世阿弥 秘すれば花 Confidentiality should be The Flower
2015 SEP 18 12:12:39 pm by 西 牟呂雄
世阿弥の能楽理論書として名高い『風姿花伝』にある有名な一節ですが、『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。』となっています。私は長い間この言葉をどうやら間違えて理解していたようです。
そもそも室町時代に書かれたのですが人口に膾炙したのは明治になってからで、本当に『秘』されていました。
私は勝手に、表現者(アーティスト)としての天才世阿弥が観客に向かった際、ズバリそのものの感情を出してしまうのではなく、なるべく隠すことによって深みを出すのが芸だ、ということだと。例えば『悲しい』を表すのに打ちひしがれる仕草ではなく『佇む』、『喜び』を表すのに小刻みに『手振り』をする、というようなことを指していると考えたのです。
ところが、最近気になって文献をめくったところ、少し違うようです。
能は面をつけて、老人・女性を表現します。自分の表情や性別を隠します。
世阿弥はそういったものを演じる際の心構えを『風姿花伝』に書き付けていますが、長い歴史に埋もれた間も流派別に口伝として受け継がれて、色々な解釈が伝わっているのです。
ある解釈によると、「花」というのは人が発見する気付く「珍しさ」「面白さ」を指していて下世話な言葉でいえば、それに至るネタはなるべく隠しておきなさい、と教えていると。
これはいかがなものか。演目も同じ物を等何度も見れば見巧者は粗筋も結末も分かっていて今更「珍しさ」「面白さ」もない。観阿弥・世阿弥の天才親子により幽玄美を追求する「夢幻能」にまで磨き上げられた芸は、奇を衒うでもないでしょう。鑑賞者は『さすがはあの間の取り方だ。』とか『今日のは多少大げさだな。』等と思いながら見るものと思います。
世阿弥は将軍足利義満の庇護をうけて極めて寵愛されます。大変な美少年でもありました。しかし義持・義教と代がかわるに連れて、弾圧が加えられるようになるのです。その背景には足を引っ張られたり、はたまた世阿弥の器量も落ちてきたり(仮説ですが)挙句の果てに1434年に佐渡国に流刑されてしまいます。
『風姿花伝』はその絶頂期の少し後、義満没後に書かれたものですね。![image[1]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2015/09/image1.jpg)
ここまで完成させた我が芸を、余興紛いの猿楽・田楽などと一緒にされてたまるものか、と思ったかどうか。その失意と執念が『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。』と書かせたと考えれば。
いや、古典を現代語で読んでは誤ります。
今日の口語で言えば『分かるやつにはいつかは分かる。花になるまで隠しておけ。それまで決して漏らすな。』ではないか。うーん、どうかな。
事実『風姿花伝』は能の各流派に秘蔵され、極一部の大大名家にあるだけで、明治42年に吉田東伍が『世阿弥十六部集』を出版するまでは一般の目には触れなかったわけです。
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話芸の間 圓楽と小遊三
2015 JUL 16 23:23:44 pm by 西 牟呂雄
チョイと一席聞いて来たんですがね。
いや時節柄、体調を崩した歌丸師匠が本日(7月11日)退院なさったそうで、よろしゅうございました。
何しろガリガリなところに持ってきて腰なんざ何度も手術なさってチタンが入ってたそうで、しかも長年座っての商売なんでそのチタンが曲がっちまったってんですからご苦労さんですよ。
