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続・街道をゆく 無生野のみち

2023 DEC 19 21:21:53 pm by 西 牟呂雄

 中央本線の駅を降りると、見事なまでの河岸段丘が眼前に広がっていた。かつては水田だったであろうそのわずかな平地に現在では家屋が整然と並ぶ。地名はその風景のままに上野原といった。中央線が山梨県に入った最初の駅だ。
 その河岸段丘の下を川が流れているが、戦後に建設されたダム湖に通じるためにすでに緩やかな流れとなり満々たる水を蓄えていた。数万年の時を経て大地を削った後が見て取れるようで、思わず覗き込まずにはいられなかった。
 近年の開発により、東京西部のベッド・タウンとして発展したのは後背地の方で、長いエスカレーターが設置されている。その奥は甲斐・相模・武蔵の国が接する山間である。従って湖の名前は相模湖でありそこからは相模川が神奈川を潤すがそこまでは桂川と呼ばれている。武蔵野の国からも甲斐の国からも峠を越えなければならず、戦国時代は武田・北条の接点としてしばしば戦場となる緊張感を孕んでいた。
 そのため、関東もしくは鎌倉から西へ下る際の隠れ道の役割を果たした、まことに心細いような街道をこれから辿ることになる。
 橋を渡りしばし山中の曲がりくねった道は、歩けばさぞ険しかろうと思えるほど山が両法から迫り、更に今日ではトンネルも整備されているがために進んでいく距離が、往時は大変な時間と体力が必要だったか想像すると絶望といった言葉がさほど大げさに響かない。先日放映された『ポツンと一軒家』に今たどっている道を山側に登ったところにある川魚を供する食堂が取り上げられたほど、山深い。

 突如、視界に巨大な観音像が現れた。
 あまりに唐突なのでそれが観音像であると気づくのに少し間が開いてしまうほどだった。但し近隣には宗教施設はない。台座には『道教観音』と彫り込まれてあるが、観音菩薩は般若心経の冒頭に出て来る菩薩の一人である。それが道教と結びついた例を筆者は知らないが、媽祖信仰と混合した新たな女神だとでもこじつけたのだろうか。付近に由来も案内もない。
 その先に温泉施設があり、その道標として建立したとすればむしろその商魂の逞しさに驚く。
 我々はこれより無生野(むしょうの)という誠に侘しい場所を目指しているが、この街道に沿うように一山超えた東側を道志道という街道が走っていて、その相模原寄りの地名が秋山である。山中湖あたりを起点とする道志川が津久井に流れており、ここは横浜市の水源となっている。行政上は山梨県であるが、むしろ隣接する相模原市や神奈川県とのつながりを思わせる地域であり、また、住民の距離感も甲斐の国府である甲府への帰属意識は少なかろう。
 明治以降の開国にあたってはこの山間で盛んであった養蚕によって基幹産業である絹の輸出は横浜港に直結していた。八王子を抜けて横浜に向かう絹の道を通じてである。冒険的な甲州商人が往来したことであろう。

 だが、今回その道をたどるのは、その遥か昔の悲劇をなぞっている。大塔宮護良親王は父帝後醍醐天皇に疎まれ鎌倉に幽閉されたが、滅亡した鎌倉執権北条高時の一子時行が信濃から旗揚げした『中先代の乱』のドサクサに暗殺される。親王の首は打ち捨てられたが、愛妾雛鶴姫(ひなづる)によって拾われる。姫はその首を洗った後、大切に携えながら京都を目指した。筆者が今進んでいるのはそのルートだ。
 北条方からも足利方からも追われる身であり、ましてや姫は懐妊していたとされるのでこの山塊の中をさまようのは心細かったに違いない。ついにかの地で宿泊を断られた挙句に産気づき母子ともに落命してしまう。そこを無生野と呼んだ。無情にかけた地名とされている。

 寂しげな祠が見えてきた。山間部ゆえに日当たりは悪くひっそりとしつらえられていた。雛鶴神社である。かの姫と亡くなった皇子を憐れんだ地元の人々が祀ったという伝承の神社だ。
 更に驚いたことにもう一つの伝承が被さっていた。大塔宮の遺児である葛城宮綴連王が後年この地に流れ着き、この伝承を聞き不思議な縁に導かれるようにとここで天寿を全うした、というのである。
 葛城宮綴連王とは地元での言い方であり、正史においては護良親王と北畠親房の妹の間に生まれた興良親王と比定される。建武の体制瓦解の後、後醍醐天皇の後の後村上天皇の元で征夷大将軍(南朝の)となり、東国で・四条畷で・山陽道で戦い抜き、消息を絶った悲劇の皇子である。ただ、墓と伝わるものが兵庫・奈良にはある。

土塚

 ここにも墓と称する土塚がある。諸説入り乱れてでさすがに興良親王とは言い難いが、無生野の人々が雛鶴姫・綴連王を供養したことは確かであり、それがゆえに伝わる無形文化財までが残っている。無生野の大念仏である。
 かつては空也上人や一遍上人が広めた念仏踊りが上記伝承と結びついて病気平癒なども込められた独特の形態をとるものとしてユネスコの無形文化遺産となった。
 白装束を纏い太刀、締太鼓、棒を振りかざしながら経典を唱える。さらに鉦・太鼓を打ち鳴らしながら踊る。広く一般で行われる盆踊りの原始的なものであり、辺境であるがゆえに残ったのではないか。山間の渓谷において、おそらくは雑穀を食し炭を焼きあるいは狩猟で生計を立てていたであろう人々がかたくなに守り伝えてきたものが文化遺産と評価されることは誠に喜ばしいが、それを機に『村興し』を展開するとなるといささか違和感を持たざるを得ない。辺境にあるがゆえに残った文化はそのままにしておいてやりたいと思うのだ。

悪路

 ところで物語はここで終わらない。この場所は行政上は上野原市になるのであるが、もう一つ峠を越えるとそこは都留市になり、不思議なことにそこにも雛鶴神社があるのだ。こちらは雛鶴姫の終焉の地という触れ込みで、舗装道路から更に600mほどの悪路を登った奥に、無生野のそれよりもなお一層人目を避けるように佇んでいた。傍らの姫の墓と称する供養塔が氏子の手で建立されていた。
 かつての峠越えはこの参道よりも険しかったに違いなく、いくつかの伝承を組み合わせるとおぼろげに浮かび上がるのは、鎌倉から落ち延びて来た高貴な血統を宿した女性が峠を越えた所で男児を生み絶命、生まれた子はしばらく養われたが不幸にも短い生涯を終える。その墓所が峠をはさみ同じ社名で秘かに祀られた、という想像が成り立ち、恐らくそうであったろう。都留市側の社伝には一緒に落ち延びてきた武士の名前が『菊地三郎武光』『馬場小太郎兼綱』『竹原八郎宗規』と記され、没後百箇日に臣下の木枯太郎並びに馬場正国等が殉死した、とある。

