Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 言葉

Pカンパニーの『虎よ、虎よ』観て来ました 

2016 AUG 28 21:21:55 pm by 西 牟呂雄

 司馬遼太郎の『国盗り物語』で有名な〝美濃の蝮”斉藤道三と、その子にして父を討ち取った義龍を題材にした舞台を観に行きました。SMC仲間の早野さんが出演していて、義龍の母親・深芳野を演じます。
 息子義龍の実父は土岐頼芸という説は司馬遼太郎がネタにして通説のようになりましたが信憑性はないそうです。むしろ父親殺しの汚名を着るのをいやがった義龍が自分でそういう噂をバラまいたのではないかと疑っています。
 実は斉藤道三は嫌われ者だったりして、旧家臣団は殆どが義龍につくのですよ。
 さて、話は戦国のリア王のような父子の葛藤でしょうか、はたまた復讐劇か。
 義龍は記録によれば六尺五寸、2m近い大男なのだが、役者さんはそうもいかない。

 現代のテレビ・クルーが謎の案内人に導かれて結界の中で斎藤道三・義龍親子と会う、という斬新な設定。
 後半の盛り上がりが素晴らしい演出で、笛・太鼓も効果的です。
 特に感心したのは義龍が仏典にのめり込み、釈迦の前世で飢えた虎に身を与える挿話の際に虎を表す踊り。狂った深芳野が凄味のある演技をする後ろで般若の面を付けた女優さんの踊り。バックに土岐家の紋を映し、それがのちに斎藤道三の紋に変わる映像。
 この辺の舞台芸術の進化は見事に尽きます。
 ただ、この演出に至るまでがやや冗長に感じられるのが惜しまれる。前半のテレビ・クルーのいかにも業界的なノリ(いわゆるビーテレ)も残念ながら笑いを取れませんでした。
 もう一つ、終わりのあたりで準主役が60年安保を目撃したことが語られますがこれも余計かと。作者もしくは演出家の経験が盛り込まれたのでしょうが、物語のテンポを悪くしています。
 舞台と思想は切り離せませんね。
 挿話は事実で、デモ隊に恐れをなした政府は一時は自衛隊の治安出動も考え踏みとどまります。その代り補完勢力として右翼行動派に手を回すのです。この間は非常に事情が複雑に入り組んでいて簡単ではない。その右翼の暴力を警察が傍観したと語られますが、それも確認されている事実です。しかし実際には警察は手が出せなかった。なにしろデモ隊の統制が取れなくなり警備以外はできませんでした。その渦の中で樺美智子さんが痛ましい犠牲者となったことは広く知られていますね。
 オット長くなりました。本題に戻って芝居は。
 仲間の演技は特に目が行きます。
 早野さん、狂気の場面凄かったですね。目がイッテました。こういうの得意なんですよ、彼女。そして終わりに歌って踊ります。元々シャンソン歌手なので上手いに決まってますし、踊りは妖艶。華がありました。
 まだ見に行けますよ、チケットは大分売れているそうですが。

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無駄の勧め (今月のテーマ 無為自然)

2016 JUL 9 0:00:18 am by 西 牟呂雄

 思えば、ですな。随分と無駄なことをしてきたものです。
 あっちへ行ったりこっちに来たり、役にも立たない事に夢中になり、こうしろと言われた事を面倒になって放り出し、時々不満を抱えたり、そのくせミョーに明るいまんまここまで歩いてきた感じ。
 最近色んなことを思い出して、あの時こうしてたらどうなっただろう、などと考えてみるのですが。すると不思議な事に結果としては今と同じようなことにしかならないと簡単に結論が出ました。もっと言えば誰でもできることしかやっていないし、別の選択をしたとしても今日のこの状況と変わらない自分ができあがってしまう、これは確信です。大それたことをする訳でもなく、犯罪に走るハメにも陥らず、トコトコと道を歩いてきたような。まぁ曲りくねったりあちこち陥没したりしてましたが。
 言い方を変えると図らずも一生懸命道をこしらえていたのでしょうか。道というものはやはりどこかに通じますよね。
 これを上から俯瞰してみると形而上的な絶対的存在はやっぱり有るといった趣があります。調和とでも言いますか。大きな岩を避けて、流れの速い川に橋をかけ、山があったらジグザグにそれを越えて。それは無駄とはいえないと思います。
 ここで更に飛躍すると自然界と人間界の接点、或いは両方を貫き通すモノの境目が『道を切り開く』ことにも通じますね。なんだか大げさですが、その境目に立ってグルリと周りを見回して人智を超えるものとは何だろうかと言えば、そりゃ人間の感覚では見えないし聞こえないし触れることもできないから「無」となりますな。そして振り返ると歩いてきた道がある、と。
 ここのところが最近のテーマの「無為自然」と解釈してるんですがどんなものでしょうか。

