梅雨の合間に伊東まで
2025 JUN 15 17:17:17 pm by 西 牟呂雄

朝、八時に船を下す。湾内は微風で、やや雲があるものの雨はなさそうである。今日は恒例の油壷ー伊東レース。ところが、我が艇は幹事になっているため、スキッパーは本部詰め、ボースンも伊東待機となり、僕は別の僚船に乗ることになった。
それが普段の自分の船とは違う船に乗るとスイッチ一つ分からない。舵を取っても感触は微妙に違う。これは車の運転よりも深刻だ。レンタカーだろうが新車だろうがハンドルを握ってアクセルを踏めば動くことは動く。ところがクルーザーの場合はまっすぐ行くのも感覚が違って、車で言えば『車庫入れ』のような操船は難しい。おまけに乗せてもらった船は今どきのハイ・テク船で、セールの上げ下ろしまで電動。凄い船だった。

エントリーを済ませ、本部船と黄色いマークを結んだ線がスタート・ラインなのでその線に沿うようにポジション取りが始まった。風は南西の吹上で、伊東はほぼ真東である。いわゆる片上り(かたのぼり)というやつで、余計なタックはかけずに行ける、というのがスキッパーの作戦だ。5分前・4分前(エンジンストップ)、風に向かうかたちで進み、スタートのホーンと同時に大きく舵を切った。ヨシ!ナイス・スタート!
いい風を拾った。だがそれは他の船も一緒だから一斉に50杯もクルーザーが出ていく。一部の船はコースの北側、江の島方面に舳先を向けている。追い風に乗る作戦のようだ。この場合距離が長くなる分とその後の向かい風のハンデを計算するのだが、風が変わると読んだのかも知れない。
しかしこのハイテク艇はレース仕様ではないのにさすがに早い。船団はバラけてきた。
イイカンジで進んで行くので、スキッパーにお願いして舵を取らせてもらった。
おぉッ、すごい切り上がりだ。風を受けるとセールがしなって船は必然的に風上に向きを変えようとする。それを強引に舵を切って目一杯風を孕むとグーッと船速が上がる。
先を行っている船に近づいた。『あれ抜けるだろ。どっちからにする』とスキッパーが聞いてきた。風上側(この場合進行方向に対し左側)を抜けるか風下側からか。この際風上側を走って右側に相手に悪い風を送って一気に抜こうかと考えた。
ところがあと少しのところで先に出られない。どうしたことか。すると百戦錬磨のスキッパーがイラついたように『舵の切りすぎだ』と怒鳴った。船の進路を固定しようとするあまり滑らかな走りができていないのだ。先行艇を交差するように右舷に出てやや角度を落としていくと、なるほど抜けた。
熱海沖の初島北側を通り伊東港へ針路を向けると同じクラスの船が数杯競っていた。ここまでくれば順位を落とすことはないだろう。舵をスキッパーに返して入港のビールを空けた。
ずっと風に当たり続けおまけに薄曇りが時々晴れる紫外線MAXを浴びたようでヒリヒリする。温泉に入るtとゴッツく染みた。
翌朝は当然ゾンビ状態で船に乗った。レース・スタッフの部屋に空きがあるというので、しめたともぐりこんだのだが、なんとその部屋が宴会部屋になってしまい、入れ代わり立ち代わり見たこともない人がやってきて眠れない。中途で自己紹介があったような気がしたが覚えていない。大浴場に行った記憶もないのにメガネもタオルもどこかに消えた。
さて帰りの風はというと、湾を出ると水平線も分からないほどモヤッてしまい風もない。トロンとしたベタ凪なのだ。
風も波もなく汽走で帰る。
舵を取るでもなくオート・パイロットでぼんやり鏡のような海を見ていると、様々なことが胸に去来する。
先日のあった小学校の同窓会のこと、亡くなった身内、会えなくなった外国のパートナー、昔の上司、楽しかった仲間、好きだったサウンド、夢中になった映像、大嫌いだった奴、あのときこうしていたら、死にそうになったこと、子供だった頃、とても悲しかった話、あの人はどうしてるだろうか。
こうしてみると、普段ふざけ散らしているくせにやたらと物悲しいことの方が浮かんできてしまう。はしゃいでばかりいるからそっちの思い出はあまり残らず、ピンポイントで寂しかったり悲しかった思い出が湧き上がってくるのだろうか・・・。
待てよ、そう先でもなくなった死ぬときに、そんなことばかりが脳内に残るのはいやだなぁ。
