ハーバー ヨット 酒
2023 MAY 6 7:07:50 am by 西 牟呂雄

連休前半は船に乗っていた。ところが低気圧の早い通過に会って天気は目まぐるしく変わり、おまけに風は台風並みだ。
初日に東京湾が見えた時点で白波がバンバン立っていたのでイヤな予感がしたが、いつもは穏やかな湾内にもうねりが入っていた。通常こういう波は天気が回復しても残るため、船を出してもやたらと波を被るので、まぁ、楽しくはない。艤装の点検をして早寝。
すると翌日は土砂降りになった。とは言えヨット屋は濡れるのが商売だから怯んではいられない。怯んではいられないが、そこはその~、朝からビールを飲んだ。
実は僕は雨が大好きで(他のクルーは嫌いだが)キャビンで雨音を聞きながらウトウトしたり焼酎もチビチビ。
浮き桟橋から覗くと小魚が群れてグルグル回っている。どういう運動法則で動いているのか、突然向きを変えたり反対周りになったりしながらゆっくりと移動している。どうも先頭を進む1尾が全体を統率する訳ではなく、群れの真ん中あたりにいた奴がクッと向きを変えると全体がついて行くようで、1時間ジッと見ていたが全く法則が思いつかなくて数式化を考えるのは止めた。
雨が上がって来た。燕がヒラヒラと舞う。そうか、もう巣作りの季節なんだな。
日が時々差し込むが全般的に曇り。もう酔ったかな・・・。
フト気が付くと夕方で、何故か誰もいない。みんなはどこかの船に飲みに行ったか外に食事に行ったらしい。海は相変わらずの鈍い鉛色のような荒れ方だが、時間がここだけ止まったような静けさのままだ。
ハーバーでは見知った顔は皆が挨拶をするし、クルーとはバカな話で盛り上がる。だが航海に出ない時は手慰みにロープを手に取ったりし、結局誰もが孤独なのだ。即ち、目標を失った人間ほど始末に悪いものはない。
前期高齢者の僕は秘かな目標を持ってはいるが、人に明かすことはない。
次に目が覚めたのは夜中。クルーは全員酔い潰れて転がっていた。
一人で外に出て浮き桟橋から星のない空を見上げると、さざ波の揺れを背中に感じながら転がってみた。海と空の間に一カ所だけ真空でカラッポな何かがあって、それが僕だ。その僕は、自由であり、漂っていて、不確かな、無用の長物である。背中の下の海中には昼間見た夥しい命が蠢いて、それらの発するエネルギーはカラッポの僕を通過して暗い曇天の空に放射されていく。一人が寂しくはなかったが、上述のささやかな目標、誠にささやかな前期高齢者らしいものだが、それに思いを巡らせ、ひょっとしてその思いとともに今、フラフラと海に落ちたなら一体誰が気が付くだろう、と思ったら怖くなって寝た。
翌日、この1年以上水置きしていた船が、メンテナンスのためにクレーンで上架されていく。見ると船底にビッシリと海藻やらフジツボが付いている。これを掻き落としてやらないとスピードは出なくなったり舵の効きが悪くなる。この船は人間で言えばちょうど前期高齢者くらいになるはずだ。水置きの場合走り続けなければアッと言う間に(1年程度で)こうなってしまう。
ムムッ、僕もボヤボヤしてる訳にもいかない。ささやかな目標のためにも。
今日は出航する。気付けにウィスキイをストレートであおった。
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油壷湾へ
2022 AUG 1 6:06:57 am by 西 牟呂雄

異常に暑い夏はなぜか気ぜわしい。それは暑い分だけ早くエネルギーを消費してしまい、夏が短くなるのではないかと気を揉むからだ。あれもしなくちゃ、今年はこれもしなくちゃとジタバタして、焦りながら半分も予定が消化できなくなる。早速、京都に行く予定が潰れた。
戻り梅雨のような長雨が去って、これからは台風を気にしなくてはならないが、前期高齢者という若者の季節の幕開けである。やはり夏には一度は海に浸かりたい。前期高齢者であるが故に、人生あと何回海に飛び込めるかと思えば外せない。
コロナのせいで港のお祭りは無くなったが、レースはボチボチ復活していて、三重県志摩ヨットハーバーから江の島までの通称パール・レースが行われている。ホーム・ポートからもエントリーしていて、本日〈7月23日)にはもうゴールする予定。結果が分かるまでチョロっと湾の入り口まで行ってアンカーを打った。
夏の海の透明度は低く、立ち泳ぎで足の先まで見える程度。浮き輪に掴まって海面目線で相模湾をしばらく眺めていた。伊豆半島は低い雲がかかっていたが、そこから富士が山頂を覗かせている。風は結構出ているようだ。この透明度が上がって来て足先から海底までが見えクラゲが漂ってくると、あぁ今年の夏も終わったな、となる。
安倍元総理が撃たれた。この日本であんな暗殺があるなんて。背後の政治勢力もない、新興宗教を恨んでの個人的な感情を飛躍させた妄想テロである。こいつは始末に悪い。更にこれだけ国益を損なうようなテロの犯人も単なる一人の殺人では死刑にはならない。
ニュースで使われた動画は実際に銃弾で吹っ飛ぶシーンはカットされているが、あれだけの聴衆のほとんどがスマホを片手にその場にいたのだ。関西の方から流れてきた動画には一発目の硝煙が上がり、振り返った元総理が被弾して倒れるところがハッキリ映っていた。奈良県警の弛緩した警備とSPの無能ぶりがまる分かりで腹立たしい。危機管理零点の平和ボケぶりは日本国を象徴しており、責任者はクビどころかハラ切りモノの醜態だ。
故人を嫌う人も多いのだろうが、VS石破、VS立憲、VS共産、どの相手も内政での功績では歯が立たなかったのが実情であり、ましてや外交の成果に至ってはG7の会合に他の顔があったことを想像すれば(石破・枝野・辻元・レンホー・小沢・志位と想像してみてください。鳩・菅は実証済み)お分かりだろう。同じ学年だったし、強烈に支持していた。オット、SMCは政治的主張はご法度だった。
