Sonar Members Club No.36

カテゴリー: オールド・ロック

Black Magic Woman ブラック・マジック・ウーマン 歌詞取り

2015 FEB 11 18:18:43 pm by 西牟呂 憲

 妖しいキ-ボードが単調なメロディーを始める。すると身をくねらすようなギターの響き。独特の粘りつくようなビヴラートにパーカッションが絡むと投げやりなヴォーカル。サンタナだ。
 両開きの横尾忠則のイラストに衝撃を受けた。キリストと観音様が左右に書いてあったあれだ。
 今でもライヴは人気があってよくアップされているが、久しぶりに聞いて見ると本歌取りをやってみたくなる。イントロ思い出して欲しい☆

Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
I’ve got a black magic woman   
足掻いて ブラック 企業に
Got me so blind I can’t see      
知らずに    入った~
that she’s a black magic woman
誰も   ブラック企業と   
She’s trying to make a devil out of me   
知らせて     くれなんだ

Don’t turn your back on me, baby
♪どんだけ    働いたら (♪は八分休符のつもり 出ないもんで悪しからず)  
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんだけ    働いたら
Yes, don’t turn your back on me, baby   
いや    どうやったって
Stop messing ‘round with your tricks   
暮らしは   良くならぬ
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんなに  バカみたとて
You just might pick up my magic sticks   
夢みて  生きたいよ

(間奏)

Got your spell on me, baby
ごっつう 滑って しまった    
Got your spell on me, baby 
ごっつう 滑って しまった  
Yes, you got your spell on me, baby   
イェ ごっつう 滑って しまった
Turning my heart into stone
たまに   反省    して   
I need you so bad – magic woman
なに  そのうち    マジ  やる
I can’t leave you alone 
♪キメてー    やる  

 アルバムだとこの後ジプシー・クイーンの際どいインスツルメンタルが続いて、フェイドアウトする。すると遥か遠くからキーボードがリズムを刻む。アレですよあれ。ぼくは『サラ金を借りた男の歌』と名付けたい。

Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
 (ここからラップになる 1音全て八分音符で)
稼ぎも無いのに飲み歩くだから
知らないうちにカネ借りたみたい
返せるはずなどハナから無いから
金利は払うがあと踏み倒し 

(間奏)

噂に聞いてたサラ金取立て
向こうも商売こっちはお客だ
借りるはヨイヨイ返すは地獄
それでも毎日飲み歩くだから

追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった

 キリがないからもう止めます。ただホンモノ聞きながらやってると病み付きになりますよ。

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ボブ・ディラン&ザ・バンド

2014 DEC 5 22:22:21 pm by 西牟呂 憲

 CSの番組の長編ドキュメンタリーを見ていたら知らなかったことがたくさんあった。
 1960年代の後半からホークスはディランと契約をしていて給料を貰っていたのだが、ディランにライヴをする気配はなく隠遁状態に近かった。
 ウッド・ストック郊外の通称『ビッグ・ピンク(本当に外側がピンクの家)』に住み着いて曲を作り地下室で練習し、録音した。
 この時期アメリカは戦争をやりっぱなしにやっていた。巷にはヒッピーがウジャウジャいて、映像を見る限りではカラフルを通り越してサイケデリックまで行く。当時はみんな大真面目で、一見ユニフォームに見えなくも無いくらい似たようなファッションだったが、ディランはそれらのムーヴメントとは距離を置くような動きをしていたらしい。無論戦争反対の立場ではあるが。
 頭にきたとかふざけるなとかいった感情は激しいことを言った者勝ちみたいなところがあって、そういった表現を集団で発言するようになると内部は必ず分裂して何も残らない。ディランはそういう風潮を嫌ったのではないかと思う。
 クリスチャンに改宗したのもこの頃だと初めて知った。歌詞に聖書の引用までしていたそうだ。信仰の変化というものは一般日本人のとって容易に理解できない。一言で言えば世間に背を向けているようだった。
 ディランの曲をバーズやPPMが盛んにカヴァーしたのもこの頃だったか。
 ホークスもオリジナルを磨き『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を出して『ザ・バンド』になった。ディランの作品『I shall be released』の美しい旋律や映画イージーライダーのバックに流れた『ザ・ウエイト』が今でも懐かしい。僕も(似合わないと知りつつ)『I shall be released』をレパートリーにしようとしたけれどキーボードがピアノの音を上手くできなくて、最後はメンバーといつも喧嘩別れだった。あれは難しい。
 それから名作『オールド・ディキシー・ダウン』が入ったアルバムを出す。この頃が絶頂期ではないだろうか。

 ボブ・ディランとザ・バンドといったユニットは音楽的完成度が高く、日本でもそういったスタイルは取り入れられ、従来フォークソングがロックになるような取り上げられ方していた。岡林信康とはっぴえんど、のユニットなんかはそれを意識したのじゃなかろうか。私事で恐縮だがこのユニットが演奏したジャックスの『堕天使ロック』が好きで良く演奏していた。僕にとってのバンド版『三丁目の夕日』といったところかな。

