Sonar Members Club No.36

カテゴリー: ヨット

今日は式根か新島か(のはずだった)

2019 AUG 16 9:09:19 am by 西室 建

 今年のクルーズは島伝いに新島まで。航海計画を立てて準備に勤しんだ。
 それが8号・9号が行った思いきや、巨大10号台風のおかげでどうやらウネリは結構ある上に、計画日程には雨マーク。いつものことではあるが、夏のクルージングは天気との戦いだ。
 8月10日22時。熱い日差しを避けてオーバー・ナイト・クルーズに出航するはずが、集合して天気図を見ながらアーダコーダと議論白熱。いつものことだが強行派と慎重派に分かれてスキッパーの判断を仰ぐ。冷静なスキッパーは帰りの天気まで読み込んで航海を中止した!何よりも30ノットの風予想を危険と判断したのだ。
 その際、航海を「スキップ」する権利を擁しているから「スキッパー」と言うのだ、という説が出された。船と運命を共にする艇長である。実際に戦時中はともかく、近くはタンカーのアメリカ人船長が関門海峡で座礁し、ピストル自殺するという話が有名である。
 でもって、この時点では油壺の風は微風。星は綺麗に見えていた。当然大宴会になった。

出港直前 油壺艦隊の精鋭

 11日快晴。風微風。そろそろ油壷湾には漁船が入り出した。ここは避難港に指定されているので仕方がない。ただ入り江一杯に入られてしまうと出港も入港もできなくなる。
 僚船はレースにエントリーしていて、決行の知らせがあったので出ていく。そうすると我々ものんびりしているのもナンだ、ということでレースを見に行くことにした。
 油壷を出ると、相模湾に面した荒井浜の横が磯場になっていて、そこに打ち寄せる波の飛沫(しぶき)が結構な高さで驚いた。この微風にどうしたことか。

こんな感じ

 その謎は直ぐに解けた。いつもは見えている大島のあたりから千葉方面まで水平線上にビッシリと積乱雲がつながっていて、まるで前線ができているようだ。更に恐ろしいことに大島や湘南の江の島が水平線に溶け込んでしまう。台風のうねりが、本体はまだ小笠原の南にもかかわらず押し寄せているのだ。3m位の高さの大きなうねりが長い波長で来るために、ヨットの目線では波の間に入ると周りが見えなかったのだ。磯に打ち付けられた飛沫が高かった訳だ。
 レースは風が無くて苦労していた。
 港への帰りに疑似餌を流しているとシイラがかかった。カツオかと思ったが引いたらグリーンに光ってガッカリ。すぐにリリースしてやった、もう来るなよ。

 ところで、港に帰ってきて天気図をみると台風はでかくなっている。やはりスキッパーの判断は正しく、南水平線上に沸き上がっていた雲は台風の最も外側の雲だったのである。
 12日。やや曇り、のち通り雨、快晴。こういうときはどうすればいいのだろう。スキッパーは『好きにしろ』と匙を投げ、僕達クルーは朝からビールを始めた。
 こうして夏は過ぎて行き、僕達は年をとり、この巨大台風をやり過ごすと風が変わってしまう、秋の風になってしまうのだ。
 いつの間にかビールは焼酎になり、岡にいるのと変わらない酔っ払いができあがっていた。
 
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風と波と潮と

2019 MAY 5 7:07:20 am by 西室 建

 船に乗るという行為は、果たして行先がない場合は何の意味もないのだろうか。『フライング・ダッチマン』という幽霊船の伝説はワグナーのオペラにまでなって人口に膾炙しているが、永遠に港に入らない航海があったら乗る人は・・・。
 阿川弘之のクルーズエッセイに(大金持ちの未亡人かと思われる)乗船したきりズーッと乗り続けて降りない人の話を読んだ覚えがあるが、そういう人が何かの拍子に亡くなったら水葬してもらえるかな、タダで。
 僕は島影も海岸線も見えないクルージングは、ヨットで最長3昼夜までだ。それでも陸が見えた時はホッとした気分になった。八丈島への航海では御蔵島と八丈島の間でしばらく島影はなく、黒潮の北上に押されて時間はけっこうかかるが距離は約75kmでしかない。

 連休の海は、いつもナラエの(北東の)凄い風が吹くので迷ったが、久しぶりに海に行った。雨である。三々五々とクルーが集まって来るが船を下ろして舫った時点でこの日は出ないことに決定。夜はゴーンと冷えてガタガタしながら寝た。