 去年から野菜造りに励んでみてつくづく分かった。プロ根性も無く手慰みに種を蒔いて水をやってもジャガイモは育つが大根と胡瓜は絶対に育たないのです。僕は一年を無駄にしたことになるし、今では野菜に失礼なことをしたと反省していますが。
 野菜は既に人工的に改良されており、種子なんかはF1種子に遺伝子組み換えされているから『無為自然』は通用しないのでしょう。
 現実の人間には実に御しがたい感情があってどうしようもないのですが、何とか折り合って安らかに過ごす、柔弱な態度で世に処していく、良いときも悪いときもいずれも私事は相対的なもので、執着から解放された安らかな境地が得たいものです。これが無駄の勧めです。

 儒教の体系はその後朱子学や陽明学に受け継がれていきますが、老荘学徒の方も竹林の七賢と言った人材が出ます。又、王弼・何晏・郭象といった政治家が有名です。
 ところがですね、この人達は実際に偉くなってしまうとどうもいかんのですよ。
 王弼(おうひつ)は魏の時代の人。子供の頃から秀才で名高かったのですがチャラチャラしたキャラで、酒ばかり飲んでは音律に通じたりしてばかり。頭のいいことを鼻にかけるところがあって当時の知識人からは嫌われました。
 何晏(かあん)も同時代の人ですが、これがまた手鏡に自分の顔を写しては喜んでいるようなナルシストの自信過剰。おまけに大変な女好き。
 郭象(かくしょう)は西晋の時代に『荘子』に脚注を入れた学者です。大変に口が達者で『懸河の水があふれるがごとく』喋りまくったらしい。しかし史書には「郭象は軽薄な人間」と書かれてしまう。
 これらの人々は”玄学の徒”と称されますが、いくら『無為自然』とはいえこれでは。儒家の言う”徳の無い”こと夥しい。
 どうもこういった才人は「ただ内側から光っていればいい」といった境地には至らないもんなんですかねぇ。現実には今日のチャイニーズにそんな人物は皆無ですが。

 どいつもこいつも参考になりません。テキストがないなら独自の境地を拓くしかないようです。一人で無駄を極めよう。

たまには と しょっちゅう の間

犬も芸をしない (今月のテーマ 無為自然)

2016 JUL 1 1:01:27 am by 西 牟呂雄

 てか、こいつら芸はできない。手前が娘で奥の方が母親だが。

あたしを見て

あたしを見て

 手前の娘の方はこの日初めて会ったのにワンでもなければウーでもなく寄ってきてペロペロ、これじゃ番犬にもならない。ショウ・ドックの由緒正しい血統だが何世代も甘やかされているので、食欲と自己顕示欲しかないらしい。
 飼い主によればそれでも人見知りで人の好き嫌いは激しいって本当か?
 アイリッシュ・セターは猟犬なのでカラスがベランダにとまったりすると(ここは7F)興奮するのだそうだ。
 しかし『人見知りをする』ということは慣れ親しんだ匂いや雰囲気で好き嫌いを瞬時に判断するのだろうか。そういえば僕は大概の犬に(道を散歩しているような)いきなり好かれて寄ってこられることがある。こんなことは、例えば人間の女性などには全くない現象(少なくとも僕は)。よく言えば自分を可愛がる人を見抜けるのだろうか。そして少し遊んでやるともう大変、もっともっとでキリがなくなる。
 これが小倉時代の 春風駘蕩編 初夏孤影編 に登場した工場犬チビのように、前半生で迫害を受けたらしい犬とは大きく違う。
 一言で言えばこいつらは無邪気なんでしょう。変な縫いぐるみをオモチャにしていて『これで遊んでよ』と咥えて持って来て僕を見上げる。

 こちらの猫は以前紹介した〝無為自然”ネコだが、元々夜行性のためか昼は寝てばかり。
 この写真は朝焼けです。朝の光に反応したのでしょうか。深く物思いにふけって佇んでいる所、一瞬声をかけるのをためらう佇まい。なかなかのもんですね。 

 

物思いにふける猫

物思いにふける猫

 しかし昼間これじゃねぇ。

顔がつぶれてます

顔がつぶれてます

犬も猫もどいつもこいつも芸をしない (番外インドの旅)

