Sonar Members Club No.36

カテゴリー: ヨット

台風の通った相模湾を渡る

2024 JUN 8 0:00:11 am by 西 牟呂雄

 なんと間の悪い。恒例の油壷ー伊東レースが、台風直後の6月1日に行われた。前日、土砂降りの中、船を下したが、準備も何もレースが成立するかどうかも分からない荒れた天気で、台風は通過しても雨・風・うねりは残るかと暗澹たる気持ちになった。我が艇はレース・ボートではないのであんまりうねりに叩かれると規定時間内に入港できず、リタイアにされる公算が高いのである。
 そう思って朝起きてみると何と風はない。油・水・ビール・ウィスキィ・食料を積み込み出艇申告し、レース旗であるピンクのリボンを括りつけた。本部艇にチェック・インをするため、スタート・ラインに向ってみれば鏡のような凪の海面である。我が艇はうねりにも弱いが、ベタ凪はもっと困る。凪では更に進まない。
 試練は続く。メイン・セールを揚げようとすると出ない!マスト内の巻き込み式なのだが、中で噛んでしまっていた。ボースンがリフトに乗ってマストを登り、色々手を尽くしてもダメ。スタート時間の信号が鳴った。
 ところが、あまりの風の無さに各艇ポジション取りに悩み一斉にフライングしてしまった。ジェネラル・リコールという再スタートとなる。こっちもはれどころじゃなく、メインはあきらめてやれゼネカーを出すぞスピンを揚げるぞとジタバタし、全く船は進まずに焦りまくっているうちに予告信号が鳴り、再スタートとなった。
 スタート後10分を経過した時点で冷静沈着なスキッパーが厳かに言った。
『エンジンをかけろ。我が艇はリタイアするから本部にコールしろ』
 全員全く異存なく、一部はニターッとした(僕が)。
 こうなったらエンジンをブン回していい所に船を付け、早く温泉に浸かろうと一瞬にして切り替わったのだ。

 後方で必死に風を拾い真面目にレースを戦っている僚船を見ながら、通常は6時間はかかる航路を約3時間で伊東に着いて入港祝いのビールを飲んで温泉に入った。
 ところがのんびりと船に戻って来ると、大モメにモメている。僚船のオーナーとレース委員がトラブッていた。
 レース委員会はあまりの風の無さにコースの短縮を決定したが、その際のフィニッシュ・ポイントは『北緯35度2分45秒 東経39度10分15秒付近』と決められていて、熱海から見える初島の北側である。ところがまずいことにこの日、同じような葉山~初島レースも行われ、そのフィニッシュ・ラインもそのあたりだった。そこでレース本部は多少ズラしてラインを張った。この際、ピン・ポイントで狙ってきた船がラインを見誤り、多少行って来いとなってロスが生じたのだ。その時本部艇に向ってかなり激しい罵声が飛んだらしい。
 こういうこともあり得るので帆走指示書には『上記の位置はおおよそであり、位置の誤差は救済の対象にならない』と規定している。この『おおよそ』が問題とされた。
 そこから事態は複雑になった。罵声を浴びせられたレース委員会も頭に来たらしく、船名を確認するとその船の所属ヨット・クラブの会長に厳重注意の電話を入れた。そして査問を受けたそのクルーも激高したという話。話がつかずに、油壷のドンである我がスキッパーの所に持ち込まれた。こういう時『おおよそ』は困るのだ。
 まぁ、レースの最中だから興奮するのは分かるものの、品性に欠ける罵声は宜しくはない。その場でクレームのレッド・フラッグを揚げてレース成立後にしかるべき話し合いが行われるべき、という結論だ。

 モメごとを捌いて、伊藤市長も来賓として参加する歓迎パーティーに臨んだ。
 ここだけの話だが、地ビールというのにあまり旨いものはない、とだけ言っておこう。

 さて、翌日再びセールと格闘して遂に引きずり出すことに成功、よかったよかったと港を出ると、真向いの東風を受けた。真上り、と言ってとても帆走できない。しかもよく見るとセールの一部が破けている。これは・・・・。このまま風に逆らわずに行ければ持つのだろうか。
 案の定、破れ目は伸びてしまいこのままでは裂けて修理不能になる。今度はあわてて下ろしてたたむ。思えばこのセールも、十年以上良く働いてくれた。僕達のムチャな航海にも付き合わされて波飛沫を浴び、寒風の中を何とか安全に港へと運んでくれたのだ。これで寿命かとなると葬式でも出してやりたくなる。いや、むしろ捨てずに喜寿庵にでも持って行ってハンモックにするとか日差し除けにでもならないのか。そう言えば物置の奥に押し込んだ、もう使わなくなったゴルフ・クラブとかスキー板のようなものを並べて眺めたら楽しいかもしれない。
 いや、他にもあるぞ、弾かなくなったギター、得体の知れないスパイク、使い物にならないノコギリ、と次から次へと頭に浮かんできて、暫し黙って海面を見つめていた。
 それらは人間の業のような・・・マッ、ただのゴミ・ガラクタだが。
 初島を交わし熱海に別れ告げ、真鶴半島を過ぎたあたりでは日が射した。夕べから飲み始めたウィスキィが2本が空いた。
 で、結局のところ往復ともセール無しの汽走になってしまい、とてもヨットで横断した気がしなかったが、安全な航海はできたことになる。帰港した途端に雨が降り出した。
 セールよ、ありがとう。
 もう梅雨だな。