あっ 雪が

 翌日、寒い。
 防寒具を着込んだ他の僚船が次々と出港するのでもう後に引けなくなった。
 で、油壷湾をでると、真っ白に雪化粧した富士山までクッキリと見えた。夕べ降雪があったのだ。
 風はと言えば南の微風だ、しめたっと針路を東に向けて城ケ島大橋をくぐる。
 ところが東京湾に入った途端に天気は一変した。おそらく低気圧が抜けてしまったのだろう、白波が立つほどの北東の風に変わった。
 貨物船は10連休も関係ないからデカい船も通る。意外と速い上にウェーキもきつい。バシャバシャと被りながら南総の港を目指した。
 横浜の方からけっこうヨットが上って来る。急がないと船が着けられないぞ。
 浮桟橋の船溜りに、あー寒かった、と舫って一服していたら40フィートくらいのデカい奴が入り込んで来た。オジイちゃんが3人で操船していたが港の奥まで行ってターンしてきた。それが結構なスロットルでスーッと向かい側のプレジャー・ボートに寄って行ったかと思ったら、そのままの勢いでダーンと当てた、何だあれは。一人がスターンの方に駆けよるのだが、謝るのが先だろう。当てられた方は行き足が止まらずその前の船にも突っ込みそうになったが止まった。慌てた慌てた。
 ところがその当てた方はそのままアスターンをかけて、クルリと向きを変えるとまた港の奥の方にウロウロし出した。あれ、まさか側に来て横抱きさせてくれなんて言われたらイヤだぜ、と見ていると錨を下ろして停泊するではないか、何だコイツ等。
 ボートが向かって、何かの話がついたようだった。そしてその船は出て行く。どうなってんだ。保険で修理させるだろうが、出際にペコペコするぐらいでいいのか。

 夜、近くのスーパーでその日に釣れたような鰯や鯖を買ってきて船の上で焼いて食べた。昼間見た事故の話になったのだが、あの船は(無論名前を見た)今後南総・相模湾・伊豆七島のどこの港でも相手にされないだろう、という結論になった。こういう噂は足が速い。例えば

山崎豊子さんの取材力


 すると(まぁ入港はできるにしても)その港では他の船の冷たい視線を浴びるはずだ。海を愛する人間だったら耐えられないだろうに、あいつ等は平気かな。

 その晩、昔港にいた海にしか生きられない、岡では生きていけないオッサンの思い出話に花が咲いた。

海の上の人生 ホントかよ

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海の魂鎮め

2018 JUL 24 23:23:46 pm by 西室 建

古色蒼然

 

 東大の三崎臨海実験場という施設が油壷湾の入り口にある。
 明治19年と生物研究施設としては早い時期にスタートし、明治30年に現在のの地に移って来た。この歴史的な建造物は昭和11年、関東大震災で被害を受け建設された。
 敗戦後に米軍に接収されていたこともある。
 この本館が老朽化し取り壊しになる。仕方がない事だがもう何十年も慣れ親しんだランドマークが取り壊されるのはこちらが年をとった証左だな。
 また、ここは戦国時代の三浦氏の居城があった所で、三浦氏は鎌倉時代から何度か再興したが北条早雲によってこの地で滅亡。一族郎党の血で赤黒く油を流したように見えたので油壺といわれた(らしい)。そのせいか亡霊が出るという噂はかなり古くからあった。

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 こちらはその対岸に当たるが、写真左のマンションでさる鬼畜が外人女性を殺害し、右側の海岸奥の洞窟にコンクリートで埋めた。
 また隣の小網代に外国人に殺された女性の遺体が上がったこともある。
 この美しい入り江で何てことをしてくれる。

 その昔、もう少し南の方で学習院大学のヨットが遭難して、麻生財務大臣のすぐ下の弟さん他5名のクルーも亡くなっている。
 こういう話は日本中の海にはいくらでもあって、だから祟るだの縁起が悪いだのとは言わない。海坊主はいるが怨霊は海にはいない、そもそも似合わない。海のスケールが亡霊を圧倒するのか。

 その大きな海でマイクロ・プラスチックのゴミ問題が今頃言われ出したが、沖合でペットボトルやコンビニ袋が漂っているのは腹立たしい。海を汚す不届きものは海に呑まれてしまえ。
 記録的熱さは海の上も同じだが、幸い今日は風が強い。
 さあ、ジブを張った。風上に一旦舵を切ってメインセールを上げるぞ。