高座で皆さん散々ネタにしてました。笑点は人気番組ですが、最初のレギュラーの唯一最後の生き残りだそうで、思えば長いお勤めですよ、これ。お酒は召し上がらないとか。
そして知りませんでしたが、歴代の大喜利の司会者ってのはみなさん下戸なんですって。初代はガキの頃みてました談志師匠。『何を飲みますか。』とか聞くと『テキーラくれ。』とか大声を出しますが口をつけるだけ。次の三波伸介さんも全然とか。先代圓楽師匠もダメで歌丸師匠です。
この番組は当初は談志師匠の毒が強すぎて、又メンバーも同世代のせいか火花が散るようなスレスレのネタが刺激的だったですな。歌丸師匠なんざどっちかって言いますと一服の清涼剤的な軽い扱いで、本人もヘラヘラ・キャラを積極的にやってました。![image[3]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2015/07/image3.jpg)
本日は三遊亭圓楽師匠が中を取りました。下町深川出身の若手ももう65歳!あちこちガタがきている話をネタにした後に古典『疝気(せんき)の虫』をやりました。
コレ、気の毒なので名前は控えますが寄席場では自然に前座と聞き比べることになります。前座も十分稽古して言いよどみもなく見事に話すのですが、圓楽師匠とは受けが全然違う。前座の方は受ないとやや焦り客をいじる。一生懸命やっているんですよ、でもその差は歴然。
『間』が取れないんですな。情けない表情を作るにも、最初からやるのではなくて間を取ってから次第に顔をつくる、とか。これはこれでキャリアが必要なんでしょう。度胸が据わる、とも言います。
さて、大トリは小遊三師匠。この人、よく出身地の山梨県大月をネタにしますね。実は喜寿庵は大月と富士山の途中にあって、その地縁でウチのオヤジとは顔見知りでして。『あ、こりゃ会長。』『ヨッ、噺家。』とかやってました。なぜ会長なのかは誰も知りませんでしたがね。
芸風は『荒物』。人情話をしみじみ語る方じゃなくてガサッと語る、昔で言えば林家三平とか月ノ家円鏡師匠の流れですね。![yjimage[10]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2015/07/yjimage10.jpg)
小遊三師匠も酒は相当なものらしく、ビールで始まり焼酎のお湯割りを飲みウィスキィをロックでやるらしい。何だかどこかで聞いたような。
この方トランペットもやっていて、オイランズ(花魁)という落語家ばかりのディキシー・ランド・ジャズ・バンドをやったりもします。
若い頃の噺はただワァワァやっていましたが、上手くなりましたね。
お題はマズいことに古典の『替り目』。酔っ払いの噺で泥酔したオヤジとカミサンの掛け合いが面白くてゲラゲラ笑っていたが・・・・、その・・・、我が身を振り返るとナンでして・・。
良く聞いているとこの噺、酔っ払いは喋りすぎるからドツボに嵌っていくんですな。
わかったぞ!泥酔したら余計なことを言わなければいいのだ!
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元二の安西に使いするを送る
2015 JUL 12 22:22:04 pm by 西 牟呂雄
渭城の朝雨軽塵を浥す
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人無からん
王維の詩情あふれる名作である。玄宗皇帝の時代、抜群の秀才であり尚且つ容姿端麗、琵琶の名手、天才詩人にして南画の走り、と想像もつかないスーパースターなのだ。漢文の教科書に必ずあるでしょう。
『客舎青青柳色新たなり』この原語読みを知らないのだが、色彩の鮮やかさはどうだ(もっとも私は色覚異常だが)。友を送るに柳の枝を輪にして送る習慣があったと言うが、この朝の柳は青々としていたことだろう。