供養塔

 殉死した彼らの墓には墓樹を植えたとされ、2本の松が残っていたそうだが、惜しくも1985年頃松喰い虫の被害により枯れたそうだ。

 ところで、舞鶴姫が携えていた大塔宮の首はどうなったのか。無論史実は何も語っておらず、神社に伝わる伝承も記されていない。ところがその首と称するものが実際にあるというのだ。
 峠を越えて、都留市朝日馬場に出ると夕刻に近くなり西日が射して一気に視界が広がった。戦国末期は徳川の重臣鳥居元忠が納めたエリアで、江戸初期は谷村藩として秋元家の所領であった。その街道沿いに入船神社がある。社伝によれば後醍醐天皇の御代、延元二年(1337)に住吉三神と言われる水の神、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀った。

ホントかよ

 そしてどういう経緯かは分からないが護良親王の御首級を奉っている。頭蓋骨に金箔を施し、梵字を墨書きした上から漆に木屑を混ぜたもので肉付けし複顔した首級が御神体として現在も保存されている。両眼には水晶をはめ込んでいたが片方は失われた。調査によれば作成時期は江戸初期とのことが判明しているが、ツラツラ綴って来た伝承が滴って来て氏子の信仰を集めたものだろう。こういった伝承の流れにはなにやらいじらしさと力強さが感じられ、筆者の顔は思わずほころぶのである。

石船神社全景

 尚、この神社の堂々たる大木には今でもムササビが生息しており、飛翔する姿は確認されている。
 また向かって左側には4本の柱に支えられた屋根の元、土俵がしつらえてあり、奉納相撲も行われているらしい。硬く突き固められた土俵に登ろうとしたが、靴を履いたままなのは憚られる空気が流れていた。
 この先は冨士みち、浅間神社への表参道につながる。

 この項終る 

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ロシアは悪い!

2023 DEC 11 20:20:23 pm by 西 牟呂雄

 そりゃ攻め込んだロシアが悪いに決まってます。これを最初に書かないと、アイツは親露派だと思い込むバカがいるので悪しからず。
 いささか旧聞に属するが、ソ連が崩壊した時に旧ソ連が配置していた核はロシア以外にウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンと別れていた。ベラルーシとカザフはソ連継承国家であるロシアに返還したのだが、その時点でウクライナはしなかった。
 手嶋龍一が2007年に上梓した『ウルトラ・ダラー』は、その混乱の中からウクライナの核技術が北朝鮮に流出し、その際に北朝鮮製の精巧な偽ドルが介在したというフィクションである。今から十数年前の作品だ。
 また、1995年時点で建造中だった空母『ヴァリャーグ』は同じようなドサクサの中ロシアからウクライナに引き渡された。ウクライナは引き継いだ途端に売却の方針を固める。すると海洋進出を目指した中国があの手この手で接近し、1998年マカオの怪しげなペーパー・カンパニーがカジノを含む五つ星ホテルにするという名目で落札した。この動力装置も未完成の空母はその後漂流・曳航を繰り返しながら3年後にマカオではなく大連に入港し、途端にペーパー・カンパニーは雲散霧消する。2005年から改造が始まり2012年に人民解放海軍に引き渡され空母『遼寧』となる。その間、ウクライナから多くの技術者が高給で雇われ、旨い汁を啜ったのだ。
 他にもロケット技術の北朝鮮への供与(無論有償)はかねてより指摘されていて、2000年代を通じて世界の混乱の要因となっていた。要するに迷惑な国だった。
 内政はその間混乱状態が続く。オレンジ革命やらその反動やら、選挙をやれば不正だなんだといつもモメ。出てくる政治指導者は親ロだろうが反露だろうが例外なく蓄財に励む有様で、そんな中ネオコンは露骨に手を突っ込んでいたに違いない。
 もちろんロシアも工作する。2004年の大統領選挙に親露派のヤヌコーヴィチと対立したユシチェンコは突如痘瘡だらけになったが、ダイオキシンによるロシア得意の暗殺未遂だと主張している。

 プーチンはしきりとキエフ大公国をロシアのルーツにしたがるが、ウクライナ・エリアがロシア・ロマノフ家に従属した歴史はそう古くなく、以前はポーランドの影響下にあった。その頃は、ほとんどのロシア人が貴族以外は農奴として売り買いされていた一方、軍事組織であるウクライナ・コサックが社会を構成していた(エカチェリーナ二世の強硬改革時に逃亡した農奴がウクライナに流れ込み農奴制が蔓延したが)。ウクライナ・コサックの矜持は自由と平等であり、意思決定はリーダーとして選出されたヘーチマンの元で全会一致が原則である。
 また、先の大戦時にはナチに協力しユダヤ人を迫害し、連合国側が勝利した際には大量の移民がカナダに渡った。マイダン革命時に根絶やしになったはずのネオ・ナチが突如現れたのはその根が残っていたことを物語る。かのアゾフ大隊のことだ。
 一方ではクリミア半島に根を張っていたタタール人という勢力もあり、黒海の対岸は強国トルコに代表されるようなイスラムの北上圧力に常に晒された。強国に挟まれた国の生き残りノウハウはいいとこどりの二枚舌外交と決まっている。
 そこにネオ・コンが目を付けたのだろう。
 
 しかし、そのネオ・コンも中東ハマスの暴発は読めなかったのだろうか。更にウルトラ強硬派のネタニヤフを抑えられると考えただろうか。実に致命的な読み違いに見える。
 一方で欧米の足腰を読み切ったプーチンが大陸と北の国をけしかけているのはミエミエ。アメリカは日韓に防衛の一翼を担わせようとするだろう。
 筆者はそれをチャンスだと思っている。憲法改正は難しい、解釈改憲には限界がある。台湾有事こそがチャンスなのだ。究極の防衛策は核武装だが、世論がそれを阻むであろうからシェアリング、それをアメリカに求めても承知してくれないだろう。本命は英国と見た。
 落ち目の大国同士で秘密条約を結び核シェアリングをする。膨大なコストのかかる核搭載型原子力潜水艦のメンテナンスを日本が負担し日本海に配置する。実は英国は原潜「オーディシャス」を修理できない状態なのだ。核戦力を担うヴァンガード級原子力潜水艦を一隻借りてくるだけ。しかも中国は日本海に面していないのがミソで、ロシア並びに北の国への牽制ができれば安いもの、核を使う訳はないから、これぞ非核2・5原則ではないか。
 英国はTPPにも入りたがっているからタイミングもいい。日英同盟復活でアメリカと天秤にかけるくらいのダイナミックな技を期待したい。

 で、ウクライナはどうなるかって?あと十年は続くんじゃないの。

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異説『死のう団事件』Ⅱ

2023 DEC 3 16:16:25 pm by 西 牟呂雄

 一時は千人ほどに膨れ上がった教団だったが、騒ぎのためにその後は50人程にまで減ってしまった。だが、残ったメンバーは桜堂に強く心酔する若い者で、その結束は強くなった。無論丈太郎もその一人である。
 そしの丈太郎達から、より強力に布教を推進するにはどうすればいいかという議論が沸き起こって来た。青年が中心になって桜堂の親衛隊ともいえるグループは今後の布教に邁進するというのである。そして例の『死のう!死のう!死のう!』を唱えているうちに頭に血が上り結盟書に血判を押した。

