Sonar Members Club No.36

カテゴリー: ロシア残照

ロシア残照 Ⅲ

2014 JUN 24 20:20:35 pm by 西 牟呂雄

 アレクサンドル・ボリシビッチ(ボリスの息子のアレクサンドルという言い方)が来日してロシア関連の打ち合わせを進めていたが、週末になんと奥さんもやってきて夫婦のアテンドをした。御夫人は初めての日本なので是非富士山が見たいと言うので、ウチの山荘喜寿庵にご招待した。ミセス・コテルニコフは50がらみで二人の娘さんに孫までいるのだが、この年齢にありがちなデブデブのバアさんではなくスラリとした美人で、そういうロシア女性を初めてみた。
 良く笑う人で、日本橋のホテルからピック・アップして首都高に乗った途端に「トウキョウーは映画の未来都市のようだ。」とはしゃぎだした。それはタダ同然の広い土地のエカテリンブルグと違い、道路網を張り巡らせるために上へ上へと積み重ねるように伸びていった結果なのだが、土地のバカ高さの実感がどうしても伝わらない。ロシアの街には高架の道路なぞ、まず無いのだ。
 ドライヴ1時間、喜寿庵の芝生の上でサンドイッチを食べた。しかしこのロシア人夫婦はあまり食べない。今まで出会ったロシア人は大体僕の3倍くらい物を食べて2倍くらいウオッカを飲む(女も)。平均寿命も男は60歳程度だが、これならこの二人は長生きできそうだ。
 庭を案内してやると、片隅の曽祖父の記念碑にあるレリーフを見て「レーニンに似ている。」と言い出した。そう言われればハゲ方が似ていなくも無いが、そんなに喜ばれても恐れ入るばかり。この話オチがあって部屋にはオヤジが孫二人と写っている写真が飾ってあり、それをみて「こっちの方は(オヤジを指して)マオにそっくりだ。」ときた。実際オヤジは(これもハゲ方を中心に)毛沢東に似ているとは何度も言われていた。そして「ガスパジン・ニシムロは革命家の血筋だ。」と笑っていた。あんまり嬉しくはないが。そして畳の上で寝転がって遊び、仏壇に線香を供えて感心し、民間外交にひとしきり花が咲いた、いい人たちなのだ。
 
 肝心の富士山はこの梅雨空で山肌が見えるが山頂には濃い傘雲がかかってしまった。河口湖のほとりに宿を取っていてそこまで連れて行くと、そこには恐ろしく頭の悪いフロント・マンがいた。帰りは二人だけで帰ると言うのでバスの乗り方・時間を聞くのだが、余計な説明に夢中になって喋っているうちに答えるのを忘れる。極めつけはカード決済は1万円以上はできないと言い出して、これには猛烈なクレームを付けた。
「あんたら世界文化遺産とか称しておいて、本当に外国からお客さんが押し寄せたらどうするつもりだ。バスしたててガイド付きの中国人ばかりじゃないんだぞ。オリンピックまでに悪評立ったら取り返しつかんぞ!」

 そうこうしているうちに夫婦ゲンカまで始まった。奥さんはこの後京都に行きたいといい、実際に予約も入れているのだが、アレクサンドルは富士山が見えるまでここに泊まり続けると言い張っているらしい。あまりの剣幕に関係ない僕が割って入り「富士山の神様はコノハナサクヤヒメ(ブロッサムズ・オブ・ザ・ツリーと訳したけど伝わったかどうか)というゴッデスで、今日はミセス・コテルニコフがあんまり綺麗だから隠れたんだと思う。」と言ったらこれは受けた。
 帰りには、明日の朝チョットだけでも山頂が見えることを祈らずにはいられなかった。

