この愛は何処へ インドよ
2024 MAR 4 1:01:47 am by 西 牟呂雄
ところでインドの工場には以前ソニーという名前の犬が飼われていて、そいつは去年死んでしまった。インドでは犬の地位は低く、どうするのかと思ていたらなんと火葬にして葬ってやったそうだ。インド人パートナーの優しい心遣いがとても好ましく感じられたものだった。
すると今回来てみれば、新しい犬がいるではないか、それも二匹も。多少の月齢差はあるようだが、まだ二匹とも子供で、見たこともない日本人が怖いのか珍しいのか、少しづつ距離を縮めてきた。
そこで僕達が持ち込んだマスコットで遊んでみた。が、少し臭いを嗅いで見向きもしなくなった。
これは亀のマスコットで「インドでは像・牛・猿が神様だが日本では亀なのだ」とデタラメを言って飾ってあったもの、名前は「コーキ」という。久しぶりにみたら花のアクセサリーを付けてもらっていた。
黒い方が「ブラッキー」小さい方は「チョット」だ。ちなみにチョットは「小さい」の意味で、日本語の源流が南インドのタミル語であるという説の根拠になって・・・いない。
ブラッキーは少し大きいので慣れて寄って来た時になでてやると喜んでじゃれついて来る。インド人は普通犬なんかかわいがる習慣はないから嬉しいのだろうか。しかし顔を嘗めようとするのは参った。まさか狂犬病ではないだろうがそこはインドだ。どんな雑菌・ダニ・蚤が付いているか分かったもんじゃない。
二匹でプロレスごっこをしていた。
通勤途中に忽然と貧しい貧しい集落が出現する。おそらく農村だろうがその営みは慎ましく時間が止まっている感が漂う。そしてその暮らしに似合わない金ピカのお堂があって、たいていガネーシャが祀ってある。裸足で歩いている人も多い。何か楽しみはあるのだろうか。そして現場の大半の従業員はこういった村から来ているのである。
ある日、オペレーターの女の子が左手に何かを装飾しているのに気が付いた。
見せて、と頼むと恥ずかしそうにしていたが、パッと開いた時はタトゥーかと目を見張った。
これは「メヘンディ」と言って植物の葉をペースト状にしたものを縫って肌に一種の染色を施す縁起物とか。
普段はしていないのでなぜしたのかを聞くとフェスティバルなのだという。
そうか、こうして楽しんでいるのか、大した娯楽もないところで精一杯のおしゃれと微笑ましい。
となるとやってみたくなるのは僕の悪い癖で、さっそく描いてもらった。
しばらくスタッフに見せびらかしてよろこんでいたが、当分落ちないと聞かされてギョッとした。帰国しても落ちなかったらどうしよう。出張でインドに被れたバカ、となってしまうと焦って毎日念入りに洗っている(3日経っても落ちないが)。
とある帰り道。いつもは車なんか通らない村に入った途端騒がしい。ドラミングが聞こえる、インド風の「ドンッ、ドドン」をのんびり繰り返す間延びしたリズム。
鼓笛隊みたいなドラム・チームがやって来る、わあっ、でっ出たァ!なんじゃこりゃ。
身長175cmの僕が見上げるような被り物が圧倒的な迫力で向ってきたので、携帯を以て車から飛び出して追いかけた。
周囲の人たちは突如現れた外国人を排除するでもなく、こっちを見て笑っている。片方は牛でもう一方は人間。『これはGODか』と聞くと『ガシャラグシャラガシャラ』と説明してくれるがさっぱり通じない。誰も英語を喋ってくれないのだ。
今度は何だ!巨大なタイガー・マスクかと思ったらライオンじゃないか。
なかなかの迫力だ。
ところで、インドの神様で言えば象の化身であるガネーシャが定番だが、それは待てども来ない。
「ガネーシャは来ないのか」
と聞いてみたがこれにも返事は「グジャラガジャラグジャラ」でさっぱり。
そこでハッと気が付いた。皆神様(多分)を見てはいるが、それよりも一人ではしゃいでいる僕にも注目していた。
そのうちの若いインド人がやってきて聞いたのは「アメリカン?」
この凛々しい日本男児をみてアメリカンはないだろう。
待てよ、こいつら日本人を見たことがなく色の薄い外人は全部アメリカンだと思ってるのか?