 時はテロが横行する不穏な風が一部には流れていた。前年2月、血盟団事件で大蔵大臣井上準之助と三井の團琢磨が暗殺される。5月には海軍将校による5・15事件が起きていた。
 血盟団事件の中心人物である井上日召はやはり日蓮宗の信者であった。日蓮宗系では創価学会が立ち上がり、後に不敬罪並びに治安維持法で特高警察から弾圧される。大本教の出口王仁三郎が二度目に投獄されるのもこのころの出来事である。
 左派運動に対する締め付けも厳しくなっていたが、同時に宗教系右派への取り締まりも強化されていたのである。
 特に労働者の多い京浜工業地帯が広がる神奈川県の特高警察、通称『鬼のカナトク』の取り組みは勇名をはせていた。
 
 桜堂は当初青年党の動きをやや引き気味に見ていたが、丈太郎達に突き上げられるように『殉教千里行』を実行することになった。青年党員28人(内数名は女性)は白い羽織に黒袴、鉢巻きを締めるという異様ないで立ちで、まずは鶴岡八幡宮を目指して旅立つ。家族を捨て仕事も捨て生還も期さない、という覚悟だったが、計画は未熟そのものである。
 異様な風袋は丈太郎の発案で、さらに太鼓を叩きながら『我が祖国にために、死のう!』をやるのだから、目立つを通り越して不気味なのだ。警察に通報された。
 そして葉山のあたりで野宿をしようとしていたところを一網打尽にされたのだった。更に『カナトク』は過剰反応し、非常呼集をかけて数十か所にガサ入れをかけた。
 鶴岡八幡宮で落ち合おうとしていた桜堂は翌日蒲田署に出頭したが、事態が呑み込めておらず、いつもの説法をして帰ってしまった。『カナトク』の思惑を図りかねていた。
 カナトクはこの騒ぎを事件とし、読み筋をテロの企てと見立てた。既に起こってしまったテロ、特に血盟団事件のような凶悪なテロを未然に防いだという手柄を立てたい意思が働いたのである。
 そして、当然のことながら何も知らない青年部の連中を残虐な拷問にかけた。それは文字にするのもはばかられるすさまじいもので、既に小林多喜二は特高の拷問により死に至っている。中でも数人いた女性信者へは性的嫌がらせも執拗に行われ、ある女子医専に通っていた娘とその妹は精神に異常をきたした。
 しかし、本当に何も知らないのであるから白状しようもない。耐えかねた2~3人が、その通りです、と肯定して信仰を捨てただけで、桜堂ほか5人以外は釈放された。ただその5人の中に何故か丈太郎は入っていなかった。
 焦ったカナトクはリークを始める。新聞各紙に煽動的な記事が出だす。『西園寺公暗殺を計画』『増上寺を焼き討か』『好色漢の盟主桜堂』このうち、実際に計画になりかけたのは増上寺焼き討ちであるが、事前に桜堂の知るところとなり中止させられていた。この一連のリーク記事で、マスコミは彼らのお題目から教団を『死のう団』と呼ぶようになった。
 事件は不思議な方向に進んでいく。人数激減により壊滅されそうになった教団は、何とカナトクの課長以下十数人を人権蹂躙・不法監禁・暴行障害で横浜検事局に告訴したのである。告訴したのは盟主桜堂と精神錯乱に陥った女子医専生徒今井千代の名前もあった。丈太郎の入知恵だった。
 丈太郎は相変わらず教団に留まっていたが、なぜかほかの信者のような生々しい拷問の跡がない。例の割腹のパフォーマンスのミミズ腫れが醜く盛り上がり、気味悪がった特高が早めに放り出したと言うのだが。
 特高警察を告訴するなど前代未聞、これもまた耳目を集めることとなった。それも今度は新聞の論調が変わって来た。
『裸女に火の拷問 姉は狂い妹も青春空し』
 見出しからしておどろおどろしい。
 1930年代の世界大恐慌の煽りを食ってダメージを受けた日本経済は、さらにタイミングの悪かった金解禁により落ち込み、巷に失業者の溢れる世相と相まって民衆の怒りがマグマのようにせりあがって来ていた時期である。高橋是清のインフレ政策で多少持ち直してきたとはいえ、格差は今日の比ではない。民衆の怒りがテロの形を採ると、治安当局も苛烈な弾圧をエスカレートさせたのだった。
 告訴を受けた横浜検事局の検事正が実態を知り『警察の恥』と言い、それを知った新聞記者も大いに憤慨していった。すると今度は告訴を取り下げろ、と怪しげな男が教団を恫喝する、特高の尾行がつく、会員への嫌がらせが続く。それでも屈しないと、世論におもねったのか、今度は懐柔しようとした。
 ついに神奈川県警察部長の相川は、賠償金・慰謝料を負担し、日蓮会を今後は支援する、とまで申し入れてきた。『死のう団は何等国法に触れることなき熱烈なる革新的宗教団体なりと認む』という自筆文書を携えて、である。桜堂はこれに、県警から報道機関へ出された文書に署名・押印することを加えるよう要望した。ところがこの交渉に期間に告訴を受け調査していた地検の検事正は更迭され、告訴は事実上店晒しにされていたのである。
 3月24日付けで作成された文書が取り交わされる日に、県警側が用意した席にはビールが持ち込まれいざ手打ち、となるはずだったが、丈太郎の叫び声がブチ壊した。
『筆跡が違ってるじゃないか!』
 桜堂は青ざめた。相川部長は作り笑いを浮かべとりなそうとしたものの、座は凍りつきビールは無駄になった。
 半年後に衝撃的な事態となる。取り調べに当たったカナトクの主任が鎌倉山中にて割腹自殺を遂げた。遺書には自分の退職金を、拷問を受けた女子医専の学生に渡すようしたためられていた。白い羽織に黒袴、教団が逮捕されたときの装束である。新聞各紙は拷問の責任を執ったものと報じた。実はこの主任はひそかに教団を訪ね、自身が上司からテロリストであるという報告を書かされ梯子を外された、おまけに責任を執って退職を勧告されている、と自白していた。
 その頃から示談金は千円から二千円に上がったものの交渉は進まない。相川部長は内務省保安課長に栄転する。そして横浜地検は特高課員の不起訴を決める。桜堂はツテを辿って政友会の久山知之を頼り、帝国議会で特高の拷問につき質問させるに至った。
 今度は警察サイドが態度を硬化させ、残ったわずかな信者を徹底した行動監視下に置く。背後に重大事件である2・26の暴発があったためである。治安当局は本気になったともいえる。このような草の根の運動が大きな力を持ってしまえばどうなるのか、計りかねるとともにともすれば血気に同情的な世論を気にしたためであろう。逼塞状況を打破するという大きなうねりが世相を暗くし、その後冷静な判断を失うのは後世の我々だから知りうるのであり、この時点では上も下も右も左も不安にかられたヒステリーだったのである。
 ついに警視庁は全信者の動向を監視しはじめ、各自宅にガサ入れを行い会館には警官が常駐するようにエスカレートした。、
 教団は壊滅寸前で桜堂の体調も悪化する中、「餓死殉教の行」に突入する。会館に一歩でも外部者が入れば即刻集団自決する、と籠城した。食料もなくわずかな飴玉と塩のみでひたすら『死のう、死のう、死のう』を唱え、万が一に備え8千人の致死量の青酸カリまで調達した異常さである。発案はまたしても丈太郎だった。
 結局「餓死殉教の行」は遺体引き取り予定者の死亡により中断せざるを得なかった。

