Sonar Members Club No.36

カテゴリー: オールド・ロック

カラオケも楽し (今月のテーマ 空)

2017 FEB 4 13:13:47 pm by 西 牟呂雄

 皆さんはカラオケをやりますか。実は私も時々楽しんでいます。レパートリーは還暦相応に忌野清志朗とかをやるのですが、まぁその時の仲間によりますね。気の置けない連中と行くととっておきの『ブルー・ハーツ』をやることもあります。
 特に名を秘す秘密結社の会合では軍歌の大合唱にもなります。そこで人気を二分するのは『月月火水木金金』と『歩兵の唄』。二派に分かれているのですが、それぞれ愛好者が立ち上がり肩を組んで絶唱しています(バカです)。

 その昔、宝塚のOGがやっている店が銀座にあって、そこではソノ手のバカオヤジが大昔の寮歌や軍歌を歌っていました。当時はカラオケがまだ普及してなかったので、袴姿の音大の女学生が大勢アルバイトで並んでいます。そして太鼓のリズムだけで正確なコーラスをつけてくれ、音痴のオヤジがマイクの前でドラ声で歌える仕組みでした。そこで歌われていたのは驚くべきマニアックな「北支派遣ナントカ聯隊の歌」とか「〇〇陸軍経理学校校歌」のような聞いたこともない歌です。それを初見で歌うために音大生がいたのでした。
 その店は9時頃になるとママがスポット・ライトを浴びて『おぉ青春 輝ける宝塚』とか銘打ったショー形式のステージが行われ、それはそれは恐ろしいものでありました。
 大体が旧制高校と陸軍の歌が多く、それに対して海軍系は今でも残っている新橋の海軍バーに屯していたようです(ここはまだあります)。

 カラオケのない頃は「先生」と呼ばれるギター弾きのアンチャンがファルセットで拍子を取る店が多く、リズム・マシーンとギターコードだけで歌っていたのですね。あんなの僕でもやれるな、といつも思っていました。
 赤坂にソノ手の店があって、何とそのオーナーは大阪で昔売れていたトリオ・コイサンズとかいう、かしまし娘みたいなお笑い姉妹の末の妹でした。そこはピアノの伴奏で、例によって夜中までドンチャン騒ぎをした挙句、明け方酔っ払って五輪真弓の歌を弾き語りしたら受けたんですな、これが。そして帰り際にママから『あんたオモロいねぇ、夜の12時過ぎてからでいいからウチでやってくれへん』と言われたのです。さすがにやりませんでしたけど。

 しかし一般にステージ受けするタイプの曲はカラオケでは盛り上がらないとされていて、即ちエーチャンとかユーミンがそうです。
 ところが先日ある会合ではユーミンを絶叫していました。
 航空会社のパイロット・整備技術者・地上勤務のオヤジ達で、何故かお目当てのスッチーはいなかった(グランド・パーサーなるおばさんはいました)不思議な宴会でした。パイロットのヨット屋が誘ってくれたのでノコノコついていったのです(決してスッチー目当てではない)。するとオヤジ(僕を入れて五人)とオバサン(一人)でカラオケルームに行き、まず初めは普通に始まったのですが。暫くすると突如カラオケ・タブーのユーミンを入れました。かの『ひこうき雲』でビックリ。そしてあのサビ「そらにーあこがれてー」の所は全員の大合唱です。中には感極まって立ち上がって力を入れる人も。彼らの職業を知らない人が見たら気が狂ったオッサン・オバハンに思われてドン引きされることは間違いないでしょう。空とそこに飛ぶ事が好きなんでしょうねぇ。

 ところで僕の必殺のレパートリーをこっそり教えます。それはあの「明日のジョー」の劇中アニソン『力石徹のテーマ』。これをやると燃えますね。
 ちなみにカラオケには歌手名の「ヒデ夕樹」で出ますが、演奏していたのはソウルフル・ブラッズというR&B系のホーンセクション・バンドです。今でいう東京スカパラ・オーケストラみたいなゴキゲンなバンドで、一部に熱狂的なファンが付いてました(僕も)。

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マイナー・ソング・メモリー

アコースティックの響き


 

