Sonar Members Club No.36

カテゴリー: オールド・ロック

初めての音から音楽まで

2014 FEB 2 22:22:19 pm by 西 牟呂雄

幸いにして聴力は悪くないので生まれてからずっと色んな音を聞いてきたはずだが、初めての音はどんなものだっただろう。自分の泣き声とかが聞こえていたのだろうが、”音”単体の記憶というのは意外と残っていない。川のせせらぎが雨音に聞こえた古い記憶が残っているが、恐らく富士山麓にある山荘の喜寿庵で聞いた音だったと思う。印象的だったのは小学生のときに蹴ったサッカー・ボールが校舎のガラスを割った時のガシャーン、という凄まじい音。校庭で遊んでいたガキが一斉にそっちを見た。幸い怪我人が出なかったから事なきを得たが、生きた心地がしなかった。

音ではないが、喜寿庵で飼っていた犬が遠吠えをするのを聞いて、随分もの悲しい鳴き方だと思ったのも子供の頃だった。『うおお~~ん』という感じなのだが文字にしてしまうとチト違う。放し飼いだったのだから随分昔で、その犬(ペケという名前だった)はサイレンが聞こえたりすると調子を合わせるように『うおお~~ん』をやるのだ。テレビか何かで聞こえてきた狼の遠吠えにそっくりで、犬はやっぱり狼の血を引いているんだな、と妙に納得した。

下町育ちなので、生活音は都電のガシャガシャした音や車のクラクションが一日中聞こえていた。今はそれ程でもないが、昔のドライバーはしょっちゅうクラクションを使っていたのではないか。先日訪問したヴェトナムがそうだった。石焼き芋屋のテープ、玄米パンのホヤホヤ(これも既にテープ)、豆腐屋のラッパ。どれも身の回りから無くなってしまった。別に懐かしくもないが。

それで音楽はどうかというと、子供の頃の流行歌は当方が興味を持たなかったせいか、ザ・ピーナッツとクレージーキャッツくらいしか記憶がない。むしろ刷り込まれたものとしては、母親が好きで聞かされたヴェートーヴェンのピアノ・コンチェルト5番(英雄)とオペラのカルメンが耳にこびりついている。あれは近所から苦情が来なかったのが不思議なくらいの音量だったような気がするが、それは音のデカさというより曲のスケールが記憶に残ったのだ。英雄の出だしのピアノの早弾きは今でもワァッというふうに思わず顔がほころぶ。

そのくせ家にあったピアノの鍵盤を叩いたときの印象はすこぶる悪い、というか短音では『きれいな音色』とは思えなかった。ギターはもっと後に触ってみたが、やはり同じ感触だった。今もって良く分らない。そのせいではないだろうが、僕の音楽観は初めから歪んでいたのではないのか。少し上の世代、即ち団塊組がベンチャーズだと言っている頃はまるっきりPass。中学に進んだあたりは周りがビートルズに夢中だったのに対し、僕はローリング・ストーンズにのめり込んでいた。同時進行の形でグループ・サウンズという形のバンドがブームになっていたが、実際のステージを見るに至っていないので、女の子がキャアキャア言っているだけの印象。先日タイガースの同窓会コンサートをBSで見たが、今聞くとそこそこの選曲でセンスが窺えるのだが。

初期のストーンズは実に下品で無教養の印象。ハハァ ロンドンにもこんな、今にも喧嘩を始めそうなアンチャン達がいるんだ、と感心した。当時はイギリスのほうが先進国の印象があったのだ。とにかくサティスファクションのギターイントロで痺れて以来、出るアルバム出るアルバムを全て買い込み聞き耽った。尚且つ真似しようとさえした。今でも止せばいいのにミック・ジャガーのドーム・コンサートに行き、あいつは年を取ってもよく動けるな、と感心する。今回は(2014)行きませんけどね。

