Sonar Members Club No.36

カテゴリー: ヨット

海に賭けた人

2022 MAY 8 7:07:54 am by 西 牟呂雄

 出航してアレッとなることがある。天気予報や陸で晒されていた時と当たる風が違う。
 この日も湾から出た途端、いつもの連休とは明らかに違い南風(はえのかぜ)の強風に驚いた。千葉方面に東京湾を横切ろうと考えていたが、さてどうしたものか。日差しは曇りで相模湾には既に多くのヨットが出ていた。
結局スキッパーの判断で、風を掴んで江の島方面に行ってみようということにした。わが愛艇はこういう場合に多数決はしない。スキッパーは慎重なのが分かっていて、それには異を唱えないのが不文律である。
 風は強いのだが追い風に乗っていると風速はあまり感じない。ましてや海面は波頭が飛ぶようなこともなく、むしろ静かなのだ。ジブを思いきり出してみると、それだけで十分な帆走ができた。
 今日のクルーは結局3人。スキッパーは酒を飲まないし、もう一人は若い初心者なので、僕はその子に舵を取らせてさっそく一人出航の乾杯をした。
 滑るようにいい風を拾うと7.5~8ノットの走りで江の島に着いた。
 ここのハーバーはオリンピックの会場となって設備が一新され昔の面影はなくなった、無論いい意味でだ。
 若い頃から江の島には来ていたが、陸から行ったことはない。ましてや観光なぞしたこともない。この年になってあんまりだと頂上まで登ってみることにした。

美しい僚船

 ところが船を降りた途端に知り合いにバッタリ会ったので、ワインを開けて話し込んでしまった。
『どっか行くの』
『ウン。真鶴までかな。そっちは』
『ここで泊ってあした帰るんだ』
『あした?ゆっくりしてなよ。あしたオレ帰って来るから』
『あした午後から雨だぜ』
『雨ぐらいどうってことないだろ。ヨット屋は濡れるのが商売だろが』
 こんな他愛もない調子ですぐに一本飲んでしまった。さてご飯でも。行きつけの(といっても何年ぶりかな)食堂に行くと、いつものオヤジさんがいない、見たこともない人が厨房にいるではないか。聞いてみると体を悪くして引退してしまったそうだ。で、刺身定食を頼んだがはっきり言ってオヤジさんの時よりまずい!特にマグロの刺身はダメだった。
 さて、夕暮れになったので江の島観光に。

竜宮城のような神社

 江の島は弁天様で名高いが、実は弁天信仰は神仏習合で仁和寺の末寺であった江戸時代まで、明治の神仏分離の際に宗像三女神を祀る奥津宮(おくつみや)、中津宮(なかつみや)、辺津宮(へつみや)の神社となった。廃仏毀釈の折には三重塔をはじめ多くの仏像が失われたが、やさしいお顔立ちの弁天様は残った。こういうことをするので明治の薩長政府は嫌いだ。
 石段を見上げてエ~っと思ったら『エスカー』なるものの切符を売っていたので早速買ったが、ただのエスカレーターのことだった。頂上のあたりで日が暮れた。

 翌日は曇天。風は昨日とは違う東風で、アビームにセールを出して一杯にはらませた。予報ではこの後北風に変わって雨模様である。東風だから相模湾内はうねりは立たない。きのうと同じく楽なセーリングである。
 時節柄、知床の観光船の痛ましい事故の話になったが、荒れた海での操船技術の問題以前に、海の地形の認識のが足りなかったのではないか、という結論になった。岩場の近くの海底はそれこそギザギザで、油壷の周辺でも回航してきた学習院大学のヨットが荒天に遭難、麻生太郎の弟さんが亡くなった事故があった。
 ついこの前も大事には至らなかったものの海上保安庁が出動する事態があった。観光船であれば、陸の近くを『見せ』るために近づくため、それこそコースの海を知り尽くしていなければ。それが30度も傾斜したということは一瞬に浸水したはずだから、余程の亀裂が入るほどの突っ込み方をしたのだろう。30度ならばスキー場の感覚でいえば、垂直に近い視線のはずで這いつくばることもできなかっただろう。
 風が北に変わった。セールを広げると船足が早くなるとともに大きくヒールした。

雨のハーバー

 入港すると霧雨が降って来た。
 雨のハーバーはとても寒い。
 その雨の中、一人の老人が歩いて来る。鮫さんだ!鮫さんは港の中のボート・ハウスに住んでいたが、そのハウスはずいぶん前に無くなって、鮫さんも姿を消していた。数年前に一度バッタリ会ったのだが、太平洋をヨットで横断して暫くアメリカにいたらしい。その後、グアムに行ったとか三重県で目撃されたとか噂されていた。
『寒いね』
『お久しぶりです。どうしてたんですか』
『オレ?ずっとここにいるよ』
『えっ、全然会わなかったじゃないですか』
『そうかい。ワシャしょっちゅう君を見かけてるがね』
『そうなんですか。今はどの船に乗ってるんですか』
『声がかかればどの船にでも乗るさ。海でしか生きられないからね』
 答えになっていない。だが鮫さんに聞いた人生を思い出すとわからんでもない。この人は海に賭け、海に生きた人、本当ならばだが。
 待てよ、もし本当なら100才くらいじゃないのか・・・。アレッ、いない!まさか。

 詳しく知りたい方はどうぞ。

海の上の人生 ホントかよ

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海の忘年会

2021 DEC 19 23:23:25 pm by 西 牟呂雄

 クルーは全員2回接種済。寒風吹きすさぶスカスカの空間。海の上は密でもなんでもない。大掃除も兼ねて久しぶりにハーバーに集合しました。
 天気は快晴、12月にしては暖かくいい気分で車を飛ばして行きました。するとですぞ、横横道路で磯子のあたりを上機嫌で走る私のバック・ミラーに赤いランプが回転しているのが見えます。しまった!
 話は一日遡るのですが、私は大嫌いな府中の某所にいました。普通の人なら最寄りの大きな警察で済む免許の更新を、不愉快極まりないことに1日がかりでしなければならないのです。事情は