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下田へ 航海(後悔)先に立たず

2018 JUL 11 19:19:56 pm by 西室 建

 本当はあまり面白くないネタである。
 下田へのヨット航海の話(のはず)だ。私はヤボ用があって帰りのクルーとして乗り込むつもりで週末に陸路下田に向かうことにしていた。
 台風を心配したが早い時期に九州北部から日本海に抜けたので、まあ良かろうと計画通りにヨットは出港した。
 ところが、その台風の影響は相模湾に残り続けおまけに風は強い。航海計画そのものは充分に余裕をみていたが、スキッパーが出た途端に向け先を変更し『一発で下田まではキツいようなの船を伊東に入港しようかと相談している』とのメールがすぐ入り、夜になると『途中の海上で雨に降られたので結局真鶴港に停泊している。あしたには下田に回航して待っている』との連絡だった。私は別の真鶴でも構わなかったのだが明朝判断しよう。
 すでに梅雨は明けていて夏だ。ご承知の通り入道雲がムクムクと頭をもたげてくる季節、この入道雲は傍目には輝かんばかりの夏の風物だ。見た目には。
 岡から見ている分にはいいが、海上でその下あたりを突っ切るのは実は大変なのでで、風は変わるわドシャ降りになるわ。

 そして移動日に自宅から小田原まで行き熱海で特急踊り子に乗り換える。熱海では晴れているが相模湾は霞んでいて、というか例の入道雲がグロテスクな姿を見せていてイヤな予感がした。
 船からは『真鶴出港。本日天気晴朗なれども波高し』と日本海海戦のようなメールは来ていた。
 しかし熱海を出て伊東を経由したあたりから、はっきり言って雨が降り出したのだ。これはマズい。航路から言ってメールは入るはずだから携帯を握り締めながら私は焦った。即ちヤル気を失ったクルーが下田を目指すのを諦める可能性が高い。しかもこの荒れようでは(白波が立っている)安全を確保するためもあって私の都合など問題外でスキッパーは航海を中止できる。それに対して異議は唱えられないルールになっているし、似たような事は何度も起きている。直近は神津島であった。
 

神々が集った島 神津島航海記 後編


 また、熱海港では宴会に参加していた者が出港時間に行方不明になった。その際には荷物積んだまま人は置いて行ったこともある(当人は翌日フェリーで大島に合流)。
 そして伊豆急下田駅に着く頃に『風雨収まらず下田は諦める。悪しからず』と連絡が入った。
 こういうのを仕方ないと言うのだ。せめて稲取にでも入ってくれれば今から移動できるがメールには書いて無い。大島の岡田港かもしれない。恐らく南下するには風が悪すぎたのだろう。実際には直ぐに帰港を決めていて私に行くフリをしていた疑いはあるものの、諦めて旧知の温泉宿に連絡したら運よく泊まれた。

 すると西日本はとんでもないことになっているではないか、気の毒に。
 風呂に浸かってツラツラ考えた。スキッパーの悩みも深かったはずで、おまけに波・雨・風に晒されたクルーの苦労は私が電車でイライラしたのとは比較にならない辛さである。ここでのんびりしている私は感謝こそすれ恨みがましい事を言ってはいけないのだ。各地で被害が広がりその救出に慌しい時に無謀なヨットの遭難などで世の中に迷惑をかけてはいけない。むしろ帰港は英断だ。
 宿は温泉ではあるが民宿よりもマシという侘しさ。湯舟も銭湯より狭いくらいで三人は入れないから足を延ばすことはできるが外は見えない。雨の音が聞こえるだけだった。

こんな感じ

 ところが次の日も雨。そうなるとすることもない。だが本来であれば船に乗っているはずなのですぐに帰るのもナンである。いい機会だからとメシ時に天気を睨みながら外に行き散歩がてらビーチに出た。下田は砂浜は少なく投宿先からは結構な距離だが歩いた。時折ハラハラと降って来る雨粒を受けながら波に足を浸した(ビーサンは宿で借りた)。
 今回このマヌケな顛末でも書いてお茶を濁すつもりだったが、それどころではなくなった。ニュースでは大雨の被害は川の氾濫と土砂崩れで犠牲者も。停電・断水・浸水の大災害になっている。
 降り始めからの雨量が1000mmとは1mもの水量があるエリアに集中したことになる、おっそろしい。陸地に降るからあんな悲劇が起こる、海に降ってりゃどうってことないものを。
 そして、また温泉でふやけていると『数十年に一度の・・』と気象庁予報課長が必至に訴えたにもかかわらず想像を絶する被害が続々と報道されだした。こうしている場合じゃない、と酒も何も止めて自分だったらどうするかを考えてみた。
 さしせまった重大危機からサバイヴするにはまず『これなら助かる』などと考えずに最小限の物を掴んで逃げる事なのだろう、携帯・お金。考え出したらキリがない。
 喜寿庵という山荘で週末過ごす事が多いが、そこは断崖の上に立っているから土砂崩れに遭ったら押し潰されるより流れ落ちていく。逃げだす所はどこだ。
 自宅の場合は広域避難場所が直ぐ近くだが、あそこは原っぱだから雨具・・・危機に当たってはそんな余裕はないではないか。
 事務所は・・・・。