その後どうなったかというと、ギターをやり出してた頃にフォークがブームになった。団塊がフォーク・クルセダースを流行らせた後ですな。髪の毛を背中まで伸し、驚くべきことに小難しい歌詞のオリジナルまで造った。どこかで売れる前の吉田拓郎の前座に出たり、知り合いがレコードを出したり、サルビアの花の『もとまろ』は仲間だった。今から考えると誠に危ないところで、そのまま行ったら4流のギター芸人にでもなってしまうところだったのだ。それが有りがたいことに、あるバンドを見て一発で冷めた。

日曜日の夕方に愛川欽也が司会する『リブ・ヤング』という番組があって、毎週見ていたが、何とか大会の企画でバックにバンドが入り、それがキャロルだった。革ジャン、リーゼントの一際でかい四人組が、when i was just little boy, my one and only joy とやった途端にひっくり返った!ロックンロールだ!もうローリング・ストーンズもフォークも何もあったもんじゃない。ここが軽薄の極みなのだが、長髪をバッサリ切ってリーゼント・ボーイになり、ケツのポケットに櫛を入れて鏡やガラスに映る時は必ず髪を撫で付ける街のチンピラに化けた。パートもギターからベースに代えて、喋り方もエーチャンを意識し『あのヨー』をつけないと会話ができない。キャロルはすぐにレコード・デヴューして、僕は当然そっくりのバンド『ルシール』を組む。この頃から酒の味を覚えて大変な思いをすることになるのだが。

キャロルを見るために新宿の「怪人二十面相」というライヴ屋に行くと、後にダウンタウン・ブギウギ・バンドに移る相原誠がドラムを叩いていた。キャロルはドラマーが次々に変わるので、初めのレコードジャケットはドラマーの顔を写してなかったし相原もすぐ辞めた。それではとばかりに、我がルシールもドラマーを代えなければ、と焦っていたところ、ギターの上手い奴が加入してきて、押し出された格好で僕がドラムを担当する。そのうち仲間内で、エーチャンの使っているポマードは柳屋の黒薔薇というブランドだ、という出所不明の噂が駆け巡り『オレも黒薔薇でキメてんだ。』という奴が次々と現れた(無論僕も)。しかしどうもそんなブランドは無かったようなのだ。見た奴はいない(僕も)。

ここあたりで20歳くらいになっているのだが、我が師(計量経済の泰斗)の言葉に『人間は二十歳の頃に回帰する。』というのがある。思想・思考・趣味といったものが変遷を重ねても最後は二十歳の頃の考えに戻る、と強調されておられた。例えばテレビ・コマーシャルに時々ハッとするような古い曲がバックに使われるのは、製作ディレクターがその頃好きだった曲に違いない。『懐かしの曲』といった番組が、オールデイズ、グループサウンズ、歌謡曲、演歌とそれぞれ一定の視聴率が取れるのも、各世代が二十歳のころに夢中になっているものを喜ぶので、一定の人数が確保されるからだろう。

すると僕は還暦ロックン・ローラーになってしまうのか。ミック・ジャガーやエーチャンはいいけど僕の場合、ちょっとマズイ。

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ノー・ウーマン  ノー・クライ (No Woman, No Cry)

2014 JAN 3 10:10:04 am by 西 牟呂雄

 ボブ・マーレイのレゲェの名曲であるが、この歌詞を和訳するとしたら一体どういう言葉が適切なのか。実は昔から(仲間内で)意見が分かれている。それに沿って、ある出鱈目な話をでっち上げてみたことがある。

『泣かない女はいない。』

 ジャマイカから密入国してフロリダに一家で落ち着いた時、オレは15歳だった。誰も英語は話せないから貧乏どころの騒ぎじゃない。一年もしないうちにオヤジは若い女とどこかへ消えちまって、お袋はもう働きづめに働いたが、オレと二人の弟は学校にも行けなかった。何しろ不法移民なんだから。毎日クタクタになってパンを買って帰るお袋には本当に頭が下がるが、オレのせいじゃない。当然ワルになっちまうわけだし廻りもロクな奴らは一人としていなかった。差しさわりがあるから詳しく言えないが、後ろ暗い金をお袋に渡した時には涙を浮かべていた。長いこと泣いてから搾り出すように言った言葉が忘れられない。「泣かない女はいない(No  woman ,  No Cry)。」