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海と船と釣り

2024 MAY 3 23:23:42 pm by 西 牟呂雄

 サボッてばかりでは船に申し訳ない。コーキングもしなかったし。
 久しぶりに会った愛艇アール・コンシェルジはさすがに機嫌が悪そうだった。彼女(船は女性名詞だから)はプライドが高い。僕は愛想笑いは浮かべずに、そっぽを向いている彼女に近づいて行き『相変わらずキレイだなぁ』と語りかけるように独り言を言う。その後桟橋からポンッと飛び乗って『久しぶりに会うとどんなに素晴らしい船なのか改めてわかるな』とわざとつぶやくと、ユラリと船が揺らいだ。どうやら機嫌は直ったようだ。

 朝方多少グズついたが曇り空で時々日が差す。多少寒いがセーリングはできる。と思ったらいきなりトラブった。我が艇は水のタンクが舳先にあって50Lくらいの水を積むのだが、あまりに久しぶりなのでその水を抜いた。すると電動ポンプがエアを噛んでしまって水が出ないではないか!これでは長い航海はできない(しないけど)。それで配管を開けて試してみたのだが、パイプにクラックが入っていた。パイプは塩ビの特注で手配はできない。あれこれ考えて水道配管の部品で付け替えることにして、カインズホームまで車を飛ばして買ってきた。取り付けてみると・・・出ない。ポンプが空気を吸ってしまって圧がかからないのだ。口を付けて吸ってみたがダメ。どうやらパッキングが甘くて継ぎ目からまだ空気が入っているらしい。再びカインズホームでサイズの合いそうなゴム・パッキングを探す。

 やっとこさ水は出るようになった時点で夕方。
 ところがなにやらおいしそうな。
 仲間の船がバーベキューを始めていたのだ。
 僕達も酒・肉・野菜を持ち込んで仲間に入れてもらう。
 やっぱりこう来なくっちゃね。

 ここで衝撃的なニュースが飛び込んできた。
 別の船のオーナーさんが亡くなったと言うのだ。
 全員箸が止まってしまった。原因は事故だ、脳溢血だ、脳梗塞だ、と憶測が飛び交う。
 自転車が好きな人でスポーツ・サイクルで世田谷から油壷まできたこともあった。
 何より、明日の三浦~横浜のレースにもエントリーしていた。
 その船のクルー達は参加するかどうか悩んでいたが、故人の意思を汲んで決行するとしたらしい。
 追悼レースとなれば、我が艇もスタートくらいは見送らなければ、と早く寝た。

 翌朝。スタート地点は湾を出たところにあるブイだ。
 近づくとセールを卸している本部艇の周りにエントリー艇がポジション取りで旋回中である。
 ところがご覧の通り全く風のない凪。各艇スピンやゼネカーを上げて必死に風を拾おうと苦戦していた。
 長音が鳴ってスタート。それぞれの作戦に従って僅かな風に向ったり、なじんだりしていく。

 その中で故人が乗るはずだった船を見つけ、激励の声をかけた。
 すると、バウのところに故人愛用の合羽がまるで旗のように翻っている。
 彼らの友情や船乗り魂が伝わって来た。
 がんばれよ、の気持ちと共にご冥福を祈った。

 早朝のスタートを見送って、港に帰った。
 遅い朝メシを食べて一服してもまだ11時。あの風では横浜まで6時間では無理だ。僕達も今更出港しても遊べない。
 すると知り合いが声をかけてくれた。
 『釣りに行くけど来ない?』

 この人はハーバーのレースで何度も優勝している高速艇のオーナーで、釣り船の2軸船も所有している。
 僕は釣りはやらないが、この船には乗ってみたかったので連れてってもらうことにした。スクリューが二つあって右は右回転・左は左回転で推進する。ギアの操作だけでも細かい調整ができる船で、ヨットとはフロントの景色がまるで違う。
 風で苦労することなくドンドン進んでエンジンを止めた。
 水深40mくらいの所で波に揺られながら釣りが始まった。アンカーも打たずに漂っていると横波にはかなり揺れる。甲板で上半身裸になって寝ころんだ。

この画は借り物

 するといきなり『あっきたきた』と声が掛かってタモですくうと赤い魚が釣れた。高級魚、ハタだ。
 揚げた時にキラキラしていたがスマホが間に合わず画像は借りモノ。
 この人はもう一尾釣りあげたあと、やってごらんよ、と竿を貸してくれた。ヨーシ、オレも。
 疑似餌は赤いタコを付けてくれたが、他にも黄色・緑色の奇麗に光る物がたくさんあって、フーム魚にも好みがあるのかと奥深い。
 そしてサーッとリールを落としていくと着底したのがわかるのだ。
 それから疑似餌が生きているフリをするためにクイッ、クイッと引いては流す。
 すると、ピンと張った釣り糸の先の疑似餌の感触が、アッこれは何かをこすっているな、とかフワッと浮いたな、とか伝わるのである。

ちゃんと目もある

 糸は潮に流され船は風に流され、角度約45度の方向、即ち水深の√2倍の50~60m先の見えない海底を疑似餌は漂っていて、僕は手探りのようにその感触を味わった。
 一度だけググッといった感じで手ごたえがあったようだが、上げてみたら藻がついていた。
 場所も変えてみたが、その後は当たりもない。
 レースは横浜に行けただろうか。
 亡きO氏の魂も風に乗れたかな。
 クイッ、クイッ、クイッ・・・・