コロナ第7波は数だけは凄い増え方で、ついに周りの人が感染しだした。さる92才になる知り合いの女傑が罹ってしまったのだが、熱がチョット出ただけだった。普段は息子夫婦に孫娘と同居していたのだが、入院には至らないと聞くや厳かに『解散!散れー』と号令をかけて今も一人籠城しているとか。
この異常な熱波はヨーロッパをも襲い、山火事を引き起こし死者も出ている。地球温暖化のせいかどうかは分からないが生態系にいいはずもない。環境変化による厄災の多くは人間が引き起こしたことに相違なく、現に今もウクライナにおいて人為的な殺戮と猛烈な環境破壊が進行中である。COVID19は少しは控えろ、という人類への警告かも知れない。
この足元を回遊しているはずの雑魚も、釣りの好きな連中に言わせるとまるで南の海のようだと言っている。戦争と疫病の同時進行とはハルマゲドンの世界。昔はやったノストラダムス先生はこの件については何も書かなかったのか。誰か探してこじつけたら面白い。物騒な新興宗教なら言うだろう。『悔い改めよ。神の国は近づいた』
『おーい、いつまで漂ってるんだ。そろそろファースト・ホームの船が回航してくるからアンカー抜くよ』
えっ、そんな時間か。
急いで船に上がりアンカーを上げた。
どうやらこのハーバーから参加している船がクラスCで3位に入ったようだ。
実は、最近はある船のオーナーと僕達は仲良くなって、オーナーの海の基地(別荘)を出入り自由にしてもらっている。そのクルーが僚船にかりだされて3位入賞したらしい。
これは今晩は盛り上がるぞ~、と早速その基地に上がり込んでパーティーの支度に取り掛かった。
ここからは湾内が良く見える。
日の暮れる前に続々とレース艇が入港してきた。クルーはみんな達成感一杯のいい顔をしている。
あっ、もうシャンパン開けてるじゃないか。早く追いつけ。
僚船は鳥羽からまる一昼夜、26時間という好記録で3位。
スタートの凪に泣かされたが、その後はいい風を拾って順調な航海だったと。
そしてトップを行っていた船が下田から大島へ向かう途中に怪我人をだして波浮に入港しリタイヤ、3位に食い込んだそうだ。そのリタイアした船にも仲間が乗っていたので心配したが、その人は無事だった。この下田―大島間は波が干渉して小山のような三角波が立つ難所で、僕も恐い目にあったことがある。やはり海は危険なのだ。
レース談義で盛り上がったのだが、参加した人々はクタクタになっていて早々と寝てしまい、参加してもいない僕たちがドンチャン騒ぎを繰り広げた。
翌朝は快晴、微風。いつもはサッサと船を上げて帰るのだが、26時間も風や波と戦ったメンバーに敬意を表して出航しショート・セーリングで風を浴びた。これからは台風も来るし、夏はもう行ってしまう。
お疲れ様、わたつみの人々。
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梅雨の合間の相模湾
2022 JUN 19 0:00:44 am by 西 牟呂雄

強い雨が多い今年の梅雨。実は雨に降り込められてボヤーッと本を読んだり音楽を聴いたりしているのも実に居心地のいいもので、好きである。好きではあるが、飽きるのも早いのは事実だ。
さる週末にクル-ジングの声がかかったので早速乗って来た。最近若いクルーが入って来たので、その練習がてら船団を組んで伊東まで温泉に浸かりに行くことになったのだ。
毎年この時期に行われていたレースがコロナで2年間できず、みんなうずうずしていたらしく、直ぐに話が大きくなった。伊東のハーバーはゲスト・バーズを拡張したのでウェルカムだったのもある。
レース形式は取らずに、入港時間の申告制にして各艇バラバラにスタートし正確さを競うのである。
で、風の予想であるが前線がやや南の大島あたりを通っているようで午前中は北からの微風、この時期は午後から南風(はえのかぜ)が吹くはず。それを狙って10時に油壷を出た。案の定1時間くらい行っても風はなく、オート・パイロットでのんびりとビールを飲んだ。まわりには先に出た艇が2隻ほど霞んで見えたが船名まではわからない。
するとやはり南から風が入りだした。『セール・オン』スキッパーの声がかかり、配置に着いたクルーがスルスルとメインとジブを上げ、船が大きくかしいだ。グングン船速があがり7~8ノットで走り出す。アビームのランは最も舵を取りやすいので、新人に任せて風を浴びた。
イルカの群れが横切った。すると逆側から別の群れが。何かを追いかけているのだろうか。
この海の中で狩りが繰り広げられているのかと思うと何かと血が騒ぐ。
相模湾はプレートがぶつかっているトラフであり、最深部が1,600mと日本の沿岸では最も深い。従って生物も多様であり、あのイルカもハナゴンドウかも知れない。
我々はその多様な海の海面に点として今存在しているわけで、誠に心細いといえばそうである。うっすらと大島のシルエットが見えるがその向こうは太平洋であり、幅100kmに達する最速4ノットの黒潮が流れている。その端っこに点として存在する間は、いかにその営みが知的であろうと冒険的であろうと渚の砂粒よりもミクロであり、寂しいものであろう。
船影が近づいてきた。見えた船名は僚船で行き先が同じ伊東だ。そしてその船は初島―大島レースを2連覇している快速艇である。向こうもこちらに気が付いて手を振るのだが、その表情は驚きに満ちている。それもそのはずで、我が艇は殆どのレースも早々とリタイアするので有名なのにこちらが先行している。向こうのスキッパーが檄を飛ばしたようで、それまでのんびり甲板から足をブラブラさせていたクルーたちが配置に着いた。
こちらのスキッパーは秘かにエンジンをかけて回転数を上げ『あっちは今頃ベロンベロンになってるはずだからイジワルしてやる』と舵を握った(自分もベロベロなんだけど)。向こうがコースを変えてこちらの後ろを右舷から左舷に切り込もうとするのでこっちもそのコースを取って風が行かないように頭を取ろうとする。なかなかのデッド・ヒートに歓声が上がる。