『だめだ、女!泣くな!』

 フロリダはタンパの街の中でショッピング・モールを歩いていた。するとおもちゃ売り場で一人の白人の女の子が泣いている。あまり周りに人がいない、親はどこに行ったんだ。何か話しかけてやりたいのだがオレはまだロクに英語が喋れない。かわいそうに。エート女の子は・・・、ウーマンしか思い浮かばない。思わず口を突いて出たのは「だめだ、女、泣くな!(No!  Woman!  No  Cry!)。」

『おんながいない?泣くこたーないぜ。』

 弟のカルロスはオレ以上のワルになっちまった。ガンも持ち歩くしクスリも捌く。おまけに女癖も悪い。オレより小さい年からアメリカだから英語の上達も早かった。最近のお気に入りはサリーというどうやらインド系の女だ。ついに警察に厄介になってしまった。オレが迎えに行った時、オフィサーは憎しみに燃えた目で言った。「そのうちムショにぶち込んで日の目を見られなくしてやる。」オレは震え上がったがカルロスは平気だった。ウチに帰ってまた泣いていたお袋に事のあらましを話したら、例によって大泣きになって訴えた。「カルロス!お前がムショに入るなんて!ママはまた泣くだろうし、お前もサリーに会えなくなるんだよ!」だがカルロスは全く応えない。ヘラヘラしながらせせら笑った。「女がいない?泣くこたーないぜ(No woman?   No  Cry!).」

 念のために申し添えるが、歌詞の内容からこの歌では『だめだ、女!泣くな!』が正しいことは言うまでもない。三つの台詞は初めが『, 』次が『!』最後は『?』でつないで訳の連想を引き出したつもりなのだが、あれ?本歌はなんだったっけ。新年そうそうバカなことを書いてしまった。

  追伸 この歌の本歌取りで最高傑作はネーネーズのもので、そのユニゾンには脱帽であることを明記しておきます。

ノー・ウーマン ノー・クライ Joan Baez(ジョーン・バエズ)

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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ホンキー・トンク・ウィメン 歌詞取り 埼玉にて

2013 DEC 11 15:15:33 pm by 西 牟呂雄

埼玉北辺の工場の周りは人口密度は極めて低く、みんな広い庭のある家に住んでいる。どこでも犬を飼っており、ダン、ミルク、シナモン、ライガ、ジョンといった立派な名前が付いていて犬地図ができるくらいだった。しかし、あまりに犬が多いので依怙贔屓するわけにもいかず、普段は犬派の僕だがその頃は住処にしていたプチ高原ホテルにウロついていたノラ猫をかわいがっていた。ウララちゃんの牧場の先だ。黒ブチに白い口元のブサイクな猫だったが、勝手に「シナシナ」と名前を付けていた。恐らくどこかの飼い猫だったのだろう、人には慣れているようで、時々酒のつまみのチーズをやったりしていたが、暫くしていなくなってしまった。

社員には近所の大地主の息子とか、歩いて通ってくる奥さんとかいう人がいた。近所といっても名字が同じ家が何軒もあったりして、伝統的な集落が形成されていたことが分る。そして何故かこういう田舎の家には物が物凄く散らかしてあるのだ。機械だったり、部品だったり、何かの壊れた家具も積んである。捨てるのも面倒だからかも知れないが、ちょっと油断するとゴミ屋敷に成りかねない。田舎の人はモノを捨てないのだろうか。近所づきあいではないが、会社の悪口を言い触らされてはかなわないので、挨拶をしたりして何人かとは仲良くするようになった。タクシー屋のおっさんとその弟とは地域の相談をしたりするので、メシを食いましょうや、となったのだが。この兄弟ガタイも恰幅よく、ガラは悪く、なかなか楽しかった。食事をした後フラフラと街(といっても暗い田舎町)をうろついていると、車がスーッと寄ってきて中から「なんとかチャーン。」と声が掛かり、見るとオバハンがこっちを見ている。要するに兄貴の方の知り合いの飲み屋のオバハンで、これから開けるから店に来い、という成り行きになったようだ。それから3人で行ったのだが、しかし飲み屋に出勤するのに車って・・・。そして着いたところは人の家のような所で、ガラガラガラっと玄関を開け電気を付けたらゴキヅリがガサガサ逃げるのが見えた。コッチは十分酒が入っている、ガラも悪い(僕も)。それからの会話は「オイ、ババア焼酎よこせ。」「ババアとは何よ。そこにまだあるだろー。」「バカヤロー、そっちの奴にしろってんだ。」という会話がズーッと飛び交う地獄のような飲み会になっていった。途中地元の常連らしいカップルが来たが、直ぐ帰ってしまった。少し後からヘルプというかバイトというかもう一人化け物みたいなネエちゃんがカウンターに入る。カラオケを振られたので、ヤケになってローリング・ストーンズの替え歌をやったら受けた。あのドラム・イントロのホンキー・トンク・ウィメンだが、妙に覚えている。