 『行雲流水』書評 野に遺賢在り 石山喜八郎

2016 MAY 7 12:12:03 pm by 西 牟呂雄

帯にこうあった。

 行く雲や 流れる水の 心もて
   静かに我は 生くべかりけり
ー ある大本教信者の数奇な生涯 -

  巻末にも『没後21年が過ぎるにあたり、この類いまれなる奇人の生涯を書き記すことで供養に代えることとしたい』と書かれているように、大変な人物がいるものだと一読三嘆に至った。
 明治四十四年生まれ、平成七年没。全くの市井にありながら波乱万丈の人生を送った人の物語である。
 詳しくは本書に譲るが、小学校卒業後家業を手伝いながら膨大な読書量によって独自の教養を練り上げていく中で大本教と出会い入信する。
 大本は無学文盲の出口なおが神懸って記したお筆先という文書を、あの大宅壮一をして”昭和最大の怪物”と言わせしめた出口王仁三郎が体系化したいわゆる新興宗教で、戦前当局から激しく弾圧された。
 主人公喜八郎はその中で、投獄・兵役と厳しい運命に翻弄される。
 本書は御子息が御尊父について書いている作品であるが、読後感は優れて小説なのだ。以下キーワードを軸に評してみたい。

胆力
 主人公喜八郎は家業を手伝った後、青雲の志を抱きながら群馬の藤岡から東京に出て、好奇心の赴くまま様々な出会いをする。
 それが驚くべき事に2・26の理論的支柱となった北一輝。玄洋社の頭山満。さらにその子分杉山茂丸。私のような昭和史マニアには垂涎の面子である。
 筆者は「この当時著名人と言われている人が、見ず知らずの一書生に面談してくれるという風習があったようである。」とさらりと書くが、そんなことがあるはずがない。喜八郎のような並々ならぬ気迫と度胸がなければそもそも会いに行こうと思うことすらないのが普通だ。
 又、そんじょそこらの熱血漢が気迫を持って面談におよんでも、相手は常に身辺の危ない連中である。門前払いにならないのは只ならぬ気配があったに違いない。ここがまず面白い。
 更には、原敬を刺殺した中岡艮一。合気道の達人、植芝盛平ときてはもう読者として目も眩むばかりである。
 中岡は後に恩赦を受け大陸に渡り、その後イスラム教に改宗して現地のタタル人と結婚するウルトラ級の変わり種。植芝盛平は近代武道最強の達人として知る人ぞ知る。
 兵隊として大陸に行ってからもこの度胸はますます磨きがかかる。信仰が深まって不殺を誓った二等兵が上官を脅す、古兵に火傷を負わせる、何でもありだ。小生はつくづくこの時の上官でなくてよかったと思う。この辺、筆者はかなり抑制して筆を運んでいるが腕っぷしの方も恐らく相当のもので、隠されたエピソードは他にもあると小生は睨んでいる。

教養
 小学校を出た後、独学で身に着けたとすれば異常な読書量と言わざるを得ない。果たして本が好きだけでこのような英知が備わるものだろうか。
 フトしたきっかけで大本教と出会った喜八郎はその”お筆先”を読み込む。それも読み込みというような生易しいものではない、格闘するのだ。”お筆先”は一種の予言の書であり、一般人が読んでも「面白い話だ」で済んでしまうが、何かが喜八郎の琴線に触れた。そして導かれるように門を叩くが、その時点で悟入十分の境地に近かった。
 その後は弾圧・徴兵となるのだが、その節目節目でほぼアドリブの驚くべき弁舌が展開される。
 取り調べの鬼警部に一歩も引かず、敏腕検事を事実上論破する。只の不貞腐れならいじりにいじられてひどい目に合わされるのがオチだが、そうはならないのは相手が感心してしまうからだ。
 そして帝国陸軍解体の際に大舞台が廻ってくる。武装を解かない殺気立った部隊を前に、将校も佐官級の聯隊長も匙を投げ、どういう訳か喜八郎万年二等兵が演説をする。歴史を振り返り、将来を憂い、諄々と論理的に喋り見事にその場を納める。本書のクライマックスであり、筆者の筆は冴えに冴える。
 武装解除に当たった国民党将校を煙に巻くなど朝飯前のことであったようだ。
 ここは少し解説しておきたいが、南方戦線は米海兵隊相手に加え兵站不足から悲惨な状況で敗退するが、大陸における大規模作戦約50回の殆どが負けなし。即ち部隊は〝勝っている”と思い意気軒昂のまま終戦に至った事実がある。そこを理解しないと、作中の緊張感は分からない。