オット最後には戦士の登場だ。
堂々たる体躯にきらびやかな飾りつけ。
見事な行進にしばし見とれた。
(ここで本当はついていきたかったが、先程から注目を浴びているため後からゾロゾロ一緒に来そうで怖くてやめた)
それにしても、何かの信仰か言い伝えに基づいてのパレードだろうが、それに対する情熱には圧倒される。
凝った飾り付けや細部に至る美しい装飾品の数々は、決して彼等が無知な連中ではなく高い精神性と文化を育んでいることの証左と言えよう。無論カーストはあり、ムスリムも混在し(村で見かけた)貧しい。インド哲学のアヤラ識も知らないだろう。それでも「愛」とでも表現したくなるような心の有り様が根底に見えるのである。
パレードが過ぎた後も何やら拡声器を使った声が流れて来る。
何だろうかとその方向に歩を進めると、人だかり。
ここでもジロジロ見られて中まで入る根性はなかったが、ポスターと旗で見当がついた。
これは選挙運動の一種なのだ。
それも現与党、ヒンドゥー至上主義のモディ派である。
そりゃまあ、選挙は尊い。民主主義は尊いが、この無垢な人々の聖なるお祭りの最中に政争に巻き込むのも無粋な・・・。。
日本でもお祭りやら正月・盆踊りに議員先生が来て握手しているからなぁ。
現実に引き戻されて振り返るとデカン高原の遥か彼方。一抱えもあるような夕日がドーンと落ちて行くところだった。
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インドで食べたもの
2024 FEB 26 18:18:14 pm by 西 牟呂雄
この寒いのに熱帯の南インドにいます。
空港で買った物、タバコ1カートン、寝酒のウィスキィ、お土産お菓子。ここでフライトが2時間遅れたのが今後のヤバさを予感させたが、まあいいか。
夕方テイク・オフしてまず食事、これはもちろん日本食をチョイス。10時間のフライトで朝の3時頃ランディング、そこからインド特融の能率のわるーいイミグレを通って現地チェック・インは午前6時。8時半には迎えが来てしまって現場に。
ここバンガロールで大きな見本市があったらしく使い勝手の良かった常宿が取れず、えらい郊外のナントカ・リゾートという名前はそれなりだったが、これが凄いだった。
そもそも道が舗装されていない。
昭和30年代の田舎のイメージである。
ホテルは周りから隔絶されて何もない。
一応リゾートとかいうのでコテージ風の建物まではいい。
スリッパなんか当然なく、ガウンもない。
シャワーの間仕切りもない。
一応リゾートらしくプールがあるが水は不気味なエメラルド・グリーンだ。
更に驚くべきことに朝そこで泳ぐ人がいるのだ(無論インド人)。
鍵はこのアナログぶり。
カワイイなどと言うかもしれないがメシは期待できないと覚悟する。
まずメシはこの心細さ、旨いも不味いもない。
昼間は気を使ってくれて現場でピザを取ってくれた。
そして夕食。ここで大問題。
ビールを頼んだ、地元のキング・フィッシャー。
それが冷やしてないのだ。ふざけるな。
『コールドを持って来い』
『ここにはない、アイスで冷やしてくる』
泣きながらぬるいビールでつつましい夕食を取る。
そもそもあんなダート道だから移動にものすごく時間がかかるのだ。
移動中には山羊の大群とすれ違う、牛もいる。
もはや許容限界を超えたか、という時に更に追い打ちをかけるようなに異物があった。
これは行く手てを阻む大岩石ではない。
表面は硬く、叩くと中は空洞のようなボクッっと乾いた音がする。
実はこれは蟻塚だった。
これだけ見れば、へぇー珍しい、で済むだろう。
後で聞いたところによると、中が空洞なためにしばしば蛇が巣にして住み着くという。
冗談じゃない。インドの蛇と言えばコブラが頭に浮かび引きつった。これよりも大きな蟻塚が散見されるということは、このナントカ・リゾートは毒蛇の巣に囲まれているということではないか。
実は現場近くにもっと小さいやつがあったので蹴飛ばして見たら白蟻だった。日差しに弱いようでモゾモゾと土に潜っていき、確かに空洞になっていた。
さて、毎日ピザばかりで飽きてきたので現場のキャンティーンを覗いてみると。まぁ、それなりのランチなのでこれにチャレンジする。
味はねぇ、期待通りの大したことのないインド料理ですね。
困るのはですな、一緒に食べている作業者が家から持ってきたおかずを親しみを込めて分けてくれるのだ。これを断るわけにはいかないが、こいつらのキッチンで料理したものだからかなり危険だ。水も調理道具もローカルだから下手をすれば風土病。覚悟を決めて神に祈りながら食べた。
そして再び夕食。こんどは事前にビールを冷やしてくれと頼んでおいたので冷たいビールだった。
それはいいのだが、ここナントカ・リゾートでは土日には宿泊客がいた(僕は現場に行った)。
ところが、家族連れが返ってしまうと何と日本人3人だけになったのである。
確かに広いところでキャンプ・ファイヤーのような火を起こしていたり、粗末ではあるがトランポリンなどもあって子供が遊んでいたが、みんな帰って行った。
すると、だ。ビュッフェ形式をすると効率が悪いのでアラカルトのオーダーになり、それも3種類くらいしかチョイスがなく、仕方がなく・スープとチキン・カレーを頼んだらこんなだった。
この圧倒的な野菜不足があと一週間続いたら鳥目になるかインド人になってしまうのか。
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インド再び
2023 OCT 8 13:13:13 pm by 西 牟呂雄
ロシアに対する制裁どころか、非難決議にも加わらない。クアッドに加わりつつも中国とも対話する。我が道を進むインドは目下順調な経済成長を遂げている。鉄鋼生産はもうすぐ日本を抜き去り、近いうちに2倍の能力を持つだろう。
無論宗教・人権・格差といった問題は山積しているが、そもそもインドは矛盾の塊なのだ。個別の問題にガタガタ言い出してはインドとは付き合えない。重層的な文化の蓄積と現実とのギャップ、同じ空間に最先端と原始的伝統が自然に共存する姿は、仮に全く先入観がなくとも一歩踏み込んだだけですぐ分かる。
