Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 言葉

『職業としての小説家』 読後感

2017 JUL 9 11:11:54 am by 西 牟呂雄

 さる先輩に『これ読んでみろよ』と勧められ、躊躇したが一気に読んだ。
 躊躇したのは、僕は小説をほとんど読まず、村上春樹は一回も読んだ事がなかったからだ。何だか題名からして難解そうだったし。
 ところがこの本は講演原稿のように書いたもので(あとがきを読むまで講演だと思っていた)出だしは苦戦したが面白かった。
 いや、一回もというのは正確ではなく、月間文芸春秋に書き下ろした作品を見て以下のマヌケな感想を書いている。

タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り


 畏れ多いことだ。

 この人は相当緻密な人だと思った。とにかく相当な量の小説を、どうやら原書で読んでいる、それも高校生くらいから。
 そしてまず『小説を書くのはあまり頭の切れる人には向いてない』と説く。初めはこの言い方に随分と違和感を感じた。よくある反語的な言い回しで『自分が頭はいいが』といった方に持っていきそうだ、と警戒した。だがそれは違って、せっかち、とか軽率な人には向いていない、という話だった。
 作中の表現を借りれば『なるべく回りくどい』方法を好んでそのプロセスをむしろ楽しむふうであり、『物事をそう簡単には結論付けない』ことを心がけている。そのやり方が長い作家生活を続けていけるコツのようなものと言っている。なるほど僕はマヌケ・ブログを面白がって書いているが、けったいな思い付きの小説めいた連作は失敗してほとんど読まれない。
 それはある意味当然で、現役時代の口癖は『オレに哲学もクソもない。能率とスピードにしか興味がない』と喚き散らして部下達から嫌われていた。小説が書けないわけだ。
 学生結婚をして、ジャズ屋を長くやっていたという点。バド・パウエルとかビル・エヴァンス、ハービーハンコックなんかをガンガンかける(レコード時代)お店と聞くと、なかなかヤルなと思わせられる。もっと若い頃はビーチ・ボーイズとビートルズだそうだ。これなんかも取っ掛かりがローリング・ストーンズでその後YAZAWAだった僕とは格が違う。ボブ・ディランの記述もないが、音感的に単純すぎるので聞く気にならなかったのだろう。
 衝撃的なのは、初めの方にガラガラの神宮球場でヤクルトー広島の開幕戦を見ていた時の話が出てくる。初回のヤクルトの二塁打を見て、突然小説がかけるかも知れない、という感覚に陥ったとある。以下表現を引用する。
『それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした』
 私事で恐縮だが、僕はブログの読者の方は御存知の日本ハム・ファイターズのファンだ。それも昨年の優勝・大谷フィーバーからのミーハーではなく、弱い弱い東京ドーム時代のそのまた前からのファンである。パ・リーグだからヤクルトよりも人気のないチームだった。
 学生時代の恩師が球団関係者の義弟だったので、ノベルティーのチケットがゼミで大量に出回り、東京ドーム行きたさにガラガラの内野スタンドに行った。
 村上春樹は1978年にその感覚を得たというから、ほぼ同時期に弱小球団の試合を見ていたことになる。
 それなのにヤジを飛ばす事に夢中になっていた僕にはひらひら落ちてくるものなどなかった。ドーム球場だったから空から降ってこなかったのだろう。やはり作家になる人は違うのだな。
 中学・高校のころの話も書いているが、学校というものが苦手だったとのことで、これは僕もいつの学年でも居心地は実に悪かった。しかし唸らされたのは、表面的には僕と同じような事をして遊んでいたらしいが、勉強を怠けて遊び呆けているという意識がなかった、と言っている。恐らく英語の小説を読んだり音楽を聴いたりすることに相当な濃密な時間を使ったのだろう。僕程度の不良だと”遊び呆けている”自覚がしばしば襲ってきて、これではヤバイくらいのことは思ってしまった。酒の味を覚えるのも早かったのがまずかったのかもしれない。
 その後はプロの小説家として、極めてストイックに歩みを進める。驚いたのは長編小説を何回も書き直すらしい。ノリの悪い”章”はまるごと書き換える。或いは英語で書いて(たいしたもんだ)それを日本語に起こすといったことまで試している。
 まるで大きな彫刻を掘り進めるように、規則正しく体まで鍛えて、尚且つ書き始めるときはウキウキして『充実感は何ものにも変えがたい』そうだ。
 しかも”長編”を書く時には主人公に語りかけられるように筆を進めるとある。ということは小説の終わり方を考えずにスタートしエンドに持っていく(読んでないからわからないけど)自動書記のように(それこそ天啓のようにひらひらと)作品を紡いでいくのだろうか。
 これも初めて知ったが、二回芥川賞にノミネートされて受賞しなかった。そしてそれがその後の作家活動に何の関係もないと言い、どうやら本当に関係ない。さらに噂されるように、この調子でノーベル文学賞を取っても文筆活動には全く影響しないと思われる。もっともボブ・ディランと違って授賞式くらいは行くだろうが。

