過去)』と言われる2023年はこんなに面白いようです。
 ある所に10歳の少年がいました。名前はジェイと言います。
 ジェイは無償化によって好きな学校に行けることになっていましたが、全く勉強をする気が無くて進学することを止めました。
 というのもジェイには学校に行かなくてもネットで何でもできる気がしたからです。義務教育は小学校の5年だけになり、科目は『読み書き』『計算』『日本』『世界』しかなくなってしまって、試験もタブレット持込可のために意味が無くなり(同じ答えが出るに決まっているため)、落ちこぼれが存在しなくなっていました。
 タブレットの機能は益々便利になり、同時にAIの進化はとっくに人間をこえました。すでに人間がAIを作るのではなく、どうすれば便利になるかをAI自身が考えるようになっています。
 もちろん全員が優秀になるはずもなく、アホはアホで天才は天才なのは変わりませんが、義務教育後のハイスクール(7年制)大学(5年制)も無償化されたのに進学しないのは普通のことになったからです。それでも誰でもが不自由なく暮らせる時代なのです。贅沢さえ言わなければ。
 語学でさえもAIによる自動翻訳機能で自由に意思疎通ができてしまい、興味の無い連中は選択しません。ただし正しい日本語教育が無ければならないので、読み書き音読教育だけは5年前とは違って充実したものになってきました。
 ジェイはこの読み書き音読はよくできて、決して頭は悪くないのですが、ちょっと変わっている子だったのです。皆と話していても一人だけ関係ないことを口走ったり、別のことをボーッと考えていたりでコミニュケーションが取れないのです。それに極端な人見知りで恥ずかしがり屋でもありました。
 御両親はやさしいお母さんと変なお父さんで、ジェイのことを大変に甘やかして育てています。同時にこの5年間の反グローバル・反成長の風潮に染まっていて大変な放任主義者のようです。

 ジェイは学校をやめて自宅から遠く離れたところに一人で暮らす事を決心しました。10歳の少年がです。自分で料理を作ってみたくなったからです。勿論収入なぞありません。しかし新たに導入された新アセット法によってベースの資産が国から支給されました。あらゆる物のコストも劇的に下がっていて、ネットで注文すればドローンが運送費無しでどんな所にも運んでくれます。住む家は高齢化が進んで田舎の方に空き家がたくさんあり、人口減少に悩む自治体がタダ同然でいくらでも選べました。
 更に政府の経済特区として自動運転導入特区が人通りの少ない地域で実験導入され、免許を持たない老人や子供がタダで利用できるエリアがS県の山間にできたのです。ジェイは両親とそこを見に行ってすっかり気に入ってしまいました。
 お母さんはさすがに心配して一緒に住むと提案したのですが、ジェイは大丈夫と拒否したのでした。
 お父さんは一番近所の家を訪ねました。近所といっても100mほど離れたところにお婆さんが一人で住んでいるだけでした。見た目100歳くらいの人で、
『あたしは50年以上ここに独りで住んでいるけど、事件も火事も災害も遭った事ないよ。時々様子を見てあげるよ』
 と最新式のセキュリティ・システムも紹介してくれました。このシステムはGPSで不審者や不慮の火事・事故、突然の体調悪化などをネットワークに繋ぐもので、御両親も渋々許すことになりました。
 そのお婆さんに時々面倒をみて欲しい旨、良くお願いもしました。おばあさんの家には表札もないので名前を聞くと、
「このあたりは皆おんなじ鈴木だから屋号で呼ぶんだけどウチは『家具屋』で通ってるよ。麓の方が『建具屋』『石屋』『薬屋』だね」
 だそうです。以後『家具屋さん』と呼ぶことになりました。
 ジェイは炊飯器・フライパン・洗濯機・タブレットを持ち込んで引越しました。

 10歳のジェイは一人で御飯を作り掃除をし洗濯をして暮らし始めます。おかずは初めはカップ麺や海苔の佃煮、卵焼きばかりだったのですが段々カレーライスや野菜炒めができるようになります。時々その家具屋のお婆さんに分けてあげるうちにお婆さんも漬物とか焼き魚をくれて、そういう時は一緒に食べました。
 タブレットで読書をします。そしてあることに気が付きました。子供の自分が読むものはあくまで子供向けに書いてあります。大人の読むものは分からない。大人が子供だった頃は、つまり今ほど便利ではなかった時代に流行った読み物ならわかるかも知れない、と。
 試しにお父さんとお母さんが生まれた頃、50年前の新聞を検索しました。
 驚いたことにその年までヴェトナムで戦争が続いて、南の方のヴェトナムが崩壊して統一されたという事が分かりました。信じられないことに肩入れしていたアメリカが撤退してしまう事態だったのでした。
 その頃の漫画『ブラックジャック』という医者の話にも夢中になりました。
 そこに家具屋のお婆ちゃんが様子を見に来て『そうそう、その頃は東西冷戦といってね』と複雑な国際関係や日本国内にも過激派というのがいたことを教えてくれました。その頃の25年前には日本は焼け野原になるくらいアメリカ相手の戦争に負けたのでした。
 何でそんなことになったのか、色々考えてジェイはもう50年前の事物を調べだしたのでした。
 1925年は大正4年という年です。
 ちゃんとした国会も裁判所もありましたが、なぜか公爵とか伯爵という貴族がいます。驚いたことに今の朝鮮半島と台湾が日本になっていました。
 車はまだあまりないようでしたが東京駅は出来ていました。
 さすがに服装は和装ですが銀座に『カフェ』というお酒を飲むバーがあるようです。
 するとこの時も家具屋のお婆ちゃんが来て
『うん、この時代は日露戦争に勝ったこともあってずいぶんと勢いがあったね。日本の文化と洋式が溶け合っていく過程に当たっていてハイカラな時代なの。竹久夢二っていうのが・・・(中略)。今で言う女性運動みたいなのも始まって・・・(後略)。』
 等と解説するのです。