楽天
 検挙されて懲役に行く。懲罰的に徴兵される。当然のように営倉にブチ込まれる。
 ところがいずれのケースも喜八郎は動じない。普通の人間なら絶望的になるところをむしろ楽しみ、三度の飯をペロリと平らげビクともしない。
 一つは深い信仰に根差しているからだろうが、小生は生来の楽天的な気質があったと推測する。もっと言えば、現状を愚痴る、悔いる、嘆くといった気質が全く欠如しているのかも知れない。
 戦後は苦しい生活を強いられるが、喜八郎は何の不都合も感じていない。
 むしろ”お筆先”は日本の敗戦を予言しているそうだから、やはり信仰は間違っていなかった、くらいの気持ちだったのではないか。
 その後も論文投稿・応援弁士等は闊達にこなすが、果たしてギャラを貰っただろうか。天は二物を与えず、これ程の度胸・英知を授けておきながら、それで生計を立てるという意欲を与えなかった。
 若き日の遊学時代、読書は左翼系の読み込みにも及ぶが共産主義には共鳴していない。又、当時の風潮から日蓮宗系の右翼思想も流行したがそれにも接近して行かない。上記『楽天的な気質』の明るさが遠ざけたのかも知れない。あくまで一信者として生涯を貫く。
 
 読後不思議な感覚に陥った。著者の言う『一市井の奇人』の緻密な人生が、かくも分厚いものであるのか。このことは日本文化の奥の深さの一端を表しているのかもしれない。そして健全なる日本の社会では、奇人は成るべくして奇人になりつつ極普通に市井に溶け込むのだ。ぜひ一読を勧めたい。

『行雲流水』
著者  石山照明
発行  株式会社 エスアイビー・アクセス
発売  株式会社 星雲社
 
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漢字は楽し Ⅱ

2016 APR 5 0:00:56 am by 西 牟呂雄

 赫赫(かっかく)のような漢字に感心してブログを書いてフト気が付きましたが、同じ漢字を二つ並べて一つの文字にするものがたくさんありますね.表題のような文字です。
 横に並べるだけでなく、縦に重ねるのもあります。炎・圭とか。
 そして更に三つ山のようにしてしまう、”森”とか”品”のような字もあります。
 表意文字の場合は目を楽しませる、或いは一目で「ムッ、これは凄い」と感じるものがあります。
 轟(ごう・とどろき)は音が聞こえてきそう。磊(らい)とは実に豪快。
 晶子さん、なんていうのは本来は透き通った純粋な人と名付けられたのでしょうが、日が三つではちょっと眩しい。
 ”姦”は使い方によってはけしからぬ熟語にもなりますが、訓読みは「かしまし」です。”蟲”は実は虫の旧字体。その昔はいっぺんに三つ書いていたのですな。

 ところで読者諸兄諸姉は以下の字が読めますか。
 中には何とか読めるのも混じっていますが。

読めますか

 種を明かすとこれはヴェトナム語です。ヴェトナムでは正式文書は漢文でしたが、現地の言葉を表記するのにオリジナルの文字を作り出して万葉仮名・あるいは日本文のカナ交じりのように使っていました。見たこともない字がそれです。
 日本でも”峠・畑・辻”などが作られました。
 朝鮮にもあります。”畓”は何と読むのか知りませんが田んぼのことです。なかなかよくできています。因みに”田”は畑を意味していたので新しい字を作ったとか。
 かつてはこういった漢字の流れのチベットの西夏文字、遼の契丹文字、金の女真文字、等がありましたが、全て現在は使われていません。

 ここで突然思い出したのですが、水戸光圀の”圀”は一体日本製のクニの字なのでしょうか。旧字では國のはずです。それともその前は圀だったのでしょうか。口構えに八方とはいかにも古代の中国城塞都市を思わせるところですが、光圀以外に使っているのを寡聞にしてしりません。どなたかご教示いただけませんでしょうか。 

 私も独自のカンジモドキをこしらえて秘密文書として使えばそれが何の意味か誰にも分からなくなって暗号に使えるかもしれない。誰も読まないし、変換しても出ないから能率は悪いし一度しか使えないだろうが。

漢字は楽し 色彩編

漢字は楽し 『谷』の読み方


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漢字は楽し 色彩編

2016 APR 2 19:19:08 pm by 西 牟呂雄

 本来色彩の話は苦手ではある(色覚異常のため)。
 漢字を二つ並べた単語は色々あるが、シャレではないが”色”に関しては強烈な表現になる。

 黒黒(くろぐろ)は髪の毛の黒さなどを表現すると共に、実に『悪い』ものを連想させる(黒田さんとか黒川さんゴメンナサイ、名前の話は別)。腹の黒々と、とか。

 一方青青(あおあお)としたと言うがこれは専ら緑色のことで、木々の色なんかに使う。
 因みに青い(ブルー)光線は人の脳神経を覚醒させる効果があって、パソコンをズラリと点けっ放しにしていると脳が休まらないという研究結果があるらしい。
 
 赫赫(かっかく)。どうです赤四つ!赫赫たる、の様に使うが物凄い字面だ。
 強く光る様子を強調するが『赫赫たる青色ダイオードの光』とはさすがに誰も言わない。どう考えても輝く夕日でを形容しているはずだ。そしてその後日が落ちて薄暗くなったのが黄昏(たそがれ)。
 