渭城は秦の始皇帝が阿房宮(あぼうきゅう)をこしらえた咸陽のこと。陽関は玉門関とともにシルクロードの関所。安西は現在の新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)だ。これらを地図で眺めると当時の距離感では気が遠くなる程の所まで”使い”に行かされるのである。
ところで王維が仕えた玄宗皇帝は楊貴妃に狂ってからおかしくなるが、それまでは恐ろしくスケールの大きい皇帝の中の皇帝だった。余談だが『望めば眼前に大海を掘らせ鯨を泳がせるも可』という小説を書いて失敗したことがある。海で泳ぐ鯨が見たくなってある官僚に命じたところ、8年かけて水平線が見えるほどの池を掘り、延々と海水を運ばせる為に運河までつくったが、出来上がったときには楊貴妃に夢中でそんな命令を忘れていた、という内容だった。とても僕の手に負えるテーマではないことが分かってやめた(50枚程書いて気が付いた)。
初めのころ真面目にやっていて「開元の治」は唐帝国の絶頂、文化の華が開く。
個人的には『さぞ物凄い賄賂を色んな奴が懐に入れただろう。』と思ってしまう。
因みに皇帝一族の李氏は鮮卑系と言われている。そういう意味で全国制覇した純粋に漢族の王朝と特定できるのは、漢・宋・明だけだという記述があった。
詩聖杜甫や、その杜甫をして「李白一斗 詩百篇」と言わせしめた泥酔詩仙、李白と絢爛豪華な詩人がおり、阿倍仲麻呂も長安にいた。
王維は弟の王縉とともに長安で行われる科挙の予備試験をトップでパスし、皇帝の一族とも親しく交わる。デキは杜甫・李白より遥かに上だ。しかし例によって讒言されたり嫉妬を浴びたりで左遷も経験することとなる。きっと頑固な所もあったに違いない。
そうこうする内に安史の乱に巻き込まれる。
安禄山、父親はイラン系で母親は突厥人というシルクロードの申し子。体重200kgでもクルクル独楽のように踊れたといい、この人はこれで魅力的な人物ではある。
王維は都から逃げ出した玄宗の後を追ったが追いつけず、隠れていたところを囚われ、安禄山にコキ使われる。恐ろしくいやな思いをしたに違いない。この辺は秀才官僚の習いで仕方なかろう。
その後はあまりの安禄山のメチャクチャぶりに唐が盛り返した後復活する。この時安禄山にペコペコしたことを咎められ危なかったが、弟の王縉が必死に執り成してセーフ。
臨終にあたっては、弟・友達に別離の手紙を書いている最中に絶命したのだとか。カッコ良くはあるが詩人の最後にしては、まっ普通の死に方ですね。秀才で真面目な人だったのだろう。詩も素直な感じだ。
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南朝四百八十寺
2015 JUL 4 0:00:06 am by 西 牟呂雄
千里 鶯 啼いて 緑 紅に 映ず
水村 山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
多少の樓臺 烟雨の中
杜牧という詩人の有名な『江南春』である。昔からどういうわけかこの詩が好きで、蘇州や杭州に行った時に現地でしみじみと声に出してみたことがある。
杭州(現地読みはハンゾウ)は南宋時代の首都。北京まで通じている大運河の起点でもある。切れ込みのような杭州湾の奥にある都市でこの辺ではもう川は流れない。流れないどころか銭塘江という大河ではポロロッカまで起こる。
多くの運河が巡らせてあり、喫水一杯まで貨物を積んだ平べったい船が行き交っていた。
こんなに水が近くて大雨ですぐ洪水になるかというと、全くならない。さすがに千年以上治水を怠らなかったせいだろう。夏はメチャクチャに暑く冬に大雪に見舞われたこともあった。