激しい雨が降る

2016 DEC 11 9:09:57 am by 西 牟呂雄

 ボブ・デイランはやっぱり来なかった。
 それはそれで構わない、代わりにパティ・スミスが『 激しい雨が降る(ジョーン・バエズ版) 』を歌い、アメリカ大使がメッセージを代読した。ディランのライヴもあるのだが、このジョーン・バエズの声が好きなので悪しからず。終わりの方でディランの物真似をしているように聞こえるのがツウには堪えられない。
 この歌は60年代初頭、折しものキューバ危機に触発されたものとされる。アノ当時には成人していなかったが、本当に核戦争が始まってしまうかも知れない、といった緊迫感をバック・グラウンドに書かれた。
 で、例によってパクリの歌詞を付けてみた。クリックしてバエズの美しいソプラノと一緒にお楽しみ下さい。

  Oh, where have you been, my blue-eyed son?
  (どこにいる わたしの息子)
  Oh, where have you been, my darling young one?
  (どこにいる 愛しい人)
  I’ve stumbled on the side of twelve misty mountains,
  (霧の山の 中で さまよい)
  I’ve walked and I’ve crawled on six crooked highways,
  (曲がりくねった 道を 渡り)
  I’ve been out in front of a dozen dead oceans,
  (死の海 に佇んだ)
  I’ve been ten thousand miles in the mouth of a graveyard,
  (遠くの お墓の 入口まで)
  And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, and it’s a hard,
  ( 強い       強い      強い      強い)
  And it’s a hard rain’s a-gonna fall.
  ( 強い  強い   雨の中を)

 まだまだ2番から長いのでやめた。
 確かバングラディッシュ・コンサートでも歌ったと記憶する。
 アルバムではA面の最後、Don’t think twice, It’s all right の前の曲で、初めて聞いたときはそんなに印象に残らなかった。
 ところで代わりをパティ・スミスに頼んだというところがミソで、女流詩人ということになっているが、もう70近いパンク・ロッカーである。美人だが男のような風貌、その後に続くアナーキーなパンク野郎共の先駆けになった人。
 出てくるほうも出てくる方だが、ここまでやるとディランという人は一種の皮肉屋とかスネ者の気配がしなくもない。

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ノーベル文学賞 ボブ・ディランは喜んでいるか

2016 OCT 15 0:00:37 am by 西 牟呂雄

 噂には上るがまさかと思っていたボブ・ディランが本当にノーベル文学賞を受賞してビックリした。
 もう随分昔だがアコースティック・ギターをエレキに持ち替えてブーイングを浴びた時、彼はこう言い放っていた。
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』
 今回の受賞を予言したわけでもないだろうが、結果はその通りになったと言える。

 確かに彼の歌はメッセージ性が高く、その歌詞も詩的である。ただ僕程度の英語能力では長い曲になるとやや難解(何のことを言っているのか、時に暗示的にすぎることも)。一方メロディーは至ってシンプルなリフレインが多く、馴染みやすかった。
 彼が世に出た時、アメリカが今どころじゃない戦力をベトナムにつぎ込んで戦争を継続していた頃、ディランの歌は『プロテスト・ソング』というカテゴリーとして愛唱された。これは当時の恋人でありディランの登場に一役買っていたジョーン・バエズによるところも大きかった。
 しかし、ディランはそういった捉えられ方をむしろ嫌い壊していく。
 むしろ、彼よりも少し上の世代の詩人ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグに近づいたと思う。ギンズバークとは親交もあったことが知られている。無論バロウズもギンズバーグも当時キワモノ扱いだったが。
 以前のブログではそこに注目した。

ボブ・ディラン&ザ・バンド

 一方で、初期のヒット曲は多くのバンドにもカヴァーされ歌い継がれていく。ピーター・ポール・アンド・マリーの美しいアレンジはとても印象に残った(コード進行もオリジナルと変えていた)。
 それどころか後にローリング・ストーンズのステージに上がりミック・ジャガーと一緒に『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌ったりもしたが、あれはシャレだったのだろうか。 