ロシア残照

ロシア残照 Ⅱ


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ウクライナ投票後

2014 MAY 27 10:10:55 am by 西 牟呂雄

 たいへん慌ただしく投票が終わってしまい、東部二州の投票率は妨害によって20%以下とも言われている。そもそも選挙妨害が露骨に行われていること自体が、問題の根幹だが。武装勢力の中心にはロシアの一部勢力が相当入り込んでいるのはミエミエだがプーチン大統領は放置している。
 ところが、ウクライナ民族主義者の方もツッコミどころ満載で、ティモシェンコ元首相は評判はイマイチ。追放されたヤヌコービッチ大統領の蓄財も凄かったらしいが、同じくらいダーティーだったと言われてしまう始末。キエフの暫定政権には右派と言われるイケイケの武闘派が入り込んでいて、ロシア語の禁止まで言ったのでは怒る人も出るだろう。民兵があんな重装備ができるもんじゃない。煽った奴は誰だ。対する親ロシア派もロシア至上主義という意味で右派であり、右も左もあったものではない。それじゃ左派はどうしたのか、と言えばちゃんと元共産党員のシモネンコ氏が立候補していた。もはやイデオロギーの問題は無くなっている。
 ウクライナは世界で3位の穀物輸出国で、日本にも飼料用のトウモロコシを中心にアルゼンチンに次いで年間100万t程度輸出している農業国。東部の工業地帯は冶金が盛んだが、資産24億ドルでウクライナ3位の大富豪、コロモイシキー氏は所有の製鉄会社をロシアのグループに売却しており、関係悪化が望ましいはずがない(もっともこの人、東部ドニプロペトロウシク州の知事)。
 それにしてもプーチン大統領は鮮やかというか、自身に満ちており、ガタガタ言うなら中国があるぞとばかりに欧米をあざ笑うように合同軍事演習だ。何と言っても事実上クリミアに軍事侵攻したのだから。ひょっとしたら本当にドンパチの覚悟を決めて後ろを固めたんじゃないだろうな・・・・。どちらも引っ込みがつかなってもNATOじゃ手に余るし、アメリカだって本気にゃなれない。
 日本の場合もここまで来たらアメリカにベッタリとは言わないまでも、反米なんて言ってられなくなる。中国機の自衛隊機への接近だってどっかで誰かが操っているに違いない。北方領土も集団的自衛権も自主独立も大事だが、下手にすり寄ったって足元見られるのがオチだろう。返って中露の間に楔を打ち込むような奥の手はないか。中国だってベトナムとイザコザしてるくせに、クリミアの住民投票をチベットや新疆でやられたら目も当てられんだろう。テンヤワンヤで気の毒な韓国海洋警察の足元をみて漁民はやりたい放題だそうじゃないか(中国はいかなる投票もしたことはないが)。世界は同時多元的に動いてる。よく考えなくては百年間違えるぞ。しかし戦争はしませんので、念の為。
 当選したポロシェンコ氏もウクライナ7位の金持ちであり、資産は16億ドルくらい。48才だそうだからソ連崩壊時には青年で、あの国有財産の分捕り合戦の勝ち組オルガリヒだが、親欧州で大丈夫か。国を立て直せるか。ただ、プーチン大統領はもう係り合いたくはないのじゃないか。メルケルあたりと落とし所を話してたりして・・・。
 先日、少しでも情報が欲しくて都内のあるロシア人を訪ねたが、その際に言われた。その人はウラジオストック出身の白人なので「私は仕事柄ロシア派なんです。」等と軽率なことを口走った。するとその人、ニッコリ笑って
『西室さん、ロシア人とウクライナ人の区別がつきますか?』
と聞くではないか。わからない、と答えると、
『私は母がウクライナ人で、父はポーランド人なんです。あのあたりは昔からグチャグチャなんですよ。』
と言われてしまった。ヨーロッパは奥が深い。

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ロシア残照 Ⅱ

2013 SEP 25 7:07:47 am by 西 牟呂雄

以前、真冬のロシアに行った際の話。モスクワから200キロ程東にある製鉄所に行った。そこは年間400万トンクラスの中堅電炉メーカーで、コンペティターのヨーロッパ勢の牙城であり、そこに鋳造設備を売り込むというミッションだった。片道3時間くらいで雪こそ降りはしなかったがガリガリに凍った道路である、生きた心地がしなかった。帰りには少し慣れたが、特に大型トラックが猛スピードで抜いていく時など怖いのなんの。おまけにモスクワで雇った運転手はかの地は初めてで、雪原に行き先表示も無く、あっさり道を間違えてみせた。

さて商談もそこそこ進み、試験評価ぐらいはやってもらえそうになってホッとしていると、突然向こうの偉い人がこっちを向いて何か言った。無論通訳を通じてロシア語で言ったのだが、

「私の娘が日本語を勉強しているが、ナマの日本語を聞いたことが無いので、電話で話してやってもらえないか。」

だそうである。こちらも民間外交は望むところなので快諾すると、自宅に電話しどうぞ、という感じでマイクオープンにした。女の子の声が聞こえてきた。

「あたしのなまえはアリョーナです。」                               はっきりした綺麗な日本語である。~~~~ました、といっためちゃくちゃな日本語かと思っていたボクは度肝を抜かれた。                              「あのー(マヌケな返事だ)、ずいぶん日本語が上手なんですね。」            「・・・・。」(どうやら ジョウズ が解らないようだ)                  「どうやって勉強しているのですか。」                              「英語のインターネットで勉強しています。」                          「?????????。どうして日本語を勉強しているのですか。」                  「日本のアニメの主題歌を歌いたいからです。」                       「・・・・。勉強して日本に来て下さい。」