高度にゲジタル化されたシステムはあるが、それを使う人間の非効率さ・時間間隔の無さは救いがたい。近代的な外観のハイテク・ビルの横にゴミの山。経済成長にインフラが追い付かず、信号のない交差点の渋滞は殺人的ですらある。救急車が渋滞にハマって立往生していた。
今回の滞在中に隣の州と水争いが起こり、工場が一日止まった。9月は雨期の始まりなのだが、今年は夏の雨が極端に少なくて、ダムの放水を中止したところ、下流の都市が水不足に陥ったので政治問題化した結果だ。以前に滞在した時にも同じことが起こり、その時は下流のチェンナイ市で暴動が起きたため、それを阻止しようと州境に古タイヤを並べて火をつけて防御していた。滞在したカタルーナカ州と下流にあたるタミルナドゥ州は昔から中が悪く、言葉まで違う(カンナダ語とタミル語)。この両州の水利問題を調整したのは今から百年以上前の統治者であるイギリスで、成文化しているのかどうか知らないが、その時の両州のマハラジャが結んだコントラクトが準拠法だと聞いたのだが、本当かね。
さて9月末に降り立った南インドの高原都市は日本よりはるかに涼しく、夜はエアコンいらずの過ごし易さだった。そして8日間ホテル暮らしをしたので、その住環境をお伝えしたい。
場所は中心部から車で2時間程の、まあ田舎町である。ただし前述の殺人的渋滞の2時間だから距離的には30kmくらいだが、幹線道路の両側は十分に田舎だ。
一歩踏み入れるとご覧のようなスラムではないもののゴチャゴチャな村で、道端にはやせて飢え死に寸前の子犬がいる。犬はそこら中に繋がれもしないでウロウロしていて、人間から離れないから野犬ではないのだろうが飼い主がいるのかどうか。
工業団地にも群れがたむろしていた。
ところが、我が工場に繋がれて従業員から愛されていた犬、ソニーは訪問直前に死んでしまった。
パートナーたちはそれを悲しみ、火葬にしてやっていたが犬の社会的な地位は非常に低いため大変奇異な感じがした。
犬にとってはどうでもいいことだろうに。さらにパートナー氏はその辺にノラには何の憐憫の情を示さない。まぁそれぞれ独特のルールがあるのだろう。
さて、そのゴチャゴチャの街の一角のゲートで仕切られたところにホテルはある。
一見洒落た感じのたたずまいの入り口で、フロントを通ると芝生の中庭、そこを通って3階建ての客室棟、禁煙の表示の部屋には灰皿があった。
片田舎のホテルにしてはまずまずの住環境と言える。
ただし、メシは頂けない。
朝はおじやみたいなドロドロのスープがカレー味だったり甘かったり。それにオムレツなんかをトッピングして後はトースト。夜はかろうじてチキンくらいが食べられるが、他に何やらメニューにあった物を食べる根性はなかった。
かといって、外にあるレストランはこの恐ろしさで、中を覗いてみると大きな鍋にドボドボ油を注いで何かを揚げているのだが、その何かは原型をとどめていない塊である。しかもこいつらは本来ヴェジタリアンのはずだが、このレベルの連中はかなり怪しく、そこらの野犬の肉かもしれないと想像するととても食指がわかない。旅人が珍しがって食べてひっくり返ったら迷惑千判だから遠慮した。
その隣には屋台というかホッタテ小屋の露店でココナッツの実を売っている。見ているとこのオッサンが青龍刀のような野蛮な大鉈でガシガシガシッと叩き割り、真ん中あたりのジュースをストローで吸う。問題はそのストローで、誰かが使ったかもしれないものを洗いもしないで使うのだ。
日本では新たなコロナが拡がっていると言うのに、こいつらはこんな暮らしをしていても『もう患者はいない。オーバーだ』というが信じられる訳がない。調べなくなったに違いない。
そもそもこのオヤジが売っているヤシの実にしてから、ヤシの木はそこら中に生えていてご覧の『落ちて来るココナッツに注意』という看板がかかっている。こいつが大きな農園のオーナーなはずはないので、その辺に落ちてたヤシの実を売っているのはミエミエだ。
しかし仮に仕入れがタダでも恐ろしく生産性の低い商売に違いなく、このオッサンもこのジュースだけで生計をたてているのではあるまい。だがそこに厳然とカーーストが張り巡らされ、このジュース売りはエリアを独占している。従ってオッサンはオッサンである種の誇りを持ち、時間を持て余しつつ毎日を過ごしている(多分)。
そもそも、大部分の個人が『形而上』の思考で様々な営みを捉えているから、何百もあるという宗教だのカーストだのといった複雑な社会が成り立つのであって、我々からすれば奇怪な社会がかろうじて成立している。かのエマニュエル・トッドはここ南インドの家族制度を、親は子に対し権威的であり、子供の教育に熱心、女性の地位は高いとし、カースト制度と親和性が高いと考察した。繰り返しになるがインドは一つの国とか民族という概念には納まらない。
それはそれで、日本人の僕はここでは一体何者なんだろう、インドの一角で時間が僕を通り過ぎていくのをジワリと感じながら涼しいベッドで眠った。
翌日、ニワトリだのガチョウだかのけたたましい鳴き声で目が醒める。涼しい。どれ、散歩でも。と中庭に降りた。
すると奥の方には只ならぬ気配がして足を進めた。
子供用のプールなども整備され、リゾート気分が漂うが、ここの水で泳げるのは外国人ではなかろう。
と、遠くからの視線。乳牛がいるではないか。ノラではない。
更に奥の方ではホルスタインではない水牛みたいな白い親子がじゃれあっている。ホテルに牛!!
なかなかワイルドな趣だが、きのうまで楽しんだ朝食のココナッツ・ミルクはやめた。あの牛と落ちたヤシの実じゃ・・・。
やはり僕はヒンドゥー教徒にもインド人にもなれそうもない。
だがそれは彼らも同じ。日本人にはなれない。それでも仲良くはできる。
原色の花があざやかだった。
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ラジャと僕と
2023 JUL 8 15:15:27 pm by 西 牟呂雄
一週間インド人(以前訪日した金持ち一家とは別のオッサン一人)を連れて九州の工場に行った。技術指導の一環である。
インドは目下大変な好景気で、設備投資意欲も強い。もうすぐ粗鋼生産量は日本を抜いて2億トンに迫る勢いである。日系企業も積極的な姿勢を打ち出していて今後益々交流は盛んになることだろう。