一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン

 ノーベル文学賞について以前 良く分からない に書いた。
 スウェーデン人の選考委員が文章を読み込んで真面目に議論を闘わせて決める。
 様々な言語が英訳されたものをスウェーデン人が読むのだ。他の賞と違いその過程が世の中の変化の影響を受けないはずはない。
 もっともデイランが世に出てから半世紀近く経っており、当時の革新性が『伝説』になるほど社会に沈殿したとも言える。
 逆に一つの殻を破ってしまい、ここからは引き返せないのかもしれない。
 受賞に対する反発も、表立ってではないがあるに違いない。アメリカを中心とした大衆社会を優れた文化と認めたくないアカデミズムが顔をしかめる。
『ウス汚いナリのヒッピー音楽』『芸術性のない悪声』
 といった声が聞こえるだろう。
 ノーベル賞もポピュリズム化し文学自体が衰退したのか、そうではないだろう。村上春樹氏もまたその流れで優れた文学として候補に上がり続けているのではないか(私は作品としては好まないが、ロクに小説を読まない私の意見なんざどうでもよい)。

 興味深いのは、受賞に当たってのデイランの肉声が全く伝わってこない事だ。一体どこにいて何を考えているのだろう、嬉しいのかそうでもないのか。
 更に授賞式にはちゃんと来るのか。どんな発言をするのか、王族とのデイナーにはきちんと正装して行儀良く座るのか。
 しかも僕は彼の笑顔の記憶がない。

笑わないボブ・デイラン

 今頃、冒頭のあの不敵なセリフをうそぶいているのではないかな。
 
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』

(前のブログに貼っていたら暫く行方不明になってしまった大好きな『天国の扉』のライヴ・バージョンです)
天国のドア

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『職業としての小説家』 読後感

https://www.iwanami.co.jp/smp/news/n52171.html

マイナー・ソング・メモリー

2015 JUN 12 23:23:26 pm by 西 牟呂雄

image[2]可愛い人よクリックして下さい。

 この題名と曲を聴いて『ワァッ』と青ざめる人、気持ち分かります。恥ずかしいんでしょうね。クック・ニック&チャッキーという得体の知れないコーラス・グループの歌です。70年代の頭頃、クラブ(ブ↑と発音)がまだディスコと呼ばれた時代にその空間だけで大流行した曲です。当時はテキトーなディスコが六本木以外にもそこら中にあって(赤坂・新宿・渋谷・吉祥寺にも)それぞれのハコにプロみたいな踊り屋がフリを付けてました。因みに渋谷にあったブラック・シープというハコでダンス・チームをやっていたのが安室ナミエの亭主だったサムさんです。
 この曲に限っては東京中どこでも同じフリで大人気でした。掛かった途端にドッとフロアに人が飛び出してきて一斉にやりだすのは壮観というか何というか。
 新宿に『ゲット』というかなり有名なディスコがあって、あるスジでは結構ヤバい店でした。この歌を歌った一人、ニックこと岡井さんのお店だったと聞いたことがあります。しょっちゅうケンカの起こるところでしたけどね。一度黒い蛇腹にガンガン・リーゼントの国士舘高校生が制服のまま来ていてギョっとしたことがありました、彼らステップは上手かった。天下御免の士舘坊は酒もタバコもおとがめなしで、大した貫禄でしたね。
 それでこの歌、ディスコでは東京中で掛かっていましたが不思議なことに世の中では全くヒットせず知名度は低い変な曲でした。作詞阿久悠、作曲大野克夫という豪華コンビなのもケッタイというかよくそんなギャラが払えたなと驚きです。尚、レコードのB面は大ヒット・オールーデイズ『Oh Carol』の替え歌というふざけた作り。
 さて『可愛い人よ』で驚いた人、この曲も聞き覚えもあるでしょうゲット・レディ 。これもディスコでは毎晩かかっていましたね。こっちは少しは巷でも聞かれて、フリは単純で誰でも踊れました。

 躍り疲れて照明が落ち(元々暗いが)スローになります、お待ちかねチーク・タイム。ジュ・テーム のイントロが始まるとお相手のいる奴等は大喜び。野郎ばかりで来ているガキ共は舌打ちしながらテーブルで酒をガブ飲みです。なにしろそういう所に女同士で来るケースはまず無かったのですねぇ。男女団体で来ているグループはお目当ての娘と踊れるかどうかの熾烈な争いが起こっていて殺気だっていました。
 こっちが5人で女3人のグループをナンパしようとして仲間割れを起こし、薄っぺらな友情が一瞬で破れたことはありましたね。このとき何のキッカケだったか忘れましたが、何故か英語縛りにして全員日本語が分からない演技をし続け収拾がつかなくなりました。元々語彙が不足していたこともあって終いにケンカになりバレてせっかく引っ掛かってくれた女の子があきれて帰ってしまった。バカでした。