 いてもたってもいられずに東京に舞い戻ったが、目を覆う惨状に言葉も無い。自衛隊・消防・警察の不眠不休の努力に敬意を表するとともに、犠牲になられた方の冥福を祈るばかりである。
 一つだけ。洪水に見舞われた岡山県真備(まび)町の映像の中に『吉備真備(きびのまきび)公生誕の地』という看板が映り込んでいた。遣唐使として派遣され鑑真和上と帰国したあの吉備真備はアノあたりの出身だったのか。それにしては『まきび町』ではなくて『まび町』と読むのは何故かな。
 
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セールを上げろ!

2018 MAY 9 19:19:00 pm by 西室 建

 連休は風が悪くてセーリングには不向きだと言われている。結構寒いし。
 それがこの真夏日にもなろうという地球の狂い方に、今年はどうだろう、とハーバーに。

 ところで加山雄三の光進丸が焼けて沈んでしまった。会見で涙ぐんでいたが、あの気持ちは良く分かる。長年連れ添ったパートナーを失ったような悲しさと言っていた。
 しかしここだけの話。『オレがここに光進丸を泊めていれば観光資源にもなるだろう』との理屈で係留料を全然払ってない、という噂が根強かったけど。事実相模湾にいたときはそれに近かったという話だった。
 アノ手の有名人は周りがチヤホヤして多少我儘が効くため、地元の一部からは大っぴらに表には出ない話はある。かの慎太郎センセイも油壺では・・・。
 しかし光進丸は実に美しい船型で、間近でみると我々34フィート・クルーザーからは駆逐艦のような威圧感だったが見とれるほどだった。
 保険には入っているだろうが、あの規模の船をもう一回造る気力はあるだろうか。維持も大変だし。

回航されたレース艇

 久しぶりに会う我が愛艇は物凄い風の中でユラユラと漂っていた。
 何しろ予定されていたレースが中止になり、参加するはずの船はみんな待機状態。クルー達はヒマを持て余してガバガバとビールを空けて焼酎までやっている。
 着いたのは昼前だったがみんなもう酔っ払っていて晩飯の相談をしていた。
 まぁ何だかんだいっても追いかけるように僕も飲みだしたのだが出遅れ感は否めず、ぼんやりと海を見ながらロープを手慰みに結んだりほどいたりした。
 丁度陸揚げする船を見上げて改めて、丸みを帯びたヨットのボディは色っぽい、だから女性名詞なのかと思った。
 これはセクハラにはならんでしょうな、今時注意しないと・・・。

 ヨット愛好家の女性も多いが、皆さんなかなかお美しい。
 このハーバーで知り合ってゴール・インしたご夫婦もいらっしゃる。
 にもかかわらず僕の周りには浮いた話がまるでないのはどうしたことか、謎は深まるばかりである。

 そうこうしているうちに風は益々強くなり冷たくなっていった。
『これは明日も中止になるだろうな』
 誰かが口走ってしまい、これで歯止めを失った僕は本気モードで泡盛を飲みだした。

 オーナー仲間は先日10日程、ニュージーランドまで行き、オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・カナダ・ロシア・日本の六か国クラブ対抗のレースをやってきた。
 映像を見せてもらったが各国参加者の年齢は高い。レースは3日間行われたが、毎晩の楽しそうなパーティーやピクニックといった催しが凝っている。日本チームが『炭坑節』で盆踊りをやると各国全員が輪になって踊っていた。『コール・マイニング・ソング』と訳して大受けとか。
 ホーム・ステイしたが、全体的にボランティア精神というか運営にかける情熱が感じられて、こういうのをヨット精神というのではなかろうかと思わされた。しかしこれ、日本の番が来たときはどうするのだろう。あんな家に住んでるのはいない。
 次回は二年後にナホトカ。今回ロシア艇は接触して失格だったからがんばるだろう。ナホトカでヨット・レースってイメージはないのだが。

 夕日が沈んでいく。これも贅沢な時間と言えなくもない。
 ヨーシ、オレも気高いヨット・マンに生まれ変わりあしたはどんなに風が強くてもセールを上げるぞ!