I met a gin soaked, bar-room queen in Memphis

ここは埼玉 秩父の麓
She tried to take me upstairs for a ride

田圃の中の 工場勤め
I had to heave her right across to my shoulder

流~れ着いて 半年 経った
I could not seem to drink you off my mind

しけ~たホテルが オイラの寝ぐらさ

It’s the honky tonk, honky tonk women

ほ~~ん気の ネェちゃん
Gimme, gimme, gimme the honky tonk blues

くれ~ くれ~ くれ~焼酎オン・ザ・ロック

Strollin’ on the boulevards of Paris

夜に なれば 怪しい 店が開く
As naked as the day that I will die

バケモン みてえな ババアが はべる
The sailors they’re so charming there in Paris

下手に 構えば 地獄に 一直線
But they just don’t seem to sail you off my mind
こわーいもんだよ ババアの深情け
It’s the honky tonk, honky tonk women

ほ~~ん気の ネェちゃん
Gimme, gimme, gimme the honky tonk blues
くれ~ くれ~ くれ~焼酎オン・ザ・ロック

 画像はレアなハンブル・パイ。聞きながらどうぞ。

恥ずかしい話だがもう一曲、以前ブログで書いたが、工場に蛇が出たことに掛けてディープパープルの名曲スモーク・オン・ザ・ウオーターの替え歌、スネーク・イン・ザ・フアクトリーもやったのだが、あまりにバカらしくてここに記すことはできない。

それはさておき、この製造所の運営は今日の縮図のようなところがあり、『製造現場血風録 (火災勃発)』以降は同様の製造設備を東南アジア某国に設置し直しており、又、需要家も既に大半がそちらの方への移転が済んでいた。即ち日常的に国際競争に晒されているため、常にプロセスの開発、新品種の開発を続けざるを得ない。僕が所長として年柄年中モノを除却し無駄な仕掛かりを捨てていたのも、イザというときにスペースを確保したいからだった。更に、何かあったらまた使おう、という構えでいると急の場合に除却損が大きく出ることも避けたかったからだ。円が安くなって少しは楽になっているといいが。

一方、従業員も社員以外にパート・タイマー(タイム・スタッフと言うそうだが)派遣社員、シニアのおじいちゃんと多彩であった。新しいプロセスに移行する際には、時には職場を変ってもらう、もっとあからさまには辞めて頂かなければ廻らない。『また忙しくなったら来てもらうから。』と言い、実際事情が変った時には優先的な声掛けもしたのだが、実は当時のリピート率はあまり高くなかった、特に若い女性はダメだった。増産のための休日出勤から低稼働による生産休止まで、ドタバタしながら新米製造所長は二年で風と共に去って行った。

僕は仕事が変った後は前職に一切関わらないのを信条にしている。一つは後輩達に迷惑をかけたくないから。もう一つは『昔はこうだった。』といった感想が自分の中に沸き上がるのがいやだからだ。まだまだ老け込んでたまるか。でも懐かしいなぁ。

空っ風 一望駆ける武蔵野の

巻き上げる 埃 てのひらに当たる

埼玉水滸伝 (埼玉の木枯らし)

埼玉水滸伝 (埼玉のウララちゃん)

春夏秋冬不思議譚 (同時進行の不可思議)

一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン 


 
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