古(いにしえ)の時代、新緑の中に鶯が鳴く、春風に煙るような霧雨が降る、さぞ鮮やかだっただろう。『酒旗』は文献では”酒屋の旗”とされているが、あの紹興酒のような甘い香りの風を詩人が感じたのじゃなかろうか。それとも、どの家も『こんな日は安らかに一杯やって旅を急ぎなさんな。』とばかりに運河沿いに屋台のように酒屋を出したのだろうか。あのテの酒はチビチビやると、日本酒やウイスキィをガッと飲んだような泥酔に襲われるのではなく、いつまでもフワフワするように酔える(最後は同じだが)。
ご他聞に漏れず、公害規制も何もなしで開発が進んでしまい、場所によってはひどい臭いがすることもある。とにかく流れていないのだから。
ポンコツ工場の二階を間借りしていて、電力事情が不安定だったため突然昼間にエアコンが止まった(もちろん電気も消え機械も止まる)ことがあったが、すぐ後ろの運河の異臭が充満して耐え難かった。
ところでこの七言絶句という形式は読み下しでは抑揚たっぷりなのだが、現地の人間に音読してもらうと、三三七拍子の七節みたいに読まれてちょっと違和感があった。
特に『四百八十寺』のところは『スーパイパーシーシー』に聞こえてしまいちょっとマヌケ。
そうか!『しひゃくはっしんじ』と読ませるのは原語からパクっているのか。
杭州と言えば、宋代の政治家・詩人として名高い蘇東坡の考案した豚肉と紹興酒を煮込んだ東坡肉(トーロンポウ)という料理が名物とされる。この人は天才詩人なのだが、どうやら恐ろしく頑固な人だったらしく中央政界からは何回も左遷される。何度目かの左遷で杭州にいた時、名勝西湖の水利工事を行い、その際に振る舞ったものと言われている。![220px-Su_shi[1]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2015/06/220px-Su_shi1.jpg)
西林の壁に題す
橫に看れば嶺と成り 側(かたはら)よりは峰と成る
遠近高低 各(おのおの)同じから不(ず)
不 廬山(ろざん)の真面目を 識らざるは
只 身の此この山中に在あるに縁(よ)る
名文で有名な『赤壁賦』はちょっと長いので好きな七言絶句を載せた。前から気になっていたがこの「真面目」は「まじめ」と読んでいいのだろうか。現地の発音だと「ジェン・ミェン・ムゥ」から類推して「しんめんもく」とやった方がいいと思う。どんなもんだろう。
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沖の小島に波のよる見ゆ
2015 MAY 11 23:23:34 pm by 西 牟呂雄
言わずと知れた鎌倉3代将軍 源実朝の名作です。
『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ』
この歌を解釈した文献を読んだが、色々考えなくてもこのリズム感が素晴らしい。「わが」「みゆ」のノリの良さはどうでしょう。
箱根権現に詣でたときのものとされていて、ここに出てくる小島は一般的には熱海沖の初島を指すものと考えられているようです。
しかし、海岸付近から初島を見ると島は海に浮いているように見えてとても『波の寄るみゆ』にはなりません。又、箱根から鎌倉に抜けるのは小田原に出ますが小田原からは初島は見えないのです。
『おほ海の磯もとゞろによする波われてくだけてさけて散るかも』
ダイナミックですね。こちらは「おほ」と「とどろに」がすごい。僕はこの歌も大好きです。このノリはロックンロール。現に阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲ダウンタウン・ブギウギ・バンド『アイム・ジャスト・ア・フーチークーチー・マン』の歌詞なんかに「裂けて砕けて、散っていくのが、バカなオイラにゃお似合いさ」などとパクられています。Hoochie Coochieって猥雑な意味なんですけどね。ちなみに宇崎竜童はこの手をよく使っていて、キャロルの「ファンキィ・モンキィ・ベイビー」が流行った後こっそり「ヤンキィ・モンキィ・ベイビー」なんて曲をアルバムに滑り込ませたり。