 それはさておき他に『青い影』とか つのだひろの『メリージェーン』も人気のチーク・ナンバーで、こちらはそこそこヒットしました。
 フロアではバンプやハッスルが流行りましたね。

 ところで、巷の人々が今更取り上げない曲やら歌やらを秘かに愛好するのは何か情報を秘匿しているような楽しみがあります。先日古い仲間と飲んだのですが、お店にギターが置いてあって自由に弾いていいらしい。すると仲間の一人がギターを掴んだ途端に大昔の吉田拓郎を歌いだしました。それも彼が聞き込んでいたアルバムの中の売れてない曲で、確か『全国吉田町のナントカ』という内容です。その場に5人いたのですが、それから『この歌は知らないだろう。』とばかり売れない曲の演奏会となりました。僕は南正人という人の『横須賀ブルース』というのを演ったのですが、やはり誰も知りませんでしたね。
 どなたかご存知ですか?
 
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カラオケも楽し (今月のテーマ 空)

 
 

 

リズム&ブルース という神話

2015 JUN 11 7:07:56 am by 西 牟呂雄

 最近聞いているのはいささかトウが経った感が否めないオールド・ソウル。
 リズム&ブルース等と称され黒人が好んで歌った。体力がないととても最後まで乗り切れない激しいノリ。繰り返されるリフレーン、時々入る調子を合わせたステップ。ご存知ファンクの帝王ジェームス・ブラウンのライヴである。

 題名はSex Machineといささか品がないが、そもそも歌詞なんかほとんど意味が無く大半が『Get up, Get on up』だけ。つまるところショウ・ミュージックで、CDをじっくり聞いても面白くも何ともなかろう。10年近く前に亡くなったがこのライヴはその1年前、今の僕と同じくらいの年齢なのだ、このパワー恐るべし。確かこの人は父親がネイティヴ・アパッチでお母さんが黒人だったはず。それがミラクル・パワー・ステージを生み出したとはいえないが野生的であることは確かだ。
 生い立ちはご案内の通り苦労人であるが、売れてからもメチャクチャな暮らしぶり。一番凄いのは薬物中毒になってマシンガンを乱射し、警察とカーチェイスの末逮捕され実刑を食って3年程刑務所に入っている。
 しかしネットで見ていると、70年代のステージからは遥かに洗練されてきている。そのころはヤラセっぽくステージで倒れて見せたりしていたが、このステージではそんな演出は全く無い。大体昔は白人の観客は少なく、いかにも内輪のノリだった。後半のダンサーがやるスペイン語のラップなんかあれはアドリヴなんだろうか。ただミュージックとしては『水戸黄門』的な大いなるマンネリで、ファンとしてはそこは堪らない、いい意味で。
 ポツリ・ポツリと色んな映画にもチョイ役で出たりもしていた。

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 キングに対してクイーンはこの人に尽きる。スタートはアイク&ティナ・ターナーだったが、アイクの薬物中毒とDVで離婚してからもターナー姓を名乗っている。この人も既に80近い戦前の生まれで、現在は引退しているものの、 の映像は還暦過ぎくらいだったと思う。それでこのセクシーな動き、歌唱力。実はこのイントロから歌の始まりまでのMCとフリはいつも同じで、検索すれば同じメンバーで同じ踊りの画像がいくつもある。笑う所までも同じでこれまたマンネリの楽しみを堪能させてくれる。
 この系譜はヴィヨンセあたりが継いでいくのだろう。
 ティナはマッド・マックス・サンダードームにも出演して準主役を張っていたのもご記憶かと思う。こういう人は老けませんね。骨が丈夫というかガタイがしっかりしている。バックのプロポーション抜群のダンサーがティナの年になったら同じ事はできそうもない。

 両方聞いていてかねがね不思議に思うのだが、この手のノリをソウル・ミュージックと名付けたのはなぜなのかは今もって不明だ。黒人の魂の歌ということだったのか。確かに初期のゴスペルはそうだっただろうが『Get up, Get on up』や『Rowing on the River』が歌詞では魂も何もタダのノリ。僕が現役だった頃の当時のディスコなどでも掛かっていなかった。バンプとかハッスルの時代でしたからね。JBもティナはやはりショウ・ミュージックなのだ(でも好きなんですね)。
 