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波よ風よ雲よ

2023 OCT 16 20:20:10 pm by 西 牟呂雄

 インドから戻ったら日本は秋になっていた。風は爽やかに、そうなると海は透明度を増して、夕暮れは息を飲む色合いになる。それが見たくて波打ち際に行きたくなります。この時期、若大将カップといって逗子沖から茅ヶ崎沖のえぼし岩の往復を競うクルーザー・レースが開催されるので、そのスタートを見に行きました。

 前日に秘密基地(合鍵を借りている某氏の別荘)に行くと、眼前に広がる相模湾はご覧の明るさです。
 私はビール片手に風に当たりながら先日訪問したインドのことを思い出していました。
 従業員の女性達は大変貧しいですが、あの人達はインド高原の大地で形而上の世界を生きていて、こんな明るい海を見ることは生涯ないかもしれません。ですが様々な宗教的戒律とカーストに縛られつつ気楽に生きています。
 それと我々日本人の生活と比べることは無意味で、彼らを憐れむこともうらやましがることもありません。
 ただ時間だけは同じように過ぎ去って行くだけです。
 この明るい景観も遷ろっていきます。

 などと思いつつ一晩寝て起きたらこんな海になっていました。レースはきょうです。
 インド人もクソもなく海に出てみれば14~15ノットの強烈な北風でした。
 目指すのは江の島沖、北上しました。正確には北西に進路を取って江の島を右に見る頃にタックします。
 スタートには間に合いました。5分前予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)、1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)。
 応援している仲間の船は5分前にはスタートラインから大きく離れた海域にいて信号音と共にタック、徐々に風を捉えて満を持したスピードで飛び出しました。お見事!
 北風に対してアビームといってゼネカーというセールを出してフルスピードで進みます。仲間のレース艇は飛ぶように行ってしまい、江の島沖まで追いかけて僕達はホームに向けて北に舵を切りました。というのも天気が怪しく、今にも降りそうだったので。
 風が強くなると白波が立ってきて追い風で船足が7ノットと早まります。
 振り返るともう、えぼし岩を回った船が見えました。早いなぁ。

 波は基本的には同じところの海面が上がったり下がったりしているだけですから、うねりが動いているように見えても潮の流れとは関係なし。陸地の見えないセーリングではコンパスだけを頼りに、その怪しげに上下するだけの水面を見ながら舵を取ります。そういう時は操船に集中するのですが、心は宙に浮いたような気に陥ります。何も考えていないでボーッとしているのじゃないですよ。何と言うかやったことはありませんが禅の修行はこんなではないかと思えます。
 港に入るとホッとするような、何か掴んだようなリハビリが終わったような気分です。レースはこうは行きませんが、そっちは別の達成感があるでしょう。
 それは海上に出ると海の圧倒的な質量に抱かれるからでしょうか。陸から眺める海とは明らかに違っています。山登りも山の質感が同じ作用をもたらすのか、今度は久しぶりに喜寿庵からお城山(海抜千m)に登ってみようかな。
 アッ、手首にポツッと雫が。これから雨降りなんだ。

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酷暑の後始末

2023 SEP 1 0:00:17 am by 西 牟呂雄


 
 この暑さが影響を与えないはずもなかろう。
 熱中症で亡くなる人さえいるのだから。
 ファームの収穫も惨憺たる有様だ。
 この出来損ないのキュウリとナスを見よ。
 梅雨明けに撮れたジャガイモは親指くらいのチビ・ジャガしか採れず、誰も引き取らないので僕一人で塩茹でにしてバターを塗って食べているが、このペースだと来年まで消化できそうもない。芽が出てしまったら終わりだ。

去年の作品

 去年はこんなに見事な収穫だったのになんという事だ。
 ニンジンは全滅した。
 今年のこのキュウリとナスを最初に見た時はあまりの暑さに突然変異したのかと思った。キュウリは食べられなくはなかったが、ナスは硬くて恐ろしく不味い。

残ったナス&ピーマン

 更に、各地で水害まで起こったのにこの富士山北側は雨が少なくファームは乾いた。
 しまいにはご覧のようにわずかなナスとピーマンになってしまった。
 まるで砂漠にポツンと映えているサボテンを思わせる。
 何だか哀れだなぁ・・・。

 そもそも8月になる前からカナカナやツクツクボーシが鳴き出して驚いた。
 普通は盆明けである。

 海は海で台風のせいで大荒れが続き、船は降ろすのだが港からは出られなかった。
 お盆以降は風そのものが熱く感じられて全く爽やかでない。

酒池肉林

 それでは、とバーベキューで酒池肉林をやろうとすると、日差しも強いのでビールが直ぐに温まってしまう。
 破れかぶれになって海に飛び込むと、磯溜まりなどはぬるい。
 エアコンの効いたクラブ・ハウスに戻ってしまうと、もう絶対に出られない。
 これではハーバーに来ている意味などないではないか。

 私はツラツラ考える。こうまで異常な熱波は人間を堕落させ、農作物の収穫を減らす。聞くところによれば乳牛も肉牛も仔牛が弱ったりする被害が出ているとか。人間も影響を受けないはずがない。ただ、コロナ禍で3年を過ごした直後だから未だに顕著な状況が見えてこない。
 おそらくその影響は今後ジワジワと出るはずだ。どういう事態が襲って来るのかは分からないが、想像するに認知症の患者が増えるとか幼児の死亡率が上がるとか・・・。
 私の長年の研究テーマの一つに『認知症の患者は幸福を感じられるか』がある。というのもアルツハルマゲドン状態の脳は私が泥酔した際の全能感に包まれるのではないのかと仮説を立ててみたのだ。そうであるかどうかは自身の脳の衰えに沿った観察しかできないのでいささか手間がかかる。おまけに直近認知症を直す薬が認可されそうで、下手にそんなものが出回ったらボケるにぼけられない。どっちがいいのかと言えばそりゃボケない方かもしれないが、身体が利かなくなっても頭がはっきりしてるのもなぁ。