イルカが群れでいる、遊んでるんだな。あっ、油壷に着いてしまった。
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東風・レース・江の島
2025 MAY 11 9:09:08 am by 西 牟呂雄

強い日差しを全身に浴びながら相模湾に出港した。日焼け止めをたんまり塗って。
ところが事前の予想に反して沖に出ると東風が吹いている。この時期は北東の風のはずで天気予報でもそうだった。当初は久しぶりに東京湾を横断して千葉の保田に着けようと思っていたが、真上り風に乗るのは気が進まない。誘惑に負けて進路を北に向けた。江の島へ行く途中に相模湾レガッタ・レースがスタートするのを見に行く。僚船が何杯も出ているので、応援というかレース振りを冷やかす。
スタートは30分前で、すでにマークを回った船は横一線になってこちらを目掛けて来る。邪魔になると後で怒られるからエンジンを吹かした。丁度写真の左側の方に次のマークがあるので、船団は右から左の方に舵を切ってくる。
右の方に富士山が映っている。これから夏にかけて次第にぼやけてくるが、このじきまではまだ真っ白である。たなびく低い雲が何やら絵になるな。
しばらく見とれていたら江の島が近づいた。
するとこの編ではディンギーのインカレ・レースが行われていて大集団が押し寄せてくる。遠くから見ていると、先ほどのクルーザーに比べれべハリネズミが移動しているような接戦だ。これもエンジンを吹かして交わした。オッ、僕の母校もやってるじゃないか。
ハーバーに電話してゲスト・バーズに入れた。そこでメシにしようとしたがいやもう凄い観光客でどこも一杯だ。それも話し言葉から中国の観光客らしい。鎌倉観光のツアーにでも入っているのか、ゾロゾロと歩くので時々渋滞までしていた。無理もない、ゴールデンウィークだ。
外人観光客も日本人の休日はゆっくり休んでウィーク・デイに見て回った方が色々見られるだろうに。もっとも京都になると日常的にゴチャゴチャになっているオーバー・ツーリズムは休日も何もないか。
以前に関西を旅した時、明日香村をトコトコ歩いて有名な『酒船石』を見に行ったが、人っ子一人いない夕方で、史蹟だが柵も何もないので撫でてみたりしたが、大いに古代の手触りが堪能できた。その時は京都へも足を延ばし、爺様の足跡を訪ねたが、観光名所でも何でもない所で漬物屋のオッチャンに話を聞いた。
ひょっとして、名所を好んで刊行する人は、ゴッタ返している大勢の観光客を見に行くのだろうか、マサカ。
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新しい年の新しい風と新しいセール
2025 JAN 12 9:09:32 am by 西 牟呂雄

我が艇は去年のレースでメイン・セールが破けてしまい、この半年は本格的なセーリングができなかった。巻き込み式のセールだったのだが、レース中の激しい出し入れで噛みこんでしまい、慌てて引っ張り出した時に破れてしまった。
この際巻き込みはやめてオーソドックスなスタイルに戻すことにした。船齢も30年、船としてはお婆さんなのだ。
この船に移ってからもう10年が経過していて、ちょうどブログを書き出してからの海に関するブログは全てこの船の思い出である。船もクルーも年を取ったわけで、もうロングの航海をすることもできない。
それでも新しいセールを何とか手に入れて、どうやら体裁が整った。
ただ、新品のセールは全くしならないので慣らさなければスルスル上がらない。
手始めにマストの中のファラーポストのグルーブにボルトロープを通しながらUP。慎重にやったつもりだが、グルーブの入口周りの空間が狭く、グルーブの入口とボルトロープが擦れて嫌な音がする。見るとUPする最中にボルトロープの取付部が2ケ所切れていた。5cm1ケ所、10cm1ケ所。
セールやボルトロープが新しくまだパリパリのせいかも知れないが、ファラーポストのグルーブ使用は、こんな調子では荒れた海上のセールUP作業はスムーズに揚がらない。うーん。
次にセールをブーム上に折り畳んでみた。できなくはないがタックとクルーをブーム前後につけたままでのセールDOWNで折り畳みは難しいだろう。しかもこのところ油壷ではスタックしてブーム上にしまったメインセールの中に、台湾リスが巣を作ってしまい、セールを齧られる被害が多い。