 白白(しらじら)しい、はご存知の通りの意味。空しいイメージか。『あしたのジョー』の最後にジョーが言った「真っ白な灰になる」というのを今でも良く覚えている。

 この色の並びは中国天文学の北・東・南・西を表していてそれぞれ四神を置いている。即ち玄武(亀)・青竜(龍)・朱雀(鳳凰、鳥)・白虎(虎)という訳である。
 これを天海僧正あたりが東京に当てはめていないか、と妄想していたらそれっぽい地名があることに気づいた。目黒・青山・赤坂・目白の四つ。
 しかし結論から言うと四神の配置と何の関係も無くバラバラだ。
 北を指す目黒は瀧泉寺(りゅうせんじ)で江戸名所図会にも目黒不動として描かれている。行楽地であり、落語の目黒のさんまはの舞台にもなった名所だった。
 青山はお不動様とは関係なく、郡上の殿様青山家の下屋敷があったためそう呼ばれた。この青山様の子孫に陶芸鑑定家で小林秀雄や白洲正子の親友だった青山二郎氏がいる。
 それでは目青不動は無いのかと言うと、これがある。世田谷区太子堂にある最勝寺がそれだ。
 赤坂はこれまた関係なくて赤土が多い土壌に幾多の坂があるからこの地名だとか、あるいはアカネが群生して『茜坂』と呼ばれていたから、とされる。ところが目赤不動も文京区本駒込の南谷寺にある。
 目白と言えばは故田中角栄の広大な私邸で政治的な名称にもなったが(古いか)こちらはちゃんと五色不動の一つ目白不動を祀る金乗院(こんじょういん)があって地名の由来だ。しかしながら上述目黒との位置関係では北側になってしまう。
 因みに五色不動というからには中心の黄色もなければならないが、これは浅草勝蔵院の「目黄(メキ)不動」という伝承はあるものの今は無い。不思議な事に明治以降名乗りを上げた寺院は都下に複数存在するが。

 このうち黒白のお不動様は江戸時代よりも存立は古く、赤でギリギリらしい。青・黄に至ってはどうやら明治以降ドサクサにまぎれて名乗りを上げた可能性もあり都下にいくつもあるらしい。従って怪僧天海が大江戸鎮守のために配したというのは都市伝説・噂話の類のようだ。
 この話をヒントに、乗り込んできた家康一統が江戸土着の四神の呪縛に苦しめられ音を上げてしまい、天海僧正が法力を以ってこれら闇の勢力と戦う、というモチーフを思いついた。思いついたものの荒唐無稽過ぎて文章にできなかった。

 話は変わるが漢字二文字の言葉というのは”々”を使ってしまうと本来の迫力が失せる。二文字並べる方がよろしいが、書くのが面倒でもある。

 生生たる(せいせいたる)もいかにも命の漲っている感じがします。
 皚皚たる(がいがいたる)はなかなか読めませんが何かがガイガイしているのではなく、白く雪が積もっている事の形容詞、チョット恐い語感だ。
 汲汲とする。愈愈(いよいよ)。賑賑(にぎにぎ)しい。由由(ゆゆ)しき。延延(えんえん)と。坦坦(たんたん)と。雄雄しい。苛苛する。苦苦しい。禍禍(まがまが)しい。清清しい、奄奄(えんえん)-これはオレオレではなく息が絶え絶えとした様子。女女しい。蕭蕭(しょうしょう)とー風の吹く様、ウッ疲れた。誰か代わってくれ。

漢字は楽し Ⅱ

漢字は楽し 『谷』の読み方


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ニイタカヤマノボレ

2016 MAR 8 0:00:32 am by 西 牟呂雄

 小倉にいたときに、吉野ヶ里遺跡を見に行ってます。

小倉記 秋・古代編


 この時に泊まった佐賀の『古湯温泉』という所は温めのかわいらしい感じの温泉。一画に旅館がそれぞれこじんまり立っていました。ここだけの話、泊まった旅館の晩御飯が大変に不味かった。名前は言いませんがね。
 温めの温泉というのはいくらでも入っていられる気がしたところ、さにあらず。僕は温泉に出たり入っったりしてジャブジャブ浸かりますが、居心地がよくて温湯に入り過ぎてしまい、まるでサウナに入った後のように汗が引かなくなって二度三度浸かることができなくなりました。
 翌日、旅館の廻りを散歩すると公園のようなスペースがあって、元庭園の趣です。観光案内の看板が立っていて、およそ次のような説明がありました。

ーこの地は森平太郎氏の別荘跡地です。氏は佐賀県大和町に生まれ、台湾に渡って後に四大製菓会社に数えられる「新高製菓(にいたかせいか)」を起こした人物です。ニイタカ・ドロップは子供達に大変人気のあったお菓子でした。ー