あっ風が上がった。風速計をみると17ノットくらいの強風だ。向こうが一気に勝負に出て、素早くタックし右舷に回ったところでもはや手も足も出なかった。やれやれ。もう伊東が見える。4時間半!我が艇の新記録である。
遠くで護衛艦がへりの発着訓練をしているのが見えた。
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海に賭けた人
2022 MAY 8 7:07:54 am by 西 牟呂雄

出航してアレッとなることがある。天気予報や陸で晒されていた時と当たる風が違う。
この日も湾から出た途端、いつもの連休とは明らかに違い南風(はえのかぜ)の強風に驚いた。千葉方面に東京湾を横切ろうと考えていたが、さてどうしたものか。日差しは曇りで相模湾には既に多くのヨットが出ていた。
結局スキッパーの判断で、風を掴んで江の島方面に行ってみようということにした。わが愛艇はこういう場合に多数決はしない。スキッパーは慎重なのが分かっていて、それには異を唱えないのが不文律である。
風は強いのだが追い風に乗っていると風速はあまり感じない。ましてや海面は波頭が飛ぶようなこともなく、むしろ静かなのだ。ジブを思いきり出してみると、それだけで十分な帆走ができた。
今日のクルーは結局3人。スキッパーは酒を飲まないし、もう一人は若い初心者なので、僕はその子に舵を取らせてさっそく一人出航の乾杯をした。
滑るようにいい風を拾うと7.5~8ノットの走りで江の島に着いた。
ここのハーバーはオリンピックの会場となって設備が一新され昔の面影はなくなった、無論いい意味でだ。
若い頃から江の島には来ていたが、陸から行ったことはない。ましてや観光なぞしたこともない。この年になってあんまりだと頂上まで登ってみることにした。
ところが船を降りた途端に知り合いにバッタリ会ったので、ワインを開けて話し込んでしまった。
『どっか行くの』
『ウン。真鶴までかな。そっちは』
『ここで泊ってあした帰るんだ』
『あした?ゆっくりしてなよ。あしたオレ帰って来るから』
『あした午後から雨だぜ』
『雨ぐらいどうってことないだろ。ヨット屋は濡れるのが商売だろが』
こんな他愛もない調子ですぐに一本飲んでしまった。さてご飯でも。行きつけの(といっても何年ぶりかな)食堂に行くと、いつものオヤジさんがいない、見たこともない人が厨房にいるではないか。聞いてみると体を悪くして引退してしまったそうだ。で、刺身定食を頼んだがはっきり言ってオヤジさんの時よりまずい!特にマグロの刺身はダメだった。
さて、夕暮れになったので江の島観光に。
江の島は弁天様で名高いが、実は弁天信仰は神仏習合で仁和寺の末寺であった江戸時代まで、明治の神仏分離の際に宗像三女神を祀る奥津宮(おくつみや)、中津宮(なかつみや)、辺津宮(へつみや)の神社となった。廃仏毀釈の折には三重塔をはじめ多くの仏像が失われたが、やさしいお顔立ちの弁天様は残った。こういうことをするので明治の薩長政府は嫌いだ。
石段を見上げてエ~っと思ったら『エスカー』なるものの切符を売っていたので早速買ったが、ただのエスカレーターのことだった。頂上のあたりで日が暮れた。
翌日は曇天。風は昨日とは違う東風で、アビームにセールを出して一杯にはらませた。予報ではこの後北風に変わって雨模様である。東風だから相模湾内はうねりは立たない。きのうと同じく楽なセーリングである。
時節柄、知床の観光船の痛ましい事故の話になったが、荒れた海での操船技術の問題以前に、海の地形の認識のが足りなかったのではないか、という結論になった。岩場の近くの海底はそれこそギザギザで、油壷の周辺でも回航してきた学習院大学のヨットが荒天に遭難、麻生太郎の弟さんが亡くなった事故があった。
ついこの前も大事には至らなかったものの海上保安庁が出動する事態があった。観光船であれば、陸の近くを『見せ』るために近づくため、それこそコースの海を知り尽くしていなければ。それが30度も傾斜したということは一瞬に浸水したはずだから、余程の亀裂が入るほどの突っ込み方をしたのだろう。30度ならばスキー場の感覚でいえば、垂直に近い視線のはずで這いつくばることもできなかっただろう。
風が北に変わった。セールを広げると船足が早くなるとともに大きくヒールした。
入港すると霧雨が降って来た。
雨のハーバーはとても寒い。
その雨の中、一人の老人が歩いて来る。鮫さんだ!鮫さんは港の中のボート・ハウスに住んでいたが、そのハウスはずいぶん前に無くなって、鮫さんも姿を消していた。数年前に一度バッタリ会ったのだが、太平洋をヨットで横断して暫くアメリカにいたらしい。その後、グアムに行ったとか三重県で目撃されたとか噂されていた。
『寒いね』
『お久しぶりです。どうしてたんですか』
『オレ?ずっとここにいるよ』
『えっ、全然会わなかったじゃないですか』
『そうかい。ワシャしょっちゅう君を見かけてるがね』
『そうなんですか。今はどの船に乗ってるんですか』
『声がかかればどの船にでも乗るさ。海でしか生きられないからね』
答えになっていない。だが鮫さんに聞いた人生を思い出すとわからんでもない。この人は海に賭け、海に生きた人、本当ならばだが。
待てよ、もし本当なら100才くらいじゃないのか・・・。アレッ、いない!まさか。
詳しく知りたい方はどうぞ。
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海の忘年会
2021 DEC 19 23:23:25 pm by 西 牟呂雄

クルーは全員2回接種済。寒風吹きすさぶスカスカの空間。海の上は密でもなんでもない。大掃除も兼ねて久しぶりにハーバーに集合しました。
天気は快晴、12月にしては暖かくいい気分で車を飛ばして行きました。するとですぞ、横横道路で磯子のあたりを上機嫌で走る私のバック・ミラーに赤いランプが回転しているのが見えます。しまった!