仕方がない。予備グルーブに合わせたスライダーをつけて、毎回メインセールを取付け・取外しをするのが良い、となった。
これではまだシェイク・ダウンできないが、何分、安全のためにはしょうがない。いつになるのやら。
揚げてみた真新しいセールは湾内の具風をしっかりと孕んで輝いていた。新しい船出だ。
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ハーバーの秋祭り
2024 OCT 18 1:01:20 am by 西 牟呂雄

雨模様、時に酷い降りになった。
あんまり夏が熱いので秋にやることになったカーニバル。フラ・ダンスや出店を出して、近所の子供達も招待する。児童養護施設にいるワケアリの子だ。敗戦の混乱期に引揚孤児の受け入れを始めた施設なのだが、時代が変わってDVやら虐待やらの問題がある家庭の子が多い。引率の先生達は優しそうな若い先生だった。
本当は船に乗せて体験乗船のはずがこの雨でダメになってしまった。
小雨は時々強くなり雷も鳴る。おかげで最初のバンド演奏は散々だった。
僕は子供用のスーパーボール・金魚掬いの屋台で子供達に一回百円でポイ(掬うやつ)を配った。小学校の低学年から5年生までのようで、ある程度躾けられている様子。年上がチビの面倒を見ていた。子供たちはあらかじめ100円券を5枚程持たせてもらっていて、ほかに焼きそばとかお菓子の屋台で買っては食べたりしている。中には全部僕のところで『もっとやる』と使ってしまう子もいた。
オッサン達はもっぱら生ビールやカクテルをガブ飲みしてデキ上がる。
中には調子に乗って和をみだし、こっぴどく先生に叱られている子もいる。ここが僕の甘い所だろうが、あんなに怒っちゃかわいそうじゃないか、などと思うのだが先生にもプロとしての矜持があるのだろうな。僕は子供の頃は落ち着きが無く、集団生活にはなかなか馴染めなくて苦労したからこの子の気持ちはわかるような気がして見ていられなかった。この子はどうなっていくのだろう。
僕の屋台はもうけも何もないから用意したものが無くなるまで売り尽くし。終いにはオマケに次ぐオマケをはずんで子供もハッピー僕もハッピー。
僕が子供相手にやっているところが撮られた写真が後日回って来たが、ヨレた格好とサングラスがあまりにハマって本物のテキヤにしか見えなかったので封印した。
暫くしてようやく小降りになった頃、ハワイアン・バンドが音を出してフラ・ダンスが始まった。
オネーさん達の優雅な動きに見とれていたが、皆さんユラユラと踊る時は中腰ではないが少し膝を折っている。これは日本舞踊でも『腰が座る』と言って動くときに頭や肩が上下しない所作と同じだ。言ってみれば誠に色っぽい動作となる。そして表情はニッコリ笑っている。後で振り付けを教えてもらって一緒に踊ってみたが、ずっとニコニコするのはなかなか大変で疲れた。
スッカリ酔い痺れて寝てしまった。
翌日、エンジン音がしてやけに揺れる。時計を見たら10時を回っている、出港したんだ!ヤバッ。
ノコノコとキャビンから這い出してみれば、昨日演奏していたバンドの方とフラのオネーさんが一斉にこっちを見た。オーハズカシ。
『ほら、セールを上げるよ』
と声をかけてきたスキッパーの視線が痛い。
昨日とはうって変わって晴天だ。昨日の子達、乗せてやりたかったな。
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海に眠る魂
2024 AUG 4 0:00:17 am by 西 牟呂雄

以前ブログでも紹介したことがある。
海でしか生きられなかった人、通称『鮫さん』が亡くなった。先日は山荘で知り合った『ヒョッコリ先生』を弔ったばかりでいささか参った。
鮫さんは遠縁の親族が荼毘に付したが入るお墓が無かったようで、僕たち海の知り合いがホーム・ポートの沖合に散骨することになった。
某日、我が艇のスターンに献花台を置いて生前親しく付き合った数名がお別れをした。写真は今から15年ほど前に4人のクルーで大平洋を横断した時のものを飾った。三浦から33日でサンフランシスコに無事着いた記念写真である。
出艇すると相模湾は快晴の無風.