 不思議なもので、70年代に入ると活動そのものがサエなくなってしまう。メンバー同士に軋轢があったらしい。しかし番組ではそう言わなかったが、僕の解釈では時代が変わったのだ。1973年には米軍がヴェトナムから撤退し、アメリカはウォーターゲート事件へと政治の時代となる。アメリカはいなくなってもインドシナ・エリアのドンパチはずーっと続き、中越戦争だクメール・ルージュだポル・ポトだ、と混迷は続くのだが。
 ディランは小規模ホールでのコンサートを重ねたり映画を撮るような活動に没頭していたが、映画の方は評価が低かったようだ。そしてワールド・ツアーに出て、武道館でもやっている。これに僕は行っているが、フル・セクションのビッグ・バンドを従えての大ステージで呆気にとられた。まぁ面白くはあったが。
 
 そして80年代からは大方の皆さんのご存知の伝説として輝き続けている訳だ。大雑把に言ってギター一本スタイルとメジャー・バンド・スタイルを代わる代わる試行しているように見える。途中ギターを持たないでキーボードをやっていた時もあったと記憶する。85年には笑わないディランで紹介したライヴ・エイドに参加している。
 その後も一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリングストーンに載せたようにローリング・ストーンズのステージに上がったりして新境地を開く。
 思うにディランは伝説になったがザ・バンドは日本で言えば演歌歌手になって『あの人は今』状態になり、ダンコもヘルムも死んでしまった・・・。ちなみに僕は1978年卒業だ。少年時代はアジアでガンガン戦争があったんです。

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笑わないボブ・ディラン


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グッド・オールド・バンド (ビーチ・ボーイズ)

2014 NOV 23 20:20:11 pm by 西牟呂 憲

CSのチャンネルを見ていたら『ビーチ・ボーイズ結成50周年記念』のタイトルが目に留まり思わず見てしまった。ウィルソン兄弟も二人死んで残るはブライアンだけなのだが、見始めるとマイク・ラヴやアル・ジャーディンがジイ様になってそのまま出てきたのにはビックリした。曲は例によってのビーチ・サウンドというかおなじみのノリで、得意のファルセット・ハーモニーが美しい。今ではそれなりのファッションだが、その昔はそろいの赤いストライプのボタン・ダウンを着たりしていたっけ。この人達とかベンチャーズになるともう他のスタイルの曲はできないのじゃないか、やってもヘタだったりして。ローリングストーンズを見ていてもそう感じる。キース・リチャードなんかよそのバックをやったら外してしまいそう。例のオープンGチューニングにしてもストーンズ以外ではチョッとね。
 大ヒットしたサーフィンUSAは何故か演奏されなかったのはどうしたことか。
 3兄弟のうち二人が亡くなるのはビージーズのギブ兄弟もそうだったかな。考えて見るとジャクソン5とかノーランズとか昔は子沢山のバンドが結構あって、少子化も世界的な流れなんでしょうかね。
 結成50年は長い長い時間だ。デニスとカールは2000年になる前に亡くなったし、現在もリユニオン以外の活動は分裂している。そう言えばローリング・ストーンズだってブライアン・ジョーンズは死に、ビル・ワイマンやミック・テイラーは脱退した。一時は『六つ目のストーン』とも言われたビリー・プレストンもメンバー入りしなかったが、この時はキースが才能を妬んでイジワルしたという出所不明の噂が立った。ビリーはビートルズの最後のライヴ『ルーフ・トップ・コンサート』でも切れ味のいいピアノを弾いていたが5~6年前に死んでしまった。

 日本で50年近く継続したのは、時々同窓会みたいに出て来るワイルドワンズとタイガースを見るくらいか。彼らもたまに集まって、のノリなので途中がブランクになっている。
 だいぶ前にゴールデン・カップスの再結成記念ドキュメンタリーを見た。メンバーが別のもう一人を紹介していくのだが『あの人薬物中毒でしょ。』『不良だよ。不良。』とか『酒さえ飲まなきゃねえ。』といった話ばかりでさすがにモノホンは違うなと感心した。ファースト・アルバムに参加していたケネス伊藤は志願してヴェトナムに従軍したそうだ。
 そうか、グループ・サウンズ以前には言う所のバンドそのものが日本にそんなに無かったのか・・・。子供の頃コミカル・ソングで大流行りしたクレージーキャッツなんか面白いんだがバンドとしての活動は早くに止めている。ダニー飯田とパラダイス・キング、バッキー白方とアロハ・ハワイアンズ、和田弘とマヒナスターズ、こんな名前がかすかに残るがいまだにやっているのだろうか。
 そのうち現役で50周年を迎えられるのはサザンかな。
 
 何れにせよ半世紀を共にして、しかも同じレパートリーをやり続けることには敬意を表したい。自身の半世紀ということになるとあまりに一貫性が無いため何かを極めることにはなってない。ズーッと同じスタイルで在り続けてはいないわけだ。
 僕がやっていたバンドなんか(四つか五つ。一回しかステージに出なかったのも入れるともっと)チリヂリバラバラで消息が分かるのは3人しかいない。みんなどこへ行ったのだろう、別に会いたくもないが。

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スモーク・オン・ザ・ウォーター 歌詞 Smoke on the Water (但し 工場に蛇が出た)