話を戻して、鎌倉・葉山・逗子のあたりでこんな光景が見える磯はありませんね。あの辺は余程の荒天でなければこの歌のような波は立ちません。稲村ケ崎も結構遠浅ですから、多少波が高くても『われてくだけて』にはならないのです。
実朝は藤原定家から万葉集の写しをもらい狂喜したとされます。確か12歳で征夷大将軍になったのですが、鎌倉幕府の体制が定まっておらず生涯ナントカ合戦やカントカの乱に苦しめられ、最後は暗殺されてしまう悲劇の人です。詩心があった青年は万葉集を熟読して心を慰め、また楽しんだことでしょう。
で、ここから私の仮説ですが。実朝は実際には『波のよるみゆ』や『われてくだけて』の光景を見たのではなく、想像で詠ったのではないでしょうか。
本歌取りはいくらでもありますし、別にこれらの歌の芸術性が損なわれるわけではありません。それどころか想像によってこれだけのダイナミックな歌を紡げるところが天才たる所以ではないか、そしてきっと海が大好きだったでしょう。
私は見たまま
南風 相模の海の 色あわし
未だ ま白き 富士はさびしき
連休の時は靄ってしまうことが多いのですが、たまにうっすらと富士が見えます。この時期富士山はまだ頂上部分が冠雪してきれいです。
海原の 波の飛沫を 跳ね上げて
若き イルカ等 十ノットで行く
我が愛艇はいい風を拾っても7~8ノットが精一杯。実際には年寄りのイルカも混じっていたかも知れませんが、しばらく面白がって船と伴走していたのが飽きたのでしょう、群れが一斉に抜き去っていきました。
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劇団俳小の「子供の時間」
2015 MAR 24 19:19:18 pm by 西 牟呂雄
早野さんが出演した「子供の時間」を観劇してきました。リリアン・ヘルマンの原作で、オードリ・ヘップバーンの映画「噂の二人」にもなった作品です。
病的な嘘つきの少女が他の生徒を支配して人間関係をメチャクチャにした挙句、女性の先生二人がレズビアン関係だとの噂を撒き散らし、一人を自殺にもう一人を婚約破棄に追い込んでいく。昨今もありそうなテーマのお芝居でした。
見所は自殺してしまう女性は苦しんでいるうちに自分はそういった恋愛感情を持っていたのではないか、と思い詰めていく所でした。まるで冤罪の被害者が自白に至るような緊張したやりとりが続くのです、これ結構怖い。閉鎖された小社会のヒステリーが極限を越えてしまう。
早野さんはちょっと小意地の悪い自殺してしまう先生のおばの役で(ご本人はやさしい方です、念の為)さすがに華がありました。黒テント出身の新井さんという方も凄い存在感。
私は見ていて婚約破棄に追い込まれる女性の相手であるジョーという役が気の毒で気の毒で。
ところでこの原作はスコットランドで実際に起きた裁判沙汰がベースとなっています。古い翻訳を元に台本ができているらしく、途中からは台詞の原稿の英文を想定しながら見ていました。後で一緒に観劇していた東 兄も全く同じ作業を頭の中でやっていたそうで笑えました。
ふと思ったのですがせっかく現代に上演するのだから台詞廻しも今風に変えるとか、思い切って全部ネイティヴ京都弁でやるとかいったことはできないものでしょうか。冒険かもしれませんが、もともとメアリーとかジョーいった名前を使ってやっていることですし、女学生の狭い凝縮された環境にいる小道具として方言を使えないかアイデアを練っています。
話はかわりますが、舞台業界の関係者のような私の隣りに座ったオヤジ、「腰が痛いので座布団寄越せ。」と偉そうに言っていたくせに始まった途端にいびきをかいて御就寝とはいい度胸だよな。どっかのOBか知らんが演劇鑑賞は殆どできなかっただろう、寝に来るんじゃねぇ!