献花してもらった花をたくさん積んで沖に出た。
僕はそんなに深い付き合いではなかったが、あの独特の人柄がこの海から消えてしまったと思えばさびしい。
ポイントに来ると仲間の船が7~8艇集まって来て、散骨が始まった。
箱から遺骨を少しづつ海にながしていき、船団が周りを回航しながら花を添えた。広い海の一角に花の渦巻きが出現したようだった。
鮫さんは下戸だったのだが、ビールや焼酎をトスして、もう二日酔いもしないだろうからたくさん飲んでくれ、と海に落とす。
一斉に各艇がマリン・ホーンを長音で鳴らす。
ファーン、という大音量に送られて鮫さんは大好きな海に眠った。痛みも苦しみもない水底に。
港に戻って思い出話をしたが、鮫さんのプライベートは謎に包まれている。船のオーナーではなく、仕事が何だったのかも誰も知らなかった。一種のプロのヨット乗りとも言えるだろうが、白石康次郎とか斎藤実ほどの職業的なポジションにあるとも思えない。
最後は自室で倒れているところを発見されて病院に担ぎ込まれ、一時回復したものの退院することなく亡くなった。即ち、自由と孤独の中で天寿を全うしたともいえる。
この『自由』と『孤独』は表裏一体のようなもので、自由に死ぬ場合には孤独が必要なのだ。
鮫さんの場合、極端に言ってしまえば病院に行くことは本意ではなく、そこで最先端の延命治療を拒否できなかったのは痛恨の極みではなかったのか。
散骨ポイントは、実は過去に何回も行われたところだった。古くは麻生元総理の弟さんも海難事故にあって亡くなったあたりである。
『あの辺で釣れる魚は人骨を食べたりもするだろうからカルシウムは豊富だったりして』
『あの人下戸だったけど、今頃は竜宮城で鯛や平目の舞い踊りを楽しんでるな』
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台風の通った相模湾を渡る
2024 JUN 8 0:00:11 am by 西 牟呂雄

なんと間の悪い。恒例の油壷ー伊東レースが、台風直後の6月1日に行われた。前日、土砂降りの中、船を下したが、準備も何もレースが成立するかどうかも分からない荒れた天気で、台風は通過しても雨・風・うねりは残るかと暗澹たる気持ちになった。我が艇はレース・ボートではないのであんまりうねりに叩かれると規定時間内に入港できず、リタイアにされる公算が高いのである。
そう思って朝起きてみると何と風はない。油・水・ビール・ウィスキィ・食料を積み込み出艇申告し、レース旗であるピンクのリボンを括りつけた。本部艇にチェック・インをするため、スタート・ラインに向ってみれば鏡のような凪の海面である。我が艇はうねりにも弱いが、ベタ凪はもっと困る。凪では更に進まない。
試練は続く。メイン・セールを揚げようとすると出ない!マスト内の巻き込み式なのだが、中で噛んでしまっていた。ボースンがリフトに乗ってマストを登り、色々手を尽くしてもダメ。スタート時間の信号が鳴った。
ところが、あまりの風の無さに各艇ポジション取りに悩み一斉にフライングしてしまった。ジェネラル・リコールという再スタートとなる。こっちもはれどころじゃなく、メインはあきらめてやれゼネカーを出すぞスピンを揚げるぞとジタバタし、全く船は進まずに焦りまくっているうちに予告信号が鳴り、再スタートとなった。
スタート後10分を経過した時点で冷静沈着なスキッパーが厳かに言った。
『エンジンをかけろ。我が艇はリタイアするから本部にコールしろ』
全員全く異存なく、一部はニターッとした(僕が)。
こうなったらエンジンをブン回していい所に船を付け、早く温泉に浸かろうと一瞬にして切り替わったのだ。
後方で必死に風を拾い真面目にレースを戦っている僚船を見ながら、通常は6時間はかかる航路を約3時間で伊東に着いて入港祝いのビールを飲んで温泉に入った。
ところがのんびりと船に戻って来ると、大モメにモメている。僚船のオーナーとレース委員がトラブッていた。
レース委員会はあまりの風の無さにコースの短縮を決定したが、その際のフィニッシュ・ポイントは『北緯35度2分45秒 東経39度10分15秒付近』と決められていて、熱海から見える初島の北側である。ところがまずいことにこの日、同じような葉山~初島レースも行われ、そのフィニッシュ・ラインもそのあたりだった。そこでレース本部は多少ズラしてラインを張った。この際、ピン・ポイントで狙ってきた船がラインを見誤り、多少行って来いとなってロスが生じたのだ。その時本部艇に向ってかなり激しい罵声が飛んだらしい。
こういうこともあり得るので帆走指示書には『上記の位置はおおよそであり、位置の誤差は救済の対象にならない』と規定している。この『おおよそ』が問題とされた。