原爆を保有し、原子力空母を運用し、IT先進国であり、世界一の人口がある。多少の理解が進んだところで、それはインドの一面にしかすぎないとてつもない国である。
さて、そのオッサン、僕たちはコード・ネームの『ラジャ』と呼ぶことにした。ヒンドゥー語で王様という意味である。頭髪は薄くほぼスキンヘッドで背は高い(175位)。ヒンドゥー教徒でベジタリアンだが、彼の流派は卵はダメだがチーズはいいらしい。毎日ベジタリアン・レストランを探すのも大変なのでコンビニ飯で済ませたのだが、ご飯にヨーグルトをかけて持参のソースをトッピング、グチャグチャにかき混ぜて食べていた。僕はカップ・ラーメンを買ったが、見ていて食欲が失せた。酒は全く飲まない。
そして朝起きたとき、額の真ん中(仏様のほくろがあるあたり)に白粉のようなモノでチョンとマークを付けて来る。他のヒンドゥーがやっているのは見たことがないので、これも彼の流派のしきたりなんだろう。
彼の英語がまた恐ろしく分かりにくい。カタカナで表すとRは『ル』Lは『ウ』に聞こえる感じ。おまけにコクニィもまじっていてエイトが『アイト』。それを早口で喋られるとサッパリとは言わないが40%くらいだろうか、分かるのは。
知識を身に着けようとする姿勢は強く、製造現場に行きたがる。そして安全に対する感覚がまるで違う。勿論、最初に安全教育をしているのだが、夢中になると動画を撮りにスタスタ近づいてしまい作業者の手前困った。
そもそもインドの現場を見る限り全体がそんな感じで、事故が起きると日本では警察が入るだの労働基準局に報告だのと大騒ぎになるが、インドではたとえ死亡事故でも大したことにはなっていない。ヒンドゥー教徒は生まれ変わると信じているからなのか。
ある日の午後、毎日座学と現場ばかりなのでサイト・シーイングに行こうと誘ったら嬉しそうに乗って来た。明後日には帰国してしまうのにお土産くらいは買いたかったのだろう。娘さんが二人いるそうだ。
ここは小倉である。実は大して観光名所はない。繁華街といってもラジャは酒も飲まないし、食事もご案内の通り。それで小倉城に行った。
小倉城は関ケ原以後、細川忠興が来てから本格的な城郭になり、江戸期は礼法宗家小笠原家の居城だった。ところが幕末のドン詰まりで長州征伐の際に高杉晋作の部隊に負けてケチがついた。九州では肥後熊本とともに佐幕派とされ、ややないがしろにされた感が残る。
天守閣は天保年間に焼失しているのを再建している。見栄えはそれなりの構えで、維新の歴史を知る者としては、その後の陸軍の駐屯地にされた経緯も含めしみじみと眺めるに値する。
ところが、天守閣内の展示はいささか残念な感がぬぐえない。最期に焼けたせいなのか小笠原家の展示物はあまりなく、ややコスプレめいたコーナーやマネキンには興ざめする。
それが初訪日どころか生まれて初めて海外に出たラジャには大受けした。
テンションは上がり、大はしゃぎで写真を撮りまくり、しきりに質問を浴びせる。
僕は大名のことを『ビッグ・ネーム・マハラジャ』維新戦争のことを『シビル・ウォー・エンペラー・ヴァーサス・タイクーン』と訳した。まぁ、たいして違わないだろうし通じたようだ。
天守を降りて、八坂神社の方に歩いていくと馬頭観音があり、そこでまたひと騒ぎ。お地蔵さんのような石像が並んでいたのを見て『これは何か』と尋ねてきた。『ホース・ヘッド・ブッダ』だとテキトーに訳すと、多神教のヒンウゥーに通じるらしく写真を撮った。確かにインドにはこんな感じで辻々に像の頭をした神様が祭ってあったのを思い出して『ジャパニーズ・ガネーシャ』だと言うと、『オーウッ』と感動していた。実際には象頭の神様は日本では聖天様(しょうてんさま)として信仰されており馬頭観音とは何の関係もない。こうしてインチキな翻訳で文化的誤解が生じたらマズいかな。
そのテンションのままお土産屋に入って、小さいカラフルな達磨のお守りを手に取ってみる。『それはチャイナで有名になったインディアン・ブディストでダルマーという人だ』と説明したら大喜びで色の数だけ買った。こんなチャチなモンが嬉しいのかねぇ。
ところが、そのお土産屋でも天守閣でも、写真のような作業服姿の前期高齢者とインド人がはしゃいでいるのは明らかに浮いていた。案内の人の方が、この珍しいコンビを見て笑っているではないか・・・。
ラジャは週末ニコニコしながら帰って行った。その後インドからは毎日質問のメールが来ている。
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ブラーマン一家の来日
2023 MAY 21 9:09:13 am by 西 牟呂雄
盟友がご家族とともに来日した。一行はご夫婦と息子さんにお嬢さん、息子さんは大学で経済学を専攻しており、娘さんは高校生。夏休みでもなかろうに1週間の滞在である。
因みにインドは目下大変な好況だ。何しろインドはロシアへの非難決議にも賛同せず制裁は関係ないし、米中対立も我関せず。返って行き場を失ったロシアの石油がザバザバ入ってくる。
御主人は何回も来日しているが、ご家族は初めて。ちょうど2年に一度の神田祭と重なったので小雨だったが勝手知ったる明神様にご案内したら、これが大変喜ばれた。御神輿はインド人好みのキンキラだし、一斉に掛け声を出しているのも楽しかったらしい。『あれはなんと言っているのか』と聞くので『リズムをキープする掛け声で、ソイヤと言っている』と教えてやると、一緒に『ソイヤ。ソイヤ』と言いながらはしゃいでいた。
ここは僕の本籍地なのですっかり調子に乗って、トラディショナルなフェスティバルだから(将門様から勘定して)ざっと千年前からやっている、と自慢した。すると、これがアメリカ人なら『ウワーオ!』となるところだが、さすがに悠久の歴史を生きているインド人は、なんだその程度か、という反応にズッコケた。そうだよなぁ・・・。
メシを食べるのにまた一苦労。彼らはベジタリアンで、その中でも最も厳しいヴィーガンなのだ。肉も魚も卵も牛乳もダメだという。豆腐懐石料理のフル・コースに落ち着いた。終いには動物性の油を使ったフライパンもイヤなんだが、などと言いだしたがそんなのシラネー。地元の吉祥寺にも仲良しのネパール人がやっているインド料理屋があるが、そんな話は聞いたこともない。