早野さんが楽屋から出てくる前から私・東兄・阿曽さん・ハリーさんで飲んだのですがテーマが重いだけに厳しい批評が飛んでいました(酒も飛んでいました)。あの女学生が使う「~~~しちまった。」という言葉が印象に残ったのですが、あれは翻訳の際に残った言い回しで舞台が想定している女子寄宿舎はもっと丁寧に喋ったはずでしょう。上述のように上品な京都弁を使ってみたいところです。
そのあたりで焼酎2本を空け、東兄と私の言動がおかしくなり、経済予想の激論から歌舞伎の物真似にまでなって、観劇の夜は更けていくのでした。早野さんきれいでしたよ。
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坂東三津五郎丈を偲ぶ
2015 FEB 27 12:12:57 pm by 西 牟呂雄
大変な踊りの名手。二回程見たことがありますが、実に鮮やかで華があった人でした。この人の踊りは良く腰が座っていてシルエットが美しい。そして顎のしゃくり方が巧みでしたね。屋号は大和屋で玉三郎さんと同じです。
三津五郎さんは現代劇に出ても上手いのですが、舞台ではカメラずれしたところが全く無い役者さん。基本がしっかりした安定感を感じさせました。
ご冥福をお祈りします。
膵臓ガンだったそうですが、これ切りにくいガンなんですよ。僕は25歳の時に急性膵臓炎というのをやっていて、40日くらい入院してます。物凄い痛みで入院した時はうずくまってました。自分では胃痙攣でも始まったのかと思っていましたが、お医者様も暫く原因が分からなかったらしく循環内科に入れられています。その内病名が決まった(決めるというか分かった)のですが、問診の時に『ストレスの溜まる仕事でして』とか『毎日遅くまで残業して土日も出ている』と訴える僕をせせら笑って「君、酒の飲みすぎだよ。ノ・ミ・ス・ギ!」と冷たく言われました。
膵臓から分泌されるスイ液は胃液よりも強い強酸なので、障害が出て逆流すると膵臓が溶けてしまいます。その際に激痛が走るらしい。従って消化活動を起こさせない為に食事は一切ダメ、管を付けられて胃液も汲み上げます。胃液は1日1リットルくらい出ていました。人間サイホンにされたようで、恐ろしく辛気臭い思いをしました。そして正確に1日1kgづつ体重が落ちて日に日に体が小さくなるのが分かりました。
痛みが引いた後に最初に聞いたのが『先生。いつから酒が飲めますか。』だったのですが、この時のお医者様の表情は、こんなバカは見たことない、といった滅多に見られない顔でしたね。
三津五郎さんは先に亡くなった勘三郎さんと年も近いので、二人で歌舞伎を盛り上げようとしていました。
関係ないですが、勘三郎さんが暁星中学校の時に九段中学に通っていたキャスターの安藤優子にラヴレターを渡したのは知る人ぞ知るエピソードです。
ー合掌ー
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荒事の華麗な芸 市川海老蔵五役相勤申し候
2014 DEC 19 21:21:25 pm by 西 牟呂雄
師走の歌舞伎座は雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)であります。
今年の忠臣蔵は播磨屋・音羽屋・成駒屋さん達たちが関西に行ったようで、お江戸はナシ。
始まりのときに腹話術で使うカラクリ人形が『エッヘン、演じまするは市川海老蔵』などとやってみせて客席を笑わせます。
「よっこらさ。シャ!うんこらさ。よっこらさ。シャ!うんこらさ。」
成田屋・海老蔵さんの見得が決まる。すかさず声が掛かり万来の拍手。見事なものでした。二幕目に演った『毛抜き』のシーンです。成田屋歌舞伎十八番の演目、いわゆる荒事(あらごと)で下ネタだらけの出し物。お小姓に迫り女に擦り寄りどちらにも振られ、そのたびに『いや、面目次第も御座りマーせーヌー。』と頭を下げる。私生活もそんなもんだろう、遊びは芸のこやしですなと想像を掻き立てられます。
寄り道しますが、この場で髪の毛が逆立つ奇病になる息女、錦の前をやるのは成駒屋からはただ一人参加の中村児太郎。僕が玉三郎に次ぐ女形だと贔屓にしていた人で、見た目も綺麗だが『いやじゃ、いやじゃ、いやじゃわいな~』とか『アイナァ』という声がいいんです。