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レイモンド君 ヨットに乗る

2023 JUL 22 8:08:06 am by 西 牟呂雄

 喜寿庵にいたらレイモンド君親子とバッタリ会った。ヒョッコリ先生はいない。レイモンド君は大きな浮き輪を持っている。桂川にでも行くのかな。
『やあ、レイモンド君』
『オハヨゴジャマス』
『どうも、息子がいつもお世話になってます』
『大きくなりましたね。夏休みで帰国中ですか』
『はい。今度はひと月ほどこっちです。だけど暑いですねぇ。普段はロンドン暮らしなんで堪えますよ』
『いやこれは異常ですよ。雨も多いし』
『オニワデアソブ』
『あっ、ごめんね。おじさんこれから海に行くんだ』
 喜寿庵は山の中だが東富士五湖道路が御殿場まで通ったおかげで東名へのアクセスが良くなり、下田でも三浦でも東京から行くより空いてて早い。山梨県は神奈川県の隣だ。
『レイモンドモウミニイク』
『えっ、おじさんはヨットに乗るんだよ』
『こいつはまだ海を見たことがないんですよ』

面舵一杯 

 
 結局この親子と一緒に車で油壷に来た。なぜか初めから水着に子供用のライフ・ジャケットだったのは川遊びのためなんだろうが、ハメられた感がしないでもない。
 喜寿庵ではしばしば不思議なことが起きるので、まぁいいか。
 道中お父さんと話していたら、今のロンドン勤務はあと5年くらい続きそうだ、ヒョッコリ先生も年を取って来てガタがき出したので、レイモンド君をイギリスに連れて行くことにした、と聞いた。フーン、そりゃそうだろう。会えなくなるのはとても寂しいがこの子のためにはその方が良かろう。
 次に会うのは・・・、えっ5年先?ムムッ。

 でもって我が愛艇の甲板にチョコンと座ると、それなりの様になっているではないか。
 出航前でオトナが忙しくしている脇でチョロチョロしては『コレナーニ』と聞いたり、キャビンに降りて『オフネガオウチニナルノ』などと珍しそうにしていた。
 そうかと思うと浮桟橋をパタパタ走って行くので危なくてしょうがない。お父さんは必死につかまえては叱っていた。さてようやく出航。
 海は初めてだと聞いたが、まだ水への恐怖感がないのだろう、湾を出ると風は15ノットくらいのいい南風で、うねりも大きい。ピッチングで大きくかしいでも『ウィー』とか『キャー』とか言ってちっとも怖がらない。
 幼児スイミングを習わせたそうだが、船酔いもしない。

お父さんと

『ほーら、海って広いだろ。向こうが見えないだろ』
と指さした向こうに富士山がうっすら見えて慌てた。ここからは伊豆半島越しに富士が見えるのだった
 チビがいるからセールは上げないで、湾内に戻ってアンカーを打った。クルーの一人は早速飛び込んだ。
『オヨグ』
『へぇー。レイモンド君、海に入りたいの』
『ハイル』
 お父さんが船尾から降りて後からそうっと抱っこできるように海に漬けた。
『キャア』

ドヤ顔

 確かにライジャケで浮いている。
 だが万が一を考えて浮き輪に乗せてやると、この通りのドヤ顔だ。
 ただし、湾内は潮の流れがキツく、ほったらかすとすぐに流されてしまうので交代で浮き輪を捕まえた。
 一緒に波間に浮いているとかつてこんなことを考えていたことを思い出した。

この海が教えてくれた 波間に揺られて


 この時から既に6年も経ったのだ。年を取ってからの時間はまるで飛ぶようで、まさにアッと言う間。そして何一つ事態は改善されず完結しない。
 そのうちに一巻の終わりかと思うと、寂しいというよりそんなもんかなという境地だ。
 考えてみれば様々な偶然と、何人もの赤の他人の好意でレイモンド君はこの海原を漂っている。

オフネノオウチ

 キミが成人した時に、この記憶は残っていないかもしれないし、そうなると僕の事も忘れているだろう。僕がこの子の年に祖父が早死にしているが、爺様のことは全く記憶にないのだ。
 待てよ、僕の最も古い記憶と言えば・・・・。
『モウオウチカエル』
 ハッと我に返った。今ちょっと危ないところだったな、気が飛んでいた、レイモンド君ありがとう。
 ロンドンに行っても元気でね。僕の事は忘れてもいいや。

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ハーバー ヨット 酒

2023 MAY 6 7:07:50 am by 西 牟呂雄

出航を待つ我が艇

 連休前半は船に乗っていた。ところが低気圧の早い通過に会って天気は目まぐるしく変わり、おまけに風は台風並みだ。
 初日に東京湾が見えた時点で白波がバンバン立っていたのでイヤな予感がしたが、いつもは穏やかな湾内にもうねりが入っていた。通常こういう波は天気が回復しても残るため、船を出してもやたらと波を被るので、まぁ、楽しくはない。艤装の点検をして早寝。
 すると翌日は土砂降りになった。とは言えヨット屋は濡れるのが商売だから怯んではいられない。怯んではいられないが、そこはその~、朝からビールを飲んだ。