話は一日遡るのですが、私は大嫌いな府中の某所にいました。普通の人なら最寄りの大きな警察で済む免許の更新を、不愉快極まりないことに1日がかりでしなければならないのです。事情は
をご記憶の方もおられるかも。免停を食っている私は人並みにはいかないのです。
神奈川県警交通機動隊員は私のピカピカの免許証を見てせせら笑ったように言いました。
「きのう講習を2時間も受けてるじゃないですか」
ウルセー!そんなことより私はどの程度オーバーしたかで頭がいっぱいでした。確かメーターは1××キロは出ていて、下手すると一発免停の上また府中でアレを受けなければ・・・。クソ機動隊員は厳かに『24キロオーバー。減点3点。罰金2万5千円』と言うではありませんか。思わず出た言葉は、
「ありがとうございます」
さすがにマヌケであり、クソ・ポリスがビックリしていました。
その日は私のバカさ加減に盛り上がり、今年の無事故と来年の航海の無事に乾杯してお鍋を囲みました。
翌日、冬の好天に恵まれたやや低い日差しの元、少しだけセールをあげるため出航したところ、セールが上がらない!
わが艇のメイン・セールが巻き込み式のため、あまりにほったらかし(夏以来)にしたので潮で膨らんでしまい引っ張り出せません。出し入れを繰り返しやっとの思いでセール・オン。
ですが風は無い。冬は富士山や大島がくっきりと見えるのですがモヤってうっすらとしか見えません。
今日はレースがあると僚船が言っていたので逗子の近くのスタート・ラインまで冷やかしに行きます。するとあまりの無風にスタート待ちになっていてみんなヒマそうに午後の風待ちでした。天気予報は午後から吹くとの予報がでていましたし。
やわらかい日差しが海面に反射して星が飛んだようなところをパチリ。
そろそろ帰港するかと船を回し油壷に向かいました。セールも降ろします。
突如、海面に風紋が浮かび上がったかと思うとサーッツと南の風が入りました。あれあれ今頃こんな風が来るとは。レースは真上りの難しい展開になるな、と後ろを見やります。それがなんだかおかしい。どうも各艇がエンジンをかけて真っすぐに向かってきています。風速計は30ノットを超えています。秒速15~18mの風です。
そうこうしているうちにうねりが大きくなってピッチングまではじまり、結構波を被る程の風。普通、天気が急変するのは前線が通過したりして雲の線が見えるのですが、相変わらず晴れ渡っていて、遠く大島の方に雲の塊が見えています。ひょっとして爆弾低気圧のように急発達でもしたのでしょうか。あの船団はレースが中止になったのでフル・スロットルで帰港しているのか。ヤバイヤバイ。
ほうほうの体でやっとこさ入港すると、今度はハーバーが物々しいではないですか。救急車・パトカー・上空には保安庁のヘリ。まさか私の旧悪がバレて手が回ったか、きのう捕まったばかりだし、まさか。
事の真相は大変なことが起きていました。ゲストを大勢乗せてセーリングしてしていたヨットが、先程の天候急変でスキッパーの人が落水。近くの僚船が落ちたスキッパーは救助したのですが、他に操船できる人がいなくて漂流してしまったようなのです。一報を聞いてハーバーからボートがレスキューに行ったところ、悪いことに強風で岸の方に寄せられいてしまい乗り移れず、別のクルーザーが救助・回航したのだそうです。保安庁のヘリが飛んでいました。
これは、実は大変に危ない事態で、岸に近いところはうねりが干渉して大きくなり、岩場に叩きつけられて大破することもあります。現にこの辺りで麻生太郎元総理の弟さんが難破して亡くなっています。
今回は幸い犠牲者はなく、船も損傷せずにすみましたが、クルーは大反省のうえクラブの安全委員から大目玉、レギュレーションは厳しくなるでしょう。
昨日のスピード違反や泥酔。そして先程の事故。以て他山の石と反省し、来年の安全を祈念しつつ、今年もお世話になりましたの思いを込めて舟を上架して船体を洗いました。
愛艇アル・カン・シャルよ、来年もよろしく。
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さびしい海 もう一人いた
2021 AUG 24 11:11:22 am by 西 牟呂雄

航海を終えて港に帰って来る。入港時は午後2時できつい日差しに潮をかぶってザラつく肌がヒリヒリするが、波を騒がせる一陣の風を受けるとヒヤリと冷たさも感じる。
入港して浮き桟橋に船体を舫うと、見知った顔が声をかけてくる。
『どこまで行ったの』
『城ヶ島を一周』
『風は』
『ぜんぜん。だけど前線の影響でうねりが大きくてね』
『オーイ、ワイン開けるよ』
声がかかると、ハーバーで手仕事をしていたほかの船のクルーもやって来る。僕はもう少し強い酒が欲しくてバーボンをぬるい水で割って飲んだ。断酒後2回目のアルコールなのでゆっくり飲む訳にはいかないのだ。サッと飲んですぐ止める。実は先日の検査結果が良好だったので、必死に先生に食い下がり「週に一回くらいならしょうがない」の一言を引き出した。
風を浴びて進むヨットは咳をしようが酒を飲もうが飛沫感染の心配は全くない上に我がクルーは既に全員2回目の接種を受けている(全員高齢者)。だが神奈川は緊急事態宣言下であるから、メシを食べに行っても酒は出ないからミニ・バーベキュー、仕方ないね。今日は仲間の船がキス釣りに行き、これが大漁だったのでキス天の御相伴にあずかった。