インドの多様性について話が弾んだ。宗教・言語のマトリックスで分けるといくつになるのかわからない。御一家は家庭内ではタミル語、仕事で英語、必要に応じてヒンディー語を日常的に使い分けていて、バイリンガルどころではない。
正確ではないかもしれないが、平等という概念が薄い。彼らは最高位のカースト(上の中くらいの)バラモンだが、下位カーストを見下すという感じではなく、差別というより区別している様子が見て取れた。ただ、一般的に言って女性の地位は低いらしい。社会の経済的格差はもの凄すぎて問題にもならず、グローバル・サウスのリーダー、と持ち上げてみても、特に誇らしいとも思っていない様子。まぁこの人たちは初めから金持ちなんで、経済成長とか国民の豊かさといった尺度が意味をなさないのではないかな。カーストが歴史に溶け込んでしまい、苦しんでいる人も大勢いるだろうが、要するによくわからないので、無理に理解することはしない方が無難である。僕は絶対にインド人にはなれない。
一行は相撲見物やら箱根行き、京都滞在ののち広島に行く計画。息子さんとお嬢さんはあした渋谷・原宿・歌舞伎町と回るとか。
プレゼント交換にも苦労した。相手は金のローレックスをキラキラさせているのだから、せめて光物にしようと手作りビーズのアクセサリーにした。すると先方はラッキー・アイテムだという象の置物。これ蝋でできているというのだが、ヌルヌルしないけど・・・。
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雨のバンガロール
2022 DEC 1 0:00:04 am by 西 牟呂雄
インドに行った。目下は雨季。カンカン照りの乾いた大地に立って、つくづく『インドには日陰が良く似合う』と思ったものだったが、街並みはしっとりと濡れていた。
そもそもコロナ後に初めて出国したのだが、出だしから先行きが危ぶまれた。
航空会社のカウンターで接種証明か最終の検査結果を見せろと言われ、既に五回目も打った僕は意気揚々とスマホを見せた。するとオネーチャンは『英語表記でないとインドで入国できません』と言うではないか。それではと再発行を操作しようとすると『マイナンバー・カードをかざしてください』ナニッ!そんなもん持ち歩くわけないだろう!それならイチかバチか行きます、と言っても航空会社はこれを拒否。自宅から家人が2万円のタクシー代を払って持ってきて最後の客として乗り込む離れ業で搭乗した。イミグレは通ったのか覚えていない。で、そんな思いをして辿り着いたデリーでは、インド人の典型である『自分の範囲しか働かない、なるべく余計なことはしない、絶対に責任は取らない』の3ナイ主義者、入国管理官のせいで、トランジットも最後の一人となる。そうやって辿り着いたバンガロールはこの雨だった。
今回は長年のパートナーが工場をリニューアルした竣工式に行ったのだが、パートナーのお父さんが2週間前に亡くなってしまいギリギリまではっきりしなかった。というのヒンドゥーでは13日も葬式をやるため、竣工式ができるかどうか。死亡当日に火葬⇒4日後遺骨を拾う⇒13日後葬式⇒ガンジス川に流す。という流れの真ん中に当たっていた。雨はそのせいなのか。
前日。同じくパートナーのドイツ人の一人(二人来るはずの一人は1週間前から来印していた)がドイツでのフライトキャンセルにより来ない。それは仕方がないものの不安を抱きながら新工場に行った。
既に数年協力関係にあるが、始めた時はなかなか技術が定着しなかった。それを苦労しながら受注につなげ、リニューアルにこぎつけたと思うと感慨深いものがある、はずだったが、これは・・・。
いくらインドでもこれはないだろう。エントランスに巨大な牛のウンチ。
しかも誰も平然としてかたづけるでもない、オイオイオイ、明日セレモニーだろ、何考えてんだ!
まっ、いいや。前回サンプル作成に失敗していたので早速現場を見ると、真剣な目付きのスタッフが待っていた。事前に送っていたチェック項目に従ってプロセスを見ていく、成程。
つくづく思うのだが、とにかく試片、薬品、部品、といった製造のインフラにあたる部分が圧倒的に不足していて、それは産業としての足腰の問題だが、郷に入っては郷に従うしかなく、やたらと日本流にやれといっても無理である。オペレーターは直ぐに辞めるし技術の蓄積は難しい。
そんな中、入管のエラソーな小役人とは違って、彼らなりに何とかしようとはしていた。
僕のライフ・ワークは『何もない所に製造拠点を作り、日本の技術で立ち上げ、そのエリアに貢献する』だから、こういったいじらしい姿をみると、やってよかったとしみじみと思うのだ。無論その間、コノヤロウ、バカヤロウがある。
帰り際に、なにやら女性のはしゃいだ声が騒がしく、事務所の入り口に人だかり。僕のファンかと思ったが、そんなはずもない。
オペレーターの女性達が作業着のまま、事務所入り口の地面に絵を描いていた。
そしてそれに色を施していたのだが、染料の粉を手でパラパラと落して採色する。その色の鮮やかさには目を見張った。ヒンドゥーの縁起物なのか、怪しげな魔方陣のような幾何学模様もいとおかし。
そして当日は晴れた、工場に来てみてアッと驚いた。もちろん牛のウンチはかたづけられていて、それどころか工場正面は花で飾られていた。どうやら昨日僕達が帰ってから業者が雨の中、徹夜で飾り付けたらしい。もっともパートナーは手広く事業をやっていて、その一つに広大な花の農園があり一度連れて行ってくれたことがある。野生の象がいるという森の中だった。そこから大量に運び込んだ花だ。
さらに、絵に色を付けていた女性達はご覧の正装である。鮮やかな原色が黒い肌によく似合う。おそらくはそう豊かでもない彼女たちにとって今日は晴れがましく、心から楽しんでいるのだろう。
考えてみれば数千年の歴史を内包し、分厚い文化を守り続けている人々である。数百の民族と宗教と言語を持ちながら選挙をやり、核を持ち、原子力空母を運用する大国であり、ロシアへの制裁など見向きもせず、目下は空前の好景気。ここの従業員はおおらかな人達だが、商談の相手のネチッこさとケチさ加減には辟易させられる。
インドは大いなる矛盾の塊なのだ。