夏至の日に府中にて


 をご記憶の方もおられるかも。免停を食っている私は人並みにはいかないのです。
 神奈川県警交通機動隊員は私のピカピカの免許証を見てせせら笑ったように言いました。
「きのう講習を2時間も受けてるじゃないですか」
 ウルセー!そんなことより私はどの程度オーバーしたかで頭がいっぱいでした。確かメーターは1××キロは出ていて、下手すると一発免停の上また府中でアレを受けなければ・・・。クソ機動隊員は厳かに『24キロオーバー。原点3点。罰金2万5千円』と言うではありませんか。思わず出た言葉は、
「ありがとうございます」
 さすがにマヌケであり、クソ・ポリスがビックリしていました。
 その日は私のバカさ加減に盛り上がり、今年の無事故と来年の航海の無事に乾杯してお鍋を囲みました。

のんび~り

 翌日、冬の好天に恵まれたやや低い日差しの元、少しだけセールをあげるため出航したところ、セールが上がらない!
 わが艇のメイン・セールが巻き込み式のため、あまりにほったらかし(夏以来)にしたので潮で膨らんでしまい引っ張り出せません。出し入れを繰り返しやっとの思いでセール・オン。
 ですが風は無い。冬は富士山や大島がくっきりと見えるのですがモヤってうっすらとしか見えません。
 今日はレースがあると僚船が言っていたので逗子の近くのスタート・ラインまで冷やかしに行きます。するとあまりの無風にスタート待ちになっていてみんなヒマそうに午後の風待ちでした。天気予報は午後から吹くとの予報がでていましたし。

キラキラ

 やわらかい日差しが海面に反射して星が飛んだようなところをパチリ。
 そろそろ帰港するかと船を回し油壷に向かいました。セールも降ろします。
 突如、海面に風紋が浮かび上がったかと思うとサーッツと南の風が入りました。あれあれ今頃こんな風が来るとは。レースは真上りの難しい展開になるな、と後ろを見やります。それがなんだかおかしい。どうも各艇がエンジンをかけて真っすぐに向かってきています。風速計は30ノットを超えています。秒速15~18mの風です。
 そうこうしているうちにうねりが大きくなってピッチングまではじまり、結構波を被る程の風。普通、天気が急変するのは前線が通過したりして雲の線が見えるのですが、相変わらず晴れ渡っていて、遠く大島の方に雲の塊が見えています。ひょっとして爆弾低気圧のように急発達でもしたのでしょうか。あの船団はレースが中止になったのでフル・スロットルで帰港しているのか。ヤバイヤバイ。
 ほうほうの体でやっとこさ入港すると、今度はハーバーが物々しいではないですか。救急車・パトカー・上空には保安庁のヘリ。まさか私の旧悪がバレて手が回ったか、きのう捕まったばかりだし、まさか。

まさか

 事の真相は大変なことが起きていました。ゲストを大勢乗せてセーリングしてしていたヨットが、先程の天候急変でスキッパーの人が落水。近くの僚船が落ちたスキッパーは救助したのですが、他に操船できる人がいなくて漂流してしまったようなのです。一報を聞いてハーバーからボートがレスキューに行ったところ、悪いことに強風で岸の方に寄せられいてしまい乗り移れず、別のクルーザーが救助・回航したのだそうです。保安庁のヘリが飛んでいました。
 これは、実は大変に危ない事態で、岸に近いところはうねりが干渉して大きくなり、岩場に叩きつけられて大破することもあります。現にこの辺りで麻生太郎元総理の弟さんが難破して亡くなっています。
 今回は幸い犠牲者はなく、船も損傷せずにすみましたが、クルーは大反省のうえクラブの安全委員から大目玉、レギュレーションは厳しくなるでしょう。

 昨日のスピード違反や泥酔。そして先程の事故。以て他山の石と反省し、来年の安全を祈念しつつ、今年もお世話になりましたの思いを込めて舟を上架して船体を洗いました。
 愛艇アル・カン・シャルよ、来年もよろしく。

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さびしい海 もう一人いた

2021 AUG 24 11:11:22 am by 西 牟呂雄

 航海を終えて港に帰って来る。入港時は午後2時できつい日差しに潮をかぶってザラつく肌がヒリヒリするが、波を騒がせる一陣の風を受けるとヒヤリと冷たさも感じる。
 入港して浮き桟橋に船体を舫うと、見知った顔が声をかけてくる。
『どこまで行ったの』
『城ヶ島を一周』
『風は』
『ぜんぜん。だけど前線の影響でうねりが大きくてね』
『オーイ、ワイン開けるよ』
 声がかかると、ハーバーで手仕事をしていたほかの船のクルーもやって来る。僕はもう少し強い酒が欲しくてバーボンをぬるい水で割って飲んだ。断酒後2回目のアルコールなのでゆっくり飲む訳にはいかないのだ。サッと飲んですぐ止める。実は先日の検査結果が良好だったので、必死に先生に食い下がり「週に一回くらいならしょうがない」の一言を引き出した。