 ジェイの様子を見にお母さんが来ました。ジェイは何と庭を耕しているではないですか。耕すと言っても小さいシャベルで掘り起こしているだけですが。聞けば料理の食材を作るのだ、とセッセと何かの種を蒔くようです。
 お母さんは暫くぶりなので御飯を作ってあげようと沢山のおかずを車で持ってきたのです。それを聞くとジェイは『家具屋のおばあちゃんも呼んでいいか』といい、夕御飯に招待しました。
 お母さんは家具屋のお婆ちゃんを見てチョットびっくり、前にあった時は小さい皺くちゃだったのに少し大きくなったような気がしたのです。色つやも良くなったというか、とても元気でした。
 そして二人はしきりに十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の話をしていて、タブレットを見ながら勉強をしているのです。『当時の言い方ではね』などとお婆ちゃんがジェイに古文の言い回しや古文書の解説をしています。オカミを風刺する川柳や滑稽本、浮世絵等を研究しているようでした。200年も前の歴史に夢中になっているのです。
 ジェイは上手に料理もしているようです。野菜スープが残っていたのですが、これがとても美味しかった。

 ジェイは12才になりました。AIとロボットが益々進化し、もう面倒な仕事というモノはずいぶん無くなってしまい言葉の概念も違って来ています。
『仕事に行く』とか『忙しい』という言葉は滅多に聞かれず、関西でも『もうかりまっか』とは言わなくなりました。『ちょいとヤボ用でね』とか『そこまでブラッとね』が挨拶になっています。
 久しぶりにお父さんがジェイを訪ねました。ジェイは背が伸びました。やせっぽちではあるのですが声も変わったようです。

「元気なのか」
「うん。お父さん僕のご飯食べてよ」
 フト机に習字の書き物が置いてあります。
『 紫衣の寺住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、且つは臈次を乱し、且つは官寺を汚し、甚だ然るべからず。向後に於ては、其の器用を撰び、戒臈相積み智者の聞へ有らば、入院の儀申し沙汰有るべき事』
 墨痕鮮やかに書き下してありました。
「おい、なんだこりゃあ」
「あ、それはね、禁中並公家諸法度だよ。最近暗記してるんだ」
「はぁ」
「寛永の三代将軍家光公がね、朝廷が勝手に紫衣や上人号を授けることを止めさせたんだけど後水尾天皇は勝手にお坊さんに紫衣着用の勅許を出したんだ。そしたら幕府が怒っちゃって紫衣を取り上げた。これに抗弁した大徳寺の有名な沢庵和尚は出羽国に流される、という大事件になったんだって」
 聞いていたお父さんは腰が抜けそうになりました。
「お前そんなこと知ってどうするんだ」
 ジェイと食事をしていると家具屋のお婆ちゃんが訪ねてきて、お父さんは挨拶をしたのですが、顔を見てまた腰を抜かしそうになります。ややふっくらして皺も伸び、普通の白髪のお婆ちゃんくらいに見えるのです。二人の会話が聞こえて来ると、
「家具屋さん、ずーっと一緒にいられるといいね」
 等と言っているのです。
 二人はお婆ちゃんと孫といった趣で本当に家族のように見えました。こうして仲良く暮らしているのもいいのかなとも思いつつ、お父さんは息子は寂しくないのかと心配になったようです。
「友達がいなくても寂しくないのか」
「ちょっと前までSNSで意見交換したりしてたのは何人もいたんだけどみんな途中ではぐれちゃったんだよ」
「はぐれるって一緒に遊ぶ訳じゃないだろう」
「しばらく楽しくやってるんだけどそれぞれ興味のある時代に散っていくんだ」
「散る?」
「うん。例えば新撰組にひっかかってそっちの方になり切っちゃうとか関ヶ原まで行って帰ってこないとか」
「良く分からんが、おまえはどうなるんだ」
「僕は今、江戸時代の初めにたどり着いたけどどこまでいくのかなぁ」
 お父さんにはジェイが何を考えているのか、またこういった連中がいう”散っていく”意味がさっぱりわかりません。
「その”散る”というのは他のことが目に入らないバカみたいになることか」
「まあ近いけどちょっと違うね。真面目な奴は散らない。心配してるかも知れないけど僕達はまだいいよ。数学や物理に散って行ったのなんか変な仮説に夢中になって2~3ヶ月くらい計算式を組み立てているのがいるらしいって。あとスワヒリ語と日本語の区別が分からなくなったのがいたらしい」
「・・・・」