 (結果はやはりレース中止プラス二日酔いだったとさ。今年は未だにスピンはおろかメイン・セールを見ていない、ダメだこりゃ。)

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舵をとる 風にのる 

2017 DEC 23 19:19:20 pm by 西室 建

「どんな場合にも帆は風に逆らうことはできないが、吾々はただ風に従うことによって風に逆らうことが出来る。人間は無理を聞くかも知れないが自然は決してきかない」
 慶應義塾塾長、小泉信三がヨットについて遺した言葉である。けだし名言だ。
 小泉は昭和八年に45歳で塾長になったが、当時体育会は23部あった(現在は43部)。週に一度はその全ての練習を見回ったと言われているが、ヨット部の体育会加入は13年なので葉山の練習を見たのかどうかはよくわからない。
 しかし冒頭の表現はヨットの本質を鋭くとらえていて一流のスポーツ愛好家であることが良くわかる。
 天気予報の精度向上によって昔に比べれば風向きはある程度正確にわかる。更にヨットの熟練の乗り手は季節感や地形による癖を知っていて「この時期は~の風が吹く」などと言いならわす。
 ブルー・ウォーター派のようにロング・レグの航海を楽しむ人やレースに挑むチームと船によって色んな楽しみ方ができるのもいい。
 その昔は行き当たりばったりに出港して風の向きによって西に行くか東に行くか決める事が多かった。三浦岬の真西が伊東で真東が保田に当たる。普通はハーバーに連絡をして予約やらするのだが、適当に入港して台船に掴まったりした事もあった。

浮き桟橋から

 今年は個人的事情でロクに航海に出られなかったが、一年の安全への感謝と忘年会に行った。
 みんなでセッセと甲板やハルをピカピカに磨き上げ、充分に潮抜きをする。
 浮き桟橋に寝転んで覗き込んでいると、夏よりは透明度の高い海に小魚はセコセコ、ボラはユラユラと泳いでいた。水は冷たい。
 メリー・クリスマス
 じゃなくてハッピー・ホリディ
 冬至は22日だが日没は今月の頭より2分ほど遅く。
 シャンパン・ビール・焼酎

寒風は メリークリスマス と海渡り
       水鳥潜り ボラ飲み込んだか 

 もうこれからは風を切って上る航海は止めて、追い風にのって流れていたい。アッそれじゃヨットじゃないかな。

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夏本番 昭和は遠くなりにけり

海の上の人生 ホントかよ

2017 DEC 18 21:21:10 pm by 西室 建

 ヨット・ハーバーで知り合ったのだが、みんなからは『鮫さん』と呼ばれていた。小柄で真っ黒に日焼けし、白髪と髭を延ばし放題にしていた。
 湾内のボート・ハウス(水置き)に住んで、時々頼まれるとクルーとしてヨットに乗って操船を手伝う。僕達の船でもスキッパーをやってくれたが風の読みが抜群にうまかった。
 40年程前に太平洋を往復したと言っていた、但し一人ではない。こう言ってはナンだがシングル・ハンドはさすがに滅多にいないが、クルーを組んでの横断はその時点でそうめずらしくもなかった。
 酒は飲まない。それでも僕達がデッキでガブ飲みしていると「おじゃましてもいいかな」と言ってヒョコヒョコ現れては仲良く過ごした。このヒョコヒョコというのは本当にそういう歩き方で、最初は障害でもあるのかと勘違いしたがそうではない。歩いたり走ったりすることが下手らしい。暫く喋ったあとには『岡酔いしてしまう』と言ってボート・ハウスに帰っていった。
 そして気になることを何回か言った。もう忘れてしまうかもしれないのでその不思議な老人の昔語りを書き残しておきたい。その「鮫さん」の数奇な人生を。