そして当たり前だが来ているクルーは少ない。どうもこの大変な時にヨット遊びとは何事だ、との地域の目もあるようだ。三浦には高級養護施設も多いのだ。
湾の入口の海水浴場も開いていないのでテントがチョットあるだけ。波ばかり打ち寄せていた。
静かな海面をデッキで腹ばいになって見ていた。すると海面がグラリという感じで揺れた、何だ。覗き込んだが何もない。ただ、水面がやけに赤紫のように一瞬見えて、すぐ元にもどった。すると、何故か言いようもない恐怖感、危機感に捕らわれた。
みんなの話している声が聞こえるのだが、誰だか思い出せないが良く知っている声が耳に入る。何だか面白そうな話をしながら良く笑っている。どうも本人の失敗談をしているようだが、聞いていると全く反省していないのがヒシヒシと伝わる。
すると何だか腹立たしくなってきた.こいつはチャランポランな奴に違いない。チョット割って入ってやろうか、と起き上がった。
そろそろ夏の夕日が落ちて来た。赤い空を見やった途端、また海の色が変わったような気がしてぐらりとよろめいた。
ところが何かおかしい、誰もこちらに気がついていない。僕のことが見えていないのか。おい、みんなどうしたの?その時、その気になっている奴が振り向いた。エッ!その怪しげな男は僕ではないか。まさか・・・。
キス天でお腹一杯になった頃には日が落ちて来た。さっきまで随分賑やかだったのに一瞬みんなが話を止めて、赤い夕空を見入っていた。湾内を風が通ると涼しくてため息が出る程だ。今年の夏も過ぎていき、終わる。年を取るわけだ。
と、眺めているとだらしなく酔っ払っているどこかのバカが甲板に転がっていて、実に目障りだ。さっきからいたのだろうか、挨拶もなしに。そもそもこの夏の夕方にモロに日差しを浴びるのがどんなに危険なことか、酒を飲んだ場合は特に。日焼けと脱水症状で高熱を出すのがオチだ。
しかしクルーの仲間もスキッパーも気にも留めていない、どうしたことか。仕方ないな、オレが行って起こしてやるか。だいたいどこの船のメンバーなんだ。
デッキの前の方に行こうとパルピットを掴もうとした時になぜか手元が狂った。船がグラリと傾いたかと思うと、そのまま海面に落ちた。しまった。停泊中の落水はヨット乗りの最大の恥、なんて言い訳すりゃいいのさ。
ところがすぐそこにいるはずの仲間はだれも声をかけてくれない、去年落ちた時はすぐに助けてくれたのに。34フィート級の甲板は意外と水面から高い。
これは泳いで桟橋まで行くしかないか。その時、甲板で寝ていた奴がふてくされた顔で覗き込んだ。見上げてアッ、と声を上げた、そいつはオレじゃないか!すると今泳いでる俺は・・・、コワイ。
直近、油壷で起きた実際の話を元にしたブログです。なお、ワタシの体験ではありません。
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戒厳令下のヨットやゴルフ
2021 MAY 9 21:21:34 pm by 西 牟呂雄

人々はオリンピックを見たくないのだろうか。このチャンスを逃すと、例えば僕はナマでオリンピックを見ることはもうないだろう。そのせっかくの機会よりも自粛疲れによるドンチャン騒ぎの方が優先するのだろうか。池江選手につまらんSNSを送るな!
居酒屋で酒類禁止とは、かの悪法である禁酒法時代のアメリカだな。この禁酒法によってアル・カポネが大儲けし、その後のマフィアの隆盛のきっかけになった。そうなる前にライフ・スタイル、ビジネス・モデルを変えてしまわないと、と知恵を絞ったが、何も湧かなかった。
海は密にならない。ヨットは常に風を受けている。晴れてさえいればいやというほど日光を浴びる。コロナなんかねぇ。
でもって油壷に来てみれば,運悪くというか何というか快晴で虹まで見えるのに強風波浪注意報。ほとんどの船は外に出られずご覧の有様。クルーもヒマを持て余していた。ここは緊急事態でも蔓延防止でもないので店で酒が飲める。うちの船の連中は近くのお寿司屋さんに行ったらしいが、僕はキャビンで本を読んでいた。
「アッお久しぶりでーす」
明るい声がして人が一人入ってきた。見たら若い女性で誰だか知らない人だ。
「えーと、みんな出ちゃって誰もいないよ」
「あたし分かりますか」
「ごめんなさい、誰だっけ」
「高校生の時に一度お目にかかってますよ」
「そうなんですか。そりゃ失礼しました」
「あたし就職して後輩になりました」
一瞬の間が空いた。僕の最初の勤め先は荒っぽいことで知られる素材メーカーで、タコ部屋に押し込んだようにコキ使う。そこにこんな可愛らしいお嬢さんが勤めることは想像の範疇を超える。
「なんだってそんな無謀なことを・・・」
「昔お目にかかった時に伺ったお仕事の話が面白くて学校の先輩を訪ねたんです。そうしたらその先輩たちもみんなキレッキレであたしも行きたいなと」
「ふ~ん」
目の前のお嬢さんが高校生の頃と言えば東南アジアをウロウロして随分危ない目にあっていた頃かな。キレッキレとはどういう意味だろう。そういえば同僚や先輩にブチギレする人物がたくさんいたが、そういう人という意味ではなさそうだ。
「で、今は何をなさってるの」
「✖✖製造所で△△課にいます」
「それは□□係ですか」
「いえ、▼▼係の方です」
いや驚いた。僕が40年前にいた職場ではないか。しかし、時代は違っているに違いない。僕がいた頃はそれはそれは酒浸りの凄まじく野蛮な職場だったから、このようなお嬢さんに務まるはずはない。恐る恐る聞いてみる。