今回のウリは、海老蔵さんの一人5役で”早変わり”も2回程あり、花道での”梯子乗り”あり(初めて見ました)最後の大詰めの大立ち回りの後、不動明王になっての”宙乗り”あり(これも新歌舞伎座では初めて見た)。
そして大和屋・坂東玉三郎さんが花道を出てきた時は、席が東 42という一番遠くからだったので失礼にも一瞬『美川健一みたい』と思いましたが、舞台に進むとさすがに艶っぽい。海老蔵さんの鳴神上人を酔わせて口説き落とすところがギョッとするほど壷に嵌まってこれまた結構。鳴神上人は下戸の設定で無理矢理飲まされ泥酔し、還俗し夫婦になると口走る。
「お師匠様。還俗されたらお名前は(本気かどうか確かめている)。」
「ぬぅ、そーれーはー(ツイ口走っただけなので考えてない)。」
「してそのお名前は(畳掛ける)。」
「ぬぅ。」「さぁ。」「ぬぅ。」「さぁ。」
「いーちーかーわー、えーびーぞーおー(破れかぶれで本名を言う)。」
やんやの大喝采でした。
おまけに酔っぱらっている演技など、酒乱伝説もあるくらいだから上手いのなんの。僕が泥酔したらあれぐらいかな、いやまだ修行が足りない。もっと飲まなきゃ。
それから大詰め『朱雀門王子最後の場』。素晴らしい見得を見ていて気が付いたが、歌舞伎は客席から見るもの。何が言いたいかというと、あの見得の見事さは映像には合わないように思います。映画でもテレビでも”切り取った”画面になってしまい、見る人は監督或いはデイレクターの視線でしか観賞できない訳ですね。おまけにアップで撮ったりパンしたりする演出をされると舞台とは印象が違いすぎる。新劇でも早野さんが出演したハムレット を見たときにも感じたことです。
例えば今回も活躍した萬屋・中村獅童さん。この人もいいんだけど(実はファン)映画やテレビに出すぎるから科白の時に相手を見過ぎる。そこは半分向けて客席の虚空を睨むところでしょう。映像と舞台は別物です。
そして最後に不動明王が制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子を従え降臨して”宙乗り”になります。ですが新橋演舞場ではないので上るだけ。そこに紙吹雪を降らせますが、あれはあんまり意味が無いような。クリスマスの演出のつもりなんですかね。
面白かった。
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吉例顔見世大歌舞伎(平成二十六年霜月)
2014 NOV 30 16:16:19 pm by 西 牟呂雄
『寿式三番叟』ことぶきしきさんばそう、と読みます。元々は人形浄瑠璃の演目だったのを歌舞伎に移した踊りですね。今回は高麗屋市川染五郎さんと音羽屋尾上松緑さんが見事に舞います。口上で三つの神社の名前が出るのですが、住吉大社・春日大社・伊勢神宮なんですね、これが。出雲贔屓の私としては、さもありなん、そうだろうな、といった所でしょうか。この鮮やかな踊りで『黒』の着物があんなに明るい印象だとは思いませんでしたね、新たな発見です。古典はこういうことがあって止められない。周りの衣装がキンキラの中にあって一際鮮やかな黒の美しいこと。そして早い動き、歌舞伎の舞は飛び上がって『バンッ』と踏む所が華ですな。
しかし次の出し物『井伊大老』ははっきり言って面白くなかった。井伊大老が日本の行く末を案じて懊悩しながら桜田門外で討たれる話なんですが、科白が説教臭くてかなわない。別に歴史の勉強なんかしに来た訳でもないのに見栄もなければ外連もないなんて。あれでやっているのが播磨屋中村吉右衛門さんでなきゃ見られた物じゃない。作を見たらやはり戦後の本だった。こんなのは大河ドラマでやってくれよ。唯一良かったのは吉右衛門さんが言った「彦根に帰りたいなぁ。』の『ぁ。』ぐらいですかね。これやっぱり『ぁ』なんですよ。芸が光るところです。
![IKYU1s[1]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2014/11/IKYU1s1.jpg)