 昭和12年2月某日。宮城前広場・国会議事堂正面・外務次官邸玄関脇・警視庁正面玄関ホール・内務省3階にてほぼ同時に『死のう、死のう、死のう』と叫びながらビラをまいた男が短刀で腹を掻き切り血まみれになった。
 ただし、短刀には丈太郎が考案した鋏木の細工がしてあったため、全員絶命することはなかった。桜堂が死に至るのを禁じたからである。ところが最側近の丈太郎は日蓮会館には姿を見せなくなって、この割腹騒ぎには加わっていなかった。
 その一月後には桜堂が結核をこじらせて死亡するともはや教団は体をなさなくなって消滅する。最後まで残った信者は後追い自殺を始めた。女性信者は一人が青酸カリを飲み、別の二人は猫いらずを飲んで自殺。警視庁で腹を切った男も青酸カリで死に、宮城前広場で切腹した男は東京湾横断の船から「死のう」と叫びながら海に飛び込んだ。

 内務省特高課長の手島龍蔵は料亭の一室で一組の男女と対していた。
『原部(ばらべ)君、お疲れであった。首尾よくやってくれた』
『課長、恐れ入ります。ただ奴ら本当に何も企ててはいませんでした。後味は悪いですな』
『ウム。だがああいうのは一旦弾みがつくとどう転ぶかわからん。血盟団の連中だってまじめな帝大生だったし5・15の海軍や2・26の連中だって初めから要人暗殺を考えていた訳ではなかった』
『軍人さん達がやったのはそれを煽ったお偉いさんがいたんでしょう。奴らは民間もいいところでしたよ』
『原部君。だが君の煽りに乗りかかったことも事実だろう』
『それは・・・。私らこれからどうしたらいいのですか』
『心配するな。君には大陸で働いてもらう。満鉄調査部のポストを用意した』
『ほう。いよいよ満州工作ですか』
『狭い日本は飽きたろう。向こうでは甘粕さんの指示を仰げ』
『特高さんの次は憲兵さんですか。まあいいや。今後とも宜しく』
 顔を上げると男は丈太郎。女は立花須磨子であった。

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異説『死のう団事件』Ⅰ

異説『死のう団事件』Ⅰ

2023 NOV 30 23:23:05 pm by 西 牟呂雄

 大正末期、蒲田・川崎といった京浜工業地帯の駅頭に一人の青年僧が辻立ちの説法をしていた。
『皆さんが信じているものは何ですか。困った時にはいうでしょう、神様仏様と。ではその神様とは何でしょう』
 慌ただしく行きかうのは汚れた服装に身を包んで疲れきった、或いはこれからの夜勤労働に行く、暗い表情のいわゆる職工達で、そんな説法には目もくれずに足早に帰宅、または出勤の歩みを進めるのみだ。
 人々の流れが引いた後、夕暮れの中を青年は『不惜身命、不惜身命』と合掌して唱えると長時間の辻立ちにも拘らず満足気にスタスタとどこかへと帰って行った。
 青年はまだ20代らしく、どうもこの辻立ちを修行の一環と捉えているようで、飽きもせず来る日も来る日もどこかの駅頭に立ち、感心を示さない労働者の前で説法するのである。
 青年の名は江川桜堂。熱心な日蓮宗の信者であった。都下蒲田村の地主の次男坊で極真面目でおとなしい男だ。ただ、少し変わっている、妄想癖があり幾つになっても子供っぽかった。
 日蓮宗は時に過激な信仰を促すため、常に内部に分裂の遠心力が働く傾向がある。それは今日でも同じで、いくつもの団体が緊張感を孕んでいる。明治・大正を通じても深刻な対立はあり、教義の研究と宗門統合の布教道場としてその名も『統一閣』という施設を浅草の地に建設した。桜堂はそこで本多日生上人の元で益々研鑽に没頭し、遂には日蓮の経典全てを読破する。
 その後、冒頭の辻説法となるのだがしばらくして関東大震災で被災する。幸い生き残ったものの、あまりの惨状を見聞きしているうちに何かが弾けた。
 瓦礫の山、夥しい死体、途方に暮れる人々。京浜地区は東京下町のような火災による被害は少なかったものの、桜堂もしばらくは茫然自失に陥り、法華経をひたすら唱えてしのいだ。
 ようやく、復興の兆しが見えた頃の蒲田の駅頭に立った時点では、説法は様変わりしていた。
『かの惨状が、ただ自然現象だけだとお思いか。さすれば日頃先祖参りをしていた寺、願をかけて祈った神社、こういったところに祀られていた仏や神は何をしてくれましたか。荒れ狂う大地をいさめることもなく惨状を招き、その後何も手を差し伸べてくれません。それは誠の仏の教えを守らなかったからに他なりません』
 こうして説き起こし、日蓮上人はこれを見通していて国難来たると警鐘を鳴らしていたのだ、と訴えた。既成宗派を呪い攻撃し、次第に醸成しつつある国家神道を否定した。
 すると、次第に桜堂の辻説法に聞き入り、中にはこの強烈な主張に感化され従うものが出始めた。説法の最後に桜堂が合掌し『不惜身命、不惜身命、不惜しーんーみょーおーー』と唱えると一斉に唱和するのである。そしてそれを珍しそうに遠巻きにする群衆も増えていくのだった。
 百人を超える信者が彼を取り巻き『盟主』と慕うようになると、道場のようなところが必要になり、蒲田の糀谷に簡素な家屋をしつらえて、そこを日蓮会館とし自分達は「日蓮会殉教衆青年党」を名乗った。ちなみにその建設費用は桜堂の父親にねだったもので、要するに世間知らずのお坊ちゃんである。
 会館でのささやかな勉強会のような集まりに、一人の男が顔を出すようになった。やせ型で色は白く、キリッとした目つきが印象的な若い男で、底辺の労働者ばかりの他の連中とは身なりからして違い小ぎれいである。 教義にさほど熱心にも見えないのだが、呑み込みが早く桜堂も傍に置くようになっていった。男は丈太郎といったが、苗字を知る者はなく、住んでいる所も誰も知らなかった
 そしてこの男、なかなかのアイデア・マンで色んなことを桜堂に提案しだした。説法の際にのぼり旗を立てて『不惜身命』と大書する、説法に合わせて笛や太鼓で拍子をとる、
更には『不惜身命』は仏語で難しいのでわかりやすくする、といったことを次々にやり始めた。その分かりやすくしたものが波紋を呼ぶ代物だった。
 