ノーベル文学賞 ボブ・ディランは喜んでいるか

良く分からない

 ここまで言われるとなにやら”長編小説”なるものを書いてみたくなるではないか。著者も最後の方で言っている。
『物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです』
 多少なりとも僕にも心の奥の喜怒哀楽はあるのだから。

 しかし悲しい事に上梓されたこの本によれば僕はその資質を全く持ち合わせていない。だが最後の奥の手はあるような気がする。
 それは例えば『長編小説』という題名のアホ・ブログを書けばいいのだ。

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映画 『花戦さ』

2017 JUN 18 15:15:30 pm by 西 牟呂雄

 信長・秀吉・利休そして池坊専好。キャストは順に中井貴一・市川猿之助・佐藤浩一そしてご贔屓の野村萬斎ときてはこれ、見ざるを得ませんね。さるお見舞いの合間にチョイと行ってきました。

利休と池坊

 秀吉の狂気、利休との友情、意を決して秀吉に挑む専好。
「いやしくも池坊を名乗るなら、花の力で世を正そうぞ」
 手練れの芸達者がズラリと並んでさぞや。それがですねぇ、どうも脚本がメメしいんですよこれ。
 萬斎さんの坊主頭が似合わないんですな。
 初めに出てきたアップが何ともマヌケ面に見えて笑えたし、人の顔と名前が覚えられないというコミカルさを狙ったキャラの設定がチョット。
 それでもこの一見ボケ芸がクライマックスで生きる、という演出なのでしょう。
 冒頭の信長に松を活けるところ、中井貴一はさすがでした。
「見事なり!池坊」
 信長の登場はこのシーンだけでしたがかっこいい。そしてあの役者だったらどうやったろう、などと思いを巡らすのも一興です。まず考えたのは勿論成田屋の海老蔵。
 そしてクライマックスは豊臣秀吉VS池坊専好。歌舞伎VS狂言の芸の打ち合いといった趣です。そこは見てのお楽しみ。

聖徳太子象

 ところで池坊は聖徳太子建立の京都六角堂のお坊さんです。
 如意輪観世音菩薩をご本尊にしています。
 作中で萬斎さんがしばしばお経を読むのですが、これが聞いた事もないお経なのです。
 いったい何経なのでしょうか。
 検索してみるとどうやら『光明真言』のようです。
 「オン アモ キャーベー ロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と言っているのだとか。
 サンスクリットではと表記して、不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ、偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ、光明を 放ち給え という意味のようです。

 猿之助ファン、萬斎ファン、並びに生け花関係者にはお勧めですが、某映画館はガラガラでしたね。
 ところで池坊はこの映画にいくらスポンサードしたのでしょうか・・。
戦国三部作を貼っておきます。

黄金の首 (紅蓮の炎)  

黄金の茶室(見果てぬ夢) 

黄金の分銅(燎原の果て)

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月窓寺 薪能

 