入港

 風を浴びて進むヨットは咳をしようが酒を飲もうが飛沫感染の心配は全くない上に我がクルーは既に全員2回目の接種を受けている(全員高齢者)。だが神奈川は緊急事態宣言下であるから、メシを食べに行っても酒は出ないからミニ・バーベキュー、仕方ないね。今日は仲間の船がキス釣りに行き、これが大漁だったのでキス天の御相伴にあずかった。
 そして当たり前だが来ているクルーは少ない。どうもこの大変な時にヨット遊びとは何事だ、との地域の目もあるようだ。三浦には高級養護施設も多いのだ。
 湾の入口の海水浴場も開いていないのでテントがチョットあるだけ。波ばかり打ち寄せていた。
 静かな海面をデッキで腹ばいになって見ていた。すると海面がグラリという感じで揺れた、何だ。覗き込んだが何もない。ただ、水面がやけに赤紫のように一瞬見えて、すぐ元にもどった。すると、何故か言いようもない恐怖感、危機感に捕らわれた。

寂しい

 みんなの話している声が聞こえるのだが、誰だか思い出せないが良く知っている声が耳に入る。何だか面白そうな話をしながら良く笑っている。どうも本人の失敗談をしているようだが、聞いていると全く反省していないのがヒシヒシと伝わる。
 すると何だか腹立たしくなってきた.こいつはチャランポランな奴に違いない。チョット割って入ってやろうか、と起き上がった。
 そろそろ夏の夕日が落ちて来た。赤い空を見やった途端、また海の色が変わったような気がしてぐらりとよろめいた。
 ところが何かおかしい、誰もこちらに気がついていない。僕のことが見えていないのか。おい、みんなどうしたの?その時、その気になっている奴が振り向いた。エッ!その怪しげな男は僕ではないか。まさか・・・。

油壷湾の夕日

 キス天でお腹一杯になった頃には日が落ちて来た。さっきまで随分賑やかだったのに一瞬みんなが話を止めて、赤い夕空を見入っていた。湾内を風が通ると涼しくてため息が出る程だ。今年の夏も過ぎていき、終わる。年を取るわけだ。
 と、眺めているとだらしなく酔っ払っているどこかのバカが甲板に転がっていて、実に目障りだ。さっきからいたのだろうか、挨拶もなしに。そもそもこの夏の夕方にモロに日差しを浴びるのがどんなに危険なことか、酒を飲んだ場合は特に。日焼けと脱水症状で高熱を出すのがオチだ。
 しかしクルーの仲間もスキッパーも気にも留めていない、どうしたことか。仕方ないな、オレが行って起こしてやるか。だいたいどこの船のメンバーなんだ。
 デッキの前の方に行こうとパルピットを掴もうとした時になぜか手元が狂った。船がグラリと傾いたかと思うと、そのまま海面に落ちた。しまった。停泊中の落水はヨット乗りの最大の恥、なんて言い訳すりゃいいのさ。
 ところがすぐそこにいるはずの仲間はだれも声をかけてくれない、去年落ちた時はすぐに助けてくれたのに。34フィート級の甲板は意外と水面から高い。
 これは泳いで桟橋まで行くしかないか。その時、甲板で寝ていた奴がふてくされた顔で覗き込んだ。見上げてアッ、と声を上げた、そいつはオレじゃないか!すると今泳いでる俺は・・・、コワイ。

 直近、油壷で起きた実際の話を元にしたブログです。なお、ワタシの体験ではありません。

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戒厳令下のヨットやゴルフ

2021 MAY 9 21:21:34 pm by 西 牟呂雄

 人々はオリンピックを見たくないのだろうか。このチャンスを逃すと、例えば僕はナマでオリンピックを見ることはもうないだろう。そのせっかくの機会よりも自粛疲れによるドンチャン騒ぎの方が優先するのだろうか。池江選手につまらんSNSを送るな!
 居酒屋で酒類禁止とは、かの悪法である禁酒法時代のアメリカだな。この禁酒法によってアル・カポネが大儲けし、その後のマフィアの隆盛のきっかけになった。そうなる前にライフ・スタイル、ビジネス・モデルを変えてしまわないと、と知恵を絞ったが、何も湧かなかった。
 海は密にならない。ヨットは常に風を受けている。晴れてさえいればいやというほど日光を浴びる。コロナなんかねぇ。

オォ!

 でもって油壷に来てみれば,運悪くというか何というか快晴で虹まで見えるのに強風波浪注意報。ほとんどの船は外に出られずご覧の有様。クルーもヒマを持て余していた。ここは緊急事態でも蔓延防止でもないので店で酒が飲める。うちの船の連中は近くのお寿司屋さんに行ったらしいが、僕はキャビンで本を読んでいた。
「アッお久しぶりでーす」
 明るい声がして人が一人入ってきた。見たら若い女性で誰だか知らない人だ。
「えーと、みんな出ちゃって誰もいないよ」
「あたし分かりますか」
「ごめんなさい、誰だっけ」
「高校生の時に一度お目にかかってますよ」
「そうなんですか。そりゃ失礼しました」
「あたし就職して後輩になりました」