2014 OCT 1 19:19:18 pm by 西牟呂 憲

 以前のブログ埼玉の木枯らしでこの工場周辺にのどかにも蛇が出たことを書いた。そして彼の地で名曲埼玉のホンキィ・トンク・ウィメンが生まれたが、実はもう一曲隠れた名曲があった。ヘビが出る工場、即ちスネーク・イン・ザ・ファクトリー である。
 ネタ元は言わずと知れたディープ・パープルのメガヒット<スモーク・オン・ザ・ウォーター>だ。
 ガキの時分には、周りのバンド小僧は例外なく一度はこれをレパートリーにして、練習でピッタリ合うと何となくオトナになったような気がしたそうだ(僕も)。その後ブリティッシュに拘って腕が上がるとレッド・ツエッペリンに行き、アホはロックン・ローラーになって行った。しかしマトモな人はずっとビートルズだったことを付け加えておく。ちなみに僕がどうなったかは、言うまでも無い。
 今その替え歌を思い出そうとして、1・2・3番とも出だしははっきり覚えているが、後半を忘れていることに気が付いた。それで例によってこじつけると、こうだ。

スネーク・イン・ザ・ファクトリー

We all   came out to Montreux
おいらは  工場     建てた~
On the Lake Geneva shoreline
埼玉の    田舎町
To make records  with a mobile
最先端の      材料を
We didn’t have much time
そこでは    作ってる
Frank Zappa and the Mothers
クリーン・ルームは  最新~
Were at the best place around
ハイテクの  設備だぜ~
But some stupid with a flare gun
だが 現場で 周りを 良く見ると
Burned the place to the ground
時々  ヘビが出る~
Smoke  on  the water,      a fire in the sky,
スネーク イン ザ・ファクトリー  シマヘビ ニョロニョロ
smoke on the water
スネーク イン ザ・ファクトリー

They burned down the gamblin’ house,
屋根から だって 降ってくる
It died with an awful sound
卵を 飲んだままー
and Funky Claude was running in and out
 ハト も オチオチ してらんない
Pulling kids out the ground
カエル も 命がけ
When it all was over
新鋭工場の 裏ーでー
We had to find another place
自然は 生きている
But Swiss time was running out
犬は繋がれ かわいそう
It seemed that we would lose the race
猫は 寝てばかり
Smoke  on  the water,      a fire in the sky,
スネーク イン ザ・ファクトリー  シマヘビ ニョロニョロ
smoke on the water
スネーク イン ザ・ファクトリー

(間奏)

We ended up at the Grand Hotel
キーング・コブラは こわ~い
It was empty cold and bare
ハブ にも 毒はあるー
But with the Rolling truck Stones thing just outside
マムシ も なめると あの世 行きー
Making our music there
けど こいつは 無害だぜー
With a few red lights and a few old beds
来るんじゃない!    近寄るな!
We make a place to sweat
恐いじゃ   ないかー
No matter what we get out of this
広い  田圃の 方へ  行け
I know, I know we’ll never forget
あの   あの   ヘビ共 
Smoke  on  the water,      a fire in the sky,
スネーク イン ザ・ファクトリー  シマヘビ ニョロニョロ
smoke on the water
スネーク イン ザ・ファクトリー

うーん、本気でやったらライヴでも受けそうなんだが。

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一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン 

2014 AUG 31 12:12:46 pm by 西牟呂 憲

 全く物凄い邦題だ。どこにも「一人ぼっちの世界」という言葉が入っていないローリング・ストーンズの『Get off my cloud』。今回2014年の来日時でも一度オープニングで使っていたそうだが、いかにもストーンズらしいノリの曲だ。ステージからクネクネ踊るミック・ジャガーが観客を煽るように歌いかけるリフレインの所、
I said,
Hey! you! get off of my cloud
ヘイ ユー 行さらせ
Hey! you! get off of my cloud
ヘイ ユー 消えさらせ
Hey! you! get off of my cloud
ヘイ ユー どきさらせ
Don’t hang around
ウロウロ すんな
Cause two’s a crowd on my cloud, baby
邪魔なんじゃ ベイベェ

クリックして下さい。
これがどうして『一人ぼっちの世界』みたいな哀愁を帯びた題名に訳されたのか。ガキの分際でこれを聞いた僕は、多分女に振られて絶望的になった孤独なオニーチャンの歌なんだろうなと思った。しかし例によって歌詞の方は意味も何もない。
I live in an apartment
on the ninety-ninth floor of my block (わしゃノー、高層の部屋に一人住んどんじゃー)
And I sit at home
looking out the window       
Imagining the world has stopped   (時間が止まったように窓の外、見とった)
Then in flies a guy
whos all dressed up like a union jack  (突然 アホな恰好のバカが飛び込んで)
And says,
I’ve won five pounds
if I have his kind of detergent pack   (この粉5ポンドで買ってくれだと)

どうにもならない歌だが、どこでやっても客は大受けだ。この曲は1965年にリリースされた。

 ところが同じ年にボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』というこれまた初期の名曲が出ている。正確にはこちらの方が二か月くらい先らしい。
 日本にはほぼ同時に入り、僕は『一人ぼっちの世界』の方を先に聞いていた。無論痺れる。その後『ライク・ア・・・』が耳に入るのだが、歌い方のガシャガシャ感と歌詞の字余り感がオーバー・ラップした。
 当時はディランはアコースティック一本とブルース・ハープだけでやっていたし、英語の意味も何も分からないもんだから、リフの所は『ローリング・ストーンズみたいに』と言っているのかと思った。