こちらでも日本のアニメは人気があるので放送されていて、セリフは全部吹き替えなのだが、主題歌のところは日本語で流れて日本語の字幕がそのまま使われているそうだ。アリョーナという(15才といったか)少女はその主題歌を覚えたくて字幕を読めるように苦労して勉強していた。こんな田舎では日本語学校があるはずもなく、ロシア語の教材もないので、インターネットの英語版の日本語教室を見ながらセッセと覚えたらしい。たかがアニメと言うなかれ、ソフト・パワーはこういう底上げには多大な貢献をしているではないか。うっかり名前も告げていなかったが、いつか日本で会うことがあったら、それは微笑ましいヒトコマになるだろう。

ヘトヘトになってモスクワで投宿したが、メール・チェックをしようとしたら繋がらない。ビジネスセンターに聞くとWi-Hiの電波は部屋ではとれず、ロビーに降りないとダメ、と言われた。仕方が無いので夜の12時にノコノコとパソコンを手に降りて行くとこれが大勢の人々。それも若い女性ばかりなのだ。これは・・・・。みんな東洋人が珍しいのかこっちを見ている。よくみればどれもとびきりの美人だ。「コンバンハ」エッ日本語じゃないか。昼間のアリョーナの日本語はかわいらしかったが、こっちは邪悪な妖艶さが声にまで出ている。ハハーン、この寒いのに(外はマイナス30度。ロビーは暑いが)やたらとスカートも短い。するとロシアのこんな所にまで来て怪しからんコトに及んだ先達がいたのか!ボクはロビーのソファーにズラリと女性がたむろして「カモがいる。」と言わんばかりの視線を浴びる片隅でそそくさとパソコンをいじっては部屋に帰った。まさか民間人の僕にハニー・トラップもないんだろうが、さすがにモスクワだ。

あのアリョーナが日本語がうまくなってもこんなところでは使わないで欲しい、と思わずにいられなかった。

ロシア残照

ロシア残照 Ⅲ


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北方四島共同経済活動は

ロシア残照

2013 SEP 16 16:16:44 pm by 西 牟呂雄

 長きに渡りタフな交渉を続けてきたロシア側の相手、アレクサンドル・ボリシビッチが来日した折の話である。土日を挟む滞在のため一日アテンドすることになった。年の頃は50過ぎで真面目なエンジニア上がりのため、ティズニーランドとかスカイツリーにつれていくのは憚られた。少し考えて富士山麓にある我が山荘に招待することとした。かの地は我々一族のルーツのようなところで、僕から数えてニ代前の爺様が普請狂いした際に丹精込めて造り、喜寿庵と名付けていた。日本家屋を建て庭に芝生を張り、石を置き、樹木を植えて笹を巡らした。庭から先の渓流にいたる向こう側の崖の景観が気に入らず、わざわざそこの持ち主に掛け合って大枚はたいて植林したとされる杉林も残されている。また、冬至の日にちょうど夕日が山間(山あい)におちる場所に惚れ込んで土地を手配した、との伝説も残っている。

 ロシアは冬半年がほとんど夜のような状態なので、夏を楽しむのに様々な工夫をこらす。都市部の郊外には、なぜか彩色された大小のかわいらしい家があちこちに見られるエリアがあって、家庭菜園のような庭がついている。これはダーチャと言って、夏の間土いじりをしながら白夜を過ごす別荘のようなものだ。考えて見ると都市部のアパート形式の住居は旧ソ連時代の思想の賜物に見えるが、むしろあの寒さの中で暮らすにはくっついていないと暖房効率が悪すぎるのでああなっているのでは。だから旧体制時代からダーチャの私有は認められていた。無論冬の間は雪に埋もれてほったらかしだ。誘うときに『私のダーチャに来ないか』と言ったので、喜んで来たのだ。

 車で1時間少し、アレクサンドルは初めてみる日本の郊外に見とれていた。アレクサンドル・ボリシビッチは本名コテルニコフという名字で、通称は『ボリスの息子のアレクサンドル』というロシア風の言い方。イワノビッチとかいう言い方はイワンの息子だ。喜寿庵に着くと、お土産に持ってきたウオッカをうやうやしく差し出す礼儀正しいオヤジだ。早速芝生の上で寝転びながら乾杯した。無論ボクはロシア語は出来ないし、彼の英語もかなりヤバい。練達のロシア通、オカダさんという関係者がつきあってくれたのだ。