 一瞬の間が空いた。僕の最初の勤め先は荒っぽいことで知られる素材メーカーで、タコ部屋に押し込んだようにコキ使う。そこにこんな可愛らしいお嬢さんが勤めることは想像の範疇を超える。
「なんだってそんな無謀なことを・・・」
「昔お目にかかった時に伺ったお仕事の話が面白くて学校の先輩を訪ねたんです。そうしたらその先輩たちもみんなキレッキレであたしも行きたいなと」
「ふ~ん」
 目の前のお嬢さんが高校生の頃と言えば東南アジアをウロウロして随分危ない目にあっていた頃かな。キレッキレとはどういう意味だろう。そういえば同僚や先輩にブチギレする人物がたくさんいたが、そういう人という意味ではなさそうだ。
「で、今は何をなさってるの」
「✖✖製造所で△△課にいます」
「それは□□係ですか」
「いえ、▼▼係の方です」
 いや驚いた。僕が40年前にいた職場ではないか。しかし、時代は違っているに違いない。僕がいた頃はそれはそれは酒浸りの凄まじく野蛮な職場だったから、このようなお嬢さんに務まるはずはない。恐る恐る聞いてみる。
「○○○○の習慣はまだ続いてますか」
「噂には聞きましたが3年前には廃止されました」
「△▽△はまだ出入りしてますか」
「毎月いらっしゃいます。コロナのせいで接待はされなくなりました」
 やはり昔とは違うな。そしてそれは進化とか改革とかいう過程を経て世の中にアジャストした結果だから、僕も別に寂しいとも懐かしいとも思わない。デジタル化でもIT革命でもいい。ただモノ造りのスピリットだけは残してほしい。
 いろいろ話していると、随所にその片鱗が感じられて嬉しかった。そして改めて尋ねた。
「結婚されても続けますか」
「そのつもりなんですが、私は総合職キャリアなので転勤がつきものですよね。会社が配慮してくれるかどうか。今の彼は専門職キャリアなのでほとんど転勤はありませんから」
 そこだよな。彼女がキャリアを積むと、例えば子育てなんかが全部彼女の方にのしかかってしまうと無理が生じる。家族の協力、行政の補助、ご主人の理解、会社の配慮、そして何よりも子供さんの幸せが担保されなければ。社内結婚でもしたら勤務地が九州と北海道になることも、或いはどちらかが外国になってしまう可能性だってありうる。僕らの頃は家庭の状況も何も、紙切れ一枚でどこへでも行くように訓練されてしまった。本人の希望もクソも無かったものだ。
 暫くしたらクルーが帰ってきた。このあたりは緊急事態でも蔓延防止でもないから全員出来上がっていて絵にかいたような酔っ払いだらけ。乗り遅れた僕はあまり酒が進まず、ひと眠りして夜半に喜寿庵に移動してしまった。お嬢さんがんばんなさい、と声をかけて。お嬢さんはクルーの娘さんだった。

無残 戦死したキュウリの墓標

 一つには先日の霜にやられかけたネイチャー・ファームが気になったせいもある。東名高速で御殿場を経由すると、今は東富士五湖道路に直接乗れるようになったので、港から2時間はかからない。
 翌朝、早速ファームの点検に行くと丹精込めたつもりのキュウリが枯れているではないか。どうもここの土壌はキュウリと相性が悪い。
 今年新たにチャレンジしたニンジンは芽を吹いた。
 ニンニ君ことニンニクはやはり難しく歩留まり5割。
 ダイコンは順調。ジャガイモは霜害から復活。

新企画キャロット・フィールド

 キュウリの戦死に頭に来たのでゴルフに行く。ホームコースに行ったところ、何と駐車場はギッシリで東京のナンバーも多いではないか。だが、ここも密にはならないしお風呂は帰って入りゃいいんだからどうってことはない。酒も飲まないし。
 それはいいが、できるかどうか。するとある2サム組の了解が得られたのですぐぬ出られた。女性は金髪のオバサンでもう一人は角刈りのアンチャンという恐ろし気な二人、オバサンのエラソーなしゃべり方から店の従業員を伴ってのプレイらしかった。
「二人とも下手ですし、コイツはコースに出るのは今日が初めてなんです」
 エラいのと組まされたもんだ。で、結論から言うとオバサンは本当に下手、アンチャンは驚くべきポテンシャルを持っていた。小柄なのだが何かのスポーツ経験者らしく、ドライバーで280ヤード以上は飛ばす。しかし3ホールのうち2ホールはOBだった。スコアはメチャクチャ.しかしロングホールで2オンしそうになり、更にバーディーを取りそこなった時は慌てた。オレの30年の精進は何だったのか。
 僕はと言えば、この日は苦手なホールはドライバーを打った後はPWとか7番Iとか1本だけでやるというゴルフに徹した。ロング・ホールだけはスプーンとクリークを使ったが、最近の課題は寄せのマズさだからだ。ピッチ・アンド・ランを磨くつもりだったがスコアは不思議なことにいつもながらのものになる。
 オバサンはヒーヒー言いながら、アンチャンは元気に走りながら、それなりに楽しくプレイできた。アンチャンにはマナーをいちいち教えてあげると大変に感謝されて、終わった時には又やりましょう、と約束した。

 こうして東京周辺をグルグル周っていれば戒厳令下でも遊んでいられる。かえって自由な僕の長いGWだったが、エート、仕事の方は・・・。

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冬季夜間落水救助訓練

2021 FEB 6 0:00:08 am by 西 牟呂雄

 2021年である。緊急事態宣言も延長され、どんな年になるのか全く分からない。みんな同じだ。
 すっかりルーティーンが狂ってしまったが、いつまでも嘆いてばかりはいられない。とにかく海の安全だけでも確保しようとハーバーに集まった。ここではソーシャル・ディスタンスはスカスカだし岬の突端だから風はいつも吹いている。ハーバーはとても静かに新年を迎えていた。我流安全祈願祭をやり海の神に酒を捧げ、自分の胃にも注ぎ込んみ、船内をアルコール(酒ではない。本当のアルコール)で拭いて清めた。
 海面に小さなさざ波が立っている。浮き桟橋からよく目をこらして見るとボラがキラキラと日の光を反射していた。すると水鳥がスイスイと寄ってきてスッと潜ったと思ったらボラを咥えて浮いてきて、そのまま丸呑みした。のどかである。