『ワシは実は教育を受けてない。漢字は書けないんだ。もう少し言うとワシの家はみんな戦争まで戸籍もなかった、戦争ってあの大東亜戦争な。いや、本当だよ。ワシの両親・オヤジの弟、ワシの兄貴と妹と陸(オカ)の上に住んだことがなかったんだ。昔は瀬戸内の方にいて多分海賊みたいなことをやっていたんだと思う。爺様の代には一族で塩とか石炭を九州から大阪へ、大阪からはありとあらゆるモノを九州まで持っていく今で言えば海運業だった。
 これは儲かるカラクリがあって、当時の秤量なんかいいかげんなもんだから荷抜きをするんだ。荷抜きといっても船は人家族単位の小さい汽帆船だしそんなに大量にはできないが、そこが付け目だったんだよ。
 あんたも知っての通り貨物船は夜に走る。荷役は日中だから夜に移動するのが普通だろ。だから金があったって使い道は大してない。バクチが流行る訳さ。女だって岡に上がらなきゃ縁はない。だから大概は一族の間で嫁取りをする。何しろ船酔いなんかされた日には使いもんにならんだろ。
 代々そうしてるとやっぱり血が濃くなるんで時々岡の女をかっさらってくる、ワシのお袋がそうさ。
 それはそうだとして、あの戦争のおかげでこっちはもう一貫の終わりと思って最期のあたりで家族と別れて海軍に入った。そこでやっと国民になったんだ。海軍さんももうダメだと分かってたんだろうからいいかげんな話さ。税金なんか一度も払ったことの無い、字も書けないのを使わなきゃならないんだから。えっ勤務?震洋って知ってるかい。ひどいもんだよ、ベニヤのモーターボートに爆薬積んで敵艦に突っ込む特攻隊だよ。250kgだったかな、爆薬は。ただ直前で飛び降りる訓練はしてたからゼロ戦の特攻よりはマシだね。その本土防衛隊がここにあったのさ。ワシ等はウネリにも慣れてるし海でしか暮らしてないからどうってことなかったけどあんなもんで戦争かよ、とは思った。そうそう『マルヨン』って呼んでたな、なぜか知らんけど。
 訓練なんかどうってことはなかったし、海の上は庭みたいなもんだから潮の流れも風の向きも皆分かる。けっこうウデが立つってんで班長に抜擢された。
 そうそう、その時初めて苗字をもらったというか名前はなんだ、って話になって鮫島を名乗ったのさ。ウチの海賊時代からの屋号が『鮫』だったから。それまでほとんど海の上で家族としか付き合ってないから苗字が何かなんて考えた事も無かった。港でたまにおやじの兄弟の船と行き交うと『鮫』とか『鰯』とか屋号で呼ぶのさ。『鰯の良一』とかね、こいつは従兄弟にあたるんだけど。
 負けちまってヤレヤレと思ったけどその時の陸(おか)暮らしが堪えたの何のって。眠れないんだよ。こりゃ金輪際岡に上がっての生活はいやだ、と。
 部隊は解散、家族はどこだか分からない、ワシは字も読み書きできないから仕事なんか無い。どうしたかって?
 横須賀でウロウロしてたらまぁ何とかなった。海軍さんの解散騒ぎの後に米軍が来て、その頃英語が達者な奴はいないから作業員でネイビー・ベースに潜り込んでた。
 こっちは日本語の読み書きができないけど英語は若かったからヤンキーの話を聞く・喋るはそのうちどうにかなったんで軍属っていうのか、まあ雑用をやってたよ。シャークってニック・ネームで呼ばれてた。
 ところであんたらは海は陸を隔てるものと考えるだろ。ワシ等は逆なんだ。港を繋ぐものだと思ってる。先祖はまぁ瀬戸内の方だけどハナから故郷が陸にあるとは思ってないから土地の所有概念がないんだ。実を言えば国境だってあんまり関係ない。沖縄に行ってごらんよ。台湾からいっぱい来てたよ。ワシ等に言わせれば北方四島だって地元の奴等は、特に海の連中は行き来してるに決まってる。戦後負けちゃったんで拿捕されたりもしたけど。

今ではライトアップ

 そもそも感覚が違うから皆が有難がっているものなんか何とも思わないんだよ。子供の頃は宮島の鳥居なんかをくぐって遊んでた。昼間は観光客が見てるからヤバいけど夜になって真っ暗だとまず人目にゃつかない。陸の連中があんなにペコペコしてる所を、ワシ等は神様じゃ、とか思ったもんだ。
 言葉だって今でこそこうして喋ってられるけど、行った先の言葉なんか分からないのが普通だったから、今から考えると家族の中じゃ”日本語に近い”別の言葉で会話してたんだな。『しーおそでしめらまっそう』なんてわからんだろ。『うみがあれてきてかえろう』って意味なんだが。
 それに正確なことは知らないが古来水上生活者は税金の対象外なんだってさ。今だって東京のお堀にあるカフェだのボート小屋なんかみんなタダらしいよ。不法係留船舶なんかそこで暮らしちまえば何とでもなるさ。要するに税金は土地にしかかけられないようになってんだ。オットあんまり喋るとマズいけどね。
 結婚?冗談じゃじゃないよ。イイ娘はいっぱいいたけどさ、ワシは住所不定だよ。
 アンタさ、ワシにもしものことがあったらちゃんと焼いてこの海に散骨してくれないか、イヒヒヒヒヒヒ』