こちらは我がパートナーの奥方。この人達はバラモンで、その内の中くらいのカーストらしくインドに1千万人いるとか。中堅の財閥を形成していて、まぁ金持ちだ。
こう言っては何だが、大変に物腰が上品な美人である。聞くところによると、適齢期の同じカーストに適当な候補者がいないと結婚はせず、女性の場合このクラスでは学者か弁護士になるのだとか。
雨の中、記念の植樹をやり、即興でスピーチまでさせられた。
翌日、工場に行くと再び仰天させられる。午前中にあれだけ豪華に飾られていた花はゴッソリと捨てられているではないか。それも工場の前の空き地に無造作に投げられていた。
まあ、何もない空き地に捨てるという行為はあまり感心なことではないが、この荒涼とした大地に多少の花では環境破壊にもならないのだろう。バンガロールは近代的な都市ではあるが、一歩裏通りに行けばゴミだろうが牛のウンチだろうがお構いなしで、犬は繋がれもしない。スラムではそういった環境でも平気で暮らしている。一時はCOVID19の新規感染者が1日30万人いて工場でも一人亡くなったのだが今はゼロだという。ウソだろう。
こんなところに来るのに接種証明も陰性照明もないもんだ、航空会社は現地を見てないのか。 、
帰り際に工場の隣の空き地にあの巨大排泄物を置いて行ったノラ牛がいた。
よく見ると、白い鳥も一緒にいてなぜか仲良く群れている。
今夜、フライトでムンバイに行くドイツ人とビュッフェを食べながらビールを飲んだのだが、別れ際にこう言ってニヤリとした。
『今までは友達だが今夜は違う』
そう、この日は23日。これからWカップ・サッカーの日本ドイツ戦がある・・・。
そして夜半、メールが入る。『フェアな戦いだった。コングラッチュエーション!』いい奴なのだ。
P.S 工場の横でいつもウロウロしていた老人だが、乞食だと思っていた。
後日分かったがこの老人は例の牛の飼い主で、夕方牛と一緒に家
に帰るのだそうだ。
満天の星は血を騒がせる
朝日はなぜか気怠い
南中の日差しにはせかされる
夕暮れはいつも寂しい
インドでは雨が癒してくれる
(洪水も起こすが)
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グローバル・シテイ・ヘイジョゥ
2020 FEB 20 7:07:39 am by 西 牟呂雄
奈良の都にインド人・ベトナム人・ペルシャ人・中国人がいる。これ、今日の話ではない。
今から千三百年前の話。東大寺大仏殿の開眼供養法会の導師、婆羅門僧正はインド人のボーディセーナ。来日して菩提僊那(ぼだいせんな)を名乗った。
この時代は第十次遣唐使が派遣され、彼らは洛陽で玄宗皇帝に謁見している。ひょっとすればかの安禄山や楊貴妃、私の好きな詩人の王維・李白・杜甫といった人達とニアミスしたかも知れない。洛陽は現在のニューヨークに当たるだろうから、当時の国力から考えて我が国も十分にグローバルに追いつこうとした。
第十次遣唐使は帰朝に当たって先に入唐していた吉備真備の他にかの菩提僊那とペルシャ人李密翳、ヴェトナム人仏哲、中国僧数名を連れて来た。この内ヴェトナム人仏哲は、現在のフエの出身であるが、遠路インドまで辿り付いて菩提僊那に師事し、共にヒマラヤを越えて入唐。その後師に従ってはるばる日本まで来た。
またペルシャ人李密翳はどうやってイランからやってきたのかは分からないが、個人的にはインドにいたペルシャ系の人物ではないかと思っている。クイーンのフレディ・マーキュリーや財閥のタタといったパールシーと呼ばれる連中のことである。パールシーがインドに到着するのは10世紀とされているが、ササーン朝ペルシャの滅亡はもっと早い(ただ、ササーン朝の王子ペーローズがその際に入唐している事実はある)。宗教はゾロアスター教でイスラムではない。
一行は聖武天皇に謁見し、大安寺で暮らしていた。興味深いのは、彼等はいったい何語で日常を過ごしていたのか、である。おそらくは彼等の共通言語である漢語を使ったのだろう。現代では日本人と韓国人がニューヨークで英語でコミニュケートするようなものだ。
ところで、我が国ではお経などは呉音で読まれていたのじゃないかという仮説を立ててみた。一方唐の標準語は漢音。
和尚 (漢音)おしょう (呉音)わじょう
利益 (漢音)りえき (呉音)りやく
食堂 (漢音)しょくどう(呉音)じきどう
阿弥陀経(漢音)あみたけい(呉音)あみだきょう
と言った具合だ。大雑把に言って宮中は漢音で民間は呉音なのだろう。
お経は漢文ではあるが、その読み方が違っていたのだ。そのため一行と共にやって来た袁晋卿なる唐人は通訳だったのではないか。この人は飛び抜けて若く(10代と推定されている)後に朝廷の音博士になった。
ところで最初の仏教伝来は半島を経由したが、その時の読み方はわからない。白村江の戦いでコテンコテンに負けて百済系を中心とした多くの難民が来た後は、こちらのルートはは出てこなくなる。多少の危険はあるものの、航海技術の発達により半島経由の陸路を行くより早かったのだろう。地図を見れば一目瞭然だが、半島の付根は万里の長城の外側で洛陽まではかなりある。従って我が国の読み方は呉音が一般的だったと想像すると、遣唐使による漢音の読み方はモダンというかアカデミックに響いたのではないか。
話は変わるが、大陸から渡ってきた人達の中に女性はいたのだろうか。
唐は王族の李氏が鮮卑系であると言われ、西域に至る大帝国でもあった。従って胡族の流入とともに習慣も多く受け入れている。そのせいかどうか女性の地位が際立って高く、恋愛なども開放的だった。
酒楼においてはソグド人・ペルシャ人の女性が接待したという。
そういった女性が海を越えて渡って来ることはなかっただろうか。正式な遣唐使でなくとも女性を伴って来日したグループはいて、その中にペルシャ系の女性はいたのではないか。八代亜紀さんは九州出身だが、あの容貌はその血を引いているに違いない、と睨んでいる。
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インドって国は
2019 SEP 6 6:06:47 am by 西 牟呂雄
インドへ行くのにムンバイとかニューデリーなら直行できるが、僕が行くような奥地はどっちにしろ乗り換えるから、シンガポールやらバンコクでトランジットした方が安い。それが今回選んだのが迂闊にも香港経由だった。