 さて、今年はどうしようか。スキッパーはオリンピックがあればヨット競技のボランティアをやるためオリンピック中は航海できないし、その他レースもできるかどうか。去年は伊豆の島からできるだけ来るなのお達しがあった。目下の状況が収まってくれなければ今年も嫌がられるはずだ。保田・真鶴・熱海・伊東あたりどうなんだろう。
 クルーは全員前期高齢者になったが、船はこれだけ手を入れているからあと10年もつのでそれまでがんばろうか。
 ほかの船も新年顔合わせで来ていて、ヨシッ、バーベキューでもやろうか、となった.直ぐに買い出し班と設営班(簡易コンロだが)が動いて料理班が野菜を切り、かんぱーい。それぞれの船から飲み残したウイスキイや焼酎・日本酒が出てきて酒池肉林になる。僕はやかんで温めた熱燗を飲んだ。
 するとですな、酔いがまわるんですなこれが・・・。

 キャビンで目が覚めた。寒い。トイレに行っておくか。皆寝たみたいだな、ヨッコラショ、と桟橋に飛び降りようと・・・した。
ダダン!ジャボーン!アーッ(僕の声)
 34フィートのクルーザーでは海面からデッキまで届かない。おまけに厚着をして靴をはいたままでは泳げたもんじゃない。浮き桟橋に掴まろうとしていたら靴が脱げた。
 ところでこの時期の海水温は15℃くらいで、落ちてしばらくは”寒い”とはあまり感じなくて、いい気持ちとは言い難いが凍え死ぬとも思えなかった。
 デッキで倒れた時の音と直後の水音で寝ていたクルーが起きてきた。
「おーい、意識あるか」
「あります。水も飲んでません」
「ぎゃはは。ほら掴まれ」
 二人掛かりで引き上げてくれた。途端に物凄く寒くなった。
「早く脱いで脱いで、着替え持ってるの?」
「オレシャワー・ルームの電気付けて来る」
「あっ着替えならあります」
「急がないと風邪ひくよ。このご時世に熱なんか出したら非国民扱いだから」
 みんなが親切にしてくれるが、その表情は明らかにニタニタ笑っていた。そしてパンツ一丁になった僕はあまりの寒さに震え乍らグルーミング棟にヒョコヒョコ(はだしで)歩いて行き、熱いシャワーを浴びて寝た。

 翌日、ボケーッと起きてコーヒーを飲んでいると桟橋が騒がしい。
「夕べは大変でしたね」
「いやー、まさか落ちると思ってなかったから驚いたよ」
「本人どうしてます」
「のんきに寝てるよ。危なかったよ、ポートサイドだから上がれなくてね」
 どうも、昨日の落水のことを話している。何で知ってるんだ。人がいなくなったのでこっそりとキャビンから出ていくとクルーはニヤニヤしている。夕べのドジを平謝りに詫びて、先程の会話について恐る恐る訪ねた。何でもう知っているのか、と。
「あれだけの騒ぎだからほかの船もみんな見てたよ」
「・・・・」
 酔っぱらっての落水など、ヨット乗りとしてはあるまじきミス!そこで僕は提題の『冬季夜間落水救助訓練』だったことにしてくれ、と頼み込んだ。すると・・・。
「今更遅いよ。あの騒ぎに気付いた××××(遠くに停泊していた船)のクルーがパンツ一丁でウロウロしてるところを動画で撮ってハーバー中に配信したんだよ」
 何たる。動画を見せられた。消去してくれ、と泣いて頼んだが無視され永遠に残ってしまった。

 この話は続きがある。今年93歳になる僕のオヤジは大学ヨット部OBで、この顛末を聞いてこう吐き捨てた。
「お前もうヨットか酒のどっちかやめろ。この恥さらし」

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初冬のハーバーにて

2020 DEC 8 0:00:19 am by 西 牟呂雄

 冷たい北の風が強い。こんな時はメンテナンスでもしながら酒でも飲むのがいい。某日、クルーの都合が合ったので油壷に集合した。ヨットは風がなければ走らない。従って船の上では密にもならない(酔っぱらってキャビンで寝るときは密かも)。誰もマスクなんかしてない。
 風は18~20ノットと強いが波は立っていない。よし、行くぞ。

わあッ

 この時期はあまりもやっていないので、相模湾越しの富士山がはっきりと見えた。山頂部分が冠雪している。
 江の島を目指す。強風で7~8ノットとこの船にしては結構な速さだが、うねりがないのであまり波をかぶらない。
 海面を見ていると潮目のように色の濃くなっているエリアがあって、そこに風が叩きつけられている。その青が迫ってくるとウワーンといった感じで強風に大きく船が傾く。風の当たる角度によって持っていかれるように舳先が流れるか逆に風上に切りあがってしまうか、いずれにせよ舵を操作するとまるで生き物が跳ねるように船速が増す。腕の見せ所であり醍醐味だ。この間、頭の中はカラッポの状態と言っていいだろう。即ち煩悩からは解放されているのだ。ズーッとこの時間が続けばいいような気がしてくる瞬間だ。音もしない。
「そろそろタックか」
 スキッパーの声で全員配置につき、ヘルムは僕だったから合図とともに舵を切る、ゆっくりと船を回してセールを固定した。帰りはさすがに波を被るようになって寒い。
 この時期の日没は4時半だから3時をすぎると夕日は低くまぶしい。海はすでに青さは消えつつあり海面が暗くなってくる。ハーバーに入れてから何をするか、といった煩悩・雑念が湧いてくる時間である。