雨に煙るハーバー

 実は僕は雨が大好きで(他のクルーは嫌いだが)キャビンで雨音を聞きながらウトウトしたり焼酎もチビチビ。
 浮き桟橋から覗くと小魚が群れてグルグル回っている。どういう運動法則で動いているのか、突然向きを変えたり反対周りになったりしながらゆっくりと移動している。どうも先頭を進む1尾が全体を統率する訳ではなく、群れの真ん中あたりにいた奴がクッと向きを変えると全体がついて行くようで、1時間ジッと見ていたが全く法則が思いつかなくて数式化を考えるのは止めた。
 雨が上がって来た。燕がヒラヒラと舞う。そうか、もう巣作りの季節なんだな。
 日が時々差し込むが全般的に曇り。もう酔ったかな・・・。

差し込む夕日

 

 フト気が付くと夕方で、何故か誰もいない。みんなはどこかの船に飲みに行ったか外に食事に行ったらしい。海は相変わらずの鈍い鉛色のような荒れ方だが、時間がここだけ止まったような静けさのままだ。
 ハーバーでは見知った顔は皆が挨拶をするし、クルーとはバカな話で盛り上がる。だが航海に出ない時は手慰みにロープを手に取ったりし、結局誰もが孤独なのだ。即ち、目標を失った人間ほど始末に悪いものはない。
 前期高齢者の僕は秘かな目標を持ってはいるが、人に明かすことはない。
 次に目が覚めたのは夜中。クルーは全員酔い潰れて転がっていた。
 一人で外に出て浮き桟橋から星のない空を見上げると、さざ波の揺れを背中に感じながら転がってみた。海と空の間に一カ所だけ真空でカラッポな何かがあって、それが僕だ。その僕は、自由であり、漂っていて、不確かな、無用の長物である。背中の下の海中には昼間見た夥しい命が蠢いて、それらの発するエネルギーはカラッポの僕を通過して暗い曇天の空に放射されていく。一人が寂しくはなかったが、上述のささやかな目標、誠にささやかな前期高齢者らしいものだが、それに思いを巡らせ、ひょっとしてその思いとともに今、フラフラと海に落ちたなら一体誰が気が付くだろう、と思ったら怖くなって寝た。

ウワッ

 翌日、この1年以上水置きしていた船が、メンテナンスのためにクレーンで上架されていく。見ると船底にビッシリと海藻やらフジツボが付いている。これを掻き落としてやらないとスピードは出なくなったり舵の効きが悪くなる。この船は人間で言えばちょうど前期高齢者くらいになるはずだ。水置きの場合走り続けなければアッと言う間に(1年程度で)こうなってしまう。
 ムムッ、僕もボヤボヤしてる訳にもいかない。ささやかな目標のためにも。
 今日は出航する。気付けにウィスキイをストレートであおった。

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油壷湾へ

2022 AUG 1 6:06:57 am by 西 牟呂雄

 異常に暑い夏はなぜか気ぜわしい。それは暑い分だけ早くエネルギーを消費してしまい、夏が短くなるのではないかと気を揉むからだ。あれもしなくちゃ、今年はこれもしなくちゃとジタバタして、焦りながら半分も予定が消化できなくなる。早速、京都に行く予定が潰れた。
 戻り梅雨のような長雨が去って、これからは台風を気にしなくてはならないが、前期高齢者という若者の季節の幕開けである。やはり夏には一度は海に浸かりたい。前期高齢者であるが故に、人生あと何回海に飛び込めるかと思えば外せない。
 コロナのせいで港のお祭りは無くなったが、レースはボチボチ復活していて、三重県志摩ヨットハーバーから江の島までの通称パール・レースが行われている。ホーム・ポートからもエントリーしていて、本日〈7月23日)にはもうゴールする予定。結果が分かるまでチョロっと湾の入り口まで行ってアンカーを打った。
 夏の海の透明度は低く、立ち泳ぎで足の先まで見える程度。浮き輪に掴まって海面目線で相模湾をしばらく眺めていた。伊豆半島は低い雲がかかっていたが、そこから富士が山頂を覗かせている。風は結構出ているようだ。この透明度が上がって来て足先から海底までが見えクラゲが漂ってくると、あぁ今年の夏も終わったな、となる。
 安倍元総理が撃たれた。この日本であんな暗殺があるなんて。背後の政治勢力もない、新興宗教を恨んでの個人的な感情を飛躍させた妄想テロである。こいつは始末に悪い。更にこれだけ国益を損なうようなテロの犯人も単なる一人の殺人では死刑にはならない。
 ニュースで使われた動画は実際に銃弾で吹っ飛ぶシーンはカットされているが、あれだけの聴衆のほとんどがスマホを片手にその場にいたのだ。関西の方から流れてきた動画には一発目の硝煙が上がり、振り返った元総理が被弾して倒れるところがハッキリ映っていた。奈良県警の弛緩した警備とSPの無能ぶりがまる分かりで腹立たしい。危機管理零点の平和ボケぶりは日本国を象徴しており、責任者はクビどころかハラ切りモノの醜態だ。
 故人を嫌う人も多いのだろうが、VS石破、VS立憲、VS共産、どの相手も内政での功績では歯が立たなかったのが実情であり、ましてや外交の成果に至ってはG7の会合に他の顔があったことを想像すれば(石破・枝野・辻元・レンホー・小沢・志位と想像してみてください。鳩・菅は実証済み)お分かりだろう。同じ学年だったし、強烈に支持していた。オット、SMCは政治的主張はご法度だった。
 コロナ第7波は数だけは凄い増え方で、ついに周りの人が感染しだした。さる92才になる知り合いの女傑が罹ってしまったのだが、熱がチョット出ただけだった。普段は息子夫婦に孫娘と同居していたのだが、入院には至らないと聞くや厳かに『解散!散れー』と号令をかけて今も一人籠城しているとか。
 この異常な熱波はヨーロッパをも襲い、山火事を引き起こし死者も出ている。地球温暖化のせいかどうかは分からないが生態系にいいはずもない。環境変化による厄災の多くは人間が引き起こしたことに相違なく、現に今もウクライナにおいて人為的な殺戮と猛烈な環境破壊が進行中である。COVID19は少しは控えろ、という人類への警告かも知れない。
 この足元を回遊しているはずの雑魚も、釣りの好きな連中に言わせるとまるで南の海のようだと言っている。戦争と疫病の同時進行とはハルマゲドンの世界。昔はやったノストラダムス先生はこの件については何も書かなかったのか。誰か探してこじつけたら面白い。物騒な新興宗教なら言うだろう。『悔い改めよ。神の国は近づいた』