 我が祖国の為めに、死なう
 我が主義の為めに、死なう
 我が宗教の為めに、死なう
 我が盟主の為めに、死なう
 我が同志の為めに、死なう
 

 これでは自らカルト教団だと言って歩いているようなものである。
 川崎駅頭で桜堂が激を飛ばすと、数百人の信者がのぼり旗をもって囲い、説法が終ると笛や太鼓で伴奏が始まり、独特の民謡調の節をつけて『わがーそこくーのたーめーに』と盟主が謡うと一斉に『しの~~う~』と唱和する様は異様でしかない。
 この頃から桜堂の行動もおかしくなってくる。 池上本門寺で『クソ坊主ども』と喚いて暴れた姿が目撃された。
 ある日、丈太郎が妙な木細工を持ち込んだ。短刀の鞘のような挟木で、これを使うと担当の刃先が5mm程度しか出ないから腹に突き立てても致命傷にならない。
 さすがに桜堂は『死ぬことが目的ではない』とたしなめたが、神妙に手に取ってみる若い信者はいた。そしてある日、丈太郎がやってしまった。
 某日、桜堂の説法には信者が20人程、聴衆は10人いるかいないか。説法が熱を帯び信者が興奮して「~~死のう,~~死のう、~~死のう」とやっていると、突如酔漢が前に進んで喚いた。
 「じゃ、やって見せろ!そんなに死にたきゃサッサと死ねー」
 桜堂は意に介さず『しかるに日蓮上人はこう申された』と続けたが、信者達は蒼白になってその酔っ払いを見つめた。
 すると僧衣を纏っていた丈太郎がその男の前に立ちはだかり、スルスルと前を解いて短刀の鞘を払った。桜堂も説教を止めざるを得ない。静まり返ってしまったその刹那。『エーイ!』裂帛の気合とともに一直線に腹を裁いた。『ヒィー』と声を上げたのは絡んできた酔っ払いである。腰を抜かしていた。信者も聴衆の叫び声をあげた。丈太郎の腹から数珠玉のような血が噴き出し、やがて下帯を赤く染めていく。腰を抜かした酔っぱらいはバタバタと駆け寄り、大丈夫ですか大丈夫ですか、と助け起こした後に、次第に増えていく野次馬に向かって叫んだ。
『おーい、みんな。この人たちの話を聞いてくれ。オレが悪かった。この人達は本気だー。頼むから足を止めて話を聞けぇ』
 丈太郎は信者に抱えられて行くのだが、勢いでやってしまった驚きと激痛に無様に喚きっぱなしであり、実にみっともなかった。『イテー!イテテテテ』と暴れるが、実のところ深さ数ミリの切り傷であった。例の鋏木の細工のお陰だ。簡単な手当てで傷は落ち着いたが、跡はミミズ腫れになって醜く残った。
 ところがこの騒ぎで辻説法の聴衆は膨れ上がり、信者も千人ほどにハネ上がった。日蓮会館には様々な人間が出入りするようになった。

 奇妙な女が頻繁にやってくるようになった。美形である。つつましやかな和装であるが、仕草や振る舞いに色気があり自然と信者の目を引いた。名前は立花須磨子といった。ところがこの女、初めのうちは会館の研修会に出てきたが、どうも教義にはあまり興味は無いようだがやたらと盟主である桜堂に近づきたがる。女性信者は数は多くはなかったが、学生・女工・家事見習いの者が年齢に関係なくいた。その中で須磨子はあか抜けた風貌で飛び切り目立った。男達は好奇の目でみたが、女たちはあからさまに白眼視したのだ。それを尻目に辻立ちに現れては帰りに桜堂に寄り添う、会館から外に連れ出そうと声をかける。一部は警戒するようになった。
 丈太郎はある日、桜堂と二人になった折に切り出した。
『盟主。あの女マズいですよ。あんまり盟主の話も聞いてないみたいだし、やたらと色目を使いやがる。叩き出しましょうか』
『むっ、それはいかがなものか。確かに目に余る部分もあるのだが、いきなり叩き出すとはなんとも慈悲のない。よし、私から言って聞かせよう』
 後日、桜堂は丈太郎を伴って須磨子の家を訪ねた。家は蒲田の近くのしもた屋のたたずまいで、須磨子は一人暮らしだった。
『おや、これは盟主様。わざわざお越しですか。今、お茶を入れます』
と言いながら、傍らの丈太郎を認めると露骨にイヤな顔をした。相対する形で桜堂が須磨子に語り掛けた。
『あなたは何故会館に来ているのですか』
『はぁ、まっ、盟主様の説法をもっと間近にきいてみたり、どなたかにお話を聞いていただくとか』
『私の説法が聞きたいと言うにしてはあまり熱心さがないように思う』
 須磨子の目に見る見るうちに涙が浮かんだ。
『盟主様・・・、わたくしは』
 と言うと、身の上を語りだした。
 話し始めると止まらなかった。
 北関東の小作農家の生まれ、子だくさんゆえ小学校卒業後東京に奉公に出たところ、それなりの器量良しを妬まれて壮絶な苛めにあう、一方で家の主人からは強姦まがいに体を奪われ、自分のせいでもないのにおかみさんから半殺しにされて放り出される。
 流れ流れてどん底に落ちた遊郭で人入れ稼業の親方に見初められて愛人となる。いかに淋しい身の上なのかを涙ながらに訴えた。刮目して聞き入っていた桜堂は膝頭に何かが当たるのを感じて目を開くと、須磨子が顔を埋めてきたのだ。慌てて振り向くと丈太郎はいない。いつのまにか姿を消していた。
『これ、よく分かった。よーくわかった。これからも会館にきて心静かに南無妙法蓮華経を唱えるがよい』
 と諭し、這う這うの体で辞した。
 ところがこのことが人知れず噂となりとんでもない事件を引き起こす。
『インチキ坊主出てこい!』
『色狂いの生臭野郎!』
 日蓮会館前に屈強の男達がスコップ・ツルハシを担いで大声を上げている。信者達は怯えて雨戸まで締め切ってしまった。一段と人相の悪い小柄だがガッシリした男が会館の引き戸の前に立って声を上げる。
『江川桜堂!人の女に手を出してただですむと思ってんのか!こらァ!』
 会館内は物音ひとつ聞こえなかったが、ガラガラと引き戸が開いて青年が出てきた、丈太郎だった。
『何だテメーは』
『大声で話さないでください』
『桜堂を出しやがれ。この落とし前はどうつけてくれるんだ』
『盟主はあなたのかんぐりは見当違いだと申しています』
『だったら顔出しやがれ。この変態坊主共』
『我々はそのような者ではない。ただひたすらに法華経に殉ずる。不惜身命ー!我が祖国の為めに、死なう。我が主義の為めに、死なう、我が宗教の為めに、死なう』
 そう言いながら法衣を脱ぎだし、不気味に醜くミミズ腫れの跡が残った腹を曝け出した。対峙していた男は血相を変えて後ずさりする。『我が盟主の為めに、死なう。我が同志の為めに、死なう』と唱えながら例の短刀を持ち出すとサッと腹を一文字に滑らせた。たちまち鮮血が流れ出す。
 対峙していた男は『ウwッ』と怯むと後ずさりし、不逞の輩達をうながして『気味の悪いやつらだ』と引いて行った。丈太郎はというと不気味な笑みを浮かべながら会館に戻る。どうやら浅く捌くコツのようなものがあるようで、前回ほど見苦しく暴れなかった。