「○○○○の習慣はまだ続いてますか」
「噂には聞きましたが3年前には廃止されました」
「△▽△はまだ出入りしてますか」
「毎月いらっしゃいます。コロナのせいで接待はされなくなりました」
やはり昔とは違うな。そしてそれは進化とか改革とかいう過程を経て世の中にアジャストした結果だから、僕も別に寂しいとも懐かしいとも思わない。デジタル化でもIT革命でもいい。ただモノ造りのスピリットだけは残してほしい。
いろいろ話していると、随所にその片鱗が感じられて嬉しかった。そして改めて尋ねた。
「結婚されても続けますか」
「そのつもりなんですが、私は総合職キャリアなので転勤がつきものですよね。会社が配慮してくれるかどうか。今の彼は専門職キャリアなのでほとんど転勤はありませんから」
そこだよな。彼女がキャリアを積むと、例えば子育てなんかが全部彼女の方にのしかかってしまうと無理が生じる。家族の協力、行政の補助、ご主人の理解、会社の配慮、そして何よりも子供さんの幸せが担保されなければ。社内結婚でもしたら勤務地が九州と北海道になることも、或いはどちらかが外国になってしまう可能性だってありうる。僕らの頃は家庭の状況も何も、紙切れ一枚でどこへでも行くように訓練されてしまった。本人の希望もクソも無かったものだ。
暫くしたらクルーが帰ってきた。このあたりは緊急事態でも蔓延防止でもないから全員出来上がっていて絵にかいたような酔っ払いだらけ。乗り遅れた僕はあまり酒が進まず、ひと眠りして夜半に喜寿庵に移動してしまった。お嬢さんがんばんなさい、と声をかけて。お嬢さんはクルーの娘さんだった。
一つには先日の霜にやられかけたネイチャー・ファームが気になったせいもある。東名高速で御殿場を経由すると、今は東富士五湖道路に直接乗れるようになったので、港から2時間はかからない。
翌朝、早速ファームの点検に行くと丹精込めたつもりのキュウリが枯れているではないか。どうもここの土壌はキュウリと相性が悪い。
今年新たにチャレンジしたニンジンは芽を吹いた。
ニンニ君ことニンニクはやはり難しく歩留まり5割。
ダイコンは順調。ジャガイモは霜害から復活。
キュウリの戦死に頭に来たのでゴルフに行く。ホームコースに行ったところ、何と駐車場はギッシリで東京のナンバーも多いではないか。だが、ここも密にはならないしお風呂は帰って入りゃいいんだからどうってことはない。酒も飲まないし。
それはいいが、できるかどうか。するとある2サム組の了解が得られたのですぐぬ出られた。女性は金髪のオバサンでもう一人は角刈りのアンチャンという恐ろし気な二人、オバサンのエラソーなしゃべり方から店の従業員を伴ってのプレイらしかった。
「二人とも下手ですし、コイツはコースに出るのは今日が初めてなんです」
エラいのと組まされたもんだ。で、結論から言うとオバサンは本当に下手、アンチャンは驚くべきポテンシャルを持っていた。小柄なのだが何かのスポーツ経験者らしく、ドライバーで280ヤード以上は飛ばす。しかし3ホールのうち2ホールはOBだった。スコアはメチャクチャ.しかしロングホールで2オンしそうになり、更にバーディーを取りそこなった時は慌てた。オレの30年の精進は何だったのか。
僕はと言えば、この日は苦手なホールはドライバーを打った後はPWとか7番Iとか1本だけでやるというゴルフに徹した。ロング・ホールだけはスプーンとクリークを使ったが、最近の課題は寄せのマズさだからだ。ピッチ・アンド・ランを磨くつもりだったがスコアは不思議なことにいつもながらのものになる。
オバサンはヒーヒー言いながら、アンチャンは元気に走りながら、それなりに楽しくプレイできた。アンチャンにはマナーをいちいち教えてあげると大変に感謝されて、終わった時には又やりましょう、と約束した。
こうして東京周辺をグルグル周っていれば戒厳令下でも遊んでいられる。かえって自由な僕の長いGWだったが、エート、仕事の方は・・・。
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冬季夜間落水救助訓練
2021 FEB 6 0:00:08 am by 西 牟呂雄

2021年である。緊急事態宣言も延長され、どんな年になるのか全く分からない。みんな同じだ。
すっかりルーティーンが狂ってしまったが、いつまでも嘆いてばかりはいられない。とにかく海の安全だけでも確保しようとハーバーに集まった。ここではソーシャル・ディスタンスはスカスカだし岬の突端だから風はいつも吹いている。ハーバーはとても静かに新年を迎えていた。我流安全祈願祭をやり海の神に酒を捧げ、自分の胃にも注ぎ込んみ、船内をアルコール(酒ではない。本当のアルコール)で拭いて清めた。
海面に小さなさざ波が立っている。浮き桟橋からよく目をこらして見るとボラがキラキラと日の光を反射していた。すると水鳥がスイスイと寄ってきてスッと潜ったと思ったらボラを咥えて浮いてきて、そのまま丸呑みした。のどかである。
さて、今年はどうしようか。スキッパーはオリンピックがあればヨット競技のボランティアをやるためオリンピック中は航海できないし、その他レースもできるかどうか。去年は伊豆の島からできるだけ来るなのお達しがあった。目下の状況が収まってくれなければ今年も嫌がられるはずだ。保田・真鶴・熱海・伊東あたりどうなんだろう。