そこから事態は複雑になった。罵声を浴びせられたレース委員会も頭に来たらしく、船名を確認するとその船の所属ヨット・クラブの会長に厳重注意の電話を入れた。そして査問を受けたそのクルーも激高したという話。話がつかずに、油壷のドンである我がスキッパーの所に持ち込まれた。こういう時『おおよそ』は困るのだ。
まぁ、レースの最中だから興奮するのは分かるものの、品性に欠ける罵声は宜しくはない。その場でクレームのレッド・フラッグを揚げてレース成立後にしかるべき話し合いが行われるべき、という結論だ。
モメごとを捌いて、伊藤市長も来賓として参加する歓迎パーティーに臨んだ。
ここだけの話だが、地ビールというのにあまり旨いものはない、とだけ言っておこう。
さて、翌日再びセールと格闘して遂に引きずり出すことに成功、よかったよかったと港を出ると、真向いの東風を受けた。真上り、と言ってとても帆走できない。しかもよく見るとセールの一部が破けている。これは・・・・。このまま風に逆らわずに行ければ持つのだろうか。
案の定、破れ目は伸びてしまいこのままでは裂けて修理不能になる。今度はあわてて下ろしてたたむ。思えばこのセールも、十年以上良く働いてくれた。僕達のムチャな航海にも付き合わされて波飛沫を浴び、寒風の中を何とか安全に港へと運んでくれたのだ。これで寿命かとなると葬式でも出してやりたくなる。いや、むしろ捨てずに喜寿庵にでも持って行ってハンモックにするとか日差し除けにでもならないのか。そう言えば物置の奥に押し込んだ、もう使わなくなったゴルフ・クラブとかスキー板のようなものを並べて眺めたら楽しいかもしれない。
いや、他にもあるぞ、弾かなくなったギター、得体の知れないスパイク、使い物にならないノコギリ、と次から次へと頭に浮かんできて、暫し黙って海面を見つめていた。
それらは人間の業のような・・・マッ、ただのゴミ・ガラクタだが。
初島を交わし熱海に別れ告げ、真鶴半島を過ぎたあたりでは日が射した。夕べから飲み始めたウィスキィが2本が空いた。
で、結局のところ往復ともセール無しの汽走になってしまい、とてもヨットで横断した気がしなかったが、安全な航海はできたことになる。帰港した途端に雨が降り出した。
セールよ、ありがとう。
もう梅雨だな。
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海と船と釣り
2024 MAY 3 23:23:42 pm by 西 牟呂雄

サボッてばかりでは船に申し訳ない。コーキングもしなかったし。
久しぶりに会った愛艇アール・コンシェルジはさすがに機嫌が悪そうだった。彼女(船は女性名詞だから)はプライドが高い。僕は愛想笑いは浮かべずに、そっぽを向いている彼女に近づいて行き『相変わらずキレイだなぁ』と語りかけるように独り言を言う。その後桟橋からポンッと飛び乗って『久しぶりに会うとどんなに素晴らしい船なのか改めてわかるな』とわざとつぶやくと、ユラリと船が揺らいだ。どうやら機嫌は直ったようだ。
朝方多少グズついたが曇り空で時々日が差す。多少寒いがセーリングはできる。と思ったらいきなりトラブった。我が艇は水のタンクが舳先にあって50Lくらいの水を積むのだが、あまりに久しぶりなのでその水を抜いた。すると電動ポンプがエアを噛んでしまって水が出ないではないか!これでは長い航海はできない(しないけど)。それで配管を開けて試してみたのだが、パイプにクラックが入っていた。パイプは塩ビの特注で手配はできない。あれこれ考えて水道配管の部品で付け替えることにして、カインズホームまで車を飛ばして買ってきた。取り付けてみると・・・出ない。ポンプが空気を吸ってしまって圧がかからないのだ。口を付けて吸ってみたがダメ。どうやらパッキングが甘くて継ぎ目からまだ空気が入っているらしい。再びカインズホームでサイズの合いそうなゴム・パッキングを探す。
やっとこさ水は出るようになった時点で夕方。
ところがなにやらおいしそうな。
仲間の船がバーベキューを始めていたのだ。
僕達も酒・肉・野菜を持ち込んで仲間に入れてもらう。
やっぱりこう来なくっちゃね。
ここで衝撃的なニュースが飛び込んできた。
別の船のオーナーさんが亡くなったと言うのだ。
全員箸が止まってしまった。原因は事故だ、脳溢血だ、脳梗塞だ、と憶測が飛び交う。
自転車が好きな人でスポーツ・サイクルで世田谷から油壷まできたこともあった。
何より、明日の三浦~横浜のレースにもエントリーしていた。
その船のクルー達は参加するかどうか悩んでいたが、故人の意思を汲んで決行するとしたらしい。
追悼レースとなれば、我が艇もスタートくらいは見送らなければ、と早く寝た。