 最強の後継者マイケルも死んでしまったしなぁ。日本でこのアジが出せるのも忌野清志郎だけだった。個人的には和田アキ子に期待しているのだが。

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入り江にて(ドック・オブ・ザ・ベイ Dock of the Bay 和訳)

2015 APR 9 21:21:43 pm by 西 牟呂雄

 オーティス・レディングの古い古いヒット曲『ドック・オブ・ザ・ベイ』これを『入り江にて』と読んでみると、オォいけるではないか。僕はすぐに油壷湾の入り口を思い出した。

切れ目が湾の入り口

切れ目が湾の入り口

 古い話で恐縮だが、英人スチュワーデスの方が殺された惨劇のあったところで、反対側に東大の海洋研究所がある。うまくすれば富士山がガーンと見えるので、半日ヨットを繋いで揺られて過ごすこともできる。季節は真夏は熱くてしょうがないから初夏か初秋がいい。

 しかしながら歌詞そのものは厳しく寂しい、冬の工業地帯の港湾風景が似合う。

 ッと考えていた途端、あのベース・ランニングが聞こえてくる。

Sittin’ in the mornin’ sun
日の出の  時から
I’ll be sittin’ when the evenin’ come
夕日が       落ちるまで
Watchin’ the ships roll in
入り江に  たたずむと
And I’ll watch ‘em roll away again, yeah
船が    行き交ってる

I’m sittin’ on the dock of the bay
入り江に   腰掛けて
Watchin’ the tide roll away, ooh
潮     の流れ   見てる
I’m just sittin’ on the dock of the bay
意味なく     入り江で
Wastin’ time
時を過ごす

I left my home in Georgia
田舎の  家を出て
Headed for the Frisco bay
都会に 向かった(Frisco はサンフランシスコの俗称)
I have nothing to live for
生きがいも  失い
Look like nothings gonna come my way
先も見え     なくて

So I’m just go sit on the dock of the bay
だから入り江に    たたずんで
Watchin’ the tide roll away
海ばかり  見てる
I’m sittin’ on the dock of the bay
入り江に    腰掛けて
Wastin’ time
ぼんやりと

Look like nothings gonna change
何にも 変わりゃ しない
Everythin’ still remain the same
全て     今のまま
I can’t do what ten people tell me to do
言葉      空しい
So I guess I’ll remain the same, yes
だから    このまま イェ

Sittin’ here restin’ my bones
たたずみ   骨休め
And this loneliness won’t leave me alone, yes
いつも       一人きり
Two thousand miles, I roam
遥かに  さまよって
Just to make this dock my home
入り江に    住み着いて
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(ここは最後英語で)
Now I’m just go sit at the dock of the bay
Watchin’ the tide roll away, ooh
Sittin’ on the dock of the bay
Wastin’ time

 なんか結構ヤバい歌詞になってしまった・・・。
 尚、この歌を歌わせて日本で一番いいのは柳ジョージ版でしょう。

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South Bound Train (サウス・バウンド・トレイン) クロスビー&ナッシュ

2015 MAR 6 22:22:58 pm by 西 牟呂雄

 微笑ましい映画『小さな恋のメロディー』で流れた『Teach your children』や『青い目のジュディ』で知られるクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング。僕らの世代にはおなじみのアコースティック・グループだった。しかしあれだけの個性ではまとまってやってはいられないだろう、パッと解散してしまった。その中でデビット・クロスビーとグラハム・ナッシュは気が合っていたらしく二人ユニットでアルバムを出している。yjimageCALS3SG1 
 デビッド・クロスビーはバーズのオリジナル・メンバーで、曲中のサビのテナー・ハーモニーをやっている人。風貌は元ヒッピーの明るいオヤジという感じで、今ではハゲてデブになってるだろう。
 グラハム・ナッシュは英国人でこちらはまた懐かしいホリーズ。英国は後にハード、パンク、ヘヴィに進化するが、ヒッピー・ムーヴメントの頃はこういう輩もいたのだ。
 