話芸の間 圓楽と小遊三

The Smoke Man Show Ⅲ

2017 MAY 2 23:23:06 pm by 西 牟呂雄

みなさんこんにちは。スモーク・マン・ショウが始まります。
健康の為くれぐれもタバコの吸いすぎには注意しましょう。私は止めませんけど。
ところで前回、タバコの吸殻のポイ捨ては決してしないようにお願いしました。何故かと言うと私もポイ捨てが大嫌いだからです。
都内では路上喫煙は禁止されるエリアが増えて、その内全面的に展開されてしまうでしょう。わかってないな、人間というものが。
僕の住んでる街も駅の周辺はダメです。人通りも多いですしね。
ところがですな、朝歩いていると道端にはたくさんの吸い殻が捨てられているではないですか。
私は頭に来てある日それらの吸殻をウチの前から駅までズーッと拾い集めてみました。電柱の影、排水溝の辺り、公園の中、コンビニのゴミ箱周辺。恐らく人が少なくなった夜中に酔っ払った喫煙者が捨てたに違いありません。
ところで、その時はモク拾いのホームレスに思われないようにわざわざ作業服を着て(メーカー勤めの時にもらった)軍手、首にタオルといういでたちですね。ヘルメットも被りたかったのですが、適当なのがなかったので残念でした。なにしろ私が防災用に持っているヘルメットは横田の米軍放出品を扱うジャンク・ショップで買った迷彩色カバー付きなので、そんな恰好をしているとホームレスどころか危ないオジサンに見られてしまいます。
あるわあるわ、これ皆さんが想像するより遥かに多い吸い殻が捨ててあるのです。どれくらいかと言うと、燃えるゴミ用の袋に一杯になります、イッパイですよ。

どうも路上喫煙者はちょっとでも捨ててあるところに、まるで吸い寄せられるように捨てる習性があるんじゃないでしょうか。民度が低ーい!こんなことをしていると東京オリンピックの時に街中全面禁煙にされちゃうじゃないか!
この私の必死のボランティアで街はすっかり快適になったのです。
こうなると後には引けません。我等の喫煙権を守るため、街の美観を保つため、やめる訳にいかない。
しかし私にも都合があります。一週間ほど旅に出ることもあります。
そんな時は街中が吸い殻で埋まるのではないかと気が気ではありません。
飛ぶように急いで帰ってきてまず街に出ます。
ところが、全然吸い殻がないのです!
これは私の尊い行いに感化されて、ポイ捨てをする人がいなくなったのでしょうか。
全く違います。
商店街は店を開ける時、住宅街は午後に周りを掃除していたのです。私の善行はしてもしなくてもドーデモよかった。
そんなことはない、とばかりに散歩のたびにどこかに捨てられた吸い殻を捜し歩くのです。

健康のため、くれぐれもタバコの吸い過ぎに注意しましょう。
道端でのポイ捨ては絶対に止めましょう。

The Smoke Man Show Ⅰ

The Smoke Man Show  Ⅱ

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The Smoke Man Show  Ⅱ

2017 MAY 1 18:18:49 pm by 西 牟呂雄

全国2千万人の喫煙者の方々、お待たせしましたスモーク・マン・ショーが始まります。
健康の為に吸い過ぎには注意しましょう!
1970年代にスーパー・バンドの大ヒット曲が流行りました。普通は『水上の煙』と言われていますが、私達喫煙者は『湖上のタバコ』と読んでいました。
そうです、あのスモーク・オン・ザ・ウォーターです。還暦以上のバンド・ボーイだったら必修科目のようにコピーしましたね。
余談ですが、歌詞の中にある『Frank Zappa and the Mothers were at the best place around. But some stupid with a
flare gun burned the place to the ground』は本当の話で、カジノでライブをやっていると観客がフレア・ガンを撃って火事になりザッパとマザーズはその機材すべてを失いました。別にタバコで火事ではありませんよ。
更に余談ですが『スネーク・イン・ザ・ファクトリー』という別バージョンもあってこんな替え歌まで作りましたがね。

スモーク・オン・ザ・ウォーター Smoke on the Water (但し 工場に蛇が出た)

それで喫煙の話に戻りますが、昔のチンピラはカッコつけの為に様々なタバコの吸い方を工夫したものです。口の端で咥えタバコをしながら喋る、なんという技は随分練習までしました。失敗すると口を火傷することも、今から考えれば人の迷惑もおびただしい。マナーは守らなければ終いにはシンガポールみたいに全面禁煙にされてしまいますよ。