それでやっと高麗屋松本幸四郎さんの『熊谷戦記』になります。こちらは人情噺になっていてそれはそれで面白いのですが、源義経に音羽屋・尾上菊五郎さんと御贔屓の高島屋・市川左團次さんが石屋に化けている平宗清になって出てきます。左團次さんの重厚な脇が締まって芝居が進みます。この人SMが趣味だそうで、テレビでも公言しています。こういうところ頭一つ抜けてますね。
最後に熊谷直実は僧形に身を固めて仏門入りするのですが(これは本当の史実)いかにも苦悩し身悶える演技を花道で続けます。この終わり方、幕を引いて花道の所でだけ演じて見せていました。しょうがないから三味線の人が一人出てきて立って合わせる。熊谷陣屋は見たことがなかったのですが、いつからこんな演出をしているのでしょう。
ところでオヤジの意見で何だが、若いカブキファンの方に言っておきたい。こういった芝居を見にくるのに上着くらい羽織りなさい。着物の正装で見える綺麗どころも大勢いるのにGパンはないだろう。そういうのは日常でやってくれ。芝居見物はみんなが楽しみにしている『ハレ』の空間で『ケ』ではないんだよ。え?『ハレ』と『ケ』がどう違うかって?もういいや。僕もオッサンになったんだな。
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外連(ケレン)の華 猿之助歌舞伎
2014 NOV 8 12:12:28 pm by 西 牟呂雄
澤瀉屋(市川猿翁一門)見るのは先代猿之助の『ヤマトタケル』以来だから随分と久しぶり。別に歌舞伎座ばかりではなく、新橋演舞場もいいんですよ。私は正統も何も歌舞伎は面白けりゃいい、という方でイザとなったらどこかの田舎芝居でも構わない。
前に見た時『ヤマトタケル』のときの最後に飛んでいく宙乗りの衣装が少々気持ち悪かった、と思い出してみると何と20年振りかな。
今回(10月)は『市川猿之助奮闘連続公演』と銘打った四代目猿之助を初めて見ました。出し物は三代猿之助四十八撰の獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)、もちろん猿翁さんの演出です。
これは原作が四世鶴屋南北で、この人は『化政の江戸』と言われた文化文政時代の爛熟期にメチャクチャな筋立ての通し狂言を書きまくった人だ。以前から言っているが歌舞伎の筋立てなんか荒唐無稽なものに加えて、早変わり有り、宙乗り有り、本水有り(舞台で実際の水を滝にして流す)のスペクタクルだ。仇討と宝物の奪い合いをからめながら五十三次を逆に京都から江戸までやってくる。結局何がどうなったのか良く分からないのだが、狂言回しみたいに弥次さん喜多さんも出てくれば、白波五人男の日本駄右衛門(実は別人)と弁天小僧まで出てきて物凄く早い。なにしろ四幕五十三場もあるのだからやる方だって大忙しの代物だ。
途中の台詞なんかは現代口語で掛け合うから面白いの何の。

それで四代目さん、この人女形もやっていただけあって変わり身の女姿がいいですね。この化け猫の衣装の凄いこと、十二単です。これぞケレン。これで宙乗りをやったのですからそれは見ものでした。
この人、今月(11月)には明治座の花形歌舞伎で従兄弟の市川中車と通し狂言をやるのですが、市川中車ってあの香川照之さんですよ。そういえば萬屋の中村錦之助・隼人親子も出てました。獅童の従兄弟だったかな。
澤瀉屋の芸風は大道具も演出も常に大胆に進化する。これ猿翁さんが昭和の頃から盛んにやっていたのですが、基本を押さえているところが一時の流行物とは違って飽きられない。『革命』とは優れて進化と捉えらがちですが、恐ろしいことに『革命』の語感にはどうしても破壊衝動があり、しばしば「古いもんは何でも壊しゃいい。」となってしまう。後に残るのは得てして理想とはズレた荒涼とした物となりがちだ。
一方では伝統墨守のガチガチでは、時代とともに当初の感動は薄れていくものではないか。保守は保守で鍛えに鍛えて行かなければ先に光明は見えない。これ、SMCでのクラシック談義で繰り返し東 兄が指摘している所に通じます。そして新たな解釈を加えながら生まれ変わることのできる『いいもの』だけが生き残る。
と大げさな話になりましたが、画像の化け猫だけでも見る価値ありますよ。
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