 僕はどういう訳か、この二人で出した『サウス・バウンド・トレイン』が好きでいまも口ずさむ。メロディーと相俟ってが歌詞が泣けるんですな。
 この歌のサウスはディキシー、アメリカ南部(南北戦争で負けた方)と解釈している。この語感がピッタリくる日本語はふるさと。東京に上京して酷い目に会うモチーフは、南部のアンチャンがニューヨークで挫折する『真夜中のカウボーイ』的世界とシンクロする。それでかわいらしいお嬢さんとイイ感じになって振られればそれなりの小説一丁上がり。ちまたにそういう私小説が多いのは、最初から根性据えて女を食いもんにしようとしてその通りやった奴は、その経験を小説になど書きゃしないからだ、いや恥ずかしくて書けない。ついでに言えば同じように小説にしにくいのはバンカラもの。
 このディキシーに対する北部のことをヤンキーと言うのだが日本では別の意味になった(チンピラに)。
 余計な寄り道だったが、この歌を八代亜紀が日本語で歌ったらどういう歌詞になるか。いつものオチョクリじゃなくて真面目にやってみた。クリックして聞きながら読んでみてください。

Liberty, laughing and shaking your head
自由!   笑って  首を  振れ
Can you carry the torch that’ll bring home the dead?
亡き人 を  故郷(クニ)へ  連れてけよ
To the land of their fathers whose lives you have led
かつて   たどった  父祖の地 へ
To the station at the edge of the town
街はずれの駅 へ  送る
On the southbound train going down
ふるさと   への     汽車に

Equality, quietly facing the fist
平等!   最初に 気が付いて
Are you angry and tired that your point has been missed?
怒った   ことを    忘れてないか
Will you go in the backroom and study the list
昔の   リスト   見てみろよ
Of the gamblers using the phone
博打ウチ  が   綴ったアレ
On the southbound train going down
ふるさと   への     汽車よ

Fraternity, failing to fight back the tears
仲間!     泣くのを   こらえろよ
Does it take an eternity breaking all the fears?
永遠に    怯えて  暮らすのかい
And what will the passenger do when he hears
過ぎ去る者が  聞いて   どう思う    
That he’s already paid for the crown
亡きひと  は 割りに  合ったんだと       
On the southbound train going down
ふるさと   への     汽車で

 お聞きになって分かるかもしれないが、これにモロに吉田拓郎&ムッシュかまやつ が歌った『シンシア(南さおりに捧げる歌)』が被る。やったに違いない。拓郎は『春だったね』はボブ・デイランのパクリだったのを認めている、散々言い訳した後で「まっ真似しましたね。」と言っていた。まっ気付いてましたけどね。

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Black Magic Woman ブラック・マジック・ウーマン 歌詞取り

2015 FEB 11 18:18:43 pm by 西 牟呂雄

 妖しいキ-ボードが単調なメロディーを始める。すると身をくねらすようなギターの響き。独特の粘りつくようなビヴラートにパーカッションが絡むと投げやりなヴォーカル。サンタナだ。
 両開きの横尾忠則のイラストに衝撃を受けた。キリストと観音様が左右に書いてあったあれだ。
 今でもライヴは人気があってよくアップされているが、久しぶりに聞いて見ると本歌取りをやってみたくなる。イントロ思い出して欲しい☆

Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
I’ve got a black magic woman   
足掻いて ブラック 企業に
Got me so blind I can’t see      
知らずに    入った~
that she’s a black magic woman
誰も   ブラック企業と   
She’s trying to make a devil out of me   
知らせて     くれなんだ

Don’t turn your back on me, baby
♪どんだけ    働いたら (♪は八分休符のつもり 出ないもんで悪しからず)  
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんだけ    働いたら
Yes, don’t turn your back on me, baby   
いや    どうやったって
Stop messing ‘round with your tricks   
暮らしは   良くならぬ
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんなに  バカみたとて
You just might pick up my magic sticks   
夢みて  生きたいよ

(間奏)

Got your spell on me, baby
ごっつう 滑って しまった    
Got your spell on me, baby 
ごっつう 滑って しまった  
Yes, you got your spell on me, baby   
イェ ごっつう 滑って しまった
Turning my heart into stone
たまに   反省    して   
I need you so bad – magic woman
なに  そのうち    マジ  やる
I can’t leave you alone 
♪キメてー    やる  