 この爺さんもボート・ハウスもいつの間にかいなくなってしまった。

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行く春や 昭和は遠くに なりにけり

行く春や 昭和は遠く なりにけり Ⅱ

今はもう秋 港で思ったこと

2017 OCT 21 9:09:13 am by 西室 建

雲が流れます

 

 ハーバーでバーベキューをしないかと声を掛けてくれたので、久しぶりに海へ。
 ところが着いた時点でもこの天気。
 厚い雲が二層になっていて、下の方の濃い雲がビュンビュン飛んで行きます。
 今年は色々とあって夏の航海にも乗ることができませんでした。
 港に降りて浮き桟橋から眺めていると、ボラがグジャグジャと泳いでいます。あ~あ・・・。
 調度帰ってきた仲間の船が接岸しました。

凄く速い

 「いや風はドン吹きで白波はザバザバ被るし、とてもとても出られたもんじゃない」
 等とヤル気を失くさせてくれます。
 実際に恐るおそる湾の出口まで行って荒れた海を見て成仏しました。
 まぁ、予報もそうでしたし。
 気を取り直して・・・ビールを開けました。

何と!

 久しぶりに会ったクルーに聞くと、夏のアイランド・ホッピングは荒天で頓挫したようです。
 出だしから雨・風に叩かれ大島の波浮に避難し、降り込められた後に下田までは行き、そこで力尽きたそうです。
「来年は新島でも」
「いや式根も」
 とやっていたら、アレヨアレヨという間に雲が切れて青空まで、今更何だ。
 もう既にビールに飽きてウイスキィになっています、もう出られない。
 しょうがなくてデッキでウトウト、汗ばむくらいになりました。

 今はポカポカしている秋空も直ぐに暮れてしまう。11月下旬の日没は四時半です。もうすぐガサッと葉が落ちてきて舞うでしょう。クマは冬眠します。
 人間も冬眠できたら食糧事情も人口問題も解決しますかねぇ、よくSFで宇宙船なんかの低温カプセルに入って長時間のワープをしてるじゃないですか。

ドカーン

 「焼けたよ」
 の声が掛かってモソモソと起きると大量のラム。
 するとどこかからラム酒が。
 サトウキビの焼酎ですね。
 ラム酒を水で割ったものをグロッグと言います。
 英語でベロンベロンに酔う”グロッギー”はそこから来ていると聞いたことがあるような。
 別にラム酒でなくても”グロッギー”にはなりますが。

 どういう訳かこの辺りで記憶は途切れ、翌日は船のキャビンではなく自宅のベッドで目が覚めました。

 つらつら考えるに、最近良くないことばかりですっかり弱気になっていますが、原因が分かりました。
 それは・・・・単に遊び過ぎです。

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無駄の勧め (今月のテーマ 無為自然)

おじさんが遊んで暮らす十ケ条

この海が教えてくれた 波間に揺られて

伊豆の下田に 本年初航海

この海が教えてくれた 波間に揺られて

2017 AUG 9 23:23:18 pm by 西室 建

 最近は介護と仕事と農作業に励んでいますが。
 この話複雑で、色々なことがいっぺんに押し寄せて来たようです。いよいよ始まったか、人生最後のドタバタ・ステージが。
 ありとあらゆる困難とツキの無さと金の切れ目が身の廻りを飛び回っている感じですか。これは今年いっぱい何もするな、という天の声でしょう。
 するとどうしたことか、人と会うことがめっきり減りましたね。飲みにも行きません、というか行けません。
 ヒマ人の繰り言に聞こえるかもしれませんが、不思議と気ぜわしい。誰にも会わないのに何かが追いかけてくるような恐怖感というのが一番近いかもしれません。ひょっとして物の怪に取り付かれているのでは。

湾の入口(クリックして下さい)

 海を見に行きたいなぁ。
 矢も楯もたまらずハーバーに出かけました。ウィーク・ディなので人も少なくチョコッと船を出します。真夏の太陽に焼かれるのはつらいな、と思っていたらいい塩梅に曇ってきました。
 ところが湾を出てみるとウネリもないのに18~20ノットのいわゆるドン吹きで、セールは上げられそうもない。沖にはいかずにポンツーンに舫って暫く海に浸かっていました。