海の基地から

『おーい、いつまで漂ってるんだ。そろそろファースト・ホームの船が回航してくるからアンカー抜くよ』
 えっ、そんな時間か。
 急いで船に上がりアンカーを上げた。
 どうやらこのハーバーから参加している船がクラスCで3位に入ったようだ。
 実は、最近はある船のオーナーと僕達は仲良くなって、オーナーの海の基地(別荘)を出入り自由にしてもらっている。そのクルーが僚船にかりだされて3位入賞したらしい。
 これは今晩は盛り上がるぞ~、と早速その基地に上がり込んでパーティーの支度に取り掛かった。
 ここからは湾内が良く見える。

夕暮れ

 日の暮れる前に続々とレース艇が入港してきた。クルーはみんな達成感一杯のいい顔をしている。
 あっ、もうシャンパン開けてるじゃないか。早く追いつけ。
 僚船は鳥羽からまる一昼夜、26時間という好記録で3位。
 スタートの凪に泣かされたが、その後はいい風を拾って順調な航海だったと。
 そしてトップを行っていた船が下田から大島へ向かう途中に怪我人をだして波浮に入港しリタイヤ、3位に食い込んだそうだ。そのリタイアした船にも仲間が乗っていたので心配したが、その人は無事だった。この下田―大島間は波が干渉して小山のような三角波が立つ難所で、僕も恐い目にあったことがある。やはり海は危険なのだ。
 レース談義で盛り上がったのだが、参加した人々はクタクタになっていて早々と寝てしまい、参加してもいない僕たちがドンチャン騒ぎを繰り広げた。


 翌朝は快晴、微風。いつもはサッサと船を上げて帰るのだが、26時間も風や波と戦ったメンバーに敬意を表して出航しショート・セーリングで風を浴びた。これからは台風も来るし、夏はもう行ってしまう。
 お疲れ様、わたつみの人々。

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梅雨の合間の相模湾

2022 JUN 19 0:00:44 am by 西 牟呂雄

 強い雨が多い今年の梅雨。実は雨に降り込められてボヤーッと本を読んだり音楽を聴いたりしているのも実に居心地のいいもので、好きである。好きではあるが、飽きるのも早いのは事実だ。
 さる週末にクル-ジングの声がかかったので早速乗って来た。最近若いクルーが入って来たので、その練習がてら船団を組んで伊東まで温泉に浸かりに行くことになったのだ。
毎年この時期に行われていたレースがコロナで2年間できず、みんなうずうずしていたらしく、直ぐに話が大きくなった。伊東のハーバーはゲスト・バーズを拡張したのでウェルカムだったのもある。
 レース形式は取らずに、入港時間の申告制にして各艇バラバラにスタートし正確さを競うのである。
 で、風の予想であるが前線がやや南の大島あたりを通っているようで午前中は北からの微風、この時期は午後から南風(はえのかぜ)が吹くはず。それを狙って10時に油壷を出た。案の定1時間くらい行っても風はなく、オート・パイロットでのんびりとビールを飲んだ。まわりには先に出た艇が2隻ほど霞んで見えたが船名まではわからない。
 するとやはり南から風が入りだした。『セール・オン』スキッパーの声がかかり、配置に着いたクルーがスルスルとメインとジブを上げ、船が大きくかしいだ。グングン船速があがり7~8ノットで走り出す。アビームのランは最も舵を取りやすいので、新人に任せて風を浴びた。

オーナー・チェアの寛ぎ

 イルカの群れが横切った。すると逆側から別の群れが。何かを追いかけているのだろうか。
 この海の中で狩りが繰り広げられているのかと思うと何かと血が騒ぐ。
 相模湾はプレートがぶつかっているトラフであり、最深部が1,600mと日本の沿岸では最も深い。従って生物も多様であり、あのイルカもハナゴンドウかも知れない。
 我々はその多様な海の海面に点として今存在しているわけで、誠に心細いといえばそうである。うっすらと大島のシルエットが見えるがその向こうは太平洋であり、幅100kmに達する最速4ノットの黒潮が流れている。その端っこに点として存在する間は、いかにその営みが知的であろうと冒険的であろうと渚の砂粒よりもミクロであり、寂しいものであろう。
 船影が近づいてきた。見えた船名は僚船で行き先が同じ伊東だ。そしてその船は初島―大島レースを2連覇している快速艇である。向こうもこちらに気が付いて手を振るのだが、その表情は驚きに満ちている。それもそのはずで、我が艇は殆どのレースも早々とリタイアするので有名なのにこちらが先行している。向こうのスキッパーが檄を飛ばしたようで、それまでのんびり甲板から足をブラブラさせていたクルーたちが配置に着いた。
 こちらのスキッパーは秘かにエンジンをかけて回転数を上げ『あっちは今頃ベロンベロンになってるはずだからイジワルしてやる』と舵を握った(自分もベロベロなんだけど)。向こうがコースを変えてこちらの後ろを右舷から左舷に切り込もうとするのでこっちもそのコースを取って風が行かないように頭を取ろうとする。なかなかのデッド・ヒートに歓声が上がる。
 あっ風が上がった。風速計をみると17ノットくらいの強風だ。向こうが一気に勝負に出て、素早くタックし右舷に回ったところでもはや手も足も出なかった。やれやれ。もう伊東が見える。4時間半!我が艇の新記録である。