クルーは全員前期高齢者になったが、船はこれだけ手を入れているからあと10年もつのでそれまでがんばろうか。
ほかの船も新年顔合わせで来ていて、ヨシッ、バーベキューでもやろうか、となった.直ぐに買い出し班と設営班(簡易コンロだが)が動いて料理班が野菜を切り、かんぱーい。それぞれの船から飲み残したウイスキイや焼酎・日本酒が出てきて酒池肉林になる。僕はやかんで温めた熱燗を飲んだ。
するとですな、酔いがまわるんですなこれが・・・。
キャビンで目が覚めた。寒い。トイレに行っておくか。皆寝たみたいだな、ヨッコラショ、と桟橋に飛び降りようと・・・した。
ダダン!ジャボーン!アーッ(僕の声)
34フィートのクルーザーでは海面からデッキまで届かない。おまけに厚着をして靴をはいたままでは泳げたもんじゃない。浮き桟橋に掴まろうとしていたら靴が脱げた。
ところでこの時期の海水温は15℃くらいで、落ちてしばらくは”寒い”とはあまり感じなくて、いい気持ちとは言い難いが凍え死ぬとも思えなかった。
デッキで倒れた時の音と直後の水音で寝ていたクルーが起きてきた。
「おーい、意識あるか」
「あります。水も飲んでません」
「ぎゃはは。ほら掴まれ」
二人掛かりで引き上げてくれた。途端に物凄く寒くなった。
「早く脱いで脱いで、着替え持ってるの?」
「オレシャワー・ルームの電気付けて来る」
「あっ着替えならあります」
「急がないと風邪ひくよ。このご時世に熱なんか出したら非国民扱いだから」
みんなが親切にしてくれるが、その表情は明らかにニタニタ笑っていた。そしてパンツ一丁になった僕はあまりの寒さに震え乍らグルーミング棟にヒョコヒョコ(はだしで)歩いて行き、熱いシャワーを浴びて寝た。
翌日、ボケーッと起きてコーヒーを飲んでいると桟橋が騒がしい。
「夕べは大変でしたね」
「いやー、まさか落ちると思ってなかったから驚いたよ」
「本人どうしてます」
「のんきに寝てるよ。危なかったよ、ポートサイドだから上がれなくてね」
どうも、昨日の落水のことを話している。何で知ってるんだ。人がいなくなったのでこっそりとキャビンから出ていくとクルーはニヤニヤしている。夕べのドジを平謝りに詫びて、先程の会話について恐る恐る訪ねた。何でもう知っているのか、と。
「あれだけの騒ぎだからほかの船もみんな見てたよ」
「・・・・」
酔っぱらっての落水など、ヨット乗りとしてはあるまじきミス!そこで僕は提題の『冬季夜間落水救助訓練』だったことにしてくれ、と頼み込んだ。すると・・・。
「今更遅いよ。あの騒ぎに気付いた××××(遠くに停泊していた船)のクルーがパンツ一丁でウロウロしてるところを動画で撮ってハーバー中に配信したんだよ」
何たる。動画を見せられた。消去してくれ、と泣いて頼んだが無視され永遠に残ってしまった。
この話は続きがある。今年93歳になる僕のオヤジは大学ヨット部OBで、この顛末を聞いてこう吐き捨てた。
「お前もうヨットか酒のどっちかやめろ。この恥さらし」
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初冬のハーバーにて
2020 DEC 8 0:00:19 am by 西 牟呂雄

冷たい北の風が強い。こんな時はメンテナンスでもしながら酒でも飲むのがいい。某日、クルーの都合が合ったので油壷に集合した。ヨットは風がなければ走らない。従って船の上では密にもならない(酔っぱらってキャビンで寝るときは密かも)。誰もマスクなんかしてない。
風は18~20ノットと強いが波は立っていない。よし、行くぞ。
この時期はあまりもやっていないので、相模湾越しの富士山がはっきりと見えた。山頂部分が冠雪している。
江の島を目指す。強風で7~8ノットとこの船にしては結構な速さだが、うねりがないのであまり波をかぶらない。
海面を見ていると潮目のように色の濃くなっているエリアがあって、そこに風が叩きつけられている。その青が迫ってくるとウワーンといった感じで強風に大きく船が傾く。風の当たる角度によって持っていかれるように舳先が流れるか逆に風上に切りあがってしまうか、いずれにせよ舵を操作するとまるで生き物が跳ねるように船速が増す。腕の見せ所であり醍醐味だ。この間、頭の中はカラッポの状態と言っていいだろう。即ち煩悩からは解放されているのだ。ズーッとこの時間が続けばいいような気がしてくる瞬間だ。音もしない。
「そろそろタックか」
スキッパーの声で全員配置につき、ヘルムは僕だったから合図とともに舵を切る、ゆっくりと船を回してセールを固定した。帰りはさすがに波を被るようになって寒い。
この時期の日没は4時半だから3時をすぎると夕日は低くまぶしい。海はすでに青さは消えつつあり海面が暗くなってくる。ハーバーに入れてから何をするか、といった煩悩・雑念が湧いてくる時間である。
しかし飲んではしゃぐ気になれなかった。海の暗さに塗り込められたわけでも、冷たい風のせいでもない。
この不気味な、繰り返し押し寄せるコロナの惨禍は人々を麻痺させ愚かにさせる。いずれワクチン開発により乗り越えられる部分はあるだろう。しかし先程の『麻痺』してしまい結果『愚か』になった私達の意思というものが正しい判断ができなくなることは誰が否定できるのか。我等はもう元には戻れない。何かを捨てざるを得ないのだ。
全ては今更遅いのだ。民主主義などクソくらえ、アメリカの狼狽を見よ。反グローバリズム、非独裁、アンチ・テロ。すると後には何が残る?