翌朝。スタート地点は湾を出たところにあるブイだ。
近づくとセールを卸している本部艇の周りにエントリー艇がポジション取りで旋回中である。
ところがご覧の通り全く風のない凪。各艇スピンやゼネカーを上げて必死に風を拾おうと苦戦していた。
長音が鳴ってスタート。それぞれの作戦に従って僅かな風に向ったり、なじんだりしていく。
その中で故人が乗るはずだった船を見つけ、激励の声をかけた。
すると、バウのところに故人愛用の合羽がまるで旗のように翻っている。
彼らの友情や船乗り魂が伝わって来た。
がんばれよ、の気持ちと共にご冥福を祈った。
早朝のスタートを見送って、港に帰った。
遅い朝メシを食べて一服してもまだ11時。あの風では横浜まで6時間では無理だ。僕達も今更出港しても遊べない。
すると知り合いが声をかけてくれた。
『釣りに行くけど来ない?』
この人はハーバーのレースで何度も優勝している高速艇のオーナーで、釣り船の2軸船も所有している。
僕は釣りはやらないが、この船には乗ってみたかったので連れてってもらうことにした。スクリューが二つあって右は右回転・左は左回転で推進する。ギアの操作だけでも細かい調整ができる船で、ヨットとはフロントの景色がまるで違う。
風で苦労することなくドンドン進んでエンジンを止めた。
水深40mくらいの所で波に揺られながら釣りが始まった。アンカーも打たずに漂っていると横波にはかなり揺れる。甲板で上半身裸になって寝ころんだ。
するといきなり『あっきたきた』と声が掛かってタモですくうと赤い魚が釣れた。高級魚、ハタだ。
揚げた時にキラキラしていたがスマホが間に合わず画像は借りモノ。
この人はもう一尾釣りあげたあと、やってごらんよ、と竿を貸してくれた。ヨーシ、オレも。
疑似餌は赤いタコを付けてくれたが、他にも黄色・緑色の奇麗に光る物がたくさんあって、フーム魚にも好みがあるのかと奥深い。
そしてサーッとリールを落としていくと着底したのがわかるのだ。
それから疑似餌が生きているフリをするためにクイッ、クイッと引いては流す。
すると、ピンと張った釣り糸の先の疑似餌の感触が、アッこれは何かをこすっているな、とかフワッと浮いたな、とか伝わるのである。
糸は潮に流され船は風に流され、角度約45度の方向、即ち水深の√2倍の50~60m先の見えない海底を疑似餌は漂っていて、僕は手探りのようにその感触を味わった。
一度だけググッといった感じで手ごたえがあったようだが、上げてみたら藻がついていた。
場所も変えてみたが、その後は当たりもない。
レースは横浜に行けただろうか。
亡きO氏の魂も風に乗れたかな。
クイッ、クイッ、クイッ・・・・
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波よ風よ雲よ
2023 OCT 16 20:20:10 pm by 西 牟呂雄

インドから戻ったら日本は秋になっていた。風は爽やかに、そうなると海は透明度を増して、夕暮れは息を飲む色合いになる。それが見たくて波打ち際に行きたくなります。この時期、若大将カップといって逗子沖から茅ヶ崎沖のえぼし岩の往復を競うクルーザー・レースが開催されるので、そのスタートを見に行きました。
前日に秘密基地(合鍵を借りている某氏の別荘)に行くと、眼前に広がる相模湾はご覧の明るさです。
私はビール片手に風に当たりながら先日訪問したインドのことを思い出していました。
従業員の女性達は大変貧しいですが、あの人達はインド高原の大地で形而上の世界を生きていて、こんな明るい海を見ることは生涯ないかもしれません。ですが様々な宗教的戒律とカーストに縛られつつ気楽に生きています。
それと我々日本人の生活と比べることは無意味で、彼らを憐れむこともうらやましがることもありません。
ただ時間だけは同じように過ぎ去って行くだけです。
この明るい景観も遷ろっていきます。
などと思いつつ一晩寝て起きたらこんな海になっていました。レースはきょうです。
インド人もクソもなく海に出てみれば14~15ノットの強烈な北風でした。
目指すのは江の島沖、北上しました。正確には北西に進路を取って江の島を右に見る頃にタックします。
スタートには間に合いました。5分前予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)、1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)。
応援している仲間の船は5分前にはスタートラインから大きく離れた海域にいて信号音と共にタック、徐々に風を捉えて満を持したスピードで飛び出しました。お見事!