 実際、ストーンズがステージでこれをやっている映像があって、そのノリは素晴らしい。特に『How does it feel ?』とやるともうエグいの何の。
 更に、デイランとストーンズが一緒にやっている映像も残されている。どうもリオデジャネイロでのステージの
ようだ。このときもディランは全く表情を変えていない。ストーンズの方はミックやあの愛想の悪いキースまでニコニコしているのが映っているのに。

 クリックして見て下さい。
 聞いているうちに、この歌詞を『一人ぼっちの世界』に乗せて歌ってみたらどうだろうか、という発想が湧いた。

Once upon a time,You dressed so fine   
You threw the bums a dime In your prime Didn’t you ?   
People’d call, say”Beware doll, you’re bound to fall”   
You thought they were all kiddin’ you   
(原曲はここからコード進行が変わるが無視)
You used to laugh about
Everybody that was hangin’ out   
Now you don’t talk so loud. Now you don’t seem so proud   
About having to be scrounging For your next meal
(かなり早口になるがここまで4フレーズで歌ってリフに繋ぐ)   
リフレイン
How does it feel ?   (Hey You get off mu cloud)
How does it feel ?   (Hey You get off mu cloud)
To be without a home (Hey You get off mu cloud)
Like a complete unknown (Don’t hang around)
Like a rolling stone (Cause two’s a crowd on my cloud)

 自分でもやってみたが、相当早口になって噛んでしまうができないことはない。ストーンズのライブで『一人ぼっちの世界』のイントロが始まった途端、突如ギターを抱えたディランが現れ、『ライク・ア・・・』の歌詞で歌いだす。
二番からはミックが『一人ぼっち・・』を歌う。どうだろうか。スベったら世紀のマヌケだが。

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タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り

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笑わないボブ・ディラン

2014 JUL 1 22:22:21 pm by 西牟呂 憲

 過日You・tubeを見ていて気が付いた。ライヴ・エイドのテーマ曲としてマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが造った『We are the Woeld』のレコーディング・ドキュメンタリーなのだが、一流所満載でさぞ手間が掛かったろうと思われる光景が映し出されている。ハリウッドで収録された。
 その中で中心人物ハリーヴェラフォンテ(発起人の一人)の『バナナ・ボート』、例のデーオ、ディイェイェイオーを皆で歌ってふざけあっているシーンがある。プロデューサーのかのクインシー・ジョーンズまでがゲラゲラ笑っているが、大勢いる中で一人ニコリともしない男がいた。本名ロバート・ジマーマン、ボブ・デイランだ。そう言えば写真でもライヴでもこの人が笑っているのを見た記憶がない。
 不幸にして、ディランがフォーク系のプロテスト・ソング・シンガーで神様扱いされていた頃は、僕の方がローリング・ストーンズ一色だったからビートルズ同様リアル・タイムで味わってない。良く聞いたのはその後ザ・バンド(後のホークス)と組んだ当たりからだから、ギター一本のスタイルはもうやめていた。ジョージ・ハリスンのバングラディッシュ・コンサートに出てきて、実につまらなそうに歌う印象だった。そして本人プロテストシンガーと呼ばれるのに抵抗があったのだそうだ。ジョージとは親友のはずだからステージの上でももう少し楽しそうに歌えばいいものを。
 ユダヤ系なのだが、この業界はユダヤ系ばかりなのでディランがそのことで孤立するはずもない。事実同じ場所にポール・サイモンもいたが、こっちははしゃいでいた。ディランの中に、アフリカを救う、エイズを撲滅する、といったこの手の企画が偽善的に見えていたのがあるのではないか。ディランの音楽が最も先鋭的であり輝いていたのは1960年代から1970年代位で、それもミュージックよりも詩が個性的だった。一時はノーベル文学賞の候補にもなったと記憶している。
 撮られたのは1985年の初頭なのが象徴的で、以降輝き続けてはいるが突出した存在では無くなってくる。ネバー・エンデイング・ツアーとしてライヴは人気ではあるが、レジェンドに祭り上げられたと言ったら言い過ぎだろうか。
 実際にはかなり”クサ”とか”ヘロ”とか”コケ”を食いまくっていて、かなり声を荒らしている。全員でボーカルを回していくのだが、ディランはのどに負荷がかからない音域を、例の怒鳴りつけるロッド・ステュワートみたいな歌い方でガナる。ブルース・スプリングティーンも参加していて同じようなノリだ。
 仮にギター一本で、例のガシャガシャ奏法からニコリともせずにメロディー無視で怒鳴りだしたら(ステージならまだしも)それは変なおじさんではないだろうか。
 しかしディランは常に言っている。
「僕が変わったんじゃない。世間が変わったんだ。」
 確かに世界は変わっているが・・・。あれから20年も経ったし、そろそろ狂い咲いてニコニコするのでは、強烈なメッセージと共に。