ニイタカ・ドロップ、覚えているぞ。そういえば最近見ないが五円玉みたいな環状のドロップで、缶に入っていた。台湾!新高!戦前の日本最高峰は標高3952新高山だったのです(富士山3776m)。現在は玉山(ぎょくざん・ユゥシャン)ですね。そういうことか。

 「ニイタカヤマノボレ・ヒトフタマルハチ」

 ご存じの方も多いだろうが、大本営から海軍南雲機動部隊に真珠湾奇襲攻撃を打電した暗号です。この『ニイタカヤマノボレ』は作戦発動。『ヒトフタマルハチ』が決行日の十二月八日ですね。ヒトフタマルハチなんてベタな電文はマズいのでは。
 もう一つ、あまり有名ではないですが同時に打たれた暗号があります。

 「ヒノデ・ハ・ヤマガタ・トス」

 これは南方に展開していた陸軍部隊に対して発せられた、南部タイおよび北部英領マレー方面に急襲上陸せよ、という暗号です。無論最終目的は英国軍の軍事要塞シンガポールです。『ヒノデ』がニイタカヤマノボレの作戦発令。『ヤマガタ』は八日未明を指しています。陸軍では1~10の数字を和言葉でヒー・フー・ミー・ヨーにして都市のなまえを当てていた。広島・福岡・宮崎・横浜・小倉・室蘭・名古屋・山形・久留米・東京で十。即ち、急襲上陸決行日は八日という内容です。こちらも海軍さんよりは捻ったつもりでもスマートさには欠けますね。二度目は使えない。
 マレー方面へは陸軍は山下中将、海軍は小沢治三郎中将が珍しくいい連携を保っていて強襲上陸に成功します。その後55日間で1100kmという驚異的スピードでシンガポールに突進しました。

 ニイタカヤマから話が飛んで行ってしまいましたが、その新高製菓の森平太郎氏の別荘は庭に巨石を配し池を掘り、源泉を引いた盛大な作りになっていました。

 そして案内板の最後に『この人のお孫さんがハード・ボイルド作家の北方謙三さんです。』とありました。へェー、知らなかった。北方謙三は僕達のヨットハーバーの隣の岬に自称”海の基地”を持っていて釣りの大型クルーザーを乗り回すカッコいいお爺です。

隼は征く 雲の果て 

名古屋だぎゃ (ゼロ戦と秋水)


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あやしうこそ物狂ほしけれ 

2016 FEB 8 22:22:19 pm by 西 牟呂雄

 春節。太陰暦の正月一日は今年は二月八日です。新暦正月はいつも通り喜寿庵にいました。毎年当たり前のようにスノボで初滑りをしたのですが、果たして何のために滑るのか一瞬迷った。上達する可能性はもうない、上達したところで”それがどうした”ですね。運動のためと言えなくもないが、疲れるとすぐやめてしまうから体力がつくまで行きませんね。爽快感はあるといえばありますが、スキーの直滑降ほどのスピードは出せません。第一この年でムチャをして骨折でもしたらバカ扱いされます。
 いっそ朝から酒でも飲んでしまおうかとも考えましたが、お腹が空いたのでラーメンを食べるという安直な理由をひねり出しゲレンデに行ってつくづく年齢を感じたことは既にブログに書きました。することがないので余計なことをして、気が付きたくもないことを実感させられて、と。
 2日・3日は箱根駅伝を肴にチビチビと酒を飲みウトウトしていました。それにしても彼らの体力と根性は素晴らしい。無論選手達も名誉に思い達成感を抱いたことでしょう。この20チーム200人は今この時点でスーパースター、優勝した10人はその名を刻まれます。しかし、更にオリンピックの長距離に出るような人は稀であり、殆どの選手を私達は1年後には忘れてしまいます(神野君は別)。実は某大学の駅伝部で(強豪校です)箱根の山下り(6区)を走ったことのある若い人を知っていました。その子は何かのケチがついて退学してしまい、会った時は陸上など見るのもいや状態で、色々あったのでしょう。自由になって最も好きだったものを失ったとも言えます。
 以上のことはどうでもいい話ですが。

 何もすることがなくなるとそれは不幸なのでしょうか。多くの人はそう思うかもしれません。しかし何かをやってさえいればそれで満足するものなのか。
 何もしない暮らしこそ最高だとは思えないですか。喜寿庵ではいつも一人だから自由と言えば自由。即ち何もすることがありません。去年はヒマにまかせて野菜造りに挑戦してほとんど失敗しました。時間も労力も全くの無駄。せいぜい失敗作を造る自由を満喫した、くらいかなぁ。
 ゴルフをやったりスノボに行くのも勝手に一人で行きます。それでいて深刻な孤独感に浸るとか、ひとりぼっちを実感するようなことはない、いや、何かに困ったときはあるな。生活はしていますから。
 毎日毎日一人でやりたいことだけをやって暮らすというのは現実的ではないですね。恐らく時間が限られないと何でもかんでも後回しにして、後で大変な事になり七転八倒することになりそうです。