それでもシンガポールの喫煙者は健気に吸っていました。前のリー・クアン・ユーが罰金まで導入して禁煙国家にしたのですがね。実は元々はスモーカーだったのが禁煙して人が吸っているのが我慢できなくなった、と噂されていました。
更にポイ捨てされる吸殻の汚らしさが不愉快だったようです。だから初めは『捨てる』行為に罰金が課されていて、こんな光景を見たことがあります。
広東語だったので良くわからなかったのですが、大体以下の会話と推察されました。
男がタバコに火をつけて紫煙をくゆらせている。それにる警備員のような格好のオッサンが猛烈に注意をする。
『君!禁煙だぞ!罰金をを取る』
『何を言ってる。タバコに火は付けたが私は吸ってはいない』
『タバコに火を付けて何をしている!』
『煙の流れで風を見ているんだ』
『嘘つけ!吸ったに違いない』
『何を言う。私は吸っていない。タバコに火をつけてはいけない、という法律ではないだろう』
『それではそのタバコをどうするんだ』
『風向きが変わったようだ。消して吸殻は持って帰る』
『本当か』
『本当だ』
そして本当に吸殻をポケットに入れて歩いて行きましたとさ。
これは本当の話です。

The Smoke Man Show Ⅰ

The Smoke Man Show Ⅲ

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The Smoke Man Show Ⅰ

2017 APR 30 21:21:42 pm by 西 牟呂雄

こんにちわ!スモーーク・マンです。きょうも元気だタバコが旨い!
皆さんくれぐれも健康のためタバコの吸いすぎに注意しましょう。

喫煙者のナントカ病の発症率は禁煙者の〇倍、といったキャンペーンはたくさん発表されていますね。
一方で喫煙者と禁煙車の平均寿命は全体で見ると一週間くらいしか違わない、といった研究もあって、大したことはないかもしれません。
私は勿論タバコを止められません。何故かと言うと昔アメリカで解禁されていたあるモノを常用していて、ソノ感触が忘れられず帰国してからスモーカーになりました。
そのモノは現在の医学的分析からは体に害はないとされていますが、日本では禁止されているアレです。神事に使われたり七味唐辛子に入っているアレ。わたしはそれをガン・ガンやってました。アブリとかコケ・ヘロじゃありませんよ。解禁を公約にして選挙に出た人もいるくらいです、その人パクられましたけどね。
肉体的に害は確かにありません。吸い込んだ時の抵抗感はタバコの方がはるかに強い。ただし日本では不法です。
それでもアレはあんまりやると食欲なんか確かになくなってやせます。依存性もないといえばないのですが、酒と同じで簡単には止められませんよ。
まぁ、体に悪いと言えば酒の方が悪いかもしれないでしょう。アレは二日酔いにはなりませんから。

もう直ぐ室内での喫煙は全面的に禁止にされるそうで、困ったもんです。JTはどうするつもりでしょう。
JTだけじゃないですよ。皆さんはJRに分割民営化される前の国鉄、正式には日本国有鉄道を覚えていますか。国鉄がなくなってから生まれた方も多いでしょう、今から30年も前に民営化されJRになったのですから。
国鉄は色々と政治の介入やら労働組合問題を抱えながら前回東京オリンピックの年以降毎年大きな赤字を出してしょっちゅう値上げをしていました。
そしてもうダメ、となった時点で清算事業団解散時に28兆3千億円の借金が、28兆円!そのうち16兆1千億円の有利子債務は国の一般会計(たばこ特別税)に承継されたんですね。おかげで1箱200円(マイルドセブン)だったのが段階的に今の440円(メビウス)にまで上がり、大雑把に言って毎年2千5百億円がタバコ税としてこの借金の返済に充てられているのです。もちろん払っているのは我等喫煙者なのですよ。
それなのにJRの我々に対する扱いはひどい!新幹線の喫煙ボックスくらいもっと増やしたらどうなんだ!
ですがそれも難しいでしょうね。
飛行機や車両のような密閉された空間だと禁煙者の嗅覚は非常ーに鋭くなるらしく、タバコに対するクレームが物凄いんだそうです。
禁煙者の皆さん、一度でいいからアメリカの解禁州にいってアレを試して下さい。タバコなんか気にならなくなること間違いなしですよ。