北風に対してアビームといってゼネカーというセールを出してフルスピードで進みます。仲間のレース艇は飛ぶように行ってしまい、江の島沖まで追いかけて僕達はホームに向けて北に舵を切りました。というのも天気が怪しく、今にも降りそうだったので。
風が強くなると白波が立ってきて追い風で船足が7ノットと早まります。
振り返るともう、えぼし岩を回った船が見えました。早いなぁ。
波は基本的には同じところの海面が上がったり下がったりしているだけですから、うねりが動いているように見えても潮の流れとは関係なし。陸地の見えないセーリングではコンパスだけを頼りに、その怪しげに上下するだけの水面を見ながら舵を取ります。そういう時は操船に集中するのですが、心は宙に浮いたような気に陥ります。何も考えていないでボーッとしているのじゃないですよ。何と言うかやったことはありませんが禅の修行はこんなではないかと思えます。
港に入るとホッとするような、何か掴んだようなリハビリが終わったような気分です。レースはこうは行きませんが、そっちは別の達成感があるでしょう。
それは海上に出ると海の圧倒的な質量に抱かれるからでしょうか。陸から眺める海とは明らかに違っています。山登りも山の質感が同じ作用をもたらすのか、今度は久しぶりに喜寿庵からお城山(海抜千m)に登ってみようかな。
アッ、手首にポツッと雫が。これから雨降りなんだ。
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酷暑の後始末
2023 SEP 1 0:00:17 am by 西 牟呂雄

この暑さが影響を与えないはずもなかろう。
熱中症で亡くなる人さえいるのだから。
ファームの収穫も惨憺たる有様だ。
この出来損ないのキュウリとナスを見よ。
梅雨明けに撮れたジャガイモは親指くらいのチビ・ジャガしか採れず、誰も引き取らないので僕一人で塩茹でにしてバターを塗って食べているが、このペースだと来年まで消化できそうもない。芽が出てしまったら終わりだ。
去年はこんなに見事な収穫だったのになんという事だ。
ニンジンは全滅した。
今年のこのキュウリとナスを最初に見た時はあまりの暑さに突然変異したのかと思った。キュウリは食べられなくはなかったが、ナスは硬くて恐ろしく不味い。
更に、各地で水害まで起こったのにこの富士山北側は雨が少なくファームは乾いた。
しまいにはご覧のようにわずかなナスとピーマンになってしまった。
まるで砂漠にポツンと映えているサボテンを思わせる。
何だか哀れだなぁ・・・。
そもそも8月になる前からカナカナやツクツクボーシが鳴き出して驚いた。
普通は盆明けである。
海は海で台風のせいで大荒れが続き、船は降ろすのだが港からは出られなかった。
お盆以降は風そのものが熱く感じられて全く爽やかでない。
それでは、とバーベキューで酒池肉林をやろうとすると、日差しも強いのでビールが直ぐに温まってしまう。
破れかぶれになって海に飛び込むと、磯溜まりなどはぬるい。
エアコンの効いたクラブ・ハウスに戻ってしまうと、もう絶対に出られない。
これではハーバーに来ている意味などないではないか。
私はツラツラ考える。こうまで異常な熱波は人間を堕落させ、農作物の収穫を減らす。聞くところによれば乳牛も肉牛も仔牛が弱ったりする被害が出ているとか。人間も影響を受けないはずがない。ただ、コロナ禍で3年を過ごした直後だから未だに顕著な状況が見えてこない。
おそらくその影響は今後ジワジワと出るはずだ。どういう事態が襲って来るのかは分からないが、想像するに認知症の患者が増えるとか幼児の死亡率が上がるとか・・・。
私の長年の研究テーマの一つに『認知症の患者は幸福を感じられるか』がある。というのもアルツハルマゲドン状態の脳は私が泥酔した際の全能感に包まれるのではないのかと仮説を立ててみたのだ。そうであるかどうかは自身の脳の衰えに沿った観察しかできないのでいささか手間がかかる。おまけに直近認知症を直す薬が認可されそうで、下手にそんなものが出回ったらボケるにぼけられない。どっちがいいのかと言えばそりゃボケない方かもしれないが、身体が利かなくなっても頭がはっきりしてるのもなぁ。