 『つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ』という書き出しであまりにも有名な徒然草です。兼好法師は何もしないで「日ぐらし硯に向かいて」いたのでしょうか。勿論全部読んだ訳ではありませんが、知る限りではアチコチ出かけてはアレはダメとかコレは面白いとか言っています。また人の噂も大好きで、ネットも電話もない鎌倉時代にドコソコの誰は立派だとか、ナントカは大したことないと聞く、などと実名を書きつけています。比較的偉い人の悪口は書いていない。
 十月を神無月(かみなづき)と言うけれど記したもと文(ふみ)はない、といったヒネた意見も載せています。信濃の元国司行長という人が平家物語の作者だとありますが、これには諸説あるようです。
 それで思うに兼好法師、何もすることが無かったんじゃないですかねぇ、要するにヒマ。
 どうも鎌倉時代は京都周辺には将軍の直接の圧力は感じられず、山城・摂津・河内の国は半独立圏の趣があって気楽そうです。

 しかし時は流れ鎌倉末期から室町時代に移行する大混乱時代を迎えます。
 兼好法師も晩年にかの悪名高い足利尊氏の右腕、高師直に接近したという説もあります。人妻に宛てる恋文を吉田兼好に書かせたことが太平記に出ていて、これが後に江戸歌舞伎の忠臣蔵のネタにされています。二人でどんな会話をしたのでしょう、何しろ希代のワルと隠遁者。噛み合ったのかお互いに利用したのか興味の尽きないところです。

 『あやしうこそ物狂ほしけれ』は今の言葉で言えば『一日中ヒマすぎて、マジ頭にくるぜィ』くらいかもしれませんな。

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萌え出づる春になりにけるかも

雨ニモマケズ

あかあかや 華厳

惹句師になりたい (今月のテーマ 今年は何を)

2016 JAN 14 0:00:36 am by 西 牟呂雄

 惹句師(じゃっくし)という職業があった、いや今もある。簡単に言えばコピーライターなのだが、対象が映画に限られる。映画のポスターなどに乗せる刺激的な宣伝文句、以前は予告編なんかにデカイ字で飛んでくる短文、テレビの映画宣伝なんかで耳にすることば、ああいうやつを書く人のことを言う。検索すると有名な惹句もいくつか見つかった。ああいうのを今年はやってみたい。このごろぼんやりしていたりすると、昔見た映画の惹句を考えたりしている。

『愛と青春の旅立ち』
ー 地獄の訓練 ほとばしる激情 そして一つの愛が実った -

『トップ・ガン』
ー レーダーにプリッツが映れば、それはボギー(所属不明機)だ -

 これらの作品は何回も何回も見ているので造り易かった。特に海軍モノは好きなので思い入れもある。
 実際の惹句師になると、撮影現場に一緒に泊り込み、長ければ一年近くつきあった上で更に考え抜いてやっと一文をひねり出すと言う。一度や二度の観賞で薄っぺらい印象だけを綴ってはだめらしい。

『仁義無き戦い』
 これには既に「殺(と)れい! 殺(と)ったれい! 拳銃が焼きつくまで撃て!」という有名なものがあるが、
ー 殺(と)るときゃ広島じゃ 朝から血の雨が降るんで -

『傷だらけの天使』(映画じゃないけど好きなんで)
ー 街の寄生虫は逞しく生き抜く -

『相棒 シーズン14』(これもテレビですが)
ー 切れ者 対 化け物 -
 惹句は考えたが、実際の現行シリーズはこの凄みがない。もう見るのを止めてます。

『スタンド・バイ・ミー』
ー 少年は誰でも泣き出したくなるほど孤独だ -

 そういえば洋画にそれらしい邦題を付けるのもかつてはいいのがあった。『愛と青春の旅立ち』の原題は『An Officer and a Gentleman』だが、これを『士官と紳士』とつけたら味気ない。古いところでは『望郷』なんか『Pépé le Moko』でそのまま主人公の名前だった。『スター・ウォーズ』を『銀河大戦争』だったら・・、うまくいかないか。フム、難しいな。

 古い映画ばかりで物足りなくなって、僕自身が制作・監督する映画を考えた。以前書いた 本能寺以後 をベースに明智光秀を根須甚八が、黒田長政を阿部寛が、そしてシーンは安土城七層の天守で舘ひろしの織田信長が惹句をうそぶく。