 彼がまず感心したのは渓流のせせらぎだった。ロシアのウラル山脈の麓から来た人間にとってザワザワという流れの音が珍しいらしい。何しろ古い地層なので、浸食が進み、彼等にとっての川というのは大地をノッタリと進むもっと広い流れを指す言葉なのだそうだ。喜び過ぎて崖から降りてみたいと言い出したのには参った。次に林の奥にわずかな畑があって、親父がジャガイモやトマトを造っているのに興味を示した。ここがロシア人なのだろう、土を手に取って指でつまんでみたりしながら『この土の色は素晴らしい』とはしゃいでみせ、『まだ収穫の時期ではないのか?』としきりに訪ねる。掘り出したいと顔に書いてあったが、まだ早い。

 飲みながら話ははずんだ。一般に市民レベルは親日が多いのに驚く。特にウラル地方ともなると遠すぎて日本に憧れのような気持ちを持つらしい。一方中国・モンゴルには反感というか恐怖感に近いモノ言いがある。モンゴル系にはアッチラ大王やらチンギスハンに散々やられた刷り込みがあるようだし、中国については13億人の人口に(ほとんどが国境から遠くに住んでいるが)対しての潜在的な圧力と捕らえがちだ。何しろ1億4千万人しかいない。彼はボクの先祖についてしきりに聞きたがった。庭の片隅に記念の碑が立ってい、てボクから三代前の先祖のレリーフがあったからだ。ひとしきり話を聞いていた彼は、なぜか自分のニ代前のおじいさんのことを語り出した。

 それは壮絶な内容だった。まずいことにかの独ソ戦に関わることだったのだ。SMCの中村兄の研究によると、近代最悪の消耗戦だったそうで、当時の日本はドイツの同盟国である(ただし日ソ不可侵条約もあったが)。 おじいさんは斥候に出ていたらしい。ドイツ機甲師団の猛烈な突進に小隊は鎧袖一触で蹴散らされて逃げ回った。ところが機甲師団の進撃スピードが速すぎて斥候小隊なんかには目もくれずに前進するため、おじいさん達は原隊に復帰するためにドイツ軍の後をついていく羽目になった。しかし向こうは電撃のスピードだから遥か先に行ってしまって追いつけない。彼はこの時はまだ笑ってみせていたが、その後は皮肉っぽい表情を浮かべるだけだった。何しろ途中の村は略奪されつくして食べ物もなく・・・・、と悲惨な話が続く。何ヶ月も歩いていたそうだが結局原隊復帰はできなかったらしい。次に独軍を見たのはボロボロになって敗走するところだった。戦後もコテルニコフ一家の苦労は続いた。

 僕は深く同情するとともに、一瞬、8月15日以降の満州でのソ連軍の乱入や9月まで続いた北方領土への不法な攻撃を思っていたのだが、やはり口には出さなかった。目の前の彼は善良なエンジニアだし、一家の悲惨な話を聞いたばかりなのだ。そうこうしている内に、親父が学生を大勢連れて帰ってきた。かの地の大学の生徒達で、これからバーベキューをするとか。いいタイミングだった。それから、珍しいロシア人と地方の大学生は微笑ましく交流した。『エカテリンブルグはどこにあるのか知っているか?』『エーッそんな遠く、ウッソー。』のノリだ。女子学生が多いので機嫌が良くなったのか、アレクサンドルは『エカテリンブルグで働きたい人は無条件で採用する。』と言い出し、学生が本気になりゃしないかと親父を慌てさせた(実は親父はその大学の理事長をやってる)。さらに酔いが手伝ったか(こっちも酔っ払ったのだが)北方領土問題に言及し、これは困ったなと身構える我々日本人を尻目に、

「そんな小さい島でもめるくらいならスベルドロフスク州の空いている倍の面積をタダでやるから仲良くやらないか。」

あのねえ、あんたはそれでいいだろうけどプーチンに言ってくれよ。大国は押しなべて個人の意思や善良さが国家のレベルになると突然変異するように引っ込みがつかなくなるようだ、アメリカだって。最近の研究では、かの旅順203高地の銃撃戦の際でも、赤十字の斡旋で遺体の引き取りのため、一定時間両砲撃を中止する停戦があり、その時間になると両軍の塹壕から酒を持ち寄っては言葉もわからないのに飲み交わしたらしい。時間が来ると、もう一丁やろう、と分かれてドンパチやったと言うが。

 爺様の自慢の夕日が冬至の時の場所からずれたところに落ちていった。彼を呼んで二人で眺めながら、つくづくタフな交渉を途中で打ち切らなくてよかった、と思った。

ロシア残照 Ⅱ

ロシア残照 Ⅲ


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