 その場はそれで納まったものの、騒動に嫌気のさした者や盟主の乱淫を信じた女達は教団から離れて行ってしまった。

 つづく 

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異説『死のう団事件』Ⅱ

 

ナニワの狂い咲き

2023 NOV 25 18:18:21 pm by 西 牟呂雄

 ピン・ポイントで大阪に行ってきた。
 摂津の国は、古くは即位前の神武天皇が畏れ多くも生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)を建立された由緒ある場所である。その後も日本の政治経済の中心であり続け、江戸幕府が開かれた後でも敗戦後の繊維不況の波を被るまでGDPでは常に東京よりも上だった。
 令和の今日は、ほとんどの在版大企業が本社機能を東京に移したため地盤沈下が言われて久しいものの、東京に比肩しうる唯一の都市であることは変わらない。今年は日本シリーズも在阪球団同士で盛り上がり、38年ぶりのタイガーズのアレとなった。
 ナニワは漢字で難波(なんば とも読む)、浪速、浪花、浪華と表記され、江戸よりも遥かに人文は古い。ところがこと『観光』ということになると、例えば京都・奈良に比べれば見劣りする。まあ、道頓堀とか大阪城は名所といえば名所だが、いかんせん先の大戦で東京同様にやられたためもあり、目下の盛り場が観光地となっている。
 それはそれで結構なことだが、まずビックリしたのは外国人の多さだ。
 実は今回、宿泊をケチって梅田の近くの安宿を検索し、チェック・インの時点で仰天した。タチンボやポンビキがウヨウヨする連れ込み宿のど真ん中だった。地の利に疎いとはこういうことなのだが、驚いたのはそれだけじゃない。そういった場所になんの躊躇もなく外国人女性がトランクを引きずりながら闊歩し安宿に(僕のところとは別の)入っていく。おそらく僕のように安宿を検索して旅をしているのだろう。そして外国人ゆえにこういったところのヤバさ加減が分からないため平然としていられる。僕は十分注意しているが、彼女達大丈夫だろうか。
 というのも、泊まったところはやはりかなりの代物で、内装はビジネスホテルでもその昔は想像もつかない。一つだけ傍証を上げると窓を開けたら目の前に窓があり、夜中でもある種の女性の嬌声が聞こえっぱなしだった。それで隣の窓との間はどういうわけか塞がれた空間で、配管が通っていて右も左も外部に通じていない、つまり外が見えないのだ。まるで繋がっていたビルを無理矢理間仕切りして窓を嵌め込んだような不思議な造りで、向こうの窓が開いたらどうなるのか怖かった。

ビルの一角の高尾稲荷

 さて、今回の旅の目的は何かというと、最近始めた『都市進化論』のフィールド・ワークである。調査結果は別途まとめるのだが、焼け野原になった都市の中心部が復興するにあたってどのような形態をたどっていくのか、という内容。きっかけは東京で焼けてしまった高尾稲荷がビルにはめ込まれるように復活していたのを見たからである。これと同じように梅田のすぐ近くにかの曽根崎心中の舞台となった通称『お初天神』、正式名称は露天神社(つゆのてんじんしゃ)がある。ここも爆撃によって焼失してしまったのだが、果たして今日はいかなる状況にあるのかを見たかった。

大坂だなあ

  すっかり心中の神様扱いされて、縁結びのご利益が言われるのだが、元々は天照皇大神を祀った神明社(東京でいえば芝大神宮)で、名称の露天神社は大宰府に飛ばされた菅原道真がここで『露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば』と詠んだからとか。
 翌日起きてさてこっちかな、とノコノコ歩きだすと再び外国人女性が、しかしみんな手ぶらだ。夕べ見た欧米系ではなく、明らかにこの辺りで働いているであろうフィリピン系。これには痺れましたね。無論東京にもこういう光景はあるのだが、ここは大阪の顔である梅田の近くですぞ。
 このアナーキーさが大阪の魅力なのだな。
 もう少し言うと、このアーケードの朝の寂れぶりは大阪のイマイチ感を物語っているかな。

 アベノハルカスはできた。維新の会は立ち上がった。
 だが万博には苦戦している。
 しかし在版2球団での日本シリーズで盛り上がった。
 この怪しい街並みのすぐ向こうには高層ビル。
 昨日食事したビルの中のワン・フロアはオープン・スペースに似たような飲み屋がはいっていて、どこもが喫煙可。
 その下には素人では迷ってしまう地下街が広がる。
 我が東京はというと、スカイ・ツリーがあるが、都民ファーストは雲散霧消。
 オリンピックは何とかやり切ったものの、巨人はダメ。
 おまけに巨人が勝とうがヤクルトが優勝しようが日本橋から川に飛び込んだ奴は未だかつていない。

 さて、辿り着いたお初天神は、建物が押しくらまんじゅうをしているような所にあった。
 入って行くと意外と小さい。かつては2千平米弱の広大な敷地にうっそうと茂った森に覆われていたそうだが、戦災で焼けてしまい、その後急速な都市化に飲み込まれるように敷地を切り売りせざるを得ず、ご覧のような姿に変わった。
 更に裏参道はもっと凄い。
 こういうのを『巧み』とか『したたか』と言うのではないか。

 先程の『切り売り』だが、再建費用の捻出のためとネットにあった。タダでは起きないというか、さすがに大坂だなと感心してしまった。
 翻って我が東京では神宮外苑の再開発において東京都と、JSC、伊藤忠、三井不動産が覚書を締結し小池百合子女帝が認可したという大袈裟な代物で、樹木千本の伐採が問題になっている。
 時代は違うが、大坂では少しづつこんな感じでやったのではなかろうか。
『ウチも社殿が焼けてもうてドモなりまへんのや』
『そら難儀でんなぁ。それやったらここあたりこんぐらいで譲ってもらいまひょか』
『あんさん、そりゃ殺生や。かんにんしとくなはれ。せめてこんぐらいにでけまへんか』
『あちゃーっ。それこそきついでんな。もうちょっと勉強してもバチあたりまへんやろ』
『わかりまへんで。お初さん怖いでっせ』
なんてね。

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阿修羅像の内面

2023 NOV 19 21:21:50 pm by 西 牟呂雄

 奈良興福寺の国宝阿修羅像について、多くの識者が様々に論評している。僕も実際に見たが、虚空を見つめる少年の目に射すくめられるような思いがしたことを鮮明に覚えている。三面六臂の均整のとれた姿は繊細と力強さを同時に蓄えていて僕などの言語化能力では手に余る。