くれぐれも健康の為、吸い過ぎに注意しましょう。

The Smoke Man Show  Ⅱ

The Smoke Man Show Ⅲ


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漢字は楽し 『谷』の読み方

2017 APR 15 12:12:52 pm by 西 牟呂雄

 東京下町で暮らしていたので『谷』は『ヤ』と読むものだと刷り込まれていて、訓読みが『タニ』で音読みが『ヤ』だと思っていた。四谷も市谷も下谷もみんな『ヤ』と読んでオトナも当たり前のような顔をしてたし。
 鎌倉に遠足に行けば『扇ヶ谷』は『おうぎがヤツ』と読ませた。
 谷野さんだって『ヤノさん』。
 しかし音読みは『コク』だけで、『ヤ』はマイナーな訓読みとは何事か、最近まで知らなかった。恥ずかしい。
 検索してみると低地・谷間を指す蝦夷言葉『ヤトゥ』が語源のアズマ言葉、それも武蔵野国や相模国あたりの方言だとある。標準語じゃないのか。まあ、関東が中心になったのは江戸時代以後だからそれまでは田舎方言だったに違いない。
 残念ながらアイヌ語で『ヤトゥ』又は『ヤ』が本当に谷及び低湿地をさすのかというと色々調べてもわからない。谷のことは『コッ』沢のことは『ナイ』らしい。

 友人に熊谷と言うのがいて「くまがい」と読む(常識だが)。熊谷次郎直実のくまがい、である。ところがその次郎直実の出身地、あの日本一暑くなる所は「くまがや」と呼び習わされているのは何故か。
 結論はわからなかった。名字も関西では「くまたに」さんとか。
 どうも「くまがや」の方が正しく「くまがい」はそこからナマッたようなフシがあるが、どっちでもいいか。

 僕はこの次郎直実という人が好きで去年こんな「なりすましブログ」を書いている。実は今月も歌舞伎座で幸四郎・染五郎親子の『熊谷陣屋』を見に行く。

熊谷直実顛末

熊谷直実顛末 Ⅱ

熊谷直実顛末 Ⅲ

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漢字は楽し 色彩編

惹句師になりたい Ⅱ

2017 APR 9 19:19:06 pm by 西 牟呂雄

 何かと悲しげな気分の時にいいセリフを思いついた。
『心に沁みができそうです。まだらで汚いシミが取れません』

 気ぜわしい時にはこう言ってみたい。
『ひとつのことだけを考えていたらお腹が空かないよ』

 淋しい、と感じたら声に出してみたらどうだろう(オジサン用)。
『子供じゃあるまいし。高齢者には天の声が聞こえる』

 失くし物をしたらこう考えてはどうか。
『もっと大事にしてくれる人に拾われているだろうなァ』

 いい事があったら必ず心に刻もう。
『どうってことないぜ』

 年を重ねてくたびれたらこんな感じ。
『昔みたいにしなきゃいい。誰か困るのか』

 友を失った時は無理にでも言ってみる。
『時々話そうぜ。オレもまだやってるよ』

 なんで私ばかりに、と感じた場合。
『おんなじ目に会ったのはこの100年で1億番目くらいかな』

 ひがみ根性に染まってしまいそうなら。
『よかった。もっと怠けなければ』

 退屈でたまらないときは。
『やる事が何も無いのに生きていられる。素晴らしい』

 人に嘘をつかれて困ったとすると。
『これがオレでよかった。ほかの人だったら騙されただろう』

 会うのが億劫な人から、それでも声がかかったら。
『あいつも淋しがり屋だな』

惹句師になりたい (今月のテーマ 今年は何を)

婆娑羅考 (今月のテーマ 列伝)

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縞模様の空 (今月のテーマ 空)