 ところで、僕としてはミック・ジャガーも一緒に出てワン・コーラスソロを取って欲しかったのだが、こういうところに群れないのがストーンズの個性なのかも知れない。

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さよならローリング・ストーンズ ダイスをころがせ(Tumbling Dice)

2014 MAR 9 14:14:47 pm by 西牟呂 憲

東京ドームが終わって、8年ぶりに来日したストーンズが帰国した。僕は今回は行かなかったが、知り合いで4日と6日の二回見に行ったバカもいる。これは半分うらやましいのだが、そのバカは10万円くらい使ったんじゃないだろうか。何しろミック・ジャガーが単独で来た時はわざわざダフ屋から10倍くらいの金を払ってまで行った奴だから。で、聞くところによれば相変わらず走るし跳ねるし、あんなに暴れる70歳はいないんじゃないかとのことだった。ご贔屓のJumping Jack Flashは6日のオープニングだったそうだ。

ストーンズのインチキ訳詩を書いてみているが、個人的には「ダイスを転がせ(Tumbling   Dice)」という題名がどういう訳か気に入っている。それも邦題の方。これはわが国固有の壷振り博打とチンチロリンの伝統があるから、何となく心の琴線に触れるからだと勝手に解釈している。これが「カードをシャッフル」ではノリが悪く、「牌をかき混ぜろ」とか「銀玉をはじけ」或いは「車券を買に行け」ではグローバル性に欠ける。やはり「ダイスを転がせ」だ。それでいつもの無理矢理翻訳をやってみると、

Woo Yea

Women think I’m tasty, but they’re always tryin’ to waste me
来る日も来る日も      出たとこ勝負で

And make me burn the candle right down
今まで来たけれど

But baby, baby, don’t need no jewels in my crown
バット, ベイビー, ベイビー, 後悔してるから

‘Cause all you women is low down gamblers   Cheatin’ like I don’t know how
止まらぬ性分    終わらぬ勝負    過ぎ行く毎日

But baby, I go crazy, there’s fever in the funk house now
バット・ベイビー, アイ・ゴー・クレイジー, もうやめにするよ

This low down bitchin’ got my poor feet a-itchin’  You know you know the deuce is still wild
仕事も探す          ネクタイ締める      朝早く起きる

Baby, can’t stay        You got to roll me and call me the tumblin’ dice
ベイビー, カーント・ステイ  狂わせる   丁半勝負

Always in a hurry, I never stop to worry   Don’t you see the time flashin’ by
お金も入れる     お酒も止める       遊びも止めるから

Honey, got no money, I’m all sixes and sevens and nines
ホニー, ゴット・ノー・モニー, 本気だこのオレは

Say now, baby, I’m the rank outsider    You can be my partner in crime
怒っちゃだめだ    行かないでくれ      オレを捨てないで

Baby, can’t stay
ベイビー, カーント・ステイ

You got to roll me and call me the tumblin’
狂わせる          丁半(勝負)

Roll me and call me the tumblin’ dice
狂わせる          丁半勝負

(間奏)

Oh my my my, I’m the lone crap shooter    Playin’ the field every night
オー・マ・マ・麻雀    競輪    競馬    カードに   パチンコ

Baby, can’t stay
ベイビー, カーント・ステイ

You got to roll me and call me the tumblin’
狂わせる          オーラス・(リーチ)

Roll me and call me the tumblin’ dice
狂わせる          最終レース

狂わせる    狂わせる   狂わせる

(リンシャンカイホウ フル・ハウス  万馬券  ジャン打ち・・・・)

この歌はそうポピュラーじゃないかも知れないが、なかなかいい曲で僕は好きだった。

 ともあれ8年ぶりの来日が彼らの70台だから、さすがにもう日本には来ないだろう。やっぱり見に行くべきだったかな。80台のストーンズを70台の僕がみてもなぁ。

ローリング・ストーンズがやってきた! ジャンピング・ジャック・フラッシュ 歌詞(Jumping Jack Flash)

一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン 

タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り


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ローリング・ストーンズがやってきた! ジャンピング・ジャック・フラッシュ 歌詞(Jumping Jack Flash)

2014 FEB 25 11:11:20 am by 西牟呂 憲

悪魔的なコード進行とベースの絡みが聞こえてくるだけで胸躍る、そこにエイト・ビートが刻まれて・・・。誰でも耳にしたことがあるだろう大ヒット、しかしそもそもジャンピング・ジャック・フラッシュとは一体どういう意味なのか。ローリング・ストーンズのライヴでは、しばしばオープニングで演奏される、彼等のお気に入りなことでも知られている。

Jumping Jack Flash。Jackという名前はJack in the box とか Jack the Ripper というように英語圏の人にとっては何か象徴的な名前なのじゃないか。日本で言えば、太郎冠者や名無しの権兵衛のように、どこかの誰、程度のものと考えて良かろう。ちなみにJumping Jack単独では”操り人形”という訳がつけられ、歌詞を検索してみるとそれを使ったライナーや、Flashに掛けた稲妻野郎といった凄い訳があったりする。

だが、僕が思うにこの頃のストーンズがそんなに色々と考えて歌詞を書いたとは思えないのだ。多分ギター・リフだけを思いついて、スタジオでジャカジャカやっているうちに適当な歌詞を乗っけただけなのかとも想像している。何しろ当時のストーンズは『赤いドアを黒く塗ってやる』とか『何をやっても満足できない』という歌ばかりやってたのだから。同時期のビートルズが『愛』を歌いあげ、その後『平和』を歌詞に盛り込んだのに比べて、嬉しくなる程のアナーキーというか下品というか。ジャンピング・ジャック・フラッシュは単にノリのいい掛け声で、意味なんかない。こんな感じだ。

I was born in a cross-fire hurricane

コノヤロー   オレは育ちが悪いんだー
And I howled at my ma in the driving rain,

バカヤロー  何か文句があるのかヨー

But it’s all right, now In fact, it’s a gas!