 ところで思うのだが、あれは正面から見る像なのだろうか。もちろんそれが最もポピュラーだろうが、せっかく顔も3つあるのだから、横からも後ろからも鑑賞に耐えられるのではなかろうか、部屋の真ん中に置いていろんな角度から見た方が面白いとも考える。
 そう思って画像を探してみるとあるにはあって、微妙に表情が違っているではないか。おそらく多くの解釈が為されているであろうが、読んでしまうと先入観に捕らわれるので一切見ないでじっと眺めまわしてみる。
 向かって左は『怒り』正面は『決意』右側は『懊悩』と見た、どうかな。
 ついでに言うと、一般的には少年の姿とされているようだが、むしろ美少女か両性具有者にも見えてくる。
 もともと古代インドでは生命生気の善神だったが、その後帝釈天と死闘を繰り返す悪鬼にされ、さらに仏教に取り込まれて仏法守護の八部衆に加えられた。
 筆者は最近インドが業務のフィールドであるが、南インドの性的放埓と一般のヒンドゥー教徒の性犯罪の多さにはあきれることが多い。形而上の縛りが多すぎるので、返って形而下のグチャグチャが増幅されているのではないかと思えるほどなのだ。LGBT法案などというドーデモいい話など吹っ飛んでしまう。
 そのインドの神様が善玉になったり悪玉になったりするのだからもう何でも来いの存在でいいのじゃないか。ついでに言えば大麻などは南東部では合法で、麻薬に関しても個人でやっている限りでは警察も取り締まらない。一応禁止はされているらしいが、宗教行事で大麻を使う習慣まで有るとか。大麻を混ぜ込んだお菓子もバング・ラッシーとして売られている(筆者はやってませんよ!)。

後ろから

 話が飛びすぎたが、探してみたらレプリカだが後ろからの写真を見つけた。やはりシルエットは女性的である。いずれにせよ阿修羅の様々なイメージ・チェンジは別にして、この像の制作者の意図は両性を飛び越えている。
 三面六臂の造形とその表情には作者の込めらえた思いがオーラのように放たれていて、見る者はそのオーラに照らされながら自分の内なるサムシングを昇華させる。
 今、この前期高齢者である僕を照らしているのは『自由』のオーラか。
 あんまりふざけてると阿修羅様に叩き直される!

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ようやく秋 と思ったら冬

2023 NOV 13 23:23:24 pm by 西 牟呂雄

 山荘は朝晩は寒い。枯葉が散ってくる。伸び放題の草を刈って野焼きする。
 11月になってやっと秋めいてきた。

本当は枯葉が舞ってます

 枯れ葉は穏やかな視界のどこかでひらひらと落ちて、一たび風が吹けば一斉に踊るがごとく舞い散っていく。さながら桜が散るごとく。何とか吹雪のような枯れ葉の舞いを撮りたいと30分粘ったがダメだった。
 春を告げる桜と晩秋の一年に二度、勢いのあるものが一斉に失せてしまうのを見続けた日本人は独特の感性を身に纏ったのだろう。季節の変わり目にいきなり姿を変える風景は無常観といえばそうかもしれないが、もう一ひねりしてみたい。どうだろう、我々が、もちろん普通に持っている普遍的な闘争心とか怒りとかは別として、時に見せる憐憫の情、或いは寂しさとも言える感情が培われたのではないか。
 更にもう少し掘り下げてみたいが『さて、明日は何があるかな』という具合の明るさ、あまり人は共感しないかもしれないが僕は日本人は独特の明るさを持っていると考えていて、その明るさも四季の移ろいや度重なる自然災害が培ったものとは言えないだろうか。
 1万年続いた縄文時代に今の私が考えたことと同じことを思った誰かがいたのは間違いない、その後に続く弥生・農耕時代は更に、と思えるのだ。

黄色いもみじ

 ところで今年の夏の異常な暑さで、例えば紅葉に異変が起きている。もみじが赤くなっていない、むしろ見たこともない黄色だ。黄色いもみじは何を示唆しているのか。もう一本はまだ緑い。おまけに柿がなったのでシブ柿だから干してみたのだが、念のために齧ってみたらなんと甘い!僕の記憶違いなのだろうか、それとも暑さのせいで甘くなってしまったのか。
 この年になってこんな環境の変化を目の当たりにするとは思わなかったが或る意味我々世代の責任とも言える。
 我々はいったい何をしてきたのか。次世代に何を残せるのか。僕は今のところ見習い農業でジャガイモやニンニクを造って、セッセと食料を生産しで酸素を供給している。アグリ万歳!

 さて、信長公記に『其日は、もとすに至つて御陣を移させられ』と書かれていて、これは甲州攻め帰り本栖湖を通って行った記録である。天気もいいから本栖湖まで足を延ばして信長の見た富士山でも楽しもうか。本栖湖は透明度の高さで名高いが、そこから富士山を眺めたことはなかった。子供の頃に遊びに来たことはあるが、泳いだ記憶だけが残っている。
 その後、本栖湖と隣の精進湖の間にかのオウムのサティアンがつくられていたため気味が悪くて近寄らなかった。跡地にテーマ・パークが建設されたが潰れている。あんなゲンの悪い所じゃね。
 本栖湖は明るく輝いていた。信長はこの富士山をみた二カ月後に本能寺で死ぬ。
 現地で初めて知ったが、千円札や五千円札の裏に刷られている富士山はここからの眺めだとか。お札を見ると将にこの姿なので僕も。

 本物はもう少し高い所から撮ったようだ。満足して帰ってきたら何と3年ぶりの木枯らし1号が吹いて、北関東では雪。
 オイオイ、秋はどこに行った。やっぱりおかしいよ。

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ソウル・イリュージョン・イン喜寿庵

2023 OCT 31 23:23:31 pm by 西 牟呂雄

 ヘッド・セットのボリュームはマックス。
 外界の音は遮断されている。
 難聴になりそうな大音量が体を揺さぶる。
 ノート・PCに繋いだスクリーンからは
  プリンスが爬虫類のような表情でギターを掻き鳴らす。
 プロポーション抜群の双子の黒人女性が華奢な手足を振り回し 
 ヴォリューム満点の黒人女性コーラス。
 リズム・リズム・リズム!プリンズはクネクネとギターを。
 インド系が入っているものすごい美人のチョッパー。
 さらにプリンスはギターをベースに持ち替えてますます熱を帯びる。
 性的エクスタシーの高みに上ったような表情。
PLAY THAT FUNKY MUSIC
 

 外に出れば満天の星。
 僕はリズム感に高揚したまま実体を失っている。
  強い酒がヒリヒリするほど食道を伝って滴る。
ファッキュー!!
 影ができるほどの明るい月。
 時差8時間の大地で兵士は血を流し、民間人も傷つき死の淵にいる。
 
 十年前に勝手に国境を変えようとした独裁者。
 私怨から元総理を銃撃したガイキチ。
 真似をして爆弾を投げたガキ。
 某国が支援疲れを起こしたのを見越して攻撃・人質を取ったテロリスト。
 陰謀論ではカバーできない悪意の国家。
 それどころか、その悪意に擦り寄りかねない国内諸派。
もう一度ファッキュー!!
 寒くなって来たのでまた母屋に帰って酒を呷る。
 徹底的に殺しあえ。
 気が済むまで殺しあえ。
 憎しみあえ。
 