2017 MAR 13 21:21:01 pm by 西 牟呂雄

 先日、中央高速下りでちょうど小仏トンネルを抜けたあたりで異様な空を見た。
 飛行機雲が幾筋かあって、更にもう一機が既に引かれている筋に交差するように飛んでいく。交差してバツ印ができそうなあんばいに(運転中だったが)一瞬見とれた。
 さる暗殺事件があった直後だったので、一瞬あの国が何かやらかして福生や厚木の米空軍とか航空自衛隊のスクランブルでもかかったか、とわざわざ車を寄せて携帯を確認した。勿論そんなことはない。
 もう一度ゆっくりと空を見上げるとだいぶ薄れてしまったものの少し残っていて(撮り忘れた)そのうちの一筋が中天の太陽にかかっていた。マズい!
 この現象は「白虹(はっこう)日を貫く」といって凶兆とされている。その昔の支邦の戦国時代、荊軻(けいか)が秦王(後の始皇帝)を暗殺しようとした時に現れた自然現象として記録されているのだ。本当は飛行機雲なんかではなく(その頃飛行機は当然ない)霧による白い虹が自然現象として現れる。
 燕の国の人である荊軻は普段は何にもしないで酒を飲み酔っぱらっては歌い傍若無人(要するにブラブラして)に暮らしていた。しかしその中でも読書に勤しみ秘かに胆力を練っていた(らしい)。相当ハッタリもかましたことだろう。
 そうこうする内に燕の宿敵・秦は強大な力を持って手が付けられなくなってしまい、ついに秦王を刺し違えなければニッチもサッチも行かなくなった時に荊軻に白羽の矢が立つ。ここで、待ってましたと匕首を偲ばせて秦に旅立つ。
 その日見送る者は皆白装束。そこで振り返ることもせずに高らかに詠んだのが次の歌である。
「風蕭々(かぜしょうしょう)として易水(えきすい)寒し。壮士ひとたび去って復(ま)た還(かえ)らず」 
 僕はこの光景が好きで、荊軻を気取って何もせずに酔っ払うことを心掛け、イザという時に備えている(その時が来る気配は全くないが)。結局暗殺は失敗に終わり荊軻はズタズタに切り殺される。うまくやっていれば秦の始皇帝は全国統一することなく中国史は変わったものになったであろう。
 もっとも白虹が日を貫ききってないから、燕太子・丹は荊軻の失敗を悟ったと言う説もある。秦王は結局始皇帝になっている。
 井伏鱒二は昭和11年2月25日の『荻窪風土記』にこう書いている。
『空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である』
 翌日は例の2・26事件が勃発した。

 しかしこれも昭和天皇の踏ん張りによって粉砕される。失敗したのだから貫ききっていなかったのだろうか。それとも井伏鱒二だけに見えたのか。他に目撃が記録された例は見ていない。

2月26日に考えた事

帝王の罵詈雑言

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名前はどう表記されるか

2017 FEB 24 20:20:58 pm by 西 牟呂雄

 阿倍仲麻呂は遣唐使で入唐したが科挙の試験をパスして玄宗皇帝に仕えた。
 気になっていたので唐の記録でどう表記されているか見ると『朝衡』または『晁衡』と表されていた。想像するにこれで『アベェ』とでも発音していたのだろう。
 ところで中国は同じ漢字でも地方によっては呼び方が違っているのを気にしない。『陳』姓はマンダリンでは「チェン」だが福建系では「タン」と呼び習わす。これが当たり前と感じているので鄧小平(デン・シャオ・ピン)を日本語で「とう・しょう・へい」等と読み上げても違和感は無いそうだ。  
 
 倭寇が高麗沿岸で大暴れしていた頃、その一部が鎮浦に上陸して城郭を構えたところ逆襲されて船団を失った。帰る手段を失って破れかぶれになったのか暴れ回った末に、元(モンゴル)の武官だった李成桂の総攻撃を受けて全滅する。その首領の名は阿只抜都(あきばつ)と記録されていて10代の美少年だったという。ナントカという日本名を当て字したのだろうが一体本名はどうだったのか。九州にある「赤星」とか「秋葉」という家の出身かも知れない。高麗語のアギ(子供)とモンゴル語のバートル(勇者)の合わさったニックネーム説もある。当時半島は元の属国だった。
 李成桂は公的には全州李氏の朝鮮族としているが一説には女真族で後の李氏朝鮮の初代である。
 一方当時の高麗王朝は元の間接統治で王位を決められていて、忠烈王は元の首都である大都(現在の北京)に常駐した。その息子達の忠宣王はイジリブカ(漢字表記「益知礼普花」)、忠粛王はアラトトシリ(漢字表記「阿刺訥失里」)、忠恵王は「普塔失里(ブダシリ)」とモンゴル名を持ち、大都で育ちモンゴル風の辮髪にしていた。元寇の時は高麗兵が先頭に立って押し寄せてきている。お互い様なのだ。