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レイモンド君 ヨットに乗る
2023 JUL 22 8:08:06 am by 西 牟呂雄

喜寿庵にいたらレイモンド君親子とバッタリ会った。ヒョッコリ先生はいない。レイモンド君は大きな浮き輪を持っている。桂川にでも行くのかな。
『やあ、レイモンド君』
『オハヨゴジャマス』
『どうも、息子がいつもお世話になってます』
『大きくなりましたね。夏休みで帰国中ですか』
『はい。今度はひと月ほどこっちです。だけど暑いですねぇ。普段はロンドン暮らしなんで堪えますよ』
『いやこれは異常ですよ。雨も多いし』
『オニワデアソブ』
『あっ、ごめんね。おじさんこれから海に行くんだ』
喜寿庵は山の中だが東富士五湖道路が御殿場まで通ったおかげで東名へのアクセスが良くなり、下田でも三浦でも東京から行くより空いてて早い。山梨県は神奈川県の隣だ。
『レイモンドモウミニイク』
『えっ、おじさんはヨットに乗るんだよ』
『こいつはまだ海を見たことがないんですよ』
結局この親子と一緒に車で油壷に来た。なぜか初めから水着に子供用のライフ・ジャケットだったのは川遊びのためなんだろうが、ハメられた感がしないでもない。
喜寿庵ではしばしば不思議なことが起きるので、まぁいいか。
道中お父さんと話していたら、今のロンドン勤務はあと5年くらい続きそうだ、ヒョッコリ先生も年を取って来てガタがき出したので、レイモンド君をイギリスに連れて行くことにした、と聞いた。フーン、そりゃそうだろう。会えなくなるのはとても寂しいがこの子のためにはその方が良かろう。
次に会うのは・・・、えっ5年先?ムムッ。
でもって我が愛艇の甲板にチョコンと座ると、それなりの様になっているではないか。
出航前でオトナが忙しくしている脇でチョロチョロしては『コレナーニ』と聞いたり、キャビンに降りて『オフネガオウチニナルノ』などと珍しそうにしていた。
そうかと思うと浮桟橋をパタパタ走って行くので危なくてしょうがない。お父さんは必死につかまえては叱っていた。さてようやく出航。
海は初めてだと聞いたが、まだ水への恐怖感がないのだろう、湾を出ると風は15ノットくらいのいい南風で、うねりも大きい。ピッチングで大きくかしいでも『ウィー』とか『キャー』とか言ってちっとも怖がらない。
幼児スイミングを習わせたそうだが、船酔いもしない。
『ほーら、海って広いだろ。向こうが見えないだろ』
と指さした向こうに富士山がうっすら見えて慌てた。ここからは伊豆半島越しに富士が見えるのだった
チビがいるからセールは上げないで、湾内に戻ってアンカーを打った。クルーの一人は早速飛び込んだ。
『オヨグ』
『へぇー。レイモンド君、海に入りたいの』
『ハイル』
お父さんが船尾から降りて後からそうっと抱っこできるように海に漬けた。
『キャア』
確かにライジャケで浮いている。
だが万が一を考えて浮き輪に乗せてやると、この通りのドヤ顔だ。
ただし、湾内は潮の流れがキツく、ほったらかすとすぐに流されてしまうので交代で浮き輪を捕まえた。
一緒に波間に浮いているとかつてこんなことを考えていたことを思い出した。
この時から既に6年も経ったのだ。年を取ってからの時間はまるで飛ぶようで、まさにアッと言う間。そして何一つ事態は改善されず完結しない。
そのうちに一巻の終わりかと思うと、寂しいというよりそんなもんかなという境地だ。
考えてみれば様々な偶然と、何人もの赤の他人の好意でレイモンド君はこの海原を漂っている。
キミが成人した時に、この記憶は残っていないかもしれないし、そうなると僕の事も忘れているだろう。僕がこの子の年に祖父が早死にしているが、爺様のことは全く記憶にないのだ。
待てよ、僕の最も古い記憶と言えば・・・・。
『モウオウチカエル』
ハッと我に返った。今ちょっと危ないところだったな、気が飛んでいた、レイモンド君ありがとう。
ロンドンに行っても元気でね。僕の事は忘れてもいいや。
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