春夏秋冬不思議譚(熱すぎる夏に干からびる恐怖)

 このブログからもう何年も過ぎたのですが、本当にこうなりそうでチョット怖い。
 海水浴場のようなビーチと違ってズーッと目線が水面と同じですから、ユラユラと漂う感じで(浮き輪に入ってます)考え事ができるのです。
 これからどうしようか、ほっておくとオレはどうなっちゃうのか、親しい人々の行く末はどうか、野垂れ死にしたら家族は迷惑か。
 広い海にポツンと浮いて空を見ていると孤独感は感じません、淋しくない。
 結局”自分”という概念は様々な紆余曲折をもってこの海に”点”として漂っているばかりで、本人が消えてしまえば今見ている世界も消えてしまうように思えるのです。過去と未来の境目に浮いていながら。

3分後の世界は見えているのか

 1時間ほど経ってようやく船に上がると少し寒く感じます。
 ところで湾内といえども潮は複雑に流れていて、浮き輪には長いロープをくくりつけていますが、チョットびっくりするような方向に流されます。お子さんなんか絶対に夜の海で遊ばないように。おじさんも二回ほどアワヤと言った時がありました。

 午後も遅くなっても日差しは強い。晴れてはきたようですが、湾内は切り立った山肌を映して暗くなってきました。
 周りに誰もいないのでデッキに上がってからもズーッと考えていると、今度は昔の事を思い出すようになりました。
 今はもういない人達、取り返しのつかない失敗、40日も入院していた事。
 そしてハッと思うのです。これからはそういった記憶が積み重なり過ぎて、失っていく記憶の方が多くなるだろう、と。

 揺られても 揺られても尚 波の中
        海と空とは どこで溶け合う 

 まぁいいや。言われなければ思い出さないことは忘れてしまえ。悲しむほどのことじゃなかろう。断・捨・離かぁ、この海が教えてくれました。

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今はもう秋 港で思ったこと

おじさんだって前向きに生きる 


 
 

日向ぼっことなったヨット

2017 MAY 7 10:10:20 am by 西室 建

 例年この時期は真鶴港に行っていたが、今年は休みが長すぎてクルーの都合が調整できず油壺湾内に係留しっぱなしである。連休は風が悪い、相模湾のヨット乗りに秘かに伝わる伝説だ。ギシギシ鳴るくらいの上りの風(向かい風)にかしぎながら船を操るのも醍醐味であるが、今回はやめておこう。

浮桟橋から入江へ

 油壷に着いてみると夏のような日差しに目が眩みそう。久しぶりにオーナー仲間と挨拶して少し沖に出た。すると湾内では気が付かなかったが珍しく強い南風が吹いている(ハエの風という)。
 実は今年の小笠原レースのフィニッシュが明日の夜明けのはずなのだが、これではかなり早まってしまうのではないか。我が艇のオーナーの内二人がレース委員をやっているので、フィニッシュ・ラインのマークを打ったり、何より次々とやって来る参加者全員分の豚汁を作らなければ。
 するとタイミングよく八丈島の仲間から連絡が入り最後の船が島をかわして行ったのを視認した、とのこと。確かにロール・コールではトップの船はもっと早い時間に通過していて、船速は対地9.8ノット!
 今では黒潮の蛇行の予測ソフトもあって、房総あたりから巻いた離岸蛇行のはずなのだが9.8ノットとはどういう風を拾ってどんな潮にのったのか。小笠原から3昼夜かからないとは驚異的な速さである。
 スキッパーが計算すると今夜の10時頃にはフィニッシュしてしまう。のんびりセーリングしている場合ではない。すぐに引き返して材料買い出しに行った。

湾の最深部

 帰って来ると、各艇のサポート・メンバーがやはりレースが早いので集まりだしていた。関西ヨット・クラブ(神戸)の会長もみえて宴会が始まってしまった。
 こうなると僕はだらしない酔っ払いになって役に立たない。
 しかもこの日は最初からウオッカをガブ飲みして、役に立たないどころか迷惑になりそうだ。おまけにデッキでうたた寝してしまいヒリヒリするほど日に焼け、それで目が覚めた。この時期の紫外線は夏よりもキツイ。
 夜半のフィニッシュの足手まといにならないように、一人で帰りましたとさ。

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伊豆の下田に 本年初航海

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