物憂い日没

 しかし飲んではしゃぐ気になれなかった。海の暗さに塗り込められたわけでも、冷たい風のせいでもない。
 この不気味な、繰り返し押し寄せるコロナの惨禍は人々を麻痺させ愚かにさせる。いずれワクチン開発により乗り越えられる部分はあるだろう。しかし先程の『麻痺』してしまい結果『愚か』になった私達の意思というものが正しい判断ができなくなることは誰が否定できるのか。我等はもう元には戻れない。何かを捨てざるを得ないのだ。
 全ては今更遅いのだ。民主主義などクソくらえ、アメリカの狼狽を見よ。反グローバリズム、非独裁、アンチ・テロ。すると後には何が残る?
 北は核を持ち続け、大陸は領土拡張の野心を隠さず、南は反日。もうこっちを向かないでくれ。
 格差?日本なんかマシな方だ。生産性?無駄な仕事が多すぎるからだ。学術会議?学問の自由のどこが損なわれた。桜を見る会?呼ばれれば嬉しそうに行くくせに。
 僕は3・11で被災していない。コロナにもまだ罹っていない。
 自分で考える癖は前から持っている。
 保守派を吹聴しているが、人からは自由に好き勝手しているようにしか見られない。 
 僕は分裂している。
 誰が何を考えようとそれは勝手だが、想像を超えた災害や疫病の前で最後に頼るのは国家しかないことがはっきりした。
 そしてそれを守るために大好きなものを捨てられるか。例えばこのヨットを。
 我等を受け入れてくれた湾内は、鏡のように静かなのだが。

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夏の終わりのヨット・レース

2020 SEP 7 0:00:05 am by 西 牟呂雄

 結局この夏は全然海で遊べなかった。自粛と言えば自粛なのだが、感染者が200~300人出ている最中に東京から行くのが憚られたのが大きい。どうしても港が見たくなって入口までドライブして船をみないで帰ったりした。
 それが夏のドン詰まりにレースがあって、我が愛艇はボランタリーに本部船(実行委員長が乗船しスタート支持やゴール着順を判定する船)をやることとなったのでお手伝いに行った。勿論日帰り・泊まりなし・酒ナシ。
 スタッフは随分前からコース設定、マーク手配、帆走指示書の作成・公示、などでずっと忙しかった。僕はひと夏棒にふったのでミソっかすなのだが、一度も乗らずに年を重ねる罪悪感に抗しきれず朝早くからポートを目指した。
 当日のスタート予定は10時。着いて直ぐに出港の運びとなった。快晴・微風で海は静かに凪いでいた。

 コースは3角形のルートでターンする所とスタート・ゴールにマークを打つ、黄色の大きな風船のようなもので、本部艇はそこにいて現在レース実行中である旗(オレンジ)を上げる。そして大会会長が当日の風を見て、コースの時計回りか反時計回りかを判断してこれも旗で知らせる。その間、エントリーしていた船が本部船を回って参加人数を知らせチェック・インする。人数によってレーテイングが変わるからだ。
 タイム・キーパーが時計を見ながら「5分前まであと1分・・30秒・20秒・10秒・9・8」とカウントダウンしてキッカリ5分前に予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)。
 この頃になるとスタートラインで各艇が風向きからポジション取りの駆け引きは始まってまるでクジラが群れているように海面が慌しくなり、スキッパーの怒鳴り声が飛び交う。1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、5・4・3・2・1・スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)、さあ、始まった。

スタート

 フライングもなくきれいなスタートだ。やや上り風を受けた船がグーッとヒールしながら出て行った。本部艇からはラインをオーバーした船にリコールをしたり、場合によっては再スタートをしなければならないため緊張はするがきょうは問題ない。
 遠くに行ってしまうと横一線にしか見えないのでレースの様子は分からないが、大分バラけているので早くも戦いは佳境に入ったようだ。
 10時スタートで最終フィニッシュは15時半。レースの無事を祈るばかりだ。
 本部艇は早々とゴール・ラインを作るために、アンカーを引き上げマークの反対側に移動した。普段はここで「さぁビールでも」となるのだが、大会会長・レース実行委員長も乗船しているので控えて釣竿を出したりお弁当を食べた。
 すると面白いことにカモメが1羽近くに来て着水した。こっちを見ている。こいつはお弁当を食べているのを見ておこぼれを待っているのだろうか。試しに海老の尻尾を投げて見るとオォ!パタパタ水面を蹴って食べた。シャケの皮は、これも食べた、それも潜って。
 そうこうしていると本部(陸上)から連絡が入る。東京湾の方から参加している船がリタイアしたらしい。エンジンの調子が悪いので帰港できないかもしれないので、というのだが。レース中は帆走なのでエンジンの調子が悪いのがなぜわかったのか不思議だ。
 ちょうど水平線のあたりに第二マークに向かってスピンを上げている船団が見える。あれはレース中盤を走っている連中だな。今日は各マークにプレス・ボートがレスキューも兼ねて張り付いてターンした船を連絡してくれる。そしてドローンも飛ばして動画も撮影、通信機器の進化は目覚しい。しばらくはこの強い日差しの下、昼寝かな・・・。
 大島は見えたが富士山はモヤって見えない。
 ところで本命は精鋭の乗ったレース艇が数杯。中には快速カタマランがいてこいつは速い。スタート後3時間を過ぎた頃から第二マークをターンしたという連絡が入りだした。
 すると江ノ島方面から続々と船影が見えてくる。あのコースの真上りではあと2回タックを入れないとゴールできそうもないな。それぞれスキッパーの判断により沖の方から回るグループと半島側に突っ切ってきてワン・タックで勝負する船に別れた。このあたり、風だけではなく潮の流れも考慮して作戦を変えているようだ。
 プレス・ボートから『まだ1艇ターンしていないがリタイアの連絡はないか』の連絡が入りヒヤリとする。この船はその後僕達の本部艇に挨拶に来て『マークを発見できなかった』と言ってリタイヤしたが、チャートの読み違いなのか。更に『最後の船〇〇は時間内にはフィニッシュできそうもない』との連絡も入る。
 その頃はファースト・ボートがハッキリしてきた。スタートの時のように近づいてくると〇時〇〇分5・6・7と読み上げていきラインを通過した時点で音響・短音でゴールを記録する。ところがマズいことに日が傾きだした逆光の上、船体がこちら側に傾くため船名とセール・ナンバーが読みにくいのなんの。双眼鏡まで出して何とか読むのだが、固まって来られると慌てる。