毎週毎週デモがあり、武装警察も介入しそうな勢いにどうなることかとビビッたが、週末の移動は避けたので何とかなった。
一年振りかな。いや日本より涼しいぞ。
旧知の友人が
『オレのファームで昼飯にしよう』
と言うので気軽に応じた。ファームならば僕も喜寿庵のネイチャー・ファームをやっているから、その写真をみせてやった、ドーダ。すると奴は
『オー、これはゼン・ガーデンか』
と聞くではないか、ふざけんな。血と汗と涙の開墾地だぞ。
車で都市部の猛烈な渋滞を抜けたあと、更に3時間もかかるデカン高原特有のロック・マウンテンがあちこち見える丘の上まで連れていかれた。
不気味なことに最後は舗装もしていない一本道で、車がすれ違うこともできない山道だ。
そこを羊の群れがゾロゾロ。そしてなぜか大袈裟なゲートがあって、中に入ったところで『ウェルカム・トゥー・マイ・ファーム』となり仰天した。
『どこまでがお前のファームなんだ』
『あのマウンテンの麓までだ』
『・・・・』
猫の額のような僕の開墾したネイチャー・ファームからすれば、ここは広大な台地、ポテト・フィールドの写真をせせら笑ったのも無理はない。
恐らく古い古い地層が何千万年もかけて隆起し侵食されたゆえに、岩山は亀裂が入ったロック・マウンテン。その麓はジャングルになっていて、どうやらそのうっそうとした木を切り倒し整地したようだ。
車を降りた所から少し歩き、もういいだろうと登ったところに家があり、女性が大勢仕事をしている。畑の方にゾロゾロ歩いていっては戻ってきて仕訳をしていた。
『ここには2ファミリィが暮らしてファームの管理をしている』
あの人数は、おそらく2種類の一族がいる、という意味だと思う。奴のカーストはブラーマン(バラモン)だから自分は手を下せないし、できそうにもない。
山道を少し登っていった所に瀟洒なコテージがあって、そこでランチになった。驚いたことに普段は誰もいないので、僕たちのためにコックを呼んでベジタブル・カレーをふるまってくれた。
奴は生粋のベジタリアンなのだが、ベジタリアンの定義は動く生き物の関連はダメなのだとか。魚も虫もダメ、厳密に言えばミルクも卵もダメ(ただ卵に関してはよし、という流派もある)。それではオイスターはどうなのか、と聞くとそれは微妙な所だ、と考え込んでいた。食べたことはないらしい。
コテージはベッド・ルームが3つある凝った造りで、木の柱には細かい文様が彫りこんであったし、室内に小さなプールまでしつらえてある。子供でも水遊びをさせるのだろうか。かわいらしい。
窓からだだ広い敷地を眺めていると『あの森の中にはワイルド・エレファントが何十頭もいるんだ』と自慢する。これって訳すと野良象になるのかな。
そして『聞けよ。風のサウンドだ』等と洒落たことも言った。耳を澄ますと”シャー”というような木々を渡る音がする、亜大陸の風だな。
『案内しよう』
と車ではじっこまで連れて行かれた。歩く、と言われたらどうしようと困っていたので助かる。
巨大なビニール・ハウスが並んでいて、更におくの一画は造成中。水を汲み上げて段々畑の要領で落としていく方式だ。
それで一体何を作っているのかと見れば、ズッキーニとかカーネーションとかばかり。
そしていちいち車を止めると、なにやらそのたびにオッサンが寄って来て、聞いたことも無いような現地の言葉で相談をしている。奴はそのたんびにエラソーに指示を出しているように見えた。こんな感じではないか。
『こっちの作付けが遅れてるじゃないか』
『旦那、分かってるでしょう。先月あんなに雨が少なかったじゃないですか』
『嘘つけ、それは西の方の天気だろう。サボッてんじゃないのか』
『まーたまた、冗談よして下さいよ。こっちのカーネーションなんざいつでも出荷できますぜ』
わかったぞ。奴は僕を案内しているのじゃなくて仕事をしている、即ち昔で言えば小作を監督・管理するために来て、サボってないかチェックし指示を与えているのだろう。
このファームは奴にとって、他に3ヶ所経営している工場と同じビジネスで、僕がささやかにやっている趣味でも自給でもない。作っているのは商品、いや製品だ。
そしてファームを拡大経営することでこの小作のおっさんたちの生活も豊になっていくのだが、経営者との格差は絶対に縮まらない。ピケティが主張した r>g はここインドでは更に現実のものであり、目の前にいる形而上に生きることが大好きなインド人は痛痒を感じていない(のかな)。以前に提唱した”分度器理論”のように、富の蓄積の差は縦軸の成長経過とともに広がっていくだろう。
帰りは日暮れになった。
すると往路よりもひどい渋滞に(こんな田舎でも)なった。通勤もあるのだろうが、もう一つの要因としてあからさまな過積載のトラックが多すぎる。キャパの3倍くらい積み込んで荷台が膨らんでしまったようなトラックが道幅一杯にノロノロ運転をする。そして例えは悪いがハエのように車列を縫って行くオート・リキシャ(三輪タクシー)。
ぼんやりしながら田舎の繁華街を見ていると、
『ニシムロ、何を考えている』
と突然聞かれた。少し考えてから言った。
『インドの経済パワーについて感心している。この渋滞の凄さは経済成長にインフラストラクチャーがキャッチ・アップしていないからだ。それぐらい伸びている。私はかつての台北・マニラ・クアラルンプールがこうだったのを知っている。いずれ解消されるだろうが、その後何に投資するかで国の方向がきまると考える。それは教育ではないか。エリートの育成ではなくボトム・アップを図るべきだ。ホラ、そこらに大勢居るあの子供たちのことだ』
すると工学部出身でエリートの奴は、珍しく神妙な顔になって頷いた。
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酩酊するインド
2018 SEP 19 0:00:56 am by 西 牟呂雄
この夏の東京に比べればはるかに涼しいインドだった。
去年は水争いで暴動が起き、一昨年は下流の都市が大水害に遭い、今年は上流で洪水になった。日本も大雨・台風・地震と傷ましいことばかりだが、どうやら世界中で地球がおかしくなっているのじゃなかろうか。