 その後、今度は豊臣秀吉が止せばいいのに大軍を半島に上陸させる。
 どうも個別戦闘では勝つには勝つのだが、兵站は途絶えるヤル気はなくなる、中には朝鮮に寝返るのも出てくる(逆も多かった)。
 現地での表記の「沙也可」という日本人は投降し、軍が引き揚げた後に国境警備や反乱の平定、女真族との戦いなど活躍する。国王から「金」姓を賜り今日まで家系が続いている。友鹿洞(うろくどん)一帯のキム一族で、一村全てが金姓の両班だ。すぐに朝鮮語が喋れたのだろうか。
 かつて司馬遼太郎は綿密に取材し「沙也可」は日本では左衛門の朝鮮読みだろう、と推測した。他に多少の無理筋だが鉄砲集団の雑賀党の者でサイカのことだという説もある。

 明治になって政府が戸籍を管理するようになると、日本語表記がなくて困った人たちが出てきた。アイヌの人達だ。元々苗字も文字も持たなかったので多くはそのままの名前や住んでいた地名に漢字を当てて名前にした。
 話題の北方領土の色丹島にはロシア配下の千島で洗礼を受けロシア名の人々がいて、苦労して苗字を造っている。ストロージョフさんは須藤に、ノグラウウィンさんは埜倉(のぐら)に、プレチンさんは吉市(よしいち)といった具合だ。
 最近はフィンランドから帰化したツルネン・マルテイさんが「弦念 丸呈」とかラモス 瑠偉とかポピュラーになって、キラキラ・ネームの方が何系だか分からない。

 ところで僕はその昔、中華圏(香港・台湾・シンガポール・杭州・北京・上海)に行くとサインする時に西 室建と書いて「ウォー・シー・シー・スー・チェン」等と自己紹介した、すぐ日本人だとバレた。
 ソウルでチェックインする時は니시무로(ニシムロ)等と表記して「ナー・ヌン・ニシムロー」とやったが、錬達のフロント・マンに「にしむろさんですね。お待ちしておりました」と日本語で返事されてしまった。

フ(ホ)ァン・チン 名前考 黄金

春夏秋冬不思議譚(名前考)

漢字は楽し 色彩編


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雨ニモマケズ

2016 NOV 7 0:00:42 am by 西 牟呂雄

 友人がさるところで聞いてきた講義の内容が素晴らしい。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳してみる、というテーマだった。有名な出だしを念のため載せてみます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 僕もこのところだけ訳してみた。
 更についでにそのインチキ英文を元に再度和訳を試みると( )内の日本語になる。似ても似つかないものになってしまった。賢治の詩心が飛んでいってしまいアホな散文に、ダメか。

Never give up even in hard rain and wind (強い雨・風 参るものか)
Nor hottest summer, heavy snow (クソ熱い夏も 重い雪にも)
Be strong body  (強い体で)
Free from desire (欲望から開放され)
Without anger   (怒りも無く)
Always happy smile (常に楽しく笑う)

 僕のチャランポラン訳ではない、ちゃんと講義中で秀逸とされたのはこれだ。

Be not defeated by the rain
Nor let the wind prove your better
Succumb not to the snow of winter
Nor be bested by the heat of summer
Be strong in body
Unfettered by desire
Not entice to anger
Cultivate a quiet joy (translated by David Sulz)

 さすがですね。
 この講義は他にも俳句を英訳する試みもやったそうです。
 そこでこういうのはいかがかな。

「ほっておけ 臆病者は 調子ハズレ」

 この狂句を英文にしてみる。

「Free care,(Mr.)Coward to become mid not」

そしてこの英文を早口で2~3回声に出して読んでみる。するとアラ不思議。いつのまにか

「フルイケヤ カワヅ トビコム ミズノオト」

になるというオチ。失礼しました!
 正直に言うとこれは僕のオリジナルではない。僕の二代前の爺様が作った。
 大戦末期、先生方が兵隊に取られて教員不足に陥った女学校の英語の講師を買って出て(ノー・ギャラだったと言われている)その授業でこれを披露したところ、今で言うドン引きされたらしい。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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