 遠くで護衛艦がへりの発着訓練をしているのが見えた。

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海に賭けた人

2022 MAY 8 7:07:54 am by 西 牟呂雄

 出航してアレッとなることがある。天気予報や陸で晒されていた時と当たる風が違う。
 この日も湾から出た途端、いつもの連休とは明らかに違い南風(はえのかぜ)の強風に驚いた。千葉方面に東京湾を横切ろうと考えていたが、さてどうしたものか。日差しは曇りで相模湾には既に多くのヨットが出ていた。
結局スキッパーの判断で、風を掴んで江の島方面に行ってみようということにした。わが愛艇はこういう場合に多数決はしない。スキッパーは慎重なのが分かっていて、それには異を唱えないのが不文律である。
 風は強いのだが追い風に乗っていると風速はあまり感じない。ましてや海面は波頭が飛ぶようなこともなく、むしろ静かなのだ。ジブを思いきり出してみると、それだけで十分な帆走ができた。
 今日のクルーは結局3人。スキッパーは酒を飲まないし、もう一人は若い初心者なので、僕はその子に舵を取らせてさっそく一人出航の乾杯をした。
 滑るようにいい風を拾うと7.5~8ノットの走りで江の島に着いた。
 ここのハーバーはオリンピックの会場となって設備が一新され昔の面影はなくなった、無論いい意味でだ。
 若い頃から江の島には来ていたが、陸から行ったことはない。ましてや観光なぞしたこともない。この年になってあんまりだと頂上まで登ってみることにした。

美しい僚船

 ところが船を降りた途端に知り合いにバッタリ会ったので、ワインを開けて話し込んでしまった。
『どっか行くの』
『ウン。真鶴までかな。そっちは』
『ここで泊ってあした帰るんだ』
『あした?ゆっくりしてなよ。あしたオレ帰って来るから』
『あした午後から雨だぜ』
『雨ぐらいどうってことないだろ。ヨット屋は濡れるのが商売だろが』
 こんな他愛もない調子ですぐに一本飲んでしまった。さてご飯でも。行きつけの(といっても何年ぶりかな)食堂に行くと、いつものオヤジさんがいない、見たこともない人が厨房にいるではないか。聞いてみると体を悪くして引退してしまったそうだ。で、刺身定食を頼んだがはっきり言ってオヤジさんの時よりまずい!特にマグロの刺身はダメだった。
 さて、夕暮れになったので江の島観光に。

竜宮城のような神社

 江の島は弁天様で名高いが、実は弁天信仰は神仏習合で仁和寺の末寺であった江戸時代まで、明治の神仏分離の際に宗像三女神を祀る奥津宮(おくつみや)、中津宮(なかつみや)、辺津宮(へつみや)の神社となった。廃仏毀釈の折には三重塔をはじめ多くの仏像が失われたが、やさしいお顔立ちの弁天様は残った。こういうことをするので明治の薩長政府は嫌いだ。
 石段を見上げてエ~っと思ったら『エスカー』なるものの切符を売っていたので早速買ったが、ただのエスカレーターのことだった。頂上のあたりで日が暮れた。

 翌日は曇天。風は昨日とは違う東風で、アビームにセールを出して一杯にはらませた。予報ではこの後北風に変わって雨模様である。東風だから相模湾内はうねりは立たない。きのうと同じく楽なセーリングである。
 時節柄、知床の観光船の痛ましい事故の話になったが、荒れた海での操船技術の問題以前に、海の地形の認識のが足りなかったのではないか、という結論になった。岩場の近くの海底はそれこそギザギザで、油壷の周辺でも回航してきた学習院大学のヨットが荒天に遭難、麻生太郎の弟さんが亡くなった事故があった。
 ついこの前も大事には至らなかったものの海上保安庁が出動する事態があった。観光船であれば、陸の近くを『見せ』るために近づくため、それこそコースの海を知り尽くしていなければ。それが30度も傾斜したということは一瞬に浸水したはずだから、余程の亀裂が入るほどの突っ込み方をしたのだろう。30度ならばスキー場の感覚でいえば、垂直に近い視線のはずで這いつくばることもできなかっただろう。
 風が北に変わった。セールを広げると船足が早くなるとともに大きくヒールした。