 本命がフィニッシュし、後続にデッドヒートを繰り広げる塊が入って来る、僅か7秒だった。3時間以上波や風と戦ってきて僅か数秒の差でフィニッシュ。彼らはこの数秒に知恵を絞り戦術を練り技を競ったのだ。すべての参加者の意思が結晶した結果は、順位とは別に讃えられてしかるべきである。
 そんな時にプレス・ボートが『〇〇は時間内のフィニッシュをあきらめ帰港することの連絡あり』と伝えて来た。〇〇はおじいさんが二人のダブル・ハンドで参加していたが、参加そのものを楽しんでいたに違いない。それではこちらも撤収しようか。

 すると最後に僕がドジを踏む。アンカーが上がらないので引き上げに行ったのだが岩を噛んだのだろう、水深40m位なのだがどうしても上がらない。ロープを足で踏んで腕に巻きつけようとしたらどうした弾みか足に絡まって転んだ。スキッパーが咄嗟に後進をかけてニュートラルにしてくれて助かったが、下手すると骨折やら落水やらになるところで、あわやの事態にド顰蹙もの。深い反省とともに夏が終わった。

 夏の海、また来年な!

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矢も楯もたまらず

2020 AUG 16 8:08:51 am by 西 牟呂雄

 矢で攻めても盾で防いでも勢いを止めることができない、それでどうにもならない気分を表題のようにあらわすのだが、まさにそれだ。梅雨は明けた。いい感じの南風(はえのかぜ)。 
 いつもであれば伊豆の島か保田・伊東、あるいは熱海・下田の花火大会を見にナイト・セーリングで行く所をこのコロナのおかげで花火大会は中止、島からは露骨に『来るな』のお達しが出ている。島は確かにクラスターでも発生したら大変だし、花火もねぇ。
 クルージングは三密でもなんでもないが、問題は着いてからガブ飲みして雑魚寝になるとさすがにヤバい。
 それでも夏になったら海は見たいし風も浴びたい。油壺から相模湾に出た時の伊豆大島や富士山が見たい、ましてあの長い梅雨が明けたんだから尚のこと。
 で、たまらなくなって一人車を飛ばした。
 但し、今回はクルージングには参加しない旨を連絡していた。毎日400人も感染者が発表されている東京からの参加は、メンバーが怯えるかもしれないと配慮したからだ。問題は泥酔した僕が大声で歌ったり踊ったりする可能性が排除できない。おまけに他のメンバーは神奈川だ。やっぱりハーバーの桟橋にまで行くのは遠慮するか。
 と思っていたら高速を降りて半島に向かう一本道は渋滞しているではないか。近場ならいいかと一斉に繰り出したのか、このあたりは帰省でもGo Toでもなかろうに(夏休み期間ではあるが)。見れば品川・多摩・埼玉のナンバーがウジャウジャ。仕方がない、半島の先の島にでも渡ってみるかとノロノロ進む。やっと大橋を越えるころには午後の日が傾きかけた頃だった。ところでこの大橋は以前は通行料を取っていたが今年の4月から元が取れてタダになった。
 遊覧船発着所で車を降りたらもうクラーッとするほどの熱さ。そして強い風が吹いていたが、体温のような風で全くさわやかさがない。ほうほうの体で車に飛び乗り鄙びたビーチに行ってみた。

人のいない浜辺

 なんだこれは。
 「コロナ対策のため市内全域で海水浴場は閉鎖します」
 こんなところは三密にもならないが・・・。
 色んなことを考えた。
 この熱さでは甲板に寝転がることもできない、車だからビーチでビールも飲めない(そもそも売っていない)、沖には強風による白波が立っている、見渡してもヨットは全然出ていない、船に触るぐらいはしたいなぁ、そういえばこの前のバーベキューのお金払ってなかった、コロナの奴め早く消えて亡くなれ、オレは1人でこんなところで何やってんだ、せめて反対側の湾の入口まで行こうか、相変わらず車は多いから帰りも渋滞だな・・・・。
 矢も楯もたまらなくなって車を回した。
 夕日スポットで相模湾を眺める。相変わらずヨットは一艘も見当たらない。夕焼けには早いが沈み始めた光に向かって思わずつぶやく。
「おーい、僕はここだよ」

 この日、淋しくはないが孤独だった。
 案の定渋滞にはまって3時間もかかって帰ったが、この車列は皆僕と同じで海を見るだけに来たのだろうか。

今日は式根か新島か(のはずだった)

2019 AUG 16 9:09:19 am by 西 牟呂雄

 今年のクルーズは島伝いに新島まで。航海計画を立てて準備に勤しんだ。
 それが8号・9号が行った思いきや、巨大10号台風のおかげでどうやらウネリは結構ある上に、計画日程には雨マーク。いつものことではあるが、夏のクルージングは天気との戦いだ。
 8月10日22時。熱い日差しを避けてオーバー・ナイト・クルーズに出航するはずが、集合して天気図を見ながらアーダコーダと議論白熱。いつものことだが強行派と慎重派に分かれてスキッパーの判断を仰ぐ。冷静なスキッパーは帰りの天気まで読み込んで航海を中止した!何よりも30ノットの風予想を危険と判断したのだ。
 その際、航海を「スキップ」する権利を擁しているから「スキッパー」と言うのだ、という説が出された。船と運命を共にする艇長である。実際に戦時中はともかく、近くはタンカーのアメリカ人船長が関門海峡で座礁し、ピストル自殺するという話が有名である。
 でもって、この時点では油壺の風は微風。星は綺麗に見えていた。当然大宴会になった。