 アルバムだとこの後ジプシー・クイーンの際どいインスツルメンタルが続いて、フェイドアウトする。すると遥か遠くからキーボードがリズムを刻む。アレですよあれ。ぼくは『サラ金を借りた男の歌』と名付けたい。

Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
 (ここからラップになる 1音全て八分音符で)
稼ぎも無いのに飲み歩くだから
知らないうちにカネ借りたみたい
返せるはずなどハナから無いから
金利は払うがあと踏み倒し 

(間奏)

噂に聞いてたサラ金取立て
向こうも商売こっちはお客だ
借りるはヨイヨイ返すは地獄
それでも毎日飲み歩くだから

追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった

 キリがないからもう止めます。ただホンモノ聞きながらやってると病み付きになりますよ。

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ボブ・ディラン&ザ・バンド

2014 DEC 5 22:22:21 pm by 西 牟呂雄

 CSの番組の長編ドキュメンタリーを見ていたら知らなかったことがたくさんあった。
 1960年代の後半からホークスはディランと契約をしていて給料を貰っていたのだが、ディランにライヴをする気配はなく隠遁状態に近かった。
 ウッド・ストック郊外の通称『ビッグ・ピンク(本当に外側がピンクの家)』に住み着いて曲を作り地下室で練習し、録音した。
 この時期アメリカは戦争をやりっぱなしにやっていた。巷にはヒッピーがウジャウジャいて、映像を見る限りではカラフルを通り越してサイケデリックまで行く。当時はみんな大真面目で、一見ユニフォームに見えなくも無いくらい似たようなファッションだったが、ディランはそれらのムーヴメントとは距離を置くような動きをしていたらしい。無論戦争反対の立場ではあるが。
 頭にきたとかふざけるなとかいった感情は激しいことを言った者勝ちみたいなところがあって、そういった表現を集団で発言するようになると内部は必ず分裂して何も残らない。ディランはそういう風潮を嫌ったのではないかと思う。
 クリスチャンに改宗したのもこの頃だと初めて知った。歌詞に聖書の引用までしていたそうだ。信仰の変化というものは一般日本人のとって容易に理解できない。一言で言えば世間に背を向けているようだった。
 ディランの曲をバーズやPPMが盛んにカヴァーしたのもこの頃だったか。
 ホークスもオリジナルを磨き『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を出して『ザ・バンド』になった。ディランの作品『I shall be released』の美しい旋律や映画イージーライダーのバックに流れた『ザ・ウエイト』が今でも懐かしい。僕も(似合わないと知りつつ)『I shall be released』をレパートリーにしようとしたけれどキーボードがピアノの音を上手くできなくて、最後はメンバーといつも喧嘩別れだった。あれは難しい。
 それから名作『オールド・ディキシー・ダウン』が入ったアルバムを出す。この頃が絶頂期ではないだろうか。

 ボブ・ディランとザ・バンドといったユニットは音楽的完成度が高く、日本でもそういったスタイルは取り入れられ、従来フォークソングがロックになるような取り上げられ方していた。岡林信康とはっぴえんど、のユニットなんかはそれを意識したのじゃなかろうか。私事で恐縮だがこのユニットが演奏したジャックスの『堕天使ロック』が好きで良く演奏していた。僕にとってのバンド版『三丁目の夕日』といったところかな。

 不思議なもので、70年代に入ると活動そのものがサエなくなってしまう。メンバー同士に軋轢があったらしい。しかし番組ではそう言わなかったが、僕の解釈では時代が変わったのだ。1973年には米軍がヴェトナムから撤退し、アメリカはウォーターゲート事件へと政治の時代となる。アメリカはいなくなってもインドシナ・エリアのドンパチはずーっと続き、中越戦争だクメール・ルージュだポル・ポトだ、と混迷は続くのだが。
 ディランは小規模ホールでのコンサートを重ねたり映画を撮るような活動に没頭していたが、映画の方は評価が低かったようだ。そしてワールド・ツアーに出て、武道館でもやっている。これに僕は行っているが、フル・セクションのビッグ・バンドを従えての大ステージで呆気にとられた。まぁ面白くはあったが。
 