 数十年前に世界を相手にたった一国で戦っていた1945年に。
 支援物資などどこからも来ず、
  絨毯爆撃を食らって原爆まで落とされた。
 人類は一晩に十万人を殺さなくなっても
  1年に一万人は殺す戦争をやめられない。
 これが人類の知恵の結果か。こんなものが進化か。
 グローバリストの求めたものはこれか。
 
 ガッデーム!攘夷!攘夷!攘夷!
 もっと聞かせてくれ。
 もっと揺さぶってくれ。
 魂が震えるまで。
 酔えばいい。
 踊ればいい。
 
 熱くなってきた。ボトル片手に外に出る。
 雲が出て漆黒の闇。
 欲しいのはこれさ。
 音をあげろ。
輝け。叫べ。踊れ。飛べ。
 狂え!狂え!狂え!
HOLD ON I’M COMMING

 最後は夏の残りの花火を。
 真夜中の小さな花火さびしかろ。

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狂言『昆布売』並びに 能『巴』 

2023 OCT 22 0:00:00 am by 西 牟呂雄

 野村萬斎という人はどれ程の才能の持ち主なのか、ちょっと計り知れないところがある。今年の薪能では『昆布売』を万作さんとのコンビでやった。

 侍役が萬斎さんで昆布売が万作さんだったのだが、出てくるところからオーラが出ていた。
 つくづく思うのだが、この人と團十郎とではオーラの種類が違っている。どちらも華があり、伝統に裏打ちされ磨かれた芸があり、舞台に出ると強烈なオーラを発する。十才違いのこの二人、いずれも人間国宝になっていくだろう。
 ただ、際立った違いは團十郎は単に歌舞伎の天才、萬斎はマルチな才能ということになるのではないか。
 團十郎が歌舞伎以外の例えばテレビに出ると、それが時代劇であっても大して面白くならない。以前の大河ドラマで信長役だった。大いに期待してそれなりに良かったのだがイマイチ感が残った。何故か。それはテレビは役者の意思にかかわらずアップにしたりカットするからだ。團十郎の芸は全身を使って所作する舞台が基本で、またそれしかできないのだ。稽古嫌いで知られ酒癖も悪い團十郎は画像に残る演技はできない。成田屋の十八番芸、邪を祓うという『睨み』なぞ、画面でアップされたら面白くもなんともない一発芸だ。

 そこへいくと萬斎は現代劇に出ても味のある演技ができるので、テレビ・映画でも重宝されている。おまけにこの人は芸大を卒業し、東大の非常勤講師をやったこともある教養人だ。
 密かに温めている企画がある。わがまま放題に育ったヤクザの二代目VSそいつを執拗に追い詰めるキャリア刑事の映画を、深作欣二や北野タケシがやるようなノン・ストップ・ロング・カットで撮ってみたい。どっちがどっちかはお分かりだろう。やはり歌舞伎は大衆の、能・狂言は武士の芸ということか。

 さて、御父上の万作さん、御年93才。この度文化勲章おめでとうございます。『まず美しくないとダメ。次に面白さが必要。そして最後に笑いがある』とは至言。矍鑠とされていて姿勢もいい。ただ、どうしても声にでますな。

 能の方は『修羅物』といって武将の霊が出てくる話だが、その中でも唯一女の霊の『巴』。美貌・怪力で木曽義仲の愛妾、巴御前のことだ。
 台詞の中に『なにものがおわしまするかしらねどもかたじけなさになみだこぼるる』とあって、ハッとした。これ、西行ではないか。一瞬、西行法師が能のセリフをパクッたのかと混乱したが、能の成立は室町時代で西行のいた鎌倉時代の遥か後である。帰って調べたら『古の歌人が謡った「なにものが~」のように』と挿入された台詞だった。あー安心した。

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波よ風よ雲よ

2023 OCT 16 20:20:10 pm by 西 牟呂雄

 インドから戻ったら日本は秋になっていた。風は爽やかに、そうなると海は透明度を増して、夕暮れは息を飲む色合いになる。それが見たくて波打ち際に行きたくなります。この時期、若大将カップといって逗子沖から茅ヶ崎沖のえぼし岩の往復を競うクルーザー・レースが開催されるので、そのスタートを見に行きました。

 前日に秘密基地(合鍵を借りている某氏の別荘)に行くと、眼前に広がる相模湾はご覧の明るさです。
 私はビール片手に風に当たりながら先日訪問したインドのことを思い出していました。
 従業員の女性達は大変貧しいですが、あの人達はインド高原の大地で形而上の世界を生きていて、こんな明るい海を見ることは生涯ないかもしれません。ですが様々な宗教的戒律とカーストに縛られつつ気楽に生きています。
 それと我々日本人の生活と比べることは無意味で、彼らを憐れむこともうらやましがることもありません。
 ただ時間だけは同じように過ぎ去って行くだけです。
 この明るい景観も遷ろっていきます。

 などと思いつつ一晩寝て起きたらこんな海になっていました。レースはきょうです。
 インド人もクソもなく海に出てみれば14~15ノットの強烈な北風でした。
 目指すのは江の島沖、北上しました。正確には北西に進路を取って江の島を右に見る頃にタックします。
 スタートには間に合いました。5分前予告信号(音響 短音1声、掲揚)、4分前準備信号(音響 短音1声、掲揚)、1分前(準備信号旗降下 音響 長音1声)、スタート(予告信号旗降下 音響 短音 1声)。
 応援している仲間の船は5分前にはスタートラインから大きく離れた海域にいて信号音と共にタック、徐々に風を捉えて満を持したスピードで飛び出しました。お見事!
 北風に対してアビームといってゼネカーというセールを出してフルスピードで進みます。仲間のレース艇は飛ぶように行ってしまい、江の島沖まで追いかけて僕達はホームに向けて北に舵を切りました。というのも天気が怪しく、今にも降りそうだったので。
 風が強くなると白波が立ってきて追い風で船足が7ノットと早まります。
 振り返るともう、えぼし岩を回った船が見えました。早いなぁ。

 波は基本的には同じところの海面が上がったり下がったりしているだけですから、うねりが動いているように見えても潮の流れとは関係なし。陸地の見えないセーリングではコンパスだけを頼りに、その怪しげに上下するだけの水面を見ながら舵を取ります。そういう時は操船に集中するのですが、心は宙に浮いたような気に陥ります。何も考えていないでボーッとしているのじゃないですよ。何と言うかやったことはありませんが禅の修行はこんなではないかと思えます。
 港に入るとホッとするような、何か掴んだようなリハビリが終わったような気分です。レースはこうは行きませんが、そっちは別の達成感があるでしょう。
 それは海上に出ると海の圧倒的な質量に抱かれるからでしょうか。陸から眺める海とは明らかに違っています。山登りも山の質感が同じ作用をもたらすのか、今度は久しぶりに喜寿庵からお城山(海抜千m)に登ってみようかな。
 アッ、手首にポツッと雫が。これから雨降りなんだ。

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