上ー 等ー だー  やるのかよ
But it’s all right. I’m Jumpin’ Jack Flash,

上ー 等ー  跳んでやる
It’s a gas! Gas! Gas!

タイマン だー

 

こうなるともうメチャクチャで、以下2・3番に関してはいちいち合わせなくとも『てめー、いいかげんにしろ、ドタマカチ割るぞ、クソババア、死にさらせ、だからどうした、ウルセー、血の雨降らすぞ』という言葉を繋げるだけで十分かと思われる。一応歌詞だけは書いて置くが。

I was raised by a toothless, bearded hag,
I was schooled with a strap right across my back,
But it’s all right, now In fact, it’s a gas!
But it’s all right,  I’m Jumpin’ Jack Flash,
It’s a gas! Gas! Gas!

(間奏)

I was drowned, I was washed up and left for dead.
I fell down to my feet and I saw they bled.
I frowned at the crumbs of a crust of bread.
I was crowned with a spike right thru’ my head

いかがです。ところで、このアホ曲にもちゃんとカヴァーする人がいて、最もポピュラーなのは百万ドルのギタリスト、ジョニー・ウィンターのやつだと思う。この人はメチャクチャ早弾きしつつ、よせばいいのにガラガラ声でヴォーカルもやる。恐らくわがまま過ぎてバンドとしてメンバーが組めないから何でも自分でやらざるを得なくなったのだろう。僕はこの人のステージを見たことがある、それもニューヨークのマジソン・スクェア・ガーデンでだ。そのときは弟のキーボード奏者エドガー・ウィンターと組んでいた。あのプロレスの殿堂のマジソン・スクェア・ガーデンですぞ!

この旅は学生時代の夏休みで行ったのだが、思えば危ないことだらけだった。何も決めずに行ってしまったため、サン・フランシスコに着いた日から宿の心配をしなければならず、しばらくは観光もヘチマもユニオン・スクエアの周りでハンバーガーばかり食べていた。もちろん英語なんかも怪しいもので、ビクビクしながら過ごしたが、これでは何もせずに帰国になると一念発起、グレイハウンド・バスで大陸横断しニューヨークに行くことにした。乗り放題(こういうのは大抵足が出る)の切符を買ってまず南に向かい、知っている名前の街行き(ニュー・オリンズとかセント・ルイス)にのってみた。ところが途中、乗客の中におかしな薬でも草でもやったのか暴れだした奴がパトカーに連行されたり、エアコンが効きすぎて風邪を引きかけたり。矢沢栄吉のトラベリング・バスという歌があるが、クタクタになるのはその通りで、明け方に目的地に着くとフラフラと安ホテルを探した。大体グレイ・ハウンドのターミナルはダウンタウンにあったから、ホテルといっても今から考えると連れ込みだったんじゃないか、というくらい安かった。それでもかっこいい黒人青年と知り合ったり、きれいなオネーチャンと話したり(ただしこの人は日本を知らなかったが)無事ニューヨークにたどりつき、そこはマンハッタンだから高級ホテルのウォルドロフ・アストリア、が見える三流ホテルに泊まった。そこでマジソンの催し物に気がついたのだ。

しかしその頃のバリバリ・ロックコンサートは、何故かどこからともなくヤバい匂いのクサが回ってきて、誰彼かまわず思いっきり吸い込んでいた。隣のオニーチャンが僕を見て『ストーン?』と聞くのだが、どうも『効いた?』という意味のようで、実はぜんぜん効かなかった。ともあれ、ジョニー・ウィンターのジャンピング・ジャック・フラッシュは聞けた。ハンチングを被っていたので何だと思ったのだが、アンコールで脱いだら当時既に禿げていた。

この話もう一つオチがある。一週間後に大好きなプロレスの興行があって(当時WWWFといった)人気絶頂のブルーノ・サンマルチノが出る、もう見たくて見たくてしょうがなかったが、僕の学校は二期制なので中間試験が迫っていた。大体アメリカをほっつき歩いて準備も何もなかったのだが、これで受けなければ留年確実のため、有り金はたいて直行便で帰りましたとさ(まだ羽田だった)。そして羽田に着いたら物凄い報道陣がいてビックリした。実はこの時、ミグをかっぱらって函館に逃げてきたソ連のベレンコ中尉がアメリカに亡命するために出国する日だったのだ。そういえばニューヨークで、ソ連のミグが日本に攻めてきたという噂を耳にしたが、当時の会話能力では何のことか分からなかったのだ。高飛びですな、ジャンピング・ジャック・フラッシュ。

タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り

ホンキー・トンク・ウィメン 歌詞取り 埼玉にて

さよならローリング・ストーンズ ダイスをころがせ(Tumbling Dice)

一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン 


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初めての音から音楽まで

2014 FEB 2 22:22:19 pm by 西牟呂 憲

幸いにして聴力は悪くないので生まれてからずっと色んな音を聞いてきたはずだが、初めての音はどんなものだっただろう。自分の泣き声とかが聞こえていたのだろうが、”音”単体の記憶というのは意外と残っていない。川のせせらぎが雨音に聞こえた古い記憶が残っているが、恐らく富士山麓にある山荘の喜寿庵で聞いた音だったと思う。印象的だったのは小学生のときに蹴ったサッカー・ボールが校舎のガラスを割った時のガシャーン、という凄まじい音。校庭で遊んでいたガキが一斉にそっちを見た。幸い怪我人が出なかったから事なきを得たが、生きた心地がしなかった。

音ではないが、喜寿庵で飼っていた犬が遠吠えをするのを聞いて、随分もの悲しい鳴き方だと思ったのも子供の頃だった。『うおお~~ん』という感じなのだが文字にしてしまうとチト違う。放し飼いだったのだから随分昔で、その犬(ペケという名前だった)はサイレンが聞こえたりすると調子を合わせるように『うおお~~ん』をやるのだ。テレビか何かで聞こえてきた狼の遠吠えにそっくりで、犬はやっぱり狼の血を引いているんだな、と妙に納得した。

下町育ちなので、生活音は都電のガシャガシャした音や車のクラクションが一日中聞こえていた。今はそれ程でもないが、昔のドライバーはしょっちゅうクラクションを使っていたのではないか。先日訪問したヴェトナムがそうだった。石焼き芋屋のテープ、玄米パンのホヤホヤ(これも既にテープ)、豆腐屋のラッパ。どれも身の回りから無くなってしまった。別に懐かしくもないが。

それで音楽はどうかというと、子供の頃の流行歌は当方が興味を持たなかったせいか、ザ・ピーナッツとクレージーキャッツくらいしか記憶がない。むしろ刷り込まれたものとしては、母親が好きで聞かされたヴェートーヴェンのピアノ・コンチェルト5番(英雄)とオペラのカルメンが耳にこびりついている。あれは近所から苦情が来なかったのが不思議なくらいの音量だったような気がするが、それは音のデカさというより曲のスケールが記憶に残ったのだ。英雄の出だしのピアノの早弾きは今でもワァッというふうに思わず顔がほころぶ。

そのくせ家にあったピアノの鍵盤を叩いたときの印象はすこぶる悪い、というか短音では『きれいな音色』とは思えなかった。ギターはもっと後に触ってみたが、やはり同じ感触だった。今もって良く分らない。そのせいではないだろうが、僕の音楽観は初めから歪んでいたのではないのか。少し上の世代、即ち団塊組がベンチャーズだと言っている頃はまるっきりPass。中学に進んだあたりは周りがビートルズに夢中だったのに対し、僕はローリング・ストーンズにのめり込んでいた。同時進行の形でグループ・サウンズという形のバンドがブームになっていたが、実際のステージを見るに至っていないので、女の子がキャアキャア言っているだけの印象。先日タイガースの同窓会コンサートをBSで見たが、今聞くとそこそこの選曲でセンスが窺えるのだが。

初期のストーンズは実に下品で無教養の印象。ハハァ ロンドンにもこんな、今にも喧嘩を始めそうなアンチャン達がいるんだ、と感心した。当時はイギリスのほうが先進国の印象があったのだ。とにかくサティスファクションのギターイントロで痺れて以来、出るアルバム出るアルバムを全て買い込み聞き耽った。尚且つ真似しようとさえした。今でも止せばいいのにミック・ジャガーのドーム・コンサートに行き、あいつは年を取ってもよく動けるな、と感心する。今回は(2014)行きませんけどね。

その後どうなったかというと、ギターをやり出してた頃にフォークがブームになった。団塊がフォーク・クルセダースを流行らせた後ですな。髪の毛を背中まで伸し、驚くべきことに小難しい歌詞のオリジナルまで造った。どこかで売れる前の吉田拓郎の前座に出たり、知り合いがレコードを出したり、サルビアの花の『もとまろ』は仲間だった。今から考えると誠に危ないところで、そのまま行ったら4流のギター芸人にでもなってしまうところだったのだ。それが有りがたいことに、あるバンドを見て一発で冷めた。

日曜日の夕方に愛川欽也が司会する『リブ・ヤング』という番組があって、毎週見ていたが、何とか大会の企画でバックにバンドが入り、それがキャロルだった。革ジャン、リーゼントの一際でかい四人組が、when i was just little boy, my one and only joy とやった途端にひっくり返った!ロックンロールだ!もうローリング・ストーンズもフォークも何もあったもんじゃない。ここが軽薄の極みなのだが、長髪をバッサリ切ってリーゼント・ボーイになり、ケツのポケットに櫛を入れて鏡やガラスに映る時は必ず髪を撫で付ける街のチンピラに化けた。パートもギターからベースに代えて、喋り方もエーチャンを意識し『あのヨー』をつけないと会話ができない。キャロルはすぐにレコード・デヴューして、僕は当然そっくりのバンド『ルシール』を組む。この頃から酒の味を覚えて大変な思いをすることになるのだが。