 そして80年代からは大方の皆さんのご存知の伝説として輝き続けている訳だ。大雑把に言ってギター一本スタイルとメジャー・バンド・スタイルを代わる代わる試行しているように見える。途中ギターを持たないでキーボードをやっていた時もあったと記憶する。85年には笑わないディランで紹介したライヴ・エイドに参加している。
 その後も一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリングストーンに載せたようにローリング・ストーンズのステージに上がったりして新境地を開く。
 思うにディランは伝説になったがザ・バンドは日本で言えば演歌歌手になって『あの人は今』状態になり、ダンコもヘルムも死んでしまった・・・。ちなみに僕は1978年卒業だ。少年時代はアジアでガンガン戦争があったんです。

ノーベル文学賞 ボブ・ディランは喜んでいるか

笑わないボブ・ディラン


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グッド・オールド・バンド (ビーチ・ボーイズ)

2014 NOV 23 20:20:11 pm by 西 牟呂雄

CSのチャンネルを見ていたら『ビーチ・ボーイズ結成50周年記念』のタイトルが目に留まり思わず見てしまった。ウィルソン兄弟も二人死んで残るはブライアンだけなのだが、見始めるとマイク・ラヴやアル・ジャーディンがジイ様になってそのまま出てきたのにはビックリした。曲は例によってのビーチ・サウンドというかおなじみのノリで、得意のファルセット・ハーモニーが美しい。今ではそれなりのファッションだが、その昔はそろいの赤いストライプのボタン・ダウンを着たりしていたっけ。この人達とかベンチャーズになるともう他のスタイルの曲はできないのじゃないか、やってもヘタだったりして。ローリングストーンズを見ていてもそう感じる。キース・リチャードなんかよそのバックをやったら外してしまいそう。例のオープンGチューニングにしてもストーンズ以外ではチョッとね。
 大ヒットしたサーフィンUSAは何故か演奏されなかったのはどうしたことか。
 3兄弟のうち二人が亡くなるのはビージーズのギブ兄弟もそうだったかな。考えて見るとジャクソン5とかノーランズとか昔は子沢山のバンドが結構あって、少子化も世界的な流れなんでしょうかね。
 結成50年は長い長い時間だ。デニスとカールは2000年になる前に亡くなったし、現在もリユニオン以外の活動は分裂している。そう言えばローリング・ストーンズだってブライアン・ジョーンズは死に、ビル・ワイマンやミック・テイラーは脱退した。一時は『六つ目のストーン』とも言われたビリー・プレストンもメンバー入りしなかったが、この時はキースが才能を妬んでイジワルしたという出所不明の噂が立った。ビリーはビートルズの最後のライヴ『ルーフ・トップ・コンサート』でも切れ味のいいピアノを弾いていたが5~6年前に死んでしまった。

 日本で50年近く継続したのは、時々同窓会みたいに出て来るワイルドワンズとタイガースを見るくらいか。彼らもたまに集まって、のノリなので途中がブランクになっている。
 だいぶ前にゴールデン・カップスの再結成記念ドキュメンタリーを見た。メンバーが別のもう一人を紹介していくのだが『あの人薬物中毒でしょ。』『不良だよ。不良。』とか『酒さえ飲まなきゃねえ。』といった話ばかりでさすがにモノホンは違うなと感心した。ファースト・アルバムに参加していたケネス伊藤は志願してヴェトナムに従軍したそうだ。
 そうか、グループ・サウンズ以前には言う所のバンドそのものが日本にそんなに無かったのか・・・。子供の頃コミカル・ソングで大流行りしたクレージーキャッツなんか面白いんだがバンドとしての活動は早くに止めている。ダニー飯田とパラダイス・キング、バッキー白方とアロハ・ハワイアンズ、和田弘とマヒナスターズ、こんな名前がかすかに残るがいまだにやっているのだろうか。
 そのうち現役で50周年を迎えられるのはサザンかな。
 
 何れにせよ半世紀を共にして、しかも同じレパートリーをやり続けることには敬意を表したい。自身の半世紀ということになるとあまりに一貫性が無いため何かを極めることにはなってない。ズーッと同じスタイルで在り続けてはいないわけだ。
 僕がやっていたバンドなんか(四つか五つ。一回しかステージに出なかったのも入れるともっと)チリヂリバラバラで消息が分かるのは3人しかいない。みんなどこへ行ったのだろう、別に会いたくもないが。

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