ー 天下なんぞ欲しくばくれてやる ワシには天上が真上に見えておるわ ー

髑髏本尊 降臨

髑髏本尊 降臨

 こういうのはどうか。平成亜空間戦争 Ⅱ で平将門を渡辺謙、大塔の宮は坂東玉三郎。石川五右衛門に泉谷しげる。そして美輪明宏演ずる後醍醐天皇が火炎を吐きながら、あの独特の声でこう言い放つ。

ー ヤマトの怨霊ことごとく見るが良い 朕がまことの姿はこの髑髏本尊なるぞ ー

 読者のどなたか。どうすれば惹句師になれるかご存知ですか。

婆娑羅考 (今月のテーマ 列伝)

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー

2015 DEC 25 8:08:04 am by 西 牟呂雄

 鉄血宰相ビスマルクの言葉として有名だ。原文の直訳は『愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。』となっているそうだ。因みに通常使われているのは英語版『Fools say they learn from experience; I prefer to learn from the experience of others.』の訳なのだが、別段”ヒストリー”の単語が入っていない。こういうのは誤訳というより『超』訳とでもいうべきか。
 翻って提題の名言も『他人の経験』とやってしまうと味も素っ気もなくなる。『歴史』とすれば何やら地政学を彷彿させて暗示的だ。
 例えば昨今の中東の奇怪さは、宗教・民族が複雑に絡み合いおまけに大国の思惑が露骨に出る。偉大な宗教を輩出させたエリアでもあり、しばしば大帝国を創り上げる。ゾロアスター教を信仰していたペルシャはアケメネス朝からササン朝までマケドニアには負けたもののその後ローマと対峙する。イスラム化してからはサラセン帝国として唐とも戦争する。その後十字軍と戦うセルジュク朝になってオスマン・トルコで今世紀に至る。帝国主義の戦争を経て、ヨーロッパの大国がメチャクチャな国境を引いたのが今日の混乱の基であることが良く分かる、『歴史に学ぶ』べし。

『余の辞書に不可能の文字はない』有名なナポレオンの言葉だが、原文は『Impossible, n’est pas français.』である。インポッシブルはフランス語でも同じ綴りなのでややこしいが、直訳してしまうと「不可能、それはフランス(語)(的)ではない」となってしまってつまらない。これにも『余の辞書』といった言葉などはない。
 しかし、自信過剰気味のナポレオンは普段から盛んにこういった事を喋った形跡があって「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」と言ったとも。あれこれ似たようなセリフをまとめてこの訳になったらしい。要するに部下から『できません!』と報告を受けるのが大嫌いだったものと思われる。
 ピラミッドの前で『兵士諸君、四千年の時が諸君を見下ろしている』とも言った。ただ、四千年は原文では四十世紀となっている、どうでもいいか。

『このまま行こうか、返ろうか』何のことだか分かるまい。しかしこれ、皆さんご存知の有名なハムレットの台詞と言ったら気が付くだろうか。無論、原文は例の『To be, or not to be? That is the question.』。昨年ブログ仲間の早野さんが出た斬新な演出(ロシア人の演出家)の時の訳だ。実際にはセリフは長い独白の一部で、普通はここの部分はたっぷり”間”を取る。しかしその舞台ではサラッとやっていて新鮮だった。
『国民政権、それも国民による国民のための』これはどうか。ハイ、ゲティスバーク演説。  
『ダイスを転がせ』『君さえも』これらはもっと造ったがネタバレだから止めた。シェークスピアのジュリアス・シーザーの・・・。

 11月29日の日経文化欄(最後のページ)に翻訳家の柴田元幸氏が『行司差し違い』と題して誤訳とも何ともつかないコトバの妙について書いている。翻訳者の解釈・個性が出ていいそうだ。
 先日、この人が字幕を担当した『ソウル・ライター』という写真家のドキュメンタリー映画を見た。『魂の書き手』ではなく人の名前だ。イギリス人が監督した作品。ここだけの話面白かった。
 ユダヤ系アメリカ人なのだが、凄い名前だ。ライターは『Liter』だったけど。本人はジイ様で既に故人だが撮影時は80歳位らしい。2年程かけたドキュメンタリーで、いつも同じようなシャツを着て部屋の中でもマフラーをしている。写真家としてのこの人を知らないが、ものすごく散らかったニューヨークの部屋でゆっくりと暮らしていた。時々怒ったり笑ったり。字幕を書くのは字数制限があって難しそうなのは見ていて分かったが、抑制の利いた翻訳だと思った。

 訳語も書き手の状況、読み手の感性にもっともフィットしたものが残っていくのだろう。

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ノー・ウーマン  ノー・クライ (No Woman, No Cry)

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