経済は去年あたりが底だったようで、著名な企業がいくつも破産した。しかしこの国の分けのわからなさは奥が深すぎて手に負えない。ウジャウジャと街に溢れかえっているいる人々は到底税金を真面目に払っているとは思えない。いきおい私のようなまともな観光客からは取れるだけふんだくるのだろう、ホテルの明細を見ると何から何まで6%とか9%のTaxがかかっている。
ここは訪ねたことのある場所なのだが、そこに至る街道沿いの風景がどうも違っている。嘗てはガタガタの道を車で通った。
だが、フト気が付くと僕はその埃だらけの道を一人で歩いている。暑い照りつける日の中をスーツを着て革靴を履いて。胸のあたりに玉のような汗が滲んで来た。右も左もいつのまにか人はいなくなり、ボロ車とトラックが行き交っている。
突然目の前に砂漠のような光景が出現した。砂に流されたように道がなくなって、しかもその砂は踏み固められたように固い、足がめりこむようなことはなくかえってスタスタ歩ける。しばらく歩くと横を車が一台、私を追い越していった。
そしてその車がスーッとスピードを落として殆んど歩くような速さになると、その先に子供が赤ん坊を抱いて立っている。すると車の中から何かが放り投げられている。子供はそっちに走って行き一生懸命に拾う、赤ん坊を抱いたまま。あれは物乞いをしているのだ。
だが本当に不幸な目にあって物乞いをしているのか、それとも職業的にやっているのかは分からない。
そして妙に寒い、何故だ。
うっ、寝ていた。ぼやけた目に霞んで見えたのは喧しい音楽の鳴るバー・カウンターだった。オレはインドに来ているはずだよな。
だが、今見た光景は確か・・・いや、そうだ確かにインド高原の南部に来ている。この寒さはエアコンを効かせ過ぎるからだ。テーブルにはストレートのウィスキィのグラスが一つ。
飲み干して立ち上がってみると意外にしっかりしている。それにしては何も持っていないのは何故なんだろう。何もインドくんだりで泥酔しなくても。
これから間違いなく宿酔いになりそうな深夜の空港で、やっとこさ出国手続きを終えた。というのもヴィザが本日切れるので、オフィサーにが何しに来ていたのかしつこく聞かれて手間取ったからだ。だいたい入国の時からガタガタ言われた上に、ホテルのチェックインの際にはカードが拒否されたりと今回は散々な旅だった。
ムスッとしながらゲートにいると、揃いのジャージ姿の子供たちが集って来る。そしてその背中にはKARATEの文字が。インドで空手?
これから国際大会でマレーシアに行くのだとか。そして東京オリンピックから空手が競技種目になるので練習を始めた、と目を輝かせている。折角だから写真に撮らせて、と頼むと集まってきて『iyaaa!』の掛け声で型のポーズを決めてくれた。何事か、と待っている乗客が一斉にこっちを見ていた。
ここだけの話だが、引率していたカラテ・マスターは見るからに胡散臭そうなオッサンで本当に空手を教えているのかは怪しい。
そういえば今まで何度もインドに来ているがショート・カットの女性を見たことがない。宗教の縛りなのか美的感覚なのか、もっともムスリムのチャドルの中はわからない。
で、帰国してみると台風で関空は閉鎖、北海道は地震で大変な事になっていた。
袂に入る風がヒヤッと感じられる。いつのまにか秋になったようだ。
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インド漫遊記 インドの花
2017 SEP 29 7:07:16 am by 西 牟呂雄
今は本当は雨期なのだが、この旅で降られることはなかった。
この田舎町のメイン・ストリートがこれだ。
一応舗装してあるのだが、雨が降ったらどのような悲惨な事になるか想像して欲しい。
しかも歩いている人の十分の一くらいははだしである。
そんなことを旅の日本人がしたらまず助からないだろう。
朝、騒がしいので目が覚めた。犬でもない、牛でもない鳴き声がザワザワしている。
気になってしょうがないから食事の後で中庭に出てその騒音を追ってみると、何じゃこれは。
この鵞鳥の群れにどうもエサをやっているらしい。
まてよ、今朝ホテルの朝食にオムレツを食べたが、まさかと思うがこいつらの卵じゃないだろうな。
チキンも怪しい、絶対に食べないことにしよう。
ご存じだろうがインドの一般的なレストランではビーフもポークも無く、チキンかマトンだ。僕は普段チキンはあまり食べないしマトンも好きじゃないのでインド料理を食べる時はベジタリアンの振りをしている。
それはともかく、この田舎町においては全員が貧困だから格差も何もない。
都市部に大金持ちがいることは知っているのだろうが、ここら辺の連中はその金がどういう代物かを知らないし、知ろうとも思わないのではないだろうか。或いは皮相な見方であろう、実際のインド人とのビジネスになれば印象としては『ズルい』『セコい』と感じる事は多い。だがこんな田舎では・・・。
ともあれインドの日は高い。
午前中の朝食を済ませた後に外に出ればカッと日が刺す。
風は涼しいがヒリヒリする感覚だ。
この光の感覚を上手く伝えたいと木陰に入り、見上げたところで渾身の1カットが撮れた。
クリックして良く見てください。
この木には花が咲いていて、それはここの埃っぽい土壌に実に似合う赤い花なのだ。
せっかくだから接写しようとジタバタしていると、守衛のオッサンがやってきて踏み台を貸してくれた。
この”赤”は日本では何の花が近い色だろうか。
思い浮かばない。
今年から毎月『喜寿庵の花』を上梓しているが、この赤にはお目にかかれていないと思う。
真上から降ってくる強い日光でないと出ない色なのだろうか。
インディアン・レッドと名付けた(名前の分かる人は教えて下さい)。
しかししばらく見惚れているとこの赤は目が疲れる(但し僕は強度の色弱だが)。
すると上手い具合に”白”が目に入った。
これは蘭の一種なのか。
そして思ったが、白というのを褒める言葉はないものだろうか。
「鮮やかな白」とも「派手な白」とも言わない。
この広大な国にはどんな色も似合うのだろうが、そろそろ日本の花や松の緑が恋しくなって来た。
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