キャロルを見るために新宿の「怪人二十面相」というライヴ屋に行くと、後にダウンタウン・ブギウギ・バンドに移る相原誠がドラムを叩いていた。キャロルはドラマーが次々に変わるので、初めのレコードジャケットはドラマーの顔を写してなかったし相原もすぐ辞めた。それではとばかりに、我がルシールもドラマーを代えなければ、と焦っていたところ、ギターの上手い奴が加入してきて、押し出された格好で僕がドラムを担当する。そのうち仲間内で、エーチャンの使っているポマードは柳屋の黒薔薇というブランドだ、という出所不明の噂が駆け巡り『オレも黒薔薇でキメてんだ。』という奴が次々と現れた(無論僕も)。しかしどうもそんなブランドは無かったようなのだ。見た奴はいない(僕も)。

ここあたりで20歳くらいになっているのだが、我が師(計量経済の泰斗)の言葉に『人間は二十歳の頃に回帰する。』というのがある。思想・思考・趣味といったものが変遷を重ねても最後は二十歳の頃の考えに戻る、と強調されておられた。例えばテレビ・コマーシャルに時々ハッとするような古い曲がバックに使われるのは、製作ディレクターがその頃好きだった曲に違いない。『懐かしの曲』といった番組が、オールデイズ、グループサウンズ、歌謡曲、演歌とそれぞれ一定の視聴率が取れるのも、各世代が二十歳のころに夢中になっているものを喜ぶので、一定の人数が確保されるからだろう。

すると僕は還暦ロックン・ローラーになってしまうのか。ミック・ジャガーやエーチャンはいいけど僕の場合、ちょっとマズイ。

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ノー・ウーマン  ノー・クライ (No Woman, No Cry)

2014 JAN 3 10:10:04 am by 西牟呂 憲

 ボブ・マーレイのレゲェの名曲であるが、この歌詞を和訳するとしたら一体どういう言葉が適切なのか。実は昔から(仲間内で)意見が分かれている。それに沿って、ある出鱈目な話をでっち上げてみたことがある。

『泣かない女はいない。』

 ジャマイカから密入国してフロリダに一家で落ち着いた時、オレは15歳だった。誰も英語は話せないから貧乏どころの騒ぎじゃない。一年もしないうちにオヤジは若い女とどこかへ消えちまって、お袋はもう働きづめに働いたが、オレと二人の弟は学校にも行けなかった。何しろ不法移民なんだから。毎日クタクタになってパンを買って帰るお袋には本当に頭が下がるが、オレのせいじゃない。当然ワルになっちまうわけだし廻りもロクな奴らは一人としていなかった。差しさわりがあるから詳しく言えないが、後ろ暗い金をお袋に渡した時には涙を浮かべていた。長いこと泣いてから搾り出すように言った言葉が忘れられない。「泣かない女はいない(No  woman ,  No Cry)。」

『だめだ、女!泣くな!』

 フロリダはタンパの街の中でショッピング・モールを歩いていた。するとおもちゃ売り場で一人の白人の女の子が泣いている。あまり周りに人がいない、親はどこに行ったんだ。何か話しかけてやりたいのだがオレはまだロクに英語が喋れない。かわいそうに。エート女の子は・・・、ウーマンしか思い浮かばない。思わず口を突いて出たのは「だめだ、女、泣くな!(No!  Woman!  No  Cry!)。」

『おんながいない?泣くこたーないぜ。』

 弟のカルロスはオレ以上のワルになっちまった。ガンも持ち歩くしクスリも捌く。おまけに女癖も悪い。オレより小さい年からアメリカだから英語の上達も早かった。最近のお気に入りはサリーというどうやらインド系の女だ。ついに警察に厄介になってしまった。オレが迎えに行った時、オフィサーは憎しみに燃えた目で言った。「そのうちムショにぶち込んで日の目を見られなくしてやる。」オレは震え上がったがカルロスは平気だった。ウチに帰ってまた泣いていたお袋に事のあらましを話したら、例によって大泣きになって訴えた。「カルロス!お前がムショに入るなんて!ママはまた泣くだろうし、お前もサリーに会えなくなるんだよ!」だがカルロスは全く応えない。ヘラヘラしながらせせら笑った。「女がいない?泣くこたーないぜ(No woman?   No  Cry!).」

 念のために申し添えるが、歌詞の内容からこの歌では『だめだ、女!泣くな!』が正しいことは言うまでもない。三つの台詞は初めが『, 』次が『!』最後は『?』でつないで訳の連想を引き出したつもりなのだが、あれ?本歌はなんだったっけ。新年そうそうバカなことを書いてしまった。

  追伸 この歌の本歌取りで最高傑作はネーネーズのもので、そのユニゾンには脱帽であることを明記しておきます。

ノー・ウーマン ノー・クライ Joan Baez(ジョーン・バエズ)

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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