北は核を持ち続け、大陸は領土拡張の野心を隠さず、南は反日。もうこっちを向かないでくれ。
格差?日本なんかマシな方だ。生産性?無駄な仕事が多すぎるからだ。学術会議?学問の自由のどこが損なわれた。桜を見る会?呼ばれれば嬉しそうに行くくせに。
僕は3・11で被災していない。コロナにもまだ罹っていない。
自分で考える癖は前から持っている。
保守派を吹聴しているが、人からは自由に好き勝手しているようにしか見られない。
僕は分裂している。
誰が何を考えようとそれは勝手だが、想像を超えた災害や疫病の前で最後に頼るのは国家しかないことがはっきりした。
そしてそれを守るために大好きなものを捨てられるか。例えばこのヨットを。
我等を受け入れてくれた湾内は、鏡のように静かなのだが。
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夏の終わりのヨット・レース
2020 SEP 7 0:00:05 am by 西 牟呂雄

結局この夏は全然海で遊べなかった。自粛と言えば自粛なのだが、感染者が200~300人出ている最中に東京から行くのが憚られたのが大きい。どうしても港が見たくなって入口までドライブして船をみないで帰ったりした。
それが夏のドン詰まりにレースがあって、我が愛艇はボランタリーに本部船(実行委員長が乗船しスタート支持やゴール着順を判定する船)をやることとなったのでお手伝いに行った。勿論日帰り・泊まりなし・酒ナシ。
スタッフは随分前からコース設定、マーク手配、帆走指示書の作成・公示、などでずっと忙しかった。僕はひと夏棒にふったのでミソっかすなのだが、一度も乗らずに年を重ねる罪悪感に抗しきれず朝早くからポートを目指した。
当日のスタート予定は10時。着いて直ぐに出港の運びとなった。快晴・微風で海は静かに凪いでいた。
コースは3角形のルートでターンする所とスタート・ゴールにマークを打つ、黄色の大きな風船のようなもので、本部艇はそこにいて現在レース実行中である旗(オレンジ)を上げる。そして大会会長が当日の風を見て、コースの時計回りか反時計回りかを判断してこれも旗で知らせる。その間、エントリーしていた船が本部船を回って参加人数を知らせチェック・インする。人数によってレーテイングが変わるからだ。
タイム・キーパーが時計を見ながら「5分前まであと1分・・30秒・20秒・10秒・9・8」とカウントダウンしてキッカリ5分前に予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)。
この頃になるとスタートラインで各艇が風向きからポジション取りの駆け引きは始まってまるでクジラが群れているように海面が慌しくなり、スキッパーの怒鳴り声が飛び交う。1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、5・4・3・2・1・スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)、さあ、始まった。
フライングもなくきれいなスタートだ。やや上り風を受けた船がグーッとヒールしながら出て行った。本部艇からはラインをオーバーした船にリコールをしたり、場合によっては再スタートをしなければならないため緊張はするがきょうは問題ない。
遠くに行ってしまうと横一線にしか見えないのでレースの様子は分からないが、大分バラけているので早くも戦いは佳境に入ったようだ。
10時スタートで最終フィニッシュは15時半。レースの無事を祈るばかりだ。
本部艇は早々とゴール・ラインを作るために、アンカーを引き上げマークの反対側に移動した。普段はここで「さぁビールでも」となるのだが、大会会長・レース実行委員長も乗船しているので控えて釣竿を出したりお弁当を食べた。
すると面白いことにカモメが1羽近くに来て着水した。こっちを見ている。こいつはお弁当を食べているのを見ておこぼれを待っているのだろうか。試しに海老の尻尾を投げて見るとオォ!パタパタ水面を蹴って食べた。シャケの皮は、これも食べた、それも潜って。
そうこうしていると本部(陸上)から連絡が入る。東京湾の方から参加している船がリタイアしたらしい。エンジンの調子が悪いので帰港できないかもしれないので、というのだが。レース中は帆走なのでエンジンの調子が悪いのがなぜわかったのか不思議だ。
ちょうど水平線のあたりに第二マークに向かってスピンを上げている船団が見える。あれはレース中盤を走っている連中だな。今日は各マークにプレス・ボートがレスキューも兼ねて張り付いてターンした船を連絡してくれる。そしてドローンも飛ばして動画も撮影、通信機器の進化は目覚しい。しばらくはこの強い日差しの下、昼寝かな・・・。
大島は見えたが富士山はモヤって見えない。
ところで本命は精鋭の乗ったレース艇が数杯。中には快速カタマランがいてこいつは速い。スタート後3時間を過ぎた頃から第二マークをターンしたという連絡が入りだした。
すると江ノ島方面から続々と船影が見えてくる。あのコースの真上りではあと2回タックを入れないとゴールできそうもないな。それぞれスキッパーの判断により沖の方から回るグループと半島側に突っ切ってきてワン・タックで勝負する船に別れた。このあたり、風だけではなく潮の流れも考慮して作戦を変えているようだ。
プレス・ボートから『まだ1艇ターンしていないがリタイアの連絡はないか』の連絡が入りヒヤリとする。この船はその後僕達の本部艇に挨拶に来て『マークを発見できなかった』と言ってリタイヤしたが、チャートの読み違いなのか。更に『最後の船〇〇は時間内にはフィニッシュできそうもない』との連絡も入る。
その頃はファースト・ボートがハッキリしてきた。スタートの時のように近づいてくると〇時〇〇分5・6・7と読み上げていきラインを通過した時点で音響・短音でゴールを記録する。ところがマズいことに日が傾きだした逆光の上、船体がこちら側に傾くため船名とセール・ナンバーが読みにくいのなんの。双眼鏡まで出して何とか読むのだが、固まって来られると慌てる。
本命がフィニッシュし、後続にデッドヒートを繰り広げる塊が入って来る、僅か7秒だった。3時間以上波や風と戦ってきて僅か数秒の差でフィニッシュ。彼らはこの数秒に知恵を絞り戦術を練り技を競ったのだ。すべての参加者の意思が結晶した結果は、順位とは別に讃えられてしかるべきである。
そんな時にプレス・ボートが『〇〇は時間内のフィニッシュをあきらめ帰港することの連絡あり』と伝えて来た。〇〇はおじいさんが二人のダブル・ハンドで参加していたが、参加そのものを楽しんでいたに違いない。それではこちらも撤収しようか。
すると最後に僕がドジを踏む。アンカーが上がらないので引き上げに行ったのだが岩を噛んだのだろう、水深40m位なのだがどうしても上がらない。ロープを足で踏んで腕に巻きつけようとしたらどうした弾みか足に絡まって転んだ。スキッパーが咄嗟に後進をかけてニュートラルにしてくれて助かったが、下手すると骨折やら落水やらになるところで、あわやの事態にド顰蹙もの。深い反省とともに夏が終わった。
夏の海、また来年な!
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