出港直前 油壺艦隊の精鋭

 11日快晴。風微風。そろそろ油壷湾には漁船が入り出した。ここは避難港に指定されているので仕方がない。ただ入り江一杯に入られてしまうと出港も入港もできなくなる。
 僚船はレースにエントリーしていて、決行の知らせがあったので出ていく。そうすると我々ものんびりしているのもナンだ、ということでレースを見に行くことにした。
 油壷を出ると、相模湾に面した荒井浜の横が磯場になっていて、そこに打ち寄せる波の飛沫(しぶき)が結構な高さで驚いた。この微風にどうしたことか。

こんな感じ

 その謎は直ぐに解けた。いつもは見えている大島のあたりから千葉方面まで水平線上にビッシリと積乱雲がつながっていて、まるで前線ができているようだ。更に恐ろしいことに大島や湘南の江の島が水平線に溶け込んでしまう。台風のうねりが、本体はまだ小笠原の南にもかかわらず押し寄せているのだ。3m位の高さの大きなうねりが長い波長で来るために、ヨットの目線では波の間に入ると周りが見えなかったのだ。磯に打ち付けられた飛沫が高かった訳だ。
 レースは風が無くて苦労していた。
 港への帰りに疑似餌を流しているとシイラがかかった。カツオかと思ったが引いたらグリーンに光ってガッカリ。すぐにリリースしてやった、もう来るなよ。

 ところで、港に帰ってきて天気図をみると台風はでかくなっている。やはりスキッパーの判断は正しく、南水平線上に沸き上がっていた雲は台風の最も外側の雲だったのである。
 12日。やや曇り、のち通り雨、快晴。こういうときはどうすればいいのだろう。スキッパーは『好きにしろ』と匙を投げ、僕達クルーは朝からビールを始めた。
 こうして夏は過ぎて行き、僕達は年をとり、この巨大台風をやり過ごすと風が変わってしまう、秋の風になってしまうのだ。
 いつの間にかビールは焼酎になり、岡にいるのと変わらない酔っ払いができあがっていた。
 
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風と波と潮と

2019 MAY 5 7:07:20 am by 西 牟呂雄

 船に乗るという行為は、果たして行先がない場合は何の意味もないのだろうか。『フライング・ダッチマン』という幽霊船の伝説はワグナーのオペラにまでなって人口に膾炙しているが、永遠に港に入らない航海があったら乗る人は・・・。
 阿川弘之のクルーズエッセイに(大金持ちの未亡人かと思われる)乗船したきりズーッと乗り続けて降りない人の話を読んだ覚えがあるが、そういう人が何かの拍子に亡くなったら水葬してもらえるかな、タダで。
 僕は島影も海岸線も見えないクルージングは、ヨットで最長3昼夜までだ。それでも陸が見えた時はホッとした気分になった。八丈島への航海では御蔵島と八丈島の間でしばらく島影はなく、黒潮の北上に押されて時間はけっこうかかるが距離は約75kmでしかない。

 連休の海は、いつもナラエの(北東の)凄い風が吹くので迷ったが、久しぶりに海に行った。雨である。三々五々とクルーが集まって来るが船を下ろして舫った時点でこの日は出ないことに決定。夜はゴーンと冷えてガタガタしながら寝た。

あっ 雪が

 翌日、寒い。
 防寒具を着込んだ他の僚船が次々と出港するのでもう後に引けなくなった。
 で、油壷湾をでると、真っ白に雪化粧した富士山までクッキリと見えた。夕べ降雪があったのだ。
 風はと言えば南の微風だ、しめたっと針路を東に向けて城ケ島大橋をくぐる。
 ところが東京湾に入った途端に天気は一変した。おそらく低気圧が抜けてしまったのだろう、白波が立つほどの北東の風に変わった。
 貨物船は10連休も関係ないからデカい船も通る。意外と速い上にウェーキもきつい。バシャバシャと被りながら南総の港を目指した。
 横浜の方からけっこうヨットが上って来る。急がないと船が着けられないぞ。
 浮桟橋の船溜りに、あー寒かった、と舫って一服していたら40フィートくらいのデカい奴が入り込んで来た。オジイちゃんが3人で操船していたが港の奥まで行ってターンしてきた。それが結構なスロットルでスーッと向かい側のプレジャー・ボートに寄って行ったかと思ったら、そのままの勢いでダーンと当てた、何だあれは。一人がスターンの方に駆けよるのだが、謝るのが先だろう。当てられた方は行き足が止まらずその前の船にも突っ込みそうになったが止まった。慌てた慌てた。
 ところがその当てた方はそのままアスターンをかけて、クルリと向きを変えるとまた港の奥の方にウロウロし出した。あれ、まさか側に来て横抱きさせてくれなんて言われたらイヤだぜ、と見ていると錨を下ろして停泊するではないか、何だコイツ等。
 ボートが向かって、何かの話がついたようだった。そしてその船は出て行く。どうなってんだ。保険で修理させるだろうが、出際にペコペコするぐらいでいいのか。

 夜、近くのスーパーでその日に釣れたような鰯や鯖を買ってきて船の上で焼いて食べた。昼間見た事故の話になったのだが、あの船は(無論名前を見た)今後南総・相模湾・伊豆七島のどこの港でも相手にされないだろう、という結論になった。こういう噂は足が速い。例えば

山崎豊子さんの取材力


 すると(まぁ入港はできるにしても)その港では他の船の冷たい視線を浴びるはずだ。海を愛する人間だったら耐えられないだろうに、あいつ等は平気かな。

 その晩、昔港にいた海にしか生きられない、岡では生きていけないオッサンの思い出話に花が咲いた。

海の上の人生 ホントかよ

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