 ジェイは15になりました。世の中は進化型AIロボットが人間の代わりに殆んどのことをこなすようになりました。ジェイも安くなったAIロボを買い(こういうものでもドローン4台で宅配されるのです)畑を任せています。嬉しくなったジェイはそのロボットに「太郎冠者」と名前をつけました。「太郎冠者」は気候を判断し畑起こしから種蒔き、草取り、水やり、肥料などを自分で準備し(足りない肥料は発注までします)毎日働きます。最近はモグラの駆除までやっているのです。
 ある日お父さんとお母さんにジェイからビデオ・メッセージが入ります。なにかと思えばジェイが衣冠束帯姿でいるではないですか。そして、
「これより烏帽子親もないままではおじゃりまするが元服の儀つかまつり候」
 などと女性の音声が流れます。両親はヒマすぎてコスプレ趣味に走ったのかと仰天しました。それにジェイの後ろに家具屋のお婆ちゃんらしい人が十二単のような格好で映りこんでいるのです。それがジェイはかなり背も伸びて逞しさが出てきたのですが、お婆ちゃんもまたジェイのお母さんくらいの年齢にしか見えないのです。恐らく長く伸ばした髪のカツラでも着けているのでしょうが、本当に若返っているように見えました。
 あわてたお父さんとお母さんはジェイの所に飛んで行きました。
 家の前に車を停めようとしたところ中から鎧兜の武者装束の自足歩行型ロボットがやってきてロボットは即座に識別したようです。こういうロボットは既に社会の隅々にまで普通にいるのです。
「我があるじの親御様、遠路はるばるのお越し、出迎えもせず失礼をばもうあげソウロ。拙者太郎冠者と申しソウロ」
 一体どうなっているのか、室内に行くと開け放った座敷で机に向かって正座したジェイは一心不乱に筆で書き物をしていた。気が付くと『オォ、父上・母上』と佇まいを直した。そして傍らに居る妙齢のお姉さんに『家具屋殿、お茶を』等と命令する。そのお姉さんは例のお婆ちゃんに違いないのですが一体・・・、ますます若い、どうしたことか。
 机の上では何やら古文書を書き写しているようで、傍らに積んである和綴じの本は『太平記』とありました。今から700年前の物語です。その頃の生活を再現しようとでもしているのでしょうか。
 2025年になって世の中が便利になりすぎて一向に生活に困らないと、人間は、現実と乖離しても暮らせるようになり実際に起こっている事には関心がなくなるのでしょうか。
 それよりお父さんとお母さんにはジェイとお姉さん(この時点ではオバさんかも)と一緒に暮らしている親子か姉弟のように見えました。
 夕ご飯も当然のように一緒に取りました。そして良く観察していると、ズームやスカイプで話をする友達はいないでもないけど二人で暮らしているらしい、これはいい事なのか悪い事なのかわかりませんが放っておくしかないようです。

 2030年の新年にジェイからビデオ・メッセージが届きました。お父さんとお母さんは正月のお祝いでも言ってくるのかとワクワクしながら画面を見つめます。
 妙な節の雅楽が流れる中、女性の声で始まりました。
いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと 思ひ出でける
 続いてジェイと若い女性が平安時代もかくやと思われるきらびやかな格好で映りました。ジェイがやや高い声で続けます。
あはれとは おもわばおもえ 我もまた 天の羽衣 君と召すなり
 借景は輝かんばかりの月夜なのです。するとCGなのでしょうか、二人はユラユラと浮かび上がって行きました。そしてスーパー・ムーンのような山の端にかかる大きく赤い月に向かってスッと消えて溶け込んでしまいました。お父さんとお母さんは同時に『アッ』と声を上げました。
 というのもメッセージを繰り返し見ると麗しい女性は明らかに『家具屋』のおばあさんのうんと若い頃に違いありません、大変な美人ではないですか。
 両親はジェイの所に飛んで行きました。二人ともいませんが、家はそのままです。家具屋のお婆ちゃんの家は何ともぬけの空です。
 ジェイの机の上には色鮮やかな美しい『源氏物語絵巻』がプリント・アウトされていました。
 お父さんはお母さんに向かってつぶやきました。

『なんだかわからないけど、こう便利になると現実世界とは別に自由に身も心も飛んでいけるのかなァ。その方があの二人で幸せに暮らせるんだろうか・・・・。アッ、あのお婆ちゃんって「かぐや姫」だったのか』

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