雨のハーバー

 入港すると霧雨が降って来た。
 雨のハーバーはとても寒い。
 その雨の中、一人の老人が歩いて来る。鮫さんだ!鮫さんは港の中のボート・ハウスに住んでいたが、そのハウスはずいぶん前に無くなって、鮫さんも姿を消していた。数年前に一度バッタリ会ったのだが、太平洋をヨットで横断して暫くアメリカにいたらしい。その後、グアムに行ったとか三重県で目撃されたとか噂されていた。
『寒いね』
『お久しぶりです。どうしてたんですか』
『オレ?ずっとここにいるよ』
『えっ、全然会わなかったじゃないですか』
『そうかい。ワシャしょっちゅう君を見かけてるがね』
『そうなんですか。今はどの船に乗ってるんですか』
『声がかかればどの船にでも乗るさ。海でしか生きられないからね』
 答えになっていない。だが鮫さんに聞いた人生を思い出すとわからんでもない。この人は海に賭け、海に生きた人、本当ならばだが。
 待てよ、もし本当なら100才くらいじゃないのか・・・。アレッ、いない!まさか。

 詳しく知りたい方はどうぞ。

海の上の人生 ホントかよ

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海の忘年会

2021 DEC 19 23:23:25 pm by 西 牟呂雄

 クルーは全員2回接種済。寒風吹きすさぶスカスカの空間。海の上は密でもなんでもない。大掃除も兼ねて久しぶりにハーバーに集合しました。
 天気は快晴、12月にしては暖かくいい気分で車を飛ばして行きました。するとですぞ、横横道路で磯子のあたりを上機嫌で走る私のバック・ミラーに赤いランプが回転しているのが見えます。しまった!
 話は一日遡るのですが、私は大嫌いな府中の某所にいました。普通の人なら最寄りの大きな警察で済む免許の更新を、不愉快極まりないことに1日がかりでしなければならないのです。事情は

夏至の日に府中にて


 をご記憶の方もおられるかも。免停を食っている私は人並みにはいかないのです。
 神奈川県警交通機動隊員は私のピカピカの免許証を見てせせら笑ったように言いました。
「きのう講習を2時間も受けてるじゃないですか」
 ウルセー!そんなことより私はどの程度オーバーしたかで頭がいっぱいでした。確かメーターは1××キロは出ていて、下手すると一発免停の上また府中でアレを受けなければ・・・。クソ機動隊員は厳かに『24キロオーバー。減点3点。罰金2万5千円』と言うではありませんか。思わず出た言葉は、
「ありがとうございます」
 さすがにマヌケであり、クソ・ポリスがビックリしていました。
 その日は私のバカさ加減に盛り上がり、今年の無事故と来年の航海の無事に乾杯してお鍋を囲みました。

のんび~り

 翌日、冬の好天に恵まれたやや低い日差しの元、少しだけセールをあげるため出航したところ、セールが上がらない!
 わが艇のメイン・セールが巻き込み式のため、あまりにほったらかし(夏以来)にしたので潮で膨らんでしまい引っ張り出せません。出し入れを繰り返しやっとの思いでセール・オン。
 ですが風は無い。冬は富士山や大島がくっきりと見えるのですがモヤってうっすらとしか見えません。
 今日はレースがあると僚船が言っていたので逗子の近くのスタート・ラインまで冷やかしに行きます。するとあまりの無風にスタート待ちになっていてみんなヒマそうに午後の風待ちでした。天気予報は午後から吹くとの予報がでていましたし。

キラキラ

 やわらかい日差しが海面に反射して星が飛んだようなところをパチリ。
 そろそろ帰港するかと船を回し油壷に向かいました。セールも降ろします。
 突如、海面に風紋が浮かび上がったかと思うとサーッツと南の風が入りました。あれあれ今頃こんな風が来るとは。レースは真上りの難しい展開になるな、と後ろを見やります。それがなんだかおかしい。どうも各艇がエンジンをかけて真っすぐに向かってきています。風速計は30ノットを超えています。秒速15~18mの風です。
 そうこうしているうちにうねりが大きくなってピッチングまではじまり、結構波を被る程の風。普通、天気が急変するのは前線が通過したりして雲の線が見えるのですが、相変わらず晴れ渡っていて、遠く大島の方に雲の塊が見えています。ひょっとして爆弾低気圧のように急発達でもしたのでしょうか。あの船団はレースが中止になったのでフル・スロットルで帰港しているのか。ヤバイヤバイ。
 ほうほうの体でやっとこさ入港すると、今度はハーバーが物々しいではないですか。救急車・パトカー・上空には保安庁のヘリ。まさか私の旧悪がバレて手が回ったか、きのう捕まったばかりだし、まさか。

まさか

 事の真相は大変なことが起きていました。ゲストを大勢乗せてセーリングしてしていたヨットが、先程の天候急変でスキッパーの人が落水。近くの僚船が落ちたスキッパーは救助したのですが、他に操船できる人がいなくて漂流してしまったようなのです。一報を聞いてハーバーからボートがレスキューに行ったところ、悪いことに強風で岸の方に寄せられいてしまい乗り移れず、別のクルーザーが救助・回航したのだそうです。保安庁のヘリが飛んでいました。
 これは、実は大変に危ない事態で、岸に近いところはうねりが干渉して大きくなり、岩場に叩きつけられて大破することもあります。現にこの辺りで麻生太郎元総理の弟さんが難破して亡くなっています。
 今回は幸い犠牲者はなく、船も損傷せずにすみましたが、クルーは大反省のうえクラブの安全委員から大目玉、レギュレーションは厳しくなるでしょう。

 昨日のスピード違反や泥酔。そして先程の事故。以て他山の石と反省し、来年の安全を祈念しつつ、今年もお世話になりましたの思いを込めて舟を上架して船体を洗いました。
 愛艇アル・カン・シャルよ、来年もよろしく。

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